尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示
2011年11月20日
台北寶吉祥仏法センターで、信衆と弟子達は恭しく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが2010年12月19日に開示された仏法の録音を聞いた。
法会が始まる前、ある男性の弟子は全家族が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得た経過を報告した。この弟子は2003年1月11日に皈依した。彼の父は2005年から引き続きにリンチェンドルジェ・リンポチェが主法する施身法法会、日曜日共修法会及び毎年大法会を参加していた。
2005年全家族は彼の結婚の事で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに教示を諭すのを求める時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の父は胃が悪いと開示した。更に加持を与えた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェも何回も父に始めて仏を学ぶべきと言った。しかし、業力の現れなので、病院は今まで父の問題を検査していなかった。だから、気持ちが悪いと、唯胃にガスがたまることと思った。父は40余りキロ痩せたまで2007年9月に再び検査を手配した。その時父は既に胃癌末期になって、尚更に多くの所に転移された。
当時病院は嘗て手術を手配したが、彼の父は手術前後の間に色々な苦しみを受けた。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩の加護で、父は手術を受けた状況はとても順調で余り苦しくなかった。入院と手術の間に彼達は何回も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、父が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を得て欲しかった。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て彼達に聞いて、何故父は自ら来なかったか。息子達は全部揃えていたか。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示したが、父を助けるのは加持よりいい。また彼達を訓示して、必ず交換する心で祈れない。
彼の父が入院する間にこの弟子は唯尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩しか父を助けられないと分かったが、如何なる父を助けてこのような因縁を累積させないのを分からない。その後他の兄弟子の話を聞いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示したが、早めに福報を累積する方式の一つは供養である。その時彼達はすぐ決めて、父を代わりに供養して欲しい。彼達はこのような心を起した後、全ては変わった。元々彼の父は毎日数百CCの肋膜積水が消えた。だから、彼達全家族は障碍を除いて、一緒に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼して供養した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェも慈悲に父を助けて加持した。また、その場両親も意外に皈依を求めた。長年以来、彼達はいつも心配したが、如何なる両親に仏法を接近させるが、事情はこうして変化した。
2008年1月6日、彼の父はようやく願いの通りに、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。当年5月に彼達は一緒に日本道場の周年法会を申し込んだ。しかし、申し込んだ後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示したが、父の心は間違いから、父に台湾に残して休養させた。当時母は嘗て介護の問題を心配したが、父はかえって母を勧めて、申し込んだら、必ず行き、自分が自分を世話できる。リンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な教法は両親に単独で自分の人生を考える機会を与えて、両親に懸念を減らせた。此れは全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を世話する方法である。
退院から5月まで、病院は三度父に化学治療を受ける事を要求した。この件のため、両親は兄と再びに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、また元々日本に行くつもりの旅費を供養として連れた。この弟子の父は自ら尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに報告して、医師は自分に化学治療させる事を要求して、尚唯三ヶ月から四ヶ月の寿命しか残らない。しかし、自分がリンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩を信じるから、化学治療を受けないと決め、引き続きにリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏法を学んで欲しい。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示した。「貴方は今歩けて私に会えた。他人を見て、このようないい状況があるわけではない。早めに福を享受する事おめでとう。私はまだできなくて、引き続きに苦労しなければならない。」更に父に聞いて、仏法は彼の心に頼りを感じたかどうか。彼の父は「はい。そうです。」と返事した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに開示したが、彼の父にポワ法を得させる事を同意した。しかし、父に毎日アチ護法を祈らなければならない。その時彼達の震撼及び感謝は本当に言葉では形容できない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこのような慈悲で苦労に全ての衆生を助けて、全ての弟子達を世話していた。その後、彼の父は状況は安定して、自分がバスに乗って漢方薬診療所に診察を受けられた。漢方薬を飲んだ後、父の顔色と体力は明らかに改善した。この時に彼達は始めて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは漢方薬診療所を経営する苦心を体得した。彼の父の肉体は相変わらず痛んだけど、完全に癌末患者の心身の苦を持たず、水腫もなし、号泣せず、体も不自由ではない。此れは全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが殊勝な加持である。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持とご開示のため、彼らは見た、父親は毎日毎日が変わって、それに自分の病気、冤親債主を直面するのが出来はじめて、また病苦を耐える事も出来て、文句をしなくて、彼らに悲しむと恨むのを現ることがない。その後、父母親はもう一度尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、彼の父親に安心させて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは既に彼の子女のお世話をして、この一生も父親の世話を見ると申された。
