尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ の法会開示
2011年8月7日
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催して、「施行円満」を開示された。法会が始まる前に、皈依した女子弟子は皆さんに、自分が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得た経過を分かち合った。
この弟子は自分が幸運に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法教導を得たことに恩に感じて、「読万巻本、行方里路」との必要がなくて、ただ毎週 日曜日の法会に、及び毎月の一回の施身法に参加したり、リンチェンドルジェ・リンポチェの正法開示を聞いたり、リンチェンドルジェ・リンポチェの著作《快 楽と痛苦》の1本を聴聞したりしたらいい。多くの事はすべてすらすらと解決することができる。この弟子は10年前の職業が看護なので、当時の看護される相 手と同行して施身法に参加して、その時多くの兄弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェが癌の患者に対してとても大きく助けたことをあることを褒め称えたの を聞いた。彼女のもう一人のサービスの相手であるお婆さんは大腸癌に罹って、1段の腸を切ってしまったため、大小便はとても痛い。この弟子はリンチェンド ルジェ・リンポチェに願いに行った。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に、お婆さんの家族がお願いに来る事を要すると言って、突然引き続いてこの弟子 に「何か用があるのか」と聞いて、彼女はぽかんとして、やっと腹が痛いことを思い出した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女が手を伸ばしてくださいと 開示して、手の平にて彼女の手の上方で、数センチメートルの距離を離れた。数秒間の後で、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に教えて、あれは良性の腫 瘍であり、法会に参加しに来たら大丈夫である。その時彼女は既に三つの大病院に行ったことがあり、すべて医師が2、3センチメートルの子宮筋腺の腫瘍があ るので手術を行って子宮を摘出しなければならないと告知した。彼女の姉と友達が摘出した後に皆が苦しいから、その上彼女は片親の母であり、更に息子と娘が 幼くて、彼女は必ず働かなければならなくて、長期にわたり休養することができなくて、手術を行う予定がない。その故、彼女はリンチェンドルジェ・リンポ チェに従って法会に参加したのである。
彼女は2001年10月21日までやっと法喜充満に娘と一緒に皈依した。2001年4月14日、その時16歳の娘は1人の男の子を生んで、出産後満 一ヶ月の時、この弟子は娘の母子二人を連れて施身法に参加した。リンチェンドルジェ・リンポチェは法会が終わった後、自分の疲れたことを顧みないで、彼女 の娘と外孫が来ると要して、彼女たちを加持してあげた。2001年8月14日、彼女の外孫は眠って窒息するため往生した。その時、リンチェンドルジェ・リ ンポチェもその子供を済度した。ただこの弟子は愚かで無知であるから、白髪人が黒髪人を葬ることをしないという風習を信じて、家族にリンチェンドルジェ・ リンポチェが法を修めた殊勝を知らせる機会をミスした。事後に、娘を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しにいって、リンチェンドルジェ・リンポ チェは、幼い外孫は菩薩であり、彼女たちに仏を学びなければならない事を注意させたと開示した。そして彼女の娘に良く食事をして、用事があればリンチェン ドルジェ・リンポチェに教えてもらうことができると開示した。2002年に尊勝なる直貢チェツァン法王が台湾に来て万人大法会を開催した後に、この弟子は 再び検査に行って、すべて問題が無くなり、長年の子宮下垂の問題も治れた。彼女はとてもリンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着た。
彼女も自分が介護した年寄りはリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得た事を報告した。あるお婆さんは老人ホームに住んで、年齢も90に近くて、 往生する前にリンチェンドルジェ・リンポチェに会えて、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持及び甘露丸を得て、天道に往生できた。他の96歳お婆さんに 関して、この弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェのビデオを放送して、お婆さんにリンチェンドルジェ・リンポチェの姿を覚えさせて、間もなく彼女の嫁さ んから聞いて、朝椅子を座ったままに往生して、何も苦しくなかった。ある83歳楊さんはこの弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが取材を受けた雑誌を見 せて、ある夜彼に晩餐を送った時、彼はこの弟子に言って、自分が阿弥陀仏の所に行く。この弟子はとてもいいと返事した。第三日目叔父さんは喉に痰がから まったから往生した。彼は生前にこの弟子に行って、彼の娘が恐がるから、自分に近づく勇気が無かった。当日この弟子は彼のベッド前に跪いて、一時間にリン チェンドルジェ・リンポチェが伝授された六字大明呪を唱えた。葬儀社の人は来た時、彼女は死体は柔らかいと見えた。ある96歳の廖爺さんは病院に一ヵ月半 に過ごして、毎回彼を見舞った時、介護者を雇用しなかった。息子が三人アメリカにいて、唯一台湾にいた息子は精神病患者でもはや60歳だった。この弟子は 嘗て、リンチェンドルジェ・リンポチェの著作《快楽と痛苦》を廖爺さんに見せた。また、リンチェンドルジェ・リンポチェの功徳を賞賛した。お爺さんは往生 前数日彼女もまた《快楽と痛苦》を廖爺さんに見せて、彼はようやく落ち着いて最後の息を止めて、もはや苦しみを受けなかった。この弟子は多くの年寄りを介 護して、彼達の家族も多数、他の宗教を信じたが、最後この因縁があって、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得られた。毎年大超度法会に彼女は彼達の 名前を済度リストに登録されて、全てはリンチェンドルジェ・リンポチェの済度を得て阿弥陀仏浄土に往生した事を信じた。
彼女は今年3月に乳房検査を受けて、第4期乳癌に罹ったと疑われた。過去も嘗て子宮筋腫に罹った。リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法開示を聞い て、自分が殺生があった事を分かった。また、若い時も傲慢して自分が綺麗だと思ったから、断りを分からなくて、三人や四人という付き合った彼氏を持ったか ら。勉強した時に宿題を書く事が嫌い。今までリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しても悪習はまだ修正されなくて、完全に教えに従って奉じなかった。リ ンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、自分の過去の悪習を変えるのはとても巨大な工程である。「私」の念が現れるのは悪である。だから常にリン チェンドルジェ・リンポチェが開示された仏法を心の中に覚えなければならない。どんな人、物事に遇っても、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示された仏 法があって速やかに解決できる。
リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子に与えた仏法の財は取っても使っても尽きることがなくて、使えど尽かない。リンチェンドルジェ・リンポチェが 経営している会社は彼女にとって助かった。漢方薬診療所は使った薬は最もよく、医師もとても根気がよくて、丁寧に脈診して薬を処方した。彼女の左手のリン パ腫れに多く消された。ヘアーサロンの足ケアもこの弟子が長年に足の皮膚問題を解決した。日本食品も我々に安心に食べれた。旅行社に関して、海外旅行して ネパールの聖地に訪問した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは尚更に当地の警察を雇用して皆を守った。リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達のために 行った全てを感謝した。
リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て金剛の舞を行って開示されたが、その中にある一段落は鹿が二匹を踊って、鏡を見るようだった。我々は他人の間 違いを指摘する時、自分の間違いこそ反映された。我々を他人を変えなくて、自分しか変えない。医療や教師など仕事をする時、必ず犠牲奉献の精神を持たなけ ればならない。他の職業も同じだ。この弟子は今仕事が出来ないが、リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、毎年大法会の供養金を内政部に寄贈したか ら、この弟子に利益を得られた。社会局の補助、営建署の家賃補助、嘗て年間給料30万元以下でも補助があった。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示 されたが、本当に仏を学ぶ人は住む部屋が無いわけではなく、食べられない事訳ではなく、着る服が無いわけではない。
