尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ の法会開示

2011年1月1日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで、午後4時20分から夜10時20分まで、138名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

2011年1月2日

台北寶吉祥仏法センターの共修法会で、弟子と信衆は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが2003年05月25日に開示した2003年5月25日に説かれた「無常」「苦集滅道」「輪迴の意味」及び「地獄の苦」を恭しく聞いた。

法会が始まる前、ある男弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼を助けた経歴及び長年にリンチェンドルジェ・リンポチェに従って、自らリンチェンドルジェ・リンポチェが行った事を見て、彼に深刻な印象とその中に深い意義を報告した。この弟子は当年リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した因縁は子供を求めたのである。その後、寶吉祥仏法センターの一員になった。三年間に子供を二人生んだ。あれから、寶吉祥仏法センターは人が段々増えた。子供を求めた人も多くにいい結果を得た。子供を求めれば、子供を得た事について、表面に彼の願いを叶えさせたけど、この数年に経って、彼はとても重要な事を二件反映されたと思った。第一、リンチェンドルジェ・リンポチェの福徳の深さが現れた。第二、仏法の偉大である。仏法は如何なる偉大だろう。彼は仏法は本当に人が一生の苦しみを全て解決できると思う。勿論因果原則に合わせる下である。普門品に記載されたが、「若し善男子、善女子は常に観音菩薩を念じ恭敬せば、男の子を求めんと欲し、福徳・智慧の男を生む。女の子を求めんと欲し、端正有相の女を生む。」仏経に「誠に仏を学んで祈れる。」と記載があったので、当年彼は子供を求めた時、嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェに如何なるするのかと尋ねた。リンチェンドルジェ・リンポチェは簡単に仏を学んで見ようと開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェは今まで出来るかどうかを言わなかった。唯彼たちに機会を与えて、彼に仏を学ばせて見よう。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェの助け及び加持の下で、子供を求める願いを叶った。実は凡夫弟子は福徳があって因縁を変えるわけではない。しかし、弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェにどんな事を求めても、全てリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得た。リンチェンドルジェ・リンポチェだけ本当に深い福徳があるから、能力があって祈られる。凡夫弟子として唯リンチェンドルジェ・リンポチェの加持及び教えの下で確実に修行すれば、成就になれる。彼は自分の子供がリンチェンドルジェ・リンポチェの加持及び名前を賜れた事を感謝した。またリンチェンドルジェ・リンポチェに名前を賜れた兄弟子達は全て心の中に感謝の気持ちを持たないといけないと強調した。それは極めて殊勝な事であるから。

続いて彼は自分が見たリンチェンドルジェ・リンポチェの小さいストーリーを報告した。わずかな事を見えそうだけど、彼にとって意義が深く、印象は深く刻まれた。1998年尊勝の直貢チェツァン法王の指示でリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を率いてある委員会の式典に参加した。当時行列して登録した後すぐ贈り物を貰えた。贈り物とは六字大明呪を縫い込むTシャツとエコバッグである。当時リンチェンドルジェ・リンポチェは一番目を並んで、贈り物を貰うとすぐ後ろに並んだ弟子に送った。この行為はとても小さいだけど、意義が深かった。段々彼は生活の中にいつもこのような小さい貪欲が多くあったのに自分が感じなかった。当時彼は始めの考えは何故自分はリンチェンドルジェ・リンポチェの後ろに並んだ弟子ではない。そうすれば自分は贈り物が二つあった。その後、彼は自分の貪欲に対して非常に懺悔した。このような小さい事だけど、我々にリンチェンドルジェ・リンポチェが生活の中にいつまでも仏法を修行して、リンチェンドルジェ・リンポチェはわずかな貪欲でも持たない事を見せた。彼は仏子三十七頌を読むと更に気付いたが、貪欲に遭われれば、すぐ取り除かなければならない。しかし、我々は常にこの事を見落として、貪欲は唯大きい事だと思った。普通の人は簡単に給料が高い職位を断るが、それは名利を求めないという表現で、実は簡単に出来る。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは大きい事でも小さい事でも全て生活の中に仏法を実行している。

二つ目のストーリーは彼は寶吉祥仏法センターに入ったばかり、法会に参加した時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは法席に昇るとすぐ「仏法とは何だろう。実はとても簡単だ。若しそなたは運転した時人にぶつかる時心の中に私と相手の間の因縁だと考えれば、仏を習うのだ。」当時彼は聞くととても驚いた。此れはとても簡単な話である。仏法とは確実に簡単である。彼は聞いた後、当日晴れた日だが、彼の気分がもっと晴れた。

嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェと食事する時、男弟子達はレストランの入り口にリンチェンドルジェ・リンポチェを迎えて、リンチェンドルジェ・リンポチェは到着した時、入り口にちょうどある年寄りのお婆さんが立って、傍若無人な態度で入り口を妨げて、きょろきょろ見回した。弟子達は心の中に焦って、このお婆さんが速めに離れると望んだ。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の前に止まって微笑んで、彼女が離れるまでに待っていた、彼はとても驚いて同時に自分の先程心の中に起こった瞋恚に対して懺悔を感じた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこのような事に対して、ちっとも動揺しなかった。仏子三十七頌に忍辱を修めるとある。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、忍辱とは唯忍ぶ事ではなくて、無瞋恚の忍を修める。リンチェンドルジェ・リンポチェは忍を修めるだけではなく、無瞋恚の忍を修めていた。

リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも、尊勝の直貢チェツァン法王及び寺に供養することを発心している。嘗て始めて閉関修行する前にある弟子を指示して、自分の口座にお金を全部引き出して、尊勝の直貢チェツァン法王に供養した。弟子はこの事を聞くと非常に驚いた。当時リンチェンドルジェ・リンポチェは家族があって、家賃、経営したビジネスも費用を支払い必要が、リンチェンドルジェ・リンポチェは却って全てのお金を供養した。此れは全てを捨てられる大供養である。

一回でインドに巳年大法会に参加し、ある夜には、リンチェンドルジェ・リンポチェが一休みが要るので、弟子にお邪魔してはいけない事を指示させた。その時には、ある大ラマ僧がリンチェンドルジェ・リンポチェを訪問して来て、この弟子が依然としてリンチェンドルジェ・リンポチェに報告致して、リンチェンドルジェ・リンポチェが邪魔させられた事を怒った事が無いし、ただ直に弟子に接客の方法が有るはずで、直ちに大ラマ僧にレストランへお茶を召し上がるはずである事を開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ法衣を着てレストランへ行って大ラマ僧に会談しに行った。その後、会話しながら、リンチェンドルジェ・リンポチェはこのラマ僧に500ドルに与えて、見えて簡単であるけれども、皆が考えた事があるのでしょうか?我々であれば、500ドルが誰かがくれるのでしょうか。時には、人々は布施に対して、考えすぎて、例えば功徳が大きさであれば、より多くてくれて、平等である心がないのである。リンチェンドルジェ・リンポチェの布施は分別心があった事がない、如何なる思惟がない、自然である事である。

以前、インドにおけるジャランダルで法会を主催した時には、法会した後、インド人は全て列を作って壇城に上げてリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受け取った。この弟子はようやく何か「慈悲深い目で衆生を観る」事を見た。この弟子がインドに見る感じは何か自分の視点があるし、自分がそれらの人により高い感じがあり、然し、リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生に対する全て平等であり、その日にインド人を加持していた時には、ずっと満面に笑みを浮べていて、ただ衆生を済度を得て、救いを得るならば、リンチェンドルジェ・リンポチェがとても嬉しくて楽しんでいる。その日に、リンチェンドルジェ・リンポチェが極めて疲れたけれども、依然として手を高く上げて、一人一人で加持を済んで、その上、ずっと満面に笑みを浮べていた。この点について、彼に極めて震撼させて、自分の考えに対して深く恥じた。彼は、毎週の土曜日に、リンチェンドルジェ・リンポチェは全ての衆生を接見し、衆生を助ける時には、全てこのような平等心であり、如何なる言い争い或は何かを報いを求めた事がない。

それから、彼は自分の体得を提出し、供養は上師が弟子に福報を累積する機縁を賜ってくれて、弟子達は感謝心及び清浄な心を持っている事が要るし、供養が平日にするはずで、特別な事に供養して上げる事が要らないのである。彼は自分の例を挙げて、彼の娘は1ヶ月に咳き込んでいて治す事が出来ないので、娘を連れでリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して行って、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の娘の胸と背部に加持してから、娘が直に咳かなかった。その後ある会食した時には、彼と妻はリンチェンドルジェ・リンポチェが娘の咳きを治した事に感謝する事を表したいので、リンチェンドルジェ・リンポチェに供養する事を決意し、その上に、「リンチェンドルジェ・リンポチェが娘に治してあげた事に感謝致しました」と申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で「こんなに現実であるか」と開示させて、然し、依然として慈悲深く彼の供養を受けた。が、これらの弟子夫妻はその場で深く恥じた事を感じていて、特別である事に対して供養をして行くはずではない事を懺悔した。リンチェンドルジェ・リンポチェは供養を受けて、弟子に福報を累積する事を助けてくれて、貰う供養が同じで教派に供養して護持したり、多くの善行等をしたりするのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは道場と上師の護持が心を尽して、私的栄辱に言い争わない、然し、若しある者が直貢チェツァン法王、直貢噶舉教派或は道場に対して何か侵害或は良くない事をすれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが必ず立ち向かっている。嘗て、旧道場に居た時には、一回、法会が完了した後で、隣が文句を言って大喝して来て、兄弟子が向いて処理して、彼が道場の内に清掃し、ある者が立ち向かって処理して十分である事と思っていた。その後、一回の会食には、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子に「道場は物事があったら、後ろに篭って仕舞って、このようにすればどんなに仏弟子であるのでしょうか」と開示させた。その時には、リンチェンドルジェ・リンポチェも自分の物語で例を挙げて、嘗て、リンチェンドルジェ・リンポチェが顕教を学んでいた仏寺に、ある年の12月24日の法会、一部のキリスト教徒が仏寺に聖歌を歌って、その時に多くの人々が注意を払わないで、ただリンチェンドルジェ・リンポチェだけで立ち向かって、彼達にこのような聖歌を歌って、若し彼らの主が素晴らしいならば彼達に表現してくれる事と問い合せた。これらの人々を聞いてから、黙って引き上げていった。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法への堅持と護持、勇敢で立ち向かって、完全な自分の事を考えないで、賛嘆させられて、実には、此れもリンチェンドルジェ・リンポチェがずっと我々に教えてくれる事のである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の字引には恐れという言い回しが無い事を仰った事があり、仏を学んだ前にでも、一回で違法の銃で威嚇しても妥協しなかった。最初には、皆はリンチェンドルジェ・リンポチェが勇敢で死ぬ事を恐れないと思っていって、その後、リンチェンドルジェ・リンポチェが何故銃で威嚇してもドアを開けない事を説いて、此れは若し彼がドアを開けて、後ろには社長さん等の多くの人々を含めて全て死んでしまったわけである。この弟子は聞いてから極めて驚いて、リンチェンドルジェ・リンポチェがこのような勇気が自分のためではないし、他人のためであり、衆生のためである。此れはこの弟子が始めて聞いて、ある者が生命を他人のために犠牲し、自分の生命を犠牲する事が自分の何か考えではないし、依然として智慧があり、慈悲があり、此れは極めて偉大な事である。

最後、再び参列者に、多年前にリンチェンドルジェ・リンポチェが開示した仏を学ぶ事を具えるはず八つの心()を分かち合った。「信心、懺悔心、容赦心、寛恕心、感謝心、謙遜心、慈悲心、菩提心と成仏心」である。皆は感謝しなければならない、よく修行して行って、リンチェンドルジェ・リンポチェの一切の恩徳に報わなければならない。上師が法会に伝わってくれる仏法を除いて、我々は上師の身口意を学んだり、常に上師の恩徳を思ったり、常に上師のリンチェンドルジェ・リンポチェに恭敬する事を思ったり、常に上師リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生への慈悲を思ったりする事が要る。皆はリンチェンドルジェ・リンポチェが土曜日に信衆を接見する心がつまり皆が学ぶ実例のである。その上、強烈である信心を作って、上師が一切なする事は弟子と衆生に良い事を信じていて、一切な仰る事が仏法であり、一切なする事が衆生を済度する事を信じなければならないのである。

そして、信徒と弟子は尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェが2003年5月25日に説かれた「無常」「苦集滅道」「輪迴の意味」「地獄の苦」を恭しく聴聞した。リンチェンドルジェ・リンポチェは次のように説かれた。先週、私達が日常生活の中で如何に無常を観ずるかを、普賢菩薩が教え導いて下さることを話した。皆がこれに基づいて実践し、自分達の毎日の生活の中でこの法門を修することを願う。釈迦牟尼仏は、「私のあらゆる弟子の中で宝瓶の如きは舍利子と目連であるが、これらの聖者に飲食や財物を供養するよりも、あなたが有為、無常について観修した方がよい。」と説かれている。リンチェンドルジェ・リンポチェは、仏の身辺にいた二大弟子・舍利子と目連はどちらも聖者で、四果を証した阿羅漢であり、真の聖者を供養する功徳は不可思議であるが、仏は、「あなたにこのような聖者を供養する因縁を持てたとしても、あなたが一切の有為法が全て無常であることを毎日観じることには及ばない。この功徳は更に不可思議なものである。」と説かれたことをお話になった。仏法を学ぶ者が無常を観じずに、毎日修しているものが全て有為法であると考えないのなら、邪見に陥り易い。邪見とは即ち、現在、台湾で仏を学ぶ多くの者が、早く感応を得たい、神通力を得たい、早く悟りを開きたいと願う事であるが、これらは全て有為法であり、このような心態で修め、法に基づいて実践する上師が近くで監督していないのなら、あなたは容易に邪知邪見に陥ってしまうことだろう。

仏が開示された一切の法門は、皆、私達人類の累世の良くない習慣に対するものである。私達が一切の世間の出来事、物、人を皆、変化しないものだと考えると、煩悩や苦しみが絶え間なく起きる。仏は、宇宙の真理を詳細に途絶える事なく私達に解釈し、私達に一切は変化し無常であるという事実を正確に理解させようとする。現代物理学でいえば、物質の結合は全て分子、原子作用によって外在形状がもたらされ、ある日また分解される。一切の物質を含む人の身体は、人の思想、文化、風俗に至るまで全て、無常である。毎日、深く無常を観ずることによって煩悩や苦しみは徐々に減っていくことだろう。

SARSの死亡率は非常に低いが、何故、世界中の人々はこれを恐れるのだろう?それは、コントロールし切れないのを感じるからである!私達は一生、物事をコントロールしたいと考えている。例えば、あなたの伴侶、あなたの息子と娘をコントロールしようとする。コントロールとは即ち、相手が何をしているのか、あなたが言った事を相手が成し遂げるかどうか、あなたが考えていることを相手がわかっているかどうかを、はっきりさせたいということにある。あなたが常であると考えるからコントロールしたいと思うのだ。SARSの病因をコントロールできないことであなたは脅威を感じる。第二に、あなたは累世の殺生の悪業を恐れているのである。今回は累世において傷つけた動物による私達への反駁であり、彼らを傷つけた時のある種の恐怖感が今、自分に反射されるため、この病気に対して特別な恐怖感を持つのだ。事実、エイズの死亡者数はSARSよりも更に上回る。今回のSARSによって、真に仏を学ぶ修行者は、無常という二字を深く理解した。どうやってこれを消滅させ、殺すかというものではない。このような病気は皆、私達が招き入れるものである。私達の心が悪なら、自然と悪業を招き入れる。私達の行動が悪なら自然と悪の行為を招き入れる。悪とは即ち、自分勝手で自分の利益ばかりを考えることである。人は常に、自分を守るために他人の苦しみを忘れる。なぜ、このように自分勝手なのだろうか?それは無常を受け入れていないからである。苦しみは自分の身の上に起こらないと考えている。

昨年、ある信徒が胆結石のため手術をした。リンチェンドルジェ・リンポチェは2年前、彼に仏法を学びに来るよう警告していたが、聞き入れなかったので、昨年、手術となった!この信徒は、入院していた時、妻が毎日付き添ってくれたことに感動したが、隣のベッドの病人は家族が誰も見舞いに来ておらず、痛みで毎日唸っていた。彼は、自分が非常に幸せ者だと感じた。妻は自分をこんなに愛してくれ、一生は無駄ではなかった!一切は仏菩薩が守ってくれている。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの話を聞いて、この人が下根の人で、仏法を学んでいる者ではないと感じた。もし少しでも善根のある人なら、先に隣のベッドの人の家族が来ていないことに同情するだろう。機根がもう少し良いのなら苦し過ぎると感じ、彼の苦しみが少しでも減るようにと願うであろう。機根が少しでも上なら、彼を苦しみから開放してやりたいと願うだろう。機根がもっと良ければ、修行によって彼の苦しみを代わってやりたいと願うだろう。機根が更にもっと良ければ、一切は因果、業力、無常であることを観ずることができる。生活における一つ一つが全て修行である。各人の機根は異なり、仏法を聴聞する場合に受ける感じも異なる。機根はあなたのこの一生において生まれたら決まるものではなく、累世に積み重ねた善業及び善の因縁こそが私達の仏を学ぶ機根となり、この機根は耕し、肥料を撒き、水をあげてこそ成長させられる。仏法こそがあなたの肥料であり、あなたの上師こそがあなたの水分であり、あなたの機根が芽を出すのを助けるのである。この機根の良し悪しは永遠に変化しないものではなく、無常であり、今世であなたが三宝に対し絶対的な恭敬を示すのなら、あなたの機根はすぐに変化することだろう。過去の歴史において多くの修行者は機根が不足していたが、あれこれと考えずに、上師の教えに基づいて100%実践していた。

私達の身近にある幸福は皆、無常である。無常を深く考え生活の中に応用することができてこそ、あなたの幸福は確定したものとなる。こうしてこそ、道徳倫理や法律、一切のすべからず行為を超えてしまうことはなく、あなたは将来、真の幸福を得られることだろう。なぜ釈迦牟尼仏は49年の法を説き終わった後、法を説いた事はなかったと言われたのだろうか?それには二つの意味がある。:一つは、法は彼の発明ではなく、歴代の仏が証悟の後に一代一代と伝えられたものであるから。もう一つは、無常観から言えば、彼もまた法を説いていないことになる。法は、衆生の要望に応じて説かれた方法で、それによってあなた方を修行させるものであり、これも無常である。現在リンチェンドルジェ・リンポチェが高座に座り弘法されているのもまた、無常である。

今回のSARSに臨んでは、無常で観想する。恐怖心によってこれを撲滅しようとするのではない。無常によってこれが悪果の熟したものであることを即刻知り、自然に因果の法則を受け入れるなら、悪を断ち切り善を行うことになる。一人一人がこのように行えばSARSは自然に消滅する。SARSは一切の動物及び龍の霊であり、それは異なる動物の霊であるので変化が急激である。今日は鶏、明日はもしかしたら鴨が加わるかもしれない。あさっては、恐らく豚が加わるであろう。これは全て人の悪業、悪行、悪い思想が招いたものである。私達はあの肉売り商人のコマーシャルに騙されて、子供は小さい頃から栄養のある食物を摂らないと、大きくならず智恵も発達せず、人よりも劣ると言う。このような観念が因果、無常の法則を翻しているのである。生存は食物によるのではない。それはあなたの過去に蒔いた種の因によるのである。あなたの寿命は、あなたが過去に殺生を行わず、過去に善根を積集した福徳によって得られたものである。もし、あなたの福徳が充分なら、飲む水にも栄養がある。福徳が足りないなら食べるものにも問題が発生する。蛇年の大法会の時、リンチェンドルジェ・リンポチェは、御飯を食べる必要なく、水も飲む必要のなくなるまで修行を積んだチベットのある修行者に出会った。その人はそれでも、ラサからインドまで歩けるほど依然として元気であった。彼には栄養があると言えるのだろうか?彼は禅悦を食としていたので、食物を摂る必要はなかった。

仏法には八万四千の法門があり、人の八万四千の煩悩に対応する言われているが、密法の立場から言えば、これは人の八万四千の気脈(呼吸と脈拍)によって修することを示す。全ての人が皆、無常の観念を受け入れ、毎日の生活のあらゆる事が無常であるかをはっきり見ているのか?もし、仏法を聴聞する時も快適に座りたいと考える人は必ず怠け者であるので、日常生活を変えることは不可能であり、人生の無常や生死の大事を努力して見ようとはしない。仏法を聴く時でさえ快適でいたいと思うのは動物の行為である。もしこの一生において快適さを貪ぼり、享受することを好み、食べることや寝ることを愛し、座っている様子は人のようではなく右に寄り掛かったり左に寄り掛かったりしていると、来世は畜生道に堕ちることになる。あなた方が今日、仏法の聴聞を好むか好まないか、受け入れるか受け入れないかは、あなたの第八意識アライヤ識に既に種が蒔かれており、恐らく来世で発芽するであろう。しかし、今世であなたが一生懸命行わないのであれば、輪迴苦海にはあなたの分が残る。また、現在、あなた達が拝んでいる神は皆、鬼神であり、数十年或いは数百年の鬼であるかもしれない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは19歳の時、父親が心臟麻痺のため突然他界した。朝父親が会社へ行くのを見たのに、お昼には死亡したことを聞いた。急いで会いに行ったが、既に霊安室だった。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは多くの人の死を見、人生は何をすべきものなのかと考えた。この世にやってきて人は必ず死んでいく。皆死ぬのなら、一体何の為にこの世に来るのだろうか?皆は会社へ行って御飯を食べることで、人を代表することになるのだろうか?リンチェンドルジェ・リンポチェは、この問題を仏法に触れてやっとはっきりと理解した。今ここで座られているあなた方はこのように深く死亡と無常を体験し、このような問題を思考したことがない。修行者は必ず、無常、死亡の二つの大きな問題から切り込んで、思考を深め、人生の真の意義について深く考察しなければならない。このようにしてこそ、仏の説かれた仏法が即座に身近になるのである。もし、仏法を学ぶことが、単に好奇心を満たし、理解することを望み、より良い生活への変化を望むものであるなら、仏の語ったテーマから徐々に遠のいて行くだろう。無常、死亡は仏法を学ぶ中でも最も重要な切り込み法である。この方法によってあなたは、仏法にどんな偉大さがあるかを理解することができるであろう。皆が仏法を学ぶ事を難しいと感じるのは、自分が字を知らないからではなく、頭が悪いからでもなく、学問がないからでもない。それは、切り込み方が間違っているからである。あなた達は、無常、死から入っていくのではなく、世間法の観点で物を見ているので、仏法は非常に深く、難しいものだと感じるのである。

仏法と世間の学問とは異なる。仏法は理解し難く容易に実行できるものである。理解が難しいというのは、丁度、世間法とは異なる点である。世間法は有為法に執着し、彼が所有していると考える事、物、人、感覚、思想の何れをも手放さない。仏法はその逆で、一切は無常であり、無為法を修しなければならない。丁度、私達の人生の経験とは全く異なる。よって、私達は仏法は非常に深く奥のあるものだと感じる。実際は、仏法は理解し難く修し易いものであり、理解し易く修し難い他の宗教とは異なる。:カトリック、キリスト教、イスラム教の教義は簡単であり、信じる主がいればよいのである!しかし、あなたがどのように修行しても、あなたは主との間に遠い距離を感じるだろう。それは、彼の語る能力、彼の語る愛、一切の方法を実践できないと感じるからである。しかし、仏法は丁度、その逆である。最初は困難だと感じるであろうが、切り込み点が正確であるなら、その後、仏との距離が徐々に近づいていることを感じ、楽に実践できると感じることだろう。実践できたということは、あなたが人よりも高い位置に立ったことや人と異にすることを表してはいない。ただ、あなたが本来の姿を回復することを表す。だから、仏は、衆生は皆成仏できると言っているのである。これに虚偽は全くない。私達を騙していることは全くあり得ない。私達は自分の本来の姿を忘れてしまい、生生世世、偽の顔を使って日々を送ることに慣れてしまっている。全て自分が正しいものだと思い込んでいる。だから、こんなにも多くの煩悩や苦しみが起きるのである。この「正しい」というのも無常である。歴史を捲ると、歴史上の人物のそれぞれが、自分の行う事は全て正しいと考えていることが分かる。後には歴史の評価は必ず違ったものとなる。各人の観点が異なる故である。

我々は輪廻の過患を総観すれば、釈迦牟尼仏が地球に来たのは大きな出来事である。衆生の輪迴からの解脱を助け、49年の間、教えを説き導き続けた。仏を一つの神明、超人、或いは大神通力者として礼拝してはならない。仏は私達に教えを諭し導く導師であり、どうやって輪迴の苦しみから離れるかを教え導いてくれる。仏が悟りを開いた後の最初の説法は、苦、集、滅、道であった。続いて十二支縁起、その次に、菩薩道を行ずることについて説かれた。

佛が法輪を転じた時に我々に教えたのは、一切有情は全て、苦の集中、苦の顕現にいる。有情には必ず、生、老、病、死、求不得苦、愛別離苦、怨憎会苦、五蘊盛苦という八つの苦がある。この世に生を受けることにあなた達は喜びを感じるだろう。しかし、仏の法眼が観照する人の出生は、非常な苦しみだ。生まれ変わる前に生を求める考えがあるのは非常な苦しみだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てある映像を見たことがある。一頭のヤギが狼に追いかけられて食べられそうになる。ヤギは何も考えずに、即座に70~80メートルもの高い崖の上から跳び下りた。衆生は生きるための欲望によって全ての事を忘れる。人も動物と同じように、非常に強い生を求める欲望がある。なぜ、私達は栄養のある物を食べ、一生懸命働き、家を買うのであろうか?全て、生を求める欲望の反射だ。私達はこれらの物を所有してこそ自分達の命が安全だと考える。このヤギが生を求めたようにである。跳び下りたら死ぬ事は明らかであっても必死である。借金をして家を買うのが危険であると知っていても頑張ってしまうのと同じである!彼にとっては家がある方が安全だと考えるのである。

(中陰)中有の身は生まれ変わる前、自分の業力がどちらに引っ張られるかは分からない。生を求める苦は非常に苦しいものなので、毎回、リンチェンドルジェ・リンポチェが施身法を修法する時、あんなにも多くの衆生が来るのである。なぜなら、かれらには生を求める苦があるからだ。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェが六字大明咒を唱えている時、泣く者がいるのだろう。それは、あなた達の善根が新たに開かれたからで、まるで、久しく会っていない家族(自分の本来の姿-他人を傷つけようとは今迄考えたことのない自分)に再び出会ったかのようである。真言を唱えている時、修行者の慈悲力を通してあなたの善根が開かれるのである。;第二に、あなた達の本質は、輪迴が苦しく、人生が苦しいことを知っているが、認めない時である。;第三に、あなた達が法会に参加したことで、歴代の怨者、親者があなたから離れて行ったからである。

生まれる前、すでに苦しみが集中し、母親の胎内に生まれ変わる。どの道であっても、母親が冷たいものを食べれば、あなたは寒地獄の中にいるが如く、母親が辛いものや熱いものを食べれば、あなたは熱地獄の中にいるが如く、子宮の中の水は毎日あなたの眼を覆い、鼻の穴を塞ぎ、口に入り込み、ただ臍の緒だけで食を摂り、口では食べられない。だから、苦しいのである。時には母親を蹴り、母親を叩く。母親が食べた物が自分の欲しいものではないからだ。仏は、人が産道から生まれる時、山に挟まれた如き苦しみを味わうと形容している。帝王切開で子宮を切ると、突然受けた驚きによって自然分娩より苦しみが多い。帝王切開の子供は驚かされているので、将来の成長に多少なりともある問題が発生する。

「老」は、もっと言う必要がない。力が思う通りに出ず、やりたくても成し遂げられない。年老いたのを認めず孫の面倒をみようと、自分から苦しみを求める者もいる。病は、皆が経験している。有情衆生であるなら皆、病気をする。病の苦は千百種もある!特に現代医学の発達によって苦しみは更に増す。管挿入や手術は屠殺場のようである。殺生業が重い故に今世で手術を受けさせられ、動物を虐待したことがある故に管を挿入される。

仏は、「末法時代の衆生の業は特に重い」と説かれている。もし私達が良くなったのであれば、二度と来る事はなく、阿弥陀仏の元でしっかり修行し、修行が終わったら願に乗じて再来することができる。

現在、私達は、入院するとすぐに挿管され手術されるのを見るが、これは非常に苦しいものだ。家族の多くは、生き抜いて欲しいと願う。もしあなたが、こうすることが両親にとって良い事だと思うなら、自分で挿管してみなさい。挿管して快適であるなら、あなたの両親もまた快適であろう。しかし、世間の人は無知である。こうすることが彼にとって良いことだ、こうすることが彼に役立つ方法なのだと思っているのだから。私達、現代人は、病気になることが苦しみなのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは西洋医を貶そうとしているのではない。しかし、これは衆生の業が重い故に、このような医療方式が出現したのである。これは、私達のような病人の生生世世、及び今世における殺生業が非常に重いことを表している。自分は豚や鶏を殺していないと言う者もいる。しかし、実際、私達は一日中、殺しているのだ。私達が菜食したとしても、殺している。現在、野菜を植えている者が、例え有機野菜を栽培したとしても、田を耕し種を蒔き土を掘り起こした時に、やはり多くの土の中の衆生を傷つけている。だから、私達は懺悔しなければならない。菜食だからといって偉くはない。ただ少しだけ良いだけである。

よって、仏は私達に早く仏法を学ぶよう勧めている。私達は一日多く地球にいることで、一日多く意識的に無意識的に、知ってか知らぬかの間に殺生をしている。三昧水懺において語ったことがあるが、以前漬物の容器の蓋を開けた時、上に一層浮いているものがあった。もし先に妥当に処理をしなければ、これもまた殺生である。

中には、自分がよく修行をし、毎日たくさん唱えているのに、なぜやはり病気になるのかと考える者もいる。これは私達が毎日殺生をしていて、断ち切ることが難しいからで、私達が地球にいる限りは無理なことである。だから、私達はまず、菜食から初めて少しでも殺生を減らし、自分から進んで殺さないようにすべきである。

リンチェンドルジェ・リンポチェが密法を学び始めた後、ある上師が夢に現れてリンチェンドルジェ・リンポチェに告げた。食事の前に必ず、ある真言を唱えるようにと。この上師はチベット語でリンチェンドルジェ・リンポチェに言ったが、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの真言の名称をはっきりと知る事ができた。二日目、リンチェンドルジェ・リンポチェは別のリンポチェに、このような真言があるかどうかを尋ねた。そのリンポチェは、あると答え、非常に驚いていた。なぜなら、その真言は漢人には伝えていなかったからである。夢の中でリンチェンドルジェ・リンポチェはもともとラマ達の後ろに座っていたが、その年老いた上師が入ってきて、リンチェンドルジェ・リンポチェにこの真言を唱えるようにと告げたのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは、学び終わるとラマ達の前に座っていた。これもまた、今世、リンチェンドルジェ・リンポチェは生死を解脱し、この真言を必ず理解しなければならないことを語っている。なぜなら、御飯やおかずを一口食べる毎に衆生の命がその中に含まれているので、食事前に、リンチェンドルジェ・リンポチェはこれらの御飯やおかずを加持しなければならない。こうすることで、これらの衆生とリンチェンドルジェ・リンポチェの怨念は二度と続くことがなくなる。よって、推して知るべし、善を為すことはそんなに簡単ではない。

仏は次の話を説かれたことがある。ある日、釈迦牟尼仏が弟子と共に道を歩いていた時、前方に鳩の群れがいた。鳩は釈迦牟尼仏を見ると皆歩いて向かって来たが、仏の弟子が近寄ると、全部飛び去ってしまった。この弟子が仏に問う。「なぜ、自分は殺生業を既に断ち切ったのに鳩は恐れるのか」と。仏は、この弟子の累世の殺生業による習慣がまだ断ち切れておらず、即ち、彼の心の中に依然として殺生の種と殺生の考えが残っているので、鳩は彼を見て恐れを感じ飛び去ったのだが、仏には既にないと答えられた。

私達が今日病気になったのは、全て私達が過去世で植えた殺生業を起因とする故、わけが分からぬまま捻挫したり、怪我をしたり、人に叩かれたり、食あたりで腹を下したりする。これは皆、殺生業から来るものである。もし私達が今世で仏法を学び、殺生を断ち切ることを始めたなら、その長所はどこにあるか?新しい債務を二度と作らず、古い債務を返す時間ができる。

地蔵経において、地蔵菩薩はあらゆる一切の善神を遣わして、懐胎の女性と胎児を守っていたが、衆生は無知であるので、この胎児に栄養を付けさせるために、生きている魚を食べ、生きている鶏を殺したと説かれている。経典にはこうも説かれている。ある妊婦が出産した時、地蔵菩薩はやはり、善神を遣わしてこの妊婦を護持し、血を吸い肉を食べる餓鬼を妊婦に近づけさせなかった。結果、妊婦は順調に出産を終えた後、どのくらいの期間、産褥の食物を食べたのか?子供の一ヶ月の祝いではどの位の殺生をしたのか?もしあなたがまだ結婚しておらず産褥をしたことがなくても、あなたのお母さん、お婆ちゃんがあなたの為にしている。私達はどれ程の業力を負っているのか?

よって、私達が病気にならないことは、ほぼあり得ない。釈迦牟尼仏が逝く前にでさえ、私達に病気を示現している。仏は本当に病気になったのだろうか?そうとは限らない。釈迦牟尼仏の累世の殺生業は今世で完全に返済されたからこそ、病気をあなた達に示現したのだ。人は皆、生、老、病、死を経過しなければならないことを私達に伝えるために故意に示現したのである。しかし、最も重要なメッセージは、仏はずっと以前の前世において殺生業を犯したことがあり、よって、逝く前に、この果報を終える必要があったことにある。

家に病気の老人がいて、その老人が逝こうとする時は、悲しむ必要はない。もしあなたが智恵のある人なら、その時、果報の恐ろしさを見るべきだ。即刻、その人に代わって仏の名号を絶え間なく唱え、法会に継続して参加し、その人の今世での業を終わりにしてあげる。もしその人に福徳があるなら、自然に医者に出会うことだろう。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、嘗て卵巣癌を患った人について説かれたことがある。彼女は医者を信じていたが、結局、他界してしまった。逝く前にさえ甘露丸を持っていたが因縁がなかった。先日他界した看護婦は、死に至る三日前に彼女の息子と親戚がリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の息子に3日の命しかないことを告げ、三悪道に行かせない為に、父親は母親に甘露丸を一つ飲ませるかどうかを息子に尋ねた。結果、父親は拒絶した。これもまた、彼女の因縁、彼女の運命であった。彼女は本当に3日後に逝ってしまった。だから、私達が今日、仏法を聴聞しているのも、因縁を結び他界する前に善知識の助けを受けるためであり、さもなくば家族が私達の邪魔をすることになる。卵巣癌の患者の兄嫁が以前、謁見を求めた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは甘露丸を患者にあげるよう持たせようとしたが、彼女は即座に「患者が喉に詰まらせる」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐに「因縁がない」と仰り持って帰らせなかった。彼女の家族、怨者、親者が邪魔をしたのであった。

過去世を私達は見る事はできない。今世で殺生業を為したことがあるなら、病気に罹らないことはあり得ない。小さきものではアリを一匹殺したことも含まれる。リンチェンドルジェ・リンポチェのような果位を修め、相手を済度できる能力があるなら少しよいが、さもなくば、必ず果報が生じる。よって、訳がわからずに引っ掻き傷を作ったり、ぶつかってアザができたり、車にはねられたり、全ては殺生業から引き起こされるものである。もし身体に異常がないのなら、財産を盗られたり、お金がなくなったり、知らぬ間に使い切ってしまったりする。仏は、財産は五賊が共に管理していると説かれている。その内の一つは私達の息子や孫である。息子や孫は家を潰しに来る。恩返しに来る者は非常に少ない。特に、末法時代においては非常に少ない。

四つ目は「死」である。今、あなた達はまだ死んでいない。しかし、あなた達は既に死ぬことを恐れている。だから、苦しいのではないか?リンチェンドルジェ・リンポチェはよく病院へ行って臨終者を助けている。誰でも死ぬ前には精神的に酷い苦しみを感じる。彼らの苦しみは、生きている間に無常を受け入れなかった事に起因するので、死に至る前に、非常なあがきがあり、一秒でも多くこの世に留まっていたいと願う。だから、逝く人に向って頑張れ、我慢しろとは言ってはいけない。あなたがこう言うと、この人は余計に苦しむことになる。

私達は死ぬ前に、死の過程が現れる。神識が肉体を離れるまでの間、多くの苦痛を感じる。顕教ではこれを説かない。密法の中のポワ法を修する人は明らかである。各有情衆生は動物も含めて、死の前に必ず地、風、水、火の四大要素分解の苦しみを味わわなくてはならない。SARS患者には死に至る前に非常な苦しみがある。なぜなら、呼吸ができず、まるで掬い上げられた魚が、口をぱかっと大きく開けて息を吸おうにも吸えない感じである。SARSに罹った人達は、必ずや、今世または過去世において魚を捕獲したか魚を殺した人であって、これは因果である。

火の分解について、私達は比較的理解できることだろう。火の要素が分解される前、この人の感覚は急激に熱くなり急激に冷たくなる。よって、病人の中には、死に至る前にクーラーを強くし、布団を被らず、衣服を全て脱ぎ去り、甚だしい場合には更に扇風機を吹き付け、それでも熱いと言う者もいる。一日、二日経った後、突然、寒がるかもしれない。クーラーを切り、布団を被っても寒いと言う。このような寒さは骨から来るものである。この状況こそが、火の要素の分解である。嘗て重い風邪をひいたことのある者なら、この感じが分かるだろう。火の分解のレベルは、私達が重い風邪をひいた時にある寒さと熱さの感覚を一万倍にしたような感覚である。寒い時氷室にいると感じて、熱い時皮膚まで解けるような感じる。

四大要素の分解の各過程には非常な苦しみがある。私達は病人が突然、全身痙攣を起こすのを見ることがある。これは、地の要素の分解であり、体内の気脈が一本一本切れている!

