尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2012年9月16日
法会が始まる前に、ある男性の弟子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが彼と家族を助けてもらった経過を分かち合った。
この男性の弟子は去年(2011年)7月10日に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して、彼の妹も皈依弟子である。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの恩に感謝して、今年すでに90歳の父が2009年から毎年に「祖師ジッテンサムゴン記念大法会」と「阿弥陀仏無遮大済度法会」に参加することができる縁があるから。糖尿病、摂護腺肥大症、および胃腸機能の衰退症にかかっている父親は、数回も体調が悪くて夜に急に救急病院に運ばれた事があるが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下で、彼の父親はすべて無事に危険な状態を過ごすことができる。今の彼の父親は体が比較的に虚弱であるが、健康の状況が安定的である。
彼の父は先月(2012年8月)リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、リンチェンドルジェ・リンポチェに直接に謝意を表して、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に彼の父親を加持した。2週間の前、彼の父親は夜眠っている時にうっかりベットの下に転落して、ベッドが高さ約ただ60センチメートルであるが、しかし90歳のお年寄りはこのようにベッドから床に落ちて大変であるが、しかし父親が転落した時に何も異様だと感じていないで、ただその時に立つことができなくて、地の上でしばらくに横たわって、父親は彼も自分がそれからどのようにベットに戻って引き続き寝たのか知らないと言って、それに彼の母親さえこのような事が発生したのを知っていなくて、父親も何も異様がなかったのである。翌日、彼と妹が家に帰った時、父親が自分で一昨日の夜に床から転落した事を言って、彼と妹は父親が意外にも大丈夫であることにとても驚いた。なぜかというと、若い人さえベットから転落したら半日ほど痛いのに、まして高齢の90歳のお年寄りはなおさらである。更に彼らを驚かせるのは、妹が父のナイト・テーブルの引き出しが引き離したことを発見して、父が転落した時に、頭が意外にも引き出しの鋭い角にぶつかっていないことである。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェの加護がなければ、後果は本当に考えるだけに恐ろしい。
引き続き彼が分かち合ったのは、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼と妻、娘を済度した事績である。皆さんは新聞のメディアできっと「家庭内暴力」という事を聞いたことがあるだろう。このような事は多くの人に極度に憎ませて、でも彼が被害者ではなくて、ところが憎らしい加害者である。2010年9月28日、彼の娘は学校の先生を恐れて学校へ行く勇気が無くて、彼は原因を深く追究していなくて、かえって憤怒して強く娘を引き延ばして学校に行かせて、また体がよくないが娘を保護したい妻に怒った。妻と娘は自分を部屋の中で閉まって反対側でドアをロックされている時、彼は気が狂って強くドアに打ったり蹴ったりして、妻が電話をかけて警察に通報した後に、警官は彼にしばらく家を離れてもらって、妻と娘も裁判所に保護令で保護されることを申請した。娘はこの時からよくくらくらして、しかも恐れて登校拒否した。彼は両親の家に戻って両親にこの事を知られる勇気が無くて、時には車の上で寝て、時には旅館に寝たが、心の中では依然として憤慨してやまない。
それから、母親が長年に喘息にかかっていて、母親の健康のため、その故彼がすでに皈依した妹と一緒に母に同伴してリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した機縁があった。彼はその時に、心にはただバイバイして加護を求めたい心構えを持っていて、甚だしきに至っては心が愚鈍で、リンチェンドルジェ・リンポチェの大能力と大知恵を信じなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは一目見ると、母親の喘息の病気が鶏を殺した因果応報だということを言い出して、しかも鶏を殺すことは鶏の咽喉に刀を動くので、どのようにして喘息に罹らないのか、と開示した。リンチェンドルジェ・リンポチェは母親が菜食精進料理を食べて懺悔をするべきであることを開示した。母親はリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を信じないが、その時に彼の心の中では驚き恐れてやまなかった。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェが非常にすごいと感じた。というのは、小さい時に彼が確かに母親が自ら鶏を殺したことを見たことがあるからである。彼は冷血にその側で鶏の咽喉が切られたことを見て、それから瀉血されて痛くて死んだ。その時に鶏の足を食べることが大好きである彼は、心の中がまた、もうすぐ鶏の足肉を食べることができると嬉しく考えている。
