693:活菩薩は我々の目の前に、今を生きる

皆様、こんにちは。皈依してから3年間の感想を分かち合う機会を得られたことに対し、尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、アキ仏母、直貢噶舉歴代伝承上師、諸仏菩薩に感謝致
します。私は第二組の洪黎媚で、法名慧音卓瑪。2011年9月11日に皈依した。私は、2011年8月に大法会に参加した翌日、ポエ占いを行い、昨日、大法会に参加したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは2万人余りの連れてきた衆生は観音菩薩に導かれて離れたと言ったが、それは本当か?と千手千眼観音菩薩に尋ねた。2個の木型を投げると、一正一反になった!(私は仏を学ぶ前このような方法で物事を聞いていたことを懺悔した。リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依してからはしていない。)そしてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を申込みの考えが浮かんだ。

順番が回った時、私は4つの事をお願いした。1.リンチェンドルジェ・リンポチェに母と義母を加持することを求めた。彼女らはすでに歳を取っているので、彼女らが平安吉祥で健康でいることを祈った。2.リンチェンドルジェ・リンポチェに私が法会に参加することを許し、今日の因を変え、未来の果を変える事を祈った。3.懺悔仏法テープを聞くことで、累世の罪障及び今世が作りだした悪業が消えることを祈った。4.もしも、幸運にも法会に参加できたら、リンチェンドルジェ・リンポチェが私を加持することを願い、それによって、罪障が消え、智慧が高まり、悟りを開いて修め、生死を解脱し、極楽浄土への障害が無くなることを願った。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、それを聞いて、「あ、あなたはどこから来たのか?どうしてそんなにも名相を知っているのか?」と尋ねた。私は直ぐにテレビを見たと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、「それだけではない。それだけではない」と言い、何処へ行っているのか?と尋ねた。私はやむなく雙溪の道場と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェはそこはとても良い、そこはとても良い。そこへ行くといい!」と言った。私は、直ぐにリンチェンドルジェ・リンポチェに大法会に参加したことがあると報告した。私は、もしも自分が済度を得たなら、自分と縁のある衆生も済度も得られると信じている。もしも、自分が救われたなら、自分と因縁のある衆生も救われると信じている。リンチェンドルジェ・リンポチェは、法器を持ち、私を慈悲深く加持し、法会に参加するのを許してくれた。私がリンチェンドルジェ・リンポチェを供養した時,リンチェンドルジェ・リンポチェは受け取らなかった。私その時、供養する弟子の資格がなかった。

二度目に参加した法会で皈依儀式に出逢った。私は心の中で非常に焦った。このような徳を備えた修行大師に出会い、どのように皈依すればよいか分からない。突然舞台の人が、「皈依を申し込んでいないけれども皈依したい人は前に出て下さい」と言うのを聞き、私はその時少しも躊躇うことなく、直ぐに舞台に上がった。

大慈大悲尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、私のような問題が山積している弟子を引き受け、仏を学ぶ機会を与え、多くの因縁を変えることができたことに感恩した。2012年には、弟子を伴い、道場で一日24時間途切れることなく、長壽仏咒を持誦した。尊勝なる直貢チェツァン法王の誕生日を祝うことで上師を敬うだけでなく、慈悲深く弟子に福報を貯めさせ、各所で身をもって範を示し、弟子を思っている。

2013年、尊勝なる直貢チェツァン法王が催した長壽仏法会に参加した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、ラピスラズリの鉢を心をこめて準備し、鉢の中には黄金、真珠、珊瑚、珍しい宝が無数に盛られ、最も良いもので上師を供養した。直貢チェツァン法王に対して恭敬の心、感恩の心、供養の心で天地諸仏菩薩がみな、称賛隨喜している。弟子たちが共に舞台に上がって尊勝なる直貢チェツァン法王を供養できるように、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が崇められるのを拒み、弟子たちと共に最後の一人として並んで供養することを選ぶ。リンチェンドルジェ・リンポチェの果位を持ってすれば、一番に舞台に上がって供養をするべきである。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは正信正念の仏法を弘めるため、名聞利養を求めないことを皆にはっきりと見せている。私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子たちにこのような殊勝な供養の機会に参加させたことに感恩した。私は自分に慚愧して問う。これほどに心をこめて供養し、弟子を無私に自愛する上師はいだだろうか?