四大分解が終わると、最後の一息が来るまでの間、やはり苦痛を味わうことになる。それはまるで、頭を水の中に埋めて呼吸できないような苦しみだ。最後の一息が絶え、外気は絶たれたが内気がまだある時、多くの苦しみを経なければならない。私達の体内の紅白明点がぶつかり合い戻ってくる前に、内心世界全体が崩壊する苦を通らなければならない。私達は山が崩れ落ち地が裂け、天が揺れ地が動くのを感じ、自分の身体が八つ裂きにされるのを感じる。

この過程が終わり、私達の神識が離れる前は、まるで、一匹の亀が生きたまま殼から抜け出したような感じである。例えば私たちの爪を押さえられ、抜けられるという感じだ。このように、死の過程は非常に苦しく、自殺する者は死んだら全て解決すると思っているだろうが、思い通りには行かない。そうはならない。これに関しては後ろの地獄道の時に語ることにする。

もし、ある人が生前に密法を学んだことがないなら、その人の死の過程は非常な苦しみとなる。顕教では、この苦しみを軽減するには、仏の名号をただずっと唱える浄土宗があるだけで、禅宗でさえも成し遂げられない。密法の中のポワ法は、私達のこのような苦しみを最低にすることができ、しかも、その速度は浄土宗より速い。人生の中に生老病死は人が全て経歴出来る。

五つ目は「愛別離苦」である。私達は一生において、最も愛して、最も可愛がった人でも皆、私達と生離死別する。未婚の娘が謁見を求め、ある男性とは結果が出る(結婚する)かどうかを尋ねるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず、「結果は生離死別である」と答える。別離とは、自分の子供が私達を離れること、私達の家族、伴侶が私達より早くこの世を去ることをも含む。あなたに両親、家族がいるのなら、あなたは必ずこのような苦しみを経験することだろう。

もう一つは「怨憎会苦」である。これは即ち、あなたが好きになれない者、過去世であなたとの間に怨みがあった者、憎しみ合う者同士が一緒になることである。怨者、親者は外の人ではなく、皆、家の中にいる。家の中の人は、仇を打つ為でなければ恩を返しに来たのであり、債務返済でなければ返済請求に来たのである。必ず、この四つを離れることはできない。よって、ある時は、あなたの最愛の人が過去世ではあなたの怨者であり、今世ではあなたを戒めに来ただ。ある時、あなたの最も嫌いな人が、あなたの上司や部下、はたまた伴侶となることさえある。この苦しみは私達も経験しているだろう。

「求不得苦」は、私達皆にある。私達は一生において、ある物を求め得たいという願いがあるが、自分達の願い通りにはならない。皆、毎日夢を見、後に何かを得たいと望む。しかし、往々にして十求める内、一つが得られるだけである。

八つめは「五蘊盛苦」である。眼、耳、鼻、舌、身がある故、私達は外の対象に対する要求が非常に強烈である。つまり、私達はこの五つの感覚を満足させる為に、一生をかけて絶え間なく一生懸命働く。例えば、私達は素敵な服を身に付けたい、いい家に住みたい、息子に住む家を与えるために、どんなに大変であっても息子の手助けをしようとする。私達は自分の一切の欲望を満たすために、この身体が壊れても五蘊を満足させようとする。

以上の八つの苦は、私達一人一人が生まれ出た後、備え持つ条件である。これらの苦から離れられる人はいない。であるから、仏は初転法輪の時、全ての人類に明確に伝えている。人の体は苦の結合である。楽しむ為のものでは全くない。しかも、一切の苦が集中したものである。これらの苦が集中する因を断ち切らねばならない。よって仏法を修しなければならぬ。所謂、苦、集、滅、道が指すものは道教ではなく、仏法を通して薫陶されたもので、しかも、成仏への道を歩むことができる人こそが、この苦を断ち切り、滅し、一切の苦を作る因縁を滅し切ることができる。

チベット仏教では、苦集滅道の四諦を成し遂げる為には、理論だけに頼って実践するのではないと説く。直貢噶舉教派では必ず「五支道四加行」を実践しなければならない。今世で、法に基づいて四加行を修するならば、この四諦は円満成就され、最低でも阿羅漢果を証し生死を断ち切ることができる。リンチェンドルジェ・リンポチェのように精進し、苦しみを恐れない者であるなら、例えばリンチェンドルジェ・リンポチェは方便道のナーロ六法を修行し、修する階梯は更に進んだ段階となる。ナーロ六法は、直貢噶舉教派の祖師・ナローパの作り上げた六つの成就法門で、その内の一つがポワ法である。ポワ法は、直接サンスクリット語から翻訳された音で、真の意味は、意識を移し変えるということだ。直接、私達の神識を娑婆世界から阿弥陀仏世界に移すもので、ナローパの六法の中で最も重要な法である。直貢噶舉教派の祖師は、ポワ法を非常に重視していた。施身法の中にはポワ法が含まれる。

生があれば必ずや死も起こる。死の後、必ず生がある。よって、私達は輪迴を超えることはできない。輪迴はまるで水車の輪の如く回り、私達は業力と煩悩の束縛を受ける。私達の心の変化によって広大な六道輪迴が顕現する。最高の天道から無間地獄まで、その回転は停止したことがない。よって、私達は必ずそれを受け入れ、輪迴という事実を確認しなければならない。経典には「輪迴を信じないのは邪見である」と説かれる。輪迴は存在しており、仏が発明した事ではない。人類、動物を問わず、一枚テーブル、物などさえも輪廻する。我らは生きて行く意志が強い時、輪廻のチャンスは他人より高いとの表れである。

私達は生死について透徹し、理解し、今世で生死を断ち切って、自分で未来の生死の大事を掌握することが出来るように望んでいる。生死は、仏に頼って自分達をコントロールするのではなく自分に頼るものである。

輪迴は衆生の心によってこの回転が生じる。アメリカ、ヨーロッパ、イギリスでの多くの文献には載せてあり、多勢者は自分の前世が如何なるものか知った、それに、はっきりとした記録も残されている。台湾では、前世を見ることが流行しているが、これは100%偽者である。もし本当に前世を知ることができるのなら、必ずや過去世においてどこに生まれ、どんな名前であり、何をしていたのか、最も幸せだった事と最も苦痛だった事を知らなければならない。両親の名前をも含む。これこそが過去世を知るということになる。

実際、自分の前世を知ったとしても今世の修行には何も役立たない。しかし、この点から、人には元来過去があり、必ず未来もあることが推論される。よって、仏が私達に教える理論は、あなたが今世に出現したのは偶然でなく、過去と必ず多くの因縁があるということになる。今世での出現後、あなたが如何にして自分の来世をコントロールするかは、あなたの今世での努力次第だ。もし、あなたが今世で教えに基づいて行動し、仏法を学ぶのなら、自分の来世を掌握できるだろう。もし、あなたが今世で仏法を学ぶのを遅らせ、教えに基づいて行動しないなら、依然として掌握できず、六道輪迴に留まることだろう。生死を断ち切ることは、数言で語ったり幾つかの動作で成し遂げられるものではあり得ない。

あなたが今世でどの位の友人と交際をし、どれ位稼いだかは、全てあなたの前世に植えた因だ。あなたが毎日、仕事の役割において自分のすべき仕事を行い、自分の真心をよく表すことができるのなら、あなたの機会は永遠に存在する。よって、私達は今世で、仏法を学ばなければならないことを理解し始めた後、できる限り時間をつまらない事に浪費しないで、できる限り空いている時間を使って、聴聞した仏法を思惟し、実際に自分達の生活の中に応用し、繰り返し同じ過ちをして謝りしてはならない。

人は今世で只、三つの依止をする。第一は私達の業力である。私達は過去世で為した業を今世持ってきた。第二は煩悩である。私達は過去世の煩悩をも持って来た。大きくなる前は早く大きくなりたいと願う。青春期の時には自分の見掛けが少しでも良くなるようと願う。続いて、結婚、出産、創業、金儲け、家購入、名誉、これらは全て煩悩である。

これらの煩悩は私達を眠りにつかせないようにする。また、私達の心を不安にし、続いて、煩悩が更に随煩悩を生む。随煩悩とは、私達が固定した煩悩を持っている事により、更に生じる新しい煩悩のことで、私達はこの煩悩に従って進んでいく。例を挙げると、子供のいない時は必死になって結婚、妊娠したいと思い、妊娠後は、子供の面倒をみてくれる人を探そうと思い始める。面倒を見てくれる人が一個月にいくらかなどの事は随煩悩と呼ばれる。私達はいつも自ら煩悩を探しているのである。

あなた達は子供を生もうとするなら、出産する前に先ずよく考えなさい。自分の両親に子供の面倒を見させてはならない。これは最も親不孝なことである。両親は数十年も苦労してきたのに、またあなたの子供を見なければならない。人はこんなにも自分勝手だ。私は家を買うから、私は家のローンを返さなければならないから、私の母はまだ身体が丈夫で、孫を可愛がってくれるから、私に世話をさせずに自分で面倒をみたがるから。これらはすべて自分の言い訳だ。だから、年寄りは二度と面倒を見なくてよく、あなたの子供達に利用されなくてもよい。これが即ち、随煩悩と呼ばれる。私達は基本的な煩悩の後、煩悩に従って新しい煩悩を作り出すのも輪廻である。現在、大学生は、明らかに四年で卒業でき、更に大学院へ行く。なぜだろう?社会に出て仕事をするのを恐れ、仕事が見つからないのを恐れ、仕事が見つかれば、自分の考えるお金が稼げないのを恐れ、外で人に叱られるのを恐れる。これが随煩悩である。

よって、私達の人生は即ち、三つである。:業力、煩悩、随煩悩。

私達はこれらの物に依止している故、新しい悪業が生じる。又、新しい苦痛も生じる。新しい苦痛に依止する故に、私達にもまた新しい煩悩が発生する。よって、これもまた輪迴だ。実際、輪迴は私達が死ぬのを待つ必要はなく、私達の一生はずっと煩悩、苦痛、業力の中にあり絶え間なく輪迴する。

私達には24種類の感覚があり、私達の心でコントロールできるものではない。その内の一つは御腹がすくことだ。御腹がすいている時のあの感覚は、あなたが腹をすかせない様にと言っても無駄である。眠りたいのも同じだ。自分が既に非常に幸せであると感じていたとしても、私達には生理上の苦があり、毎日存在する。よって、私達が毎日過ごす日々には、幸せはどこにあるのだろうか?幸せがあったとしても、只、心の上での短い感覚であり、長期的な苦痛に取って代わるかもしれない。よって、仏はこれを見抜いた後、あなたに毎日苦しみの中で過ごしていることを告げたのである。

経典に載せてあり、無始輪廻してから、一切衆生は私の冤親となる可能性がある。一切有情衆生は六道内に含まれており、嘗て私との間に怨みを生じたか、親密な関係にあってよい感じを受けることもある。私の母となった衆生の数は、数え切れない。多くの者にとり、この言葉は受け入れられないものである。なぜなら、あなた達は皆、自己の各過去世がいつも人であったと考えているからだ。例えば百世あったとしたら、百の母親を超えないだろう。しかし、必ずしもそうではない。釈迦牟尼仏も説かれたことがある。お釈迦様は猿、熊、鹿、孔雀の過去世を経ている。お釈迦様であっても動物としての四つの過去世があるのだから、私達は何の徳があってその中に存在しないことがあろうか?不幸な場合には、蜜蜂、アリ、虫となり、1~2ヶ月の命が尽きて、1~2ヶ月後に再び生まれ変わりやはり虫となることもある。

経典によると無始から始まり、いつから私達が輪迴し始めたのかは分からない。仏でさえもこの時間は説く事はできず、この時間は、私達人類が計り知れない時間だということが推察される。私達は地球が45億年の歴史を有すると言うが、実際に、仏の語られた時間はこの数字を何倍も何倍も遥かに上回っている。例え地球に本当に45億年の時間があるとしたら、私達はこの期間、ずっと地球で輪迴を何世の間繰り返して来たのだろう?だから、仏は、多くの衆生が過去世において嘗て私達の母親であったと説かれるのである。あなたが食べる鶏、魚、豚は過去世で私達の家族や母親であった可能性もあり、あなたが彼らの肉を食べるということは、自分を食べることに他ならず、よって、仏は私達に肉を食べないことを勧める。

龍樹菩薩は「生生世世の白骨は堆く積もり、これ、まるで山の如く高く、母親の数は数えるに尽きず。」と説かれた。よって、私達は今世の母に対しても孝行できず面倒を増やしているのに、衆生に対して如何に慈悲を持つことができるのだろうか?衆生は過去世の我が母であるかもしれず、私達は彼らが苦から離れるのを助けなければならない。衆生が苦から離れるのを助ける為に、私達は先ず自ら苦を離れるべきである。そこで、仏はこう説かれる。「もし私達が最後の最もはっきりした境地を成就したなら、衆生と自分が共に同体であることを理解するだろう」と。

だから、同体大悲というのである。六道の中の衆生を見ると、私達には多くの異なる形相が見えてくる。しかし、仏から見れば、あらゆる衆生の形相は心が生じた外相であるだけで、真の内包的意味はどれも一つである。再に物理学から言えば、一切の原子、分子の構造は皆同じである。あらゆる物は全て一から分裂したものであり、私達自身の肉体もこれに含まれる。即ち、一つの細胞が一つの外在的形相に分裂して私達に見せているだけである。まとめると只一つの細胞に過ぎない。一切の事、物、人は全て分子、原子から分裂して形成され、分裂する以前は全て同じ物である。だから、どれがあなた、私、彼なのか?

もし、私達があなた、私、彼をはっきり分けるなら、これは凡夫の思想となる。もし、更に深くあなた、私、彼を知る事ができるなら、これは単に業力の顕現によって生じただけであり、この人は多少、進歩している。もし、彼が再に進歩し、あなた、私、彼を観じることができるのなら、彼は単に心が考え出しただけである。もし更に進んだなら、仏が金剛経で説かれた如く「衆生相はない」となる。一切衆生は皆、業力、因縁が顕現した物である。もし、私達が常に衆生を分別しているのなら、あなたの慈悲心が生じることはないだろう。

医療、教育に従事する者は、必ず犠牲や奉献が必要となる。なぜなら、あなたにもまた、生、老、病、死が起きるからである。今日、病人の苦痛を見て、自分の苦痛として気遣って世話するなら、それこそが一人の修行者であり、衆生相を打破し、自然と悪業を為さなくなる。今日、あなたが犠牲や奉献を拒むのは、道理は非常に簡単で、彼は彼、あなたはあなただからだ。よって、あなたは彼の行動、言語はあなたが考えるものではないと感じる時、あなたは彼に対する思い遣りが即座に消えてしまう。

今日、私達はこの世間において多くの行為を通して、報酬や給料を得る。これらは過去世の福徳、布施、及び今世の奉仕の心によって得られたものである。だから、私達は仕事に対して常にこの気持ちを持たなければならない。あなたが社長、他人のため仕事、奉仕をするのは即ち、自分ため奉仕し、よって、報酬が得られるのである。

仏が説かれる道理は、即ち、私達が生活の中で成し遂げる方法である。多くの大きな道理や名相を語り、あなた方が聞いても分からないようにする必要はない。直接、生活の中に切り込める。リンチェンドルジェ・リンポチェは閉関をし、人の群を離れる必要がある。これは人の先生になる為にこうする必要があるのだ。あなた達がこの段階に達する前は、先ず仏法を生活の中に応用しなければならない。簡単に言えば、私達が御飯を食べ、服を着、道を歩き、仕事するのは全て仏法である。一切の事柄は他人の為を考え、他人の為に行うことこそが、仏法である。例えば、一切の事柄が自分の為であるなら、それは凡夫の法となる。

他人の為に行えば多くを失うことはない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、仏法を学ぶ以前から常に他人の為に行動していた。その後、苦しいことに出遭う度に、自然と誰かが手助けをしてくれた。だから、自分が損をすることを恐れる必要はない。私達は必ず損をしなければならない。必ず人に譲らなければならない。必ず正直でなければならない。必ず誠実でなければならない。このように修行する者こそがゆっくりと、自己の慈悲心を育てることができる。

弘法する者は、求める人がいれば、病院に行くことを憚る。慈悲は何処に?リンチェンドルジェ・リンポチェが行くのは、人に彼の慈悲を知らせる為でなく、衆生の苦を自分の苦とし、すぐに滅してあげたいと思うからである。最近ある名山は山道が閉ざされ、出家者が出るのを許さなくなった。出家者は衆生に奉仕する者であるのに、こんなにSARSを恐れるなら出家しなくてよい。

輪迴は留まることを知らない牢獄の如し、まるで帰路に着くことが叶わぬ孤独感がある。私達の輪迴は、業力によって引っ張られ終わりのない苦しみを受ける。欲望に引きずられ満たされることのない苦しみを受ける。生死が尽きない故に、尽きぬ苦しみを受けるのである。

輪迴の三界とは、欲界天、色界天、無色界天である。私達の生は欲界天にあり、玉皇大帝、キリスト教、カトリックもまた欲界天に含まれる。欲界天の天人の欲望は依然として大きいため、肉体という構造を有する。只、享受する事が人よりもずっと多い。外道の禅を修行するか仏門の禅を修行し間違うと、色界天に行く。色界天の衆生の欲望は非常に少なくなっており、只、外在的形相を残すだけである。無色界天は外在形相さえも存在せず、只神識を残すのである。この三界は全て輪迴する。禅をよく修めたとしても、ひとつ間違い考えで、やはり無色界天にの最高の非想非非想天の境界に落ちる可能性もある。これもやはり輪迴する。

出家の定義は三界の家を出離し、今世で三界の家を出離しようと決意することにある。出家には次の四種類がある。第一、身心のどちらも出家しない(身に出家相が現れず、心もまた出家を決意しない)。第二、身心共に出家する。第三、身は出家しないが心は出家する(リンチェンドルジェ・リンポチェは外見は在家相を現しているが、心は既に輪迴の家からの出離を決意している)、身は出家したが心は出家しない、である。私達は、第三の「身は出家しないが心は出家する」となるよう自分を育てなければならない。もし出家の縁があるなら、とっくに出家していることだろう。

そなたが心に確信をもって今世で輪迴の家を出離したいと思っていても、もし、世間に対してほんの少しでも未練があるなら、ポワ法を学んだとしても成就できない。なぜなら死を恐れ、逝く勇気がないからである。恐れてはならない。出家する考えを持つのは、仕事をせず、勉強をせず、結婚して子供を生まないことを意味するのではない。これらは全て累世の因縁であり、全て、恩を返し、仇を返し、債務を請求し、債務を返済するもので、必ず返さなくてはならない。家族がいるから修行できないと気に掛けてはならない。只単に禅だけを修めたら、最後には必ず男女欲を断ち切らなくてはならない。よって、禅宗は達磨祖師以来、皆、出家相を現している。在家で菩薩道を修めても、私達の生死解脱を助ける法門がまだ沢山ある。仏法を学ぶには必ず清浄法を修めなければならないと考えなくてよい。大蔵経には、菩薩道を行ずる者に、もし家族の因縁があるのなら、今世でこの事を終える為に、それを拒んではならないと説かれている。在家の者は出家者のようではならない。これは、戒律から言えば、破戒、虚言となる。仏は、私達が仏法を学ぶことによって人を苦しめるようには教えなかった。縁に従って行かなければならない。それを無理矢理に捻じ曲げてはならない。内心が最も重要なのであって、外見は重要ではない。

そなた達に出家の縁がないのは、ある面から見れば、業が重いからであり、ある債務を返済し、返済を受けなければならない。しかし、自分が何の為に仏法を学ぶのかが内心はっきり分かっている。それは即ち、輪迴の家からの出離だ。この言葉を明らかに決意するならば、今世に苦労が多くても非常に順調であっても、修行の道に影響を与えることはない。もし、この方向を確定しないなら、ある出来事に遭遇した時、容易に退転してしまう。輪迴三界の中の何れの場所も、苦が真の本性である。苦故に逃げ隠れをしては解脱できないのである。

人間界・天界の福徳を修めることもやはり苦である。善を行じ天に昇った故、最初は幸せであるが最後は必ず地獄へ行く。原因は一、天人には神通力があり、自分がまもなく死ぬことを知り、心に怨念が生じるからである。二、天人が死ぬ時、眷属と友人もまた離れて行く。なぜなら、その時天人の髪は散乱し、身体は臭いを発しているからである。天人は自分が地獄に堕ちることを知ると仏を誹謗する。なぜなら、天人は少なからず仏法、特に無色界天を修したが、涅槃であると考えて修していたものが違う事に気付いた時、仏法に対して恭敬しない心を生じるからだ。天人の時間がどのくらい長くても、ある日、輪迴する。

よって、仏法を学ぶのは神通力、感応を学ぶことではなく、輪迴を断ち切るためで、常に輪迴が苦であることを思惟しなければならず、仏法と上師に依り、成仏果を得るまでずっと修持する決意をしなければならない。

瞋恚が強い者は必ず地獄へ堕ちる。瞋恚は、言語、行動、思想を含む。私達は皆、他人を怒り憎んだことがある。怒る前、血液は上へ急に昇り、顔が赤くなり、心は火のように燃え上がる。瞋恚が強いと熱地獄に堕ちる。心は既にこのような感覚に慣れているので、死ぬ時は自然に業力に引っ張られて熱地獄の苦を受ける。熱地獄は、閻魔王や菩薩が作り出した処罰する所ではない。もしこの業を為していないのなら、熱地獄へ行っても感覚はない。今世に殺生業があり、親不孝で、仏法を恭敬せず、闘争を好み、汚職、五戒を破るなら、全て地獄に堕ちる。よって、仏は地獄の衆生の数は、雪が降った時に天空に舞う雪の如く多く、数え尽くせないと説かれた。地獄に堕ちる事が極めて簡単で、一考えがあったらそなたに行かせるのである。

家に癌に罹った者がいるなら、隠さずに、医者から伝えてもらうことも可能である。そうでなければ、彼は死ぬ前に自分が癌であることを知ったとしたら、そなた達が自分を陥れたと思い、早く言ってくれれば自分は医者を変えて、別の方法を探し、早目に仏法を学んだのにと考えるだろう。こう思ったなら、地獄へ堕ちる。癌に罹った者は善知識の手助けがない場合、必ず99%で地獄に堕ちる。癌で死ぬのは必ず殺生業が重いからだ。先生となっても入念に教えない。因果をたとえ汚職、心の毒だと説いても、逝く時は苦しむ。昏睡していてもその神識ははっきりしている。心の中で、そなた達はどうして私を助けないのか?助かると言ったのではないか?と思う。だから、家族に癌に罹った者がいるのなら、正直に伝えなければならない。こうしてこそ、彼はこの事を受け入れられなくても、最低、そなたを責めることはないだろう。

大部分の癌患者は非常に驚くだろう。癌イコール死ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェに施身法を教えたある老ラマ僧は胃癌で亡くなったが、手術や化学治療等を受けず、禅定に入り坐って逝った。台湾では平均9分間に1人が癌に罹る。SARSよりも恐ろしい。何故か?水源を汚染し、バーベキューをし、魚を殺し、仕事のやり方が悪辣であるなら、癌に罹る機会が極めて高くて、一念の差で地獄に堕ちる。

大蔵経に次のような物語がある。:ある大修行者がある寺院に投宿した。夜、窓の方から焼け焦げた匂いがしてきたので窓を開けて見てみると、出家者の霊が見えた。身体には枷鎖を付け、その枷鎖は火に焼かれていた。修行者は、この霊にどのような因でこのような果を得たのかと尋ねると、その霊は、「自分は過去にこの寺院の住職をしていた者だ」と答えた。ある時ある人が本殿の仏像用にと指定して大金を供養した。しかし、この住職はそのお金で僧坊を建ててしまった。自分で盗用したのではないが、約束を違えたことになり、堕ちたのである。彼には福徳があったので、修行者に御経を上げて貰い済度された。自分の一生において、人が言ったことを引き受けて行わず、何度人を失望させ苦しめたことがあるかを考えてみなさい。

そなた達が仏法を聴きに来る時、そなた一人で聴いているのではない。累世の冤親債主も共に聴きにきている。もしそなたが三宝を恭敬するなら、宿世の怨者、親者と眷属が皆、済度され、彼らは歓喜心を生じてそなたを助けに来る。もし、そなたが寄り掛かって座り、居眠りをし、恭敬心がないなら、彼らは済度されず、この善との因縁を断ち、祖先は怒ってそなたを痛い目に合わせるだろう。自分自身に申し訳ないだけでなく、歴代の祖先に対しても申し訳が立たない。科学者がスコットランドで9千年前の人の骸骨を掘り当て、近くの村からも同じ遺伝子を発見した。9千年という年月は、虚空から言えば、非常に短い時間である。それなら、どの位の祖先が存在するのか?こう考えると、リンチェンドルジェ・リンポチェがそなたを責めるのを好んでいるのではなく、明らかに地獄へ堕ちるのが容易し過ぎることが分かる。もし、依然として軽々しく日々を過ごすのであれば、地獄行きは簡単だ。閻魔王の処罰でなく、自分の業力によって引っ張られる。

今、髪の毛を滅茶苦茶に上へ跳ね上がらせている人が沢山いる。それはまるで、熱地獄の様だ。在世においてどんな相を現ずるかによって、どこへ行くかが分かる。顔が角ばっているなら、後に牛や羊、或いはサイになる。顔が変わらないのは心が変わらないからだ。おかしな事が好きなら心もおかしくなる。外見は心から反射して行く。鼻にリングをし、耳に8つも穴のある若い女性がいた。リンチェンドルジェ・リンポチェは「お金持ちの婦人でこうしている人を見たことがあるか」と尋ねられた。「ありません」「それなら、そなたがこうやって穴を開けるとお金もなくなるし、男性も寄ってこないよ」と話された。彼女は即座に、鼻のリングを外した。在世の時に他界後の相が現れる。仏が私達を騙すことはない。不幸にも地獄へ堕ちたら、最低でも人間界1千年に相当する時間だ。よって、世間では、七月は鬼門が開き閉じると言われるが、真実ではない。

続いて、各種地獄の苦について説かれた。:地獄の衆生の中には、まるでローストダックのように鉄叉を通され、油が滴り落ちるまで焼かれて火炙りとなる者もいる。だから、バーベキューをしてはいけない。皆がこうなっても構わない、何ともないと思ってはならない。ここにいるある子供が人にくっ付いて行って川原でバーベキューをし、龍族を傷つけてしまった。帰ってきて絶命的な病気に罹り、医者は治す事はできず、リンチェンドルジェ・リンポチェに救ってもらった。鉄板焼きを好んで食べる者は、死んだら地獄において鉄盤に載せられて焼かれる。この動物はもう死んだから焼いても関係ないと思ってはいけない。衆生によっては死後もまだ肉体に未練が残り、神識が離れようにも離れられず、その場合、肉体が切られ焼かれたら当然苦痛がある。神識が既に離れても感覚が依然として残り、恐らく、殺した100匹の魚の内、45匹の神識はまだ離れず、煮たり揚げたりすれば、死んだ時の果報は同じものとなる。死ぬのを待たずとも、火傷は殺生業と関係がある。

熱地獄には、「大叫喚地獄」と「小叫喚地獄」もある。リンチェンドルジェ・リンポチェは、以前、夜八時過ぎに台湾大学病院の腫瘍科へ赴き病人の為に加持を授けられたことがある。その内の一人の患者が苦痛により大声をあげ始めると、その他の患者もあちらこちらで絶え間なく大声を上げ始めた。まるで「叫喚地獄」のようで、凄まじく悲惨で、豚や牛が殺された時のような叫び声だった。殺生が多ければ叫び声も悲惨である。特に、殺生を快楽としているのなら尚更である!

また、地獄には三千大千世界程も大きな鉄鍋があり、熱く熔けた銅を水とし、衆生はこの中で煮られる。まるで私達が生きている動物をその中に放り込み煮るようなものだ。また、刀林、鉄器林地獄もある。地獄は地球にあるものもあれば、その他の星にあるものもあり、また、深海の中にあるものもある。よって、深海の魚には餓鬼或いは龍が取り付いている可能性もある。糖尿病に罹った者の中には、これらの魚と関係がある場合もある。

チベット人は魚を食べない。一に、ある魚は龍の化身であるから、二に、魚の業が重いから、三に、魚はチベット人を助けるからという理由である。チベットには天葬も水葬もある。水葬の場合、死体は魚が食べて分解してくれる。

また、八寒地獄もある。その中の衆生は皮が薄く、眼は飛出し、風がちょっと吹き付けるだけで非常な苦痛を感じる。凍って水泡ができることもあるので、また「水泡地獄」と呼ばれている。ここは貪欲が強い衆生が入る地獄だ。それはまるで、私達が好きな物を見て所有したいと考え、思わず深呼吸をしたら心がひやっとするようなものだ。または、好きな人に出会い、相手が自分の聞きたい言葉を言ってくれるのを期待し、待っている時に息を吸う。しかし、そなたの考えを満足せずに拒絶されてしまうと、冷蔵庫に入ったような気持ちになる。そのような感じだ。その他、くしゃみ地獄、緊歯地獄(寒くて歯を食い縛る)等、どれも、寒冷地獄で受ける苦である。

寒冷地獄の衆生の寿命は長い。一斗のゴマを100年毎に一粒ずつ取り出してからになるまでの長さであり、こんなに長い。

それから「耕長舌地獄」がある。舌が非常に長く、鉄の鋤で上面を引っ掻かれる。傷口がよくなったら又引っ掻かれる。舌を咬むよりずっと痛い。裏表がある、人の仲を裂く(離間)、上師に対して嘘をつく、約束を守らない、これらはこの地獄へ行く。営業する者は人を騙してはいけない、商品の長所と短所をどちらも人に伝え、選択させるべきだ。仏は、お金を稼いではいけないとは言っていない。だが、不合理なお金を稼いではならぬと言っている。人が苦しんでいる時に弱みに付け込んではならない。例えばSARSの時にマスクの価格が高騰した。仕事の手抜きだ。建築会社が鉄筋コンクリート材を減らして手抜きするのも同じである。

こんな事を言うのはそなた達を驚かせる為ではない。皆に真面目に生活することを促す為である。絶対に、そなたの身口意を怠けさせてはならない。

地獄、餓鬼道は住む場所が定まっていない。山の岩の中に住む者もあれば、氷の中に凍結される者もあり、温泉の中で焼かれたり煮られたり、箒、ガス缶、ドア、柱、釜戸等の生活用品上に生まれることもある。リンチェンドルジェ・リンポチェは、この種の物をたくさん見て来た。霊が玩具、装飾品、カギ、衣服に付いていることもある。人が善を行わず、殺生業が重いなら、このような物を買ってしまう。十分な福徳を積集していれば買ってしまうことはない。鬼が人を傷つけるのではないが、人のエネルギーを吸い取ってしまう。郊外へ行った時は、いい加減な行動をしてはならない。石の上にいる衆生もいる。

ある人が心臟に問題が生じた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、その人が以前、ある寺院の入り口で笑って写真を撮った事を見抜いた。寺院の中では丁度、葬儀を執り行っていて、霊が彼に取り付いたのである。もう一人は頭痛がし、追われて殺される夢を見ていた。元々ミャンマーにいたのだが、他人の家の入り口で下ネタの笑い話をし、更にドアを蹴っ飛ばしたことがあり、その時に霊が取り付いたのだった。ある男の子はいつも飛行機を操縦して米国の飛行機をやっつける夢を見ていた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の家に一つの部品があることを見抜いた。それは元々彼の父親が飛行機を分解した時に記念品として残したもので、霊が取り付いていた。リンチェンドルジェ・リンポチェは捨てるよう彼に指示したら問題がなくなった。

よって、外では一切の人・事・物を尊重しなければならない。なぜなら万物には皆、主がいるからである。最も重要なのは、そなたの止悪行善のレベルである。

法界は十次元空間であるが、現在、科学では既に五次元空間が証明されている。十方法界には六道衆生、声聞、縁覚、菩薩、仏が含まれる。十方法界は同時に存在し、よって、そなたの起心動念(心の動機)を、鬼神、仏菩薩は皆知っている。もしそなたが善念善行を具えるなら、鬼神はそなたを傷つけることなく、そなたを恭敬することだろう。

病院は霊の多くいる場所である。だから、何も用がないなら子供を病院に連れて行かない方がよい。なぜなら、現在、人は死後、すぐに棺の中に置かれて冷蔵庫に入れられる。神識が逝きたがらなければ病院に残ってしまう。しかし、私達を傷つけることはない。心に善念を持っていれば恐れる必要はない。皈依した者は、頭上及び双肩から光が放射される。もし一切を教えに基づいて行動し、誓いの言葉に違わないなら、護法神が即座に来て保護してくれるので、霊が取り付くこともない。霊を恐れるのはまだ貪嗔痴があるからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、真夜中に電話を取り、即座に起きてポワ法の修法を始めることもあるが、今まで恐れを感じたことはない。貪嗔痴が少ないので霊を怖れることがないからである。

2011年1月3日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、殊勝な三十五仏懺及び普巴(プルパ)金剛法会を主催して、参列者が日本の信者15人、インドの信者1人、ニュージーランドの信者1人、日本の弟子1人、台湾の弟子146人及び信者20人を含んで、合計で184人が法会に参加した。

午前中10時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはリードしている弟子が衆生を代表して祈請して、薫香炉と楽器の先導で、また宝傘の導かれたともに、法座に昇って、日本、インド、ニュージーランドと台湾からの信者と出家の弟子は衆生を代表して、恭しく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにに曼達を献上して法を祈請した。リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら三十五仏懺を主法して、そして参列者に貴重な仏法の開示を与えた。

今日は直貢噶舉教派が2011年の日本での第一回法会なので、世界中のどの国、どの民族に関わらず、すべては新しい1年に運が好くなり、事は順調になり、よくないのは発生しないことを望んでいるから、その故に多くの人は新年の元日に寺院と神社に願立てし、いくつか事を祈求しに行く。仏教では、通常は毎年の元日に法会を主催して、法会を主催する意味は仏菩薩が私達に何をくれるかを聞くのではなくて、仏会に再び仏の教えを通して、新しい1年の中にどのように事をしたらいいということを知っているためである。

仏法が世の中の他の宗教と最も違う所は、その他の宗教は彼らの神に過ちを認めたらどんな事でもよくなると思っているが。仏法は過ちを認めることを教えるのではなくて、懺悔を教えるのである。懺悔とは二つの事であり、「懺」は自分がなした事のすべての結果を承認し、責任を負い、受け取るのであり、「悔」はその後に再犯しないのである。お経にはこう言及されるが、人は3種類に分けられて、第1種類は生まれてから一回も誤った事をしていない人であり、このような人の代表は釈迦牟尼仏である;第2種類の人は嘗て誤った事を犯したことがあるが、しかし懺悔を知っていて、もう間違いをしないのである;第3種類の人は間違いをしても懺悔しなくて、過ちを認めない人であり、人類は99パーセントが第3種類の人であり、間違いの事をしても過ちを認めないのである。

以前、リンチェンドルジェ・リンポチェはテレビである科学的な記録映画を見たことがあるが、記録映画の中で何人の四歳ぐらいの子供を探して、子供を一人で1つの部屋の内に置いて、そして先生はこれらの子供に玩具を遊ぶように教えるふりをしに出てきて、この先生は何分間を過ぎて部屋を離れて、離れる前に子供にその玩具に触ることができないように教えて、それから先生は部屋を離れた。すべての子供は先生が離れた2、3分間の後であの遊ふことを許さない玩具を遊び始めた。先生が帰った後に、子供にその玩具を遊んだかどうかと聞いて、すべての子供は殆ど先生に彼が遊ぶことがないと答えた。これは私達であり、私達はすべて間違いの事をして自分が間違いないと答えるのである。

仏は人の福報がどのように増加するのか減らすのかということを知っている。私達の福報を減らすのは間違いの事をしたからであるが、しかし私達はどんな基準に基づいて間違いの事を判断するのか、仏はお経には諭されたことがあって、どんな民族でも、あなたは人とするのでさえすれば、過去世にそなたが嘗てある一世に十善法まで修め得たことがあるから、その故にそなたはようやくこの世に人の体を得ることができる。しかし、我々がこの世の中に生まれてから、過去世になした事を忘れて、人として十善法を修理すべきなことを忘れてしまい、そのためこの一生に人としてすべては十悪法を修理している。

十善法は何なんであるか。第1は、不殺生である。当然、もし肉、海鮮を食べる人であれば、殺生する機会はきっとある。第2は、不偸盗である。簡単に言えば、自分所有ではないものが持つことができない。もし商売をする人は不正直であれば、それも偸盗と言える。第3は、酒に酔うことをしない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、日本では酒に酔うことをしないと言ったが、台湾では酒を飲まないと言う。なぜかというと、日本で酒を飲む人が多すぎるため、そなた達は完全に酒を飲まない可能性が少ないから、あなた達が酒に酔わないでくださいと要求する。何が原因なのであるか、以後に機会がれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは再び釈明する。酒に酔う事をしない項目はタバコを吸わないことを含んで、今医学界は既にタバコを吸うのが自分の体によくないことを証明して、そなたの側に座る人をも傷つける。

第四、不悪口。即ち、人を罵倒せず、人に悪口しない。第五、不離間語。第六、不綺語。即ち、他人を誘惑して悪い事をさせる話を話さない。厳しい言うと、男の子は女性に求愛する時、目的を達成するため、何も約束したのに、結局その後何も行わない。此れも綺語の範囲だ。女の子は男を得るため、相手に離婚させるや色々な事を行わせるなども綺語と言われる。第七、不妄語。此れは主な修行者に対して、若しある果位を修めないが、他人に修めたと伝える。一般人として、若し言語で人を騙して、自分の利益を達成すれば、此れも妄語と認められる。

第八、貪らない。若し自分の能力範囲を超えて他の物を貪れれば、貪慾と認められる。第九、不瞋恚。即ち残酷な心を持たなく、蛇のような残酷な心を持たない。第十、不痴。此れは仏が説かれた事を信じて、因果を信じる事である。

故に今日三十五仏懺を修めるのはそなた達のように十善法をうまく修めない人を助けて懺悔する。この儀軌は釈迦牟尼仏が仏経の中に説かれた事によって書かれた法本である。日本人が寺に行く感じと違うかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェは日本の多く寺に参観した事があって、日本の寺は多くの古い仏像、古い歴史文物を紹介、人に仏経を引き写す事、経典を唱える事を教えると発見した。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェのような方式で仏法を教えるのは少ない。それは日本は商業社会に関わるかもしれないが、仏経には日本が使う方式は唯衆生を助けて、仏菩薩と縁を結びだけである。

各地域は異なり風俗習慣がある。例えば日本人は神社へ行くとき、祈る前に手で拍手を三回して、神にそなたの祈りを聞かせる。だが、若しそなたはチベットで拍手すれば、意味は悪魔を追い払う。歴史に笑い話があって、昔イギリス軍隊は嘗てインドからチベットに侵入した。チベット人はイギリス軍隊が入った事を見て、昔チベットは武器が弱いから、イギリス軍隊を抵抗できなくチベット人は道に立て皆拍手した。イギリス人は自分を歓迎するだと思った。実は本当の意味はチベット人はこの悪魔を追い払うつもりだ。故に地域によって風俗が違う。皆は風俗を忘れてこの法会に参加して欲しい、この法会は完全に釈迦牟尼仏が説かれ、教えられたから。

若し今日誠に懺悔すれば、過去世に悪を作った力は今日そなたに影響が少なくなる。仏は懺悔の人はレベルが三つある。この三つのレベルでそなたが懺悔するかどうかを判断できる。第一は泣く。第二は号泣して、うぶ毛が立つ。第三は最もいいのは目から血が流れる。仏経に唯根器がいい人はこのような現象が現れる。その後はそなた達はわざと泣き、リンチェンドルジェ・リンポチェに見せないで。特に女の子はわざと泣かなく、男の子を思い出してから泣かないで。

また、今日の法会に特別なのは、そなた達は出家衆に従って仏を礼拝する。故にそなた達に機会を与えて、運動しながらダイエットできる。そなた達が数日間に忘年会に参加して、食べられたカロリーを消耗する。

リンチェンドルジェ・リンポチェは信衆を指示して、法本を置く机を前に移させた。また、丁寧に出家弟子を指示して、通訳者は通訳して、日本信衆は従って唱える後に皆を連れて仏を礼拝する。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を率いて、「一切有情恒常に上師に皈依する」と唱えた。また、密宗の中に師に皈依する事はとても重要だと開示され、上師とは法席に座る上師である。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは三十五仏懺を修めて、出家弟子は現場にいる皆を連れて、恭しく上師及び諸仏菩薩に頂礼した。礼拝が終わり次第、皆は長く跪いて恭しく合掌して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは皆を率いて法本の中の懺悔文を唱えて、諸仏菩薩及び上師の前に今世、前世、無始世以来、輪廻の中に自分が行って、教唆し、随喜した様々な罪業及び障害は全て、これから止めて二度と犯さないと誓った。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を開示して、この文章は仏及び上師は皆の懺悔を受けると現れた。仏法の懺悔とは自分が直接に間違ったというわけではなく、必ず仏像及び上師の前に懺悔しなければならない。「発露」とは話して隠れられないという事である。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは現場にいる皆に現場に発露懺悔の珍しい機会を賜って、皆に此の世に行った間違った事、若しはっきりに覚えないなら、2010年に間違った事を自分の言葉で話せる。大きい声でも小さい声でも或いは側にいる人に聞かなくでも構わない。

法会に参加者皆は発露懺悔し始め、自分の過ちを思い出して正直に自認し、多勢者は思わずに涙が頬にあふれた。続いて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは皆を引き連れて三十五仏懺の法本の中にの迴向祈願文と懺悔文と唱えて、今回拝懺した功徳を仏菩薩の広大の功徳の大海へ迴向して、それに、一々全て作った十不善業を懺悔した。リンチェンドルジェ・リンポチェは気がついた。先ほど発露懺悔していた時、ある者は自分がどこで間違ったか知らないので彼らが自分の過ちを言い出さなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは前、既に皆に十善道、十善業よって懺悔すると開示された。そなた達はこの一生の中に誰がの人を叱る事がなくて?まだ懺悔しないか?まだ間違ったと思わないか?また誰かけしかけたことがないか?そなた達はまだ自分が懺悔する必要がないかこれは何故リンチェンドルジェ・リンポチェが先程子供の事を皆に申されたゆえで、そなた達は全部し間違ったのに承認しないのである。

続けて,リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を引率して、法本の中の懺文を読んで、皆にもう一度自分と有情衆が全てした悪業を懺悔させて、今後もう犯さないように祈請し、それに、業障が常に消えて尽くすように願った。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された。この段落は仏がとても慈悲の表すで、衆生にとって懺悔することがとても難しいと知って、それで、この段落の経文はまた皆を率いて懺悔する。リンチェンドルジェ・リンポチェはもう一度法会の参加者皆に発露懺悔するチャンスを与えて、言い出させた。小さい事が重要ではないと思わないで、そなた達は一匹の魚を食べたら、一本の命を返し、一枚の牛肉を切ったら、一枚の肉を返し、他人を騙したことがあれば、他人きっとそなたを騙し、若い頃不孝行するなら、年を取ったらそなたのお世話をする者がいない、人に承諾したのに行わなく、これらは全部懺悔する必要である。

今日道場に来た者はすべて殺人のようなひどいことをしたことがなく、すごく重大な法律犯罪を犯したこともない。そなた達はこんな重大な過ちをしたことがないがあれら良くないこ及び小悪を毎日をやっている。どんな大きいことも全部小さいよりだんだん蓄積してきたのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは過去世に殺生したことがあり、この一生嘗て多くの海鮮を食べた。それでこの一生、リンチェンドルジェ・リンポチェの腰がとても良くなく、大変痛くて、その外に、何回事故があって、ほとんど死んだ。過去で人を騙したことがあり、それで、今世若い頃商売をした時も人に騙されたことがあった;過去世にはよく佈施、供養をしなかった故に、この一生に嘗て貧乏で食事をするお金さえもない。過去世の殺生と今世の殺業によって、皮膚癌にかかって、過去世の殺業によって、この一生に全て眷属が不円満である。

リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学んで懺悔をするため、これら良くないことが引起したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは正直に懺悔した次第に一つ新しい生命の始めを得た。仏法の中にとても豊富な人生経験がもらった。仏法は誰に対しても役に立つ。そなたはどんな者を問わず、仏は日本人、中国人、西洋人と分けなく、仏も仏法は日本仏法、中国仏法或いは西洋仏法に分けると申されない。リンチェンドルジェ・リンポチェが全て経験したのはそなた達にとって一番悪いことが、今全部過ぎた、懺悔の力は大変大きくて、そなたが懺悔すれば、ある日に必ず良く変わった。

此処まで、三十五仏懺の法本によると、仏がまた皆に発露懺悔のチャンスを与えて、皆に自分の身、口、意が全て作った悪を言い出させた。皆はもう一度発露懺悔して、リンチェンドルジェ・リンポチェは同時に百字明呪で皆を加持した。大変慈悲な呪文を唱える声の中で、参加者皆は一層涙が雨のように流れて、声が出ないほど泣いた。

発露懺悔し終わった、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を座らせて、それに仏法を開示された。今日お辞儀した三十五仏懺は大蔵経、寶積経の中に釈迦牟尼仏が説いた拝懺の法本である。釈迦牟尼仏は寶積経の中に述べた、どの衆生でも仏を学び、菩薩道を習いには障碍があり、この懺悔法門を拝むならば障碍をを取り除くことができる。障碍とはそなたが仏を学びたいが常にわけを作って来られない。例え、自分がすごく忙しくて、或いは仏法は自分に対してあんなに大したものではなく、仕事と商売の方が重要で、また友達と一緒にお酒を飲むのが大事で、これらはすべて障碍である。

皆のご存知の通り、リンチェンドルジェ・リンポチェが多くの商売をするが、仏を学んだり、修行したり、彼方此方に法会をしたりする事をしても、商売も減る事がない。2007年直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェを連れでネパルの大雪山に向いて3ヶ月余りで閉関し、そこに閉関すると外界と何を連絡が取れられなかった。閉関する前に、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ三ヶ月の社員給料、会社と店の家賃を準備しておいだが、閉関したら商売に何か影響がある事を完全な考えた事がなかった。今回、日本に来て法会に主催し、今日の日付で台湾では既に正式な仕事をしているが、商売人に対して、お休みを終ってから仕事をしなければいけない。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に法会を主催する事を承諾したので、行けなければならないのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは普通の仏法の修行者に比べて一寸違って、リンチェンドルジェ・リンポチェが自分の命の生活を以って仏法から教導する事が役に立つかどうかを認めた。リンチェンドルジェ・リンポチェの生命の変わりと生活の好転にて、仏が諭す話が正しいである事を証明している。

リンチェンドルジェ・リンポチェは何年で日本に来て、日本人が仏法に対して極めて尊敬すると発見していて、これは中国の隋朝、唐朝の前に仏法が既に日本に伝えて、しかし、現在の日本人が如何に仏法を尊敬する事がしらない、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本にこんなに長くて来て、正式な何人の弟子を収めた事がない、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが急がない、ゆっくり待っている。だから、そなたは、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本に来てお金を稼ぐ事を思ってはいけない、実には、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本に来て赤字になる。日本人は必ず可笑しいと思っていて、赤字になったら何故リンチェンドルジェ・リンポチェがまた来るのでしょうか。これは仏を学んで修行する者が仏法が各々所で助けが要る人に助けれる。そなた達は、またリンチェンドルジェ・リンポチェが何故来る事を問合せた。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本と前世に縁がある事と言われて、詳細の物語が今日に暫く説かないで、皆に一寸推測しておいた。

仏は誰かが仏を学ぶ事を断った事がない、けれども、仏を学ぶかどうかがそなた達が自分で決意し、時間に至ると学びたいでも間に合わない事をしてはいけない。日本人は、墓参りの風俗があり、厳格で言えばこれも中国から伝わって来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学んだから、亡父の墓に行った事がない、これはリンチェンドルジェ・リンポチェが自分の父親に天堂に向く事を助けてくれて、だから、墓にただ石と土だけで残っている。若しそなた真にそなたの両親と祖先を思うなら、仏により、両親が生きている時に彼たちによく親孝行していく。仏は真に親孝行する者が仏を学ぶ者と諭されて、若し、両親と祖先が既に死んだら、彼に良い事が彼に代って役に立つ法会を多くて参加し、これは祖先にとって助けがあり、墓参りをすれば彼に良いのではない。

実は中国人は以前から墓参りをする事が祖先を思慕する事を除いて、3月の春に祖先を墓参りへ行けて、これは冬を経るので、皆に外に歩く事を望んでいて、また、中国時人も9月で墓参りをして、これは夏に暑いので、郊外により涼しい所へいける事を望んでいて、これは中国人の墓参りの文化背景のわけである。仏は祖先の祭りを反対した事がないし、皆が盲信する方式によりしてはいけない。

午前の法会が円満であり、皆は先礼拝した事があるので、より腹を空けて、リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥仏法センターに弁当を準備しておく事を指示させた。午後の法会は2時から開始し、同様に十分な重要である法会で、現在、このような災難が多くて変化が多い時代では、我々がこの本尊の保護が極めて要る。本来、ある者が来ないと話したが、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼を追い詰めてこなければいけない、これはこの数年間で我々が若し本尊の保護がないなら、天災が真に多くて、だから我々が仏法の保護が要るのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは2010年に多くの火山が爆発し、天気が極めて極端する事を予言した事があり、雨を降ったら激しいし、天気が寒くなったら必ず極めて寒い、現在皆は2010年真にこのような状態で、2011年がこの方向を続けて伸びていくのである。

