尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年8月31日

法会の開始に先立ち、もともと第二組であった皈依弟子とその息子が、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが公開懺悔する機会をくださったことを感謝申し上げた。以下は、彼女が四年余りにわたり尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従ってきた学仏の経歷と、上師が慈悲深くも何度も済度くださり、彼女に学仏の因縁と救いを累積させてくださったことについての発露である。

「2009年11月1日私は初めて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依申し上げた。その時は信心が足りなかったため、自らベストを返し、仏法を聞く機縁を一年余りも断ってしまった。私は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。初めて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜った際、私はまだ皈依していなかったが、上師は『懺悔仏法テープ』を下さり、慈悲なる救度を頂戴した。そのおかげで、私のうつ病はすぐに完治し、40日余りを過ごした精神科病棟を出ることができた。日曜日の共修法会へ参加できなかった一年余りの間、少しでも時間ができれば、『懺悔仏法テープ』を繰り返し聞いた。その頃『懺悔仏法テープ』を聞き終わると、自分の長年にわたる悪行を後悔していた。そのため尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔申し上げた。こんなにも長い間、私の身の上に起こった事は、上師が開示くださる仏法のように、認め、受け入れ、向き合い、責任を負わなければならないのだ。この時ようやくいくらか勇気が湧き、自分が犯した過ちと向き合うことができるようになった。

上師はかつて日曜日の共修法会で、男女の感情は縁に任せるよう言っているのに教えに従わない、と大声で私を叱責くださった。前夫との交際から婚約、結婚に至るまで、双方ともその行動と考え方が、完全に貪慾、憎み、占有に基づいていたため、子供が生まれた後は、言葉で言い争う他に、身体的にも絶えず衝突するようになり、最後には完全に共同生活が続けられなくなってしまい、婚姻を維持する理由はないとお互いに考えるようになってしまった。子供が生後四ヶ月ほどの頃、私は、こんな環境で成長するのは子供にとって良くないと考え、前夫との関係を終わらせることを決め、その後上師の同意を求め、道場で上師の開示くださる貴重な仏法を聞いた。

前夫と暮らしていた家を出た後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの『男女の感情は縁に任せよ』との開示を日夜考え続け、自分が大きな過ちを犯していたことにようやく気がついた。因果を信じず、上師の教えに従わなかったのは、私の過ちだった。上師が私と息子に再び信者として仏法を聞く機会をくださったことを感謝申し上げたい。初めて皈依した後は、愛を選び仏法を捨て、上師の教導に従わず皈依戒律を生活に用いていなかった。そして、自分が選択した道の結果を見ることとなった。道場を離れていた一年余りの間、私は前夫との累世の悪果に苛まれ、父母に煩悩心を抱かせていた。私はかつて愚かなため『この人と結婚すべきでしょうか』と尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに教えを請うたことがある。上師は『縁に任せよ。しっかり学仏せよ』とお答えくださった。その時、実は心中ではとっくに答えが出ていたが、上師の仰せのように、自分はただだれかに保証してもらいたかっただけなのだ。

ここ数年、これらの経過を思い返すと、確かに尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの仰せの通りである。当時の私の考えは『学仏人は結婚すべきでないとでも?』というものだった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは最初から予測なさり、私が悪念を起こさないかと心配なさっていたが、仏を中傷する因果を為せば、それは私にとって良くないので、そのためそれ以上何もお諌めにならなかった。上師は土曜日に『結婚したいなら、結婚すればよいではないか!』と開示くださり、翌日日曜日の共修法会でも、上師は私をお見捨てにならず、『昨日ある女性の皈依弟子がやって来て、この人と結婚すべきでしょうか?と尋ねた。一切は上師が開示する仏法の如く、悪果が顕現してもなお気づかなかったのだ!』と公開の場で大声で叱責くださった。上師は私が苦しむことを心配くださり、教えに従うことを願っておられたのに、当時は上師の教導に従うことができなかった。今思い返せば、上師が一切の方法を用いて絶えず衆生に救いをお与えになっても、自分が上師の手を放し上師から離れてしまえば、その後はただもとの業力に従いこの一生を過ごすほかないのだ。自分は当時弟子として、なぜ上師の開示くださる仏法が耳に入らなかったのか?それは自分が因果を深く信じておらず、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに対して不恭敬だったからだ。

