お知らせ

2010年10月3日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、台北世界貿易センターの南港展覧館で、年度の殊勝な「チベット仏教直貢噶舉教派阿弥陀仏無遮大超度法会」を主催し、これは  リンチェンドルジェ・リンポチェが台湾で第六回目にこの大法会を主催して、且つ、この展覧館で開催するのは初めてであり、参加者の人数も既に2万人を上回って、日本、香港、オランダ、フランス、インド、ニュージーランド、オーストラリア、米国、イギリス、カナダ、フィリピン、ブラジル、中国大陸などを含む国外の信者達がわざわざ台湾へ参加しに来た。法会が円満に終了した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは弁護士、会計師及び銀行專員を招いて立会いして頂き、参加者が供養した新台湾ドル600万元余り供養金を公益慈善事業の費用として全額内政部に寄贈した。

過去の大済度法会と全く同じように、あらゆる参加者はいかなる媒體で宣傳も廣告もせず、ただ寶吉祥仏法センターの弟子達の口コミで、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲願力を伝えるだけで、申し込んで参加しに来たのである。半数以上の参加者は始めてチベット仏教の法会に参加するのであるが、しかし リンチェンドルジェ・リンポチェの大摂受力のもと、法会の会場は非常に静かで秩序であり、参加者はきわめて専念にリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の開示を聞き、及びリンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を率いて 阿弥陀仏の心呪を600遍唱えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは円満に修法し終わった後、更に苦労と思わないで自ら電動車の上で立って会場全体を回って、甘露水を参加者に撒浄して(撒浄は浄水を撒き散らして浄める儀式)加持して、皆の身、口、意を清浄する。すべての撒浄過程は40分間続けて、リンチェンドルジェ・リンポチェは少しも休まないで甘露水を吸い込んでいる重い吉祥草を振って、清浄な甘露水を、首を長くして渇望する衆生に撒き散らして、衆生の願を満たすため、自分の体の負荷を大切にしなくて、その場面がとても厳粛であり人を感動させた。法会が円満に完成した後に、台湾の多くのメディアはリンチェンドルジェ・リンポチェが法を修めて衆生を済度して、参列者に撒浄して加持して、供養金を社会公益事業として寄付したニュースを掲載された。その中のたくさんのメディアも著しい紙面でリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲に甘露水で法会の参加者に撒浄して加持した写真を掲載された。このニュースを報道されたメディアは中央社、Yahoo奇摩ニュース、自由時報、聯合ニュースネット、中時電子報、e-APPLEニュース、PCHomeニュース、MSNニュース、新浪ニュース、Sina全球ニュース、華視ニュースネット、わがE政府などを含んだ。

法会は8時30分に定刻に始まって、リンチェンドルジェ・リンポチェは経幡、楽器、八供女の先導及び宝傘の護送の下で、電動車に搭乗して広大な会場を横切って壇城に上がった。恭しく仏菩薩に頂礼して、尊き 直貢チェツァン法王の如意寶と 直貢チョン・ツァン法王の如意寶の法座にハタを捧げて点灯して仏を供養した後に、リンチェンドルジェ・リンポチェは法席に昇り、参列者に次のように殊勝に開示された。

今日修めるのは阿弥陀仏無遮大済度法であり、一般的に言えば、仏法は顕教と金剛乗の修行する方法に分けられて、顕教は因地から修行して、金剛乗は果地から修行するのである。

阿弥陀仏無遮大済度法は直貢噶舉第三十七代のチェ・ツァン法王が自らリンチェンドルジェ・リンポチェに授かったのであり、岩伝法に属する。岩伝法は金剛乗の中の1種の特有な法門で、通常本尊から直接に行者に伝授する。阿弥陀仏は釈迦牟尼仏が紹介なされる大願力、尊き仏である。釈迦牟尼仏は《阿弥陀経》、《無量寿経》と《観無量寿経》の中で阿弥陀仏及び浄土に往生する方法を紹介なされたことがあったが、ただ自分のために修行する方法だけであり、自分に浄土に行かせることしかできなくて、他の人に浄土に往生させる方法について、この三冊のお経も全然記載されてないのである。今日修める阿弥陀仏大済度法は蓮師が自ら阿弥陀仏の浄土に行って、阿弥陀仏に伝授されていただいて世の中に持って帰る法門である。

