尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年10月13日
法会の開始に先立ち、一人の弟子が、自分の母親が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なるポワ法により済度を賜った因縁とそのあらましについて語り、また懺悔した。
先ず彼女は、母親が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受けることになった縁について述べた。彼女は2007年4月14日尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。母は顕教に皈依していたが、阿彌陀佛浄土の存在を信じ、「最後は阿彌陀佛のお傍に行きたい」とよく話していた。母に「阿彌陀佛浄土に行きたいなら、深く修行し、佛菩薩と相応できる優れた大修行人の助けを受けなければ、行けないのよ!」というと、母は「じゃあ、どうしたらいいの?」というので、「台北で私が皈依している尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは有縁の衆生を浄土へ行かせてくださる大修行人でいらっしゃるから、拝謁に連れて行ってあげようか?」というと、母は「じゃあ、お願い!」と答えた。
それで2008年8月に、初めて母を伴い尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。その時母はもう79歲で、大甲と苑裡との間にある田舎に住んでいた。母は日本統治時代に教育を受けたため、中国語が話せず字も読めず、さらには聴力も衰えている。彼女は家で母に台湾語、中国語でリンチェンドルジェ・リンポチェの法号を教えたが、母はどうしてもスムーズにいえなかった。そのため彼女は母に「それなら『師父』とお呼び申し上げればいいわ!」といった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェをお待ち申し上げている時、母はリンチェンドルジェ・リンポチェの法照の下の方に日本語に翻訳した法号があるのを見つけ、「日本語ならリンチェンドルジェ・リンポチェの法号(その後、母はリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げる時でも、家でも、いつも日本語でリンチェンドルジェ・リンポチェの法号をお呼び申し上げていた)をお呼び申し上げることができる」ととても喜んで彼女にいった。
彼女達の番になりリンチェンドルジェ・リンポチェの面前に跪いた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも「業がこんなにも重いのに、なぜしっかり懺悔供養をしないのか!」と仰せになり、母を加持くださった上で、「堕胎したことがあるか?」と母に尋ねるよう彼女にご指示になった。母は「ありません」といったが、彼女は母に「お母さん、よく考えてみて」というと、少しして母は「あれは胞状奇胎だったんですよ!」というと、リンチェンドルジェ・リンポチェは「それがそうだ!」とおっしゃった。続いてさらに母親を加持くださり、リンチェンドルジェ・リンポチェは「ブタを殺すのを見たことがあるか?」と母に尋ねるよう彼女にご指示になった。母はまた「ない」といったが、彼女は「よく考えてみて。リンポチェがあるとおっしゃるからには、きっとあるはずだから」というと、母はしばらくして「子供の頃、近所でブタを屠殺していたのを、一度だけ見たことがあります!」といった。
リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くもさらに母を加持くださり、「そなたの母に、家の前の大樹はだれが切り倒したのか聞いてみよ」と仰せになった。母は「道路を補修した作業員が切り倒した」といったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは鋭い視線で彼女を見つめ、「そなたは母に伝えなかったのか。人の背丈より高い樹木は切り倒してはならないと」とよく響く声で仰せになった。彼女は直ちに「ありません!」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェはさらに「家族はあとだれがいるのか?」と尋ねてと仰せになったので、彼女は「弟が二人と妹が一人います」というと、リンチェンドルジェ・リンポチェは「そなたの二人の弟に、私は関わる気もしない。そなたが母の世話をすればよい。施身法法会と嬰霊の済度を申込んでくるように」と仰せになった。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲深くも業が重い自分達に加持くださったことに深く感謝した。年老いた母は因縁福報があり尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの功徳大海の庇護を受けられることとなったのである。
この後、母は每月期待(「施身法法会はいつあるのだ」としょっちゅう電話で聞いてきた)と歓喜の心で、苑裡から三時間近くも列車に乗り、施身法法会に参加するようになった。母は中国語が分からないことを心配していたが、彼女は「リンチェンドルジェ・リンポチェは、恭敬心を持つことが大切だと仰せなの。リンチェンドルジェ・リンポチェのお姿をしっかり覚えてね!」といい、法会が終わる度に、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示の内容を台湾語で伝えていたが、母は真剣に聞いていた。ここで、彼女は「自己は根器が劣るため、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示と教法を完全に母に伝えることができなかった」と懺悔した。
一年後の2009年、母は「私は每月あんなにも長い時間列車に揺られて来ている。家に帰る前に、日曜日の法会にも参加させてくださるようリンチェンドルジェ・リンポチェにお願いしてもらえないだろうか?私は目も衰え、リンチェンドルジェ・リンポチェのお顔をはっきり見ることもできない」といった。そこで彼女は母を連れて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を賜り、「施身法法会」に参加した週の「日曜日共修法会」にも母を参加させていただけないか、とお伺いを立てたところ、大慈悲のリンチェンドルジェ・リンポチェは母の願いをお聞き届けくださった。彼女はさらにリンチェンドルジェ・リンポチェに「母はリンチェンドルジェ・リンポチェをしっかり記憶申し上げたいと思っています。インド法会の際のパーティー招待状にあるリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真をラミネート処理して母が每日頂礼できるようにしてもよいでしょうか?」と尋ねた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも「ラミネート処理しなくともよい。私が一枚贈ろう!」と仰せになったので、彼女は感謝のあまり涙があふれ、慈悲と憐憫を賜ったことを、リンチェンドルジェ・リンポチェに深く感謝した。この日より、母は每月一回「施身法法会」と「日曜日法会」に参加し、家で法写真に頂礼するようになった。