彼女は自分多年を費やして、一生懸命仏を学ばなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の家庭生活を犠牲して、名声と利益のためではなく、脊 椎側湾の痛めを問わず、衆生が全て正法が聞こえて、離脱が得て、浄土へ行って、仏果を証得が出来たのためである。この弟子は自分が人間ではないと叱って、 動物さえも慈鳥反哺が出来て、自分は畜生さえも及ばなかった。彼女は上師の叱りを受け取る。尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに法輪をいつもま わるように懇請する。法体が安泰健康になって、仏教の護法善神が百劫をいる様にお願い致す。
続いてもう一人皈依した女弟子は尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女と彼女の家族を助けるの経過をともにした。
始めから彼女はまず尊いリンチェンドルジェ・リンポチェがどのように彼女が仏を学ぶ妨げを除くのを助けたことをともにした。彼女は一昨年 (2009)7月から施身法を参加して、昨年(2010)7月尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して、今まで満ちた1年だ。施身法に参加する前、 ある日、彼女は桃園に帰って、母親に彼女はこれから菜食し始めと話そうと思った。しかし口を開ける前彼女はとても緊張して、家族には今まで菜食するものが いないので、母親が受け取れないのを大変心配した。果たして、彼女は母親に話した後、母親は芝居ような激しい反対な態度が現れて、彼女に「そなたは菜食す るのが出来るな!我が死んだら好きにさせるが、我らが生きているうちにそなたは菜食してはいけない。」と言った。とても不思議が、母親の反応がこんなに激 しかったが、あの頃彼女の気持ちはかえって大変平静で、彼女の心の中に尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに助けてくださいと願って、菜食がするべきだか ら、同時に彼女は徐徐と母親と日常的話をして、案外に、暫くして、母親は今度から彼女のため菜食するのを用意すると言った。母親は芝居ような反対するから 用意してくれるまで全部の過程が唯十分だ。これは全部尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの助けで、彼女に順調に菜食させた。
一昨年11月彼女は尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依するのをお願いした時、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に父母に聞いたかと 聞いた。あの頃彼女はぼんやりして、心の中に未成年の方は父母の同意が必要ではないかと思った。彼女は既に30何才なのに、また先父母に聞く必要がある か?あの頃リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に申された、彼女が必ず父母に尊重するべきで、また彼女が父母に尊重しなければ、将来にもリンチェンドル ジェ・リンポチェの話を聞き取らないと仰った。家に帰る途中で、彼女は思い出した、自分が勉強することと仕事はいつも順調で、また独り善がりで、自分がな んの悪い事をしないので、どのことでも自分が決めて、事後父母に簡単に報告することになった。父母の意見を尊重すると言わず、父母と自分が全て知った聞い たのを共にすることさえもめったにがない。思いながら耐えずに涙が流れた。その後、彼女は桃園に戻って父母に彼女が尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに 皈依したいのを伺った時、本来彼女に全てすきさせて、干渉しない父母が大変決然な反対する態度が現れた。父親は知識的にの反対で、彼女と古代より現在出来 事を論じて、社会記事からあの頃蒙蔵委員会までの色んな反対理由を話して、母親なら伝統型の反対で、彼女は不賛成であれば不賛成である。なるほど、なぜ尊 いリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に父母を聞かせた、彼女は父母が納得しないから。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが本当にすごいと思いなが ら、自分が既に施身法を何回参加したのに、今まで父母とリンチェンドルジェ・リンポチェのご開示、事跡と道場の状況をともにしたことがない。それより、父 母あ彼女を心配して、彼女の皈依することを反対するのも可笑しくない。彼女は大変尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を恩に着た。あの頃父母は彼女 の皈依を反対したが、彼女が毎週日曜日の共修法会に参加するのを同意した。
去年1月30日に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが皈依儀式を行ったが、当時彼女の両親はまだ彼女の皈依を承諾していないため、他の人が皈依 を受け喜んでいる時には、彼女は黙って一列目に座るしかできなく心の中から悲しんでいたところを尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに見られたような気が した。自分一人だけ一列目に座るのがおかしく見えるから見られたのかと思ったが、これこそリンチェンドルジェ・リンポチェから殊勝な加持である。桃園にあ る実家に戻ってから、彼女は冗談っぽい口調で母親に後どれぐらい私を観察するの?いつになったら皈依できるの?と聞いたら、母親は直接に旧正月明け皈依を 求めに行きなさい!そして父親も承諾したとの返事であった。答えを聞いた瞬間、彼女は唖然として信じられなかった。両親が反対し始めてから約3ヶ月の間、 彼女自分は何も改めていなければ、何もしていなかったくせに、両親をこれだけ大きく変化させる理由は?これはすべて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが アレンジし、佛を学ぶ道のりに差し支えがないように助けてくださったのである。
それから、母親がニュース番組での宗教団体の不祥事によって彼女に愚痴を零し始めたら、皈依することは必ず両親の承諾を得るようにしてもらうリン チェンドルジェ・リンポチェは悪いことするのか?と母親に聞くと、母親は黙ってくる。リンチェンドルジェ・リンポチェがするすべてのことは堂々とした、筋 合いのあることに対して母親は否認しようがない。
この一年、両親はリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いになったことがあり、殊勝な加持を得られた。二番目の兄は先月で皈依し、義理の姉と姪もリ ンチェンドルジェ・リンポチェから莫大な助けを得られた。振り返ってみればリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女一人だけ助けてくれるのではなく、リン チェンドルジェ・リンポチェからの簡単そうに聞こえる話が、一家そろって佛を学ぶきっかけとなった。だが、彼女自分がよく改めておらず、よくしておらない ことから、未だに両親が完全に精進料理を徹底できないし、リンチェンドルジェ・リンポチェにも一回だけしか会ってなかった。両親を去年の年末にリンチェン ドルジェ・リンポチェに会わせるようになるご加持を非常に感謝している。両親がリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いに行く日は突如な状況が相次ぎ、健 康とも言える父親は急に漢方診療所で尿失禁したまで漢方診療所にご迷惑をかけ、大変申し訳ない。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲加持がなければ、彼 女たちはその日にとても道場に着けないものであった。リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の父親が罹る糖尿病は肉を食べすぎることにより、母親の喘息は 鶏を殺すからと開示された。父親は未だに完全に精進料理を徹底していないものの、母親も鶏を殺したことあると認めないが、依然リンチェンドルジェ・リンポ チェからの殊勝な加持を受け、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは父親からのご供養を慈悲に受け入れた。彼女は非常に上師を感謝している。
去年12月、彼女の母親は気管支喘息を急に発生したので5日目に入院し、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見し、寶吉祥漢方医診療所を持 続的に保養してから、今まで気管支喘息を発生した事が無かった。彼女の父親はとても遅くて彼女を産まれて初めて、今まで既に90歳に近くのお年寄りで、糖 尿病の歴史 が約2年ぐらい、今年の4月に数日に入院し、身体が多くて衰弱していて、然し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と兄弟子の助けの故 に、彼女の父に幸いがあって甘露丸に飲まさせて、本来漢方医に反対した長兄の態度も意外で転換し、父に寶吉祥漢方医診療所で身体を保養する事を支持してい た。同時、父も8月14日で阿弥陀仏無遮大済度法会の参加を気にかけて、度々で彼女達に交通状況と相関事項に確認し、これ等は全て尊きリンチェンドル ジェ・リンポチェの加持である。彼女は上師の恩徳が真に応え難いと感じていた。
それから、彼女は参列者に彼女の心の中に尊勝直貢チェツァン法王と尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの二つの件に感謝していた事を分かち合った。 去年、6月6日、尊勝直貢チェツァン法王が台湾に来る行った大法会の中に、その時、彼女の両親も参加した事があった。法会の参列者が一緒に六字大明咒を唱 えていた時に、彼女の父は本来聞くだけで、唱えていた事が無いで、その時、彼女の心の中に法会に参加する機会が真に得にくい事を考えていて、勇気を奮い起 こして、父に一緒に唱える事を提示させた。彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと尊勝の直貢チェツァン法王の加持に感謝し、父が意外に参列者に従っ て六字大明咒を唱えていた。父の唱える声を聞いてから、彼女の心の中に無比な感謝と感動があって、此れは小さい頃今まで、彼女は父が一声の仏号を唱える事 を聞いた事が無かった。尊勝の直貢チェツァン法王と尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがこのような殊勝な大法会を行わないなら、彼女の父がこの世に自ら 大修行者を見えないで、大修行者が六字大明咒を唱える声を聞えないで、六字大明咒を唱える事も不可能である。