彼の父親は往生する前金曜日の施身法と日曜日の共修法会に参加した。土曜日リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れた時、父親は堅持で、跪いて頂礼して、懺悔と感恩を表した後、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェにポワ法を願った。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲で承知して、また彼の父親に毎日アキ護法に求め必要と知らせた。同時に、彼の父親に一切下ろさなければならないと開示された。続いて、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で、呪文を唱えて気を吹いて彼の父親を加持した。8月22日施身法法会後、彼の父親がもともと腫れて硬い腹部は排気、排水と医療行為をせず下に、完全に原状に回復した。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェがもう一度彼らに仏法の偉い示現を見せた。
彼の父親が往生する前にリンチェンドルジェ・リンポチェが生死大事法のテープの中に申された現象が現れて、それにますます明らかになった。彼の父親はとても弱弱しいと見えて、それに、何時も目を閉じて休んだ。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持で、彼の父親の意識が何時でも大変はっきりしていて、リンチェンドルジェ・リンポチェと自分の法名が知って感恩する。リンチェンドルジェ・リンポチェの全ての法会に参加するのを堅持して、それに家族皆が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して正法を聞く因縁があるように望んだ。その後、彼の父親は段々弱くなって、対話の返事もますます少なくなったが、何時でも絶えずに自分が付いている翡翠観音を掴んで、或いはリンチェンドルジェ・リンポチェの法名を話した。彼らはリンチェンドルジェ・リンポチェの法の写真を父親に見せる時、彼の父親はそれを強く掴んで、自分の額に置いた。この弟子の父親は8月27日の朝に往生した時、両手は胸と腹部に置いて様子が大変安祥で、まるで寝たみたいだった。彼の父親は往生した前、嘗て黄疸の現象のため、顔色と目玉が黄色になったが、往生したばかり時、顔色と目玉が既に正常な色に回復した。同時に、彼らもリンチェンドルジェ・リンポチェの教えにより、静かに仏号を唱えた。
9時過ぎて、相弟子は彼らに先ず父親の頭のてっぺんを触ると言いつけた頃、既に額の温度と明らかに違ったと発見して、また、凹で小さい穴があったと感じた。あの時、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法終了とのお電話がまだ受け取らなかった。10時07分、彼は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが修法終わりとのお知らせ電話があった。その後、彼らはまた父親のお体を見に行って、今回は1本大変同じではない頭骨を探った。ある1本はとても明らかに凹んで、頭のてっぺんの温度と額のとやはり明らかに違った。葬儀屋に着いて父親を鉄の担架に換えた時、彼の父親の手腕が相変わらず非常に柔らかかった。
午後、彼らはリンチェンドルジェ・リンポチェに感恩する時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと仏法が殊勝な示現は彼らが全く想像出来ないのをはじめて分かった。実は彼の父親は金曜日の施身法法会時、既に時間になったが、彼の父親は去らなかった。父親は家族に躓かれて、それに、リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を説くのをまだ聞きたいので、離れなかった。彼の父親は往生して、ポワ法がまだ貰った前、頭のてっぺんの温度が既に同じではなく、最後の一刻までずっと尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大加持力の保護を得た。彼はありがたく、世間に1人父親の世話があって、一層ありがたいのは法界には1人父親があって、絶えずに全ての衆生と自分の世間の父親を助ける。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ、アキ・ドロルマ、歴代上師と諸仏菩薩の加持のしたに、彼らは父親の身より多くの事を見た。
彼の父親は、癌の末期になったのに、積水、水腫がなく、お医者さんさえも全部不思議と思った。彼らも1人伝統的、頑固な父親が深くて厚い信心のある弟子に変わるのを見た。父親の病のため、彼らに人生の苦しさと仏法の殊勝を一層体得が出来させた。懺悔、敬う、信心と供養の大切さもはじめて了解した。彼は深く感じた、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲で、衆生に対して無私に接するのは、まことに言葉で表れる事が出来ない。彼の父親の病で、彼らにリンチェンドルジェ・リンポチェと仏法に対して一層な深い信心を有らせて、それに強烈な出離心が生じた。彼の兄も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲力のため、2008年11月2日に皈依した。
そして、この弟子は下記の事を分かち合った。彼は子供から呼吸道がずっと良くなくて、常に病気に罹ったので喘息性気管支炎にかかって、その後、さらに慢性鼻炎、副鼻腔炎、鼻の隔膜の曲る(*Nasoseptal deviation)、喉頭炎等の問題があった。皈依して菜食して漢方医で養生していて、呼吸の異音と行き詰っている状況が既に数年間に発生した事が無かった。今年の十月の初め、彼は身体と両手がだるくて痛い事と感じていて、最初、靱帯が粘る古い問題だと思いきや、気にしないで、却って精神がとても良くて、仕事をして一日中に尾休む事が要らなくて、その上、とても早くて起きられた。