彼女は母に「皈依弟子でなければリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真は持てないのよ!リンチェンドルジェ・リンポチェは大きな慈悲の心でお母さんに法照を下さったの。これは特別なことで、私たちは感謝して大切にしなければならないのよ」といった。すると母は毎日恭しくリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真前で頂礼し、阿彌陀経と六字大明咒を誦持するようになった。母は2008年より「施身法法会」に参加したが、每年新しい年が明けて初めての「施身法法会」に参加する時には、リンチェンドルジェ・リンポチェに供養をお受取りくださるよう願った。2011年の新年、彼女は母を連れて供養をお受取りくださるよう願い出るため訪れた。リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲深くも母の供養をお受けくださった後、彼女は母を立たせようとしたが、母は立ち上がらず、日本語と台湾語でリンチェンドルジェ・リンポチェに「リンチェンドルジェ・リンポチェ、私の時間が訪れたなら、私を阿彌陀佛さまのところへ送ってくださいませ?よろしくお願い申し上げます!」と申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも台湾語で「分かった!分かった!」とお答えくださったので、母は喜び、また安心して、その場を離れた。
母は真剣で、その次に「施身法法会」に訪れた時には彼女にまとまったお金を預け、「私の時間が訪れた時には、これを必ずリンチェンドルジェ・リンポチェにご供養申し上げるのよ。忘れないでね!」といった。2012年の新年が訪れたばかりの頃、母は階段から落ちた後、行動も知能も明らかに衰えていき、聴力もますます落ちていった。けれども母は、供養のためリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜る際に、「リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかる時に、私が転倒して背中を痛めていることをいってはならない。こんなに少しのお金しか供養しないのに、加持をお願いするのでは余りにも失礼だから」といった。彼女は母に「いってもいわなくてもどちらでもいいよ。恭敬心がありさえすれば、リンポチェはみなご存知なのだから」といった。リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を湛えて微笑まれ、母の供養をお受取りくださらないのに、母には「受け取った!受け取った!」と仰せになった。母はひどい難聴なので、リンチェンドルジェ・リンポチェがなぜ供養をお受取りくださらないのかと強く疑問に思い、前に進み出てなんとかご供養申し上げようとした。兄弟子と彼女は母の身体を抱え、「お母さんの気持ちをリンチェンドルジェ・リンポチェはお受取りくださったわよ!」と伝えたところ、母はようやく安心してその場を離れた。2012年の大法会を最後に、83歲となった母は認知症が深刻で長時間の移動が不可能となったため、法会に参加できなくなってしまった。
今年(2013年)9月初め、母は軽い脳卒中で身体にいくらか不便があったが、病床で9月15日の「阿彌陀佛無遮大超度法会」を気に掛けていたところ、息子が、車で祖母を迎えに行き、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主法なさる「阿彌陀佛無遮大超度法会」に台北で参加後は、また車で送り届けることを承知してくれた。母はとても喜んで楽しみにしていた。しかし、9月11日腹部の痛みを訴えた母は、12日に急性腹膜炎と診断され、梧棲にある総合病院の集中治療室に収容された。彼女は妹にリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真と甘露水、甘露丸を集中治療室に届けてもらったが、母はリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を拝見して喜び、心を落ち着かせることができた。
母の腹腔には空気と液体が溜まっており、ひどい痛みがあったが、CTではどこが破裂しているか確認することができなかった。彼女は電話で医師に、溜まっている空気と液体を排出して痛みを軽くしてくれるよう頼んだが、病情は悪化し続け、母は昏睡状態に陥った。医師からは「ここ数日の内に臨終となるだろう」といわれたが、「母の血圧が上がってきた」と妹から電話で聞かされた。法会が終り道場で護法を修めている時、彼女は母の言いつけに従い供養申し上げた。護法修持の終了後、彼女は直ちに南下し病院へ母を見舞った。集中治療室の母はリンチェンドルジェ・リンポチェが「私たちは普段は自尊心が高く見栄っ張りで強情なのに、集中治療室に横たわっている時には、尊厳も面子も何もなく、ひたすら頼りなく弱々しい存在になってしまう」と開示くださったように、何本もの管につながれていた。彼女は母の耳元で「リンポチェの法写真が頭上にあり、お母さんに加持くださっているよ。心配しないで。私が土曜日に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお母さんをお救いをくださるようお願いしてくるから。分かったら、瞬きしてくれる?」というと、驚いたことに、母は瞬きした!
9月20日、病院から母危篤の知らせが届いたが、彼女が病院に着くと、母の血圧はいくらか上昇した。集中治療室で、むくみが出ている母を目にし、彼女は護法の救いをひたすら求め、苦しんでいる母に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの助けがもたらされますように、集中治療室内のすべての病人が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深き加持を受けられますように、と祈り続けた。病室を出る時、彼女は再び母の耳元で「私は台北へ戻って、明日リンチェンドルジェ・リンポチェへの拝謁を申込むね。リンチェンドルジェ・リンポチェにお母さんをお救いくださるようお願いするね。私たちは自分でしっかりやっていけるから、心配しないでいいからね」と話しかけた。帰りの車中で息子が「お祖母ちゃんはお母さんがリンチェンドルジェ・リンポチェに会うのを待っているみたいだ」という。彼女も「母はリンチェンドルジェ・リンポチェが法座に上られお救い下さるのを待っているに違いない」と思った。母はリンチェンドルジェ・リンポチェだけが、望みどおりに自分を浄土へ行かせてくださるお力があると信じていたからだ。けれどもその土曜日は、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜る縁がなかったため、次週の拝謁をさらに申込んだ。
9月28日(土曜日)朝10時半、上の弟が電話で、医者が「この2~3日で臨終を迎えるだろう」といっていると告げた。けれども、ちょうど午後一時半、道場へ向おうとしている時、弟から電話があった。母の血圧が下がったので、家へ連れて帰ろうとしているという。彼女は弟と妹に、リンチェンドルジェ・リンポチェの功徳福報により頂戴した甘露丸を母の舌下に入れ、法写真を母の面前に恭しく掲げ、「リンチェンドルジェ・リンポチェがおいでくださるのだから、恐れる必要はない。リンチェンドルジェ・リンポチェのことを覚えていさえすればいいのよ」と母に言い続けてくれるよう頼んだ。彼女が道場に着いてすぐ、母が午後2時55分に往生したとの電話を受けた。