それ以外に、去年6月6日の大法会の中で、父は尊勝の直貢チェツァン法王が行進していた間に宝傘の導引があって、「法王の地位がとても高いでしょう か」と驚いて彼女に話した。その場で彼女も驚いて、如何に対応するほうがよい事が分からないで、此れは彼女の自身も分からないで、しかし、回答しない事も 出来なくて、父の誤解を恐れた。そこで、彼女の心の中に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを求めて、そして、父に「そうです。此れは法王がとても 尊いです」と回答した。意外にも、父が聞いてからうなずいて、、合掌して法王の影に向って絶えずお辞儀をしていた。此れは全て尊きリンチェンドルジェ・リ ンポチェと尊勝の直貢チェツァン法王の助けなので、父親に恭敬心を生じさせた。
彼女は今年の5月に彼女が日本の火供法会に参加した事をまた分かち合った。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くて参列者に一人一人で上がらせ て、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持した供品を貰えてから火に投げて、彼女が第2回目で供品をもらえた時に、リンチェンドルジェ・リンポチェが一寸 真言をとなえて、彼女の心の中にとても嬉しくて、このような近いでリンチェンドルジェ・リンポチェが真言を唱える事を聞いて、が、そのため気を散らして、 身体がしゃがんでいないで供品を受け入れる事をしないで、その場で、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の手の中の紙皿を受け入れて側に投げて、彼女の 供品を貰えさせなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは法席で開示した事があり、此れは上師の挙動を注意せず過失を犯した。彼女は彼女が続けて並ぶ事 が出来る事に感謝し、順番で何回目の火供供品を貰えた。その中、彼女は供品をもらえて、階段をおりる時滑って転んで、幸い法会の進行を影響させなかった。 その後、リンチェンドルジェ・リンポチェはまた彼女に開示させて、彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェから交付の仕事を実行していた時に、考えすぎで、 また他人意見を尋ねて、リンチェンドルジェ・リンポチェの指示によりすぐして行った事ではなくて、此れは彼女が上師に対する信心が足りなかった。人が転ぶ 事は護法が彼女に自分の心構えを注意しなけれならない事を提示させた。
彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に自分を改正させる事い感謝した。彼女はずっと独断で、自分がとても有能だと思って、用事があっても両 親の意見を聞かないで、多くなくとも両親に事柄の重点を簡単で報告しただけである。彼女の重要な事は両親と相談しないで、とても親孝行しなかった。彼女は リンチェンドルジェ・リンポチェの教導に感謝し、自分を変えて仏を学ぶ事を努力していくを決定した。
リンチェンドルジェ・リンポチェは法座に昇った後に開示して、皆に仏を学んであるべきな正しい心構えをはっきりと理解させるため、前回既にガムポパ 大師の開示した「法を聞く意楽」と『意楽円満』の4種類の思惟方式を皆に詳しく開示して、今日ガムポパ大師の仰る『施行円満』を引き続き開示する。事実上 過去の10数年間、リンチェンドルジェ・リンポチェも絶えずに仏を学んであるべきな正しい心構えを開示していて、今日再びガムポパ大師の開示をもて皆に注 意させて、そなたの将来の修行に対して非常に重要である。仏を学ぶ最も重要なことは動機であり、動機が正しいならば、仏を学ぶのはようやく得力をすること ができる。
ガムポパ大師は、全体的にいえば、法を聴く者にとって、彼が「意楽円満」と「施行円満」この両方の内容を備えるべきであると開示した。リンチェンド ルジェ・リンポチェはこう開示して、そなたが意楽円満まで修めることができると、そなたの第八意識が自然と過去の様々に浮かんで、工夫を凝らして思う必要 もなくて、特にする必要もなくて、そなたの過去世に修行の善根が自然に現れてそなたに知らせる。いわゆる「施行」とは執行、実際にする事を表して、「施行 円満」:その中はまたか加行円満、正行円満、結行円満等3方面の内容がある。加行は私達の言う前行であり、つまりいわゆる予備の動作であり、準備の動作は 正しければ、後の正行、つまり執行する時に、どうしても傾けることはできなくて、最後が結行は回向であり、円満になる。
加行の時、最も重要なのは動機であり、数年前、直貢チェツァン法王が嘗て台湾に来て、15日を期間とする噶舉密咒障の灌頂を主持し、その時多くのい わゆる長期密法を修める人は参加しにきて、直貢チェツァン法王が法座の上である本尊を修める時、この人たちがその本尊の仏像を取り出して、また多くの手印 を打つ。このような状況に会って、リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てある笑談の中に、直貢チェツァン法王に千手観音灌頂を賜ってもらうようアドバイス して、あの人たちはたいへん忙しくて特に忙しくなければならないだろうか?実は、手印を打つのは密宗を修めるのではない。今一部の弘法する者は、自他交換 を修めることを言って、他人のよくないのを吸い込んで、そのかわり自分の良いのをあげる。他の人は頭が痛い時、そなたは自他交換を修めて、頭が痛い場合に は彼の頭の部分を観想して、足が痛い場合には足の部分を観想して、それから頭が痛いことをそなたの頭に移転されて、それは修めていると思わないでくださ い。実は、これは間違っていて、自他交換するのは実は慈悲を修めることであり、慈悲の慈は自分の楽しみで他の人の苦痛を交換して、自分が修めて慈悲の力が 現れてくることになってから、やっと他の人に助ける能力がある。本当な自他交換するのは、すぐ衆生の苦しみを自分の身に転じるのを除いて、相手が痛くない 外に、自分も痛くなくて、このように効果がある。自分の体内に入る物が何もなくて、同じく自分の体内から出て行く物もなくて、それは本当な自他交換するの である。まるで、リンチェンドルジェ・リンポチェが施身法を修める時に開示したように、自分で消化してしまうことができることが必要であり、さもなくば同 じく本当に衆生を助けることができない。自他交換と言う方式にて衆生を利益することができるまで修めるのは、必ずとても良く禅定まで修めて、心が完全に動 かないまで修めるのでない限り、つまりいかなる痛苦と楽しみは全然自分の心に影響しない者であれば、ようやくやり遂げることができて、ようするに《金剛 経》に曰く「応に住する所無うして其の心を生ずべし」とのことである。実は、リンチェンドルジェ・リンポチェは金曜日の夜に1000数人のために施身法を 修めて、土曜日にまた100数名の信衆を接見して、日曜日に更に法会を開催して、このようにすると自他交換を修めるのである。
どうしてそなた達は用事がある時にリンチェンドルジェ・リンポチェの法照(写真)に頂礼して、リンチェンドルジェ・リンポチェを観想すると、助けを 得ることができるのか。リンチェンドルジェ・リンポチェがいわゆる分身があるのではなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に空性の慈悲まで証得し て、慈悲なる化身がある。今市の中の多くの通霊の人達は、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子を見て、よく彼らの後ろに一尊の大きなのが見られる。リン チェンドルジェ・リンポチェは笑って弟子達に、これもそなた達に悪い事をしないでくださいを教えて、全ては知られるからと開示した。
そなた達は戒を守るのがとても困難だと感じて、一部の新しく皈依した者は甚だしきに至っては自分が多少一部の戒を守ることができないことを心配した が、実は戒を守ってあまり難しくない。リンチェンドルジェ・リンポチェは皈依する前にお酒がとても強くて、一回は1本の洋酒を飲み終わることができたが、 しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが皈依した日からお酒は一滴も飲まなくて、これは決心であり、決心したため、やり遂げることができる。なぜかとい うと、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学ぶことが自分の未来に対してきっと助けがあり、きっと衆生に利益することができることを知っていて、だから 最初に仏を学ぶ時にもう決心して、そなた達がやり遂げるかどうか、ただ決心次第である。
