お知らせ

2011年9月、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは226人の寶吉祥仏法センターの弟子を連れて、チベットに赴いて、そして17日に尊勝なる第36任直貢チョンツァン法王に謁見しに行った。寶吉祥弟子達は尊勝なる直貢チョンツァン法王に拝謁することができるだけではなくて、更に直貢チョンツァン法王が一人一人加持され、及びハーダ、念珠とタンカを賜っていただいた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは18日にまた弟子達を連れて、直貢噶舉教派祖寺である直貢梯寺を訪問して、そして弟子を率いて仏寺の主殿で金剛薩埵を修めて、更にアキ護法殿でアキ護法儀軌を修めた。その時直貢梯寺で、雨が降り、雪が降ったことが現れて、また同時に太陽があるように珍しい天象であり、そして大型の黒色の鷲群が上空にぐるぐる回っていて離れなくて、これらはすべて天竜護法がリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を利益する広大な功徳を賛嘆して、現れた瑞象である。

今度のチベットのスケジュールに関するニュースが発表した後、弟子達は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに追随してチベットに向かうことができるのがきわめて貴重な機会であることを知っていて、その故、申し込みは非常に積極的であり、ツアーに参加する予定の定員を大幅に超えて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが無比な慈悲で、弟子達をすべて上師に追随する機会があることをさせて、弟子達が心の中にたいへん感謝している。

出発する前に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはまたわざわざ事前に弟子達のために高山病の症状を緩和する補充品を用意して、弟子達にチベットに向かう前に服用をし始めさせて、高山病の病状を軽減するため。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に対してきわめて愛護して、ご多忙中依然として弟子達に注意深く手配を忘れないで、自ら旅行社に日程の計画を立てるように指示して、弟子達の衣食住と行きに安穏で心地良くさせて、個人健康の方面にも、最上な状態で維持することができる。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが父と同じように、弟子達への配慮が行き届いているのである。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは9月15日昼ごろ、四川成都双流国際空港に到着して、空港の税関を出るとすぐ出家の弟子達が生花とハタを捧げて、寶吉祥弟子達が空港で列に並んでリンチェンドルジェ・リンポチェの到着を恭しく迎えた。

その夜、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達と晩餐会をし、弟子達に大修行者と共に食事することができる福報があるようにさせて、青海省旅遊局(観光局)の局長も自ら出席して、そして尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと同じテーブルで精致な食事をするように招かれた。晩餐会のホテルも更にロビーの上方で「チベット仏教直貢噶舉教派寶吉祥リンチェンドルジェ・リンポチェのご光臨を歓迎」という大型の赤色の幕を手配して掲げられて、大修行者の到来を歓迎する。食事が終わった後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは今回チベットに向かって注意するべきな事項に応じて、弟子達に次の通り慈悲によく言いつけた。

多くの者は初めてチベットに行くから、皆がチベットに着く後に、あまりに興奮してあちこちに歩いて記念写真を撮らないでください。このような行為はとても酸素を消耗するから。通常高原に上がって、1日目には異状が何もなくて、2、3日目には高山病が現れる。皆が入浴する時、あまりに熱い水を使わないでください、熱過ぎる水で入浴するとたいへん酸素を消耗するためである。高原でも、いっぱい食べないで、約7割ぐらい食べたらもう十分であり、いっぱい食べると酸素を消耗するのがとても速い。

チベットに到着する時、あちこちにも走らないでください、動作を緩めて、落ち着くようにする。飛行機が下がる時、青空を見て興奮になり始めて、飛行機をおりて急いで写真を撮らないでください。何故かと言うと、このようにあちこち歩いたら、とても酸素を消耗するから。自分の体がとてもよくて問題ないと思わないでください、高山病が現れる者は、あれらの自分の体がとても良いと思っている人であるかもしれなくて、あれらの体がもともと状況があり、或いは年上がかえって大丈夫である。

チベットにある時、太陽があるから、熱いと感じるとすぐアウターを脱ぐと思わないでください。高原地区の温度差は非常に大きくて、太陽がある所と太陽がない所はその温度差は5~10度であり、もしアウターを着ていないならば、風が吹いてきる時、すぐ風邪を引く。高原地区の風は平地の風と違い、とても寒くて、そなた達は平地の気候に慣れて、毛孔が開いているので、高原の風に吹かれると風邪を引く。外で熱い時、アウターをせっかちに脱がないでください。車の上に戻ったら比較的に大丈夫であり、屋外にいる時にも、アウターとマフラーをすべて着なければならない。メンバーの中では、もし咳をするか熱が出る病状がある人であれば、チベットに行かないでください。なぜかというと伝染するから。

