尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ の法会開示

2011年7月2日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで、午後4時から夜10時30分まで、116名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

2011年7月3日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催して、仏を学んで修行する方向及び要点を開示された。法会が終わって、午後4時45分から夜6時30分まで、35名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

法会が始まる前に、まずはある男性の弟子は、彼の父が尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェがポワ法にて済度されてもらった経過をを分かち合って、同時に自分自身の罪過を発露懺悔した。

彼の父は享年94歳であり、10数年来、ずっと彼と一緒に住んでいて、この2、3年間、彼は父が毎日ますます老衰していることを見て、父がすでに人生の最後まで歩いてくることを知っていて、子女達は父の習気を知っていて、父が最後に病苦の苦難を避けられないことを最も心配したが、しかし意外にも、父は最後に他界するのがとても楽であり、そして尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがポワ法を修めてもらって、直接に浄土にいった。父がこのように大福報があることができるのは、彼はこれが本当にすべて上師の賜りだと表して、このような大恩大徳は、彼は自分で仕返す仕方がないことを知っている。

彼は2008年11月2日にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して、皈依して間もなく、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェを供養しに行く時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは特に彼に何か用事があるかを聞いた。その時、彼はぽかんとしていて、慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェはもう一回何か用事があるのかを聞いて、彼は突然父がすでに90数歳になったことを思い出して、しかしまだ菜食精進料理を食べることができない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、もう父のために殺生しないで、将来どうなるかどうか因縁次第である、ととても慈悲に開示した。父が往生する前この数年間、家では再び父のために殺生したことがなくて、父は往生する数ヶ月前、もう菜食精進料理を食べてしまった。

去年(2010)の初め、ある兄弟子は彼に気づかせたのは、できるだけ家の年長者に上師と縁が結ばせて、だから彼と三番目の姉は父を連れて道場までリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに行った。彼と姉は父に、リンチェンドルジェ・リンポチェに会う時に恭しく跪くように気づかせて、父もうなずいて承諾した。彼らは一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に何か用事があるかと聞いて、彼がやっと口を開いて父がすでに93歳になると言って、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ真言を唱えて彼の父を加持して、彼の父も加持しているところ、恭しく跪いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは加持し終わって、彼の父は恭しくリンチェンドルジェ・リンポチェに供養して、リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲に彼の父の供養を収めた。彼の父は一生に仏を学んでいないで、リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲に彼の父に福報を累積する機会を賜って、彼はとても感謝する。

今年(2011)の旧正月の前後、彼の父はリンチェンドルジェ・リンポチェが指示された往生する前の徴候を現して、それはつまり冤親債主が親友の様子と化現して、往生者を悪道まで連れて行こう現象である。リンチェンドルジェ・リンポチェの許しをもらった後、彼は父を連れて今年(2011)2月の施身法法会に参加して、しかも翌日父を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見にしに行って、父のためにポワ法を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲に承諾して、同時に、すでに承諾したが、因縁福報は自分がよく把握しなければならなくて、毎日アキー護法に助けるように求めると開示した。リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲に承諾した時にも、彼の心の中の大石はたちまち放して落ち着いて、本当にたいへんリンチェンドルジェ・リンポチェに恩に感じる。それ以後、彼は毎日父に、リンチェンドルジェ・リンポチェをしっかりと覚えてください、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼を加護して彼を連れてもっと良い所まで行くことを承諾したことと気づかせた。父もとても嬉しくリンチェンドルジェ・リンポチェの法照(写真)に向かって合掌してお辞儀をした。

今年(2011)5月30日、彼が日本法会ツアーに参加しに行って来た時、看護者は2日前、父が血が混じっていた痰を出したことがあると言って、この1、2年間、父の痰がとても多いから、彼はあまり気にしないで、その上彼が毎日父を見舞う時、父はすべてとても良いと言って、兄と姉が見舞いにくる時にも、父もとても良いと言った。5月31日、彼は医者に父の痰が血が混じっていたことに言及して、医者はレントゲン検査を受けることを提案した。だから6月3日に医者は父のために検査を手配して、レントゲン検査を受けると、初めて父の右側の肺がすでに完全に病変したことを知っていて、何も機能がなくて、基本的な判断は肺癌だろうと判断されて、しかも相当する時間がたった。この時、彼はやっと上師が父に与える加持はそんなに大きいと分かって、父は病苦が無く、体がただ自然に衰退するようにさせた。医者は入院して再びコンピュータ断層撮影法での検査を受けることを提案して、だから彼はすぐ父の入院する手続きを扱った。

6月6日夜、父は四大分解の現象を現し始めて、多少気分が悪くて、その上家に帰りたいと言い争って、看護師はこの弟子の姉に電話をかけて、姉は6月7日午前2時過ぎ、病院に駆けつけて父に付き添って、しかも朝に家族に知らせた。すでに応急手当を放棄する同意書を締結したから、その故看護婦はただ父のために動悸と血中酸素濃度をモニターし監視し、そして父に純酸素フェイスマスクを付けた。当日の朝、この弟子と姉は父の身の回りで六字大明呪を唱え始めて、しかも父が目を開ける時、リンチェンドルジェ・リンポチェの法照を父に見せて、父にリンチェンドルジェ・リンポチェをしっかり追随することを覚えるように気づかせて、父も知っているとはっきりと表した。昼過ぎ、彼は骨董店で働く兄弟子に電話をかけて、父の状況を報告して、この兄弟子はすぐ父の名前と生まれ年を覚えて、そして父が往生する時に、直ちに電話で告知しなさいと気づかせた。

午後には、父は精神がかえってよくなって、しかも自分が酸素マスクを外そうと要求して、彼らは彼の意見に沿うしかできない。4時頃に、看護婦は血圧を量りにきて、、かえってすべては正常であり、血中酸素濃度も正常であり、家族はすべてほっとした。。彼も医者に父が正常であることを報告して、退院の手続きを申請して家に帰ることができて、家族は病棟で父に付き添って退院することを待っている。5時過ぎ、父の動悸は突然遅くなって最後の一つの息を吸い込んで、呼吸は突然中断してしまって、動悸はだんだん完全に停止するように変わった。彼はすぐ骨董店に電話をかけて、骨董店の兄弟子は彼が携帯電話の着信音をオフにして、知らせを待ってくださいと言って、彼は兄と姉達と一緒にベットの横で六字大明呪を唱えていて、そして父の身の回りで小さな声でリンチェンドルジェ・リンポチェを覚えていることを気づかせて、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼を連れて最も良い所に行くこと、父に同時に心の中は喜ばしくなるように言って、恩に感じるように、その他の衆生がすべて父と同じように、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って最も良い所にいくことができるのを望んでいる。同時に彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの法照を父の頭のてっぺんの上方に置いた。

大体20分間ぐらいをたって、非常に不思議な現象は発生して、父の動悸のモニターは突然再び動悸の数字を表示して、毎分2、30回ぐらい心臓が拍動して、約10秒間ぐらい続けた後に止まって、10秒間ぐらいたって、再び拍動することを始めて、このように繰り返し、彼は4回も見て、姉は少なくとも5、6回だと言った。ほどなく、彼は骨董店の兄弟子からの電話を受け取って、彼にリンチェンドルジェ・リンポチェはすでにポワ法を修めてしまったと知らせて、彼は父の梵穴を触る事を要した。その時、彼の内心は本当にとても驚喜して、感謝を満たして、すぐ父の梵穴を触って、あたたかくて、枕さえあたたかくて、額が氷のように冷たい。彼はすぐ兄と姉達にこの良いニュースを教えて、そしてみんなは一緒に触って見てみにきて、結果は3番目の姉と看護師はこの殊勝な瑞相を体得した。父がポワ法を得た後に、口はやはり大きく開いて、二番目の姉が口を触ってそれを合わせたいと思って、彼はすぐ彼女に阻止して安心してもらって、ポワ法の瑞相はきっと問題なくて、体も硬くなることはできない。約30分間の後に、家族は父の遺体を整理して、服を着替えてそして手続きを取り扱うことを始めて、葬儀社に連絡して、順調に父の遺体を中壢にある葬儀場まで運ばれて、その時は父が息が絶えたた時と約4時間をたって、彼は兄、姉達が父のその時の容貌を見なさいのを要して、とても落ち着いていて、口はその上すでによく閉める。

兄の妻は父が往生する前に姉に、済度されることを信じないと言って、彼女は八時間も助念してもらった亡者が体ががちがちであることを見たのはたくさん多くて、今度は自らポワ法を修めた後の亡者の瑞相を見て、彼女を信服させて、同じくとてもうれしく土曜日には彼と一緒に、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して最も深い謝意を表現する。三番目の姉は《菩提道次第広論》が「随喜功徳」と書かれて、まるである貧しい者は貴い宝を拾うように喜んで、彼女は父がポワ法を得ることを見て、内心はやっと本当に広論のこの話の意味を体得できた。父は往生する過程、子女達は悲しいだけではなくて、かえって喜びを満たして、もとはみんなは最も父がどのように病気を通るかを心配して、意外にも父がこのように円満に他界したと思い付かなかって、彼らの心の中はすべて感謝を満たした。彼は父がこのように大福報があることを思い付いて、心の中は喜びを満たして、リンチェンドルジェ・リンポチェの恩恵を思い付いて、心の中は感謝を満たして、自分がこんなに幸運なことを思い付いて、そんなに多くの衆生が仏法の助けを得る因縁がないことを思い付いて、本当に恥ずかしく思う。父の告別式はリンチェンドルジェ・リンポチェの指示された時間に葬儀社の協力のもとで、とても円満に完し成、火葬した後の瑞相、頭蓋骨の梵穴の所は、3つの円孔が現れて、彼は写真を法会の現場に持って持って、法会参列者に分かち合った。

そして彼は発露懺悔して、皈依する前に、彼は私利私欲だと言えて、自分は良いなら、他の人の生死を別にして、自分が負けるべきな責任を負う勇気が無い。どこに行って魚釣りして殺生する以外、更に妻が2人の子供を流産させて、母の心を傷つけただければなく、妻に母に責められたようにさせ、妻の心身に対してこの上ない傷害をもたらして、彼は更に二人を殺した悪業を犯した。人と合資して化学製品工場を経営して、嘗て気軽に廃水を排出したことがあり、どれだけの衆生を傷つけておよび環境を破壊したことが分からないで、皈依した後に、できるだけ治しても、しかしこのように私利私欲な癖、依然として常に彼の心を起こして念が動いている中に浮かんで、常に彼にだらけて自分が知らない。

大恩は恩返しと言えないで、彼の妻と父はリンチェンドルジェ・リンポチェに済度されてもらって、彼は上師の恩恵に応えることができないのを知っていて、彼も発願して、努力して教えに従って素直に遂行することを望む。将来、清浄な身、口、意で完全に上師に供養することができるよう期待して、上師の恩恵に応えて、そして尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはお体が健康で、常久住世、仏輪常転であり、、直貢噶舉法脈が永遠に広く伝わるように祈っている。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がった後にこう開示した。今日皆に仏を学ぶ重要な観念を濃縮し指示して、つまりそなた達が所謂仏を学んで修行する方向と要点である。実は、どうしてこんなに多くと言ったのか。というのは、そなた達はすべて自分が感応があり、自分が聞いて分かって、見て分かたら、始めて仏を学んでいるのだと思う。自分が毎日読経したり礼拝したりすると、仏を学んでいるのだと思って、絶えずにいつ自分の事がよくなるのかと思っていて、一部の人が更に読経して自分の冤親債主に回向して彼らが離れてほしいと思って、これらは仏を学ぶのではなくて、甚だしきに至ってはいつ悟りを開くことができるかと思って、このような観念は誤った。実はリンチェンドルジェ・リンポチェにとって、諸仏菩薩と直貢チェツァン法王の教えを聞き取って従って、直貢チェツァン法王はどのように言ったら、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の考えがなくて、言うことを聞き取ってそのとおり遂行する。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に追随して仏を学ぶ時に、直貢チェツァン法王はこんなに多く言っていなくて、しかしリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王は恭しくて対応して、大人しく言うことを聞き取って、1歩ずつ実修して修め得てきて、今そなた達に仏法に対して正しい見解があるようにさせるため、絶えずそなた達に釈明するほかない。

この時、リンチェンドルジェ・リンポチェはある男性弟子が他の人の赤ん坊を抱くことを見て、彼にどうして子供を抱くかを聞く。彼が法会に参加する時に他の人に子供を世話するに手伝って、子供がこのように好きであれば、自分の息子、娘をよく配慮したのか。もし赤ん坊がこのように好きならば、妻と一緒にもう一人の子供が出来ないか。この子供の父は法会中に大礼拝をしている男性弟子であり、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼を叱責し、自分が大礼拝するため、子供を他の人に世話させて、他の人が当然に彼を手伝うと感じる。彼の子供を世話して手伝う男性弟子は多分子供の父が大礼拝しているを見て、その上子供の母は誤りを犯したから法会に参加することができない事を見て、彼を手伝った。もしこの男性弟子は子供がこのように好きならば、病院に転職してベビーシッターをするべきであるが、しかし彼は男性であるから、病院も彼を雇用しない。さもなくば、彼はこの子供がこんなに好きであれば、養子縁組により、自分の息子として育てるべきである。リンチェンドルジェ・リンポチェはその現場にいる子供の父に子供をこの世話を手伝う男性弟子に送るかどうかと尋ねて、彼は承知しないと表した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、この男性弟子が子供を世話して手伝うのは根本的に偽慈悲であり、馬鹿な好い人になる。彼は子供を世話して手伝って、子供の父に自分で子供を世話させないで、子供の父は業を完済することができない。彼は法会に参加する時、このような行為があるのは、同じく彼が上師の開示を専念に聞くことではないことを表して、本当に仏を学びたいのではなくて、法会に参加しにきて、ただ加護を求めるから、リンチェンドルジェ・リンポチェももうすぐ彼に道場を離れるようにさせられるだろう。

そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの前に全ての動きはリンチェンドルジェ・リンポチェを騙れない。尊勝なる直貢チェツァン法王は嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェの心はとても繊細だと言った。「心はとても繊細」とは恋人に細かい事でも世話するのは細心ではない。それはリンチェンドルジェ・リンポチェの心は既に八風に影響されなく、物事に繊細な見解をした。そなた達の身口意、一切の変化からそなたが仏を学ぶ心を見える。そなたたちは仏法に於いて、リンチェンドルジェ・リンポチェを騙れない。この男弟子は他人を手伝って、子供を世話して、自分がこうすれば慈悲だと思った。此れも八風の影響を受けて、他人から自分が愛がある事を褒められたい。

先週法会の中に、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に忠告されたが、自分が八風に影響されるかどうかを注意しなければならない。大乗仏法及び金剛乗仏法を習いのは必ず六波羅蜜-布施、持戒、忍辱、禅定、精進、智慧を修めなければならない。その中に「忍」の法門とは打たれても殴り返せず、罵られても罵り返さないことではなく、この八風を忍んで、楽しみや賞賛など影響されない。つまり、人が忍べない事を忍ぶ。此れは福報を培養する法門である。仏を学んだ後、そなた達は何も行なえないとは言えないが、仏法は我々に枠を一つ与えて、我々を教えて、この安全範囲にいれば、悪を行わない。引き続きに如何なる自分の心をコントロールして、不注意なら、自分の心に思いきり楽しめば悪を行い、更に自分に合理的な解釈を与える。そなた達は今八風に影響されないことを行えないから、少なくとも始めて自分を改める。修行はそなた達に輪廻させる行為を全て修正して、八風を断てば安楽を得られる。たとえ苦しみがあっても軽く感じて、水が鴨の背を通すようにそなたに影響しない。そうすれば、そなたは物事の経緯を全てはっきりに見えた。実は多くの事に関して、そなたたちは常識で判断できるが、しかし八風の影響を受けたから、執着を起して、自然に煩悩があって輪廻の中に堕ちる。

ある人の営業はヘッドハンティングされたから、とても喜ばない。何故そなた達の営業はヘッドハンティングされただろう。それは自分が昔も同じな事をしたから。此れは因果である。リンチェンドルジェ・リンポチェの漢方薬診療所は昔新しい医師を雇用した時、その医師は引き続きに自分の専門科-傷科で診療したいが、それは患者は引き続きに治療されたいから。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼が傷科で診療する事を許さなかった。何故だろう。それは彼はこの患者があるのは昔に別の診療所に勤めた時、患者はあの診療所へ受診したから、彼に診察された。あの診察所のオーナーは診療所を開いたから、患者が受診できた。だから、この患者はあの診療所に属して、この医師に属す事ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェはあの新しい雇用された医師に開示されたが、彼は引き続きに昔の患者を診察してもいいが、リンチェンドルジェ・リンポチェの診療所に連れない。それはリンチェンドルジェ・リンポチェが因果を信じるから、今日他人の患者を連れると、将来他人は必ず自分の診療所の患者を連れて行く。だから、この新しいい医師にさせなかった。

そなた達は因果を信じると言ったが、そなた達は本当に因果を深く信じない。若し因果を深く信じる人なら、極めてわずかな悪業でも行う勇気がない。そなた達は多くの人は仏を学ぶのは唯守りを求めて、好い事は起こって悪い事は起こらないと望んだ。しかし、此れは仏法ではない。若しそなた達は唯短い安楽を求めれば、仏法を学ぶ必要がない。そなた達は部屋を売って、全ての金を内政部に寄付して、善事をさせるなら、三年内必ず順調になると保証できる。しかし、そなた達はこのような事に惜しい。仏を学ぶのは心の慰めを求めるわけではなく、若しそなた達は心の慰めを求めるためなら、心理医師或いは金をかかって、所謂心の講義に参加すればいい。例えば先他人を助けて子供を世話した男弟子はかなりこのような方式に適した。

リンチェンドルジェ・リンポチェの法縁は台湾から始まった。台湾の寺は多いが、本当に仏法で修行の経験を活かす修行者は少ない。それは悪い習慣は徐々に累積しているから、修正する事はとても難しい。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に会う機会があるのは今既に亡くなった親友に紹介された。当時この親友はリンチェンドルジェ・リンポチェに言ったが、直貢チェツァン法王は中国語が出来て、寺を建設するために台湾に募金した。リンチェンドルジェ・リンポチェは恭しく直貢チェツァン法王を自宅に要請した。また、始めて十万元を供養した。当時一般人の一ヶ月の給料は約台湾ドル8000元から1万元くらい。十万元はとても大金である。幸いリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に拝謁して、因縁があって仏を学べる。リンチェンドルジェ・リンポチェは中国で生まれて、香港で育てられたが、台湾にチベットからインドに行った直貢チェツァン法王に拝謁できた事、誰でも考えられない。リンチェンドルジェ・リンポチェは当初の人生計画によると、元々オーストラリア或いはカナダに移住するつもりだ。自分が仏を学んで密法を学んだ事、尚更に法席に昇ってリンポチェになって仏法を広める事を考えていない。

現在の台湾人は福報があり、寺も多いから、仏法を聞きたいから、必ず聞かせてくれると思った。テレビを開いて仏法を聞ける。どんな菜食料理レストランに行っても、仏経を一冊持ち帰って読める。だから仏法を大切にしなくなる。チベット人のように大きい太陽の下で仏法を聞く事ではない。

仏法は本当に聞くのが難しくて、非常に得難い。リンチェンドルジェ・リンポチェは多くの人を助けたが、実は全世界の人口は六十億であり、台湾に於いて二千二百万人が有って、その中に仏法の助けを受けられる人は本当に少ない。たとえ修行者は願力があっても能力があっても、縁を具えないとこの衆生を助けられない。衆生を助けるのはとても大きい工夫をする必要がある。直貢チェツァン法王は既にリンチェンドルジェ・リンポチェのため、一切を手配された。いつ頃閉関修行して、いつ頃何をすべきなど、リンチェンドルジェ・リンポチェは唯教えに従ってすればいい。

だから、そなた達は本当に仏を学ぶ因縁を大切して、この因縁は上師が決める事ではなく、そなた達は自分が把握して、一緒に居る機会を大切に把握しなければならない。此処に言われたのは恋人と一緒に居る機会を把握ではなく、仏を学び、仏と一緒に居る機会である。若し累世の因縁がないと、皆は一緒に集まって仏法を聞く機会がない。今日そなたは小乗、大乗、金剛乗を接触できるのは全てそなたの因縁に関わる。例えばリンチェンドルジェ・リンポチェは始めて直貢チェツァン法王に拝謁した後、若し自分が引き続きに仏を学ばないと、この縁は無くなったかもしれない。今まで生きているわけではない。ある人は小乗を修めて出家する修行者は多くの衆生縁がいらないと言うかもしれない。実はそうではない。小乗を収める修行者も福慧と言う二つ資糧が必要だ。若しそなたは多くの衆生と善縁を結ばないと、たとえそなたは願力があっても因縁も無く、そなたに助けられる衆生もない。

ある嘗て長年に皈依した男弟子は数年前からリンチェンドルジェ・リンポチェは彼に法会に参加させない。当初寶吉祥仏法センターはこのビルで新しい道場を設立した時、このビルの状況は本来とても混乱している。始めてこのビルにいい方向へ進めるため、この男弟子に指示させて、寶吉祥仏法センターを代表して、管理委員会に入って、主任委員を担任させた。主任委員の任期を終えた後、後任の主任委員を選挙する時、この男弟子は選挙の当日朝に突然に自分が午後用事があるから、行けなくなったと言った。他の男弟子は当時ビルの総幹事を担任した。結局彼は主任委員を担当した男弟子は自分の上司だと思って、彼の話を聞いた後、当日も選挙に出席しなかった。結局他人は主任委員を担当する事になった。

このビルは商業のビルであり、民衆は元々自由進出できる。しかし新任の主任委員は寶吉祥仏法センター毎回の法会に沢山な人が参加した事を見て、全て上に上がって法会に参加する人は料金を払う事を要求した。更に寶吉祥仏法センターはエレベーターの修理費を払わせた。また、多くの弟子も嘗て彼に叱られた。幸い歴代伝承上師、仏菩薩及びアチ護法はいつもこの道場を護持している。結局あの主任委員は訳も分からずに事故に遭ったから、寶吉祥仏法センターを妨げない。皆仏菩薩は彼を損なった事を誤解しないで、リンチェンドルジェ・リンポチェも修法しない。彼はある本当に衆生を利益する道場を破壊したから。

この男弟子は道場に間もなく危険に陥って、犯した罪は極めて重い。リンチェンドルジェ・リンポチェは元々主任委員を担当した男弟子を許さない。彼は選挙の当日に突然に用事があるわけではない。リンチェンドルジェ・リンポチェから見ると、彼は事なかれ主義だ。自分は唯仏を学びたく、他の事に繋がりたくないと言った。このタイプの人はとても賢い。いい物を全て取って、全ての悪い事を出来れば避ける。この男弟子は道場から離れた後、彼の妻及び娘もまだ道場に仏を学んでいる。彼はこの道場が益々栄えるのを見て、リンチェンドルジェ・リンポチェは大修行者だと分かった。先月もまたリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、百万元を持って供養するつまり。更に泣きながら懺悔した。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の供養を受けなかった。それは彼は誠に懺悔しないのを分かった。他人であれば、目の前に百万元の現金を見て、供養者も泣きながら求めたから、先に受ければいい。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の供養を受けない後、この後彼は再び姿は現れない。だから、彼は本心で懺悔しないを見える。彼は今ある大型の家屋仲介会社に総括を担当している。彼は彼方此方に言って彼は今職場に使った方法は全て昔にリンチェンドルジェ・リンポチェの会社に勤めた時に習った。また、彼は今の身分として、毎月少なくとも数十万元の給料があった。リンチェンドルジェ・リンポチェは金について彼と言い争わない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは全ての命で仏を学んだ。教派のため、上師のために命さえ捨てられる。そなた達は行えず、また何故このような事をするも理解できない。リンチェンドルジェ・リンポチェは事なかれ主義ではなく、昔顕教の道場にいる時、ある日道場の前に他の宗教の外国信徒が十数人集まって、暫くして彼達は正殿の仏像を指して、始めて英語の歌を唄い始めた。リンチェンドルジェ・リンポチェはよく聞くと、彼達は歌った内容は仏菩薩を侮辱したのを発見した。当時他の人は全て隠して、勇敢に立ち向かってこの件を処理する人はいなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼達を止めて、また彼達に考えさせたが、若しある人は彼達の主の前に、歌を唄って、彼達の主を叱るのはどうなる。その後、この人は離れた。当時十数人はリンチェンドルジェ・リンポチェを囲んだけど、リンチェンドルジェ・リンポチェは恐がらない。

彼達は離れた後、その中にある背が高い人はまた戻って、リンチェンドルジェ・リンポチェを指名した。自分が神の門徒を主張して、神は彼に能力を賜ると言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼達に言って、若し彼達は本当に能力があれば、現場で現れてくだれ、そうしないとリンチェンドルジェ・リンポチェは彼達を殴ると言った。彼達は聞いた後怖ろしくて逃げた。若しある人は仏菩薩に敬わないと、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず萎縮せず、必ず力を尽くして争った。当時の道場の対面はあの宗教の機構であり、若し適切に処理しないと今後彼達は必ず常に妨げに来た。また、この件が終わった後、この人は二度と来なかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼達が来る事を恐れなくて、唯彼達はこうすれば、自分に多くの悪業を作らせるから。リンチェンドルジェ・リンポチェは当時すぐ彼達が今後引き続きに悪を行う機会を断たれた。

始めて仏法を広めてから、今日までにリンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに「死亡無常」の観念を開示された。もしそなた達は教えに従って奉じれば、自分の心に八風に動かせなく、事情は起こった時冷静に分析して、衝動しない。問題なのは人は皆勝手にする事が好き、因果を信じなくて、結果を問わずに先に行なうと思った。八風を理解して、自分は如何なる行える事を分かる。自分を勝手にさせないで、そうすれば、悪いと知りつつわざとし、間違いを分かるのにまた間違いを犯して、懺悔すればいいなど思い方は全て誤解だ。そなた達はこのような多くの問題があるのは人生は「有」常だと思って、自分が持った全て物事は変わらないと望んで、全ては自分の物だと思った。

リンチェンドルジェ・リンポチェは自身の脊椎が酷く曲がり、昔ある医師弟子はとてもリンチェンドルジェ・リンポチェの脊椎問題を関心して、整脊治療を手配した。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは整脊師に二回を治療された後、行かなかった。整脊師に調整させる事が嫌いとは言えないが、リンチェンドルジェ・リンポチェは分かったが、整脊治療は対症療法のみで、根治療法を施していない。数ヶ月経つと、また整脊しなければならない。根本的に治しない。医師弟子も現場でリンチェンドルジェ・リンポチェの脊椎が酷く曲がる状況を説明した。若し一般人なら、座るや寝る或いは排泄など障碍がある。脊椎は電信柱のように左右とも体の筋肉を引いて、体の中に重要な支柱である。脊椎は問題があれば、全身の器官を影響できる。若し酷く曲がるなら、装具を着るかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェのように自由に行動できない。

そなた達は占いを頼めば、自分が行った事を変えられるとは言えない。よく考えると、若し強引に現在を変えるなら今法会に参加した善、つまり未来が無くなる。若しそなた達は仏法を習うのは生死を解脱するためなら、業力を最低限まで減られて、発生してもそなたの心を影響しない。そなたは仏法の理念を完全に吸収すれば、誘惑を抵抗できる。福報はそなたに体が健康させて、仏を学べるから、そなたに享受させるわけではない。仏は教えた思惟方向は本と違い、言語、文字は現れる範囲を超えした。仏を学ぶのは最も大事とは諸仏菩薩及び上師に従う事により、行うことだ。

そなた達は恋人と付き合った時、両親の前にこっそりしたのに、外で公開した。多くの未成年は邪淫を犯した。たとえ成年でもそなたは両親の援助により生活すれば、両親の監護の下で、両親の同意を受けずに性行為を発生すれば、邪淫である。現在多くの大学生の付き合いはこの戒を犯した。若し社会に出て、父母の援助に頼らないなら、この範囲ではない。

多くの人は家庭内暴力を発生すれば、色々な行動しなければならない。相手は悪いと思った。実は此れは全て因果である。家庭内暴力は起こるのは殺業があるから。男女を問わず、そなたは相手と付き合う時、必ずコーヒーを飲んで食事から始まる。必ず肉食した。結婚する時披露宴を行って、1テーブルだけ衆生をいくら殺しただろう。結婚した後、子供を生むため、また殺生して体に栄養補給した。妊娠した後、引き続きに殺生して体に栄養補給した。坐月子の時いくら殺生した。子供が生まれた一ヶ月後また宴席を行った。引き続きに殺業を作った。だから、そなた達は全て付き合った時から始めて悪を行った。

また、人は暴力傾向があるかどうか、そなたは付き合う間に必ず分かった。彼の通常の行為を見れば分かる。唯そなた達は八風に吹かれて、自分が元々備えた常識を完全に覆われた。だから、最後家庭内暴力になった。リンチェンドルジェ・リンポチェは男女の付き合いを阻止しなくて、唯そなたたちを教えてはっきりに見せた。現在男性及び女性は全て色欲は心をいぶした。当然若し上師は特にそなたを提示して、ある人と付き合わないなら、そなたは聞くべき。ある女弟子は上師が自分にこの男と付き合わないと言ったのに、彼女は教えを聞かず、自分が彼を離れられなく、彼が必要だと言った。此れも八風に影響された。彼女はよく考えないが、この男が現れない前に、彼女も二十数年に生きている。上師はそなたが間もなく深淵に落ちるから、不断にそなたを提示した。

此れも八風を忍ばないから。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に八風をはっきりに見た。ある人は不断にそなたを賞賛した時、冷静に考えて、何故彼は自分を褒めるだろう。そなたはどんな所が相手に褒められる価値があるだろう。褒められると、すぐ空に飛んでいるように喜ぶわけではない。

一方家庭内暴力から言うと、元々そなた達の殺業は相手に殺させるかもしれない。結局殴られたから返済済み。元々殴られるはずだけど、キスを通して返済した。そなた達はキスが悪いだろうかと思うかもしれない。医学の角度から見ると、キスとは病菌を他人に移す。現場にいる医師も医学にこの論点があると証明した。しかし、そなた達はまたキスがいい事だろ思った。だから、そなたたちは《心経》に「夢想を顛倒する」説かれた通り、末法時代に於いて、人々は常に間違い事を正しいとして見て、正しい事を間違いとして見た。《心経》は最も心を説く経典であり、そなた達は心の様子を知りたいなら、常に《心経》を読めばいい。《心経》を読むのを通して、そなた達に心の様子を覚えられる。

また引き上げてリンチェンドルジェ・リンポチェの脊椎はS型でひどい大側湾であり、リンチェンドルジェ・リンポチェは幼いより工夫を学ぶの体格で、スクワットをする者は、基本的に脊椎はとてもまっすぐするはずで、側湾する事はありえなく、それに、リンチェンドルジェ・リンポチェは幼いよりお体が弱弱しくて多病ではなかったから。前嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェを診察する医者弟子も説明して、リンチェンドルジェ・リンポチェの脊椎側湾はすごくひどくて、あの頃彼は大変心配した。リンチェンドルジェ・リンポチェは治療を受け取らなければ、大小便は抑えられないかもしれなく、ひいてはひどい場合は中風になった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはなんの治療も受けなかった。現在毎回法座にすわると何時も数時間がかかって席を外しなくて、ずっとまっすぐ座った。直貢チェツァン法王に加持を求めたのではなく、自分が修法したのでもなく、実は脊椎が大変痛くて、本人しか体得出来ない。リンチェンドルジェ・リンポチェも感じたが、心は痛みを気にしなくて、痛みは自然にリンチェンドルジェ・リンポチェに対して影響がなかった。ここまでするのが簡単ではなく、皆も知っているお体は確かに痛いのに、かえってこの痛みを気にしなくどんな難しいだろう!リンチェンドルジェ・リンポチェは大変分かってお体の痛みも無常で、いつか終わるはず。それで、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を学ぶことを通じて自分の心を支配して、自分の心が意識に影響されさせなくて、痛みは自然に多く減った。何故脊椎大側湾になったか?ある1回閉関した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分がこの果報を得る故を見た。過去世に自分が将軍になって、戦争した時、殺気立って目が血走って1人の女子を腰より切って殺したので、この世に脊椎大側湾になった。そなた達は自分が不注意と言うかもしれなく、所謂不注意と言う事がなく、ましてこの女子は兵士ではなく、あの時殺気立って目が血走ったから。数年前、リンチェンドルジェ・リンポチェの膝は気分が悪くて一頻ブドウ糖のアミンを飲んだが、あれからもう飲まなくて全く自分の病苦を受け取って、現在もう痛くなくなった。骨の方の病気があれば、全部自分或いは祖先の殺業が重いのである。

仏を学びには死亡無常を見通すべきで、これは消極な考えではなく、死亡とは単に肉体の死亡を言うのではなく、どの事物の生滅法で、立ち止める物がなく、例え一枚の机でも、その中にの分子、原子もずっと動いている。だから事物の生滅も無常で、因縁があるため生まれて、縁が尽したら消えて、即ち死亡である。ある時そなたはあるカップがなんの故もなく、突然にこっそりと離婚したのを見た。そなたは彼に原因を聞くと、彼はそなたに良く分からないが、突然にある日分かれた方がいいと思って別れたと言うかもしれない。そなたはどの事が行ったり来たりして全部無常と見通すのが出来たら、苦痛はそなたに対しても無常で、また変わろうとする。そなたは出世法で力が得れば、世間法は自然に順調で、これは決まっている。そなた達は死なないと欲しければ、密法の中にも法門があり、直貢噶舉第十三任の法王はこの不死の身の法門を修め得て、今まだ今日もまだ五台山の上にいて、数十年前ある弟子は敬って祈って、法王はまだ出て直貢噶舉教派の現況を聞いて、実は法王が分からないわけがなく、只話題として話し合うだろう。最近伺いに行って謁見した弟子はあまり懇切して敬わないかもしれなく、もう法王が出て来て信者を見るのを聞かない。しかし、この不死法門を修めれば、幼い頃勉強始め必要だ。直貢噶舉第十三任の法王は既に不死の身を修め得たが、これも無常だ。例えある日彼はもうしたくなくなって、しまいたくて、或いは彼は同じではない法門を勉強したくて、この肉体も終わりになった。

そなた達は仏法を自分の生活の中に融和して、苦しみにあった時、苦しみも無常だと思うべき。例えある者は自殺したくて、是非彼にこのようにしないようにお勧めなさい、それは自殺する者はずっと絶えずに自分の自殺した過程を繰り返してするから。以前ある者は親友が自殺したためリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めに来て、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼が一つ指が見えなく、とても暗い部屋の中に、絶えずに自殺の過程を繰り返した。その後、仏経を見て、リンチェンドルジェ・リンポチェははじめて分かったあの暗いところは地獄だった。それで、飛降り自殺して死亡した者は、自分が階上から飛び降りてきたことを見た、死亡した後また階上に戻って、絶えずにこの過程を繰り返した。自殺を選んだ者は二つの原因があり、一つは過去世に殺業があった、或いはこの世に自分か家族か殺業がとても重くて、二は死亡無常を受け取らないのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を済度するのは死亡になってはじめて助けるのではなく、在世のとき、衆生が既に輪廻の深淵を落ちぶれるのを見ると、リンチェンドルジェ・リンポチェは注意させて、これも如実に1人の如法上師に従って仏を学ぶの重要性で、上師はそなたが歩き間違ったのを知るとすぐそなたを導いて間違いをし続けない。

実は、そなた達は自分さえも管理できないのに、また他人のお世話をしたくて、そなた達は他人のお世話が出来なくて、只自分の心を支配出来る。自分を放任しないでさもないと必ず過ちを犯す。ある者は自分の息子が夜家に帰らないのを心配した。リンチェンドルジェ・リンポチェは申された、、つまりそなたの息子のお体は健康だった。そなたは息子が自分の物だと思ったか?そなたは彼を支配できるか?間違った!