密宗を学ぶならば酒を飲むことができると思わないでください、法本には儀軌の中で酒を供えることに言及したが、多くの意味がある。寶吉祥仏法セン ターは儀軌を行う時、酒が葡萄ジュースに代わるのである。病気に罹るために必ず酒で薬を調剤しなければならないならば、これは普通な人が許されるが、しか し酒に酔うべきでない。ある密乗の修法の上師であれば、完全に酒に触らない。台湾北部にある一名の出家の弘法する者は酒を飲むことががあり、嘗て、リン チェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王にこの事を報告して、直貢チェツァン法王は、あの出家衆はただ4戒だけを伝えることができて、な ぜかというと彼が五戒を守っていないからと言った。そして、ある人は私が酒を飲んで7分の程度ぐらいまで飲んで自分で自分を酔っ払わせることを制御するこ とができると言うかもしれない。しかしそなたが酒を飲む時、どのように7分或いは8分か区分するのか、酒を飲む時に、メートル・グラスで測らないから、他 の人が酒をすすめると、この1杯を飲んでもまあまあ大丈夫だと思う心構えがあるため、1杯一杯を続けて飲んで口に入れるのである。それに、酒を飲む場合に きっと肉を食べる。もし肉など脂っこいものを食べないで、酒は咽喉をおりにくいので、広東人がこれら味が重い食品を「酒を送る料理」と称するようである。 実はそなたが酒を飲む時、1杯を飲んでいくつか福報が損耗して、1口の肉を食べて、福報はまたいくつか損耗して、私達のしたすべての行為は、私達が死ぬ前 に全て状況を現れる。
戒律の中で言う酒を飲むことは、酒に酔うことを言うので、酒が飲みすぎるのでさえすれば、心が混乱するようになり、だから何を見て、自分の意見と考 えがあるから、ずっと他の人と言い争って、これは酒に影響されてもたらしたのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは一般に酒を飲むことが好きな人がす べて、身にとても臭い味があり、たとえ翌日になっても消えて散らないで、吐き出す嘔吐する物は更に臭くて、排除する小便もとても臭くて、現場参列している 多くの男性もすべて手を挙げて自分がこのような経験があると認めた。このような習慣は、死亡する時に、自分にも引かれて同様な味の地方まで行かせる。酒に 酔う人が死んた後に全て地獄に落ち込んで、その上とても臭い糞便地獄であり、彼が生前にすでにあのように臭い味に慣れているから、その故に死んた後に自分 の癖に従いやすくて、このような地獄に落ち込むのである。
地獄に堕ちた後の18年間がたってからまた人に生まれると思わないでください。地獄にいる時間は、恐らく18の後に更に2つの0を足すそんなに長い のである。その上地獄が出てきた後に、生まれても、類人猿とサル或いはオランウータンになる。近代的な科学はすべて証明されるように、類人猿とサルとオラ ンウータンはとても賢くて、人の遺伝子と1パーセントだけ異なって、あの1パーセントは酒を飲む業力のためもたらしたのである。畜生道が終わる後に、人に 生まれても、多くのは知的障害である。もし夫婦は酒を飲んだ後に性交して妊娠するならば、生まれた子供は、多くのはすべて知的障害であり、そして知的障害 が知能不足とは限定するだけではなくて、たとえ見ても知力の問題がなさそうでも、やはり問題もある。例えば:今多くの子供は両親に話を聞いてくれないなら ば、両親に悩みをもたらさせる、或いはすべて就職に行かないで、1日中だだ家でいて、或いは部屋に残ってネットサーフィンして、自分の1つの小さい枠の内 で生活することを慣れている。知的障害の問題はただ白痴を思わないでください、情緒は問題があって、精神状態は不安定であり、これらはすべて。今の医学も 実証されて、酒を多く飲む過ぎると、年を取った後に老人痴呆症に罹る可能が高い。ある医者をしている弟子は「医学上に、酒を飲むか麻薬を吸う者は、生まれ た子供が多く知的障害、奇形である。」と報告した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、一杯を乾杯して大丈夫だと思わないでください、酒に酔って脳細胞を 傷つけて、また性を乱すだけではなくて、甚だしきに至っては私達を地獄に降りさせて、その故、仏陀は酒を飲まないという戒律を定めて私達を保護するためで ある。
リンチェンドルジェ・リンポチェは1995年から衆生を助けに出てきて、生前に医療の苦痛を受けない人に会うことがとても少ない。ちょうど分かち合 いに出てくる弟子のストーリの中からそなた達は耳にすることができて、多くの人は生前に多くの医療の苦しみを受けた。今病院で、100人が病院に入って亡 くなった人の中では、90人が死亡する前に多くの医療の苦しみを受けなければならなくて、そなた達の家の中は家族が死亡する前に多くの医療の苦痛を受けた ことがあるが、たとえそなた達が自分の目で見たことがあっても、自分の耳でこのよう痛苦なことを聞いたことがあっても、そなたはこのような痛苦が苦痛が理 解できない。どうして!あの1本の針がまだそなたの身をさしていないためである!そなた達は今慈悲の心を育成することができなくて、そなた達はまだ他の人 の苦痛を体得することをやり遂げることができないから。そなた達はすべて因果を恐れると言ったが、それがそなた達は恐れると言わないでください。そなた達 が恐くなくて、その故あまり仏を学びでいなくて、本当に恐れる者は上師の忠告を耳にしてから、同じく守ってしなければない。
多くの癌の患者は末期に腹水の現象が現れた。亡くなる時、亡者は大便と小便を排出して、腹水も排出して、悪臭を放った。多くの看護婦弟子は嘗て亡者 のために体を清潔する経験があった。皆も確かにリンチェンドルジェ・リンポチェが開示された通りに腹水は排出するだけではなく、更にとても臭いと返事し た。リンチェンドルジェ・リンポチェは尚更に開示されたが、ポワ法を修めて済度された亡者は腹水は排出するではなく、完全に消えた。現場に嘗て多くの家族 がリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なポワ法で済度された弟子も確かにこの瑞相があって、非常にリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝した。リンチェ ンドルジェ・リンポチェは慈悲に医師弟子に皆に医学に於いて、腹水の解釈を説明させた。医師弟子は報告した。それは癌末期の患者は器官が癌細胞に影響され て正常に動かない。腹水は殆ど肝機能が損傷を受けるから。水は肝臓により代謝を行う。水は肝臓に着いて、肝臓は代謝が出来なく、水は組織の中に排出出来な いから、血管を通して体内にしみって腹水になった。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法の角度で開示された。腹水或いはある者は水腫があるとは実はそれ は皆に食べられた衆生だった。人は息を止めると、この物を排出しようと思うから、神識は下に向け三悪道に堕ちた。腹水は悪臭があるから、神識はこの臭いに 従って糞便地獄に堕ちた。ポワ法に済度された亡者は何故腹水は排出せず、消えただろう。それはリンチェンドルジェ・リンポチェは亡者及び彼の冤親債主と一 緒に済度されたから。
戒とはそなたをコントロールや制御するわけではなく、そなたを守るためだ。そなたに知らせて、ある事は元々我々がやるべきではない。釈迦牟尼仏は始 めて仏法を広めた時、戒律を説かなかった。後期になって、仏を学ぶ人は益々増えていて、人が多くと、規範が必要である。釈迦牟尼仏は衆生を教えて、戒を守 らなければならない。それは人は益々複雑になるから。戒は我々にある範囲を与えて、我々に行える事と行なえない事を知らせた。実は戒律は我々に衆生を傷付 かない。戒は我々を輪廻を断たせた。戒律は防護ネットであり、そなたは戒を守る時上師が防護ネットでそなたを守ると同じだ。一旦そなたは破戒すれば、この 防護ネットは無くなった。ある弟子は家でお酒を飲めば衆生を傷付かないだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェはある経験を話した。嘗てある信衆はリン チェンドルジェ・リンポチェが彼を提示して、端午節前に外に出掛けてお酒を飲まないほうがいい。そうしないと殴られるかもしれない。この信衆は私は家で飲 めば大丈夫だと思ったが、思わず家で酔い、更に彼女に殴られた。
ある者はお酒を飲めないと、交際接待できなく友達が無くなると言うかもしれない。しかし、そなた達は「飲み友達」及び「飲んべえ」など聞いたはず、 所謂「類は友を呼ぶ」である。そなたは引き続きにお酒を飲んで集まった友達は飲み友達だけだ。逆に考えて、一旦そなたは悪を断ちお酒を飲めると、もっとい い友達が出来るかもしれない。更にお酒を多く飲めば、鬼になる。何故我々は常に「飲んべえ」を言われただろう。本当に「飲んべえ」のような鬼がある。そな た達は彼達と同類に成りたいだろうか。
リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥仏法センターに弟子を教える方式はとても厳しくて、弟子に戒律を厳しく守る事を要求した。罰を受けて道場の 扉の外に跪いた人は数が多くて、もっといくつかのの道場を開けることができる。それはリンチェンドルジェ・リンポチェはビジネスに応じる仏法或いは市場に 応じる仏法を広めることではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェは古代大修行者の方式に従って仏法を教えて、筆記しなかった。若しリンチェンドルジェ・ リンポチェの教えを我慢できないと、いつでも離れる。台湾で現在道場は多すぎで、何処でも道場がある。道を渡すと道場が一間あった。ある者は此処では厳し く制御するから、別の所を変えて皈依すれば、同じく学べると思った。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの観念が間違いと開示された。それはそなたは皈依 した時に、上師ははっきりに「戒を守れるかどうか」と聞いた。そなたは承諾して戒を守る時から始めてそなたに皈依させた。しかし、そなたは自分が上師、仏 菩薩及び衆生の承諾を守らないと、勿論学べなかった。多くの弟子は追い払われた後、別の所を変えて引き続きに学ぶと、昔に学んだことは全て引き続けると 思った。リンチェンドルジェ・リンポチェは完全に無理だと開示された。それは伝承を断ったから、たとえゼロから始まるなら、つまりマイナスゼロから始まっ ても、上師への三昧耶戒を破ったからそなたは極めて長い時間にかかれば、再びに福報を累積できる。「福慧の智糧を累積する」と言われたが、皆は仕事をして いるから、分かっているが、毎月1日から始めて仕事をして、苦労に一ヶ月間に仕事すれば、給料を貰える。社長としてとても苦労だった。しかし、そなた達も 必ず気付いたが、金を使うなら、とても簡単で速くて、すぐ使い済みだった。福報も同じで累積する事はとても難しくて、使うなら、とてもたやすく出来る。
