お知らせ

2009年3月3日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは初めて51名の寶吉祥弟子を率いて台北から出発し、インドデラドンのディクン・カギュ仏学院に赴き、7日間の閉関修行を行なった。今回の閉関は2009年3月5日関房に入り、3月12日円満に関房を出た。2009年3月13日、リンチェンドルジェ・リンポチェは51名の寶吉祥弟子を率いて、台北に帰られた。2009年3月15日、尊きリン チェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法道場にて升座し、殊勝な「ディクン・カギュ上師供養法」を主法なされた。

2009年3月5日、お昼近く、リンチェンドルジェ・リンポチェは真昼の暑い太陽の下で、先ず弟子の閉関用の部屋を逐一視察して、まちがいなく適切に手配されている事を確認してからその場を離れた。午後の閉関前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは先ず弟子に教示された。「実際の閉関には、他に色々な事前準備、呪文の読誦、加持などがある。自分達が素晴らしいから今日閉関に来られたと思ってはいけない。これはまだまだで、ただそなた達に閉関に慣れてもらうだけである。驕ってはいけない。真の閉関は、先ず壇城を設置し、経文を唱え、数珠を加持する等を行わなければならないが、今こうすることは不可能である。そなた達がまだ是を行なう条件を満たしていないからだ。故に自分が立派に修められると思ってはいけない。驕りを持ってはならない。今回はあなた達に異なる生活を知らせる為のものである。皆は数十年間自分なりの暮らし方に慣れ、ずっと誤りを知らないでいる。今回の閉関を通して、自分の誤りがはっきり見えることだろう。

閉関の間に、若し何か奇妙な事があっても、自分に感応する能力があると思ってはいけない。しっかり呪文を唱えること。本当に疲れたら、休んでもよい。無理してはいけない。必ず何回唱えなければならないというものではない。自分の毎日の生活の規則は自分で決め、食べ過ぎると気持ちが悪くなり、少な過ぎても腹が空いて体力不足となり、何れも良くない。呪文を唱える時は、背をもたれてはいけない。体に良くないからである。夜眠れない場合は、起きて呪文を唱え、24時間、本尊観想だけを考え、大声で唱えず、故意に座禅する必要もない。この環境では座禅するべきだと思わなくてよい。実は、呪文を唱えることを通して「禅定」の境地に入ることも可能である。毎日、最後の一回を読み終えた時、百字明を三度唱えるか、本尊の観音菩薩に懺悔する。何かの考えが起き、心が乱れたら、必ず懺悔しなければならない。毎日寝る前に護法を修め、その際、心身が正常で順調に閉関が行えることを祈る。一回読み終わったなら、本尊にその回の回数を報告し、呪文を唱える功徳を以って、十方一切の諸々の仏菩薩、護法神、上師に供養するがよい。特定な人に廻向してはならない。毎日最後に、西方浄土、一切菩提に廻向すればよい。

そなた達の観想力が足りず、心が乱れ、集中できないなら、再度本尊を観想すること。「観」は清浄な心を以って、法性の真の姿を見ることである。「想」は私達の意識(人生経験)を通して本尊の形相を見聞きすることである。「想」がうまくできれば、「観」が顕現する。そなた達は今、全て「想」の部分にあり、極端に良くはできないだろう。教示された次第に基づき「観」を行えばよい。はっきり観えるかどうかは、禅定と関係がある。「観」が良ければ、菩薩の髪、指、宝石、服装の皺まで見える。「想」による本尊そなた達の観想力が足りず、心が乱れ、集中できないなら、再度本尊を観想すること。「観」は清浄な心を以って、法性の真の姿を見ることである。は自分より高すぎないこと。首以下で良い。閉関でなら、本尊と上師だけ思えばよい。心が乱れていると感じたなら、護法神と上師に加持を授けて下さるよう祈る。閉関の間に、気分が悪くなったら、薬を飲んでもよい。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を一人一人加持され、並びに、貴重な甘露丸を一粒与えた後、3月5日の当日午後から閉関を始めた。