彼女の番になり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは「どうしたのか?」と慈悲深くも尋ねられた。彼女が「弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェにご報告申し上げます。弟子の母はリンチェンドルジェ・リンポチェのご写真の加持の下、たった今往生いたしました。リンチェンドルジェ・リンポチェ、どうか母の願いのとおり浄土へ行かせてやってくださいませ」と答えると、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く微笑まれ「私の法写真の加持?なぜ私の法写真を持っているのだ?皈依していないのに?」と仰せになったので、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに一部始終をお伝え申し上げると、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く「菜食していたか?」とお尋ねになった。彼女が「母は65歲から菜食していました」と答えると、リンチェンドルジェ・リンポチェは母の氏名、年齢、干支を尋ねられた後、直ちに入定され、母を願い通りに浄土へ送ってくださろうと、殊勝なるポワ法を修持くださった。そして、電話で瑞相を確かめるよう、彼女に指示なされた。
上の弟は「母の頭頂が温かく顔色がよくなった」といい、妹は「身体が柔らかかったので着替えがすぐ終わり、挿管のため上がっていた口角もふさがった」といった。10月12日、火葬後の母の頭蓋骨には、はっきりとした整った円形の小さな丸い孔が現れていた。これは医学的にはありえないことで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲力で殊勝なるポワ法を修持賜った後の瑞相であるのだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが母を済度くださったことに彼女は心から感謝し、今後も、佛と無別の金剛上師に従い真剣に学佛することで、上師の恩徳に報いていこうと思いを新たにしている。
また彼女は「この機会に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・大リンポチェ、尊勝なる直貢チェツァン法王、歷代伝承上師、諸佛菩薩、護法に懺悔申し上げたい」という。彼女は農村で育ったが、果樹を育てていた父は猟が好きで、彼女も幼い頃から、鶏、アヒル、魚、エビ、海の生き物、ブタ、牛、羊、カエル、小鳥、野ウサギ等はみな人が食べるための物と考え、また悪戯で無数の虫、ミミズ、チョウ、トンボ、鳥類、カタツムリ等を傷つけ、大悪人であるのに、自覚を持たなかった。2007年2月12日、尊き金剛上師 リンチェンドルジェ大リンポチェにお目にかかる縁を頂戴した翌朝、夫とともに正月料理の材料を買いに出かけた際、台に並ぶ魚、肉を見た瞬間、頭を上げられなくなってしまった。淚がとめどなく流れ、羞恥から足早にその場を離れた。夫は驚いていたが、彼女は、自分はリンチェンドルジェ・リンポチェの不可思議な大慈悲攝受力の加持を得たのだと分かっていた。自分は間違っていたと悟り、その後一切肉食の考えは消え去ってしまった。彼女はここで「これまで傷つけてきた、或いは自分たちを育てるために、父母に傷つけられたすべての衆生に対して懺悔したい」といった。
彼女は懺悔したいという。自分は根器が劣るため、「貪嗔痴慢疑」の五毒が重く、有意無意の言葉や動作で人を傷つけ、人に迷惑をかけているのに自覚せず、自分は書で佛を充分に学んでいると思っていた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかった際、リンチェンドルジェ・リンポチェは「そなたは好奇心で来たのであろう。佛の仰せを聞くように」と開示になり、続いて、浄土へ行くための条件について開示くださった。彼女は以前「ミラレバ伝」を読んだことがあり、本当にチベット仏教に興味があって訪れたのだった。リンチェンドルジェ・リンポチェを彼女を見て「そなたの年齢であれば、具徳の上師が助けるのでなければ、浄土へ行くのは無理である」と仰せになり、法会への参加を申し込むようご指示になった。当時彼女は55歲だった。彼女は、目の前においでになるこのリンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依して学佛し、あちこちさ迷ってはならない、とはっきり分かった。ついにリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深いお許しを受け、彼女は2007年4月14日に皈依することができた。こうしてようやく正式に学佛を始め、新たな人生を始めることとなった。彼女は「自分のような根器の劣る弟子をお取りくださったこと」を、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しているという。
彼女は、父母の在世中、しっかり親孝行せず、いつも心配をかけたことを懺悔した。16歲で進学のために家を離れ、結婚した後まで「夫婦仲がうまくいっていないのではないか、お金は足りているだろうか、子供は良い子にしているだろうか」と年老いた父母は気に掛けてくれた。にもかかわらず、彼女はあまり父母に会いに帰らず、生活の面倒などみることもなかった。彼女は懺悔した!彼女は、過去のすべての悪業を懺悔した!そして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教導に従い、まじめに学佛し、生死を解脱し、輪迴を断ち切ることを誓った。最後に彼女は、尊き金剛上師 リンチェンドルジェ大リンポチェの御法体が安康で、法輪が常転し、直貢噶舉派の法脈が永遠に流伝することを祈った!
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上られ、殊勝なる直貢噶舉施身法を修持くださり、参会者に貴重な佛法の開示をくださった。
「今日修めるのはチベットで伝わる特別な法門で、尊勝なる直貢チェツァン法王が開示くださったものである。施身法は密法の中の八個の成就法の一つである。佛法でいう成就とは、行者がこの法を一生かけて修めれば、生死を解脱できるということである。施身法とは漢語訳で、チベット語では『断』という。なぜ『断』というのか?それはこの法を修める時、行者は自己の身体を、観想、密法を通して、十方一切の諸佛に供養し、六道の一切の衆生に布施するからである。この法門は千年余り前、チベットの在家の女性行者が書いた特別な法門である。この行者は名をマジラ尊者という。マジラ尊者は結婚し子を設けたため、この法門には父系と母系の伝承がある。父親の系統を修める伝承と母親の系統を修める伝承があるのだ。施身法は『大般若経』でいう一切の空性の理論に基づき書かれている。
みなも知っておろう。仏を学ぶのは必ず慈悲を学ばなければならない。慈悲とは人によくすることではない。そなたは人であるのだから、人によくするのは当たり前のことだ。人に菜食を勧め、佛を拝むことは慈悲ではない。これは他人が佛法と結縁するよう手助けするだけである。慈悲とは佛法に特有の名詞で、他の宗教では慈悲の方法を学ぶことはない。慈悲を簡単に説明すれば、『慈』とは自分良い物を衆生の苦しみと交換することで、捨てられない人は慈を修める資格はない。口でどんなに慈悲といっても、捨てられないなら、修めることはできないのだ。さまざまな事に執着し、捨てられないなら、慈を修めることはできないだろう。
法本の前面にはすべて『四無量心』つまり『慈悲喜捨』がある。最後は『捨』である。つまり『最愛の物、最も好ましい物、最も嫌いな物、最も忌み嫌う心をすべて平等に捨て去れ』というもので、簡単にできることではない。好きな物を捨てさせるのはいくらか簡単だが、恨みを捨てさせるのは、ほとんど不可能だ。慈を修めることができなければ、悲の力も出現しない。『悲』とは一切の衆生が輪迴苦海を離れられるよう助けることである。そなた達自身が、輪迴苦海を離れられるかどうかに自信が持てないなら、当然衆生を助けることなどできない。すなわち、自分が行ったことがない所に、どうして他人を連れて行けようか?ということである。自分が行ったことがあり、道を知らなければ、他人を連れて行くことなどできないのだ。