ある弟子一家は既に皈依したけど、彼女の父はまた肉を持って病気にかかったお爺さんに食べさせた。父として、お爺さんは年寄ったから、引き続きに食 べても長くないと思った。お爺さんは肉が好きだから、食べさせた。結局今検査結果が出て、お爺さんの心臓は細菌に感染されことがリンポチェも見られた、三 分の一の心臓はもはや使えない。そなた達は自分のお爺さんに地獄に堕ちさせても分からない。
仏を学ぶのはそなたに体が健康になり、事業は順調になり、裁判が無くなるわけではなく、それは全てそなたが過去世の因であるから、此の世に得られた 苦しみである。仏を学ぶ事に関わらない。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の皮膚癌を例挙げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは昔に皮膚に悪性黒色 腫があった。医師弟子に見せた後、皮膚癌を確定した。皮膚癌に罹っても医師に診察されず、仏を求めなかった。唯仏菩薩に言って、若し病気は自分によいな ら、病気に罹らせる。若し死亡は自分によいなら、死なせる。守りを求める事は一切考えなかった。結局却って今まで生きている。諸仏菩薩の願力は六道一切衆 生を助けて、三悪道の苦しみを離れると望んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が皮膚癌に罹る事を分かった時、考え方は諸仏菩薩の願力と相応するか ら、リンチェンドルジェ・リンポチェは完全に治療を受けず、直貢チェツァン法王に法を修める事を求めない状況で仏法を学ぶ事に頼るだけ、自分の皮膚がんに 完全に治った。それは一切自分の悪業の表れを分かるから、速めに借りた債務を返済して、早めに輪廻を解脱する事を望んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェ は死亡を恐れないが、逆に二十年余り生きている。そなた達は皆死亡を恐れるのに、早めに死ぬかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された が、ガムポパ大師の開示を見て、疾病を道用に転じる。病気は我々に修行させて、自分に既に疾病を道用に転じられる事を分かれる。それはそなたの病気はそな たに因果を観修させるから、病気は唯そなたの悪業の花だけ、まだ果にならない。果報は地獄に堕ちる事だ。仏法の修行を通して、修行すれば、果の味を変え る。リンチェンドルジェ・リンポチェにまだ無花果があって、実を結びだけ花が咲かないと論議しないで。リンチェンドルジェ・リンポチェは幼い頃から、母に 多くの無花果を食べさせたから、無花果は同じで花があるが、唯つぼみの中に隠して、外から見えないから、皆は直接実に変えると誤解した。そなたたちが考え た事はリンチェンドルジェ・リンポチェは先に話したから、もう聞かないで。
ガムポパ大師は開示された。「施行円満」の中に、三つの内容がある。加行円満、正行円満、結行円満である。「加行円満」の段階に於いて、我々は「菩 提心」で仏法を聞く動機としてする。「正行円満」の段階に於いて、むしろ我々はどんな説法を聞いても、「六度を具える」方式で聞かなければならない。「結 行円満」の段階に於いて、我々は利楽有情のため、全ての善根を円満な菩提覚悟に迴向しなければならない。上記に話した内容は全て一つにまとめて、仏法を聞 く前に実修を発願する方法とは:我々は考えるべきだ。全て「幻のように虚空のような広大の有情、私は必ず彼達を菩提仏位に安置する手はずをする。このため に私は必ず究竟円満の大覚仏果を証する手はずをする。更にこのために私は必ずこの貴重な教えをしっかりに聴聞、理解、証悟、実修する手はずをする。仏法を 聞く時、我々は必ずこのような殊勝な心を発しなければならない。」とにかく仏法を聞く人にとって、「心意清浄」とは極めて重要である。
リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、此処に言われた施行円満の内容は加行、正行、結行を含めた。加行或いは前行の時、必ず菩提心を発す べき、菩提は梵文であり、古代唐三蔵は仏経を通訳する時、三つの原則は通訳しなくて、直接音で通訳した。その中に一つとはこの字或いは言葉は多くの意味が あれば、通訳しない。菩提は世俗菩提心及び勝義菩提心を分ける。世俗菩提心は考えたから。勝義菩提心は空性から自然に生じた。実は一切法門を修めると、加 行、正行、結行は三つの内容がある。そなたが真言を唱える、観想する、焼香して仏を供養する事を含めて、全て菩提心で衆生を利益する。菩提心を昔に開示さ れたが、菩提心は簡単に言えば、諸仏菩薩の本質である。意味は上に向け仏法を学び、下に向け衆生を済度する。
顕教に於いて、多くのは旧暦の正月初九に金光明経を唱える。リンチェンドルジェ・リンポチェは当時まだ顕教にいる時、たとえ最も多く供養しても、リ ンチェンドルジェ・リンポチェは総功徳主にならなかった。ある一回に法会に副功徳主を担当して、住持は焼香した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは焼香 して仏を供養した。この時リンチェンドルジェ・リンポチェは突然に自分は一切衆生を代表して供養する事を思い出した。当時自分にこの道理を伝える人がいな くて、この開示を見なかった。此れは累世の善の念を起した。当時ある者は後ろで写真を取って、カメラで連続にリンチェンドルジェ・リンポチェは焼香して仏 を供養した写真を三枚撮った。結局写真が出て、三枚とも仏像から一つの手はリンチェンドルジェ・リンポチェの心まで出した。この写真も何処まで収納したが 分からない。当時顕教の師父はリンチェンドルジェ・リンポチェに写真を隠して他人を見せないと言った。それもリンチェンドルジェ・リンポチェを守って、他 人に嫉妬されないから、顕教の師父にも感謝しなければならない。
それで、加行する時、最初からの動機はこんな心念が起きるべきで、自分を考えずに全く利他するためだ。正行する時、六度を用いるべきで、即ち六波羅 蜜で実行して、つまり布施、持戒、忍辱、禅定、精進、知恵である。ここに説いた忍とは、苦しみを耐えるのではなく、一切の執着、欲望と考えで、苦しみを耐 えても楽しみも耐えるべきだ。結行とは迴向する時、菩提に迴向するべきで、円満を証得して、一切な有情衆生に利益する。それは仏と菩薩の功徳大海は固体と して見ると宇宙より又大きくて、この功徳大海に加入することが出来れば、全て得るものは不思議だ。現在坊間では一部の信者は自分が足りないのに、まだ衆生 に分けると説いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは申された。このように話さないで、一切すべてを衆生に布施するべきだ。リンチェンドルジェ・リンポ チェは始めから布施法門を良く修めて、仏を学ぶ道でスピードが割合に速かった。金剛乗と大乗仏法は全部菩提心の大切さを説いている。法を説く者と聞く者は こんな心で法会に参加すれば、自然に功徳福報を蓄積することが出来た。毎回法会が終わる前そなた達が迴向文を唱える時、全てリンチェンドルジェ・リンポ チェが入定するのが見える。定の中で迴向することが出来るなら功徳が始めて本当に累積することが出来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは今日ガムポパ大 師のご開示を見て六波羅蜜で衆生を助けるのをやっと分かった。しかし、前このご開示が見えなくてもリンチェンドルジェ・リンポチェは既に出来た。
先週ある皈依したばかり弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めに来た。彼女の工場には少し問題があって、従業員にはあることが起こった と言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは申された:工場の出入り口には少し事があった。今週土曜日、彼女はまだ工場の配置図を持ってリンチェンドル ジェ・リンポチェに伺いに来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは仰った場の内部の配置は問題があり、変更する必要がある。彼女はすぐ既に地主に聞いて、 地主は何の事件もなかったと言い返した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に供養が幾らかと聞いた。彼女は一万元と答えた。リンチェンドルジェ・リン ポチェは仰った:現在の相場で風水を見るのは一坪に一万元より、彼女の工場は百坪あまりで、彼女はこのお金をくれるか?くれればはじめて話す資格があっ た。彼女はくれなくて、お金を出して改装するのを恐れると言い返した。そなた達は嘗て聞いた、リンチェンドルジェ・リンポチェはある弟子のため、彼の工場 を改装して、この弟子が大きいお金を設けた。そなたはまだ信じない。
先週彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めに来た時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に問題が起きたところを教えなかったので、 今週彼女はまた面会を求めに来た。なぜ先週リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に教えなかったか?それはあの頃彼女は従業員を連れて来て、リンチェンド ルジェ・リンポチェに伺いに来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは先週彼女に工場には鬼があると言ったら、そなた達は考えて見て、どの従業員はまたし続 けて行くか。上師は全て仰ったことは全部彼女のため、彼女はまだ知らなくて、すぐ言い返して、それに地主に聞いた出入り口には問題がないと言った。最後 に、自分が承認した。以前道教の方式で、出入り口に紙銭を焼いて、あそこに助けが得ない衆生を集めた。この女弟子はこのように回答したのは、彼女は意図の ためリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して、本当に仏を勉強したいのではない。この時、リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥仏法センターの理事長 に指示した:今後、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子の供養を受け取らない、それに道場にも彼女の護持する必要がない。密法を学ぶことも出来なく なった。