この法を習うためチベット仏教でとても厳格な次第の修行する方式があって、直貢噶舉教派で金剛乗の法(それも密法だと称す)を修行するのは、まずは少なくとも十年間の顕教基礎をなくてはいけなくて、お経と論についてすべて明らかに認識することができてから、はじめて上師が金剛乗の修法を伝えることを決定する。そして金剛乗の修行する方式は先に不共四加行を修めなければならない。不共四加行は金剛乗を修行する者が修めるのである。それは十万遍の大礼拝であり、そなた達が見たことがあるのはチベット人が全身土地に伏せて仏を礼拝する方法である。そして、10万遍金剛薩埵の長い真言を唱えて、この呪は全部100字があって、それから10万遍マンダラを捧げて、これは供養を修めるためのである。最後は10万遍の上師相応法を修行することである。

不共四加行を全部修行し終わった後に、上師は始めてそなたに本尊を教授することになり、先に灌頂を受け入れる後、更に閉関で本尊の心呪を100万唱えなければならない。もし観音の法門を修行する行者ならば、閉関の部屋の中で観音菩薩の心呪―六字大明呪を100万遍唱えて、その上本尊と相応することができるまで修め得て、上師の確認を通じてから成就することを言える。阿弥陀仏大済度法を修習することについて言えば、行者は先に阿弥陀仏の灌頂を受け入れて、閉関で阿弥陀仏の心呪を100万唱えてから、そして本尊と相応することができるまで修め得て、法本に記載されてある円満な徴候を生む。その後、ポワ法を学んで、行者はポワ法を成就しなければならなくて、はじめて阿弥陀仏大済度法を修習することができて、普通な行者はすべて自分のため修めるのであるが、他の人のため法を修めるまで修め得る行者がとても少ない。

どうしてこのように面倒をかけるか。例を挙げて説明すれば、もしそなた達は台北から高雄に行きたい場合であれば、人に聞く時に、ある人が飛行機か電車などの交通機関に搭乗するように答えること、より良いのはそなたに駅がどこにあるかと言うこと、もっと良いのは自らそなたを駅まだ案内してそなたが乗車することを見ること、最も良いのは彼が自分で高雄に行ったことがあって、その上お金を出してあなたと一緒に乗車して目的地まで連れて行くことである。これは多くの者は浄土宗を修行したらとてもいいと言っていて、浄土に往生することができるから、これは大体そなたの使う交通機関だけを教えたのである。阿弥陀仏を唱える者は他人に駅の位置を教えることができて、もう自分が確かにこの一世に浄土に往生しなければならない者はそなたを連れて駅に行くことができて、浄土に行ったことがあってその上この世に既に自分が確かに生死に解脱できて、浄土に往生することができる金剛乗の行者は、この人に娑婆世界から西方極楽世界まで連れられていく資格がある。

以上諭したのはこの法、及び修法する人の条件であり、引き続いて、法会に参加する者の心と動機の重要さを開示する。ずっとから、リンチェンドルジェ・リンポチェが催したすべての大法会では、きっと衆生の平等をやり遂げて、つまり、そなたの身分が特別であるかどうか、お金があるかどうか、社会の地位がそんなに高くないなどことを問わずに、すべては参加することができる。仏菩薩の前に、衆生が平等である。今日の阿弥陀仏無遮大超度法会は無遮であり、参加する衆生が皆平等で、功徳主をも設けないで、主動にいかなる政府の高官或いは知名な人物をも招待していない。何故かというと、リンチェンドルジェ・リンポチェはすべて縁に従って、そなた達の衆生の縁に従うからである。

