お知らせ

2009年11月9日から10日まで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは366名の寶吉祥仏法センターの弟子達を率いて、ネパールのカトマンズで、尊きチェツァン法王が自ら主催される直貢噶舉教派リンチェンリン寺(Rinchen Ling Monastery)の開光式典や、及び尊きチェツァン法王は自ら主法された葉衣仏母の灌頂法会に参加された。

2009年11月8日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、台湾から飛行機で午前中ネパールのカトマンズへ到着し、リンチェンリン寺の開光大典及び冬季法会に参加された。空港では直貢噶舉教派のラブサン・リンポチェ(Rasbsang Rinpoche)、ナムギャル・ガムポ(Khenpo Namgyal)、ラマ達、ネパールの当地の信衆、および早めに到着したネパールの366人の弟子達が並んで熱烈なる歓迎を受けた。長い飛行を終えたばかりのリンチェンドルジェ・リンポチェは、休む暇も無く、リンチェンリン寺へ参拝と根本上師の尊きチェツァン法王への供養に駆けつけられた。リンチェンドルジェ・リンポチェが上師に対する真心のこもった思念と恭敬を知ることができる。

その夜、リンチェンドルジェ・リンポチェはカトマンズの宿泊ホテルのレストランで、弟子達と晩餐を共になさった。レストランで食事していたニンマ派のウクライナ人の二人の客が、リンチェンドルジェ・リンポチェにはお会いした事は無いが、聞いたことはあると言って、寶吉祥の弟子達と共に謹んで恭しくリンチェンドルジェ・リンポチェがレストランへ来られるまで長く待った。彼らはリンチェンドルジェ・リンポチェのお食事に邪魔にならないようにして、場を去る前にリンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかれる機会が欲しいと願い、それに、強く拝謁したい心及び恭敬心をよく備えた。三日後に因縁は整い、このウクライナ人の客と友人は願いが叶って、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見でき、リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持と開示を受けた。わずか十分間の短い時ではあったけれど、彼らは非常に歓びに満ちて、リンチェンドルジェ・リンポチェに、かくも尊く殊勝な得がたい機会を与えていただき、加持していただき、また以前知らなかった多くのことを開示していただいたことに感謝を表し、且つリンチェンドルジェ・リンポチェの開示で心の目が大きく開かれたと賛嘆した。他にもレストランで食事をしていたイタリア籍の一人の女性が、自分から合掌して寶吉祥の弟子達と一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェがお食事の後レストランから去られるのを、立って恭しくお送りした。この外国人は今までリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしたことはなかったが、ごく自然にリンチェンドルジェ・リンポチェに恭敬を表したわけで、リンチェンドルジェ・リンポチェの大攝授力の不思議さが分かるのである。

2009年11月9日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは366名の寶吉祥仏法センターの弟子達を率いて、ネパールのカトマンズで、尊きチェツァン法王が自ら主催される直貢噶舉教派リンチェンリン寺(Rinchen Ling Monastery)の開光式典に参加なさった。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢噶舉教派の護持と法脈を広めることに対して力を惜しまず、およそ教派の大型法会と重要な活動には、いつも千里の遠くから数百名のお弟子達を伴って参加し、教派の団結と発揚に非常に貢献しておられる。午前七時過ぎ、寶吉祥仏法センターの弟子達は、リンチェンリン寺の開光典礼の場に到着し、隊列を組んで尊き直貢噶舉教派のチェツァン法王の車と、チェツァン法王の根本弟子リンチェンドルジェ・リンポチェがすぐその後の車でお出でになるのを待った。荘厳盛大な經幢楽器及びラマ達の隊列に先導されて、尊きチェツァン法王が到着され、すぐ引き続いてリンチェンドルジェ・リンポチェが到着し、チェツァン法王のすぐ後ろを式場へ入られたが、これらの事からもリンチェンドルジェ・リンポチェがチェツァン法王の根本弟子であり修行成果と教派での地位を表している。チェツァン法王は仏寺のため、テープカットし、祈福を行い、リンチェンドルジェ・リンポチェも招きに応じて仏寺へ入り大殿内で寺内の仏像にハターを捧げられた。

その後、リンチェンリン寺の管理発展委員会主席のニンマドルジェ・ケンボス(Khenpo Nyima Dorji)は来賓に挨拶し、リンチェンリン寺がドラブ・ワン・リンポチェ(Drubwang Norbu Rinpoche)が発心して建立を始めた因縁、及び大衆の支持を得て、上師諸位の努力により完成した経緯を簡単に紹介した。