『自分は慈悲深い』という人がいるが、そうではない。ただ『良い人』というだけである。慈悲とは、先ほどの条件を必ず満たさなければならない。力が出せるほど慈悲を修めて、初めて菩提心を発することができる。『思いを持つだけで菩提心を発することができる』と思っている人が大勢いるが、慈悲とは菩提心の土壌で、土がなければ種が成長できないようなものである。今では水耕栽培される野菜も多いが、土が水に変わっただけなのだ。菩提心の種に肥沃な土壌がないなら、種を播いても発芽することはない。菩提心を発するよう教えることができると考える人は多いが、実はそれは、考えを習慣着けられるだけなのだ。その前には必ず慈悲を修めなければならない。慈悲を修めなければ、すべての佛法を学んでも、少しの福報が得られるだけである。福報はこの一生で用いることはできず、次の世でなければ用いることができないのだ。慈悲を修めたなら、功徳の『功』が生まれ始めるだろう。『徳』は『大般若経』中で釋迦牟尼佛が教導くださる空性の智慧のようなものである。空とは『無い、空っぽ、存在しない』のではない。簡単にいえば、空とは『世間一切の現象はすべて空から発生し、或いは消失するものではなく、すべて縁があって生まれ縁があって滅する』ということである。般若智慧があり慈悲の力量を行使するのでなければ、この法門を修めることはできない。
尊勝なる直貢チェツァン法王と直貢噶舉の教法では、施身法を学びたいという学法者は少なくとも10年間、顕教基礎理論を学ばなければならない。基礎とはなんだろうか?顕教、佛が仰せの一切の法理をすでにすっかり理解しており、誤った考え方、誤った行い、誤った修行が起こりえないということである。顕教の基礎を身に着けた後でなければ、密教を学ぶことはできない。密法を学ぶ前に、行者はみな『不共四加行』の法門を修習しなければならない。それは、十万遍大礼拜、十万遍百字明咒、十万遍献曼達すなわち供養、十万遍上師相応法である。この他、直貢噶舉では大手印が加わる。大手印とは直貢噶舉特有の顕教と密教禅定修行法門で、大手印の口伝を受け修習して初めて『不共四加行』を円満に修めたということになるのである。
修めた後、上師から本尊の灌頂を賜る。直貢噶舉では通常は先ず観音菩薩から始める。灌頂とは、本尊の法を修める権利を授けるという意味である。密法の修習は事部、行部、瑜伽部、無上瑜伽部の四部に分かれる。灌頂は事部で、つまり、始まりである。灌頂を受けたことがなければ、一切の本尊の咒語を所持していても、次の世の福報を累積したに過ぎない。しかしこれでは、生死を解脱することなどできないのだ。阿彌陀佛聖号を念じれば生死を解脱できるという人もいるが、『一万人が阿彌陀佛を念じても、一人が解脱できるかどうかだ』と大徳はみな仰せになる。すべての縁を捨て去ることができる人など、ほとんどいないからだ。
密法の特色は段階を踏むところであり、推測したりする必要はない。どの程度まで進めば、次に何を行うかははっきりしており、また成し遂げた後の力もはっきりと示されている。本尊の灌頂を受けていなければ、どんな本尊法を修めても成就の機会は少ない。できないのではないが、たくさんの世を経た後となるだろう。灌頂、口伝を受けた後、この本尊の心咒を修めようとするなら閉関しなければならない。閉関とはなんだろうか?たった一人で部屋に閉じこもり、だれにも会わず、話すこともならず、世間のあらゆる事をすっきりと切り捨ててしまい、外の世界と接触せず、しかも期限を守る、すなわち決められた時間内に念誦を全うしなければならない。もし咒語が10字未満なら、通常は100万回念誦しなければならない。この100万回とはよく巷で見るように片手に数珠を持ち、片手にカウンターを持って行うのではない。このような方法は認められない。佛経で説いていない事を行ってはならないのだ。
いわゆる100万回とは、観想を通して『円満次第』を起こさなければならず、毎回そのように修、念を行って初めて、このような閉関が認められるのである。よって、そなた達の普段の念誦法では、たとえ100万回、1000万回、或いは1000000万回行ったとしても、人天福報を累積できるだけで、生死の解脱と密法の学習を深めることには一切関係がない。自分は何百万回も念誦したとリンチェンドルジェ・リンポチェにいう人がよくいるが、リンチェンドルジェ・リンポチェは『真に何百万回も念じたなら、今日のように面前に跪く必要はないではないか。こうしているのは、如法の閉関を行っていないからだろう。如法の閉関を行い本尊を専ら修め因縁があれば、施身法を伝えよう』と心の中で思う。
施身法とはその名の通り、布施を主とする。『寶積経』中では『もし証果、菩薩道を行う菩薩なら、どこへ行っても無有畏懼(恐れるものは何もない)』という。いわゆる『無有畏懼』とは、菩薩果位まで証ずれば、何者をも一切恐れないというのではない。私たちはなぜ恐れるのか?それはみな傷つくのが恐いからだ。仮に今日そなた達が傷つくことを恐れないなら、恐れの感覚などあるだろうか?菩薩は無所畏懼であられる。なぜなら菩薩は『施』だけを行い『無所求』であるからで、一切は因果の法則を決して離れられないとはっきりご存知だからである。施身法を修めても、『鬼がやって来るのでは』と恐れ続ける人が多いが、これはその人に慈悲心がないことを示しており、これでは修めることはできない。
『学びさえすればこの法門は修められる』と思ってはならない。やって来る鬼道の衆生はみな、そなたが助けてくれることを望んでいる。なぜならそなたが彼らを呼んだからだ。そなたはこれら衆生を呼んだにもかかわらず、慈悲心がなく彼らを助けようとせず、反対に恐れの反応を示している。これら衆生は、そなたには彼らを助ける力がないと知っており、『私を呼んでどうしたいのだ?私が何もしていないと思っているのか?』と思っている。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示を続ける。鬼は実は非常に忙しいのだ。なぜか?それは太陽が昇る前に隠れる場所を探さなければならないからだ。『隠れ場所を見つけるなど簡単ではないか』と思っているだろう。鬼は非常にたくさんいる。そなたに害を及ぼすものだけが鬼だと思ってはならない。実は至る所に鬼はおり、道場から出るとそこにはたくさんの鬼がいるのだ。あとでリンチェンドルジェ・リンポチェが法器を吹けば、みな揃って出てくるだろう。
『自分は見たことも、感じたこともないのに、ほんとにそんなにたくさんの鬼がいるのだろうか?』と思っている人がいるだろう。佛経の說に基づけば、一本の草の上であろうと鬼が付著しているのだ。鬼の数は非常に多く、草は限られている。そのため、鬼は一本の草を争うことがあるのだ。佛経では『自分の所有でない物を取ってはならない』という。なぜなら万物には主がおり、石であろうと何かが付いているのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて旅行の際に石を拾った人を救ったことがある。運が良く拾わない人もいるが、運が悪くこのような物を拾ってしまう人もいる。運が良くて拾ってしまう人もいるが、それはリンチェンドルジェ・リンポチェが済度を行うので、それが福徳となるからだ。
『この人は救ってくれない』と感じたら、鬼は嗔念を起こす。『夜、太陽が沈んだ後でなければ鬼は現れない』と思っている人が多いだろうが、そうではない。午前11時を過ぎれば、福徳がいくらか大きい鬼は現れ始め、午前4、5時くらいまでこの世に止まる。つまり鬼がこの世にいないのは、たったの数時間で、他の時間はいわゆる『阿飄(浮遊する幽霊)』のように地球上を漂っているのだ。彼らはある場所まで漂って行き、何かに付く。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは菜食を勧めるのか?菜食せずに、長期間肉を食べ殺生している人は鬼道と接触しやすい。なぜ鬼になってしまうのか?それは生前に肉を好んで食べていたからだ。菜食しないなら彼らと同類なのだ。
