お知らせ

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは2011年11月に250人の台湾寶吉祥の弟子達を連れてわざとインドに飛んで行って、11月10日午前に北部のパンジャブ省重要都市ですジャランダー、当地のシーク教徒の恭しい祈請に応じて、一回殊勝な「普巴(プルパ)金剛」法会を主催します。当日は週末の休日ではないが、しかしインドの貴賓308人、台湾からの信者7人、皈依弟子250人を含んで、合計で565人も参加して、そして4名のラマ僧はわざわざヂャンチュウブリン(強久林)から法会に配置して行うように協力しに来ましました。法会の中に、地動の瑞相が現れて、法会に参列する大衆は地面が2度上下に震動したことを感じて、これは法会の殊勝で円満な瑞相で、大衆は法会の殊勝さにしきりに賛嘆しましました。それから、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を連れて、北インドのドランドンにあるヂャンチュウブリン(強久林)寺に向いて、11月12日及び13日に直貢噶舉教派の冬季法会に参加して、喜金剛灌頂を受けて、そして弟子を率いて三恩根本上師――尊勝なる直貢チェツァン法王に拝見しに行きましました。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐさま13日の夜から、尊勝なる直貢チェツァン法王の指導の下で、ヂャンチュウブリンで閉関修行して、11月19日まで、第12次の閉関修行が円満に完成しましました。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥弟子達を連れて、11月8日に台湾から出発してインドのニューデリーまで到着して、そして一行の人が翌日に早朝特別車に乗ってジャランダーに向って、その夜、リンチェンドルジェ・リンポチェは宿泊ホテルのレストランで随行する弟子達と食事しましました。大成就者と共に食品を楽しむことができるのはとても大きな福報なので、寶吉祥仏法センターの弟子達は上師リンチェンドルジェ・リンポチェが常に弟子に福報を累積する機会を与えるのに恩に着ます。夕食の時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは法衣を着ていないで、普段着を着ていても、しかし1人のレストランのマネージャーは依然として、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と荘厳を感受して、能動的にリンチェンドルジェ・リンポチェに加持されるように願って、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に承諾して、長距離の旅の苦労を顧みないで、長い間でこのレストランのマネージャーを加持されましました。ホテルのマネージャーは先に手でリンチェンドルジェ・リンポチェの靴に触れて、そして自分のおでこ及び胸先で触れて、リンチェンドルジェ・リンポチェに最高な敬意を表しましました。

翌日、リンチェンドルジェ・リンポチェは明け方にすぐ弟子達を連れて、ニューデリーから約360キロメートルの北インドのパンジャブ省重要都市ですジャランダー(Jalandhar)まで駆けつけて、車隊がジャランダーに行く途中、空には二本の直立の虹の瑞相が現れましました。現地の信者達は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを歓迎するため、ジャランダーの主な大通りの多くの所で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大型の法照を設置されて、リンチェンドルジェ・リンポチェと寶吉祥弟子の宿泊するホテル及び食事するレストランも同じく表門の入口で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大型の法照を設立して、リンチェンドルジェ・リンポチェがジャランダーにご光臨なさって殊勝な法会を開催することを恭しく迎えて、現地での無数な衆生に法の利益を受けさせます。

ほぼ10時間ぐらい車が上下にも揺れた運転時間を経て、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは宿泊ホテルですべての随行する弟子達と晩餐会をしましました。寶吉祥仏法センターの弟子達は上師リンチェンドルジェ・リンポチェが再度弟子に福報を累積させる機会を与えたことに恩に着ます。晩餐会がもうすぐ終わる時に、レストランは当月(11月)の誕生日のお祝いのため、2層のケイキを用意して、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェが誕生日ケーキを切る事を誘いましました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、誕生日が母難日(母親が難儀した日)で、もともとはあまりお祝賀する必要がないが、しかしケーキが既に捧げられて、食べないともったいないと開示しましました。この19名の誕生日の人は今日の誕生日のすべての人を代表して、すべての母のために福を増加して寿を増加します。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自らケーキを切って、そして慈悲に、「第1刀、衆生の悩みを断つように;第2刀、情感の悩みを断つように;第3刀、すべての病魔を断つように。リンチェンドルジェ・リンポチェは本来、夜にデザートを食べないが、今日衆生のため、ウエストを犠牲する」と開示しましました。居合わせるすべての弟子達はリンチェンドルジェ・リンポチェがいつも一心にすべての衆生のためですことに恩に着ます。多くの人は次から次へと涙を流されましました。晩餐会の時、空には金色の月暈の瑞相が現れましました。

11月10日に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは北インドのパンジャブ省のシーク教の重要都市ですジャランダー(Jalandhar)で、殊勝な「普巴(プルパ)金剛」法会を主催します。今度は、リンチェンドルジェ・リンポチェは4回目にインド現地の信者の祈請に応じてその地区で法会を開催するが、この前に、その地区はチベット仏教の法会を一回もやったことが無いが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な密法で当地の衆生を利益するだけではなくて、更になめらかで優美な英文にて、分かりやすく生き生きと仏法で信者を開示して、法会に参加するインドの民衆に法喜充満して、恭しく賛嘆するようにさせましました。