リンチェンドルジェ・リンポチェはチベットで多くの事を処理しなければならなくて、そなた達を加持してあげることができないから、体が状況が出る時にただリンチェンドルジェ・リンポチェに加持されるように祈り求めたらいいと思わないでください。リンチェンドルジェ・リンポチェは先に皆とはっきり言って、絶対に加持しない。実は、そなた達がもし事故が起きて亡くなったら、それではリンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達にポワ法を修めてあげるから、もし亡くならないと、人は台湾に帰るだろう。特に子供を連れて来る弟子達は、自分の子供をしっかり見て、子供が泣いてやかましくならないでください、泣いて喧しくすることは高山病を発生しやすい;或いは、子供が熱いと言って、すぐ彼にアウターを脱ぐように手伝わないでください。もし子供は病気になるならば、自分が苦労して、その時にまた子供を抱いてリンチェンドルジェ・リンポチェの部屋の入り口で跪いて加持を求めないでください。リンチェンドルジェ・リンポチェの部屋番号は秘密であり、そなた達は教えた事を聞き取らないで事故が起きたら、ガイドさんはリンチェンドルジェ・リンポチェの部屋番号をそなた達に絶対に教えないのである。

若しそなた達は呼吸出来ないと感じると、急いで深呼吸しないで。こうすれば反って酸素を消耗する。だから、酸欠を感じる時、冷静でゆっくりに呼吸すればいい。皆は赤砂糖を用意したが、酸欠を感じる時赤砂糖を食べる効果は高山病を予防する薬を飲むより速い。気持ちが悪いと感じれば、赤砂糖を食べるとかなり緩和できる。暇なら、彼方此方に歩かないで、ベッドに横臥して休むやテレビを見たほうがいい。酸欠すれば、ある時に人に怒らせた。兎に角ゆくっりして、余り激動しない。

ある者はガイドさんに何処で天珠を買えられると聞いた。真の天珠は少なくとも百万人民元以上かかる。若しそなた達はこの金が有れば、リンチェンドルジェ・リンポチェに供養したほうがいい。天珠を買えたい人は彼は仏法を信じなくて、天珠をつけると守りが有ると思う事を表した。若し天珠をつけると守りがあるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは天珠をつけて、直貢チェツァン法王に自分が修めないと伝えた。更に閉関修行も必要がない。皆は騙されないで、本当のいい古い天珠は全て活仏及び金持ちに持たれた。そなた達は街で新しい天珠は数十元人民元から数万人民元までもあった。若しそなた達は本当に欲しいなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に一杯を与えられる。所謂一眼、二眼、九眼などあると思わないで、実は多くのは偽物で、全ては瑪瑙で加工して、強酸で色を染めた。このような天珠をつけるなら、体に役に立つだろうか。守りがある可能性があるだろうか。実は天珠は全く守りが無くて、唯財産の象徴である。

祥楽旅行社のガイドはそなた達を連れてショッピングしない。そなた達もガイドに依頼して買い物を連れるべきではない。そなた達は自分が買い物に行けば、誓約書をサインして責任を取った。若し悪い物を買うと、旅行社と関わらない。

ある者は聖地巡礼旅行団を参加して、彼方此方を文句して、旅行社は自分が欲しい事を行わないと思った。若しそなた達は十倍の費用を払えば、専門の人は一対一でそなたをサービスできる。そうしないと、皆と一緒に居る。若し満足しないなら、先に台湾に帰ってもいい。外に出掛けると、他人の美点を賞賛して欠点だけ見ないで。そうすれば、自分で勝手に怒りを受ける。そなた達は今回チベットに行くのはいい物を得られるや何かいい事を発生するなど期待しないで。リンチェンドルジェ・リンポチェは今回皆を率いて、チベットに行く目的は尊勝なる直貢チョンツアン法王に拝謁とディクンティ寺に行くつもり。また皆に政府はチベット地区のために造った建設を見せた。リンチェンドルジェ・リンポチェは1994年チベットにきた時、ポタラ宮は既に非常に損害された。この数年間、若し政府は引き続きに修繕していないと、今日恐らくポタラ宮を見えない。