リンチェンドルジェ・リンポチェはその時の開示と顔つきは、小さい時から誇っていて尊大な彼に震え上がらせて、彼の心の中は1つの考えをこだまして、彼が菜食精進料理を食べるべきではないか、と考えている。リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁していた過程を回想して、彼は運転して道に迷って、すごく遠い道を走ってからやっと宿泊所に帰った。翌日彼は菜食精進料理を食べることを決定して、今思い出したら、彼の飲食の欲はすでに無数な衆生を殺害して、甚だしきに至ってははばかりなく狂気じみた言葉を言って人に対して食事をしたら肉がないと駄目だと言ったことがある。こんなに重い悪業をつくって、同じく母親に殺業の苦を受けさせた。この数え切れない債は、どのように返すべきであるか。
彼はその時に貪欲で懺悔することが分からないで、リンチェンドルジェ・リンポチェが主催される法会に参加したくて罪を償うことができると思っているが、心の中にはまた分別心と恭敬しない心を残っている。彼は月に一回施身法法会に参加したら、彼のかつて犯した暴行と悪業を相殺して救われると思っているが。しかし、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した時、リンチェンドルジェ・リンポチェの目つきは彼を震え上がらせて、彼は言葉を濁して妻と娘に暴力して与えた事を言って、リンチェンドルジェ・リンポチェが厳しく彼がなぜこのように患者に対応するのかと非難して、彼が傍で大礼拝することを要した。すぐ、彼はまた傍にいる兄弟子にどのように大礼拝するかと聞いて、本当にどのように自分の愚鈍さを形容するべきであるかを知らない。その夜、リンチェンドルジェ・リンポチェが苦労して信者達を接見し終わった後に、彼を立ち上がらせて、慈悲に先に彼に疲れたかどうか、と聞いた。彼は明らかに喘いでいるが、意外にもまた疲れていないと答えて、リンチェンドルジェ・リンポチェは「今外が寒くて、そなたが全身が汗が多く、家に帰る道に服をはいて、風邪を引かないでください。後へ施身法法会に参加することを登録に行きましょう。」とよく言いつけた。リンチェンドルジェ・リンポチェの関心の話を耳にして、にわかに彼の心に感動させて、疲れたことを感じなかった。こんなに慈悲の大修行者は、信者達を接見し終わてすでにとても疲れきっているはずなのに、またこの罪業が深い信者である彼に関心を持って、彼が道場を出て行った後に、体が暖めると感じて、少しも12月の深夜の寒風を感じられなかった。
彼は始めて施身法法会に参加した後、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示された仏法を深く吸引された。彼は心に「リンチェンドルジェ・リンポチェが開示された仏法はとてもいいです。毎週に仏法を聞いても悪くないです。」と考えた。彼は再びリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、毎週日曜日の共修法会に参加する事を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に何故法会に参加したいと聞いたが、彼は言葉を濁して何を言ったらいいうか分からない。リンチェンドルジェ・リンポチェは直接彼に何回か《快楽と痛苦》を読んだかと聞いた。その時、彼は驚いて心に何故リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が一冊があるのを分かっただろうかと考えた。彼はびびって一回を読みましたと返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ「十回を読んだ後、また求めにくる。」と開示された。彼は十回を読んだ後、共修法会に参加するのを求める時、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ「いいです。」と開示された。彼はとても喜んで試験合格のような喜びを感じて、とても奇妙で言えない感覚である。
彼は八回に共修法会に参加した後、心にこのような慈悲な大修行者に従って仏を学ぶべきと考えた。それで彼は再びリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼が法会に参加する回数を計算した後、彼に「私はとても厳しいですよ。そうしてもそなたも皈依したいですか。」と聞いた。彼は「皈依します。」と返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「いいよ。」と言った。何となく彼はとても感動して涙が溢れたそうだ。まるで茫々たる大海の中に導く灯台を見つけるように試験合格ような喜びも再び心に溢れた。
