282:具徳の金剛上師に出会う

1994年のことでした。家内から同僚がある修行者(金剛上師リンチェンドルジェリンポチェ)の色々な事跡を知っていることを聞いておりました。そのお方は、特殊な能力をお持ちで、病気で苦しんでいる人を助けることができますし、さまざまな事をお見通しになるとのことでした。当時仏教に対して認識はなく、接触したこともなかった私は、ただ民間信仰を信ずるのみで、家の中で陰暦の初日、十五日、春節節句、誕生日などを過ごす時には、三牲(豚、羊、牛)のお供えで祖先と神様を祭り、そして自分の食欲を満たしておりました。

金剛上師リンチェンドルジェリンポチェがおっしゃるように、私達は生まれた時から累世の業の外、現在に至るまでも無数の衆生を傷つけてきました。この末法の時代に生まれたのは、幸いだということはできません。あっという間に又輪廻に戻るので、もし縁あって品徳を備えた上師から正法を習い、輪廻の苦から解脱できなければ、どうして身の上の債務を返上することができるでありましょうか。

金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは特殊な能力を備え様々ななことをお見通しですが、その能力で財を得、利を求めることはなさいません。只一種の方便法門を衆生をお導きくださるのみです。正当な仏法は神通力とか占いを強調するものではありません。それらは私達が輪廻から解脱するには何の助けにもならないのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは例を挙げられて、嘗てお釈迦様の弟子で、神通力では第一人者の目犍蓮尊者が最後には外道に殴り殺されたけれど、理屈から言えば彼はこうした災難から逃げることができたはずだとおっしゃいました。そのほか当時釈迦族が滅ぼされると言うとき、大軍が接近してくると、目犍蓮尊者は佛になぜ彼らを救ってくださらないのかと問い、自分の神通力を通じて一族の者を缽の中に入れ、天へ送り上げようとしましたが、軍隊が過ぎ去った後缽を開けると中はすべて血となっていました。み仏は、業が定まっているので変えることはできません、この因果は、ある時釈迦族が池の魚を全部殺したことがあり、今のこの軍隊はあの時の魚たちであり、たとえ神通力があっても因果を変えることはできないとおっしゃいました。金剛上師は、仏とはいえ次の三つのことについてはどうしようもないのですといつもご開示くださいます。それは:「因果を変えることはできない、衆生のすべてを済度しつくせないこと、無縁の衆生は済度できないこと」です。良かれ悪しかれ世間で私達の身の上に起こる様々なことは、すべてが因果応報なのであり、故なくして生じることではありません。一切は、因果で、縁が生じ、消え去って行くのは、良いことも悪いこともすべて歓喜の心で受け入れるべきで、それも皆過ぎ去って行くものだと、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に私達に「縁に応じて過ごし、遭遇することに応じて安らけし」という考え方で生活しなさいと教えてくださいます。(「苦痛と快楽」のテープにより)。

その間に家族が次々亡くなりましたが、民間の仏教道教の区別の無い方法で亡くなった家族を弔うことしか私にはできませんでした。所謂仏教グループの人にお経を上げてもらい、初七日にはお寺で紙のお金、家、車…等を焼き、亡くなった家族があの世でこれらを使えるものと信じていました。そして高いお金を払って済度の法会に参加し、それで死者があの世へ無事渡ることが出来、残った家族はそれによって安心していたのです。更に、家族によってはお金だけ出して法會へ参加せず、お経を唱えてもらえばよいと考え、法會に参加を申し込みながら、色んな理由をつけて出席しないというのが一般的でした。真心が足りずにしては如何にして亡くなった者を済度することができましょうか。これらは私達が真理について不明であることを示しており、歴代の祖先、代々の父母が未だに苦しみの大海の中で、輪廻していることを知らないのです。