法会の現場で、リンチェンドルジェ・リンポチェの大型の法照が数枚も見えて、会場の周りには、直貢噶舉教派の旗幟を懸かっていて、法会現場の装飾は非常に荘厳です。午前9時、2百数人の寶吉祥弟子達は既に法会現場で座っておいて、法会に参加するあらゆる貴賓及びインドの信者達が整然と静かに一人ずつ会場に入って、すべての参列者は最も恭しい心にて、リンチェンドルジェ・リンポチェが法席に昇ることを恭しく待っています。午前10時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはホテルが特別に用意される赤いじゅうたんを通って、法会会場に到着されましました。経幡、薫香炉、楽器の吹奏音と宝傘の先導護送で、また出家衆の導かれたともに、リンチェンドルジェ・リンポチェは生花がこぼれている八吉祥図案が印刷された白いじゅうたんを歩いて、法会会場に入って、法会に参列する大衆が起立して合掌するまま、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法席に昇ることを恭しく迎えましました。リンチェンドルジェ・リンポチェは壇城の上で尊勝なる直貢チェツァン法王と尊勝なる直貢チョンツァン法王の法照と諸仏菩薩に頂礼してから、法席に昇りましました。そして衆生を代表して、点灯して仏陀を供養して、引き続いて茶の供養の儀軌を行いましました。

法会は始まって、領衆する弟子は法会に参加する大衆を祈請文を唱えるように連れて、現地の信者は担当の弟子の導引のもとで壇城に向かって、現場で自分で抽選された5名のマンダラを捧げる信者、及び100名の点灯する信者の代表はマンダラを捧げる儀軌及び点灯する儀軌を行いましました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは点灯する信者達がすべて点灯し終わったことを待ってから、参列者に貴重な仏法の開示を与えましました。

リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示されました。皆さん、おはようございます。今日皆さんはお忙しい中、法会に参加しにくるのは一つとても良い事です。仏教は人種と宗教を区別しないので、すべての人に対して全部平等で、必要さえあれば、仏菩薩が助けます。今日の法会は我々に累世の業障、体の病魔を消滅させることができます。

先そなた達が見た行なった二つの仏法の儀軌は。一つはマンダラを捧げる儀軌で、供養することを代表して、すべての衆生を代表して上師と諸仏菩薩を供養するのです。供養により、仏菩薩の助けを受け取る縁と福報があります。もう1つは灯の供養で、灯の供養は仏法の中で重要な儀軌で、灯は仏の光が一切衆生を照らすことを代表して、衆生に輪廻の苦海を離れるように助けます。仏の光はすべての障害を取り除くことができて、点灯して仏を供養する事を通して、知恵を増加させます。それも仏法を学んで明るい未来があることを象徴します。長期にわたり点灯している者は、容貌が比較的につやがあって、美しくなります。灯の供養により、同じく仏の光が照らして、この法会を加持することを表します。

今日修める「普巴(プルパ)金剛」という法は仏教の中の忿怒の本尊です。仏教は寂静尊があり、比較的に慈悲で優しい、そして、忿怒尊があります。忿怒尊は恐ろしい外観を現れて、そなたが間違いの事をした時にそなたを厳重に処罰するのではなくて、あなた達は自身のした因であれば、もともと自分の果報を受けるはずで、仏菩薩があなたを罰するのではありません。忿怒尊の意味は衆生の悩みがとても重くて、内心世界の貪、嗔、痴がとても重い時、忿怒の様子は衆生に速く貪、嗔、痴を除いて切れるように手伝うことができます。忿怒尊は両親と同じように、子供を教える時に、最初に喜んで扱うが、しかし子供がずっと言う話を聞かない時、父母親は忿怒の様子を現れて、子供を静かにさせて、ようやく集中して父母の教えを聞くことができます。しかし、たとえ今多くの子供は父母が忿怒の様子を現れても、彼らも話を聞いてくれないで、末法時代にいる衆生の業力は本当に重すぎます。

普巴(プルパ)金剛を修めるのは次の通り皆を助けることができます。1.精神、情緒、脳の方面の疾患。2.幽霊、怪、竜、神の引き起こしたすべての無名の病気と癌を駆除する事ができます。3. 年、月、日、時の動きと違えて起こる意外事故を避ける事ができます。皆はいわゆるよくない年、月、日と時があるから、私達が非時意外があります。非時意外はそなたが死なないべきなのに却って死んでしまったのです。4. 星宿の変化が引き起こされる水、火と地震などの天災を避けることができます。太陽の風暴、黒子の変化は全て地球の地震と水害、火災を引き起こします。5. 他人は毒を使って呪いをかけて引き起こした障害を防止します。6. 累世の業障を取り除きます。

普巴(プルパ)金剛は金剛薩埵の忿怒尊で、阿弥陀仏、大勢至菩薩、金剛手菩薩、文殊菩薩と大威徳金剛の意の化身で、すべての仏事業の本体です。長期に普巴(プルパ)金剛を修めて成就を得た行者は、吉祥になり、一切の功徳を具えることができます。すべての功徳、富、健康、長寿、眷属が円満ですこと、仏法の事業が発達していること、威力無窮、最後まで円満することを備えます。普巴(プルパ)金剛は多くの法の本があって、今日修めた法は直貢噶舉教派 第29任 卻吉嘉稱法王が整理された法本で、この法本は一般の信者達に比較的に大きな助けがあります。その他の法本が公に修行することができないのです。直貢噶舉教派は今が第37任 直貢チェツァン法王で、この法は法王が自ら灌頂してリンチェンドルジェ・リンポチェに口伝して教授して、さらに本尊の円満な閉関を通って、この法本は既にとても長い歴史があります。普巴(プルパ)金剛の能力はとても強大で、いかなる法を修める時、普巴(プルパ)金剛を護法とすることができて、すべての悪魔を屈服させることができます。