皈依した後、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子及び眷属に対して変わらない慈悲加持を感謝した。彼の妻と娘は段々彼を受け入れて、彼に機会が有って学校拒否の娘を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁できた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に彼の娘にある金剛結びを賜って加持を与えた。娘を指示して必ず身につけなければならない。妻も彼が家に戻って住むことを許した。ある日彼は学校拒否の娘を連れて医師に診察される時、娘は突然に「お父さん、私は学校に行きます。」と言った。その時彼は大賞に当たったように心に「リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝します。」と叫んだ。当日娘は昼で放課後、彼は娘を連れて昼ごはんを食べる時、彼は喜んでナプキンに自分の興奮の感想を書いた。今まで彼の娘は大切にあのナプキンを保存してかばんに入れた。
彼はリンチェンドルジェ・リンポチェがないと、彼と娘は今日どのようになるか分からないと深く分かった。また、彼の娘は好運でリンチェンドルジェ・リンポチェの許可を得て、施身法法会と共修法会に参加した後、DVの陰により起こった頭がくらくらした症状も治った。元々娘の体が痩せて、既に小学校二年生なのに、常にまだ幼稚園だと誤解された。リンチェンドルジェ・リンポチェの加護の下に速めに成長して正常に通学している。既にほぼ一学年で正常に通学していない彼女は前学期で学校が努力賞を受賞された。上師の恩徳は極めて広くて感謝以外気持ちしか持たない。唯努力に精進に仏を学ばないと、上師に恩返しができない。
彼の同僚は顕教に皈依して、今年この同僚を誘って、「阿弥陀仏無遮大超度法会」に参加しました。法会が終わった第二日目、同僚は彼に結晶の透明な物を見せました。同僚は自分の師父の法会に参加した後、法会の現場や家でこの謂われた「法頌舍利」という結晶体を得られた。同僚の師父が「法頌舍利」とは諸仏菩薩は大法会の主法者の功徳を賛嘆して、現れた宝物だと言った。同僚は「阿弥陀仏無遮大超度法会」に参加した後、家でも「法頌舍利」を得られた。此れは諸仏菩薩はリンチェンドルジェ・リンポチェの功徳を賛嘆して現れた宝物なので、リンチェンドルジェ・リンポチェに供えるはずだ。
彼はその中の意味を分からないから、先々週の土曜日(2012年9月1日)にリンチェンドルジェ・リンポチェが信衆を接見する時、彼は同僚と一緒に「法頌舍利」をリンチェンドルジェ・リンポチェに見せた。リンチェンドルジェ・リンポチェはまず同僚に聞いて、大法会の中に助けを得られたかどうか。彼の同僚は「はい。そうです。法会は非常に殊勝です。」と返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは落ち着いて開示された。「法会の中に助けを得たのは重点であり、他は全て副産物なので重要ではない。《金剛経》に万法由心と開示されました。貴方は此れが舍利だと信じれば、舍利だ。貴方は此れが舍利ではないと思えば、此れは舍利ではない。貴方は私に見せる必要ではない。自分がしっかりに納めればいい。大法会は衆生が全て平等ですから。若し私は此れを受ければ、他に得られない信衆はどうするでしょうか。それは分別心です。」
彼の同僚はリンチェンドルジェ・リンポチェが本当に智慧があるのを賛嘆した。リンチェンドルジェ・リンポチェの心に衆生しか考えないが、唯衆生は法会の中に助けを得られたどうか考えて、自分が功徳を得られるかのを一切考えない。彼の同僚は彼がリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できたのは本当に福報があると言った。彼は恥ずかしくて懺悔したが、彼の福報は全てリンチェンドルジェ・リンポチェから貰って、自分が何もしなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは常に丁寧に教えて、弟子に功徳を貪らないと開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェは今まで自分が功徳を得られるかどうかを一切考えなくて、衆生を利益するかどうかを考えている。
彼は懺悔しましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分と自分の眷属のため、大きい心血を出して、最もいいものを彼達に与えて、彼にしっかりに仏を学べた。しかし、彼は教えに従って奉じなくて、常に自分を勝手にさせた。リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に賜って、道場に早晩課をする貴重な機会でも把握できなかった。彼は皈依した後、三回の晩課しか参加できない。第四回は自分の散漫のせいで遅刻して、道場で早晩課を参加する貴重な機会を失った。彼は懺悔して、道場の事に対して、自分の心が集中しなくて妄想をたくましくしたから、確実に信衆として妻に伝えなくて、兄弟子に迷惑をかけた。幸い兄弟子達が協力して説明するから、彼の妻に誤解のせいで口業を作るのを免じた。