長期にしてチベット仏教の済度大法「施身法」に参加したあと、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御開示を得て深く知ったのは、以前亡くなった家族のためになした事はすべて間違っていたこと、仏法に準じていないので亡くなった先祖に済度の助けにはならないということでした。金剛上師は御開示なさいました。済度を得るのはとてもとても厳格なものであり、修法者は刀の刃の上で仏法を行うような厳しさで、少しでも貪欲の念があれば金剛(無間)地獄に陥り永遠に逃れることはできません。ですからこれを金銭で売買しようとするのは、貪欲な念の行為であり、亡くなったものも、貪欲の念とともに地獄へ陥るということです。修法者は絶対に慈悲心、見返りを求めない捧げ尽くす精神、布施の心で、先ず亡くなった人の願いを満足させてあげることで、そうすれば亡くなった人は安心して仏法を聞き入れて済度でき、参加する人も、より真心込めて敬虔な心、懺悔と信仰心を持つべきです。思えば私達はこの世で貪、瞋、痴の三つの毒により夢に悪念を起こし、心が浮ついていますが、私達に殺された衆生や亡き人々は苦海で生活しており、その恨みは消しがたいというのに、どうして静まることができましょうか。もし金剛上師の慈悲深きお導きが無ければ、どうしてこれらの人々の苦しみを慰め鎮め、済度することができるでしょうか。金剛上師はいつも世間での済度法には一定の値段がついていて、一人亡くなるといくらと決まっていて、しかもそれぞれの仏法に異なる値段がついており、往々にして家族は通知が来るとお金を支払い、お金を払えば寺廟や出家した人が読経してくれ、それで亡くなった人は済度できるとでも思っているようで、法会に参加するかしないかは重要ではなく、或いは法会の初めや終わりごろにちょっと出席するという人が多いけれども、このような考え方は誠意も懇切な心もなく、貪念で法会を考えており、亡くなった家族は決して受け入れてくれませんとおっしゃいます。ちなみに、私達がこの世で誰かの助けが必要な時に、相手に誠意が無かったら、それを受け入れられますか? その場で相手を罵ることだってありましょう。しかしながら亡くなった方々は、苦海でただ無言でいるのみで、生きている人がしかるべき方法でこれらの人々を助けようとすれば、済度を得るのは不可能なのです。

『助念』について金剛上師は嘗て御開示なさいました。現在世間では、人が亡くなると仏教団体に頼んで亡くなった人の家に手伝いに来てもらったり、或いは亡くなった人の霊前でお経を唱えてもらって、喪の家族を慰める……等の行為を助念としていますが、じつはこれらは本当の仏法ではありません。仏教のお経の中で『助念』と言うのは、亡くなった人は生前、法に準じて修行した人であり、死に際には体力の不足のために仏号を一心不乱に唱えることが出来ず別の妄想が起きるので、亡くなろうとしている人と共に修行していた人(同じ修行の場で共に仏法を学んでいた兄弟子達、一般民間が言う『夫婦』ではない)に仏号を唱えてもらい、その人が死に際に浄土へ往生する信念を固くするものであります。更に佛号を唱えるの人は、何も求めない清浄な心で、懇切丁寧に唱えてはじめて臨終の人を助けることができるわけで、非常に神聖なる事なので、決していい加減な気持ちではいけません。その人が亡くなってお経を唱えるのが必要となっても、一番いいのは家族自身が傍で唱えることで、他の所謂お経を唱えてくれる団体或いは専門の助念団体の人を呼ぶことはありません。というのは呼ばれてきた人達は、亡くなった人の家族のような誠意ある心、親身の心の痛さを持てないからです。外の人は助念すれば功徳が持て、福報を得ることが出来るといった見返りを求める心(貪欲)でお役に立つことを考えるので、亡くなった人は、その人達の助けを得ることができないのです。仏菩薩は見返りをもとめず、無怨無悔の心で苦しみを持つ衆生をお助けなさるので、貪欲を持つ者はその反対の道を歩むことであり、衆生の苦しみを和らげることはできないのです。

1996年10月になりようやく金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお逢いする機会がきました。当時家内のもう一人の同僚の子供が原因不明の心臓の痛みで、立つことも出来ず、しゃっくりが止まりませんでした。西洋医学東洋医学のあらゆる医者に通っても、良い結果は得られず、リンチェンドルジェ・リンポチェにお縋りする事になりました。当時家族全員車でその同僚を迎えに行き、民生住宅区の以前の道場へ連れて行きましたが、道場は小さく、一般の家の中の仏間と客間を一緒にしたようなものでした。初めて現場へ入りましたが、とても気持ちよく清浄でした。当時リンチェンドルジェ・リンポチェはいつものように手で患者の手の上空をかすめ、数秒停止なさいました。(今になって分かったのはこれは入定というものだったのです)その後母親に蛙を子供に作って食べさせたことがあるのではないかとお聞きになりましたが、実はその通りだったのです。それがしゃっくりが出て蛙のような鳴き声をする原因だとおっしゃいました。母親はどうして良いか分からないでいましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは御慈愛深くある金属を子供の頭上に置き(金剛杵での御加持)、二粒の薬を子供に食べさせました(甘露丸)。又母親も家庭生活でよく夫婦喧嘩することについて質問しました。リンチェンドルジェ・リンポチェはいつものようにその同僚の主人の名前を書いてもらい入定に入り、そして老人の絵が、家のキッチンの近くにあるのではないのかとお訊ねになり、家に帰ってそれを見つけて、二週間後また道場に来るようにとおっしゃいました。二週間後に、リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしたときには、子供の症状は改善され、またキッチンには確かに壺の上に寿桃老翁の図案があるのを探し出しました。それは結婚の時のお祝いでしたが、リンチェンドルジェ・リンポチェはその障害物を捨てるようにとおっしゃいました。