7日間の閉関修行を経て、リンチェンドルジェ・リンポチェは2009年3月12日の早朝関房を出て、弟子達に関房を出る事を知らせ、また開示した。今回は真の閉関修行とは言えない。ただそなた達に休暇を取らせただけに過ぎない。普段そなた達は自分がよく修行し、呪文を唱える回数は多いと思っているし、常日頃自分は恭しく、よく懺悔をしていると思い、また自分がすでに仏法を学んだ人だと思っている。ディクン・カギュは実修の教派なので、閉関修行をしないで、生死から解脱できる修行者は一人もいない。今度の閉関修行では多くの儀軌をまだ教えていない。多くを教えれば、そなた達を混乱させるからだ。この一生は、普通思っているように、発心し、発願し、「阿弥陀仏」を唱え、供養をすれば三惡道に陥らないと考えるは間違いである。そんなに簡単なら、地藏経で、心を起こし、思いを動かすは、 全て業であり、罪であるとは言わない。この話は死ぬ最後の1秒前まで、悪念が起きる事を指す!多く人は仏法を間違って学び、間違がった道を行く。

今度の閉関は顕密教共に含まれている。法本には、観想、生起、圓満次第を経なくては、閉関修行で「六字大明呪」を10万回唱えても、三惡道に落ち込む事を免れない、とある。多くの人は百万回「阿弥陀仏」を唱えれば良いと思っているが、そんな事は無く、唱える時、絶対に悪念を起こさず、妄念も起こさなくて、始めて三惡道に落ちる事を免れる。だから、そなた達は今最も基本の三惡道に落ちない様にとやっただけである。是も今後の考えによる。考えを間違えればすぐに落ちてしまう!皈依したとか、仏法を学んだとか、懺悔したとか、法師に多くの事を手伝ったとかで三惡道に落ちないと思うのは間違いである。法師でさえ三惡道に落ち込むかもしれないので、ましてはそなた達はなおさらだ?真面目に自分を見据えないで、終日、表相や仮相にごまかされ、大きな仏寺へ行って仏を拝み、それで自分は仏法を学んでいると思い込んでいる。法本には、閉関修行を10万回圓滿して、始めて三惡道に落ちないとあり、生死から解脱するには、40万回唱えなければいけないと言う。そんなに簡単な事ではない。そなた達が閉関修行中唱えた数は、唱える途中で何か雑念を起こせば其の数は勘定に入らない。今度の閉関修行は、一寸試してみて、そなた達に何処に問題があるか見極めさせただけで、まだ三悪道に陥る機会がどれほど大きいかを良く考えてはいない。落ちるのはとても容易なのである、少しでも思い違いをすればすぐ落ちてしまう。

なぜ呪を唱え、観想などが必要なのか?それには必ず原因がある。なぜ上師を必要とするのか?上師が居なければ如何するのだ?多くの人達は「他力」や「自力」に頼ればいいと思っている。 「他力」とは仏の力で、「自力」とは自分の力である。仏の力は「法」、「報」、「化」三身に分かれる。たとえ「化身仏」が救いに来られるとしても、そなたは少なくとも清浄でなくては成らず、「報身」、「法身」に至っては、そなた達の前に現れる事さえ不可能なのである。故に、この七日間の短期閉関はそなた達に自分の問題をはっきり見出させるだけなのである。是でも未だ悟らず、 自分は修行している、自分は仏教徒である、自分は唱えている、自分は三悪道に陥らない、と思うのは間違いである!リンチェンドルジェ・リンポチェは今の程度まで修めても、尚非常に慎んでいる。たとえチェツァン法王よりリンポチェと認められても、ややもすると後戻りをする者も居る。故に上師の導きが無ければ如何にもならないのだ。

