尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本に「上師供養法法会」、「千手千眼観音法会」、「施身法法会」を円満に主法しました。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは2014年8月15、16日に、日本京都寶吉祥仏法センターに殊勝な「上師供養法」、「千手千眼観音法会」、「施身法法会」を主法しました。日本、インド、台湾からの信者及び日本、中国、台湾の弟子を含めて合計270人余り共同に殊勝な法会に参加しました。
2008年5月、日本京都寶吉祥仏法センターが開光された以来、リンチェンドルジェ・リンポチェは
毎年京都民間の祖先を祀る「大文字祭り(五山の送り火)」の日に、京都寶吉祥仏法センターで殊勝な法会を主催し、清浄な仏法で一切衆生を利益して、無数な六道衆生を助けて苦しみを離れ楽しみを得させます。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは今回連続に二日間修法し、全部3種類の法門を修めて、極めて殊勝で得難いです。8月15日、「上師供養法」を修めて、参列者の福報を累積し、参列者に引き続きに法会に参加する事が出来ます。8月16日、「千手千眼観音法」を修めて、一切衆生が観世音菩薩と縁を結ぶこと助けて、観世音菩薩の助けを得ることを祈り、つまり、施身法の予備法です。その後、「施身法法会」を主法し、六道衆生を助け善道に往生し輪廻苦海を解脱させます。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、次第に修法し、参列者を助け仏を学ぶ福徳と資糧を速めに累積させるから、始めて因縁福報があって衆生を代表し仏法の助けを得られます。
8月15日午後2時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座を昇って上師供養法を修めました。また、修法の前に、参列者に正知正信の仏法観念を開示し、チベット仏法の教法の由来を紹介し、更に上師に供養する重要性及び上師供養法の殊勝を特別に開示しました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは下記のように開示しました。台湾、日本及び韓国に関わらず、多くの信者は仏教に対して間違い見解を持ちました。釈迦牟尼仏は2500年の前に出世をしてから、その時、インドにとても多くの宗教が存在しました。現在の道教、インド教、シーク教、カトリック教、キリスト教、或いは日本に祀る神社は、死後に宗教の「天」に行けると思い、また、幸福、快楽、愛情、財産、健康、権勢を全て祈ります。しかし、人類は歴史があってから、依然として戦争、災難、疾病は絶えなく、たとえ科学が進歩しても、多くの資源を投入しても、現状を変えて幸福を得たくても、すべて失敗しました。全ての人は自分の未来に対して、ある不安全感を持ちます。それは、皆が自分の未来を知らないからです。
釈迦牟尼仏は人から仏果を修めて、そして、成仏の方法及び修行の経験を世間に残しました。釈迦牟尼仏も仰ったことがあり、全ての衆生は成仏の条件を備えます。衆生はこの方法に従って学んで修行すれば、必ずある世に成仏することが出来ます。そのため、仏法は単純に加護を求める事ではない。仏陀は我々に方法を教導する先生です。しかし、我々は自らしなければならないです。仏を学ぶ事について、最も重要なのは我々が思った正しい考えを改正し、自分及び一切衆生を助け、未来に幸福の命がある事をさせます。
如何なる伝授された仏法の真偽を判明できるでしょうか。仏法では慈悲を重んじるから、伝法者は必ずそなたたちにどんな有情衆生でもその命を傷つけることができないと教えます。更に、伝法者は必ず多くの戒律を守って、必ずそなたたちにどんな地方政府に定められた法律でも違反できないと教えます。若し真の仏法行者であれば、必ずそなたたちに貪欲を減らし、別の衆生への瞋恚心を減らし、因果を信じることを教えます。真の仏法の伝授者であれば、必ず輪廻を深く信じて、この世に未来世の幸福を実行することを教えます。
続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェはチベット仏法の起源及び教法を開示します。リンチェンドルジェ・リンポチェは下記のように開示した。チベット仏法は中国の伝統の仏法とインドの仏法と結合し、1400年の前に、チベットの国王は蓮花生大師をチベットに赴き仏法を広めることを要請しました。当時、ある中国の禅師はチベットにいますが、チベットの皇朝の臣下は論議して、中国の仏法を学ぶか。或いは蓮花生大士がインドから伝えた仏法を学ぶか。この故に、国王は蓮花生大士と中国の禅師を誘って信者の前に仏法を論議させます。、結局、論議の中に蓮師の仏法は中国の禅師に比べて高くて深くなるから、蓮花生大士の教法はチベットに伝えます。