又、私の子供は10ヶ月ちょっとで歩きはじめたところでしたが、一緒に道場へ連れて行き、大人がリンチェンドルジェ・リンポチェに御開示を願っている時、子供があちこち椅子の近くを這い回るのを放っておき、子供が法机の上のものを触ったりして、リンチェンドルジェ・リンポチェにピシャリと叱られました。親が子供を教えず、人の家に来て子供がなすままにして放っておくとはどういうことだと。あらゆる事を御開示くださって、リンチェンドルジェ・リンポチェはおっしゃいました:「土曜日の晩ここで仏法を説いています。参加しても良いですよ」。私達は参加することを承諾し、今に至るまでずっと参加しています。この一家の人も、二回法会へ参加したことがあり、子供は奇跡のようにしゃっくりがでなくなりました。法会へ参加してちょっとした時、ある晩私の子供が突然ポットのお湯のスイッチを押し、右手が熱湯に触れて重度の火傷をしました。ちゃんと手当てを受けなければ変形する恐れがあるというのです。長庚病院での急診から二日目に、リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしに行った時、会うなり上師は:「とうとう事が起きましたね、これは転重軽受(重きを転じて軽く受く)のです」そして手の上に息を吹きかけ、呪文を唱え御加持下さいました。当時何が「転重軽受」なのか分かりませんでした。また根気が足りない故に、上師に御開示をお願いすることも知らず、それが今になってようやく分かってきたのです。

これは何という殊勝の因縁でしょうか。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従って、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、諸仏菩薩の庇護のもとに、長年一家安泰迷いなく常に仏法の薫陶を受けることが出来るのは、すべて金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子の私に恩徳を与えてくださったお蔭であり、私としては精進して仏法を学び、教えを実行し、代々累積した一切の悪習を断ち切ってはじめて、輪廻の苦から脱することができ、そうすれば四恩に報いる事が出来るのです。

私の子供の事で、深く感じたことは、これは現代の親があまりにも子供を甘やかして、子供が欲しいものは何でも与え、愛の教育で子供を教える…等放縦な態度で子供を躾るのは、悪く言えば「しつけなし」というものあるということです。リンチェンドルジェ・リンポチェが御開示なさったことがあります。「愛」というものは対象があって、好きな人や物があれば自分が独占したいという心であり、即ち貪欲の念、執念の最大の表現であります。子供の頃から貪欲な心を養ってしまいますと、社会に出てからは社会の乱れを起こすことになります。リンチェンドルジェ・リンポチェは常に、仏法は世間の法から離れるものではなく、一人一人の行為振る舞いから私達が常に悪をなす原因が分かるとおっしゃいます。リンチェンドルジェ・リンポチェは、事を成すのに好い加減で用心深くない、他の人の立場を考えない、規則をわきまえず、礼儀作法を知らない…等幼い時から生活の中で厳しく躾されていないから悪い習慣が身に付いたのだと、いつも私達におっしゃいます。勿論代々引き続けてきた悪習もあり、それは何時でも何処でも無意識に現れるものです。例えば立ち居振る舞い、食べるにしても礼儀作法に反する…等一切は皆生活の小さいことから過ちを犯してゆくのです。台湾へ勉強に来たばかりの時、学校ではまだ道徳倫理の教育を重んじていて、礼、義、廉、恥及び仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の八種の徳等、社会や家庭で一個人としての規則に従うことを教えていましたが、今はあまりそういったことを強調しなくなり、家でも両親は事業で忙しくしていて、子供に教えることを怠るようになってしまっています。私が幼い時、母は私達に食事する時のテーブルマナーを教えてくれたことを憶えています。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがおっしゃたように、食事する前にみんなで食卓に就き、親や、お年寄りが箸を先に使ってからみんなが使い始めるものでした。おかずを挟む時茶碗で汁を受け、こぼさないようにしなければいけませんし(以前のテーブルは丸い回転盤がなかったのです)、二人同時に箸を重ねておかずを挟むなど、好きなものを奪い合うのを禁じられていました。そんなことをすればその場で手の甲を叩かれました。子供としては、親より早起きしなければなりませんし、夜は親の寝所をととのえ、朝はご機嫌を伺い、寒い日には熱いタオルを床の傍で準備し親が起きた時顔を拭いていただいたことでした。これら師に仕え親孝行する礼儀は、金剛上師が常に私達に教えてくださることであり、生活の一つ一つが即ち仏法であり、どれだけお経を唱えたか、どのぐらい仏を拝んだかが仏法を学ぶだけではありません。(当然として教えられたことは実行しなければいけませんが)こうした生活の中での小さなことで、私達はよく過ちを犯すものであり、だからこそリンチェンドルジェ・リンポチェがおっしゃったこと、仏法のこと、衆生のことについて私達は決しておろそかにせず心して行うべきです。