普巴(プルパ)金剛を修めた修行者は必ず円満に閉関修行して、空性の慈悲を修めて、とても深い禅定、済度能力を具えると修められます。他の宗教の中にも忿怒の神も現れたが、意義は仏教と違います。彼達のやり方は敵を追い払う或いは殺すが、仏教の忿怒尊は敵を消滅した後、能力があって彼を済度される人なら、この法を修められます。若し敵を敵を追い払う或いは殺せば、彼達を浄土に済度できないなら、悪い果報があります。仏法は慈悲を根本として、敵に対してもこのように対応しました。若しそなたは敵と戦ってたとえ勝っても、機会がある時、敵も復讐します。仏法と修行者を通して、敵を済度しなければならない。累世にそなた達に傷付かれた衆生も含めた。仏法は根本から問題を解決するから、慈悲で全ての問題を解決して後遺症が残らない。

後程リンチェンドルジェ・リンポチェは法を修める。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェは何をして、何を話す事を分からないが、此れは重要ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェの根本上師尊勝なる直貢チェツァン法王だけ分かった。更に直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェの果位を認証しました。しかし、そなた達は直貢チェツァン法王ではない。そなた達は仏菩薩が行った全ては衆生のために利益して、衆生を助けて輪廻苦海を離れる事を分かれば十分です。

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは始めて普巴(プルパ)金剛を修めて、更に開示されました。一般に法を修める時三部分を分けます。前行、正行、迴向です。先程修めた一段は前行で、続いて正行を修めます。つまり法を修める主な部分です。前行は菩提心を発すことと供養することで、供養物を加持した後、外に置いてある鬼神を食べさせて、彼達に法会の進行を妨げさせません。続いて八種の供養儀軌を進めて、八種の供養物で仏と本尊に供養します。

リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて本尊を迎い、仏菩薩を供養して称賛する儀軌を行ないました。そしてこう開示されました。後程法を修める時、そなた達はまっすぐに座って、背中を椅子の背持たれに頼らなくて、トイレに行かないで、考え方、雑念を余り持たないで。そなた達が嘗て傷付かれた衆生及び累世の父母達を代表して参加します。恭敬心があって、この法を修めればそなた達にとても大きな助けを与えます。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて法を修めて、参列者に自分の名前を三回話させて、普巴(プルパ)金剛に助けられる眷属と友達の名前を三回話させます。

続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに普巴(プルパ)金剛法の正行を修めて、本尊の真言を唱えました。この法を修めるはとても儀軌を重視しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて本尊の真言を唱える時、極めて獰猛な表情を表して、眉を逆立て、目を突き出し、口を歪めて、それは、普巴(プルパ)金剛の忿怒相と全く同じ、本尊と相応する殊勝な兆候を現します。修法して真言を唱える過程において、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に極めて低く沈み雷鳴のような叫び声を発し、極めて威厳に首を回して俯きました。今回修法して現れた普巴(プルパ)金剛の忿怒相の時間はとても長くて、威力は比類のないが、参列者は全て普巴(プルパ)金剛本尊が降臨した無比の震撼と勇猛な力を感じました。修法する過程において、600人余りの参列者は誰にも動かなくて、現場はしんと静まりかえって、赤ちゃんも完全に泣かなくて、不思議な摂受力です。多くの人も涙が流れました。此処から見ると、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの法を修める時、加持する力はとても強くて、衆生を助けて、仏を学ぶ障碍を除けて、無数な衆生を利益できます。

法会が始まる前に三匹の鳩は法会会場に飛び込んで、常に会場の上にぐるぐる回り飛んでいました。法会の過程に於いて、屋根の梁に留まって、静に法会に参加しました。

続いて、アチ護法を修めました。護法を修めるのはアチ護法が法会を順調に進むように守ることに感謝します。

続いて、薈供の儀軌を進めて、参列者は全てリンチェンドルジェ・リンポチェが加持された供え物を貰いました。また、法会の中に仏菩薩と一緒に食べる得難く殊勝な因縁を得ました。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されました。今日皆に配る供え物は台湾から運んだ日本食品で、皆は法会の中に少し食べて、また一つを取って回供としてしなさい。法会に参加できない衆生に与えるのは布施の一つです。大福報があれば、ようやく上師、本尊及び仏菩薩と一緒に食べ物を食べる機会があります。福報がないとできません。例えば、乞食者は富豪と一緒に食事出来ないと同じです。今日皆に、上師、本尊及び仏菩薩と同時に食べ物を食べる縁があるように助けます。何故そなた達に供え物から一つを取って外に持ったのですか。それは法会に参加できずそなた達が見えない衆生、神魔に与えて、彼達に機会を与えて、上師、本尊及び仏菩薩の助けを得させました。この供え物は仏菩薩を供養したから、食べると加持があります。皆を助けて業障を除いた以外、皆を助けて仏菩薩と共同受用の縁を作りました。

リンチェンドルジェ・リンポチェが引き続き一段のお経文を唱えてからこう開示しました。先唱えたのは懺悔と満願文で、皆が煩悩を断つことを助けました。煩悩は全て我々の欲望から生じました。欲望があるから、執着を起しました。我々の執着は我々に苦しみを起しました。上師、本尊及び仏菩薩の助けを通して、皆が煩悩を断つことを助けることが出来ます。