神経が伝導するため意識が生じて、意識が反応を起きてそなたの心を影響して、そなたは痛みを感じた。肉体はとても支配難くて、それでわれ等は心よりして、仏を学ぶのを通じて我らの心を支配する。心が作用を起さなければ、肉体の感覚はそなたを影響しない。そなたは見よう、お体はそなたのだが、そなたはお腹がすいた時ひもじい思いをさせないのを支配出来るか?小便は急ぐ時、それを立ち止まらせることが出来るか?何でも出来なく、そなたはなんでも出来ない。既に大きくなった子供が支配出来ると言わないで、赤ちゃんが泣いた時さえ、そなたは彼に泣かせない仕方がない。それもなぜ多くの社会新聞が赤ちゃんの凌虐された事件を説いて、赤ちゃんの泣く事は大人に耐えさせないから。

なぜ現在多くの者は憂うつ症にかかった。それは死亡無常を信じないから。一切全部有常と思って、執着がはじめて生じた。これは我の物と思って、他人を支配したくて、無常が起こった時、悩みを生んだ。悩みが起こると絶えずに追いかけて、それで憂うつ症が生まれて、憂うつ症は即ち鬱憤して、ずっとうっぷんになって内臓に傷が出来た。

世間なことはもともと無常で、一旦事情が起こると、そなたがここより見て、事情の本質がはじめて見える。そなたは必ず相手と一緒にいて、しかしそなたに永遠に良くしてくれる者はいない。そなたは女として他人がそなたに良くしてくれるべきと思わないで、女の優勢も過ぎようとするから。肉体の痛みも無常で、例え癌症がそなたに死ぬまで苦しませてもこの痛みも終わる。ある者はそなたがこの世に癌にかかって、鬼になっても癌にかかる鬼と教えた。この話は真実ではない。それはそなたは往生する前癌症の痛めに全て生まれた瞋恨の考え方で。そなたは鬼になった後、この瞋恨の考え方を覚えればそなたに地獄を堕ちさせた。この果が終わったら、またもう一つの因を作って、またもう一つの果が現れるのを連れてきた。

そなた達多くの者はリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めに来た時、全てリンチェンドルジェ・リンポチェがそなた達に福を与えて、そなた達に事情或いは病気を良くさせると望んだ。福報はこのようにこちあちへあげるものではなく、ちょっと求めてすぐ福報がもらえば、リンチェンドルジェ・リンポチェも修める事をしなくてもいい。終日直貢チェツァン法王に福報を下さるように願えば結構だ。自らで念仏をして修め得ればリンチェンドルジェ・リンポチェの家の中に大蔵経とのセットがあってもう修めなくても良いだろう。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェにそなた達に福を与えて、リンチェンドルジェ・リンポチェの福報はあまり多くない、全部衆生に利益するため、直貢チェツァン法王のように福報が多くて、只リンチェンドルジェ・リンポチェこの弟子がもらって、教派に少し助けをやることが出来た。

リンチェンドルジェ・リンポチェは面倒或いは困難にあった時、本当にめったに直貢チェツァン法王に助けを願った。そなた達のようにではなく、何でもかんでもすぐ「リンチェンドルジェ・リンポチェ助けて」ついにリンチェンドルジェ・リンポチェの耳はいつも大変痒かった。漢方醫学では耳が良くなければ腎臓もよくなく、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの腎臓はかえってとても良かった。同席の1人漢方医者弟子も起きて報告した。漢方醫学の理論により、目、耳と腎臓とある神経が通じて、それで耳聡ければ腎水が足り、相対的に腎水が足りると通常耳聡くて目が明るいである。

道場では多くの子供は嘗てこんな経験があった。彼らは危難があった時、リンチェンドルジェ・リンポチェが現れて彼らを助けるのを見た。これはリンチェンドルジェ・リンポチェの分身ではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェの法身、法身ではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に慈悲の力を修め得て、慈悲の化身が来て彼らを助けた。そなたは上師に敬えば、そなたは危難があった時、上師の慈悲の化身はは出て来てそなたを救って済度する。しかしポイントはそなたは敬うべきで、敬うとはそなたがリンチェンドルジェ・リンポチェを見ると合掌して頂礼したか。これらは只外貌で、大切のはそなたの心は完全に従順するか。

そなたは1回従順でなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持力は断ってしまった。そなたは今回従順しなくて、今度また従うと思えば、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたに対しての加持が止まった。そなたはきっとし間違ったら大丈夫で、仏菩薩、リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔すればいいで、リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲で、大丈夫だ。間違いなく、リンチェンドルジェ・リンポチェと関係がなく、只そなたはまた始めから、ゼロから始めて、この時間は結構かかる。上師の加持力はそなたのため充電するのようだ。例え我らは通常携帯電話を使って、携帯電話は全く電力がなくなって充電すると少なくとも2、3時間がかかって、直ぐ使うことが出来ない。急用する時ちょっと充電してすぐ通話してもなんどか順調ではない。また、そなたの携帯電話は電力がたっぷりだが、使い始めると電力を消耗して、ある日までこれらの電力は使い終わる。現在の科学技術はまだ24時間で充電出来る機械を発明しないから。

だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの方法しか喩えない。いつも電力が満ち溢れ欲しければ、従順するべき。敬う心を備えたのになぜ上師の加持を得ないか、一はそなたは上師に対してまったく敬わなく、二はそなたは慈悲心を修め得たか。

精進とは表面的に合掌、頂礼するのではなく、多くのお辞儀をするのでもなく、集中するべき、続いて絶えずに集中して、上師が全て仰ったことを集中して、自分の行為を修正する事を集中して、只他人の問題を見るのではない。前回リンチェンドルジェ・リンポチェはガムポパ大師が全て開示されたのように、そなた達は常に死亡無常を思って、輪廻過患を知って、慈心、悲心、菩提心を培養して、例え小乗を学ぶ行者でも世俗な菩提心がなくてもいけない。慈悲と菩提がなければ、仏法がなく、いつでも死亡無常を心の中に置かなければ、平等な慈悲心を修め得ることが出来ない。

《観世音菩薩普門品》の中に観世音菩薩「慈眼視衆生」を言い及んだ。これは他の仏経の中に引き上げらなくて、多くの者は慈悲の目で衆生を見ると思った。そんなに簡単な解釈のではなく、こんなに簡単な解釈であれば、経典はこんなにはっきり書く必要がない。慈眼とは天眼或いは肉眼ではなく、知恵眼であり、観世音菩薩は慈悲の代表で、一切衆生に対して全部平等な空性の慈悲心で見る。観世音菩薩は古仏でこの世間に戻って来た大菩薩で、《観世音菩薩普門品》の中に「菩薩摩訶薩」と言われて、この尊称は通訳されなかった。それは以前玄奘法師が仏経を通訳した時、一つ名詞に同時に多くの意味があれば通訳必要がなかった。果位の方面より解釈すると「菩薩摩訶薩」は少なくとも十地以上の大菩薩であり、顕教では修行の法門を教えるのは十地まで、十一位所から十六地までのは密法を修める菩薩である。十地を修め得た菩薩、彼らはまだ一糸の悩みがあって、まだ度衆の悩みがある。

済度とは苦しい海より超え抜いて、輪廻を断って、浄土へ往生するのである。修行とは我らに輪廻させる行為を修正する。

慈心、悲心、菩提心は一番重要な基礎だ。慈悲心と菩提心との解釈は、リンチェンドルジェ・リンポチェは前の法テープに既に仰った。今回ここで申されない。慈悲心は一番大切で、それで六字大明呪は基本だ。慈悲がなければ仏法がない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは次の如く開示された。多くの参加する信衆或は弟子は、法会に参加して無意識的な涙を流して、甚だしきに至っては一部の人々がぞっとする感じ、此れは上師と仏菩薩の慈悲なので、そなたの自身の慈悲を感応させて、だから、そなたの心を啓かせた。此れは上師が仏菩薩と既に感応したので、仏菩薩と上師の開示により、そなた達に本来清浄的な本性と善根を顕れる機会を与えて、皆が本来清浄な仏性を具える事を見させる。

その上、平等な慈悲心と菩提心を修め得ない事を執着している。福と慧が累積する事かどうかにより、明心見性を見て始める。明心見性の行者は名利を重視する程度が低くて、巧みに名目を立たない。そなたが心の本性を見えると、不二の見方を自ずから持っていて、「不二」とは清楚で分別がないのである。しかし、そなた達は母の腹の中でから分別心があって、妊娠していた事がある人が「そなたが冷たい食べ物を食べてから、腹にいる子供がそなたを蹴って、此れが彼が冷たい物が好きではないを代表し、此れは分別心がある」を全て知っている。人々は分別心があったら、事柄の結果をはっきり見えない。

釈迦牟尼仏は『寶積経』の中に空性に関する理論を多く諭した事がある。禅を修める者は段々に2派に分けていく。一つは世の中に一切があるだと思っていて、もう一つは世の中に一切が無いだと思っていて、だから、それから「中観」を紹介させた。「中観」は中間に立って双方を見る事えはない。左側にたって、右側に立つ事ではない。「有」と「空」を諭す事ではないで、空が無い事ではなくて、一切が全て因縁法で、執着しないえ、二元の見方を破算になる。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは次の如く開示された。仏法と他の宗教がとても違っている点は「不二」に関する見方である。ガムポパ大師も此処に「この自心実相を体得したら、これらの『不二』の深く意味に対して、我々は言語により表現する事が出来ない」と開示された。「二」は二元の対立である。

大手印は禅宗と一寸似ていて、大手印が4つの階段がある。『専一瑜伽』、『離戯瑜伽』、『一昧瑜伽』、『無修瑜伽』の4つの階段に分けて、各々階段がまた三つに分ける」と開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に「無修瑜伽」の境界を修め得て、「無修瑜伽」の階段を修め得てから既に本性を悟っていて、実は修行の考えでも放れて、此れは一切が既に自在し、考えさえ無くなった。

綺麗なのは業で、悪も業であり、我々は何故苦痛するのでしょうか?すべて意識から生じるわけである。表面に仏を学ぶが、仏が何を我々に与える事を体得しなかった。行者は堅固な心がないならば、縁が無くて、仏の教導に従う事をしたくないなら、学ばないでください。これは因縁を具えないのである。行者は貪念により閉関をすれば、役に立たないで、これは生死を解脱する事が出来ないわけである。浄土に往生する事はある観念で、発願をしなければならない、百パーセントで信じている事が要る、仏法は我々に常識を教える事ではなくて、人生経験方が完全に異なって、仏法は我々に自分の本当の面目と意向をはっきり見させる事を教える。これらは言語で表現する事が出来ない感じで、つまり常に言う「仏は言ってはいけないと諭す」のである。特に秘密があるので言ってはいけないことではない、却って、普通な人々が境界に至らないわけで、言っても体得できないのである。実は、そなた達はこんなに多くの悩みを持っている事があって、多くのが自我の分別心を生じていて、善と悪、好さと悪さ、対立なので、悩みを生じていくわけである。

自分が仏を同様である事を信じなければならない、仏法に対して疑惑を起こす事が要らない、或いは聞いても分からない。リンチェンドルジェ・リンポチェはずっとそなた達に欠けないで、仏法によりそなた達に返して、そなた達は仏法が虚幻だと思ってはいけないで、仏法の真に意味が言語で伝達する事ではなくて、そなた達は上師と仏菩薩の教導により素直に従ってしたら、迷いと疑惑が破られる。

自分は何時に開悟する事が出来るを尋ねないでください。また、自分は何時に変られることも尋ねないでください。そなた達は自分何か進歩があるかどうか、良くなっているかどうかを気にするならば、これもある執着である。多くの人々は「八関齋戒」をして、自分が開悟出来で、何か観応が出来る事を望んでいる。実は、閉関するかどうか、そなた達の因縁により、時機が成熟するかどうかによる。もし因縁が具えないで無理でやると、何か良くない事を発生するかもしれない。仏を学ぶ事は長い時間の薫陶が要るし、ある日に時機が成熟したら、そなたが自ずから変ることを発見し、わざと何時にどんな結果に至る事を思わないでください、また、どの位の時間にかかってようやく遣り遂げる事を思わないでください。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が仏を学ぶ事を従来に考える事がないで、自分が上師になって、法席で座って仏法を広めている事を思った事がない。我々は衆生が仏と無別で清浄な本性を具える事を信じなければならない、ただ、累世の貪、瞋、痴、慢、疑の為に作った業力が累積してこの本性を覆い隠してしまった。仏を信じているのは自分が仏と諭す話を絶対に遣り遂げる。なぜそなた達が遣り遂げないのでしょうか?これはそなた達が決心がつかないわけであるだろう。依然として自分の欲望を放縦させて悪をして行く。前にリンチェンドルジェ・リンポチェが説いた過去のある世に将軍を務めて、殺しすぎるので、ある普通な人を間違って殺して、だから、この世に脊柱側弯症に罹っている果を貰って、これも自分の欲望を放縦させて、もし、その時に自分がもっと注意するならば、そのことをしなかった。

ある50歳余りの弟子は既に結婚し、最近また若い女の子と付き合って、自分の事業がある程度の成就があったので、この女優を連れで、自分がまた極めて魅力があると思っていて、この弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの最近数週の開示を聞き入れなかった事を見えた。

仏を学ぶ最終の目的がこの世に明心見性を修められて、そなた達がこの世を把握して精進で仏を学んで、福と慧の二資糧を努力して累積する。この世に修める事が出来ないでも、少なくとも浄土に往生する事を発願して、修行をし続ける。そなた達は仏菩薩から教える事が出来るなら、痛苦から快楽に成られて、このような楽が果報が無い楽で、煩悩心を起こさない楽え、一切の世の中の煩悩の本体をはっきり見えて、苦しみを感じられない。そうすると、世の中に祥和になっていて、そして、毎日がいい日であり、毎日がいい日であるのは毎日がすべて楽しい日々ではなくて、それはどんな事を発生しても、すべて平等的に対応して分別心がないのである。

多くの世の中はいわゆる楽とは、後遺症があった、ある快楽を追求してから、通常に痛苦に従っている。此れは世の中の人が求める快楽は多くのが世の中の「八風」と求めるわけである。ただ仏を学ぶ事だけで、我々にこれ等の世の中の八風を求める煩悩に対治する事を教導してくれて、これ等の煩悩をそなたに作用させられない、それらの何も求まない楽がそなたに真に安楽を貰えられて、如何なる事の発生に直面してから、心の上がり下がりが大きくない或は、好さと悪さを比較する事をさせない、このような境界が現在そなた達に理解して了解させる事がとても難しいのである。

何故多くの人々は鬱憤をして、鬱病に罹って、夜に寝つけられないのでしょうか?此れは煩悩があって、分別心が余り重いわけである。リンチェンドルジェ・リンポチェは寝付けない困りがないで、非常に大きい事でも明日に目が覚めてから再度処理して行く。というのは、リンチェンドルジェ・リンポチェは煩悩を追わなくて、すべては無常である事をよく知っている。此れはリンチェンドルジェ・リンポチェの生活が一切が順調で憂いも心配もない事が無くて、リンチェンドルジェ・リンポチェの息子がかつて5ヶ月に連絡が無かった事があって、そなた達であれば、必ず焦っていく。然し、リンチェンドルジェ・リンポチェは八風により影響させない、却ってある交際応対する事を少なくなる事を楽しんでいった。そなた達は仏を学ぶ根本の概念をはっきり分からないなら、上師からそなたに与える事を求めたら、此れが迷信である。

リンチェンドルジェ・リンポチェは毎日に衆生を利益する為に絶えずに心と力を尽して、最も好い方法により衆生の為に問題を解決するように助ける。違う所はただリンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を生活に既に実行して、本当の安楽を貰った。仏を学ぶ事は我々に他人と異なっていく事をさせない。リンチェンドルジェ・リンポチェが法衣をつけない時のように、誰でもリンチェンドルジェ・リンポチェの身分が知らない、此れは出世法を既に真に修めて得て、世間法が必ずもっと良くなっていくわけである。実は、如何なる世の中の事が限界があって、建物を築く事も一定の高さが出来で、建物を空のように高く築く事が無理で、しかし、仏法が限界がない、そなた達が実行して遣り遂げてから体得して始めて、仏法を作用を発生しないなら、此れがそなたが素直に従わないわけで、心も意識に影響させて、八風を吹けて、心が未定の原因である。決心をして遣り遂げて、如何なる人が仏になる事を知らなければならない、ただ遣り遂げて、自分が何時に遣り遂げる事を考えしないで、上手くする事を考えしないで、ただ仏菩薩の教導を素直に従って絶えずに実行しているなら、未来に絶対に発生する。そなた達は仏を学ぶ根本の概念をはっきり分からないなら、上師からそなたに与える事を求めたら、此れが迷信である。

現在、チベット仏教は台湾でとても流行し、多くの人々は自分の本尊が何でしょうかを聞く事が好きである。実はそなたの自身の本尊はそなたの過去世の因縁とそなたの此の世の願力、因縁と関係がある。多くの人々はリンポチェに自身を占ってくれる事を求めて、彼達に何時に死ぬ事を知らせる。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はリンチェンドルジェ・リンポチェが自分が比較的にこのようにしなくて、此れが因縁がとても複雑で、変わられるわけである。そなた達の此の世の福を実にはそろそろ固定し、寿命が比較的にそうとは限らなくて、此れが多くの変数があるので、寿命に延長させて、或は、短くなっていて、例えば、努力で善行をして、煩悩を起こさない人が延長になる。福報を増えて、そなたは修行者とは限りなくて、来世に往生する福を累積して影響させて、つまり功徳である。

ある男の弟子は報告して、自分が20年ぐらいに仏を学んで、多くの法師が仏法を開示する事を聞いた事があったけれども、死亡無常、輪廻過患、慈悲と菩提心、これ等の内容が一部分、一部分が聞いた。今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは此れらを完備している順番に開示し、3、5年間に開示できる仏法がすべて説いて終って、彼がとても殊勝である事を感じている。

もう一人の男の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの今日の開示は心からの教戒で、とても心を尽して死亡無常などの観念を再度皆に話して、これらが修行の法類である。過去、多くの人々は高くて深い密法を追求したいが、しかし、これ等の基礎な法類をこのようなはっきり説く事がなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは自身の実修した経験により、繰り返して皆に了解させて、弟子に大きな利益を受けさせた。

ある外の多くの法会に参加した男の弟子は「リンチェンドルジェ・リンポチェの今日の開示が彼の前に多くの錯誤と多く事を貪る観念を修正させて、リンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝した」と報告した。

ある出家の女の弟子は「過去にこのような機会をこのようにはっきり聞いた事がないし、リンチェンドルジェ・リンポチェの繰り返す開示い感謝した。死亡無常、輪廻過患に対して、如何に仏法を生活に実行し、自分が遣り遂げる事に至らないけれども、とても歓喜を感じている」と報告した。

ある男の弟子は「今日、リンチェンドルジェ・リンポチェがただ3時間を使って、多くの経典の中の重点を言って、開示した貪瞋痴慢疑から生じる八風と人生無常などで、仏を学ぶ重要な観念で、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝し、いまから開始して遣り遂げていく」と報告した。

今日、法会も参加したナンチュウ・ケンボは雲南中甸チベット族の人間で、自分が子供から出家し、それから、インドで尊勝な直貢チェツァン法王の仏寺に至って仏を学んだ。ケンボは「多くの顕教の教法を学んで、その上、大ケンボと大リンポチェなど開示された仏法を聞いた事があった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はとても違って、これもある大修行者が修行経験の口訣で、境界がとても違っている。とても殊勝である。リンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝した」と説いた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、死亡無常、輪廻過患、慈悲と菩提心を開示して、これらの内容はリンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を広めて始まるところから、止んだことがなくてずっと皆に教えている。今日再び一回教えるのは、リンチェンドルジェ・リンポチェが年齢が大きくなるからずっと繰り返し言うのではない。本当にとても重要であるから、根本的な法要なためである。基礎はあまり築いていないで、慈心、悲心は育成できないのである。そなた達がそなたの心の中に聞き入れて、そなたの生活の中を溶け込む。時間がたつのはとても速くて、もうすぐすでに7月になるから、人生が苦しく短くて、またたく間に1年またもうすぐ過ぎる。そなた達は仏法を生活の中に用いることを畏れないでください。実はそなたがいつまで生きるか、時間の長さは重要ではなくて、重要なのはそなたが一秒間ごとに仏法の中で生活しているかどうかということである。

そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが常ね罵っている事を思っていて、実はリンチェンドルジェ・リンポチェが怒らないで、罵ってから影響を受けらないで、此れはリンチェンドルジェ・リンポチェが既に空性の慈悲心を既に修め得て、空性に罵って、そうしないなら、普通な人が絶対に肝臓が悪くなってしまった。昨日の午後4時から夜の10時半まで信衆を接見し、2百名以上の信衆を接見した。側に世話する出家衆でも疲れた。然し、リンチェンドルジェ・リンポチェが疲れる事を感じていない、此れはリンチェンドルジェ・リンポチェが既に空性の慈悲を修め得るので、このようにする事が出来た。

ある医者の弟子は参列者に話した。脊柱側弯症の結果は大小便を漏らす可能で、半身不随になって、歩く事が出来なかった。然し、リンチェンドルジェ・リンポチェはこのらの状況が完全に無いで、況して、リンチェンドルジェ・リンポチェの脊柱側弯の状況がとても厳重し、真ん中の一部が斜めな突き出で、それから直してなって、しかし、そなた達は表面的なリンチェンドルジェ・リンポチェがこのような病状に罹った事を全然見えなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は此れはリンチェンドルジェ・リンポチェが既に心が神識の影響を受け入れない、だあら、肉体の苦しみを全然心を影響させない、自ずから、影響を受け入れなかった。脊柱側弯症の事により、そなた達に仏法の殊勝に知らせた。仏法の殊勝を体得しないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を広めている事を無理である。そなたが体得しないのはそなたが自分の心をよく改正しなかったわけである。

一回、直貢チェツァン法王はインドで伝法し、リンチェンドルジェ・リンポチェが「直貢チェツァン法王は修法した時に、あるスズメバチが直貢チェツァン法王の眉の前に10秒ぐらい滞在してから飛んで離れて、然し、直貢チェツァン法王が依然として修法し、完全に放っておいて、このスズメバチの為に手で或は身体にて駆除した事がない」を自分の目で見た。此れは直貢チェツァン法王が修法する事が衆生のためで、自分の事が既に完全でないで、だからスズメバチが眉の前に滞在しても、これが普通な人間が最も敏感で、必ず駆除する部位で、然し、直貢チェツァン法王の修法を完全に影響させなかった。直貢チェツァン法王は仏法を開示しているときに、すべては衆生に利益するから、如何なる傷付けてもきにしないで、自分の身体が完全に気にしなかった。これにより直貢チェツァン法王の定力を見えた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは厳重な脊柱側弯症だけれども、依然として、法席で正座して3時間余りの仏法を開示していた。此れはリンチェンドルジェ・リンポチェが入定の中に仏法を開示し、如何なる利益を貰って、どんな内容を説いたらどんな利益をもらえる事を考えないで、完全に衆生に利益する出発点による。そなた達が疲れると身体があちこり動いて、腰もできなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの心がとても細くて、一部の弘法する者が法席で仏法を開示された状況を観察する事により、この人功力が知られた。もしある弘法する者がより落ち着いて座れるなら、少なくとも彼の心がそなた達に考えていて、ある者の心が落ち着くかどうか、彼の足が動くかどうかにより、心が直接に足に影響した。心が動いたら、身体が自ずから揺らして、その上、無意識的な行為で、そなた達が機会があったら注意する事が出来る。

法会終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェは苦労を恐れないで、引き続いて35名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

2011年7月9日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで、午後3時45分から夜10時20分まで、155名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

2011年7月10日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催して、皈依の重要な意味を開示して、そして57名の信衆が皈依して弟子になることを認めた。法会が終わった後、午後4時50分から夜5時50分まで、18名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

法会が始まる前に、まずは一名の女性弟子は皈依した夫と娘を連れて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の小さい娘を助ける経過を分かち合った。

彼女の娘は5月10日に熱が出ることを始めて、医者にかかった後に、医者は最近幼児が熱が出るのは原因が二つあると言って、1つは腸病毒症(手足口病)であり、もう1つはアデノウイルス(Adeno Virus)に感染することである。娘の口の周囲には疱か赤い腫れがないから、その故、多分アデノウイルスに感染したのであろう。熱が出る過程は6~8日ぐらい自分で全快して、彼女に少し解熱剤を持ち帰らせて観察される。

5月12日に娘は再度40.2度まで熱が上がって、全身身震いして、彼女たちは夜中に児童病院の急診に行って、血液とレントゲン検査を通じて炎症を起こしていないかどうかと確認して、指数は正常で、医者は娘が解熱剤を飲んで、多く水を飲んで多く休みなさいと要した。5月15日(日曜日)の朝、診察を受けに戻って、当日娘は精神の状況が悪くなくないが、しかしやはり少し熱が出て、再度レントゲン検査を受けて、同様にいかなる問題もない。離れる前に、彼女たちは医者に、ずっと熱が出て下がらないと、肺炎になる可能であるかと聞いた。医者は、子供の精神状況はとても良くて、彼女にどこが気分が悪いかと確認して、彼女は全部答えることができて、多くの検査のプログラムを省略することができて、耳、咽喉に赤く腫れている現象もなくて、自体免疫の問題は今日か明日良くなるべきであろう、安心していないと、点滴を注射して病院に残して観察されていいと言った。彼女たちはいらないと答えて、すぐ離れて、道場に共修法会に参加しに行った。

法会が開始する前に、娘はすでに解熱剤を飲んだが、しかしアチ-護法を修める前に、彼女は気分が悪くなり、ずっと身震いして、その上41.5度まで熱が出た。彼女はすぐに娘を連れてお手洗いに行って一つの解熱剤を飲み込んで、兄弟子は彼女の顔色がそわそわすることを見て、彼女に尋ねた後に、彼女に1粒の甘露丸をあげてすぐに娘に服用させた。法会が終わった後に、娘の体温はすでに緩和してきて、家に帰った後体温が大体37.6度ぐらいである。そして月曜日の昼ごろから、娘は咳をし始めて、娘は頂礼したいと言って、彼女の夫は娘を連れて家の壇城に頂礼しに行って、そして彼女にリンポチェおじいさんが彼女を保護して、間もなく良くなると教えた。娘は晩ご飯を食べ終わって、約10分の後、すべて吐き出して、たいへん気分が悪くて、しかし腹は空腹で食事をしたくて、このように4~5回ぐらい繰り返して、体温が39.8度まで上がって、そしてよく咳して更に喘いでいる。そこで娘を急診に送って、一晩に観察して、血液検査レポートでは、白血球は18,000、に達して、感染指数が160であり、そこで医者は彼女が入院すると言った。翌日の午前8時に、普通な病棟に転じて、1枚のレントゲン検査で写真を取られて、肺部と心臓の間には白い影がある。この時に日曜日の主治医の顔色は青白くなり、変化が彼の想像できないように大きくなり、24時間に娘の病状を監視し抑制して看護することができるため、彼はすでに彼らに小児ICU病棟に入院させるように手配した。医者は5月12日に及び15日のこの2日間のレントゲン検査写真がきれいでが問題がないことを強調して、5月17日の写真は彼の予想を超えて、同時に彼女の夫が一緒に写真を見てほしいことを堅持する。何故かというと、これが1つの特例であるから。

彼の夫はICUに着いた後、また主治医が二三人来て、彼達は必ず全力で娘を治療すると言われた。当時娘の心拍数は170になって、SPO2(血中酸素飽和度)は正常だけど、過呼吸になった。約70から80まで(通常は40以下)。体温は39度から39.5度くらいまた咳が出た。早いのは二日後に娘はどんなウィルスを感染された事を分かるから、医師は先に抗生物質で治療した。二十四時間後また観察して、若し引き続きに過呼吸すれば、挿管するかもしれない。彼女は自分が娘をうまく世話しないから、彼女にこの苦しみを受けさせたのを分かった。この時、彼女は助けを求めたく、心が如何すればいいと思って、電話をかけて助けを求めたほうがいいだろう。彼女の夫はそう言った。「尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは土曜日に六時間を続けて信衆を接見しているから、とても苦労であり、日曜日もまた法会があるが、弟子として尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに休ませるはず。」彼女は十分間頃考えた後、またエゴで寶吉祥骨董店の電話をかけて、娘がICUに入院した事を報告した。

約三十分間後、店の兄弟子は電話をいただいて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは最近二週間に子供を連れて目の上の家に行ったかどうか聞いた。彼女は毎週定期に娘を連れて、老人ホームに義理の父を見舞った。尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、老人ホームから衆生が一人連れた。また、施身法の時にこの衆生を助けて済度する事を約束して、同時に娘を加持した。また、彼女達に指示して娘に甘露丸及び甘露水を飲ませた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの考えは極めて繊細なので、ICUに甘露丸など飲むなら、障碍に遭う事を心配している。だから彼達に一人の医師兄弟子に連絡させて、彼達を協力するため。しかし、あの兄弟子は桃園病院にいるから、五時まで来られない。だから、彼達はすぐICUに入って医師に頼んで、子供に甘露丸及び甘露水を飲ませる。医師は成分が分からないから、勝手に子供に飲ませる事が出来なくて、医療を妨げると言った。だから、彼達は同意書をサインすると言ったから、医師は始めて彼達に娘に甘露丸及び甘露水を飲ませる事を同意した、慈悲な上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に毎回にICUに入り、娘を見舞った後、娘の状況を全て報告させた、尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェは夫婦二人を指示して、早晩課時道場に大礼拝をして、施身法が終わるまでに衆生を迴向し続ける。その時既に午後一時過ぎである。

午後2時ICUに入った時、娘心拍数のは145から160くらいであり、SPO2は正常で呼吸は50から60くらいになり、咳も緩和して、一時前より状況はよくなった。鼻から黄色で粘りの物が離れて、少しでも眠られた。見舞った後、彼達はすぐ娘の状況を報告いs多。兄弟子は彼達に伝えたが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに娘を加持していて、また娘の状況を関心していた。彼女は非常に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが娘への加持及び助けを感謝した。夜八時になって、娘は既に目覚めて、小さい声で「リンポチェ爺さんは?」と聞いた。彼女は娘に聞いて、「リンポチェ爺さんは引き続きに貴方を加持して、守っているだろう。」娘は頷いて「はい。」と返事した。

翌日の11時に、彼女は加護病室へ、娘を見舞いに行った時、入り口で娘が大きな声で彼女がミルクを飲みたい,彼女は腹がすいて,またリンチェンドルジェ・リンポチェおじい様のビスケットを食べたいと言った事を聞いた。ただ看護婦は彼女を慰めていまミルクを暖めていて間もなく飲めるが、ビスケットはまだ食べることが出来ない。この頃娘は既に昨日のようにあんなに喘ぐなくて、精神状況も悪くなく、体温は約38から38.5度で、血酸素はOKで、呼吸は50位で、夜8時娘は既に起きてテレビを見られる。これは全部尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な大慈悲の加持力ではじめてあった結果である。

彼女はとても恥かしく手、衆生と諸仏菩薩に汗顔の至りだ。彼女は自分が娘の世話を良くできなくて、また遠くある上海で忙しい尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに自分の過失で悩ませて、上師の福報と体力を消耗した。しかしまだもっと多くの衆生は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの助けが必要である。

夜、加護病室の外で、ある女子は彼女に話をかけた。昨日朝彼女らの顔色が大変酷いのを見て、現在良く見えると言った。また彼女の子供はもう大丈夫かと聞いた。彼女は確認にはい、そうだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持が得たため子供は大変良く直って、加護病室を離れて普通の病室に変わったと言った。この弟子はあの女子に聞いた、そなたは大変疲れに見えて、そなた達は何日間ここに来たか?あの女子は言った、彼女らは4月の半ばに既に来て、もう20何日間だった。また、彼女は休憩室で休みを取っていたが、実際に彼女の霊体は加護病室に入って鬼と喧嘩したので大変疲れて、とても空虚で、彼女は子供のため鬼を遮って、彼女は乩身だから。この弟子はちょっとぼんやりしてから、あの女子に彼女の上師尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て申された:道教は大変すごい、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの父親も修道者が、父親の死亡を経験した後、一切道教の法が生死大事を解決することが出来ないのを発見した。彼女はお袋の中にの「快楽与痛苦」との本を開けて彼女に見せた。その上、彼女に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに伺って、仏菩薩の助けを願いするかと聞いた。尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェは全て慈悲の力で衆生を助けて、鬼と喧嘩する必要がなく、結果は同じではない。

あの女子は言った。彼女と夫二人は南部にかなり名高い乩童で、また考えて見よう。3日目にまたあの女子にあった時、彼女は子供の右の脳が脳溢血と言った。既に体外式膜型人工肺(ECMO)を使って、昏迷指数は3で、彼らはもう法事をして、残った7日間は子供は自分に頼らなければならなく、良くなっても切断術するべきだ。この弟子はまたあの女子に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めて是非子供様に苦しみを減るのを助けると励ましたが、最後にやはり彼女に淑やかに断られた。これは加護病室外の出来事だ。かえって、彼女に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの厚い羽翼は弟子達を宝物のようにするのを感じさせて、弟子の心を上師に頼らせて、もう未皈依する前頭のない蠅のように至る所へ投げ占いブロックして、慌てて不定な心が医者さんの答えを待って、なぜと聞く。彼女はきっと自分を修正するのを決心して、何時も必ず生死無常を考えて、加護を求める考えは絶対いあるのが出来ない。

娘は加護病室でいたこの期間で、彼女は多くの子供はあの中に苦しんでいて、ある子供は只7、8ヶ月の大きいさ既に呼吸器を利用した。医者さんは家族に状況が悪くければ気管切開カニューレを固定するのが必要だと解釈した。こんなことを聞いた彼女は本当に大変悲しかった。あんなに小さい体躯がこんなに多くの苦しみを受けて、以後またとても長々しい道でどうするか?ある家族は医者さんの解釈を聞いた後、夫妻2人が全部泣き出した。

早くも三日後、普通病棟に変わったから、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝の意を示すように土曜日に娘を道場へ連れたが、娘にきれいな服装に着替えしないままで行ったのは実に不恭敬であり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがこの服装では娘が風邪にならないかと気をかけた時、自分がさらに病院ではこう来ていたからと言い返したことは、完全に上司に不恭敬であり、完全に回復していない娘はさらにこの不注意な母親によって再び病気になる危機に陥る。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは娘を抱っこし加持し、娘が完全に回復していないから、退院後は漢方薬で体を調整することができると開示した。

娘が集中治療病棟にいる期間、弟子兄弟からたくさんの関心と協力をいただき感謝しておる。たくさんの親友がいないものの、大家族の中にいるように感じた。この大家族は「寶吉祥」であること。