彼は自分の身体が良くなる事が得意になっていた時に、11月11日から熱が出る感じがあって、また早めに回復する事が出来ると思いきや、状況が持続的に悪くなって、症状が高熱を出す事を下げられないで、喉が痛くて、体がだるくて痛くて、後頭部が痛くて、ひきつけのような状況を引かせて、考えがリラックスすることができなくて、寝られない事になって、その上、痰の中に血があった。それから、漢方医診療所に行って薬を持って、食べてから熱が下がったけれども、薬の効果を過ぎるとすぐに続けて熱が出てひきつけをしていた。11月5日の朝に至って、体力が殆ど使い尽くすと思っていて、タクシーを乗って病院にいってしまった。この4ヶ日間に、幸い尊きリンチェンドルジェ・リンポチェとアチ護法の加持があったので、彼が虚弱したが、精神がいつもとても明らかだ。病院に出発する前に、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェが与えた恵みの甘露丸を飲んで、その時、甘露丸が清涼感に従って喉から胃部まで届く事と感じた。
病院に着いた後に、医者も病状を知らないで、先にすべての全効性のステロイドと抗生物質を注射して、そして、脳膜炎に罹る事ことを心配して、彼を腰椎穿刺の検査をする事に賛成させることを望んだ。その時、彼は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を随時にもらえる事を思っていたので、検査の必要がないで拒絶した。10時ぐらい、彼らは転院の決定をして、病院に離れる前に、兄弟子からの連絡をもらえて告知して、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は彼が副鼻腔炎の病史があって、今回上に移したので、今回の病状を招いて、医者さんをこの方向に治療を行わせたのである。この弟子は「教えによりしっかりしないで、このような小さいな事でリンチェンドルジェ・リンポチェを心配させた」と懺悔した。
この弟子が入院した後に、医師は直ちに気力にて抗生物質を採用して治療を行って、そして血液の育成をした。当日は土曜日で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはいつもと変わらないで道場で衆生に助けた。午後8時ぐらい、彼は道場に駆けつけて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝したかった時に、兄弟子が伝える事を耳にして、リンチェンドルジェ・リンポチェが信者に開示した時に、「朝、ある弟子の命を助けさせた」と気をつけないで仰った。その場で、彼は自分が余りに甘い過ぎて、余り独りよがりで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けと慈悲がないならば、彼がリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏法を学んで続ける事が出来なかった。
その後、彼の状況は益々安定になって、ついに5日間の後で退院した。同時に、インドの法会ツアーも出発し、が、何日を経て、リンチェンドルジェ・リンポチェが国外でまた彼の身体の状況を尋ねて、その場で、彼が頭が空白まみれを感じて、ただ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生及び弟子への広大な慈悲心を感じていて、その上、無比な恥ずかしさも感じて、ただ、自分が普通にただ加護を求めて自分の行為を改正しなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェをもっと広大な衆生の体力に消耗させた。
その後、マイコプラズマ(*mycoplasma)の感染をした後で、彼はサイトでちょっと調べて、全ての典型的な状況を殆ど出現する事を発見し、しかし、ただ少数の病例が脳部まで移転した。彼は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲心に真に賛嘆しなければならなくて、実際で修めて証させるリンポチェと大医王で、彼も同時に医者兄弟子の豊富な経験に感謝し、病状に対応していて治療して、彼を回復するのが迅速にならせた。最後、この弟子この期間で自ら反省する収穫を分かち合った。11月3日に熱が出て、11月4日の夜まで、彼は「おかしいな、自分が何故リンチェンドルジェ・リンポチェを観想しないか?2日間まで観想して始めて、その上、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと道場の様子を極めて完璧な考えられなかった」と考えていた。最初、ただリンチェンドルジェ・リンポチェが前月に脳卒中の兄弟子の例を開示した事を考えて、が、自分が徹底的な懺悔が無かった。彼の父が病気にかかってから往生していた時に、彼は自分を無常を常に考えている事を注意させて、しかし、今回、病気に罹ったが、自分が亡くなる事と感じなかった。この長くて皈依しても、基本的な工夫さえも出来なくて、真に懺悔しなければならなかった。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは全ての衆生に対する助け、彼の全家族と彼の世話に対して、ただ感謝して再び感謝した。この弟子は自分の一切の悪念と悪行を再び点検して改正しなければならなくて、とりあえず、言う事を聞いて、投降して、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの家族の恩徳に背くことが出来なかった。最後、彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに再度感謝し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと尊勝なる直貢チェツァン法王が身体が安泰で、仏法事業を盛んで、直貢噶舉派の教法が一切の衆生に輪廻を解脱する事を助ける事を望んでいた。
リンチェンドルジェ・リンポチェは、前回の法会に、リンチェンドルジェ・リンポチェが心の体性を開示して、そなた達は聴いてから心の体性を証悟できないが、そなたの未来に作用を起させる。仏法以外の他の宗教は、修める事が意識と言う事であり、天道を修めて或は神になることを修めることができるが、やはり意識の上に修めるのである。ただ仏法だけが心性を修める。意識は変動しているから、縁によって生じて、縁によって滅して、永遠に存在する事が出来ない。然し、仏は心性が自然に生じて永遠に変わらない事を発見した。リンチェンドルジェ・リンポチェは前回の法会に心の本質が斬っても断たない、阻んでも止めない、破っても壊れない事を言及し、此の三つの特性を経由して心の作用と存在をはっきり解釈した。