続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは普巴杵で皿の中にツァンパで作った仏の供え物を切りました。それはそなたと憎しみがある物を全てこの皿の中に招いて、普巴杵で切って、そなた達が衆生と全て憎しみを供え物に化して、本尊に供養します。

その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲に指示して、参列者に行列させて、壇城の前に行かせました。リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら普巴杵で全て参列者の頭に置いて加持しました。リンチェンドルジェ・リンポチェの右肩は関節の中に軟骨がないが、今日600人余りの参列者を加持するため、リンチェンドルジェ・リンポチェは右手で法器を持って、腕を数百回以上曲がって、一心に衆生に助けを与えました。また丁寧に弟子を指示して、信衆が貴重な寿球と寿酒の動線を調整して、自分の苦労を完全に無視しました。金剛乗成就者が衆生を利益する心は如何なる堅い。たとえ自分は極めて苦しみを受けても、懸念なのは衆生の苦しみです。リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に全部の命で仏法で衆生に助けを与えて、僅かな報いでも求めません。

リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに法を修めて、開示されました。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェが行った事はそなた達が構いません。直貢チェツァン法王だけ分かります。そなた達は唯まっすぐに座って専念に聞ければいい。そなた達は分かるかどうかを問わず、リンチェンドルジェ・リンポチェは何をする事を考えないで。そなた達は専念に聞けば、そなた達の未来に対して必ずよくなり、必ずそなた達を利益できます。

続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは五色旗を持って、開示されました。この儀軌はそなた達を助けて、寿命を増加できます。そなた達は通常に起こった貪、瞋、癡が止まらず自分の寿命を消耗する悪行をしていた。殺生、肉を食べ、酒を飲み、タバコを吸い、麻薬を吸い、欲望が重いなど全て人の寿命を損害しました。修法を通して、消耗された寿命を補充できます。仏を学ぶ人に対して、寿命を増加するのはそなたに十分の時間を与えて、仏法を修行できます。一般人に対して、寿命を増加するのはそなた達に善を行って、そなた達に享受させ、金を稼ぐのではありません。お金のためにどんな事もでも行えないでください。汚職、賄賂しないで。そなた達は此の世に財があるのは前世に供養布施した事があります。此の世に善事を多く行って、福報を累積すれば、来世はよくなれます。

そなた達に寿命をもう少し伸びるのはそなた達に伴侶を探せる事ではありません。若しそなた達は縁があって夫、妻を捜せば既に恋しました。今まで待つ事ではありません。そなた達は現世の運命は過去世に行って得られたが、縁があれば既に発生しました。今までまだ発生しないとはそなた達の運命はこのように決めました。その後リンチェンドルジェ・リンポチェは真言を唱えて、徐々に五色旗を振って参列者を加持しました。修法が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、今日の法会は修法が円満に終わったと開示しました。また、引き続きに儀軌を進めて本尊に見送りました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されました。仏を学ぶのはまず布施を重視します。例えば、シーク教徒は常に食べ物を貧乏な人に布施する事と同じです。そなた達は違う宗教の人にとって、そなた達が自分の神の教えに従って、引き続きに善を行って他人を助けます。

仏法は縁起を説かれます。仏教の源はインドです。釈迦牟尼仏は当年仏法を広めたのはインド、ネパールの近く所から始まって、その後中国、チベット及び世界各地に広めました。今日リンチェンドルジェ・リンポチェはチベット仏教のメンバーとして、インドに戻して法会を行なったのは、インド人、中国人、チベット人にとって、とても深遠な意義があります。

通訳を担当する弟子が適当に通訳が出来なかったので、リンチェンドルジェ・リンポチェは思い切って自ら流暢な英語で直接信者に開示されました。自分は高卒で、この弟子は嘗てアメリカの有名な大学で教育を受けて、眼科の医師で、基本的で英語がとても良いはずなのに、リンチェンドルジェ・リンポチェのようにはっきりして適切な方式で説明出来なくて、そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの英語を聞いて分かりますか。参列者は頭を頷いて分かったと言いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて申されて、これは通訳を担当する弟子が大変緊張で、彼は自分が一番良く出来ると望みましたから。実は所謂一番良い標準がありません。一番大切なのは集中で、集中ですれば結構で、一番になるのを考えないで、世界中には一番良いものがありません。仏を学ぶには一番重要なのがやり始めて、何が一番良くするのかを問わないで。仏教は宗教ではなく、一つ高いレベルの教育で、別の宗教と同じではありません。今日の法会はそなたをリンチェンドルジェ・リンポチェ或いは仏教に皈依させるのではなく、そなた達はそなた達が信仰する神様の全ての教えに従って善行をし続けます。今日皆が法会に参加しに来たのは一つの縁起で、そなた達の未来に対して是非とても深い役に立ちます。一番重要なのは善行を作るのです。自分が善行すると思わないで、これ等の事をするのは自分のため、ある目的ではありません。いくらしたか、どの程度までしたか、何故だかを問わずやりなさい。善事を行うのは呼吸と同じ、そなたが呼吸しなければ死になります。他人を助けるのは善行するためと思わずに、人を助けるのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは毎日そなた達を覚えて、そなた達のため幸せを祈ります。