蓮師の教法は仏法の顕教を結びつけます。所謂顕教は全て仏が説かれた理論及び仏経です。大体浄土宗、華厳宗、禅宗、天台宗などの教派に分けます。顕教は仏法の理論ですが、仏法を実行し、自分を助けて成仏させるや、衆生を助ければ、密法を学ばなければならないです。蓮師の教法は顕教に基づいて、顕教を10年に学んでから、始めて密法を伝授します。それはチベット仏法は歴史に於いて、外に伝えないから、簡単に誤解を招き、この神秘感をある者に利用されて、悪事を行いやすいです。
現在、日本の本屋で日本人が思うチベット仏教の専門家が書いた本を買えます。実はこの本の内容はただ普通な常識ですが、密法を学ぶ正確方法ではありません。密法は公的に伝授するのではなく、釈迦牟尼仏は嘗て仏経に説かれたことがあり、若しある方法をある者に相応しくないと、伝授できないです。何故かと言うと、密法は公的に伝授しないから、多くの人が密法に対して誤解を引き起こします。人間の好奇心は極めて重いですが、明らかに自分が密法を学ぶ能力がないと分かっても、その内容を知りたいです。だから、簡単に要らない誤解が多く起こりやすいです。密法は博士がわかる学問とように、小学生に対してある秘密です。だから、自分は社会の地位があって、多くの本を読んで、自分の考えを以って密法を理解できると表すと思わないで、もし次第に段取りで密法を学ばないと理解できないです。
チベット仏教では四大教派に分けて、この中の一つは噶舉(カギュ)です。噶舉も多くのシステムに分け、リンチェンドルジェ・リンポチェの伝承は直貢噶舉です。噶舉派以外、他にはニンマ派、サキャ 派、ゲルク派があります。それぞれの教派では仏法を広められるのは「リンポチェ」と呼ばれ、大部分のリンポチェは転生です。しかし、去年、ダライ・ラマ僧は他の教派の法王と嘗て会議を開いて決めましたが、今後転生のリンポチェを一切認証しません。いま、それぞれの教派は各自のオフィシャルサイトに全て教派に認証されたリンポチェの写真があります。転生のリンポチェを除いて、他には少数のリンポチェはこの世に修めて証果になるのです。
直貢噶舉派は歴史上に900年余りがあり、直貢噶舉の始めの祖師はジッテン・サムゴンです。今まで伝えてすでに第37任の直貢チャツァン法王です。チベット仏教では全て弘法するリンポチェは必ず信者に仏法を学ぶ伝承をはっきり説明しなければならないです。ある教派の法王と一緒に写真を撮ったことがあるから、密法を修める事ではない。これはすべて嘘です。
リンチェンドルジェ・リンポチェの上師は第37任の直貢チャツァン法王です。これは公的に認めました。リンチェンドルジェ・リンポチェが日本に来てチベット仏教を広めるのはとても困難でとても大変です。なぜなら、日本人は幼いから外の物事に信用しないのを訓練し、宗教に対して恐懼感があります。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの世に仏法を学んで、自分の人生を変えて、仏法で多くの苦しい衆生を助けました。日本に仏法を広めることが極めて難しいと言っても、リンチェンドルジェ・リンポチェの生きる限り、必ず持続的にしています。それはリンチェンドルジェ・リンポチェはある者がチベット仏法の名義を借りて悪いことをさせないと望まないからです。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続いて上師に供養する重要性と上師供養法の殊勝を開示します。リンチェンドルジェ・リンポチェは下記のように開示した。世間の方式により、若し目上や重要な人物に会いに行くと、通常は差し入れを持って、自分の誠意を表示します。仏法により、我々がこの世で豊富な生活があるのはすべて過去世に嘗て供養と布施をしたことがあるから、供養と布施をしてから得る福報は過去世の貯金のようです。、しかし、貯めたお金はいつか使い切るから、この世で引き続きに供養して布施しなければならないです。
供養法を修めるとは皆に福報を累積させることを望みます。この世、未来世で仏法を学んで仏果を証する事が出来ます。今日、修める儀軌は顕教と密法を含めます。そなたたちは密法を学ぶ根器に至らないから、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に密法を説明しません。だが、出来るだけ顕教の方面を簡単に説明します。今日の法は直貢噶舉の歴代の上師に供養します。上師に供養するとは我々がこの世に生まれて、仏陀の教導を自ら聞く福報がないから、全ての仏法は必ず上師の教導を通して得ます。それは我々はどんな物を学んでも、必ず先に先生に供養すると同じです。