なぜ、肉や海の生き物を食べてはいけないというのか。海の生物は必ずニンニクやネギで調味してある。普通、魚を煮る時には、ネギとニンニクを加えるだろう。佛経では『鬼の中には、魚、ニンニク、ネギの匂いを好む者もいるので、夜寝ている時に、彼らは、魚、ニンニク、ネギを好んで食する人の口の中の魚、ネギ、ニンニクの匂いを嗅ぎにいく』という。これが佛経でも説いている、いわゆる『吸陽気』である。これはたくさん吸われると、吸われた人はどんどん醜くなる。注意して見てみるが良い。魚や肉を好んで食べる人は、顔にどんなものを塗っても、なぜ顔がどんどん醜くなっていくのか?美容整形の技術が進んでいる現代であっても、やはり非常に醜い。これは、その人が鬼と変わりがないからで、鬼の様になってしまっているからだ。ゆっくり気をつけて、自分も含めて、周囲の人を見てみるがよい。
そなた達が施身法に参加すると、リンチェンドルジェ・リンポチェはなぜ『この一生で再び肉を食してはならない』というのか?それは、そなた達は法を求めて訪れているが何の供養も行っていないので、佛が仰せの条件が当然求められるからだ。『衆生を傷つけてはならない』と佛はいわれた。もし、衆生を傷つけ続けるなら、今日法会に参加したとしても、未来の生生世世でも役に立つことはない。法会への参加は、ある目的のためだと思ってはならない。佛経には佛と修行者に対して恭敬心を持ちさえすれば、『以成佛道』とはっきりと記載されている。いわゆる『以成佛道』とは、すでに成佛したという意味ではなく、『学佛の機会がすでに出現した、学佛の道を歩き始めた』ということである。学佛を始めても、教えに従わなければ、学佛の道は断たれてしまうだろう。
修行者として、リンチェンドルジェ・リンポチェは『そなた達を変えられる』と言うことはとてもできない。しかし、少なくとも守り続けている事がある。菜食できないのに、『自分は佛法を修めている』と言えるだろうか?他の宗教を信じていても菜食できるというのに。菜食できないくせに、『自分は佛を信じ、因果を信じている』と言えるだろうか?『因果は自分達だけには害を及ぼさない』と信じているのだろう!今後も菜食しないなら、二度とリンチェンドルジェ・リンポチェの面前には現れないで欲しい。リンチェンドルジェ・リンポチェは、どんなに追い払っても必ず信衆はいると信じている。今日はただの普通の法会に過ぎないというのに、1550人が参加している。他の法会へ行ってみても、こんなにたくさんの人はいないだろう。振り返る必要はない。リンチェンドルジェ・リンポチェは名簿を持っているので、よく分かっている。信じないなら、一人一人ゆっくり確かめればよい。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘘は吐かない。
なぜこの法会の参加者はどんどん多くなるのか?それは諸佛菩薩がみな揃ってお越しになり、衆生を成就させ、修行者を成就させるからだ。表面的にはリンポチェは立派に見えるだろうが、実はお互いさまなのだ。衆生が苦しみを受け輪迴していないなら、当然佛菩薩もない。仮に、一切の衆生が輪迴を解脱したなら、佛法は何をしたらいいのか?だからお互いさまだというのだ。簡単にいえば、もし超度法門が衆生に利益できないなら、だれも来ないだろう!そなた達が今日来ているのは、生生世世の祖先、鬼に借りがあるからで、彼らがそなたを来させたのであり、そなた達は生生世世に善を行ったおかげで、この一生で佛法に触れる機会を得られているのだ。諸佛菩薩は一人の衆生をもお見捨てにならない。衆生が諸佛菩薩を見捨てるのだ。そなた達は機会が得られた。これは福報が起きたためで、福報があってもそれを続けないなら、この一生も無駄になってしまうだろう!
施身法に戻ろう。『不共四加行』を修めないなら、業がこの法の成就を妨げ、修習を続けていくと苦しく感じるようになるだろう。ある弟子は以前、別の教派で施身法を学んだことがあったが、そのリンポチェは、度胸をつけさせようと、彼を墳墓へ連れて行き修習させたという。しかし、施身法は度胸とは関係がなく、慈悲と関係があるのだ。古代のチベット、インドでは火葬だったので墳墓はなかった。それなら施身法を修めようとする行者はどうしたのか?チベットは広大なので、『お宅に亡くなった人はいませんか』と一軒一軒聞いて回ることなど不可能だろう。
かつての大徳は『八大尸陀林、すなわち八個の火葬場の傍らで修法する』と仰せになったことがある。なぜならそこには必ず鬼がおり、必ず亡くなったばかりで、まだ輪迴に堕ちていない鬼衆がいるからだ。それが長い間に、墳墓での修行に変わったのだが、実は法本ではそうは説いておらず、これは比較的新しい修法の方式なのだ。しかし仮に、そなたが墳墓へ修行に行っても、鬼衆を済度させることができなければ、それは問題になるだろう!彼らはつばを吐きかけ、石を投げつけるだろう。鬼にそんなことができるはずがないと思うかもしれないが、鬼であってもつばを吐きかけることはできるのだ。
施身法の学習は容易でなく、修習を終えるのも難しい。リンチェンドルジェ・リンポチェが持有する施身法は尊勝なる直貢チェツァン法王が自らお伝えくださったもので、しかも一対一でリンチェンドルジェ・リンポチェに灌頂くださったものである。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに伝法くださる時、灌頂が完了し、法本を念じただけで終了してしまい、今後はどのように修めよとも、どのように鈴を鳴らし鼓を打つのかとも、或いはどのような調子で念じるのかとも仰せにならず、リンチェンドルジェ・リンポチェが自分で見て執り行うようになさった。なぜ自分で見て執り行うのか?それは直貢チェツァン法王の神通力が非常に優れておられ、リンチェンドルジェ・リンポチェがかつて施身法を学んだことがあるのをご存知だったのだろう。
施身法は、どんな調子で念じるのか?泣いているような調子でなければ、衆生を感動させることができないのではないか?そうではない。実はそなたは自分で自分を感動させているだけなのだ。なぜなら鬼はその調子を聞くことはできず、チベット人が念じる調子も中国人とは異なるからだ。鬼は慈悲があるかどうかしか分からない。慈悲が鬼衆を感動させるのだ。行者の慈悲だけが鬼衆を感動させられ、ロック風に念じたとしても、鬼は同じようにやって来るだろう。調子とは関係がないのだ。古代、多くのチベット人は文盲であった。そのため上師は、正しく修められないのではないかと懸念し、調子をつけて念じたのだ。聞いた人はそのまま念じ、徐々に自分も感動し、慈悲の心を養うようになった。
なぜ鈴や鼓を鳴らす必要があるのか?鈴は亡者の執著の心を呼び覚まし、鼓は人生の無常を悟らせる。施身法を修めるには、恐怖の心を起こしてはならない。以前リンチェンドルジェ・リンポチェは古い道場で施身法を修めていた時、大力鬼を見た。佛経にも記載があるが、これは、佛法とは限らないが、生前に何かの法の修行をしたことがあり、能力と福報を持つ鬼のことである。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法していると、この大力鬼は突進して来て、鈴の中の鉄の球を引っ張ろうとし、折ってしまった。その時、修法者が恐れていたなら、大力鬼は行者に手出しをしただろう。そうなら、行者は死んでしまう。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは修法時に普段から鈴を二組用意しているので、もう一組を取り出して修法を続けたため、大力鬼を済度させることができた。