ヨーロッパに仏を学ぶ者が少ない、少ない人が仏法を信じていて、しかし、日本に仏を学ぶ者が多くないけれども、京都で多くの古い仏寺を保存し、以前古代の人が仏法に対して修行した事があり、これらの福報が現在一寸日本を守る事が出来る。最近、日本で激雪を降ったが、他に比べて以意外がより少ない、リンチェンドルジェ・リンポチェは唯一つの心配があり、これは日本人が海鮮を食べ過ぎた。だから、我々仏法にて見ると、これは殺業が重い、殺業が重い所が意外がより多いかもしれない、だから、今日の一日の法会が皆に祈ってくれて、特に午後修める本尊が普通な人が修めれない、だから、皆は暫く弁当を食べてから一寸休んで、それから午後の法会を続けて参加する。

午後2時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはリードしている弟子が衆生を代表して祈請して、薫香炉と楽器の先導で、また宝傘の導かれたともに、法座に昇って、自らプルパ金剛法会を主法して、そして参列者に貴重な仏法の開示を与えた。

今日午後修める本尊はプルパ金剛であり、プルパ金剛この本尊は日本で修めている人がいなくて、金剛薩埵の憤怒尊であり、今皆さんは一般に仏寺の中で仏菩薩の様子が寂静尊と称して、つまり比較的に慈悲の様子である。現在は台湾、中国、日本など仏法がある地方では、顕教の中で憤怒尊を修めていないのである。憤怒尊は慈悲の最高な段階になってようやく修めることができるので、もしも慈悲心を修めていないならば、憤怒尊を修めるのはとても危険な事である。

密宗の中でなぜ憤怒尊があるのか、その原因が二つある。日本で皆は全て、不動明王と称す本尊を聞いたことがあって、不動明王も金剛部に属するのである。仏菩薩が衆生を度するため、必ず衆生と同類でなければいけなくて、例えば人類を助ける時に、仏と菩薩は全て人の様子が現れて、同類で人類に助けを与えにくる。お経には記録があって、釈迦牟尼仏は過去世が鹿、クジャク、類人猿、熊でああり、仏陀はこれらの身が現れて同一の種類の動物を度するためである。だから、金剛部の本尊は憤怒相が現れて、専門にあれらの心が比較的に複雑であり、悪念と業が比較的に多い衆生を度するのである。

それに、憤怒相が現れるのはなぜであるのか。ちょうど両親或いは教師が子供を教えていると同じように、子供に言うことを聞かせることを教え始める時に、両親と教師は全てにこにこと聞きやすい話を言って、あやす方法を使う。もしも子供はずっと言うことを聞かないなら、両親と教師の様子は比較的に厳しくなり、子供に恐れさせて、子供にようやく言うことを聞かせて、教えに従うことをさせる。

憤怒尊を学ぶのは普通な人ならば学ぶことができない、必ず慈悲の本尊を先によく修めなければならなくて、よく学ばなければならなくて、そうしてから、はじめて上師は彼に憤怒尊を伝えることを考慮する。プルパ金剛は金剛薩埵の憤怒尊であり、つまり金剛薩埵は非常に慈悲な様子が現れることがあり、同じく普巴(プルパ)金剛のように憤怒する様子が現れることもある。お経には記録があって、古代に多くの衆生を傷つけた1人の悪魔があり、そこで金剛薩埵はこの悪魔の様子になってこの悪魔を屈服させて、その後プルパ金剛と称した。お経には、プルパ金剛は阿弥陀仏、大勢至菩薩、文特菩薩、金剛手菩薩と大威徳金剛意の代表である事を諭されることがある。

嘗てこのような記載がある、蓮花生大士はネパールにある1つの洞穴が閉関する時に、プルパ金剛を護法にしたので、その故に蓮花生大士はこう仰った:プルパ金剛を修める行者がすべて吉祥になり、一切の功徳、長寿、富、眷属円満-即ち多くの出来が持つこと、政教発達-つまり仏法の事業がとても発達していること、威力は無窮であること、最後まで円満になること、などことを備えることができる。最後まで円満になることの意味は行者がこの本尊を成仏まで修めることができるので、ずっとこの本尊の助けを得られる。だから、そなた達は今、どうしてリンチェンドルジェ・リンポチェがこれらの条件があり、さっき言ったすべてを持っていることを知っているのだろう。というのは、リンチェンドルジェ・リンポチェはプルパ金剛を専修するので、威力は無窮である。

プルパ金剛について多くの法門があって修行できる。今日修めるのは伏蔵法である。伏蔵とはチベット仏教の中に特有な法門である。それは昔蓮師は多くの法本を洞穴、水の中に隠し、ある法本を空行母に渡せ、即ち天神は保護する。この法本の加持力及び威力は極めて大きく殊勝である。今日修める法本も昔の上師ニナリンパが見つかって、直貢噶舉二十九世法王はまとめた。プルパ金剛は全て金剛乗を修めたい修行者を助けて一切障碍を取り除ける。此れもプルパ金剛の願力である。プルパ金剛は一切金剛乗を修める修行者を守って助けるから。プルパ金剛は一切魔王、鬼を降伏でき、特別な法力があるから。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て日本にプルパ金剛である神社の鬼を降伏した。

今日法会に参加した利益は精神、情緒及び脳方面等の疾患を駆除する事が出来る。また、一切亡霊、竜や神が引き起こすすべての無名病と癌を駆除する事が出来る。現在世間に多くの治れない疾病があって、全ては亡霊、竜或いはそなたが拝む神に気に障ると関係がある。今日の法会も年、月、日、時の動きと違えて起こる意外事故を避ける事が出来る。総括すると、各人は機会があって、ある年、ある月、ある日、ある時に事故に遭うかもしれない。軽いのは怪我になって、ひどいのは死亡になる。仏経に時に在らずして死ぬこととある。即ち今日、今年に死亡しないはずなのに、事故に遭って死亡させた。

また、今日の法会も星宿の変化を避ける。つまり、惑星は生じ、滅び或いは軌道にずれるによって起こる水害、火災と地震などの天災だ。例えば、地球は2010年に多く水害、火災、地震が起こったが、若し天文学を注意する人も分かるが、2010年に太陽系の中に遊星が多く変化し、銀河系の中にも多くの星が変化した。

今日の法会に参加すると、他者が毒を盛ったり、詛咒をしたりして引き起こす傷害を防止できる。そなた達を助けて、累世に行った業障を取り除く。業障とは仏法の解釈はそなたに仏を習う事を障碍して妨げる力だ。例えば大金持ちの人は仏を習いたくない。此れも業障の一つだ。ビジネスを忙しくする人もしっかりに仏を習いたくない。他の宗教を執着に信じる人も仏を習いたくない。男女の間に恩愛の情が深すぎると、付き合い、結婚しか考えない人も仏を習いたくない。子供をうまく世話する人も仏を習いたくない。ペットをうまく世話する人も仏を習いたくない。だから犬や猫をとても愛する事も一つの障碍だ。

皆は今日修める法に対して絶対の信心を持って、疑わないで。金剛部の本尊及び慈悲部と違って、そなた達は今日の法が自分に役に立つかどうかを考える必要がない。この事を考えなくてもいい。そなた達に役に立つかどうか、そなた達はすぐ分かるわけではない。よって、皆は仏は我々を騙さないと信じればいい。皆は恭敬の心が必要である。

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは始めてプルパ金剛を修めた。修法して真言を唱える過程において、リンチェンドルジェ・リンポチェは数回に極めて低く沈み雷鳴のような叫び声を発し、獅子はほえるような呼吸の音を発した。眉を逆立て、目を突き出し、口を歪めて、極めて獰猛な表情を表した。それは、プルパ金剛の忿怒相と全く同じで、声と表情は人が為せるものではない。現場にいる皆は自らプルパ金剛本尊が降臨するような無比震撼、勇猛の力を感じた。

修法している間にリンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を指示して、自分の名前を三回話した。法会の間に参列者は皆リンチェンドルジェ・リンポチェが加持された供え物を得て、法会の中に仏菩薩と一緒に食べ物を食べる得難い殊勝な因縁を得た。リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲に指示して、参列者に壇城に上させて、自らプルパ杵で全ての参列者を加持して、貴重な寿球及び寿酒を賜った。

加持する前、リンチェンドルジェ・リンポチェは特別に解釈した。密法によって、どの有情衆生は、即ち人類と動物のお体は全て父親の精と母親の血と結合したものである。しかし我らは生まれてからいつも精と血を消耗している。人間は精と血を使い尽くしたと亡くなる。今日リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のため精と血を補充する。精は事業の表れで、ここの事業は商売のことではなく、仏法の事業である。血なら智慧の表すである。この二つを食べるとそなた達が若く或いは綺麗になるのではなく、そなたの青春、体力を回復させて、そなたが良く遊びに出るのをさせるのでもなく、そなたの体力を増やしてそなたに良く仏を学ばせて、修行をさせるのである。耳に入れない或いは信じなければ、そなたが食べたのは只麦粉団子とジュ-スである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは特に日本地元の男信者に1つ秘密を教えた。今年リンチェンドルジェ・リンポチェが既に63歳になったが、夜は起きて便所に行く必要がない。男が夜に二、三回が起きるのを要するなら、それは彼のお体が良くないとの表れである。精が既にほぼ使った。例え、女の子は寢付きにくければ,それは血も殆ど使ってしまったのである。だから、今日の法会の中に、皆が三宝に敬って、信じんであれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが今日すべてやったことはそなた達に助けがあろうとする。

リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の家族を例とした。曽祖父はひどく殺生したので、曽祖父からリンチェンドルジェ・リンポチェの亡父の世代まで、男は全部心臓病と高血圧病にかかって、それに55歳までしか生きられない。リンチェンドルジェ・リンポチェのこの世代は、リンチェンドルジェ・リンポチェのお姉さん、妹、弟は全部手術を受けたことがあり、またすべて高血圧があった。高血圧との病気は血圧が高くなったせいで引起したのではなく、殺生に起こされたのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは36歳から仏を学んだので、兄弟姉妹が全てあったことはリンチェンドルジェ・リンポチェの身に発生しなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの弟は32歳から高血圧があった。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分40歳前も高血圧があったが、薬を飲まず、医者さんに見てもらわない下に自然に治った。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが仏を学ぶと懺悔することで自分の命を変わった。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェ今日は皆の為に、プルパ金剛に皆を守るように祈請する。

法会の参加者皆は1人ずつ前に来て敬って殊勝な加持を受けて、心より感激した。皆は一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着ると言った。

リンチェンドルジェ・リンポチェは申された、今日の法会は全て円満である。この法本は実は只この一冊ではなく、全部修めると3日間でないと修め終わらない。先程皆に自分の名前を言い出させたのは、プルパ金剛にそなた達を守って、そなた達がもう過ちをしないのをさせるように祈求したのである。人はし間違ったら直せば全て良く変わる。一番恐ろしいのは間違っても直すことはしない。この者はもう期待が出来ない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは知っている。ある日本信者は伺いたくて、法会終わり後リンチェンドルジェ・リンポチェと面会を申し入れるように希望している。自分の病気に聞きたい者なら、今日このプルパ金剛法会に参加して、そなた達の病気に役に立った。例え、そなたの事業、仕事、婚姻、感情など、リンチェンドルジェ・リンポチェに聞く必要がない。聞きたいなら、リンチェンドルジェ・リンポチェの身分によって、値段がすごく高くて、だから、もう聞かないで。

実は、皆の知る通り、リンチェンドルジェ・リンポチェは「痛苦與快楽」という本を書いた事があり、この本は既に日本語に翻訳されており、アメリカではハーバードなどの7校の図書館が、イギリスではオックスフォードの図書館がこの本を収蔵している。通常、このような大学の図書館は人類に役に立たない本を収蔵しる事はしない。実は、この本には、そなた達のレベルに適し、そなた達が求める答案が全てある。その上、そなた達が外食を一回で省けば、お金があってこの本を買える。

ある者は本を読んでから、自分が分からないと話して、勿論が分からなくて、此れはこの本にラブストーリーではなくて、幻想的小説ではなくて、可笑しい事を話す事ではなくて、ハリー・ポッターと言う本ではない。この本は台湾、中国とアメリカで多くの人々を助けてくれて、若し我慢強いなばら繰り返してこの本を読めれて、リンチェンドルジェ・リンポチェが此れがそなたに助けがある事を信じている。だから、その後がリンチェンドルジェ・リンポチェの体力を消耗する問題を提出してはいけない。若しそなたは質問しなければならないならば、此れがそなたが今日リンチェンドルジェ・リンポチェからそなたに修めてくれる法を信じない事を示し、この法がそなたに対して役に立たないのである。

実には、人が唯これ等の幾つの問題だけであり、お金、愛情、事業、健康と詰らないである。だから、皆はリンチェンドルジェ・リンポチェの体力を消耗してはいけない。先、リンチェンドルジェ・リンポチェが昼食をしてから休んで時に、大体午後1時半に、リンチェンドルジェ・リンポチェの部屋が急に搖いて、此れはプルパ金剛がリンチェンドルジェ・リンポチェに早目に皆の為に修法してくれる事である。

もし日本の信衆はそれから問いたい問題があれば、リンチェンドルジェ・リンポチェの寶吉祥仏法センターウェブサイトを見れて、このサイトには多くのリンチェンドルジェ・リンポチェが仏法に関する開示がある、また、多くの信衆が仏法の助けを受け入れる物語があり、リンチェンドルジェ・リンポチェがこれ等の事がそなた達に助けがある事を信じている。今後、日本信衆は日本の当地で仏法を学ばれる事を求めれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本に正式な仏法を伝授し、そなた達が密宗を修める上師が占い師と思ってはいけない、それなら、そなたがこの上師の能力を浪費させる。

もしかしたら、多くの信衆は仏を学ぶ事が命では最も重要な事ではないと思っていて、然し、リンチェンドルジェ・リンポチェの私的修行経験により、また、多くの仏を学ぶ修行者の経験により、ただ仏法だけで我々の人生が変わられて、我々の未来が変わられる。上師として、ある教授のようにそなた達に課業と学問を教えて、学生として学ばなければいけない、宿題をしなければいけない、此れは教授がそなた達に代わり宿題をしてはいけない。今まで、全世界の宗教は彼らの神様が宿題をしてくれる事を望んでいて、つまり自分が何もする事が要らなくて、神様が彼らをくれる事が十分である。

リンチェンドルジェ・リンポチェの亡父は嘗て道教を修めて、非常に物凄くて、ただしどれだけ物凄いことにかかわらず因果が変わる事が出来ない、自分の命が変わらず。リンチェンドルジェ・リンポチェの亡父は短命で、50歳余りに死んでしまって、だから、父の死亡もリンチェンドルジェ・リンポチェに極めて多くの刺激をくれた。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはずっとある自分に自分の人生を制欲する事が出来て、自分の未来人生が変わられる方式が探しているわけである。リンチェンドルジェ・リンポチェが書いた本には、世間のいかなる学問、理論或は方法にも拘らず、我々の命が変わる事が出来ない、ただ仏法だけ出来る事と記載した事がある。

だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは日本の信衆が毎日に少し時間でリンチェンドルジェ・リンポチェのウェブサイトを一寸見る事が出来る事を望んでいて、此れはそなた達が居酒屋へ行ってお酒を飲む事により意義があり、その上、そなたがテレビの一部神経症ような人が芝居をする事いより意義がある。そなた達は、テレビのそれらの神経症ような人が芝居をして嬉しくて笑う者であれば、そなたが彼らの同類を示す。若しそなた達がまた何か質問があれば、サイトでリンチェンドルジェ・リンポチェに問い合せる事が出来て、毎日に10分、15分ぐらいにかかってウェブサイトの内容を見たら、そなた達に対して助けがあります。若し、そなた達はまた何か質問があったら、サイトでリンチェンドルジェ・リンポチェに問い合せる事が出来て、若しリンチェンドルジェ・リンポチェが時間があれば、そなた達に回答し、然し、若しそなた達のご主人、奥さんがそなたに愛さないような事であれば、このような事を問わないてはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェの今日の開示が日本語を訳してウェブサイトにおいて、そなた達は約1週間以降に見えれる。

法会は円満に終わり、リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に謙虚な皆に謝って、参列者は心から貴きリンチェンドルジェ・リンポチェが自ら殊勝な法会を主催し、無比な珍しい密法を皆に助けて、虚空に無数な衆生を利益する事を感謝致した。

2011年1月9日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは海外へ弘法に行って台湾に帰ってすぐに空港から台北寶吉祥仏法センターに奔走して、殊勝な「阿弥陀仏、観音菩薩、蓮師」仏会を主催した。

法会開始前、ある弟子は先ずは大衆に彼女の感想を分かち合った。リンチェンドルジェ・リンポチェは台湾にいるならば、毎回土曜日にすべて寶吉祥仏法センターで信者に接見して、たとえ先週の日曜日にリンチェンドルジェ・リンポチェは日本に出発する予定であるが、その前日の土曜日にもまだ午後4時過ぎに道場に着いて信者に接見したのである。当日に大体2、3百人の信者が来て、夜9時頃まで、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に5時間信者を助けて、9時半まで終わると開示したが、9時半になって、会場にまたそんなに多くの懇ろに面会する事を望みたい信者を見て、リンチェンドルジェ・リンポチェはまた10時まで接見することを開示したが、10時にまだ残りの数人の信者を接見していないから、更にとても疲れるリンチェンドルジェ・リンポチェは、また再度すべての信者を接見し終わるまで延長してから、やっととても疲れるようになり法座を降りた。

リンチェンドルジェ・リンポチェが信者を接見するのは表面上ただいくつかの話を話したり、加持の動作をしたりすることだけではなく、実はひと言を言ったり、1つの加持をしたりするのは、すべてとても大きなエネルギーを消耗しなければならないから、とても非常に苦労で疲労するのである。その上、先週来た多くの信者達は体の状況があまりよくないから、その故にリンチェンドルジェ・リンポチェはもっと大きなエネルギーを使って彼らを手伝った。

この弟子はひそかに面会を申し込みにくる信者と雑談したことがあり、信者がすべて自分の問題がとても差し迫っていて、すぐリンチェンドルジェ・リンポチェの助けが必要とすると感じることを知っていて、彼女は信者の立場から見れば、皆が当日にリンチェンドルジェ・リンポチェの開示と助けを得ることができるよう望んでいる気持ちがよく知っている。しかし法座の上のリンチェンドルジェ・リンポチェがこのように大変であるのを見て、大変苦労すると思っているから、リンチェンドルジェ・リンポチェはそのように働きすぎて疲労しないでと望んでいる。そのため、彼女はすべての弟子達に提案して、もし親友にリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに来ることを紹介して、先に親友に一心にリンチェンドルジェ・リンポチェの著作《快楽と痛苦》を見終わってもらうことができて、多くの問題は事前に解決できるかもしれない。この前、ある兄弟子が分かち合ったように、憂鬱病にかかっている友達がこの本を読んだ後に、とても大きくの助けを得られて、再びリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し込みに来る時には、ただリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝することだけで、聞きたい問題がもう無くなったのである。

面会を申し込みにくる信者はすべて、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けが切実に必要とするが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは一人ずつの信者のために30分を使って開示することがありえない。リンチェンドルジェ・リンポチェも、恭敬の心をもって《快楽と痛苦》この本を読むのでさえすれば、すべては加持を獲得することができる、と開示したことがある。だから、もし私達は信者に先にこの本を読ませて、彼らが道場へリンチェンドルジェ・リンポチェに面会しにくる前に、先に恭敬の心、懺悔の心をも備えることができるから、彼女はそうすると、リンチェンドルジェ・リンポチェが信者を接見することが更に速くなり、もっと多くの人を助けることができると思っている。

この本は既に日本語版があり、英語版も間もなく発表されて、この本は家伝の宝物とすることができて、10数年、20年を経つと、無価の宝になるのである。彼女の家ですべて先にこの本を多く買っておいて、いつでもこの本を必要とする人がいるから、皆がすべて同じ、もっと多くの人々がリンチェンドルジェ・リンポチェと仏菩薩に助けられるよう望んでいる。

それから、寶吉祥仏法センターのサーとも極めて重要し、そこに4、500篇の弟子が助け得る例がある。私たち自身或いは信衆はサイトにてある内容を読めるならば、その内容は自分と縁がある文章で、その物語は読者に啓発し助けさせる事が出来る。若し信衆はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する前に何篇を読めれるならば、先に恭しい心を生じて、自分がどのような上師を謁見する事が予め知って、より正確的な観念も持っていて、そうすると、リンチェンドルジェ・リンポチェにとってよりよくて、彼らにもっと大きな役に立つ事があり、彼らとリンチェンドルジェ・リンポチェの時間を無駄する事をしない。だから、皆は寶吉祥仏法センターのサイトをよく広めるはずである。

もう一人の女の兄弟子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する経歴を分かち合った。彼女は2001年11月にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、当年の9月に彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する時には、心の中に二つの事を考えている。一つは真に皈依する上師を見付かる事を望んでいる。この前、彼女は多くの顕教の道場をへ行った事があり、多くの有名な顕教の師父に皈依した事があり、しかし、それは彼女が真に見付かる上師ではない。もう一つは具徳の修行者により既に15年間に往生する母に助ける事を望んでいる。彼女の母は1985年に彼女の15歳時では交通事故に死亡し、その時には、彼女は家族の生離死別の痛苦と無常を感じていて、その時は暑い夏で、母は午後2時30分ぐらい大型トラックが体に過ぎられて、二切れになった。彼女と彼女の家族は仏を学ばないので、仏事により母に善後を処置する事が分からない、だから、午後4時ぐらい母の死体が家に戻って冷凍室を預けて、その夜、就寝の時に母は彼女達に自分が極めて寒いと言った。その後、母の死体は棺に置いて、翌日、棺の中に木の味と死体の臭さに伝わった。その味は極めて臭い、その上、普通の動物の死臭が違う。出棺後でも、この死体の臭いがずっと家に残していって、不定時で現れて、ただ彼女達は母を思うならば、この臭いが現れて、その上、家族全員が同時に嗅ぐ事が出来て、応接間と部屋でもこの臭いがある。

彼女達はとても親を懐かしんで、或いは母が極めて苦しいので、家の雰囲気はずっと悲しんでいる。だから、彼女達は道教の「魂を引く」を以って母に疎通させたい。彼女達は母の位牌が線香を立てて、母の表れを望んでいて、彼女達は母と話したいで、普通この時にはその臭いが再度現れて、その上、彼女達の車に従って、彼女達と一緒にが「魂を引く」道場に行った。然し、何回目の「魂を引く」により、来る神識は彼女の母とは限らない、その上、彼女はこのような方式が母と家族に役に立たない事を発見した。娘として彼女は、一心に真に修行者が見付かって彼女の母に済度してくれたい。その時は彼女はただ15歳で、彼女が道教の方式が役に立たないと思っていて、だから、彼女が顕教の仏寺に行って多年の法会に参加した。然し、14、15年を経てから、彼女の母の死臭はずっと現れている。甚だしきに至っては「921地震」には、彼女の叔母さんは16階から1階に逃げる時には、この臭いを依然として彼女の叔母さんにしたがっている。彼女の母は叔母さんの保護して平安に逃げられるそうである。

その後、彼女は台北にいる尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを聞いて、すぐ拝謁したいという思いを起した。逸仙路の宝石店で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを拝謁した時、彼女は事を二件尋ねた。第一、彼女の母の現象。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示されたが、往生者は気味やある現れた現象などを通して、眷族に自分の存在を知らせた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲で、彼女に長年以来母を助ける願いを叶った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは当時彼女に「貴方の母はもはや苦しくない。彼女は自分の未来は浄土だと分かった」と開示された。その後、母のにおいはなくなった。また、彼女は母に対して悲しみや思いも前より少なくなるそうであった。

彼女は始めて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを拝謁した時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの荘厳及び大慈悲力を感じた。当時彼女はとても大きい恭敬心を起して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに「尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはとても偉いだが、何故斗六で道場を設立しない。」と尋ねた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは「そなたは場所を探して、探せれば、私は行く。」と返事した。それで彼女はもう一人の兄弟子と一緒に色々な所を探していた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女達を一年に近く時間に試練して、ようやく斗六で道場を設立する事を同意した。同時尊きリンチェンドルジェ・リンポチェも彼女達の要請に応じて、斗六道場で多くの施身法法会を行って、無数な有情衆生を利益した。彼女も同時に発露懺悔して、教えに従って奉じなく、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの指示に従って速やかに斗六道場分会の設立を申し込めなかった。今まで彼女も引き続きに罰を受けた。当時尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはいつも彼女達に斗六で道場を設立する事について試練して、彼女は唯一つの考えがあって、自分のためではなく、多くの衆生を利益するため、多くの衆生は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得られると望んだ。自分の母は事故のせいで亡くなったから、彼女、家族及び母もとても苦しかった。彼女に見えない衆生が多く、病気に罹った衆生を含めて、本当に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けが必要だと深く感じさせた。このような自分のためではなく衆生のためという念を起したから、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女達の願いを満たして、斗六で道場を設立する事を同意した。

続いて彼女は報告して、当時尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを拝謁した時、感謝及び歓喜心で仏を習って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは本当に徳を具える修行者である事を発見した。しかし、当時彼女は仏を習う様々な障碍が現れて、無数な障碍及び試練を経歴した。現在彼女の父、夫、姑、兄弟及び親族は皆彼女が仏を習う事を納得した。全ては尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの教えを感謝した。彼女は言った。彼女は始めて仏を習う時、彼女の父は更に親子関係を断ち切ると言った。夫は若し彼女は仏を習うと、離婚すると言った。兄弟もとても大反対だった。彼女の姑も彼女は毎週に三歳の子供を連れて遠くに台北へ行くのは何のためだと疑った。当時尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に開示されたが、全ては自分の障碍なので、懺悔しなければならない。だから、彼女は自分に言って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの教えを通して、自分はもっとうまく行わないと出来なく、他の選択がいない。彼女は上師を信じて、仏を習う道は正しいと信じた。当時彼女は極めて苦しかった。家族の信頼を取られるため、彼女は自分の役目を果たし、家族に自分が仏を習う事は正しいと感じさせる。皈依証書さえ夫に引き裂かれた。当時彼女は極めて大きい罪悪感を持って尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに報告した時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に「彼に引き裂かれてもいい、いつか彼は私を信じる」と言った。2006年彼女は父を誘って、祥楽旅行社が行った青蔵鉄道旅行団に参加し、父は意外に同意した。彼女の父は仏を信じなく、いつも彼女が仏を習う事を反対した。しかし、今回因縁があって、この旅行団に参加してディクンティ寺へ行け、彼女はとても喜んだ。彼女は非常に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、この因縁を作って、父にディクンティ寺へ行かせた。

その後彼女もストーリーを二つ報告した。二人の信衆は非常に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを賛嘆した。一人は2010年12月30日尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲で苦労に斗六で施身法法会を主催された。当時ある信衆は法会に参加した後、とても喜んで顕教の友達に言って、彼は始めて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにあった。自分の感じは顕教で仏法を聞くのは幼稚園と小学校を修めるようだった。しかし、彼は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示されたチベット仏法を聞くと、博士の講義のように聞いた。

もう一つは2010年10月に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが阿弥陀仏無遮大超度法会を主催した。当時ある大法会を三回参加して、南部から来た信衆は観光バスに非常に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを賛嘆した。彼は一人は二万人余りを率いて、このような大法会を修めるのは一般の修行者なら、行えない。更に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自ら一人で皆を率いて修め、非常に賛嘆させると言った。

続いて他の女弟子は以下に報告した。彼女は2002年11月2日に皈依した。自分が教えに従って奉じない悪い弟子と懺悔して、手の傷あとの話しを報告するつもり。それはリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を救った記念だ。2004年にリンチェンドルジェ・リンポチェは大礼拝を伝授して、彼女は幸運にリンチェンドルジェ・リンポチェの許可を得て、毎日晩課に道場に大礼拝をした。それは家族は彼女に家でする事を許されないから。9月末、ある兄弟子は彼女に10月6日にチベット旅行団があって、彼女に参加を申し込みとアドバイスした。彼女は自分はまだ準備しなく、大礼拝が終わった後行くつもりと言った。しかし、兄弟子は機会があれば行く、多く考えないとアドバイスした。当時出発より一週間しかいない時間なのに、元々会社は月末と月初めの時とても忙しく、休みを取れないと心配したが、上司に休みを取る時、上司は同意した。それで彼女は申し込んだ。出発前兄弟子は特に彼女に伝えて、必ずリンチェンドルジェ・リンポチェが昔弟子を率いて、ディクンティ寺へ行く映画を見る。彼女も何故見ると分からないけど、アドバイスに従って見た。その後兄弟子はまた彼女に言って、同行はある新皈依の兄弟子は体が弱いから、世話を頼んだ。

チベットに到着した始めの夜、彼女は始めて一緒に泊まっている新皈依の兄弟子は既に腸癌末期になったと分かった。血便はとてもひどかった。トイレに入ると、一時間にかかる必要だった。トイレの中に全て血痕があった。看護人員ではない彼女にどうすればいいか分からなかった。あの新皈依の兄弟子はアチ護法及び四臂観音を修める以外、他の時間は殆ど寝ているやトイレにいるだけ。

第二日目の観光日程、一緒に泊まった兄弟子は体調が悪くて、寝るというから行かなかった。第三日目にディクンティ寺に昇る時、新皈依の兄弟子は中国のガイドに背負われて、上がったり下がったりしていた。この弟子は高山病のせいで嘔吐したり下痢したりした。幸い他の同行した女兄弟子は交替に腸癌に罹った兄弟子を世話して、彼女に休みの機会をくれた。

やっとディクンティ寺に着いて、関房へテンジン・ニンマ・リンポチェに伺い、あの頃、テンジン・ニンマ・リンポチェは閉関していたため信者と面会しなかったが、彼らは寶吉祥 リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子なので彼らにテンジン・ニンマ・リンポチェと面会させた。彼女はもともと一番面だが、歩けなくなって、1本短い道なのに彼女は最後になってしまった。1人真っ赤な顔になって高血圧がった相弟子が上がって、首にこぶがあった相弟子も上がって、また腎不全にかかった相弟子もあがった。皈依したばかり相弟子はガイドさんに背負われて上がった。頭が振り返ると1人唇が黒くなっていた相弟子を見た、彼女は心臓が悪いと言った。これら状況がなかった彼女はかえって最後の1人になった。彼女は恥かしくて穴があったらはいりたくて,泣きながらのぼって行った。あそこに着いたら、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに恩を着て、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持で彼女にあそこに上がりで来たチャンスをさせた。それに、リンチェンドルジェ・リンポチェの因縁でテンジン・ニンマ・リンポチェが特別に与えた加持と氷砂糖を得ることが出来た。

ディクンティ寺から降りた後、元来ガイドに背負われる必要の腸癌患者の相弟子は意外に自分で歩くことが出来て、本来食べられなかったのに、やっと食事ができ始めた。それに、嬉しくて今回来て本当に良かったと言った。彼女はとても想像が出来ず、何日前1人病気が重くて死にそう、それに点滴必要な者は案外に談笑に興じて、思いのままに行動することが出来た。また、自分で荷物を引っ張った。短い八日間,前後の差別は思いがけなくこんなに大きいである。

10月13 日台灣に帰って来た。午後昼休みをしようと思ったが、どうしても眠れなくて、それで、宝石店へリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼して恩を着る事をした。6時道場に行って大礼拝をして、家に帰る途中で、車があまりない状況で意外に交通事故が起こって、不思議向かいのオ-トバイとぶつけた。 ぶつけられた掌が折られた。彼女はまず組長の相弟子に報告して、相弟子は彼女に手術を受けなくても良いなら、受けなくて、それに漢方医学で治療するとお薦めた。しかし、彼女の家族は手術を受けると決めて、入院した時携帯電話も家族に取られて、相弟子と連絡が取れなかった。相弟子が訪ねて来てやっとリンチェンドルジェ・リンポチェのご開示を伝えてくれた。彼女は足と手が1本ずつ折るはずだが、彼女に転重軽受をさせて、ただ骨折ったのである。あの頃、彼女は病床の上にすわって一晩中泣いた。隣の病床のお嬢さんは聞いた、只の骨折りなのに、何故あんなに悲しく泣いたか?彼女は言葉で話すことが出来ず、心の中にリンチェンドルジェ・リンポチェに対しての感激は表れることが出来なかった。

家族は彼女が外で全てやったことを知らなくて、心配をかけて、安心が出来ずため、彼女が外界との連絡を断った。それで、彼女は相弟子達からのお見舞いのお電話を受け取らなかった。入院した故で、金曜日の施身法と日曜日の共修会とも参加するのが家族に許されなくて、おとなしく病院にいるのが要された。退院した後、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しに宝石店ヘ行った。リンチェンドルジェ・リンポチェは笑いながら仰った:足が折られたか?手が折られたか?また、家族が何も知らなかったのでもう弁解するな。簡単な一言で、彼女と家族との衝突と不愉快を言い尽くした。それで彼女は二度と家族と弁解しなくて、また割合に従順になって、家族は彼女に対して態度がだんだん緩和して、もう前のようにあんなに激烈な反応がなくて、なにもかもだめとしなかった。

傷の跡はいつも残ってあり、取り除こうと思ったが、どうしても出来なかった。 その後、よく考えたら、この傷は1本足と1本手で取り替えたもので、1つ記念になり、ちょっと時々彼女に注意させる事が出来るのである。もともと家族は彼女に家で朝晩の課踊をさせなかったが、今まで現在、家族がテレビを見ると時間割を影響しなくさえすれば、大礼拝と朝晩の課踊をしても結構である。数字は追いつけられないが、家族が許す何で、既に随分嬉しかった。

あの腸癌に罹った相弟子のことも彼女に信心を与えて、それに、自分の交通事故が彼女に多く反省させた。彼女は1人のとても順従な弟子ではなくて、大供養さえしたこともなかったが、寶吉祥のドアに入ると、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持とお世話を貰うことが出来て、これは真実である。彼女の命は拾われて来たのであり、考えて見て、一本足と一本手が無くなったら、どのように生活するだろう?どう暮らそうか?どう仕事するだろう?どう自分を養おうか?リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の手足を残らせたのは彼女にやるすべきことをさせて、教えに従って実行して、よく1人仏弟子になるのである。

続いて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座に昇って、マンダを捧げ供養する殊勝な儀軌を行った。出家衆は一切の大衆の代表として主催の上師リンチェンドルジェ・リンポチェにマンダを捧げ供養した。衆生のため、こんな殊勝な仏法の加持を受けることが出来るように福報を蓄積するのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて皆に開示された:今日阿弥陀仏、観世音菩薩と蓮師の簡軌を行うのである。我らはいつも阿弥陀仏、観世音菩薩と蓮師のお世話を頂いていているので、この一年の終わりに、この法を行って、上師に供養して、この一年中上師の加持と加護に恩に着た。仏法に対してすこし概念がある者はすべて阿弥陀仏を知っている。阿弥陀仏との名号は中文で無量光仏、無量寿仏と言え、もう1つ言い方は宇宙衆生の救星で、即ちある衆生が輪廻の苦しみより救われたければ、すぐ阿弥陀仏の出迎えを得られる。ある果位を証得したリンポチェも必ず阿弥陀仏のポワ法門を修める。

簡軌との簡は簡単ではなく、法本の内容を減少するのでもない。それは、現在皆の時間が多くない、一般的に長軌の中に沢山の祈祷文があり、すくなくとも2,3間がかかり、現在の社会にとってあまりし易くないのである。それに長軌は通常すべてラマ僧が読んで、リンポチェはずっと現場にするはずはない。簡軌ならそれを濃縮したのである。今日修めるこの簡軌は皆のため阿弥陀仏、観世音菩薩及び蓮花生大士と縁を結んで、皆に仏を学ぶと浄土へ往生するとの資糧を蓄積させる。所謂資糧とは仏法の言い方で、簡単に言うと福報、因縁と功徳を蓄積するのである。そなた達が飛行機に乗って外の所へ行きたいのように、考えてばかりで役に立たなく、必ず十分のお金があって切符を買って行くことがやっと出来る。浄土へ往生する資糧もこのような道理であり、福報、因縁と功徳が備えるこそやっと行くことが出来た。福報を蓄積することは只供養を通じて他の法門はなくて、功徳なら修行することよりのである。阿弥陀仏経の中に述べた、福徳因縁があた善男子善女こそ阿弥陀仏国土へ往生することが出来る。ここに言った善とは十善法を修めえた者である。十善法は前申された、今日時間が足りないのでもう言わない。十善法を修めるなら是非殺生することができない。そなた達はまだ呪文を唱えて肉が食べられて、朝菜食、昼に葷食を用意して息子に食べさせても浄土へ往生することが出来ると思えば、それは全部やり遂げることができないのである。

阿弥陀経の中にまた説いた、阿弥陀仏聖号を唱えて、一日間か、二日間か…阿弥陀仏極楽国土へ往生することが得られる。此処の一日間、二日間とは只一、二日間ではなく、八關齋戒の方式である。但し、現在ある群衆は朝八時に起きて運動場で集合して、午後の5時家に帰って、翌日また来るとの方式は八關齋戒ではなく集会しか言えない。皆が全部1つ運動場で、左、右前の者を見て自分の心がすべて乱れていて落ち着くわけはない。本当の閉関は1人で1つ部屋の中にするべきである。浄土宗にはまた説いた、往生、息を絶える前、一か二か十回まで阿弥陀仏を読めば、阿弥陀仏浄土へ往生することが出来る。ここは一回から十回まで阿弥陀仏を読むのではなく、それは禅定修行と関係があり、今日ここで多く解釈しない。

釈迦牟尼仏陀は阿弥陀仏を紹介させて、特別なのは阿弥陀仏の浄土が業を持って往生して行けるのである。業を持って往生して行けるのは、普通な過去にした業を懺悔したら十分で、同じ阿弥陀仏の浄土に往生させる事が出来る事と思っているの事ではない、此れは錯誤の観念である。生前に仏を学ばないなら、死ぬ前に懺悔心を発したら、浄土に往生する事を願って行ける。然し、そなた達は、この故に現在が享楽したいだけ、去る事に至る前に懺悔したら十分である事と思ってはいけない。若しそなた達はこの考えを持って、悪をし続けて、福報を使い尽くしたら、そなたの去る前に修行者がそなたに助けてくれる福も無い。懺悔とは言うだけではなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て同じ誤解があって、その後何故一般的な懺悔が作用がない事を益々了解している。懺悔とは、具徳の上師に向いて大声で話したら作用があり、住む所の周りの500メートル以内では具徳の上師或は法師が見付からないなら、仏像に懺悔する事が出来る。けれども、台湾では周りの500メートル以内に上師或は法師に見付からない事が無理である。然し、出家相を現して、真言とお経を唱える事が出来て、そなたの懺悔を受けれる相手ではない、「具徳」とは自分が既に破戒をせず事を修め得て、その上、仏法により衆生に浄土の方向に向く事を助ける上師で、若し自分でも破戒したら、他人の懺悔を如何に受けるのでしょうか?ある父は子供に煙草を吸う事を許さなくて、罵ったら自分が一本の煙草を吸って、そうすると出来るのでしょうか?子供に下品な言葉を話す事が出来ない事に教えるが、自分が下品な言葉を話していて、このような教導が役に立つのでしょうか?

