010:取り戻した光

私は幼少の頃から視力が悪く、幼稚園の時には既に-5.0(屈折率)の近視眼鏡を掛けていました。父母は私の視力が改善されることを願って各種方法を探し歩きましたが、どれも役に立ちませんでした。当時の私は、それが自分の業によるものだということを理解できず、近視度数も益々上がり-10.0にまで達していました。

1996年前後、右眼の網膜剥離の為、元来弱視だった視力は更に急速に悪化し、左眼だけに頼らなければならなくなりました。2006年2月末、左眼にも同様の状況が発生しました。手術によって網膜を貼り戻すことはできましたが、視力は既に 0.1にまで衰え、私は緊張感、恐怖感に慄き、どうしたら良いか分かりませんでした。元来の仕事は二度と担当することができず、無給での8ヶ月が過ぎ、その後やっと他の部署に異動させてもらえました。この間、法友の静宜さんが私に、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの衆生に対する慈悲と願力について話してくれ、宝石店へ行きリンポチェに謁見を求めないかと尋ねました。しかし、私には、そのような因縁と福報がなく行かないままでした。同年11月、母が入院し、静宜さんは、母を助けてもらう為にリンチェンドルジェ・リンポチェの所へ行き願うことを勧めてくれました。

私がリンチェンドルジェ・リンポチェの目前で跪いた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈しみを込めて私に聞かれました。「何の用ですか?」 私は口を開く前に、既に涙が止まらず、母を救ってくれるのはリンチェンドルジェ・リンポチェだけだと感じていました。母の名前と病状を報告すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは母がどうして病気になったのかを説かれ、法会に参加しなければならない、しかも長期的に参加して母の為に福報を積まなくてはならないと仰りました。この時から私は、毎週一回の「施身法」の法会に参加するようになり、次の年から、毎週日曜日の共修法会(合同修行法会)に参加するようになりました。

私がまだ一般の信徒(未皈依)である時、私の視力問題についてリンチェンドルジェ・リンポチェに教示を求めたことがありました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、私が過去世で為した悪業が今世での果報となったことをお話しになりました。私は、因果の恐ろしさを初めて知り、因果を深く信じ、並びに、過去世及び今世で為した悪業を懺悔し、一切の果報を歓んで受け入れようと思いました。

私は、2006年1月15日に皈依致しました。皈依後は、網膜及び視力は原状を保ち続けました。上師の大福徳の御蔭です。網膜剥離は手術で貼り戻したものの、再発する可能性もありました。私は嘗てハイテク会社に勤務している人と知り合いになりました。良い仕事でしたが、網膜剥離を繰り返し、元々の仕事は続けられなくなりました。多くの時間と金銭を費やしていましたが、彼の視力を救う方法はなく、障害者手帳を申請する結果となりました。その一方で、私は、正常な仕事と生活を送る事ができ、最も重大なことは、徳を備えた上師について仏教を学ぶことができた事でした。慈悲による加持と助力、及び弟子に福報を授けてくれたリンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に心より感謝しております。

皈依の前、眼の定期検査において、医者は、私には白内障があり手術してもよいが、以前の網膜剥離の状況を考慮すると、手術には多少危険性が伴うと言っていました。私はこのような手術は受けたくないと思っていましたが、今年の六月、視力は更に霞がかった様にはっきりしなくなりましたので、法友の方先生の診療所で検査してもらった処、方先生は、白内障はかなり悪化しているが、手術で眼内レンズに交換するだけでよいと話してくれました。

方先生の協力で健康保険局に特別案として申請し、手術の日程を決めてもらいました。7月5日、方先生が、手術は7月25日になったことを連絡して来ました。手術前の期間、心配、緊張、恐怖はありませんでした。しかし、将に手術室に入った途端、突然緊張が始まり、心拍数は恐らく100余りもある程で、呼吸ができないのを感じていました。自分に緊張するなと言い聞かせていましたが、全くリラックスできませんでした。そこで、心の中で、リンチェンドルジェ・リンポチェが私の頭頂で加持して下さるのを観想するとリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲深い父親のように手術台の側に立ち私に力を与えて下さるのを感じました。このような考えが浮かんだ後、どの位の時間が過ぎたのか、突然、自分の呼吸が通常のサイクルに回復されたのが意識され、心拍速度も正常となり、二度と緊張することなく、手術はスムーズに完了しました。

