尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示
2011年11月13日
台北寶吉祥仏法センターで、信衆と弟子達は恭しく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが2010年12月12日に開示された仏法の録音を聞いた。
法会の前で1人の女子の弟子は彼女の手の疱疹が薬を飲まずに治れた経過を分かち合った。
先月、ある日起きた後に、彼女は突然に自分の手のひらの上でいくつかの水疱が出たことを発見して、約4つか5つがぎっしり詰まっていて、膨張してまたその中の水がきらきらと動いていることをみられて、どのみち彼女は後で漢方医学にいくと考えているから、あまりに気にかけていない。彼女は漢方医診療所にいる時に、手を伸ばして脈をとる時に、漢方医医師が彼女の手の平の上の水疱を見てビックリして、これが疱疹だと言って、疱疹は顔、耳或いは目の側に出ることが多いが、しかし手のひらの上に出たことを見たことがない。医師は彼女にこれを治療することにあまり上手ではないと教えて、彼女に西洋医学を受けに行くように提案して、そして水疱を破れないでくださいと言い聞かせて、もし破れたら、水がどこに流れると、感染してあそこまで拡散するから、そうすると、そんなに容易な治療することができない。
翌日、彼女は西洋医学を受けに行って、西洋医学の医師は単純な疱疹だと言って、伝染性が強い帯状疱疹ではなくて、そして1本の舌押し器を持って、彼女の水疱を潰すつもりであるが、医者は潰しないと、薬を中で塗ることができなくて、効果がないが、しかし彼女は痛いと感じて、医者にやらせる事を許しなく、ただ薬を飲んで直りたいと思っているが、でも医者は彼女に口服薬があげないし、塗る外用薬も彼女にあげなかった。その一瞬に、彼女は口をついて「それでは、私は帰ってから、リンチェンドルジェ・リンポチェのくれた甘露水で塗ったら良い。」と言い出して、万事はすべて科学証拠が必要である西洋医学の医師は彼女に、その結果が彼女が自分で負担しなさいと言った。
彼女が家に帰った後に、甘露水をもってすこし飲んで水疱の上にもすこし塗って、心の中でリンチェンドルジェ・リンポチェがきっと彼女を手伝うと思っている。一日に3回塗って、3日後、西洋医学の医師とアポがあるため、彼女が医師に彼女の手を見せて、医者は目の色を変えて、水疱はどうしてそんなに速く乾いたか。もともとは水がいっぱいで膨張しているのに、しかし水は少なくなって、その上柔らかくなって、色も変わって、医者は彼女にそれをつかんで破かないでくださいと言った。一週間を過ぎて、水疱はかさぶたを結んで、再び診察してもらって、医者はただ彼女だけにかさぶたを引き裂かないでくださいと教えて、それに自然に落ちさせる。彼女はいいと答えた。もともとは赤い腫れ、痛い、痒い所はその後、痛くなく痒くなくなった。
彼女は、ある物が探せるよりは出会うしかないでしょうと言った。彼女が塗る甘露水はSARS期間にリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達の1人1人を1本与えて、彼女はずっと残している。「阿弥陀仏無遮大超度法会」も1本の甘露水が与えるから、毎年彼女はすべて大法会のあの甘露水をなんとその中に入れて、ずっと入れて今まで貯まっているので、だから彼女の甘露水の中に、いくつかの甘露丸がある。彼女は法会の参列者に教えて、そなたが天に求めても何も返事をしないで、地に求めても効き目がない時には、リンチェンドルジェ・リンポチェを叫ぶが、ただリンチェンドルジェ・リンポチェの肩は最も信頼できるから、たとえ弟子はどんなに話を聞き取らないとしても、この瀬戸際の上に立って、リンチェンドルジェ・リンポチェがやはり弟子達を手伝うのである。
リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て、弟子達が福報が足りなくて、真な仏陀に会えないと開示した。しかし実は、直貢チェツァン法王は嘗て開示したように、上師を仏と見なして、上師は仏であると仰った。今度の教訓を経て、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェを仏と見なす。彼女はこの甘露水を必要とする人が、彼女と少し取りに来ることを喜ぶ。リンチェンドルジェ・リンポチェはその時に、この水は需要がある人を提供することができると開示して、リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着る。
そしてある皈依する男性弟子は、彼と家族が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と助けを得た経過を分かち合った。
彼の両親はだんだん年上になって、そして父親は長年も パーキンソン病に罹っていて、行動が不便であり、この数年来、彼の父親はいつも母と兄嫁に配慮される。彼は2009年7月に上海の仕事が終わって、妻と娘を連れて家族一緒に台北に引っ越して戻って、もとは多く両親に付き添うと思って、この数年間、息子として親孝行の責任をやっていないことをてん補したいと思っているが、しかし台北に戻って三ヶ月ぐらい、父親は飲み込みが不順で咳して、置入性肺炎に感染して、さらに全身敗血に陥って人事不省になることを招いて、そして緊急にICU病棟に運ばれた。突然なことであるから、全家族が狼狽して秩序がなくて無知であるから、彼らは医師の提案に従って父に対して置入性の応急手当を施行して、つまり、リンチェンドルジェ・リンポチェは「三管齊下(三つのパイプが挿管する)」と開示した。彼らは挿管同意書と危篤の知らせに署名して、これは彼の一生の中に初めて最も近く愛している人が生死の場合に臨むのに直面するので、彼らは父親が自身の病気による苦しみに耐えているのを見て同時に 必ず医療の苦痛に耐えなければならない。身内の彼らが狼狽して助けることがないのを除いて、彼らは父親に何をしてあげるのか。彼らは何をできるのか。
ICUの外で待った数日間、進出している患者及び往生者から見ると、彼は愛別離、人生無常及び命の弱さと無力を見た。彼は命が弱いとは、彼達は無常を信じないからと分かった。命の無力とは彼達は因果を信じないから。故に彼の心の中に仏法を学ぶ重要性と緊急性を深く刻まれた。
彼の父はICUに昏迷した4日後、意識は徐々に回復して、病院に一ヶ月に留まった。全ての症状は正常に回復した後、家に帰った。今回の事件に経った後、彼は常に法会に参加して、灌頂を受けて、仏法の教えを受けた。自分が仏を学んだ後、老けた両親のために何をしたいと望んだ。しかし、毎回法会に参加した後、彼の心はいつも迷いと焦慮を少し持っていた。彼は不断に自分に聞いた。何故このような状況だろう。自分の根器がとても悪いだろう。それとも自分の障碍は重すぎだろう。何故分からないだろう。まさか自分の仏を学ぶ道はこのようなだけだろう。ある一回、せっかく中国語で仏法を開示できるリンポチェに遇ったのに、彼はこのリンポチェに習うつもり時、このリンポチェは既に青海に戻った。いつか来るか誰でも分からない。彼は尚更に迷った。
2010年7月彼は偶然にある友達に出会った。この友達は嘗て2002年彼を誘って、尊勝なる直貢チェツァン法王が桃園ドーム体育館で主法したポワ法及び本尊パルナシャバリ祛病万人大法会を参加した。この友達も伝えたが、当時万人大法会を主催したリンチェンドルジェ・リンポチェはある実証実修の大修行者である。それともある徳を具えて大能力がある上師である。若し本当に仏法を学びたいなら、先にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁したほうがいい。だから、彼はすぐ寶吉祥に電話をかけて、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁ため申し込んだ。
彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの法席の前に跪いた時、心の中に期待及び怖れが満ちた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に「何の用件ですか。」と聞いた。彼は恐れて返事した。「リンチェンドルジェ・リンポチェにお願いして、私が施身法法会に参加させてください。」リンチェンドルジェ・リンポチェは更に聞いた。「菜食しましたか。」彼は「はい。」と返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは更に聞いた。「どのように菜食しましたか。」彼は暫く躊躇った後、無知に返事した。「縁に従う菜食です。」リンチェンドルジェ・リンポチェは更に聞いた。「どのように縁に従ったか。」その時彼は慌てて尚更に無知に返事した。「妻と娘のため、料理と食の方便のために肉料理の野菜だけ食べた。」続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは連続に厳しく開示された。「自分が出来ないなら、問題を妻、娘に投げないで。若し肉料理の野菜を食べれば菜食だと思えば、鍋の側の仏法を教えてもよろしいでしょうか。」リンチェンドルジェ・リンポチェは頂門の1針のような開示は彼に無言させて、恥ずかしかった。結局勿論尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの許可を得ず、施身法法会に参加できない。
その日家に帰った道に彼は繰り返して、リンチェンドルジェ・リンポチェが頂門の1針のような開示を考えた。突然に悟った。若しある実証実修、徳を具え、大能力がある大修行者に従って仏法を学びたいなら、まず、必ず恭敬心で仏法を祈って、更に順従な心で仏法を学ぶ。そうすれば、仏法の中から真の助けを得られる。彼は反省して、自分が菜食する心さえ間違いなら、如何なる恭敬心でリンチェンドルジェ・リンポチェに仏法を祈るだろう。
あの日から、彼は始めて用心に菜食した、ある日彼は偶然にソーシャル・ネットワーキング・サービスである皈依兄弟子に出会って、2010年10月3日に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが主法する阿弥陀仏無遮大超度法会に参加する事を誘われた。法会の当日彼はリンチェンドルジェ・リンポチェが命を捨てるように現場に二万人余りの信者及び虚空中数万以上の衆生のため、法を修めて、加持及び撒浄した。法会は間もなく円満に終わる前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは体の疲労を受けて、慈悲に涙に咽んで再び参列者に開示された。「もはや肉を食べないで。そうしないと、リンチェンドルジェ・リンポチェが十人苦労しても、皆を助けられない。」その時、彼は長く抑えられた涙はついにぼろぼろ流れた。
大法会が終わった一週間後、彼は再びリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。リンチェンドルジェ・リンポチェは再度慈悲に「何の用件ですか。」と聞いた。彼は相変わらず、恐れて返事した。「リンチェンドルジェ・リンポチェにお願いして、私が施身法法会に参加させてください。」リンチェンドルジェ・リンポチェは更に聞いた。「菜食しましたか。」彼は「はい。」と返事した。同時に彼も「純粋に菜食した」と返事しようと思ったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは何も聞かずに慈悲に彼に「いいです。申し込みなさい。」と言った。その時彼の頭の中に感嘆符及び疑問符が現れた。「あれ、どうして聞いてくれないでしょうか。まさかリンチェンドルジェ・リンポチェは既に自分が純粋に菜食した事を分かっただろう。勿論です。」彼はとてもリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、自分に法会に参加させた。
一回の施身法法会に参加した後、ある家庭バ-ティ-の中に、彼は兄既に3回の施身法法会に参加して、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依を求めようと思った事を知った。彼は協会のウェブ・サイトよりリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を済度するに関する事を母親と分け合って、年を取った父母がリンチェンドルジェ・リンポチェと面会出来る因縁福報があるように望んだ。彼は母親にこの考えを言い出したとき、母親が難色を示したような顔をして言った:「私もとても希望するが、そなたの父親を連れて家を出るのが圧力が大変多かったわ!」それは、数年パーキンソン氏病にかかった父親は行動が不便ばかりのではなく、意識が良くなったり、悪くなったりをして、大小便が控える事が出来なくなって、外へ出ると極めて感染され易くて、彼は母親の心配が理解出来る。
家に帰ってから、彼は協会のウェブ・サイトよりリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を済度するのを読んて、ちょっと一人弟子がどのようにリンチェンドルジェ・リンポチェを観想することによって、自分の母親を加持するように願ったのを読んだ。数日後、彼は父母の家に帰って、また母親ににリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れるのを言い出した時、母親のご回答は彼に涙を流させた。母親は何も言わずに、彼に答えた:「時間を確かめてから、一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求みに行こう!」彼は信じて、これは全部リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な加持の力である。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て申された:忙しいと言えば、誰もリンチェンドルジェ・リンポチェに追いかけない。一日24時間全然足りない、世界中各地、昼夜どの隅よりリンチェンドルジェ・リンポチェの助けが必要信者は全てリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を願うのを観想している。
その後、彼は父母、妻、娘と兄を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めに行って、父母にリンチェンドルジェ・リンポチェと縁を結ばせた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で開示されて、彼の父母を加持して、彼の父母の供養を受け取って、それに、慈悲で兄と彼に皈依するのを納得した。
2010年12月24日の施身法法会が終わった後、彼の携帯には母親より父親がわけが知らずに全身が震えて、、抽蓄して、昏迷の状態になって既に緊急に病院の急診室へ運んだとの伝言があった。母親は彼と兄を早めに追いかけさせた。病院へ行く途中で、彼は絶えずにリンチェンドルジェ・リンポチェに願って父親の頭の上に加持するように観想して、また心の中に六字大明呪を黙って読んだ。病院に着いた後、父親の状況は頭にはまだ少し熱があった外に、その他の部分は大体落ち着いた。彼は知ってこれは全部リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲な加持の力である。
