お知らせ

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、来る2009年3月4日に50名の寶吉祥弟子を率いてインドデラドンのヂャンチュウブリンに赴き、翌日の正午から7日間の閉関修行に入る。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが初めて弟子を率いた閉関となる。閉関期間の規定は非常に厳しい。話はできず、外部との連絡もできず、窓の外が見えず、隣の関房で誰かが大声で助けを求める声がしても、回答できず、風呂に入れず、髪を刈ったり、爪を切ったりする事が出来ず、石鹸と香りのある乳液等も使えず、毎日、朝の六時前に必ず起床し、夜の九時後に就寝し、昼寝もできない。昼食後に多少休息をとることができる他は、終日、仏法を修習し、閉関期間に病気になっても早目に出ることはできない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、2007年、ミラレバ尊者の閉関聖地──ネパールのラキ雪山で閉関する過程において、リンチェンドルジェ・リンポチェの心拍は一度、100を急激に下回り、呼吸が停止したが、突然意識を取り戻した。生命が危機にさらされるなかでも、リンポチェは自分の安全を省みることなく、それどころか護法神と本尊に「もし私の身体が衆生に何の役にも立たず、何の利益ももたらさないのであれば、どうぞ私をお連れください。もしまだ衆生の役に立ち、何らかの利益を生むのであれば、私を残してください」と祈られた。言葉を禁じられた閉関修行の過程において、リンチェンドルジェ・リンポチェは外部に助けを求めることなく、さらに自分のために修法することもなく、引き続き閉関し安全にこれを乗り越えた。リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生の利益を願う力が諸仏菩薩の加持を得たといっても過言ではない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは次の如く開示された。今回の閉関は観世音菩薩の心咒「六字大明呪」を修し、毎日4~6座を修めて、各座に二時間を所要する。リンチェンドルジェ・リンポチェはまたこうも開示された。ディクン・カギュ派は特に実修に重きをおき、それ故に閉関を極めて重要視する。多くの事は、閉関を経ないと体得できない。リンチェンドルジェ・リンポチェご本人は第一回目の閉関後、この世で肉食する業を解決なさり、45歳の時に患った皮膚癌を、仏教を学ぶことによりその業を抑えた。2007年に至り4500メートルのミラレパ尊者の閉関聖地─ネパールのラキ雪山で閉関修行を円満に終えると、2008年には顔面の皮膚癌の瘡蓋が完全に落ちた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは次の如く開示された。毎回、閉関期間には、リンチェンドルジェ・リンポチェの根本上師――ディクン・カギュ派のチェツァン法王が関房の近くでリンチェンドルジェ・リンポチェを加持され、毎回、閉関修行を円満に終了した際、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず円満なる閉関の功徳を根本上師である尊きチェツァン法王に供養し、同時に、閉関期間に現れた兆候を法王に報告し、法王もリンチェンドルジェ・リンポチェの修行による成就を認めた。今回、リンチェンドルジェ・リンポチェは50名の寶吉祥仏法センターの弟子を率いて閉関するのと同時に、リンチェンドルジェ・リンポチェも関房で閉関して、弟子の閉関を世話する。リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子に対する加護と配慮は、全面的で生々世々である。

2009 年 02 月 19 日 更新