今日の普巴(プルパ)金剛法会が出来るには地元の信者を除いて、またJ.P.Singh様の賛助、多くの財力を尽くして、及び台湾寶吉祥仏法センターの250名の弟子、特別に台湾より仏教の発祥地―インドに飛んで来て、多くのお金を使って、それに、ドラドンより四名のラマ僧が手伝いに来て、その上リンチェンドルジェ・リンポチェが修法する必要です。何も求めずにこれ等をして、ただ皆とこの土地に対して役に立つと望みます。今日そなた達は法会に参加しに来るのが既にリンチェンドルジェ・リンポチェと縁を結みます。皆はリンチェンドルジェ・リンポチェと関する仏法の事業が知りたければ、寶吉祥仏法センターのウェブ・サイトで、毎週リンチェンドルジェ・リンポチェが法会の中に開示された内容が見えます。どの問題があるなら、ウェブ・サイトと結んだ電子メールを通じてリンチェンドルジェ・リンポチェにメールを書く事ができます。

今回こんなに多くの人力、物質を尽くしたのは今日の法会によって、この土地と地元の人に全部元気で、平和共存をさせ出来るように希望しました。山には山神、地母があり、なぜまた地震或いは戦争など災難がありましたか?それはそなた達が山を掘って、土地を破壊したからです。土地の上に建築工事を行うなど地母に影響したので、地震があります。今日の法会は地母と山神に楽しませて、この地区の人にも安らかに暮らし、楽しく仕事をするようにさせます。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に何か仕返すものを求めなく、但し皆がこの一生に多く善行をするように望みます。今日法会に参加したのは唯数百名が、皆は全部善行、良い人、良い行為がすれば、周囲の者に影響して、それに全世界のため平和を持って来ます。

法会が円満に終わった後、参加する弟子と信者は道を挟んで喜びと感恩の心を持て、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座を降りるのを恭しく見送りました。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは全ての随行弟子達とランチパーティーして、寶吉祥仏法センターの弟子達は上師リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着て、弟子にもう一度福報を蓄積するチャンスを賜わりました。北インドのヂャンチュウブリンより来た四名ラマ僧も招かれてランチパーティーに参加しました。

翌日11月11日、リンチェンドルジェ・リンポチェは一刻もとまらずに200名弟子を引き連れて200キロメートルあまり遠いドラドンにあるヂャンチュウブリンへ赴いて、台湾より来た弟子を含んで、合計で249日弟子で、続く2日間ヂャンチュウブリン寺で開催される冬季法会に参加します。

古代には大リンポチェを迎える時、数キロメートルの外から迎えはじめてそれに茶を供えるのです。あの日午後6時頃、リンチェンドルジェ・リンポチェの車はメーン幹線より松賛図書館の道に入って行く時、尊勝なるチョンツアン法王の侍者揚佩(Yanpei)ラマ僧、ヂャンチュウブリン寺院の普卡(Puka)秘書及び拉達克(Ladakh)皮揚(Phiyang Monastery )寺の曲尼(Konchog Chönyi)マラ僧はリンチェンドルジェ・リンポチェを迎えてハダを差し上げました。車は約10分間がかかって松賛図書館に着いた後、噶舉仏学院院長ケンポス藍道(Rangdol)、ヂャンチュウブリン寺院の家職畢立(Bili)ラマ僧及び楚旺(Tsulwang)ラマ僧皆はリンチェンドルジェ・リンポチェを迎えに来て、それにハダを差し上げました。これは大リンポチを迎える規格です。

11月12日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥弟子249名を引き連れてインドのドラドンにあるヂャンチュウブリンに行って、直貢噶舉2011年冬季法会に参加します。午前、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に弟子達に先ず桑丹林尼寺へ拝謁することを指示して、弟子達はこのお陰で自らでリンチェンドルジェ・リンポチェが最初閉関した関房を訪ねて、それにアキ・ドロルマの関房に頂礼して、また勝楽金剛壇城を回る得難いチャンスを獲得しまいた。

桑丹林尼寺はドラドンの北部にあり、ヂャンチュウブリン寺院、松賛(ソンツァン)図書館及び噶舉仏学院に近いです。1997年に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはここではじめで閉関して修行した時、仏学院には供水施設が欠けたことを発見しました。寺院の中にのヨギーニ達は毎日の明け方全部一番寒い気温を耐えて、遠い水源地より水を担いで来て、一日の水を提供します。慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェはヨギーニたちの毎日の辛さを同情して、それで給水塔と水を吸い上げる設備のお金を出資して建設して、仏学院にの水をかける苦境を解決しました。リンチェンドルジェ・リンポチェの続き護持している下に、桑丹林尼寺はもともと25名の規模より現在の80名余りのヨギーニはここで修行する事になりました。

桑丹林尼寺を拝謁した後、寶吉祥弟子は車で近くにあるヂャンチュウブリン寺院へ行きました。リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子を引率して11月12日午後の直貢噶舉派冬季法会に一緒に参加します。今年の冬季法会は尊きガチェン・リンポチェが今日喜金剛予備灌頂法会を主法します。午後2時ごろ、寶吉祥弟子達は寺院の前の車道の両側に沿って列になってリンチェンドルジェ・リンポチェが到着するのを丁寧に迎えています。