我々は他人の所に来ると、他人に自分の考え方を満足させる事を要求すべきではない。どんなところでも美点と欠点がある。たとえ自分の家でも欠点があるが、完璧とは不可能だ。今日逆に他人は我々の所に来ても、見慣れない所もある。我々は今日出掛けた機会があって、他人の長所を学べば、成長する機会があって、今回の旅も意義がある。

そなた達はディクンティ寺に到着すれば、寺は皆に酥油茶(バターちゃ)を招待する。チベット人の習慣は引き続きに客を入れている。そなた達は若し多く飲めたくないや酥油茶の味を慣れないなら、相手に知らせる。断ると恥ずかしいと思わないで。また、寺も熱情的に皆にお菓子を接待するが、若し食べたくないなら言う。離れる時、多くお菓子や飴を持ち帰らない。寺にこのような接待されると、自分は他人と違うと思わないで。それは唯チベット人は客を接待する一般的な熱情だ。そなた達は他人の家を訪れると、他人は自然に熱情的に接待する。そなた達も分かるが、若し寶吉祥仏法センターの名をつけないと、このような待遇を受けられない。唯一般的な観光客としてみる。

チベット地区に於いて、ある時子供がそなた達に物を求める事に遇うかもしれない。その時勝手にあげない方がいい。それはあげると、多くの子供は揃える。ある職業性の子供はそなた達が明るい色の服を着る事を見て、わざと黒い手でそなたの服を捉まって、そなたに金を与えなければならない。皆は団体で行動して、一人で離さない。必ず時間を守って、ガイドは一人や二人のために、200人余り団員に待たさない。若し集合時間、出発時間になると、ガイドは人を待たさなくて直接に出発する。そなたは1分間を遅刻して、200名余り団員に待たせば、他人の200分間の時間を浪費すると同じだ。ガイドも若し団員を待たさないと団員は事故に遭う可能など心配しないで、全ての団員は保険を付保している。先も言ったが、若し彼達は死ねば、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼達のためにポワ法を修める。だから、心配する必要がない。若しガイドは徹底的に実行しないと、ガイドはラサに残って帰る必要がない。

今日晩餐会が終わった後、皆はホテルに戻ると彼方此方に人とチャットして、明日の朝早い飛行機に乗るから、徹夜にチャットして、時間になれば直接出発できると思わないで。だから、皆は帰ってからゆっくりに休みなさい。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に丁寧に話した後、青海省旅遊局呉局長を要請して、皆にスピーチした。局長はリンチェンドルジェ・リンポチェの要請を感謝して、皆に今回の旅チベットに来て、旅行は楽しいと祝福した。また皆に青海に観光する機会があると望んだ。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは再び開示された。局長のスピーチ及び青海で協力を多くいただいた事を感謝した。皆は呉局長に習うべきだ。彼は青海省旅遊局局長として、皆にチベットで観光愉快を祝福した。局長はとても度量が広いと現した。

晩餐会は楽しい雰囲気で円満に終わった。弟子達尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが会場を離れる事を見送った。全ての団員は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して、無比な感謝の気持ちを抱いて、ガイドに従って其々にホテルに戻って休んで、殊勝なチベットの旅のために、体力を養う。

9月16日、寶吉祥仏法センター弟子は成都から出発して、飛行機に搭乗して西蔵の首府ラサ市へ行った。ラサに到着すると祥楽旅行社はすぐ団体に随行する医者さんが全部の団員のため健康検察を手配した。心臓の鼓動と血の酸素の濃度を測量して、車の中にも医療用のガスボンベが備えて、不時のため用意した。

午後4時30分、寶吉祥弟子はホテルのロビーで尊いリンチェンドルジェ・リンポチェがラサに到着するのを歓迎するためお待ちしており、ホテルもドアに「歓迎 蔵伝仏教直貢噶舉教活仏リンチェンドルジェ・リンポチェ光臨」と巨大な赤字の垂れ幕を配置して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを歓迎する。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが到着してばかり、すぐ苦労して泊りホテルへ、弟子達が恭しくホテルで待ったのを見て、旅が疲れたがやはりきわめて慈悲で目つきで全部の弟子を加持して、さらに止って、慈愛で1人10月大きさの赤ちゃんの頭を触って、特に加持を与えた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはいつも弟子を考えて、弟子達は全部大変恩に着た。

