006:私のお爺さま

2002 年、私のお爺さまは93歳でした。その年の正月前、お爺さまは突然食欲を失い、二ヶ月後には体が弱り、病院で点滴を受けるようになり、一週間後には衰弱と混迷に陥り、集中治療室(ICU)で治療を受けるようになりました。私は小さい頃からお爺さまに育てられたお爺さまっ子でした。お爺さまがICUでカテーテル等を挿入され、大きく開けて乾いた口で喘いるのを見て、私はたいへん胸をいためました。お爺さまの弱い体は震え、両手は無意識に空で舞い、喉では痰がゴロゴロ音を立て、砂の上に捨てられた干乾びそうな魚のように苦しんでいました。

わたしは心が切り刻まれるようで、すぐ寶吉祥に駆け込み、上師――リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を求めました。リンチェンドルジェ・リンポチェの前に跪いた時、私は泣くことしかできず、一言も言葉が出ませんでした。お爺さまにこのような苦しみを味あわせたく無い (ここまで書いて、また涙がポロポロ出ました)。心の中では「リンチェンドルジェ・リンポチェ、お爺さまを助けてくたさい!お願いします」と叫んでいました。リンチェンドルジェ・リンポチェを仰ぎ見、それはまるで溺れるものが救命ブイを掴むが如くでした。脳裏に強烈な思い「リンチェンドルジェ・リンポチェ 、かならず お爺さまを助けてください、」が浮かぶだけで、言葉にはなりませんでした。後ろで跪いていた夫 は、私に代わって リンチェンドルジェ・リンポチェにお爺さまの状態を告げました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、俯いて優しく尋ねました「おじいさんは高齢です。おじいさんの受ける苦しみを軽 くさせたいのですね」私はおどろきました。リンチェンドルジェ・リンポチェについて何年間か仏法を学び、他人の例も数多く知っていますが、自分がこの状況に置かれるとやはり戸惑うものです。

私には リンチェンドルジェ・リンポチェのお言葉の意味がはっきりと分かりました。お爺さまに残る時間は少なく、リンチェンドルジェ・リンポチェに加持をお願いして、苦痛を減らせ、早く浄土に行けるよ うにすることが最高の孝行でした。お爺さまを送ることは実に切ない事でしたが、突然お爺さまが苦痛で意識不明になる事態が脳裏に浮かび、私はやっとうなず き、世間でいう家族の愛を捨てて、リンチェンドルジェ・リンポチェが病院でお爺さまに加持をすることを願いました。私は大きな福の報いがある者がこのような因縁を持つ事を知っ ています。その時、寶吉祥では他の患者の家族が待っており、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の家族の加持を承諾していました。其れは夜8時頃で、リンチェンドルジェ・リンポチェはその女性に 「明日あなたの家族を手伝う事にしましょう、彼女のお爺さんの方が厳しい状況ですから」と言いました。

そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは疲れきっている体で国泰病院のICUに駆けつけ、お爺さまの手伝をして下さいました。ICUの 看護婦さんは特に私達が入る事を許してくれました。リンチェンドルジェ・リンポチェが加持を終えて出てくると、私におじいさんは何の仕事をしていたのかと聞きました。殺業が重 いと言います。私はお爺さまが軍人だった事を告げ、中日戦争中、兵士を率いて戦ったと言いました。後日 リンチェンドルジェ・リンポチェの開示で、この様に殺業の重い人は、ポワ 法を得る道理がないが、後世の子孫が親孝行で、福の報いを積み、真心を込めて リンチェンドルジェ・リンポチェに請い求めて、初めてその機会を得ると言う事を知りました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは立ち去る前に、特に私に、お爺さまには3日だけ残されていると教えてくれました。翌日の朝、家族たちはすべてICUに お爺さまのお見舞いに駆けつけました。もともと意識不明のお爺さまに会うと思ていましたが、意外にもお爺さまは目覚めており、完全に正常な意識を回復して いました。2週間前から見られたうわ言もなく、医者と看護婦もおかしいと思ったようですが、その原因はわからなかったようです。本当に リンチェンドルジェ・リンポチェのご恩に 感謝しています。