修法者は平等心で法を修めて、また参加者の心は第一恭敬心があって、仏経に三宝に敬うとある。恭敬は即ち供養である。そうすれば、そなた達に福報を累積させて、仏法を聞けて、仏法の助けを受け入れる。金剛乗は主法者を本尊として無二無別と認められると主張した。若しそなた達は主法者を阿弥陀仏として認めれば、阿弥陀仏の加持を得る。若し主法者を凡夫として認めれば、凡夫の加持を得る。仏法は分別せず、唯そなた達の心は分別するだけだ。それはそなた達は誠心があるかどうかも決める。

参加者の心に対して、第二は懺悔心が持たないと出来ない。無始以来から、六道衆生は苦海の中に不断に輪廻して連れてくるのは業しかいない。善業があり、悪業がある。小悪を行っても構わなくて、小善さえ行いたくないと思わないで。地蔵菩薩は有る世の母は生前鼈の卵が好きなので、死んだ後地獄に堕ちる。そなた達は此の世に肉を食べて、衆生を傷付けて、貪瞋痴から起こった一切悪念は全て懺悔しなければならない。懺悔とは二つの方面から説明する。第一は懺であり、第二は悔である。懺とは間違いを分かって、一切結果を受けて、責任を負って、向き合う。悔とは間違いを分かった後、永遠に再び犯さない。

第三、法会に参加する時、散乱の心を持つ事が出来ない。六波羅蜜の中に一項の修行は精進である。それは心は法を専念されなければならない。後程の儀軌の中に自分はまだ用事があって何故まだ終わってないと思わないで。上師及び仏菩薩に対して、法会に参加する事より重要な事はない。若しそなたと約束した人はそなたを待たず、そなたは現れないせいで何か取り消しされたなら、そなたは法会に参加したせいではなくて、元々相手は誠意を持っていない。そなた達はちょうどこのきっかけで彼を試して、そなたに本当に誠意を持つかどうか。仏を学んで、法会に参加しても、そなたに伴侶を失って、事業を失って、財を損なわないわけではない。全てはそなたのことだ。何故最後まで法会に参加しただろう。若し中途半端すれば、円満になるだろうか。ある二人は他人経由でリンチェンドルジェ・リンポチェに法会を参加したいが、三十分しか参加できない。その後は他のスケジュールがあるからと伝えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは分かってから、彼達は来ないほうがいいと言った。若し彼達は来ると、暫くしてから身を上げる時、皆に妨げて、気を散らさせる。若しそなた達は専念に法会に参加すれば、今日得た福と縁はそなた達の未来に対してとても大きい助けがある。

第四、慈悲心を持つ。今日まだ多くの衆生は福と縁がなくてこの法会に参加できない。彼達に対して、憐憫心を持つ。そなた達は法会に参加する時、例えどんな理由で来ても、この法縁により一切有情衆生が未来仏法を習う機会があって、生死を解脱できることを望む。

第五、傲慢の心を持たない。若し、今日法会に来て、どんな事を行なう気持ちを持ってきたのは傲慢の心だ。若し、そなた達の母、夫、妻、友達に無理させたせいで来たのは此れも傲慢の心だ。また主法上師は行った事は自分も出来ると思わないで、リンチェンドルジェ・リンポチェは多く準備したから、此処で二万人を直面できた。常に密宗の法会の中に下の人は動いたり、手印をしたりしいている。このような行いは全て異常だ。手印をするのは密を習う事を表さない。唯印だけだ。法会に参加する者はこの五種類の心を具えれば、広大の衆生を利益できる。

本来チベットで阿弥陀仏大超度法を修めるのは一日にかからなければならない。しかし現在は商業社会なので、リンチェンドルジェ・リンポチェは日曜日でも皆は用事が有って、忙しいのを分かった。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分を苦労して、法を修める時間は半日を短縮する。此れは内容を減少する事ではなくて、唯リンチェンドルジェ・リンポチェは禅定と専念の力を通して、速度を増して修法の時間を濃縮する。皆は暫く我慢してください。