父親の検査報告が出て、一昨年のと同じで:置入性肺炎感染で、それに同じな部位だ。兄と彼は母親の共にして、父親の病床の側に絶えずに六字大明呪を唱えて、それにリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲な加持を観想して請い願った。翌日、リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れて、この事を報告した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の名前と生まれ年を聞いた後入定して、出定した後申された:彼の父親は若い時、嘗て1本鋭くて細い鉄棒である動物の肺にの肺に突き出した。黒かったのため、よく見えなくて、狼または猪みたいな動物だった。なぜ父親がこの二回の感染は全部肺の同じの部位にあって、これは果報である。しかし、父親は若い時に受け取れないべきお金を受け取らなかったのに。果物みたいな贈り物を受け取ったことがあった。
リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて開示された:父親の寿縁が使い果たした。熱がもうなければ、旧暦1月10日を過ぎると段々回復して、今年を過ぎて来年また様子を見る。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らと母親に申された後、また慈悲で病院にいた父親を加持した。それに、母親に一粒の貴重な甘露丸を与えて、同時に慈悲で彼らと母親の供養を受け取った。彼は大変リンチェンドルジェ・リンポチェを感恩した。事後、母親が思い出した:彼の父親は若い時緝私艦隊リーダイ隊長を担任して、密輸する品物を検査する時いつも1本の鉄棒を持って、封じた箱の中に突き込んだ。ある一回検査した時、確かに意外に一匹の密輸のドイツの犬を傷害した。彼の心が思った。意外としても因果に逃げる事も出来ない。
彼はリンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝し、彼の父が陰暦の1月10日に安全な暮らした。彼は父に連れで道場に向いてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来て、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深く加持に感謝した。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェが当日で父に珍しい甘露丸にくれた事にとても感謝し、同時に彼らの供養を慈悲深く受け入れて、その上、彼に父の首の保温を注意させた。
2011年1月6日、彼は尊き金剛上師のリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。一ヶ月後、彼の妻と娘もリンチェンドルジェ・リンポチェの許可をもらえて施身法に参加した。その時、彼の心の中に法喜まみれだけではなくて、同時に一層に言動を慎んで畏れた。これから、すべての法会の中に、リンチェンドルジェ・リンポチェは平和でユーモアーの方式に開示されて、或いは厳しくの訓示で教化させても、また、協会のサイトで記載されるリンチェンドルジェ・リンポチェの済度事跡が彼に仏の深さが既に科学と宇宙に超える事を深く感じさせた。
リンチェンドルジェ・リンポチェは開示した事があった。仏法は迷信ではなくて、研究の学問ではなくて、仏法が生死を解脱する方法である。彼の心の中には「自分が如何にこのように幸いチャンスがあって、この実際で証して修めて具徳で、大能力がある大師に仏法に従う事が出来る事」を考えていた。リンチェンドルジェ・リンポチェの功徳と般若は諸仏菩薩と差別が無くて、衆生の為に生死と輪廻過患を解脱する事を助けるめ明灯だと思っていた。
2011年7月19日、彼の奥さんは早産して、が、順調で息子を生まれた。生産する前に、2回で不思議で予期しないで大出血をして、が、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲深く加持の下、無事に危険な状態を過ごした。彼は奥さん、娘、生まれたばかり息子に連れで、道場に向いてリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、その上、リンチェンドルジェ・リンポチェに頼んで息子に名前を頂いて、しかし、彼の無知の為、完全にあるべきな礼儀と恭しい心を見落として、結局、リンチェンドルジェ・リンポチェに重くて加持された。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は普通な目上に頼んで息子の為に名前を付けて貰っても、筆・墨・紙・硯と手厚い贈り物をもきちんと準備するべきである。然し、彼は何も連れないで来て、リンチェンドルジェ・リンポチェに本当に恭敬しなかった。彼は恥ずかしくて、懺悔して、同時に、彼もリンチェンドルジェ・リンポチェの教誨に感謝した。
彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに恭しくなくて、躾がないけれども、リンチェンドルジェ・リンポチェが依然としてとても慈悲深く生まれた息子を抱いて加持を与えた。二週後、彼は筆・墨・紙・硯と供養を準備しておいて、その上、奥さん、娘、息子を連れで、再度リンチェンドルジェ・リンポチェに名前を頂く事を求めた。本来、彼は祈る前に、先に前回の過失に懺悔したいで、口を開いて言うつもり時に、リンチェンドルジェ・リンポチェが微笑んで手を振って、彼に「よし、よし、持って来るようにしましょう」と慈悲深く説いた。彼は先ほど口を開いて、リンチェンドルジェ・リンポチェが既に知っていた。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝し、彼の供養を受け取らないけれども、彼の息子に慈悲深く名前を頂いた。
また3週間を過ぎて、彼は岳母、奥さん、息子、娘を連れて、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来て、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼の岳母に慈悲深く加持して、その上、貴重な甘露丸を与えて、同時に、彼らの家族の供養を慈悲深く受け取った。当時、彼の心の中にはリンチェンドルジェ・リンポチェに言い終わらない感謝を持っていた。今回、彼はわざと岳母を山西から台北に迎えてきて、8月14日の「阿弥陀仏無遮大済度法会」に参加し、岳母が彼に「今回の台北の旅は本当に無比な嬉しくて、その場で大法会の殊勝に感じられて、その上、このような大能力の大修行者の加持を貰えられて、本当に幸いです」と話した。
彼の岳母が3ヶ月に来て、山西に帰るつもりな前に、彼らの全家族は再度リンチェンドルジェ・リンポチェに再度供養して来た。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに父に加持擦る事を求めないが、リンチェンドルジェ・リンポチェが依然として彼の父の身体の状況を慈悲深く尋ねて、同時に真言を唱えながら、彼の父に加持した。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示した事があって、両親に親孝行をして、仏弟子とすることで、仏弟子とするならば教えに従って実行しなければならなかった。仏法が学ぶ事が困難なのは言う事を聞かないで、仏を学ぶ事もとても簡単で、言う事を聞いた。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を良く覚えていた。彼は再度リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。
