2007年2月下旬頃、リンチェンドルジェ・リンポチェはインドシク教教徒の要請に応じ、200名の弟子を率い、インド北部パンジャブ州の主要都市ジャランダールで観音法門伝法法会を催し、ニューデリーの都市グルガオンで阿弥陀仏の大超度法会を主催しました。 2月25日 の観音法門伝法法会に700人も現場に駆けつけたのは極めて異例のことです。それは今まで阿弥陀仏以外に、チベット仏教の金剛上師がシク教教区でシク教教徒のために法会を開き、仏法の教えを伝授した自体は初めての外、盛大な場面も前代未聞です。当地の紳士淑女は正装して出席し、法会の進行中に終始誠心誠意に耳を傾けました。当日、尊きチェツァン法王はインドで別の法会を開いていたが、法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに会場にお入りになった際に手持ちの傘を使わせるため特別に専用宝傘を届けてくれました。法王とリンポチェの二人は同じ時間に異なる場所で法会を催すことは誠に殊勝なる縁にほかなりません。二人の心がずっと繋がっていることを象徴しているでしょう。法会が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら来場者の一人一人に加持しました。皆は列を並べ、恭しく受領しました。今回の法会は事前の宣伝はなく、参加者全員は口伝えで法会のことを知り、自発的に参加しに来ました。当地の長老はこの珍しい光景を目の辺りし、悉く不思議に思っており、リンチェンドルジェ・リンポチェの大摂受力並び加持力に大きく賞賛しました。
今回リンポチェはシク教長老のお招きに応じ、当地最大の病院に赴いて加持を行いました。同院すべての医師並び看護婦等は、長老(院長)の指示に従って、手に花を持ち、リンチェンドルジェ・リンポチェを恭しく迎えてくれました。リンポチェは自ら各々の検査室(断層画像撮影室、レントゲン室、心電図室、生物化学血液検査室及び骨密度検査室などを含める)に入り、加持を行いました。またオペラ室にも入り長く立ち続け、加持を行いました。更に死体置き場にも入って呪文を唱えながら、加持を行いました。その際、リンポチェが加持を行った後、即座に「彼らは貪欲い束縛されているでしょう」と開示しました。リンポチェはまた透析室に入って、腎臓病患者に加持してあげました。丁度その時で病痛で叫び続けている女性の患者がいました、リンポチェの加持を受けたところ、彼女の呼吸がたちまち穏やかになり、哀しい表情も平穏に変わって、叫び止みました。リンポチェはまた普通病室、加護病室などに病院の隅々に行って加持を行いました。加護病室に入る前、リンポチェは同行の弟子たちに何も触らないよう命じました。それは病室のウイルスは特に毒性を持っているからです。なのに、リンポチェ本人は感染される恐れがあるにも関わらず、法器を持って直接患者の体に触れながら加持してあげました。そこからリンポチェ自ら衆生のために身の危険をも顧みない菩提の行を見せてくれました。
院長もリンポチェに病院に附属している各宗教(カトリック教、キリスト教、ヒンドゥー教、シーク教と仏教などを含む)の祈祷室にお入りになるようお願いしました。リンポチェは頼まれれば必ず快く承諾して、郷に入らば郷に従えというのがモットーですので、オレンジ色の小さい四角なスカーフを頭に纏い、祈祷室にお入りになりました。そして「もしあなた達の神が善良の神であれば、あなた達の民に仏法を受け入れさせて下さい」とおっしゃいました。当日の夜に宴会があって、長老の院長はリンポチェが病院にあるシーク教の祈祷室で祈祷しているため、もとはリンポチェにスピーチを依頼するつもりはなかったが、なぜか急にリンポチェは仏法の力で彼らを導いてくれるよう大声で申し出て、リンポチェは毎年二回現地で弘法なさるようお願いしました。最後に宴会の賓客は謹んでリンポチェにスピーチをお願いしたので、リンポチェはとてもきれいで完璧なイギリスなまりの英語で「あなた達は誰であろうか、どこにいようか、私を必要としている時、いつでもお共にします私」と最後を締めくくりました。