修法が円満となった後、リンチェンドルジェ・リンポチェは『誰が大力鬼をつれて来たのか?』と参会者に尋ね、『その大力鬼は台湾で死んだものではなく、国外で死んだものだ。その鬼の弟子は遺灰を持ち帰っている』と告げた。すると本当にそうだったのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの不肖の弟子が、道で長く会っていない友人に出会った。『最近どうしているか?』と尋ねられたので、『法会に参加する』と答えた。相手はそれを聞くと、『ちょうど良かった』といった。彼の以前の上師がインドで亡くなり、その人は上師の遺灰を持ち帰っていたのだ。彼の上師は生前、世間で流行している瞑想、呼吸法を修行しており、良い空気があると聞くとそこへ空気を吸いに行っていた。インドに良い空気があると聞いたので、インドへ行ったが、呼吸することはできた末に亡くなってしまったのだった。この亡者は佛法を修めたものではない。リンチェンドルジェ・リンポチェが鈴を鳴らすと、彼は目覚めた。彼はその信衆について来ていたのだ。もし当時リンチェンドルジェ・リンポチェに慈悲心がなかったら、危なかっただろう。少しでも恐れを見せたなら、彼は行動に移っただろう。
リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて『最大の力は慈悲である』と開示したことがある。もし、そなたに慈悲の力があるなら、何かが起きるとしても、佛菩薩が教えてくださり、そなたは避けることができる。佛菩薩は自然に感じさせてくださり、尋ねる必要さえない。そのため、だれかが自分に害を及ぼすのではないかと一日中恐れている人は、慈悲がないのだ。今日リンチェンドルジェ・リンポチェが修める施身法は、慈悲を主とし、布施を副とする。そなたが布施を行う時に、もし慈悲心がなければ、衆生は受け取ることができない。つまり、施身法を修める行者は『無所求』でなければならないのだ。古代には、施身法を修める行者は修法のための場所を持たず、流浪し、行った先で修法していた。よって、この法門は壮厳ではないと考え、施身法を修めない教派もある。
尊勝なる直貢チェツァン法王はかつて御自らリンチェンドルジェ・リンポチェにお教えくださった。かつて直貢噶舉の佛寺では毎日少なくとも一度の施身法を修め衆生を救っていた。だが、現在この伝統は消え去ろうとしている。この法門を修習した人がほんとうに少ないからだ。さらに、施身法を修めるには法器が必要である。法器が良くないと、修法にも影響を及ぼす。なぜ法器が必要なのだろうか?それは私たちはやはり人なので、身体が神通変化を備える前は、ある程度の道具が必要だからだ。そうしなければ、衆生を面前に呼び彼らを助けることはできない。施身法を修める際の法器は非常に重要で、一般人が見つけられるものではないのだ。
さまざまな条件を備えた後、法本の記載に従い、この法を修め成就するには、必ず大手印第二段階—離戲瑜伽まで修めなければならない。つまり、空性に対する悟りにすでに非常に接近し、世間のさまざまな現象をゲームのように見られるようになり、ゲームオーバーとなれば何一つなくなり、少し後でまた次のゲームが始まるというように。すなわち、行者は何物にも執著しないのだ。こうして、施身法を修めることにも自然に執著しなくなる。修法時には、たくさんの鬼が来るだろう。凶暴なものもいれば、醜いものも美しいものもいるだろう。このような考えは全く消え去り、好悪の執著心はなくなってしまう。
法本の記載によれば、修法者はどんな聖物であろうと、それを身に着け自分を保護してはならないという。行者が施身法を修める時、肉体を布施し衆生に食べさせる。そなたが自分を保護しようとするなら、衆生はやって来ないだろう。衆生が来なければ、慈悲の布施もないのだ。施身法を修める時に念じながら恐れている人がいる。恐れがあれば慈悲心はない。慈悲心がないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは施身法を修めない方が良いと勧めるだろう。密法は良いものである。だが、正しい方向でなければ大変なことになってしまう。金剛乗は一般の人が修学できるものではない。衆生に利益しようと堅く決心し、自分の利益に対して一切の要求を持たない人でなければ、金剛乗を修めることはできない。
伝法者と接法者は共に完全に如法でなければならない。先ほどリンチェンドルジェ・リンポチェが開示したように、『不共四加行』と『閉関』等を円満とし、その後にこの法を修めるのでなければ、広大な衆生に利益することはできない。施身法を修める時に、法会に参加する信衆を横たわらせる人もいるが、これは特別供養時にだけ必要なやり方である。特別供養でなければ必要はない。なぜなら修法者はすべての参会者を代表して供養を行うことができるので、そのようなやり方は不要だからである。もし信衆を全員、横たわらせれば、かなり面倒なことになるだろう。
施身法には顕教の部分と密法の部分がある。密法の部分には『事部、行部、瑜伽部』を含む。言い換えれば、行者が『事部、行部、瑜伽部』の閉関を行ったことがなければ、施身法修習は行者本人と佛菩薩との因縁を強めるだけで、この法を修め成就することで、生死を解脱するのは容易ではない。藏伝密法において、事部と行部は伝授するが、瑜伽と無上瑜伽部は簡単に伝授しないリンポチェがいる。その理由は、今日の話題の範囲ではないので、ただそなた達にはこう言おう。簡単には伝授せず、伝授したとしても、そなた達が知らない部分を残すことが多いのだ。
リンチェンドルジェ・リンポチェが修法を始めたら、そなた達は集中しなければならない。あちこち見たり、あれこれ考えたりせず、気持ちを引き締めなければならない。法会への参加は簡単な事ではないのだ。さらに、我々は衆生の中にいるので、慈悲心を起こさなければならない。もし、そなたが今日法会に参加し、上師、佛菩薩と同様の慈悲の心を備えているなら、得られる利益はとても大きくなるだろう。けれども、心が狭く、法会への参加は自分の健康のためであり、また何かを得たいと願っているのであれば、得られる加持は少なくなってしまうだろう。
リンチェンドルジェ・リンポチェはしばしば開示する。法会ではみな同じようにリンチェンドルジェ・リンポチェが修法しているのに、得られる利益が大きい人がいるのか?少しの利益しか得られない人がいるのか?各自の福報因縁の他に、最も重要なのはそなた達の心なのだ。慈悲心を持つだけでなく、三寶に対して絕対の恭敬心を持ち、一切の懐疑を抱いてはならない。この法門はリンチェンドルジェ・リンポチェが書いたものではない。もしみなが懐疑を抱いているなら、それはこの法に対して懐疑を抱いているということになるが、この法の内容はマジラ尊が発明したものではなく、すべては諸佛が教導になり伝わった衆生に対して利益する方法なのである。法に対して懐疑を抱くなら、佛に対して懐疑を抱いているということで、佛法に対して懐疑を抱いているということになり、修法者に対しても懐疑を抱いているということになる。そなた達がみな揃って懐疑を抱くなら、すべての功徳は断ち切られてしまう。
自分が分からない事は存在しない、という訳ではない。そなた達にとっては施身法は非常に分かりにくいだろう。『自分は字が読めるのだから、修法者が説くことは分かる』というものではない。施身法では、行者は自分が衆生が好んで食べる食物に変化するよう観想する。これは分身とは関係がなく、行者の心によって事物の変化をコントロールするものである。ここまで行うには、大手印中の離戲瑜伽の境界まで証しなければならない。先ずは、法本の通りに念じていれば良く、通常は法本の通りに念じれば、マイナスのエネルギーは少なくなるものだ。あれこれ考えていたなら、害を受けることもあるだろう。
