お知らせ

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは2011年5月25日、日本京都寶吉祥仏法センターにて、「上師供養法」法会を主催して、参列者が日本人の皈依弟子1人と信者10人、インドの信者1人、台湾の信者8人と皈依弟子152人を含んで、合計で172人がこの法会に参加した。リンチェンドルジェ・リンポチェは5月28日また殊勝な「火供」法会を主催して、参列者が日本の貴賓16人、インドの貴賓1人、台湾の信者8人及び皈依弟子162人を含んで、合計で187人である。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは「上師供養法」法会を主催し、上師の配慮に感謝するだけではなくて、日本寶吉祥仏法センターの開光3周年であり、それに皆のために福報を蓄積する。リンチェンドルジェ・リンポチェはもうされた、人は意外事故、死亡、天災に会い、実は福報は使い切ってしまって、そのため絶えず機会を探して福報に累積しなければならない。不動明王の息法火供なら皆のため各種内魔、外魔の危害を収めて、仏を学ぶ障碍を取り除く。

日本は今年3月に巨大な地震と津波の災害を受けたばかりで、皆は災害現在リンチェンドルジェ・リンポチェは台湾に於いて皈依弟子は既に1,100名に達して、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って信衆も十数万人である。日本に於いて、信衆はまだ多くないけど、それは日本人は外来の物事に対してなかなか受け取らないから。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは諦めなくて、たとえ1人や2人の信衆は仏法を習いたいなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは生きている間に引き続きに日本で仏法を広めている。リンチェンドルジェ・リンポチェは火供を修める時に、慈悲にすべての法会参列者に、一人一人ずつ前に出てリンチェンドルジェ・リンポチェが法を修める供え物を受け取る機会があって、自ら自分の手で供え物を火の中に投げさせた。このような過程では、リンチェンドルジェ・リンポチェが法を修める時に絶えず必ず向きを変え、法会参列者が供え物をを受け取っている動態に注意しなければならくて、更に手を伸ばして供え物を取ったり放したりする回数も2000数回に達するように増加されて、脊柱側わん症に罹ったリンチェンドルジェ・リンポチェの体にとても大きく負荷をもたらした。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を捨てないで、仏法を広めるため、完全に犠牲し奉献する慈悲心と菩提心は、とりわけ人に感動して捨てないようにさせる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは火供を修めている時、大雨が降っていて、しかし火勢はもっと激しく燃やして、特にリンチェンドルジェ・リンポチェは真言を唱えている時、火炎が突然約3メートル高さまで上がって、威勢は猛烈であり、とても殊勝な瑞相である。その時、ある鳥は火供の壇城の上の空に飛んで、それから、ある大きく鳥も飛んできて、また、引き続き多くの鳥は全て飛んできて、上方にぐるぐる回って、その上、心地良い叫び声が鳴いていて、それはダーキニーの化身が来た殊勝な瑞相であった。火供が円満した後、大勢の参列者のお体のもともとの病気は直ちに改善を得て、皆にリンチェンドルジェ・リンポチェの不思議な大能力と密法の殊勝な所を一層深刻体得させた。

5月25日の「上師供養法」法会の中に、リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示された。今日は皆のため修めるのは「上師供養法」であり、この法はチッベト仏教密法の特殊な法門であり、顕教では修めていないのである。顕教とは今台湾、日本の普通な人が仏寺に行って接触する仏教である。日本では、実は密法があり、東密だと称され、唐の時に中国から伝わってきたのである。チベットの仏法は唐の時にインドと中国からチベットに伝わって入ったので、チベットの交通があまり発達していなくて、当時に多くの修行する成就者が現れたから、その故にチベット仏教は完備する顕教と密法を保存している。チベット仏教には四大教派があり、紅教--チベット語で寧瑪巴(ニンマ)を称し、白教--チベット語で噶舉(カギュ)を称し、黄教--チベット語で格魯(ゲルク)を称し、花教--チベット語で薩迦(サキャ)を称す。その中で歴史が比較的に悠久なのは紅教と白教であるが、しかし普通な人達はチベット仏教を言うと、ただダライラマだけを知っている。実はダライラマはただ黄教だけを代表して、第5世ダライラマから同時にチベットの政治と宗教を掌握したのである。

噶舉(カギュ)派の「噶舉(カギュ)」とは口伝という意味であり、すべての噶舉派の教法は全部上師が口伝してはじめて修行することができる。直貢噶舉教派は祖師 ジッテン・サムゴンが創られたので、既に830年の歴史がある。ジッテン・サムゴンはお経の中にも、十地菩薩以上の果位まで証得できるという予言があり、菩薩は登地--或いは「初地」から、二地、三、四、…十地まで分けられる。