式典が終わった後、来場の賓客はもう一度リンポチェに加持、開示と一緒に写真を撮ることを要請しました。この時のリンポチェは1日中まともな食事を食べていなかったにもかかわらず、来場者一人一人に加持を行いました。M.G.N学校ファンドの副会長はリンポチェの疲れを察し、「リンポチェはこれ以上いらっしゃると、町全部の人は来てしまいますよ」と念を押しました。リンポチェはそれを聞いて、「これが私の仕事です」と慈しく微笑んで答えました。その後更に1時間も続いて加持を行ってから会場から去っていきました。来場者の中、一人のおばあさんが立つことができないほど激痛が全身を走っていて、どこの医者を見ても直りませんでした。リンポチェが加持を行ったあと、「彼女の病気は35歳の時に、古いインド寺の中で四角い石板を動かそうとして、石の下にいた衆生に傷つけてしまったからこそ生じました。この病気は仏法以外に治療法がない」と開示しました。リンポチェ大慈悲と大知恵が、政界.財界の有名人や新聞記者など来場者全員を圧倒して、心から歎服させたため、皆は恭しく跪いて加持をお願いしました。皆はリンポチェの言葉で悟ったあまり、リンポチェの功徳を大いに賞賛しました。M.G.N学校ファンドの副会長は更に「リンポチェが全知全能、大英百科全書より博学で、大知恵は大英百科全書を越えた」と賛嘆しました。
今回のインドの訪問中でリンポチェは当地のシク教教徒の要請に応じ、お家に行って加持を行いました。当人の父親は家の二階から転落し死亡しました。リンポチェは彼の父親は呪われたから死亡したため、霊魂はまだ家の中で彷徨っていると伝えました。そこで、この家の居間に入って正座をしたところ、憤怒相が二回連続現れて、両眼が出張り、尻目が上がり、唇も外側に広がってライオンのような低い声を発しました。また二回目の憤怒相は一回目より怒りを感じさせられます。リンポチェは「ここに来た鬼が凶悪で去る気はないようなので、もう一度憤怒相を表し彼を降伏しました。憤怒相を表したのが慈悲の極意です」とおっしゃい、「天道は我にあり」と開示しました。
2月27日にリンポチェはインドでは大変有名なソディ裁判官とご夫人の要請に応じ、彼らの荘園で阿弥陀仏大超度法会。今回の法会は06年10月にリンポチェがM.G.N学校で講演したことから由来しました。リンポチェはM.G.N学校で講演し、イベントが終わってからニューデリーに戻り、ソディご夫婦の要請に応じ、彼らの荘園で古き阿弥陀仏の石像を開光することにしました。開光の直後、リンポチェは即座に仏像に礼拝し、敬礼し終わった後、その場にいる賓客に「私は敬礼すると、この仏像は阿弥陀仏になりました」と開示しました。そしてその場にいる賓客に指導して阿弥陀仏の呪文を一緒に唱えました。そして荘園の中で殊勝な場と方向を選び、仏像を安置しました。リンポチェは「荘園の周りに衆生はたくさんいます。この仏像はこの地に数えないほどに利益をもたらすから、この地にとてもよいであろう」と開示しました。普通阿弥陀仏の大超度法会は一日もかからないと終わらないですけれども、今回リンポチェは当地の人々が度化しやすいように深い禅定の造詣をもって、法会をただの3時間半の時間で円満に終了させました。皆さんは大変満足している模様ですが、リンポチェはそれでよいとせず、今回の法会を通して、仏の教えが根ざし、もっとたくさんの人々に利益をもたらすよう願って止みません。
二つの法会がリンポチェ無量の威徳の下、数え切れない衆生を助け、当地の人々を感動させました。リンポチェはいつも休憩と食事の時間を惜しまず、患者を助け、信者 に会い、無上の加持と開示を与えてくれました。当地の人々は初めてリンポチェに会ったにもかかわらず、または初めて仏教の法会に参加したというものの、リンポチェに最高の敬意を表し、額でリンポチェの足につくという最高の辞儀し、心から感謝の意を表しました。《関連写真》
2007 年 03 月 21 日 更新