彼は懺悔しましたが、自分が公務員として、常にリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て開示された。「公務員は福報を累積するのは速いが、悪業を作るのももっと速い」を覚えなくて、自分が方便に物事をするのを貪って、民衆と同僚の感じを軽視した。常に独り善がりで上司と部下は自分がいないと物事ができないと思って他人を軽視した。彼も常に公文で文章を作って他人を陥れて仕事を逃れた。しっかりに福報を累積する機会をはっきりに把握できなくて却って尚更に多い悪業を作った。リンチェンドルジェ・リンポチェは先週の共修法会に仕事の態度の開示内容に対して、彼は仕事の態度が悪い人である。尚更にやばいのは彼は公務員で、人民の血と汗の結晶をとっても真剣に仕事をしないが、尚更に悪い。上に上師の恩に恥って、下に人民の頼みを無視した。今後彼は常に注意して自分の身、口、意を修正して真の仏弟子に成る。
最後に、彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が健康で、法輪が常に転じて、仏法事業が長く世に伝えていると祈願しておる。
引き続いて、もう1人男の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼に公然と上師の智恵功徳を称賛するチャンスを与えたことに感謝する。また参列者皆にリンチェンドルジェ・リンポチェが彼を助ける経過を分け合った。
前二週間の共修法会の中で、リンチェンドルジェ・リンポチェは申された今年(2012年)8月26日に台北世貿南港展覧館で既に挙げた「阿弥陀仏無遮大超度法会」は会場が広めために、音響の設置はメーカーと弟子の努力の元に、音響のやまびこの事はやはり難しく越える。最後、リンチェンドルジェ・リンポチェのご指示の下、簡単に解決してもらった。
この弟子は大超度法会の中に音響設置の係員を担当して、リンチェンドルジェ・リンポチェはどう大知恵によって、誰も処理出来ない音響のやまびこの問題を解決した事を一番良く分かる。それで共修法会の中にリンチェンドルジェ・リンポチェは音響にかかる問題を言及して、彼に上師の功徳を称賛するチャンスを授けた。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェに呼び出された時、全身はひとしきり涼しいと感じて、頭は緊張するため全く空って、参列者皆に完璧にリンチェンドルジェ・リンポチェの智恵と功徳を報告することが出来なかった。あの時述べた内容は周到ではなかったので、今日法会の始める前に、チャンスをつかんで、法会の参列者皆に上師の智恵、悲願及び衆生を利益する心を称賛し、またリンチェンドルジェ・リンポチェがどう音響のやまびこの問題を解決して、法会を順調で進ませて、法会の参列者にリンチェンドルジェ・リンポチェの珍貴な仏法のご開示を良く聞かせた。
2010年寶吉祥仏法センターは初めて南港展覧館で「阿弥陀仏無遮大超度法会」を催す時彼は音響、視訊及び照明などの関連しているハードウエアの設備の責任者を担当だった。事前にメーカーと各条項に関する細部を検討し、またメーカーに彼の専門の角度より大法会の需求の音響、視訊、照明などハードウエアの設備を配置させる事になった。
彼ははメーカーに大法会の催す場所は台北世貿南港展覧館と説明した時、音響工事を担当する社長はすぐ「南港展覧館で2万人の大法会を行う者はない。」と反応した。それは南港展覧館の空間設計は只各展示するため提供して、視聴設備の必要イベントにとって適当ではない。場所は広いので、音響のやまびこはかなり酷い。南港展覧館の大型イベントを受取る音響メーカーは絶対に損を招く。音響のメーカの経験により、南港展覧館の2分の1の会場でイベントをした時、起したやまびこの問題が既に大変酷かった、まして全会場を使うさえ。音響メーカーは直接正直に言い、こんなでっかい会場で、音響が生じたやまびこは解決出来ない。
彼は音響めーかーに説明して、リンチェンドルジェ・リンポチェの無辺広大な衆生を利益する大悲願ため、毎年大超度法会に参加する信者はますます多くになり、今台北地区には只南港展覧館は2万人の定員で、他の使える場所は本当にない。音響メーカーにこの焼く問題を解決するように願った。
彼と音響メーカとどうやまびこの下げる色んな方法を検討し、例え、やまびこを下げるため館内で吊る幕をかけて音を吸い込むなど。しかし費用はあまり高い過ぎでまた実際の効果を保証出来ないのでやめた。最後に、音響メーカーは商用のコンピュータでラッパの出力及び設置する場所を模擬して、全会場を前、中、後の三つの区域に分けて、それぞれの区域の一番前に、信者に向かう方にラッパを設置した方が一番適当な方法と思った。
1つのSPK(ラッパ)は1種類のやまびこを起こし、全会場は八つのSPK(ラッパ)を合わせて同一の方向へ拡音したら、発生したやまびこは大変酷くなる。音響メーカーはそれの専門知能により、こんな設置は一番妥当だと思うが、やまびこの問題に対してやはりどう仕様も無い。
幸いに、毎回「阿弥陀仏無遮大超度法会」を催す前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは全ての工作組の責任者を呼び出して、各責任者の工作状況の報告を聞き取って、ご指導を与える。リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に何も知っている。工作組の責任者より各項工作状況を知っていて本当に大変すごい。リンチェンドルジェ・リンポチェが聞いた問題は全部各組工作責任者が漏れた項目、或いはあまり周到のない手配だった。