入院から退院するまで、2種類の抗生剤を試した。医者さんは一日目に使った抗生剤がいちばん効き目がよかったが、娘がどんなウイルスによって感染されたが依然として検出できなかった。インフルエンザウイルスやら、アデノウイルスやら、インフルエンザ血症ウイルスによる肺炎やらと推測されたが、彼らにとってどれでもいいのだという理由は、上師からすでに答えをくれたからである。

上述の中で、彼女はたくさんの間違いを犯したから、この機会を借りて尊きリンチェンドルチェ・リンポチェと諸物菩薩に懺悔したと思う:

1.自分は上師のご指導に従い、死亡無常を思惟することをしなかったこと。いい生活ばかりに執着し、死亡がいつでもそばにいることを思っていない。随時懺悔し小悪でもしてはならないこと。
2.娘を自分の父親を会いに連れて行くことを親孝行だと思い、娘がやっとのことで得られたことを完全に忘れ、自分が流産しやすい体質だから、当時リンポチェのご加持を受けてはじめて娘が生まれたが、娘をよく世話しないことにより、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの福報を消耗している。
3.娘を尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに連れることを恭しいことだと思ったが、娘をきれいにしてから出かけないし、上師を娘が風邪になるのを心配させることは実は不恭敬で礼儀正しくない行為であること。
4.自分が上師を尊敬すると思ったが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが話す時に、言い返すことをしたのは、いちばん最低で許せない行為であること。
5.自分がとても大人しくて言うことを聞くと思ったが、自覚が低く、教わった通りに行わず、毎日寝る前に自己反省しないし、すぐ懺悔しないこと。

再び同じような間違いを犯さないように強く懺悔し、彼女を教訓としてほしい。これから、金剛上師に従いよく佛を学び、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに自分と家族への助けを感謝し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが健康で、常住在世、法輪常転、一切有情に利益するようお祈りする。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催して、そして57名の信者のため皈依儀軌を行った。法会が始まったところ、法会に参列者は引率する出家弟子が引き連れているもとに祈請文を唱えて、この時ある男性の弟子はあくびをして、リンチェンドルジェ・リンポチェは視力がきわめて良くて、直ちにこの弟子を探し出して、そして彼が法会が始まったばかりなのに、すぐにあくびをして疲れると感じるか、或いはつまらないと感じるかと詰問して。すぐさまこの男性弟子が道場の後方で立っているまま法会に参加するように開示した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは今日の法会にすでに申し込んだ信衆のために皈依を取り扱った。1997年に直貢チェツァン法王はりンチェンドルジェ・リンポチェが祖師ジッテン・サムゴンの名号「寶吉祥」をもって仏法センターを創立して、正法を広める。この数年、リンチェンドルジェ・リンポチェは多くの弟子を収めたが、しかしも多くの弟子を離させて、もしリンチェンドルジェ・リンポチェがこのように厳しくなければ、今の道場の大きさで、3、4つの空間がなければ座れない。離させた弟子の数は、外まで行ったら10つの道場を創立することができる。

祖師ジッテン・サムゴンの開示されたように:お経に教えていない法はすべて教えないで、伝承されていない法をも教えない。リンチェンドルジェ・リンポチェもこのように、お経に仰ったことがないのは、リンチェンドルジェ・リンポチェは絶対にしないで、お経に仰ったことであれば、リンチェンドルジェ・リンポチェも必ずやり遂げて、完全に直貢チェツァン法王と伝承の教導に従って、そなた達に仏法を教えるのである。

《寶積経》は釈迦牟尼仏の自ら開示される1冊のお経であり、中に菩薩道を修める行者が、初地菩薩から十地菩薩の果位まで、普通な人と身、口、意など方面の違う所について、とても詳しく紹介されて、宇宙に対する各種の現象、すべての因果、及び人の持っている疑問について、経典の中にすべて解答がある。

お経に仰ったように、人は生まれた時から、眉、まつげと首の上に虫がいるが、しかし肉眼では見えないのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは2年余り前に、テレビのチャンネルの上で見て、近代の科学者はすでに実証した。人は生まれれから、眉、まつげと首の上に寄生虫がいて、顕微鏡を使わないと見えないので、そなたはどのようにきれいに洗ってもこれらの寄生虫が依然としていて、その上もしあまりにも刺激な化粧石鹸を使って洗ったら、さらにそれらを成長させてもっと多く増える。仏陀は3000年前に器具がなくても今日科学が発見された事実を見られるが、ただその時人々は見えないから、その故仏陀が仰ったことを信じない。

現代人のまつげは炎症を起こしやすくて、そなた達が接触した空気、水と食品がきれいではなくて、寄生虫に影響したから。そなた達は一部の人が首にひとつひとつの肉芽ができることを見て、これはたくさんの肉を食べてしまったので、これらの寄生虫が栄養を吸収した後に繁殖して成長して、肉を食べる人は首にも比較的に肉腫を出来やすく、たとえ肉腫が出来なくても、さもなくば扁桃腺、リンパ腺が問題があるのである。人は年齢がもっと大きくなったら、どうして眉と毛髪が落ちやすくて、ますます少なくなるのか。それは年齢増加により、血気が不足であるので、栄養を毛の末端に着かせられないで、寄生虫が栄養を吸収することができなくて、毛嚢の内の養分を全部食べ尽くして、そのため毛と髪はようやく落ちてしまって、だからそなた達は一人の眉を見て、彼の血気が十分であるかどうかを知っている。

《寶積経》に曰く、末法時代になると、ある人は名聞利養のため、信衆にお世辞を言って、仏法にねじ曲がる。今世の中は仏法を商業化させて、多くの人が仏を学ぶのは自分の事がよく転じるように望むのである。仏を学ぶのは加護を求めるためではなくて、ある人は仏法がその他の宗教と同じ、人に善い事をするように勧めるが、しかし善い事をするのは人として基本なことであり、人ならばよい事をするべき。仏法が言うのは生死輪廻に解脱することであり、他の宗教と最も違うのは仏法が因果を深く信じると言うので、宇宙のすべては因果があり、全部そなたが輪廻に堕ちることに影響する。そなた達は多くのお金が掛かったら仏を学ぶことができると思わないでください、あるいは聖地を巡礼する旅に参加して仏法の意義を体得することができると思わないでください。ある人は自分が家で修行したり、仏教テレビを見たりして、修め得ることができて、とても自由だと感じて、これはすべて誤解である。

仏を学ぶ動機はとても重要であり、いかなる人は発心して仏を学ぶ──ここで言う発心とは菩提心を発するのである。もし皈依する動機が間違うのであれば、もしただ自分の利益のため、事がよくなってほしいためであれば、発心して仏法を学ぶことができな。皈依して仏を学びたいとすると、必ず仏陀の仰ったことに従ってしなければならない。

世間のやり方はお金が多い者が前の席に座って、お金がない者が後の席に座るのであるが、しかしリンチェンドルジェ・リンポチェはそなたの供養した金額の多寡で、そなたの座る位置を決めるのではなくて、そなたはどんな身分だに関わらず、すべて平等に対応する。最近ある政治家は単独でリンチェンドルジェ・リンポチェに面会するのを求めたが、しかしリンチェンドルジェ・リンポチェは拒絶して、もし彼は面会したいならば、それなら皆さんと同じに土曜日に仏法センターに来て順番に並んで、国家の大事を打ち合わせるのでない限り。仏法の前でみんな平等である。リンチェンドルジェ・リンポチェは正法を広めるため、妥協することができなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェは如何なる者の個人の特約のリンポチェをしなくて、寶吉祥仏法センターも特約の道場にならない。

最近一名の女性信者はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに来て、自分はある有名な法師の門下だと言ったが、しかし彼女が病気にかかって法師に面会を申し込みたい時に、法師のそばの人は法師が女性の信者に会わないと伝言した。確かに、経典に男性の法師が単独で女性の信者に接見することができないと諭したことがあるが、しかしこちらの法師はやはり公共の場所で彼女に会うことができて、供養を収めたら、信者に助けなければならなくて、口実を探して逃げたらだめである。信衆が仏法の助けを必要とする時なら、会わないのか。リンチェンドルジェ・リンポチェは台湾にさえいれば、土曜日ごとにきっと信衆に接見して助けを与えて、信衆であるそなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し込みに来る時、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達の供養を受け入れないで、それともそなた達を助けるのである。

そなた達は仏を学ぶことを始めて、すぐ衆生を度することができると思わないでください。そんなに誇らしくしないで。リンチェンドルジェ・リンポチェはちょうど仏を学ぶことを始めた時、一度も自分が法座に昇って説法するのを思ったことがなくて、ただ仏を学んだら自分を助けることができて、死亡に会う時にどのように処理したらいいを知っている。仏を学ぶのは仏菩薩が見えるのではなくて、或いは仏菩薩がそなたと話すことを聞こえてもう修めえることではない。これらはすべて仏法にねじ曲がるのである。《金剛経》は曰く、もしそなた達は色相や音声で仏菩薩に祈ると、邪見である。《楞厳経》にも言及されるように、もしそなたは自分が仏菩薩がそなたと話をすることを見て、その故誇らしいと思って、自分がよく修行できると感じると、天魔は飛精して口に入って、そなたに傲慢な心を起こさせて、引き続き修行することができないようになった。これも経典の上にも末法時代で仏弟子の身分として仏法を破壊する状況が現れるのを開示された。

釈迦牟尼仏は在世して49年も説法していて、口さえ開ければ衆生を利益する法であり、衆生の8万4千種類の煩悩について、様々な対治する法門を開示して、そのため仏法の内容はとても多くて、たくさんの経典を残して、その他の宗教と違って、例えば、カトリック教は主に《 ロザリオの経》で、キリスト教は《旧約聖書》、《新約聖書》で、道教はただ老子の《道徳経》だけである。どうして釈迦牟尼仏は49年間こんなに長く説法しているのか。というのは、人の心があまりに複雑なため、仏法は人に輪廻苦海を離れる方法であり、人々にどのように黒業から白業に転じて、悪から善に転じるように教える。

仏陀は仏陀の発明された法則を宣伝するのではなくて、仏陀が証悟された宇宙にもともと存在する真実な情況を世の中の人に紹介しようのである。仏陀は49年に各地で説法して止んだことが無くて、一言一行が仏法ではないものはない、そなた達と違って、道場で仏教徒であり、出て行くと仏教徒ではない。仏陀は24時間もすべて定境の中で仏法を示現して、世の中の人に生死輪廻に解脱する方法するように教える。そして世の中のように一部の人はツアーチームを作って景勝地を観光するのに、自分が仏法を広めることと名乗る。

そなた達は自分に十分な自信があるべき、何を信じるか。衆生が全て仏性があるため、仏陀の教導に従ってすると、きっと成仏できることを信じる。だから、私達は釈迦牟尼仏を本師と称して、教主、上人などと称さない。そなた達は耳にした根本上師とは、そなたが一名の根本上師に皈依すると言うことではなくて、そなたの所有するのは根本的にすべてそなたの上師に属するのである。根本とはそなたのもともと具有する本質、仏性である。仏が証悟し成道する時に、嘗てこう仰った。衆生は仏陀と同じに全て仏性があるが、しかし衆生が成仏することができない、その理由は何であるか。成仏する条件は、有情の衆生ならばすべて備えて、人類だけでなく、正しく努力して自分の行為を改正するのでさえすれば、ある日に悟りを開く。

《地蔵経》には、地蔵菩薩は衆生の心が懈怠し易いことを知っていて、その故鬼王をあれらの発心して仏を学ぶ人を監督しに来るように派遣する。鬼王はそなたを害するのではなくて、そなたを監督するためである。ここは懈怠を使って退転を使うのではなくて、そなた達は退転すると言う資格がない。退転するのは初地菩薩から十地菩薩まで証得した菩薩が衆生を度する心は退転して、つまり菩提心を減らすのである。そなた達がただ懈怠するとのことしか言えなくて、つまり怠けていて、再び気軽にいくつか仏法の名詞を無責任に言って、口業を犯して、誑語を言わないでください。まだ本当に悟りを開いていない前に、懈怠しやすいから。そなた達は注意して、ここでは地蔵菩薩がそなたを監督しにくると言っていないで、鬼王を派遣するので、だからそなた達は再び自分が菩薩を見ることができると思わないでください。

鬼王はそなたを護持して、仏を学ばせるなら、そなたは必ずどんな事でも順調とは限らない。反ってある時そなたが愛される子供に訳が分からなく、高熱させた。そうすればそなたに始めて上師の加持が必要だと知らせて、そなたは上師の話に従わない事を提示した。そなた達が仏を学び事を助けて、わざとそなたに嫌いなことを見せると、そなた達は始めて自分が苦しいと分かって、仏法を習わなければならない。此処まで言うと、ある者はそう聞くかもしれないが、「皈依後、すべての非人は危害を加える事が出来なくなる。」と言われた。確かに害されないが、唯側にいてそなたを監督している。若しそなたは如法ではなく、懈怠した時そなたに少し提示を与えて、そなたをプッシュしてそなたに自分が間違いと知らせて、すぐ自分の心を修正して懺悔した。だから、彼はそなたを助けるため、そなたを害しない。そなた達はとても現実的であり、事情が無いと現れない。上師を利用した。しかし若しそなた達は誠に仏を学ぶなら、仏菩薩が暫くそなた達に利用されても構わない。

多くの人は皈依を求めた時、皈依は間もなく自分に利益させる事或いは皈依後多くの仏法を聞けるのを思った。此れは全て欲望である。昨日ある信衆は皈依を求めたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に「何故皈依したい。」と聞いた。彼女は自分の気性を修正したいと返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、気性を修正するのは仏を学ぶ必要がなく、聖賢の本を沢山読んで、教養がよくて、気性は自然によくなった。実は此れも欲望である。他人が自分によくなったと感じさせて、他人が自分を褒める言葉を聞きたい。

現在心霊講義が流行っているが、講義を一回参加すれば、数千元から1万元以上かかる。此れは全て自分の欲望を満足するため。ある人も自分の裁判や健康が悪い或いは暮し向きが傾くから皈依した。此れも欲望である。多くの仏法を学ぶために皈依しても欲望である。そなた達は一切の物事がよく変えると思うなら、仏を学ぶ必要がない。自分は毎月の給料を寄付すれば、数年後そなたの事は必ず変える。此れは全て欲望である。若しこの欲望を抱いて皈依すれば、発心が間違くて、早めに留まられなく、追い払われた。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達を追い払う事ではなく、そなた達は自分が離れる。そなた達は徐々に自分が予想の事が現れないのを発見すると、自然に留まられない。

仏菩薩は法身、報身、化身があるが、そなたが修めた程度により、仏菩薩は如何なる身が現れてそなたを救済する。報身仏とは菩薩果位を修めた修行者を助けて、そなた達のような凡夫を助けない。そなた達も報身仏に会うわけではない。そなた達は唯化身の仏菩薩しか見えない。仏菩薩は化身して色々な方式で衆生に助ける。例えばそなた達は同じな外形でそなた達に助けを与える。ある時もそなたは一段落の仏経を読み仏塔を見れば、啓発を受けて、そなたに仏法に対して悟らせると、この経文は仏菩薩の化身である。そなた達は登地菩薩を修めないと、見たのは全て化身菩薩が助けられて、そなたと同類の上師を含める。それは同類は皆一緒にいて、菩薩果位を証すれば、報身菩薩を見られる。だから、そなた達は如何なる報身菩薩、尚更に法身菩薩を見るわけではない。

何故そなた達は報身仏を見えないだろう。仏菩薩は分別心がある事ではなく、それはそなた達は福報が足りなく、彼達の空間に入られない。しかし、仏たちはそなた達の空間に入られる。例えばある貧乏な人は如何なる億万長者の側にいるだろう。原因は二つしかいない。この大金持ちは寂しくて、人を同伴して欲しいから、そなたを同情して随行させる。或いはそなたは彼に雇用されて、世話するため側にいれる。若しある貧乏人は富豪と付き合いたいと、必ず行けない。毎日着ている服さえ手配できない。第一日目そなたはは最もいい服を着られるが、毎日同じな服来るわけではないだろう。制服ではないから。しかし、大金持ちは毎日異なる服を着ているが、そなたは連れて行けない。

ある人は皈依後他人と異なる法を学べると思うかもしれないが、此れは正しくない心である。そなたは発心が正しく、機縁が正しく、根器が正しくないと、上師は法を伝授できない。若し弟子は条件を具えても上師は相変わらず法を伝授しないなら、三昧耶戒を破って金剛地獄に堕ちる。その代わりに若しそなたの根器はある法を学べるなら、適切ではない場合、金剛乗に於いてそなたに話しても出来ない。また、そなた達は皈依後、大乗仏法或いは金剛仏法を問わず、全ては顕教から始めて学ばなければならない。自分がチベット仏教に皈依したから、自分が密宗を修めると言わない。此れは妄語である。若し上師の指摘及び監督がないと、決して学べない。密宗と言えば、事部、行部、瑜伽部及び無上瑜伽部を分ける。瑜伽部及び無上瑜伽部は伝授されないが、基本的にはそなた達に伝授した灌頂など、全て事部の範囲である。

昨日ある信衆は彼女の息子を連れて、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。自分の息子が引き続きにある肩を窄めるなど変な動作を行って、変な叫び声を発した事を報告した。彼女は既に息子を連れて多くの寺や宮廟に行って、経を唱えて迴向もしたのに如何なる対応しても状況は益々大変になって、叫び声も発した。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの男の子を助けて加持した時、本当にこの男の子は犬のような叫び声を発して、犬のような動作を行った事を見た。男の子の母は側に怖ろしいと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェはその時隣の人に指示して、この男の子を支えた。加持が終わった後、この男の子は虚脱状態に陥って、地上に昏迷した。リンチェンドルジェ・リンポチェは指示されたが、この男の子に少し寝させて、また除障香をたきしめた後にゆっくりに目覚めた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、此れは二つの例である。昔も異なる状況に遭って、必ず鬼にくっ付くわけではない。別種類の衆生がくっ付くかもしれない。その時くっ付かれる人とくっ付く衆生は両方とも苦しい。何故この母親は子供を連れて多くの寺に行っても仏経を唱えても犬幽霊に役に立たなかっただろう。それはそなたが経を唱えても犬は分からないから。若し実証実修の経験が無いなら、唯一つの方法だけ使って衆生を助ける。しかし、法眼を具え、徳を具える上師なら、問題のありかを分かれて、因を探して根本な所から手を出して問題を解決すれば、彼を助けられる。何故経を唱えても役に立たないだろう。それは修行者は福報及び能力が無くて、彼にすぐ受けさせなく仏法で助けられない。

皆は常識があって、若し体は鬼や動物の幽霊にくっつくと、この霊は離れる時、ある人は虚脱して、あるのは全身こわばり、尚更に卒倒した。暫く休んだ後徐々に正常に戻る。何故除障香を使うだろう。それはたとえ鬼は離れてもまだ残った悪い気が少し身に存在している。除障香は体の中の悪い残った気を除けて、体に役に立ってそなた達にとても好い物である。しかし、この母はこの状況を見るまで、始めてリンチェンドルジェ・リンポチェが自分の子供を助ける事を信じる。若し通常に殺生を止めず、子女を教えないなら、この事が発生する。

たとえ法会前に報告した弟子のように、そなた達は彼女の話しを分かっただろう。経を唱えるのように終わった。今日何故鬼は彼女の娘を悪戯して、夫を悪戯しないだろう。それは娘を悪戯すれば、彼女達は始めて緊張できて、娘は自分の宝物だから。若し彼女の夫は病気に罹ったなら、彼女は必ず当然だ。何も感じない。娘を連れて道場にリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に子供が肌着を着れば風邪を引かないと言った時、彼女はすぐ口答えして病院でこのように着たから。何故彼女は口答えしただろう。信じなくて懈怠して、皈依戒を破った。更にこの夫婦は心から、リンチェンドルジェ・リンポチェを信じなかった。若しそなたは信じれば、口答えしない。

ある者は《金剛経》を開けば、鬼は逃げて、そなたに近づかないと言った。しかし、経を開けた人を見ないと出来ない。この人は慈悲心、菩提心、功徳があるかどうか、この衆生の因縁を分かって彼に助けを与えるかどうか。因を分からず、福報能力がないと鬼は離れない。そなたは仏経を開いても彼は尚更にそなたに近づくかもしれない。鬼になれるのはまた人のような憎みの考えを具えた。鬼はそなたに追い払われても除けない。理論的には彼女の娘は既に皈依したのに、皈依後すべての非人は危害を加える事が出来なくなる。何故この事に遭っただろう。それはこの鬼は彼女を害せず、助けに来たから。彼女に自分が仏を学ぶ心が間違く、懈怠したことを知らせた。

その時ある男性の信衆は法会に参加した時、足を上げた。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに指示されて、今日幽霊がくっ付いた盾を連れて法会に参加したのに、このような敬わない行為を行った。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ彼にこの行為を叱った。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に多くの助けを与えたが、尚更に先の開示があった。彼の問題はリンチェンドルジェ・リンポチェしか解決できないのに、仏法を真剣に聞かない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて開示された。ガムポパ大師は開示されたが、「ある法眼を具え、悟りを証し、心身の中に本当に仏法の体験を生じた上師に対して、若し弟子は信頼及び恭敬の気持ちを持って、彼に如法に従って依止すれば、いつか必ず悟りを証した。却って若し所謂上師は本当に悟りを証しないなら、たとえ弟子は心の中から信頼及び恭敬の気持ちを現しても、恐らく作用を起さない。」

天眼と法眼は異なる。天眼は見られたが、法眼は悟られた。たとえ天眼でも多くのラベルを分けた。ある人は自分が鬼を見えると言ったが、鬼眼だけだ。天眼を修めたなら、全て虚空の間に一切物事の細かい変化を理解できる。法眼を修めたのは一切因果を分かり、如何なる因縁で衆生を助けて生死大海を解脱する事をわかる。

悟りを証しとは何だろう。証するとはそなたの修行はある境界に達して、仏菩薩及び上師の境界に合い、境界が無い。そなた達は悟りという字を見ると、分ければ二つの字であり、「我が心」である。だから、悟りとはそなたが自分の心をはっきりに見える能力があって、自分は間違い所を分かる。凡夫は全て自分の人生経験法で暮して、顛倒夢想した。仏経に我々は今が中陰身であり、成仏する前に中陰身と言われた。まだ悟っていなくて、間違い所も分からない。たとえ先の口答えした弟子のように仏法の標準から見れば、彼女は口答えしたのはまだ自分の心をはっきりに見えず、自分が怠ける事を悟らなくて、上師を信じない。何故そなた達に毎日寝る前に身口意から自分を検討させるだろう。それは毎日自分を提示して、自分の間違い所を分かる能力があるかどうか。戒律、誓いを違反するかどうか。すぐ懺悔して二度と犯さないかどうか。此れはそなた達を助けて覚悟させる方法である。

昨日ある信者は彼の父が数日も人事不省になってリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に何を求めるかと聞いた。相手は父が目が覚めてその上口を開いて彼と話をすることができるよう望むと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、こう開示した。あなたはどうしてふだん父さんと多く話をしないのか。今彼は人事不省になってしまって、あなたはやっと彼に話をさせて、彼がどんな引継ぎがあるかもしれないと思っている。相手は以前にこのようなことになると思い付いていなかったと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは:あなた達は全部病気にかかって気分が悪い経験があって、もしあなたは、ある者はずっとあなたと話をして、あなたはとてもうっとうしいと感じるだろう。病気にかかって床で眠りたいが。あくまでもし彼が目が覚めてあなたと話をする事を要したら、彼氏は息子!私は死にたくなくて、あなたはどのようにするのか。或いはもし彼は、息子!あなたが私と一緒に歩こうと言ったら、あなたはびっくりさせるだろう。この信者のような考えは顛倒夢想である。

仏法は必ずそなたに助けを与えた。そなた達は何を頼って悟りを証するまで修められるだろう。自分が成仏できる決心を信じることに頼る。たとえそなたが成仏の信心が十分であっても、また上師の教えが必要である。ガムポパ大師が此処に開示されたことの通り、ある悟りを証した上師を信頼して頼る。信頼とは依頼ではない。上師が話すと、必ずそなたに役に立つ。そなたはまだ聞きこめないなら、自分の責任を取らない。

2007年時直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに3ヶ月を閉関させた。直貢チェツァン法王も知っていて、リンチェンドルジェ・リンポチェには多くの商売があって、またたくさんの弟子があったのに、リンチェンドルジェ・リンポチェに準備する時間はどの位がかかるかと聞かずに、只何時か来る必要と言ってくれた。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェもとても簡単に一言“はい”と言った。上師に十分な信心があったゆえに、自然になんでも出来た。数年前リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て直貢チェツァン法王に伺った。自分が既にこんな年を取って、悟るが出来るか?直貢チェツァン法王は答えた:そなたは上師に信心があれば結構だ。その後リンチェンドルジェ・リンポチェはまた直貢チェツァン法王に聞いた、自分がすでにこんな年にとって、無上ヨガ部を修め得る事が出来るか?無上ヨガ部を修めるものは20才あまりより修めはじめ、30才あまりやっと修め得られる。体力が必要ので40才あまりが修め得るのが聞いたことはない。しかし、直貢チェツァン法王はまだそなたが上師に信心があればと答えた。只この一言、そなたが上師に信心があればとの事で、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの一言によって上師に対して全くの信任、信頼心によって修め得た。リンチェンドルジェ・リンポチェもこの一言で皆を励ます。

上師を信じて、ここ信じるとは上師に対しての敬う心を含む。そなた達は自分が何故皈依するかはっきり分かるべきで、了解した後仏が全て教導してくれた話は必ず従順するべきのをはじめて分かった。自分は仏が全て説いた、上師が言いつけたことが出来ると信じた。言い訳を作って出来ないと言わないで、上師はそなたに遣らせたもんはそなた達はきっと出来る。そなた達が出来なかったのはそなた達が出来ないのではなく、そなた達はまだ決心してする気がないのであり、これもそなた達の欲望である。そなた達は自分が出来ないと思わないで、始め頃からそなたは自分が出来ないと思えば、出来ないの因を植えて、本当に出来なくなった。人身は得難く、仏法は聞き難く、上師は逢い難し。ここの上師は具徳な上師のである。そなたは決心してすれば、きっとある世仏になる。しかし条件は具徳の上師が引き連れしたに如実に自分を輪廻させる行為を修正するのである。

上師の仕事は絶えずにそなたに注意させて、彼はそなたがこうしたら悪い果があるのを見た時、生命と方法を尽くしてそなたに教える。果報がまだ熟する前、上師はずっとずっとそなたを監督して鞭策する。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは始めたばかり時寄生虫このことを言ったか?それは上師はそなたの未来が見えるのを教えたかったから。そなた達は大変勇気があって、結果が分からなくてもする勇気があった。今そなた達におろさせるとかえっておろす勇気がない。果報が熟すれば、もう仕方がない。釈迦牟尼仏は嘗て彼が果報を変わる事が出来ないと仰った。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を発展させて広げて、衆生に利益するには時間、地点を分けなくて、24時間全部衆生に利益する。しかし、そなた達は全部分別して、法座にいるのみリンポチェを見て、言うことはそなた達ははじめて聞く。法座を降りた後、そなた達は全部リンチェンドルジェ・リンポチェを馬鹿して、そなた達に利用された。

仏法は神話を述べるのではなく、宇宙の真理のであり、上師に信心があれば、絶対に自分の過去の間違い行為を分かり、上師の教導を通じて、自分の身、口、意を直すことが出来た。しかし信頼が足りなければ、仕様がない。しかしも衆等し心を信頼するなら足りなかった,しかたがないです。 しかし只上師に頼ることもするな。上師は法眼があって、未来を知って、因果を知って深く信じる者で、そなた達に対して必ず役に立つ。因果を深く信じるとは、そなたが一匹のうさぎ、一羽の鶏をころしたので良くない果報が得るのではなく、これは大変ひどいだ。深く信じるとは例え細微の僅かな悪業でも、全部我らに輪廻を断たせることが出来ないのである。

我らはいつも自分の欲望を放任して日を暮らして、仏を学ぶのもそうである。ある者は自分が家で修めれば結構と思った。上司の管理がなく、自分が家で修めて、他人に叱れる事がなくて、只仏菩薩が叱り、あいにく仏菩薩はそなたを叱らない。テレビを開けて、多くの仏教の番組は勝手に自分が選んで、好きのを選んで聞く。このような仏を学ぶ方式は成就することがありえない。 仏を学ぶには一つの重要な特色があり、それは上師の加持力に頼りが必要で、そなた達は道場に来て敬う心で法会に参加すれば、上師の加持と摂受力が得られて、これはテレビの上に仏法を説いたには出来る紋ではない。テレビの中に法を説いた者は誰に法を話しているか知らなくて、加持力があることが出来ない。

リンチェンドルジェ・リンポチェはあのごろ、顕教の法師に皈依して、翌日の明け時、一つの夢をして、自分が一軒寺院の入口に立ったのを見た。リンチェンドルジェ・リンポチェは正殿のドアを開けた時、寺院の正殿の中に釈迦牟尼仏の仏像が座って、十分強烈な黄金色の光を放し出して、強い光はリンチェンドルジェ・リンポチェに一歩を退けさせた。この時皈依した顕教の法師はリンチェンドルジェ・リンポチェに恐れないで入ろうと教えた。リンチェンドルジェ・リンポチェははじめて寺院に入る勇気があった。仏菩薩の光は黒、赤、緑、白いのではなく、金色で、大変強い光で、そなたの目が覚めて見る勇気がなかった。累世に修行する上根器者さえも仏光に恐れて、一般な仏を学ぶ修行者は仏菩薩の光を見るときっと恐れて近くにする勇気がなく、そうして仏菩薩の助けを得ることが出来なくなってしまった。福報がなければ、ドアが開けても入る勇気がない。それはなぜ法会の中に薈供との儀軌があって、そなた達に上師、仏菩薩と一緒に供品を受けさせて、そなた達の福報を増やすのであり、食べたら加護があるのではない。

供養は福報を蓄積することが出来て、そなた達も知っていて、寶吉祥仏法センターには功徳主がない、法会に参加するのは値段を取り決めるのもない。例を挙げて、リンチェンドルジェ・リンポチェは昨日午後4時から10時まで信者に面会を取って、皈依しないのは供養を収めなくて、こんなに苦労してお金のためではなかった。供養は正しくないわけではなく、供養はするべきが、寺院は自分で値段を決めるのではない。最近多い所は多く法会を挙げ始め、主催者は自分で値段を決めて法会の参列者に供養させるべきではない、信者は自分がするのであり、福報があれば自然に十分の供養金があって法会を行い、福報が足りなくて、どうしても遣るとしてもあまり良くない。仏経を遍く開いても法会に参加するお金を決めることを載せてあらない。

なぜ上師は仏法に対しての体験がある必要か?上師は仏法に対して体験があってはじめて仏法が衆生の未来にきっと役に立つのを感じ出来て、衆生の苦しみを了解出来て、慈悲心と菩提心で衆生に助けを与える事が出来た。上師は経験ある修行者べき、上師には仏法を体得するのが出来なければ、彼は仏法を広げる事がない。つまり、仏法は彼の身の上に作用が起きられなくて、本当な証悟がなければ、彼は衆生を助けるのも出来ない。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に皆に開示して、仏法がリンチェンドルジェ・リンポチェの身の上に作用が起こしたから、そなた達にもはじめてこうするのを教えた。仏法はリンチェンドルジェ・リンポチェの身の上に作用が起きなければ、そなた達の身にも作用が生まれない。リンチェンドルジェ・リンポチェ今日も直貢チェツァン法王の話でそなた達に開示され、そなた達は上師に対して信心があれば、仏を学ぶのがきっと成就が得られる。

坊間でどの上師でも自分がすごくて、能力があると言って、信者はいつも見分け難くて、どちらの上師に従って仏を学んだ方が良いかも分からない。如法の上師は必ず自分の背景をはっきり言うべき、黒幕はどんなに強いのではなく、自分の伝承はなんだろうであり、なんと言うこと無しにそなた達に自分が修行の経過を教えた。あれら自分は森林の中に倒れて、結局菩薩が彼と話すとか、夢見に菩薩は出て彼にどこが修め間違ったか教えるとか、或いは祭壇の下に49日間を隠して神通力があるとか全部神話物語だ。仏経を遍く開いても、仏菩薩は夢の中に誰かに教えるのを載せることがない。出来るならば、仏経には必ず記録する。また何か青い観世音が現れてそなたに教えるのも言わないで、リンチェンドルジェ・リンポチェは只赤観音、白観音を聞く事があったが青観音とはまだ聞いた事がない。

皈依してから全て悪いことは全部起きられないと思わないで、皈依した後かえって悪い事が早めに現れて、消業して、そなたに仏を学ぶ障害を早く取り除いて、転重軽受させる。三悪道に堕ちるかも、現在はそなたに病気に掛からせて、監獄に入るかもしれないの、そなたにその他の刑を判定させた。リンチェンドルジェ・リンポチェは顕教に皈依してから、直貢チェツァン法王に皈依した3年間後、商売が失敗して倒産した。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に大変感謝した。直貢チェツァン法王は自分を皈依させて、自分に累世の貪欲と供養なしの果報を一年間で処理させてしまったから。まるまる一年間で、食事をするお金がないように貧乏して、今回食事をして次のはどうするかまだ分からなくて、そのまま法会に参加して仏を学んだ。身の上には僅か台湾ドル1800元は、法会の法本を印刷するため、製造手数料を払った後300元しか残らなく、しかしこの300元は15日間の生活費だった。そなた達の福報はリンチェンドルジェ・リンポチェより良くて、日を暮らすのがどんなに苦しんでも、そなた達には食事するお金がない者はない。

どうして皈依する前にこんなに多く申されたか、そなた達が大変早めに追い出せるのを恐れた。皆も知っていて皈依するのは容易ではなく、皈依した後追い出された比例は大体15~20%である。そなたは皈依する時動機が正しくなければ、とても早めに追い出される。例え一時そなたに騙されて、或いはリンチェンドルジェ・リンポチェはうっかりして居眠りして見なくても護法は全部リンチェンドルジェ・リンポチェに注意させようとする。

我らは上師、三寶に対して敬えば、家の中に吉祥になって、まだ不吉なことが起こるならば、即ち心の中にやはり悪であるから。昨日夫婦2人の信者が息子を引き連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めに来て、家の中に多くの事が起きて、ひいては息子が自殺するのが生じた。リンチェンドルジェ・リンポチェは先彼らに多く申されてから、あの息子を加持した。加持すると彼の家の中に一枚の盾牌のようなものに鬼をつけ加えたことを見た。リンチェンドルジェ・リンポチェは施身法であの鬼を済度すると承諾して、また彼らに今日あのものを法会に持って来て、それに、
父親は母子を連れて法会に来させた。しかし、父親方は直ぐ仕方がないと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは仰った:お金をもうけるのは大切か?また衆生を済度するのは大切か?多くの者はお金をもうけるのが大切と思ったが、リンチェンドルジェ・リンポチェにとって、済度するのはなんいもより全部大切だ!そなたはある衆生に浄土へ往生するのを助けて功徳がとても多かったから。もともとの因は彼らで、それで彼らの功徳は一番大きくて、リンチェンドルジェ・リンポチェは只助けた。またあの父親は外の者が来られれば結構で、自分が行かなくても良いと思って、それは仏法を利用した。リンチェンドルジェ・リンポチェは申された:例え家族がお腹雅いっぱいになってもそなたは食べなくてもお腹が一杯になるか?