阿弥陀経には記載されている業を持って往生して行けるのは、善業で悪業ではない事を示す。業には白業と黒業を分けて、つまり善業と悪業であり、唯我々に輪廻させる原動力とは業と呼ばれる。善を行っても、空性の中に行善しないなら輪廻の業力を依然として生じさせる。「十善法」を遣り遂げる事を除いて、福徳因縁を具えるなら浄土に往生して行けて、福は供養布施から来て、功徳は修行から来て、因縁とは皈依、菜食と法会に参加する事が縁がある事ではないし、完全な仏から一切な教える事に従って聴いてしたら縁がある事と呼ばれる。

仏経には、十方諸仏は広長舌相を現して、阿弥陀仏の功徳を賛嘆する。ある者は仏が互い賛嘆する事が特にではないと思っていて、然し、この賛嘆とは諸仏菩薩が一切発願して阿弥陀仏の浄土に往生する衆生が阿弥陀仏に行ける事を助ける。そなた達はどの仏或は本尊を唱えても、仏菩薩がそなたに阿弥陀仏浄土に往生して行く事を助けて、どの仏を唱えてその仏の浄土だけで行ける事ではなくて、そなたはある特定な仏と縁があって彼の浄土に行ける事を除く。寶積経には、弥勒菩薩は釈迦牟尼仏陀に「菩薩がどのような心を発して阿弥陀仏の浄土に行ける」を伺いを立てる。釈迦牟尼仏陀は、菩薩が十種類の心を発し、そなたが此の中にある種類にやり遂げるならば阿弥陀仏の浄土に行けると回答した。弥勒菩薩は未来に仏に成られて、地球の教主になる。然し、弥勒菩薩は衆生が待って彼の浄土に行ける事に従う事を説く事がない、却ってどのような菩薩が阿弥陀仏の浄土に行ける事を問い合せて、これも阿弥陀仏に賛嘆する意味である。阿弥陀仏はほかの仏によりもっと慈悲ではなくて、全ての仏の慈悲が同じで、ただ阿弥陀仏の願力がより特別である。

仏菩薩の手はいつも伸ばして衆生を接引し、ただ衆生が手を上げて握る事があるかどうかのである。仏が言う事があり、縁が無いなら済度出来ない、皈依があり、菜食をする事があり縁がある事ではない。上師仏の教導に基づいて、教法に従ってしっかり実践しないなら、菩提心を発する事がないなら、慈悲心を発する事がないなら、縁がある者ではない。釈迦牟尼仏は色々な法門を教えて、衆生に解脱する事を助けて、そなたが此れを従うならば仏菩薩の接引を得る。禅宗は浄土宗が簡単過ぎで、浄土宗は禅宗が経典を読めない事をしてはいけない、此れは錯誤の見識である。どの法門を受けたら全て因縁であり、漢人が阿弥陀仏をよく唱えるのように、チベット人が却って六字大明咒を唱える。嘗て、チベットでは草を殆ど生えなくて、菜食する事がより困難で、肉食をする者がより多くて、ただ阿弥陀仏だけで唱えたら浄土に行ける事が極めて難しがる。六字大明咒は一切諸仏菩薩心咒の総集で、密咒の精髄で、この意義がただ簡単である六字ではなくて、仏の智慧により解釈しても極めて長い時間がかかる。簡単に言えば、六字大明咒の全ての字が人間の体に関係があり、六字大明咒を唱えて我々の輪廻六道の門を閉める事が出来る。ただそなたはこの真言に信心がある。

六字大明咒は観世音菩薩の心咒で、観世音菩薩は阿弥陀仏の弟子である。阿弥陀仏の法運が終ってから、観世音菩薩は西方極楽世界の教主に成り継いでいる。ただ漢人と日本人であれば、観世音菩薩の聖号を聞いた事がある。

ある者はそなたが観世音菩薩の側にいる少年であると話す時には、高慢してはいけない、誰はそうではないでしょうか?人々の過去世では観世音菩薩と縁を結んでいる事がある。ある者は夢心地では観世音菩薩を夢を見て、此れは全部偽である。観世音菩薩はどの様子のでしょうか?唐朝の前には、観世音菩薩はひげがあり、この後に段々に女性の様子になっていく。我々の中国人は観世音菩薩に性別が変わらせる。観世音菩薩は一体男であるか?女であるか?それらの仏像を作る人々は今迄には知られていない。実は、仏経には記載があり、菩薩果位を修め至る者が男ではないし女ではない。男ではないし女ではないのはそなた達が思っている両性具有者ではなくて、原因は後ほど再言する。

先刻の法会の前にはある弟子は、教派の大修行者のテンジン・ニンマ・リンポチェは彼達が寶吉祥の弟子なので、彼らを見て始める事と話した。此れは高慢の心構えで、まだ寶吉祥の弟子と自称するか?真に原因は貴きリンチェンドルジェ・リンポチェはテンジン・ニンマ・リンポチェの唯一の漢民族弟子なので、これ等のリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子が多くの間違う事をして、だからテンジン・ニンマ・リンポチェは慈悲深くこれらの弟子を見えて、彼らを助ける。

蓮師は蓮花生大士であり、蓮花の中に生まれる事を語り継いで、始めて密法をチベットに伝わって入る上師で、チベット仏教の其々の教派は蓮師を密法の祖師としている。その時には、あるチベット国王は蓮師の助けを求めたので、蓮師は密法をインドからチベットに持ってきた。蓮師の相も「寂静尊」と「忿怒尊」を分ける事があり、そなた達が現在壇城の前の蓮師を見える相は寂静尊である。蓮師の様子をみるとより厳粛荘厳で、他の仏像の微笑みの様子が違う。一般的な言えば、密法を修める相はより厳粛な相であり、金剛乗を修める上師は衆生を利益する事が極めて堅いので、見るとより厳粛である。そなた達は直貢チェツァン法王の相が極めて慈善である事と思ってはいけない、仏法を言うと極めて厳粛な謹慎である。一回、チベットでは直貢チェツァン法王はある部屋にリンチェンドルジェ・リンポチェに密法を伝わって、一寸直貢チェツァン法王の母親が入って、侍者はまだ阻止する事をしなくて、直貢チェツァン法王は即刻で伝法を停止し何も説かない、直貢チェツァン法王の母親はこの状況をみると直に退出した。だから、密法を簡単である伝わる事をしない、眷属としても、配偶者と子供に拘らず、根器が間違ったら密法を伝えない。一般的な人々は他人の微笑みの表情を見好きである。然し、真に慈悲心は外見におけるのではない、内心におけるのである。

蓮花生大士はチベットでは7百年余りの時間を生きていて、その上チベットの始めの仏寺の桑耶寺を築いて、今迄には当時の遺跡を保留している。蓮師は最後に一匹の白馬に乗って羅刹の国に飛んで行って、此れは羅刹が人類を食う鬼で、羅刹国では国王をしてそちの鬼を統治し、それらの鬼が他の人類を傷害させないのである。

蓮師は以前に預言したことがあり、末法時代にいて、人類が鉄で作る器具は天上で飛んでいる時に来たら、災難が一杯があり、男であることは正義でない、女は不貞で、子孫は親不孝である。飛行機がある後であり、全ての世界は天災と戦争が不断で、男は正義感を話さなくて、女は貞操を守らなくて、子孫は親不孝で、これらの物事は現在全て一つ一つを検証した。

引き続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは阿弥陀仏の法門を修め始めて、そして大衆を連れて阿弥陀仏の心呪を唱えて、それに皆に暫く静座させた。修め終わった後に、リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きこう開示した。

先唱えた阿弥陀仏法本の最初の一句は、直接に阿弥陀仏に言及されるわけではなくて、先に言及されるのは:(輪廻に)解脱し道案内をする具徳の上師と阿弥陀仏は違いがなくて一体であある。解脱とは上師がそなた達に輪廻生死の苦しみを離れるように助けることができて、道案内をするのは上師がそなたを連れてこの解脱する道を歩くのである。具徳とは功徳を備えるのを表して、衆生を彼岸まで済度できる能力があるのである。法本は始めから皆に上師が仏陀と無二無別であることを教えて、それは上師の重要性を強調するのである。私達は末法時代に生まれて、業がすべてとても重くて、更にリンチェンドルジェ・リンポチェも自ら仏陀と会い、仏陀の教導を受ける福報がないから、その故に上師は仏陀の代わり法を伝えにくるから、上師がいなければ、私達が仏法を学ぶことができなくて、これはチベット仏教では上師がきわめて重要だと認める原因である。だから、直貢チェツァン法王はこう開示したことがあって、そなたは上師を仏と見なすと、仏の加持を得ることができて、上師を凡夫と見なしたら、そなたはただ凡夫の助けを得ることしかできない。

先刻法会が始まった時に行った曼達を捧げるのは一種の供養の儀軌であり、上師が法帽をかぶって法座の上で座ると、仏菩薩を代表してそなた達の供養を受けるのである。法帽は必ず上師が自ら与えてくれて、自分が気軽に一つを作って被ることができるのではなくて、さらに法帽の上の図案はいろいろな種類に分けられて、法帽のスタイル、色柄から、この上師がどの教派、どのぐらい果位を修めたかということが見られる。

チベット仏教のあらゆる儀軌はすべて、必ず前行、正行、廻向などつの部分がなければならない。前行は発心、発願であり、つまりそなたが法会に参加する動機だと言える。今日そなたが法会に参加しにくるのはただ自分の体が良くなり、旦那さんが浮気しないで、子供が大人しくなることを望んでいるならば、得られる効果は非常に小さい;もし菩提心、菩提願を起こすならば、得られる功徳は不思議なのである。正行は生起次第と円満次第を含む。最後に必ず廻向をしなければならなくて、多くの人は法会に短く参加して、法会がまだ終わっていない内に逃げてしまって、そうすると、そなたの人生とそなたのしたい事はすべて円満にならないのである。

今年10月阿弥陀仏無遮大超度法会に二人の市長が参加して欲しいけど、三十分しか留まっていない。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼たちに参加の事を断った。彼たちが来れば、リンチェンドルジェ・リンポチェは法席から降りて、彼たちを迎えない。その上、若し彼たちを迎えないと、失礼だ。また、彼たちは離れると皆に心を乱れた。だから、来ないほうがいい。よく考えると、若し二人の市長は来れば、マスコミは全て従ってくる。必ず取材された。即ち無料に寶吉祥仏法センターを宣伝しする。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような機会を断った。まずリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子がもはや多すぎて、追い払っても出来ない。もう宣伝する必要がない。また修行者は最も名聞利養を恐がって、有名になれば、福報はすぐ失っていた。リンチェンドルジェ・リンポチェは名聞の事に関して特別慎重に対応するから、必ず三恩根本上師尊勝の直貢チェツァン法王に尋ねて、許可を得れば行う。リンチェンドルジェ・リンポチェは既にリンポチェの果位になったのに、相変わらず謙虚して、本を出版しても事前に直貢チェツァン法王に尋ねた。そなた達のように自分は経を数冊唱えて、仏を拝んで更に皈依したから、偉いだと感じることではない。

引率の出家弟子は昔も自分が経を唱えて亡者を済度できるから、人から寄付金を受ける資格があると思った。だから、彼女は始めて寶吉祥仏法センター道場に来た時、全身は病気に罹った。始める時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を指摘した時、彼女は自分は既に経を23冊唱えたと口答えをした。意味は自分はこの寄付金を受ける資格がある。しかし、そなたは亡者を済度する能力を持たないと、例え230冊、2000冊を唱えても結果は同じだ。せめて亡者に悪道に堕ちる時間を遅れるだけ。現在、彼女は体調は少しよくなった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を助けて病気を治さないが、唯リンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を習った以後、彼女は少しつづに債務を返済していたから、体はよくなった。出家なので偉くて、供養を受けると思わない。若し他人を助けて、問題を解決する能力がないと、必ず返済すれば、健康で返済するかもしれない。

阿弥陀仏の仏号を唱える時、一つの手で計数器を持ちながら、一つの手で数珠を持つなら出来ると思わないで。必ず観想が必要だ。観想とは唱える時に仏像を見て仏像の姿を想像する事ではない。上師の口伝、灌頂を通して、生起、円満次第を修めなければならない。法本に中、上根器の人は円満次第から修めて、一般的な根器の者は皈依、発心を修めるとある。自分に何故皈依すると聞いて、皈依の原因をはっきりして菩提心を発して浄土へ往生できる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥仏法センターで観世音菩薩の観想法門を伝えるが、多く保留した。それはそなた達がまだ出来ないのである。仏経の上に述べた、金剛乗根器者でなければ法を伝えることが出来ず、聞くさえ全部出来ず、だからそなた達は法を求めば必ず伝えると思わない。法本の中にも引き上げた。弟子が金剛乗の根器であれば、上師が法を伝授しないと戒をやぶった。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェはまだ伝えないか?それはそなた達は根器ではないのである。

仏経の中に言及してあり、常に仏菩薩を憶念する。多くの者は疑問があって、一体どのように憶念するか?実は、それがいつも仏菩薩の功徳を憶念するのである。仏経の中に多くのページは仏の功徳を賛嘆してある。しかし仏の功徳は極めて大きくて、完全に文字だけで言い尽くすことが出来ない。それで、仏経には我らに教えた、いつも仏菩薩が衆生に利益した功徳を憶念することにより、やっと我らが満ちた自己的、自利心と五毒の考えを変わって、止悪・行善をする。

法本の中に載せてあり:生起円満次第に従って、精進修持して、離脱することが出来なければ、即ち金剛総持が嘘ついた。金剛総持は勿論嘘つかない!それより、従って精進修持すれば必ず離脱出来るのを得られる。先程皆と供にした弟子が言ったように、阿弥陀仏無遮大済度法会時、リンチェンドルジェ・リンポチェが1人で2万あまり者を引き連れて修めた。仕方がなく、只リンチェンドルジェ・リンポチェに頼って、1人で観想して、生起と円満次第を修めた。

精進とはした数量が多いのではなく、集中で専念にするのである。所謂退転は通常始めで大乗、金剛乗を学ぶ行者のことを言っている。彼が大変真面目で努力してある程度まで修めた時、世の上に全ての一切ものは悩みと感じて、衆生とあまり接触したくなくて、自分が離脱するのを修める阿羅漢道に返して、これこそ退転である。リンチェンドルジェ・リンポチェが金剛乗を勉強始めばかり時にももう少しで退転が起きられた。そなた達が法会に来たくなくて、仏を学びたくないのが怠け、懈怠しか言えなくて、そなた達は退転と言う資格がない。またある者のように余り熱心し過ぎるのでもない。済度と言って、一日中衆生と混ぜて忙しくて修行することが忘れてしまった。自度が出来たこそ人を済度することがやっと出来た。こんな者が自分を済度するさえも出来ないのに、また人を助けたいと言って、最後、通常は人に影響されて、同類されてしまって、修行することがかえって出来なくなった。

あの頃、禪宗二祖は初祖達摩に心法を伝えに願った時、一本の腕を切断して、雪地で一晩中跪いた。夜明け時、達摩祖師がドアを開けて見ると、申された:「このくらいならままで」やっと先祖に法を伝えた。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達が1本腕を切るのをさせる勇気がなくて、1本指のつめさえも出来ない!

それぞれのリンポチェは彼の修行の歴史記録があり、例え生まれ変わるリンポチェでも生まれ変わってから何でも出来る事ではない。直貢チェツァン法王でもこの世には最初から学ばなければならない、だから、過去世に何を修めえる事が重要ではない、 重要なのはこの世に精進して実際で修めるのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分がどれだけでよい修める事を言われない、けれども、2007年には直貢チェツァン法王に従ってラチ雪山へ向いて閉関する者はただリンチェンドルジェ・リンポチェの一人だけである。

先刻阿弥陀仏を修める折には、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に20、30分ぐらいに静座させて、多くの人々が受け入れない、足が動いて、少なくとも心がどこに駆け寄る事もしらないのである。そなた達は現在禅定を遣り遂げないのは密法も学ぶ事がないわけである。ある者は手印をしたら密法である事と思っていて、実はこれは誤解である。すべての仏は証果してから様相が同じで、全て32相があり、80随好があり、これはどちらの仏を区別したいなら、この手印により記号にするわけである。

それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは観世音菩薩簡軌と蓮師簡軌を修めてくれて、その上、参列者に率いて観世音菩薩の心咒と蓮師の心咒を唱えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは下記のように開示された。

法本では、「拿摩上師、諸仏菩薩、本尊と護法の前に、自他の一切が全て皈依し、自性の生圓次第が精進で修める」がある。「拿摩」は多くの意味があるし、皈依の意味も含める。

真言を唱える折には、「掉挙」と「昏沈」の二つの状況を生じるかもしれない。掉挙とは機嫌が余り興奮し過ぎて定める事が出来ないし、妄念が絶えずに生じていく。昏沈とは眠いではなくて、眠いのは体力が足りないわけである。昏沈の意味は後で説明しておく。真言を唱える時には、大声で仏号を唱えてはいけない、一部の者はとても大声で唱えて、一つは他人の声を被って、他人の声を聞きたくない、自分の声だけで聞きたい、もう一つは大声で唱えて上師と仏菩薩にそなたの声を聞かせたい。これらの二種類の考え方は正確ではない。そなたは長期で肺部の力により大声で唱えるならば、時間を経てから肺部を傷付けて、そなたに利益がない。そなたは真に大声で唱えてリンチェンドルジェ・リンポチェにそなたを注意させるならば、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたに読めさせない事をするかもしれない、これはそなたが負傷可能である。その上、仏の浄土は地球から10億万個の仏土の距離があり、つまり10億万個の銀河系のこのような遠い距離で、どんなに大声を唱えても、仏菩薩が聞かれない。実には、これは地球にいる人類は耳で疎通させるわけである。天道の衆生は声で疎通させない、鬼道の衆生はそなたの思い通りそなたが鬼と会話してから、鬼も声でそなたに回答する事ではない、彼らは完全に考えの変動によりお互いに了解してくれる。仏菩薩はそなたの声を聞こえるかどうか、そなたの音量に依る事ではない、返って、そなたが真言を唱える時にはどんな心を以って真言を唱える事による。

そなた達は常に散らして乱す五毒の心を以って真言を唱える。如何様に説くのでしょうか?真言を唱える時には心では身体の健康がほしい事を考えて、これは貪である。ご主人は浮気がない、これは貪である。不倫の相手は消えてしまう事を考えて、これは瞋恚である。子供の試験を順調する事を望んでいて、これも貪である。全ての良くない事を発生しない事を望んでいて、因果を信じない、これは痴である。このような心により真言を唱えるならば、そなたの身体が五毒の壇城になって仕舞う。

そなた達は家に宿題をしてから廻向する折には、常に15分ぐらいかかって多くの名前を唱えて、実は、これらの人々は衆生の一部で、そなた達は衆生に廻向したら十分である。

地球の今回の文明は始めではなくて、仏経では地球に7尊仏が衆生を済度してくれる事を記載させて、第1尊仏は金剛総持で、釈迦牟尼仏は第5尊仏で、この前に既に4尊仏がいっらしゃっるので、地球は既に第5回の文明である。

先刻、薈供儀軌には、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に少しの供物を食べさせて、これは仏経には大福報者が修行者と一緒に食べ物を食べて始める事を記載させられる。これは極めて簡単な事と思ってはいけない、そなた達の知る通り、権勢と地位がないならば、大統領及び高官と一緒に食事したら無理で、これも福報が要るわけである。今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に薈供儀軌では一緒に供物を食べさせて、皆に因縁を作ってくれるために、そなた達の未来世に仏菩薩と一緒に供物を享用してくれる。

法会は円満になり、参列者はリンチェンドルジェ・リンポチェの無私的な支払う事に感謝致した。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた開示させて、来週には既に皈依を登録済んだ信衆に皈依儀式を主催してくれて、多くの皈依する事を望んでいる信衆は極めて喜んでいる。

2011年1月15日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで、午後5時20分から夜9時40分まで、130名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

2011年1月16日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターにて皈依法会を主催し、及び上師供養法を修めた。法会の前に、ある女子の弟子はこう分かち合った。初めて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めに来たのは2007年であり、その時の自分が愚かに外道のある師父の話を誤信して、舅と姑の家に悪鬼道の衆生がいて、その上、舅はそのため自殺すると思っている。彼女はある兄弟子のおすすめの下、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを求めに来た。その時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に、「この事は誰が言ったのか?もし彼女は知ることができるならば、それでは彼女は解決することができる能力があるべきで、どうして助けを求めに来るのか?」と開示した。当時、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して、十分に恭敬の心を備えなくて、まだ絶えずに弁解したくて、自分がとても親孝行だと証明したくて、少しも自分の愚鈍さと誇りを発見していなくて、最後に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女にただ1件の事だけを聞いて、「彼らの息子は誰であるか?もし本当に助けられる必要であれば、少なくとも彼らの息子が来なければならない。」と。その時、彼女はただリンチェンドルジェ・リンポチェが普通な法師と違うのだと感じている。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女が迷信になってはいけないことを要するのであろう、と思っている。幸いなのは兄弟子がその時毎年の阿弥陀仏無遮大済度法会を依然として彼女に参加させるように招待して、彼女に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの縁を引き続き維持させてきた。

彼女はもとは企業界で教育訓練の仕事をしているが、それから進学と家庭の原因にて、小学校で授業をしに行くことを決まったが、しかし今正式の教師になるのがたいへん容易ではない。彼女授業を一年間代講した後に、2008年に彼女の娘は9月に間もなく生まれて、いかなる学校はこの時すべて彼女を代講教員に任命することがありえない。彼女は住宅ローンがまだあって、自分が退職して進学することですべての貯金も無くなって、その後収入がないということを思い付くと、彼女を非常にやきもきして落ち着かなくて不安するようにさせて、そのためいつも自分を責めて悲しんでいて、奮い立って向上することをも知らないで、更にこのすべてが実はすべて自分がもたらしたのを受け取ることができないのである。彼女は甚だしきに至っては1つの心霊成長の課程に参加して、自分の内心に気づくことを学習して、そして親友にお金を借りて高価な6万台湾ドルの授業料を払って、更に進む課程に参加して、一心にこれでその中の講師になれるということを考えているが、今考えてみると、あれはただ自分で魔がさして、上手く立ち回りたくて、高い月給をもらえる機会があることができると思っている。その後、彼女はある保険会社の人材募集を受けた。なぜかというと、出産し終わってから、少なくとも3ヶ月の基本給を受け取ることができて、もしかすると彼女もそのため年俸百万の生命保険の顧問になることができると思っているのであるが、しかしこの時はちょうど世界の金融危機が始まった。

ひょっと見たら、すべては計画を立てられてとても良いようであるが、しかし彼女の心は依然として恐れ落ち着かないで、そして彼女の父が心筋梗塞で心導管を詰めて、彼女と母親はたいへん父の健康を心配して、その故に、その年の6月に、彼女は再度父母を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに行った。今度彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに会う時、心は自分が恭敬の心があると思うが、実はさもなくば、ひざまずいて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに彼女の両親と子供のために加持してくれるようにお願いする時に、彼女の両手は理屈が分からずに1つの過去に顕教のある団体で学んだ手印を打って、彼女は今やっと分かったのは、その時彼女はやはり誇らしくて無知な態度で自分のためお願したのである。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは一目に彼女を見て、すぐに彼女に「そなたの手はどうしたか?」と聞いて、当時、彼女の頭は完全に空っぽうになってしまい、ただ考えているのは:やばい、どうして手印を打ったのか。誤った習慣はいったん身につけたら、たとえ自分がもう直したと思っても、やはり自覚せずに行うものである。そこで尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに暫く責められて、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女への開示の中で、1語までも言及した。それは「そなたはまた疑っている!」と言った。その後、あっという間に彼女の父の状況を尋ねて、引き続いて彼女の父に開示して、もし父は引き続き肉食をするならば、それでは、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に加持することは、後で彼の食べられる衆生に害するので、本当にもし彼女の父に良くすれば、彼女の父が必ず菜食精進料理を食べたくなることを待った後に、再び尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しにきたほうがいい、と言ったのである。

当時、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが本当に素晴らしいだと思った。彼女は心霊講義を参加した時、一度「仏が存在しないかもしれない。外道が言った事こそ宇宙万物の源である」を思った事さえ分かった。殊勝な金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに向いて、彼女は本当に恥じ入って穴が入りたかった。心にリンチェンドルジェ・リンポチェは自分が取り合わないかもしれないと思った。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の母を加持する時、また「急いでその後娘を加持するから。」と言った。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を加持した時、彼女は完全に精神崩壊して、止まらなく泣き続けた。同時心の中に一つの思いしか考えなかった。それは自分が間違った!リンチェンドルジェ・リンポチェを求めて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を習いたい。最後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に毎日1時間を掛けて「地蔵菩薩本願経」を唱えて、一切妊娠した衆生を迴向する事を指示した。彼女は永遠に当時尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが現れた慈悲を覚えたが、暖流のように不断に彼女の心身に注いだ。彼女は出産する前に毎日教えに従って、読経して、迴向していた。また法会にも参加していた。尊き慈悲な金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが許可した下で皈依を求めた。

9月始め、彼女は羊膜を破ったから、産室に入って陣痛促進剤で出産を促した。当時5回以上耐えられない痛みがあった。看護婦に無痛分娩或いは帝王切開を受けたいと伝えた。例え出産を立ち会った夫は彼女に仏号を唱える事を提示しても彼女の痛みを移られない。母は彼女の白い顔を見てとても心配なので、医師に依頼して直接に帝王切開を受けようだと思った。痛んで殆ど意識がなくなる時、彼女は心の中に突然にある思い、「リンチェンドルジェ・リンポチェ、とても痛い」と起した。20秒を過ごして、看護婦は彼女の状況を見た後、子宮口が6センチ位になるから、すぐ彼女を手術台に送られた。十分間未満、娘は生まれた。この時、彼女は深く感じたが、未皈依前でも尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を得られた。上師は衆生が苦しみを受けるのを捨てず、彼女に加持して、彼女はまだ仏を習わなくても無事になって、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会えた。

産後1ヵ月後、彼女はすぐ保険会社に出勤してビジネスを探し始めた。11月に皈依法会を受けて、皈依弟子になった。その後彼女は宝石店に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが過去開示された仏法テープを求めた。この3ヵ月間、彼女は非常に苦しい生活を過ごした。毎月給料を貰うと、固定支出を払った後、殆ど残らない。このような経済圧力があるから、毎日MRTで通勤している時仏法テープを聞きながら、泣いていた。毎回法会に参加して、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いても涙が止まらなかった。彼女は自分が誠に親友のために生命と資産管理の計画を立たないと分かったが、彼女は唯お金を儲けるために保険を販売した。ある日に彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示、「悪の環境を離れる。このような環境は人が誘惑に陥る事が安いから。」を聞いて、始めて自分の心は正しくないと分かった。しかし、その時金融危機は最も厳しい状況なので自分は退職するとすぐ仕事を見付かられないと心配した。嘗て一度心の中に仕事を探す事のためにリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する考えがあったけど、リンチェンドルジェ・リンポチェの倒産の経歴及び開示された話を思い出すと、自分はエゴだと考えて、自分よりもっと苦しい衆生が多くあったのに、このような小さい事をリンチェンドルジェ・リンポチェに迷惑をかかないと思った。だから、その時から彼女は時間が有れば、宝石店にリンチェンドルジェ・リンポチェを頂礼してリンチェンドルジェ・リンポチェに供養した。

4ヵ月間に繰り返して退職するかどうかと迷いを経歴した後、旧暦のお正月明け、彼女は退職願を提出して、保険会社を辞める事を決めた。当時引き続きに周りの親友は金融危機のせいで、リストラされたや無給休暇を取らせた情報を受けたが、実は心の中に心配した。母は毎年お正月の時彼女にお年玉を与えている。彼女はまだ大金で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養できないが、また母は縁がなくて法会に参加できないから、母から貰った祝福で母のために供養して、福報を累積すればいいと思った。それで彼女は母から貰った祝福のお年玉を持って、宝石店に供養した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは供養を受けた後、通常他の尋ねる事がないと、皆は離れる。しかし、彼女は他の兄弟子と一緒に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの前に跪いた時、突然尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を見て、何処で仕事をすると聞いた。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが何故仕事の事を聞いたかと思ったが、「リンチェンドルジェ・リンポチェに報告します。保険会社に勤めたけど、昨日退職しました。」と回答した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に「いい。」と返事した。彼女は心の中にも訳が分からないと思って、ぼんやりに尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに見た。多分上師は彼女の愚痴を同情したかもしれないが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に「もういい。貴方を助けて仕事を見つかった。」と言った。保険会社を辞めて、仕事を見つかられないから、彼女は自分に死角に落ちさせて、生きられないそうだと見えるが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの一語とまるで闇の中に突然に曙光が見えたように彼女に心の怖れを完全に消えた。それから数日間に仕事の機会は次々に来た。彼女は順調に仕事を見つかった。心の中に感謝の気持ちしか考えない。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは全て分かった。求める必要がなく、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子のために最も好いの手配を用意する。

彼女の父親は尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェと面会した後、菜食し始めた。それに、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を得た。しかし、自分の怠惰で父親が一年後肉食を始めさせた。2010年に、お医者さんはまた父親の心臓の状況に対して2本の心導管を増えるべきと薦めた。それはすごく急迫な決定で、母親が彼女に教える時、3日間さえも残らなく、父親が手術を受けるため入院しようとした。幸いに、組長相弟子のお薦めて、彼女は兄弟を招いて父親のため、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れた。彼女は尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに父親のことを報告して、父親のため尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに加持を祈請した。あの時、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に聞いた:「どうやって加持するか?」彼女が回答した:「父親が手術を受けて無事に済み、また仏を学ぶチャンスがある。」尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に仰った:「仏を学ぶことはまた話す、加持とはそなたの父親が意外に手術台の上に死なせないか?」彼女ははいと回答した後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ彼女の父親のため加持した。彼女の心の中に大変に父親を招いて仏を学ぼうとしたかったが、どう話せば良いか分からなかった。それで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに伺って、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に口で招ければ良いが無理やりに要求しないで彼の好きにするのをしか言いつけなかった。お父さんはご自身で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの目の前に願わなかったが、相変わらずに尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を頂いた。手術室に入って、またすごく不思議でお医者さんに手術必要がないと宣言された。事後彼女がずっと回想してなぜ尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがこのように彼女に言いつけたか?やっと見つけた、彼女はいつも独りよがりに家族のため事柄を手配していて、一番基本の尊重さえもしなくて、こんな自己、自利的な彼女は、また尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお世話を頂いた何で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲の外に他の原因がないと彼女が考えた。

尚、彼女は2010年のはじめに歯がいたくてお医者さんに見に行った。お医者さんは彼女に両側にそれぞれ1つの歯が根管治療必要と教えた。根管治療では彼女がやったことがあったので、もともと何も心配することがなかった。しかし、以前と異なって、今回治療の期日は過去より回数が多くって、それに、痛さも過去より激烈であった。第1回目の治療が終わった後、授業時口が開けて話さなければならないため、嘗て何日夜が殆ど眠れない程痛かった。あの時、丁度尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがの仏法のテープの中に開示された、ご自身が関房の中で呼吸停止の経歴を聞いた。それより、彼女はなぜ歯が痛くなるかを考えた。それは彼女が過去肉を食べたのと関係があるべきで、彼女は良く歯を世話しなくて、彼女のお体の上にの衆生を殺害することに等しくて、その上、根管治療は全く彼女が歯茎の上で手術したのであった。それで彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法照の前に跪いて懺悔して、また歯の痛みの衆生が全てあった痛みを負わせるように願った。あの晩、彼女が夢があった、夢の過程が覚えなかったが、大変はっきりに三つの黒い血球が彼女の口より飛び出すのを見た。翌日の朝、彼女は歯の痛みが案外に薬を飲まずに治った。今回の経験は彼女に了解させた。何故、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはいつもご自身の経歴を教えとした。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは皆にどうやって教えただけではなく、また、皆に従って習ってするのをさせた。

同年ハロウイ-ンのイブ、彼女とあの時5歳の息子とシャ-マンを言及した。息子は彼女に嘗て夢の中にシャ-マンを見たのを教えた。同年9月の末、彼はH1N1にかかった第一日、あの晩、彼が高熱で夢を見た。夢であるシャ-マンが彼を攫む様に来て、あの時、夢の中に彼がすごく怖くて心の中にずっと尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを呼んだ。それから、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが現われて、法会の中にのように法を行って、その後、シャ-マンが消えてしまった。またおよそ1ヶ月を過ぎて、息子は主動的に彼女に自分が皈依したいと表した。彼女は彼に皈依した後菜食しなければならないわよ、そなたが良いか?あの頃から、彼が主動的に菜食して、それに順調に皈依するのを求め得た。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェと衆生に懺悔し、過去正しくない思想と愚昧で彼女が息子に殺生の業因を作らせて、絶えずに肉食したため、小さい病気が絶えなかった。彼は菜食して皈依してから、呼吸、過敏の状況が緩和したばかりでなく,よく病院と診療所へ行く必要もなくなった。各大徳と相弟子は彼女を鏡とするように希望しておる。

この間、仲良しのお母さんは肺癌の4期のため、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らに帰って懺悔のテープを聞かせた。過程の中で、彼女は絶えずに友人に、相弟子達がリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と助けを得た物語を伝えた。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下に、彼らがリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲を感じさせて、更に、法会に参加する許可をまだ貰った前、友人が既にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することを決めた。彼女は深く了解した、何故リンチェンドルジェ・リンポチェが皆に上師の功徳を絶えずに賞賛するのを教えた。さもないと彼女の友人の母親は今まだ苦しみを離脱する方法を見つけることが出来ないかもしれない。

彼女は此処で過去の愚痴と傲慢ので、自分に迷わせて、その上外道を間違って行った事を懺悔し、また、貴き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生への慈悲、彼女と家族に仏菩薩の加持と世話を得て貰って、彼女の子女に順番に貴きリンチェンドルジェ・リンポチェの皈依弟子に成せて、彼女達に痛苦と輪廻を解脱する方法を学ばれる事に感謝致す。

それから、社団法人中華民国寶吉祥仏教文化交流協会の理事長は特に弟子達に下記のように再び強調している。道場には何か異常な事に遭ったら、自分で決定して対応したら自分である事と思ってはいけない、組長或は理事長に報告しなければならない、そうすると、適当な処理方式に見つけ出して始める。このような清浄である道場がある事は極めて簡単どころではない、皆は珍重しなければならない、事柄の不当処理なので、道場の清浄を影響させて、道場に害させてる事が必ずしてはいけない、このような責任は誰でも負担出来ない。

それから、貴きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座を上げて、大衆に開示された。今日、皆の為に一つの簡単である皈依を予め行い、普通、そなた達は坊間の皈依が大体随縁の皈依で、常にどちらの名山、大道場が皈依の機会を聞いてから、申し込んでいって、儀式を参加してから皈依に為せる事である。多年前に、尊勝直貢チェツァン法王は台湾に御出でになって観音法会に主催なさった事があり、その場で多くの信者は直貢チェツァン法王に皈依される事を求めて、直貢チェツァン法王は同意なされて、彼達に皈依証を受け取って書かせて、此れは縁を結んで皈依する事である。縁を結んで皈依する事であれば、法師、上師或はリンポチェはそなた達に責任がない、そなた達に仏法を教導する事が要らなくて、ただそなた達に縁を結んでいる事だけである。

寶吉祥仏法センターには、皈依がより謹んで、そなたは必ず事前にリンチェンドルジェ・リンポチェにお伺いを立てる事が要り、そなたに皈依させる事を同意するとは思えなくて、そなたは若し誠心がないなら、たた試みてくるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたに皈依させない。

「皈依」の「皈」は「帰る」の「帰」を選ばないで、却って「反」と「白」を組み合わせて、暗黒から白に反転する事を意味する。「黒」と「白」は黒業と白業であり、つまり悪業と善業であり。「業」とは何でしょうか?地蔵王菩薩は「衆生が心を動かし思いを起こせば、其れは皆業であり、罪である。」と仰っている。簡単に言えば、我々の考えは衆生の為にではなくて自分の為にならば、業である。黒業のみではなくて、善の白業も我々に輪廻させている。善業と悪業は差し引く事が出来なくて、ある者は不法な方式により富を得てから、半分を寄付してから何でもないと思っていて、此れは全て誤解である。「皈」は仏法を学ぶ事を以って、悪業を行う事を再びしない、善行をする事が変わられる。

「依」とは頼れる事であり、仏法はそなたの頼れる所が有る様にして、修行の機会がある。直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェは「経を読んだり、座禅を組んだり、仏に礼拝したり、拝懺したりする事は修行ではない、此れはただある助縁だけである」と何回目仰る事がある。「修行」とは一切なそなたに輪廻させる可能の行為を修正して行くのである。修行は自分の行為を修正する事ではなくて、行為を修正したいなら、孔夫子の事を聞いて、人になれる基本道理が全て教えて、行為を改正する事とは人になれる事が本来にするはずである。また、人類だけで行為を改正する事が出来るのではなくて、動物が同様に自分の行為を改正する事が出来て、何事はしていいのか、何事はしていけないのかを知る。だから、仏を学ぶ者の修行は一切なそなたに輪廻させる行為を修正し、此れは関連するパースペクティブは極めて微細である。

そなた達は悪を止めて善を行って、輪廻を解脱する事を学ぶ事がある上師に依止しないと遣り遂げる事が無理である。此れは仏法と我々の人生経験方が違い、上師がいないならば、そなた達はずっと人生経験法により判断して、それで間違う事をして、ずっと三悪道に輪廻して行く事も分からない。我々は皈依する時には、仏に皈依し、法に皈依し、つまり輪廻を解脱する方法で、また僧に皈依する。僧は出家者ではなくて、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆の僧団で、共にある上師の門下で輪廻を解脱する方法を学んでいる。チベット仏教には、皈依は、仏、法と僧の三宝に皈依し、更に上師に皈依する事を加える。上師は極めて重要し、甚だしきに至っては仏により重要で、此れはそなた達は自ら仏に拝見する事が出来ないわけである。リンチェンドルジェ・リンポチェはインド仏寺に帰るなら、予め三恩根本上師直貢チェツァン法王に頂礼し、それから、時間があったら仏寺の正殿に仏像に礼拝して始めて、此れは仏像が仏像で、それは口を開いてそなたに仏法を説く事が出来ないわけである。私たちは福報がないので自ら釈迦牟尼仏が仏法を開示される事を聞かないのに、上師は仏菩薩に代わって我々に仏法を教導してくれて、だから、私達は感謝の心を持たなければ成らない。

現在、そなたたちが皈依したのはチベット仏教の中の直貢噶舉派である。直貢は地名であり、噶舉は口伝の意味である。直貢噶舉は830年余り以前に祖師ジッテン・サムゴンが創立する。ジッテン・サムゴンの前世はインド84位の成就者の一人の龍樹菩薩である。顕教が読める「中観論」は龍樹菩薩から作った。龍樹菩薩の前世は維摩詰居士であり、維摩詰居士は仏陀の時代の大成就者であり、文殊菩薩は維摩詰居士に仏法をお伺いを立てる事がある。当年、釈迦牟尼仏は仏法を広める時にも口傳である。直貢噶舉から伝わる仏法は上師の口傳により役に立つ。若し口傳を通さないでお経或は真言を読んでも作用を引き起こさない、つまりそなたの業力が変わらない、ただ他の本を読める事により一寸良い。皈依の上師は所謂出家者が在家者によりよい事がない、或は在家者はより良い事がない。我々の祖師ディロバ、ナロバ、マルバとミラレバはずべて在家者である。

ある者は生れ変るリンポチェがより素晴らしさと思っている。生れ変るリンポチェでも最初から修行しなければならない、彼は以前に如何様に素晴らしいでもに拘らず、この世を修めないならば役に立たない。我々の直貢噶舉派第37任尊勝直貢チャツァン法王と第36任尊勝直貢チョンツァン法王は、分別で第7回目と第8回目に生れ変り、同じように子供から最初に学ばなければならない。直貢噶舉の近代では、何位のこの世に修行してリンポチェ果位の証を得る成就者が御出でになり、それで尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢噶舉派では今まで唯一にこの世に修め出る漢民族の在家リンポチェで御座います。

そなた達の今の皈依はやはり顕教の皈依に属して、顕教の「顕」とは明顕で、明らかに現れることを表して、すべての仏法の理論である。顕教の理論を学んで体得し運用することができてから、そして、上師の確認を通じて、更にそなたに菩薩戒の皈依を伝える。皈依する対象は、顕教では比較的に厳しく要求されないが、チベット仏教では、少なくともリンポチェでないとできない。リンポチェもいろいろに違う。皈依する時に、金剛座に座る上師が授戒して、そのために上師自身も必ず戒律を守なければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは在家であるので、そのため比丘、比丘尼戒めを授けないで、それはこの理由である。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは一切の衆生の皈依を受けることができるのである。

今日皆さんがいる所は寶吉祥道場であり、約300坪ぐらいで、2004年に買い入れた。その時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは因縁のため、当時の市価より安い値段である一坪が8万元で購入した。買い入れた後に、リンチェンドルジェ・リンポチェは決していかなる中間の利益を儲けて取りなくて、直接寶吉祥協会に転して、その故に道場の建物所有権がンチェンドルジェ・リンポチェの名義ではない。当時、市価で言わないで、たとえ買った値段としても、結構な大きな数字であるから、もしリンチェンドルジェ・リンポチェがぜひとも道場の物権を自分の名義に登録してほしいのであれば、弟子達はくれないのか。寶吉祥仏法中心は社団法人の方法で創立されて、基金会ではなくて、そのため外に募金してはならなくて、会員のみは協会に寄付しかできない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは個人の日常の支払いがすべて自分で負担しているから、寶吉祥仏法センターから一元も貰わなかって、初めはもしも基金会を創立すれば、リンチェンドルジェ・リンポチェはすべての支出を全部協会に申請することが出来るが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはこのようにしていない。そなた達はお金が基金会に寄付して善事をしているのだと思うが、事実上、大部分が殆ど人事の費用の上に用いられて、例えば、10元を寄付するならば、もし3元が善事に使われると、その金額が多いほうだと考えられる。本当に寄付することを望むのは、自分の手であれらの診察を受けるお金、食事するお金、棺を買うお金が無い人に、自ら渡して、怠惰にならないでください、そうでなければ政府に寄付して、社会司はとてもお金が不足するから。

リンチェンドルジェ・リンポチェは数日前、直貢チェツァン法王と一緒に外出する時に、ある基金会は河辺で学校を建てたことを見て、それは921地震の前に建てられたのであるが、しかし実際には河辺でもともと学校を建てるのに適しない。そして、この基金会が建てた二棟の図書館のビルをも見たことがあり、しかし修行する人はこんなに大きな図書館を必要とするかどうか?結局、衆生の寄付したお金はこのような所に掛かった。だから、もうお金をこのような基金会に寄付する必要がないであろう。

皈依した後に、慣例通りに抽選にてグループに分けられて、グループに分けた後に、組長(グループのリーダー)と連絡人(連絡を担当する者)はそなた達と連絡する。組長がどんな特別な利益を得ることがあると思って、組長がそなた達のためどんな事も行ってくれるように要求しないでください。自分で自分の事をしっかりと行って、自分がしっかりと行わないで、すべてを組長のせいにしないでください。どんな事でも組長に聞きに行かないでください。もし体は調子が悪くて、腹が痛いならば、病院へ行ってください。もし仏法について、知らないことがあったら、組長にも聞かないでください、直接にリンチェンドルジェ・リンポチェにお伺いに来る。組長はリンポチェではなくて、ケンポス僧ではないから、仏法を伝授することができない。もともと、リンチェンドルジェ・リンポチェはこのように要求する必要はなくて、そなた達に言いたい場合に気軽に言わせてもいいが、リンチェンドルジェ・リンポチェはそうすると、ただ自分にとても大変にならせた。兄弟子の間でも、外の人が上師の開示内容を聞かれて、すぐ独りよがりで1回解説しないで、そなた達は仏法を伝える資格がなくて、仏法も世間話にして使われるのではない。組長を担当することができる人はののしられることができるので、メンバーに配慮して、関心を持つことができない人も組長になることができない。組長はただメッセンジャーであるから、組長にとりいると、そなたにリンチェンドルジェ・リンポチェとよく親しくさせることができると思ってはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達がとりいりたくてとりいることができるのではなくて、そなたは仏法の修行上で確かに遣り遂げ事に至るならば、もしかするとそなた達に少しとりいれるかもしれない。

皈依する弟子になった後、弟子の間で絶対に金銭の貸し借りをしてはいけなくて、貸借関係のことを許せなくて、ここは清浄な道場であるから。この前に2人の弟子がいて、一人は金を貸して、もう一人はお金を借りて、結局は二人ども追い払われてしまった。その他に、結婚していない男性、女子の弟子の間は付き合うことについて、リンチェンドルジェ・リンポチェは関与しないが、しかしすでに結婚した者は付き合いをしてはいけない。

他の者が一日中数珠を持ってまことしやかに佛号を唱えるように学ばないでください。自分が仏を学ぶ人であるから、とてもすごくて、他の人と異なることを吹聴するようである。仏を学ぶのは内心で学ぶので、うわべを学ぶのではないて、一般な人と同じように暮らしたらいい。リンチェンドルジェ・リンポチェは袈裟を着ていない時に、他の人はすべてリンポチェのことを見てとれないで、しかし心は普通な人と完全に違わなければならない。でも、他の人にそなたが仏を学んでいることを知っていてことを恐れないでください、仏を学ぶのはよい事であるから、隠してこそこそしている必要がない。一部の者は暫く仏を学んで、自分が習い得たと思って、仏法で他の人を教えさとすことを始めて、仏を学んで、これを学べば学ぶほど誇らしくなってしまい、それは正しくない。

子供は仏を学ぶため、必ず父母の双方の同意を獲得しなければならなくてはじめて寶吉祥仏法センターに来ることができる。こっそりと彼を連れてきて構わないだと思わないでください。もしこのような状況を発見されると、きっと追い払われる。法律の規定により、未成年者のすべての事が父母親の後見人の同意を通じなければならないから、リンチェンドルジェ・リンポチェは法律違反しないのである。もしだます方法で別の相手の同意を経ていないで子供を連れて道場に来るならば、1つは子供のだますことを教えるのである、もう1つは子供を教えるのが親孝行をしないことである。夫婦もこのとおりである、必ず夫婦の相手が賛成してから道場に来ることができる。一部の人がだます方法を使って、自分が先に学びに来ると思って、よく学んでから、夫婦の相手に回向することができて、彼をそなたに従って仏を学びにくると思わないでください。これも正しくなくて、仏を学んで巫女と似ているように学ばないでください。今日、ある人はそなたに仏を学ぶことに妨げて、それは過去世にそなたが嘗て他の人に妨げたことがあるから。もしそなたはこのような事さえもだます方法を使うならば、法会に参加するが、母、同僚と集まりお茶を飲むのだと言って騙して、それではそなたの相手もどんな事でもすべてそなたに教えることができない。今多くの人が相手をごまかして事をして、常にレストランで女達集まりをも見て、集まることを夫に告知するかどうかを聞くと、すべてはこのような事を告知することはできないと答えて、その故にこれらの人たちの相手も当然ごまかすのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは皈依する弟子の多くの責任と義務を1つ1つずつ開示した。
皈依した後にいくつかの事項を注意しなさい。
(1) 天神に頂礼しない。つまり再び宮や廟に行って神にお頼みしたり参拝したりすることができない。家ではもし必ず祖先を祭らなければならない場合であれば、線香を持って少し礼拝して大丈夫であるが、しかし求めないで、叩頭しないでください。
(2) 有情衆生を傷つけない。そなたは皈依した後に、一切の有情衆生を傷つけないで、もちろん菜食をしなければならない
(3) 外道に依止しない。
(4) 三宝に会って恭しくなること、お経、仏像、仏塔に会って恭しくなる。たとえ頂礼をすることができなくても、心で恭敬の心がある
(5) 特別な事があり便利さを求めるため皈依戒を捨てることはできない。
(6) 定期的に供養する。道場を護持する。そなた達が皈依した後に、この道場と教派の活動を護持する義務と責任があって、道場のすべての支払いにつきて、皆「使用者が料金を払う」という観念で、皈依する弟子は共通に護持する。そなた達は自分の護持するお金がないことを言わないでください、これはあり得なくて、一回の食事のお金を節約して残して護持することができるようになった。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェを供養しなくても構わないが、しかし道場を必ず護持しなければならない。毎月にすべて道場を護持しなければならなくて、もし道場を護持しなければ、それは横領して常住するのである、なぜかというと、この道場は衆生のお金を使って買ったから。もし皈依していない信者達は支払う必要がなくて、会員から出資するのである。