続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参列者に法本を開け、先に一回を唱えてから、皆に釈明する事を指示しました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは次のように開示しました。全ての仏法を修める前に、必ず発心しなければならないです。発心とは法会に参加する動機です。今日、法本の中に発心が「不共」と呼ばれて、つまり発心の方式が他の法本と異なります。発心は未来に仏法を学べて生死輪廻を解脱できるためです。
だから、内容は少し違います。第一の文書は「願わくば我に憤怒の敵、傷害の邪魔、及び主な一切の我に解脱して遍智を認められる事を遮断する者、虚空に一切の母の如く等の有情衆生(地獄道、餓鬼道、畜生道、人道、阿修羅道、天道)」と記載されました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは台湾であるニュースを見ました。犬の主人は犬を連れで海岸の魚市場に行きました。2匹の魚が地に落ちましたが、魚の周りに少しの水がありました。その犬は鼻で絶えなくて2匹の魚へ水をかけて、数分間も続けます。更に、その2匹の魚を押して、生きられるかどうかを確認しました。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのニュースを見ると、この犬は多くの人より慈悲です。もし、人間であれば生きている魚を地に落とすのを見ると、最初の動作を拾い上げて、それから、家に持ち帰って殺してから食べてしまいました。だから、人間は犬に及ばないです。
先程、法本の内容を言及して、我々の敵及び宇宙の一切有情衆生を助け、苦しみを遠くて離れて、未来に仏果を証することを望みます。発心は自分の平安、健康を求めるわけではなく、我々に傷害する衆生は全て未来に仏果に成られて、これこそ仏法です。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのご指示により、日本と台湾の参列者は別々で日本語と中国語で法本の内容を唱えて、唱える時に合掌しなければならない。そして、続いて修法して法本の内容を釈明しました。
法本の最後の内容は我々が今から仏果を証するまで、自分の身(身体)、口(言った言葉)、意(考えたこと)の三門が必ず善を行わなければならないことを誓います。我々は死ぬまでには身口意が善を行いのを誓います。最後の一言はいまから明日のこの時まで、身口意の三門が善を行うことを誓います。
もしそなたは仏果を証したいと、第一の文句を唱えます。もしそなたは未来の数十年に多くの災害と病痛がないを望んだら、第二の文句を唱えます。リンチェンドルジェ・リンポチェは大部分の日本人は恐らく第三の文句を唱えたら十分だと思います。なぜならば、彼らに一日に肉食させないなら、海鮮も含めて、達成できるはずです。タバコを吸わなく、お酒を少し飲んで、口が罵らないで、悪口しなく、人を騙さないなど、観念の中にも同じです。もしこれさえできないなら、全部を唱えないでください。
チベット仏教はとても民主です。リンチェンドルジェ・リンポチェは再度強調します。成仏したいのは第一の文句を唱えます。この世に災難がないと未来世に人間に成れることを望んだら、第二句を唱えます。もし一日の完璧でよい人になりたいなら、第三の文句だけで唱えます。ただそなたは唱えたら、仏菩薩、鬼、祖先はすべて聞こえます。もちろんそなたは唱えないこともできて、ただ祖先が怒ります。そなたたちは自分に唱えてください。リンチェンドルジェ・リンポチェは無理にさせないです。仏法はそなた達が思ったとおり迷信ではなく、いまの選挙により民主です。政治家のように人を騙す可能ではないです。
続いて、不共の皈依です。皈依とはどんな意味ですか?何を学んでも、必ず先生が必要、ある方法が必要です。これは皈依の意義です。そなた達は不共の皈依を唱えて、つまり、これからの生々世々に必ずある世に仏果に証することを表します。続いて、共の発心です。つまり顕教或いは密法を修めるのは共同の発心の方式です。更に、共同の皈依です。つまり、顕教及び密法を修めるのは共同の皈依の方式です。続いて、四無量心、慈悲喜捨を修めます。これらはただ皈依発心です。もしこの内容を釈明したら、多く事を解釈しなければならないです。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続いて参列者を率いて法本の内容を唱え、七支供養などを含めます。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは上師供養法を修め始め、ジッテン・サムゴン及び歴代伝承上師が壇城にいらっしゃることを祈りました。