それから、彼は発露して懺悔し、子供の時両親にうそをついて、両親のお金を盗んで、蚊、ゴキブリ、ネズミ、バッタ、ミミズ、大肚魚などを殺した。青少年の時に親にたてついてことがあって、試験かカンニングして、成人書類を見て、暴力集団に参加し、武器を持ってけんかし、何回目で収支裁判所と派出所を進入し、その上、後悔して改正させなくて、両親の心に傷ついた。出国していた時に、焼肉、海鮮、シチメンチョウを食べて、社会に入った後に私利私欲をむさぼって、独りよがりで、道理があったら他人に許さないで、全て他人の錯誤で、彼がただ正確だ。バーへ言った事があって、家に亭主になって、彼がした悪業が殺生、偷盜、邪淫、飲酒、妄語の五戒を殆ど含めて、彼がここに懺悔し、彼が彼に傷害させてたべさせて衆生に対して、また、様々な悪がここに懺悔し、同時、彼がこれから犯さなかった。
最後、彼は尊敬する金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が健康で、仏行事業を大地に照らして、もっと多くの衆生に助けて、金剛を持っている者が百劫で留まる事を望んでいた。
リンチェンドルジェ・リンポチェは、今日、心の体性を開示し続けて、そなた達が聞いてから、くらくらする事を感じるかもしれないし、リンチェンドルジェ・リンポチェが何をおしゃっべる事が分からないし、然し、時間がが有限であり、リンチェンドルジェ・リンポチェが依然として心の法門を伝わらなければならない。最近、リンチェンドルジェ・リンポチェが「心」に対する開示とは、そなた達が現在聞いてから分からなくても構わない、そなた達が将来に絶えずに修行している中には、未来に、上師と諸仏菩薩の開示が必ずある時に作用を発揮するであろう。
心と意識は違って、心は衆生が生まれ付き、本来に具える仏性であり、意識は「眼、耳、鼻、舌、身、意」の作用により変動がある。仏法と人生の経験は完全に相反し、経験が如何に来るのでしょうか?実には意識の変動により累積した結果であり、そなた達は経験にて仏法を判断したら、自然に分からないと感じていて、此れは仏法が全ての経験法則を離れて、つまり「離戯」である。人生は遊戯のように、子供の時に、皆が役を演じる遊戯を遊んだ事があり、そなた達は子供に「何か遊ぶのか」を問い合せて、彼達も自分がある役を演じる事も回答し、実には、此れはそなた達の現在の暮らしと違う事がなくて、皆はただある役を演じて暮していくのである。若し「離戯」の心構えがないなら、そなたの現在の暮らしが真実で、快楽が欲しいで、一切の良い事を失う事出来ない事を執着し、失うと極めて苦しいと感じている。此れはただ遊戯だという事を認知しないならば、何かを失ったら、一切の方法を尽して、むだにもっと多くの苦しみを造るだけである。
仏陀が在世する時には正法時代と呼ばれて、その時の人々の業力がより軽いので、持戒したら明心見性が出来て、阿羅漢果まで修めることが出来るが、然し、明心見性に至っても菩薩の果位に至らないのである。有情衆さえであれば、すべては8万4千種類の煩悩がある。仏は仏を学ぶのが8万4千種類の法門がある事を開示した事があり、実には、衆生の8万4千種類の執着と悩みを対治する、仏は同じ法門を異なる衆生に伝えても、各々の衆生の根気と因縁により変化するから、仏を学ぶ事は全てお8万4千種類の法門を学ぶ事ではない。
多く聞いて多くのお経を読んで、仏を学んでいるのではない。仏経には、仏を学ぶ事が薫陶し、香りにて極めて長い時間かかって薫りを染み込ませて、ゆっくりしなければならない、食品もとても長く薫ってから、ようやく美味しい食べ物になるが。然しこの「ゆっくり」とは順序に従って行う事で、そなたが仏菩薩に1日、2日を欠勤したり1~2年を欠勤したりしてから、仏を学んで続ける事ではなくて、常に欠勤したら、結局10年以降に至ってから仏を学んで始める事になった。
そなたたちは今日聞いてから直に分かる事を思ってはいけない、此れはそなたの累世の善根と関係ある。ミラレバ尊者は文字を読めないが、同じように成就があり、そなた達は六祖慧能ではなくて、六祖慧能が金剛経を聞くとすぐ明心見性する事が出来て、自分の本性、即ち仏性を見て、心の作用も分かる。今日の末法時代に、ある人がこのような根気があったら、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座に登る事が無理である。どんな上師であれば、どんな弟子を教えるのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の根気が良いのではない事を謙遜的におしゃったので、弟子達の根気も良くない、けれども、そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが神通があるので、自分が神通があるはずと思ってはいけない。神通があるかどうかは上師の願力であり、此れは何も求めずに衆生を助けて上げるわけである。
事実上、仏法を聴く時には、分かってほしくしてはいけない、例えば、小学校の生徒は大学教授の学問が理解できるはずがない如く、たとえ大学の教授はすべての方法を使い尽くしても、小学の生徒に理解させるが、小学の生徒が依然として分からないのであろう。世間の学問はこんなにすることで、況して仏法であろうか。自分が速成班に参加する事が出来ると思っていはいけない、数日の密集的な訓練を経て、仏法に対して何か分かられると思ってはいけない。仏法を聴く事は、我々の各自の福報とも関係があり、時には上師がある意味をおしゃっべるが、そなた達が他の意味を聴いて入れて、福報が足りないなら、上師が開示される話でも多く聴くか或いは聞き違うのである。だからただ聞くのでさえすればいい。何か分かりたいのは意識が作用しているから、心が修行しているのではない 。
家で朝晩課をしたら仏を学ぶ事と思ってはいけない。以前、リンチェンドルジェ・リンポチェが顕教を学んだ時には、そなた達と同じように、他人が何かお経を読むと良くなる事を聞いたら、自分が家で唱えていて、所謂朝晩課をする事とは、毎日に少なくとも4時間から5時間までに仏法を研究したが、自分が真に何かを修行する事を知っていななかった。当時には、リンチェンドルジェ・リンポチェの顕教師父は金剛乗の上師がいつも弟子の状況を気に成る事というようなではない、結局、リンチェンドルジェ・リンポチェが唱えてからボトルネックを会って、厭世の考えを生じて、此の厭世とは自殺したい事ではなくて、変わりに周囲に一切の発生した事に嫌気がすると感じて、世間のめちゃくちゃな事を気にしたくない、ただ自分が修行をするだけを考えているのである。実には、此れは小乗仏法の修行の心願に退転するようになって、自分が成就を得るまで修めいならば、衆生を利益する願力を持ってない。
その時、リンチェンドルジェ・リンポチェははっきり夢を1つ見て、自分が身につけているのが面目が立つことを夢に見て、市場の外にいて、1本の大通りをあけて、もう一人同様に面目が立つように身につけている自分を見ているが、しかしその市井の大衆の中にいる自分は、大衆のために仏法を開示して、彼らをとても喜ばしくならせる。リンチェンドルジェ・リンポチェが夢を目が覚めた後に、自分が修行して間違ったことを知っている。以前の考えは大乗の仏教と背いて、1歩退いて阿羅漢道の小乗心願を修めるので、大乗仏教はなぜ大乗と称するのか、何故かと言うと、もっと多く積載することができて、心の量ももっと大きくなる。
自利利他とは、自分が解脱する事を求めるだけではなくて、先に自分が生死に解脱できるまで修めてから、はじめて一切の衆生を利益する能力があるのである。だから、ある具徳の上師に従って仏法を学んで、仏を学ぶ道に間違う道に行かないのである。金剛乗の上師はずっと弟子を監督していて、何か間違いがあったら、直に指摘される。そなた達は何故仏を学んで来て、開始する時には出発点が何の事に拘らず、すべて自分を利益するため、そなたが唯自分が利益を得るように求めたら、仏を学ぶ道に多くの障碍があり、此れはそなたが自分が良くなる事を求めて、衆生が利益を得る事が有り得ない、冤親債主がそなたに順調に仏を学ばせる事が無理である。然し、冤親債主はそなたを見逃さないと、そなたは過去に作った業力に従って進むしかなくて、物事がやはり同様に発生するのである。