チェツァン法王は次のような挨拶と開示をされた。: 今日は釈迦牟尼仏の降誕記念日である天降日であり、またチベットのチョンツァン法王の誕生日でもあり、この日に直貢噶舉教派のリンチェンリン寺が落成し開光大典を挙行することは尚一層殊勝な意義がある。今日の開光典礼以外に、続い直貢噶舉教派の伝承される法要の伝授、及び仏学内容の伝授がある。チェツァン法王は皆が遥々千里の遠くから開光典礼と法会に参加しに来たことに対して歓迎の意を表され、皆の吉祥如意を祝福くださった。この仏寺が形成される前に、ヌパリンポチェ(Nubpa Rinpoche)がドラブ・ワン・リンポチェ(Drubwang Norbu Rinpoche)に手紙を出して、ネパールに台湾から来ている呉慧玲女史がいて、ネパールには直貢噶舉教派のお寺が一つしかなく、もう一つ直貢噶舉教派のお寺を建立できないか?と言う話が出た。チェツァン法王は、それは出来るとお考えになり、そこでドラブ・ワン・リンポチェ(Drubwang Norbu Rinpoche)の願力と、その他の上師達が団結で努力で、リンチェンリン寺が終に今日落成することになった。チェツァン法王はこのことに歓喜し、その功徳を隨喜された。

チェツァン法王がここに来られたばかりの時頃、このように色彩豊かな建築構造物はまだ出来ていなかったが、今、このようにチベット的風格の濃厚な建築が完成され、しかも壁画、寺の構造などの多くの部分がすべてチベットの伝統的な風味となっている。画や建築構造はすべてニンマドルジェ・ケンボス(Khenpo Nyima Dorji)及び寺の僧侶達が心一つに団結して、苦労して完成させたものであり、チェツァン法王はみんなの貢献に感謝なさった。

チェツァン法王は次のように開示をなさった:チベットとネパールの間には昔から密接な関係が有り、壁画、仏像の風格は相似しており、例えばサムイェー(Samye)寺はネパールの風格をしているといった具合である。当時マルーパ大師がインドへ仏法を求めに行かれたときにも、ネパールのPadi地方を通り、そこである上師にお逢いになり、一緒にインドへ仏法を学びに行かれた。そこでネパールとチベットの関係はとても深遠なものがある。ネパール境内にも多くのチベット人の上師が修行する聖地がある。現在このリンチェンリン寺は、チベットの伝統を具備するだけでなく、ネパールの風格と功労が加わっているのである。

チェツァン法王は、現在の寺院の建設を見ると、すでに大体が完成しているが、これは比較的に簡単な部分であることを強調された。一番難しいのは、仏法への精進と高め広めることである。法王は四つの仕事に分けられた。:一、仏学の講修; 二、閉関修行、例えばラーキ地方; 三、社会救助と公益、各医療ステーションでのサービスなど;四、地方にある特別な貧しい人々への救助、ちょうど仏法六波羅蜜の第一項の布施のように、このような精神でこの事をやってゆくことだ。これらの仕事はとても難しいので、みなさんも寺院が建立できたので怠けるというのではなく、今までと同じ精神で精進勤勉に、前述の四点を出来るだけ早く、怠けることなく完成しなければならない。最後に法王はあらゆる大徳の方々がこの世に長く住まわれるよう、そして仏法の講修と弟子を攝受する方面の一切がスムーズに行くようにと祈願された。願わくは世情の衆生が様々な障碍を消え去り、世界の平和と快楽を享受できまるよう。

典礼の過程の中で、リンチェンドルジェ・リンポチェは観礼席の一列目の中央にお座りになり、台上のチェツァン法王と向き合う位置で、しかも単独に一人だけのソファに座って、全過程を観礼なさった。このこともまた、リンチェンドルジェ・リンポチェが、チェツァン法王の根本弟子であり修行の果位と教派での地位を表している。典礼が円満終了し、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏寺内の休息室へ招かれ、昼食を召し上がった。その午後、リンチェンドルジェ・リンポチェが乗車なさる前に、多くのチベット人、信者が取り巻いてリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を求められ、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くこれらのチベット族の人々を一人一人加持なさったのである。