このような大きい法会を組み立てた事はかなり簡単ではない。今回阿弥陀仏大超度法では宣傳、廣告、テレビ報道もなく、マスコミに知らせずに二万人が法会に参加した事は極めて得難いだ。それはリンチェンドルジェ・リンポチェは縁を信じるから。八百数年前直貢噶舉派 祖師ジッテン・サムゴンは十八万出家弟子があった。チベット、このような交通不便で情報は余り流れていない所でこの弟子は如何なる来ただろう。此れは全て縁である。そなた達は今日この大法会に参加できて、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ずそなた達は過去世に阿弥陀仏を唱えて、過去世も金剛乗を接触した事を断言した。そうしないと、金剛乗の法会に参加しない。我々は福を惜しんで縁を惜しむと言われたが、つまり、正法を聞く機会があったら、この法を続けている。皆は拝む気持ちを持たないのを望んだ。そうすれば今日の時間を無駄にしたから。

毎年リンチェンドルジェ・リンポチェは主催した大法会は全て一年に近く準備していた。多くの人力、財力、物質を用いた。それは全て仏の恩、衆生の恩、上師の恩を報える。リンチェンドルジェ・リンポチェは今日の修法により、皆は今日如何なる気持ちを持って法会に参加したのを問わず、このような大きい金剛乗法会に参加したから、皆は未来必ず福報を増して、事情は必ず転じると信じた。法会の後、若し少し事故に遭っても自分は運がついていないと思わないで。此れは重い報い軽く受ける事だ。本来最もひどい事件は起こる。

後程から始めて修法して、専念しなければならない。若しそなた達はその後用事が有って、途中に離れるつもりなら、それは専念しない。若しそなた達は10時や11時に約束があれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは先に離れる事をお願いした。恥ずかしいと思わないで。そうしないと、若し途中に進んで、そなたは離れて祖先はまだ此処に残ったら如何しよう。そなたに食べられた動物はそなたを追いかけた。そなたはお金を払わないから、離れても損なわない。しかし、損失もかなり大きい。せめて台湾に於いて二万人の法会を行なうのは殆ど他の機会があって行えないから。更に宣伝もせず、また余り有名ではないリンチェンドルジェ・リンポチェは主法した。こんな多くの人は来たのは台湾の大福報だ。更に今日皆法会に参加して、同時に財施、法施、無畏施を行える。そうすればそなたは来世必ず善の助け及び変化を得られる。そなたは残る事を決めると、逃げないで。そうしないと、夜中にそなたの祖先に殴られるかもしれない。昔ある者はリンチェンドルジェ・リンポチェをおごった時、何人の若い女性を連れて来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは見たが、彼の亡くなった祖母は彼の側に殴って、彼に食事したのに、多くの人を連れたのはお金を浪費したを叱れた。

続いて,リンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な阿弥陀仏大済度法会を始めた、それに、法会の参加者皆に簡単に行う儀軌を説明して,まず三皈依、発心、駆魔である。駆魔をするのは、大法会は沢山衆生を利益することが出来るので恨み重い鬼達に嫉妬の心を起こさせて、お邪魔に来た、修法の過程に妨碍を避けるように行者は先ず慈悲心で駆魔をするのである。その後、献八供を進んで、阿弥陀仏が壇城に来て彼の仏光でこのところを加持するように祈る、接いで呪を唱える内容は浄土の一切殊勝なお水、宮殿、お花、お草などを紹介して、及び阿弥陀仏、大勢至菩薩と観音菩薩の荘厳法像を描いた。これのある部分儀軌はチベットで通常ラマ僧から読みが、今日リンチェンドルジェ・リンポチェが唱えるので割合に速かった。儀軌が続いて進んで、法本の内容はまた阿弥陀仏の功徳を讃嘆して、西方三聖を壇城まで迎えて、西方三聖に対しての供養は、献八供と五妙欲供である。