「有部根本毘奈耶経》に皈依後五つ行えない事がある。

五つの行えない事とは因果を信じなく、怠けて、悪口、恥を知らず、悪知識に近づく。

多くの人は因果を信じると言ったが、実は信じない。心の中に少ししても構わなく、自分はそんなに運が悪いと思った。そうすれば因果を信じない。上師は既に法を伝授したのに、そなたは修めないと懈怠だ。地蔵経には、釈迦牟尼仏は地蔵経を説いた時鬼王達は聴くために来た。聞いた後、全て発心して、仏を習う人を護持して、彼たちを助けて、懈怠せず、仏を習う事を固めると誓った。鬼王さえ人間は懈怠だと分かったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは言うまでもなく分かった。そなた達は退転ではなく、不精だ。退転とは菩薩道の修行者は心を変えるや或いは輪廻を解脱したくなく、また世間に戻って遊びに来る事だ。リンチェンドルジェ・リンポチェはある退転を解釈する例があるが、今日時間が足りないので、今後機会があれば皆を開示する。これから見ると、そなたは皈依した後、上師の加持があって、鬼神もそなたが仏を習う事を護持する。この前リンチェンドルジェ・リンポチェは日本である神社の護法を済度した。これからこの神社は没落した。護法は済度されたから、神社は霊験しない。恥を知らないとは上師は既に行えない事を言ったのに、再三間違いを犯す。悪いと知りつつわざとする事である。

悪知識に近づく事について、悪とは善いと悪いの差別ではない。悪知識に近づくとはそなたを連れて、食べたり、遊んだりする人ではなく、仏の名義を付け外道に近づかない。それは表面に仏法を説いたけど、実際はそなたに輪廻を解脱させない人だ。我々は外道に近づかないと言われたのは外道が悪いと言えないが、外道はそなたに引き続きに輪廻させるから。皈依した後、外道の活動に参加しない。この前ある弟子の夫は亡くなって、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に済度された。しかし、彼女は自分が慰められる事が必要だと思って、教会に活動を参加した。朝は教会の活動を参加して、聖歌を歌って、午後は寶吉祥の法会に参加する。誰でも知らないと思ったけど、まさか他の弟子はバスに乗って、彼女は喜んで教会から出ると見た。アチ護法は本当に素晴らしくて、正法を護持している。

若し皈依弟子が上記の五つの事をすると、上師は教授せず、共に語らず、善事を許さず、共に享受せず、同室せず等の五つ事で対応する。教授しないとは仏法を教えない。共に語らないとは上師はそなた達と話さない。善事を許さず、共に享受せず、同室せずとは善事さえそなたに参加させなく、そなたと一緒に食事しなく、そなたと同じ部屋さえいない。そなた達は道場の外で多くの人が入らず法会に参加できないのはこの事を犯した。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏経に従ってそなた達を対応する。寶吉祥仏法センターの皈依は外部と違う。皈依した後、若し弟子が間違うと、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に多くの手段を使って対応する。例えば打つ、叱る、或いは罰を与える等色々がある。そなた達は手段が多いと言えないが、そなた達は若し手段が多いなら、追い払われた。あなた達は、仏菩薩と上師が慈悲であるのかと聞きたいかも。善事ならどうして彼にさせないか?これは弟子として前の五つの事を行ったら、悪を行うので、善事をすると福報に累積できる。人を助けるのは福報がなくてはならなくて、福報があってから能力があるためである。もし悪をする人に福報に累積させるならば、彼はもっと大きな能力があって衆生に損害をもたらすようになって、そのため善事さえ彼にさせない。そうすると、別に上師が慈悲でなくて、人が間違いを犯して機会をあげないで、、彼が仏を学ぶ心がないと、彼に仏法を引き続いて教えないで、彼がもっと仏を学めば福報がもっと大きくなり、後で仏陀をそしる罪がもっと重くなる。

経典に若し皈依した後、次に述べる九つの原因があれば、上師の加持を得る事は出来ない:上師と争う、上師に言い付けられた事を果たさない、上師を敬わない、上師を讃えない、上師に頂礼しない、護法を軽視したり辱めたりする(それは護法は上師に伝授されたから。)、上師の功徳を褒め讃えない、上師に親しく近づかない、上師に対して怒りを抱く(口答えも含める)。

何故上師の加持が必要だろうか。それはそなた達の心は固くないから、上師の加持が必要なら、順調に仏を習える。先報告した弟子は自分が出産した時死ぬほど痛くて、リンチェンドルジェ・リンポチェを観想すると、すぐ痛くない。それは当時彼女は極めて痛みを受けて、雑念なし上師を求めて、清浄な心でリンチェンドルジェ・リンポチェを観想したから、自然に上師の加持を得た。そなた達は通常に最も苦しい時を経歴せず、上師及び仏菩薩を求める時、自分の考えは多くて、あっちもこっちも考えた。この心は清浄ではなく、加持力も現れない。

上師と争うのは上師に自分の考えを解釈する事も含める。それは若しそうすれば、自分が正しい、上師が間違ったと思った。上師に言い付けられた事を果たさないとは即ち上師に仕えない。上師からの指示を受けない事も含める。上師を讃えないとはつまり、上師が行った事を認めない。更にそなた達はまだ有る人は皈依してから、自分が仏教徒である事を知らせる勇気がない。上師を讃えないのは随喜功徳である。随喜功徳とは即ち勝手に寄付金で供養する事ではなく、他人が衆生を利益する行為を賛嘆した。諸仏菩薩の功徳はそなた達は見えないが、例え見ても信じない。しかし上師は衆生を利益する事をそなた達は皆見える。若し上師が行った事に対して全て歓喜心を起せば、最大の功徳である。

上師を見ると必ず頂礼しなければならない。上師が必要がないと言わない限り頂礼しなくてもいい。道場に上師を見ると必ず頂礼しなければならない。公衆の前でリンチェンドルジェ・リンポチェは大げさが好きではなく、他人の注目を引かないから、若し皆に頂礼しないと言えば、本当に頂礼をしない。

上師に親しく近づかないのはそなた達はいつまでも上師の側にいると言わない。そなた達の心だ。例えばある者は出来るだけ後ろに隠して、上師から遠く離れて、近く座ると上師に叱られるのを怖れがある。それは上師に親しく近づかない。長く皈依した弟子もリンチェンドルジェ・リンポチェはこっそりに他の弟子に電話をかけなく、弟子に依頼して、私事をするや上師と一緒に食事をしない。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたにある事をすれば、道場或いは教派に関わる事、そなたは自分がやる以外別だ。そなたは多くの金を供養すれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず特別にそなたにいい応接しない。そなたの心も見る。リンチェンドルジェ・リンポチェは部屋が一軒でも要らないから、真にお金のためではない。心は最も重要である。心は間違うとどんな事をしても間違った。

皈依後、必ず五戒を守る。戒は上師に伝授されて、自分が家で守ればいいとは思わない。五戒とは不殺生、不偸盗(海賊版のCD或いは偽ブランド品を買うのもすべて含まれる。他人の物は許可を得ずに取られるも偸盗に入る。)、お酒を飲まず(タバコ、麻薬を含めて)、不邪淫(一夫一妻とは言わなく、範囲はとても広いから、今度皆に開示する。)、不両舌、不妄語。例えば前に皆警告したが、そなた達は上師ではないと仏法を説かれない。不悪口。瞋恚の心で他人を論議しない。不綺語。言葉で人を誘惑できない。営業となる人を含めて、真実ではない言葉を話して、顧客に自分の製品を購入させず、会社の方針に従わなければならない。

その外に、不綺語とは実が仏と関係なくことを話さないのである。覚えていて、1994年の時、リンチェンドルジェ・リンポチェはチベットの尊き直貢チョンツァン法王を丁寧に招いて雲南まで法会を催した。あの時、ある台湾の信者がリンチェンドルジェ・リンポチェの関係で従って行くことも出来た。直貢チョンツァン法王を見るとこの方はすぐ2万元人民幣を供養して、あの頃には2万元人民幣はあまり少なくなかった。あれから、2枚名刺を取り出して直貢チョンツァン法王にその中にどちらと商売した方が良いかと伺った。あの時、直貢チョンツァン法王は彼を相手にしなくて、一目さえも見なくて、一言も言わなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの信者に勧めた。彼が直貢チョンツァン法王に人を評判させるのが即ちチョンツァン法王に戒を破らせるのである。この時この人が良いと言ったら、彼が悪くなるかもしれなく;この人が悪いと言ったら、彼が以後良くなるかも知れない。この問題は仏法と関係ないので、直貢チョンツァン法王は自然に答えることをしなかった。現在多くの者がリンチェンドルジェ・リンポチェに面会して聞くのも仏法と関係ないことである。リンチェンドルジェ・リンポチェが気持ちが良さそう時、そなたに少し開示をやるかもしれなく、ある時も直貢チョンツァン法王に真似てそなたの問題に口を開けなくて答えないかもしれない。

悪口が出来ないので、道場で相弟子を批判せず、道場の中に何がよく出来ない所があれば、組長に反応し、プライベートで批判しない、例え、外の者の不当批評を聞いても、組長に反応するべきである。組長に言ったらあの相弟子にたいして悪いかもしれないと恐れないで、こうするとかえって彼を救って、やっともっと大きい過ちを犯さないのである。更に、上師を批判することが出来ない、好きでなければ離れでも良いが、勝手に批判しないで、これはそなたに対して大変よくないのである。

今日全て伝えたこれら戒律は一番基本の1つであり、菩薩行を修めならば、まだ菩薩戒がある。密法を学ぶチャンスがあれば、まだ「根本14堕」があり、これらの14個の根本堕を犯すと金剛地獄へ堕ちる。

皈依すると八つの利点が得られる:
(1)仏教徒になった。
(2)一切戒律の頼りになった。
(3)全部人でないと害されることが出来ない。
(4)一切罪業が減って軽くなって刑罰の業界は軽くなってひいては尽くしてしまった。
(5)心の中の福徳資糧が増えて広大する。
(6)死後悪趣に堕ちず、即ち畜生道、餓鬼道、地獄道である。但し、また皈依戒を破ってはいけない。上師と三宝に対して敬わなければならないのである。
この一生よく修めなくても往生してから地獄の出入り口まで,上師の法号と自分の法名さえ覚えれば地獄に入るはずがない。
(7)心の中に殊勝な道が起きられた。
(8)無上菩提を証得して有情に利益するまで絶えずに学んでいる。

続いて皈依の儀式を行い始めた、リンチェンドルジェ・リンポチェは儀式の中に皈依者のため少しの髪の毛を切って、出家との表しで、ここの出家とは三界輪廻の家を離れるとの事である。リンチェンドルジェ・リンポチェが髪の毛を切る時、皈依者の口が1つチベット語を読んで、法喜に満ちたとの意味である。金剛薩埵心咒を唱える声の中で、リンチェンドルジェ・リンポチェが髪の毛を切るとの儀式をし始めた。今回はあわせて103名信者がリンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依して、寶吉祥の弟子になった。皆は全て大変法喜に満ち溢れるのである。

それから修める「上師供養法」は1時間ぐらいを引き続くため、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲で法会の参加者皆を憐れんで、15分を休憩させた。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェはまた法座に昇って、上師供養法を修めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された:今日修める上師供養法は顕教には修めない。上師供養法を修めるのはそなた達に直貢噶舉教派の歴代上師と深い縁を結ばせ、それに、そなた達が福報を蓄積するのを助けるのである。

仏を学ぶには資糧が必要で、資糧は福報と智慧を含んだ。資糧とはまるでそなたがある者をある所まで送り、お金があるこそ相手に切符を買ってあげることが出来た。多勢者がリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依するのを求めた時、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らに何故仏を学ぶかを聞くと、彼らは他人を助けたいと答えた。自分させも済度出来ないものがどのように他人を助けるか?他人のため切符を買う能力があるか?福報は供養より作られた。供養は三種類に分けた。一つは外供で、即ち財産など物質を供養する;または内供で、つまり身、口、意の供養である、もう一つは秘密供で、密法を供養する、これも一番殊勝な供養である。今日修めた上師供養法こそ、外、内と秘密供を含んでおる。身、口、意の供養とは全てのを上師に供養して、眷属など一切のを含んだ。そなた達は此処まで聞くと恐れになるかもしれなく、何故こうしなければならないか?上師はそなた達が供養するのが欲しいのではなく、そなた達は全部福が薄い者である。清浄な身、口、意とは全くないではない。我らの身、口、意が起きられた思いと考えは全て自分の妄念のため、身、口、意は全て自分のため出なければ即ち清浄である。身口意が清浄で供養するこそ、自分の業を転ずることが出来て、生死を解脱することが出来て始めた。

例え現在ハイチ共和国では災難が絶えなくて、あんな所に生活する者は仏を学ぶことは出来ない。われら台灣ではまだ多くの騒ぎがあったが、生活条件は世界中の沢山所よりまだ悪くない。台湾は全アジアの中に一番福報があるところで、仏法が一番盛んな所は台湾で、台湾に生まれるのが全て福報があった者である。リンチェンドルジェ・リンポチェは出身が大陸だが、香港で育てて、台湾に来なければ、尊勝直貢チェツァン法王と出会って仏を学ぶチャンスがなくて、この一生が無駄にする。

ある者は仏を勉強してから自分が夢に仏菩薩を見たと言った。またあるリンチェンドルジェ・リンポチェの所に来て、自分の前世は嘗て釈迦牟尼仏の弟子と言って、それは真実であれば彼は今世が出家相を現われるはずである。実は、我らは全部かつて仏菩薩のそばにいることがあった、そもないと、この一生も仏を学ぶ因縁がなくて、今日もこんな法会に参加するはずがない。しかし、我らは以前順従でなくて、良く勉強しなかったので、この一生またあらためて勉強することになった。

法会に参加するのは福報を蓄積することが出来て、そなた達の心を固めさせることが出来た。生活上辛いことが多かったが、十分な福報があればそなたがやっとお体と外在の環境に影響されないのを出来させて、業力が現われでも、そなたの福報が足りるならば、そなたの心を揺らせられない。リンチェンドルジェ・リンポチェはあの頃金剛乗仏法を学んだばかり時破産して、食事するお金がなくて、相変わらず大礼拝をして、修行した。嘗て昼食が食べ終わったと夕食が分からない程貧乏だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは悩まずに、そのままで大変自在で日を暮らした。そなた達はロンを払うお金がない、勉強するお金がない、日を暮らすお金がない、上師に供養するお金がないと悩んだ。仏経の中に載せてあり、仏を学ぶのを発心する者であれば、仏菩薩が彼に御飯をなくさせるはずがない。リンチェンドルジェ・リンポチェこそ一番良い例である。「捨てる神あれば助ける神あり」この諺は真実で、窮地も自分が求めるのである。仏を勉強するのはお金が欲しいのではなく、お金は値打ちがないのである。だから信者に媚び諂わない。そなた達出家衆は、そなたに仏法と関係なくことを作らせた信者と出会えば、こんな信者がなくでも結構である。信者の供養を得るため媚び諂ってはいけない。仏菩薩はそなたのお世話をするので、心配することは要らない。寶吉祥仏法センターのこれら何名出家衆もすべてリンチェンドルジェ・リンポチェが毎月彼らに生活費をあげる。例え、信者が出家衆を指摘すれば、出家衆が彼らを相手にしなくても良い、それは出家することは信者より良かった。彼らを相手にすれば、彼らに出家衆を批判するチャンスを作るのを助けたのである。

仏を学ぶ者は特に名聞利養に注意しなければいけない、特に出家衆で、在家衆はこれらの問題がより少ない。リンチェンドルジェ・リンポチェは極めて名聞利養に注意し、出来れば有名になる事を避けさせて、随意で媒体の訪問を受けない、有名になる事を恐れている。此れは有名になる事は福報を消耗するわけで、が、リンチェンドルジェ・リンポチェの福報は衆生に利益させるのである。そなたは百万を寄付したら、演壇に上がって誉めを受け取って、それでは、そなたの寄付の福報も尽してしまう。

今日、この法会は福報を修める事を除いて、智慧も修める。智慧は「根本智」と「後得智」に分け、法会に参加する事はそなたに智慧をくれる事ではない。人々が生まれてから仏と無二無別の智慧を具えるのは根本智である。我々が修めるのは後得智で、此れは後天の修行により得る智慧で、法会に参加する事はそなたに後得智を得てくれる事が出来て、後得智は段々に修めて至るならば、自ずからそなたの根本智を啓いて行く。

密法は事部、行部、瑜伽部と無上瑜伽部に分けて、上師は密法を伝える折に普通事部と行部のみ伝って、これからそなたの個人の修行により、上師が相次いで伝法する。直貢噶舉教派、大手印を修めるのは4つのラベルがあり、各々のラベルが3つの次第があり、総計は12個があって、少なくとも第2ラベルを修めなければならない、離戯瑜伽の階段に至るならばポワ法を以って衆生に済度する事が出来て始める。

法本には「前行」、「正行」と「後行」に分ける。前行は発願する。それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは「上師供養法儀軌」を修め始まって、此の中にはマンダを上げたり、薈供があったり、茶供があったり、また八供女が献供歌を歌ったりする事がある。儀軌は後段で進行する折に、リンチェンドルジェ・リンポチェは皈依せず信衆は暫く道場を離れさせた。

リンチェンドルジェ・リンポチェの御開示。何故皈依せず者は先に離れさせるのでしょうか?これも皈依と皈依せずの差別で、此れは仏が差別がある事ではない、皈依せず者は一切の悪を断つつもりがない者わけである。その上、お正月後に、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢噶舉の法を伝える予定なので、それらの加護を求める信衆がこれからも来る事が要らない、来ても役に立たない。昨日、ある者は皈依したいが、リンチェンドルジェ・リンポチェに多くの皈依してから心配になる事を申して、そこで、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女がこのような多く考えるならば、彼女に皈依させない、これからも彼女に道場に来させない。このほか、皈依したから間違ったら追い出せる。そなた達は皈依してから気が変われば、構わないが問題ない、この故に三昧耶戒を破って、上師と菩薩がそなたに処罰させる事を思ってはいけない。上師と仏菩薩は慈悲深くて、如何様にそなたに処罰させるのでしょうか?ただそなたが離れてから再び悪を行う故に、冤親債主は再度来て、元々ある事柄は上師と仏菩薩がそなたに代わって遮り止めて、そなたが離れてから発生してくる。

上師供養法には、灌頂の儀軌の進行がある。灌頂は4種類に分けて、その内が最も重要なのは第4潅で、普通には随意で与えない。今日、そなた達に第4潅に灌頂してあげるのではない、そなた達に祈請文を読んであげて、そなた達は以後に機会があって第4潅の因縁を得て、ただこの世そなた達は密法を学ぶ機会がないはずである。それからの一部の儀軌には、リンチェンドルジェ・リンポチェは観想の方式により皆に灌頂してくれた。

上師供養法を修め完了してから廻向の前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは直に身元の弟子に指示して、ある重病で往生したばかり子供が壇城の前に連れで、リンチェンドルジェ・リンポチェは直ちにこの子供に直貢噶舉派の珍重なポワ法を修めてあげた。

修法の過程はただ短い数分間にかかって、リンチェンドルジェ・リンポチェは真言を唱える折に、道場のモニターが同時に何回目の画面躍動の騒動現象を現して、強烈な閃光見えられて、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法する時に巨大な能量を現して、感嘆させる。

円満なる修法してから、リンチェンドルジェ・リンポチェはある医師弟子に死者の梵穴を確認させて、この医師弟子は死者の梵穴が一寸窪んで、柔軟で暖かい事を報告致した。リンチェンドルジェ・リンポチェは修法してから、体力を多くて消耗しても慈悲深く開示させて、先修めるのはチベット八大成就法の一つのポワ法である。往生したばかりの若い子供の前世は動物で、子供の両親の祖先がそれ殺して、だから彼達の子供が変わって復讐に来て、両親に悲しませて、両親に多くのお金に掛からせて、子供に連れで診療を受けた。そなた達は殺業の恐さを見えられる。昨日、この夫妻はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来て、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼達に道場に4時間の大礼拝をして子供に福報を累積してあげる事を指示させて、子供は時間が一寸良い、上師供養法を修めてから廻向の前に往生する事が出来で、その上、直にリンチェンドルジェ・リンポチェが彼に珍重なポワ法を修めてくれた。彼らの夫妻はずっと途切れ途切れに仏を学んで、供養も惜しんでいる。リンチェンドルジェ・リンポチェが説く供養とはお金ではなくて、そなた達が誤解してはいけない。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが見つけてから、皈依になると、何事がリンチェンドルジェ・リンポチェに頼んで、自分が何もしないで、仏法も修めないで、ただリンチェンドルジェ・リンポチェに頼んで安穏で心地よい生活を暮す事を思っている。この夫妻は来たばかりの心構えは、仏菩薩を利用し、仏菩薩から自分の子供に治させて、彼達に面倒しなくて好い生活に暮す事が出来る。修行しないので、子供の状況は全て変わっていく。

そなた達は皈依し、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達の上師で、そなた達は何かがあってリンチェンドルジェ・リンポチェに求めるならば、リンチェンドルジェ・リンポチェは絶対にそなた達に助けてあげて、然し、仏法は危難を助けて、最初苦難があったらそなた達に助けて、そなた達に代わって解決してから、そなた達の自ら修めなければならない、パスだけの事を思ってはいけない。この子供の往生は表面的な傷心する事であるが、仏法により解脱である。この夫妻は本来大礼拝をしたらこの子供に良くなっていると思いきや、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はこの体が既に使われないなら、彼に速く解脱して浄土に修行して行く。法会には往生が出来る事は累世の大きな因縁と福報であり、この子供は本来現在で往生出来ないし、速さ或は晩さになるかもしれない。然し、子供は自分が福報を累積事が出来ない、両親により彼に代わって福報を累積させて、福報はこの時機に使い、法会に往生して珍重なポワ法を得る。この子供は現在阿弥陀仏の浄土に居て、両親が悲し過ぎない、簡単な葬式により子供に対応したら十分で、仏法が所謂簡単とは火葬である。若しあまり悲しい過ぎないなら子供が浄土に仏果を修正して得る時間を延長させる。

今日、上師供養法を修めるので、歴代伝承の上師達はそなた達に仏法の真実で虚けない事を見させられる。ポワ法は密法では一番簡単である。福報が足りない者は「ポワ法」の名称を聞ける事も出来ない。在席の皆は福報がある者で、今日は自らポワ法の修法過程を見る機会がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは8時間に唱える事が要らない、1時間でも要らない、直接に死者の頭頂の梵穴に穴を打つ事が出来て、彼に直接に阿弥陀仏の仏土に送られる。此れは現在、皆が極めて忙しくて、時間が足りない、往生の人々が多いである。今日の距離が一番近くて、例え2千余りキロメートルでも、リンチェンドルジェ・リンポチェは依然として死者の頭頂の梵穴に穴を打つ事が出来る。何故遣り遂げる事が出来るのでしょうか?此れはリンチェンドルジェ・リンポチェの福報により、すべで死者にくれて、彼に浄土に遅らせて始めるわけである。

今日の法会の時間は普通により長くて、然し、そなた達はある密法の上師がポワ法を修める事を見れる事も足りる。帰ってから、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法する時にそれらの声を学んではいけない、家の猫と犬が往生する折に、自分がそれの為にポワ法を修めてあげる事を思ってはいけない。修める事が出来ない以外に自分が去って行く。これ等の声を発する事は密法が要るし、深く福報と累世の厚く善根が要る。そなた達は貧乏人で、貧乏人はお金が無いではなくて、福が薄いである。そなた達は此の世にポワ法を修められて自分の為に生死を解脱事が出来るならば素晴らしいであり、リンチェンドルジェ・リンポチェを学んで他人にポワ法を修めてあげることを思ってはいけない、このような大変苦労である。その往生の子供は仏の身元に仏を学んで、リンチェンドルジェ・リンポチェにより幸せ、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの娑婆世界でそなた達に疲れさせてしまう。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのようなポワ法を以って他人に済度して上げる事を修め至るならば、深くて厚い禅定の工夫が要る。

釈迦牟尼仏陀は「縁が無いなら済度出来ない、衆生を済度し尽さない、衆生の業を転ずる事も出来ない」と仰った事がある。上師は仏法を開示してからそなた達がする事が要る。子供時には読書する折に、先生は宿題を指定させるならば、そなた達はしなければならない。唯法会に参加したらよくなって加護を得る事と思っているならば、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェの上師で、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ直貢チェツァン法王が主催なさる法会が足りて、苦労である閉関と修行も要らないのである。

それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは皈依証の皈依文を口傳なさった。「我が上師に皈依し奉る、我が仏陀に皈依し奉る、我が正法に皈依し奉る、我が僧伽に皈依し奉る。仏に皈依、これより外道に皈依せざるべし、法に皈依、これより殺生せざるべし、僧に皈依、これより悪友に従わざるべし。諸々の悪を作すこと莫く、諸々の善を行い、自ら其の意を浄くせよ、是が諸々の仏の教えなり。」全ての皈依弟子は毎日に少なくとも3回に唱えて、多く唱えられたら多く唱える。そなたによく覚えさせて、仏を学ぶ事が困難だと思ってはいけなくて、「諸々の悪を作すこと莫く、諸々の善を行い」とは全て仏が教導してくれる諭しのである。

参列者は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが苦しさを辞さないで慈悲である衆生の皈依を受けて、上師供養法と珍重なポワ法を修めう事が一緒に感謝致した。皆は法喜が満ち溢れている。

2011年1月23日

台北寶吉祥仏法センターで、弟子及び信者達は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが2003年6月15日にご開示くださった四加行の仏法録音を謹んで聴いた。

法会の前、ある男性の弟子はこう分かち合った。土曜日の朝、携帯電話のショートメッセージにて、今日壇城の前で分かち合うことができるというお知らせを受け取る時には、心の中は暫く情緒を思い出して、実は自分がいつも上師の恩恵を心の中に置かないことを発見して、すぐリンチェンドルジェ・リンポチェはみんな壇城の前で分かち合うことをさせる意図が分かった。家に帰った後に、コンピュータを開けて、ただいくつかの字だけを打ったのに、すでに激しく泣き叫んた。

彼の祖父と祖母は彰化県二林鎮の田舎に住んでいるので、以前は農業に従事してそして結婚の披露宴と葬儀後の宴会を料理するコックであった。だから小さい時、いつも祖父と祖母が鶏・あひるを殺していることを見て、それに両親は台北で縫製工場を経営して、日曜日に、父親はよく全家族を連れて郊外に魚を釣りに行って、昼ごろまで家に帰ったのである。すごく多くの魚を釣ったから、母親は家で魚を殺して、魚が多すぎて冷蔵庫を入れることができなくて、また隣近所の人に送りに持っていった。殺業の力の牽引の原因であるかもしれないが、彼の小学校4学年の時に、父親は商売が失敗して、その夜すぐ彰化故郷に逃げた。父親はその時借金取りを避けるため、数年間も消えてなくなって、中学校の一年生になって、家族は台中に引っ越して、両親は夜市で露店を出し始めて、売ったのはすべて肉入りの食べ物であり、数人の親戚も夜市で肉入りの食べ物を売ったのです。父母は家の四人の兄弟のため、たくさん殺業を作って、自分で読書する時に、夜市で商売をお手伝いすることだけではなくて、同じくお金を儲けてオートバイを買いたいため、夏休みの時、叔父の焼肉店でアルバイトして、彼のため亡くなった衆生が何名あるのかということを知っていない。

更に憎らしいのは食の欲求を満足させるため、食べこんで傷つけられた衆生の数量はいくらあるのか知らない。嘗てあるレストランで、頭と尾がまだ動いている魚の刺身を食べて、またそばにいる食べられない同僚をあざ笑ったことを思った。今やっと発見したのは自分の罪が万死に値するのである。

尊き金剛上師  リンチェンドルジェ・リンポチェは開示したことがあって、どのような家庭で生まれたのか、すべては自分の過去に作った善業、悪業の力で牽引されて、彼はきっと殺業が重い人なので、この家庭でようやく生を受けることができる。ひとつは業のこんなに重い人を殺して、理屈から言えば、仏を学ぶ福報がないのであるべきが、しかし今毎週妻と子供と連れて一緒に道場に来ることができて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教導を受けて、まちがいない、これはすべて尊き金剛上師  リンチェンドルジェ・リンポチェの助けと加持である。

尊き金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する2年間の前、長兄と彼の妻の推薦により、彼と妻と子供に阿弥陀仏無遮大済度法会に参加する機会をさせて、、更に恩に感じるのは尊き金剛上師  リンチェンドルジェ・リンポチェのお書きなさった《快楽と痛苦》この本、キリストの弟子である妻に、この本を読んでから、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して無比な自信が昇って、彼の心の中で多くの納得できないことをも解いた。2009年10月に彼の妻は自分で尊き金剛上師に皈依することができることを望む。 リンチェンドルジェ・リンポチェに初めて謁見するときには、リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲に彼らの願いに承諾して、彼らを2010年1月30日に皈依させます。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した前、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェがおっしゃった通り、居間にテレビをつけて、宗教番組を見て、独り善がりで自分が修行していると思った人だ。彼方此方で仏を習いに関して本を買って、菜食レストランに行って、本を見ても持ち帰った。仏法を完全に学問として見られて、本当に教えに従って奉じない。実は自分の行為は既に仏、仏法を誹謗したのに、自分が分からない。表面に衆生のために仏経を唱えると言ったが、実は心の中に功徳を貪る心で唱えた。毎回仏経を唱えて、如何なる功徳を得られる時、自分が本当にこのような功徳を得られたと思った。今考えると本当に大間違いだった。この前、リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、ある者は宗教番組を真似して、呪文を唱えながら、水と米を加持して衆生を与えて、独り善がりで無数な衆生を助けて、解脱させると思った人は彼であった。

リンチェンドルジェ・リンポチェはある共修法会の中にこの事を開示した時、彼は始めて、自分が何故当時食事した後、喉から頻繁に濃い痰が出て、まるで餓鬼道の衆生は食べ物を食べた後、烈火を変えるような状況を分かった。必ず来た衆生は自分が助けを得られないと発見して、彼の側に従ったから。あの時期彼は約20分や30分間にトイレに痰を吐かないと話や呼吸が出来なく、話を話すと咳が出た。更に前後四人の医師に診察されて、全ての医師も何回目診察して、多くの薬を飲んだのに効果が出なかった。この状況は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した一ヶ月後、薬を飲まずに治った。此れは必ず尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に騙された衆生を済度したから。済度とは本当に凡夫が行える事ではなく、必ず尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが見たく、広大な慈悲心及び菩提心があって、本当に衆生を利益する事が出来る。

もう一つ事は彼の右足が速く歩くや走った後、すねの骨前の筋は凄くきついとなって、歩くや寝る時も痛みを感じ、いつも筋肉痛だと思った。その後、ある一回すねの骨前筋はきつい以外、足の底も痺れの症状が現れた。すぐ病院にX線検査を受けた。医師に診察された後、足首に二つの骨の間に生まれてから軟骨がないから、骨と骨はお互いに磨いて、周りの腱は炎症が起こったから、すねの腱を影響した。医師は検査した後、此れは治られないと言った。手術を行って治られないから、消炎薬を飲んで症状を軽減しなければならない。

去年(2010年)皈依したある一ヶ月、また上記の状況が発生した。法会が終わった後、階段を下りるとき必ずゆっくり進まないと、足首は痛んだ。ある施身法法会が終わった後、施身法法会の識別証を失って返さなかったから、道場に入らない。心の中に非常に懺悔してドアの外に跪いて参加した。土曜日にも道場に跪いて、リンチェンドルジェ・リンポチェに求めて、自分に機会を与えて、殊勝な施身法法会に参加させた。二ヶ月に経って、ドアの外で施身法法会に参加した後、非常にリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、慈悲に彼に引き続きに道場に入って施身法法会に参加させた。あの時数回に跪いた後、右の足が痺れや痛むの症状は消えた。更に今までも発生しなかった。例えノートパソコンを負って、十数分間に走っても再発しなかった。

他には彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが娘を助けた経過を報告した。去年(2010年)の秋、幼稚園は突然に彼の妻に電話をかけて、子供は手足口病に罹ったを連絡した。彼たちに子供を迎えさせて、幼稚園に留られない。昔同僚の子供が手足口病に罹る経過を聞いたが、高熱を出し、昏睡及び手のひら、足の裏、口内に水疱が発生する症状があって、とても心配だった。妻は休みを取って、幼稚園に子供を迎えた時、子供は喉の中に右側は三つ、左側は二つの水疱があった。家を到着すると、妻はすぐ子供を連れて、壇城のリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼した。それはリンチェンドルジェ・リンポチェが開示されたが、必ず自分の殺業のせいで、この病状があったから、リンチェンドルジェ・リンポチェに祈って、過去傷付けた衆生を助けて、また薬を飲めば、再び体内の衆生を傷付かない。

頂礼した後、妻は子供を連れてお医者さんの検査に行った。お医者さんは左しだり右しだりして、2回したのに水ほうを見つけなかったため、薬をもらわなかった。家に帰ってから、妻はまたフラッシュライトを持ち上げて自分で検査すると、水ほうがもう神秘的に消えてしまったのを発見した。このようで,子供がかかった腸ウイルスは只飲む時水ほうで異物を感じられたが、熱があらず、寝込まず、それにミルクさえも吐かなかった。その後、彼の娘は彼に教えた、彼女と一緒に腸ウイルスがかかったクラスメートは既に2周間を授業しなかった。 この事は彼に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがどこでもいる加持力と大威徳力を感じさせた。

最後彼が供にしたいのは、昨年のある共修法会に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示された考えに関する段落のである。リンチェンドルジェ・リンポチェは申された、考えが起きられた時、すぐ対治しなくて、それに自分の心念に従って放任すれば、直ちに考えは一匹の火蛇のように我らを食べてしまった。彼がこの段落を聞くとすぐひどく泣いた!それは、仰った内容は全く彼の心の中に長い間にの疑惑と苦しみが的中した。この末法時代に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがご自身の着着実実な修行経験を絶えずに皆に開示と教導しなければ、只自分の力で、仏経を遍く読んでも、その中よりどんなすこしの体得を得ることも出来ない。

終わりに、彼が父母親と爺婆の代表として、過去にすべて作った一切悪業を懺悔し、過去に一切害した衆生が全部仏法の助けを得て、早目に離苦得楽が出来るように望んでおる。また、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに祈請して、そなたが慈悲で一切衆生を捨てず、この世に長くいらっしゃるようにお願い致しておる!

続けてある男弟子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが彼の家族を助ける経過を共にした。彼は去年(2010)1月30 日尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して、今日、皆にこの一年間尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがどのように彼の家の中に二人年寄り者を世話するのを共した。

チベット仏教を触れる前彼は只1人平凡また迷信な信者である。しかし、この全ては2009年初冬彼にすごい変化をさせた。この前、彼の同僚曾相弟子は既にまだ信者の彼に寶吉祥仏法センターのウェブ・サイトの尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの衆生済度の事蹟とアーカイブを読むと薦めだ。あの頃、沢山分け合った感想と法会にの開示された内容はたびたび彼に心の共鳴を引起させた。彼の心には此処が彼の依止する所べきと思った。

2009年10月彼の90才のお父さんが家族と一緒にお寺に参拝する途中で、人をよけるため,うっかりして転んで左太腿が骨折した。彼の父親が入院した間彼が非常に心配して、お父さんが年をとって今回の手術を乗り越えることはどうかな。この時彼の心は突然にひとつの思いが起きた,彼は是非お父さんを連れて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに伺いに行くとした。お父さんが退院した後3日目、妻と相弟子が引き連れる下に,彼は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れた。来意を説明した後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で彼の父親を加持し、それに貴重な甘露丸を賜った。あの頃、彼が大変感動されて直ちに皈依を求めて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ答えなくて、かえって彼に何故皈依して仏を勉強するかと聞いた。彼はウェブ・サイトより多くの事を見たので、仏を勉強するのは父親を孝行する一番表れと回答した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼をちらり見てから仰った:「それで、そなたは先ず法会に参加しよう!」それから彼がチベット仏教と尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な教えを触れ始めた。彼のお父さんは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが加持してから一ヶ月後、病院に行って再診察すると、切れた骨が意外に全部よく出来たのを発見した。あの時病院で、彼と妻と大変一生懸命にレントゲンを見ても、もともと足骨が切れたどころをなかなか見つけなかった。彼はとても不思議と思った。それに、彼らの家族だけではなく、お医者さんさえも全部彼の父親が非常によく回復したと言った。彼が皈依した時、全て話したことは彼の妻を感動させて涙がこぼれた。彼の表れも彼の父親をとても感動させた。二ヵ月後彼が順調に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。

2011年1月、彼は順調に皈依し、同年の7月の夏休みの時に、彼の岳父は気温が暑いなので、中風に罹った。第一時間の折に、彼は6月で尊勝直貢チェツァン法王が贈与する金剛結を彼の岳父に身を就けて、何か役に立つ事を祈った。その故に、彼の妻は再度尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに彼の岳父を加持してくれる事が謁見して来た。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは親切な彼の岳父の部屋に冷房を使わなければならないし、部屋の温度が26℃に超える事が出来なかった事を嘱託した。彼の妻はその場でとても驚いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは如何に彼の岳父を病院を離れて、彼の岳父が節約なので冷房を使う事を惜しむので中風に罹った事を如何にお知りになったのでしょうか?同時に、彼達も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの広大な慈悲力を感じられた。

同年の11月には、彼の父は胆石の故に膵臓炎症を引起させて、再度ICUで入って、同時に、病院も危篤照会の連絡も来て、この事彼と全ての家族が極めて緊張させた。ただ彼は病院に行って、ICUで父に覗く事をしたら、彼は必ず尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真をICUに持って来て、何度も父に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの面構えを覚えなければならない、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが必ず彼を助けてくれる事を話した。彼は父に安心させて、緊張させなかった。暫く、父の病状は益々良くなっていて、普通の病室が替わった。医者さんの評価により、本来、彼の父は手術を行わなければならないけれども、評価してからお年寄りなので、手術を適さなかった。だから、ただ炎症がなくて、胆石を取る事が要らなかった。直ちに、皆は全て一息に緩くて、彼の父は矢張り手術を行う苦しみを避けて、この一切は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと護法の加持、二人のお年寄りは平安でこれ等の危険を渡させた。

彼は同時に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔し、既に1年間に皈依したが、彼は自分が多くの良くない習慣がある事を自己反省した。毎回、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示と兄弟子の心得を聞いたら、彼は自分がまた多くのところを改正しなければいけない、また、常に悪癖を改正する事が出来ない事を悔悟している事を感じた。各々尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが自ら現して、また自身を以ってを示して、彼は何回目に自分に。必ず尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの跡に従わなければならない事を提示させた。彼は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが黒闇での明灯のようない、弟子に人生の方向を示せた。彼は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに全ての有情衆生に生死を解脱したり、苦海を離れたり、輪廻しなかったりする事を助けてくれる事を祈っていった。これから、彼は自分の身口意が再び前の錯誤を犯す事を続けて力を尽くして注意している。彼は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは身体健康、何事も如意している事を恭しく祈っていった。

それから、また小学校の学生の兄弟も皆に彼達が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェからの助け事を分かち合った。

この兄は、ある日、顔に急に疹を多くて起して、痒い事を感じて、自分が仏堂へ向いてリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に100回の大礼拝をしてアチ護法を修めて、疹が不思議な消えた。此れは全て金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を感謝しなければならなかった。

また一日、授業の後帰る途中に、弟の足に急にゴキブリで這ったことがあって、弟はずっと彼の足が痒い事を泣いていった。兄はその場で如何にするほうが良いかが分からなくて、急に母に連絡した。その時に、母は寶吉祥集団でパスポートを処理中なので、半時間後で弟に帰って始めて、然し弟は同じように彼の足はとても痒い事を激しく泣いていった。その後、母は寶吉祥集団に離れる時には、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いにして、その上尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに「リンポチェ、今日は」とお話にした。リンチェンドルジェ・リンポチェも慈悲深く「今日は」と返事なさた。その後、母は兄に連絡して、彼は母に「弟の足が突然に痒さが無くてまた泣かなかった」と話した。母は彼に「此れは母が先尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いにして、機会があって尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに挨拶にして、リンチェンドルジェ・リンポチェは今日と説いたら、弟の足もよくなった」と話した。此れは真に不思議で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝致した。

弟は出国して法会に参加し、唇の下に多くの疹に罹って、唇が極めて痛くて、舌が触ったら極めて痛くて、食事でも出来なかったとなした。その後、医者の判断により、舌にある黴があって、此れは彼がずっと舌で舐めて、黴を生やした。その夜、皆は機会があって尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに一緒にお食事になる事が出来て、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に機会が与えて供養する事が出来て、彼と家族と一緒に向いて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養し、その後、彼の唇が不思議な好くなって、食事する事も出来で、此れはリンチェンドルジェ・リンポチェの加持の殊勝であった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは皆に供養の機会を与える事に感謝致した。

引き続いて、寶吉祥文化交流協会の理事長は皆に一つの事を報告した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは1人の弟子に、ある信者が必ず道場に来て大礼拝をしなければならないとようすると伝えた。それからあの信者が当日に遅刻して夜6時の前に道場に入って晩課修業時間に間に合わなかって、皆はすべて晩課修業が遅刻するのが許さないということを知っているが、この弟子は自分でリードの出家師に電話にて連絡して、その出家師もこの信者を知り合っているから、6時20分に待っていてやっと道場の扉を閉じて、あの信者が道場に入らせた。

リンチェンドルジェ・リンポチェの立場から見ると、道場の規定に合わなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェが自らできると諭すのは、別にするが。もし弟子は自分で直すことができたら、リンチェンドルジェ・リンポチェが道場の規定を決まる必要がなくなった。また、皆は、リンチェンドルジェ・リンポチェがどんな方法で衆生を度するのか、と知っているのか。

リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て、リンチェンドルジェ・リンポチェの目の前で、権勢地位と貧富の差別がなくて、衆生は全て平等である。リンチェンドルジェ・リンポチェが決まった道場の規定は皆が守らなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェはおのずと衆生を度する方法があるから、皆が破壊することができない。リンチェンドルジェ・リンポチェが誰かに対してあの信者に特別な方法を使うことを指示するのは別である。

リンチェンドルジェ・リンポチェは道場に来て大礼拝をすると言い付けるあの信者は、少し社会身分地位があるから、この弟子はリードの出家衆も彼を知りあって、実は  リンチェンドルジェ・リンポチェがあの信者と知り合ったことは我々より早い。道場のボランティア作業は皈依する時間が異なることによって処置も違うことができない、もしこの二人の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの決まりに従わないと、他の信者も同じ要求を提出すると、それでは、リンチェンドルジェ・リンポチェがどうしたらいいのか。リンチェンドルジェ・リンポチェの言ったこと及びしたことは、すべて仏法である。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェの方法は不合理だと思うと、リンチェンドルジェ・リンポチェを信じなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェを信じないと、道場を離れてもいい。

それに、そなた達は見って合理或いは不合理かに関わらず、すべてはみんなによくするためである。皈依して長くなって、変えることが出来ること及び従わなくてもいいと思わないでください。リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を度するのは親疎を区別しなくて、衆生が平等である。道場のがて守らないくて、リンチェンドルジェ・リンポチェがもともと殊勝な方法であの信者を助けることが出来ないようになった。

そのため、この弟子とリードしていう出家師は法会に参加してはならない。

引き続いて、弟子達及び信者は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが2003年6月15日にご開示くださった仏法の録音を謹んで聴いた。

仏道を学ぶには二つの法門がとても重要だ。解門と行門である。解門と行門は仏道を学ぶ人は誰も必ず続けてしなければならない事で、解とは仏法を聴くことで、思惟の後にすぐ自分の行為を改め、生活の中で用いることである。ただ来て聴くだけで皈依しようとしない人は、第一に信心が足りない、第二にまだ懐疑心がある、第三に自分は立派だと思っている、第四に仏法を一種の学問だとしているのだ。もし仏道を学ぶのが一種の学問であるなら、私たちの脳では、120歳まで研究しても、大蔵経の中で説いている一切の内容ははっきりしないだろう。

