尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年3月4日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催されて、参与者を引き連れて六字大明呪を唱えた。

法会が始まる前に、先ずはある女子弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を救って彼女を助けた経過を分かち合わせる機会を恩に着た。この弟子は婚姻問題のため、35年間も家を離れて、いかなる身分証明書を持っていなくて、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した後に、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従って海外へ法会に参加にとても行きたいが、しかし、身分証明書もパスポートも無いから、参加することができない。

2006年の尊勝なる直貢チェツァン法王の60歳誕生日に、リンチェンドルジェ・リンポチェは500人の弟子達を連れてインドへ直貢チェツァン法王のお誕生日をお祝いしに行くのであるが、彼女はとても行きたいが、しかし身分証明書がなくて、その故リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに行って、四回も行ったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に接見しなかった。第5回行った日は、気温がとても寒くて、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女が扉の外で立っていることを見て、特に、もう一人の弟子が彼女に隣りの喫茶店まで行ってそこで待って、風に当たって風邪を引かないでくださいと伝えるように言いつけた。

当日尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に接見して、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに自分の過ちを懺悔して、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェに彼女が身分証明書がない問題を解決してもらうように祈請して、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に、「自分が間違ったことを知っているから、これから再犯しないでください」と警告して、証明書の問題については、ただ彼女に誰かを探して助けると教えたのである。

この数十年以来、この弟子の娘は彼女の身分証明書の問題のため、政府の多くの関係部門に聞いても、結果が何も出ないが、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に誰かを探して助けるように指示した後に、意外にもお手伝いに来る一部の人が自動的に現れて、3時間で手続きを済ませて、4日後に身分証明書をもらった。彼女に悩ませた35年の問題をついに解決した。彼女はすぐに祥楽旅行会社に依頼して、パスポートの手続をしてもらって、すぐ直貢チェツァン法王のご誕生祝いのツアーを申し込んで、そして2006年に外国に行って、リンチェンドルジェ・リンポチェの出関を迎えるツアーに参加して、その後の海外の法会は彼女がすべて順調に参加することができる。もしリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と助けが無ければ、彼女は永遠に身分証明書を取れないのである。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに非常に恩に着た。

去年9月中旬、この弟子はチベットのツアーに参加して、チベットの直貢梯寺まで聖地巡礼することができて、全然高山病がなくて、しかも直貢梯寺の金頂に上って、無事に行って無事に帰ってきて、これはリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と加護のためである。彼女は83歳の高齢であるから、大胆に彼女に行かせる旅行社が一社もないと思っているが。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝する。

彼女はもともと2002年に亡くなるであろう。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女が今まで生きていることを加持して、そして彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学んで修行することができるようにさせて、非常に感謝する。

彼女はこう発露懺悔して、小さい時に川の中で魚、蝦をすくい取って家に持ち帰って食べたことがあり、若い時に他の人の家の竹を盗んで柴として火焼したことがあり、ミミズを掘って鶏、家鴨に餌をやって、鶏、家鴨を飼って、自分の手で殺して食べたことがあり、そして嘗て自殺したことがあり、他の人に子犬を川の中に捨てて溺死するように協力したことがあり、彼女は彼らがすべて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに済度されることを得ることができるように望む。

彼女は自分が生きている間に、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学んで、修行することができるように期待する。最後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達のために旅行会社、漢方医診療所を経営してもらうことに恩に着て、祥楽旅行会社の細かな配慮に感謝して、漢方医診療所の医師、看護婦の治療とお手伝いに感謝する。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは御身体が安康で、常住在世で、仏輪を常に転ずよう祈願する。

続いて、ある2011年9月11日に皈依した弟子は皈依の過程及び最近発生した事を報告した。

2011年始め、彼女は人生に次の十年のことを考えている時、3月に日本で311東北大地震及び津波が発生した。災難が発生及び災害の悲惨な画面を見ながら、彼女に人の命の弱さと世間の事が無常で永遠に変わらない人、物事がいない。だから、彼女は決心して、未来の十年は必ず昔の十年と違って、自分は主動的に出来る事をきめて、受動的に知らせたくない。尚更に多くの人を助けたい。更に始めてこのような考えに従って、関連の手配を実行する。例えば、上司に仕事の内容及び退職のことなど相談した。