法本のなかに説いた、いつも阿弥陀仏の聖号を読めば非時で死亡することはしない、つまり意外で死亡する事はしない、それに、一切災害を取り除くことが出来て、われらは常に阿弥陀仏を礼賛するべきである。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を引き連れて阿弥陀仏の心呪を唱える時、そなた達は目をつぶさないで、呪文を唱えるとき目を閉じすれば、一番目、昏迷に堕ちて、幻覚も起しやすかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達を引き連れて阿弥陀仏心呪文を読む、そなた達は自らで読むと思わないで、集中してリンチェンドルジェ・リンポチェが呪文を唱える声をよく聞いて、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って呪文を読んで、そうするとそなた達は心呪を唱える功徳と仏菩薩及び上師の功徳大海と一緒で、大変広大になった、そなたは自分が読むと思えば、その功徳はそんなに大きくない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を引率して500回の阿弥陀仏心呪を読んだ後、慈悲で、法会の参加者皆の懇願に応じてまた皆を連れてもう100回阿弥陀仏心呪を唱えた。

続いては、身、口、意と自性の四灌頂である。常に弟子信者を灌頂する時四灌頂をしなくて全部三灌頂をするが、今日阿弥陀仏大超度法会を行うため、行者は自分の肉体が本尊と同じな清浄な法身になる必要があるから。引き続き、供茶と供飯の儀軌を進んだ。チベットの気候は寒いので、儀軌の間に、皆にすこし食べさせるので、供飯とのことがあって、現在は只象徴的に少しを食べることになった。ついで、八名チベットの服装を着た少女が壇城に上がって歌を献納して、リンチェンドルジェ・リンポチェは申された:これらの八名は顕教にとって八供女と呼ばれているが、金剛乗にとってダーキニーの代表である、唄った歌はダーキニーが供えた歌で、仏菩薩と上師と護法に供養するとの示すである。続きは、薈供儀軌で、供品を壇城、法王法座と主法上師リンチェンドルジェ・リンポチェに上供した後、勤労奉仕は灑浄された供品を一々法会の参加者皆に配った。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された:法本の中に述べた、仏菩薩と一緒に食べ物を享受するのはとても善の因縁で、未来仏になる因果を植えたのである。だから、供品を貰ったら全部食べてしまわないで、少しを外の人に残る。

リンチェンドルジェ・リンポチェはテーブルの上にの一枚デスクを指して、皆に仰った、今日法会の参加者と済度する者のネムリストーは全部スクリーンの上に投影して皆に見せた、済度するネムリストは科学の方法でデスクに記録して、一枚デスクの中に沢山名前を載せる、これは寶吉祥仏法センターの使い方で、仏経が説いたのとも合致した、一つの微塵世界にはまだ1つの微塵世界があった、だから名前を黄色紙に貼り出すのが役に立つとは限られない。続いて、一番大切な済度儀軌を進み、リンチェンドルジェ・リンポチェは全て法会の参加者を起立させて、化粧室へ行ったのも直ちに会場に戻らせて、侍従が全て法会の参加者と彼らの祖先の代表として絶えずに仏菩薩、上師に恭しく辞儀をして、また「中陰は閻魔関に恐れて、悩み苦痛に苦しめて、凄涼所の俳徊者、慈悲力の助けを祈る」を唱えた。衆生は死亡した後まだ投胎する時即ち「中陰身」で、凄涼の所で極めて恐れて、諸仏菩薩に皈依するのを祈請する、それに諸仏菩薩が大慈悲力でこれら苦しんでいる衆生を助けるのを懇願する、さらに、皆に教えた、丁寧で済度される祖先、眷属を代表して仏菩薩に三回辞儀をする。リンチェンドルジェ・リンポチェは大変強大な慈悲力で、お自らの無量な功徳で、密法を修め得た巨大な能力で今日皆が済度したい衆生を全部阿弥陀仏浄土へ済度してしまった。