そなた達は七日間の閉関で、上師を観想しなければ堪え忍んでいけなく、気が狂いそうになる事が分かったと思う。其れは一般に行なわれている念仏の七日間とは違う。多くの人が七日間念仏をするのは、何かを願い求めているのである。自分が清浄でありたいとか、自分の心掛けが好い様にありたいとか、自分は感応したいとか様々であるが、これ等は外に求めているので、厳格には仏法と言えなく、外道である。今回の閉関はただ始まりで,この数年間自分がどんな所に努力を注いだかが分かったに過ぎない。そなた達の今までの苦労を知らない毎日では、この七日間が過ぎると崩れ折れるだろう。もし、法王及びリンチェンドルジェ・リンポチェが毎日加護をしなければ、こんなに無事に過ごせなかっただろう。そなた達の閉関修行は、リンチェンドルジェ・リンポチェの其れと比べると、まったく貴族の様で、飲食にも事欠かさず、全て法王とリン チェンドルジェ・リンポチェの絶えざる施しによって、初めてそなた達の世話をする人が居るのである。 彼らは大変苦労をしている。だから一切の衆生に感恩し、世話になった人々にも感恩すべきである。リンチェンドルジェ・リンポチェは更に開示して、リンチェンドルジェ・リンポチェが閉関を終えて関房を出ると、出会った人々を皆本尊と看做す、と仰せになった。弟子達がこんなに優遇されるのは、多くの前因がある。故に絶えず供養して、始めてこの福田を受け取る事が出来る。福田を耕すということは,今後修行する福田がここに有るのか無いのかと言う事である。我が直貢噶舉は実修派で、絶対に妥協しない。耳当たりのいい言葉を聞こうとしてもここには無い。必ず圧力を加え、修行するように仕向ける。 仏陀は衆生が輪廻することを望まない。これは簡単の事ではない。追いつめないといけない。 閉関を終了して帰っても自慢しない事。もし相弟子にそなたは普通と違うと思わせたら、多分、そなたは更に多くの間違いを犯すだろう。今日の閉関はそなた達に 少しばかり修行するという事は如何言う事かを体得させたに過ぎない。今日我等がこの様な安全な場所で安心して閉関することが出来る機会を得たのは、法王の福報のお陰だ。もし、そなた達がラキヘ行ったならば、それは恐ろしくて、夜風が吹いたり草が動いたりすると、多くの人は怖がるであろう。そなた達のこういう閉関に鬼は来ない、レベルが足りないからだ。

そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を引率して法王に拝見し、法王はこう開示された。上師と弟子がここで同時に修行する事は非常に得難い。ディクン・カギュ派は修行する事を非常に重視する。修行と礼拝、念仏とは違う。修行は経験で、心を修める行動だ。舎利子曰く。瞬時の修行の功徳は三千大千世界の宝石を供養する功徳より高い。ジッテン・サムゴンの著書にも修行に関する事が多く述べられている。慈悲心に関して、我々が唱えている「一切衆生が樂と樂の因を持つことを願う」のが慈悲心の解釈である。しかし此れでは修行することが難しい。ジッテン・サムゴンは更に曰く、可愛い赤子を見るときに感じる心、此れが慈悲心である。以上2つの1つは言葉で慈悲心を解釈し、もう1つは感覚で赤子を見るときに感じた心で慈悲心を説明している。故に、修行は感受性と経験の両面がある。大手印と禅宗は高い所で非常に近いのだが、その区別は修行方法の違いにある。

法王は敦煌宝蔵及び大正蔵での、六祖壇経の歴史の精髄を紹介され開示された。それは達摩祖師及びその上師を含む。ジッテン・サムゴンの大手印5支道で、どうすれば妄念を拒めるのかについて説いている。「禅」という字は「示」と「単」の組合せで、単一の思想、単純な思想を表しているの で、多くの雑念があってはならない。当然私達が閉関を始めると、多くの妄想が出てくるのはごく自然な事だ。ある者は自分の妄念が数多と出てくるので、閉関の成果がないと思い、少しがっかりするかも知れない。しかし多くの著作はその様に思うべきではないと言っている。普段これさえ知らなく、考えがどこに行っているかすら知らない。今そなたの心は少し定まり、始めて心の状態がどのようなのかを知る。これは心が少し定まった事を表す。心を定めることを学ぶ時間は、それほど長くないほうがいい。もし座禅を半時間行うとすれば、まずは6回に分け、毎回5分間行う。比較的に定まりを得た後、徐々に時間を延ばして毎回8分、10分 とする。座禅を行うにしろ、止めるにしろ、自分で把握して決めるべきで、妄念に支配されて決めるべきではない。そのコツは回数を多くし、毎回の時間を短くする。此れで徐々によくなる。法王は開示した後、更に自らすべての寶吉祥弟子に貴重な法薬を賜った。

そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは法王と別れ、弟子をつれて車でデリーに向かった。

2009年3月12日の夜、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはインドデリーのインペリアル・ホテルで弟子と夕食を共になされた。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に閉関の感想を語らせてから、そなた達に幸福、満足及び快楽を与えられない。しかし、閉関を休日と看做したのでは、この閉関はむだになると訓示された。各弟子の話は全部自己の問題ばかりで、普段リンチェン ドルジェ・リンポチェが教える四無量心を思い付いていない。閉関をする前にすでに注意したが、慈悲心から出発しなければならない。ただ自分の身内や 少数の者だけを思い付くのではない。しかしそなた達はまだ分別心があり、分別心があると慈悲が見えず、慈悲が見えないので仏法も見えない。そなた達は疑ってもいいが、仏法及び上師を疑うのではなく、自分の感情がなぜ慈悲心に変わらないのかと疑うのだ。

各弟子の会得した事はすべて参考にする価値がある。と言うのは、皆がすべて同様な問題があり、ただ各自の程度が異なっているだけだ。各人はこの一両日に気を静めて、何のために閉関したのかを良く考えなければ、ただ時間と金銭を浪費しただけになる。この51人は閉関に来たが、多くの人は来れなく、また法王とリンチェンドルジェ・リンポチェの加持がなければ、そなた達はこの閉関ができない。事前に多くの供養布施の絶えなき準備がなければ、そなた達はこのように行き届いた7日間の食事と宿泊が有る筈が無い。この度は弟子によく自分が何を修めたか、どこが間違ったかを見極めさせるためで、リンチェンドルジェ・リンポチェの標準から見ると、これは閉関とは言えなく、その表をなぞる事さえ出来ていない。法王がリンチェンドルジェ・リンポチェにさせた第1回目の閉関は1ヶ月で、それに今度このように心地良いものではなかった。しかも、この度はリンチェンドルジェ・リンポチェがわざわざインドで気候が最も心地良い三月を選んだ。

仏を学ぶにはよく話を聞く事から始まる。聞いて分かる事や、有用な事だけを選んで聞くのではない。上師がそなたに教える事は全て役に立つ。色々な人が色々な法門を説く。但し、ディクン・カギュ派はただ着実に自分を改める事から始める。チェツァン法王が今朝も開示されたが、ただ経文を唱え、仏を礼拝して、拝懺するだけでは修行でない。修行は自分を改める事である。チェツァン法王の開示とリンチェンドルジェ・リンポチェが平時開示されている事は同じであり、仏法がただ一つであることを示す。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子にそんなに厳しいのだろう?リンチェンドルジェ・リンポチェの20年余りの修行は、苦しみ抜いて修めた結果で、口先で話して得た結果ではない。漢人が密法を学ぶには色々な困難を克服しなければならない。学びたければすぐに学べるものではない。チェツァン法王はこのようにリンチェンドルジェ・リンポチェを訓練なされた。それ故に、リンチェンドルジェ・リンポチェも同じように弟子に厳しくする。これがリンチェンドルジェ・リンポチェに役立ったのであれば、弟子にも役立つ。もしリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子にもう少し優しくすれば、弟子が今より多くなるであろう。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは力を尽くし、命を掛けて弟子を教えている。現在、寶吉祥道場の名声は素晴らしいものがある。それはディクン・カギュ派で最も厳しい道場の故である。リンチェンドルジェ・リンポチェはチェツァン法王が苦心して育て上げたのである。若しリンチェンドルジェ・ リンポチェが良い弟子を育て上げなければ、チェツァン法王に申し訳無いのである。よって、この度の閉関はただ開始であり、将来には多くの閉関があり、また今回の閉関を参考にする。

故に、そなた達は何のために生きるかを良く考えなければならない。衆生を済度する等は先ず差し置いて、そなたが生きていて衆生に些細な利益があるのか?自分を改めて、更に身の回りの人に良い影響を与えられるのか?と考え、他人の模範となり、利己主義に陥らず、犠牲奉献をしなくてはならない。

2009年3月15日、尊きリン チェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターにて共修法会を主催した。これはリンチェンドルジェ・リンポチェがインドデラドンヂャンチュウブリン寺で第十回の閉関を円満なされてから、台湾に帰った後の第一回目の法会である。床の上に八吉祥布と花を敷き、経幡と法楽器に導かれた盛大なお迎えの下に、リンチェンドルジェ・リンポチェは道場にお入りになり、升座して殊勝な「ディクン・カギュ上師供養法」を主法なされた。

2009 年 03 月 26 日 更新