この時、2人ソビエト社会主義共和国からの若い信者は主動的に隊列に近くして、好奇で弟子達に誰様が来るのを待っているか、どこからかと聞きました。ある弟子は、我々が我らの上師リンチェンドルジェ・リンポチェを恭しく迎えていると返事しました。我々は台湾の寶吉祥仏法センターより冬季法会に参加しに来ました。この2人ソビエト社会主義共和国人が聞くと直ぐこう表しました。彼らはリンチェンドルジェ・リンポチェを見た事がないが、彼らはとてもとてもリンチェンドルジェ・リンポチェに感恩しました。それは彼らが寺院に来た後、リンチェンドルジェ・リンポチェが寺院を護持する多くの事と今回の法会の事績を聞きました。彼らは約四、五十名あり、フランス、ドイツ、ソビエト、オ-ストラリア、スイスなど違う国より法会に参加しに来る信者が大変快適に法会に参加できるようにさせました。

間もなく、リンチェンドルジェ・リンポチェの車はヂャンチュウブリン寺院の入り口にいらっしゃって、寺院の家職畢立(Bili)ラマ僧は自らでリンチェンドルジェ・リンポチェを丁寧に迎えて、またハダを差し上げました。それに自らリンチェンドルジェ・リンポチェの側に立ち添って会場に入りました。

法会が始めて、ガチェン・リンポチェはマンダラを捧げるのを受け取って、また参列者に仏法を開示されました。法会の休憩時間が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェが2人のスウェ-デンの信者の傍を通った時、この2人は主動的にリンチェンドルジェ・リンポチェに、彼らがリンチェンドルジェ・リンポチェのウェブ・サイトを閲覧したことがあることを知らせました。それよりリンチェンドルジェ・リンポチェの大摂受力は不思議です。

リンチェンドルジェ・リンポチェが寶吉祥弟子を引き連れて法会の会場を離れるところに、会場にいる外国信者はリンチェンドルジェ・リンポチェの荘厳な法相を見て、主動的にリンチェンドルジェ・リンポチェに敬礼をしました。リンチェンドルジェ・リンポチェの摂受力は極めて殊勝で、会場の中の僧尼達はリンチェンドルジェ・リンポチェが通じるのを見ると全部立ちとめて極めて丁寧にリンチェンドルジェ・リンポチェに腰を屈めて敬礼して、真実な恭しい敬慕な感情を流露して、人に賛嘆させました。

法会が終わった後に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に尊勝なる直貢チェツァン法王が創建するソンツァン図書館に向くチャンスを与えて、その上、ソンツァン図書館を見学する時に静かなことを維持する事を指示しました。2001年、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王がこの仏教経典を保存する図書館が創建した事を知ると、上師の希望を充たすの為、たとえその時にリンチェンドルジェ・リンポチェが極めて窮迫していても、依然として経費を調達する事を担い始めました。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に祈って、十人余りのラマ僧を派遣して台湾に「金剛舞」の巡廻公演をしました。「金剛舞」は初めて台湾で巡廻公演をして、「ソンツァン図書館」の建設と開光式典の為に20万ドルの経費を調達し、ソンツァン図書館を護持して、その上、コンピュータと周辺設備が買い入れて設定しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは根本上師尊勝なる直貢チェツァン法王にとても恭敬して注意深くて、上師の辛労を注意して、万事が上師の為に前もって考えて手配して、上師に悩ませませんでした。今まで、リンチェンドルジェ・リンポチェは依然としてソンツァン図書館を絶えずに護持して、これは永遠な事です。

本来、すでに開放時間を越えるソンツァン図書館は特に寶吉祥弟子に見学する事を開放し、その上、ソンツァン図書館の館長から自ら解説しました。寶吉祥弟子は仏教の貴重な文化財を保存するソンツァン図書館の中に、貴重な白い檀の木彫りの千手千眼観音像に拝謁して、その上、感嘆させられるドマの収集を仰ぎ見た。寶吉祥弟子達は上師の恩徳に深く感じて、上師リンチェンドルジェ・リンポチェが教派に対して長くて絶えずに護持するわけで、弟子が冬季法会に参加するチャンスがあって、伝承の殊勝な加持を貰えて、仏寺の様々な厚遇を受けました。

午前、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは13日午前中、再度寶吉祥弟子を連れてヂャンチュウブリン寺に向いて、「喜金剛正行大灌頂」に参加し、リンチェンドルジェ・リンポチェの車がヂャンチュウブリン寺に着いてから、仏寺の管理人のラマ僧ビリが自らリンチェンドルジェ・リンポチェに迎えてハダをあげて、そして、自らリンチェンドルジェ・リンポチェに仕えて会場に入った。ヂャンチュウブリン仏寺の住職――尊きのチザギャラ・リンポチェは自ら壇城に降りてリンチェンドルジェ・リンポチェに誘って壇城に向いて座らせました。その上、尊勝なるガチェン・リンポチェの要求の下、リンチェンドルジェ・リンポチェが、主法上師――ガチェン・リンポチェの法席の左側の第2位の高座で座りました。向こうの席はヌバ・リンポチェです。主法上師――尊きガチェン・リンポチェは法席に登る時に、わざとリンチェンドルジェ・リンポチェに向いて、その上、リンチェンドルジェ・リンポチェと互いに額の挨拶をしました。

法会は始まってから昼まで、ガチェン・リンポチェは喜金剛灌頂の意味と内容を開示されました。昼食のお休み時間、ガチェン・リンポチェは法席から降りて、その上、リンチェンドルジェ・リンポチェを誘って休憩室に向かって暫く話し合って、この後、リンチェンドルジェ・リンポチェが寶吉祥弟子を食事場所に行かせる事を指示しました。