彼の番になり、リンチェンドルジェ・リンポチェに音響に起きられたやまびこの問題を報告する時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の説明図面の上に、手が振って「後ろのラッパは内に向かって約45度の角に変更して設置する」と指示された。また申された:「こうしたらやまびこの問題が解決できる。」。尚、彼に音響メーカーに割引をくれるように要求すると指示された。リンチェンドルジェ・リンポチェは仰った、こうするのは、この方法はリンチェンドルジェ・リンポチェの智恵財産権で、今後音響メーカーは南港展覧館でこの方法によってラッパを設置し続けることが出来て、割引を貰う何で
合理だ。
リンチェンドルジェ・リンポチェはいろいろなところで衆生のために最も適切な手配をしている。この男の弟子は音響メーカーにリンチェンドルジェ・リンポチェの指示を話して、メーカーは6万台湾ドルの経費の割引を同意した。その後、音響メーカーはリンチェンドルジェ・リンポチェに指示される設置の方式により、コンピュータでこの効果で模擬し、結局、音がすべての会場をはっきり聞こえることを発見した。リンチェンドルジェ・リンポチェの智慧は処理し難い音響のこだまの問題を解決するだけではなくて、多くの経費を節約し、大法会を護持して衆生に利益することとした。
「阿弥陀仏無遮大超度法会」の当日で、彼は音響効果を調べるため、法会が始まった後で、会場にあちこちに歩いて、そして、おのおの隅の音響効果を聞いた。一回に回った後、長くて心配している音響のこだまの問題をやっと安心になった。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの智慧にとても感心し、大修行者の智慧が本当に何でもできることを深く感じた。リンチェンドルジェ・リンポチェが指示す方法はこだまを完全に会場の中段と後段の最もそばの歩道に制御して、全部の参列者にすこしの音響のこだまの妨害を受けなくならせて、本当に非常に不思議である。このような見たところ簡単な方法は彼と音響メーカーがどのように考えても考え出していないのである。
リンチェンドルジェ・リンポチェは「リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生に利益する心があるので、この智慧をもらえて、そして、南港展覧館のこだまの厳しい問題を順調に解決することができる」と開示した。これは長年に音響設置の方法を研究する彼に恥ずかしく感じさせて、そして、決心して、今後一層努力してリンチェンドルジェ・リンポチェに仏を学んでいく。
この男性の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェは彼の生命に絶えずに加持してくれて、彼の心を安定させて、及びリンチェンドルジェ・リンポチェに従って8年間仏を学ぶ体得したことを続いて分ち合った。
今年(2012年)1月、彼は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに連れで日本の法会に参加した後、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示したことがあり、日本道場の音響が音響を担当する弟子の以外に誰でも操作できなくて、もし、この音響を担当する弟子が死んだら、誰でも操作できないのでしょうか?その時に、彼の胃腸は余り良くないので、リンチェンドルジェ・リンポチェがこのように言うこと聞くと、彼が妄想を逞しくして、リンチェンドルジェ・リンポチェがこのように開示し、彼の去る時間が繰るかどうかを考えていた。本当に去るのでしょうか?それから、彼の頭の中に、彼が死にたくない考えを起こした。彼は両親がまたいて、妻と子供を世話しなければならなくて、彼は多くの死にたくない理由を見付かった。そして、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの教誨をすぐに覚えて、自分が間違ったことを発見した。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェにすでに8年間に皈依し、その上、皈依した前に、彼は顕教で長年で仏を学んで、ただ彼はずっと錯誤な心構えで仏を学んで、境界を目の前に現れると、彼は自分が仏を学ぶことが間違って学んだ。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェのこの話は彼にチャンスをあって自分の仏を学ぶ心構えを改正させられた。