釈迦牟尼仏陀は49年間仏法を説いて、その内の《大般若経》の《心経》は心の特質を説く経典の中の最も重要な一つであり、然し、そなた達は読んでも簡単に理解出来ない。現在、そなたたは仏法について一つ最も厳重な問題が存在して、此れは如何なる世の中の学問或は科学儀器にてそなた達に心の存在を見せる事が出来ない、ということである。心は何処にあるのか。皆は回想してみて、自分が嬉しい時に、此の感じが脳部になくて、悲しい時に、涙を流れたり脳部が膨れるのを感じたりする事を除いて、その悲しい感じが脳になくて、却って胸の二つの乳房の真ん中にあり、つまり心の所在である。そなた達は帰ってから、リンチェンドルジェ・リンポチェが私達と心を話すと言わないでください、このようにすると、他の人に誤解されるから。
現代科学の観点から見ると、人々が行為、思想があるのは、脳部がメッセージを身体の其々の細胞に伝えて、科学者はただ脳細胞が電でメッセージを伝送し、更に身体の各部位に命令を聞いて動作をさせる事しか知っていなくて、然し、リンチェンドルジェ・リンポチェは「現代医学は脳細胞が何故メッセージを生じるかという事を解釈できるのか。」と言う質問を提出した。ある医者とする弟子は下記のように答えた。現代医学はただ脳に電波がある事だけを知っていて、睡眠と恐れの時に電波が変化を生じるが、然し、思考活動を進行する時の状況を知らなくて、核磁気共鳴画像法の技術により、ただ情緒が変化する折に、脳部の血がある所に集るが、然し、人によって血を集る部位も違って、脳部細胞が何故メッセージを出すかという事が全然知らない。
リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて開示して、仏法が最も進歩する科学であり、未来になっても、心のエネルギーの変化を計る事ができる科学儀器はありえない、世間法が心の問題を解決できない、唯仏法だけが出来る。心は探究出来ない能量の中にあり、衆生の一切の動作と思想を生じる事について仏法の中で解釈があり、此れは外在の眼、耳、鼻、舌と身の影響を受けて、意識を生じて、意識が反応を起こして、そして心の能量を変化させて、脳細胞がメッセージを出してから、更に更に身体の各所に伝える。我々の眼で見たり、耳で聞いたり、身体で感じたりするのはすべて、「因縁和合」により生じる現象であり、然し、心は「因縁和合」により生じる産物ではなくて、生まれ付きであるから、無始以来から存在するのである。
仏法曰く「無」とは、ない事を指さないで、却って「空性」の境界であり、つまり「因縁生滅法」である。「無始」とは、開始がない事を指さないで、若し開始が無いならば、完了もないのではないか、ここに指すのは因縁により生じることであるが、然しどの位以前なら、難しく形容して、心性が如何に生じるか、リンチェンドルジェ・リンポチェが前回法会に開示されたように、十地以上まで証得できる菩薩が知ることができる。リンチェンドルジェ・リンポチェも知らない、直貢噶舉の祖師ジッテン・サムゴンのように十地菩薩をもう証得してから始めて知っていて、だから、そなた達が探究が要らなくて、ただ仏が我々に説くのは必ず真に存在する事だけを信じていて十分である。仏法を学ぶのが実は極めて簡単で、素直に従って、仏は我々に「不妄語」の戒律を守って、だから、仏は我々に騙される事をしない、そなた達は現在悟らないが、ただ仏を説く事を信じている事がもう十分である。
衆生は有情衆と無情衆に分けて、仏は一切の有情衆生が共通の特質があり、それが仏と同じ心性がある事を発見して、だから「万物が全て仏性がある」を言って、その故「如来蔵」とも称す。更に無情衆生は例えば石、木等、仏性もあり、ただ各々の因果業力が違い、真に仏を学ぶ者が衆生の経済能力と地位高低の故で分別がある事がない、ただ因果により見える。仏性を具える意味とは我々が前に説いた予測不可の能量を具えていることである。だから、すべての衆生が仏に成る条件を持っていて、ただ各々の業力と因縁が違うので、未来仏に成る時間が有る程度差異があり、だからこれを傷害されない。これにより、そなた達は衆生の肉を食べられるのでしょうか?多くの人々は木も感情があるし、音楽も聴かれる事を弁論し、これらの弁論がそなた達が参与する事が要らない。
有情衆と無情衆の違いとは、欲望の軽さと重さにより区別し、欲望が微かな衆生が無情衆を呼ばれて、有情衆が目、耳、鼻、舌と身の方面の需要がより多くて、欲望もより強い。厳格的に言えば、我々は野菜でも食べられない、しかし、しょうがない場合に無情衆を選んで食べていく。地球に居たら、多くの生命を傷害する事を避けられない。我々は菩薩に「覚有情」を呼ばれて、これは自心本性を既に悟る有情衆である。仏は菩提木の下で仏に成った時に、衆生が皆仏性を持っているが、何故衆生が仏と同じように覚悟する事が出来ない事を理解出来なかった。これは衆生が「貪、瞋、痴、慢、疑」の汚染を受けて業力を絶えずに生じて、だから、自分の仏性を気付く事が出来ない。仏は自分の仏に成る方法と経験を皆に教えてくれて、我々は仏に「世尊導師」を呼ばれて、衆生に仏に成る方法を教えて、外道が上帝や神と称するようではない。彼らを外道だと呼ぶのは彼らを軽蔑するのではなくて、彼らは心から始まるのではないから。
皆の心の本質はすべて同じであるが、どうしてまだ心性を了悟することができないか。それはあなた達が菩提心を発する事がないわけである。菩提心とは何であるか。つまり自分の利益が完全になくて、する一切の事が衆生のためである。そなた達は一日中に自己中心で、菩提心を発する事を言うまでもない、先刻、数人の弟子が法会の前に皆とリンチェンドルジェ・リンポチェが彼らを助けた経過を分かち合って、言う内容は自分の病気がこれで良くなった事だけで、これが完全に菩提心を発していないで、考えることは自分の事だけを考えている。心は如来蔵の法器であり、成仏する最も重要な法器である。茶碗が容器であり、これを使ってスープを入れて、ご飯も入れて、料理も入れることができるが、しかし、如何様に変化しても、同じような茶碗であり、破損か変形しない。心は成仏する容器と同じであり、しかし、この容器が如何に使う事が知らないならば、正確な物を入れないと、この工具があっても、作用が発揮できない。心この容器は菩提心に従ったら、仏になる道に向いて行って、だから、菩提心が妙宝と曰く、菩提心を発することができないと仏果になることもできない。衆生はすべて仏性を持っていて、つまり、衆生の心の本質体性が仏と同じように無二無別であり、菩提心を具えたら、心の力を自然に現れ出す事が出来る。いわゆる深入経蔵とは、衆生がすべて如来蔵を持っていることを深く了解しなければならない。そなたははっきり心の本性が分かることができたら、そなたは三世諸仏の心つまり如来蔵と一緒にいるのである。