最後に、済度したネムリストを焼いてしまう、民間のように火化する時に亡者を早く走らせるのをまねしないで、既に全部済度してしまったから。これによって亡者累世の悩みと習性を取り除いて、彼らは始めて安心で浄土でよく修行する。

済度法は円満終了して、リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて仰った:毎年大法会にリンチェンドルジェ・リンポチェは皆に素食するのをお勧めた。現在西方国さえも始めて素食するのを唱導している、しかし、かれらは健康を促すため導く。台北市にあるキリスト教病院も全員職員をはじめ、医者さん、看護婦、患者まで全て素食するのを定めた、それは医者さんは臨床経験により素食する患者の方は回復状況が割合に良いと分かったから。仏経の中に説いた、肉を食べるのは慈悲の種を切断する、そなたは衆生の肉さえも絶えなければ、どのように慈悲心を培養出すのか?慈悲こそ仏法のもとで、慈悲がなければ、そなた達が呪文を唱えて、念仏して、礼仏しても役に立たない。仏菩薩がそなたを加護してくれると希望して、しかしどうしても素食しなくて、言えるか?

リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に助けてあげて、しかし、そなた達が衆生の肉を続けて食って、このような悪性循環をしたら、そなた達が法会に参加する事が無効である。実には、現代人が雑症難病或は治せず病気に罹るのは総て殺業から来た。リンチェンドルジェ・リンポチェはその場である法会の撮影者に、若し菜食しないなら、今後リンチェンドルジェ・リンポチェに撮影する事が出来ない、と説いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは諄々な善導して、何回目説いて聞かせて、ただ皆が悪を行う事を断絶して、悪を得る事を避ける事を望んでいる。

仏教には、有る人は生前に阿弥陀仏を唱えて、往生していく事を祈っても、然し、業が清浄しないで、死亡の寸前にある人は彼を正念を起こして浄土に往生する事を祈る事を勧めても、然し、若し肉食をしたり、五辛をしたりする人がお見舞いに来たら、彼の一切の正念がすぐに消えてしまって、だから、これにより肉食をする事が有害があって利益がない。

リンチェンドルジェ・リンポチェはが仏を学ぶ前には、海鮮が精通して食べた。仏を学ぶと、因果の恐ろしさを知って初めって、因果が必ず発生する事が分かっている。そなたの健康、家庭と国の為には、殺生をしてはいけない。天気変化はこんなに道理に合わなくて、これも人々が肉食をする事と関係がある。修行者は生きている時間には皆に絶えずに助けてあげて、皆も自分を助けなければならない。寶吉祥仏法センターの弟子達はお金を出して力を尽くして、そなた達が参加を来る事を得てもらった。表面的には、リンチェンドルジェ・リンポチェが法を修めるが、皆の参列がないなら、今日にこのような因縁でこんなに多くの衆生に利益する事が出来る法会がない。

そなた達は今日2万人程が参加するが、そなた達の各々が連れて来る衆生が真に無量で、そなた達は各々がただ1千人の衆生を連れて来ても、既に2千万人が済度が要る。昨日、リンチェンドルジェ・リンポチェはその故に殆ど眠る事が無いで、これは衆生が列を作って待っているわけである。今日、リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような殊勝な法を修めて、それからの3日間に自分も極めて苦労する。今日、そなた達は一つの大きな善事を作って、この善を続けて延びていて、培養していく。

肉食をすると悪を得る事は菩薩或は上師からそなたに処罰することと思ってはいけない、そなたが食べた衆生である。リンチェンドルジェ・リンポチェの有る弟子は、自分の子供の時に手を折った事がある事を言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは、これは彼女が嘗て海老と蟹を攫んだ事があり、蟹の爪を折ったので、手がこのようになった、と開示された。寶吉祥仏法センターには、このような因果の物語が一杯があり、そなた達が聞いたら恐れている。自分は菜食をしたら、付き合う相手がいない事と思って行けない、肉を食べる酒肉友達は何か良さがない。女の子は菜食をしたら、綺麗になって、男の子は菜食をしたら身体が一層に健康になっている。