リンチェンドルジェ・リンポチェには孤魂野鬼が見え、孤魂野鬼は人間に憑依しないが、品物に付くのである。あらゆる物に付く可能性があり、リンチェンドルジェ・リンポチェで見たいちばん小さなものは一本の鍵に付いたことである。この間、ある弟子には一枚の布を購入したが、上に衆生が付いていた。《地藏經》の記載では、毎日如法に地蔵菩薩佛号を一万回、一千日即ち3年を唱えれば、鬼王がこの家を保護するようになること。如法というのは、今現在あなたたちの唱え方ではなく、菩提心を発したかどうかによる。経典では地蔵菩薩が保護してくれると言わず、鬼王が保護するのである。鬼王がいれば小鬼が近づけずにいるからである。なぜ買ったものに衆生が付くかといえば、家に不吉祥があるからである。不吉祥というのは殺生や行善をしないによるものである。でも、買い物をさせないわけではなく、買い物しなければたくさんの人が失業になる恐れがある。

この時、リンチェンドルジェ・リンポチェが冑を買った信者に冑を壇城に出してもらい、リンチェンドルジェ・リンポチェが灑淨して冑を清め、この冑をどう処理するかと言い付け、施身法に参加し済度するようにしてもらった。リンチェンドルジェ・リンポチェも弟子にリンポチェの真似をせず、水を掛けてお経を唱えれば済むぐらい簡単なことではないと言った。

続きに、リンチェンドルジェ・リンポチェが皈依を受け付けた信者に皈依の儀式を行い、皈依はとても大事なことであり、あなたのあらゆることより、更に結婚より大事なことだとリンチェンドルジェ・リンポチェが開示された。周知のように、寶吉祥仏法センターが皈依法会をめったに行わなく、せいぜい年に1、2回ぐらいである。今日は顕教の皈依を与え、最初は在家五戒である。在家五戒はあらゆる戒律の根本であり、不殺生、不窃盗、不邪淫、不妄語、不飲酒である。受戒してから戒律を守ってはじめて福報が累積できる。受戒せず戒律を守ると、外道のように精進料理を続けるみたいで、戒体の保護が受けれない。上師が観察し、あなたが自分を改めていれば、すべきことを達成していれば、菩薩戒と密乗戒を伝えるようにする。

在家五戒を守るべきである:
一、不殺生:皈依してからお肉を食べてはいけないこと。
二、不窃盗
三、不邪淫
四、不妄語:不悪口、不妄言、不綺語、不両舌が含まれる。
五、不飲酒

皈依後、注意すべきことはリンポチェも一つずつ開示された。

皈依すると8つの利益を得る。

(1)仏教徒になる。
(2)すべての戒律の拠所と成る。
(3)すべての非人は危害を加える事が出来なくなる。皈依後、善神及び護法の守りがあるが、大人しくいなければ、皈依戒を破ったら護法が離れるようになる。
(4)すべての罪業が軽減し、消滅に至る事もある。
(5)心の中に広大な福徳資糧が増える。
(6)死後、悪趣即ち畜生、餓鬼、地獄道に堕ちない。
(7)心の中に殊勝の道が起こる。
(8)引き続き無上菩提を悟るまで学ぶ。

皈依後すぐ早中晩課に夢中することが必要ではない。道場には早課と晩課だけしかない。皈依後、他の人が説かれる仏法を暫く聞かないでおき、テレビ局の仏教番組を勝手に見ないでほしい。それらの番組を見て仏教用語を増やす働きだけであり、これら名詞を知る常識だけである。他の教派のセンターで仏法を聞き、自分にこの分野の知識が増えたと思ってから、リンチェンドルジェ・リンポチェと仏法を話し合えると思わないでほしい。他の人が説かれた仏法が正しくないや良くないわけではないが、各上師にそれなりの説法時の次第があるので、あっちこっちセンターに行くと混乱しやすいから、自分を複雑にさせないほうがいい。リンチェンドルジェ・リンポチェは順序よく法を伝えていくようにし、最初にアチターラ護法、観音法門、時間になったら持呪を伝えるようにする。

寶吉祥道場には生け花や油絵のグループがなく、佛を学ぶ清浄な場所であり社交する場ではない。さながら、弟子同士で交際し結婚する前にリンチェンドルジェ・リンポチェに報告しに来るまで、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らが交際していたことを知らないでいることが多いから、リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子の私生活を干渉しないことが分かる。

道場では基金会を設立せず、社団法人である。すべての費用は対外募金をしないで会員の護持によって仏法センターの弟子が共同に支出を負担するが、リンチェンドルジェ・リンポチェの原則には道場にお金が余り過ぎないことであり、使うに十分あるような金額であればいい。お金が余りすぎると争いが起こりやすい。だから、突然に大金や100万元を出さないようにしてほしい。急にお金が多すぎると問題になりやすいからである。弟子の間では借り貸しの行為を持ってはいけない。金銭面の問題があると紛争ができやすい。ただし、人にバスに乗るお金を持って出かけるのを忘れたら、貸すべきあり、臨機応変すべきである。昔に、ある弟子がもう一人の弟子に保険の悩みを相談し100万元を借り、返済日まで言及したが、実現できなかったから、お金を貸した人が話すようになったことある。この道場は佛を学ぶためだが、社交する場ではない。お金を貸したり借りたりする人は道場から追い払うようにするから、この二人は追い払われ、来れなくなったのは大人しくなく話を聞かないから。

今日、皈依した人は皈依証がもらえる。皈依証は、真ん中には祖師ジッテン・サムゴンの法写があり、左には三十七任の直貢チェツァン法王があり、右にあなたたちが皈依したリンチェンドルジェ・リンポチェの法写がある。時間を空けてリンチェンドルジェ・リンポチェに法名をつけるように求めに来てください。皈依証には皈依文があり、リンチェンドルジェ・リンポチェは皈依文を一回口承し、あらゆる皈依弟子に毎日3回から7回唱えてもらい、時々刻々注意してもらう。これこそあなたたちのする宿題である。皈依したばかりの多くは皈依の意味が分からないでいるが、以前リンチェンドルジェ・リンポチェが開示したことある皈依についてのテープを求めて聴くことができる。中には詳細な説明がある。そして皈依証はあなたの身分証明書よりだいぶ大事だから、デタラメに置かず、おりたりすることしないでほしい。そして家族にもし自分が亡くなったら皈依証を棺おけに入れずに、寶吉祥仏法センターに返すように言い付けておいてください。

皈依後、リンチェンドルジェ・リンポチェの言うことを聞くべきであり、そうすると家の中が次第に吉祥となる。リンチェンドルジェ・リンポチェが小さい頃父が教えれてくれた年上が話す時に、口を出さないでそばで聞くこそ恭敬であることを覚えている。現代の若者は不恭敬であり、話させないと不民主と言う。民主とは好きなようにすることではない。自分が親に言い返すことがあると言うかもしれない。というのは、上師はあなたの命を救えることができて、さらにあなたの法身である。

金剛薩埵真言を修める中、57名の信者がリンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依し、法喜充満である。

法会が終わってから、リンチェンドルジェ・リンポチェは苦労を惜しまず、18名の信者に会い、彼ら世間の苦を解決し、仏法での開示を与えた。

2011年7月17日

台湾寶吉祥仏法センター共修法会で、弟子と信衆は 恭しく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが2003年9月21日に開示されたの仏法の録音を聞いた。

法会が始まる前、ある男弟子及び皈依した妻と子女は一緒に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが彼達一家を助けた由来を報告した。

彼達は去年(2010年)7月18日に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。この一年間に近く時期に彼達一家は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な加持、教導及び開示を受けた。彼と妻はやっと昔に仏を学んだ心は完全に間違ったと深く体験した。心を起し念を動く事は全て私利私欲であり、焼香しても仏を唱えても自分のために求めて、仏菩薩に条件を交換して、自分がいい日々を暮している事を望んだ。このような心で仏を学んだとはまるで魔を学ぶ事だ。また、業力が現れる時、完全に心が乱れて、手の施しようがなかった。

去年1月彼の妻は酷く風邪を引いた後、台北から退勤して台湾新幹線に乗って新竹に帰って子供を迎える途中、MRT士林駅前に突然頭がくらくらして、ある力に左側へ引かれて道路側に倒れた。偶然にある警察はバイクに乗って、信号を待ったが、この状況を見て、すぐ彼の妻をある大型病院の救命救急センターに送った。この弟子は妻の同僚の電話を受けた後、すぐ新竹かた車で病院に行って彼女を世話した。しかし、彼女の側にいるのに、何も助けられない。その後、一連の検査及び苦痛が経って、結局病因を見つかれなかった。医師は唯彼女にゆっくりして、余りストレスが強すぎさせないと指示して、同時に沢山な薬を与えた。また飲んだ後、再び回診すると言って、暫く車を運転しないようにアドバイスした。その後、何回も連続にこのような状況が発生した。当時彼と妻はこのような事は仕事及び家庭もペースが乱れた。二人は殆ど仕事を止めた。彼は新竹科学工業園区に勤めて、通常とても忙しくて、常に海外出張している。家族も側にいないので、妻しか家庭を世話できない。一旦彼女が倒れたら、彼は妻を世話して、病院に往復すれば、家庭と仕事とも両方に世話できない。

その時、ある皈依した兄弟子は彼達を連れて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。妻は始めて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した時、この弟子はちょうど海外へ出張したから、娘は妻と共に行った。妻は求める原因を説明した時、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ「仏を学ぶ目的は何でしょうか。」と聞いた。妻は当時恍惚として、答えられなかった。帰宅後、彼女は「そうですよね。何のために菜食して仏を拝んでいるでしょう。」と考えた。他には、彼もとても尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な開示を感謝した。妻は第二番目の子供を生んだ後、坐月子(産後1ヶ月)の間に体力が回復しなくて、子宮も問題があり、嘗て子供を一人流産した。また慈悲に彼女に指示して、漢方医に診察されて体の調子が戻るため。続いて慈悲に娘を見て、彼女に何か質問したいと聞いた。娘は「ないです。唯母を伴いました。」と返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは微笑んで娘に言った。「貴方の作品は切り方が正しくない」同時に手振りで娘を教えて、どんな角度で処理すれば正しい。当時娘は学校の美術講義で木の箱を作っているが、木を簡単に切れられないから、悩んでいる。この事は彼達夫婦は全然分からないが、尊き上師が見ればすぐ分かった。

その後彼ら家族皆は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れて、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼にどんな仕事をするかと聞いて、彼は通信と答えた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で申されて、彼にもとの会社で退職まで仕事して、異動とか、他人と合資するとか或は他社に引き抜かれるのをしないように要させた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはすでに未来のことを分かったので、彼ら夫妻に喧嘩しないと要させて、家庭と子供に影響するから。それに、慈悲で彼に妻のお体が良くなくて、二回目の産後一ヶ月がよくしなかったので、漢方薬で保養する必要と教えてくれた。

また、昨年皈依する前に、彼ら家族皆は既に8月5日の雲南曹渓寺の旅を申し込んだ。心の中に本当に参加したかったが、先天性心臓病の息子は高い海抜の気圧を耐えられないのを心配した。彼は懺悔した、あの頃まだ皈依する彼らはあえてで愚昧で利己的に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに加持するのを求めた。上師の大切な時間またエネルギ-を費やして、その上、上師に保証させるみたいで、考え方は全く間違ったが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはあの頃やはり大変慈悲で息子に一つ金剛結を与えて、それに、はずせずにずっと身に着いて、旅程の中に父母に追っ付けなければならないと言いつけた。

彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼ら家族皆に殊勝な加持をするのをとても感謝した。また寶吉祥漢方医学診療所に感謝し、彼ら家族皆のため、お体を保養した。妻、息子の健康状況はとても良くなって、彼のも多く進歩した。彼はまた尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な教法を感謝し、彼らに生死無常、輪廻過患をはっきり了解させた。以前全てした不如法のことを懺悔して、供養、布施をして、戒を守り、これから安逸を貪欲しなくて、かえって教えに従って、教派を護って、皈依した弟子として責任を取る。

最後、彼はもう一度尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェと諸仏菩薩の慈悲な加持と教護を恩に着て、さらに尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法上の教導を恩に着た。彼は自分が大変愚昧無知で、累世悪習がまた重い過ぎて、いつもし間違ったのにまだ判らないことを懺悔した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに慈悲な摂受と教導を祈請して、彼らは必ずしっかりと尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従って、仏法を学んで、教えにより行う。同時に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法輪がいつも回って、世に常駐して、一切六道の有情衆生に利益する。

続いて、参列者は恭しくリンチェンドルジェ・リンポチェが2003年9月21日に開示されたの仏法の録音を聞いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは二ヶ月前にアチ護法の法写真を全ての皈依した弟子に送った。しかし、ある人は法写真を返却して、一家は一枚だけ受領したほうがいいと言った。法会が始まる前にある皈依弟子達はこの件について、発露懺悔した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、先程ある出家弟子は文書を書いてリンチェンドルジェ・リンポチェに渡した。内容は「誠に上師の慈悲を求め、忠実な弟子達を寛大に許し、再び弟子達に習い空間を与え、励まし激励します。」その中に「忠実」という言葉を使えない。若し彼達は忠実なら、教えに従って奉じる。今回の事件は護法はリンチェンドルジェ・リンポチェに発見させたから。意味は護法はそなた達はその中にある人は機会を与えると思ったから、同時にリンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に教えた仏法は全て正信仏法である事を現したから、護法はこの事にばれた。

仏法に関われば、寶吉祥道場、直貢噶舉及び衆生が仏法を学ぶ事に関われば、たとえリンチェンドルジェ・リンポチェは分からなくてもアチ護法は必ずリンチェンドルジェ・リンポチェに伝える。そなたはある事を隠して、リンチェンドルジェ・リンポチェが分からないと思わない。アチ護法は必ず分かる。今日数百人はこの小さい事を隠して、そなた達にとって僅かなことだと思った。しかし、若し因果を深く信じる人であれば、どんな僅かな事でも果報があるのを分かった。今日そなたは間違い所を隠す事が好きなら、他人もそなたを隠す。そなたは他人を騙せば、他人もそなたを騙す。上師さえ騙す勇気があれば、誰でも騙す事が出来るだろう。騙さない範囲はどんな事でもはっきりに他人に伝えるわけではなく、騙すとは我々は他人から恩を賜れたけど、我々は他人の身口意を報う時、誠ではなく勝手にするから。そなた達ははっきりに分からなければならない。若し我々の業は清浄できないと、禅を学ぶを言うまでも無く、仏を唱えて浄土に往生する資格もなく、出来ない。

浄土には業を連れて往生できると言えるが、この「業」は悪業ではなく、善業である。僅かな悪業であれば、浄土に往生できない。たとえ引き続きに仏号を唱えても行けない。我々は大手印、ポワ法を修めなければならない。若し業は清浄できないなら、修められない。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に厳しいのはリンチェンドルジェ・リンポチェははっきりに分かるから、引き続きに新しい悪業を作れば、此の世に出来ない。だから、そなた達は仏法を違反する行為があれば、護法は必ずそなたを提示する。しかし、そなた達は護法に相応する資格がないから、護法はリンチェンドルジェ・リンポチェを通してそなた達に警告を与えた。そなた達に追い払って、そなた達に供養させない。全てはそなたに伝えたが、そなたは間違い事を起こった。若しそなたはまだ自分の間違い所を覚悟しなくて、繰り返して間違っているなら、上師として必ずそなたにこのままに間違いさせない。若し此の世にそなたを変えられないなら、暫くそなたをほっとしている。

何故忠実と言えないでしょう。それは今の件は護法がリンチェンドルジェ・リンポチェに見せて、リンチェンドルジェ・リンポチェに知らせた。だから、「忠」と「実」は存在しない。今日この弟子達に公開懺悔させて、皆に彼達の懺悔を着させたのは習いである。つまり、励まし及び激励である。またこの出家弟子は書いた。「法衣と職務の異動は暫く止めないよう、咕嚕(上師の意味)を祈って、この愚かな弟子を慈悲に憐憫します。」法衣と職務の異動について、リンチェンドルジェ・リンポチェは話せば、必ずやる。今日この数十人に懺悔させたのは彼達に習い及び励ましをさせた。しかし、世間法に於いて、また罰を与えらなければならない。彼達に警告させて、皆にも警告させた。またそなた達に一件を伝えた。人生無常!そなたの職務、身分、地位、財産など全て無常であり、いつまでも変えられて、改める。我々の命も無常である。

何故リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達の年寄りに厳しく要求しただろう。それはそなた達の時間は足りないから、若しそなた達の心は相変わらずそなたの面子、子女を気にするなら、時間になると、たとえそなたは因縁があって、リンチェンドルジェ・リンポチェを見付けても、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたを助けてポワ法を修めても必ず成功とは限らない。そなたの懸念心、執着心は重すぎなので、リンチェンドルジェ・リンポチェが年寄りへの要求は若い人より尚更に厳しい。そなた達は60歳を過ぎでも手を放せなく、時間も足りないが、自分は必ず阿弥陀仏に行けると思わない。我々は世間の事に放せず、自分に執着の心を放せる事を訓練しないと、死ぬ前に最後の息にまた執着すれば、今日そなたの上師は殊勝な法門を助けて、阿弥陀仏に行かせてもそなたが生きる時に因縁を作った事が必要である。どんな因縁だろう。出離心を決めて上師に完全に信じれば、そなた達は此の世に保険があって、未来世に阿弥陀仏に行ける。

リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたをはっきりに話したが、此の世の子女は全て借金を取立てるために来た。そなたは子供を愛すれば愛するほど、関心すれば関心するほどそなたが彼に借りがある事を表した。若しそなたは執着の心を変えなく放せないと、来世そなたはまた返済に来る。年寄りとしてそなた達は此の世に苦しめないだろう。若し十分に苦しめないと思うなら、来世にまた来なさい。リンチェンドルジェ・リンポチェは年寄りに対して慈悲ではないと思わない。実はリンチェンドルジェ・リンポチェは子供と年寄りに対して最も可愛がるが、子供は白紙であり、子供は仏法を学ぶ機会はそなた達より多くて、吸収し易くて、簡単に変えるから、子供を可愛がる。何故リンチェンドルジェ・リンポチェは特に年寄りを可愛がるだろう。それは年寄りは余り時間が無いから。そなた達を可愛がるのはそなた達を余っているではなく、勝手にさせるわけではない。そなた達を助けて、此の世に必ず生死を離せる。そなた達に生死を放せるため、仏法に於いて、妥協の余地はない。慈悲とは勝手ではなく、慈悲とはリンチェンドルジェ・リンポチェが全て分かった方法をそなたに教えて、そなたを助けて苦海を離れる。だから、修行の標準はリンチェンドルジェ・リンポチェが定める事ではない。仏陀は定めた。この標準は我々が必ず出来る。出来ないなら、ただ口頭で仏を学んで我々の事を全て変えられない。

今日この出家弟子はこの文書を書いたのは彼の心は優しいから。彼はこの文書を書いたのは誰でも衆生が成仏できるように望んで、衆生は全て生死を離れる。そなた達は今日因縁があって、直貢噶舉の法脈にて生死を離れる大法を学べるのはそなた達が累世の福報、因縁である。しかし、我々は隔陰迷が有るから、一つの世に経って我々が過去の事を全て忘れた。更に昔に悪い習慣があって、此の世に我々は悪い性格を学んだから、引き続きに我々に障碍された。上師として、彼の仕事はそなた達を助けて、障碍を除かす。

だから、一人本当に法に従う上師は彼の笑いでも叱りでも全て仏法である。昨日リンチェンドルジェ・リンポチェは二人の弟子に叱った。30分ほど続けていた。そなた達は分かったが、リンチェンドルジェ・リンポチェが人を叱る時、必ず様子が醜くてとても悪口である。その時側にある漢方医の弟子は見た後、とても心配して、リンチェンドルジェ・リンポチェの体が損傷された事を心配した。、リンチェンドルジェ・リンポチェは叱った後、彼はすぐ、リンチェンドルジェ・リンポチェに脈診した。脈診した後、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの脈はとても穏やかである。此れはどういう意味だろう。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達を叱った時、心は冷静に叱って、肝の脈及び心の脈を妨げない。そなた達と同じではない。嘗てある弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェに怒った時、この弟子は本当に眠られなかった。それは彼は肝の脈と心の脈を損傷したから。却ってリンチェンドルジェ・リンポチェは悲しいである。何を悲しんでいるだろう。例えば昔リンチェンドルジェ・リンポチェは言ったとおりに、観音菩薩は衆生を済度するため、多くの衆生はまだ苦海にいる事を見て、涙を二滴流した。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような悲しみである。何故そなた達はまだ苦海にいるのに自分が分からないだろう。

《妙法蓮華経》は説いた:あれら子供達は火宅の中に大変嬉しく遊んで、まだ部屋が焼いたのが分からなかった。 彼の父親は大変急いで、二台車の中に多くの宝物の玩具を置いて、彼らを引き出す。これは我らはこの五濁悪世の世間に、まるで部屋が火に焼かれて我らの命はとても脆弱で、とても危険との喩で、仏法は只一つの方便法で、我らに暫くこの火宅を離れさせて、しかし本当な方式はこの車に我らを彼岸に運ばせて、つまり仏法に我らを助けさせて、浄土へ行くことができた。この目的に達すべきために 私たちはまずこの火宅を離れて、我らは決心してこの五濁悪世、この輪廻の家を離れるべきで、この点が出来るために、絶対にそなたは自分が思った正しい習慣、考えを変わって、下ろすべきだ。この点をしなければ、まるで多くの皈依した二年、五年のがまだ多くの悪習があり、まさかそなた達は皈依したばかりで、まだ皈依しない者。仏菩薩はわれ等と全部ずっと絶えずに衆生に利益して、どの衆生が仏法を学ぶチャンスを捨てることをしない。しかしそなた達は仏を勉強する気があり、これは一つの知識を学ぶのではなく、我らはどのものがわかるかをはっきり了解するのでもなく、自分の悪い習慣、性格、問題を捨てて、変わって、自分の本来の清浄な本性をますます現われさせるのであり、それでこんな我らを教える法門があった。どの法門でも我らにどの能力か、神通は、或は常識を得させるのではなく、どの法門でも我らは今まで全て作ったいろいろ我らを影響する悪習を取り除くのを助ける。こんな業力の種の力が大変強くて、我らが仏を学ぶ心を直ぐ変わりやすいである。

だから今回の事件は聞いたらいろんな理由があり、簡単で言えば、「貪・瞋・痴・慢・疑」の問題である。この五毒は何時も絶えずに生々世々我らを影響して、支配して、所謂仏を学ぶとはこの五毒を対治する方法を学ぶのである。何故そなた達に上師を信じるのを要求させたか?それは我慢な心は自然に疑いを起こす。そなたは疑いが起これば、これは悪念であり、悪念があれば自然に上師、護法、仏菩薩と相応出来ない。「相応」とは?そなたが彼を見た、彼の声を聞いたのではなく、そなたが夢の中に夢見の観世音菩薩でもなく、所謂「相応」とは、そなたは自分がまだ多くの欠点がまだ治さないのを感じて体得する事が出来たのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て申されたように、本当に気をつけて大手印を修行する者は一つ特色があり、それは上師に敬って、信じるのである。なぜこの特色があったか?それは我らは禅定を修め得た時、特に大手印で、ある経験があって、如法な上師がこの心をそなた達に紹介しなければそなた達は永遠学ぶことが出来ない。大手印は一つ大変深くて難しい法門だ。そうして、根器がとても高くて、賢い者でないと修め得ないか?そうではなく、大手印の経典の中になくて、実は、一つとても簡単な法門で、しかしそれも一つ一番殊勝で、一番深奥な法門だ。なぜだろう?それは我らは凡夫は生々世々には既に我らの意識で日を暮らすのを慣れたので、我らは本来備えた真心の役割を分からなくて、体得が出来なくて、この心は本来我らの支配者で、私たちの主人公であり、しかし我らは知らなくて、必ず上師を通じて彼を紹介した。紹介出てきたらそなたは了解したか?そうではなく、そなたは知ったと知らないと言った時、全部そなたはそなたの心を了解しないとの表れで、それで大手印は絶対にある上師がそなたに紹介して教導する必要で、そなたを引導する上師がなければ、そなたはこの大手印法門を修めるには、永遠に知らなくて、体得が出来なくて、悟らない。それで、我らは上師供養の中には上師に祈って、我らに早目に大手印の境界を証得させるように加持してくださる。上師の加持がなければ、そなたは大手印の境界を体得するのができなくて、なぜ大手印の境界はこんなに大切か?そなたはどの法門まで修めてもそなたは大手印の基礎、助け、境界がなければ、そなたは成就することが出来ない。そなたは禅、密、浄土、どの法門を修めても大手印が必要だ。

大手印この清浄で殊勝な法門は印度よりずっと我ら直貢噶舉に伝えて来て、今まで37任法王の中にも絶えたことがなくて、大手印は必ず上師より自らで口伝する必要で、口授を通じなければ、例えそなたは大手印の本を見ても、大手印のテープを聞いても、やはり仕方がない。学ぶ前、まず不共四加行を勉強しなければならない、続いて禅定の止観である。止観を修める前、業は凡そを取り除くべきだ。業を取り除かなければ、止が出来ない。我らの枉念を暫く止める事が出来ない。業がとても重い者に対して大変難しい。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達にすごく厳しくて、それは業を取り除かなければ、そなた達は状況に入ることが出来ない。リンチェンドルジェ・リンポチェは顕宗を勉強した時禅を学んだ。毎日リンチェンドルジェ・リンポチェは禅座をした。二回禅座をした時、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が相応する上師とあったと感じることがなかった。

ある1回、リンチェンドルジェ・リンポチェは夜11時あまり、家の中に禅定をして、家族は全部寝てしまって、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ定の状態に入った。六息は全て停止して、目が見えなくて、耳が聞こえなくて、皮膚が感覚がなくて、一番細微な呼吸さえも感じなくて、全部六つの意識の感覚を切った。あの時、自分はとても気分が良くて、大変この境界が好きで、出たくなくなった。突然にひとり明るくて透き通った女の笑い声がリンチェンドルジェ・リンポチェの耳のそばで笑った。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ出定して、お時計を見ると3時半で、つまり4時間もうすぐ座った。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは只1分間ぐらいと感じた。

もう1回は友人がリンチェンドルジェ・リンポチェを台湾の北部に石で作られた観音仏像があった寺院に連れて行った。この仏像はさんのめでたい仁のなみは台灣北部のひとりの石の作る観世音があった仏像の寺院へ連れて行った。この仏像は他の部屋の中に置いて、大殿ではなかった。友人はリンチェンドルジェ・リンポチェを連れてあの部屋に入って仏像を見て、この時外で雨が降って、また雷になった。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏像の目の前に座禪を組んだ。一分間ぐらいを座ったら、友人の話声、雨が降る、雷の声が全部聞こえなくて、呼吸さえの感覚もなくて、すぐ入って、暫くして、友人のビ-パの音が鳴いて、リンチェンドルジェ・リンポチェははじめて目覚めて、友人はそなたが既に一時間あまりを座ったと言った。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは数秒と感じた。

この二回禅坐の経験がよくないが、禅坐にとても危険な経験だ。始めて聞いた女の声について、リンチェンドルジェ・リンポチェの考えはアチ護法である。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに目覚めさせた。若し第二回はポケットベルの音がないと、リンチェンドルジェ・リンポチェは離れない。それはこの禅定の方式は一旦入り込めば、3年や5年でも出られないかもしれない。全ての神識と心の作用は全部所謂定の境界に定める。若しリンチェンドルジェ・リンポチェを助ける人がいないと、リンチェンドルジェ・リンポチェはあそこに座ったまま、動けなかった。若し知らない人はリンチェンドルジェ・リンポチェを押すと、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ吐血して死んだ。だから、何故そなた達は今まで皈依してもにリンチェンドルジェ・リンポチェはまだ禅定を教えなかっただろう。それはそなたの業は全て返済する前、禅定はとても危険である。若しそなたは根器がよくて、リンチェンドルジェ・リンポチェと同じようにすぐ所謂定めの境界に入ると、自分の心と意識に離れないなら、とても危険である。今回二つの事件に経歴した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分を調整して、禅定の方式を変えた。それはその時にリンチェンドルジェ・リンポチェの師父はリンチェンドルジェ・リンポチェに禅定を教えなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは観音菩薩の聖号を唱えて、引き続きに唱えている。自分の心を観音菩薩の聖号に定めさせた。

ある日リンチェンドルジェ・リンポチェは禅定の時に二つの文句を話した。リンチェンドルジェ・リンポチェは広東人であり、普通は広東語を話すべきだが、その日標準な北京官話を話した。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分もびっくりした。何故この話を話しただろう。長く経つとやっと分かったが、ある者は深く禅定に入った時、彼は過去に第八意識阿頼耶識にある種を開けた。密宗とは我々の気脈を開けて、我々過去の記憶を連れた。所謂宿命通である。だから、ユンガ・リンポチェは嘗て自らリンチェンドルジェ・リンポチェに話したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に自分が過去数世の事を分かれた。それはリンチェンドルジェ・リンポチェの業は既に返済済みなので、この二つの言葉をやっと分かった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て台湾で二つの文句を多くの大徳に尋ねた。ある一回に北部である女衆法師に聞いたが、彼女から答えを貰わなかった。しかし、彼女は見回りの弟子に指示して、この二つの文句がとてもいいから、書きなさい。他には中部の出家衆に聞いても答えももらえなかった。第三位はある有名な禅師に聞いた。彼は《金剛経》にある文句でリンチェンドルジェ・リンポチェに解釈したが、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの意味ではないと思った。それ以外、リンチェンドルジェ・リンポチェも多く自分が禅坐がいいと思った人に聞いたけど、リンチェンドルジェ・リンポチェの心に打たれた解釈が無かった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に会ってから、この内容の意味を教えてもらった。直貢チェツァン法王は此れが大手印の境界と言われた。リンチェンドルジェ・リンポチェは初めの閉関で直貢チェツァン法王に再度教えてもらった。直貢チェツァン法王は此れはリンチェンドルジェ・リンポチェが過去世に修めた境界で、然しあの頃、リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ開悟しなくて、この二つの言葉はリンチェンドルジェ・リンポチェに対して十分大切で、直貢チェツァン法王が翌日にやっと解釈した。2日目に、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに依然として大手印の境界と言われた。何故直貢チェツァン法王は翌日にリンチェンドルジェ・リンポチェに教えたのでしょうか?此れは直貢チェツァン法王が中国語が分からないのではない、しかし、ある程度の困難があったので、直貢チェツァン法王がチベット語を先に考えて、それから、中国語でこのように言う事を再度考えて、こんなに簡単ではなかった。だから、直貢チェツァン法王は一日目の夜に掛かってどのように中国語によりリンチェンドルジェ・リンポチェに説明する事を考えていた。直貢チェツァン法王でも、こんなに尊貴で、仏法に対する所謂執着、そのような責任を考えてみれば分かれた。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような高くて深い禅定の境界を問うと、直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェにはっきりに教えて、随意に言う事が出来なかった。

何故リンチェンドルジェ・リンポチェはこの内容を言わないのでしょうか?実は特に秘密がないが、言ったらそなた達がこの世に修め得ないけれどもしっかり覚えて、リンチェンドルジェ・リンポチェのように、此の世に再度帰って、返却するはず以外に、最も重要なのがこの内容である。簡単に言えば、我々はこの世に何か執着したら、これらの事がそなたに再度来させた。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェからそなた達に教導する過程には、皆が帰ってから一寸考えて、リンチェンドルジェ・リンポチェがずっとそなた達の思想、言語、行為の方面に工夫して、道理が何でしょうか?此れは我々の身、口、意が清浄しないなら、如何に殊勝な法門でも、如何に高くて深い法師でも、甚だしきに至っては最も尊貴なる直貢チェツァン法王がそなた達に教えても仕方か無かった。そなた達の自身は身、口、意は如法して仏法を学んで、清浄してから、そなたが入門して始めて、どんな門に入るのでしょうか?大手印の門に入るのある。古代で、大手印を学びたい者は大供養をする事が要るのを記載された事があり、この大供養とは物質とは限らなくて、最も重要なのは法に対する恭敬で、上師に対する恭敬で、伝承に対する恭敬で、此れは大供養である。皆はミラネバ伝記を読んだ事があったら、彼が彼の上師に会う時に、如何にしたのでしょうか?そなたがナロバ伝記を読んだ事があったら、そなたも彼が如何に彼の上師に仕える事を知られた。

この時、ある若い男の弟子は法会の中に跪いていたけれども、依然として一心不乱でなくて、あっちこっちも見た。リンチェンドルジェ・リンポチェは「そなたはこのような行為を持った理由は身体が良さを表示した。だから、50回の腕立て伏せをした。この若い弟子の側にいる年寄りは同じように跪いていたけれども、真面目な随意に動く事をしない、だから、このお年寄りの弟子が再び跪く必要がない、供養が出来る。他の人も起きて跪く必要がない」と開示された。

参列者はリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。皆の祈りの為、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲深くてそれらの跪いた弟子の供養を納める事を同意し、けれども、腕立て伏せをする者を含めなかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて開示された。多くの人々は自分の心が落ち着いている事が出来なくて、多くの考えと思いがある事と言った。坊間の人々は普通に多くてお経を唱えて、多くて仏を礼拝する事を教えられて、禅定をして、禅七をする事等を教えられた。効果があるかどうか?効果の範囲が有限である。道理は何でしょうか?業を綺麗しない前に、彼がしたい効果が出ないのである。チベット仏教の殊勝は何でしょうか?此れは釈迦牟尼仏の仏法をシステム化になって教導してくれて、だから不共四加行の修行方法が有って始める。寶吉祥の道場には、皈依の初めの日、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に話して教える初めの法門が必ず懺悔である。懺悔の本当の意味とは我々の業力を暫く邪魔させないで、我々に時間と空間を学んであげる。ただ我々は懺悔の法門から開始して、それから、慈悲、菩提心などの次第を学んで、次は≪三十七頌≫を学んで、我々の基礎を上手く作って、それから、不共四加行を修めて、それなら容易いのである。もしこの基礎を上手く作らないならば、毎日に仏を学びたいだけで、自分の良くない行為を改正しないなら、そなたがもっと深く事を学んで、もっと危険になる。

密法の能力がとても強くて、リンチェンドルジェ・リンポチェのような常に閉関する者はただ一心にして如何なる法門を修めても相応が出来で、この事の変化を直に見て知る事が出来た。だからアチ法本の中に記載された事があり、「清浄四法」とは「息、懷。増、誅」の四法で、清浄四法が成就する事を祈っている。清浄とは何でしょうか?此れは我々の心はこの法に修める時に綺麗でさっぱりになって、如何なる自我に利益する考えが少しでも無くで、この利益が名と利を含めた。我々は密法を使うが心が清浄しないなら、とても恐ろしくて、自分を害して、その上、衆生にも害するのである。密乗に記載された事があり、密法を間違って使う者は生前に病気に易くて罹って寿命が短い、死ぬ後金剛地獄に落ちる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは密法の素晴らしさがはっきり分かって、此れはリンチェンドルジェ・リンポチェの子供の時代に亡父に従って道教を学んで、亡父がにこれ等の方法により道徳因果を違反する事をしてはいけない事を何回目で警告した。道教の護符と呪文は既に凄くなって、況して密法だろう。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法に接触してから、特に密法を接触して、その殊勝と能量を知ってから、リンチェンドルジェ・リンポチェが自分に対する要求が益々厳しくなっていく。此れはリンチェンドルジェ・リンポチェがこのような果報がとても素晴らしさ事を知っていて、密法を上手く学んで使うならば、衆生に利益する事がだけではなくて、自分にも利益した。だから本当の密法を伝授する上師はそなたに伝える前に、そなたの行為に対する必ず苛酷な要求させた。もしそなたはこの材料ではないなら、そなたに密法を聞かせて、リンチェンドルジェ・リンポチェも罪があった。