昨日、ある信者はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに来て、新家を引っ越して、身体が余り気分が良くないで、眠る事が良くない事になった。リンチェンドルジェ・リンポチェが見ると、此の部屋の前任屋主が市場で鶏を殺す商人で、殺業がこんなに重くて、磁場が自然に良くなかった。その屋主は家で鶏を殺す事ではないが、けれども衆生の恨みが家まで従って、人が引っ越しても、良くない影響も続けている。何故此の人がこのような部屋を住んでいるのでしょうか?此れは共業である。此の信衆は嘗て鶏を殺した事があるので、ここに引っ越してきた。若し家に殺虫剤でゴキブリと蚊を殺せば、家の磁場も良くなくなるのである。
何故嘗ての大修行者の聖地へ多く行く事を言い、此れはあそこに大修行者の息と磁場があり、仏を学ぶ者が聖地に行く事も福報を累積する方式であり、然し、此れによって、彼方此方に聖地に参拝する事ができない。福地へいけるかどうかもそなたが福報があるかどうかにより、若し福報が無いなら、着けない。此の前、ある者が観光団に参加してチベットの直貢噶舉派祖寺ディクンティ寺に着いて、全部の人々が仏寺に行ったが、その日ただ一人だけ寶吉祥集団に勤めた社員は突然に高山症状で卒倒して、福報がないので着けなかった。彼女が着けないのは、彼女が他の宗教を信じているので着けない事ではないが、彼女と同じな信仰、老けた母親も着いたが、本当の原因は彼女の心が問題があって、自分の上司に信じなかった。
2007年、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに連れで閉関をして、場所はミラレバ尊者が嘗て閉関して修行した聖地であった。当地に多くのの巖穴があり、此の中の一つが金剛亥母の穴で、直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに連れでこの穴に来た後で、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王に此の穴を封じる事を勧めて、その後で穴の入り口に鉄門を設けて始めた。リンポチェやガムポだけ、ある程度を修めた者或いはリンポチェやガムポに連れられたら入られる。何故穴を封じる事が要るのでしょうか?此れは若しある人がここに観光地と思っていて此の穴を遊覧して、上師の引率をえないで入るなら、護法に怒らせて悪い影響を得るから。
昨日、ある家族はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来て、子供が病気に罹ったので、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来た。過去にも子供を連れであちこちに診療を受けて、更に多くのリンポチェに謁見した事がある。リンチェンドルジェ・リンポチェから見ると、家族の誰かが蛇をころした事がある事を問い合せて、子供の母がすぐに数年前に、蛇が家に来たので、彼女が確実に4匹の蛇を殺した事がある事と回答した。
蛇の瞋念が極めて重くて、仏経には1匹の蛇を殺したら、100匹の豚を殺すと同じな果報とある。仏経にも家に蛇が入ったら、此の家の人々が善業を行う事がない、つまり十善法を修める事がないとある。然し、嘗てリンポチェが彼のために修法した事があったので、彼に此の因縁があって、リンチェンドルジェ・リンポチェに会えて、彼に助けを与えた。若し住んだ人は心が善良なら、諸神が此の家を保護してこれらの事物を家に入られない。古代人は炉神を知っていて、黒砂糖を炉神に供えた。広東人がお正月の間に飴にて炉神に祭るという習俗があり、炉神に口が甘くなって、玉皇大帝に良い話を報告した。炉神はこの事を真に存在していて、然し、若しそなた達が仏をよく学んで善行をするならば、神を祀る事が要らない、炉神が自ずから此の家が仏を学んで善を向く人と報告するのである。
我々は一般的に蛇を見たら、恐れる事を感じて、たとえ毒がない蛇でもそなたに恐れさせた。此れは蛇の瞋念が極めて重いのである。そなたは羊を見たら恐れる事を感じられない、それは羊は余り瞋念を持っていない。たとえそなたが羊をあやしても、羊も構わないのである。けれども、そなたが獅子を見たら恐れるのは獅子がそなたを食べるわけではないが、獅子の攻撃性が強いのである。自然に人に恐れる磁場を散発した。この母は自分の子供が妊娠してから菜食者なので何か問題がないはずと思ったが、此れは間違った。この母親は4匹の蛇に傷害した事があるので、子供が如何に無事のでしょうか?菜食をする事は四つの利益が有るが。そなたに慈悲心を培養したり、衆生と悪縁を止めたり、そなたの身体に健康したり、衆生に再び傷害しない事である。
菜食する事は修行がある事を代表しなくて、菜食する事は何も偉い事ではない。牛と羊も菜食している。今回、ニュージーランドへ行って、このような多くの羊が菜食をする事を見えて、まさか彼等は全て修行する事が有るのでしょうか?細菌としても命があり、自主性がある。仏経には、人々の身体に多くの虫が居る事と有る。それは細菌であり、現場にある医者弟子も細菌が実は極めて賢い事と話した。最近、皆の知るとおりに、インドであるスーパー細菌を発見し、細菌はこれを殺される薬により変化を生じる事ができるので、何か治療の薬に対して抗薬性があり、殺されない細菌になった。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された。人々の身体には数多の細菌が居て、若し精進して修行してから済度を得るならば、身体には全ての衆生も一緒に済度を得られる。細菌さえ済度が必要なのに、動物も言う事もない。彼らは殺されて食べられた時如何なる感じなかっただろう。そなた達は動物の肉を食べられる勇気があるだろう。
最近、そなた達は、ある者がクロイツフェルトヤコブ病に罹って死んだ事を聞いた。基本的に、牛が草だけを食ったから、クロイツフェルトヤコブ病がないが、ある人々が牛に大きさに生長し、速めに生長させるのために、一部の動物内臓と骨を磨きて、その粉を飼料に混ぜて、牛達に食べさせるので、クロイツフェルトヤコブ病があって始めた。初めてこのようなした人はイギリス人なので、初めのクロイツフェルトヤコブ病の例がイギリスにあって、現在一部の鶏と家鴨もこのような方式により食べさせて、そなた達がまた食べる勇気があるのであろうか?
常に多くの人はリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、皆は言ったが、私はまだ多くの責任があるので、まだ仏を学べない。リンチェンドルジェ・リンポチェは聞いて、そなたは大統領であるだろう。どのような重大な責任があるだろう。求めた人は常に私の子供はまだ幼いから、世話が必要である。リンチェンドルジェ・リンポチェは更に聞いて、彼に大人になって、子供を生んで、子供の子供は更に子供を生むまで待っているのはこのように続けるのは終点がないだろう。このようにすれば、そなたは死ぬまでも仏を学ぶ因縁がない。自分は如何なる重要だと思わない。たとえ嘗て歴史に記載されて、世界中多くの偉人でもそなた達も見たが、この偉人がないとできないわけではない。彼達は亡くなっても世界は相変わらず運転している。
仏法は大乗、小乗、金剛乗を分けた。金剛乗は菩薩果位から修めて、直接に心から修める。大乗仏教は凡夫果位から始めて発願して修める。皈依、持戒、懺悔して、慈悲心、菩提心を培養して修める。登地菩薩から十地菩薩まで修める。経典に「菩薩は十地菩薩まで修めると、全て諸仏菩薩は密法を習う事を勧める。更に引き続きに十六地以上に至ると仏果を証する。」とある。仏教は他の宗教と最も大きい違いは心の修行である。外在の行為ではなくて、根本から修める。しかし、例え六祖でも明心見性になると、五祖を依止して仏法を習った。それはなぜならチベット仏教は特に上師の重要性を強調する原因である。例えそなたは根器がよくても、修行経験がある上師が導く必要があって、仏法を習う資糧をためて、福慧を修める。そうすれば、間違い道に歩かない。