この前、リンチェンドルジェ・リンポチェの従業員は出入り口に塩を撒くのは、リンチェンドルジェ・リンポチェに罰された。一生懸命仕事をせず、責任 を鬼紙に押し付けた。ある弟子はまたこの従業員のため、彼女も会社のためしたと言って、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐこんな行為はまちがったと申 された。リンチェンドルジェ・リンポチェは小さい頃より道教を勉強して、こんな事は鬼神を引起して来たのを分かる。会社で仕事をするなら、よくするべき で、この給料に対して申し訳がなく、鬼神に求めるのではない。会社の従業員にたいしてリンチェンドルジェ・リンポチェは上師ではなく、唯彼らのボスだ。ど の信仰する者でもリンチェンドルジェ・リンポチェの会社で勤めることが出来て、彼らはしっかりでよく仕事が出来るならば結構である。
多勢者は《地蔵経》を読むと私の背中が涼しいみたくて、鬼はわれの後ろにいるかと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは申された:鬼は本当に来 ると絶対に後ろに唯涼しいと感じるのではなく、施身法法会に参加するように、多くの地獄道の衆生が来た時、回りはすごく涼しくて、陰気で、後ろに涼しいだ けのではない。そなた達は後ろに涼しいと感じたのは呪文を唱える時力をして汗を掛けて、風がふると自然に涼しくなった。実は地蔵王菩薩は六道の衆生を済度 して、唯鬼を済度するのではない。地蔵王菩薩の誓いは一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじと思って、地蔵王菩薩は鬼道の衆生しか済度しな いと思った。あの時、釈迦牟尼仏は嘗て観世音菩薩に《地蔵経》を広くて宣伝させて、それで観世音菩薩は地蔵菩薩と仲良しがいい。ある時、我らは観想して観 世音菩薩を修めて、結局地蔵王菩薩が現れた。ある時地蔵王菩薩を修めてかえって観世音菩薩が現れた。あの時衆生の因縁と関係があるから。
六波羅蜜の中にの忍辱、所謂忍とは、一切の名聞利養、障碍、楽しい、ひいては法会の中に現れた聴法の軽安、法喜満ちた感覚とも全部間違って、全て耐 えなければならない。これは法執が起こるから。最後まで無生法忍を修め得る必要だ。無生法忍とは空性を修め得るであり、執着がなく、自然に耐えると感じな い。なぜ法会する時、そなた達に床で足を組んで座らせたか?そなた達に足の痛みを耐えることが出来させたい。法会に参加する時、お体の少し悪い気分さえ耐 えなければ、そなたはまたなんにを耐えられるか?どうしてある者は道場で仏法を聞く時居眠りしたいか?一つは平日の睡眠がよくない。もう一つの原因は業力 が重かったのである。仏経の中に載せてあり、睡魔が邪魔にくる。現れたとき、体を起こって、自分の状況を調整して、元気を出して、こんな状況が良く現れれ ば大懺悔心が起こる必要で、自分の業がとても重いとの表われである。皆は全部福報があり、それでここで座って法会に参加することが出来た。この世の中で、 まだ多くの衆生は仏法を聞く因縁がない。過去世に善行学仏をしなければこの世に寶吉祥仏法センターに入ることが出来ない。過去世にそなた達は善縁を蓄積し て、この世にまた皆にチャンスをさせて善縁を累積する。そなた達は現在法を聞くのは全部幸せすぎて、床で足を組んで座って、足が痛くなるとあげた。チベッ トの者はそなた達のように冷房の中に座って気分が良くて法会に参加するのではなく、全部空き地に座って、冬天気が寒かった時一枚の羊毛を掛けて、寒くて鼻 水がしきりに流れて、唇が乾いた。そなた達のようにこんな福報があって、冷房があった。だから、福報があるの方は割合に修めやすくない。
精進とは毎日どのくらい呪文を読んで、いくら懺をお辞儀したかのではない。精進とは集中して一つのことを良くする。そなた達も発見した。一つのこと は集中して本来とても早く完成できた。しかし、しながら、あちこちしだり、食べたりすると、モット多くの時間がかかってやっと出来た。集中が出来れば、禅 定がよく修めて、功徳を蓄積することがはじめて出来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは集中することが出来て、禅定がよく修めた。リンチェンドルジェ・ リンポチェは非常に忙しくて、年も60何才になったが、ノートがなくても前回会議で全ての話、弟子或いは従業員が全て報告したことを覚えた。例えば、大法 会の会議、弟子が会議する前長く用意して会議中も上師の話を多くのノートしたがリンチェンドルジェ・リンポチェに報告する時リンチェンドルジェ・リンポ チェは一言で皆が全て用意した報告を破って、それは集中、禅定を修め得たから。戒を守ってはじめて禅定が出来て、禅定が出来ると自然に知恵が開く。
寶吉祥道場で、いくらお金を寄付したら功徳主になる或いはいくつかの特別な服を着て異なる身分を代表することができることがなくて、同じくそなたが お金があって、そなたを取り扱うのはとても異なるのではない。仏法の前に、すべて平等である。今日そなたは社会上に地位があって、それは過去世にしたか ら。もしそなたの背景関係のため、社会に対していくつか助けがあって、リンチェンドルジェ・リンポチェはもしかするとそなたに時間が少し多くてあげて、あ なたに仏を学ぶ機会があるようにさせるかもしれない。しかしもしそなたはこの社会に対してあまり助けがなければ、それにあまり真面目に仏を学んでないと、 そなた達に機会をあげない。一部の顕教出家衆は、今の衆生が密法の助けを必要とすると思ったが、自分が密法を習い得ていないため、自分が多くの衆生を助け ることができなくて、たくさんの信衆がなくて、たくさんの信衆をあるために、密法を学びに行く。このような考えは因果を信じない。そなたはこの一世に衆生 の縁があるかどうか、住職になることができるかどうか、すべては過去世の代々修行した結果次第であり、そなたが衆生と多くの善縁を結んだことがあるかどう か次第である。多くの信衆があることができるために信衆の需要に迎合すること、俗に媚びていること、いくつかの適当ではないだ事をすることをしないでくだ さい。リンチェンドルジェ・リンポチェは過去の一世にそなた達に借りがあり、だからこの一世にそなた達はここで現れるのである。
この2週間に開示された仏法は非常に重要であり、実は1997年から、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を発揚することを始める時、ずっとこれ らの事を開示して、今日ガムポパ大師の法語を、それにリンチェンドルジェ・リンポチェのこの数年間の修行する経験を使って、もう一回皆に教えた。リンチェ ンドルジェ・リンポチェは以前にはこれらの内容を見たことがないが、すべては既にやり遂げた。そなた達は再び間違うことができなくて、再び間違ったら、そ なたを追い払う。金剛乗と大乗仏法はすべて衆生にどのように輪廻に解脱する法門を教えるのである。顕教の方法は通常に1冊のお経を取り出して、お経の中の 文を一つ一つ指示する。金剛乗での上師は心が比較的に広大であり、採用する方法は比較的に猛烈である。しかしどの方法でも、すべて仏法である。例えば、 コーヒーが普通なコーヒーとエスプレッソなどに分けるようである。心臓のよくない人がエスプレッソを飲んだら我慢できない。金剛乗の上しがこのようであ り、打ったり、叱ったり、獅子吼したりして、各種の異なる方法を考えて、そなたを鞭打って、もしそなたの心臓はよくないならば、自然に待ち続けることがで きない。これら打つ、叱るなど教法を受け取ることができなくて、同じく自然と待ち続けることができなくて、たとえ待ち続けてもとても大変である。そなたは 離れて、上師がそなたを追い払うのではなくて、発心するのは間違いであったら、自然と待ち続けることができなくて離れる。
因果を信じれば、自然に戒を守れる。戒をしっかりに守れば、自然に間違い事をしなくて、このような話せば、行えば間違いを犯すかどうかを考える必要 がない。ある者は自分がどんな間違い事を行ったや或いは自分の前世はどんな人を聞きたいとは全て因果を信じなくて貪欲が思い人だ。だから、新皈依弟子は戒 を守るなら、如何なるになるのを心配しないで。そなた達は行わないとは決心しなかったから。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて仏法を接触した時、仏 法は自利利他できる事を分かって、此の世に決心して仏を学んだ。その決心はそなた達ととても大きい違いがある。皆は在家衆であり、そなた達はよく考えて恋 人と始めてキスするとき、本当に詳しく考えただろう。それはない、唯行った。また、出家衆は剃髪して出家する事を決める時、その決心もとても強かった。仏 を学ぶとはこのような心で必ず行うのを決心しなければならない。いつか結果を見えるとは焦らなくて、立場を設けない。多くの人は始めて仏を学ぶ時、毎日と ても緊張して、急いで仏経を唱えて多くの宿題をして、毎日上師の前に現れていた。しかし、一年に経った後、懈怠した。仏を学ぶ事はゆっくりにして、焦らな いで。しかし、余り遅れないなら出来ない。例えば弦のようにきつ過ぎや緩過ぎでもだめだ。更にそなた達は自分が今の状況は如何なるか分からない。だから、 仏経に記載されたが、上師は調音師のようにそなたはきつ過ぎあるいは緩過ぎの時、彼は適当にそなた達を指摘できる。だから、ある法に従って徳を具える上師 に対して、信心を持ち、彼の言われた事、行われた事は全て衆生を利益する事を信じて、自分が仏経の言った通りに行える事を信じて、決心して行う。だが、そ なたたちは全て自分の欲望を信じるだけ。