あの晩、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはもう一度寶吉祥弟子達に殊勝な得難いチャンスを与えて、弟子達にリンチェンドルジェ・リンポチェと一緒に食事を享受するチャンスを有らせた。晩の宴会のレストランへ出発する時、リンチェンドルジェ・リンポチェが宿泊ホテルの上の空に、極めて明らかな1本の巨大な龍の形の彩雲が現れて気勢が目覚しかった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な大成就は龍天護法さえ全部主動的に護持しに来て、賛嘆させた。

晩餐会の時、南珠ケンポスと貢珠尼瑪と全部招かれて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと一緒に食事をした。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはとても忙しくて、多くの事を手配必要だが、やはり弟子達の果物とご飯を加持するのを忘れずに、弟子達に必ず取ると言いつけた。多くの弟子ははじめて高い海抜のラサに来て、高原反応症状が現れた、その悪い感じはすぐ軽くなって、ひいては消えてしまって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持力は本当に不思議だった。

9月17日朝10時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝な直貢チョンツアン法王に伺う予定時間より1時間を早めに行って直貢チョンツアン法王を恭しく待った。午前11時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのご指示及び統率の下に、寶吉祥弟子達は直貢チョンツアン法王の事務所へ自らで尊勝な直貢チョンツアン法王に伺った。寶吉祥弟子達は恭しく一々に入って尊勝な直貢チョンツアン法王に拝見して、尊勝な直貢チョンツアン法王は自らで全部の寶吉祥弟子に美しい八吉祥ハダ、念珠とタンカを賜った。過程の中に、リンチェンドルジェ・リンポチェはずっと直貢チョンツアン法王の側に連れてあげて、どの弟子にも大変難い加持のチャンスを得させた。法王に拝見する時、ある6才位の皈依した弟子は酸素含有量が60%しかないため、気分がたいへん悪くて、入り口にしゃがんで立ち上がることができなくて、慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェはあの弟子を加持して与えて、その弟子は本来とても気分が悪くて、なにも食べられなくて、力がなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を得た後すぐ食べられて高山症の症状もなくなった。尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達のためこの珍しい善縁を作って、寶吉祥弟子達に一々に尊勝な直貢チョンツァン法王が自らでの加持を受け取らせて、寶吉祥弟子達は上師の深く熱く恩徳を感じて、涙は思わずにこんこんと流して来た。

団体の随行するガイドと添乗員達もついにこんな貴重なチャンスがあって、尊勝な直貢チョンツァン法王に謁見して直貢チョンツァン法王が自らで下さったプレゼントを受け取った。ガイドと添乗員達全部極めて恩に着て、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェがは率いる西蔵団体を接待しなければ、例えラサに住んでいる居民さえ、尊勝な直貢チョンツァン法王に拝見したくても容易ではない。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェでなければ、寶吉祥弟子はこの一生に尊勝な直貢チョンツァン法王に謁見して加持を賜ったとの殊勝な因縁があるわけがない。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは絶えずに弟子達のため善縁を作って、自分の疲れさを問わず弟子達を引き連れて、巡礼して、時々刻々弟子を加持して世話をした。弟子達が晩の宴会の中に尊いリンチェンドルジェ・リンポチェへの供養金さえもリンチェンドルジェ・リンポチェが全額を尊勝な直貢チョンツァン法王に供養して、弟子達のため仏を学ぶ資糧を蓄積した。寶吉祥弟子達は深く尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの無比な慈悲を体得して、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子にの恩徳がこんなに広大である。

あの晩、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは一日を通じて疲れたが、やはり大変慈悲で弟子達と一緒に夕食をして、弟子達のため大成就者と共同受用な殊勝な因縁を作った。晩の宴会の時、現場での13名ホテルのサービス人員は両手が合わせてリンチェンドルジェ・リンポチェの目の前に敬って跪いて尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を賜るように願った。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の疲れを問わず、手で法器を持ってこれらのサービス人員のため長く念仏して加持した。この時、もう一人頭にコックさんの帽子をかけてコックさんも速めにロビーに入って、帽子を取って敬って跪いて手が十にあわせた。加持が終わった後、レストランのサービス人員は全て十分恩に着て嬉しくて、ある者は自分の上着を引っ張って、全身が発熱舌との現れで、ある者も楽しい表情で、自分の頭のてっぺんと他の者と討論した。