ジッテン・サムゴンの上師はパクモドゥパであり、パクモドゥパの上師はガムポパであり、ガムポパの上師はミラレパであり、ミラレパの上師はマルパであり、マルパの上師はナローパであり、ナローパの上師はディローパである。その中、ディローパとナローパはインド人であり、マルパは顕教と密法をインドからチベットに持って入ったのである。

今日修める上師供養法は、上師の配慮に感謝するだけではなくて、日本寶吉祥仏法センターの開光3周年である。上師供養法を修めるのは、第1は衆生に福報に累積するように助けることができて、福報が寿命、健康、財産、眷属、社会地位及び尊敬されることを含んで、今の福報はそなた達の過去にした布施供養により得られる。福報は金銭のように、ある日に使い切るので、人は意外事故、死亡、天災に会い、実は福報は使い切ってしまって、そのため絶えず機会を探して福報に累積しなければならない。次は、上師供養法を修めたら、衆生に仏を学ぶ障害を取り除くことができて、第3は法会に参加する衆生が悪事を行った果報を軽減して甚だしきに至っては消滅させることができる。

現在リンチェンドルジェ・リンポチェは台湾に於いて皈依弟子は既に1,100名に達して、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って信衆も十数万人である。日本に於いて、信衆はまだ多くないけど、それは日本人は外来の物事に対してなかなか受け取らないから。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは諦めなくて、たとえ1人や2人の信衆は仏法を習いたいなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは生きている間に引き続きに日本で仏法を広めている。

そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは上師供養法を修め始めた。法本の中に始めの祈祷文はそなたに怒った敵、そなたを傷害した魔及び一切の障碍は全て暫く止まって、そなたに法会に参加する事を影響させない。続いて、衆生を代表して、諸仏菩薩及び上師に皈依し、尚更に生々世々の皈依である。それで発願して、諸仏菩薩の願力は全ての衆生に苦を離れて楽を得るためである。楽とはそなたは多くの酒を飲んで、美味な魚或いは多くの牛肉を食べることではなくて、輪廻の苦を離れる。そなたは自分の楽を追求したが、他人は楽しくないと、そなた自身も楽しくない。そなたは自分の楽のため、衆生を傷付けて、衆生の肉を食べた。現在の医学も証明したが、肉を多く食べる人は癌に罹りやすい。誰がチベット仏教では肉を食べられるだろう。本当に仏を習って修行したい人は命がある生物を食べない。仏を学ぶのは慈悲を学ぶ事である。慈悲がないと仏法がない。肉を食べるなら、慈悲を修められない。この発願は菩薩道の精神であり、菩薩道は在家修行者に合う法門である。

この祈願文を唱えれば、効果があるかどうか。確かにある。先日リンチェンドルジェ・リンポチェははテレビにある科学の番組を見た。科学者は機器を通して計って、既に人類と動物に関して、全ての動きは宇宙の中にメッセージを残すのを証明した。若しそなたはいい考えがあれば、いいメッセージを残して、いい結果を得た。若し悪い考えがあれば、悪いメッセージを残して、悪い結果を得た。此れは因果である。仏法は科学より先端であり、そなたは祈願文を唱えて、いい考えがあれば、必ずいい作用を起す。いつか結果が出るかどうか分からないけど。仏法は今だけ見るではなくて、そなたの現在、過去及び未来を見るから、我々は一切の衆生に苦しみを離れる事を発願する。

リンチェンドルジェ・リンポチェは修法の過程に唱えた内容について、皆は分からなくても構わない。唯自分に役に立つのを信じればいい。そなたは十分の信心が有れば、今回の法会は皆に未来及び来世に対して、必ず役に立つ。若し修法の内容を分かりたいなら、たとえリンチェンドルジェ・リンポチェのように数十年間に仏を学んで、絶えずに閉関修行する機会がないと出来ない。

続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは七支供養祈請文を唱えて、懺悔、随喜功徳、菩提心を発するなどを含めた。殆ど全ての修法儀軌は七支供養がある。供養は仏法の基礎である。