弟子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上することを祈って、衆生を代表してリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上して法をお伺いを立ちました。ハタを献上する儀軌を行ってから、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続けて修法します。また、参列者を率いて《伝記十方三世》を唱え、更にジッテン・サムゴンの真言を唱えました。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示により、この内容は三寶及び三寶が我々への加持を賛嘆し、我々に仏法に学ばせられるのです。仏教の中の真言は本尊の願力、慈悲、修行経験及び真言を唱える者への加持の力です。加持とは我々の修行を障碍する事と人間を加持し除くことです。
若し、今日、真に皈依し善を行うことを誓う人間であれば、今日の供養を通して、この世に地獄、餓鬼、畜生道に落ちる機会を断ち切ることができます。その上、住むところの病魔及び障碍など一切を停止することが出来ます。法本には仏法に一切の敵及び障碍を除くことを祈り、
ポイントは仏を学ぶ人間を助けます。だから、成仏するまで止らなく善を行うことを誓ったら、もしこの世に善を行うや一日だけで善を行うことを誓うなら、得る福報も違います。これは因果です。つまり、上師の智慧です。もし先にそなた達に何を得ることを先に知らせると、そなたたちは大きな誓いを立てて仏菩薩を騙します。もしそなたが誓ったのは一日に善を行えば、寿命、財産及び福報がただ一日だけを増やします。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続けて修法し、修法の過程には薈供の儀軌を行って、全ての参列者に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが加持した供品を得て、その上、法会には仏菩薩と共同で食べ物を召し上がる得難く殊勝な因縁を得させました。
続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自ら参列者を率いて《吉祥法界祈請文》を慈悲深く唱え、上師の無尽の大恩大徳に感謝しました。上師供養法を円満に修めた後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を率いて迴向儀軌を修め、更に開示しました。この世に阿弥陀仏を信じ、殺生を止め、《極楽浄土に生まれしことを求める祈祷文》を唱えたことがあれば、阿弥陀仏浄土へ行ける方法をえる機会を持ちます。世間の人々は生まれてから死ぬまで、多くの時間にかかって、勉強したり、お金を稼いだり、快楽を探したりしています。しかし、誰でも落ち着いて死亡を考えないです。全ての人はある日に必ず死亡し、仏法は必ず方法があって、必ず我々に死亡の時に生理及び心霊の苦しみを跳ばす方法があります。いかに証明するのでしょうか。もし日本の信者が知りたいなら、リンチェンドルジェ・リンポチェに仏法を開示することを祈ります。もしリンチェンドルジェ・リンポチェの衆生済度の事跡を読んだ事があったら、仏法は死者を助け死ぬ前に沢山の苦しみを持たないことを分かります。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはチベット語で《極楽浄土に生まれしことを求める祈祷文》を唱え、広遠深満の法音にて、一字一句で《極楽浄土に生まれしことを求める祈祷文》を唱えた時強く望みますが、全ての衆生は輪廻を解脱でき、苦しみを受けない慈悲願力は道場及び無尽の虚空の中に充満しました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは衆生が輪廻の苦しみを受けること悲憫で惜しんで、祈請文を唱えた時に思わず涙に咽んで流しました。参列者は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの極めて殊勝な加持力を全て受け、リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を惜しむ慈悲力に震摂されて、涙が抑えられなく溢れました。
円満に修法した後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは次に開示しました。明日、「千手千眼観音法」を修めます。この混乱の時代に、我々は千手千眼観音の助けが必要です。千手千眼観音を修めてから、施身法を修めます。8月の済度は仏経に記載されますが、この故に徐々に中国道教、日本、またアジア区の習わしになりなす。仏経により、祖先を済度する事は決して木を燃やし或いは墓参りをすれば、出来るわけではないです。