《宝積経》に記載されたが、末法時代に於いて、仏弟子は仏法を歪んで、信衆を阿諛追従する。ある者は世間に多くの上師があって、どっちが徳を具えた か如何なる分かるだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、そなたはどんな上師に遇えるや邪師に遇える事もそなたの因縁である。リンチェン ドルジェ・リンポチェは始めて仏を学んでから、今まで邪師に遇わなかった。尚更にリンチェンドルジェ・リンポチェははとても遠い所から飛行機に乗ってき た。直貢チェツァン法王もとても遠い所から来た。そなた達は生まれてから当地の人なのに、邪師に遇えたとはそなたの縁しか言えない。
ある者は仏を学んで。若し過去累世の善業と悪業は殆ど返済済みなら、此の世に仏を学んで早めに結果を見えた。若し累世の悪業はとくも少なくて、善業 はとても多いなら、此の世に仏を学ぶとも早めに変化を見えた。しかし、若し過去累世でとても重い悪業を行なって、悪業はゆっくりに転じて善業に向け進める とき、必要な時間や努力もかなり多くて、かなり長く続かないと出来ない。ある者は二年や三年間に学んでも結果は相変わらず変わらない。リンチェンドル ジェ・リンポチェは開示されたが、現状を維持できて変化が変わらないとはいい。つまり、後退しないのを表した。転じれない業が無く、返済済まない業が無い から、唯行えるかどうか。何処にいると決定するかどうか。全てそなた達の決心は決まる。そなた達は仏を学ぶ事を恐がらず、仏を学ぶ事を心配しないで。仏経 に記載された事は必ずそなたたちは行なえて、必ず衆生に対して役に立って衆生を助けて輪廻を解脱できる。仏を学ぶから、我々は自分の未来を変えて、光の未 来に進める。意楽の円満と施行の円満は正しいなら、我々の目標と方向は正しく未来はよく変える可能性がある。だからこそ、我々の怖れと恐がる心は徐々に減 少できる。たとえ癌に罹っても恐れる必要がない。そなた達は最も思われた厄介な癌でもリンチェンドルジェ・リンポチェは処理した。実は病気が難しく処理し ないが、最も難しく処理するのは人の心である。だから、そなた達は他人にリンチェンドルジェ・リンポチェが必ず彼の病気に治れると言わないで。それは人の 心はいつでも変わるから、彼の病気に治っても、彼の心は変わると病気が再び復活するかもしれない。
我々は発心してから仏を学んだ後で、家族がますます良くなる事を発見する事が出来た。家族の中には、ある者が浄土に修めて行けるならば、自ずから後 代の子孫に影響することができて、彼の家族もますます仏法に接触する事が出来た。何時に変化を見える事のは予定しないで、急がないで、ただ仏を学ぶ事がよ い事だけで信じていて、衆生と自分に助けてくれられる事を信じていた。しかし、ここに言うのは果位を修め得て証果する行者の功徳と福報が子孫に世話して始 めた。諺によると、一人が道を得て、九族が昇天できる。ここに言う九族はそなたの此の世の眷属だけではなくて、人々の身に多くの衆生がいて、ある真に仏を 学んで成就する者が眷属に天道に往生してあげる事が出来た。リンチェンドルジェ・リンポチェの功徳が皈依の弟子に世話する事のようである。弟子に意外で死 ぬ事をさせないで、足りる時間があって仏を学ばせて福報を累積させた。そなた達この世に貰えた物は全て累世でしたのである。この世に何を地位があって、お 金があるかどうか、っ全てそなたの過去世でした因で此の世に果の現れで、此れがそなたが仏を学ぶかどうかを関係がなかった。そなたが毎週の日曜日に法会に 参加し、時間が無いでお客さんに応対する事が出来ないで商売がない事ではなかった。商売があるかどうかとそなたが応対するかどうかのが絶対な関係がなかっ た。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても忙しくて、何故毎週の日曜日に法席に上げて仏法を諭す事ができるだろう?リンチェンドルジェ・リンポチェはお 客さんに応対する事が要らなくて、が、毎週の日曜日にそなた達に応対した。多くの法師は信衆を接見しないで、弟子が問題がある時に上師の助けを貰えられな い、此れはこれ等の法師が疲れすぎて、接見したくないわけである。然し、リンチェンドルジェ・リンポチェは如何に疲れても、土曜日に依然として彼らの問題 に解決し、此れは疲れる事を恐れなかった。
ある男性の弟子は下記のように報告した。自分は過去で自分が思っていた大きな悪事をした事があった。顕教を学んでいた時に、あるお年寄りの和尚に あった事があり、彼にどのようにするべきな事を尋ねた。お年寄りの和尚の回答は善と悪が二つの平行線で、一つの善事で過去でした悪事を相殺する事が出来な かった。それから、多くのほかの顕教の法師に会っても、回答も全て解決する事が出来なかった。リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した後、多くの時間で アメリカに留まって、ただリンチェンドルジェ・リンポチェの開示の仏法テープを聞くだけである。最近、リンチェンドルジェ・リンポチェの多年前の1999 年の仏法テープを聞いて、その時、リンチェンドルジェ・リンポチェが諭したのが我々に発心して仏を学ぶ重要な観念である。つまり、当時に、リンチェンドル ジェ・リンポチェは既にこのような境界を修めて、自分の仏法テープの収穫が自分がとても懺悔し、リンチェンドルジェ・リンポチェの法会に参加出来なくて、 タイムリーなリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な教導を聞く事が出来なかった。これ等の内容は、多年の前に、リンチェンドルジェ・リンポチェが既に開 示した。リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、道場のチームと多くのボランティアの兄弟子に感謝し、リンチェンドルジェ・リンポチェの指導の下、道場 に絶えずに運営させられて、兄弟子の激励も感謝した。
もう一人の他の教派で長くて仏法を学んでいた弟子は下記のように報告した。過去、彼は他の教派の中に、「意楽円満」と「施行円満」をずっと聞いてい た。自分は多くの経典を読んだ事があり、しかし、如何に遣り遂げる事が分からなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依してから、リンチェンドル ジェ・リンポチェの言い方と遣り方の具体な示すを見てから、自分が過去で何も学んた事が無かったを知って始めた。此の弟子はリンチェンドルジェ・リンポ チェに始めて謁見した後直に皈依しなかったを懺悔し、自分に母が去った後ようやく了解し、これも母がリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法の修法の福報 を貰えたので、弟子に皈依させられて、或は弟子がこれからインドで一生に暮している可能である。その上、ある大修行者の自ら教導を貰える事は大切しなけれ ならないのである。弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの自ずから表れた習慣を観察し、実は累世で修行する習慣えある。例えば、リンチェンドルジェ・リ ンポチェが自分が買い物が好きではない、此れは仏経で記載された「正知而行」のである。その上、リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て開示した事があっ た。一回、リンチェンドルジェ・リンポチェは急に有る弟子を見つけて一緒に食事して、急に席上で弟子に罵って、結局、翌日に此の弟子が交通事故が起きて、 しかし、厳重な影響が無いで、此れはリンチェンドルジェ・リンポチェの修行が既に「無念」と境界が至って、衆生の需要を感じていて助けてを与えられるわけ である。
この時、リンチェンドルジェ・リンポチェは「此処に話したので、あるストーリが皆に聞かせる」と開示した。数日前に、ある出家衆の足が怪我し、リン チェンドルジェ・リンポチェに謁見して来て、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を経由して、足がより治して、此の上師が少しの能力があるだと思ってい たので、今週、再度リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した。リンチェンドルジェ・リンポチェが加持していた時に、彼女は嘗て牛を虐めさせた事を見て、 だから足が怪我した果報を貰えた。彼女は「自分は如何に牛を虐めさせるのでしょうか?牛が彼女に虐められないなら十分です」を直に回答した。リンチェンド ルジェ・リンポチェの開示は必ずそなたが牛に怒らせた。家に牛を飼って、うしを殺したのは如何によいのでしょうか?彼女は初めてリンチェンドルジェ・リン ポチェに謁見した時に、みてみる心構えなので彼女の業を見えなかった。此れは誰かが彼女にリンチェンドルジェ・リンポチェがとても素晴らしいで、彼女に助 けられる事に話した。第2回目にリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した時に、心構えがより恭しくて、福報を自ずから起きて、リンチェンドルジェ・リン ポチェが彼女の後ろに水牛を立っている事を見えてはじめた、福報がないなら、そなたの冤親債主が隠れてリンチェンドルジェ・リンポチェに見えさせられな かった。皆は彼女が既に30年余りに出家し、毎日にお読経をしたり、真言を唱えたり、仏に礼拝したりする事があって、如何にこのようになるだろう。リン チェンドルジェ・リンポチェの開示は因果が了解しないで、懺悔した事が無かった。幸い、この出家衆は一生に本分を守って、受けせずべき供養が彼女も受けな いで、ただ言い好きである。だから、彼女の読経するなどの福報が彼女にリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見させられた。結局、リンチェンドルジェ・リン ポチェは彼女に寶吉祥漢方医診療所に診療して薬を持たせて、完全に無料で、此れは彼女の足が病気に罹った後、誰でも彼女に配慮する者がいなかったわけであ る。