昼食の後で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥弟子を連れてヂャンチュウブリン仏寺に戻って、午後の喜金剛灌頂法会に続けて参加しました。法会が始まった後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは首位にアレンジして出家衆と出家弟子を連れて、一切の衆生に代表して、主法者の尊きガチェン・リンポチェにマンダラと供品を捧げました。マンダラを捧げる同時に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台湾から持ってくる2010年尊勝直貢チェツァン法王が台北ドームで主法する「チベット仏教直貢噶舉派祖師ジッテン・サムゴン793年記念大法会」の500枚DVDをラマ僧により出家衆と信衆に与えました。反応が熱烈なので、また、最も多くの人々は尊勝なる直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェに認識する事が出来る為、リンチェンドルジェ・リンポチェが一ヶ月以内に、又、5カートン(500枚)のDVDをヂャンチュウブリン仏寺に与えて、信衆、出家衆、功徳主に提供しました。ガチェン・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェが灌頂させることを誘ったが、リンチェンドルジェ・リンポチェが謙虚で断りました。法会が完了する前に、ラマ僧はガチェン・リンポチェから提供するルピーの現金を全ての参列者に与えました。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲深く全ての弟子にもらったルピーのお金を揃えてから、全部主法上師にガチェン・リンポチェに供養しました。寶吉祥弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に福報を作って累積する機会にとても感謝しました。最後、法会が完了する前に、ガチェン・リンポチェは一袋の多くの甘露丸をリンチェンドルジェ・リンポチェに与えて、リンチェンドルジェ・リンポチェは一袋の多くの甘露丸を全て今回法会に参加して来る弟子達に与える事を指示しました。弟子達は上師に従って法会に参加して、その上、無上の宝を貰える事に感謝し、心の中で全てとても感動しました。

ヂャンチュウブリン仏寺の法会は円満になって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ寶吉祥弟子達を連れて、尊勝なる直貢チェツァン法王に謁見して行って、その上、直貢チェツァン法王の住所に行く前に、弟子達に慈悲深く言いつけました。本来、直貢チェツァン法王はいま誰でも会えないが、完全な静養が要って、然し、今日、特に寶吉祥の弟子に接見しました。皆は直貢チェツァン法王を謁見する時に、言ってはいけなくて、声を出して挨拶しないで、感謝を言わないで、自分の感激或いは感動を表現したいので涙を流してはいけません。直貢チェツァン法王に邪魔しないで、如何なる声を起こさないで、会ってからすぐに離れます。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に尊勝なる直貢チェツァン法王に会える殊勝な因縁を作ってあげて、寶吉祥弟子達はが全てとても感謝しました。

寶吉祥弟子達は感謝していてリンチェンドルジェ・リンポチェに従って直貢チェツァン法王の住所に謁見しに入りました。直貢チェツァン法王は慈悲深くて全ての弟子達に室内で座って、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王の疲労を惜しむので、弟子に最も早い方法ではっきり座りました。直貢チェツァン法王は法席に置いている金剛結を指して、在席の寶吉祥弟子に送りました。リンチェンドルジェ・リンポチェは見てから席を離れて、直貢チェツァン法王の法席の側に行って、直貢チェツァン法王に協力して金剛結を袋の中に取り出しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に個別で金剛結をもらえて、直貢チェツァン法王に疲れすぎで、直貢チェツァン法王に頼んで寶吉祥弟子達に伝える方法により貰えました。リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら両手で金剛結を上げて直貢チェツァン法王に吹いて加持させて、それから、前列の出家衆弟子に皆に分けて渡しました。この時に、直貢チェツァン法王は金剛結を寶吉祥弟子の一部の者が「直貢チェツァン法王に有難う」とすぐに話しました。この行為はリンチェンドルジェ・リンポチェの叱りを受けてしまって、弟子達に口を開いて直貢チェツァン法王に邪魔する事がはずではありませんでした。

直貢チェツァン法王に仕える為、リンチェンドルジェ・リンポチェが随意に下敷きを持って直貢チェツァン法王の法席の側の地面に着席して、上師への注意深いと恭敬を自然に現れて、直貢チェツァン法王に無比に従順し、一心に上師の需要を注意し、自分を以って弟子が上師に仕えるベスト模範になりました。

寶吉祥弟子は全て金剛結を貰えた後、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王が再度精神と体力を消耗する事を惜しんだので、寶吉祥弟子に離れる事を指示しました。が、直貢チェツァン法王はとても慈悲で、自身の疲労にかかわらないで、依然として、寶吉祥弟子達に簡潔で重要な開示に与えました。直貢チェツァン法王は再び寶吉祥弟子に「リンチェンドルジェ・リンポチェはこの20数年以来、教派にとても忠実で、そなた達が上師の言う事を良く聞いて、直貢チェツァン法王がそなた達に祈る」と仰いました。寶吉祥弟子は直貢チェツァン法王の珍しい開示と金剛結を貰って、感謝で頷いて回答し、直貢チェツァン法王の深い誠意がこもる指摘が心の中の感動を喩え難いです。その後、寶吉祥弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの指示に従って順番に直貢チェツァン法王の住所を離れました。