実は四年前から、彼女は毎年リンチェンドルジェ・リンポチェが主法する「阿弥陀仏無遮大超度法会」を参加していた。当時リンチェンドルジェ・リンポチェはとても特別だと感じた。2011年6月、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが主法する祖師ジッテン・サムゴン記念法会を参加して、昔と違う感じをした。リンチェンドルジェ・リンポチェが法席で開示したのは人生の教えだと思ったから、リンチェンドルジェ・リンポチェの日曜日共修法会に参加したい。

彼女は始めてリンチェンドルジェ・リンポチェの前に跪いた時、頭が空白になって、前に準備して言いたい話は一語でも言えなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェに何故法会に参加したいと聞かれると、彼女の回答は「リンチェンドルジェ・リンポチェの法会に参加すれば、いい感じだと思ったから。」「感じ?」リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を見て、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェを見ながら、頭が相変わらず空白になった。長く経ったそうだと感じたが、また数秒間しかいないが、無理に「平静」と言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された。「平静になりたいなら、海を見えればいい。」リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に家に帰った後しっかりに考えさせて、何故法会に参加する。それでその後一ヵ月半に彼女は五回にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、法会に参加する事を求めたが、第五回目の時リンチェンドルジェ・リンポチェはやっと彼女に日曜日共修法会及び皈依を同意した。

彼女は正直に言ったが、彼女は帰った後考える時期に法会に参加する事を諦めるのを考えた。始めて理解できないが、何故自分が他の人と同じように事故があるから、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを求めて法会に参加しないだろう。何故法会に参加できないだろう。答えを探す時、彼女は止らなくて《快楽と痛苦》という本及び寶吉祥仏法センターの公式サイトを見ていた。暇がある時、止らなくてこの事を考えていた。第三回目に失敗した後、心に法会が参加する縁が無いだろうと思った。しかし、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝したい。それは考える過程に彼女に仏を学ばせたく、法会に参加するかどうかを問わず、彼女は必ずこの事を実行するのを確信した。

それで第四回目にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する時、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに法会に参加したい原因を報告した。この前に彼女は唯外へ頼りを求めたいが、実際は仏を学ぶ事は自分の心から変える。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、自分にこの事をはっきりに理解させた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に頷いて、此れは大した事ではないから、遠慮しなくてもいいと言った。それで始めて彼女に聞いて、仏を学んだことがあるかどうかなどを聞いた。最後彼女に両親に法会に参加する事を報告するかどうかを聞いた。彼女は頭を振った。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、自分が大人になったから、両親に言わないと考えないが、両親は同意するかどうかは別だ。最後リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に急がないで、リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ死んでいない。彼女は頷いて離れたが、両親を話した後再びに請求できると分かった。

続いて彼女は最近に発生した事を報告した。この前に彼女は先に二人の兄弟子に感謝したい。一人は皆を協力して経典を借りる出家兄弟子だ。もう一人はこの間に脳卒中になった兄弟子だ。上師に具える因縁があるから、皆にリンチェンドルジェ・リンポチェが死亡に関して殊勝な開示を聞かれた。勿論此れは全て尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を感謝しなければならない。2月始め日曜日の法会にリンチェンドルジェ・リンポチェは法席に開示されたが、「そなた達の心は氷のように冷たい。」彼女がとても懺悔した。自分の周りに発生した事に対して無関心だから。彼女は以下の通りに自分を反省した。1.経典は如何なる入手したのを考えなかった。経典を貰って唱えるのは当然なことを思った。2.殊勝な開示を聞こえるのは尚更に当然なことではない。様々な因縁を備えないと無理だ。3.あの日曜日の法会の前に彼女は既に二回に二時間の晩課を参加したが、若しリンチェンドルジェ・リンポチェの言葉「そなた達の心は氷のように冷たい。」を聞かないと、彼女は自分が兄弟子の話に従って晩課を行って、これ以上聞かなくてもいいと思った。若し関心を持たれれば、晩課を参加する気持ちが違う。4.当日の夜家に帰った後、絶えずにリンチェンドルジェ・リンポチェが仰った「そなた達の心は氷のように冷たい。」と思い出した。引き続いて、突然に3日間前の朝に起きた事を思い起こした。急いで出勤しようとして、彼女がバスの停留所に着くと2人の男性が廊下で喧嘩するのを見た。あの頃心の中に十分恐れてバスも待たずに急いで現場より離れて、何もしなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェが仰った「そなた達の心が氷のように冷たい」と思い出して、これは自分の事を申されるのではないか。早朝の街には誰もいないのに、彼女が見た後、警察を呼ぶさえも手伝わなくて逃げてしまって、万一2人が傷ついた或いはもっと酷くなるならばどうするか?あの時、彼女が非常に悔しくて、この2人様に大変済まなくて、更に自分の心がどうしてこんなに冷たくて氷のようだと懺悔した。仏を学んで衆生と「善縁」ではなく「悪縁」と結んだ何で!数日後、MRTを出たばかりところに、隣のレストランの前にある青少年が喧嘩したり追いかけたりするのを見た、今回は勿論疑い迷わなくて110番をかけて警察を呼んだ。