3日 後、リンチェンドルジェ・リンポチェの言うとおりお爺さまは亡くなりました。家族達はすでに心の準備をしっかりとしていましたが、それでも悲しさに耐えられずに泣きました。私 は急いで リンチェンドルジェ・リンポチェに殊勝なポワ法をお爺さまの為に修めてくださいと懇願しました。慈悲深い リンチェンドルジェ・リンポチェはこれを承諾してくれました。その時、リンチェンドルジェ・リンポチェは 夕食中でしたが、知らせを受けて、食事を終わらせる暇もなく、すぐ道場へ引き返し法を修めました。すべての孫達はお爺さまの側を囲んで、 一心不乱に六文字真言をを唱え、慈悲深いの リンチェンドルジェ・リンポチェと仏菩薩にお爺さまを極楽浄土へ導いてくれるよう懇願しました。

殊勝なポワ法によって、私達の苦しみもなくなりました。艾芬さんが電話で、私達に リンチェンドルジェ・リンポチェが法を修め終えたことを知らせてくれました。往生してから約1時 間後、お爺さまの苦しみの表情は消えてなくなり、安らかに眠っているようでした。私が手でお爺さまの顔に触ると冷たく、頭のてっぺん(梵穴輪)は熱くて、 これは殊勝なポワ法が成功した兆しでした。私達はたいへん喜び、半信半疑の父さんも触ってみて、不思議な事だと思いました。

お爺さまがすでに苦しみを逃れた事を知り、私達の心は感謝と喜びに満たされ、六文字真言を更に懇切に唱えました。看護婦さんは私達が8時間読経した後、初めて死者の衣替えをすると知って、私達に死斑が現れる事、関節が硬直して曲げられない事、その時熱いタオルを使うと着替えが出来ると特に教えてくれました。しかし、私達が見たものは、経験豊富な看護婦の言ったことと完全に異なっていました。8時 間を経た後も、お爺さまの体は生前の様に柔らかく、死斑も表れず、関節も硬くなりませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法の加持力に感心せずにはいれません。リ ンポチェは死者の側で法を修める必要はありません。昔ののように死者の側で法を修めなくても、このような現象が見られるのですから、本当に不思議です。

このたび、愛する家族がこの世を離れる苦しみを身をもって経験し、リンチェンドルジェ・リンポチェは私達が最も苦しいときに、助けの手を差し伸べてくれました。貴重なポワ法はチ ベット地方で、一家の財産をはたいても求めるられる保証はなく、もし得られても、必ず上師あるいはラマ僧に家に迎えて、死者が往生して法を修め終えるま で、その生活の糧を供養し、法を修め終えると更にもう一度供養して始めて完成をします。その上、法を修め終えてもこのような瑞相を得られるとは限らず、大 きな因縁と大きな福の報いがなければ得られないものなのです。

リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生の済度ために、仏菩薩の化身として世に現れたのです。私達は特に機縁があって、幸運にも正しい仏法を聞くことができます。仏法を学び始めて、私は常にこの様な リンチェンドルジェ・リンポチェと正しい仏法を他の人に伝える事を、自分が解脱するまで待てないと思っています。すべての衆生は苦しみの中にあり、仏法を学ぶことによってのみ、苦しい境遇から逃れる機会が得られます。リンチェンドルジェ・リンポチェは常に私達に時間はもう多くは残されていないと注意しています、私は早く他 人に知らせなくてはいけません。しかし私を含め、人は事が無事におさまると、すぐその恩を忘れてしまう事が多いのが現実です。私たちは最も困った時に、リンチェンドルジェ・リンポチェのお世話になり、助けて貰いますが、事が過ぎると、すぐ忘れて怠けてしまいます。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは全然恨みにしません。ただただ仏法の宏揚と衆生を利益する事業に従事しています。リンチェンドルジェ・リンポチェの望むことはすべての人々に リンチェンドルジェ・リンポチェの教えが行き渡り、仏法の利益を得ることです。こんなに大きな慈悲の力は、宇宙空間における最大の力で、私は深く心から尊敬しています。衆生が成仏するまで、正しい法を伝える。それに向けて弟子の私達は リンチェンドルジェ・リンポチェの教え通りにお祈りしております。そうする事によって リンチェンドルジェ・リンポチェ及び仏と菩薩のご恩を少しでもお返しする事が出来るのです。

弟子田淑君

2009 年 01 月 21 日 更新