2014年6月22日、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、全力を傾けて短期間の間に、一人で尊勝なる直貢チェツァン法王基金会の成立及び台湾での居留を完成させた。これほど困難な任務は、リンチェンドルジェ・リンポチェだからこそ達成できたのだ。そして、6月22日に夜会を成立させ、社会の大衆に円満に周知させることができ、このようにして上師の願いは達成された。

リンチェンドルジェ・リンポチェが毎年、行う大法会は、未だ如何なる功德主または点灯の価格表も設定せず、ただ参加するだけで、お金のあるなしに関わらず、衆生は一律に平等である。マンダラを献上したり、点灯したりするのは公開抽選でブラックボックスではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て「もしも何らかの名目を設定したなら、お金がない人はどうしたら良いのか?」と開示したことがある。仏法は金持ちのものではないし、協議価格で成立するものでもない。仏法の前で衆生は一律に平等であり、区別はない。外部の道場または寺廟ではほとんどこの点について説かない。大法会が終わり、リンチェンドルジェ・リンポチェもまた自由な発心に依る供養に自分の寄付を加え、内政部の社会司へ寄付し、緊急に助けを必要するとする人を助けた。

以前、ある兵士が事故に遭った。しかし体制の中で補償を得ることができなかった。内政部はリンチェンドルジェ・リンポチェの同意を得た後、その口座を兵士の家へ寄付した。この清いこころざしは、数十年間始終一貫していて変化したことがない。逆に見れば、自分自身、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する以前、新年には必ず寺廟へ行き家族の代わりに点灯や安斗、安太歳を費用を払って行ってきた。7月には、故人の名前を書いて済度し、陽世者の名前を書いて祈った。費用は少なくなかったし、効果があったのかどうかはわからない。皈依してから今日まで、私は今までリンチェンドルジェ・リンポチェが如何なる名目も設定せず、如何なる費用も徴収していないことに気づいた。このように清浄で徳を備えた上師は外部では真に見つけられない。リンチェンドルジェ・リンポチェは上師に対していつでも命令に従い、口答えをしない。私は、自分は上師に対して同じように服従しているか?と反問した。いいえ、服従していない。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはそれでもすべての弟子に気を配っている。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、出家弟子から如何なる供養も受けてはいけない。なぜなら、供養を受ければ返さなければならない。もしも仏法で返すことができないなら、後果はおそらく地獄に堕ちる。だから出家衆の衣食住行すべてはリンチェンドルジェ・リンポチェによって賄われる。それでこそ、出家衆は安心してリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学び高めることが出来る。他所で、このように永遠に弟子たちのことを考える徳を備えた上師を見つけることができようか?できるはずもない。リンチェンドルジェ・リンポチェがいつも弟子に福報を累積する機会を与え、弟子たちの自己の一滴の水を上師の功徳の海に溶かし入れてくださることに感恩した。

その他、出家弟子が往生すると、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐに出家衆の年老いた母の介護を引き継ぎ、年老いた母は充分な看護と世話を得る。上師の慈悲心は衆生の母親を自分の母のよう見る。嘗て死後処理のお金がない弟子を上師がお金を出して助けた。また、弟子は子供の面倒を見ることができないので、リンチェンドルジェ・リンポチェは経験のある保母を雇い、弟子は安心して学業を終えられる。病気や腫瘍がある弟子たちは真剣に話を聞き、リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の助けを得たことで、病気の痛みを軽くして仏を学ぶことが出来る。一切の一切はすべてリンチェンドルジェ・リンポチェに感恩する。その他、嘗て一人の弟子は死の淵に経っていた。幸いなことにリンチェンドルジェ・リンポチェの名前を大声で呼んだ。そしてこの弟子は死の淵から人間界に戻り、健康を回復した。現在またも一筋の龍であり、リンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲力と大威德力は真に感嘆するばかりである。