法会に参加し始めて皈依してから今まですでに六ヶ月に満ちて、彼女は大変上師、諸仏菩薩及び衆生に感恩して、彼女にチャンスをあらせて、この一生に金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。

引き続いて1人の女弟子が慈悲な金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩して、彼女に公開で発露懺悔と上師を賛称するチャンスを与えさせて、またリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の長女、父親と自分を助けた経過を分け合った。

彼女の長女は2003年11月リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。その縁起は2003年の春、長女が大学試験を受けるため、夜に勉強して、昼に寝る事になって、彼女も仕事で忙しくて、家に帰った時娘が寝ていて、夜中に娘が起きて勉強したが、成績が返って本来の水準の半分になった。ある日娘が彼女に自分が既に二週間も寝なくて、漢方医者、西医者を見てもらって、安眠薬、鍼灸、アロマセラピーをしても眠れなかった。彼女の娘の後ろに鬼が付いてるを言う者がいて、その上、彼女の娘が人の心霊と繋がる事が出来ると言って、彼女らが幾らの神壇、宮廟へ行って伺い始めた。あるは何回法要をした後如何仕様もないと言った。その中に二万元がかかって効くかどうか保証出来ないのも一軒があった。

あの時期で夜中になると長女が1尊の観世音菩薩仏像の前に跪いて泣き、ある日の夕方娘が多くの安眠薬を飲んで自殺した。本来家には誰もいないが、幸いに彼女の末っ子があの日風邪を引いて早めに家に帰って、姉さんが吐き気を催すのを見て、すぐ彼女と夫に知らせて、急いで家に帰って長女を病院に運ばせた。医者さんは彼女の娘を精神分裂症と診断した。彼女と夫と順番になって娘のお世話をして、自殺考えは事前にお知らせくれないから。

彼女のある同僚は良く彼女に皈依した上師―リンチェンドルジェ・リンポチェの済度事蹟を言って、彼女も家族に言い伝えた。この同僚は彼女にリンチェンドルジェ・リンポチェが挙げて、ドラブ・ワン・リンポチェが主催の法会に参加するのを誘った。彼女と娘と二番目の姉さんと参加して、長女は午後に主動的にリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れるのを願った。土曜日リンチェンドルジェ・リンポチェに伺う時、リンチェンドルジェ・リンポチェは憤怒尊を現れて、呪文を唱えて彼女の長女を加持して、それに、彼女の長女に金剛結を賜って、彼女が良くなると仰った。そうして彼女らは施身法法会に参加するのを申し込んだ。前、彼女は手伝ってくれて礼金を受け取らない修行者を見た事がないのに、翌週に皈依することを願うのを決心した。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ承諾してくれなくて、彼女を観察する必要と仰った。