だから仏道を学ぶことは、皈依しようとしないなら、その人の善根はまだ始まっていなく、因縁もまだ備わっていない。もしその人が皈依しようとしないなら、引き続き仏法を聴いても、最後は自分は偉いと思っているので、自分の知っている知識で仏法を解釈して、邪見、邪行を産生する。楞厳経の中に御仏が、末法時代には正法を講釈しない邪師が、ガンジス河両岸の砂のように多いと予言している。この種の老師は外道とは限らないが、実は彼らの大部分は仏法を聴いたことがあり、経文を見たことがあり、ひいては禅修を行なっており、これらの人がどうして邪師であろうか? これは一部の仏法を聴いて、自分の人生経験、学問、知見を用いて解釈しているからである。そこでちょっとした差が、結果的に大きな差になるのである。

チベット仏教の中では、證果のない一切の修行はみな公開説法はできない。だからずっと皈依しようとしない人が自分ではっきりさせたいと言うが、仏法があなたをはっきりさせるのではなく、あなたがはっきりしていないので、仏法がその助けをする必要があるわけだ。もし仏法をはっきりさせたというなら、その唯一の解釈はあなたがもう成仏したということで、御仏と御仏のみが通じるわけで、凡夫が御仏とどうして通じることが出来ようか。だからこれらの高慢な人は、引き続き仏法を聴いたとしても、その人を害するだけで、仏道を学ばなければ何とも無いが、学んだことで問題はより深刻になる。だからこれからは皈依しない人、皈依したくない人は、はっきりと、リンチェンドルジェ・リンポチェはどんな人なのかよく見て、来る必要はないのである。

寶積経により、御仏は私たちにどのようにして徳を具えた上師を探すかを教えてくださる。この20の条件は、以前リンチェンドルジェ・リンポチェが開示したことがあるが、リンチェンドルジェ・リンポチェは敢えて言うが、直貢チェツァン法王は長い時間をかけてリンチェンドルジェ・リンポチェを観察なさり、確かに仏法を広める資格を具えているとされた。リンチェンドルジェ・リンポチェが開示したテープは、一部は皆に伝えることができるが、後から話す皆には供給しないテープ、たとえば観音法門の観想は、他の人に貸してはならない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは既に開示し、皆に何度も注意を促してきたが、口伝しない仏法は修習することはできない。決してお節介をして、他人に貸して聞かせたりしないように、これらは教えではなく、戒律を守らないことである。本来仏法は殊勝で謹厳なもので、仏法に限らず、中国古代には老師を家に招いて教えてもらうのに、礼を行ない崇敬の心でしたが、現代人はすべて行なっていない。現在台湾では老師への尊重の方法は存在していなく、皆自分の方法で物を学び、老師のどこが間違っているかをあげつらうが、自分が間違っていることは見ないでいる。そのような学習方式は、あなたが世間法或いは出世法の何を学ぼうともすべて大きな障害が出る。だからこれからはあなた方の友人に、日曜日にはリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法を聞きに行く、リンチェンドルジェ・リンポチェの話す仏法は同じではないので、良かったら皈依するなどと言わないように。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの人々に試される必要が無いし、これらの仏法を習いたくない人から観察される必要も無く、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ仏菩薩、直貢チェツァン法王の観察を受けるのを必要とするだけで、この人たちがそのようにする資格は無い。だからこれからはあなた方が友人を紹介して来るのも、なにか聞きたいか、問題があればリンチェンドルジェ・リンポチェは必ず彼らを手伝って解決するが、無心に仏道を学ぶとしても、あまり勧めないように、でなければその人は口業を犯すことになり、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を欲しがっていると思われるから。

リンチェンドルジェ・リンポチェはこれまでに弟子を必要としなかった、金剛経に「無衆生可度」という言葉があるが、それがリンチェンドルジェ・リンポチェの立場であり、衆生を済度するのでもなく、衆生に何かを手伝うと言うのでもなく、只随縁によって来た。だから直貢チェツァン法王が寶吉祥道場の成立を許可してくださってから、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分で弟子を探したことは無く、リンチェンドルジェ・リンポチェの前に坐った人が、有縁の人かどうか、仏道を学ぶ人かどうかはリンチェンドルジェ・リンポチェは皆分かっている。しかし台湾の仏教界では皆慈悲が必要だとか、まあまあとか言って、リンチェンドルジェ・リンポチェはどうしようもなくなり、みんなに聞こえの良いことを話すというのが方便の門である。

いわゆる方便の門は、あなたにいい加減にするのではなく、衆生の需要と根器に基づき、異なる成就法を伝えるわけで、所謂方便法である。いい加減にではあなた方は永遠に御仏の道を得ることはできないし、生死を解脱することはできない。仏道を学ぶのは累世の福報で、絶対にあなたが聞きたいことを聴かせるのではないし、あなたが学びたいことを学ばせるのでもない。もし私たちが再び仏法に対して、三宝に対して尊重する心が無く、軽佻な粗末な心なら、自分の人生に悪を作る機会も非常に高くなる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは場面は必要でなく、実はリンチェンドルジェ・リンポチェが済度したその他の道裡の衆生は、人類よりも多い。お経に説かれているが、宇宙全体で最も度し難いのは、地球上の人類であり、「剛強自用、難調難伏」であり、特に後にリンチェンドルジェ・リンポチェがディクンカジュ教派で不共的法をゆっくり伝えて、皈依したくない人に聴かせても役に立たず、時間の浪費だけである。これからは親戚友人に、仏道を学ぶのは聞きたいから聴くのではないと告げて欲しい。他の道場ではそうであっても、リンチェンドルジェ・リンポチェはそうではないのだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェが顕教の師父に皈依した当時はあなた方のようにうるさくは無くて、まずリンチェンドルジェ・リンポチェ自分で問題解決をしてそれからリンチェンドルジェ・リンポチェはなかなかやるから、ついて来て、自分を保護してもいいということになった。ここ95%以上の参列者はこのような考え方である。リンチェンドルジェ・リンポチェが以前初めて顕教の師父に逢った時の最初の言葉が「私は皈依できますか?」であった。あなた方のように多くの考え方はなかった。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王に出逢った時にも、あなた方のように多くの考えはなかった。単純な心であったから、リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の道は進歩が早かったわけで、あなた方の心は複雑すぎて、要求が多すぎて、考え方だのと、このような考え方は障害になるだけで、世間でも出世法にも多くの障害になる。

仏法はただ一系統だけで、二系統はない。この度インドで、ダライラマの潅頂の時の開示で、弟子たちは、ダライラマがおっしゃることと、リンチェンドルジェ・リンポチェが平素開示している内容が同じだと分かったが、それは直貢チェツァン法王、ダライラマ、リンチェンドルジェ・リンポチェ、諸大徳でも、用いる言葉は異なっても、正法はただ一系統だけで、ある人がよく修めたからといって、説法が特に異なると言うことは無い。

リンチェンドルジェ・リンポチェは52歳の女性に出会ったとき、妙法蓮華経の中にある「仏像に恭しく身を屈めると己に成仏道である」というのを誤解して、彼女は自分はすでに成仏したと言った。「己成仏道」というのは、あなたが仏像に恭しく礼をすると、成仏の道を歩むことが始まるということである。その道理はどこにあるのか? あなたが仏像に敬いの心を起こすことで、衆生に敬心を起こさせ、衆生に敬いの心が起きることで、自然に悪を行なわなくなり、仏法を学ぶ事が始まり、成仏の道を歩んでゆくということである。

文字でお経を解釈する、古代の大徳の講義:「三世仏喊冤。」お経は文字で解釈するものではなく、お経の内容はとても深く、広く、リンチェンドルジェリンポチェの経験では、毎年お経に含まれる意味が変化していく。御仏の文字が変っていくのではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェが経文の意義を更に理解していっていることである。いわゆる「経蔵に深入する」ということで、どれだけの経文を読んだか、或いはどれだけのお経を聴いたかではなくて、あなた方の心持ちが御仏の語られる仏法の意義をどのようなものかを真に体得してはじめて真の情況に入ることが出来るのだ。だからなぜ昔から今に至るまで仏道を学ぶには必ず一人の師に従えと言われるかの道理はここにあるのである。

一人の師がこの世で数年仏法を学んだからといって仏法を広められるわけではなく、必ずその人の宿世の因縁と大きな関係がある。寶吉祥仏法センターは仏法を広げて、それを追い求めて世俗化したくはない。たとえば、リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子を探すのに、ただ少し広告をして、メディアに出て、あなた方に起こった話をいくつかして、リンチェンドルジェ・リンポチェが助けたことを言えば、有名になるには十分だ。なぜそうしないのか? それはリンチェンドルジェ・リンポチェは縁に従って済度するからで、縁がなければ強いることはしないし、仏法の達成を営利に用いないからである。

仏法を学んだり広げたりする者は世俗化になることができない。私たちは衆生に方便を与えることができるが、いい加減には与えることはできない。その人の思惟方式が間違っていれば、御仏の弟子である私たちは、それを糾し、手伝ってあげるのだ。そこで私たちはまず自分の悪い習慣を改めなければならない。

チベット仏教の中の礼仏は、顕教の礼仏方式とは同じではない。チベット仏教の礼仏は合掌して、まず手を額に置き、それから喉、胸の間に置くが、身、口、意を諸仏菩薩に頂礼することを代表する。唯識学から言うと、身は全部の意識で完全に御仏に頂礼し、ただ動作だけでなく、思惟も含めて御仏に頂礼をする。医学上では、脳部は私たちの身体一切を主宰すると言うが、仏教の唯識学では、脳部はただ行動の総司令だけで、私たちの心王の指示を受けた後に、脳部は作用しはじめ、それから身体のほかの部分を指揮する。だから身というのはそんなに簡単な解釈ではなく、私たちの累世の累積を含む意識の畑であらゆる一切の善根が一緒に御仏に頂礼するので、意とは供養と懺悔なのである。

布施はただ外供養の部分に過ぎず、内供養はあなたの一切意識、肉体が御仏を謹み敬い頂礼することである。口の供養は、我々一切の言語がすべて御仏を讃嘆することを代表し、上師の功徳である。御仏の讃嘆と修行者の功徳はお経にたくさんの記載があり、我々が多くの功徳を累積する助けとなるし、累世の口業の助けにもなる。口供養はチベット仏教で言えば秘密供養を代表し、口で言わなくても、心に供養すると念じれば、これが口の供養となる。最後に意の供養である。通常六識、意即ち眼、耳、鼻、舌、身、意は身供養に属し、意供養は莫奈耶識、阿頼耶識および最後の清浄意のすべてで御仏と上師に頂礼する。だからもしあなたが最大の謹みと尊敬の心で頂礼するなら、あなたの累世の業と高慢な心はすぐに変えることができる。

我々が頂礼で、合掌して額に当てるときに、心に「オー」と念じ、喉に当てるときに「アー」と念じ、心に当てるときに「フーム」と念じる。「オー、アー、フーム」というのは、一切諸仏菩薩の密語の種子の字であり、一切仏菩薩の呪文はすべてこの三つの音の変化から来ている。「オー」は十方三世一切仏の智恵で、「アー」は色で言うなら紅色で、「フーム」は藍色である。単純にこの三つの字について、多くの事を説明できる。我々がどんな法門を修めようとも、すべて「オー、アー、フーム」から離れることはなく、禅定を修めるときでさえ、やはり「オー、アー、フーム」を用いて修行するが、これはチベット仏教密部の中でひとつの特別な修行方式である。禅宗では数息(息を数える)の方式で、数息の方式は末法の時代の人にはあまり適切ではない。禅宗を学ぶ多くの人々は、これは御仏から伝わる方法で、どの衆生にも用いられるはずだと思っているが、しかし末法の時代の衆生の業障は特別重く、気脈は不順で、数息では彼らは気を止めることができない。信じないならゆっくり一から十まで呼吸しないで数えて見れば、息を止められないことが分かろう、息を止められないなら心が乱れ始める。なぜ我々には妄念があるのか? それは我々は呼吸を調えることを知らないからで、我々の気が気脈の中を動くので、我々の心も一緒に動くのだ。我々の気をコントロールすることができれば自然に心を掌握することができる。

オー、アー、フーム」の三つの字は簡単だが、その作用はとても大きい。「オー」が諸仏の智恵を代表するので、我々が「オー」を観想すれば御仏の加持を得ることができる。「アー」は空性を代表し、実は宇宙の声なのである。以前初めて月に登陸した宇宙士は他の何の音も聞かなかったが、ただ「アー」だけを聴いたそうだ。そこで地球に帰ってこの音を探し、回教に皈依した。回教では「アラー」と言い、天主教では「アーメン」、我々は「阿弥陀仏」と言う。だから「アー」は仏教に特有の音ではなくて、宇宙にありとあらゆるものがあり、言語は唯経験法である。最後にはただこの音だけがあるわけで、どんな音を産んでも、すべては「アー」から始まるのである。子供が「イイアア」と話し始めるのもこの「アー」から始まる。「フーム」は爆発音のようで、現在の科学では宇宙はビッグバンによって発生したことが証明されている。そこで「フーム」は我々の累世の煩悩、業障を消し去ってくれるので、我々は忿怒尊を修める時に必ず「フーム」の音があるのだ。例えば煩悩に取り巻かれた人が「フーム」の音を修めると、その煩悩がゆっくり消えてゆく。もし思惟が特別多い人がいれば、「アー」の音を修めれば減少する。身体があまり良くない、眩暈がする、頭の膨張感のある人が「オー」の音を修めればそれが消え去る。

リンチェンドルジェ・リンポチェが「オー、アー、フーム」を理解できるのは、直貢チェツァン法王からこの三つの字を伝えられ、リンチェンドルジェ・リンポチェにこの三文字を用いて禅定を学ぶよう教えられたが、直貢チェツァン法王はこんなにたくさんは解釈なさらなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェ自らで体得するようにと教えられてそのとおりにしたのである。あなた方は解釈を聞きたがり、聞いても実行しない。「フーム」の音を修める時には、ずっと念じ続け、この音をよく修めれば、病痛を消し去ることができ、最高の境地まで修めることができ、我々が往生のとき所謂肉体不死で、虹の色の身で仏土に生まれるのである。

なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェはとても早く入定できるのか、それはこの三文字により、簡単なものだ。密法はとても複雑だ、経文からたくさんの呪文を書き写し、毎日多くのお経を念じなければならないと思っている人がいる。どこが複雑ですか? 密教を学ぶのに、後になるほど簡単なのである。鼓を揺れて、鈴を打つのはそなた達に見せるから、そうしないとそなた達はつまらないと思うかもしれない。

白は息法を代表し、紅は懐法を代表し、藍は誅法を代表し、もう一つの法は、あなた方はこれを聞く資格がないので、ここでは言わない。顕教は実は多くの動作が気脈明点に関係がある。例えばなぜ問い訊ねる時に必ず眉心を指す動作をするか、しかも必ず固定的に二本の指を用いてするのか。この他に、顕教の頂礼の時になぜ左、右、左の動作をするのか、しかも手のひらを上にして、しかし顕教の法師はなにも言わない。実は、仏教での動作には必ずその意味があり、勝手にしているのではないのだ。問いたずねる手印と気脈明点とは関連があり、また左、右、左の動作は身、口、意を代表し、手のひらを上にするのは黒業を白業に変えることである。本当の掌を裏返すのは、一度に全部を開くのではなくて、一本の指から、一本ずつの指をゆっくり開いてゆくことは、十方法界を代表しているので、帰るときに掌をもとにするのも、一本ずつ折ってゆき、これは御仏が賜った我々の福慧を収めて立ち上がることなのである。

ひとつずつの動作を知った後に、あなたはそれを行うことを知る。リンチェンドルジェ・リンポチェが知ったのは、チベット仏教の密部を修行したときに知ったので、顕教の法師は密法を修行していないので知らないことになり、ただこれらの動作を儀式的に行っている。実は、どの頂礼にも、顕密を問わず、チベット仏教でも、すべて気脈明点に関係があり、そこでこのような動作方式があるので、大礼拝をも含めて。決して謂われなくこの動作が出てくるのではなく、礼仏と認識しているわけだ。今日我々が知ったからには、仏道を学ぶのは表層ではなくて、その中に含まれる意味は何か? それを実習で得ることなのである。

御仏の説法は49年続き、多くの経典を説かれたけれど、多くの場で弟子たちはそれを書きとめていなく、すべて我々の実習によって、ゆっくり悟ってゆき、それで御仏の大慈悲、大智慧を体得することができるのである。それでなぜ皈依しなければならないか、すぐに学んで時間を引き延ばしてはならないか? それは上師がどんなによく話しても、素晴らしくても、どんなに智慧があっても、あなた自身が修行しなければやはり体得することはできないからだ。直貢チェツァン法王が法をリンチェンドルジェ・リンポチェに伝えられたように、直貢チェツァン法王は八回の転生をなさっているが、伝法はリンチェンドルジェ・リンポチェ自身が修行して初めて成就するのである。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに何かを与えることはできなくて、教えてくださったただ一つの方法は実行しなさいということだった。もし方法を教えてくださっったとしても、やらなかったら、百万遍聞いても役には立たない。だからリンチェンドルジェ・リンポチェの言うのは顕教で、つまり理論であり、聴いて行動を起こすことで、ただ聴くだけでやらないで、文字の中を行ったり来たりするのは、表層面での動きであり、このような修行は絶対に助けにはならないのである。だから仏法を習い修めるのに、解門は非常に大切であるが、行門はさらに重要であり、そこで必ず仏法を着実に行わなければならないのである。

この前開示したのは六道の中で畜生道の苦痛であったが、畜生道は享楽を好む人以外に、破戒した人がいる。実は、仏道を学ぶ人でも破戒した人であれば、畜生道へ堕ちるのは多い。だから仏道を修行する人は、もし破戒して畜生道へ堕ちても、一部の福報が足りていれば龍族に堕ちるが、これは普通は嗔念の比較的強い人である。また身体の大きい動物に堕ちた者は、破戒はしたが福報を修めていた、つまり布施、供養をしていた者である。畜生道へ堕ちたものは、仏法を聞くことができなかった、もし聞いたとしても生死を解脱できなかった者である。だから我々は謹慎して、自分の一切の行為、思惟の面を注意しなければならない。

引き続き人道の衆生を開示しよう、我々は人道に生まれて、壊苦、行苦、苦苦の三つの苦しみがあり、生、老、病、死、怨憎、出会い、愛、別離、五蘊即八苦で、また所有物を護る(自分の子女、財産など守る)、求めても無いという苦しみもある。ある人はリンチェンドルジェ・リンポチェに、何時昇級するかをいつも聞きたがるが、実はその命と福があれば自然に昇級し、命も福もなくて昇級するとあるいは殺されるかもしれないのだ。例えば数日前にある家族がリンチェンドルジェ・リンポチェに会見を求めて、両親が癌に罹り、たった一人の息子は麻薬患者であると言う。リンチェンドルジェ・リンポチェはその家族が以前不義の財を得ていると観察した。つまり得てはならない財を得たわけだ。彼らはすぐ「汚職による所得ですか」と聞き、リンチェンドルジェ・リンポチェはそうだと答えた。だから我々は物を求めて悪業を作り、それに気づかないでいるのである。

壊苦は我々が安楽な生活をしていると思うときに痛苦に変わる、例えば、高位から下ろされる、富める人から貧者になるのように。この種類の苦は以前リンチェンドルジェ・リンポチェも味わった。以前はジャガーというブランドの車に乗っており、二人のガードマンがいて、香港では毎日ある酒楼で決まったテーブルを予約しており、リンチェンドルジェ・リンポチェの知り合いまたは俗名を知っている人なら誰でも座って食事ができた。食事をしても支払いは必要なくリンチェンドルジェ・リンポチェが出した。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェが失敗したときに、知っている人を見かけても、目の前で踵を返して去った。よかったのはリンチェンドルジェ・リンポチェは苦しみに強い人間だったから。多くの人がこのようなことに出遭って、自分はとても悲惨だと感じ、頭を絞って何とか早く浮かび上がろうとする。リンチェンドルジェ・リンポチェが一回目に失敗したとき、どのようにして運を転じるかは考えずに、自分の間違っていた所はどこかを考えた。二回目に失敗した時は易々と、一年以内に四加行をやった。というのは一年間他人に煩わされないというのは得難いことだからだ。だから世間で苦と思う事は、修行者にとっては一つの修行の機会なのである。

ある人がリンチェンドルジェ・リンポチェに、家庭に病気の者がいて、息子は商売がうまくいかず、私も病気なのですと言った。これは借りを返すことができると喜ぶべきことで、息子の商売がうまく行かないのはお金をせびられるからで、それは前世で借りていたからで、次の世ではせびりにこなくなる。だから安楽な生活から苦しい生活になった時に、多くの人がそれを潜り抜けられない。なぜ人は悪事をなすのか、強盗、詐欺、汚職、自殺、殺人いづれもがこの苦を我慢できなくて、悪を働くのである。一部の人はお金を賊にとられ、或いは家を焼かれたり、また突然に死亡したりと、これらはすべて輪廻で我々が心に留めておく事は、安楽、幸福、名声というものはすべて無常で、いつも変化するものだということである。

以前あるリンポチェが教えてくれたのは、あなたがうまくいかないとき、大変なときには胸を張って頭を上げ、好いときには驕り高ぶらないで、謙虚にして、頭も低くしなさいということだった。うまくいかないときには胸を張って、気をしっかり持って、衰退の気を産まないようにと教え導いた。リンチェンドルジェ・リンポチェが第一回目に失敗した時、人に出会うとその人は向きを変えて去った。というのはリンチェンドルジェ・リンポチェが驕り高ぶった人間だったからだ。だから我々は人生の得失はみな一つの物質で、失えば得て、得れば失うという風に、失うことはあなたを失うことではなく、得たからといって必ずある物でもなく、皆一つの無常が転変しているのである。決して驕り高ぶらず、自分が考えたことは正しい、言ったことは間違いない、やったことは正しいのだと思うなら、この人は救い様が無く、罪業が重いのは地獄道へ堕ち、罪業が軽いのは畜生道へ堕ちる。多くの人が信じないが、その人と話をすると、すぐ返ってくる言葉が「あなたは知らないんだ!」で、このような事を言う人はとても傲慢な人で、このような人はどんなに念仏を唱えてもどんなに呪を持しても役には立たないのである。

だから、安楽、幸福、名声とは必ず無常であることをはっきり知り、無常を受け入れることで、このような楽が苦に変わった時にも快楽に過すことができるのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェがはじめ失敗した時にはとても苦しかった。というのは妻に去られて、事業もなくなり、お金も無くなったから。二回目に失敗した時には苦痛は感じなかった。というのはリンチェンドルジェ・リンポチェはすでに御仏の道を学んでおり、無常を受け入れて、因縁、因果の法則を受け入れれば、事情は必ず過ぎてゆくと信じたからだ。ただ時間の問題だけで、この一生でめぐって来なかったら、仕方が無いから次の世を待つだけだ。だから最後の一切はすべて苦痛の後に帰するものだと知っているので、この生に対して明瞭、厭離の心をもっている。

次に苦苦を解釈する、普通不順な事は同じ時間に発生する。リンチェンドルジェ・リンポチェがはじめに挫折した時、事業もだめになり、妻と離婚し、息子は病気になったが、これが苦苦である。多くの人はこれを乗り越えられないで、人生に絶望して歩むべき道がなくなったと思い、自己放棄してしまうが、この種の苦苦はあなただけにあるのではなく、どの人も通ってきたものであり、ただ一生で異なる時間に発生しただけなのである。その人が仏法を修行して、因縁を理解していれば無常の後に、この種の苦苦の力を受け入れることができる。人生の事は皆通り過ぎるものであり、永遠不変のものはない。だから多くの人が自分はよく修行したと思うような驕り高ぶる心を変えなければ、苦苦が出現したときに受け入れられないのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェが三回目にディクンティ寺に着いたとき、ラマがリンチェンドルジェ・リンポチェを客間に連れて行って招待してくれた。入るときに、リンチェンドルジェ・リンポチェはとても謹慎な心で歩いた。その日は特に不思議で、ちょっと進むと上がりかまちに額をぶつけて、身体がクラクラした。一回ぶつかってから振り返り、リンチェンドルジェ・リンポチェは馬鹿みたいにぶつかったよと言ったが、もとへ頭を戻すとまたぶつかった。この時リンチェンドルジェ・リンポチェは目が覚めた。知っている人は頭を低くするということを。もし自分はとてもすばらしいのだと思って頭を低くしようとしないならリンチェンドルジェ・リンポチェのように二回も頭をぶつけるのだ。歴代の祖師は、リンチェンドルジェ・リンポチェの欠点は、ディクンティ寺に帰ってはじめて教訓を受けると知っておられた。リンチェンドルジェ・リンポチェがあなた達よりも多くを修行したというのも欠点であるわけで、あなた達が自分に欠点はないとどうして言えるであろうか?

多くの出家衆は敢えずこんな物語りをそなた達に話すがリンチェンドルジェ・リンポチェは畏れない。それはリンチェンドルジェ・リンポチェが以前皆と同じように多くの欠点があり、今でもまだ欠点があったのである。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達と異なる点はリンチェンドルジェ・リンポチェがいつも改めていて、そなた達は従来やり直さないのである。始終改めないとずっと六道の中に輪廻している。今日我らはある起きた思いは自分が正しいと思えば、すぐ検討しなければならない。それは、どの果位を証得したまで我らは自分が正しいと思った因は全て自分の利益、面子と驕りと考えたのですぐ検討必要である。なぜ誰でも苦苦を受け入れられないか、それは彼の一生が全部この仮の現象の中に生きている。「わたしはとても能力があって、一切がコントロール出来る」こんな者は苦苦が現れた時、とても気の毒になった。

最後の1つは行苦である。驕慢自得、目の前に現れた安楽は全て苦痛の因である。これは美食を楽しんで、糖尿病に罹ったのはすべてこのわけである。なぜ糖尿病に罹ったか、それは驕慢で、自分がした思ったのは全て正しいと思って、心が先病気にかかって、毒があって、また美食が好きで、つまり魚、肉ばかりで多種多様な料理法が好まれて、こんな者は全部大変糖尿病、癌に罹り易い。これは全て先ず驕慢から生じて、人の話を受け入れず、人の勧告や意見を全く聞かないのである。その故、リンチェンドルジェ・リンポチェがいつも注意させて、人の意見が良し悪しを問わず全部意見である。そなたはそれが良い意見と言ったのはそれはそなたの思いとあったから、それは良くない意見と言ったら、それはそなたの思いにあわないのである。

また、生、老、病、死の苦しみ。

2500年前まだ解剖がなかった時、釈迦牟尼仏は胎児が10ヶ月母体の中にいる間に毎月の変化を既に仰った。この10ヶ月間の変化には、我らの一切手、足、根門など形成される時、全部鋭痛、暗黒、むかついて自分が牢獄の中にいるみたいである。母親にも頭痛、むかつき、お体が具合悪いなど感覚がある。母親が辛い、冷たい、熱いものを食べ、腹が一杯、飢え、歩行、坐臥など、胎児は全部感覚がある。彼は気持ちが悪くなったため、そなたを蹴ったり、押したりする。彼の感覚は冷たかったり、熱かったり、風が吹いたりして、まるで揺っているみたくてひいては崖に堕ちるようである;生まれる時胎気が動いたので手足が逆さまになり(未出生の時頭が上に、出生した時逆さまになる)、誰かに両足を掴まれて地上へ投げ捨てるような感覚である。産道を通る時まるで鉄の穴の中より強烈に引っ張られたように感じる。出産する時、母子は共に亡くなり、一人が生き残ってもう1人が亡くなるかもしれない、亡くさなくても母子が両方とも瀕死の苦しみを受ける。蓮花生大師は仰った、母子が閻魔王の所へ半歩を踏み込んで母親は唇歯を除いて、全身の骨や関節がバラバラのようになり、赤子が生まれたばかり胎衣を脱がす時まるで皮を取り除ける苦しみを感じた。それは、なぜ子供が生まれたばかり全部泣いたのである。過去世がもたらした神識はまだ存在して、災厄また来て苦労すると分かった外に、胎衣がお体を離れる時まるで1枚皮が脱がされて苦しんで泣いただろう!

事実、生まれてから我らは段々死亡に近づいて行き、一生に生活、生計のため忙しくて、世間には多くの行為は全部悪業と関係がある。生まれてから死ぬまでの過程には、基本的に我らは享楽したことはない、われらが全て追いかける物質的な享楽はすべて短縮で永遠ではなく、物質財産を手に入れるのも短くて実在のではない。一生の中に生活するために毎日出勤、退勤、食事、食事の用意、子供のお世話、子供の教育など忙しくて、ある者は年を取ったまで忙しくてまた毎日腹を立て、多くの怒りは腎臓、肝臓に障害を与え、自然に目がよく見えなくなった。ある者はリンチェンドルジェ・リンポチェのお勧めを聞かず、どうしても娘のため家を買ってあげて、今お金がなくなって苦しいだろう!

老いの苦しみはゆっくりと形成されて、老いの苦しみは同時に現れるならばとても受け入れ難くて、それで、子供が突然に老化するとの病があって、彼が大変苦しかった。ミラレバ尊者が仰った、年が取った時立ち上がることは木の杭を抜くように難しくて、歩く時鶏のようによたよたと順調ではなくて、座る時まるで土石が堕る。この三つは全部現われた時、年寄りがあった仮の身体は崩れ落ち始めて、ついに「皮膚が乾燥して皺が出て、精血が使い尽くして体が凹んでしまった」となった。そなたがどのように化粧、美容、美食をして、ひいては胎盤素を注射しても、やはり全部この過程を辿らなければならない。男性は精、女性は血を主とする。女性が閉経すると老衰の始め、血が使い尽くされたから。男性の精というのは精液だけでなく、ホルモン一切内分泌を含んで、だからいつも過度に脳を使う者も早目に老衰する。生まれたばかりの赤子の小さな脚がむっちりとして、精血が一番満ちているから。年寄り者の足が段々平たくなり、それは精血が消耗してしまった後骨と皮肉を残ったのである。「木然盲視糊塗呆れ」、密宗では自分の容顔、お体があんなに早くふけて見えないのをさせ出来るのは精と血の運用が普通の者のと同じであらない。いつも脳を使って、貪色であれば、彼の老化は外の者のより早くて、精血が使い尽くしたのである。パーキンソン氏病及び老人性認知症はすべて精血を使い果たした現象で、修法者もこの二つの病を治し難くて、彼のエネルギーが既に多く消耗したから。こんなに早く消耗したのは悪業がし過ぎたのである。

ミラレバ尊者の観察は本当に細かくて、彼は申された、年を取ると「衣装がだらしなくても着替える気がなく、飲食は熱いか冷たいか分からず、四枚の敷物をベッドの上に敷きたい」になる。老けて感覚がなくて、動くのが面倒で、老けてご自身で支えられないのに着替えする時間、力があるわけがないだろう、老人性認知症の者は飲食が熱いか冷たいか知らず、舌を火傷して水泡が出来たのにまだ熱くないと言い、多くの敷物を敷いたベッドで寝てもまだ硬くて寝心地が悪いと言って、それは彼の骨が硬くなったのである。ミラレバ尊者が仰ったこの三つのことが全部発生すれば、この年寄りはまるで一匹老けた犬段々昏迷になる。

人類には病気の苦しみがある:病の床に臥せっていて飲食無味で、疼痛は日夜を問わず、転々として眠れなくて、精神は混乱して、患部を切開したり切断・摘出したりして(手術)などいろんな苦しみがついて来る。そなたが風邪で横になったときどんなものを食べでも無味である。具合が悪くて、糖尿病、高血圧、心臓病、癌などの病、あの痛さは筆舌に尽くし難い。誰でも病気にかかることがあり、ひいてはそなたを夜寝ませなかった。死亡が突然にやってきて、驚懼して、治療のために財産を使い尽くした。多くの者は大変愚かで、病のため1、2百万を使って医者さんを見に行って、器械、薬を買ったが、そのお金で善事を行うことは知らない。こんな者はすぐに死ぬことがない、それは彼がまだお金を持ち、お金が使い尽くして最後まで苦しんでやっと死んだ。仏法を知る者は病気にかかった時、全ての財産を寄付して、彼がお金で寿命或いは安楽に換わるのではなく、お金を使っても病気が治るとは限らないと分かって、佈施をしようとした。

祖師ジッテン・サムゴンが仰った、四大は強から弱に変わり、お体はとても健康で瞬間に嘘になり、時間は秋の花のようである。自分はいつもお体が健康と思わないで、実はこれは全て嘘で、老、死、病がある。自分はずっと健康だと思うのは、実はすべて偽りであり、老、死、病が来ると言うとすぐ来ただろう。まるで秋の花直ちに落ちてしまおう!我らはこのようにこの人生を思惟するべき。死の苦しみは誰でも恐れて、一生の中に多くの事は他人と供にすることが出来て、只死はお1人で賜って、誰でも死亡を分け合うことが出来ず、そなたの伴侶、眷属、仏菩薩及び上師を含んでおる。そなたが死ぬ時お1人で直面して受け取る。臨死の前に内心の恐懼、喘息はお医者さんさえも匙をなげる。そなたが過去にあった勇気、驕りは全て消えてしまって、一切紛乱の相がゆっくりと現われる。

リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも申された、そなたの眷属が癌に罹ったら必ず彼に知らせる。多くの者は彼に教えなくて彼に先苦痛をさせないと思って、それは間違いである!そなたは現在彼を苦しませなくて、彼が死ぬ前是非分かるようになって、あの時きっとそなたを憎む:全てそなた達が私に損を与えた。早く教えてくれれば、私は誰かが見てもらって、なにかして、現在死なないかもしれない。だから我らは他人の病状を隠す資格、条件もない。ある者が死ぬ前、絶対にはっきり自分が死ぬことを分かって、そなたが昏迷している彼を見ても、彼も自分がすぐ死ぬとわかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは多くの植物人間を加持した、彼の心の中に何が思っているかリンチェンドルジェ・リンポチェが言い出すと彼の家族はすべてはいと言った。植物人間の中にはまだ意識で活動していて、息が絶える前必ず自分が死ぬことを分かるようになった。まるで夜中によく熟睡しているところに、誰かに鼻や口を塞がれて呼吸が出来なくなるとそなたがきっと分かる。死ぬ前にもこのような感覚であり、呼吸が出来てないと大変苦しむから。脳死は神識がお体を離れたとの現われではないので、仏教は絶対に安楽死を賛成しない、安楽死は謀殺である。リンチェンドルジェ・リンポチェのような修行者なら、神識が既にお体を離れたかどうかやっと分かる。ある者は神識が既に離れたがリンチェンドルジェ・リンポチェはやはり意識を呼び寄せた。何故?意識が肉体にいないと彼のため修法して呪文を唱えることが全く役に立たなくて、済度が出来ない。どうしてある時神識が肉体を離れたのにずっと死なないか。それは彼がのか? それは家族に復讐して、彼らを苦しめさせる。なお、まだ報いなくて、この肉体がまだ返済しているので、彼のご自身の神識を苦しめさせて、神識が離れて側にいてみるのは十分苦しいのである。

衆生のことを知る能力を備えなくて、衝動的に慈悲だと思って、人を済度するのは全部逆効果を生じた。リンチェンドルジェ・リンポチェは亡者を加持するとき、リンチェンドルジェ・リンポチェの定力は亡者の浮動する心を安定させることができ、彼に仏法の助けを受けさせる。閉関で禅定を修行するのは自分のためではなく、衆生を助けるのである。車の事故で突然に亡くなっても息が絶える前の一瞬間0.0001秒、やはり自分が死ぬことを知った。だから死亡することは必ず正直で語って隠さないで、隠せば彼に憎ませて、恨ませる。彼に教えた初めの数日間、彼が大変苦しんで受け取れないが、暫くして彼は事柄が変えないのを見て受け入れるようになるのである。

癌の患者は過程の中でとても苦痛で、それは彼の家族は彼を隠して、いつも医者さんが治してくれると思って、治療の度に希望を抱いたが毎回はすべて苦痛で、度々の苦痛の過程の中で怒りと恨みが益々増長して、きっと彼に地獄を堕ちさせる。だから死亡という真相を知った後に、本人でもその家族でもその過程は同じ事で、修業者でも同じなのだが、しかしそういった散乱状態、一切の勇気を失うこと、死亡への恐怖心といったものをコントロールすることはできる。仏を学ぶのはこのような恐怖がどこから来るか知るべきで、死亡さえものか、死さえ怖くないならこの世間はまだどんなことに恐怖に感じるのかということを理解することにある。私達が恐怖を感じるのは、財産、家族を失うからではなくて、心の深奥で死亡と言うことを皆知っているけれど、皆はこの事を話したくないし、発生して欲しくないと思っていて、私達の恐怖心を慰めるために名誉、利益、家族を掴もうとするので欲望が絶えることなく、これらによって死亡に対する恐怖心に換えようと願うことに対してである。ポワ法を修めるのは成就した人は死亡に対しては少しも恐怖を感じないので、修業が達成したときにはすでに死亡の過程を超えていて、それが分かれば非常に簡単な事なのだ。しかし、ポワ法を学んで他人がポワ法を修める助けができるとは思ってはならない。自分がポワ法を修めるのと、他人が修めるのとは異なることで、心が間違っていれば伝法はできない。ポワ法は法書を手にして観想すればいいというものではなく、必ず上師について少なくとも108日間修行して修められるもので、以前安陽のリンポチェがリンチェンドルジェ・リンポチェを連れて修めなかったら、リンチェンドルジェ・リンポチェでもこれを修められなかったであろう。だから上師はとても重要なのである。ポワ法の中で一段全部が上師の祈祷文で、上師に対してほんの少しでも恭敬でなかったら、ポワ法はたとえ学んだとしても決して成就しないのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなに早く進歩できたのは、ポワ法を修めて成就を得たのである。同期ポワ法を学ぶのはあわせて42名で、にポワ法を学んだのは42人だったが、開頂したのは唯2人で、他人のためにポワ法を行うことが出来るのはリンチェンドルジェ・リンポチェ1人しかいない。全台湾で現在直貢噶舉でポワ法を学んだ者が多かったが、開頂したのがとても少なくて、他人のためにポワ法を行うさえは言えない。開頂とは他人のためポワ法を修めることが出来るとは限らない。古代で他人のためポワ法を修め出来る者は全て人に敬われて、それはこの法が逢い難く、修め難く、成就し難いのである!

死亡した後の感覚は自分が暗黒の中で風(業力の風)に吹かれて、1人ぽっちして、まだ配られない財産を思い出す時、心の中にの億念が捨て難い。《地蔵菩薩経》が何故、亡者が往生した後、彼の生前一番好きな珍奇宝石や骨董を彼のため供養、布施をすると仰った。一つは彼の億念の心を断つのである。リンチェンドルジェ・リンポチェはある亡者を見た。この父親は四つの息子が財産を争うことを見て怒ったので、子供達はどんな者が手伝えて呪文を読んでもまだ去らなかった。だから生前そなた達の財産を供養、布施をしなくて、死ぬ前に事前手配しない限り、心の中にきっと楽しくない。特に、そなたが好きな宝石は好きではない者に身につけられたら、必ず罵る。それで、亡者の心を知らず呪文を読んでも無駄で、ある者から祝儀を受け取って、そなたは幾らが必要と言わなくてもやはり業力を背負うことになり、それはそなたが他人のために問題を解決しないのである。以前リンチェンドルジェ・リンポチェは、直貢チェツァン法王が頷く前、人のため敢え無くて済度する。それはリンチェンドルジェ・リンポチェは幼い頃父親に従って道教を学んで多く見たが、父親は勝手に人のため済度しないと教えてくれたのである。そなたは慈悲心があると思わないで、彼を害したらまだ分からない。それで、お金を重んじる者は、生前には貪欲で、供養したあと後悔する者は全部この問題を生じて、死んでも思い切れずこの事をどうにか支配しようとして、このように餓鬼道に堕ちてしまうのである。

罪悪の重い人は死亡前にジタバタして、死ぬ前にあれもこれも気に入らない、悔しいなどと怒るが、これは業の非常に重い人で、そこで地獄へ堕ちる。仏法を聴いたから地獄へは堕ちないとは限らず、自分自身の行為が決定するものなので、もし法を聴いて地獄へ堕ちるなら鬼の家来になるとか、少しは良いだろうがやはり地獄へ堕ちるわけで、ことに仏法を聴いても人を罵り、人のせいにする人は、教えを知っていてそれを犯すのだから地獄に堕ちるのも他の人より早いのだ。ことに上師を批判する人は誰よりも堕ちるのが早い。もし友人、親戚にこのようなことがあればすぐさま善智識でその人を供養することで、そうすればその人の業は生前で消すことができるが、そうでなければやはり地獄へ堕ちてゆく。この世を去るときに手足が引きつり、震える人がいるが、これは殺業がとても重いか或いはこの世で不義の財を得た人であり、この世を去る前にその人にひどい目に遭った人がその身体に仇を返してその筋肉を引っ張るからで、地獄には、一つのは筋肉を引っ張るのである。だからと言って鎮定剤を打っても役に立たない。意識も錯乱し、死ぬ間際に手で追い払うようにする人がいて、これは幻覚だとか、病院に幽霊がいるとか言うが、それは違う。その人は意識が混乱しているときに歴代のひどい目に遭った人々がやってくるのを見てそれを追い払っているのだ。或る人はお爺さんを見て、迎えに来てくれて嬉しいと言ったりするが、気をつけなさい! その人に仇なす人はその人が一番好きな家族に化けて三悪道へ落とそうとしているので、このような現象を見たらすぐ善智識に来ていただき助けていもらうことである。

最後が息が事切れて口がかすかに開き、白眼をして死ぬ。これは悪業を多く為した人なのだ! ミラレーバ尊者は、極悪人は死ぬ前に因果を導師のごとくに明らかにすると言われた。生前自分がどんなに修行したかと言っても、その死を見ればその一生に悪を行なわなかったかどうかがわかり、死亡からその人の生前の悪行が重いかどうかが分かる。だから仏事をなすのに、お経を唱え呪を持すときは、決して腹を立ててはならない、この種の悪は殺生よりも重いのだ。その場で多くの衆生が期待し、その時あなたの心は菩提心で、衆生に利益をもたらすはずなのに、その時に腹を立てて、嗔念を起こし他人を悪く言うのは、三悪道の心で、これは亡者を三悪道へ落し、絶対に許されるものではない。だからリンチェンドルジェ・リンポチェは、他人のために念仏を唱えに行かないようにと勧めている。念仏を唱えてあげるのはいいことなのだがそれには条件があって、亡くなった人が生前仏道を学び、理解しているならば、あなたが念仏を唱えてあげるのはその人の心を堅固にして、阿弥陀仏と共に行くことができる。もし密法修行者が密法を修めるのであれば役に立つが。真の念仏手助けをするというのは、死者が生前同じ修行場で仏法を学んで、彼が往生するので師兄弟達が彼の念仏持呪を手伝うということである。亡くなったから唱えるというのは役に立たない。密法修行者が密法を修めるのであれば役に立つ。念仏を唱えるチームが必ず死者を往生する手助けができると決して迷信しないように。浄土三本経の中にはこのようなことは全然説いてはいないし、乎印光大師の修浄土でも死んだ後に佛号を唱えると西方の極楽世界へ住めるとは説いてはなく、ただ生前のことを話している。多くの仏教徒が毎日お経を唱える手伝いに忙しくしているが、効果は無くて却って自分や衆生を害することになり、理解せずにあたかも自分が慈悲を行なっていると思っているが、これは間違いである!