私は皈依してから日も浅く、上師に供養もしておらず道場で護持してもいないが、幸いにも、リンチェンドルジェ・リンポチェは私の祈りを聞いた。半月の間に二回も手術をした姑は痛みを感じることがなく、更には鬼門から返って来た。姑は、手足は不便で車椅子に乗らなければならないが、頭はしっかりしている。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持が私に数えられないほどの医療費、介護費を節約させ、道場で上師に従って仏を学ばせた。リンチェンドルジェ・リンポチェは息子も助けた。息子と妊婦の車が衝突した時、2人と3人の命に別状はなかった。もしも、問題が起こっていたなら、家は直ぐに困難に陥ったことだろう。私はどのようにして道場で上師に従って仏を学ぶべきか?上師の慈悲深い加持に感恩した。

ある時、私は兄弟子の紹介を通じて土地を買った。そして、その土地をリンチェンドルジェ・リンポチェに名義変更しようとした。もしかすると、閉關センターを建てられるかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは私にあの土地は、寺廟を建てるのに適さないし、リンチェンドルジェ・リンポチェは別荘を建てる予定はないのでと婉曲に断った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感嘆し、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分で使えなければ貪らない。嘗て兄弟子が2000万元余りの現金を供養しようとしたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは決して受け取らなかった。兄弟子が何度も供養をお願いしても、リンチェンドルジェ・リンポチェは始終変化しなかった。もしも他の人ならば、おそらくずっと前にとにかく現金を受け取っておき、その後はその時に考えようと思ったことだろう。

嘗て或る兄弟子は皈依して何年も経ちながら、ずっと上師に供養していないので、心を砕き、いくばくの供養金を準備し、上師を供養しようと考えた。謁見した時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に向かって、「あなたはお金がないので、一枚の札でよい。残りの99枚は全部返金する」と言った。その兄弟子は非常に感動し、上師はひとりひとりの心を完全に見通していることを確信した。リンチェンドルジェ・リンポチェの言動すべては弟子のためでないことはなく、心の深いところで恭敬すれば、上師にはわかる。

私は教えに従わずに仏を学んでいたので、果報は目の前にあった。去年、仏法テープを聞いてレポートを書く時、上「師」を間違えて上「司」と書いてしまった。それで2ヶ月間供養できない事、及び密法を学べないという罰を受けた。当時、私は心理的に非常にショックを受けていて、どうしてたった一字の間違いでこのような厳しい罰を受けなければならないのか信じられずにいた。しかし、上師の教法はそのように厳しいのであり、それはつまり、衆生に自分の間違いを気づかせるためである。私は以前顯教で、功德主になると福報を貯めることができ、功德主になることに夢中になり、法会に参加し、家で経を読み、持咒し、懺悔すれば、西方極楽世界に往生できると誤解していた事を思い出した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依するようになってから、それが事実と異なることを理解した。もしも徳を備えた上師の教えがなかったら、どれほど経を読んでも、どれほど懺悔しても、どれほど持咒しても生死を解脱して離苦得楽を得ることはできない。

私は、上師の慈悲殊勝な教法に感恩した。自分の傲慢さを懲らしめ、そして私は懺悔した。罰を与えられて供養ができないことは非常に痛苦である。リンチェンドルジェ・リンポチェの大功德海に参加できないことは非常に大きな損だ。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような果位に至るまでずっと修行していて大布施を行うことを途切れたことがない。ましてや平凡な我々どうなのか?自分が皈依した時の志と上師への約束を思い出した。今年3月8日謁見し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに四臂観音法門を祈った。リンチェンドルジェ・リンポチェは全グループの兄弟子の同意署名を得られたなら良いと慈悲深く指示した。これは一大事だと心の中で思った。私の一生の中で考えたこともないことで、100人以上の人に頭を下げて署名をお願いする必要がある。それは以前ならまったくできなかったことであるが、リンチェンドルジェ・リンポチェに掴みだされた。上師は嘗て開示したことがある。彼の教え方は弟子たちが最も嫌いな事をする。リンチェンドルジェ・リンポチェは私の皈依上師であり、上師の喜怒哀楽と罰の全ては弟子のためであり、私は完全に服従し、完全に言われたとおりにしなければならない。だから今も努力を継続中である。このような急所を突く教法は、外部では殆ど無い。

リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て仏法テープの中で、尊勝なる直貢チェツァン法王に質問したことを開示している。なぜ自分にはこんなにも多くの弟子がいるのか?それは彼らに借りがあるということなのか?直貢チェツァン法王はそうだと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子たちに借りがあり、弟子たちを上手く教えることができないと言った。私は非常に恥ずかしく思った。リンチェンドルジェ・リンポチェが上手く教えられないのではなく、弟子たちがしっかり学ばないのだ。上師にやっかいをかけ、弟子たちのために多くの間違いを背負う。自分で少しも助けることができない。上師は衆生がした一切を利益し、如何なるリターンも求めない。しかし、弟子たちは終わりなく上師に弟子の世話をさせ続ける。

全宇宙、全世界でこれほどに徳を備えた上師を見つけることはできない。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子たちと弟子たち家族の世話のために、更にはペットたちのためにもあり、つまりは山も、海も、天も地も含み、一日24時間、一年365日年中無休である。チェーン店のコンビニは24時間営業だが、店員は交代制である。リンチェンドルジェ・リンポチェには時間交代がなく、代わりの人もいない。仏法を広め、衆生を利益し、他人を成就させるために、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の生命財産すべてを犠牲にしている。リンチェンドルジェ・リンポチェは毎週土曜日に衆生と会い、仏法によって衆生の難病のような解決できない問題を助けているが、信衆からは僅かのお金も取らない。私は台湾の多くの地方へ行ったことがあるが、リンチェンドルジェ・リンポチェのような方法は見たことがない。大修行者でないのなら、このような事ができるはずがない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、毎週日曜日、道場で仏法を開示し、弟子たちを上師に近づけ、正信の仏法を聞かせ、同時に弟子たちを伴って、夜日課をする。アキ仏母及び護法の配慮に感謝し、道場に入ると正信正念の法の空気を感じる。法会が終わると、誰もが仏光によって照らされているように見え、顔は光に満ち満ちている。有名ブランドの美容液よりもずっと効果がある。リンチェンドルジェ・リンポチェの心ある厳しさに感恩し、日曜日ごとに弟子たちの眼、耳、鼻、舌、身、意を満足させ、弟子たちに福報を慈悲深く与える。日々多忙なリンチェンドルジェ・リンポチェは毎月、施身法を修め、自己の肉体を以って弟子一人ひとりが持ってきた大きな冤親債主に布施し、彼らに仏法の助けを与えて良い所へ行かせる。

私は皈依して3年になり、数十回施身法法会に参加している。今世の人のために幸せを祈り、往生した人のために超抜を求める。もしも、一人が1000元払えば、どれほどの費用がリンチェンドルジェ・リンポチェに届くかと思う。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェ弟子たちに支払いを要求したことがない。もしもリンチェンドルジェ・リンポチェがいなければ、皆はどうなるのだろうか?地球が滅びてしまい、何もかもなくなってしまうと信じている。そうなればどうやって仏を学ぶのか、どうやって生死解脱するのか、極楽浄土へ往生する機会はあるのか?私は兄弟子たちと共に、徳を備えたリンチェンドルジェ・リンポチェのために何が出来るかを真に考えることを頼んだ。皆は、元気を出して心を揃えて協力し一致団結する、そして一生懸命に取り組み、毎回道場を供養し、護持するチャンスをつかむ。そして真に行動を起こし、上師に弟子たちのために余計な心配をかけさせなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェは余力を以って功德海で苦難を受けている衆生を潤すことが出来る。上師と諸仏菩薩は我々が輪廻の苦を離脱することを助け、浄土へ行くのに障害がないようにする。

再び皆に同心齊力を呼びかけ、生生世世の上師リンチェンドルジェ・リンポチェが更に多くの衆生を利益し、仏法を弘め、仏法を途絶えさせることなく引き継ぎ、永遠にこの世にあることを呼びかけた。最後に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体安康、法輪常轉、佛法事業の興隆円満、有情衆生の無量無辺への利益、直貢噶舉教派の法脈と傳承の常住於世、常轉法輪、法界一切の衆生無量無辺への利益を祈願した。

皈依弟子 第二組 洪黎媚 謹んで書き上げます
2014年11月9日
修正2016年11月11日

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2019 年 01 月 17 日 更新