ある1年、直貢チェツァン法王は内湖の道場で仏法を言い終わってから、信衆に何か問題がある事を尋ねた。結局、ある女の信衆は直貢チェツァン法王に「チベット仏教は気功がありませんか」と尋ねた。直貢チェツァン法王は彼女を見て、答えないで、取り合わなかった。

坊間には、一部密法を言う本があり、一部は海外の、一部はリンポチェが仏法を説いていた時に、ある者が記録して通訳したのである。最初、信衆に読んであげて、益々本になって、ある売買の行為になっていた。台湾の多くの中国語版の密法に関する部分は一部が中国から翻訳した。中国が文化大革命の間に、チベットで多くの法本を見つけて、チベット語を中国語に通訳した。一部の台湾の印刷社はこのような本を見つけて、繁体語に印刷して台湾にて販売した。その上、一部は台湾で通訳者に担当する者が、それらのリンポチェ、法王が仏法を説く事を聞く時に、それを記録して、中国語に通訳して販売して、利益をもらえた。このような事が厳格に言って、とても厳重な戒を破った。だから、そなた達は好奇心があって買ってはいけない、そなたが見るなら、これから仏法を聞く可能性が永遠に無くなっていく。

リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に話した事を覚えていた。前回、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに大手印の口訣に伝える前に、リンチェンドルジェ・リンポチェが自発的に直貢チェツァン法王に11万回の百字明咒を唱え終わる事を報告し、その後、リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を頼む勇気があってはじめた。考えてみると分かって、我々は仏法、大乗仏法、金剛乗仏法に対する心が必ず十分に恭敬である。少しの恭敬があったら、少しの福報がある。十分の恭敬があったら、十分の福報がある。

だから今度の法写真を撤収した件について、如何なる理由に関わらず、全て彼らの福報に損耗した。だから、仏を学ぶ過程には、自分の観念を必ず取らなければらなかった。仏を学びたいなら、我々が出世の方法を明らかな理解しなければならない。出世の方法と我々の世間の人生経験法がまったく異なっていて、この世に接触した事が無かった。だから、そなたは自分の学問、常識、経験を以って、上師が開示される仏法の重点と重点ではない事を判断出来なかった。そなたが好んで、好んではない、受け入れて、受け入れない、これ等が間違っている。此れは分別の心構えである。

前、リンチェンドルジェ・リンポチェは護輪をあげた時に、誰かが「一つの家族が一つ」を言った事があるのでしょうか?一部の人はまた少ない事という文句を言った。一部の孫にいる弟子はまたリンチェンドルジェ・リンポチェに求めて、また一つを足りないと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは金剛薩埵の仏像を与えた時、翡翠のペンダントを与えた時に、誰かが多い事を嫌った事があるのでしょうか?法写真が多い事を文句を言うだろうか。その上、リンチェンドルジェ・リンポチェの為にお金を節約し、ラミネートが高い事を言った。だから、今日このような事を言った女の弟子は直に背が痛くて、此れは彼女の業障である。だから、人々は容易いに間違って、何処で間違うのでしょうか?そなた達は愚かなのではなくて、そなた達が賢いのではなかった。第一のは分別で、第二は自分が相手に了解する事が常に思っていて、だから、そなたの判断力にてある事を実行するので、問題が生じた。だから、今日、10人余りの弟子は懺悔し、一部の弟子が心から懺悔し、一部の弟子が依然として、彼の本能と自身の理解を吹聴していた。実はそなた達は懺悔心があるかどうか、護法とリンチェンドルジェ・リンポチェがはっきり知っていて、騙させられなかった。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは全ての寶吉祥の弟子が今日の事を以って学び得て、了解して得る事を望んでいた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に常に指摘して警告させるのように、我々が仏になっていない前に、全て慎重で、注意しなければならなかった。我々は開悟して証果した前に、全て懺悔が要るし、自分を改正しなければならない、我々が必ず慢心する事が出来なかった。仏を学ぶのはそなた達が思っている上師がそなたに何を与える事ではないで、上師がただそなたにある方法を教導してあげる事が出来で、しかし、するのがそなた達の本人で、リンチェンドルジェ・リンポチェのではなかった。だから、そなた達は決心をしないなら、『三十七頌』を繰り返して聞かないなら、そなたが状況を出す機会がとても高いである。

リンチェンドルジェ・リンポチェはそれらの50回の腕立て伏せをした弟子の感じがどのようですかを尋ねた。この弟子は終ってから気分が悪くなった事を報告した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「やっと22歳だけで、50回の腕立て伏せをしたら、気分が悪くなって、リンチェンドルジェ・リンポチェが50歳で100回の腕立て伏せをする事が出来る。そなた達の人々は若ければ若いほど身体が駄目で、とても不味いで、以降にどのように大礼拜をするのでしょうか」と開示された。

皆は今日、彼らの懺悔をそなた達が懺悔するのようにと思っていた。彼らの犯した錯誤はそなた達も犯した事がある。人々は自分がする事がリンチェンドルジェ・リンポチェが知らない事を望んでいた。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示した事もあった。そなたの私人の生活はリンチェンドルジェ・リンポチェが絶対に干渉しない、そなたに尋ねた事が無かった。しかし、仏法の件について、必ず気にしている。だから、そなたは仏を学ぶ方面にリンチェンドルジェ・リンポチェに多く事を隠すならば、今日、よく懺悔しなければならなかった。そなた達は間違った事があり、間違わない事をしない人がない。もし真に懺悔する事が出来るなら、我々は機会があって自分に輪廻を解脱させられて、他人に輪廻を解脱させる事を助けられる。今日、皆に大手印の果を開示する予定だが、今日多くの時間に掛かって懺悔を諭した。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは大手印の理論をそなた達に簡単で紹介し、そして、不共四加行を伝えて開始した。このような殊勝な仏法を学びえるの為、そなた達の身口意を改正しなければならない、繰り返して間違いをしてはいけなくて、懺悔したから再度間違う事をしてはいけなかった。「懺悔」の意味とは間違ってから責任を持って、その上、再び間違っている事が出来ない。もし再度間違ったら、此れが懺悔ではない。此れが陳謝である。皆は覚えなければならなかった。

2011年7月23日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで、午後3時50分から夜10時20分まで、172名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

2011年7月24日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催して、仏を学んで修行する方向と要点を開示された。法会が終わった後、更に信衆を接見して、午後4時30分から夜6時10分まで、41名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

法会が始まる前に、まずはすでに皈依したある夫婦と二人の息子は一緒に皆さんに、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の一家を助ける事跡を分かち合った。

先ずは、まだ勉強している二番目の息子は、彼が交通事故にあって入院して、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに慈悲に加持された殊勝な経過を分かち合う機会があることについて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝すると表した。

今年(2011)6月3日夜10時頃、彼が自転車に乗って十字路を通る時、運転規定違反の右曲がったバスとぶつかって、地面に倒れて前にすこし滑った後に、左足首は完全にブレーキをかけることに間に合わないバスのタイヤに押さえられた。彼は自分の足は大きなタイヤに抑えられるのを見るところ、直ちに尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを観想して、上師が加持を与えてくれるよう祈った。バスの運転手が車を降りて調べた後に、また車をバックして押さえられている足を引っ張り出すことができるようにした。この時、彼ははっきり自分の足首が血だるまになっていることを見て、足の中の骨は現れて、ふだん長座した後に立ち上がることに比べてもっと百倍ぐらい痺れると感じたが、しかし痛くない。

病院に運ばれてから、1時間手術を経た後に、左足根骨と第2足の指の骨は裂傷があるが、しかし骨折していない;左足首に大きな面積の皮膚と筋肉が壊死して、すでに殆ど取り除いた。足根の肉と骨は分離していて、恐らく壊死して切除しなければならない可能が高い。その外、左側の顔と関節はいくつか擦り傷をある。しかし足首の血管、靭帯と主要な神経はすべて損傷を受けていない。

翌日はちょうど土曜日にあって、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは信衆を接見する。彼は車椅子に座って道場に帰って、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに面会しにきた。上師に交通事故の情況を報告して、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ「大丈夫だ、一週間を過ぎてゆっくりと治れる。」だけ言った。そして漢方薬を飲んだほうがよく、酸っぱいのと氷など食品を食べることができないということを言い聞かせた。彼は上師に懺悔したいと言ったが、上師は「事故が起きてやっと懺悔を思い付く」と答えて、しかも彼らの全家族の供養を受け入れない。彼が上師の目の前から退き始める時、上師が依然として慈悲に絶えずに真言を唱えて、加持を与えた。

もともとは左足の指がすでにぎっしりに腫れていて、翌日共修法会に参加して病院に帰った後に、足の指がすでにそれぞれに分離したことを発見して、綿棒で指の股に入って傷口をきれいに洗って、寶圓膏を拭くことができる。彼はたいへん尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、上師は土曜日に200数名の信衆を接見しなければならなくて、彼らはすでにこんなに長年も皈依したが、まだ上師の体力と福報を消耗して、彼の内心には恥ずかしく思ってやまない。

続く土曜日に、彼は再び道場に来て、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに面会しに来て、そして上師に傷口の情況を報告した。上師は簡潔に「大丈夫だ、恐れないで、」と言った。しかも慈悲に彼の供養を収めた。日曜日の法会の中で、上師は再度彼らが布施する事を惜しまなくなくて、またどのように上師が数年来彼らの全家族にお手伝ったことに感謝するのか知っていない。

彼は非常に金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な加持及び守りを感謝した。彼に今回交通事故に遭っても、重い報いを軽く受けさせた。尚更に殆ど痛みを感じなかった。

数日に経って、医師に伝えられた。元々植皮手術を行うが、肉を取る事に変更した。(皮弁移植及び血管移植であり、顕微手術を行う。)だから、主治医を変更す事が必要である。同時、突然に翌朝7時に手術を受けて、直接肉を取って手術を一回に完成するかもしれない。彼はかなり突然だと思ったけど、上師がおっしゃった「大丈夫。恐がらないで。」を思い出した。その夜、彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及びアチ護法を祈って、自分に最もいい手配させる。翌日手術室に入った時、彼も引き続きに上師を観想していた。

11時間の顕微手術を行って、彼は全身麻酔から目覚めた時全身寒気を感じた意外、手術に圧された部位もかなり痛かった。彼は自分の左足が包帯に包まれて、足首は異常に膨らんでいるを見て、既に左大腿の肉を取って、足首の傷口を補った事を分かった。またICUに移されて観察された。

その後、回復するスピードはとても早かった。元々五日間に観察すれば、一般病室に移す必要だけど、3日半だけ移された。最初酸素マスクを使って、導尿管を挿入した。右ひじは採血するため、針を動脈に刺し、鼠蹊部の大静脈に刺された点滴は同時に別の血液凝固阻止剤、抗生物質など各種の薬を投薬し、身の上と右の手は各種測定器を貼り付けて心拍及びSpO2(血中酸素飽和度)を測定した。しかし、測定機器、導尿管と右手の針はICUから出る前に全て取り除いて、薬も殆ど一週間以内に止まった。更にICUを離れた当日の午後から、始めてリハビリした。うまく進めたから、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主法したジッテン・サムゴン794年記念大法会及び翌日の共修法会に参加できた。若しICUに数日以上いれば、医療の苦難を受ける以外、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主法する殊勝な大法会でも参加できない。

今回彼は入院期間に始めて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが過去開示され、衆生は病により受けた苦しみを深く体験した。手術を受けた時、手術台に横たわって麻酔された後、まな板の上に料理される肉と同じで人に好きのように切らせた。病の時自由に動けなく、飲食や排泄でも小さいの病床で行った。同時に看護婦は薬を交換する或いは検査する時、通常にプライバシーの部位も人に脱がれて、尊厳が無くなった。病院で色々な苦しめる衆生に遇った。ある患者は仕事中に事故に遭って、やけどされて無数回に病院を進出して、二十年近く苦しんでいる。ある患者は鎮痛剤を注射して、既に最も強いのを使ったのに相変わらず苦しみを感じている。ある患者は二十歳にならないのに交通事故に遭って、脳出血して歯はほぼ落ちって髪の毛も剃られて、鼻胃管、導尿管を挿入しなければならない。

このような苦しんでいる衆生に比べると、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの守りの下で、彼は如何なる幸運である。彼は交通事故に遭った時、重傷だけど、血管、腱と主な神経は奇跡的に損傷しなかった、骨も割れなかった。バス、このような重さ物に圧されて、普通は既に手足の切断手術を受けたかもしれない。同時に治療の間に彼は殆ど鎮痛薬を使っていなく、始めて数粒を飲んだけど、飲まなくても特に痛みを感じないことを発見したから、鎮痛薬を止めた。また、彼は回復のスピードもとても早かった。大手術を受けた十日後頃、再び手術を一回受けて、壊死する組織を取り除いて修復した。その後交替の医師も如何なる早めに進めるかと思った。全ては尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが与えた加持を感謝しなければならない。彼は非常に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝した。

同時に彼も自分が過去に全く真面目に仏を学なかったと発露懺悔‘した。上師がすべて教導してくれた一切教法は彼が生活の中に実行しなくて、まだ自分が独り善がりな考え方で暮らして、上師が伝授した法門は全部思い出してから修めて、無精にだらけたで、上師の功徳を称賛しなくて、上師がすべて教えてくれたに従って、毎日自分の行為が戒律を違反したか検視しなかった。彼は自分が過去肉食したのを反省した。、特にチョゥザメとシオフキの蠣などの海の珍味が食べ好きで、蚕と小鳥を養ったことがあって、彼らをつづらの中にに監禁して、あれらの蚕が病気で死んでなければ飢死して、ひいては一部は彼に抑えられて腸がもうひっくり返り出して、小鳥もお互いに頭を割られて,血が流れてから死んだ。また、百匹の蝌蚪をとって、彼らを小さいベ-シンの中に置いて、あるは飢餓で死んであるいはお互いに残殺した。ガエルを解剖して、他人がヘビを殺すのを見て、それによく昆虫を追い殴って、中秋節にも嘗て多い肉を焼いた。この外に、またよく約束を守らなくて、いつも約束を破って或いは遅らせて、衆生を悩ませた。作息を昼夜さかさまにして、学生として本分を盡くさなくてよく本を読まなくて、自分の生活をめちゃくちゃにやった。彼のこんな行為は、仏を学ぶのを言わなくて、人をとしての資格さえも無くなった。彼は同席の皆さんに彼を戒として、彼のようなこんな悪いものにならないように願った。

最後、彼はもう一度尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを恩に着て、上師の加持がなければ、彼は今日左足を確保することが出来なくて、ひいては命さえもなくなったかもしれない。今後彼は尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従って、一生懸命に正法を習って、生死を離脱する。同時にこの期間で多くの相弟子の協力、関心と激励を感謝した。

続いて、母親は尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが何度も彼ら家族を助けた事跡を共にした。

彼女は2003年1月11 日尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して、あの頃経営した工場はナリ台風のため、水びたしになって、損がひどくて、相弟子の推薦で尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れた。上師は資金問題は銀行とまた協議して、注文状は旧歴8月時良くなるべきと申された。果たしてなにもかも上師が全て仰った通りで、全部当たって、彼女の工場も救われた。彼女は大変尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着た。

2004年会社には工場を広げるため、彼女は尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに灑浄してくれるように祈請して、上師は仏堂に入って座って呪文を唱えて、暫くして、ある方位を指してこの方位には土地廟があると仰った。確かにこのようだ。上師はまた会社の内部のあるところには間をさえぎらなげればならないと申されて、 保全系統の防護をしなげればならなく、泥簿が入らないため。それに、供養を良くするべきと言いつけて、臨行する前まだ絶えずに会社の状況を関心をして、まるで父親のように配慮した。彼女は大変尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着た。翌週、階下の会社は泥簿にご来店された。泥簿は正門のガラスを打ち破って、直接入って、損がひどかった。

2006年彼女の父親の脊椎は厳重な骨折があって、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加護で、本来脊椎の大手術をするつもりだが、最後意外に脊椎の骨の間にはセメントを打って結構で、ただ小さい手術になった。今まで、彼女は父親は生活ばかりでなく、思いのままに、出国して日本のミニ汽車の施身法の旅をした。これは全部尊い金剛上師の加持と加護である。

2004年彼女の乙息子は交通事故があって、すねは骨折して六になっても奇蹟で手術をして固める必要がなくて、唯簡単な体の外整復して石膏で固めて、足骨を完全に接合させた。もともとお醫者さんはまた足骨のふさがる情況が不理想と言ったのに、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲で加持した後、意外に痛みが緩和して、ニッカ月を早めて石膏を取り除いた。それに数年以来、思いのままで行動して、何の後遺症もない。

2006年、彼女の長子は急に気胸が発生した。その前に、貴き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主催する施身法に参加し、それはリンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王の自ら与える施身法を修める重要な法器を始めて使って、台湾に始めて施身法の法会に主催した。その日、彼女の長子は道場でお手洗いの仕事を担当し、リンチェンドルジェ・リンポチェが法器を以って全ての参列者に加持させて、その上、お手洗いにいる人が必ず全部出させて、彼女の息子に大きな加持をもらえた。その故に、彼女の息子は気胸が発生していた時に、治療過程には手術が要らなくて、迅速で回復して、痛みが最も低さをさがって、また、何か後遺症がなかった。貴き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲救護を感謝した。

引き続いて、父のからみんなに報告して、2010年の蘇澳の大きい水害で、彼の故郷は白雲寺の近くで、彼の家も土石流を悲惨な遭った。水浸しになっていた時に、彼らの全ても子女は家に入って両親に世話する事が出来なくて、全ての人が何もする事が出来なくて、然し、彼の両親が依然として平安で、ただ少しの恐がられた。蘇澳町の全ての家が埋没させて、壊滅的なのが全て壊させて、崩れるのが全て崩れさせた。彼の家は却って無事で、ある隣人はその故に去って、一部の人が土石流なのでもう少しで生き埋めにして、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深く保護がないなら、結局が全然考えられなかった。彼は貴き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼の家族も保護してくれる事にとても感謝した。

2009年5月、彼の会社は間もなく営業を終えることに直面して、上師の慈悲深くの加持のため、彼らに再度復活させた。本来の主力の得意先は加工相手を移転する事を既に照会させて、これから、彼の会社と取り引くをしなかった。貴き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼への重なる加持なので、翌日、お客様が彼の会社と続けて協力する事と表した。貴き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に再度助けてくれた。貴きリンチェンドルジェ・リンポチェの加護がないなら、彼の家族が早めに一家が分散し肉親を失った。が、彼らはそれらの上師と同じレストランで一緒に食事して、しかし、上師に見えない事をして、心の中に上師がいなくて、恩義を忘れて、供養布施を惜しまなかった弟子である。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは何度も彼の家族の命を救ってくれて、彼の事業を救ってくれた。彼は救命恩人の感謝心と供養心が少しでもないで、真に人間ではなかった。上師は彼らの供養を納めないで、彼らに国外の法会に参加させないで、彼らにボランティアにならせなかった。彼は金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼にこのような殊勝な教法に与える事にとても感謝し、彼にこれにより深くて警戒させて、供養と布施の重要性を了解させた。

この機会を利用して、彼は発露して懺悔する事を併せてした。彼は独りよがりで、供養布施を惜しんで、因果を深く信じないで、無常を信じないで、上師に褒め称えないで、恩に感じる事が分からないで、ただ好い生活を暮している事だけで望んでいて、ただ快楽が欲しくて痛苦が欲しくないで、だから多年で皈依しても、絶えずに悪業を犯している。心を尽かして勤める事をしなかったので、事業を不順になさせて、心を尽かして上師に賛嘆をしないので、家族と親友に誰でも仏法を学んで来た事がなかった。彼は自身が教えられない弟子で、仏を学ぶ事を上手くしないで、上師の能量を消耗させて、彼が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謝っていた。

彼は愚鈍で極めて悪くて、しかし、上師が依然として離れないで見捨てないで、彼らに道場に仏法を聞かさせられて、彼らに機会をあげて、彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝した。これから、彼達は必ず教法に従ってしっかり実践し、心を尽して供養して、怠けていない、上手く素直に従って、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学んでいる。彼も尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに彼らの家族の供養を納める事に求めた。この26ヶ月の間には、尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養出来ず日々に、茫々たる大海の中で航行するように、目標を知らないで、方向を知らないで、何も拠り所が無いで、心の中には一日に安定で落ち着いていた事が出来なかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに彼らの全員の供養を再度納める事に求めて、機会があって、衆生の為に福報を累積する事が出来るのである。

彼らは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が安泰で、法輪を常に転じている事を祈っている。もっと多くの人々は上師に従って仏法を学ぶ事を望んでいる。

法会が始まり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に仏を学ぶ正確な心に関して理解させるため、今日特にガムポパ大師が「仏法を聞くの意楽」という教えを開示された。皆に法会に参加して持つべき動機をはっきりに認識させた。ガムポパ大師は「仏法を聞くの意楽」の中に開示されたが、我々は必ず考えたが、全て「幻のような、虚空のような」広大な有情に対して、私は必ず出来るだけ彼達に菩提仏位を安置させる。この事を行うため、私は必ず円満の大覚仏果に証する。この事を行うため、私は必ず出来るだけこの貴重な教えを聞き、理解、証悟、実修しなければならない。仏法を聞く時、我々は必ずこの殊勝な心を発しなければならない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された。この話は所謂自利利他である。我々は常に自利利他と言われたが、つまりそなたは能力があって衆生を利益して、衆生を助けて輪廻を解脱させて浄土に生まれて悟って成仏になる事を望めば、まずそなたは自分が仏果を証しなければならない。そうすれば、力があって他人を助けて成仏させる。自利とはそなたが仏を学ぶことにより、利益を得たいや自分に対して利益がある事を得られる事ではない。この利とは利益ではなく、利益とは自分の欲望を満足する事だ。自利とは自分が輪廻を解脱できて、仏果を証する事が出来る。利他とは修行者が自分が力があって衆生を助けて未来に仏果を証させるかどうか。利他を行えば、修行者自分は若し能力を持たず自分に生死を解脱させず、仏果を証する事が出来ないなら、如何なる衆生に輪廻苦海を離れさせて、仏果を証するだろう。若し自分を利益できないと、衆生を利益したいとは唯心はやれど力及ばず。

そなたは他人を紹介して法会に参加して、他人に仏法を聞くとは衆生を利益する事だと思って、彼に仏経を一冊送ったとは彼を済度する事だと思った。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、自分さえ自分を済度できないのに如何なる他人を済度するだろう。我々は唯彼達を助けて、三宝と縁を結ぶだけ。リンチェンドルジェ・リンポチェは昔仏を学ぶ前、まだ上師にならない時に必ず自分が他人を済度する事を言わなかった。密法の法本は自修と他人を助けて修めるのを分ける。まず自修の法本を修めて、次第に自分が悟るまで修めれば始めて他人を助けて修める法門を学べる。顕教のように自分を助けると他人を助けるため唱える経は同じではない。例えば《大悲呪》について、ある者は1000回や10000回を唱えると、他人を助けて唱えた。此れは違う。顕教は唯仏を学ぶ理論である。たとえ理論を全て理解しても方法がないと、他人を助けられない。顕教の方法は違うとは言えないが、異なる法本は勿論力も違う。例えば貧乏な人は金が無いのを見て助けたい時、せめて自分も金を少しあるや如何なる金を儲ける事を分かれば、彼を助けられると同じ道理だ。だから、自利を行えるなら、利他を言うまでも無い。今リンチェンドルジェ・リンポチェは教えたのは全て自修であり、だから常に他人に私は貴方のために何を唱えると言わないで、自分さえうまく修めないのに如何なる他人を助けるだろう。

実は過去十数年、リンチェンドルジェ・リンポチェも引き続きに仏を学ぶべき正確な心を開示されている。今日再びガムポパ大師の開示で皆を提示して、そなたの将来の修行に対してとても重要である。将来修行の道で障碍があるかどうかとは最初仏を学ぶ発心及び動機に於いてとても大きい影響がある。仏法を聞くの「意」とはそなたの意識であり、考えである。仏法を聞く或いは法会に参加する動機である。この動機は正しいかどうか直接に生死を解脱できるや仏果を成就できるかどうか影響する。若し参加する動機は間違いなら、密法を学んでも力を得られない。それは功徳を起せないから。功徳がないと、衆生を助けられない。若し始めてから自分が成仏出来ないと思うと、成仏できない考えはそなたの意識の中に播かれた。だから、今日リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はとても重要であり、そなたに将来修行の道にとても大きい助けがある。

仏法を聞く時、我々は必ずこの殊勝な心を発しなければならない。行えるため、一切方法を尽くして衆生を利益して、一切方法を尽くして自分に仏果を証させて、しっかりに教えを聴聞、理解、証悟、実修する事を通しなければならない。とにかく仏法を聞く人にとって、「心意清浄」は極めて重要である。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、聴聞、理解、証悟、実修とは即ち常に開示された聞、思、修である。ある者は仏法が論議すると思った。しかし、此れは唯歴史発展変化の気風である。相変わらず主観性の操作であり、我執の影響を受けた。修行者は聴聞、理解、証悟、実修の方式を通して、心で聞、思、修し、躊躇わない。

聴聞とは耳で聞くことではなく、心で仏法を聞き、自分の利益のためではなく、清浄な心で仏法を聞けば、仏法の真意を理解できる。尚更に証悟、実修する。法会に参加して、心で聴聞する人は体は動かず、足も痛みを感じなくて、居眠りせずあくびもしない。若しそなたは清浄ではない心、欲望の心で聞く時、開示された内容は彼の欲望に満足できないと、そなたは他の自我の考えがあって、そなたのエナジーを消耗して、精神は集中できず、元気を出せない。そなたに集中する体力を持たせない。ある人は足が痛いと思って、居眠りして頭がくらくらした。仏法を聞く動機が間違えば、自然に諸仏菩薩、歴代上師の加持を得られない。直貢チェツァン法王は多くの時チベット語で仏法を開示したが、リンチェンドルジェ・リンポチェはチベット語を学んだ事がないけど、相変わらず集中して聞いた。毎回清浄な心で入定の中に直貢チェツァン法王が開示された仏法を聞いた。この仏法はいつか役に立つかどうか重要ではない。そなたは清浄な心で聞くと、功徳が現れる。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を聞く時にたとえ徹夜して寝なくてもあくびや居眠りもしない。此れは仏法を聞く事に対して敬った。

虚空の中に一切有情の衆生は全て仏と同じな本性を持って、成仏の条件を持った。しかし、唯人類は耳によって仏法と共鳴を起した。だから、上師は口で仏法を開示した。人類は耳を通して仏法を聞き、仏法を悟って更に仏果を証した。直貢噶舉派の教法は必ず上師の口伝を通しなければならない。仏法を聞く人は清浄な心を持って、耳を通して上師の説法を聞いて、尚更に仏法を理解する。ある人は仏を学んだ後、仏法で他人を責めて、他人が戒を破ったと言われるのは悪いだ。それは現在そなた達の理解により、悟る前に全て自分の人生の経験で比べた。此れはとても悪い。本当の悟りとは心の中から分かって、仏法の深意を理解して、文字から理解する事ではない。そなた達は自分が仏法を多く聞けば、他人を責める資格があると思わないで。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示されたが、そなた達は仏法を伝授する上師ではないから、他人に仏法を説く資格がない。たとえ出家衆でも出来ない。そなた達は仏を学んだ後、仏法を多く聞けば、将来衆生を済度できると思うなら、此れも欲望の心を持って、清浄ではない。

所謂人生経験法は全て我々に生死輪廻を解脱する事に対して不利の法である。人生経験法とは我々の目、耳、鼻、舌、身、意など感じにより、物事の正確や間違い、好いや悪いのを判断して、自分に利益がある事を選択して行って、仏法に関わらない。目、耳、鼻、舌、身、意は外界の影響を受けて、我々は本来清浄な心を動かせて、色々な経験法則を起した。全ての考えは必ず自分に利益させる。此れは仏法が説かれた自利と別の事である。自分を利益するのは仏法を通して、自分が過去に独り善がりの考えを変えて、心の世界も変化しなければならない。そなた達は仏法を学ぶ事を通して、輪廻の苦しみを分かれば、修行する。慈悲を習い事を通して、衆生は輪廻苦海の中にいるのを見て、必ず衆生を利益する。だから、利他のため、我々はこの力を持って行うため、自分が先に生死を解脱して仏果を証する。しかし、此れは口頭で話すや一生一世に行える事ではない。顕教から見ると、仏果を修める法門が有るけど、とても長い時間にかかる必要がある。密法で言われると、若し修行者は此の世に証しないと、最も根器が悪いのは十七世に仏果を証する事が出来る。そなた達は十七世の時間がとても短いと思わないで。毎世の間に時間が違う。個人の因縁から見て、数十年或いは数百年にかかるかもしれない。誰でも知らない。

昨日ある女信衆はリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。自分がリンチェンドルジェ・リンポチェの著作《快楽と痛苦》を読んだ。始めて読んだ時自分が分かるように感じたが、第二回に読むと分からないと感じた。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、それは彼女始めて読んだ時、好奇心を持ちながら、本の中にどんな内容を書かれたを読んだ。しかし、第二回に欲望を抱いて読んで自分が欲しいものを見付かりたい。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの著作の内容は全て仏法であり、小説ではなく、人生経験法に関わらない。だから、彼女は自分が欲しい答えを探さないから、読んでも分からないと思った。

全ての人は内心世界に汚れを満たし、自分の貪、瞋、癡など欲望に繋がれて、ある堅い結びがあるように必ず仏法を聞く事を通して、自分の行為を検視して、思惟を考えて仏法を理解すれば、徐々に繋がれた心の中の結びを解けられる。仏法を聞く人に対して、「心意清浄」は極めて重要である。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、上師が教えた極めて殊勝な清浄な仏法はまるで空瓶の中に清水を注ぐようだ。若し瓶の中に雑物を満たすなら、注げる清水は極めて有限だ。若し瓶の中に汚れ、埃をくっ付くと、たとえ清水を注いでも、瓶の中の汚れに汚れて、埃は水の上に浮かんだ。この埃はそなた達の貪、瞋、癡である。しかし、この清浄な法水は引き続きに注ぐと、この埃はいつか流れる。証悟とは仏法を聴聞、理解を通した後、始めて諸仏菩薩が仏法を教えた本当の意義を分かって、仏法の偉大を分かるから、決心して実修して、努力して仏を学んで自分に光の未来に向いて、闇の輪廻に向かなくて、生死を解脱できる。更に衆生を助けて、仏果を証する事が出来る。だから、何故そなた達に引き続きに法会に参加させるだろう。若し清浄な水を入れれば、瓶の中の物を倒れた。だから、仏法の教えを聴聞、理解、証悟、実修する事を通せば、「心意清浄」は極めて重要である。

毎回法会が始まる時、皆に《仏子三十七頌》を唱えさせる。つまり、皆に忘れられないで。これは仏弟子として、守るべき身、口、意など規範であり、仏弟子として一般人と同じように自分に身を任せる考えを持たず、自己制御を習い、《仏子三十七頌》範囲内に破戒しない。自分が子供だと言わないで、仏を学ぶ人はすべて同じであり、皆守るべきだ。若し一箇条を行えないと仏弟子ではない。もし今日行えないなら、明日も引き続きに行うまでに頑張っている。仏弟子としてそなたの外見は他人と違う事ではなく、外に大きい声で叫ばせる事ではない。そなたの内心世界は他人と違う。仏を学んでも我々の日常生活も相変わらず過ごしているが、内心世界ははっきりに分かって、自分の心をコントロールして、身を任せないようにそなたの欲望に従って日々を暮さない。

先報告した弟子一家は皆守りを求めるために来た。26ヶ月に経ったとやっと自分が間違ったと分かって懺悔に来た。ある者はリンチェンドルジェ・リンポチェが早めに彼達の供養を受けるべき、彼達に福報を累積させるなら、このような酷い交通事故に遭わないと言われるかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは因縁に従って衆生を済度するから、必ず助ける。しかし、方法がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは根気良くて、26ヶ月を待っていてようやくこの時になった。彼達の息子は事故に遭って、病院に入ると、本当に衆生が如何なる苦しんでいる事を分かった。何故彼達の息子が交通事故に遭っただろう。それは若しこの夫婦に苦しみを受ければ、彼達は余り気にしないかもしれない。しかし、息子は怪我すれば、違う。両親として、心は痛いから、自分が本当に間違ったと気付けた。また、ICUにこのような苦しみを受けると、始めて本当に苦しみを感じた。実はこの弟子はICUに遇った状況はまだ大した事ではない。昔リンチェンドルジェ・リンポチェは今より忙しくなくて、時間があれば、殆ど毎日病院のICUに行って、最も苦しい衆生を助けた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは有る外科医にICUの患者の状況を報告させた。この弟子は報告した。過去リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された三つの管を挿入するとは基本の介護である。実はICUの看護婦は患者を丁寧に世話した。病室に入ると、まず3人から4人くらいの看護婦は患者の服を脱ぎ、体の毛を剃り、体に全て綺麗に清浄させる。続いて全て必要な管を挿入した。一般には呼吸管があって、鼻管、導尿管、食べ物を摂取する経鼻胃管など。他には隔五分に血圧を計るなど各種な症状データを測定するため、動脈に穴をつけて管を挿入したのはとても痛い。有る人は腹部或いは肺部の問題があるから、もっと穴をつけて、患者を助けて症状を緩和させる。有る時に方便に注射するため、首或いは股下に管をセットした。最も多いのは管は十数本が有る。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、映画に演じる科學怪人と似ているだろう。聞くだけで今大衆は既に恐いと感じた。科学は発達すれば、多く分かるほど大変に苦しんでいる。だから、将来自分の目の上或いは自分はこのような境遇に遭わないため、今は真剣に仏を学ぶべきだ。そなた達は有る人は自分の自尊心はとても強いと言った。若しそうすれば、頑張って仏を学ばなければならない。そうしないと、老けて病気になるときにICUに看護婦に自分の服を脱がれて、全身は薄い布しか覆わない。また、医師に20や30歳の実習医を多く連れて、そなたの患部について研究して、人に見せて尊厳は無くなった。若し老ける時、このような対応されないように、しっかりに仏を学ばなければならない。そうすれば、このような尊厳なしに対応される機会を低減できる。そうすると、本当に強い自尊心を持つ人である。今日そなたは病気に罹って交通事故に遭って、挿管されたのはそなたの果報が現れた。