その頃、彼の胃腸は気分が悪くて、時には水でも飲むと食道が刀にてきるような感じさせて、彼に刀にてきる地獄の苦しみを思わせた。彼は自分の生命のエネルギーが絶えずに消耗し、身体が毎日に虚弱になっていって、また、食事をすることが困難になって、彼は自分が死亡まで遠くなくなると感じる。その時に、彼は本来道場で朝晩課をすることを申し込んだけれども、身体が弱いので、自分が死ぬことを恐れて、だから、組長に朝晩課をキャンセルするかどうかを連絡した。組長は「朝晩課を申し込んだら、行かなければならない、人がすでに死んだのでない限り。」と話した。それから、彼は申し込む時間にて道場に朝晩課をしていって、彼は弱い身体にて朝課をして、帰宅した後、身体がまた支えられて、その後、彼は同じように道場に行って晩課をした。彼は晩課をする時に、身体が弱い程度が真言を唱えることもとても困難で、しかし、急にある暖流を頭から彼らの心を入って、それから、この暖流を段々にこころから全身を拡散し、全身がすべて暖かくなっていって、彼の本来の調子がわるい気持ちがすぐに消えさせて、逆に、自分がまた生命のエネルギーを満たしたことを感じて、本当に不思議だ。彼はこれが全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持だと信じている。
彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した前に、海鮮をよくたべるので全身の調子が悪くてしかも病因を検査するこtができないので、医者は精神官能症にかかることに認定し、その間にはかれは多くの平静剤と抗うつ薬を飲んで、このらの薬の副作用が彼の頭にあまり考えて思うことができないで、ただ何を考えるなら頭がとても痛かった。リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した後で、何回目で、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の傍にへる時に、特別で目つきにて彼加持し、毎回、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの目つきに加持された後、帰宅してから、彼はあたまがまた痛むことを感じて、彼はこれはリンチェンドルジェ・リンポチェが彼に助けて加持してくれることを知っていた。数回目以降、頭痛の状況はますます減っていった。ある日まで、彼は自分が電話番号を覚えていて、電話番号をみると誰のを知られて、これらの現象が彼が思考することが出来ることを現して、また、頭も痛くなかった。
彼は30数歳の時に、ある日にベッドの上で横たわって、彼の息子は窓台から彼の背に飛んで、彼の脊椎を傷つけて、その時に、何も厳重さを感じないで、数日に休んだら問題ないと思っていた。数年以降に、彼の背の傷が現れて、物をもつことができなくて、ただ物を持つならば、翌日に彼の身体が半身不随になって、痛くて着いて向きを変えることができなかった。この事件は彼に深くて体得させて、冤親債主が実は自分の家にいる。
彼は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、リンチェンドルジェ・リンポチェは大礼拝を伝授してから、彼は大礼拝を始めてした。ある日に多くてしたいのに、彼は800回目の大礼拝をして、結局、背の傷が現れて、翌日に、彼の身体が全部麻痺して、向きを変えることができなくて、まったくベッドを離れることができなかった。彼は依然として努力して大礼拝をして、自分の身体を何を問題があることを気にしないで、大礼拝を続けてしてから、段々に、痛みの状況を次第に改善をもらった。いつから知らないで、彼の背はもう痛くなくなって、かれもいつから良くなることを気がついていなかった。ある日に、彼はボランティアを勤めて、物を持ってあげて、結局、翌日に、彼は昔のようにベッドの上で麻痺することがないで、普通な人間になって、完全に問題が無かった。これはすべて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しなければならなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と功徳と我々に与える加持は言語で形容し難いのである。
彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した以降に、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に仏法を修行することを教導するだけではなくて、弟子達の眷属も世話してくれることを深くて感じられる。今年(2012年)1月以降、彼に徹底的な反省させて、自分の仏を学ぶ心構えを変らせて、これは本当にリンチェンドルジェ・リンポチェが彼に与える殊勝な加持である。リンチェンドルジェ・リンポチェがすることは本当に衆生に利益し、彼は自分がこれから衆生に利益する心構えにて如何なることをすることを励ました。皆はとても幸運で、数百年に見難い大成就者のリンチェンドルジェ・リンポチェに会えて、本当に大切しなければならなくて、教法によりしっかり実行し、彼は皆と一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェの教法により修行することに従うことを励ましあって、浄土がみなを待っている。
引き続いて、参列者も正座して法会が終わるまでになった。
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2012 年 11 月 10 日 更新