世の中に全ての事は最後の結果は苦しい。愛情を追求する必要があるのか。愛情の情は右が青字であり、古代に青色は黒色を表す。つまり心が黒い人は愛情を話す。それは愛情の目的は占有するためであり、愛、憎み、好きなど全ての欲望の表現を美化された名詞である。そなた達の多くの女性は心理テストをしたことがあるが、夫に聞いて、若し母親と妻は同時に溺れれば、先に誰を助けるのか。夫は母親を助けると言ったら、そなたは彼の親孝行だと感じる。もしそなたを助けると言うならば、そなたは彼がそなたを愛すると感じる。しかし、たとえ本当にこのような事に遭っても、先に母親を助けるのは親孝行ではなくて、先に妻を助けるのは彼女を愛するのではない。
実は先に誰を助けるのはすべて縁であり、もし縁がなければこの動作を発生しないから。そなたたちが思った当たる心理テストではなくて、それはただそなたの欲望と合って、この問題を聞くのは全てそなた達の欲望の表現である。女性はもうこの問題を聞かないでください。
心の体性を認識してから、いかなる執着が無くなって、執着がないと、もちろん悩みも無くなる。お経に所謂大樂という樂は、そなた達の世の中の者が思う快楽ではなくて、世間のすべての快楽は全部常に変わっていて無常なので、最後の結局はすべて苦い。リンチェンドルジェ・リンポチェもそなた達と同じ、このような経験があって、そなた達はとても結婚したい相手を家に娶った後に、悩みがまた始まるのではないだろうか。自分の子供の誕生を見た時、目が見えないように笑ったが、最後に世中の苦を味わうのではないか。真な快楽は生死に解脱する法門を修めるのであり、正念にて修行して、ようやく縁修に頼って法の意識が動かないことができる。そなたの意識が動かないと、心は動かず、輪廻の業力の影響を受けない時に、やっと生死に解脱することができて、それも定の境界である。そうすると、大楽の境界を証得することができて、つまり、顕教ではいわゆる浄定である。大楽は気持ちが良いことと感じるのではなくて、大楽は副作用がない楽ということであり、行者が業力の束縛を抜け出すことができる時に、意識は目、耳、鼻、舌、身の左右を受けないで、自然にもう執着がなくなった。そなたは大楽に入れるなら、浄土に往生できる。つまり、顕教が所謂浄定である。定とは座って動かないとは定と言えない。若しこうすれば、この机は既に数年間にあそこに置いて動かなかった。そなたは机が定めると言えるだろう。
正念は自分が仏を学ぶ方向がよく分かって、仏法を学んで生死に解脱することを分かる。若し輪廻の業力によって回るならば、あれは不正な念である。此処に言われた定のはそなた達が外に聞かれた四禅八定ではなく、浄定を修めるなら、生死を解脱できる。しかし、此れは簡単に修めるわけではない。仏は後世に浄定を修める人は少ないと分かるから、阿弥陀仏の法門を伝えて、衆生を教えて、先に浄土にいてゆっくりに修める。生死を解脱したいと、大楽の境界を修めなければならない。若し大楽の境界を修めないのに、自分が生死を解脱したいのは無理だ。若し自分の生死さえ把握できないと、如何なる衆生を利益すると言えないだろう。
如何なる心の体性及び表相を分かるだろう。空で比喩して理解できる。空は1面藍色であり、心性の如く如如不動である、現れてまた消える雲が変動な意識のように、雲気が絶え間なくて激しく変化しているが、空はずっとある。心の体性は空のようで、意識は白い雲のようである、空が無かったら雲の存在が見えない、空のこの環境があるこそ、雲のかたまりが発生することができる。科学者は雲を分析して、それがほこりと水分との結合で発生するものであるが、もし空のこの環境がなければ、自分で実験室の中で雲を生むことができないであろう。もし物理学を学んだことがある人は知っているから、たとえ実験室の中で雲を発生することができないのである。物理学を学んだ弟子はその場で皆に説明し、雲は空に形成する事が多くの必要な元素が要り、例えば高さ、気温、水気などであり、埃と水分が合体する現れが高い所に雲と呼ばれて、高さがより低い所における雲気であれば、山嵐と呼ばれて、実験室には再び現れる事が出来ない。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子に物理学を以って雲を消失する後行き場を解釈し、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗ての開示により水気が絶えずに変化する事と回答した。
リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに開示した。空は我々の心のように、雲が我々の意識により生じる様々な悩みで、この悩みが「因縁和合」で生じていて、「因縁和合」で消えてしまう。我々の心は清浄で無垢で、空にどの位の雲があっても、自身の清浄的な本性が影響出来ない。そなた達は何故心の体性を体得出来ないだろうか、これはそなた達の心を六賊に覆われたから。雲が消えていく折には、空に溶けていって、完全に跡を残さないので、空に些かな汚すことが出来ない、意識の変動もこのようであることで、消えてしてから完全に影響を残さない、心性を汚される事がないのである。
仏陀の大智慧は数千年前に空で心を比喩して、これは全ての衆生が空が見えるから、ニュージーランドに於いて極めて暗い蛍の穴にいる限り、暫く空を見えないが、目穴の入り口を出ると、相変わらず空を見える。この比喩は過去に適用し、現在に適用し、未来にも必ず適用している。そなた達の心は六賊に覆われて、執着を生じて、尚更に苦しみを起した。例えば、そなた達は空にめちゃくちゃな埃を置くから、空に覆われる雲を多く起したようだ。若し明心見性の行者であれば、これはただ空に暫時の雲である事を知っていて、それで追い続ける事をしなくて、多くの苦しみを生じる事を引起さないのである。
自分は医師であるから、必ず患者を治さなければならないと思えば、多くの事を見落として、患者の病もうまく治せない。自分が社長だと思えば、ある物事を見落としやすい。傲慢なので、意識で物事をして、心を使わないから、ある事をやるべきではないのを漏らした。
大手印を修める最高的な境界を「無修瑜伽」と呼ばれた。これは修める事が要らないと言えない。そうすると、そなた達は機会を利用して修行しないだろう。「明心見性」を証してもまだ足りない、「無生法忍」に至るまで、「無修瑜伽」の境界を修められる。実は「無修瑜伽」とは、菩薩道の修行者が心性を証して悟ってから、世間の一切がすべて「因縁生滅」が分かって、つまり空性を証して悟った後、心が外在に影響されず、作用を起さない。そうすれば、修行の方法を通して心に変化させない事が要らない。心性は「具生」の本覚で、具生とは自性があり、本来に存在している事で、因縁から生じる事ではない、衆生が本来に備えている事である。「無生法忍」とは、そなた達に好い事と悪い事をすべて我慢する事ではなくて、これは一切の事が因縁により生じて、因縁により消えて、一切法を過ぎたから存在しないので、何故執着して自分の苦しみを無駄に増えて行くわけである。若し一切に執着しないならば、自ずから何を我慢する事が要らない。何故そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を頂礼すれば、作用を起しただろう。それはリンチェンドルジェ・リンポチェが既に空性を悟って諸仏菩薩の心性を相応できるから。