尊いリンチェンドルジェ・リンポチェはもう一度食事を加持して、弟子達に分けて食用と言いつけて、弟子達は皆大変感激した。

西蔵地域では、新鮮な果物を食べるのが非常に十分ではなく、祥楽旅行社は特に多くの果物をかって、全部の団員に足りる果物を取らせて、旅行社の用心が明らか見える。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達の父親のようにいつまでも弟子達の状況を関心を持って、またお体具合が悪い弟子のためにホテルにお粥を用意するように言いつけた。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェはこんなに慈愛で弟子達の世話をして、弟子達が苦労を受けるのを惜しんで、いつも一番良いものを弟子達にやるように考えた。寶吉祥弟子達はこんなに幸福である。

9月18日午前、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥の弟子達を連れで直貢梯寺に向いて、直貢梯寺の管理人が自ら仏寺の入り口で真心をもってリンチェンドルジェ・リンポチェを恭しく迎えて、寺院は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを歓迎するために、特にバター茶、ヨーグルト、葡萄、多くのクッキーとキャンディを用意して、そして、最高な規格で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを接待した。
リンチェンドルジェ・リンポチェはこの数年間全力を尽くして直貢梯寺を護持しているから、その故仏寺のラマ僧はすべてリンチェンドルジェ・リンポチェにきわめて恩に着て且つ恭しくて、その故、寶吉祥弟子達をも真心をもって接待してあげた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは仏寺の大殿に入った後に、仏寺のラマ僧はリンチェンドルジェ・リンポチェが主法する座席にすぐ隣に位置している席に座ることを恭しくお願い申し上げて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に貴重な仏法の開示を与えた。

今日、皆が来たのは直貢噶舉の第1基の仏寺の直貢梯寺で、祖師ジッテン・サムゴンが創建され、この正殿がつまり当年祖師のジッテン・サムゴンが法を諭されたところである。リンチェンドルジェ・リンポチェは1994年に直貢梯寺に始めて来る時、現在皆がいる大殿と主要な建築だけがあって、道路さえなくて、近くが全て田で、しかし、此の数年間、寺院のラマ僧達の努力の下で、現在の直貢梯寺がすでに非常に雄壮偉大で造った。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢梯寺ととても深く因縁があって、直貢梯寺の金頂が直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに指示して造ったのである。直貢チェツァン法王は開示した事があり、直貢梯寺の金頂が完成すると、直貢噶舉教派の三盛んでいる時である。今のところ、金頂が完成してから、直貢噶舉教派は直貢チェツァン法王の予言の通りに盛んになって行った。

直貢噶舉教派は今回の興旺が歴史の第3回目である。直貢噶舉教派の初めの興旺は祖師のジッテン・サムゴンがいた時代で、その時、直貢梯寺の近くに18万人の出家衆を超えていた。直貢噶舉教派の寺院は全て深山の中で、他の教派の寺院が市区に於ける事のようではなかった。だからある言い方は山が直貢山で、堤が直貢堤で、つまり、直貢噶舉教派の修行の状況を説明するのである。直貢噶舉教派は実際な修行を重んじていて、閉関修行を主として、直貢梯寺の後ろの山に多くの小さいの部屋を見えて、それらが関房である。だから、直貢噶舉の弟子として、実際な修行するはずで、弟子がただ加護を求めて、教法に従って実際な行わないなら、結局全て離れた。