続いては禅定灌頂の儀軌で、灌頂は密法の中に特別の法門で、そなたにこの法門を修める許可を与えるとの意味である。しかし灌頂終了した後、修めることができるのではなく、まだ上師が方法と口訣を伝えるのが必要で、多くの法本には載せてないから、密法は公然的に伝授することが出来ない。禅定はあそこに座って、ちょっと座って、寺院へ禅七をしに行くのではなく、長期を経て訓練しなければならないのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは大会皆を引き連れて上師供養法を行った。修法の過程の中に、籤引で選び出した5名信者は衆生の代表として、リンチェンドルジェ・リンポチェにマンダを捧げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは特に開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェは諸仏菩薩を代表して衆生の供養を受け取った。マンダを捧げた物の中では、一番目の供物は銀河系の中で一番いいものを代表として供養するのである。太陽系の中で3つの星があり、地球のように人類が住んでいる。しかし、外の3つでは仏法がなく、只地球では苦が楽より多くて、はじめて仏を学ぶチャンスがあるから。二番目の供物は1尊長寿仏の仏像であり、長寿仏の仏像を供養するのはそなたに長寿をさせるのではなく、そなたに意外に死亡させなく、しかし、これからもう悪行をしないことが必要である。もう一つの意味は仏法が長く世にあるのを祈る。三番目の供物は仏経で、仏法と仏経の代表として供養する。供養する者も未来世に仏法を教えてくれる者が居るとの果報が得た。四番目の供物は舎利塔で、その中に舎利子を供養し、供養者は未来世にも修行者である。最後の一つ供物は供養金で、供養者は布施をしたことがあるので、未来世に貧乏をせず、法財を得て絶えずに仏法を勉強できるとの表れである。

続けて行うのは茶供の儀軌で、チベットでは天気が寒いので、修法の過程の中に、修法者は体力が足りないため、少し甘い物を飲む必要があり、チベットではやくのミルクを用いる。チベット仏法の中に、この伝統を入れた。供茶も一つの供養であり、リンチェンドルジェ・リンポチェは諸仏菩薩と直貢チェツァン法王を代表して、衆生の供養を受け取る。

それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を引き連れて、灯供の儀軌を行った。リンチェンドルジェ・リンポチェは壇城の上に一つの灯に火をつけて諸仏菩薩を供養した後、出家衆はリンチェンドルジェ・リンポチェの灯の火を借りて自分の手元に持った酥油灯に火をつけて、それから火を一つ一つに伝えて皆の手元に持つ灯をつけて、まるで、殊勝な仏法は上師の教導を通じて仏弟子に伝えて、衆生の明るい智慧をつけて、無明の黒暗を追い出した。儀軌円満した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは特に通訳者を指示して通訳して、日本信者に注意させて、口で供灯を吹き消してはいけない。例え、自然に消えるなら大丈夫である。この灯は皆が持ち帰って、自然と消すまで引きつき燃やすことが出来る。もし家に仏堂があれば、仏堂で引き続き燃やしても良いで、仏堂がなければ、客間の中でのきれいな所を置いたらいい。

リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を連れて、『度母七頌』を唱えた。それから、この頌はジッテン・サムゴンが閉関し、度母法門を修めた時に、悟って得るので自ら七度母を目で見て、度母の功徳を称賛するためにこの頌を作った。人々が唱えれば、とても大きく加持力を貰える。

次は、リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を連れて、『吉祥法界祈請文』を唱えて、唱えている時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは上師の恩徳に思い当たったので、同じく思わず涙に咽んだ。参列者はリンチェンドルジェ・リンポチェの無比的な摂受力を感じたから、多くの弟子は上師の無比的な恩徳を思い浮かべて、激しく泣き沈んだ。

それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を連れ手、『瑪尼迴向速証大楽祈請文』を唱えた。観世音菩薩に一切の苦しみと難きに遭う衆生を接引してくれて、彼らが阿弥陀仏の浄土に往生して行ける事を頼んた。最後、リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を連れて、『六字大明咒』を唱えていた。

今週の土曜日、リンチェンドルジェ・リンポチェは日本寶吉祥仏法センターで殊勝な火供を行って、その上、不動明王を主尊にする。不動明王は日本との縁がとても深くて、チベットでは不動明王を修める方式は日本と異なる。チベットの不動明王の双足の下に四つの魔を踏んでいて、其々が死魔、病魔、天魔、煩悩魔である。だから、火供に参加する者は寿命がより長くて、病状がよりよくなって、もし仏を学んだり、戒律を守ったり、菜食をしたりする事が出来れば、病状が変われて始める。

火供は日本人が行う護摩と異なる。日本人は自分の名前を木の上で書いて、祈請文を唱えて、それから木を焼いて、そうすると、自分の良くない業力と一緒に焼ける事と思っている。実は、中国人は3,000年前にこのような風習があるが、しかし、此れは効果が無い。火供はチベット密法の中に最も重要な法門で、ただリンポチェ果位の修行者だけで主催する事が出来る。火供を行う間に、様々な供品を焼いて、各々の供品が異なる意味を代表し、一部が疾病を取り除けられて、一部が業障が取り除けられる。仏法が祝日ではないし、最近、5月末に京都に2軒の大仏寺が一寸イベントを催していて、お経を書いて、お経を書き写する事があった。多くの人々は参加していって、仏法を祭典に参加する事と思っている。お経を書き写して、お経を唱える事は修行ではなくて、仏法の意味ではない。