前夫と別れた後、私の生活はすぐに正常な軌道に戻り、家を借り、仕事を探し、離婚裁判に至るまで、すべてにおいて 上師の加持があったおかげで圓満に落着した。私は幸運なことに、かつて寶吉祥不動産で働いていた弁護士に出会うことができた。しかも、この弁護士は每年阿弥陀仏無遮大超度法会に参加しているため、私は、上師が教導くださる仏法をこの裁判に用い、相手が提示したすべての条件に同意し、三~五年かかると思われた裁判が、一年以内にすべて決着したのだ。今つくづくと、具徳の上師に皈依でき、上師の教導に従うことの大切さ、また自分が犯した過ちに責任を負い、每日の行為を懺悔しなければ、累世の悪業の転重軽受になることはないのだと感じている。

皈依を待っている期間も、上師は私と息子に、2012年8月16日に京都寶吉祥仏法センターで行われた観音菩薩灌頂法会に参加する機会をくださったことを感謝申し上げたい。日程の間中、息子は常に不安定な状態だったが、上師はコンダクターを通して『1.供養するのかしないのか。2.自分が遊ぶことに一生懸命で、こんなに暑いのに子供に水分を与えもしないので子供は発熱し、身体に赤い汗疹ができている。手足口病ではなく暑気当たりだ。3.子供の口が切れているのは哺乳瓶を清潔に洗浄しないからだ。お湯で煮沸消毒しなければならない』と何度も私に開示くださった。私がしっかりせず、母親としての責任を果さず、子供をきちんと世話しなかったため、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのお心と体力を無駄に費やしてしまった。私は上師に対する供養の心構えが全く正しくなく、上師を、具徳の、我々が生死を解脱できるよう教導くださる、宝物のように貴重な上師であると大切に思っていなかった。上師の私に対するお心遣いは金銭で測れるものではなく、世間の何らかの物質で報いることができるものでもない。上師は三宝に対して充分な信心と百%の恭敬を備え、教えに従ってしっかりに実践しているかどうかをご覧になっておられるのだ。私は感謝申し上げたい。上師は、当時混乱していた私の心を落ち着かせてくださり、子供の問題をいかにして処理すべきかをお教えくださった。私は深く懺悔したい。

私は、自分が感情をコントロールできない人間であると気づいた。幼い頃から今まで、思い返せば、自分はいつも己に甘く、感情と金銭において心の赴くままに振る舞ってきた欲が非常に深い人間だ。私は、上師が主法くださる済度法会で何度も問題を起こし、さらには大声で、或いは獰猛に叫んだこともあった。上師はかつて『そなたは精神病か?ここをストレス発散の場だと思っているのか?このままなら出て行ってもらう』と大声で叱責くださった。その後済度法会の度に、上師の叱責は強烈に私の脳裏に焼き付けられている。私は自分に『上師の教導を信じなければならない。上師のお言葉は正しいのだ。どんな考えであろうと自分の考えを持ってはならない。上師だけが救ってくださるのだ』と言い聞かせた。その後の法会では、自分の感情をコントロールできないような状況は発生していない。何度も上師と兄弟子達を困らせてしまったことを私は懺悔申し上げたい。もし上師の殊勝なる教法がなければ、自分の心の病がこんなにも深刻であり、自分の問題がどこにあるのかに私は気づかなかっただろう。上師が、2012年9月23日に私と息子を再び皈依させてくださったことを私は感謝申し上げたい。けれども、私は皈依後の期間も、身、口、意で絶えず悪業を増やし、上師の教導に従わなかった。そのため、インド・デラドゥンにあるヂャンチュウブリン寺(菩提寺)で『献マンダラ長寿法会』に参加した後、心中に再び貪念が起こり、同意書に署名しショッピングに行ってしまった。私は感謝申し上げたい。上師の慈悲なる加持のおかげで、寶吉祥の弟子のベストを脱いだ後、自分の学仏の動機には問題があるということがようやく分かった。私は心を落ち着け、初めて自分の心をはっきり見つめられるようになり、一切の行為が悪であると悟った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの叱責と教法に私は感恩申し上げたい。さらに、上師が公開懺悔を発露する機会をくださったことを感謝申し上げたい。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し学仏することで、自分はこんなにも悪であるとようやく分かった。私の心は常に怠けており、さらには心中では貪、嗔、痴を犯し続けている。今回の発露懺悔の機会を通して、過去に犯した無数の悪業を一つ一つ懺悔し、今後二度と再び同じ過ちを犯すことのないよう願う。