今度、リンチェンドルジェ・リンポチェは 直貢チェツァン法王の指示に従って、ニュージーランドに行った。直貢チェツァン法王がはっきりに分かったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは腰が極めて痛いが、しかし傍に居る人が見ても分からない。何故なら、リンチェンドルジェ・リンポチェは肉体が痛いくても、この痛みは心に動かせるまで影響せず、心及び識は分けた。それは自分が過去に犯した悪い因のため、悪の果を得たから。因縁生滅は無常なので、一切はいつか全部消える。その故に耐えられる。逆にそなた達を見て、あぐらををかく時に足が痛いと感じて、姿勢を変更して、そなた達は心が動いているから、いつも足の痛みを考えると、もっと我慢できないと感じる。
第三部分は心の表相及び心の体性は二つを分ける事ではなく、実は同じ物である。表相で呼ばれたのは説明の便利だ。此処まで言うと、そなた達はぼんやりしたかもしれない。例えば、人は鏡の前に立った時、鏡は人の影像を鏡面に反射した。しかし、人は離れると影像は消え、鏡は相変わらず鏡であり、変わらない。影像が動いたから、鏡は動かなかった。心は鏡のように業力は表れた時、業の影像は心に反射され、業力は消えた後、鏡は相変わらず元の鏡であり、如何なる影響しても影響されない。五智の中に所謂大円鏡智はこの道理である。
「上記の深義を悟るため、我々は上師が三宝への敬慕の気持ちを借り、また、修法に対して『精進の心』を借りる。また散乱せず、確実に修める。この道理に関して、経論にも諭しがあるが、そなた達は『正念の鉄索』を借りるべき、『心』という狂乱する野象を『所縁修の法』の柱に繋がれる。皆も警戒として、慎重に精進に実修しなければならない。此処から見ると、むしろ我々はどんな教法を実修しても、必ず修める法に散乱せずに進めなければならない。我々はどんな教法を実修しても、若しあの時に直接に上師の教えに従って進めないと、『心緒上下散乱』の境地に落ちるなら、このような間違い修法に頼れば、いつまでもいい修行の成果が現れていない怖れがある。皆は分かるべきだ。此れは実は一つの魔障である。また、必ず覚えて、『有相』の修法を習う時、『無相』の修法を習わない。『無相』の修法を習う時、『有相』の修法を習わない。」
そなた達は今まだ心の本性を体験出来ないので、上師及び三宝に対して生じ全く降伏の敬慕する心を通じ、次第に精進的に不散乱でしっかり修行することが出来た。精進というのは懈怠が出来ず、そう言っても焦りすぎではいけない、次第に学ぶのである。所謂精進実修とは、一切は全部輪廻を離脱するに関する修行で、仏法正念との鎖で狂乱で紛乱の心をつないで、仏法の法要の上に鎖すのである。正念とは自分が仏を学ぶ方向をはっきり分かって、行った事は全て生死を解脱するためだ。例え、そなた達は仏を唱えて、礼拝するのは只健康、仕事或いは家庭の順調のためなら、輪廻の業力によってかわって此れは全部正念ではない。お体が丈夫だと望めば実はとても簡単で、仏を学ばなくても同じ出来る。そなたは自分の財、部屋を全て寄付すれば、お体は自然に良くなり、しかしそなた達は惜しんでこのようにやりたくない。実修とは自分の間違い、必要のない、生死離脱に関わらずの行為をやり直すのである。それより、上師が有って、いつも監督してくれるのは非常に重要だ。そなたがし間違ったとすぐ訂正してくれて、一歩一歩でそなたを引き連れて、もっと努力で精進実修して、ちっとも偏差を許さない。
正念によって仏を学ばなければ、心は上下して、散乱だ。散乱とはなんだろう?即ち衆生を心の中に置かなく、自分しか考えない。仏を学べばそなたのお体が丈夫で、事柄が順調にならせると思うのは散乱だ。呪文を多く唱えて、仏法を多く聞けば生死より解脱ができると思うのも散乱だ。現代多くの人は治れない病気に罹ったのは全部殺業が重いから。アメリカの医師さえも発見した。癌は手術を受けなく、化学療法を行わないなら、癌細胞はそのまま動かないかもしれない。若しそなたは手術を受け、化学療法を行えば、癌細胞は必ず広める。広めるとリンチェンドルジェ・リンポチェさえも助けない。そなたは既に乱れてしまって、癌細胞も従って乱れになって、彼方此方移動したから。そなたは衆生に利益するため仏を勉強すれば、癌細胞に動かないで、そなたに良く勉強させて、浄土へ行く時彼らも一緒に済度されると言って、彼らはそのままに止まって、彼方此方に動かない。そなたは自分の身体健康のために、仏を学ぶならば、冤親債主は利益を得ないので、そなたを邪魔する。
ある者は癌に罹って、リンチェンドルジェ・リンポチェに願いに来て、自分がが死ぬ事が出来ないと祈った。責任はまだ終わらないから。どんな責任だろう。国家の大事ではなく、唯家族のため、自分のためだ。仏経には欲望で引かれると述べた。始め頃、先にそなたの欲望を満足して、仏門に入ると、自分で修めなければならない。唯リンチェンドルジェ・リンポチェに頼むばかりと考えるな。リンチェンドルジェ・リンポチェは素晴らしいが、それはリンチェンドルジェ・リンポチェの事が、そなた達は修め得ないと、そなた達を助ける事も出来ない。リンチェンドルジェ・リンポチェはいつか死になり、死んだらそなた達は絶対に見つけることが出来ない。病気があったため、そなたに仏を勉強する因縁をあらせて、この病気に感謝するべきだ。リンチェンドルジェ・リンポチェにとって、病気を治る事は本当に小さい事だ。それはそなたの因縁、福報と関わるから。仏法で因果の問題を解決しなければ、この病気が治しても、別の病気もまた生じた。
生死解脱を目標として修行しなければ、どの修行の成果があらない。我々も知るはずだ。此れは実が一種類の魔障だ。そなた達はまだ仏果を証得しない、外魔が邪魔することがない。全ての魔障は唯自分が作った心魔だ。最近ある検事の男弟子は自分はメンツがないと恐れたため、リンチェンドルジェ・リンポチェが輸入した漢方薬は重金属に汚染されたかもしれないと言った。事件がまだはっきりに分からないのに、漢方薬診療所の医師に電話して、彼女に薬を持って検査られるように行かせた。自分が検事の身分でこの事を簡単に処置できるのに、他人にやらせた。こうすると彼と関係ないと思って、問題があっても責任を負わない。結局、検査結果が出て、完全に問題がない。この男弟子は自分の家族及び自分の名誉を守るため、リンチェンドルジェ・リンポチェは薬商に騙されたと思って、大げさにした。