ミラレパ尊者は嘗て言われたが、そなたはこの世に輪廻を解脱できないと、そなたは未来に有る一世に必ず地獄に堕ちる。死んだ後地獄に堕ちると思わないで、実は生きる時に多くの管を挿入して、ある地獄に多くの針は引き続きにそなたをくくるようだ。仏を学んで修行して、福報を累積すれば、即死前にこの苦難を免じる事が出来る。死んだ後どうなるか私も分からなくて、見えないと言わないで。実はそなたはまだ地獄に堕ちなくても、往生する前に暮した生活は地獄の生活である。たとえそなたは皈依して仏法を唱えても尚更に出家しても、功徳を修めないと、相変わらずそなたの業を転じれない。そなたは仏を学ぶから、このようなしないと思わないで。往生する前にこのような肉体や心理の苦しみを受けると、そなたの心の定力を消えさせた。それはとても苦しいから、たとえ真言を唱えても唱えられない。ある時そなたはこの治療を行いたくないが、そなたの家族は返ってそなたに「お父さん、医師に言われた通りにする。」と言った。家族に愛されるのは全て冤親債主である。リンチェンドルジェ・リンポチェは現代医療システムを反対することではなく、唯皆に知らせて、しっかりに仏を学んで修行しないと、往生する前に分かる。そなたは功徳を修めるかどうかそなたの往生する前に見える。我々は頑張って仏を学ぶのは全て往生前の一瞬のためである。

そなた達の心の中に良くはっきり分かるべきで、仏を学ぶには自分に対して是非役に立って、仏を勉強して、我らはやっと明るい未来へ進むことが出来て、さもないと暗くて苦しい輪廻の中に落ち込むことになった。学仏は善人美挙をやったことを習うのではなく、善人美挙をするのが人間になったもとで、学仏と関係があらない。仏法は唯世間人が全て言った一つの名詞で、直貢チェツァン法王は嘗て申された、衆生が輪廻を離脱することに対して役に立つ方法は全部仏法である。仏経にも「法無定法」と載せてあり、仏法はそなた達が思ったのではなく、仏法でそなたのため病気を治すのは大変容易で小さいことで、外道さえも出来る。しかし、仏法だけは、皆が輪廻の苦しみを解決するには役に立つ。

学仏の動機ははじめから正しければいい結果になることが出来た。そなたは前世にどんな修行したか問わず、この世ではあらためて修める必要があり、修行することは自分に頼らなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て見た、転生と認証されたリンポチェは既に過去世でリンポチェの果位まで修め得たのが実証されたが、この世では修めなくて、或いは修め得なく、ある者は足を組むさえも出来なくて、最初の発心が正しく出来なかったかもしれない。転生のないリンポチェはこの一生に成就を修め得たのを見たこともあり、こんないろいろな出来た違う結果は成仏の決心によるのである。今日リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に法会に参加する動機を開示された。われらの動機が正しければ、はじめて正法の種を第八意識田に植えることが出来た。この一生には仏果を得るチャンスがないかもしれないが、未来に是非仏を勉強し続けることが出来て、仏法を学ぶチャンスがあって、生死を離脱して、自分と他人に利益する。寶吉祥仏法センターでは、例えリンチェンドルジェ・リンポチェは台湾にいなくても日曜日の共修会の中に相変わらず以前リンチェンドルジェ・リンポチェが開示された仏法のテープを放送して、即ち皆に多い仏法を聞かせるためいろんな方法を尽くしたのである。上師も絶えずにそなたのためこの縁を作り、例えば、直貢チェツァン法王を台湾に招いて来て、そなた達に直貢チェツァン法王と面会する縁をあらせた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは先週日本へ行く時、1人いつも空港でリンチェンドルジェ・リンポチェを送迎する弟子は突然にリンチェンドルジェ・リンポチェに彼の日本で往生した義理弟を助けるのを願った。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェは断った。それに、彼に彼の妹が自らでリンチェンドルジェ・リンポチェを伺いに来ると申された。あのろ頃この弟子の心の中には少し不愉快で、心の中にそう思った。私の妹は現在こんなに忙しいのに、また毎回リンチェンドルジェ・リンポチェが出国とか帰国とか全部彼私が送迎して、私より願いしてリンチェンドルジェ・リンポチェはなぜ私を断ったか?リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されて、リンチェンドルジェ・リンポチェの心は大変細かくて、そなた達は一本の髪の毛が動いてるとリンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達がなんにを考えているか全部分かった。以前、この弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して仏を学んだ後、彼の妹は嘗て彼に「信じたらいいけと、こんなに熱中しないで」と言った。彼の妹はこんなに言った時、彼はなにも言い返さなくて、黙認との表れで、自分が注意するのしか現れなかった。これも彼は三寶に対して敬わないとの表われだ。彼の心の中に彼の妹は彼に関心を持って、彼が騙されたと心配すると思ったかもしれなく、これは彼は上師の功徳を信じなく、称賛しなかったとの表われだ。何にか熱中と言うか?同席の皆には殆ど家があり、誰が家を売って供養しに来たか?他人を真似て酒肉は腸を貫通すして、「仏は心の中に座る」と言うな。

あの時、リンチェンドルジェ・リンポチェは神通を使って、この弟子に申された。彼の妹の夫はとても1人娘を懐かしくて、彼はこの娘と割合に親しいから。彼の妹の家族皆ははじめて信じて、昨日家族皆は急いで面会を求めに来た。そなた達は全部このようで、少し神通を利用しないとそなた達は信じない。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子の妹の夫の色んなこと、また彼の家族しか分からないこと、及び妹の夫の魂はどこにいるのを仰った後、彼の妹の家族皆ははじめてリンチェンドルジェ・リンポチェを信じた。例えリンチェンドルジェ・リンポチェは彼が妹の代わりに求めた時、彼に承諾したら、彼の妹の家族皆は今までまだ信じなく、仏法の偉さを知らない。それにより、そなた達は言って、人を助けるには能力の以外に、知恵が必要だ。これは利他の現われである。

仏を勉強して体得があった後、必ず自らがやって実行する。《開経偈》には「深入経蔵」と書いてあるが、これは仏が開示された仏法の最終目的を分かるのであり、要旨が仏陀の言う仏法をすっかり悟ることができるので、そして開示された84,000の種類の法門の最終意味が何であるか、そなたが全ての経典を読むのではない。仏経には善財童子五十三参を載せてあり、その五十三参の法門は、実はどれでも全部密法で、善財童子は既に証悟した、上師の教導に従って、各密乗行者に彼の修行する法門を勉強する。例えある出家衆はもっとある法門を多く聞いて学んでも貪の考えであり、如法上師の教導の下に、一門を深くに勉強すれば結構で、1句阿弥陀仏も生死を離脱するのが出来る。

リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて申されて、ガムポパ大師は仰った全面的に、法を聞く者に対して「意楽円満」と「施行円満」この両方の内容を備えるべきだ。「意楽円満」の中にまた四つの思惟がある:

一、我らは思い出すべきだ:私は自分の名声が世間に広く聞こえるのを望むため法を聞きに来るのではなく、他人が輪廻の汪洋、苦海を離脱するのを救うためはじめて仏法を聞きに来た。
二、我らは思い出すべきだ:私は自分が「利養、恭敬」を得るため法を聞きに来るのではなく、「一切知恵」を証得するためのである。
三、我らは思い出すべきだ:私は自分に弁論するより勝たせるため法を聞きに来るのではなく、悩みの敵を伏せるため、「悩む敵と作戦する戦場上」から凱旋して帰るためにやっと仏法を聞きに来た。
四、我らは思い出すべきだ:私は苦心で法師の過ち(話し方の中に存在したかもしれない)をのあやまちが来ることを暴き立てるため法を聞きに来るのではなく、法師と教法を敬うため、法を聞きに来るのである。

第一種類我らが思い付くべきな思惟は:自分は名聞のため法を聞きに来るのではなく、自分は衆生が輪廻を離脱するのを助けるため法を聞きに来るのである。

多勢者は仏を勉強する時、自分が衆生を助けて、済度したいと言った。この心があれば結構が、名聞利養を貪欲するため法を聞きに来るな。ある者は仏を学んで、以後上師になれると思って、これも一つの欲望である。リンチェンドルジェ・リンポチェはもう一度自分の経験で開示された。過去リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ信者で、弟子した時、自分がある日に上師になって、仏法を広く知らせるのを考えたことがない、唯仏を勉強するのは一つ見事で、即ち清浄な心で仏を学ぶ。
だから法を聞く過程に力を得ることができて、それはガムポパ大師の開示と同じである。仏法が言うのはただ一つの重点だけであり、大きな道理ではなくて、そなたの心はやり遂げることができるのでさえすれば。ガムポパ大師は文章は、リンチェンドルジェ・リンポチェは前見たことがなかった。現在見るとはじめて自分が既に出来たのを分かった。それで法を聞くの過程より力を得て、ガムポパ大師が申された通りである。

ガムポパ大師が開示する第二種類の我らが思い付くべきな思維は、「 私は自分に『 利益、供養』を獲得させるために法を聞きにくるのではなく、『一切智恵』を証得するために仏法を聞きに来るのである。 」ということである。

ここの知恵とそなた達が思った聡明とは違う、我らは小さいごろより教えた聡明は唯自分に利益するためのである。知恵を了解するため、必ず全部<大般若経>を始めから終わりまで読んでから、やっと仏が説いた知恵が分かり、ようやく仏が言った微妙で深い仏意に入ることができるが、しかしこれは自分で仏経を見てその意味を推測するのではなくて、経験がある上師を通して修行の法門を修行することを開示しなければならない。所謂智とは五智であり、仏が仰った知恵は空虚の中に一切の経過が悟って、各種の衆生の苦しみを十分了解して、衆生を助ける一切法門に対して全て掌握出来る。五智までを修め得るとはじめて仏果を証得するのが出来て、一切な有情に利益するのがやっと本当に出来た。

仏法は他の人を批判するのに用いるのではなくて、それは自分を検討して、自分の身、口、意を改正するのに用いるのである。前あの弟子の妹のように宗教が迷信と思って、自分が学問が高いと思って勝手に批判して謗佛してしまった。人は口業を作りやすいのでこの口を注意するべきだ。しかし、彼の妹を叱ってもいけない、現在の市場はこうなっていて、学仏するのは全部加護を求めるため、それで人に宗教はお金をもうけると思わせやすくて、騙されたには恐れた。人はそんなに騙しやすくではない、人は一番難しく騙し、どう騙しても仏を学びに来させない。《地蔵経》が説いた、地球上の衆生は剛強自用であり、調整し伏せるのが難しい。実は仏法は少しも迷信ではなく、現代の科学には過去仏が申された道理が全部存在するのを多く証明することが出来た。ひいてはある仏法が述べたのは、科学はまだ証明することが出来ない。実は科学を信じるこそ一つの迷信で、それは唯科学を信じるのは迷信とはあまり違いがない。

いつもある者はリンチェンドルジェ・リンポチェに願った:「リンチェンドルジェ・リンポチェは私に知恵をください、私の知恵を開かせて」実は知恵は上げることが出来ない。誰でも生れつき、仏と同じの知恵があり、諸仏菩薩と上師はそなたにどのように心を清浄させて、そなたの元来ある知恵を開くのを教えることしか出来ない。例え清浄な心で仏を学んで、自分の利益のため修行するのではなければ、勉強すればするほど傲慢になって自分がよく勉強したと思うのではない。《楞厳經》の中に全て書いてあり、禅定を修める時あるかもしれない禅病も起こらない。

ガムポパ大師が仰った第三種、我らが思い付くべきな思惟は:自分が弁論の中に勝たせるため法を聞きに来るのではなく、仏法はそなたに弁論させる工具ではない。あるところには弁経の活動を挙げるが、全部そなたの人生経験で仏法を解釈して、或いは仏経の中にある言葉を見つけて、名詞の意味の討論を進んで、修行するのではない。学校の中にある弁論社のように、両側には各自が一つの見解を持って弁論し、結局に結果がない。ある者は仏経を多く見て自分を賢くさせて、そなたに来世の記憶力が割合によく成らせて反応が比較的に少し速くなったかもしれないと思ったが、証悟が出来ない。

仏を勉強するのはそなたに大小を比較させるのではなく、上師の名声が大きいか大きくないか比較するのではない。多勢者は全てこの言い方が好き:私は尊勝な直貢チェツァン法王に皈依したことがあり、私は法王の弟子であれば、こうするとまるで自分が他人を勝ったと表れることが出来る。リンチェンドルジェ・リンポチェは覚えているある年尊勝な直貢チェツァン法王は台湾で法会を行って、多くの者は直貢チェツァン法王に皈依したいと求めた。直貢チェツァン法王はとても軽快に、外には沢山の皈依証があり、自分が書きに持って行くと仰った。直貢チェツァン法王はこんな皈依する心構えが唯加護を求めたいと分かったので、縁しか結ばなかった。チベット仏教か顕教の仏法にも関わらず、すべては是非や高低という分別が無く、ただ説法と修行の次第が違うのである。数年前、一回リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を引き連れてダライラマが主催する法会に参加して、弟子がダライラマのご開示を聞いた後、それはリンチェンドルジェ・リンポチェが過去全て開示されたのと全部同じだと発見した。リンチェンドルジェ・リンポチェは申されて、あれは当たり前、仏法は唯一つセットだ。また、あまり難しすぎるのを言うと、根器がなければ聞き取れない。

溢れて、まるで水に詰め込んだ瓶のように、もう聞き取ることが出来なくて、仏を勉強することが出来ない。それはなぜ心は虚する必要で、ここの心虚とは嘘して人を騙すのではなく、心は空くべきで、それで正法を心の中に入れることが出来る。

人様は呼吸をすると考えがあり、考えがあると悩みがしたがって起きた。そなた達は見つけようとして、長い時期で法会に参加して、集中で仏を学んで仏法を聞けば、そなたの悩みは段々少なくなって、もともとそなたを悩ませることは、そなたも段々大したもんではないと思って、例え癌にか勝ても、段々そなたもあまりひどくないと思って、なんの悩みがなくなった。但し、集中して聞き、貪欲がないように仏法を聞き、はじめて五毒――貪、瞋、癡、慢、疑に絡められた心がゆっくり開くことが出来た。

そなたは仏を勉強始めるとき、上師はそなた達に少しの欲望を満足させて、所謂欲を以って誘う。そなたは病気が早めに良くなるのを望んで、リンチェンドルジェ・リンポチェは加持を与えて、そなたにあんなに痛くさせない。そなたは子供が親孝行を望んで、リンチェンドルジェ・リンポチェも法門があり、そなたの子供に割合に親孝行させる。ある者は言った:私は法会に参加した後、お体は割合に良くなって、比較的に気分が悪くなくなった。これは可能だ。そなたは仏を勉強し始めて、法会に参加した後、そなたの冤親債主は暫くそなたに障害するのを止めて、そなたに仏を学ぶ時間を有らせて、一層より彼らに利益する。祖師ジッテン・サムゴンは嘗て仰った:衆生の病が良くなった後、怠けやすくて、この時病気はまた来るかもしれない。これは仏菩薩或いは上師がそなたを罰するのではなく、そなたの冤親債主はそなたを放さないのである。この時上師に頼んでも仕方がなく、上師が能力がないのではなく、そなたの心は変わったから。

仏法を聞く動機は正しいならば、功徳を自ずから累積する事が出来で、功徳が業を転じて始めて、煩悩の敵を抑えられて、煩悩がないと、仏を学ぶ障碍が自ずから少なくなっていった。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の脊柱側湾症の病痛を例をとして開示された。身体の病痛に直面する事は、最初、厳重な脊柱側湾症もリンチェンドルジェ・リンポチェに痛ませて歩く事が出来なかった事もあり、現在、完全に何も影響が無かった。此れはリンチェンドルジェ・リンポチェが抑える事が既に遣り遂げて、甚だしきに至っては煩悩という敵に打ち勝つわけである。

なおまた、皮膚癌に直面する事は、リンチェンドルジェ・リンポチェが一般人が思っている癌細胞を受け入れて、或は癌細胞と平和で共存する事をそう思わなかった。が、完全にそれを思わないで、それを縁に従って行き来させて、一切が因果である。現在、多くの人々は「私に癌細胞と共存させろう」を言い好んで、それでな、そなたが自分に癌細胞になりたいで、癌細胞がそなたに離す時に、そなたの良い細胞を自ずから無くしてしまった。此れは全ての細胞が最初一体で、一つの細胞から分裂し、だから、現在、電気療法と化学療法をする事とは、実は良い悪い細胞が一緒に殺させた。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は長年の修行過程の間に、仏法を通して、此れが自分の累世でした悪業果報の顕れる事を知っていた。だから、自分のこのような煩悩を打ち勝つ事が出来で、リンチェンドルジェ・リンポチェにこの10年余りに生きさせていた。少なくとも、この10年余りの生活品質が悪くないで、どこへ行きたいと何処へ行けて、病院に手術を受けたり、化学療法をしたり、切られたり、斬られたりする事が要らなかった。これから皮膚癌が再発する事かどうか、これから考えましょう。一般人と異なって、医者がそなたの何処で痛まれる事を言うと、毎日に此処にまた痛む事を考えて、煩悩がずっと生じて行った。もし法会に参加する事とは癌を治す事を思うならあ、此れも欲望である。仏法の偉大は実際で聞き入れて、そして、実際で遣り遂げて、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は出世法を上手く修めるなら、世間法を自ずから問題がないで、しかし、そなた達の遣り方が常に逆にしていて、問題を当たり前解決出来なかった。此れはリンチェンドルジェ・リンポチェの自身の実際な修行経験で、そなた達が信じて努力してしなければならなかった。現在、そなたが遣り遂げないなら、以降に遣り遂げない事ではなかった。多くの人々は根器が良くなくて、病痛をたちまち治す事を望んでいた。

ガムポパ大師が開示された第4種類の我々が思い付くべきな思惟は、私は法師の過ち(説法をする時に存在可能)をわざと暴き出すために仏法を聞く事ではないし、法師と教法に恭敬する為に仏法を聞きに来るわけである。

一部の人々が持っている心構えは少しの顕教を学んで、貴方がどのように説法をする事を見てきて、比較の方式により、貴方のこの上師が何を言うかを見て来た。もし顕教がないなら、持って来て混じって、自分が他人と異なって、自分が他人により多く学ぶ事を表した。基本的に、全ての人生経験法は二元対立で、自分の学問と経験により、他人に評判させる事という心構えが持ってはいけなかった。その上、一部の人々は伝法の上師が何か間違う言うところがあるかどうかを見て、それから、彼の信衆或は弟子に「貴方の上師が間違って言った」と話して、この遣り方も間違った。

上師であれ、ケンポスであれに関わらず、ただ法席に上がって説法する者が気軽に無闇に言う事を有りえないで、此れは彼達が因果を深く信じているわけである。ある公案とはある法師がひと字を間違えて説明したので、500世の狐をして、仏法がとても厳格で、冗談を言う事が出来なかった。この上師が説く方法はそなたが聞き理解出来ないかもしれないし、それはそなたの問題で、彼が間違う事を表さない、偶にはなおざりにしたのである。此れは仏経が多く過ぎ名相があって、つまり名詞で、リンチェンドルジェ・リンポチェが偶に仏法の一部の名詞がはっきり覚えないのように、此れはリンチェンドルジェ・リンポチェが経論派ではないし、実修派わけである。しかし、経論派の行者でも、多くの仏経の名相をはっきり覚えても、依然としてなおざりにする可能性があった。だから、そなたは、彼が上師と歴代伝承から教えられたの方式、範囲に従って仏法を開示させるかどうかを判断する事が出来た。そなたが上師ではないので、ある上師の境界が何処に至る事を如何に知るのでしょうか?特に仏法を聞く時に、文章の断片から意味を取る事を更にするべきではなかった。ある上師がする事とは1日、2日、1年、2年にそなたにはっきり知らせる事ではなかった。そなたは、この上師が何の方式により務めて、如何に仏法を広める事を一心にして見るはずである。もしそなたは上師の間違いを見付けるので仏法を聞き来るならば、そなたがはっきりと来ないで下さい。此処は武館ではないで、そなたが挑戦して来る事が要らなかった。

祖師のジッテン・サムゴンが説いた事があった。仏経に説かないで、伝承が教えていない事は彼が説かないで言う勇気も無かった。此れは所謂仏法によって人間に依らないで、了義によって不了義に依らない事である。説法する人間は仏法によって、或は人間による事が如何に判断するのでしょうか?もし彼が「私は何々を知っている。私は何々を感じている」という事を常に言ったら、それは人間によるのである。もし彼が「釈迦牟尼仏が常に何々を開示された」という事を常に言ったら、或はガムポパ大師、ミラレバ尊者、法王が嘗て開示された事を言ったら、それは仏法によるのである。人間に依るなら、自分の主観意識になり易いのである。だから、そなた達はこの上師が仏法を開示される時に、彼が此れは何処の経典から、どちらの上師から教導してくれる事を常に説いているのでしょうか?もし彼は常に言ったら、信じられた。もしある者は自分の感じを常に言ったら、或は仏菩薩が夢の中に彼に説かれた事などであれば、信じられなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェが「此れが仏経が記載されて、此れは直貢チェツァン法王が説く」という事を常に説いているのようである。一部の人々は、「此れが責任を逃れて、責任を全て他人に推すではないだろうか」と言った。そうではなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェがこのように開示するのは、皆に、リンチェンドルジェ・リンポチェが歴代の上師から教えてくれる法門により実際で修行していて、確実な遣り遂げた事を了解させて、此れを以って皆に「ただそなた達がしたいなら、素直に従うならば、そなた達も同じように遣り遂げる」を話させた。

今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは自身の修行して証悟した経験により、仏を学んで発心する動機を開示された。この動機はとても重要で、つまり「前行」の部分で、正確な発心がとても重要である。如何なる法門を修行している時には、「前行」、「正行」、「廻向」が全てあった。前行を上手くしたら、正行と後の廻向が力を得られて、前行の動機が正しいなら、功徳を生じて始められて、正行が効果を発揮して始めた。我々の廻向とは功徳廻向なので、真に衆生に助けれあげられて、或は真言を唱える機械のように効果が無かった。もしそなたの前行の動機が間違うならば、正行が如何に上手く修めても、真言を如何に多くて唱えても、何も功徳があって廻向する事が出来なくて、真に衆生に助けてあげる力も出来ないで、ただそなたに少しの人天福報を累積してくれるだけである。

仏を学んで発心する動機は清浄で、正確であれば、そなたが修める一切のが功徳でで、この世に使えた。そなたは功徳を修め出ないなら、そなたの累世の業を転じる事が出来ないで、そなたが業に従ってそなたの此の世に終るのである。欲望の心により聞いたら、ただ人天福報を累積しかないで、この世に使えないで、未来世に使えるのである。嘗て、梁武帝は達摩祖師に「私は仏法のために、このような多くの事をして、多くの功徳があるのでしょうか」を尋ねた事がある。達摩祖師は「貴方は功徳がないで、ただ福徳だけがある」と言った。達摩祖師は何故このように説いたのでしょうか?これは梁武帝が欲望の心により、彼が思っている功徳がある事をしたので、彼がただ福徳だけであって、功徳が無かった。結局、梁武帝が餓死になって、自分の業に変わらせられなかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェの心とそなた達の心はとても大きな異なる事があるのである。当年、顕教に皈依し、甚だしきに至ってそれから直貢チェツァン法王に皈依し、全て清浄な心で、欲望がないのが皈依して来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは何故死者の心念を知る事が出来るのでしょうか?此れは上師の心と仏菩薩の心が如如不動で、しかし、そなた達の心が動いていて、心が動かないので、そなた達の心の変化を知って始めた。そなた達は絶えずに行き来をしてから輪廻に行ってしまった。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てある弟子が居て、現在出家し、彼女が仏を学んで発心する動機がはっきり理解しないので、何回目の閉関をしても、依然として何ももらえないで、いままで、自分がまた多くの問題が解決する事が出来なかった。諺によると、仏を学ぶ事は3分の阿呆っぽいを持つ事が必要のである。今日、開示させた道理は極めて簡単で、ただ皆の心が複雑しすぎた。今日、開示された内容は嘗て何回目で説いた事があって、しかし、そなた達が遣り遂げたのでしょうか?遣り遂げないなら、役に立たないのである。帰宅してから、上師が今日開示させた内容をよく考えて、とても重要だ。

多くの人々はリンチェンドルジェ・リンポチェの助けをもらった後で、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは「感謝して来る事が要らなくて、そなたは感謝して来て、リンチェンドルジェ・リンポチェの心が動かないで、そなたが仏を学ぶ事をしたいとは限らない」と諭した。そなたは仏を学ぶ事をしたいなら、リンチェンドルジェ・リンポチェが心を一寸動いて始めて、そなたが仏法がそなたに助けがある事を理解できるようだと思っていて、しかし、皆がとても大切な事だと思わないようである。リンチェンドルジェ・リンポチェは真に感謝して親孝行する者が仏を学ぶ者だと常に開示させて、そうすると、そなたの目上に助けを貰えられて、ここの助けがそなたの目上に死ぬ前にこんなに多くの医療の痛苦を受け入れる事が要らないのである。

アメリカで住んでいる信衆はリンチェンドルジェ・リンポチェにメールして、自分の癌を治す事が出来るなら、もっと多くの衆生に助ける事が出来る事を表した。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は此れが恐喝と脅しで、仏菩薩と条件を交換し、仏を求める事が条件を交換する心構えを絶対に使えないで、衆生に助ける事が人間とする事が本来するべきで、病気に罹る事がただ自分の業の表れだけで、条件を交換する方式により仏を求めるならば、恐喝と脅しで、このようにしたら仏に求め得なかった。多くの信衆が病気に罹ったので、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来た時に、自分が死なれない事を言って、此れは子供が成人に成らないで、まだ結婚していないで、此れはリンチェンドルジェ・リンポチェに恐喝するのである。

上師が説いた話はそなたが聞かなければならない、そなた達が聞きたくないなら、これからどのようになるかといえないけれども、結局が必ず楽観ではなかった。子供でも両親の話を一回で素直に従わないと言ってはいけなかった。仏を学ぶのはとても厳格で厳粛な事で、軽視で直面する事が出来なかった。リンチェンドルジェ・リンポチェが自分を可愛がる事を言ってはいけなかった。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに可愛がって、骨までに可愛がって、リンチェンドルジェ・リンポチェに3ヶ月で大変な閉関させた。

ある弟子は下記のように報告した。今日、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いてから、リンチェンドルジェ・リンポチェ我々にこれらが始めて発心して仏法を学ぶ者に最も基本的な心構えを諄諄と教え諭した。此の弟子は前に顕教で10年余りに掛かって学んで、顕教の上師が菩提心を発する重要性を教導してくれたけれども、仏法を聞く正確な心構えとはリンチェンドルジェ・リンポチェがこのように力と時間にかかって詳細な開示された仔とが聞いた事が無かった。最初からただ各種類の経典を覚えて、浄土法門であれ、甚だしきに至っては天台宗などである。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いてから、自身の修行の経験により我々に諄々と教え諭すをしてくれた。武功を学ぶ者のように、どんな動作を学ぶに関わらず、馬歩をする事が最も重要な基礎である。今日開示させたのは仏を学ぶ事を最も重要な事で、非常に感恩した。

もう一人の他の教派で出家した事がある弟子は下記のように報告した。前には、他の教派で如何なる法門を学んでも、上師が発心の重要と菩提心を発する重要を毎回に必ず開示した。多くて聞くと、偶には心が疲れてなって、いつも同じ内容を諭すだと思っていて、必ずしなければならない事のようである。然し、今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは自身の修行の経験、過程、心構えにて我々に教導してくれて、感銘がとても異なった。我々は清浄な心が一体どのよう事を知らないし、甚だしきに至っては時には自分の悩みさえ分からなかった。実は、リンチェンドルジェ・リンポチェの諭すの通り、リンチェンドルジェ・リンポチェの心がとても細くて、貴方達の心を一回で動いても、リンチェンドルジェ・リンポチェが全て知った。リンチェンドルジェ・リンポチェが法席で法衣をつく時我々に教導してくれる事だけではなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェが法席にいないで、法衣を着かない時でも、説くひと言でも法語で、全て衆生を利益し、我々に自分の煩悩をはっきり見させる事を教えてくれた。偶には、リンチェンドルジェ・リンポチェから自分にある問題を提示させてから、自分が長い時間にかかって、偶には1日に掛かって、甚だしきに至っては2日に掛かって、自分の心の底にとても深いところの煩悩をはっきり見させられた。だから、自分が全部の精神を尽して上師が如何なる諭しを覚えて、此れは皆に助けてくれるわけである。皆はある証量の上師が仏法を聞かれるなら、真にとても大切をしなければならなかった。此の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェに報告した事があり、リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子が見た全ての上師の中に、悲心が最も大きな上師である。リンチェンドルジェ・リンポチェのような大修行者は、リンチェンドルジェ・リンポチェの修行の証量により、自分の一生に献上して生死関を閉関する行者に教導する事が出来た。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは最前線でこれらの衆生に直面して仏法を広めて、悲心の力がとても大きいである。願力の強さは、弟子が見た事がないし、聞いた事もなかった。弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞ける事がとても感謝した。

もう一人の弟子は下記のように報告した。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示と聞いてから、とても懺悔し、此のように長年に皈依して、偶には修行している時に難関にあって、甚だしきに至っては後退して、此れは自分の心構えを調整していないわけである。多くの場合には、自分は他人によりもっと多くの機会を他人に助けて、しかし、自分が上手く対応する事をしなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示と見捨てない教導に感謝した。自分は発願をして上師に従って努力して修行し、上師の教導によりしたら、必ず生死を解脱する事が出来る事も信じていった。

その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは新しき皈依弟子に如何に頂礼をする事を慈悲深く教導し、チベット仏教の仏に礼拝する方式が両手が合掌して、両手の手の根を一緒によって、此れが六道輪廻の門を閉めると表していた。その上、両手の手の平が花と宝石等を差し上げて、上師と仏菩薩に供養し、だから両手の手の平の間に中空で触らないで、頂礼してから手を翻す事が要らなかった。一般人は顕教仏寺に入ると先に正殿に向いて仏像を頂礼し、それから、師父に頂礼して行って、しかし、チベット仏教が間違って、先に上師に頂礼し、それから、仏像に頂礼して行った。そあたがただ上師に見ると必ず頂礼した。離れてから、頂礼が要らなかった。そなたはこれから上師に会えないとは限らないで、離れる時に頂礼をする事が要った。

引き続いてアチ護法儀軌を口伝して、そして、アチ護法は直貢噶舉教派の不共の護法を開示させた。不共の護法とは共同で修める事ではない、マハガラのように、4大教派が全て修める事で、共の護法である。アチ護法は祖師ジッテン・サムゴンの祖母で、この世に仏果を証して、虹光身にて、つまり身体が虹光になって何も残らずに自分の浄土に往生した。その上、金剛亥母の化身である。アチ護法は嘗て説いた事があり、ただ直貢の弟子であれ、アチ護法が彼に護持させた。もし遠行があったら、アチ護法に報告する事が出来で、アチ護法がそなた達に保護するのである。アチ護法の儀軌を修める時には、紅茶を仕える事が要り、嘗て、アチ護法がプーアル茶を飲んだ。修法してから、お茶が芝生の中に或は下水道に入れて、衆生と縁を結ぶ事が出来で、自分で飲む事をしてはいけなかった。

来週の金曜日は施身法法会で、日曜日はとても特別な日で、此れは尊勝である直貢チェツァン法王の誕生日で、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の同意を求めてもらって、寶吉祥仏法センターの弟子に連れで「長寿仏」を修めて、長寿仏法会の中に修法と真言を唱える功徳が全て直貢チェツァン法王に供養する予定である。参列者はリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。

法会が終わった後に、リンチェンドルジェ・リンポチェはいとま請いをせず苦労して、41位の信衆を引き続いて接見し、彼らの為に、世間法の問題を解き、仏法を開示された。

2011年7月29日

法会が始まって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に登った後に、前の席に坐っている信衆達がもっと前に坐りなさいと要して、人数が多すぎるから、後の席はたいへん狭い。引き続いてこう指示して、今道場は既に坐るスペースがあまり足りなくなって、尊勝なる直貢チェツァン法王は過去何回もリンチェンドルジェ・リンポチェに思い遣って、リンチェンドルジェ・リンポチェにあまりに疲れすぎないでくださいと、皆とこんなに多く言う必要がないと注意した。リンチェンドルジェ・リンポチェは感嘆をに言って、来年方法を変わることを考慮しているが、参加者を少し少なく減らして、なぜかというと本当に仏を学びたい人が多くない。多くの者は加護、平安を求める心構えを持って参加しに来るので、これは仏を学ぶ正しい心構えではなくて、心から仏を学ぶのではないから、たとえ何回も来ても役に立たない。もうすぐ旧暦7月になるから、中国人のいわゆる鬼月であり、多くの者はこの時になると、家も買う勇気が無くて、婚姻する勇気も無くて、鬼月ならどんな事も全部することができないと思っているが、しかし実はこれはただ民間風俗であり、お経には言及していないのに。更に、まさか鬼月に菜食精進料理を食べたり念仏したりすると、鬼月の前後に殺生していて、このようにしても大丈夫であるのか?だからこれはただ風習の信仰だけであり、このような風習も日本に伝わるのである。

事実上お経は旧暦7月に鬼の扉が開くか閉まるかと言っていないが、しかし釈迦牟尼仏の身の回りで神通第一である弟子の目犍連尊者とのことに言及したことがあり、彼は神通で母が餓鬼道で食事することができないのを見て、とても苦しいく思っている。水と食品が餓鬼道の衆生の咽喉まで入ると、火と化して、食べ込むことができない;少し福報がある餓鬼は、便所の所で大小便を食べることができる。とても昔に、チベットのあるリンポチェは、人が痰を吐き出すと、大勢の餓鬼は囲んできてあの痰を食べることを争って、リンチェンドルジェ・リンポチェは、だからみだりに痰を吐かないでくださいと面白い口ぶりで言った。

どの人が亡くなった後に、餓鬼道に行くのか?生前に布施、供養をしない人である。布施を惜しむのは:一、布施をしないこと、 けちで欲張りであること;二、布施の多寡を計較すること;多くの者は他の人にいくら布施するべきかと聞くことが好きである。このようにしないでください、自分でどのくらい布施したいと思ったらその金額を布施する。他の人に聞く者は、多くあげたら自分を損をするのを恐れて、もし損になることを恐れたら支払わないで。一部の人がいくらか供養するのかと尋ねられる時に、随喜と答えて、この名詞もこのように使うのではない。随喜とは、他の人が利益を衆生する事を見て、歓喜の心を起こす。リンチェンドルジェ・リンポチェが皆に教えるのは、供養する時に心の中で最初の考えはいくらかと思うとそのとおりであり、多すぎると思う必要はない。三、布施した後に後悔すること;四、人の布施を阻止する人、或いは他の人にそんなに多く供養する必要がないと言って、それも布施を阻止すると言える。

布施をする時、自分の要らないものを布施に持って来ないでください、嘗てある人は酒の割引券を持って来て、リンチェンドルジェ・リンポチェに供養したことがあり、リンチェンドルジェ・リンポチェは戒を守って酒を飲まないことを知っているのに、また酒の割引券を送った;統一発票(領収書)を持って、リンチェンドルジェ・リンポチェに供養する人がある。リンチェンドルジェ・リンポチェがユーモアに自分の目がよくないから賞を換えないと言った。もし統一発票(領収書)を寄付するならば、賞を換える後、賞に当たるお金を自分の手で診察に関するお金がない或いは食事するお金がない人に寄付することができて、これこそ彼らまで本当に助けるのである。