死の後は必ずしも一切が総てなくなるわけではない。もしあなたが修行者でなく、大いなる善業を行っていないなら、閻魔様の侍者が眼前に現れる一切の現象は非常に恐怖を与え、あなたを三悪道に落とすのだ。死亡の時間は不定で、その時に至るならば、正法だけで役に立って始めた。波多哇尊者は、あなた方が常に死亡の無常を考え、「死亡は必ずやって来る」ということを確定する必要があると望んでおられる。自分はとても長寿であると自己催眠をかけないように、自分をだまさないようにすることだ。悪業を断つことは難しいことではなく、慈しみと悲しみとを多く行い、衆生を利する新郎を厭わないで、これからは空の実相を多く観ずることである。悪業を断つことは難しいことではなく、難しいのは自分が悪を行なっていると思っていないことだ。悪の定義は、衆生を益さずに自分のための利己主義で、自分のある種の欲望を満足させるのも皆悪であり、上師があなたを教え導くのを受け取らないのも悪である、仏法の薫陶を受けずに、仏法を用いず生活するのは悪である。簡単に言えば教えに従って行なうことが一切の善の始まりであり、一切の悪を断つことである。だから仏道を学ぶのは難しいことではなく、悪を断つことも難しいことではなく、難しいのは不信の因果である。因果を深く信じる人は絶対に悪を断つことが出来る! 慈悲を多く修め、衆生を利する苦労をしなさい、しかし今のあなた方にできないなら、供養布施ができるだけだ。上師がお金がいるというのではない。多くの人は、経文には四分の一を供養布施しなさいとあると上師が言うのは、勝手に言っているだけだ、お金は大切で、お金が無ければ生活できないと思っているようだ。御仏と上師があなた方を騙しているのなら、仏道を学びに来る必要は無い。直貢チェツァン法王も供養は仏道を学ぶのに最も大切な一つの法門であると公開の場でおっしゃっているし、リンチェンドルジェ・リンポチェも直貢チェツァン法王が一つの仏法を聴くのに、堪布代表にマンダを供養するのを見ている。仏法を聴くことは必ず福報を累積することになり、福報は供養から来るのだ。あなた方が今衆生を利することができないが、毎日苦労して勤務しているのも、衆生を利することなのだ。実はどの人もどの仕事にも、多くの直接的または間接的な民生に関わっており、きちんと仕事をすることは、多くの人の利益につながっている。どうしたら昇級やお金儲けができるかだけを考えるなら多くの衆生を害することになるので、仕事は一生懸命にきちんとすることが衆生を益する方法なのである。

私達が死亡をあまり念じないなら、心は乱れて、親友や敵、知らない人の三つの対象に貪、嗔、癡の三毒を起こす。もし死亡を念じないなら、心は散乱して上師の話は聞いても入らず、親友や家族に貪念が起こり、私に孝行してよくしてくれ、言うことを聞いてくれ、妻が言うことを聞いてくれるようになどは皆貪念毒の始まりである。敵に嗔念が起きて自分には多くの足を引っ張る人がいて、その腹いせに言うことは相手を悲しませる。知らない人のことはほっとけという気があり、一部の公共トイレが汚いのは、次の人は知らない人だと思っているからで、私たちが何をしても他人には分からないと思っていると、痴の毒が生まれて、真理を受け入れないで、正しいか間違っているか放っておけと思うのである。

死亡を念じない人は修行者ではなく、その心は世間での貪、嗔、癡の三毒が起こり、自分の財産、飲食及び限りなく貪り、財を集め、守り、増やそうとして、日々を散乱した心で過し、一切を失う恐怖で、尽きることの無い恐慌と苦痛に満ちる。自分を保障するため、欲深くて、栄養を吸収するの為に殺生して肉食をする。より多くの富が欲しいので、先生は証券をして、医者は薬を売って、用務員の汚職を作る。ミラレーバ尊者も、財産はいつになったら満足するのかとおっしゃっている。私たちは財産争いのために、貪心に捉われて自分の心を縛りつけ、善を行なおうとしなくなるのだ。これらは邪敵交換の信号である。

この一生で速やかに他人のために積み重ねないと、最後は死ぬのだから、財と親族は私達の輪廻を害する餌になる。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て、ある老夫人が、息子が親不孝で、夫とも灌頂が合わないと嗔念を起こしたのを開示したが、もしリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法を得られなかったら、この老夫人はきっと地獄へ堕ちたであろう。もし自分の子供のために多くのことをすると、子供達はあなたの要求に届かなくて、あなたの嗔念がきっと強くなり、必ず地獄へ先に堕ちて、次の代では彼らに借りを返してもらおうとする。リンチェンドルジェ・リンポチェは子女が孝行かどうかは総て因果であり、お金で買ったものではなく、お金を上げればいいものでもなく、商売がよくなるように手伝ったり、家を買ってあげればあなたに孝行するというものではない、もしそうなら数百万元出して人を買ってきて孝行させればいいと言うことになると、開示したことがある。なぜそれほどまで苦労しなければならないのか? 肉親だからなのか? 孝行してもらうなら簡単で、一年にいくら上げるとお金で契約すれば、たくさんの人が喜んで孝行してくれる。今台湾の失業人口はこんなに多いのだから、あなたの子女に求めることはないだろう? 人は愚かで、財産と家族はとても重要だと思っているから、これが輪廻の餌になるのである。

ジッテン・サムゴン祖師も、あなたが財産を使い果たしたのを見て、この世でどんなに貪心が強くて、貯めるのに努力したとしても泡のようなものであり、財は草の上の露の如しだから、よく考えなさいとおっしゃっている。たとえば死亡を考えなければ心は俗世に散乱し、親族、敵人、他人に執着して貪、嗔、癡の三毒に執着してこの生を虚しく送る。御仏の「虚渡此生」というのは、この一生で仏法を学ばず、生死を解脱せず何もしなかったことである。この一生に事業をなし、子女、家庭があり健康で、意義があると思っているかもしれないが、御仏の眼から見ればこれらのものは総て虚しいもので、永遠のものではない。すべてが夢幻のうたかたの泡のように過ぎてしまう。あなたの財産、名利、家族の一切は、すべて累世の因果因縁から来たもので、あなたがこの一生で創り出したものではないのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェが二十一、二歳の時に、ある宝石店でマネージャーをしており、ある日私の当時の二年間の給料に相当する品物を、タクシーで家へ帰るときに忘れて、折り返し追いかけてみるとタクシーはそこへ停まっていたので、運転手に包みを失くしたと言うと、運転手は、さっき短距離の客を乗せたばかりだから、タクシーにあるはずがないと言ったが、見るとその包みはそこにあった。これはリンチェンドルジェ・リンポチェの運命ではこの大きな品物を失くさないということを表しているのだ。だからこの一生は自分の物が入ってくるのも、失くするのも総て命であり、この命は宿命論ではなく、因果の法則だということである。

人は必ず死ぬ、どんなに占っても、最後には死ぬのだ。人は必ず死ぬと考え、この余生を仏法を修行し生部という誓いを立てることだ。だからリンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方にずっと勧めているのだ。というのは自分の余生がどのぐらいあるかを知らないから、もしまだ躊躇していれば、死に面したときに、リンチェンドルジェ・リンポチェを探し出せるかどうかはわからない。そこで私たちの限りある時間をしっかりと仏法を学んでおくことである。

ミラレバ尊者は、仏説の一切法は八風を断つためだとおっしゃったが、仏道を学ぶ人は皆自分が八風の中に堕ちていないかどうかを自問すべきであり、仏陀がおっしゃった一切戒はそれで懲罰したり、賞賛するというのではなく、世間が私達に与える一切の束縛を断つということだ。自分の俗事が増えたかどうかを自問してみなさい。毎日お経を唱え懺悔するのも俗事になり、毎日自分の事をして仏菩薩を忘れるのも俗事、毎日子女のために忙しくて上師があなたに教え導いたことを忘れるのも俗事であり、自分は戒を守っていると思っても、俗事が増えていないかどうかを自問してみなさい。もしあなたが死亡無常をいつも思わないなら、修法はどうして役に立つだろうか? 仏道を学ぶ目的を必ずはっきりさせ、決して現世での利益のためではなく、また現世の一切をよくしようというのでもなく、一番重要なのはあなたが死亡を常に心にかけることである。

一生でどの法門を学ぼうと、最後の目的はすべて死亡の時に役に立てるためであり、大切なのはどのようにして自分が再び生死を繰り返さないようにすることを知るかであり、私達が一生で唱えた真言、唱えたお経は死亡の短い数秒の間にその用を発揮するわけで、私たちが修めた法門もこの時間のために用いられるのである。仏経には、衆生の心は不思議だと説かれた。衆生の心で考え出す事柄は仏の智慧でも考えできない複雑で、だから、世間にはこのような多くの紛争があって始める。仏法は世間の種々の良くないことをよくしてゆけると決して誤解してはならない。もし仏法が世間の種々の良くないことを良くする事ができるなら、因果法則は存在しない。たとえばリンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方の病気を治す手伝いが出来るだけ、子孫が孝行であるように、事業が発展するように手伝いが出来るだけと思うのも間違っている。あなたの上師は、あなたが死亡の真相をはっきり認識することと自分の未来の世をどのようにコントロールするかの手伝いをするのである。

毎日必ず、ある時間を静かに、この一生を何をするのか、社会に何をしてきたか、死を迎える日はどんな様子か、死の間際の数秒の感覚はどんなものかを考えることだ。それから自分は若い頃死ぬのかどうか、年とって死ぬのはもっと苦痛ではないかをよく考えることで、これはあなたのカリキュラムであり、宿題であるので、毎日考えて、死にたいならすぐ死ねるとは関係が無くて、寿命が尽きないなら、あなたが一日24時間を死のことばかり考えても死ぬことは出来ないのである。

だから死亡という事実にあなた方は勇敢に立ち向かい今は理解できなく、問題解決できなくとも、この問題は科学、医学、富、とそなたの学問が解決する事が出来ない、仏法のみが解決してくれるのだ。あなた方がこんなに恐れるのは、死亡ということを理解していないからで、理解すれば少しも怖くはなくなり、かえって人生が希望と光明に満ちていることを感じることが出来る。というのはどのようにして自分の未来を掌握するかを知ったからだ。死亡を思惟することは、まずこの種の現象は必ずどの人の身にも発生することだと受け入れることである。これは一番大事で一番難解な問題であり、この問題を処理できれば、人の一生でその他の問題を処理できないことは無い。だからこれは消極ではなくて、私たちは一番難しいものをまず処理して、一番困難なものさえ処理できたのだから処理できないことなどあるはずが無いと言うことになる。

仏陀の説法49年間の本当の目的は、生死という本当の苦難を解脱すれば、その他の世間での種々の苦難は御仏の智慧で言えばすべて一番苦しいことではなくなり、一番苦しいのは生死をずっと輪廻し続けることである。

御仏が私たちにこの世での肉体が用をなさなくなった後に、未来生では生死はないことを教えてくれる。上根器の人は此の世で生死を断ち、死亡の過程を経る必要が無いが、私たちは皆下根器の人なので、私たちの肉体は死亡の過程を経る必要があり、そこで肉体がまだ死なない前に、この日に備えて多くの準備をしておかなければならない。決して身分相応の幸運を求めてはならない。私が死ぬときには上師がポワ法を修めてくださる! 決して上師が長くこの世にいてくださいと毎日念じ求めてはならない、在世はこの娑婆世界とは限らず宇宙全体が在世で、必ずしもここに隠れてはいないのだ。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは仏道を学ぶのにあんなに深くできるのか、あんなに強靭なのか? 人は在世時に風雲叱咤の勢いでも死ぬときにはコントロールできないなら、人として何の役に立とうか? リンチェンドルジェ・リンポチェは18歳の時に父親の死に直面して、この一生で必ずこの問題をはっきりさせようと自分に誓った。現在リンチェンドルジェ・リンポチェは、はっきりした、私は掌握できると言える。リンチェンドルジェ・リンポチェもこの経験で学んだことをあなた方に伝えることが出来るが、基本条件は必ずよく聴くことで、聴かなければ本当に学ぶことは出来ないのである。

2011年1月28日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、台北寶吉祥仏法センターで、殊勝な直貢噶舉施身法法会を主催して、約1300人は法会に参加して、道場では空席がないだけではなくて、法会に参加する信者達と弟子が道場の通路さえ座っていて満席になった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、薫香炉と楽器の先導で、また宝傘の導かれたともに、法座に昇って、そして参列した大衆に以下の如く仏法を開示された。

今日は寅(虎)年の最後の施身法法会であり、1300数人は参加しに来て、寶吉祥仏法センターは300数坪であるが、しかし今道場は間もなく座る空間が足りないから、旧暦新年が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェはやり方を変えるかもしれなくて、あれらの菜食精進料理を食べない者と、将来に菜食精進料理を食べられない者は、これから再び参加しにくる必要がなくて、今日またそなたに1つの参加する機会を与えるが。お経にははっきり諭されるのは、どれだけの肉を食べると、どれだけのを返さなければならないから、リンチェンドルジェ・リンポチェさえも今までまた返していて、そなた達が1滴の血を流すのはすべて殺生と関係があるのである。そなた達は法会に参加しにきて、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達にいくつか罪業を洗っていくように手伝うので、しかしもしそなたは道場を離れてまた肉を食べるならば、それはリンチェンドルジェ・リンポチェは命がけで働いてそなた達を助ける苦心を浪費するに等しい。

仏経にも諭されたのは、肉を食べるのが慈悲の種を断つことである。慈悲の種の意味は皆がすべて生まれ付きの慈悲を持つことと言うので、上師に頼ってそなたに種それを発芽させていただき、そしてそなたが自分で絶えずに仏法を修めて、それは持続的に灌漑してそれをすくすく育たせることである。慈悲はすべての仏法の根本であり、もし肉を食べるならば、慈悲の種を切るので、それではどのように仏を修めたり、読経したり、呪文を唱えたり、懺悔を拝んだりすることは、すべて役に立たない。

そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが法会が始まった時に弟子が差し出した名簿リストを見て、リンチェンドルジェ・リンポチェは一部の人の名前を見ると、この人が正しくないことを知っていて、彼が法会に参加することを許しない。いわゆる「正しくない」のは彼が金があるかないかを言うのではなくて、彼が恭敬の心にて法会に参加しにくるかどうかということを見るから。おかしいのは、何回も追い払ってもまだ1300数人がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは最初から施身法にて衆生を度し始まってから、一度も電話をかけて人を集めることもなくて、いかなる広告をも行ったことがなくて、そなた達が今日一斉に集まってこのような法会に参加することができるのはとても福報があるのである。ある家の父親は他界して、彼の息子の1人はもうリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したから、リンチェンドルジェ・リンポチェはきっと彼の父親を済度してあげるが。しかし、彼の家族達は今日の施身法に参加することができるようお願いしたが、彼らはこれから菜食精進料理を食べるのを決心することができなくて、父親が他界して済度されるのが必要するような重大な事でも、彼らは菜食精進料理を食べたくなくて、法会に参加するのは彼らに対して何も役に立つことができないから、そこで、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らが参加することを許しない。

多分、ある人はリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲でないと考えているが、人は法会に参加したいのに彼らに参加させないか。法会に参加するのは福報を得ることができて、菜食精進料理を食べることをしたくない人は、引き続き悪事を犯すのであり、悪をする人が福報を得ると、もっと多くの悪をすることができるから。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲すぎて、この人たちが悪事をした後にもっと多くの因果応報を得る事を恐れて、だからあっさりと彼らに来させない。実はこのようにして疲れたのはリンチェンドルジェ・リンポチェであり、もし沢山の道場と同じように、信者が法会に参加するのでさえすれば良くて、信者にゆっくりとやらせて、菜食精進料理を食べるかどうか構わなくて、それでは リンチェンドルジェ・リンポチェはずいぶん楽になって、その上弟子達が多分10数万人を上回るであろう。リンチェンドルジェ・リンポチェの毎回の大法会はすべて1万余り~2万人が参加して、6年間をたって何人が参加したのか。しかし修行者は慈悲であり、衆生が三悪道へ向かうことを見てまだ構わないことを忍びないから、むしろ自分が疲れても構わなくて、他人はリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲でないことを言うことも、彼らに任せるほかない。

尊勝直貢チェツァン法王は何度も仰ったことがあるが、読経して、仏像に礼拝するのは修行ではない。仏法を学ぶのはまず完備している人をやり遂げるので、人身を得るため十善法を行わなければならなくて、そなた達は今日人身を得ることができて、過去世に十善法まで修め得たことがあるのである。ある1冊のお経は専門に十善法を解説するが、今日時間が足りなくて詳しく述べないが、しかし十善法は先ずは不殺生であるから、もしそなた達が肉を食べると殺生するので、十善法をやり遂げることができない。十善法を修め得た後、更に慈悲を修行して、慈悲はよい事をするのではなくて、慈と悲は二つの事であり、今日時間が足りないからそれも詳しく述べない。

慈悲はそなた達の思っているように善を行って良い人をするのではなくて、善行をするのはただ人とする基礎であり、その他の宗教もすべて人に善行をするように教える。仏を学ぶのは福報を得て、そなたの事がよく転して順調にならせるためではない。もしそなた達は事が順調になるよう望んだら、ただ善行さえすればよくて、別に仏法を学ぶ必要がない。ある中国大陸の夫婦が結婚した後に子供がいなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェは、彼らに自分の収入の四分の一を持ってあれらの診察を受けるお金がない人を助けに行くことを教えて、彼らもリンチェンドルジェ・リンポチェの開示に従ってして、結果は1年間余りの後、妊娠して1人の子を生んで、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らに法を修めるように手伝うことを全然要らない。

仏を学んで魔女となるように学ばないでください。何が魔女であるのか。読経してある対象に回向して、或いは八関斎戒した後に自分の配偶に回向して、彼にそなたが仏を学びにくることに反対させないことができると思っていて、このような心構えは魔女である。仏を学ぶ正しい心構えは八正道である。簡単に言えば、八正道は輪廻に解脱することができる方法の中にある。その他のは八正道ではない。

仏を学ぶのは、家でテレビを開けて法師が何を言っているのを見てみて、それから自分で修めたら、唱えたらいいと思うということではない。テレビの中で仏法を伝える法師はそなたがどちらを間違ったところを知っていることができないから、どのようにそなたを正すように手伝うことができるのか。昔から今まで、釈迦牟尼仏以外、上師がない成就者が全くいないのである。

人身を得る事は難しい、仏法を聞くのはもっと難しい。今日此処に法会に参加した人は1300人余り、しかし台湾の人口は何人だろう。唯極めてわずかな人しか仏法を聞かない。また具徳な上師に会うのは尚更に難しい。具徳とは道徳ではなく、功徳を具える。つまり衆生を助けて輪廻を解脱させる功徳である。リンチェンドルジェ・リンポチェは謙虚に自分が具徳の上師ではないと言ったが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは確かに能力があって、亡者を済度できる。例えリンチェンドルジェ・リンポチェはインドにいても、台湾の亡者のためにポワ法を修めて済度できる。また、亡者の頭蓋骨の梵穴に縁が整然とした貫通穴を顕す。そなた達は五年に仏学院を勉強すれば、仏法を説かれて、人を済度できると思わない。若し、そなたは亡者の気になる事を分からないと助けられない。経文を唱えて口が破れても済度できない。能力がある上師は例えば既に有るところに行った事があって、行く方法が分かるようだ。そうすれば、そなたを導いて、如何なるあの所へ行く方法を教える。

仏を習う機会があれば、把握しなければならない。ある時に待って、ある事を終えると、始めて仏を習うと思わない。仏を習う事はゆっくりにして、ゆっくり見て、ゆっくり待って、ゆっくり行えると思わないで。普賢菩薩がおっしゃった通りに、仏を習うのは髪の毛が燃えて、急いで火を消すような至急な心で仏を習う。急いで機会を把握しないと、無常が来る時なら間に合わない。

今日修める施身法はチベット仏教八大成就法の一つである。成就とはそなたは何を見えて、聞けて、感じられる或いは神通がある事ではなく、若し有る修行者は一生にこの法を専修すれば、せめて生死を解脱できる。更に仏果を証する事が出来る。。「施身法」は中国語の翻訳であり、布施の「施」と身体の「身」である。施身法を修める修行者は観想と禅定を通して、自分の体を先に諸仏菩薩を供養した後、衆生に布施して食べられるから。また、この法を修める時、修行者は身につけている護輪など御守りを全て取り外さなければならない。つまり、修行者は完全に命、体を捨て衆生を助ける。

六道の衆生は皆、食事の需要があるが、唯食べる方法が違う。しかし、地獄道及び餓鬼道の衆生は福報が少ないから、物を食べられない。地獄道と餓鬼道の衆生が食べた物は喉の中で火、刀剣に化した。彼たちは食事の需要が有るのに食べられないから、非常に苦しい。ある福報がある鬼は昔の公衆便所の周りに食べ物として糞便、尿の臭いを嗅いだ。福報がない鬼は嗅ぎたいでも嗅げないが、地獄道の衆生も言うまでもない。畜生道の状況は少しいいが、食べる過程も苦しい。例えば我々が飼った犬は食べたい時、尻尾を振り続けるが、飼った猫は食べたい時に我々の足元でくねくねして回ってから食べられるだろう。そなた達も同じそうだ。毎日仕事しないと、食べ物を食べない。昔リンチェンドルジェ・リンポチェの母は毎日料理を作る時、市場で買い物に行って、帰宅した後皆のために料理した。3時間や4時間にかからないと完成できない。結局食事する時間は30分以内に食べ終わった。食事を得る事も多くの心力をかかる。だから、そなた達は噴水器で噴水する或いは米を撒けば食べ物を布施して、鬼衆に食べられると思わない。若しこの食べ物は具徳な修行者の加持を通して浄化しないと、鬼は必ず食べられない。却って彼たちの瞋恚を起す。施身法は修行者の観想と禅定を通して、自身を衆生が食べたい物にに化し、この食べ物は衆生の体に入ると甘露にに化して、彼たちに心の憎みを消させれ、清浄を得た。そうすると、済度を得られる。

「施身法」はチベット語では断つことを意味する。すなわち、すべての煩悩を断ち切ることである。我々は執着が有るから、煩悩を起して、輪廻の苦しみの中に陥る。煩悩を断ち切れば、輪廻を断ち切られる。施身法はチベットの大成就者結婚があって子供も産んだ女性の瑜伽士マッチラ尊が《大般若経》のもとに行った修法である。《大般若経》は十万頌と八万頌を分けるが、施身法は十万頌の精華を基づいて作られた。「般若」は簡単に解釈すれば知恵である。知恵があれば、煩悩を断ち切られて、輪廻を解脱できる。施身法を習うのはせめて十年顕教の基礎が必要、更に上師に審査されて、そなたが仏法の理論を完全に理解できるかどうか。それで口伝、灌頂、また閉関修行の方式で修行する。施身法を成就するのは難しいが、直貢チェツァン法王の伝承も今まで唯リンチェンドルジェ・リンポチェが一人だけ施身法を修めて成就した。

今日皆は衆生を助けるために法会に参加した。ある者は心の中に反駁するかもしれないが、自分が体の健康のために来た。しかし、それでも自分の体が良いため、先に自分が過去傷付けた衆生を助けないと出来ない。彼たちはいいなら、自分はよく成れる。つまり、他人を利益する事である。

多く人は自分が良いや自分が傷付かないと執着する。自己の観念はとても重い。実はそなたが執着する「私」は何だろう。唯記号だけだ。若しそなたの名前、誕生日、職業など取り除くと、そなたは皆と同じだ。つまり、衆生は皆平等だ。皆は求められないや愛別離苦など様々な苦しみがあった。そなたの身分は誰でも皆同じだ。我々は法会に参加する心は衆生のためなら良い。皆の心は仏菩薩が一切の衆生のための心と同じであれば、仏菩薩の心と相応できて、仏菩薩を感動して、衆生を加持して助ける。菩提心は最大の慈悲心である。

現代人は肉を多く食べるから、早く成長して早めに老けた。全ての肉に抗生物質やホルモン、成長ホルモンなどを含めて、食べると必ず体に悪くなる。再び皆を勧めて、法会が終わって離れると、もう肉を食べない。特にもうすぐ旧お正月なので、伝統的に多くの人は祖先を拝む。若し祖先或いは鬼神に供える肉を食べる、それは鬼の気を付けた物だから、体に非常に悪くなる。此れは仏経に記載された。そなた達は菜食すると家族に喜ばない事を恐がらず、お正月の間に喧嘩すればよくないと思わない。そんな事はない。そなた達は嘗て気持ちが悪いの経験があったが、家族は無理に肉を食べさせるなら、吐き出して彼たちに見せて、気持ちが悪いと言えばいい。若しそなた達は肉を食べ続けると、来年の法会も来る必要がない。そなた達は肉を少し食べても、リンチェンドルジェ・リンポチェは知らないと思わないで。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても忙しいだけど、どんな事もリンチェンドルジェ・リンポチェは気になる。そなた達は信じたほうがいい。若し再び肉を食べると、リンチェンドルジェ・リンポチェは見えなくても、護法は見える。護法は必ずそなた達に行かせないから。

そなた達は因果を信じなければならない。仏経に記載されたが、龍樹菩薩はいる時に仏法が栄えるから、外道は方法を考えつくして、龍樹菩薩を殺したい。しかし、如何なる方法を使っても龍樹菩薩を殺されない。最後龍樹菩薩は自分を殺害したい外道を集めて、彼たちに自分を殺されない理由を言った。龍樹菩薩は自分が累世以来殺生の業は全て消えたが、唯一匹の蟻の命を欠けた。過去世に嘗て一本の草で蟻の頭を切って殺したと言った。話が終わった後、草で自分の頭を切った。だから、現在インドで龍樹菩薩はお墓が二つを見えた。頭と体を分けて埋葬した。現場ある人は此れは神話だと思うかもしれないが、リンチェンドルジェ・リンポチェは今の段階を修めて、仏経に説かれた事は全て真実語である。この事は出来る。

今日の修法は亡者を助けて、浄土或いは三善道を往生できる。この二件は分けて説明する。若し生前に仏を習わず、往生した後因縁があって、眷属は自分を代わりに施身法を参加して福報を累積すれば、三善道に往生できる。若し、在世の時に修行した事があったが、力を得ず、往生した後施身法の助けを通して、浄土に行ける。阿弥陀経には浄土に往生するのは福徳因縁を具える大善人とある。福は福報であり、徳は功徳である。因縁は引き続きに法会に参加して、十善法を修める。人道と畜生道にいる衆生を済度できない以外、他にも出来る。人道と畜生道を済度できない原因はこの二道の衆生は自分の体を執着して、死にたくないから、亡くなった後済度できる。しかし、法会に参加すれば、彼たちを助けて、福報を累積できる。そなた達は修法者に十分の信心を備えるなら。

仏経に記載されたが、二種類の人だけ地獄に行ける。一つは生前に多くの悪い事を行って、死んだ後すぐ堕ちた。他の一つは既に菩薩果位を証した修行者である。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェに自分が何かを見えると言わない。観落陰とは鬼が地球に生活する事を見る方法が、地獄にいる時間は我々が想像できないが、せめて世間の千年ぐらい長い。

そなた達今日法会に参加に来て、自分のお体が良くなって、夫が浮気せず、子供が順従などを思わないで、敬う心を思って、心で祈請すれば、今日この法会は必ずそなたにとって役に立つ。いわゆる心誠則靈(中国の諺、意味は“鰯の頭も信心から”である)、効果は何時現われるか、考えなくでも結構である。法会に参加してから、何か小さいな事が発生すれば、そなあにおめでとう、返済したとの表すである。

今日交通はすごく込んでいて、リンチェンドルジェ・リンポチェさえももう少し遅刻になった。そなた達は法会のため急いで来て大変ご苦労で、しかし、こうしてもそなた達がやはり来られて、この法会はそなたに対してとても役にたって、そなたは敬う心を持って来たから、敬う心があれば供養こそがあり、供養があればやっと福報があるようになった。福報とはそなたが財産をもらえるのではなく、そなたが未来に仏を学ぶ資糧を蓄積するのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは実が昨年(2010)退職したかった。去年尊勝直貢チェツァン法王の6月6日の大法会を助けた後、10月の阿弥陀仏無遮大済度法会さえも挙げたくないくらいで、衆生が難しく済度するから。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に大変飽きた、そなた達に対して飽きたのではなく、衆生を済度尽くさないから。なぜ観世音菩薩は二滴の涙を流したか?それは衆生を済度尽くさないのを見たのである。1人を済度済んだばかりで、頭を回すと彼がまた帰って行った、済度はどう尽くすか?

但し、三恩根本上師―直貢チェツァン法王は仰った、自分がまだ退職しないのでリンチェンドルジェ・リンポチェも退職してはいけない。直貢チェツァン法王が全て申されたことはリンチェンドルジェ・リンポチェが是非順従である。この世界中には、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王の話しか聞かない。ところが、一旦直貢チェツァン法王は退職するとリンチェンドルジェ・リンポチェも絶対に消えてしまう。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが必ず台湾で仏法を広げると思わないで、空虚の中には助けが必要な衆生が無数で、リンチェンドルジェ・リンポチェはその時まずあれら本当な苦難で、仏法を受け取って欲しい衆生を助ける。そなた達これら仏法を信じない衆生は先そばにほっとく。

お1人参加の信者はマスクが良くつけなくてリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に注意をさせてそれに開示された:今日すべて未皈依の参加者にマスクを付けさせた。それは最近流感に罹った者が多くて、そなた達は風邪が引いたら家族はそなたが法会に参加したため罹って、正月期間気分が悪くて、彼らに口業を作らせるのを望まないのである。ある者は聞く、なぜ弟子はつけないか?それはリンチェンドルジェ・リンポチェがすごく厳しくて、皈依弟子達がわかり、病気にかかってマスクをつけなくて他人を害した、彼らはかかった病気はもっとひどくになる。

昨年のはじめ、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に予言した、日本は火山があった。多勢日本人は信じなくて、この二日間本当に起こった。何故このようになったか?それは現在の者は全て闘争することが好きだから。そなた達にこれを知らせたのはリンチェンドルジェ・リンポチェがとてもすごいではなく、そなた達にもう疑わないのである。信じなければ法会に参加しても役に立たないのである。

密法は何の神秘があるのであらない。例え、小学生が大学教授の授業を聞いたら、秘密だったと思って、彼が分からないから。密法は広げ伝えることが出来ない理由は本当に密法を修習する行者が大変少ないのである。それは密を修める行者の心は非常に固めべきで、何の利益か誘惑のため彼が仏を学んで衆生に利益することを変わる事はないのである。

密法はもう1つ言い方は金剛乗のである、金剛とは密法を修める行者の心は金剛のように固めて、上師に対してわずかの疑い心があってはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェは皈依してから今までいつも三恩根本上師―直貢チェツァン法王の話に従い、仏法だけのではなく、実は上師の全て話しは全部仏法である。直貢チェツァン法王がはじめてリンチェンドルジェ・リンポチェを閉関させてから、リンチェンドルジェ・リンポチェが全部直ちに従って、必ず行って、何も聞かない。そなた達なら、是非なぜ閉関するか、何の利点があるかと聞き、そなた達に解釈してもそなた達はやはりしなくて、是非ともそなたにしなければ死ぬと言うまで、やっとするようにした。

ある者は密法と顕教と何の違いがなく、顕教を修めても同じ仏になると思った。問題は顕教は仏法の理論で、それで、仏経が説いた只呪文を唱えて仏になるには、必ず三阿僧祇劫を通じて、それはとても長い時間がかかる。密法なら実践の方法を含んだので、スピ-ドが大変はやくて、勿論、そなたが金剛乗を学ぶなら、比較的にもっと多く出して、必ず叱れて、支配されるのである。

今晩行った施身法は顕教その上密法を含んで、行者は仏法に対してすごくはっきり了解の外に、また多くの観想をしなければならなくて、必ず上師より口伝を得てから修めるべきである。直貢噶舉大手印には4つの階層があり、毎階層にはまだ3つの階段があり、施身法を修める行者は必ず第2階層―離戯瑜珈の果位まで証得しなければならないのである。

続いて リンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な施身法を行い、それに皆を引き連れて六字大明呪を唱えた。修法円満後リンチェンドルジェ・リンポチェが申された:

皆にひとつの常識を注意させた:救急手当は患者にとって非常に苦しいのである。リンチェンドルジェ・リンポチェが済度した衆生の中に、救急手当があった者は、彼の魂が来た時すべて胸がとても痛かったと言った。ある数年皈依した弟子、彼女の母親は先週往生した。彼女の母親と弟が仏を信じないので、往生する前にCPRも受けられて、そして往生する時リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なポワ法を得る因縁がなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェが先亡者の神識を守って彼女を三悪道に堕ちさせない、それしか出来ない。今日の施身法でやっと彼女を済度が出来た。あの頃、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を加持した時、彼女も胸がすごく痛いと叫んだ。

現代人は重病に罹る時に、ICUに送らせて、第一は全身で素肌を見せて、彼らの服を着て、それから、少なくとも三管の挿入を行う。それらのカテーテルを挿入を行う事は如何に痛苦だろう。その上、現在は一部の人々は手術を行って「膜型肺による体外酸素加法 」にして、彼が行き下げる事を求めて、此れは親孝行で、愛する事と思っている。実は、病者の体の使用は堪らないならば、これ等の医療措置が唯時間を延長させて、彼の痛苦を増えさせるのみである。一部の人々は、ある者は救急をする事により依然として生きられる事と言う。しかし、此れはただ数百万人の一人だけである。その上、活きていても、ただ数日或は数月だけで多くになる。却って、病者に彼の体に一層懐かしくになって、死亡してから「恋屍鬼」になる。末法時代の衆生の業は重いので、医療方式でもこんなに多くの痛苦を増えていく。古代の人々は病気に罹るならば、気分が良くてベットに横になって去って行く。然し、現代人は多数がICUに送らせて、三管の挿入を行って苦しく堪らなく言う。救急してから去る死者はとても痛苦なので、瞋心が重くて、必ず地獄に堕ちる。甚だしきに至っては彼を援助する救急する医療人員と救急の決定する家族も良くない事が発生して行く。

経典には、ある鬼は「恋屍鬼」に記載された。此れはこの死者が彼の体にとても執着し、彼は往生してから、まだ自分の屍体が離れたくないことを守っている。リンチェンドルジェ・リンポチェは死者の為に済度して上げる数年間、このような物語りが多いである。一部のの人々は去る後、家族は数人の道士を見付かって屍体の側にカランカランと法事をし、死者は彼を認識しなくて、自然に去る事をしたくない。一部は聖歌隊を見付かって屍体の側に詩歌を歌って、死者に懐かしく思った心を起こさせて、同じように往きたくない。或は多くの人々を見付かって助念をして、唱えてから彼も往きたくない。その上、一部の人々は死者の側に彼の財産が如何に手配する事を討論し、彼も往けない。

仏経には、世間の学問により仏法を理解出来ない、此れはそれがただ人生の経験のみである。だから、自分が学問があるので素晴らしいと思っていて、傲慢をしてはいけない、自分が少し仏経を唱えたらすぐ分かる事を思ってはいけない。相反的に、学校に入らないので仏を学ぶ事が出来ないと思ってはいけない。多くの大成就者は文字を知らなくて、台湾における以前の大成就者の広欽老和尚は文字を知らない。その上、六祖慧能も文字を知らない、然し、金剛経を聞いたら直に明心見性になる。勿論、それは累世の修行者はこのような出来で、そなた達はこのような根気ではないので、よく素直に従って上師に信じている事にせよ。

この前、一部の人々はチベットへ行って、直貢噶舉派の初めの寺というディクンティ寺へ向いた。そなた達はの知る通り、チベットラサの高さは3千6百余りメートルで、しかし、直貢梯寺の麓に既に4千メートルである。このツアーの一人は麓に写真を取る時には、急に昏倒してしまった。その後、ツアーの他の人々は全て直貢梯寺に至って、この人の母親でも至って、ただ彼女だけで上げられなかった。彼女の昏倒は高山症ではなくて、然し、リンチェンドルジェ・リンポチェに信じられないので、信心と恭敬心を具えないので、護法は彼女に上げさせなかった。

アチ護法は宗祖ジッテン・サムゴンが造る初めの寺に、ディクンティ寺の上の一つの洞窟で虹光身に化けて去り、つまり遺体でも残らなかった。その後、ジッテン・サムゴンは、この洞窟を封じる事を指示させて、人々に随意に入らせない。然し、約10年前に、二人の直貢噶舉派の若いラマ僧は昔の規定を信じなくて、洞窟に入りたい、洞窟に至ると、封じる物を取り除きたいで、一人は直に死んでしまって、もう一人は重病に罹った。そなた達は護法が不慈悲なので、彼達に殺させた事と思ってはいけない。此れは一部の根強い素直に従わない者に対して、彼に残って悪をしたら、彼達に直接に済度して上げる。

「護法」とは仏法を護持し、そなたに仏を学ぶ心を固めてくれて、そなたの身代わりではあくて、だから何事でも護法に助けてくれる事が出来ると思ってはいけない。特に、直貢噶舉派の不共護法のアチは智慧型の護法である。そなたは五戒を守らないなら、或は求めるのは如法ではないならば、アチ護法はそなたにたすけてあげない。不共護法とは、各々の教派は各々の護法があり、全ての教派が修める事ではない。アチ護法は直貢噶舉祖師ジッテン・サムゴンのお祖母さんで、だから直貢噶舉の弟子に当然に特別な世話する。その上、直貢噶舉の弟子であるならば、アチ護法の保護を受ける事が出来ると仰る。然し、真に直貢噶舉の弟子であるならば、保護する事が出来る。そなた達のように発心をして仏を学んで生死を解脱する事をせずのは含まらない。

それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を率いてアチ護法を修めた。最後、参列者は領衆出家師の引率の下に廻向文と「極楽浄土に生まれしことを求める祈祷文」を唱えた後、リンチェンドルジェ・リンポチェは下記のように開示なされた。仏を学ぶ者は主にどの本尊を修めても、浄土に行けて、ただ阿弥陀仏のみ唱えて浄土に行ける事ではない。どの本尊を修める事は各々の因縁に関する。「寶積経」には一段落の重要の記載がある。寶積経は既に発心して菩薩道を修める行者、更に菩薩果位を証得した者に聞かせて、極めて重要なお経である。龍樹菩薩の中観論は寶積経に基づいて書いて、直貢噶舉祖師のジッテン・サムゴンの全ての著作も寶積経により来る。寶積経に記載があり、弥勒菩薩は「菩薩はどんな心を発心して、浄土に往生して行けるのでしょうか」を釈迦牟尼仏にお伺いを立てた。釈迦牟尼仏は10種類の心を開示なされて、此れは菩薩だただこれ等の10種類の心の中の1種類を発心すれば、浄土に往生して行ける。弥勒菩薩が釈迦牟尼仏にこの事をお伺いを立つのは全ての浄土に往生する事を発心する菩薩に浄土に行く事を助けて、つまり祈祷文の説く通り、十方一切の諸佛と菩薩は加持を授け給わん事を、我々に何も障碍がないで浄土に行けてくれる。

多くの人々は、皆に往生してから済度世間に来てある事をする事を発願する事を教える。此れは仏法の観念により不都合である。ただ菩薩果位を証す行者は願いにより再度帰る事が出来て、或は全てただ業により再度帰るだろう。若し累世に修行があった行者であれば、この世に修行により悪業を消す事が可能である。多くの人々は一生にもっとも悪業をしてはならない。だから、より安全な遣り方は浄土に往生して行けて、浄土に至ってよく修めて仏果が成就して、何処にいっても済度する事が出来る。だから、毎回の法会には、「極楽浄土に生まれしことを求める祈祷文」を唱えて、此れはそなたに目標を確認させて、このようなすれば間違い道を歩く事が出来ない。

2011年1月29日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで、午後4時から夜9時まで、155名の信衆のためにこの世の一切の苦しみを解き、仏法を開示された。

2011年1月30日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターにて、殊勝な共修法会を主催し、慈悲の重要さを開示された。法会の前に、ある皈依弟子の夫婦は会場の前に来て、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの娘を助けた事を分かち合った。

彼らの娘はよく夜中に大声で泣き叫んで、たくさんの名医の診察を受けたが原因がまだわからない。娘は三ヶ月目の時まで、ついに彼女が「糖原病 (ポンぺ病) (Glycogen Storage Disease)」に罹ったことを診断されて、それは1種の先天的で容易に低血糖になるめったにない疾病であるが、しかしこの時、彼らの娘の腹囲が肝臓の腫れているため、広さが66cm程度ぐらいある。娘への配慮が難しいから、彼らの娘はいつも低血糖を誘発して、2009年12月に主治医師は肝臓移植手術を受けることを提案している。

2010年1月末、夫婦の2人はもう一人の弟子の紹介を通して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見をしに来た後に、法会に参加することを始めて、そして2010年7月18日に、娘は母と一緒に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。それから、彼らの娘の運命は極めて大きく転換した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはの加持及び持続的に漢方医の治療を結び付けているため、彼らの娘の腹囲は66cmから43cmまで縮小して、その上、以前熱が出た時に血糖が100余りから20.30まで急降下した現象もなくなって、彼らは娘が熱が出るとすぐ、病院へ急診に運ばれて入院したら点滴したりすることが要らなくなり、彼らの夫妻は更に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェをかたく信じていて、娘に肝臓を移植しないように決定した。そのため、彼らの娘は体はよくなるだけではなくて、さらに2010年8月に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに追随して寶吉祥日本京都の吉田道場まで殊勝な阿弥陀仏大法会に参加しに行った。

2011年1月10日に彼らの娘は胃腸が調子が悪くて、嘔吐してしかも1日中昏々と眠って、活力がないため、2度入院して、これは以前連続する低血糖と関係がある。検査されて、医者は彼らの娘の血液の中の乳酸の濃度が12より大きいと言って、そしてちょっと脱水の現象がある。同時に乳酸がこんなに高いのに、意外にも人事不省になっていないで、ただ吐き気をしたいことについて、不思議だと感じる。2、3日の点滴注射しておよび胃腸よく休んだ後に、彼らの娘は原本の活力を回復して、またゲーム室でその他の病気に罹る児童と一緒に楽しく遊んで、その時医者も情況が好転してしまったと思って、間もなく退院することができるべきである。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て開示された「人生無常」の通りに、誰でも自分がいつかこの世から離れる事を分からない。元々彼たち夫婦は娘がいつものように無事に退院できると思ったが、病状は急に悪化してコントロールできなかった。娘は抵抗力が悪いから、1月14日に再度他の新しい病毒感染を併発した。また、徹夜で高熱を出しているから、1月15日朝7時に手足痙攣、白目をむき、口から泡を吹き出すなど症状を起した。母として自分が嘗て必ずこのような他の衆生を傷付けて、衆生に苦しませるから、自ら自分の娘がこのような苦しい状況を見た。彼女は驚いて泣き出して、何も出来ないから、すぐ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を出して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに娘を助ける事を祈った。誰でも考えないが、その後、娘はもう目が覚めなかった。

当時娘は目が覚めないけど、口はまた「ママは?」と呟いて、小さい手で母の手を掴った。その時病院はすぐ彼たちの娘をICUに移して、各挿管や輸血治療を行った。彼女はICUにいる娘が身に無数なチューブを挿している状況を見て、すぐ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を娘の枕元に置いて、娘に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ爺さんの様子を観想すると言った。彼女は不断に娘の耳側に繰り返して言った。娘はやっと弱い声で「リンチェンドルジェ・リンポチェ、いい。いい。」と返事した。此れも娘が母として彼女に最後の言葉だ。その後、彼たちの娘の意識は昏迷になった。彼女はとても尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲及び加持を感謝して、娘に法会を一回でも欠席させないから、機会及び因縁があって、最後の時に絶えずに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを観想することを覚えられて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法名を覚えられた。

1月15日土曜日午後彼たち夫婦は道場に行って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼たちの気が重い表情を見ると、慈悲に「どうした?」と言った。彼女はすぐ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに娘がICUにいて、昏迷している事を報告した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続いて「何故?」と聞いた。彼女は非常に懺悔して言った。「弟子は教えを聞かず、積極的に医師に経鼻胃管を取る事を問い合わせなかった。」続いて「また、何か有るか?」と聞いた。彼女は懺悔して引き続きに言った。「弟子は教えに従って奉じない。」その時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは「私は彼女を一回救えたが、必ず二回目を助けるのを限らない。」と開示された。