リンチェンドルジェ・リンポチェはそれぞれに違った宗教を接触したことがあり、仏法だけ方法があって死者を助けます。多くの人々は済度が自分と関係がないと思って済度がただ儀式や風俗だと思います。しかし、実はこれも一つの修行の方法です。明日に修める施身法は今修められる修行者がもはや多くではないです。施身法をわかっても、真に衆生を利益する修行者も多くないです。それは施身法を学んだ事がとても困難で、更に修行者が大慈悲心を修めるまで始めてこの法に修められます。

リンチェンドルジェ・リンポチェは下記のように開示しました。今日、先に上師供養法を修めて、皆を助けて福報を累積させ、明日に続けて法会に参加することが出来ます。仏法には、人の一生にこのような特殊な法に会えることがとても簡単ではないです。リンチェンドルジェ・リンポチェは自身の経験として、世間にどんな事でも仏法より重要ではないです。リンチェンドルジェ・リンポチェもビジネスを経営し、家族もありますが、仏法は今までリンチェンドルジェ・リンポチェのビジネスや子供の世話を妨げないです。
法会が円満となり、弟子達は口を揃えて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの修法と開示に感謝し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りることを起立して恭しく見送りました。
8月16日午後2時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座を昇って主法しました。修法の前に、観世音菩薩を詳しくて紹介し、また、施身法を修める前に先に観音菩薩法門を修める原因を説明しました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは下記のように開示しました。今日、二つの法を修めて、第一は観世音菩薩迴向速証大楽文です。もし仏法を学びたいなら、まず慈悲を学ぶのが必要です。釈迦牟尼仏は紹介した沢山の仏菩薩の中に、観世音菩薩は慈悲の代表です。釈迦牟尼仏が説かれた仏経の中に、《普門品》は特別に観世音菩薩を紹介します。観世音菩薩を紹介する前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは先に慈悲を簡単に紹介します。慈悲は仏法の特有の言葉で、ほかの宗教では慈悲を言わなく慈悲を修めません。慈悲は二つのことです。慈は自分のよい事で衆生の悪いことを交換し、悲は能力があって衆生を助けて、苦海輪廻を離れ浄土に往生させます。
慈悲は人、事、物を区別しなく、善い人と良いことを行う標準と違います。人間は元々いいことを行うべきです。しかし、固定な対象があるとなりやすいです。《普門品》の中に観世音菩薩が如何なる苦しみを持つ衆生を助けることを紹介します。仏経の記載により、観世音菩薩は古仏の化身で、今回の人類歴史の前に成仏しました。今回の人間歴史の中に釈迦牟尼仏しか成仏しなく、仏経の記載により、地球に総計が7尊の仏が成仏になって、釈迦牟尼仏は第5尊の仏です。
観世音菩薩は成仏し後、多くの衆生がまだ輪廻苦海にいることを見るから、自分を仏から菩薩になりました。仏経には、仏は菩薩を成仏になることを助け、菩薩は凡夫が輪廻を離れることを助けて、成仏になる道に行き始めます。そなた達が分かりやすい方式で簡単に釈明し、教授も色々な種類を分け、教授が博士クラスの学生を教えるから、小学生が必ず小学生の先生から教えます。世の中に、博士候補生がとても少なく、小学生がとても多いです。皆は自分が多くのことを学んで、とても学問があると思いますが、仏菩薩の目にはまだ仏を学んでいない人がただ小学生です。
観世音菩薩は大菩薩で、十地以上の菩薩は「大菩薩」と呼ばれます。《華厳経》には凡夫に如何に初地菩薩から十地菩薩を修めることを教導し、十地以上から十六地まで法身菩薩と呼ばれて、つまり、大菩薩です。十七地まで成仏の果位です。だから、成仏は生々世々の事で、この世に仏経を少し分かると仏に成るではなく、毎世に修行しなければならないです。そなた達はこの世に因縁があって仏法に接触し、これは過去世に嘗て仏法を学んだ事があるからです。
観世音菩薩の「観」は目で見るのではなく、一心に世の中を見て、入定の時に、定境の中に世間の苦しみを見ます。「世」とは一切輪廻を離れていない衆生であれば、全て世間と呼ばれます。「音」は一切衆生が極めて懇切で観世音菩薩に祈る声です。仏経には、宇宙の中に、地球の人類が最も素晴らしいのが耳ですので、地球に言語で仏法を伝授します。