邪見とはそなたに悪い事を教える事ではなく、そなたに生死を解脱できない見解だ。そなたに斜めの方向に向いて、間違いに歩かせて、引き続きに輪廻苦海に陥る。正福を貯めるなら、解脱の障碍を除ける。業を消すというのは仏を習う障碍を取り除くことだ。病気はすぐに治るわけではなく、因果はまだ存在している。
心の体性はあるではなくて、ないてはない。常ではなくて、断ち事ではない。お互いに継続して断たない。切っても断たない。破っても壊れられない。変わっても変化できない。妨げても止められない特質である。
心は如々不動である。リンチェンドルジェ・リンポチェは何故亡者のためにポワ法を成功に修めただろう。それは心の力が心の作用をコントロール出来るのを分かったので時間と空間の距離がない。心には来るがなく、行くもない、時間は意識に作られたのである。科学では光年で一つの恒星から一つの恒星までの距離を表す。しかし、インドから台湾まで飛行機はせめて六時間を飛んで、ニュージーランドから台湾まで十数時間にかかる。理論的にはリンチェンドルジェ・リンポチェはポワ法を修める時、せめて六時間或いは十数時間の時間にかかって、法はこのような遠い所に届いて正しく亡者の頭蓋骨の梵穴に穴を開いた。しかし、実はそうではない。リンチェンドルジェ・リンポチェはポワ法を修める時、常に修法の十五分間にかかっただけ。それはリンチェンドルジェ・リンポチェはこのように行って、皆に見せるから、完全に仏経に説く事は真実で嘘ではない事を証明した。
金剛経に説いた:無寿者相。多くの人は寿者を寿命として解釈したが、実は時間である。時間とは人が作った。それは地球が回るから、時間が現れる。若し一人を宇宙にいれば、他の恒星の動きを見えないと、時間は存在しない。若し地球は回らないと、二十四時間にならない。地球の半分は永遠に暗く、他の半分は永遠に光だ。若し太陽さえ消えないなら、四季も現れない。時差と言うのは太陽の光は違う所を照らすから、人は時差という観念を作る。例えば、台湾はニュージーランドと時差がある。米国東岸、西岸も何時間の時差がある。だから、多くの不便になる。時差の意識があるから、米国東岸、西岸を旅行する時に疲れると感じた。
中国は広いけど、全ての中国は共同に一つの時間を使って、中国に彼方此方に移しても時差がなく、疲れると感じない。そなたは不便と感じたか。ないだろう。だから、時間も無常である。人は作った物は自然にある事ではない。そなたは心の体性は時間がなしという観念を体験すれば、そなたは過去、現在或いは未来を執着しない。非常に楽しい事が現れる時、そなたは余り気にしなくて、非常に苦しい事が来る時、そなたも其の中に陥って離れない。だから苦痛と快楽も空性である。
心は元々継続に断たない。人の意識で切れたが、本体は相変わらず断たない。切っても断たないとは過去、現在、未来は人が分別したことのようだ。実は過去、現在、未来は分割できない。例えば、人の呼吸の間に過去、現在、未来同時に現れて、完全にはっきりに分けられない。そなたは息を吐き出したのは既に過去で、再び息を吸うと現在であり、未来である。仏法は三世因縁を説いたが、仏法しかこの言い方がない。他の宗教はこのように話さない。
心は重さも色もない。所謂破っても壊れないというのは人の体は偽物で、業力因果の異なりにより、因縁の合わせる下に生じで、同じではない世に同じではない外貌が現れた。このお体は最終に壊れされた。人は長く生け、多くとも84,000歳まで、最後にやはり、壊れされて、滅される。しかし心の体性は仏性で、浄土か六道に輪廻すると問わず、ひいては三悪道で、全て永遠に破壊されないと言った者がいた。だからお体は破壊されるが心は破壊される事が出来ない。
リンチェンドルジェ・リンポチェは亡者のためにポワ法を修める。リンチェンドルジェ・リンポチェの心の体性が今まで破壊されたことがなくい、済度される者の心の体性も破壊された事がない、同じなので、亡者の心を招いて、法を修めることが出来た。衆生の心の体性は全て同じで、仏の心と人の心と、その体性も同じである。
妨げても止められないとは物質の障碍があっても、止められない。リンチェンドルジェ・リンポチェは数千キロ距離の所にいても、亡者のためにポワ法を修められるという例で説明する。物理学から見ると、例えばリンチェンドルジェ・リンポチェは関房の中に法を修めて、空間の中に関房の壁に妨げられ、遠い数千キロの距離の間に風、他の物質に妨げられるかもしれない。また、遺体は通電のステンレス製の冷蔵装置に置いて、ステンレス及び電流電子など障碍がある。更に銅製の棺があるかもしれない。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの障碍の下亡者のために法を修められる。此れは妨げても止められないことである。
ここまで言うと、リンチェンドルジェ・リンポチェが笑いながら皆にまもなく眩みになったかと聞いた。ある嘗て出家した弟子が表した、因明学が説いた「宗、因、喩」とは仏法の最終の主旨で、一切の事物の原因と様々な喩えである。リンチェンドルジェ・リンポチェはすごく浅近な方式でこの三者を全て非常にはっきり説明された。特にリンチェンドルジェ・リンポチェがポワ法を例として時間は空性との喩えを申された。これは彼が過去聞いた事はない。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの教法が真に深くて測らないと賛嘆した。リンチェンドルジェ・リンポチェは直ちに謙虚で自分がそうではなく、直貢チェツァン法王の教法こそ深くて測らないと仰った。
リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて申された:ある言葉は、心が転境出来る。そなた達なら、心が境に転化される。台湾の高速道路の休憩所の公衆トイレが普通に日本の公衆トイレよりあんなに綺麗ではなく、そなた達は日本に行って、公衆トイレを使うと自然に割合に綺麗にする。これはこそ心が転境されたの喩えである。そなたは本当に心の作用を体得が出来れば、輪廻を断つことが出来る。皆は覚えておいて、仏を学ぶのが自分を修正するのため、自分の正しくない行為を言い訳としてするのではない。心の体性は去来がない、時間の区別がないとはっきり分かれば、輪廻と涅槃とも無二無別ことを分かりになった。輪廻と涅槃を見ると二つ相違することが、実は、時間の区別がなければ、輪廻と涅槃とも始め及び終わりの差別がない。
衆生は無明を懸念するので世間に輪廻することになった。それは始めにあった考えが仏法に対して信じなくて業力が起こられて輪廻になった。。一つ一つ考えのスピードが速くて驚いて想像が出来ない。宇宙の一切は全て因縁に生まれた。ただ心は因縁とあわせて生じたものではなく、自性がある。「心」とは始めにどう生まれたか、何時生じたか仏経の中に載せてない。十地以上の菩薩まで修めないと分かりが出来ないのをしか載せない。リンチェンドルジェ・リンポチェは十地菩薩まで修め得なかったので分からなくて、我らがここで討論しない。我らは只仏が全て説いて話が真実と信じすれば結構である。弁論、考えしなくてもいい、それは、こうしても全てそなた達の人生経験法で解釈する、しかし仏法と人生の経験法と全く同じであらない。一般な世間の学問は人の意識の変わりによって生まれた。つまり、心念の動きにより、絶えずに色々な学問を生み出して、今のところの研究は全て人の意識の上で集中して、本当の心まで探究しなかった。だから宇宙の真理の答えを見つけない。
