671:脳梗塞に罹った妻をお救いくださった上師への感謝と称揚
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、尊勝なる直貢チェツァン法王、アキ仏母、歴代伝承上師、諸仏菩薩に頂礼致します。皆様、こんにちは。私は第七組の張顔慶で、妻は第一組の林美雲です。私達は2011年9月11日に皈依しました。今日、ここで尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは脳梗塞に罹った妻をお救いくださった経過に感謝し、それを称揚します。
2011年4月9日午後、私達がテレビを見ていたとき、妻は突然話をしなくなり、目は前方を見ながら、右手右足がしびれて力がなくなりました。彼は二ヶ月前と同様、一眠りすれば回復すると思いました。しかし夜の7時すぎになっても、妻の右手と右足は少し力を取り戻したものの、話はできないままでした。妻に食事をするかと聞いたところ、妻は頭を振っておなかがすいていないという意思表示を行いました。私は気にせず、妻がもう少し眠ればよくなると思いました。
翌日の朝9時過ぎ、妻が目覚めた後、状況は改善しておらず、私は可笑しいと感じ、急いで近くの病院に検査に連れて行きました。その時、主治医にしかられました。「脳梗塞だ。なぜ今になってようやく連れてきたのか」ここで、低血圧で僧帽弁閉鎖不全を患った妻が脳梗塞になったことをようやく知りました。私の無知から、脳梗塞治療の黄金のタイミングを逸し、話ができず、鼻からの管で栄養摂取をせねばならい状態にしてしまいました。妻は右手と右足に力が入らなくなったのみならず、右側の顔面神経も失調を来たし、よだれが無自覚のうちに流れ出し、常によだれでぬれたシーツや枕カーバーを変えねばならなくなってしまいました。
17日の入院期間中、抗凝血剤の注射のほかに、妻は高圧酸素や針灸などの治療も試しましたが、初期に若干の改善があったものの、後になると進歩は見られませんでした。この期間、私の弟と弟の嫁が道教の兄弟子とともに見舞いに訪れました。この兄弟子は、妻は霊に付きまとわれているが、もう一方おりに中国のものでない菩薩が守っている、と言いました。このとき私は、妻が以前に「チベット仏教直貢噶舉派阿弥陀仏無遮大済度法会」に参加したことを思い出し、法会の菩薩が守ってくれたのではないか、と思うようになりました。そこで、ただちに妻を大法会に紹介してくれた兄弟子に連絡しました。、この兄弟子の助けに感謝し、これから大いなる徳を備えた大修行者——尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェとめぐり合えたことを喜びました。
兄弟子の助けを得て、4月23日に病院に申請して、妻を連れて寶吉祥仏法センターに赴き、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに加持を受けるべく面会を求めました。当時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く彼に、菜食しているか、とたずねました。私は、菜食するるようになって、すでに7日が過ぎた。今後は永遠に菜食する、と答えました。話のできない妻は、うなづいて菜食する意欲を示しました。続いて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは金剛杵で妻の頭上で長い時間加持を行いました。その週、妻の顔面神経失調も明らかに改善し、よだれも流れなくなり、手足にも少し力が入るようになりました。全体の情況も安定し、退院できる運びとなりました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の加持が、妻の病状の驚異的な速さで回復させたと感謝します。
退院したばかりの時、妻は鼻からのチューブで栄養摂取しており、朝と晚は私が食事を与え、昼食は大学生の息子が講義のないときに責任を負いました。しかし息子に講義のあるときは、昼間に妻の面倒を見るものがおらず、私はこのことが気がかりでした。しかし退院後二日目の夕食時、妻は鼻のチューブをはずし、口で食事をしたいという意思を示しました。しかし医師からは、食物を誤嚥して肺炎になる可能性があるので、はずしてはならないと申し渡されていました。しかし妻がどうしてもと言って聞かないので、その通りにし、芋粥を買ってきて食べさせました。このとき、不思議な事が発生しました。入院して17日間、ずっと鼻から胃に通したチューブで栄養を摂っていた妻が、口で一口ずつゆっくりと食事したのです。さらに翌日には十穀米を摂取し、見舞いに来た妹も不思議でした。もし尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持がなければ、妻の回復がこれほど早いはずはないです。