観世音菩薩は世の中に色々な異なる容貌があって、今日、修めるのは十一面千手千眼観音菩薩です。仏経の記載により、観世音菩薩は嘗て誓いを立てたことがあり、世の中に一切輪廻苦海の衆生を全て救済するが、若し出来ないなら、頭が11枚割れます。観世音菩薩は極めて長い時間にかかって衆生を救済し、多くの衆生はまだ輪廻を解脱できないのを見て、自分の立てた誓いを違反すると思ったから、頭が11枚割れました。観世音菩薩の上師、阿弥陀仏はこのことを分かった後、観世音菩薩の慈悲を憐憫し、観世音菩薩を助け11個の頭がある本尊になり、更に観世音菩薩の体に手を40本化現し、全て掌の中に一つの目があり、また、一つの法器を持ちます。それは苦海に輪廻する衆生が多すぎるから、千手千眼観音という法身で衆生を助けるのが必要です。
済度法を修める前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは先に観世音菩薩の心咒を修めて、観世音菩薩に祈って、六道の中に一切輪廻衆生を助けることを願いました。仏経には、観世音菩薩は地球の人間と縁が極めて深いと説かれました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは断言できますが、人間であれば、、過去世に必ず観世音菩薩と接触したことがあります。観世音菩薩の心咒は仏の智慧で真言の中の秘密の意義を釈明すれば、一つの小劫でも釈明することが出来ないです。皆は大体分かればいい、この真言が観世音菩薩の慈悲、一切功徳及び仏法事業です。後程、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を率いて真言を唱える時に、皆の心は一切苦海を離れない衆生を悲憫し、自分も懺悔の心も持たなければならないです。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは始めて修法し、参列者を率いて六字大明咒を唱えました。また、円満に修法し後に開示しました。先程修法し、最も重要な事が一切衆生を助け、衆生に観音菩薩と因縁を起させます。若し衆生が仏菩薩と縁がないと、仏菩薩が助けたくでも助けられないです。だから、我々は衆生を代表して観世音菩薩の助けを求めます。日本の信者は唱えるスピードに及ばないかもしれないですが、助ける衆生が自分の家族、全て知っているや知らない人を全て含めます。我々は彼らを代表して願います。多くの人は自分が順調になれば十分だと思って、実は地球や宇宙に発生した事は全て直接的に、間接的に、我々と繋がります。だから、済度法を修める前に、この1時間余りが事前の予備のためです。

8月16日、午後3時20分、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座を昇って、自ら殊勝な直貢噶舉の施身法を主法し、更に施身法を修める得難さ及び施身法が衆生に殊勝な助けを与えることを開示しました。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは施身法が密法の八大成就法の中の一つだと開示しました。成就とは修行者がこの世に一心に施身法を修めれば、必ず生死を解脱することが出来ます。法本にははっきり記載され、施身法を修める修行者の身の上に保護物或いは仏像を一切つけられないです。施身法には、修法者は一切衆生を代表し、自分の身体と血と肉で一切諸仏菩薩に供養し、更に一切衆生を代表して布施し、有情衆生を食べさせて特別に鬼道の衆生に対して。今、四大教派では施身法を修められる修行者が余り多くないです。このようなに多くの人の前に公的に修める人が尚更にいないです。
施身法を修める前に必ず10年の顕教を修めなければならないです。その後、3年の不共四加行を修めます。不共四加行とは10万回の大礼拝、10万回の百字明咒(百字の真言)、
10万回のハタを献上する(供養)と10万回の上師相応法を含めます。続いて、修行者は閉関修行し、ある本尊を修めます。通常は先に観世音菩薩を修め、閉関修行の時に、100万回の六字大明咒を唱えなければならないです。閉関修行とは固定的な部屋の中に出掛けることが出来なく、円満まで人と喋ったり、入浴したり、髪を剃ったり、爪を剃ったりすることが出来ません。
その後直貢噶舉の大手印の禅定を学びます。大手印は4つの次第を分けて、各々の次第をまた3つを分けて、第二の次第の中の最高の次第を修めれば、始めて施身法を学びます。
施身法の法本は2冊を分けて、一つは自分が先に修め、成就まで修めてから始めて他人を助けて修められます。所謂成就は《寶積経》には菩薩が何も懼れなく、それは菩薩が慈悲の力と慈悲心を具えるから、どんな衆生からの傷害を受けることを恐れないです。皆は法会に参加すると、必ず慈悲心、懺悔心、仏法と修修行者への恭敬心が必要です。若しこの三つの心を具えれば、修法者の功徳を加えると、そなた達が思うことが全て願った通りに叶えます。施身法は意外で死ぬ衆生に対して極めて大きな威力があり、彼らに苦しみを離れること助けられます。