あなたが上師に皈依してから、上師がする事は全てそなたの為を完全に信じている。ある女の弟子の主人は往生した前に、自分の年金の50万台湾ドルを リンチェンドルジェ・リンポチェに供養し、リンチェンドルジェ・リンポチェが此のお金を仏像をする事に承諾した。彼の生前にリンチェンドルジェ・リンポ チェに恭敬しないで、往生した後、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼のためにポワ法を修めてもらえたけれども、浄土に「下品下生」である。家族は彼がこ れ等のお金を供養した事も分からないで、けれども、リンチェンドルジェ・リンポチェも依然として承諾を守って、修法してから、彼のお金を仏像をした。仏像 をしてから、彼の品位は直に上昇した。
禅定の資糧を除いて、福慧の資糧もとても重要で、ゆっくりする累積している事が必要。ある往生した女の弟子は皈依した後え、リンチェンドルジェ・リ ンポチェに従ってそれぞれの聖地に向いて聖地を巡礼した。後期に至って、彼女は仏法とリンチェンドルジェ・リンポチェに信じていなかったけれども、前に累 積していた福慧の資糧が依然として存在したので、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の為に殊勝なポワ法を修めてもらって浄土に行けた。リンチェンドル ジェ・リンポチェは彼女の娘から供養した100万台湾ドルを以って彼女の為に仏像を作って、彼女の母に浄土での品位を上げさせられた。リンチェンドル ジェ・リンポチェとする事はとても大変で、そなた達に連れで外国へ行って、一部の人々がまた恐らく行く勇気が無くて、そなた達に加持して途中で死なさない で、もし死ぬならば、またそなた達にすぐポワ法を修めてあげた。最近、一部の人々は自分のお金がそろそろかかって仕舞って、だから、出国に直面する事があ る程度躊躇していた。
この2つのストーリを聞き終わって、そなた達は全部来て、リンチェンドルジェ・リンポチェに仏像を作る事を頼んではいけないで、ケース‐バイ‐ケー スで、一概に論じることが出来なかった。そなた達がこのように言ったら、リンチェンドルジェ・リンポチェがわざとそなたの為に仏像を作ってあげなかった。 一部の人々はリンチェンドルジェ・リンポチェに供養し、リンチェンドルジェ・リンポチェがお金を仏像を作らないで、此れは各々の因縁が異なっているわけで ある。此の二つのストーリにより、150万台湾ドルが無くした。その上、嘗て、ある者は2千万台湾ドルを供養した事があり、リンチェンドルジェ・リンポ チェも納めなかった。
ある8年で皈依していた弟子は下記のように報告した。過去で多くの道場に行った事があり、多くの上師が仏法を説く事を聞いた事があり、しかし、リン チェンドルジェ・リンポチェの開示のように深く影響させる事がないで、今後必ず過ちを改正した。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いて、多くて多 くの感銘があって、然し口に出せる事が出来るとは限らなくて、この世が無常で、輪廻過患、これ等の開示、その上、今日説いた前行、正行、廻向のが他の違う 道場で開示した事があり、特にチベット仏教の道場が極めて強調し、然し、何故体得出来なかっただろう。最近、リンチェンドルジェ・リンポチェが過去で 1998年で開示した仏法テープそずっと聞いて、現在上師が開示された内容が10数年前に説いた事があり、リンチェンドルジェ・リンポチェが10数年前で 既に大修行者で、8年で皈依していた以来、過去で無駄になった。世間法は内化を強調し、自分が学んだ事を運用するのが、過去で仏法テープを聞いてとても殊 勝だと思っていて、しかし、全然分からないで、ただリンチェンドルジェ・リンポチェが光りのように、我々の問題に溶解する事が出来るだと思っていた。現 在、ようやく体得する事が出来で、上師が自分の修行経験により、身、口、意を以って仏法の殊勝を表せて、各々の機縁を作って、様々な方法を使って尽して、 我々の為に仏法を内化させて、生活で運用した。仏法の内化が自分による事ではなくて、具徳の上師によらなければならないで、彼の慈悲、智慧、大能力により 我々に助けてくれて、上師に長い時間に従っていて、けれども、何も体得がないならば無駄になるだろう。もし何か体得があって、しかし遣り遂げないなら、人 生も無駄になるだろう。
も一人の女の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが数週間の開示いあら、弟子が自分の仏法を聞く心構えを繰り返して考えていた。過去で20数年以 来に仏を学んで、法会に参加し、お経を唱えて、灌頂し、しかし、自分の仏を学ぶ動機と心構えを考えたことが無かった。数週以来、リンチェンドルジェ・リン ポチェの開示を聞いて、とても感動し、その上、とても揺り動かした。弟子は始めてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した事を回想し、リンチェンドル ジェ・リンポチェが弟子に何も求めさせなかった。だから、弟子は事業と健康で良くなる事が出来る事を求めないで、リンチェンドルジェ・リンポチェの厳しい 加持に感謝した。
リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はこれ等の弟子に自分収穫を言わせて、リンチェンドルジェ・リンポチェに褒める事ではなくて、リンチェンドル ジェ・リンポチェの果位が直貢チェツァン法王が認めて、そなた達が褒めてもらえたことではなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェのどのほとの能力があ る事はただ直貢チェツァン法王だけで知っていて、そなた達が知る事を有り得なかった。仏法が世間法を離れないで、仏を学ぶのは法会に仏法を聞く事だけで、 日常生活に応用しなければならなかった。今日、開示した施行円満、加行、正行、結行の部分は、修法して真言を唱える場合に使う事だけではなくて、日常生活 の中に、職場にも使えられた。
リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は「加行」が予め準備の動作である。例えば、会社で出勤して、何をする前に、必ず予めどのようにしたら一番よ い事を考えて、前日に終えていなかった作業を含んで、如何に対応する事を考えるべきで、リンチェンドルジェ・リンポチェが自分が若い頃に勤めていた仕事の 経験を例を挙げて、毎日、リンチェンドルジェ・リンポチェが起きると、必ず昨日終えていなかった事を一回で考えて、今日、自分が如何に処理し、また、処理 の順番を考えてから、また外出して出勤していた。現在、多くの人々、早朝で朝食を持って会社に至って、事務室に至るとぶらぶら時間に無駄をして、食べ終 わってから仕事を始めて、既に5から10分まで程の時間に掛かって、此れは出勤する前に準備するべきものではないだろうか。此れは準備の仕事を上手くしな いである。社長はそなたの時間を買って、そなたが全部の気力を尽して勤めているはずである。社長に応える事を言わないで、少なくともそなたのこの給料に応 えられた。
リンチェンドルジェ・リンポチェは商売をしても、全ての考えが最初からずっとお客さんの需要で、お客さんに対して何を最もよいものを考えていた。他 人は商売計画書は何年以内に幾らを儲ける事で、リンチェンドルジェ・リンポチェの計画書が何年以内に幾らを赤字に受け入れる事を考えていた。赤字を受け入 れるなら、此の商売をして始めた。最初の考え方は正確しなければならない、後で実行する場合に、自ずから間違いが起こらないのである。これらの観念は生 活、職場で使えるだけではなくて、政治にも運用出来た。最近のニュースにより、ずっと水を奪い取って、これらがすべて布施する観念が無いである。政治はお 互いに罵ってはいけないで、如何に人民の為にする事を考えるべきのである。法会の前で分かち合った女の弟子は彼女の両親が何故彼女が仏を学ぶ事を反対する のでしょうか?此れは彼女のこのような性格で仏を学んで、両親が彼女が騙させられる事を心配し、何故騙させられる事を恐れるのでしょうか・此れは損を得る 事を恐れるわけである。損を得る事を恐れるので、そなたは自分が騙させられる事を感じていた。今、テレビがで一日中に報道しているようで、ラーメンが少し 減らしても誰かが訴訟を提出し、スープを少し減らしても訴えて、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は正法が落ちぶれていて、このような番組を見てはい けない、ただ損を得る事を恐れる人々を育成する事だけである。損を得る事を恐れる者は慈悲を学んで得ないわけである。最悪の場合はこれからその店を行かな いで、皆が少しでもけちけちして、布施の心が無かった。
正行に至るのは実行する事で、同じて、そなたの行為が六波羅蜜にあったかどうかを考えてみて、職場で一心したら自ずから間違う事をしなかった。仕事 は自分の事が完了して十分である事だけで考えてはいけない、会社の中に、如何なる仕事が一つの部門だけで完成する事が有りえないで、もし他の部門の為に多 くて考えて、如何により良くなる事を考えたら、仕事を自ずから上手い事が出来で、他の部門と一緒に仕事をして協力する事も一種類の布施である。
結行は廻向で、つまり皆が一緒に好い心構えを持っていて、功労が自分だけで独占する事を考えてはいけないで、他人に分けるなら、自分が何か機会が無 いで、上司も見えなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はすぐに見させる事がないでも、少なくとも他人がそなたに攻撃しないで、そなたと一緒に 仕事をする事がよいだと感じていて、そなたと一緒に仕事をして傷害を受けないで、これも半分で成功した。他人と一緒に功労を分かち合うことができるなら ば、会社に勤めていて、如何に何か障碍があるのでしょうか?だから仏法が生活にて運用する事が出来ない事を要ってはいけないで、実は、仏法が生活で職場で 完全に実行する事が出来るのである。
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2011 年 08 月 29 日 更新