彼たちはすぐ涙が止まらなく流れた。同時に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが厳しい父と慈愛な母のように慈悲である事を深く感じた。弟子として彼たちはこんなに悪くて、教えに従わない。子供が事故に遭って、命に関わる時自分はこんなに苦しいまでに、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞き込んだ。慈悲で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ開示されたが、彼たちにすぐ側に大礼拝をして、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法席から降りるまで止まられない。最初彼女は昏迷した娘に目覚められると望んだが、その後、彼女の心は引き続きに上師及び諸仏菩薩に祈って、娘を助けて最もいい手配を願った。若し娘は本当に寿命がないなら、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を連れて浄土に行き、同時に心の中に他多くの衆生も病気で苦しみを受けるのを思った。拝んで体は力が無いとき、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは側にいて慈悲で苦労に全ての信衆を接見して加持していると聞くと、彼女は夫はこの機会があって道場に大礼拝をしたが、この苦労は大した事ではない。

上師の加持をお陰で、彼たちは四、五時間の大礼拝を出来た。その時彼女の心は始めて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに完全に降伏した。父として夫も最後まで恭しく大礼拝をしていた。彼たちは体力不足なので、眩暈がした以外、何回も嘔吐した。夫はこのような症状は娘が低血糖に起した眩暈症状と入院後嘔吐したい気持ちのようだ。それで彼女は悲しくて涙が多く流れた。更に自分は早めに仏菩薩に懺悔すべきだ。彼女も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、慈悲に彼たちに一緒に大礼拝を指示されて、慈悲に夫婦とも加持されて、供養も受けて、娘に福報を累積させた。

翌日の日曜日夜明け六時あまり,このお父さんは病院より娘の病状が危急、それに日曜日の夜明けに一回のショックがあったとのお知らせがあった。おいしゃさんは緊急に娘に呼吸道のカニュ-レの救急手当をした,呼吸を維持した。同時に2剤の一番強い強心薬を注射してから、やっと命を救い返して血圧がふらつかないようにした。電話の中に彼らに危篤のお知らせを出すことを教えて、彼らに覚悟をさせて、何時でも腎臓の人工透析を含んでもっと多くの救急手当が必要である。

娘が加護病室に変わった時、彼らは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て開示された救急手当の時電撃されたの苦しさを思い出した。それで彼らは早目に娘のため電撃を放棄同意書を署名した。彼らが急いで病院に着いた後、急診室のお医者さんは娘がどんなウイルスに感染されたか見つけないので一番強い抗生素をしても手をつかねてなす所を知らなかった。但しお医者さん達がまだ彼女を救いたいためすぐ腎臓の人工透析を提出した。ひいては彼らに娘のためECMOとの手術をして心臓疲はいを避けて命を維持するとすすめた。しかし同時に十分の自信がなくて、人工透析あるいは手術の過程で娘が死ぬかもしれないと言った。

彼らは前の日尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な加持を得て仏法に対して十分な固い信心があり、心が痛いがかえって冷静に娘のことを処理した。彼らは病院に娘の幼くて脆弱な身体をさらに苦しめさせる醫療行為を放棄させて、もう娘がもっと多くの手術、胸垂など救急手当のため生じた苦しみを耐えるのをさせないため、非常に自発的に堅く退院した。夫妻二人はしっかり一心に娘を連れて寶吉祥道場へ日曜日の法会に参加して、それに現場で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが娘のためポワ法を行って浄土へ往生するように祈った。

彼らの娘は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持のしたに、順調で救急車に乗って法会の現場に着いて、それに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが殊勝な上師供養法を行った後迴向する前に安祥で往生した。本来法会過程の中で娘の脈拍はとても弱かったが,娘のお父さんと小さいおばさんが皈依儀式を参加した時、彼女の脈拍は突然にとても強くなって、ちょっと跳んで飛び越えた,たぶん自分のお父さんとおばさんも尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して弟子になるのが嬉しかっただろう。

彼女はたいへん恩に着て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲でむすめが息を絶えた時すぐ彼女のためチベット仏教直貢噶舉教派密法の中に一番殊勝なポワ法を行って、娘に一般な人のように往生した後の中陰身の苦しい過程を通じさせなくて、直接阿弥陀仏浄土へ往生して、あれから生死輪廻の苦しいを離脱した。一切急に発生しことを直面した時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは一層彼ら夫妻を加持して、彼の心を平静させた。彼女がポワ法を得て済度された後、梵穴が熱かった瑞相は,翌日彼ら夫妻が彼女の大体をアイス・ボックスを入れる前持続して、それに四肢と身体が柔らかくて、家族も不思議と言ってまた尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに恭しい心と大変恩に着る心が生じた。

彼女は当日尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の娘の為に殊勝なポワ法を修めた後に、身体も既に疲れ過ぎて、また振り向いて彼たちの夫妻に「そなた達はもし再びこのような進んで進まないで仏を学んだら、未来私が去ってから、そなた達が如何にどうするのでしょうか?」と仰った。その時には、彼らの夫妻の涙も既に泣いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがいつもいつも懸念するのは弟子である。

この前、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはいつも絶えずに彼女怠けで子供をよく世話しない事を注意して罵らせた。その上、主動的な彼女が医者に娘の鼻胃管を抜ける事出来るかどうを尋ねさせた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこのような慈悲深く彼女と子供に加持なされた。然し、その時、彼女は素直に従わないので、また独善的に、心に考えているのは鼻胃管を抜けてから、娘の血糖が低い時には如何様に食べさせる事に間に合うのでしょうか?もし食べたくないなら、娘はまた血糖が低くて、どんなにするのでしょうか?尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが仰るの通り、実は彼女が不精で、我慢強くなくて、だから娘の事が良く世話する事が出来なかった。

彼女は同時に下記のように懺悔した。娘は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と漢方薬の調整により、身体の状況が益々良くなっていた後には、彼女がよく懸命な仏を学ばない、怠けて不精で、自身の身口意を注意する事にしない、自己中心的で、自己保護の意識が重い、上師と年上の罵られる悪癖も改正しない、家族と子供によく怒り、その上、上師と仏菩薩に不恭敬な悪念と妄念がある。が、その場で懺悔しない、自分のこのような悪念悪業を恐れる事を感じていて、極めて苦しいである。心にはこれを抑え付けたい、が、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが教える懺悔法門が忘れて、毎日に修めるはずである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な著作「快楽與痛苦」には、「悪念に対治する最も良い方法は善念だ」と記載なされた。これは早めに回答をくれて、もしずっと上師が自分の恩徳が考えいているならば、悪念が益々生じられない。彼女は上師が教える仏法がいつも注意しない。自分が完全に修める事がない、仏と菩薩でも彼女の業が転じる事が出来ない、果報が成熟してから、後悔しても間に合わない。その上、彼女は、自分が毎回法会に供養が寄付した事があるのは供養だと思っていて、最も重要なのは身口意の供養が完全に遣り遂げなった。彼女はずっと娘を世話する病苦を執着し、仏を学んで修行する事がこの世に一番大切な事を忘れてしまった。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示と彼らの夫妻に大礼拝をする機会がないならば、彼女の娘は根本的に法会に往生する福報がなかった。上師の加持がないならば、娘は強心針を注射してから、日曜日の夜明けに往生するかもしれない。彼女は、ある兄弟しから聞いて、ある友達は成人で、危篤の時に強心針を注射してから往生してしまった。況して彼女の娘がただある子供であり、前後、三回の強心針を注射して、法会に参加して殊勝な上師供養法を修法完了した時に我慢出来た。彼女が殊勝な得難いポワ法が得て浄土に往生していけのは全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自身の功徳と福報が彼女の娘をくれて、彼女に生死輪廻の苦しみを解脱させた。

彼女の娘の遺体は火葬してから骨が綺麗な白色を示して、その上、少しの金色と緑色をつけて、また多くの緑色の舎利花があり、頭蓋骨も一つのきちんと丸い穴を現れて、これは浄土に往生する瑞相である。その日、彼女と兄弟子と家族が見付からなかった、が、写真を尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにお伺いを立てた後で瑞相を証明させられた。彼らの夫妻は極めて懺悔し、自分は失敗な両親で、子供はこのような殊勝な瑞相を彼らに見させる事もしなかった。

最後、彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェからの絶えずに加持に感謝し、彼らの夫妻がこんなに平静な娘の子事が処理し、家族が惜しんだけれども平静である。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェから弟子への恩徳は海ような深いで、弟子は生々世々に尽くしても、上師の恩徳に報う事が出来ない、ただ心を尽くしてほとけを学んで、教えにより従い、よく上師の足跡の教導に従うのみである。この世に生死を解脱する事を求めて、機会があって一切の衆生に利益する事があって、上師が弟子への恩徳に報う。

引き続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェはは法座に登って、大衆に殊勝な開示を与えた。

今日新しく皈依した弟子に一つの観音法門を伝えて、観音菩薩は慈悲の代表であり、慈悲はすべての仏法の根本であり、だから「慈悲為懷、慈悲為本(慈悲を抱いて慈悲に基づいて考えること)」を言われる。慈悲がないならば、いかなる法門は全然学ぶことができないから。慈悲は仏教の中で1つとても特別な法門であり、他の宗教の中はこの方法がない。多くの人は慈悲が善事をすることだと思っていて、多くの人も仏を学んではじめて善行をしなければならないと思って、あるいは善行をすることは仏を学ぶと同じだと思って、実は慈悲が善と異なる。簡単に言えば、ある目的のため善行をすれば慈悲と言えなくて;自性の、空性の善は慈悲である。インド、西方の宗教、及び回教などもすべて人が努力して善行をするように勧めているが、しかしこれは慈悲と異なる。例を挙げて言えば、インドのある宗教は毎日彼らの寺院の中で貧乏な人達に食品を布施をしてあげるが、しかしそれもただ彼らの寺院の中に入りたい人と限られるだけであり、道にいる他の人を構わない。彼らはこれらの人たちが食品を受け取りに来てこの宗教に参加する機会があることができるのを望むから、これは対象、目的があるため、これは平等で、無目的性な慈悲ではない。

慈悲はよい事をするのと異なって、過程が異なって、修行が異なって、結果も異なる。孟子は曰く「人性本善。(人の本性はもともと善である。)」。人は生まれ付き善行をする習慣が持ち、甚だしきに至っては六道の有情衆さえも持つのである。昔、テレビ放送されるある記録映画は、一匹雌獅子は意外にも1頭の小さなカモシカを育てていて、雌獅子が乳がなくなったため小さなカモシカが餓死したまでのことと報道された。

善事をするのはただ人をする根本であり、別に慈悲でなくて、善行をしないのは人ではない。善行をしたことを通じて、来世に人身を得ることができて、甚だしきに至っては大善をすれば天道に往生することができる。しかしこれらは全て漏れがある善に属して、善行をするのは特定の対象と目標があるから、善行をして累積した福報は使い切る日があり、いったん福報は使い尽くすと、依然として再度輪廻する。その上っ善行を多すぎると恐らくそなたが更に速く輪廻するようにさせて、過去に善行をして助けた衆生がそなたに借りがあったため、全てはそなたに返済しなければならない。だから、そなたが輪廻して、彼にそなたの債を返させるのである。

ただいま分かち合ったあの夫婦は、彼らの往生したばかりの娘は実は過去世に1匹の動物であり、1匹のオオカミであろう。あの夫婦の祖先に毒を餌にして殺されたため、この一世に生まれて彼らの娘になって、小さい頃から重病にかかって、彼らの夫妻及びすべての人に悲しんで苦痛にならせる。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの夫婦が供養をしていなくて、娘のため問題を解決して助ける福報がないことを見つけて、だから、彼らに大礼拝をすることを要した。供養するお金を惜しんで、体の苦痛で返さなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、そなた達がした供養が少ないから、もっと多くの大礼拝をしなければならないが、しかし供養が多いのが、大礼拝をもっと多くやることができて、効果がもっと良くなるためであると笑わせて言った。

そなた達が善行をするのはすべて目的があり、特定の対象と目標のためであり、一部の人がもっぱら野良犬を引き取って世話するように、自分が善行をしてとても愛心があると思ったが、しかし、どうして彼はただ野良犬だけを引き取っているのか、あれらの可哀相な流浪の人を引き取って世話しないのか?これは分別の心をもって善行がするのである。慈悲はこれと違って、衆生は需要があるのでさえすれば、因果に違反しない前提の下、彼に助けて、すべての衆生に対してすべて平等に取り扱うのである。リンチェンドルジェ・リンポチェ或いは仏菩薩の目の前で、貧富、貴賎と言う分別がないのである。

ある信者は、彼女はあるホテルの副会長であり、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェと10数年間も知り合っている。最近彼女の母親は病気にかかったため、この信者はリンチェンドルジェ・リンポチェに助けを求めるようお願いして、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女が朝課或いは晩課の時間に道場に来て大礼拝をするように教えた。みんなは知っているように、リンチェンドルジェ・リンポチェが決まった朝晩課をする者は遅刻すると道場に入ることを許さない。あの信者はリンチェンドルジェ・リンポチェに連絡のことを手伝っている弟子に電話をかけて、自分が会議の関係で道場へ大礼拝しに来る晩課の時間を遅れてしまうことを告知する。あの弟子はもう一人の出家弟子に電話をかけて、二人は、自分で門を閉めて晩課をする時間を延びることを決めて、この信者が着くまでやっと門を閉めた。朝晩課をする時間はリンチェンドルジェ・リンポチェが決まった規則であるから、いかなる人がすべて破壊してはいけない、リンチェンドルジェ・リンポチェはある信者の特殊な状況による必要について特別な開示がない限りであり、そしてそなた達はどのようにリンチェンドルジェ・リンポチェがどんな方法にて信者を度するかと知っているのか。この二人の弟子はこの信者が慣例を破ることができると思って、リンチェンドルジェ・リンポチェが決めた規則を守っていないだけではなくて、その上、彼女達は衆生に平等心がないことを表して、平等心がなければ、どのように慈悲心を修め得ることができるのか?だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの二人の弟子が法会に参加することを許せない。この二人の弟子どもあの信者を知りあって、彼女がちょっと社会地位があり、お金があり、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェを知り合っているので、彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェに役に立つと思っていて、だから決まりを変えて、これは差別待遇である。2010年10月に、リンチェンドルジェ・リンポチェが主法した阿弥陀仏無遮大済度法会には、嘗て2名の市長が参加しにくると表してことがあるが、しかしただ30分とどまるどまることしかできないので、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐさま彼らが参加することを婉曲に断って、なぜかというと、そうすると、リンチェンドルジェ・リンポチェは決まった規則を破壊するのである。もしあのホテルの副会長はリンチェンドルジェ・リンポチェに役に立つのであれば、それではまさか市長は更に役に立つのではないか?

この事はそなた達が小さな事だと思っているが、リンチェンドルジェ・リンポチェは大事なことだと思う。リンチェンドルジェ・リンポチェは道場で決めた規則は戒であるから。リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ亡くなっていないのに、もう弟子が規則を破壊してしまって、死んでから道場さえも無くなるのであろうか?もしこの信者のために規則が破壊するならば、この道場の中で多くの会長、社長、医者がいて、全ては彼が会議をするのがとても重要であり、彼らが遅刻することを許可するのを求めたら、それでは、リンチェンドルジェ・リンポチェはどのようにするのか?

そして、ある新しく皈依した弟子と彼女の母親は抽選にて違う組に配置されて、彼女の母親のこの組の中のある人は彼女に施身法に参加するのは2500元を払わなければならないと言ったから、この新しく皈依した弟子はあちこちに行って本当に2500元を払う必要があるかどうかと聞いて、たくさんの人に確認してはじめて、それは誤解だと言った。実はこの事が全くなくて、ただ一部の長く皈依した弟子はいくつかの詰まらない事を言っているだげである。彼女はどうしてあちこちに聞くのかか。多分払う必要がないのに自分が払ったら損になると思うだろう。たとえこの2500元を払っても、自分に大きな恩がある上師にあげることを考えてないのか。リンチェンドルジェ・リンポチェは一つの名言があって、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座の上にある時はリンポチェであるが、法席をおりてそなた達に馬鹿にされる。2500元さえ損をしたくない者は、皈依する必要もなくて、皈依する前にそなた達がすべてすでにとても長い時期に法会に参加したことがあって、やっと皈依することを決定して、そなた達に皈依するように脅迫するのではない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは連続3回も新台幣2000万元の供養を拒絶したことがあり、多くの弟子はすべて目撃した。2000万元はもう要らないで、この新台幣2500元を気にかけるのか。たとえ2500ドルとしても大したことではない。たとえ彼女はお金がなくて払わなくても構わない。リンチェンドルジェ・リンポチェは若い頃仏を学ぶ時に、貧しくただ新台幣6、7000元しか残らない。その時、ある法を学ぶ法本の教材費は5500元が必要であるが、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ申し込んで費用を納めて、そんなにほんの少しお金が残って、どのように暮らすかと全然考えてない。というのはこの法を学んで衆生に利益を齎すことができると思うからである。そなた達はどうするか。細かいことにけちけちして、万事が精密に計算して、このようにすると慈悲が学び得ないから。どうして?と言うのは、ただ自分だけを思い付いて、自分が傷害を受けることを恐れて、損をしたくないからである。もし自分の私利私欲の悪い習慣を直さなければ、人に恩に感じる心がなければ、慈悲を修め得ることができない。

嘗てある大手建築会社のオーナーがはリンチェンドルジェ・リンポチェに台北市の一番に賑やかな道路にあるビルの中の一層300坪の空間を事務室とし、及び300坪を道場をすることを送りたいが、しかしただリンチェンドルジェ・リンポチェに彼が皈依した後に依然として肉を食べられるを許すことを求めて、リンチェンドルジェ・リンポチェはは迷いもなく彼を拒絶して、これが仏の教えと背くためである。外の多くの道場は信者が来るように要するため、すべて肉を食べても大丈夫だと言って、ゆっくりとやることができると言って;五戒を守ることができなくて、1戒を守って、或いは半分の戒を守って、半分の戒さえ守られなくても構わなくて、ただ殺人などとても悪な事さえしなければ大丈夫である。釈迦牟尼仏はその年仏法を宣説する時に、国王、信者などについてすべてとても厳格に対応していて、叱責すると言ったことがある。仏法はとても貴重であり、気軽にならないでください、同じく信者達或いは道場のために、こびへつらってはいけない。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェもそのようにリラックスしたら、恐らく台北市の忠孝東路はすべてリンチェンドルジェ・リンポチェ所有になる可能性があるのであろう。

また、あの二人、道場の規則を破った弟子はあの信衆はリンチェンドルジェ・リンポチェが長年の知合いだと思って、リンチェンドルジェ・リンポチェと友達になるのはとてもいい事だと思った。現在リンチェンドルジェ・リンポチェは所謂友達は必要がないだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェにとって、全て六道の衆生は友達ではなく、助けが必要な対象だ。若しそなたはリンチェンドルジェ・リンポチェの友達になりたいなら、せめてリンチェンドルジェ・リンポチェと同じな程度を修めれば、資格がある。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが神として拝ませる事ではないが、そなた達はせめてリンチェンドルジェ・リンポチェが戒律を守る修行者だと分かるべきだ。そなた達が戒を守らず、修行しない状況と違う。

孔子は「君子の交わりは淡きこと水の若し」と言った。孔子は仏を習わないが、彼の儒家思想は多くよく、生き菩薩と言えるだ。何故友達になるだろう。何故友達がそなたを無視する事が恐がるから、常に連絡するだろう。そなた達は友達になるのはこの中にある利益を得たくて、自分のある欲望を満足するだ。トラブルがある時、異なる友達の助けを得られ事が欲しい。せめてそなたの話を聞く。しかし、此れはとてもエゴだ。友達をご馳走するのは千元や二千元をかかったのに、彼はそなたの文句を二時間聴かなければ成らない。心療内科医さえこのような値段だけではない。友達はすべて悪い友達である。孔子はとっくにみんなに教えて、君子の交わりは水の若く淡いが、、しかしそなた達と友達の付き合う時には、よく淡いことを嫌って調味料を入れて、これを入れて、あれを入れて、入れたものはすべてあなたが好きなのであるが、しかしそれは相手が好きなのであるとは限らなくて、いっしょに混ぜるリンチェンドルジェ・リンポチェは友達と交際するのが別によくないと言わなくて、或いはそなた達が友達に交際することができないように教えるのではなくて、しかし友達のため、どんな戒律がすべて構わなくてはいけない。そなた達はそうすると友達がますます少なくなり、或いはこの友達を失うということを言える。この友達を失うのは失うのであろう。縁により生んで縁により消えて、初めから再び始まる。みんなは友達と付き合うこの事を非常に注意しなさい。

慈悲を習うのはまず十善法を修める。即ち不殺生、不邪淫、不偸盗、不妄語、不綺語、不両舌、不悪口、不貪、不瞋、不痴である。十善法を出来ると、続いて五戒を守って慈悲を修める。慈悲を修める方式について、簡単に言えるのは利己的ではなく、どんな衆生でも傷付かない事を習う。そなたは何故他人が自分に電話をかけない。自分を関心しないだろうと考えると、此れもエゴの一種類だ。何故他人は必ずそなたを関心しなければならないだろう。

多くの人は戒を守る事を恐がって、自分に制約される事を恐れる。持戒するのは第一、機会があって一切有情衆生を傷付ける事を避ける。第二、そなたに因果の怖ろしさを知らせる。仏法しか戒がないが、国の法律、会社の規程、家庭の規定は全て戒と同じだ。多くの人は制約される事を恐がるが、此の世に制約されない事がない。つまり、そなたは深山に逃げて生活を過ごしても、あの山はある国に属すれば、あの国の法律は必ずそなたを制約できる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは漢方薬診療所の医師を雇用する時、一つの規定を定めた。医師は昔の診療所の患者をリンチェンドルジェ・リンポチェの診療所に連れる事が出来ない。多くの人は可笑しいと思うかもしれない。患者はこの医師の技術がいいから、彼に診察されるが、どんな診療所でも関係があるだろう。また、診療所のために患者を連れるのはよくないだろうか。しかし、医師は診療所に診察できるのは診療所の社長はお金を出して投資したから、患者があって彼に診察される。医師は雇用されて患者を診察するから、患者は診療所に属する。医師は自分が素晴らしくて、自分の患者だと思わない。患者は必ずこの医師に診察されないと出来ないと限らないが、中国古代名医華佗は死んだけど、その後引き続きに数えられない医師が現れた。若しリンチェンドルジェ・リンポチェは医師に過去の患者を新しい診療所に移せれば、他人のビジネスを奪う。嘗てある医師の専門は傷科だが、リンチェンドルジェ・リンポチェの診療所に仕事した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に傷科の患者を診察させない。つまりこの道を断った。リンチェンドルジェ・リンポチェは因果を深く信じるから、物事を見る角度は一般人と違う。若し今日他人のビジネスを奪うと、以後必ず誰にリンチェンドルジェ・リンポチェのビジネスを奪われる。多くの社長は営業を雇用する時、皆経験がある営業を捜したい。つまり、過去の人脈を連れてくる事が欲しい。そうすれば、必ず悪い果報がある。そなた達はいつもそうするから、金銭は第一として、因果は最後となる。

慈悲は二つの事である。慈とは自分の最もいい物で他人の苦しみを交換する。悲とは彼を助けて輪廻を解脱させる。

嘗て有る人は他人の話を聞き、自分の後ろに多く鬼衆が従うから、怖ろしくて、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを求める。リンチェンドルジェ・リンポチェはいつもこのように返事した。「誰がこの事を伝えたが、その人に頼んで解決させる。」誰でも後ろに多く従わないだろう。誰は肉を食べなく、人を叱らなく、祖先がないだろう。若しあれば、勿論後ろに多く従っている。釈迦牟尼仏さえ後ろに多く従っている。唯此れは全て弟子だ。ある者は家で多く護符と呪文を貼り付けて、鬼に入らせない。リンチェンドルジェ・リンポチェは道教を習った事が有って、此れは役に立たないと分かった。そなたは部屋に全て護符と呪文を貼り付けるだろう。米の大きさの隙間であれば、鬼は通過できる。三つの所しか通過できない。それは女性の子宮、金剛杵および金剛座だ。鬼を恐れるのは慈悲心がない。衆生に対して感謝の気持ちを持つ。それはこの苦難な衆生があるから、仏法が必要であり、修行者は衆生が有って助ける。

多くの人はリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に「何故仏を習うだろう。」と聞いた。多くの人は衆生を利益するため、生死を解脱するためだと返事した。世間にはこの事を広めて宣伝するのはいいが、皆よく話すが、出来るだろうか。自分さえ輪廻を断たないのに、衆生を利益する事も言うまでもない。心は最も重要だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて顕教の上師に会った時、何も求めず、唯皈依を求めた。始めて、尊勝な直貢チェツァン法王に会った時も多く話せず、唯直貢チェツァン法王に仏法を伝授する事を求めた。此れは誠に求めた。皆言葉が上手なら、文章を作成すればいい。

慈悲を修める人は全ては捨てなければならない。先に慈悲を修める。慈悲を修めれば、菩提心を修める。菩提心とは慈悲の究極だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは施身法を修める時、観想と禅定を通して、自分の体、骨、血液を甘露に化して、一切衆生に布施下。ある子供と老人は皆鬼がリンチェンドルジェ・リンポチェの体を食べる事を見えた。子供は見たから、自分の両親に話した。若し、リンチェンドルジェ・リンポチェは鬼が自分の体を食べるを見て、先に捨てない感じを起して、続いて鬼を恐がって、鬼を追い払う考えを生じる。この考えは現れると、この施身法を修められない。

世間に多くの人は他人が苦難に遭った時、習慣に優しくて柔軟語で彼たちに話して、彼たちと同じな立場で「そなたが言った事は正しい」と言った。更に彼たちの背を軽く叩いて慰める。柔軟語とは声或いは態度の柔らかい事ではなく、相手を助ける心は柔らかいだ。若し当事者は袋小路に陥って、執着して離されないと、もっと厳しい方式を使わないと、彼を助けられない。チベット仏教に於いて、忿怒尊を修める事が有るのように、極めて怖ろしい外見は現れるが、本当の本質は慈悲である。密法には所謂誅法が会って、凶悪な衆生に遭って、相手を殺して、頭に七枚が裂けて、外在の形体を殺したけど、最終に彼たちの本を済度する。つまり彼たちの心だ。ある具徳な上師はとても重要であり、彼たちはどのように行って、本当に衆生を利益する事を分かる。

如何なる慈悲を修めるだろう。多くの人は六波羅蜜を修めると言った。何故六波羅蜜を修めなければならないだろう。しかし、誰でも六波羅蜜を修める目的と重要性を説明しない。リンチェンドルジェ・リンポチェは今日少し説明した。六波羅蜜は布施、持戒、忍辱、精進、禅定、知恵である。ある者は六波羅蜜が次々に修めると言ったが、ある者は前の三つは福を修めて、後の三つは恵を修めると言った。他にはチベット仏教に於いて、九波羅蜜、十波羅蜜がある。実はこの数字は多く関係がないが、全て六波羅蜜の延伸であり、多くの物を加えて、もっと細かい。主な内容はまたこの六つである。

仏経が説いた人の眼、耳、鼻、舌、身及び意は六賊と呼ばれている。六波羅蜜を修めてこの六賊が我らに影響する力を対治することが出来る。多くの宗教は催眠、瞑想など方式で眼、耳、鼻、舌、身の役割を減する。我らはこの肉体の様々な感覚を気にして、自分を放任して、酒を飲み、タバコを吸い、楽しめて、六賊に引っ張られて多くの悪業をして、少しの善業もした。これらは只眼、耳、鼻、舌、身、意の需要に満足したくて、しかし心の本質には変わらない。六波羅蜜を絶えずに修めることを通じて、眼、耳、鼻、舌、身の外在の接触で心を影響することをしなくて、ゆっくりと減ることが出来て、ひいてはこの六賊が心を影響する力を止めることが出来た。

六波羅蜜ではまず佈施である。佈施とは沢山の種類に分けて、財産の佈施は一番簡単である。佈施するには一番悪いのは報いを得るのを望んで、また佈施した後果たして悔しかったのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学ぶ前あんな考え方があらない。リンチェンドルジェ・リンポチェは以前香港の友人がいた、彼の母親が病気にかかったがお医者さんが診てもらうお金がなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼にお金をあげてそれに彼の母親が入院して治療するの手配をした。彼が結婚する時もお金がなくて、それもリンチェンドルジェ・リンポチェが彼を助けた。彼のお母さんが往生した後の葬儀の費用もリンチェンドルジェ・リンポチェが払った。彼の仕事さえもリンチェンドルジェ・リンポチェが与えたのである。 結局、この友達はその後自分が商売をした時、意外にリンチェンドルジェ・リンポチェの会社の従業員を取った。こんなことにあって、そなた達なら彼を殴りに行ったかもしれなく、彼を殴らなくても彼を叱っただろう!但しリンチェンドルジェ・リンポチェは少しも怒らなくて、腹を立つ考え方さえもなかった。それはリンチェンドルジェ・リンポチェが人を助けて報いなんで考えないべきと思ったから。

忍辱とは他人に一発殴られてそなたは手、口が返さないのではなく、こんな事なら、修養のある者は全て出来られる。他人がそなたを叱って、批判する時そなたが絶える事が出来ても簡単である。しかし、忍辱が一番重要のはそなたが順調する時、一切の名と利を耐える事が出来るか、それはかえって一層難しいである。それで修行する者は特に名聞利養を注意しなければ成らない。利養はまた断るかもしれないが、名聞こそ非常に細微で難しいのである。長期の閉関修行を通じるこそやっと相当な微細な部分を気づくことが出来た。有名するを避けるのは自分の福報を無駄にしないのである。修行する者の福報は衆生に利益するには、生死を輪廻より離脱する時に使うのである。一旦有名になると自分の福報を浪費して、福を使ってしまった。我らはわざと有名になるべきではなく、長期黙ってして、時間が長くなって、福報が蓄積して来て、自然にそなたの名前は知られた。

精進とは一日中沢山仏経、呪文を唱えるのではなく、絶えずに、ある事をし続いて、自分の功徳をある時間まで蓄積して自然に役割を発揮しようとした。仏法だけのではなく、どんな事でも集中するべきではじめて効果が出来た。

ある弟子ではない出家法師がリンチェンドルジェ・リンポチェに伺って、自分が中国大陸のある先生に気功を勉強しに行って、任・督2脈を貫通させて帰って来たと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏経を遍く読んでも任・督2脈との名詞を見たことがなくて、それは道教の言い方から。この人はこうなったのは、彼がいつも感応、神通を求めていたのである。幸いに、この方はリンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依してはなくて、さもないとリンチェンドルジェ・リンポチェが強く殴った。禅定は時間が長くしては割合に良いではなく、また毎日半時間して禅定とも言えない。禅定は如法、経験のある上師が教えてくれるべきで、そうでなければ道を歩きまちがいやすかったのである。

ある者はリンチェンドルジェ・リンポチェにどのように智慧を修めるかと伺った。リンチェンドルジェ・リンポチェに彼らに智慧を下さるように求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは笑って話した、自分が足りないくらいで、どうあげるか?実は智慧が与えるものではなく、開発出来たものである。智慧は生まれつきの根本智と修行することを通じて得た後得智に分けてある。後得智が開発されて、それに根本智を加えて、智慧が自然に生じた。慈悲がなければ智慧があるわけはない。戒、定、慧って、戒を守ると定になって、定があると自然に智慧が開かれたのである。

ある者は試験する前に、寺院へ智慧が開けられるように祈って、試験が良く出来ると望んだ。そなた達は本を読む時いつも読んだ内容が覚えられないと感じた。実はそれがあるものがそなた達を妨げはてそなた達に思い出せなかった。仏にご辞儀することを通じて、上師の加持と法会に参加して蓄積した福報でこれらの障碍を減って、そなたがもともとあるものをもう一度思い出せて、暗記することがよくなると感じた。暗記と智慧とは同じではなく、暗記ことは過去世と関係がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分を例として、人の名前と顔つきをあまり暗記し易くないが、呪文ならば、読んだことがあれば、忘れない、過去世に学んだことがあったから。

続けてリンチェンドルジェ・リンポチェは《四臂觀音修誦簡軌》を口伝し始めて、それに皆が従って読ませた。観想について部分は今回暫く伝えなかった。

チベットでは六字大明呪を読む者は割合に多くて、漢民族なら阿弥陀仏、観世音菩薩を読むのは比較的に多かった。呪文とは諸仏菩薩の慈悲、願力、功徳と智慧の総合で、それも慈悲心の精華である。「嗡瑪尼貝美吽」この六つの字を軽蔑しないで、この中身を解釈すれば、仏の智慧によって、三阿僧祇劫の時間で話しても終わられない。簡軌とは簡単のではなく、前の供養の儀軌を略して残された精華である。呪文の意味は完全に翻訳することが出来ない。以前大悲呪が大変きいたが、あの後、1、20年前ある者は大悲呪の毎句を通訳して、この段落はどの神、この話は大力士で、これはどの菩薩など、あれから大悲呪はもうあんなに利目のであらない。あなた達は読む時,この言葉はどの仏菩薩、大力士を指すかと考えて、気を散らして集中することが出来なかったから。

六字明呪の六つの文字は、我らのため六道で輪廻するドアを閉めさせるのである。「啥」とは観世音菩薩の種子字で、それも阿弥陀仏の種子字で、我らに浄土へ行くドアを開けさせてくれる。そなたは只清浄心で六字大明呪を読めば観世音菩薩はそなたを救いに来る。そなた達の心は清浄ではないのでそなた達は仏菩薩の功徳の大海へ入ることが出来ない。

自分が法本を貰った後外の者に呪文を教えることが出来ると思わないで、上師でなければ人に呪文をどのように唱えるか教えると、打誆語の戒律を犯した、あれからそなたが修行する道の上に、多くの障碍が生じた。何故か?毎法本には護法がいて、多くの護法はまだ人の習性をもって、護法はそなたが方に対して恭しくないを見ると、そなたをおおく妨げて、そなたが修め続けない様にさせた。あの時、釈迦牟尼仏は口伝の方式で仏法を広げたので直貢噶舉教派がこの精神を留保して、全ての法本、呪文、ひいては経典は上師がそなたに口伝するのを通じなければ、そなたが見ては、読んでは、修めてはいけないのである。

自分が法本を貰った後外の者に呪文を教えることが出来ると思わないで、上師でなければ人に呪文をどのように唱えるか教えると、打誆語の戒律を犯した、あれからそなたが修行する道の上に、多くの障碍が生じた。何故か?毎法本には護法がいて、多くの護法はまだ人の習性をもって、護法はそなたが方に対して恭しくないを見ると、そなたをおおく妨げて、そなたが修め続けない様にさせた。あの時、釈迦牟尼仏は口伝の方式で仏法を広げたので直貢噶舉教派がこの精神を留保して、全ての法本、呪文、ひいては経典は上師がそなたに口伝するのを通じなければ、そなたが見ては、読んでは、修めてはいけないのである。

最初、真言を唱える時には、3千回を唱える時間は1時間に掛かるかもしれない、暫く30分にかかるかもしれない、此れは第一。そなたはより熟知して行く。第二、そなたは真言を唱える時に、妄念が減らして行くわけである。同様な回数、かかる時間は自然に減らす。此れは無駄な時間あ妄念にかからない、禅定の功夫も増えていく。そなたに妄念がない事が無理で、毎秒、その上、百万の1秒でも妄念がない事が無理である。上師は真言を伝わった後、そなた達は真言を唱え初めから、念力が益々強くなっていって、だから、悪口で他人に聞き苦しい声を罵らなければいけなくて、良くない話で自分の子供を呪う事が出来ない。仏を学ぶ事は自分を改正し、他人に改正する事ではない。法本の後の廻向の部分は観世音菩薩と歴代上師からお書きになる。求める内容は全て皆に代わってお書きになり、自分の私欲を加えて求める事が要らない。廻向の時には多くの名前を唱えてはいけない、多くの事を求めて、ただ従って読むだけが十分である。家族に廻向して、家族がそなたに仏を学ばせる事も思ってはいけない。此れは仏法ではない、此れは巫術である。

仏を学ぶ事は長時間の累積が要るし、綿々していて絶えずにして行く。そなた達は誰かに世話するので修める時間がないと言ってはいけない。そなた達は如何に忙しいでも、リンチェンドルジェ・リンポチェにより忙しいほどではない。昨日ある新しき皈依弟子は、お正月の一日に法会に参加できないのでリンチェンドルジェ・リンポチェにお休みを取りたい事にお伺いを立てた。此れはその日に家族が重要な事があるわけである。寶吉祥仏法センターは会社と学校ではない、欠勤制度がない。もし、そなたは家庭が仏法により重要だと思っているならば、そなたが法会に参加する事が要らない、自動的に離れる事が十分である。其々の組長にお休みを取る事を受けないのは開示なされた。法会に参加するかどうかはそなたの自身の決定で、然し、これからそなたに行けるかどうかはリンチェンドルジェ・リンポチェが決まる。此処には人が多い過ぎて、座られない。その上、このお爺さんに紹介する皈依弟子は彼にはっきり説明する事を指示成された。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏経を読んで、お休みを取る事の記載がない、もしあれば絶対に記載がある。お休みを取りたちならば、リンチェンドルジェ・リンポチェは初め手をあげてお休みを取る。リンチェンドルジェ・リンポチェは1年365日、1日24時間がずべて衆生を世話している。そなた達は問題がある時には、リンチェンドルジェ・リンポチェに観想する事を言い、リンチェンドルジェ・リンポチェの法の写真を見て、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはお休みの時間がないわけである。

リンチェンドルジェ・リンポチェはフル‐タイマーで、1日24時間がすべて済度している。然し、そなた達はパート‐タイマーで、道場を離れて、家の仏堂を離れてから、仏教徒ではない。凡夫の考えを以ってリンチェンドルジェ・リンポチェを考えてはいけない。仏を学ぶ事は必死の心を持って言って、そなた達はこの心が無いならば、自ずから悪をして間違いを犯す。

昨日、ある新しき皈依弟子は母を連れでリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来て、母親に連れで皈依した後、家族が多くの反対の意見がある事を申した。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は此れは自分の事で自分が解決する事はずで、全ての事がリンチェンドルジェ・リンポチェにくれる事ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは当年で困難にあう時に、直貢チェツァン法王に求めた事もない。そなたは病気の苦難でリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見してくる時には、リンチェンドルジェ・リンポチェは最初そなたの病気の苦しさを助けてくれて、然し、その後がそなたにより修めなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは病状を圧し下げることができるけれども、この果報が転じることが出来ない。今日、この女弟子が母に連れで皈依する事は好いことで、ほかの良くない事を発生しても、少なくとも母の調子のことが安定できる。皈依したばかりの弟子達人々は一部がお金の問題で悩んで、一部が家の問題で悩んで、皈依せず前にこれ等の問題がないし、皈依した後問題が却って多くになっていく。

お正月が直来て、リンチェンドルジェ・リンポチェは再び皆に「鬼神に祭る食べ物を食べられない」と注意させた。祖先はよく済度しないなら鬼である。そなたは如何に祖先が済度するかどうかを知らない。そなたが此れを食べると彼と同類になっていく。これ等の神はそなたに保護する事が出来ない、此れは彼らを輪廻を解脱する事がまだである。もし彼らはそなたに保護できるならば、彼らは神ではない。「大蔵経続部」曰く、真言を唱える人々は鬼神に祭る食べ物を食べられない。だから、真言を唱える人はそれらの鬼神に祭る食べ物を食べるなら、そなたに前に唱える数万回、数百万回がすべてゼロになっていて、最初にしてはいけない。家族の不愉快でそれらの食べ物を食べてはいけない、そなた達は家族の不愉快を恐れて、リンチェンドルジェ・リンポチェの不愉快を恐れないだろう。これらの食べ物を食べる人も来てはいけない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは2009年に来年の2010年に日本では火山が爆発すると預言すした。然し、多くの日本人は信じない、結局、旧暦のお正月前に日本九州が真に火山が爆発した。漢民族に対して、新年がまたで、まだ虎の年にいる。これ等の話は他人の災難を見て喜ぶ事ではない、此れは人々の欲望、瞋恚心で、山林を切り出して、山の神と樹の神に怒らせて、火山が爆発させた。全世界の人々の闘争の心が重いので、何でもはっきり言うが要る事も闘争である。闘争しても何か問題がない、現在果報が待たない、直に来る。もしそなたは依然として肉食をして、善行をしないなら、この悪の共業を巻く。誰かが喧嘩をする事をみたら、どのように相手に打倒可能事を言ってはいけない、此れは「打つ」の共業に巻く。ある者は鶏を殺す事を見たら、そばに見て、あとで鶏肉を食べる事を考えるならば、「殺」の共業にまく。友人は夫妻感情の事でそなたが従って罵るならば、「罵る」の共業に巻く。俗語では、「清廉な官吏は家事に判断する事が出来ない」。彼らの前世に何か因縁がそなたも知らない。本来、一方も怒らない、けれども、そなたに参与して彼に追随して、消す怒りがまたあげて行く。また、テレビのそれらの政治人物は従って罵ってはいけない。もし皆の福報が足りるならば、良くない統治者を選出されることができなくて、皆は彼の団体の主張を同意する。そなた達は、このようなすれば、他人がなにを言ったら全て賛同すると言う。そうではなくて、是非を分けなくて、因果を区別しない慈悲は濫慈悲で、濫好人である。仏経では濫好人であれば地獄に堕ちる事もある。

1年は速く経て、年末は多くの事が忙しいなら正常で、しかし、時間がかかって、そなたがの今年如何に暮す事を良く考えいる。もし、そなたが働く方式は前と同じなら、仏法の了解が再び進歩がないなら、他人に多くて考える事がないなら、それでは、そなたのこの一年が進歩がなかった。

2011年と2012年は全部とても良いそうでなくて、安定ではなくて、多くの紛争がある。慣例により、数日後、お正月明けに法会を行い、午前の9時から「三十五仏懺」と「黒水財神」を修めて、午後「大象財神」を修める。「三十五仏懺」は台湾に他の仏寺に修める事がない。そなた達は嘗て聞き覚える「梁皇宝懺」、「妙法蓮華懺」、「千仏懺」などそながいえる懺法はリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て礼拝した事がある。「千仏懺」は1000尊の仏に礼拝し、35尊の仏により素晴らしいと思ってはいけない。全ての懺法にはただ三十五仏懺だけで懺は釈迦牟尼仏がみずから伝える懺であり、他のは後代の人の書いた懺である。我々の現在は釈迦牟尼仏の法運におり、だからこの懺に礼拝したら力がより強くて、菩薩道に行う行者に対して助けがある。朝には黒水財神を修めて、そなた達は財神を聞いたら、心臓がトキトキし、富がないならばある苦しみである。我々のこの世に得る富は過去世に供養布施の結果であり、然し、そなたが悪をしたら財をえない。黒水財神は我々の命に本来があって略奪される財を返す。然し、そなたが供養が要るし、供養がないならば、ただそなたに替わって縁を結んでいる。チベット仏教の財神が五つの色に分けて、財神が護法部である。我々は多くの事をしたら我々の福報を減らし、財も福報の一部を含めていて、子供を取る事も損する。リンチェンドルジェ・リンポチェに怒るならば我々の福報も減らす。2千5百台湾ドルを気にする人は福報が大きな減らし、財も大きな失う。午後の大象財神は、そなたはよりごろつきで財を求める事が出来る。参列者は一緒に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが辛労を問わずに衆生に利益する事に感謝致した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く、参列者がお正月明けに法会に参加し、レストランが営業がない、昼ごろに食事する事が不便で、だから、レストランを経営する数位弟子は1千人の弁当を準備し、参列者に課って食べさせる。参列者は全てリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝致した。

2011 年 01 月 31 日 更新