ドラブ・ワン・リンポチェがまた生きている時に、リンチェンドルジェ・リンポチェに直貢梯寺の伝統を護持する事を指示させた事があった。直貢梯寺の毎年の12月に、45日を期間して24時間で中断しないで250位のラマ僧が六字大明咒を唱える事を進行している。しかし、此の伝統は歴史の衝撃なので、結構長い期間で中断した。ドラブ・ワン・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェが此の伝統を護持して、伝統を続けさせる事を望んでいた。だから、此の数年間、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢梯寺の此の伝統の進行を護持し、これからも続けて護持していった。直貢梯寺は六字大明咒の唱える伝統がとても殊勝で、しかし、今日の時間が足りないのえ、多く説かなかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは既に数年に直貢梯寺に来ていない事があって、前回が2004年で、だから、今日、正殿で金剛薩埵を特に修めて、直貢噶舉教派がまた多くの事業を行うので、この法を修めて障碍を減少し取り除くよう祈願する。弟子達はリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝修法に一緒に感謝した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが直貢梯寺の正殿で金剛薩埵と廻向を修めた後、直貢梯寺のラマ僧達と信衆の求めの下、とても慈悲深く彼らを一人一人で加持した。上師の絶えずに加持と保護があったので、寶吉祥の弟子はこのような殊勝な因縁があって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って教派の祖寺に帰られて、弟子達がが全て感激して涙に噎んだ。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥の弟子達を連れで、アチ護法殿で護法を修めていた。海抜の4千数メートルの高さの直貢梯寺にいたけれども、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの足並みが速くてしっかりしていて、多くの若い弟子でも暫く休んで続けて前進しなければならなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェが全然休まないで、恐らく生命の危険があった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に護法殿に着けるの為、率先して最も前に歩いて、たとえ高山の病気のため、調子が悪い弟子達が上師が皆に率いて前進する事を見ると、全て勇気をあげて従って向いて、それから、殊勝な護法殿につけて、その上、上師の率いて護法を修められた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に福報を累積させる為に、自身の安全を全然気にしないで、上師の限りが無い恩徳が寶吉祥弟子が深く心に留めた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが護法殿に間も無く入る前に、空の中に急に大きな太陽を出して、雪が降りながら雨が降っている瑞相が現れて、そして多くの大きな黒色の鷲は護法殿の上でぐるぐる回っていて、地元の人も通常にこれらの鳥がこんなに高く飛ぶことができないと言って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがこのような現象がとても良い徴候と開示して、此れはアチ護法が嬉しい事を代表した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは護法殿を入ると、すぐにアチ護法に大礼派をして、高い海抜の地区でこのように疲れて修法して、急速に歩いて、体力をとても消耗しやすかった。リンチェンドルジェ・リンポチェが大礼派をしていた時に、気力の消耗が多く過ぎるため、扈従により支えて助けてから起きられて始めて、然し、リンチェンドルジェ・リンポチェが依然として、礼拝の儀軌を堅持して完成し、自分の事を全然考えなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェが護法と伝承に対する100パーセントの恭しさが顕れた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの連れで寶吉祥の弟子が護法殿で護法儀軌を修めて終った後、加持力が無比な強くて、弟子達がとても震撼した。修法が円満になって、寶吉祥弟子達は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝修法をくちを揃え感謝して、声も立てずに泣いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、護法殿の左側の柱の上に1つの宝物があって竜王が海から祖師のジッテン・サムゴンに供養した事、と慈悲深く開示した。それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは側殿に向いて、テンジン・ニンマ・リンポチェの法写真と仏像にハダを捧げて、そして、寺院の休憩室で暫くお休みを行った。此の長い旅の直貢梯寺の日程は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにとても疲れさせて、然し、離れる前に、多くの現地の信衆がリンチェンドルジェ・リンポチェの車の前に加持を求めて来て、リンチェンドルジェ・リンポチェが依然としてとても慈悲深くて加持して与えて、金剛乗の成就者がこのように何も保留しないで衆生に利益した。

その上、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが直貢梯寺に滞在期間で、多くの大きな鷲を飛んできて、直貢梯寺の上の空に絶えずにぐるぐる回った。寶吉祥の弟子達はこのような福報を瑞相を目撃し、此れは全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って、全ての弟子達は賛嘆しながら感謝した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは教派と直貢梯寺の全力の護持のため、寶吉祥弟子達が直貢梯寺を離れる時に、直貢梯寺ラマ僧から送ったハダと無比な貴重な甘露丸をもらえた。今回チベットの聖地を巡礼するの向いた寶吉祥弟子は多くの人々が癌症、脳血管瘤等の重病の患者、老人と幼児で、然し、尊き金剛上師のリンチェンドルジェ・リンポチェの無比な殊勝な加持力の下、今回226位の参加した寶吉祥弟子が全て4千メートルの直貢梯寺に安全に向く事が出来で、甚だしきに至ってはある骨ガンに罹ってしかもガン細胞がすでに骨髄に深く入り込んだ弟子は、杖をも使わないで直貢梯寺に登って蔵経閣を回ることができ、上師の恩徳が如何に広大で、仏法の力が本当に不思議である。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢梯寺からラサに戻った後に、完全に休んでいないで、多くの助けを求める僧尼と信衆を接見し続けた。夜、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に大修行者と一緒に夕食して、福報を累積する機会を慈悲深く与えた。行程の最後の夜に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達の身体が何か調子が悪い、皆がよく食べて寝る事に続けて関心した。寶吉祥弟子達はとても感謝し、その上、上師の疲れをかわいがって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがこのような自分の全て命を何も求めず一切な有情衆生に利益した。

2011 年 10 月 14 日 更新