上師が、2013年4月インド・デラドゥンのヂャンチュウブリン寺(菩提寺)で行われた『献マンダラ長寿法会』に参加する機会をくださったことを私は感謝申し上げたい。それなのに私はやはり貪念を起こし、同意書に署名しショッピングに行ってしまった。尊き リンチェンドルジェ・リンポチェの普段教導くださる仏法を生活(『皈依仏法テープ』中で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは『自身の命が危険にさらされても弟子は皈依戒律を捨ててはならず、貪念を起こすとはさらにあってはならない』と開示くださっている)に用いていないことを私は懺悔申し上げたい。私は、幼い頃から家人と街に出て、欲しいものが見つかると必ず買いたがり、家族が買ってくれなければ、地面に寝転がって泣き暴れた。成長しても、欲しいものが買えないとたまらなく辛くなり、夜眠れなくなるほどだった。

今回寶吉祥弟子のベストを脱いだ後、私は、自分の問題について初めて真剣に考え、自分は欲が非常に深い人間であると気づいた。上師に従いインドへ赴く機会がなければ、私は一生自己の問題に気づかず、それを正すことなどなかっただろう。私は上師に感謝申し上げたい。自分は買物好きなため、進んで同意書に署名し兄弟子に渡し、同乗の兄弟子も巻き込むことになってしまった。まったく間違っている。今回尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従いインドに赴き、『貪念』こそが、急いで変え、止悪しなければならない宿題なのだとようやく分かった。今やっと貪念の恐ろしさを知り、初めて自分の真の姿が見えてきた。ちょっとした貪念さえ私のもともとの本性を失わせてしまい、補えない事を為してしまうのだ。

社会に出た後、私はずっと営業の仕事をしてきた。素早く金儲けができるが、悪業もすぐに為してしまう。しばしば利益のために、口角泡を飛ばし良いことだけを言い、悪いことは言わなかった。業績目標を達成するため、身、口、意の悪業を為しているとは気づかなかった。これら悪行は、学仏と言わず、人としての標準を失わせるものだ。上師は『人は毎日口を開いて話し、福報も口から出て行く』と開示くださった。この事は、衆生に利益する行為でなければすべては悪であり、その場で懺悔しなければならないと教えている。仕事において、会社は販売価格を定めているのに、顧客の信任を得ているのをいいことに、上司に認めてもらおうと、相場より高めの価格を顧客に伝えていた。このような悪習が長くなると、知らず知らずの内に、あらゆる人、事、物に対して自然に貪念を起こすようになり、お互いに傷つけることになってしまう。

インドから帰国し、私はようやく落ち着いて考えることができた。そして、自分はこれまであまりにも多くの過ちを犯してきたと気付き、自分に対する上師の真心と兄弟子達の忠告をようやく理解することができた。インドでは、上師は弟子達のために贈り物を用意してくださっていたのに、私は上師のお言葉を心に留めず、買物に走った。これこそ貪である。インドから帰国した次の次の週、上師は法座で『自分は若く弁舌に優れているからと言って、他人のお金を使ってしまってはならない•••』と開示くださった。このお言葉を聞き、23歲の時かつての恋人から十万元借りたことを、私は思い出した。自分との交際中も恋人は前の彼女と付き合い続けており、最後には話し合って堕胎することとなった。そして私は理由をつけては、私を傷つけたと恋人をなじり、お金を返さなかった(法会終了後、私はよくよく考え、もし本当に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従い学仏するなら、自己の行為を徹底的に変えるべきで、何年も経っているからと言って、自己が犯した過ちに向かい合わない訳にはいかない、と考えた)。私は感謝申し上げたい。上師が仏法の開示をくださったおかげで、私は自分の行為が偏っているということに気づき、相手と連絡を取り十万元を返す勇気を頂戴できたのだ。私は、これ以外にも何か悪いことをしていなかったか、と尋ね、許しを請いたが、最後にかつての恋人は、ない、という意味で首を横に振った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはかつて『他人の物を自分の物だと思い、その人のお金を先に使い、後に返す。私が今その人のお金を使うのは、別の事をするためで、いつかお金を稼いだら、また考えよう。これこそ正に貪だ』と開示くださった。