法会の参加者は、慈悲心と恭敬心を持つ事が重要である。恭敬とは供養を指し、そうでなければ福報は生まれない。『寶積経』では菩薩が佛に佛法を開示くださるよう求める時、必ず『恭敬供養』について述べる。供養の内容については記載がなく、ただ『非常に恭しく供養しなければならない』と説く。恭敬の心で供養すれば、それは供養なのだ。在寶吉祥佛法センターでは、大功徳主、大当頭、二当頭などと分類していない。みな同じだ。皈依していない信衆は前の方に座り、リンチェンドルジェ・リンポチェの厳しい様子が見られるようにしている。皈依弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェにもう馴染んでいるので、後の方に座っている。皈依していない信衆がお金持ちだからではない。別のところでは、金持ちが前の方に座り、お金がない人は後の方に座る。しかし、寶吉祥佛法センターでは反対だ。なぜならリンチェンドルジェ・リンポチェは、皈依していない信衆の供養を受け取らないからだ。彼らからお金を受け取らないが、前の方に座らせるのだ。
そなた達は恭敬心、慈悲心を持つ以外に、懺悔心も持たなければならない。『自分は過ちを犯していない、自分は無意だ、有意ではない』などと思ってはならない。この世では無意の事などあるはずもなく、ある考えを起こさないなら、その動作を行うことなど有り得ない。『自分が行動する時には考えもしなかった』というかもしれないが、その前には必ずその動作について考えたことがあるはずで、または、その動作がすでに習慣になっているのかもしれない。だれでも日常生活でこのような状況がある。毎日同じ動作を繰り返し、特に考えなくとも自然に行っているのだ。
そなた達は考える必要がないかもしれないが、佛法においては、そなたが習慣となっている動作の種子は、すでに意識田に植えつけられている、と考える。そのため、眼、耳、鼻、舌、身、意の六門を経過しなくとも、これら動作を行い、意識内で直ちに反射的に行われるのだ。無意の事などない。必ず有意である。もしそれでも、『自分は無意だ、不注意だ』とさらに弁解しようとするなら、それは懺悔心がないことを示している。このような事が佛経中ではたくさん取り上げられている。その習慣がない人が、そのような事を行うはずがないのだ。これは真実である。医者までがそうだと証明している。よって、必ずこの三つの心を持たなければならない。『自分は充分に慈悲であるだろうか』とひたすら考える必要はない。当然不充分なのだ。佛菩薩と比べて充分であるはずがないではないか?深く思考し、今日の法会への参加は個人的な理由からではなく、法会の参加者、我々と有縁無縁の一切の衆生が、みな法会の助けを受けられるよう祈ることが必要だ。
だれもが必ず恭敬心を持たなければならない。諸佛菩薩が説かれる佛法は、自分にとって有利であるからでは絶対になく、すべて衆生にとっての有利であるので、恭敬でなければならないのだ。『修行者は我々に与えるべきだ。なぜなら修行すれば、必ず我々を助けるのだから』などと考えてはならない。そんな事はないのだ。恭敬心を持たないなら、佛とそなたとの相応はゆっくりになる。これはそなたが佛に不恭敬なので、佛が構ってくれないのではなく、佛は不動なのだ。どうすれば佛にそなたの祈りを感じていただけるだろうか?それこそ恭敬から始めるのだ。すなわち『心誠則霊(誠意があれば通じる)』である。心に誠意がなければ、どうして思いが通じるだろうか?当然通じないだろう。
なぜ通じないのか?衆生はみな佛と同じように成佛の条件を備えており、清浄な本性と佛性を備えている。そなたが佛に恭敬なら、もともとの成佛の条件を養うことができる。もともとの成佛の条件を養い始めれば、佛と同じように以後成佛する福報を備えることができ、すべての事はゆっくり処理され、解決され始める。原理はここにある。そなた達は以前は、このような言い方を聞いたことがないだろう。普通はこのようには言わない。そうであろう?佛に恭敬でなければならない、と多くの人がいうだろう。なぜなら尊いところにおいでになる佛を畏れるからである。リンチェンドルジェ・リンポチェに対して恭敬でなければならないというだろう。なぜならリンチェンドルジェ・リンポチェは厳しいからだ。しかし実はこれとは関係はない。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達の恭敬は必要としていない。自分が高見にいるのを感じるために、そなた達の恭敬を必要とするなら、それは修行人ではなく、佛でもない。
すべての衆生は佛と同じで成佛の条件を備えているが、みなこの事を忘れている。みな上師と佛菩薩に対して恭敬になれば、自然に心は落ち着き、一切の妄念が消え去り、自然に本来の清浄な本性を回復する。こうでなければ、法会で佛菩薩と上師からの加持を受け取ることができない。もしそなたにたくさんの妄念があり、懐疑心を起こしているなら、清浄な本性を遮ってしまうだろう。佛菩薩、上師と相応するとは、佛菩薩、上師と同じ事をするのではなく、心が相応するのだ。これは男女の間の愛のように、以心伝心というのではなく、佛と同じ本質を取り戻すことをいう。こうすれば一瞬の内に成佛できるというのではなく、一瞬の内に、自己の本質をはっきりと認識できるのである。清浄な本性が出現して初めて、加持力を完全に受け取ることができるようになる。いろいろ考えているなら、遮られてしまうだろう。
法会の参加時には、なぜ頭を動かしただけで、リンチェンドルジェ・リンポチェに叱られるのか?それはリンチェンドルジェ・リンポチェに対して不恭敬だからではなく、佛菩薩に恭敬である時間を0.000001秒無駄にしたからなのだ。これは非常に重要である。法会への参加時の心持はそなた自身が決める。リンチェンドルジェ・リンポチェは上師として、そなた達が聞き入れるまで、自分が修行した経験を一つ一つ伝えるだけで、それを行うかどうかは、自分で決めることだ。因果は自分で為したもので、リンチェンドルジェ・リンポチェとは関係がなく、佛菩薩とも関係がない。
しばらくしてリンチェンドルジェ・リンポチェが修法を開始したら、足が痛くなるのではと考えたり、だらしなく座ってはならない。足が痛くなるのは正常だ。そなた達は人であり神経がある。木でできているのではないのだから。足が痛くても我慢できたなら、しばらくすれば痛くなくなる。それは、気脈を圧迫しているからで、血管を圧迫すれば自然に痛みを感じなくなるのだ。しかし、気脈が習慣的に圧迫されれば、それで過ぎてしまうだろう。痛みを感じる時間は人それぞれだが、痛みを畏れてはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは1996年より施身法を修めている。足がもともと折れているのでなければ、法会で二時間胡坐をかいて座っていて足が折れたという人は見たことがない。こんなことで足が折れたりはしない。痛みを感じたからといって折れることは絕対にない。足が痛むからといって、法会の後に、足を切断しなければならなくなったということも、かつて全く起きていない。
これはすべて心持次第なのだ。少しの痛みさえ我慢できないなら、そなた達に食べられた衆生はどんなに痛かっただろうかと考えてみよ?今日のこの痛みは、衆生がそなた達に少し返しているだけなのだ。自分がトリモモをかじる時、どれだけの力でかじるか考えてみよ?魚を食べる時、身を骨から抜き取る時、痛快であるだろう?衆生はひどく痛いのだ。たとえすでに死んでいたとしても、食べられる時には痛みを感じるのだ。よって、そなた達が痛みを感じるのは当たり前だ!こんな少しの痛みは、地獄に堕ちたり、病床でメスを入れられている段階にも達していない。因果を信じていない人がまだまだ多く、魚を食べても大丈夫だと思っており、食べることで何かが起きる訳がない、と考えている。先ほど、法会の前に弟子が語ったように、人が集中治療室に入った時の状況は、地獄へ堕ちるのと全く同じだ。『集中治療室では医療を受けるのだ』と思っているだろうが、そんな状況に遭遇するのは、そなたが地獄へ堕ちる予兆であるかもしれない。
