306:尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着ます

昔から家に何か不調なことがある度に、母はいつもあっちこっちに神様や風水の占いの力を頼りに解決案を探し求めていました。もちろん、何回も功徳主ということをしていました。なのに私達にしてみれば不調な事は何一つ解決されていなかったし、そのために母の迷信ぶりに呆れて、すべての宗教に強烈な抵抗そして深い誤解が生じました。しかし、縁があって兄弟子と同級生になり、彼が家で修行している漢人リンチェンドルジェ・リンポチェが報酬を求めずにお婆ちゃんのためにポワ法を修めて、お婆ちゃんが済度できるようにさせました。そして仏法を学び法会を参加するのは父母の体の健康のためであり、父母が仏法のお助けを得られるためであると話しました。このような考えは私の仏法に対する概念を変えてくれました、そして、法会に参加してみたい気持ちも起こさせられていたけれど、ただ私は始終黙っていました。

2007年9月、初めて私も殊勝済度大法会を参加する機会を得り、慈悲尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに会うことが出来ました。しかし自分の福報が足りず、自らリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する縁がなかったのです。2007年10月、兄弟子の祖母が病気で亡くなったため、私には2回目に拝謁の機会がやってきました。今度こそと奮発して リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しに行きました。最初は自分の心の持ち方が間違いとか福報が足りないかもしれないと心配していましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェにどうして法会に参加したいのかと聞かれたとき、両親のために両親の力になりたいためと答えたところ、リンチェンドルジェ・リンポチェが難色を示されたので、私は早めの予防をしたい、間に合わなくなるのを見たくないからと補足しました。すると、リンチェンドルジェ・リンポチェが目を閉じて考え込んでいて、両親が私の法会参加には賛成するかどうかを質問しました。子供の時から何をしようとすべて自己責任でしてきたから、私はしっかりと両親が同意してくれると言いました。その答えを出したら、リンチェンドルジェ・リンポチェが少し考えてから日曜日の共修法会の参加を許可してくれました。私もそのきっかけで菜食始めようと決心しました。翌年春節元日の法会の出席は、皈依していないけれど日曜の法会を参加したことのある信衆もできるとリンチェンドルジェ・リンポチェが同意しました。当時私は両親が反対するかもしれないと心配していたため、すぐには申し込まなかったです。しかし大晦日が近づくとある日に、私は勇気を出して両親に元日の法会を参加したいと話してみたら、両親が反対していなく、ただ迷信しないようにといわれました。それで私は元日の法会を順調に参加することが出来ました。

法会を参加して半年あまりを経ったところ、2008年1月の皈依とすれ違ったけど、6月の皈依法会前ギリギリで両親に私が皈依したいことを伝えたら、両親が髪を剃るの?としか聞かず、意外に反対はしませんでした。母にちゃんと説明をして両親の許しをえて、順調に皈依できました。それから現在に至って、両親は時々私の菜食に栄養足りるかどうかを心配してくれて、菜食ばかりにしなくてもよいと言うだけで、私の素食や仏法学ぶには反対はしていませんでした。きっと自分がいろいろと至らなかったからでしょう。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェから仏法を習う機会を頂いて、自分の行為や心の持ち方に見直すことに結びつくことに恩を感じます。決して慈悲な金剛上師が弟子に諄々と説いて聞かせた教えを忘れることはしません。仏法を生活の根本として懺悔します。 リンチェンドルジェ・リンポチェの教誨を銘記し随時付き従い、因果を信じ深く、生死を解脱することが今生の本業として励み、衆生の代わりに仏法を学習します。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに恩を感じ、心から感謝しております。

弟子 黃嘉芬 2008年1月23日

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2016 年 05 月 01 日 更新