リンチェンドルジェ・リンポチェは既に60歳余り、朝8時余りから法座を昇って、午後1時まで、起こしてお手洗いへ行ったこともない、ところで、多くの参列者がお手洗いに行きたいために、会場にに彼方此方に歩いて、その上、多くのが若い者である。リンチェンドルジェ・リンポチェの調子はこれらの若い者により良い、調子が良いのは一方が菜食するわけで、もう一つが密法を修める事と関係がある。リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で若い人に氷を食べてはいけない事を勧めてあげて、そうすると身体が小便をする事をこんなに我慢できない事がない。

法会の最後には、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りて会場を回して、自ら甘露水を以って皆に灑淨をしてあげる事を宣言して、その上、灑淨により皆の身口意の罪業を清浄する事が出来て、身体が健康して、皆の福報を累積してあげて、皆に未来に速めに仏を学ぶ事が出来て、それから生死輪廻を解脱する事が出来る、と開示された。灑淨する過程には皆が席を離れる事が要らなくて、ただ本来の席で座るが十分で、リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら電動車を乗って会場を回して皆に殊勝な灑淨をしてあげて、参列者は同時に領衆法師に従って廻向文を唱えた。

すぐさま、リンチェンドルジェ・リンポチェは壇城から歩いて下りて、八供女と随扈を先導して道を開いて、各々座席を回して、各々で甘露水にて参列者に灑淨をしてあげた。リンチェンドルジェ・リンポチェは自身の脊椎が曲がりと頚椎が移位の問題に関わらず、始めてから終りまでずっと車に立って、絶えずに手持ちの吉祥草により懸命に参列者の為に清浄な甘露水を散布してあげて、甘露水が一回で一回で参列者の身に散布して、多くの人々は手を挙げて嬉しくて甘露水を迎えて、その上、多くの信衆は両方の道側に跪いて、恭しく合掌してリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝加持を感謝して、また、一部の信衆はリンチェンドルジェ・リンポチェの車に従って、殊勝で得難い灑淨加持を得る事を望んでいる。リンチェンドルジェ・リンポチェは苦労を厭わないで各々の所を回して、参列者は会場で設立の大きなスクリーンにてリンチェンドルジェ・リンポチェが各々の所に向いて自ら灑淨をする画面を見て、深く感動を受け入れてから、半分以上の参列者は起立してリンチェンドルジェ・リンポチェを恭しく待って、拍手の音と喝采の声が彼方此方に起して、会場には感謝と喜びを揃えて、参列者はリンチェンドルジェ・リンポチェが一回でまた一回で灑淨をする動作を見てから、感動させて、多くの人々が思わずに涙を流した。

本来計画した回すルートはただ会場での何本より幅広い道を経て、リンチェンドルジェ・リンポチェも回して灑淨をする後に会場を離れる予定である。リンチェンドルジェ・リンポチェの自身は既にずぶ濡れてになって、それで大幅に手を振って灑淨をする事も痩せた身体に大幅に動揺させて、体力が早く損耗した。但し、多くのブロックの参列者は依然として両手を挙げて灑淨を望んでいて、リンチェンドルジェ・リンポチェは自動車をもっと多く本の通りを続けて回す事を指示させて、より多くの参列者に甘露の加持を得させられて、まるではてがない輪廻苦海の中に苦労に奔走して、無量の衆生を済度するようにしていて、自身の調子を完全に関わらず、無私無我で信衆たちの希求を満足させた。清浄な甘露の雨、南港世界貿易展覧館の会場に直ちに浄土に変わって、衆生が加持と救度を渇望する心がこんなに急いで、仏と差別無しのリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲心が顕露の余すところなくのである。

尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェは法座を下りて参列者に灑淨させる事を見てから、全体の寶吉祥弟子たちは恭しく立って、尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生達の需要を満足するために、自分の年を取っている体、頸椎転位、腰椎S型側弯症、右肩の関節に滑液嚢がないこと(骨と骨が直接に摩擦する)、ひじと手の碗の関節が痛い病気を顧みないで、続けざまに持続的にに大きい動作にて甘露水をこぼして、特に狭い車の上で馬歩にしゃがんで体を幅大きく撒き散らす動作を支持することができなくて、毎回力をいれて甘露水をいっぱい吸い込んでいる重い吉祥草を振ると、リンチェンドルジェ・リンポチェがほっそりしている体を後座の力のため激しくぐらぐらして、その腕が耐える巨大な負荷と体の苦痛を考えてみると分かる。普通の人はそのように5分間手を振るのでさえすれば、手はすぐ持ち上げられないが、しかし大慈悲心を備えるリンチェンドルジェ・リンポチェは、会場の中で多く手を振り回して手を高く差し上げて、無数に待ち込む渇望する目つきを見て、何度も車を運転する弟子に更にもっと多くの席区を回ると指示して、何度も力の限りを尽くしてもっと多くの清浄な甘露水を撒き散らして、顔は依然として慈愛の笑顔を連れて、親切に大衆とインタラクティブして、まるで肉体の苦痛と疲れは完全に存在していないようである。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に、十分に慈悲心を備えている修行者が心の中でただ衆生を考えて、肉体のすべての苦痛さえ彼の心に影響することはできないことを見証させた。弟子たちは上師の辛労を惜しむので、既に涙が満面を流して、上師は衆生の為に生命が要らないで、リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生に利益するために、すでに自分がない、ただ衆生が仏法が要るなら、リンチェンドルジェ・リンポチェが自分の負荷を考えずに助けをしてあげる。このような40分の時間を連続してこぼす動作をして、壮健な若い人も耐えない、既に63歳のリンチェンドルジェ・リンポチェがさらに言うまでも無い、大慈悲心と大菩提心を備えないなら、命が要らないように会った事がない参列者に完全な献身してあげるのであろうか?

灑淨完了してから、リンチェンドルジェ・リンポチェは再度壇城に戻って、身体が早くから既に疲れて耐えられなくて、二人の侍者を支えて立てる事が出来始めて、侍者弟子が肩にリンチェンドルジェ・リンポチェの為に支えを提供して、絶えずに泣いて出た。身体は既に力が無いが、リンチェンドルジェ・リンポチェが依然として力を尽くして、再度参列者に殊勝な開示をしてあげた。皆は仏菩薩の加持を得たい、一部の人々は自分が甘露の灑淨を得ないと思っていて、実には得てもらった。リンチェンドルジェ・リンポチェは自身から皆に灑淨をしてあげる時に、多くの人々が病気に罹った事を見て、ここに話して、仏弟子とするリンチェンドルジェ・リンポチェにその場で思わずに涙を流して、一時的に説く事が出来なかった。参列者はリンチェンドルジェ・リンポチェの無比な慈悲を感じられて、心から雷ような拍手の声でリンチェンドルジェ・リンポチェを賛嘆した。リンチェンドルジェ・リンポチェも参列者に開示させて、今日の灑淨が皆により健康して、皆がリンチェンドルジェ・リンポチェの勧めを聞き入る事が出来て、再び肉食をする事をしてはいけない、或は10位のリンチェンドルジェ・リンポチェを疲れて死んでしまっても皆に助けてあげる事を足りない。若し皆は仏菩薩の諭しを聞き入れて、殺生をしないで、仏法を学んで、十善法を修めて、善事を多くしたら、仏菩薩も皆に感謝している。

それから、楽器、経幡と八供女の先導で、リンチェンドルジェ・リンポチェは随扈と一緒に車に乗って会場を離れて、会場の2万人の参列者が起立してう恭しく送り届けて、拍手の声が絶えないで、その上、参列者が何回目に一致してリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を表して、リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な修法済度と皆に加持してあげる事に感謝致した。

2010 年 10 月 19 日 更新