私は働いていた16歲の時、資源回收で得た『鉄くず代金』を自分の懐に入れていた。私は感謝申し上げたい。上師の加持のおかげで、私はかつての同僚に連絡する機縁を得て、過去の過ちを償う機会を得ることができた。最後には元同僚は彼の名義で、私が返却した約3万元の現金を内政部社会司に寄付するよう求めた。私は恋人と交際していた時、いつも自分が損をしていると思っていたため、いつも恋人のお金を使っていた(尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは『仏法テープ』の中で『弟子達が金銭で自分の恋愛を量ろうとするなら、身体でお金を稼いでいる女達と同じではないか!』と開示くださっている)。23歲の年、私は妊娠約四週で、堕胎薬を飲むことで衆生を殺害した。結婚後は前夫、義父母、兄嫁と、子供や金銭の事で争い、さらには前夫とは暴力を振るい合い、家の中の物を投げたりした。他所の人が自分の母について批評しているのを聞くと、私は、自分が影響を受けるのではないかと心配し、善意で仲裁して解決しようともせず、さらにその状況を悪化させ、母とその人とが再び争うことになってしまった。

中学の頃から今に至るまで、我が家では両親が不安定で、そのため私はしばしば自殺を考えた。カッターで腕を切ったり、30~40個の睡眠薬を飲んだりして、母をひどく苦しませたことを私は懺悔申し上げたい。自分は親不孝だった(尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは『この生で自殺の思いを抱くのは、累世の家族や祖先の殺業が極めて重いためで、この世では他人を殺せず自分を殺すのだ』と開示くださった)。教えに従ってしっかり実践し、戒律をしっかり守り、いかなる小悪や余悪も残してはならないということをこの事は教えてくれた。私は衆生に対して少しの慈悲もなく、他人を利用することばかりに長け、他人が自分の考え方に合わせるべきだと考え、その人がそうできないとすぐに怒った。上師の仏法は理解できるのに、『実修』は全くできていない。私の心は落ち着いたことはなく、仏法を聞くには、清浄で何も求めない心が必要であるのに、私はすべてを求め、自分と家族が幸せに暮らせ、加護が得られることだけを願っていた。上師がお教えくださる仏法を、実地に仕事や生活に用いていなかった。これこそ懈怠である。

皈依後、私は友人を連れて手相を見に行き、皈依戒律を破った。私は、他人の幸福や苦しみに心を寄せたことはなく、他人の事は他人の事で、自分の事だけが自分の事と考えていたが、すべては誤りだった。今は自分が犯した一切の悪行を思い出すことができる。もし上師が機会を与えてくださらなかったなら、毎日曜日の共修法会に参加し上師の貴重な仏法を聞いても、私は無数の悪業を犯し続け福報を使い切り、死後の輪廻を待つまでもなく、自己の業力が現前し、他人を害し自分を害して、苦しみからとっくに人としての様子を失うほど消耗していただろう。上師は『生死を離脱したいなら、自分の心をしっかり見つめなければならない。上師は弟子を一度しか助けない。それ以外は自ら実修し、教えに従ってしっかり実践しなければならない』と開示なさったことがある。