リンチェンドルジェ・リンポチェは感じた事を申された。法席に座った時皆はリンチェンドルジェ・リンポチェが上師と思って、用事があると求めに来た。法席から降りると皆はリンチェンドルジェ・リンポチェをバカとした。リンチェンドルジェ・リンポチェは二十四時間で仏法によって生活を暮らしているのに衆生に害をするわけがないと分からない。修行人はいくらかの間違いがあっても全部自分の過ちと思う。この弟子が行った行為は即ち菩提心を発しなく、唯自分の家族を守ると思った。それで上師が行った事さえも疑った。勿論家族を守るのは当たり前が、仏を学ぶなら、上師に信じるべきで、三寶と上師に対して無条件に投降するはずだ。この弟子は心が散乱してしまって、自分の家族は傷付けられたと思って、傷付ける事を恐れるので、上師を疑った。大法会の行う事、灌頂が出来る上師はこの地球の上に本当に多くないだ。そなたはまだ彼らが間違ったと思えば、まるで直貢チョンツアン法王が嘗て自ら仰った、そなた達は上師が全てした事は問題があると考えれば、実はそなた達の心は問題が出た。幸いに護法の助けで、リンチェンドルジェ・リンポチェが全て輸入した漢方薬は問題ないとも証実された。このような者は密法を習う事が出来るだろう?上師に対して少し信じもない、密法を修め得る事が出来るだろう?リンチェンドルジェ・リンポチェは現在まだ密法を伝授しないのは、弟子達は今まで相変わらずこんなもんだから。
密法の境界は言語で話す事が出来ない、そなた達は顕教の理論に対してこんなに多くの考えがあって、密法を説いたら更に言うまでも無かった。密法を学ばれる者は百万人の中に一人でも見付からなかった。直貢チェツァン法王はこんなに多くの皈依弟子を収めて、出家衆を除いて、在家衆の中に、直貢チェツァン法王に従ってヨガ部まで修めたのは唯リンチェンドルジェ・リンポチェ一人だけである。そなた達に説かないのではなく、そなた達の根器が足りないから。そなた達に話すとそなたに害をすることになるので、結局話さない。法本には載せてあり、大手印の最高境界を修め得れば、直ちに仏に成る事が出来で、甚だ「虹光身」に化けて離れる事が出来て、これは最高な境界である。「虹光身」とはお体が死亡の苦しみを受けらずに、直接に虹光に化けて法界の中に溶かす事である。そなた達はこの世にやり遂げない、リンチェンドルジェ・リンポチェが年寄りに成って、この世にも「虹光身」を修め得ない。これは神話物語と思ってはいけない、法本に記載があるならば、これは真実で、出来る者は必ずいて、信じなければいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェのこのような根器として、衆生に病気を治す事が出来て、ポワ法を修めてから死者の梵穴に穴を打つ事が出来て、況してそれらの根器が最も高い大修行者である。
2007年リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王のご指示に従って、ネパ-ルのラーキ雪山で3ヶ月閉関しに行った。閉関の三日目からリンチェンドルジェ・リンポチェは1人女の護法が麒麟に乗って絶えずに山谷の間で見回る事を見た。リンチェンドルジェ・リンポチェが出関した後、直貢チェツァン法王に伺って、この護法はアチ護法の外護法の中にの1人だと始めて分かった。その後、ある日直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェを引き連れて上へおよそ3時間を攀じ登った。マルー・パ聖者の山の洞穴に着いて、直貢チェツァン法王は穴の中の法座に上って修法して、リンチェンドルジェ・リンポチェも従って、席に入った。そうすると、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ見た、座席の側にかけてあったアチ護法のタンカの上に、あの麒麟に乗る護法を書いてあった。リンチェンドルジェ・リンポチェは特に祈請しなかったが、護法は自動的にリンチェンドルジェ・リンポチェが閉関するのを護持しに来た。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが全て衆生、上師、教派のためしたので、諸仏菩薩は全部守りに来た。仏を学ぶには上師、護法の加持、保護が得なければ、成就を修め得る事が出来ない。
なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェが出来ただろう?理由は只一つ、即ち順従である。リンチェンドルジェ・リンポチェは今まで自分が法座にのぼって、こんな弟子があったのを考えた事がなくて、一切全て随縁である。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェを閉関させた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは何も言わず直ちに従った、即ち順従でして、「なぜか」を尋ねた事が無いで、ただ言う事を聞いた。言う事を聞くので、閉関した時、護法が自発的に守りに来た。そなた達のように、問題が山のように多かったのであらない。
リンチェンドルジェ・リンポチェがそなた達に「オン – マ – ニ – パド – メ – ホン」を読ませるなら、順従で読めば結構で、「オン」とは何の意味か、また「マニ」は?「ホン」は?考えないで、こんなに考えると、心が集中出来なくなった。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達い大礼拝させて、仏に礼拝擦るのように。しながら心の中に山のように多くの考えがあれば、効果が見えなかた。
多勢者は沢山仏経を読んだ後、自分が好きのを決めて、始めて修習することになった。リンチェンドルジェ・リンポチェは顕教を学んだ時、『華厳経』しか読まなかった。その後、密法を学んで、実修した過程の中に体得を得た。また逆に仏経の内容を見て験証を得た。そなた達は全て読書識字する者で、仏法を学問として読んではいけない。何年仏学院で勉強してから仏法を説くことが出来るのもであらない。そなたは本当に仏法の真意を体得出来るとどんな仏経を読んで見ても仏が我らに教えたい道理を全部すぐ透徹する事が出来た。ある時、衆生が求めに来た時、リンチェンドルジェ・リンポチェが随意に仏経を開けてどの経文を衆生に開示させる事を見えた。これは仏菩薩と護法の加持で、リンチェンドルジェ・リンポチェに開けるとすぐ当てさせたのである。
リンチェンドルジェ・リンポチェはお正月で皆に連れて修める『三十五仏懺』が同じように状況である。この法は台湾で修める者がいないで、リンチェンドルジェ・リンポチェが予めこの法本をもらえて、そして、偶然に『寶積経』を読んで、『三十五仏懺』が釈迦牟尼仏が自ら伝える懺法を知って初めて、仏と説く本当の道理が理解出来ないなら、中国の昔で言う仏経を開けて一生懸命で考えて、仏教に記載される意味が一体なんでしょうかとかになった。推こうする方法で仏法の意味を推測することになった。