彼女の長女は最初法会に来る様子が痴呆で涎で、目を上について、唇が硬くなって、寝られなかった。法会に参加してリンチェンドルジェ・リンポチェの教導によりする事に従って、状況を改善した。彼女達は11万回の大礼拝を終わって、また、2005年チベットに聖地を巡礼した後に、状況がとても良くなっていて、彼女達は病気が全部直していて、薬を飲まないで、教導によりしていないで、ある日、彼女の娘が突然に自殺した。その時、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達が教法により従う事をしていないので、皈依弟子を接見していないで、だから、皈依していない主人に替わってリンチェンドルジェ・リンポいぇに謁見して行って、その故に、彼女の主人が2006年に皈依の因縁を造った。

彼女達はまた続いてリンチェンドルジェ・リンポチェに従って国外に向いて尊勝なる直貢チェツァン法王に謁見する行程に参加し、福報を累積し、状況がまた立ち上げる事が出来た。2008年、リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝な直貢チェツァン法王を要請させて台湾に来て、彼女が尊勝な直貢ェツァン法王を恭敬な迎えるその夜、彼女のモーターバイクを滑って転んで、重い報いを軽くて受ける事で足の傷にて交換した。

足の傷害は健康保険がある中西医で治療し、鬱血がなくならなくて、医者は恐らく手足の切断手術をすると言った。もう一人は重大な交通事故をあった事があって、リンチェンドルジェ・リンポチェに救われた兄弟子が彼女に寶吉祥漢方医診療所で治療する事を薦めて、一日に鬱血がばらばらにした事を思いきや。本来薬布を貼って2時間後痒いで発疹が起きて、寶吉祥漢方医診療所の薬布を10時間に貼ってもまだ痒いことがないで、リンチェンドルジェ・リンポチェが病苦の衆生の為にこの診療所を開くことを本当に感謝した。

今度の交通事故なので彼女が反省して始めて、このように長年に仏を学んで、何故交通事故が起こったか?なぜならば、彼女10数年の仕事をして、旅行社に保険をして、一部の国内のツアーの旅行社が彼たちに偽の領収書を作らせて旅行社に請求し、同僚と会社がずっとこのようにして、これが取引先にサービスするだと思っていて、これが違法だ思った事がない。その時、彼女はその仕事を離れたくて、本来給料が悪くない仕事を放棄した。いま、生活がちょっと清貧で暮らしているが、長年間に不当な利益をもらう業を返済している。

彼女はかつて大売場に多くの落とし穴を設定しネズミをつかんで賞金を交換して、先生にお湯をネズミを死ぬまで焼けて、、ゴキブリ、蚊を打ち殺して、海老、蛎を生きていて冷蔵庫に入れて、その結果関節が痛い苦しみに耐える。かつて、父は彼女に如何なる動物を食べられる事を教えて、その上、彼女の父がまた1匹のびっこの犬をつかんで殺して食べたことがあって、彼女もすこしを食べて、彼女は父に代わって懺悔し、彼女は教法により従わないので、家族が仏法のよいと感じら無かった。彼女の父は2月29に去って、その日にリンチェンドルジェ・リンポチェの済度を求める因縁がないで、本来リンチェンドルジェ・リンポチェが信者を接見するメッセージを貰った事がなくて、この数日間いずっと不安に暮らしていた。昨日3月3日に父に代わって500回の大礼拝をして福報を累積し、5分後にリンチェンドルジェ・リンポチェが信者を接見する通知を貰って、本当に不思議である。

彼女は土曜日に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見し、父に済度して浄土に往生する事を求めて、慈悲深く上師がすぐに父の為に修法して神識を保護し、父に三悪道に落ち込ませないで、本来不安な心が此処に放れた。とても感謝していて、また、長年に仏を学んで性格と貪欲がなた改正していない事を懺悔し、これから、彼女が教法に従って行って、自分の心をしっかりみて、リンチェンドルジェ・リンポチェに彼達に心配させていないで、その上、兄弟子たちに例を挙げた。

最後、彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに仏法を長くて世に留まって、十方の一切の有情衆を利益する事を求める。

リンチェンドルジェ・リンポチェは法席を上げてから、参列者を率いて六字大明咒を長くて唱えて、すべての法会に参加する信者と皈依弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェに跪いて礼拝して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、その上、リンチェンドルジェ・リンポチェに法座をおりる事を恭しく見送った。

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2012 年 03 月 31 日 更新