佛経には『しっかり修行した人は穏やかに死を迎えることができる』とはっきりと記載されている。リンチェンドルジェ・リンポチェが救ってきた多くの衆生は、死を前にして苦しみもなく、とても穏やかだった。これは三悪道に堕ちないことを示している。ちょっと魚を食べたところで、何かが起きるはずはないなどと考えてはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェにとってはもちろん何もないし、怒ったりもしない。そなた達に何事かが起きるのは、衆生が怒っているからなのだ」。
続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝なる直貢噶舉施身法の修持を開始された。修法の円満後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは極めて慈悲深く、皈依を申込んでいた信衆に皈依儀軌を行われた。リンチェンドルジェ・リンポチェは皈依を申込んでいた信衆を壇城に上るよう、申込んでいない者は上らないようご指示になり、弟子に名簿を確認させられた。リンチェンドルジェ・リンポチェは先ずみなを座らせ、皈依の殊勝なる意義について開示くださった。
「皈依は学佛で必ず経なければならない重要な儀式である。皈依せず、経を唱え、佛を拝むだけでは、加持を得ることはできない。なぜ皈依しなければならないのか?『皈』の意味は、皈依の後でなければ、黑を白に、すなわち一切の善の業とすることができないということである。『依』とは、諸佛菩薩と上師の教導に従うということである。なぜ皈依しなければ、学佛しても力を得られないのか?なぜなら皈依しなければ、そなた達の学佛を監督する人がいないからである。佛経では『地球の衆生は怠け易く、善を行った後すぐに悪を行う』という。よって佛経では、上師が加持し監督することが必要であると説く。
皈依した後、そなた達は一般人とは違う。これはすぐに健康になり、運が良くなるというのではない。皈依することで、佛法の教導を受ける資格のある人となるということである。学生が中学生から高校生になり、その後は大学生になるようなもので、身分が変わっていくに従い、学習の内容も変わって行くのだ。通常は皈依時には三寶に皈依する。すなわち佛に皈依し、僧に皈依し、法に皈依する。現在地球上の佛運では、釋迦牟尼佛が我々の学佛の導師であられる。佛法は釋迦牟尼佛が弘揚佛法49年間に我々に学習の一切の方法を教導くださったものである。佛経上で説いていないもの、釋迦牟尼佛が説いておられないものならば、だれかが自分は佛法を説いているといったとしても、気をつけた方がよいだろう。
『僧』とは出家衆のことではない。佛経でいう、いわゆる『僧団』とは在家両衆(優婆塞、優婆夷)と出家両衆(比丘、比丘尼)が共同で修行し生死法門を解脱する団体である。皈依僧は皈依の対象で、佛法を明確に認識できており、しかもしっかり実行できていなければ、他人を皈依させることはできない。チベット仏教ではこれに上師に皈依するという一項が加わる。なぜ上師に皈依しなければならないのか?なぜなら我々は末法時代に生きており、福報がなく、自ら佛の教導を受けることができないからだ。字が読めて、佛法を聞いたことがあっても、実修がなく、経験豊富な修行者の佛法の教導がなければ、やはり法を得ることはできない。そのため、上師への皈依は非常に重要なのだ。
今日そなた達が皈依したのは釋迦牟尼佛、釋迦牟尼佛が説かれる佛法、釋迦牟尼佛が教導なさった僧衆である。そなた達はチベット仏教直貢噶舉派に皈依した。今日は時間が足りないので、詳細は次回に説明しよう。藏伝佛教に皈依すれば、すぐに密法を学ぶことができるというのではなく、必ず先に顕教を学ばなければならない。寶吉祥佛法センターの規則では、皈依三年以上の弟子でなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェから『不共四加行』を伝授されることはない。上師は弟子を三年間観察するのだ。
直貢噶舉の祖師は ジッテン・サムゴンであられる。今日で第三十七代を数え、現在第三十六世 直貢チョンツァン法王はチベットにおられ、第三十七世直貢チェツァン法王はインドにおられる。そなた達の皈依師の法号はリンチェンドルジェ・リンポチェである。リンチェンドルジェ・リンポチェの根本上師は直貢チェツァン法王であられる。皈依の後は当然規則を守らなければならない。校則を守るのと同じである。皈依時には、上師は必ずそなたに授戒する。法本には『授戒された人は必ず持戒清浄しなければならない』とある。持戒清浄とはなんだろうか?当然先ずは破戒しないことが一番で、次には、持戒が自己が利益を得るためであってはならないのである。
皈依の後は先ず、『在家五戒』を守る。佛法中のすべての戒律は『五戒』から始まる。この『五戒』は非常に重要である。なぜか?この『五戒』はそなたが今後輪迴を解脱する因、そなたが今後悪を為すことを少なくする因で、そなたが今後三悪道に陥らないようにする因であるので、必ず守らなければならないのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは皈依を申込んだ信衆に10秒間与えよう。自分は『五戒』を守れるかどうか考えてみるが良い。守れないと思うなら、今壇城を下りるように。畏れることはない。リンチェンドルジェ・リンポチェは法座から降りて、追いかけるようなことはしない」。
10秒後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは「『五戒』を守れない者はいるか?」とお尋ねになった。皈依を祈請した信衆はみな、喜んで金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに「守れます」とお答え申し上げた。この時年長の信衆は足を上げたので、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くそれを正され、「胡坐をかけないなら、クッションを使うように。足を上げてはならない。そのような座り方は無礼である」と仰せになった。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェはみなが皈依を決めたのをご覧になり、皈依後の良い点について開示を続けられた。「してはならない事を弁えなければならない。皈依後に破戒するのは非常に良くない。
皈依の後には非常に多くの利益がある。まとめると八種になる。
リンチェンドルジェ・リンポチェはあとで、皈依証上の祈請文を口伝する。直貢噶舉派では佛経、咒語を含む佛法の内容であれば、すべて上師の口伝を経なければ、弟子は念じることはできない。皈依証の後の中央は直貢噶舉の祖師 ジッテンサムゴン、左側はリンチェンドルジェ・リンポチェの根本上師-尊勝なる直貢チェツァン法王、右側はそなた達の上師リンチェンドルジェ・リンポチェである。皈依証を決して棺桶に入れないよう、子孫に必ず伝えるように。棺桶に入れれば、佛菩薩が守ってくださると考えるかもしれないが、皈依証を棺桶に一緒に入れても、火葬してしまえば、おしまいなのだ。」
続いて、新皈依弟子は順番に列を作って尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法座横に行き、リンチェンドルジェ・リンポチェはみなを率いて、持咒なさり、断髪儀軌を行われた。施身法法会と皈依儀軌は円満に終了し、弟子たちは声を揃えて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる修法と皈依の開催、参会者に貴重で無比な教法を賜り、数え切れないほどの衆生に利益くださったことに感謝申し上げた。参会者は起立し尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りられるのを恭しくお送りした。
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2013 年 12 月 31 日 更新