『金剛経』に記載させていて、人の心は不思議である。心の力は限りなく大きくて、只衆生の心は六賊に騙されて分かることが出来なかった。そなた達は嘗て郊外へ空を見て、突然に大変気分がよかったと感じて、どんな考えもなく、これこそ心の本来の面貌が少し現れた。心は実いつも存在して、只そなた達は貪、嗔、痴、慢、疑五毒に遮蔽されて、そなた達は心の従来の面貌が見えなくさせた。本当に心性を悟れば、あの楽しいは何の他力を借りらなくても生まれた。即ちそなた達がよく聞いた楽を自得するのである。楽を自得するとは自分を閉めて部屋の中にゲームをしてとても楽しいのではなく、その本当な意味は心を示している。
衆生は始めから本来仏性を備えた。しかし無明を懸念して、貪欲が起きられて、業力が生まれてついに輪廻の中に堕ちた。本当にこんなに簡単か疑う者がいるかもしれない。じつは、輪廻するのが非常に容易で、一秒の内に起きられた考えはそなたの意識を浄土より三悪道に変わって往生させた。直貢噶舉教派の教法は心から修め始め、全てのやり方は全部心により、だから、直接一番根本の心からとができるあなたの意識は生まれて浄土はそれに三つの悪道を陥るへからでした。 まっすぐな貢ガロンの教派を挙げた教え方は心は修理するから すべてのやり方はすべて根源が心に,だから直接的にいちばん根本的な心から着手する。そなたが心の真な体性をはっきり体得すれば、世間にはそなたにとって難しいことはない。本を読んで試験をしなくて、ちょっと聞けば事柄の全貌がすぐ分かった。心を支配する能力があれば、もう悪業をするはずがなかった。
リンチェンドルジェ・リンポチェは45才時皮膚癌にかかって、化療、手術を受けなくて、更に、一日中も恐れなくて、全て平常心で日を暮らした。即ち自分の心を支配することが出来て、癌症或は外在の事に自分の心を邪魔されなかった。
嘗てある信者は主人と主人の前妻が生まれた子供の面の前でリンチェンドルジェ・リンポチェにこの子は業がとても重くないかと伺った。リンチェンドルジェ・リンポチェは当時、頭を回ってきて直接彼女に仰った:「そなたの業こそ重かった」。あれから、この者がもうリンチェンドルジェ・リンポチェの面の前に現れない。そなた達は他人の業が重い事を言う時に、自分の業が彼により重かった。実は、我らは全て業がすごく重いため、この一生はまだ地球に現れた。既に返済すみであれば、もうここに現れることがしない。所謂業は、只悪業ではなく、そなたを絶えずに輪廻させる力は即ち業で、善もあり、悪もあった。ある者は突然にいっぱいなお金があって、お嫁がもらって、子供を生んで、生活が円満になってから、もう仏を学ばなくて、これも善業が邪魔しに来た。人生がそれで「満足」と思わないで、そなたが臨終する前に冤親債主が現れるのをやっと分かった。そなたの神識が頭頂の梵穴より出て浄土へ行くのが出来なくさせて、直接に足元から出て地獄へ行った。三悪道に堕ちるのが本当に大変容易で、そなたが一息を吐くより易しかった。
現在、台湾には「再来人」と言う事を流行し、そなた達が真に再来人としても、但しミラレバ尊者が「ただそなたは浄土で修行する事がないなら、そなたが必ずある世に地獄道にいる」と仰った事がある。我々は一回で輪廻し、多くの業力がある。多くの人々は生れ変ったリンポチェを盲信し、生れ変る者が素晴らしいと思っていて、実には前世の修行が此の世に持って来る事が出来ない、重要なのはそなたの此の世にどの位ほどに遣りどける事である。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏菩薩、歴代上師、貴き直貢チェツァン法王とアチ護法の加持の下に、神通があって衆生の事を知って始めて、多くの衆生が六道に輪廻する折に無尽な苦しみを受ける事を見ると、非常にいらいらしている。
多くの人々は仏法と他の宗教と同じように、善行をする事を勧める事と思っている。然し、仏法曰く善とは十善法のである。仏法と他の外道の違いのは外道がただ主を信じる事が足りる事を話す。然し、仏法が皆に教えるのは因果であり、自分から修めなければならない。
「ただ菩提の心を発して、懺悔をしないでも構わない」ということは、法王果位とリンポチェ果位の人々が仰って始めて、そなた達が懺悔しなければいけない。そなた達は懺悔しなくてもよいなら、それでは直貢チェツァン法王い伺いを立てれて、そなたに法座を上げさせられてリンポチェになる。毎回、法会が完了する前に、我々は『極楽浄土に生まれしことを求める祈祷文』を唱えて、此の中に「菩提心妙寶」に言及して、菩提心が妙寶で、そなたが菩提心を発するならば、一切が全て因果と因縁である事をはっきり明白し、そなたの心を影響させられない、快楽であれ、苦しみであれ、分別が無い、そうすると、業力がそなたに修行して仏を学ぶ事を障碍させない、そなたに浄土に往生する障碍に成らない。
以前から今まで、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に「心」の修行方式を教えて、抑圧し、調整して安んじて、それからはっきり了解して、さらに「心」が空性と言う事を開示された。今日の開示する内容はそなた達が現在聞いてから分からないが、将来にそなた達に必ず助けがあり、つきまして何時に役に立つ事が個人で仏法に対する学習の程度による。そなた達は帰って考えたくなくて、此れはそなた達が現在考える事とは全て意識で考えて、このような思惟方式が役に立たない、然し、そなた達は時間が空性である事ので、出勤し、他人に会う事を遅刻する事ができない、此れはそなたが世間にいて、皆がこのような暮すなら、そなたもこのように守らなければ成らない。仏法は我々に自分の心を修正して来るので、自分で間違いを犯す口実に成ることではない。
現在、すでに年末に至り、来年の一月から旧暦のお正月の間には、リンチェンドルジェ・リンポチェは毎週の日曜日に皆に修法させて、皆の未来の一年に順調で渡す。一部の人々がより長くて皈依し、暮らしがより順調で、此れはそなたが修めえる事を示す事がない、傲慢が出来ない。実には、此の不安定な年において、そなた達が上手く暮らしを渡されるこは、諸仏菩薩、直貢チャツアン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェがずっとそなた達加持しているわけである。一年で一年で経て、仏を学ぶ時間も一年で一年で減らし、そなた達が時間を探してよく考えてみて、此の過去の一年に、自分の慈悲心を増える事があるでしょうか?自分が三寶に恭敬する心は増強する事があるでしょうか?自分の悪癖を幾ら改める事があるでしょうか?仏法に対する理解が少しでも増える事があるでしょうか?時間をがさして静かって反省し、年寄りになって、往生する前に至ったら、自分を検討する力がないのである。
2011年11月13日
午前、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは再度寶吉祥弟子に連れて強久林寺に向いて、「喜金剛正行大灌頂」に参加し、リンチェンドルジェ・リンポチェの車が強久林寺に着いてから、仏寺の管理人のラマ僧ビリが自らリンチェンドルジェ・リンポチェに迎えてハダをあげて、そして、自らリンチェンドルジェ・リンポチェに仕えて会場に入った。強久林仏寺の住職――尊きのチザギャラ・リンポチェは自ら壇城においてリンチェンドルジェ・リンポチェに誘って壇城に向いて座らせた。その上、尊きガチェン・リンポチェの要求の下、リンチェンドルジェ・リンポチェが、主法上師――ガチェン・リンポチェの法席の左側の第2位の高座で座った。相手はヌバ・リンポチェである。主法上師――尊きガチェン・リンポチェは法席に上げる時に、わざとリンチェンドルジェ・リンポチェに向いて、その上、リンチェンドルジェ・リンポチェと互いに額の挨拶をした。
法会は始まってから昼まで、ガチェン・リンポチェは喜金剛灌頂の意味と内容を開示された。昼食のお休み時間、ガチェン・リンポチェは法席を降りて、その上、リンチェンドルジェ・リンポチェに誘って休憩室に向かって暫く仰って、この後、リンチェンドルジェ・リンポチェが寶吉祥弟子に食事場所に向く事を指示させた。