開光典礼に参加なさったほか、リンチェンドルジェリンポチェは、上師チェツァン法王の要求により寶吉祥漢方医診療所を経営する郭院長を、台北からネパールのリンチェンリン寺に招いて、出家した人々を無料診察し、二日間で43人の尼さんと二人のラマ僧を含む合計45人が診察治療を受けた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、この度の無料診察による薬と費用を自分ですべて支払われたが、それも最良で最高級の薬材を使用なさった。リンチェンドルジェ・リンポチェはその夜、無料診察を引き受けた寶吉祥漢方医診療所に診察状況をお尋ねになり、出家した人々の健康に関心を寄せ、今後長期的に必要な薬材の供給についても細かい準備手配をなさった。リンチェンドルジェ・リンポチェの衆生に対する関心と心配りは、行き渡らないところは無く、しかもずっと黙々と行われており、全く見返りを求めないのである。

その夜、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはお泊りのホテルで随行したお弟子達と晩餐会を行った。大成就者と共に食物をいただくことは、非常に大きな福報であり、寶吉祥仏法センターの弟子達はリンチェンドルジェ・リンポチェに上師が弟子達に福報を累積する機縁を与えられたことを感謝した。ネツォンソパ(Nyizong Sopa )・リンポチェ、ナムギャル・ガムポ(Khenpo Namgyal)も晩餐会に参加なさった。

2009年11月10日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは366名の寶吉祥仏法センターの弟子達を率いて、ネパールのカトマンズにあるリンチェンリン寺で、直貢噶舉教派の冬季法会に参加された。それは尊きチェツァン法王は自ら主法された葉衣仏母の灌頂法会である。寶吉祥の弟子達は幸にも全員で寺の大殿内に座って法会に参加することができたが、これもすべてリンチェンドルジェ・リンポチェの大福報の庇護のお蔭である。上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩する。

法会の開始前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは、チェツァン法王の休息室の階下に立ってチェツァン法王を待っておられ、チェツァン法王と摂政王のすぐ後を階段からお寺の法会会場まで歩かれ、主法のチェツァン法王が大殿にお入りになるとき、リンチェンドルジェ・リンポチェも、チェツァン法王及び摂政王の後についてお入りになったが、このことからもリンチェンドルジェ・リンポチェは、チェツァン法王の根本弟子で、教派の法脈の伝承者であり、修行の果位と教派での地位とを表しているのである。チェツァン法王の伝法が始まる前に、尊きリンチェンドルジェリンポチェは最も敬虔なる五体投地の大礼拝で、衆生を代表してチェツァン法王に敬虔なる敬礼を行い、並びに衆生を代表して尊きチェツァン法王にマンダを捧げて供養して、傳法を祈願なさった。以上からも、リンチェンドルジェ・リンポチェはチェツァン法王の根本弟子、修行の証量と教派での地位が明らかである。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て弟子への開示で、マンダを捧げるのは宇宙で最も尊い宝物で仏菩薩と上師を供養することを代表し、衆生のために福報を累積することであり、上師から殊勝なる仏法の伝授を祈願するのであるとおっしゃっている。

法会中、リンチェンドルジェ・リンポチェの座席は壇上の一列目で、チェツァン法王の法座に非常に近く、このことからも、リンチェンドルジェ・リンポチェの修行の果位と教派の中での重要性が分かる。法会の全過程を、リンチェンドルジェ・リンポチェは席に端座なさり山の如く不動で、荘厳な法相、完全な清浄心、恭敬心で、入定されて法会に参加なさり、チェツァン法王の殊勝なる伝承教法を受けられたのである。

法会中、チェツァン法王の開示:葉衣仏母法門は障害を取り除く、例えば疾病などに特殊な効き目があり、特別なのはこれから続く一連の噶舉教派密呪蔵の灌頂で、あなた方はひょとおしたら病気になるかもしれない等、大法を受ける前に、この法門で障害を取り除くのが一番良い。伝法の始まる前に、最も大切なのは、あなたの動機、つまり発心である。みんなは大乗であり、菩提心を発して、つまり、自分だけの利益のためではなく、衆生に仏果を成就させるために、このような発心をして法会に参加することである。