さらに私は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが母方の祖母の曲った腰に加持くださったことを感謝申し上げたい。加持を頂戴した翌日、祖母の腰は以前のように痛まなくなったと母が電話して来て言ったので、私はその際に『忘れないでよ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは菜食するよう仰ったでしょ』と告げた。私は懺悔申し上げたい。自身が変われていないので、家族の中の年長者、父母も充分な因縁がなく、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従い学仏し、生死を解脱することができていない。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに私は感謝申し上げたい。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の開示のおかげで、息子は速やかにこの世界に生まれ、具徳の上師に皈依し正法を聞き学ぶ機会を得ることができた。もしこの機縁がなければ、私は累世の業力に引かれ、妊娠時に世俗、前夫、両親からの圧力に耐え切れず、再び殺人の罪業を犯し、生生世世悪道で輪廻していただろう。同時に、何度も私と母の命をお救いくださったことを上師に感謝申し上げたい。私と母とは同じ遺伝子を持つため、やる事為す事がとても似ていると非常に多くの人に言われる。母は深刻なうつ病で、何度も精神科の集中治療室に入院し、何度も生きる辛さから自分の命を終わらせようとしている。母は今に至るも充分な因縁がなく法会に参加したり菜食したりしていないが、上師の何度もの施身法と母に金剛結の救いをくださったことを感謝申し上げたい。おかげて母は難関をくぐり抜けることができた。また、毎回の済度法会に順調かつ圓満に参加できていることを上師に感謝申し上げたい。私に傷つけられた無数の衆生は、この世で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる済度のおかげで、みな離苦得楽できるのだ。

私は、この世、さらには生生世世で、上師のお言葉にしっかり従い、教えに従ってしっかり実践し、確実に学仏し、自分の考え方を持たず、完全に無抵抗で上師の仰せに従い、たとえ世間で最も貴重な一切の事と物を捨てることになったとしても、依教奉行し、再び輪廻せず、生死を解脱し、上師の恩、父母の恩、衆生の恩に報いることを願う」最後に彼女は「尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご法体が安康で長寿であられ、法輪が常に転じて仏法事業が興盛となり、直貢噶舉の法脈が永遠に流伝することを祈願申し上げたい」と述べた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がられ共修法会を主持くださり、参会者に貴重な仏法を開示くださった。

「今日既に皈依している者は『観音簡軌』を観修せよ。灌頂と観想伝法を領受していない者は不要だ。未皈依の者は観世音菩薩の聖号を念誦せよ。昨日一人の信者が会いに来たので、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆にもう一度開示しよう。たくさんの人が仏法を大きく誤解している。この一生で仏号を念誦し菜食したことがあれば、浄土に往生できると思っているようだが、そんなに簡単ではない。『阿弥陀経』の記載によれば、一つ目の条件は『福徳因縁を備えた善男子、善女人でなければならない』である。善とは十善法を修めることで、つまり不殺生、不偷盜、不邪淫、不悪口、不綺語、不両舌、不打妄語等である。非常に多くの修行人が打妄語を犯す。証していないのに、自分は証したと言う。できていないのに、自分はできたと言う。伝法の資格がないのに、他人に仏法を説く。これらはすべて打妄語だ。十善法はさらに不貪、不嗔、不痴を含む。これに加えて、発願しなければ往生することはできない。

『福徳因縁がなければならない』とはこの一生で絶えず福徳資糧(福報と智慧を含む)を累積するということである。そのため、十善法を修めておらず、福徳資糧、功徳を累積していない人は、発願しても往生できないのだ。発願した時に、十善法を修めていれば自然に五戒が行える。釈迦牟尼仏は後に、この法門をどのようにして修めるかをお教えくださっている。一日、二日、三日から七日間の閉八関斎戒を行えば、必ず浄土へ行けると考えている人が非常に多い。けれどもみなよく考えてみよ。釈迦牟尼仏は在世であられた時、仏法の対象は我々のような者ではないと仰っている。基本的には阿羅漢が対象で、レベルが高い者では既に証果の菩薩である。つまり、仏がわざわざ説く必要のない事が非常に多く、標題を告げるだけで下にいる者達はみな分かるのだ。それに引き換え、そなた達に聞かせるのでは、どんなにたくさん説いても、そなた達はやはり理解しない。