昼食の後で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥弟子を連れで強久林仏寺に戻って、午後の喜金剛灌頂法会に続けて参加した。法会が始まった後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは首位の出家衆と出家弟子を連れて、一切の衆生に代表して、主法者の尊きガチェン・リンポチェにマンダと供品にあげた。マンダをあげる同時に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台湾から持ってくる2010年尊勝直貢チェツァン法王が台北ドームで主法する「チベット仏教直貢噶舉派祖師ジッテン・サムゴン793年記念大法会」の500枚DVDをラマ僧により出家衆と信衆に与えた。反応が熱烈なので、また、最も多くの人々は尊勝なる直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェに認識する事が出来るの為、リンチェンドルジェ・リンポチェが一ヶ月以内に、又、5カートン(500枚)のDVDを強久林寺に与えて、信衆、出家衆、功徳主に提供した。ガチェン・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェが灌頂させることを誘って、が、リンチェンドルジェ・リンポチェが謙虚で断った。法会が完了する前に、ラマ僧はガチェン・リンポチェから提供するルピーの現金を全ての参列者に与えた。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲深く全ての弟子にもらった400ルピーを揃えてから、全部主法上師にガチェン・リンポチェに供養した。寶吉祥弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に福報を作ってして累積する機会にとても感謝した。最後、法会が完了する予定前に、ガチェン・リンポチェは多くの甘露丸をリンチェンドルジェ・リンポチェに与えて、リンチェンドルジェ・リンポチェは多くの甘露丸を全て今回法会に参加して来る弟子達に与える事を指示させた。弟子達は上師に従って法会に参加して、その上、無上の宝を貰える事に感謝し、心の中で全てとても感動した。
強久林寺の法会は円満になって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェすぐ寶吉祥弟子達に連れて、尊勝なる直貢チェツァン法王に謁見して行って、その上、直貢チェツァン法王の住所に向く前に、弟子達に慈悲深く言いつけた。本来、直貢チェツァン法王はいま誰でも会えないが、完全な静養が要って、然し、今日、特に寶吉祥の弟子に接見した。皆は直貢チェツァン法王を謁見する時に、言ってはいけなくて、声を出して挨拶しないで、感謝を言わないで、自分の感激或いは感動を表現したいので涙を流してはいけなかった。直貢チェツァン法王に邪魔しないで、如何なる声を起こさないで、会ってからすぐに離れた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に尊勝なる直貢チェツァン法王に会える殊勝な因縁を作って、寶吉祥弟子達はが全てとても感謝した。
寶吉祥弟子達は感謝していてリンチェンドルジェ・リンポチェに従って直貢チェツァン法王の住所に謁見した行った。直貢チェツァン法王は慈悲深くて全ての弟子達に室内に座って、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王の疲労を惜しむので、弟子に最も早い方法ではっきり座った。直貢チェツァン法王は法席の金剛結を指して、在席の寶吉祥弟子に送った。リンチェンドルジェ・リンポチェは見てから席を離れて、直貢チェツァン法王の法席の側に、直貢チェツァン法王に協力して金剛結を袋の中に取り出した。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に個別で金剛結びをもらえて、直貢チェツァン法王に疲れすぎで、直貢チェツァン法王に頼んで寶吉祥弟子達に伝える方法により貰えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら両手で金剛結を上げて直貢チェツァン法王に吹いて加持させて、それから、前列の出家衆弟子に皆に分けて渡した。この時に、直貢チェツァン法王は金剛結を寶吉祥弟子がすぐある者に「直貢チェツァン法王に有難う」とすぐに話した。この行為はリンチェンドルジェ・リンポチェの叱りを受けてしまって、弟子達に口を開いて直貢チェツァン法王に邪魔する事がはずではなかった。
直貢チェツァン法王に仕えるの為、リンチェンドルジェ・リンポチェが随意に下敷きを持って直貢チェツァン法王の法席の側の地面に着席して、上師への注意深いと恭敬を自ずから現れて、直貢チェツァン法王に無比な従順し、一心で上師の需要を注意し、自分を以って弟子が上師に仕えるベスト模範になった。
寶吉祥弟子は全て金剛結を貰えた後、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王が再度精神と体力を消耗する事を惜しんだので、寶吉祥弟子に離れる事を指示させた。が、直貢チェツァン法王はとても慈悲で、自身の疲労にかかわらないで、依然として、寶吉祥弟子達に貴重な簡潔で重要な開示に与えた。直貢チェツァン法王は再び寶吉祥弟子に「リンチェンドルジェ・リンポチェはこの20数年以来、教派にとても忠実で、そなた達が上師の言う事を良く聞いて、直貢チェツァン法王がそなた達に祈る」と説いた。寶吉祥弟子は直貢チェツァン法王の珍しい開示と金剛結を貰って、感謝で頷いて回答し、直貢チェツァン法王の深い誠意がこもる指摘が心の中の感動を喩え難かった。その後、寶吉祥弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの指示により順番で直貢チェツァン法王の住所を離れた。
当日の夕食後に、自身の苦労を顧みない、衆生に利益するのため、リンチェンドルジェ・リンポチェが関房に入って、強久林で第12回目の閉関を行った。
今回、強久林寺の法会に参加する時に、男の弟子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに仕える挙止が適当でなくて、すぐにリンチェンドルジェ・リンポチェがその場で責めて蹴る加持を貰えた。リンチェンドルジェ・リンポチェの教法はとても厳格で、ただ弟子が間違いを犯すと、すぐに指摘させて、弟子に悪因を造る機会を阻止した。リンチェンドルジェ・リンポチェの嬉笑怒罵は全て仏法で、全て慈悲の表現である。今回のインドの旅は極めて疲れすぎけれども、リンチェンドルジェ・リンポチェが心の中にただ弟子達に関心し、弟子達に全ての一切を手配し、堅果と果物を常に加持し、弟子達に分けて食べさせて、いつも最も良い物を弟子達に与えた。寶吉祥弟子達はとても感謝し、上師がいないなら仏を学んで修行する事が出来なかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に殊勝な因縁を作って、弟子達にこのような珍しい機会を持たせて、インドのジャランダーで尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが自ら主法のプルパ法会に参加する事が出来で、また、直貢噶舉派の2011年にドラドンの強久林寺で喜金剛灌頂法会に参加して始められた。寶吉祥弟子はとても幸せで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏法を学んで、その故に、尊勝なる直貢チェツァン法王と直貢噶舉伝承の加持をもらえて、弟子達の心の中に上師の限りがない恩恵にとても感謝した。
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2011 年 11 月 27 日 更新