多くの人は仏を供える果物を買う時、すべて自分の主人或いは子供の食べることが好きな果物を買うので、あれが一体仏菩薩に供養するか、主人や子供に供養するか?自分が好きなのを選ばないでください。自分の能力範囲内で、最も良い果物を買って仏に供えるべきなのである。いわゆる「最も良い」とは値段が最も高いとは限らなくて、新鮮な旬の果物である。果物をもうすぐ悪くなるところまで、やっと変えて食べるということ供養しないでください、これは非常によくなくて、その故チベット人は多瑪(トマー)を作って仏に供えて、このようにすると供える時間が比較的に長くなるいのである。花を買って仏に具えるのも自分が好きなのを買わないでください、仏菩薩甚だしきに至っては上師は好きな物が何もなくて、仏菩薩がどんなものが好きなのであなたがそのものを供えることを要するのではなくて、仏菩薩はそなたの供養を受けるのはそなたに福報を累積させる機会を賜るのである。人が死んで、予想外の意外が発生するのは、すべて福報が無くなってしまった。

目犍連尊者は母が餓鬼道にいる苦痛を見て、非常に苦しく思っていて、そこで釈迦牟尼仏に彼の母を助けるようにお願いして、仏陀はそこで目犍連尊者に、齋僧という法門を教えて、つまりお齋で僧に食事を供することであり、彼の母のために福報を累積させる。昔はインドの夏はとてもひどく暑いから、出家衆は旧暦の7月に暫く外出しない;その他に外出すると地上の昆虫を踏んで衆生を傷つけることを免れるため、だから閉関して、結夏と称する。漢人の社会はとても親孝行を重んじるのであり、お経と儒家がすべて親孝行を尊重する。この典故により、だから旧暦の7月をまた孝親月と称して、それ以外に、地蔵王菩薩の誕生日もちょうど今月である。

この典故から見ると、私達はいくつかの事を習って:目犍連尊者の母親が餓鬼道にいて、目犍連尊者は彼女を手伝いたくて、焼香してバイバイしてから、彼女が食べることができるのではなくて、また目犍連尊者が神通を通すことに頼って、ようやく彼女に送ることができるが、しかしやはり食べられない;それに、目犍連尊者は神通第一1であっても自分の母を済度することができなくて、釈迦牟尼仏が目犍連尊者に齋僧にて母のため福報を累積するのを教えることが必要であり、ここの僧は一般人ではなくて、すべて釈迦牟尼仏の弟子で、すべて阿羅漢果位まで証得した者である、これらのちょうど閉関をし終わったばかりの修行者に供養する福報がとても大きい。だから正しい対象に供えて、ようやく亡者のため福報を累積することができる。次に、釈迦牟尼仏は目犍連尊者に教える方法は、ただ死亡者を善道へ往生させることだけを助けて、つまり天界であり、まだ浄土までではない。目犍連尊者は私達に比べてよく修行しているが、自分の母親に輪廻を解脱するように助けることができなくて、だから今普通な人は人に頼んで読経して、亡者を浄土に往生させるように助けることができると思っているが、そんなに容易ではない。

一部の人がその家族が重病に罹った時、彼の耳の辺で彼に念仏を唱えるように気づかせて、もし唱えられないならば、甚だしきに至っては彼に心の中で唱えるように教える。もし心の中で唱える場合、人の内気が非常に強くないとだめである。しかし患者が最後の一気を使い尽くして自分が引き続き生きていきたい時に、どのように念仏を唱えるのか。今のインドもとても熱くて、特に台北は殆どアジアの最も熱い地方である。そなた達は気がつくべきかもしれない、そなた達が幼い時、天気は今のように暑くなくて、最近気温がよく33度、34度、35度に達することになり、その原因は今の人の性格がますますよくなくなって、台湾の高温化に影響を与えるのは、2件の事があり、一つは旧暦の7月に慰霊用の紙銭を焼くことで、もう一つは8月また焼き肉をすることであり、これはすべて環境によくない。

7月にバイバイするのは1種の風習であり、実はどのように鬼門が開く可能が無いだろう。もしこの月に鬼が出てくることができるならば、鬼道の衆生が苦しいから、もしも鬼門が開いたら、また苦を受けに帰りたい鬼が無いだろう。まして鬼は最も避けることが上手なので、鬼差はすべてつかめるとは限らなくて、さらに隠れて、修行者さえも気づくことができないかもしれない、因縁が起きてようやく知っていることができない限り、だからどのように隠れなくて、おとなしく帰るか。亡者の業の力が強く六道に生まれる前に、すべて鬼道にあるから、実はそなた達が道場を離れると、外の大通りの上で、道路の上で至る所もすべて鬼がいて、昼ごろになった後、太陽は比較的に弱くなるのでさえあれば、至る所にすべて鬼衆がいる。どうしてそなた達は鬼を恐れるか。慈悲の心がなくて、自分が傷つけられることを恐れるから、もし慈悲の心を備える行者であれば、方法を考えて彼らに助けることが間に合わないから、なぜ恐れると感じるのか。それに鬼も鬼通があり、もしそなた達は彼を助けることができないならば、彼もそなたを相手にすることを思いない;もしそなた達は仏を学んで善行すれば、彼らも知っていて、そなたを傷つけることはできない。努力して善行をして、善行の多い者は鬼がそなたに会ってそなたを手伝って、あなたを害しないのである。その反対、もし悪行が多いならば、鬼はそなたに会って全て挨拶に来て、なぜかというと、そなた達が同類であるから。

ある者は冥銭を幽霊に焚けば、自分に金持ちになるのを守れる。此れは全て民間の信仰であり、仏経に記載されない。実は冥銭を焚く事は漢人の風俗習慣であり、商周時代から始まった。商周は鬼神を祭る開始である。実は北方の冥銭と南方のと違うが、幽霊はどちを使うだろう。まさか幽霊は北方の鬼と南方の鬼を分けるだろう。だから、冥銭を焚く事は幽霊に助けられない。幽霊は此方に冥銭を焚いたから、利益を得られると思って、此方に来たが、幽霊は取られないから、毎年に来ている。

なお、多くの所は信衆に灯を点させる。電話をかけて、灯を点して、1200元をかけると一年間に守れる。このような安いことがあるわけではない。平均一ヶ月に100元しかかかる。現在100元であれば、価値がある物を買えない。寶吉祥道場では灯を点せず、全ては綺麗である。最初リンチェンドルジェ・リンポチェもこのやり方が別の道場と違うから、余りに目立つではないかと配慮したが、その後仏経を読んで、仏が皆にこのような事を教えなかった。更にその後に中国で百年以上の寺も高い塔を設立せず、信衆に灯を点して、平安を求めないのを見るから、リンチェンドルジェ・リンポチェは尚更にこの方向が正しいと確定した。仏経に教えない事はンチェンドルジェ・リンポチェは行う勇気がない。

今日修める法は施身法であり、チベット語で断ちと言われた。何を断つだろう。三悪道を輪廻する苦しみを断つ。人は何故輪廻しているだろう。それは煩悩を起したから。何故煩悩が有るだろう。それは貪、瞋、癡が有るから。何故貪、瞋、癡が有るだろう。それは無明である。無明とはそなたが思った分からない或いは怒り、腹を立てるとは無明だと言わない。多くの人は彼が無明を起すと怒ると言われたが、この意味ではない。それは無明があるから、貪、瞋、癡が有り、貪、瞋、癡が有るから、感じを起して、我執がある。だから、煩悩を起した。煩悩を起すと、苦しみを連れて、輪廻に堕ちる。

施身法は密法の八大成就法の一つであり、チベット女ヨーガ者マジラ尊者は《大般若経》の精神により、創られた。密法、ポワ法、観想を含めて、空性の慈悲を証すれば、この法を修められる。若し空性の慈悲心を証しないと、この法を修めても成就を得られない。また、ヨーガ部と無上ヨーガ部を修めなければならない。施身法は観世音菩薩を本尊として、観世音菩薩はそなたたちが思ってある国の姫ではない。それは民間伝説である。観世音菩薩は古仏であり、再び転生した。古仏とは現代人類文明時代に現れる仏ではなく、現代人類文明前に現れた仏である。観世音菩薩は既に仏の果位を証したが、大慈悲心を発したから、再び菩薩の姿が現れて、衆生を済度した。我々も観世音菩薩が大無畏菩薩を呼ばれて、何も恐れない。それは空性慈悲心を修める人は傷付かれる気持ちを恐れない。衆生を助ける事は何より大事なので、衆生が自分を傷付けることを感じるわけではないだろう。

施身法を修める修行者は法を修める時、自分の体を甘露に化したと観想し、餓鬼道、地獄道の衆生に食べられた。この衆生が入った時、自分が生前に最も大好きな食べ物を見た。しかし、彼達が食べたのは甘露であり、彼達の貪、瞋、癡を除いて、彼達の心を清浄すれば、彼達は始めてその後開示された仏法を聞かせる。法を修める時、修行者は身につけている聖物、護輪、仏像など一切守りを全て取り外さなければならない。施身法を済度された亡者は若し生前に仏を学ばず、修行しなく、尚更に仏法を接触しないけど、亡者の子孫は懇切な心で祈れば、せめて彼を助けて善道に行かせて、最高なのは天道に行ける。若し亡者は生前に修行があって、業はかなり軽いなら、彼を助けて浄土に行ける。特に鬼道及び羅刹を助ける。

「超度(日本語:済度)」について、超とは輪廻の苦海から救って、度とは彼岸に済度する事である。《大蔵経》に記載されたが、亡者を助けて済度すれば、七分の六の功徳はそなたの物であり、七分の一は亡者に得られた。何故七分の一だろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは現場にいる出家衆に聞いたかどうかを問い、或いは仏教大學に嘗て学んだか。彼達は皆聞いた事がないと返事した。顕教の経典に確かに記載されない。また、釈迦牟尼仏が生まれたとき、何故七歩を歩いたか。此れは全て原因がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて慈悲に開示された。仏経に記載されて、仏が説かれた事、行った事は全て衆生に関わった。仏は全ての仏子を教えて、戒を守らなければならない。その中に一つの戒は不妄語である。だから、仏は必ず我々を騙さない。若し仏さえ信じないと、誰に信じられるだろう。

リンチェンドルジェ・リンポチェは密法を修めた後、やっと仏経に説かれた七分の一の原因を分かった。唯識宗から見ると、そなたたちに少し理解させた。人は目、耳、鼻、舌、身、意及び第七識末那識と第八識阿頼耶識が有る。目は好い物を見る事が好き、耳はいい音を聞くことが好き、体は心地良い服を着る事が好きである。それは目、耳、鼻、舌、身、意があって、外界に感じを持って、末那識に反応を起させて、続いて阿頼耶識に保存された。例えばパソコンのメモリーがデータを保存するようだ。だから、この七分の六はそなた達の目、耳、鼻、舌、身、意という六つの器官である。法会に参加すれば、我々の目、耳、鼻、舌、身、意を清浄で来て、我々に六根清浄させるから、七分の六は自分を利益する。唯鬼道の衆生は神識、即ち阿頼耶識しか残さないから、七分の一とは鬼道の衆生の阿頼耶識の執着である。だから、亡者は七分の一の利益を得る。此れは顕教の説法であり、若し密法であれば、気脈から解釈する。この部分は言えない。

そなた達は密法がとても神秘的だと言われただろう。何故言えないだろう。密法はとても神秘的ではなく、例えばある小学生は大学の教授から教えた物を理解したいように、分かられるだろう。大學の教授は小学生に自分が学ぶ事を理解させるだろう。小学生にとって、大學の教授が学んだ物はとても神秘的である。程度を達しないと、密法を伝授しなくて、公開に伝授しない。所謂法は六の耳に伝えない。

快楽と痛苦は如何なる起すだろう。まずそなた達が起こった。第二、そなた達の一念である。念の執着は快楽及び痛苦の違いを分ける。リンチェンドルジェ・リンポチェは幼い頃から、芋が好きではない。リンチェンドルジェ・リンポチェの母はリンチェンドルジェ・リンポチェに芋を食べさせると、嘗て食事した時芋、ご飯、生卵だけリンチェンドルジェ・リンポチェに食べさせた。結局リンチェンドルジェ・リンポチェはご飯と卵だけ食べて、芋を食べなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が何故芋を食べない事を分からない。第二回の閉関修行した時やっと分かった。リンチェンドルジェ・リンポチェは過去世に嘗て雲南にいた。雲南は今までも相変わらず現代化ではない所である。古代の雲南は尚更に貧乏であり、あそこの主食は芋ととうもろこしだった。だから、当時リンチェンドルジェ・リンポチェは食事した時全て芋を食べて、飽きた。だから、この感じはこの世に保存している。とうもろこしもあって、リンチェンドルジェ・リンポチェも余り好きではない。昔台湾或いは香港に於いて、映画を見る時焼きとうもろこしを食べる事を流行っている。たとえ同行した人は買っても、リンチェンドルジェ・リンポチェは最も多いのは二口を食べた後、もう食べなかった。ある一回リンチェンドルジェ・リンポチェは閉関修行した時、食事殆どじゃがいもがあって、リンチェンドルジェ・リンポチェも食べなかった。だから、長く間に腹がすいた。しかし、閉関修行は体力が必要があるから、最後食べた。この執着の感覚もリンチェンドルジェ・リンポチェに苦しめた。だから、我々は好きな食べ物や嫌いな食べ物でも全て過去世に関わり、過去世に残った印象である。我々は一世に経って、隔陰迷があるから、忘れた。しかし、この執着心が相変わらず存在している。だから、此の世にそなたが好きな物や嫌いな物は全て因果である。

多くの人は死亡を話す事を禁忌して、仏を学ぶ事は迷信だと思った。リンチェンドルジェ・リンポチェはある弟子の妹はこの弟子が迷信だと思った。多くの人の家族は「余り迷信しないで」と言った。実はリンチェンドルジェ・リンポチェは今までこの弟子に全ての資産を供養するのを指示されない。この弟子も自分が部屋を持っているが、リンチェンドルジェ・リンポチェもこの弟子に部屋を供養させない。そうすれば如何なる迷信と言われるだろう。事情をはっきりに分からないのに勝手に言えば、仏を誹謗する。実は迷信と言えば、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは本当に信じている。リンチェンドルジェ・リンポチェははこの世界に仏菩薩がないと、人類はもはや存在していないと深く信じた。それは人類は多くの悪を行ったから、若し仏菩薩の慈悲な済度がないと、人類は本当に引き続きに世間に生きられない。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法のいい所を分かって、仏法の利益を貰ったから、若しそなた達に伝えないとそなた達に謝った。今そなたたちに知らせて、そなた達が信じないとそなた達の間違いである。

この時道場の中にある者の携帯電話が鳴いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは申された:子供の喧しさであれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは受け取るが、携帯電話の鳴く音なら、リンチェンドルジェ・リンポチェは受ける事が出来ない、修法する時、この金属の鋭い音はとても良くない。嘗て一回リンチェンドルジェ・リンポチェは亡者のため法を行った時、この亡者の娘はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した弟子で、もう1人彼女の兄に誘った道士は側で鈴を揺れて、経文を読んだ。亡者は金属の揺れ鈴音を聞くと心の中に良くない考えが起きられて、幸いにリンチェンドルジェ・リンポチェは早速人様に彼を止めるため電話掛けさせて、ひいてはこの亡者に害をした。我らは是非覚えておき、人が往生した時、24時間前彼の側にいて、是非こんな声を出さないで、人が往生した時、こんな声を聞くとまるで雷したのである。この時携帯電話はまた鳴いた、リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて仰った:「そなた達は必ず自分が忘れたと弁解する」本当にこんなに忙しければ法会に参加しない。一般の者は重要な場所に着いたらまず携帯電話を消して、そなたは敬う心で法会に参加すれば、忘れるわけがなく、だから解釈するな。

リンチェンドルジェ・リンポチェは因果を深く信じて、そなた達は全部因果を信じると言ったが、通常只大きい事そなた達はやっと因果を信じた。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェは現在の果位を修め得ても、どんな細微な少しの因果に対して全て大変慎重に気をつけて、不注意で悪の因を植えるのを深く恐れた。実は全ての事情は全部因果の現れである。例えば、他人の許すを貰わずに勝手に他人の物を取って即ち盗むだ。公務員は貪欲で他人のご馳走を受け取るのも盗を犯した。日本では公務員は例え公務で人様に一杯コーヒーをご馳走させて、公務を討論しても全部罪をかかった。しかし、台湾では多くの者は一つ位の食事を取って構わなく、二次会の飲み屋でお酒を飲むのを引き続かなければ、貪ではないと思った。公務員として、既に人民の給料を貰って、どの立場で人様のご馳走を貰うか?因果の考え方を見ると全部盗を犯した。

世間には固定して変わらない事物はない、全て絶えずに変わっていて、これは無常だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは毎日分分秒秒自分の死亡のため準備していて、死亡が無常だと深く信じたから。同席の皆さんは自分が何時でも死ぬになるのを思わなく、自分が往生した後どこかへ行くかを考えない。≪地蔵経≫にはのせてあり、衆生の肉が食べ好きなら、死んだら地獄に堕ちる。自分が悪を作らないと言わないで、そなたは母親の胎の中にいた時、母親は栄養がないに恐れるため、肉を食べはじめて、母親は何か食べるとそなたは何か吸収した。生まれた後、また引き続いて肉食して殺生する。この一生にそなたが病気にかかって、家庭は仲が良くなくて、第三者がいるなど、全部因果が現れて、運がないと思うな。そなたは地獄へ行くことがありえないと思わないで、往生する前何ヶ月で苦しんでいるかどうかより往生した後どうなるかのをはじめ分かる。往生する前に一切の苦しみを受けて往生したのは既に地獄に堕ちる前兆が現れた。例え多くの医療の苦しみ、手術を受けて、カニューレ、此れあれをされてしまってやはり死んで、死んだ後地獄に堕ちるようになった。リンチェンドルジェ・リンポチェは1995年から衆生を助けて、死ぬ前苦しみを受けなくて安祥で往生するのを見た事がめったにがない。それで、ある信者は家族が病気にかかるためリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めに来た時、リンチェンドルジェ・リンポチェは相手の寿縁がそろそろするのを見ると相手に、もうこの一生の要求をしないで、未来はいいところへ行くように求めると勧めた。

同席の皆さん、ある者は家族が往生したばかりため、ある者は伴う者のため、法会に参加しに来た。どの訳を問わず、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達を捜しに行かず、広告も出さなくて、只今年の6月の大法会は一回広告をしたが、そなた達は全部自分が来た。そなた達は友達に来させて来たと言うかも知れない、しかし友人がそなたに来させてもそなたが来なくてもいい。こうして1,360人が一緒にこの法会に参加して、これは仏菩薩、そなた達の往生した親友及び冤親債主がそなた達を押して来たのである。またそなた達は過去世には嘗てこの密法法会に参加したと言える。同じ時間で千人あまりのため施身法を行って、坊間の道場には見た事がなく、あえてこうする者もいない。ひいては自分のご都合のため、金曜日に法会を催さないと言う者がいた。何故個人のため法会を挙げる事が出来ないか?リンチェンドルジェ・リンポチェは申された、そなた達は100万、200万を供養したか?リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達のお金を受け取らなくて、勿論リンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞くべきだ。どうして、こんなに多い者が一緒に法会に参加させたか?皆の心を集めて生まれた力が非常に大きい。

何故修法する前こんなに多く言ったかそなた達に正確な考えをあらせるから。もう疑い心があらない、リンチェンドルジェ・リンポチェは済度が出来るかどうか、あれはリンチェンドルジェ・リンポチェの事だ。リンチェンドルジェ・リンポチェはどう修め得たか只直貢チェツァン法王、仏菩薩がわかり、そなた達は疑う資格がない。仏経には載せてあり、人は中陰身にいた時、即ち鬼道にいた時、彼のサスセプティビリティは人類のより100倍強かった。彼は既にこの人身がない、もう目、耳、鼻、舌、身に影響されなく、この意しか残らなくて、それでサスセプティビリティは割合に強かった。この者は彼を助ける事が出来るか、済度してもらえるか、鬼道の衆生は良く分かる。リンチェンドルジェ・リンポチェは1996年から出て法を広げた時、直貢チェツァン法王がまだ好いと言わないので、リンチェンドルジェ・リンポチェはあの頃人様の頂礼を受け取ることが敢え無かった。人様がリンチェンドルジェ・リンポチェにご辞儀をするとリンチェンドルジェ・リンポチェは全部避けた。現在衆生に利益する事が出来て、リンチェンドルジェ・リンポチェははじめて法座の上に頂礼を受け取った。そなたはこんな能力がなければ、護法はそなたを下ろした。リンチェンドルジェ・リンポチェも現場の出家衆に注意させて、そなたは衆生に返す能力がなければ、随意に頂礼を受け取る事が出来ない、全部返すべきである。

そなたは今日法会に参加して、リンチェンドルジェ・リンポチェは全く値段を決めなくて、全く無料で、供養をするかどうかそなた達のご自由だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは1997年から施身法法会を行って、参列者の人数はますます多くて、今迄現在300坪の道場はまもなく入られない。またリンチェンドルジェ・リンポチェのお体の調子も一定のレベルを維持する事が出来て、それはリンチェンドルジェ・リンポチェが如法で衆生に利益するとの現われである。

一週間前の週末一人女の信者はリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れた。この女信者は漢方医学の医者で、彼女の夫は最初リンチェンドルジェ・リンポチェを信じなくて、只遠くて後ろに跪いた。その後、彼女の夫はリンチェンドルジェ・リンポチェのご開示が面白いと思って前に来た。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの夫がとても腕白と分かったので、この女信者にリンチェンドルジェ・リンポチェの脈を取らせて、女信者は脈を取った後ビックリした。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に60才あまりの高齢なのに、脈により返って僅か30才位のである。リンチェンドルジェ・リンポチェは頭を回して、あの男信者に仰った。彼の年齢は40才位で、彼の脈も40才くらいで、ひいてはもっと年取る。何故リンチェンドルジェ・リンポチェの脈はこのようになったか?それは仏を勉強したから、あの男信者もこのために信服した。

こんなに気をつけてそなた達を助ける者がいて、そなた達はもう疑い心があらないべきだ。後程修法する時、そなた達はどの目的に来たか問わず、そなた達は只懺悔心であれら苦しんでいる衆生の代表として法会に参加して、あれら必要なし雑念、妄念を下ろして、そうするとそなたの眷属も同じに助を得られて皆は全部衆生の中にいたから。衆生は各自の因縁により、過去世、この一生、未来世があり、どの容貌になっても全部同じな清浄な本性を備えて、即ち仏性である。人のお体はたくさんの違う元素で組み合わせて、ひいては多くの細菌が中にいた。そなたのお体の中に多くの衆生がいて、そのためもうこのお体はそなたに属すると言うな。そなたは法会に参加して、亡者を助ける外に、そなたのお体の中にの衆生も助けた。

最近、一部の社会のニュースにて、「親子はお互いに口論して、子が父を殺したり、父が子を殺したり、子供をとする人間は両親が自分の事を知らないので責めたりする事」を読められて、しかし、子供とするそなたはそなたの両親がどの位了解するのでしょうか?そなた達は身体が自分のだと思っていて、が、身体がそなたのだならば、そなたが腹が減らない事を制御する事が出来るのでしょうか?寝たい時に寝ないのでしょうか?回答が駄目である。寝たい時に「寝ないで下さい」を指示させる事が出来なかった。その上、身体の中には多くの寄生虫と細胞が居て、彼らが居ないなら、そなたも生きられないで、だから、身体がそなたのものでは無いで、執着する事が要らなかった。人間の身体は「業報身」である。そなたの此の世に、どんな仕事をするし、お金があるかどうか、何を発生するし、全て過去世でして、此の世に顕れてきた。そなたは此の世に何をすれば、そなたの未来世を影響させた。こんなに遠く事と言うまでも無いで、若者は如何に暮している事はそなたの子供時代から累積しているのようである。今、そなたがどのようにすれば、そなたがお年寄りになってから、知って始めた。一部の人々は若い時にできれば遊んでいて多く楽しんでいて、お年寄りになったら遊ばれないで、見えない事を避ける事を言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の若い時に回想して、殆ど遊んだ事がないし、ただ毎日に努力して勤めていた。現在、お年寄りになって、依然として世界の各国に至る事が出来た。実は、そなたがお年寄りになったら彼方此方に行けるかどうか、そなたの福報によるわけである。若い時に享楽にふけて福報を使って尽して、お年寄りになると病気に罹って苦しみを受け入れた。

累世の修行があるので、リンチェンドルジェ・リンポチェのこの世に現在の果位を修め出る事が出来て始めた。一部の人々は「自分の過去世にどのようにでしょうか」を聞いて、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王に自分の過去世を尋ねた事が無かった。そなたが尋ねる事とは因果を信じていなかった。一部の人々はリンチェンドルジェ・リンポチェの根器が良いので、遣り遂げられる事を話した。実は、各々の根器が同じで、ただそなたが決心するだけかどうを決めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは千人余りの弟子と多くの社員が居て、その上、幾つの道場があり、しかし、直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに閉関する事を指示させた時に、リンチェンドルジェ・リンポチェが何も話し無くて直に従った。リンチェンドルジェ・リンポチェは「一寸延びられるのでしょうか」を言う事も出来た。仏法は実際で修行する事により、加護を求める事ではなかった。加護を求める事が出来るならば、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ毎日に直貢チェツァン法王に連絡して、直貢チェツァン法王が8回目生れ変りの法王で、直貢チェツァン法王に加護を求める事が十分で、こんなに苦労して閉関をしたり、修行したり、法会を行ったりする事が要らなかった。なぜまだ閉関したり、修行したり、法会を行ったりするのでしょうか?此れは自分に依らなければならないわけである。仏法は外道の恐喝を使う方法をしないで、却って分析の方法にてそなたに事物の真相を教えさせて、そなたがするかどうか、決定権がそなたの方に決めていた。

そなた達が現在出来ないのは、因果を深く信じていないわけで、決心をしないわけである。そなた達は因果を深く信じているならば、言い方と遣り方が現在と極めて異なっていた。一部の人々は現在自分がとても忙しいので、仏を学ぶ時間がないで、学業を終ってから、結婚をしてから学んでいく事が構わないだと思っていて、此れは無常を深く信じていないである。実は仏を学ぶ事が待つ事が出来ない、仏を学ぶ事がいまから開始する事が必要、結婚してから相手にゆっく変わらせる事と思っていて、そなたが相手に変わらないで、却って相手にに変わられる可能である。

《心経》は恐れが無いと云われた。何故恐れていないのでしょうか?此れは因果を深く信じているわけである。一切が果報の顕れを知っていて、受け入れるなら問題が無かった。一部の人々は鬼を恐れて、此れが慈悲心がないわけである。自分の良いものを相手に与えられるならば、彼がそなたに傷害させる事をまた恐れるか?リンチェンドルジェ・リンポチェが施身法を修める時のように、自分の身体を甘露に化けて鬼道の衆生に食べさせて、何故傷つけられることを恐れることができるだろうか?

それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な施身法を修めて開始していた。

修法を完了した後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参列者に真っ直ぐな座らせて、そして尊勝である直貢チェツァン法王から与える貴重な人足骨の法器を以って、衆生に慈悲深く加持させた。リンチェンドルジェ・リンポチェが過去に開示した事があり、此の法器を衆生に加持する事は、実はリンチェンドルジェ・リンポチェの自身の福報を衆生に与える訳で、だから、参列者が極めて感謝し、口を揃えてリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、その上、自分が上師の恩に応える事が出来なくて、却ってリンチェンドルジェ・リンポチェに絶えずに世話して加持してくれる事を懺悔した。リンチェンドルジェ・リンポチェが続けて開示し、此の加持を通して、そなたの衰気、穢氣、怨氣、良くない気を全て吹いて行って、そなた達が出てから肉食をし続けるならば、それでは、此の加持がそなたに無効になった。

そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは下記のように開示させた。先修法した時に「血池地獄」を見て、つまり過去世或は此の世に堕胎した事がある者が此の地獄へ行けて、堕胎した者が落ちる事だけではなくて、堕胎薬を販売する者も地獄に落ちていた。堕胎した者はこの世に病気に罹り易くて、求める事を順調ではなくて、眷属を円満ではなくて、死後で地獄に堕ちていた。現在の女の子は何故子宮筋腫に罹る事が多いのでしょうか?此れは多くのセックスフレンドが居て、或は前世に堕胎した事があったわけである。一部の人々は妊娠していた時に健康検査をして、胎児が健康ではない事を発見してから、医者に堕胎させられる事を100パーセントで要求し、1、2ヶ月ぐらい妊娠して、胎児が形を具えていなかったので構わないだと思っていて、堕胎してしまった。実は、受精した瞬間に、神識が既に入って、これらの神識が入るのがそなたと縁があったのである。リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子の中に一部の人々が検査を受けてから胎児が病気がある事を発見し、例えばダウン氏症候群などで、リンチェンドルジェ・リンポチェにどのようにする事を伺いを立てて、リンチェンドルジェ・リンポチェが「因」を知っていたので、彼らに真に問題を解決するように助けられて、だから全て子供をとってしまっていないで、結局、彼らが生まれた子供がすべて正常で、とても正常である。仏経いは水子を祭って、水子がそなた達に影響させる事を記載された事が無かった。そなた達は今日済度してから無事になって、自分の生活を続けて放縦する事を思ってはいけなかった。済度とはただ往生した子供を助けて、そなた達の間の憎しみと罣礙を消えられた。そなたが堕胎する事はある悪業をして、悪の果が依然としてあって、ただ味が変わって、そなたが依然として続けて努力して仏を学ばなければならなかった。もしこの事をした果は此の故に無いならば、それでは、今日法会に参加する善果も無かった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは「今日、法会に参加した事があるので、悪果を成熟している前に、暫く時間があってそなたに努力して仏を学ばせてこの果の味に変わられた」と諭した。実は、仏経に記載された事がある。そなたが悪業をしてから、そなたの福報を減られて、此の減りのが「2-1=1」ではなくて、却って「2-2=0」に成って、そなたの福報が再び累積して精進で仏を学ぶ事が要った。一部の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼の為に病気にの治されて、問題を解決して、彼も唱えた事があり、礼拝した事もあり、この高慢な心が生じるなら、本来の累積する福が停止する予定で、所謂精進とはとなたが一日中に幾らで唱えて礼拝する事ではなくて、そなた達が出家者ではなくて、毎日にこんなに多くの時間に掛かって読経して礼拝する事が出来なくて、却って絶えずにこの事を一心して、放棄しないえ、ずっとしていて、絶えずに上師から教えくれる仏法をしているのである。

そなたは良くない事をした時に、そなたの福報を速く減らせて、自分が今更に悪くないようにだと思ってはいけないで、命がまた生きていて、それがそなたが残った餘福である。福報とお金が同じように使って終られて、しかし、同じように儲けることが出来て、そなたが清浄心を以って法会に参加し続けるならば、自分の為に福報を累積させて、仏法を聞いて、自分の問題を変わらせるのである。

一部の参列者は自分の相手或は家族のため今日の済度法会に参加し、そなた達が今日法会に参加してから彼らに済度してあげて、これからそなたと関係ないだと思ってはいけなかった。実は、彼らがそなたの恩人で、我々は仏菩薩、上師、衆生に一つの大きな恩に欠けて、仏を学んでから感謝して始める。冤親債主はそなた達の恩人で、彼らの関係の為、そなた達が今日此処に現れた。そうではないなら、そなたが早目に幸せに暮して、だから、彼らが感謝しなければならなかった。祖師のジッテン・サムゴンが説いた事があり、衆生の病気或は事柄が解決させられたら、自分が良くなっていると思っていて、幸せに暮して精進な仏を学ばないで、結局、問題が再度彼に見つけた。此処にこのような例を多く発生した事がある。一部の弟子は仏を学んでから、自分の病気に治し、彼が自分が治した事と思っていて仏を学ばないで、病気がまた彼に見付けた。寶吉祥の此の道場はそなた達に多くのストーリを見させて、そなた達に因果をはっきり現れる道場で、そなたに仏法を示す事を見させられた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは今日このような多く開示して、そなた達に此処に仏を学ぶ事ではなくて、此処では既に多くになった。リンチェンドルジェ・リンポチェは去年で尊勝な直貢チェツァン法王に既に2回目の退職を提出し、リンチェンドルジェ・リンポチェの年齢により、現在、ケンポスが仏法を広めるはずで、然し直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに退職する事を許さないで、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示が、現在、絶え間ないで仏法によりそなた達に爆撃させて、そなた達が聞き入れるまで、そなた達によく仏を学ぶ事を望んでいた。参列者は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を惜しむ事に口を揃えて感謝した。

そなたが仏を学びたい時に、もし家族の阻止があるので、暫く仏を学んでくる事が出来ないなら、そなた達の口で多く弁解する必要がない、が、自分の心の中にはっきり考えて、決心をしなければならなかった。家族が互い欠けるので、この世に家族になるわけである。冤親債主は全て家にいて、家族がそなたに菜食する事を阻止したら、吐けましょう。最初、リンチェンドルジェ・リンポチェが菜食する事をする予定が、家族も反対し、何回目で肉を吐いてから、家族も気持が悪い事を感じられて、菜食する事も再び阻止しないで、それでは、応対する食事も少し減っていた。そなた達は真に発心して仏を学びたいなら、必ず信心が必要、精進して一心して絶えずにし続けて、将来必ず遣り遂げる。もう一つ、自分を真剣で検視させて、家族がそなたに仏を学ぶ事が安心出来ないなら、自分が改正する事がまだで、家族がそなたに最も了解し、そなたが過去のように簡単で怒って、仏を学ぶ事がそなたに何か利益を見えないなら、自ずからそなたに仏を学んで続ける事を賛成しなかった。

時間が過ぎるのはとても速くて、今はすでに7月で、またたく間に、1年また過ぎて、私達はこの世に1年をまた少なくなった。一部の人々は「ある者は80歳まで生きていて、彼が長寿である」を言えた。何故長寿のでしょうか?生きている寿命が益々短くなって、短寿を言えるはすで、世間の人々が言う事が逆さまにした。今日、このように多く開示するのは7月分になるわけで、皆に正確な観念をあげた。

2011年7月30日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで、午後4時から夜9時20分まで、118名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

2011年7月31日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで長寿仏法会を主催して、かつ法を修めて及び真言を唱える功徳をすべて三恩根本上師–尊勝なる直貢チェツァン法王に供養された。

法会は始める前、まずある皈依した女弟子は尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女と家族を助ける事跡をともにした。彼女の母親は皈依した前、お体が余り良くない、又憂鬱症、糖尿病及び神経衰弱など慢性病があった。3年前の母親節前、彼女の母親は突然に家出して、あの頃この弟子は尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが母親を加持するのを観想して、思い掛けない、3日目の夜、彼女は尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主催施身法を参加して、翌日の朝、ちょっと彼女と妹と山の寺院へ尋ねる時、母親は電話をかかって来て既に病院で点滴をした。彼女はとても上師の加持を恩に着て、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子のお世話をするのではなく、家族さえも全部を世話した。

ある日彼女は退勤して家に帰って、母親は部屋の床板の上で腹ばいになったことを見た、急いで母親を支えた。階下の家主と隣家は全部彼女に母親が何度も躓いて転んで、何度も路の側で躓いて転んだと教えた。なるほど母親は多くの薬を飲んで、50何回転んで、一週間を経た後ははじめてしっかり立つことが出来た。彼女は大変恩に着て、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持で、母親は骨が全部折らなくて、肉体にも怪我がなかった。彼女はそれで母親にこれは全部尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を救ったと教えた。続けての3ヶ月、彼女は毎日朝母親を寶吉祥仏法センターへ連れて行って、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法照に頂礼した。これらの事を通じて、母親も尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲を感じた。母親は段々素食して、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに面会するのも申し入れて、皈依するのを願った。やっと2008年11月に皈依した。母親が皈依した時、娘として彼女は嬉しくて恩に来た涙を流れて来た。