修法が円満となった後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは特に日本信者のために法本の祈請文を開示しました。日本は中国古代と同じように鬼神を祀ります。仏法がチベットに入らない前に、チベットでも鬼神を祀りました。法本の中に最後の文書が言及されましたが、加持を願って影がない神鬼に利益することが出来ます。所謂利益とは、鬼と神の身を離れ西方極楽世界に行く事を望みます。若し長期に施身法を修めると、無病快楽の青春を得るように加持を願います。だから、青春無病がほしい人は必ず確実に仏を学んでください。
法本に記載されたのは我々が過去に行った殺生、偸盗、詐欺、タバコを吸うや飲酒などの悪業は邪魔及び鬼衆を招いて起こった病痛と苦しみは今日の法会にお陰で、直ぐ消えるように望み、上師の加持を祈ります。法本には他にも上師の加持を願うことが多いです。一言で言えば、病気の原因が多くあり、法会に参加した後、皆は出来るだけ善を行うだけではなく、善を行うことを良く努力しなければならないです。
仏は嘗て開示したことがあります。全ての人の命は自分が作ったのです。両親はただこの世で我々にこの身体を与えただけです。しかし、そなたの未来と未来世は自ら創りました。仏の教導した方法に従って行うかどうか、そなたは自分が決めます。仏法は決して独裁ではなく、恐喝の方法で信者に恐喝するのではなく、様々な方式で誰に仏法を信じることを脅さないです。仏菩薩及び上師の前に、衆生が全て平等です。それは、一切有情衆生は全て成仏の条件を具えるからです。多くの人々は沢山のことを祈りますが、未来が自分に頼って作ります。
リンチェンドルジェ・リンポチェは自身を例にして、元々今まで生きるべきでないです。しかし、36歳から始めて仏を学んでから、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を生活に活かしてから、自分の一生を変えました。皆は仏法を行え、聞き込めれば必ず行えます。ある者は行う勇気がないや行いたくないのは、因果を信じなく、輪廻があるのを信じなく、
自身に対して自信がなく、上師に信心を持たず、仏法に信心を持たないからです。故に理論的には、仏法が政治とお互いに結ばないはず、仏法は全ての衆生に対して助けがある方法です。
リンチェンドルジェ・リンポチェは下記のように開示しました。二日間の法会は日本に多少に役に立つと望みます。仏菩薩に祈って、この土地の災難が減り、この土地も二度と戦争が起こらないのを望みます。此れは全て仏菩薩の願いです。日本で正しい仏法を広めるのは極めて難しいですが、リンチェンドルジェ・リンポチェは諦めないです。生きる限り、自分の力を尽くして、日本の信者に仏法を知らせます。
何千年に経った後、釈迦牟尼仏が説かれた《寶積経》には末法時代に多く仏法を人は有名になるため、利益を得るため仏が説かれた方法を歪み、信者を阿諛し、仏法を滅ぼします。だから、末法時代に仏法を発揚するのは極めて大変な仕事です。リンチェンドルジェ・リンポチェは此の世に出来るだけ行います。現在全世界でも同じで正しい伝統を維持するのは益々難しくなります。とても難しいと言っても、我々は必ず堅持します。人類に役に立つなら、我々は堅持します。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を率いて迴向儀軌を行いました。更に弟子達を率いて、アチ護法を修めました。法会が殊勝で円満となります。弟子達は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの修法と開示に感謝し、起立して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座から降りることを恭しく見送りました。
この末法時代に於いて、衆生は福が薄くて業が重いです。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、全ての力を尽くして絶えずに日本及び海外各地で仏法を発揚し、日本及び世界の平和に対して、不思議な加持力を具えて、日本の民衆に徐々に正知正信の仏法を理解させて、受けさせます。日本国及び人民に機会があって、仏法の無上の功徳のお陰を受けます。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの悲智任運を感謝し、衆生の需要を深く理解し、大慈悲心、菩提心で広大無辺の仏法の助けを賜って、衆生の仏を学ぶ障碍を除き、仏を学ぶ資糧を累積させて、輪廻苦海を解脱させて、六道一切有情を利益できます。
2014 年 09 月 06 日 更新