灌頂の梵語はAbisheka,Abiで、その意味は汚染の消去、障害の除去である;Shekaの意味は智恵の甘露を注ぎ込むことである。灌頂は身、語、意及び第四灌で、身灌頂は頂輪の灌頂で、身灌頂を得ると化身仏を成就する種子を植えることになる。語灌頂は喉輪の灌頂で、語灌頂で報身仏を成就する種子を植えることができる。意灌頂は心輪の灌頂で、意灌頂で法身仏を成就する種子を植えることができる。身語意の跡の第四灌頂も心輪灌頂である。「灌頂」の梵語は灌頂の意義を表しており、チベット語では"Wang”、中国語では「灌頂」で、その形式を表現しており、チベット語の意味ととても近くて、この言葉は、古代に一人の王子が国王の地位に就くときに、瓶で水を彼の頭上に注いだところからきているが、その意味は王子に国王の権力を授権することであった。灌頂は仏法でも権力を授けるという意味があり、身灌頂は本尊を観修する権力の授与、語灌頂は呪語を修誦する権力の授与、意灌頂は禅定と大手印を修める権力の授与である。

葉衣仏母の本名はShawar gyalpaで、ルシャナ仏の化身である。山居葉衣仏母は当時は山中の樹林で修行しており、弥勒菩薩の心呪を持誦し、長い間林の中に居たために、木の葉を衣としていたので、葉衣仏母と呼ばれた。葉衣仏母は密教での事部の中の蓮花部に属するので、この法門を修めるのは多くの無常の瑜伽部の法とは少し異なり、特に肉に関する物は必ず取り除かなければならない。例えば仏法を修める人は肉を食べてはならないし、動物の皮を張った鼓も使用してはならないし、一般に使用される孔雀の羽を装飾した寶瓶もだめなのである。

次に、チェツァン法王は大衆を引率して祈請文を念誦し、本尊のご加持、一切の障害、敵意、病気の痛みを取り去ることを祈求された。葉衣仏母総集三世諸仏一切の功徳は、葉衣仏母が自分の前にいることを観想することができ、周囲には無量無辺の仏菩薩が取り巻いておられる。それから七支供養に進み、菩提心を発し、並びに「観空呪」を念誦し、一切は空性と化すことを観想する。空性とは一切が無いというのではなく、全くの空ではなくて、本来の清浄無染の本性に帰ることである。

続いてチェツァン法王は葉衣仏母の本尊の観想方法及び法相を開示され、その後本尊の降臨を祈請され、身灌頂を始められた。現場の人数は多くて、時間には限りがあり、逐一寶瓶で参加者全員にご加持灌頂をする時間は無かった。チェツァン法王の開示では、寶瓶を頭上に於いて行うのが灌頂だとは限らなく、それはただ形式にすぎない。大切なのは祈請、観想、加持の過程を通じることで、これで灌頂が得られるのである。法王はみんなを先導して経文の念誦などの儀軌を行った後に、身の随授灌頂を完成なさり、みんなの身の習気及び障碍を消除し、化身仏を成就する種子をお植えになられた。語の随授灌頂を完成なさり、みんなの語の習気及び障碍を消除き、報身仏を成就する種子をお植えになられた。意の随授灌頂を完成なさり、みんなが明空実相を観修する助けを得られるようになり、法身仏を成就する種子をお植えになられた。

灌頂法会が円満終了した後、ただリンチェンドルジェ・リンポチェお一人がチェツァン法王に随って会場を離れ、同時にリンチェンドルジェ・リンポチェは、チェツァン法王のご指示に応じられ、チェツァン法王が法王の休息室へ入られるのに随われた。この事からも、リンチェンドルジェ・リンポチェは、チェツァン法王の根本弟子及び修行の果位と教派の地位を更に明らかに分かる。その後、教派の多くのリンポチェは、例えば、ヌーパ・リンポチェ(Nupa Rinpoche)、ラブサン・リンポチェ(Rasbsang Rinpoche)、ネツォンソパ・リンポチェ(Nyizong Sopa Rinpoche)、 ラマ、信者など、リンチェンドルジェ・リンポチェの専属休息室内に会見に行った。尊きヌーパ・リンポチェ(Nupa Rinpoche)はハダーを捧げてリンチェンドルジェ・リンポチェにラーキ雪山地区から持たれてきたチベットの線香を贈った。ヌーパ・リンポチェ(Nupa Rinpoche)はリンチェンリン寺の導師の一人で、今までに何回もラーキ雪山で閉関修行され、直貢噶舉教派での地位は非常に高い。もう一人、ラブサン・リンポチェ(Rasbsang Rinpoche)もリンチェンドルジェ・リンポチェにハダーを捧げ、特殊なる祖師ジッテン・サムゴンの尊像を贈られた。リンチェンドルジェ・リンポチェが寺院の会場から去るとき、大成就者ドラブ・ワン・リンポチェの生前の従者だったラマが、お供することを強く希望して、リンチェンドルジェ・リンポチェが階段を下りて車に乗り込むまで付き添った。車に乗られてからも、出家した人達やチベット人や信者たちが加持を求めてきて、リンチェンドルジェ・リンポチェはそれに一々応えられた。ドラブ・ワン・リンポチェが御生前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは大いなるラマで非常に得難い大根器の修行者であると賛嘆されたが、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつもとても楽しそうに加持なさるのを長らく見てきた。以上のことからもリンチェンドルジェ・リンポチェの非凡なる修行の成就と、教派での地位が明らかで、多くのリンポチェやラマたちはリンチェンドルジェ・リンポチェを並外れて尊敬している。