母親は皈依する前、不眠症、頭痛、憂鬱、気持ちを押さえられない神経官能病状で、いつも一日の朝に3、4名の医者さんを見てもらう必要で、それに病苦は直ぐ消えると望んだ。上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の加持を恩に着て、現在母親は寶吉祥漢方醫学診療所だけで見てもらえば結構で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着て、衆生を憐憫して、寶吉祥漢方醫学診療所を設けて、同時に彼女も診療所のお医者さんと看護婦達のお世話を感謝した。母親は上師リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の教授と慈悲な加持を受けられると思うと、比較的に父親は往生する前医療と業力の苦しみを受けたより、彼女は懺悔する外に、恩に着るしか出来ない。

彼女は皈依してから今迄間もなく7年間、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持、保護を受けた事はさらに数え切れなく:覚えておき、リンチェンドルジェ・リンポチェが経営する日本食品店ははじめて売る時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に販売チャンスをやらせて、彼女は福報が薄くて、独り善がりに一部の計画書を書いて罰されて、青い法衣を着させた。青い法衣を着た後、彼女は自分を検討し始めて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにも懺悔した。上師は開示された:なぜ上師にあんなに信心がないか?信心は功徳の母である。なるほど、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に上師に対して信心の大切さを教えた。一回の日曜日の法会、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を呼び出して、彼女に3ヶ月内に10万回の百字明呪を読み終わらせた。彼女は大変恩に着て上師リンチェンドルジェ・リンポチェは絶えずに彼女を加持して、こんな恩情は彼女はどんな心で報いるか、彼女は深くて深くて恥ずかしいと感じた。

嘗て日曜日の法会、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを呼んで加持させて、翌日の夜、彼女の弟が心臓科の集中治療室に入って、心導管の手術を直に行って行った。彼女は医者に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を手術室に連れる事を頼んで、上師の慈悲深く加持に感謝し、弟が三日目で退院して、今まで一切がとても安定である。その上、弟が手術を行う時に、上の妹も痔の手術を行って、血が流していて止めないで、だから、彼女が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが同時に妹に加持させる事を考えている事を観想した。妹も一週間以降に退院し、現在もとても安定である。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深く加持に感謝した。

今年の初め、彼女と母は日本の「三十五仏懺」と「ブルバ金剛」の法会に参加した。法会の中には、上師から開示していた「今世の眷属が円満では無いなら、前世に殺業が重いので作った因のゆえです」を聞いた。嘗て、兄弟の情が深くて一緒に創業し、裸一貫で身代を築き上げて、今のところ、無理強いされて離れた。兄弟が離れる苦しみが彼女の仏を学ぶ道を啓いて、だから、顕教の精舎で暫く住んでいて、顕教の師父に従って多くて多くの『浄土五経』、『心経』、『法華経』、『金剛経』等の経典を唱えたけれども、心が依然として安定できなくて、事柄も解決出来ないし、ずっと路頭に迷っていた。ある日、精舎が放生を手配する予定していて、彼女の心は不安を感じしていた時に、一寸寶吉祥兄弟子の慧蓮師が精舎に帰って経典に還した。慧蓮師の転換を見てから、彼女は既に慧蓮師に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して、正法を学んで、生死を解脱する事を伺いを立てる事を頼んでいた。

皈依した後に、上師は彼女に多くの供養する機会を与えて、彼女に福報を累積させて、彼女の性格を絶えずに調整させて、傲慢、愚痴、不精で、独りよがりで、卑屈して尊大などの悪習を含めた。同時、彼女も懺悔し、上師が彼女に日本食品を販売する機会を与えた事があり、然し、彼女が心を尽して対応した事が無かった。皈依して以来、彼女は上師の「信心は功徳の基礎です」、「仏を学ぶのは必死な決心を持たなければならないと因果業力の恐れを覚えている」という諄々な訓諭常に思い出していた。彼女は益々自分のちっぽけさを感じて、自分が何故用がある事を上手くする事が出来ない事を常に自分に罵らせた。何故彼女は母に彼女を栄にする事が出来ないのでしょうか?何故依然として輪廻して成就する事が出来ないのでしょうか?毎回、法会に参加し、迎えて鳴り響くことを耳にして、涙が全て自覚していないで流れておりて、上師の苦労を思い出して、彼女が穴があったら入りたいと感じた。だから、彼女は母と一緒に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見していて、懺悔する事を伺いを立てた。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに極めて感謝し、彼女に4月25日から、毎日の晩課の時に、道場で大礼派をさせられた。

毎日晩課の時に道場に来て、壇城に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を仰いで、彼女は法写真に向いて言った。「弟子は仏を学んで力を得られなくて、上師の山のような重い恩に対して、感謝の気持ちは言葉や文字で表れない。弟子は懺悔した。」

彼女は自分が上師の恩、父母の恩、仏の恩、衆生の恩に恩返しできない事を懺悔した。彼女は自分が心を起して念を動くと全て業であり、全て罪である事を懺悔した。上師が衆生のために苦労して痩せた姿を見て、毎週200名余り信衆を接見したのに、自分は上師の代わりに困難を共にして、苦労を分担する事が出来ない。彼女は深く懺悔を感じた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を憐憫して、聖地に閉関修行する時にただちに往生する事を思い出して、彼女は非常に気の毒を感じて、同時に深く懺悔を感じた。同時に彼女も懺悔して、累世多くの衆生を傷付けて、まだこの五濁惡世にいて業力に従って流れている。

二週間前日曜日の法会に彼女は心臓病の病因があるから、引き続きに心が痛い感じが現れて、晩課に大礼拝をした時、心がとても痛くて死ぬほどような痛かった。彼女は上師の法写真を仰いで、仏を礼拝できない衆生、手足が無い衆生、自分の母、全ての母、六道輪廻の衆生、無辺果てない虚空の苦難な衆生など思い出して、彼女は泣いた。彼女は自分に言って、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持があるから、自分は引き続きに礼拝しなければならない。晩課が終わった時になると、心が痛い感じも徐々に緩和して、今は既に回復した。

彼女はとても上師を感謝して、彼女に道場で衆生のために大礼拝する機会を与えられた。死ぬまでも仏を礼拝しても、彼女はまだ尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに頼れる。また、上師が心からの教戒を思いだして、耳に轟く雷のようで、今なお記憶に生々しい。彼女はとても懺悔して、虚空が尽くしても彼女は懺悔する誓いは永遠に尽かさない。彼女は懇切に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに求めて、衆生を憐憫して、自分の身口意の供養を受ける。彼女は懇切に尊勝なる直貢チェツァン法王と歴代伝承上師、諸仏菩薩に求めて、衆生を憐憫して、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを守って欲しい。弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに求めて、常に長くこの世に存在する。また尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの健康、法輪は常に転じて、仏法事業は永遠に広めて、長く続けると祈った。

続いて他の女弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが何回も彼女を救った事跡を報告した。彼女は九歳の時風邪のせいで慢性リウマチ性心疾患に罹った。学生時代に嘗て二年を休学した。2007年尚更に酷く風邪を引いて、病状が酷くなった。主治医は早めに心臓手術を受けなければならないとアドバイスした。そうしないと手術できない機会時まで待たないで。あの時彼女は本当に迷って助けを得られないと感じた。彼女の夫は彼女のために彼方此方に神を求めて仏を聞いた。彼女たちは最も助けを得られない時、ある兄弟子の紹介で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。また、夫は請求したから、日曜日の共修法会及び施身法法会に参加できる。同時翌年の一月にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できた。始めて皈依した時、自分が「貪、瞋、癡、慢、疑」が重すぎなので、悪念は引き続きに現れた。何回もリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しても、自分の悪業が重すぎで、更にリンチェンドルジェ・リンポチェに敬わない考えを起したから、約四回頃彼達の番になると、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは法席から降りた。如何しても上師に会えない。ある一回彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を助ける開示に感動されて、心の中に雑念が無い時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁できた。彼女はとてもリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを感謝した。皈依してから、間もなく再び病院に戻って心臓の検査を受ける時、心臓の性能が上がる以外、膨らみ心臓も明らかに小さくなった。彼女は医師に仏法の助けを伝えた。医師さえそれは可能性があると認めた。

同時に彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及び尊勝なる直貢チェツァン法王に懺悔して、今まで彼女は教えに従って奉じなくて、改めなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に無数な生活に関しての仏法を教えたのに、境界になると、彼女は相変わらず我が道を行き、全ての事は自分の利益を第一として考えて、尚更に常に独り善がりした。2010年4月彼女は家で椅子から転がって、右足のかかとを傷付けたが、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を感謝して、彼女の傷は唯骨に僅かなひび割れだけだった。寶吉祥漢方薬診療所の治療を受けて、早めに一ヶ月からニヶ月間に治った。全ては自分が教えに従って奉じなく、殺業は重すぎだから。同年五月から始まって、彼女の心臓はまた悪い状況を感じた。心拍が速くなって、100回余り、心悸の頻度も頻繁になった。同時に排尿もうまく出来なくて、月経過多また長く続けている。酷く貧血なので、心臓は必死に動かなければならない。10月の時に状況は本当に悪くて、ある時横たわっても呼吸できないと感じた。この時病院に受診された。考えられないのは彼女は医師に救命救急センターに送られた。救命救急センターになると、尚更にICUに送らなければならないと知らせた。それは水曜日の午後に病院に来たが、金曜日にリンチェンドルジェ・リンポチェは主法する施身法法会があるから、彼女は引き続きに必ずこの法会に参加しなければならないと考えていた。だから、唯医師に頼んで病床を手配した。ある兄弟子は彼女が入院した事を聞くと、熱心に病院に彼女を見舞った。彼女のために予約して、土曜日にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する。だから、彼女は医師に伝えて、自分は金、土、日曜日3日とも休みを取って外出しなければならない。医師は元々彼女の安危を心配したが、彼女達の堅持なので同意した。元々彼女の心拍は130回以上があったが、病院で投薬したけど、金曜日に彼女が病院を離れて道場へ法会に参加する前に心拍はまだ100回くらいだが、法会が終わって病院に戻ると、看護婦は真剣に彼女の心拍及び血圧を測った。この時彼女の心拍は不思議に78回まで下がった。

今回入院したけど、彼女は早めに月曜日に退院できた。入院期間にリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を持って、病室に置いた。医師さえ上師の由来を尋ねに来た。本当に医師に医学が出来なくて、仏法が出来て殊勝な事を見せた。土曜日彼女は道場にリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に何故酷く貧血になった事を開示された。それは彼女は昔鶏を殺して、瀉血したから。また彼女に指示して、漢方薬を飲んで体を調理する。彼女の貧血は寶吉祥漢方薬診療所の漢方薬及びリンチェンドルジェ・リンポチェは衆生のために大粒であり、天然で貴重な枸杞を食べた後、大きく改善を得られた。昔彼女の唇は黒色だけど、今は既にピンク色に変わった。彼女はとてもリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、貧血を治療するために最もいい漢方薬も用意した。

若しリンチェンドルジェ・リンポチェが再び提示しないと、彼女は如何なる自分の罪はとても重いのを分かっただろう。昔まだリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する前、殆ど一週間に鶏を一匹食べた。また売り方に頼んで、すぐ殺せばかなり新鮮だから。彼女は自分は本当に悪業がとても重くて、海鮮を多く食べたことだけではなく、肉も同じだ。自分が多く食べた事を考えると、如何なる返済できるだろう。此処に彼女も既に往生した両親を代わりに懺悔して、両親は生前に牡蠣を養殖して、農業を勤めたから、無数な衆生を傷付けた。だから、彼達は往生する前に本当に苦しみを多く受けた。父は長年に腎不全に対して血液透析を行った。その後心臓主動脈剥離のせいで往生した。母も苦痛があって、後にもアルツハイマー型認知症に罹って、長年の気管支喘息が発作して、気管切開を行って、最後遅延性植物状態になって一年から二年後往生した。若しリンチェンドルジェ・リンポチェがないと、彼女は彼達はまだ苦しみを受けるかもしれない。彼女はとてもリンチェンドルジェ・リンポチェの済度を感謝して、彼達を助けていい所に行った。

同時に彼女はとても尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、彼達一家三人-夫、自分、子供、二番目の姉の娘は7月18日に祥楽旅行社の手配に従って、昆明、麗江、香格里拉、曹渓寺及び西山龍門など場所に旅行した。出発前に天気予報は強い台風があって、データも殆ど毎日雨が降ると現れた。しかし六日旅行の中に偶には1日から2日まで僅かな霧雨に遭った。ある一回に激しい雷雨と閃電があったけど、深夜なので完全に昼のスケジュールに影響されなかった。香格里拉にいる時、彼女達は海抜4600余りメートルの玉龍雪山に到着した。朝に玉龍雪山に行って、天気は予想以外によく、全ての山の景色は目の前にいた。彼女のような心臓病に罹った人はこの世に夢でも自分がこのような綺麗な高山に来られた事を考えられない。更に高山病などちっとも起こらなかった。若し尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持及びアチ護法の世話ではないと、出来ない。

皈依してから三年以来、彼女はいつも自分がしっかりに行わないと思った。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を諦めなかった。始めてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に開示された。「此の世にリンチェンドルジェ・リンポチェに出会って、若ししっかりに修めないと、今後機会が無い。」ある一回にリンチェンドルジェ・リンポチェに求めて、彼女の他の家族を助けて、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学ばせる。リンチェンドルジェ・リンポチェは尚更に彼女を開示されて、彼女がよく行えば、彼達は自然に連れに来る。彼女はとてもリンチェンドルジェ・リンポチェの開示及び教えを感謝した。彼女は此の世に必ずしっかりにリンチェンドルジェ・リンポチェに従って、真剣に仏法を学んで、自分が累世から残った悪い習性を修正する。最後彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに祈って、彼女を助けて、此の世に因縁福報を累積させて、生死を解脱させて、再び輪廻の苦しみを受けない。尚更にリンチェンドルジェ・リンポチェ及び直貢チェツァン法王にご健康、法輪は常に転じて、常に長くこの世に存在すると祈った。

法会が始まり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは法席に昇った後、開示された。今日長寿仏法会を行う。長寿仏を修めるとは今日は特別な日々であり、つまりリンチェンドルジェ・リンポチェの恩師尊勝なる直貢チェツァン法王の誕生日である。だから、直貢チェツァン法王の許可を貰って、リンチェンドルジェ・リンポチェは今回長寿仏法会の功徳を直貢チェツァン法王に供養する。そなた達は法会に参加するから、自分は今日長寿仏を修めると思わないで。そなた達は直貢チェツァン法王のために法を修める資格がない。唯リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達と一緒に直貢チェツァン法王に今日長寿仏法会を供養して、直貢チェツァン法王に長くこの世に存在する事を祈る。それは衆生を利益できるから。そなた達のように在世する時に悪を行い、人間に災いを残す。仏は三つの身があり、化身、報身、法身である。長寿仏は阿弥陀仏の報身仏である。化身は一般的な凡夫を助け、報身は既に菩薩果位を証した修行者を助け、法身は仏果を証した。長寿仏は顕教に於いて修めなくて、チベット仏教に於いて、常に修めている。直貢チェツァン法王は嘗て言ったが、チベットで長寿仏を修めれば、必ず多くの人が参加に来る。一方漢地に於いて、財神法を修めれば、多くの人は参加に来る。これから見ると、漢族は蔵族と民族の性格の差異を見られる。チベットに於いて、平均年齢は約50歳なので、長寿仏を修める。チベット人平均の年齢は50歳だから、チベットの伝統は40歳の時に上師は弟子にマニ車(転経器)を送る。それは弟子が此の世に生きる時間が少なくて、真言を唱える回数は足りないのを恐れるから、マニ車を通して、真言を唱える回数を増えると望んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは40歳の時に直貢チェツァン法王も伝統に従って、リンチェンドルジェ・リンポチェにマニ車を送った。

長寿が欲しいのは仏を学ぶ時間がもっとあるため、そなたに未完成なことを完成させるのではない。生きている時福報を多く蓄積して、自分を放任しないで、若い時放任しないと年を取ると放任する体力がないと思うな。そなた達を見て、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に年を取ったが、体力はまだ非常に良くて、3日間続いて法会を行って、信者を面会して、金曜日1360人あまり参加した施身法を催して、昨日また百あまり信者を面会して、今日も1100人あまり参加した法会を挙げて、若い頃放任しなくて、福報を無駄にしなくて、年を取ったら役に立った。そなた達は年を取ると遊びが出来なくなったのを心配して、若い時一生懸命遊んで、実は、若い時費やさなければ、年を取ってもやはり使える。

仏法と他の宗教と全く同じではなく、仏法は完全に心を説いて、そなたの身、口、意を述べる。そなたは心の中に何を考えるか知るものがいないと思わないで、自分が言い出さなければ、天も、地も、上師も分かる事が出来なく、構わない。地蔵菩薩は嘗て仰った、凡夫は心を起きて念が動いて、全て業で、罪である。だから上師はある時公然とそなたの行為或いは考えの間違いところを指して、直ぐそなたを非難した。そなたは只一言を言い間違ってこんなにひどいかと思ったかもしれない、実はそなたは念が動くと波動があり、まったくの空虚が全部知った。顕教は理論を説いて、只理論を分かったが方法が分からなくて、やはり他人を助ける事が出来ない。リンチェンドルジェ・リンポチェは以前多くの経典を読んだ。先程出て自分の考えをともにした弟子も以前多くの経典を読んだが、どのように仏法を実践するかやはり分からない。経文をよく読んで修行していると思わないで、心がやり直さないと、多く読んでも只人天福を修めて、力が出られなくて、心性が現れた時、全て読んだのははじめて効果が生まれて、全部読んだ福はこの世に使う事がやっと出来た。

金曜日施身法を修めた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは時間が足りなくて言わなかった。当日修法した頃、リンチェンドルジェ・リンポチェは多く手、足が切られた、頭がない衆生を見た、誰か法会に連れてきたのが知らなかった。昨日答案が出来た、ある弟子の夫は飛行機の機械士で、リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に昨日施身法法会の中に飛行機事故のを考えたかと聞いて、彼ははいと答えた。彼は働いた航空会社は数日前一台の貨物機は南韓で事故があって、飛行機上のスタッフは死亡になった。彼は只法会に参加した時この事故があった飛行機を思い出して、これ等の衆生が来てしまった。

法本の中に述べた、長寿仏を修め得た行者は非時で死ぬ事がない。所謂非時而死とはもともと死ぬべきではないが突然に死んでしまって、交通事故、間違い薬を飲んだ、手術し間違ったとかこれ等を全部含んだ。そなたは何時も悪念を起こして、悪念の力は蓄積してそなたを影響する。そなたはいつも善念が起きれば、善念の力は集まっても大きい影響する。一つの考えは構わなくと思わないで、心念が動くと全宇宙では全部この信号を残って、長い時間後、こんな業の力は始めて消えた。そなたは良く悪念を起こせば、悪業の力に影響されやすくて、逆もまた然りだ。現在の科学家が既にサンスポットと太陽あらしを証明したようで、全部地球上に生まれた我らに影響を引き起こすが、これ等は目が見えないことで、しかし全部われ等を影響している。

そなた達今日の法会に参加しに来て、全部累世の因縁で、そなたが来たため、諸仏菩薩と上師がはじめてそなた達を助ける事が出来て、今日の法会がはじめてあった。そなた達は来なければ、諸仏菩薩と上師も法会を行ってそなた達に利益する事も出来ない。そなた達が来て、諸仏菩薩と上師がいなければ助けを受ける事が出来なくて、だから三方面の中に一つを欠けてもいけない。前何回法会の中にリンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に開示された、法会に参加する動機がとても重要だ。そなた達は自分の病気、家庭或いは事業のため来て、何回を参加して、そなたの要求に達しでないと感じて、離れる事になった。こうになったのははじめから動機が正しくなく、まるで前話した施身法のこの事、この機械士が事故があった飛行機を思い出さなければ、あれらの亡者も来なかった。上師と諸仏菩薩はこの願力があって、あれらの亡者は来ても済度を得る事も出来なかった。上師と諸仏菩薩の願力と能力によって、かれらは施身法法会の中に済度が得る事がやっと出来た。

密法は唐朝時中国に伝えて来たので唐密とよばれて、漢密はない、しかし唐密は現在既に失伝してしまった。唐密はその後日本に伝えて東密と言われて、チベットの密法ならインドより伝えて来て、それで真の密法の伝承は唯蔵密と唐密に分けた。それよりそなた達は密を学ぶなら唐密でなければ東密であり、蔵密を修めるなら非常に厳しくてとても容易のではない。しかし唐密は多年を経てすでに失伝して、日本に伝えていったのは唯密法の中にの二つの部で、蔵密のみ、完全に密法四部の全ての内容を保留して来た。チベット仏教では多くの儀軌と顕教のと同じではない。密法を修め得るのはインドへある法王に伺って呪文を賜って戻って来たら密法と言えるのではない。大蔵経の中に載せてあり、根器でなかれば密法を伝授することが出来ない。密法を勉強したい者は法器でなければ、功徳福報を備えた上師は伝えることが出来ない。逆に、具徳な上師は密法を学びたい具格な弟子にあうと必ず密法を彼に与えなければならない、これは上師が全て守った三昧耶戒である。まるで身につけた腕前は是非伝えださなければならない。

あるテレビ番組の法師はインドへ直貢チェツァン法王に面会を申し入れて、すごく待ったが結局直貢チェツァン法王は彼に会わなかった。この法師はいつもテレビに噴水器でいたるところに水をかけて、甘露水を衆生に噴出すと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された、仏経には噴水して衆生を加持することが出来ると載せたことがない。また甘露水の意味は非常に深遠である。顕教では灑浄するなら、ヤノギの枝で撒くべきで、ヤノギの枝は水の中にの穢気を取り除くことが出来て、水を清浄させるのができて、密教では必ず寶瓶を使って、寶瓶は仏の三身を代表するため、こんな灑浄する過程を通じてやっと役に立った。仏経にはまったくプラスチック或いはガラス噴水瓶を使うことが出来るのを述べない、古代にはガラスプラスチック瓶がないので言わなかったと言うものがいたかもしれない。釈迦牟尼仏はもう3,000年前今日地球上に発生した多くの現象を全てすでに言い出して、例えカラス瓶或いはプラスチック瓶で甘露水を撒くことが出来る、仏経の上に必ず載せてあった。この法師は最近まだテレビで出て旗をあちこち振ってこれは密法ではなく、法本の中にはこうするのをのせてあらない。仏の知恵により、噴水器あるいは旗を利用することが出来るなら必ず書き出して、噴水器でいたるところに衆生に水をかけるのが出来るなら仏経の中に既に載せてあった。噴出すが出来るなら、昨年万人大法会が終わる時、リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなに辛くて、手で吉祥草束を持って一回に一回に絶えずに力を尽くして20,000人のため水を撒いて灑浄しなくてもいい、唯法座の上に一つの噴水器を持って皆に噴出せば結構だ。しかし仏経には教えないことはリンチェンドルジェ・リンポチェはする勇気がない。

密法の中に四部に分けた:事部、行部、ヨガ部と無上ヨガ部、東密の中に唯密法の中にの事部と行部しか残らない。そなた達はこの法を広ける者の功徳主であれば、彼に密法の中には何部があるか知るかと聞く資格がある。直貢噶舉の禅定法門大手印は禅宗と少し似ていて、しかし、大手印は禅宗の中にの黙照禅だと言うものがいて、あれは正しくない。こう話したのは彼は自分が大手印を修め得ないわけだ。直貢噶舉の教法は厳しくて大手印の修行は人心に直接指して、そなたに自分の問題を分からせる。

今日は旧暦7月1日で、リンチェンドルジェ・リンポチェはもう一度皆に注意させる:仏経には7月1日は鬼ドアを開けて、特に法会を挙げて済度するのを説かなくて、まさか他の時間には済度する必要がないか?鬼月とこんな言い方は実は市場の需求であり、あるところにはこの時期で商売が一番良くて、但しある特定な商売に限り、それで鬼にお辞儀するとのやり方も大力提唱して、皆は体得するべきだ。仏教は法会を挙げるのは鬼月のためのではなく、目犍連尊者は母親を救って悪道を離れて斎僧するゆえであり、そうして七月は親孝行月とする。

密法は特に神秘がないで、リンチェンドルジェ・リンポチェが常にあげる例のように、密法を修めない人に対して、密法が博士が学ぶ内容で、小学生に対して聞いてから分からないので、聞いたらとても神秘である。そなた達が小学生のように、博士に何を学ぶ事を尋ねて、博士が学ぶ内容を知りたいし、博士が解釈したいても、小学生が分かられる内容を説明しなければならない、リンチェンドルジェ・リンポチェがそなた達に与える開示のようである。

今日の法会、一方では皆はリンチェンドルジェ・リンポチェから率いて、直貢チェツァン法王に供養する機会があった。直貢チェツァン法王は一切な智慧と一切な戒律を具える出家者で、つまり比丘である。仏経には「ある戒律を円満する比丘に供養したら大きな福報を累積する事が出来る」を記載された。もう一方では、皆に長寿仏と縁を結ばせて、以降に仏菩薩の助けを貰えられるわけである。

多くの人々はリンチェンドルジェ・リンポチェに寿命が延びる事を頼んでいた時に、リンチェンドルジェ・リンポチェに自分の両親に助けてくれる事を祈って、両親の一生が好い人なので、このような病気に罹っていたべきではなかった。或は、両親は自分がこんなに早くて死ぬ事が出来ないで、子供の成長を見なければならなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェに対して、これらが脅しで、仏菩薩とリンチェンドルジェ・リンポチェに恐喝していた話である。自分が生きているなら善事をして、菜食する事を言う事などは仏菩薩に恐喝していたのである。子供の成長を見たくて、善事をする事により命に変わりたくて、全て自分の欲望である。もしリンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの欲望を満たさせないなら、彼らが慈悲ではない事を罵って、このような祈りが効果が無かった。

リンチェンドルジェ・リンポチェが長年で衆生に助けている過程には、偶には病気に治しても、そなたが生きているとは限らない事を発見した。多くの人々は病気が治してから、却って、他の原因で死んでしまい、寿命も福報の一部で、福報を尽かしたら、寿命も尽してしまった。多くの人々は福を尽すので、寿命があるけれども同じように去っていた。一部の人々は病気が治しても、甚だしきに至っては病気に罹らないでも、同じように去ってしまった。此れは福が無いわけである。だから、寿命がある以外には、最も重要なのは足りる福報が必要、これをそなたの此の世の暮らしを影響させた。

両親は私達にこの体をあげて、私達に人身を得て仏陀を学ぶことが出来で、我々が虚空の中にある一切な宝物を両親の恩徳に報いても足りないで、しかし、両親が我々に仏法を教導してくれないで、ただ上師の教導に依止し、この世に把握して仏を学んで修行して始めて、だから、上師が我々に与える恩が両親により大きくて、此れはただ上師だけで我々に助けられて、自分が過去にした業報と我々の未来に変わらせられた。我々が過去にした一切因は業報を発生する前に変わる機会があって、然し、上師の監督がないと出来ない、そなたが如実な仏の教導をして行けた。たとえ須弥山のすべての宝でも上師の恩に報いる事が出来ない、財供が最も小さいで、最も大きな供養が決心をして仏を学んで生死を解脱し、しかし、そなた達が財施でも遣り遂げなかった。チベット仏教の上師は何故極めて重要のでしょうか?此れは上師がわざとそなたに検討させて、そなたの間違いを見つけるわけである。上師の心はとても細くて、そなたの一つの間違いを見たら、そなた達に改正させて、そなた達に悪因をする機会をあげなかった。父母恩、上師恩、仏恩に報う事とはよく仏を学ぶ事である。

長寿仏の儀軌を進行して始めて、まず灯供をして、リンチェンドルジェ・リンポチェは壇城の主灯を点火して、そして、直貢チェツァン法王の法席の灯を点火して、ナンジュウ・ケンボスの灯を点火して、それから、出家衆の灯を点火した。引き続いてマンダをあげる儀軌を行っていた。

その後、茶供の儀軌を行って、参列者は「供茶文」を唱えていた。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を連れで長寿仏の心咒を長くて唱えていた。そして、薈供儀軌を行って、参列者に因縁福報があって上師と諸仏菩薩と一緒に供品を共有させていた。

リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲し、参列者に一人一人に壇城に上げて、リンチェンドルジェ・リンポチェが長寿仏の宝瓶にて加持させて、その上皆に甘露水と甘露丸を頂いた。

修法を完了してから、リンチェンドルジェ・リンポチェが続けて開示さえた。4人の弟子は壇城に上げて加持を受けていた時に、ふさわしくない動作をして、ある者が手を法机の上で置いて、ある者が甚だしきに至ってを机をしっかり捧げて、自分が加持を得られないことを恐れた。もう二人の男衆も同じで、手で法机を支えて、倒れることを心配したら壇城に上げて加持を受ける事しないで下さい。法机を触る事が出来ない事ではない、却って、これ等の者は心を前の人々何をしている事を一心に気にしないで、ただ自分の感じだけえ注意した。一部が長くて皈依していた者である。今日、1千1百人余りに法会に参加し、ただ此の6位だけで他人と異なっていて、利己的に前の人に如何にする事を注意しないで、自分の遣り方をしていた。これからリンチェンドルジェ・リンポチェに従って海外に教派の法会に参加する機会が多くて、弟子とする者が自分の言い方と遣り方を注意しなければならなくて、その上、法会の儀軌を注意し泣けばならなかった。そなた達が運が良いで、心がこんなに細い上師に皈依した。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲深くて、これ等の弟子にその場で大礼拜をして仏に礼拝する事を処罰させた。

その上、ある者はとても力を入れて頭をはぶつかってきて、加持を貰えない事を恐れて、リンチェンドルジェ・リンポチェが体力がいいのに、力を入れて宝の瓶を支えないならば、全ての法机がそなた達に倒された。その上、長くて真言を唱なて、鈴を鳴らし、金曜日の施身法が1千3百人余りが参加し、土曜日に1百余りの信衆を接見して、今日、1千1百3拾人余りの法会で、身体に耐えられて、歴代伝承上師と仏菩薩の加持である。多くの顕教の出家衆は衆生の為に業を担いで、そなた達が担ぐ事が出来ないので、このような話を言ってはいけなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェのようにこんなに多くの人々に助けて、彼らの気がリンチェンドルジェ・リンポチェの見に反発しないだろうか?多少があった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが消化出来で、顕教の出家衆であれば消化できないかもしれない、実は、そなたが真に教派の為、歴代上師と諸仏菩薩がそなたの身体の状況に支えられた。

この10数年の間には、リンチェンドルジェ・リンポチェは真に多くの衆生に助けて、だから、身体も多く消耗した。2007年、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに閉関させて、此れはリンチェンドルジェ・リンポチェが2007年の前に多くの人間に助けたが、リンチェンドルジェ・リンポチェの功徳がこんなに足りないで、福報功徳がそれらの程度に至らないで無理でこんなに多くの人々に助けるならば、ある魔王が嫉妬する為にそなたに去れる事をして、皆もリンチェンドルジェ・リンポチェが関房の中に少しだけで死んだ可能である。上師がずっと弟子に世話していて、此の弟子が何を需要する事を知るので彼に助けあげた。直貢チェツァン法王はずっとリンチェンドルジェ・リンポチェに見て、時間にいたる事を知っていたので、2007年にリンチェンドルジェ・リンポチェに閉関させた。その時、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェにはっきり言った事がないし、急にリンチェンドルジェ・リンポチェに閉関させた。今年も同じように、急に連絡が来て、リンチェンドルジェ・リンポチェに閉関する事を指示させた。

今日、直貢チェツァン法王の誕生日で、多くの他の道場が法生或は別の活動を選んで、リンチェンドルジェ・リンポチェが考えてから「法供養」のほうがいいので、直貢チェツァン法王の同意を伺いを立つと、今日の長寿仏が有って始めた。実は、台湾の環境は放生に適する事ではないで、前に所謂放生とは家に養う牛の羊などの動物を山に放生し、それらが本来草を食べて餓死する事が無かった。現在、鳥と魚と放生し、もしそなたが放生する魚がこの海域に適しないなら、おいてから死んで、そなたが却ってそれを害したのでしょうか?現在、都市の中で、放生の条件が無かった。これ等の多くの因縁と因果があって、そなたが置いた魚の中に、何匹がその業が既に報う時間に来たら、死んでからその業を完了し、結局、そなたがそれを何日目に遅くて死んで、その業を変えた。多くの人々は海に居て、人と人の間に魚を伝って、1桶1桶で引き続いて置いて、心の中に自分の手を経ると衆生と縁を結ぶだと思っていて、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示が「縁を結ぶ!悪縁を結んだ」である。真に放生とは衆生の命を殺さないで、殺生をしないで、心の中に「殺す」の考え方もないし、此れが真に放生である。

他人に7月に鬼扉はつける事を信じてはいけなかった。嘗て祭って、慰霊用の紙銭を燃やした事があって、現在、慰霊用の紙銭を燃やさないで、どのようになるのでしょうか?リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て慰霊用の紙銭を燃やした事があって、現在燃やさないで却って益々良くなっている。そなた達は慰霊用の紙銭を燃やさないでよくない事も貪念である。リンチェンドルジェ・リンポチェの日本食品の小売りにある職員は弟子ではなくて仏を学ぶ事もないし、毎回商売が悪くなったら、入り口まで塩を撒き散らした。これも会社のマネージャーがちゃんと管理していないためで、彼女に毎日に入り口に塩を撒き散らして、リンチェンドルジェ・リンポチェが急に小売りに来た事を思えないで、一切が知らせて、これにより護法が真に素晴らしいであった。リンチェンドルジェ・リンポチェはある弟子にこの事を開示して、此の弟子はその社員がこのようにして、会社のためによいはずである。リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で罵って、全ての事を鬼神によって因果を信じていない事をしてはいけなかった。会社の給料を貰ってから、ただどのように仕事を上手くする事だけで考えて、口実を見つけて会社の為に問題が鬼神をあげる事が出来なかった。商売が好いかどうか福報と関係があった。福報があったら、自ずから商売が良くて、商売が良くないでお客さんが来ないで自分の福報が少なくて、自分が一心して仕事でしないで、鬼神の邪魔ではなくて、此の認知がないなら、永遠に自分の事を反省出来ないで、永遠に仏を学ぶ事も出来なった。孔老夫子は「庶民を問わないで鬼神を聞く」を説いた。庶民が自分で、自分が善行をするかどうかを尋ねて、鬼神の面倒を探さないでください。

今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に連れで1千回の長寿仏の心咒を唱えて、今日の法会に参加した1千1百人にかけて、110万回目と唱えて、そなた達の此の世に此の数量を唱える事が出来ない、その上、皆が同じような心にて唱える因縁が真に珍しくて、このような力が真に大きくて、今日の功徳も大きいである。そなた達が済度したい衆生がすでに済度をもらえて、リンチェンドルジェ・リンポチェが法席にて説くのは真実語である。家に真に仏を学ぶ者が居たら、家の雰囲気も益々祥和になった。参列者は口をそろえて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。

2011 年 08 月 06 日 更新