手術の十日前、会社の主管が、部署の職員を集めて、仕事の調整について通達しました。私は I C部品サンプルの処理を任せられることになり、胸中気掛かりでした。視力の正常な者から言えばそれは難しくないことでしょうが、視力が酷く悪く、パソコン使用時にはモニターにぴったりくっつき、物を見るにも非常に近付かなくてははっきり見られない私は、この仕事を担当できないのではないかと心配になりました。しかし、「私達の今世で向き合う一切の出来事は全て過去世に為されてもたらされたものである故、それらを受け入れなければならない」というリンチェンドルジェ・リンポチェの教示を思い出しました。それを考えていると、再び心配に悩まされることはなくなりました。

手術の次の日、方先生の診療所で再診し、ガーゼと眼帯を外した時、眼前のありさまを見て、非常に驚愕しました。元々、ぼんやりとしたライトや映像しか見ることができなかった右眼でしたが、現在は、明亮ではっきりしたものが見えるのです。また、昨日以前の視力とは天地雲泥の差で、想像し難いものでした。

一ヶ月が過ぎた後、方先生は、再度、私の為に特別案の申請及び手術時間の手配をして下さり、9月22日、左眼の手術をしました。次の日ガーゼと眼帯を取った時、驚異的なことに、左眼で見える影像が明亮ではっきりしたことの他、視力が右眼より更に良くなっていました。実に不可思議なことでした。

私は、嘗て大きな供養を行ったことのないことを懺悔し慚愧を感じました。また、視力が回復したことを信じられませんでした。自分に如何なる徳や能力があったというのでしょうか。近視が-20.0度数、視力が0.1に至らず、しかも網膜剥離を起こし、眼睛内部の瘢痕・線維化により、手術の危険性及び困難度が通常よりも非常に高い状況の下、私の仕事内容の変更前に、こんなに素晴らしい先生が最良の手術方法で視力を回復させて下さったのです。これは全て尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大福徳により弟子が庇護された御蔭です。私はこの体験を家族、友人、及び法友達と分かち合う度に、皆は感動して奇偉を褒め称え、リンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲と大能力を讃美していました。

静宜さんとその他の法友達の手助けと思いやりに非常に感謝しなければなりません。そして、何よりも、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝したいと思います。リンチェンドルジェ・リンポチェへの皈依なしに、私は正法を聴聞できませんでしたし、視力も更に悪化し、恐怖、緊張、不安な毎日を過ごしていたかもしれません。また、教えに基づいた行為がしっかりとできていないことを懺悔します。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子である私に仏教を学ぶ機会を与えて下さったのですから、私は仏道上で更なる努力をして行きたいと存じます。

今日、ここで御話した体験談は、自分自身への忠告でもあり、皆さんにも私達の身近にある貴重な宝を大切にしてもらいたいということをお伝えするものです。末法時代において、このように衆生の為には自分の生命もいらない、名誉や利益もいらない、報いを期待せず、ひたすら衆生の苦しみを取り除くことだけを願っている、このような偉大な修行者に出逢うのは、実に難しいことです。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、常に、「生活の中で、私達は、随時、自分の身口意に注意し、自分を戒め、自己の行為を改善しなさい。そして、今世で生死を解脱し、輪迴から離れられることを願っています。更に多くの済度を必要とする衆生を利益できる時間と精神を持てますように。」と、説かれています。

以上を大徳の法友の皆様との分かち合いとします。再度、尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大恩に感謝を捧げます。有難うございました!

弟子 郝育秀

2009 年 04 月 01 日 更新