なぜそなた達は分からないのか?釈迦牟尼仏はかつて『この五濁悪世でこの難信之法を説く』と開示くださった。みな浄土宗は非常に簡単だと思っているだろう。浄土に往生できないと誰が言うだろう?けれども『阿弥陀経』はかつて『これは難信之法』であると言われた。仏学院で学んだことがある出家衆は『難信』に関する解釈について聞いたことがあるか?」と尋ねられると、一人の出家弟子が『ありません。いつも触れずに先に進んでいました』と答えた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示を続けられた。「先ほど念誦した『隨念三寶経』において、釈迦牟尼仏ははっきりと仰せだ。仏はてきとうに口を開いてお話しにはならない。口を開けばそれは即仏法なのだ。なぜみなこの一事を解釈しないのか?なぜ釈迦牟尼仏はこの一言をことさらに仰せになるのか?仏はわざわざ娑婆世界、五濁悪世でこの難信之法を説くと言われる。五濁とは煩悩濁、見濁、劫濁、衆生濁、命濁である。衆生濁と命濁は軽い方だが、誰もが見濁を犯す。みな自己の意見、考え方で学仏し仏法を見る。それではもちろん修めることはできない。

みな注意して欲しい。釈迦牟尼仏が説かれる事は絕対に意義があるのだ。仏は別の経典では五濁悪世を強調しておられない。ただ『阿弥陀経』だけで特に取り上げておられるのだ。『普門品』と『金剛経』では触れておられない。なぜ浄土宗の『阿弥陀経』では特にこの事を取り上げるのか?そなた達はみなこの五濁中で生活している。命は短く見解は奇妙だ。上師が説く事を聞かず、思い上がって日々を過ごしている。何か事があれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが庇護し加持するのは当たり前だと思っているだろう。これこそが見濁だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは既にこんなにも多くの仏法と修行の方式をみな教えているのに、みな聞かず、修めない。そのため、釈迦牟尼仏は『この五濁悪世で難信之法を説く』と仰せなのだ。

なぜ『難信』なのか?仏は、阿弥陀仏としての修行過程を詳しく説いてはおられない。『阿弥陀仏はどれだけの劫を修めた後、四十八大願を発する』と説かれているだけだ。みな注意して欲しい。阿弥陀仏が四十八大願を発する時には既に法身菩薩であられ、自分が為し遂げられることをはっきり分かっておられるのだ。発願とは『自分は必ずやり遂げる、やり遂げられる』ということである。この四十八願こそが菩薩道修行だが、かつて誰がこの四十八願に従い修行しただろうか?何人もおらぬ。みなただ口で言うだけだ。そのため、非常に『難信』なのだ。なぜなら阿弥陀仏を念誦し信じれば、往生できるとみな考えているからだ。

『難』とは困難を指すのではなく、そなた達にこの法門の特質を見せるのは容易でない、ということだ。実は、この法門は顕教と密法を含んでいる。もし一日の閉関を行えば阿弥陀仏のお傍へ行けるなら、みな手を挙げて尊勝なる直貢チェ・ツァン法王に、我々に一、二ヶ月もの閉関をさせてはならない、とお伝え申し上げよう。リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなにも長い閉関で何をするのか?おもしろいのか?『阿弥陀経』中でははっきりと一日、二日、三日、四日、五日、六日、七日で往生できると説いているのに!

問題は先に述べたすべての条件をやり遂げたかどうかだ。既に時が至ったということを予め知っていなければならず、自分はだいたいいつ往生するかということがはっきり分かっていて、初めて閉関するのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生のために阿弥陀仏大超度法を修める前には絕対に閉関するが、今年は参加者が少ないので、リンチェンドルジェ・リンポチェは閉関しなかった。そうしたところ、修めた後四日の間非常な疲れを感じた。現在台湾では閉関は流行らない。閉八関斎戒すれば、自分は特別だと思っている。先に述べたすべての条件をクリアできていないなら、閉関も役には立たない。釈迦牟尼仏は『往生前に一念から十念すれば必ず往生できる』と特別に開示くださった。みなに教えて欲しい。臨終の折には呼吸さえ覚束ないのに、禪定できるだろうか?これこそ普段からの修行で定まるものなのだ。ここで言う『念』とは口で念誦することではなく、『念頭(考え)』のことだ。もし念頭が不清浄なら、どうして禪定中でただ『阿弥陀仏』というたった一つの考えだけを持つことができるだろうか?

なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは一日中叱責しなければならないのか?そなた達はとても簡単だと思っているだろう。自分は事切れる前に『阿弥陀仏』というたった一つの考えだけを心に抱けば浄土へ行けると考えているだろう。事切れる時、とまで言わずとも、風邪をひき、発熱した時に、頭の中を『阿弥陀仏』だけにせよ、と言ったとしても、そなた達はできないだろう?発熱とまで言わずとも、空腹時や眠い時、頭の中を『阿弥陀仏』だけにすることができるだろうか?できないなら、事切れる前に一念、二念、三念すればすぐ浄土へ行けるなどと何を以て考えるのか?これは普段既に修められていなければできないのだ。

そなた達は、浄土宗を修めるには『念仏一片、一心不乱に修めなければならない』と言うのを聞いたことがあるだろう。『念仏一片』とはなにか?もぞもぞとあいまいに念誦するのではなく、はっきりと、けれども絶えず念誦しなければならないということだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは『絶えず』念誦することができる。しかし、そなた達なら少し念誦したところで息継ぎしなければならないだろう。これでは途切れてしまう。そなた達は リンチェンドルジェ・リンポチェがどのように念誦しているか、注意したことがあるか?リンチェンドルジェ・リンポチェはおよそ21個の六字大明咒を一気に念じることができる。そなた達は何個を一気に念誦できるか?これこそが密法修行で身につけたものなのだ。みな家に帰ったら、息を貯めてから試してみるが良い。10個ほどで、続かなくなるだろう。

『一心不乱』とはどういうことだろうか?『持咒する際、仏号を念じる際、一切の考えを持たない』ということで、そなた達は一呼吸すれば断たれてしまうだろう。仏経典にいくらか触れたことがある多くの人が『金剛誦』を知っている。仏号を念じる時には、金剛のように心を勇猛にし、非常に勇猛な相を現さなければならない、と多くの人が考えているようだが、それは誤解だ。正しくない。『金剛誦』とは実は密法で、唇は動かないが、声は絶えず出続けるというものだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェの傍によくいる出家弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの金剛誦を見たことがあるだろう。ある出家弟子は『自分は金剛誦を念じられない。リンチェンドルジェ・リンポチェが念誦する時、唇は不動なのに、声はのどから流れ続けている』と言う。しかも非常に集中して持誦するので、その弟子も非常に集中して見ていた」リンチェンドルジェ・リンポチェはその弟子に「見たのではないか」とお尋ねになると、その弟子は「見ました。リンチェンドルジェ・リンポチェはのどさえほとんど動かしておられません」とお答え申し上げた。別の出家弟子も「自分も最近注意していたところ、 リンチェンドルジェ・リンポチェの金剛誦は人心を激しく揺さぶり力強いですが、 リンチェンドルジェ・リンポチェの唇も身体も全く動いていません。声はどこから出ているのでしょうか」と申し上げた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示を続けられた。「『普門品』では『梵音海潮音』という。これを、梵文の音声或いは海潮の音と考えている人が多い。『海潮』とは『連綿と途切れず』の意味で、満潮であろうと干潮であろうと絶えず訪れるもので、ここまで念誦できてこそ、自己をも他人をも済度できるのである。自分は念誦を助けたので功徳がある、などと考えてはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェのように念誦しなければ、役には立たないのだ。金剛誦まで念誦せず、一念、二念、三念、四念で簡単に浄土へ行くことなどどうしてできようか?そのため、リンチェンドルジェ・リンポチェは上師として、この一億回六字大明咒の念誦をそなた達に課したのだ。これでそなた達も少しは資本を持て、リンチェンドルジェ・リンポチェがいなくても、この世を去る時の苦しみが少しは経るだろう。