当日の夕食後に、自身の苦労を顧みないで、衆生に利益するため、リンチェンドルジェ・リンポチェが関房に入って、ヂャンチュウブリンで第12回目の閉関を行いました。尊勝なる直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェが日ごろ無数の衆生を度して、完全に自身を考慮しないで衆生に助けを与えて、極めて大きく気力を消耗したことを知っていて、その故、リンチェンドルジェ・リンポチェが今年ヂャンチュウブリン寺で閉関することをわざわざ指示しました。根本上師 尊勝なる直貢チェツァン法王が仰った話について、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつもすべて守っていて、背かないで、遅らせる言い訳を探しません。リンチェンドルジェ・リンポチェが自分で経営する商売が非常に忙しいだけではなくて、そして1,000人を超えた皈依弟子達とその家族を配慮しなければならないが、しかし直貢チェツァン法王がこのように言いつけたことを耳にすると、直ちに承諾してそして直貢チェツァン法王の指示された時間に閉関修行をし始まりました。

11月19日朝7時30分、54名の寶吉祥弟子はインドのドラドンで集合して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを恭しく迎えるのです。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは第12次閉関修行が円満に終了して、出関後には、すぐ尊勝なる直貢チェツァン法王に謁見しに行って、衆生のために閉関したことによるすべての功徳を尊勝なる直貢チェツァン法王に捧げました。当日の群雲はとても厚いが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが出関した時、閉関の部屋の上空の群雲が盛んに沸き始めていて、突然太陽が雲から抜きん出て、眩い光芒を放っていて、雲気の変化が凄く多くて、きわめて殊勝な竜の形の雲が現れました。黄金色の日光は群雲の中から四方八方に放って、群雲がだんだん散っていって、かすかに広大な青空が現れて、まさに仏光が世間にあまねく照らす如く、衆生は殊勝な仏法の助けを得て清浄な本性を回復することができるようになって、大修行者の閉関修行が円満に終了した瑞相に賛嘆します。

同時に、どこから飛んで来るか分からない多くの鳥類が、その名を知らないカラーの鳥、トビ、ツバメ、鳩などを含んで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの閉関の部屋の周囲を回っていて帰りません。時々一斉に立ち上ってぐるぐる回っていて、時々林木間に止まって、絶えずちゅんちゅんと婉曲的に鳴いていて、耳に心地良いメロディーを出しました。寶吉祥弟子が列に並んで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを恭しくお待ち申し上げる時、このように美妙な情景を見聞して、皆は非常に喜ばしいと感じて、大成就者の閉関の殊勝な功徳を称賛しました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは根本上師 直貢チェツァン法王の指示に従って閉関して、完全に自身を考慮しないで、衆生を利益するために苦労に修行して、出関時の様々で見事な徴兆は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの修行成就が極めて殊勝ですことを顕示します。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは出関すると、閉関が円満に完成した時の薈供の供え物を、ある男性弟子に指示して、出関を迎えに来る寶吉祥弟子達に交付するように言った。この弟子は口数が少なくて、あまり他の弟子と付き合いをしていなくて、慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェは極めて注意深くて、わざわざ彼に、加持されたお菓子を出関を迎えに来る弟子達に交付するように指示して、彼に機会があってみんなと善縁を結ばせるようにさせて、苦心が並大抵ではなくて、上師にいつも一心に弟子に配慮していて、弟子に殊勝な因縁と福報を作ってあげるのです。

寶吉祥弟子達が列に並んで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達等を連れてニューデリーに向かって出発することを恭しくお待ち申し上げていて、リンチェンドルジェ・リンポチェが到来する時に、出家衆弟子が衆生を代表して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養して、そして寶吉祥弟子の弟子達等を連れて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに五体投地で三回頂礼しました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは極めて柔和な目で弟子を加持して、弟子達に出発するように指示して、そして弟子達に待つ必要がなくて、観光バスに搭乗しに行きなさいと指示しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは車隊を率いてドラドンを離れる途中、依然としてたくさんの鳥類が長時間もぐるぐる回っていて離れないことが見えました。

その夜、リンチェンドルジェ・リンポチェは極めて慈悲で、今度出関を迎えに来る寶吉祥弟子に大修行者と夕食を食べる得難い機会を与えて、弟子達に福報因縁を累積させて、弟子達は極めて大切にして恩に着ます。

今回、ヂャンチュウブリン寺の法会に参加する時に、男の弟子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに仕える挙止が適当でなくて、すぐにリンチェンドルジェ・リンポチェがその場で責めて蹴る加持を貰いました。リンチェンドルジェ・リンポチェの教法はとても厳格で、ただ弟子が間違いを犯すと、すぐに指摘させて、弟子に悪因を造る機会を阻止しました。リンチェンドルジェ・リンポチェの嬉笑怒罵は全て仏法で、全て慈悲の表現です。今回のインドの旅は極めて疲れすぎけれども、リンチェンドルジェ・リンポチェが心の中にただ弟子達に関心し、弟子達に全ての一切を手配し、堅果と果物を常に加持し、弟子達に分けて食べさせて、いつも最も良い物を弟子達に与えました。寶吉祥弟子達はとても感謝し、上師がいないなら仏を学んで修行する事が出来ません。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に殊勝な因縁を作って、弟子達にこのような珍しい機会を持たせて、インドのジャランダーで尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが自ら主法するプルパ法会に参加する事が出来て、また、直貢噶舉派の2011年にドラドンのヂャンチュウブリン寺で喜金剛灌頂法会に参加することができました。寶吉祥弟子はとても幸せで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏法を学んで、その故に、尊勝なる直貢チェツァン法王と直貢噶舉伝承の加持を受領できて、弟子達の心の中に上師の限りがない恩恵にとても感謝しました。

2011 年 12 月 14 日 更新