金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは:『人の道を成さずんば、仏道を成すこと難し』ということを常におっしゃいます。人道者は十善法円満なる聖人(善人)になるため修行し、仏道は諸仏菩薩の浄土であり、その中、阿弥陀仏の浄土が最も殊勝であり、そこは誰もが最後に一番たどり着きたいところなのです。金剛上師は、私達に如何にしてたどり着くかといつも問われます。世間には間違った考えがあって、亡くなった人に往生布団を掛け、テープで流して佛号を唱え続け、助念団の専門業者にお経を唱えてもらうか、或いは価格の決められた得度法によって、きっと辿りつくことができると信じています。こうした事は佛教のお経には記載されていないもので、それは後の世代の我々が考え出したものなのです。それによって亡くなった人は絶対に浄土へ辿りつくことはできませし、不如法と言えましょう。金剛上師は常に「施身法」を修める時、浄土へ辿りつくには条件があると強調なさっています。お経の中の一字一句は全て『真実語』であると リンチェンドルジェ・リンポチェは常に御開示なさっています:阿弥陀仏経の中に詳しく記載されており、浄土は「諸善人が一箇所に集う処」、そこは全ての『善人』が集まる所であり、しかも「少善根福徳の因縁をもってかの国に生ずる事を得べからず。」、「善男善女」しか辿りつけないところであります。私達は十善法の条件を行ったでしょうか?

金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは福徳は修行して身に付くものであり、因縁がなければ浄土に辿りつくことはできないと、いつもおっしゃっています。「福徳」この二字は、「福」は福報、「徳」は功徳であり、二つの異なることです。これは金銭で買うことができるのではなく、寄付すれば福報があるものでもないのです。世間は常に功徳を口にし、お経の上の名詞を乱用して、ちょっとした善事をなせば功徳だと思い込みがちですが、実際には只少しだけの福報を積むことは、福報のないこと、功徳のないことと同じなのです。多くの人は、自分が「独りよがり」の善事をたくさんしたと自慢するのですが、実際、「功徳」は修行の法門を頼りに衆生のためにするというのが正確な修行の道なのです。

金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、「福徳」は六波羅密の修行を通じて次第に得ることであり、前三条件の(布施、持戒、忍辱)は福報を修行するものであり、福報の修行ができていなければ、後の功徳の三つの条件(精進、禅定、智慧)を修することはできませんから、戒、定、慧の境地への悟りはできないとおっしゃいます。金剛上師は常に布施供養の重要性を説かれますが、それはできるだけ早く福報を積む唯一の方法であり、そして出発点と心持は正確でなければならず、見返りを求めない布施こそ真の福報であると、開示なさいました。

金剛上師は常に私達に、直ちに悪行を断ち切り、善事を行え、念じることは善念であれと、すべて私たちを浄土の道へと、厳しい教えでお導きくださるのですが、私たちは前進した道を又折り返すようなことをよくしているのです。「善男善女」は十善法を修めた円満な四衆であり、心の中に少しの悪念も持たない人であります。私達はなんと幸運なのでしょう。高徳を備えた金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが常に私達を勉励してくださり、私達の心をしっかり見つめてくださっているのですから。また私達はなんと不幸でしょうか。常に自分の心を甘やかして、教義に従い実行することができないのですから。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは仏菩薩のように衆生を見捨てない心で私達をお世話してくださるのです。若し私達がこの世での自分を把握せず、上師との因縁を大事にせず、生死輪廻を重ねる三界から離脱しようと決心しないで、常にこの五濁の悪世の虜になり、信じる心、敬する心、懺悔する心で厳格な教えを受け入れなければ、因縁を失った時はどうすることもできず、ただ苦しむばかりです。

金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えの下で、上師の一字一句の教えを得ることは、とてもためになり、私達が十善法を修めるのに莫大な助けとなります。常に上師の恩徳を心に銘じ、一刻一秒といえど、自分の心をよく見つめてはじめて、得難い人身を無駄に使う事にならないですむのです。勇気をもって前進し、悪を遠のけ善事を行い、修行に精進いたします。

金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝します。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが末長くこの世に常住なさり、法輪常に転じますようにと祈願いたします!

弟子 方国安 敬具

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2016 年 03 月 20 日 更新