退院時は一言も話をすることができず、外に出て他の人と向き合うことを嫌がった妻が、今では一部の記憶喪失と言語や発音が不明瞭であるほかは、以前同様に街に出て買い物をし、家事をこなすまでに回復しました。私達は、これらすべてが尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの絶え間ない教えと慈悲の加持によって、深刻な言語障害の妻が迅速に回復し、人々とも向き合えるようになったものと感謝しています。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大いなる威徳の力の加持に感謝しています。
私はこの機を借りて懺悔します。幼かったころ、父母が家計のために努力して仕事しているとき、弟や妹の面倒を兄である私が見なければなりませんでした。しかし気の荒い私は、頻繁に弟や妹に暴力を振るったため、弟や妹を恐れさせて、さらに父母に口答えすることも多かったことから、自分がとても不孝で、大逆不道な悪行を行ったと思い、ここで父母に懺悔します。青少年時代、ポルノ刊行物や覗き行為を好み、社会に出た後も飲む打つ買うなどのさまざまな悪習に染まり、みだらな行為や飲酒、喫煙、賭博などの悪行にうつつを抜かしたことを懺悔します。職場においてもまじめに精進せず、貢高我慢で、時には上司を批判し、同僚の非をあげつらい、経営者と細かなことを争い、公の資源を公的に利用し、サボったり悪口や妄言、窃盗などさまざまな悪行に身を染めたことも懺悔します。そして自分の欠点を反省することなく、ただ天と人を怨み、悪人が常に自分を落としいれようとしていると思い込み、長年怒りっぽく恨みっぽい情緒を溜め込み、家族の生活を不安な気分に陥れたことをも懺悔します。
私は幼いころ、水に溺れさせたり、火で焼くことで無数のありを殺し、数え切れないくらい多くの蚊やゴキブリ、ネズミ、スズメ、ヘビなどを殺しました。またニワトリやアヒル、ガチョウ、ブタ、ヒツジ、ウシ、ウサギ、カエル、ハクビシンなどの動物を食べ、またエビやカニ、ハマグリなどの海産物が好きだったことも懺悔します。結婚した時、肉や魚の大宴会を催し、妻が出産し、産後の肥立ちを助けるためにトリや魚で栄養をつけるなど、食欲や滋養強壮での欲望を満たすために、無数の衆生を殺傷した事を告白し、私に殺され食べられた衆生について懺悔します。自分ほどすべての悪行に手を染め、殺害の業の深い者にもかかわらず、この世で幸いにも尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに生命をかけて正法を弘揚してもらえたと感慨深く思いました。そして、衆生を救う得がたい上師であり、その上師の絶え間ない教えと導きと加持のもと、私の人生も変化し始めました。
皈依する前の私は、情緒の起伏が激しく、常に小さなことで家族に当り散らし、妻とけんかするなど、家の中では時限爆弾のような存在でした。家のなかには長期間低気圧が漂い、子どもたちの過度に抑制的な性格を起し、親子の関係も次第に疎遠になっていました。また、心の中ではこの家を離れたいと考えるようになり、家庭内の空気は凍り付いていました。しかし皈依した後、家族との関係は次第に改善され、弟や妹との間の感情はうちとけたものとなりました。最近一年来、宜蘭の実家で年越しをする際のお供えはすべて精進料理となり、法会に参加したことのなかった父親も、去年は「阿弥陀仏無遮大済度法会」に参加しました。ここで尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが私と家族に対する世話に感謝するとともに、父母がこの仏法を聞く福報にめぐまれたことにただひたすら感謝します。私は今生上師に従い、仏法を学ぶよう努力することで、上師の恩、仏の恩、父母の恩、衆生の恩に報いることができます。最後に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ法体の安らかですこやかであり、法輪が常に回転し、仏法の事業が永遠に栄えるよう祈念します。
皈依弟子 第七組 張顏慶 謹んで書き上げます
2014年6月8日
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2019 年 02 月 24 日 更新