リンチェンドルジェ・リンポチェがこの十数年開示してきたことを誰も信じない。みな自分の方法で学仏し、医師が言うことこそ聖旨であると考え、世間法と出世間法とは違い、仏が説かれる事は修行で、世間の人は世間の事を知らなければならない、と考えている。これでは仏法を中傷し過ぎではないか!つまり、浄土宗を修める人が、自分は確実に往生したいと思うなら、この条件まで修めなければならない。できなければ、往生できないが、三悪道に堕ちることはないだろう。非常に多くの人が浄土宗を学び、広めているが、本当に往生できた者は何人もいない。反対に通常は、文字が読めず、知識水準の高くない人が浄土へ行けるのだ。なぜなら彼らの心には別の考えがなく、仏経典の内容を研究することもなく、一心一意に念誦するからだ。彼らは一心一意に念誦するので、金剛誦まで念誦できなくとも、願力が充分なので、阿弥陀仏の化身がお迎えに来てくださるのだ。

これら手順を踏まえられていないなら、それなら大人しくし、あれこれ言わないことだ。ポワ法を修めるのは非常に簡単だなどと思っているだろうが、少しも簡単ではないのだ。今日は六字大明咒の念誦を続ける。皈依した者で観想が分かる者は観想せよ。分からない者は六字大明咒を一万回念誦せよ。持咒は大声であれば良く、声が小さければ良くないというのではなく、場所によるものなのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが金剛誦まで修めたと言ってうらやましがってはならない。これは非常に多くの世、時間を経て修められたものなのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは顕教を学んでいた時、金剛誦というこの事については、既に非常に注目していた。なぜなら仏が説かれるさまざまな事を、我々は必ず行えるからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが提起した金剛誦に関する問題に、かつて答えられた弘法人はいなかった。なぜなら彼らは自分自身さえできていなかったからだ」

続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは、皆に注意を促し、金剛誦持百字明咒を範としてお示しくださった。「なぜ持咒するのか?『普門品』で『地球人類は声で済度する。なぜなら人類の耳は非常に鋭敏だから』とあるからだ。実は、宇宙で起きるいかなる事態もすべて音を伴うのだ。星の誕生であろうと、爆発であろうと、樹の成長であろうと、すべて音を伴っている。音と身体のすべての脈絡とは関係がある。そのため、咒語の一語一語は身体に必ず助けになるのだ。深く信じさえすれば助けになり、信じないなら、どんなに念誦しても役には立たない」

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは金剛誦で百字明咒を念じられた。人心を激しく揺さぶる法音は綿延と続いたが、リンチェンドルジェ・リンポチェの唇は全く動かず、一呼吸の極めて短い時間の内に、百字明咒をはっきりと完璧に持誦なされた。法音は豊かで広がりがあり、極めて不可思議である。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示を続けられた。「先ほどリンチェンドルジェ・リンポチェが百字明咒を念じる時、呼吸していないのを見ただろう。そなた達なら何度息継ぎしなければならないか?」と尋ねられると、一人の出家弟子は「自分なら二回です」とお答え申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、その出家弟子にその場で念誦させたところ、その弟子は数個の音を発したところで一回息継ぎをした。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示を続けられた。「先ほどの弟子は緊張していただろうが、それでも二回の息継ぎでは済まないだろう。気を中脈に入れ、丹田の力を用いなければ金剛誦を念誦することはできない。そのため、学んだことがない者には不可能だ。歌唱や声楽を学んだことがある者なら少しはうまくできるだろうが、それでも気を中脈に入れることはできない。そのため、舌だけを動かし声を出すことまではできないだろう。金剛誦と腹話術とは関係がない。人形を操り人形が話しているように見せる。これは違った方法で、金剛誦とは異なる。

金剛誦まで念誦できる人は定力が既に足りているので、衆生を救い、自己を救うことができる。そのため、人は驕ってはならない。自分の学仏は他人とは違うなどと思ってはならない。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは少し加持しただけですぐに効果を生み出せるのか?これこそ定と関係があるのだ」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参会者を率い六字大明咒を10000回持誦し、アキ護法儀軌を修持くださり、法会は圓満に終了した。

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2015 年 01 月 12 日 更新