その夜、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは再びホテルで随行のお弟子達全員と共に晩餐会を過された。大成就者と共に食物を食べる事は、非常に大きな福報であり。寶吉祥仏法センターの弟子達は、またもや福報を累積することができる機縁を与えていただいたことをリンチェンドルジェ・リンポチェ上師に感謝した。席上旅行会社の多くのツーリスト、ネパール当地のガイドやホテル管理職及びスタッフ達がやってきて、リンチェンドルジェ・リンポチェに加持を求め、リンチェンドルジェ・リンポチェは一々加持なさり、開示を与えられた。

その中に一人ネパール当地のツーリストが、リンチェンドルジェ・リンポチェから加持と開示を頂き、リンチェンドルジェ・リンポチェを賛嘆し感謝して、この度旅行チームの仕事をした収入とチップを寺院の護持のために寄付した。ナムギャル・ガムポ(Khenpo Namgyal)も晩餐会に出席していた。リンチェンドルジェ・リンポチェがその場を去ろうとすると、ホテルの外国人客が次々やって来て一緒に写真を撮り、またご加持をお願いした。リンチェンドルジェ・リンポチェは、仏法には分け隔てが無く、衆生が必要とするなら、助けると開示されたことがある。仏法の慈悲は、リンチェンドルジェ・リンポチェの上に常に見ることが出来るのである。

2009年11月13日、リンチェンドルジェ・リンポチェは、ネパール飛行場で飛行機に搭乗する前に亡くなった一人の弟子のためにポワ法を修められた。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子の願いを満たして、ネパールの法会に参加し大仏塔を廻り終わって往生した。この弟子は八十歳の高齢の女性だったが、インドへ向かう飛行機に乗ろうとして、待合室の搭乗門の前で突然座り込んで往生された。すぐさま遠くに居たリンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子のためにポワ法をを修められた。修法が円満成就すると、往生した老婦人に同行した娘、寶吉祥仏法センターの弟子達、ひいては旅行団のツーリストは皆、遺体に殊勝なるポワ法の円満成就の瑞相を目にした。遺体は柔らかくかすかに温もりが有り、顔も灰色から変じて赤みがさして潤い、表情は安らかで、頭頂の梵穴は温かく、かすかに凹んでいた。みんな慌てず悲しまず、老婦人が浄土へ往生したことに歓喜を感じ、並びにリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と不可思議なパワーに感服してやまなかったのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは大変慈悲深く、この老婦人の娘(皈依した弟子)が残りの旅費の半分で点灯し仏を供養するのとし、半分ではチェツァン法王に供養した。それからリンチェンドルジェ・リンポチェはご自分でチェツァン法王の侍者に電話され、すでに亡くなられた人に法を修めたので、再び修法する必要はありませんと告げてもらった。侍者はすぐ、「そうです!リンチェンドルジェ・リンポチェが修める法は極く殊勝なるもので、再び修法する必要は無い」と言った。チェツァン法王は嘗て、リンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法はとても効き目があるとおっしゃった。チェツァン法王の侍者のラマはかつて弟子に、母親が遠く雲南からネパールのこの度の法会に参加しにやって来て、法会に参加し、チェツァン法王にお逢いして後に往生しようと願ったが、願いが叶わずにまた雲南へ帰った。それで老婦人がかくも殊勝な時と場所で往生し、またリンチェンドルジェ・リンポチェに殊勝なるポワ法を修めてもらって浄土へ往生することができたのを非常に羨ましく思うと語った。老婦人の遺体は当地で荼毘に付されたが、頭頂の骨の梵穴には典型的なポワ法が円満成就した瑞相の丸い穴がはっきり見えたのである。

2009 年 12 月 06 日 更新