ある弟子が言った、今日リンチェンドルジェ・リンポチェが仰った「心」についてのご開示は、以前他の道場で数年聞いたがまだはっきりしなかった。今日リンチェンドルジェ・リンポチェが1時間半申された開示を聞くと彼が数年分からない部分を全てはっきりさせた。例え、リンチェンドルジェ・リンポチェは天と雲で心性を解釈した事は彼が今まで聞いた事はない。その外に、リンチェンドルジェ・リンポチェは自身の実修実証の経験で開示された。以前、彼が聞いた沢山他の法師が全部文字で解釈した。幸いに、リンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依して仏を学んで、真に皆の無上な福運である。リンチェンドルジェ・リンポチェはユモーの言い方にてリンチェンドルジェ・リンポチェが多く修めてそなた達をちょっと楽にならせた。
別の一人の弟子は同様に話し、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示されたとても濃くて深い教法で、初心者にとって簡単に理解する事が出来ないかもしれない、しかし、彼の過去で多年で仏を学ぶ経験により、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示した内容が実修の上師だけで説かれる事である。孔子はかつて説いた事があり、師者とは伝道して、授業して、惑を解く事である。普通の上師は聞いたり、見えたりする内容を信衆に解釈して聞かせて、伝道だかで遣り遂げる。リンチェンドルジェ・リンポチェのような、自分の実際な修行の経験を以って弟子に伝授するのが、授業を遣り遂げる事である。
業という事は極めて微妙で、弁論で弁論できない。しかし、寶吉祥仏法センターには、見える事がリンチェンドルジェ・リンポチェが業因と業果により多くの事柄を開示されて、以前には、祖師大徳の伝記にはただアティーシャ(Atisha)尊者だけで遣り遂げれるのだ、業果ラマ僧を呼ばれていた。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェも遣り遂げて、助けて貰えて来る衆生の業因果報をはっきり説いて、その上、この世を説いて、皆が見えない過去世を説く事ではない、この能力が普通的な人々が遣り遂げる事ではないし、真に測られない深さである。リンチェンドルジェ・リンポチェは真に素晴らしさ上師である。
リンチェンドルジェ・リンポチェは謙遜的な自分何か素晴らしさが無いと説いて、直貢チェツァン法王が真に深くて測られないのである。ある信衆から開始して、リンチェンドルジェ・リンポチェが有限的な時間で仏法を学んで、その上、直貢チェツァン法王からリンポチェを認めて得るのは、リンチェンドルジェ・リンポチェが素直に従う事を遣り遂げるわけである。仏法が真に極めて簡単し、けれども、簡単ではない、これはそなた達の心を極めて複雑し、絶えずに「貪、瞋、痴、慢、疑」の中での疑心を以って仏法を見に来て、自分の考えを仏を学んでいて、自分が仏経を多くて見て聞いて、経論を研究して、仏法に了解する事が出来で、これらが意識の認知で、本当の修行ではなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に多くの時間を節約させて、自分の修行してしっかり証する経験を以って仏法の精要をそなた達に説いた。そなた達は自分がリンチェンドルジェ・リンポチェが開示された内容を聞き分かるかどうかが要らなくて、そなた達が聞いてから分かるならば、早めにリンポチェに成られる。普通的な人々により、教に従って行う事とは戒律を守る事で、仏の教導を聴き従って修行して行くのである。しかし、若し明心見性の行者であれば、教に従って行う事とは仏が開示される宇宙真理を受け入れる事である。仏は我々に不妄言を教導したら、同じように仏も妄言をしない、つまり、存在しない事が仏が説かないで、仏が開示されるのが必ず宇宙の真相である。
リンチェンドルジェ・リンポチェは再度強調し、今日開示する心の体性とはそなた達の現在が体得出来ない、しかし、何故依然として話さなければ行かないのでしょうか?これはそなた達に未来で顕教大手印五支道により極めて重要な観念である。直貢噶舉派の大手印はガンジス川大手印も呼ばれて、これはその時にディロバからナロバに大手印を伝える時に、インドのガンジス川に居て、だから「ガンジス川大手印」を呼ばれた。直貢噶舉派は特に心の部分を説いて、他の教派がこんなに心の重要性を強調する事がないのである。そなた達は心の体性を悟られると「具生本覚」を修めていて、これは「根本覚」を修めて、しかし、菩提心にて続けて修行しなければならなくて、絶えずに福慧資糧を累積して仏果を証して悟るまでである。
今年に伝えてから、来年にまた新しい開始であり、実修の階段に入って、若し遣り遂げないならば、クラスを分け始める。直貢チェツァン法王もリンチェンドルジェ・リンポチェにクラスを分ける事を薦めて、これはリンチェンドルジェ・リンポチェが極めて苦労である。修めえるかどうか、そなた達の心構えが正しいかどうかに拠る。参列の信衆と1年、2年の弟子は多くの仏法を聞かない事と思っている。実は、仏が49年の仏法を説いても、仏法を説き終わる事がない、仏法が永遠に聞き終わらない事である。全ての仏法を了解したいなら、『大蔵経』を読んだら早くなった。仏法が浩瀚広大で、リンチェンドルジェ・リンポチェが自身の実修実証の経験により、仏法の中に最も重要な法要をそなた達に教えて、そなた達の探索の時間を減らして、これは皆がとても忙しいわけである。多くの人々はこれらの内容を説かれないで、これは彼らさえが証する事が無いでまた知らなかった。
仏法には最も重要な重点がなんでしょうか?生死解脱する事である。が、如何に生死を解脱するのでしょうか?仏教を説く事により、上師が教える事により、実際で自分の行為を改正するのである。顕教には「お経を聞く事を比べてお経を行う」という事があり、最も重要なのがして行く事であり、そなた達は聞く事が好き、けれどもしたくない。直貢噶舉教派は実修の教派を重視し、そなた達は気にしなければいけない、仏法を聞いてから帰って自分で修める事が出来る事と思ってはいけない、六祖慧能も五祖から禅宗の心法を伝えてから修めていって、そなた達の根器により輪廻を解脱する事が、自分により遣り遂げないで、ある徳を具える上師の加持と督促を寄らなければ成らない。
末法時代の衆生の根器が良くないし、すぐに悟る根器ではないし、ずべて益々悟っていくのである。若し心性を認め悟る事が出来るならば、少なくとも生死を了知する事が出来る。だから、仏を学ぶ事とは1年に何を唱えて、2年に何を学んで、5年、10年にどんな程度を遣り遂げなければいけない事でも計画をしてはいけない。自分の生死でも把握できないならば、他人の生死大事が如何に助けてくれるのでしょうか?急がないてはいけない、仏法が薰陶により、最も重要なのが絶えずにして続けている。
« 昔の法会開示 – 法会開示へ戻る – 新しい法会開示 »
2011 年 11 月 27 日 更新