土曜日に一部の人々は遊びにいく計画を立てて、火供に参加する事をしないし、遊ぶ事が法会に参加する事より重用だと思っていて、此れは間違う。そなたは旅行しなくても、その場所が逃げてしまう事がない、地震が発生する事とは限らない。火供はとても得難い法であり、リンチェンドルジェ・リンポチェは1年に多くとも1回しか修めなくて、今回を逃すならば、また1年を待たなければ成らない。チベットと台湾では、火供を修める事は多くの人力、物資を使える事が要る。台湾で火供を修める場所をなかなか探し当てにくい。最初、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本寶吉祥仏法センターの土地を買ったのは、この土地が火供を修める事をとても適すわけである。火供に参加する事は最も速めに福報を累積する方式であり、遊びに行くのは福報を使ってしまうわけである。

5月28日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは火供法会で大衆が入場する前に、先に法座に昇って前行を修めてから、参列者に一人ずつ前もって加持された甘露水を飲んで道場に入らせた。法会が始まって、リンチェンドルジェ・リンポチェは大衆に貴重な仏法の開示を与えた。

今日修める火供は、チベット仏教の密法の中でとても殊勝な法門なので、日本人が護摩を焚くのと異なる。日本人は護摩を行う時、参加者の名前を木の上で書いて、時にはいくつか祈請文を唱えたり、時にはいくつか儀軌を行ったりして、そして木を火の中に投じて焼き払う。事実上、護摩の儀軌は《大蔵経》続部に従って作られたのであり、本当に仏教の中の護摩儀軌は良い木や香りがある木、例えば、白檀などを焼き払って、それで諸仏菩薩を供養する。お経には、自分の名前を木の上に書いてから持って燃やしに行くことを言っていない。今の地球の上の仏法は釈迦牟尼仏の仰った仏法であり、お経は釈迦牟尼仏の開示された仏法の記録であり、だから、もしお経に書いていなかった物ならば、すべて仏法だと言えないで、ただ外観から見れば仏法みたい。

仏法は番組ではなくて、出演を見ることを見なさないでください。そなたが来て参加してみてすぐ役に立つのではない。火供の参列者は必ず恭敬する心と懺悔する心にて参加しなければならない。火供はあまりよく修める法門ではなくて、毎月ごとに修めるのではなくて、火供を修めるのは必ず多くの準備をしなければならなくて、主法する者はリンポチェの果位ではないと修めることができない。火供には、4種類の法がある:息、増、懐、誅など。息は災難が収まるのであり、災難を減らさせて更に除去させる。増は寿命、財産、福報、健康を増やすのである。懐は敵にそなたへの敵意を減らさせて、甚だしきに至っては消えてなくなる。誅法は殺すのであり、仏法を破壊する魔或いは敵について、先に彼らを誅殺した後に彼らを済度する。誅法は通常に一人の個人、一つの家庭や都市のため修めることはできなくて、この国或いは地球は災難に遭う時に、修めるかもしれない。たとえ修法する者は誅法を修める能力があっても、この法は修法する者の体に傷害することがあって、修理し終わっても病気にかかる。今日修める火供は息法である。

火供の主尊は、観世音菩薩或いはその他の仏菩薩などいかなる仏菩薩がすべて火供の主尊とすることができて、今日火供を修める主尊は不動明王であり、火供を修める時に、先ずは明王と火神がお手伝いに来るように迎えなければならない。不動明王は日本との縁がとても深くて、日本ではたくさんの地方が不動明王を祭っていて、昔戦争をしている時に、一部の将軍が不動明王を戦場まで持って行って、このようにしたら勝つことができると思っているが、実はこれがただ盲信するだけ。もしかすると、これは不動明王の右手に一本の剣を手に持って、しかし、この剣は敵を殺すことに用いるのではなくて、知恵を代表する。仏を学ぶのは知恵を開くので、知恵は鋭い剣のように、私達をかき乱すすべての悩みを断って、我々に自分に利益を、衆生に利益を齎せることができる。

不動明王の左手に持つのは1本の荒縄であり、黄金と銀で製造され、双方にかぎがあって、仏法を信じない衆生を呼んで帰るのである。不動明王は体が青空色で、髪を逆立て、容貌が忿怒である。彼の身には1匹の大きな白蛇をぐるぐる巻いて、白蛇は竜王を代表して、不動明王を修持する行者は竜王の保護を得られることを表す。ある人はどうして仏菩薩が忿怒相の姿で現れるのかと思っているが、それは不慈悲ではないのか?実は違う。それはまるで子供が大人しくなくて両親の話を聞き取らないように、最初は親が子供に優しい言葉を言って勧誘するが、そうしてもまだ大人しくない場合であれば、怒る様子を現れて彼に大人しくさせる。

日本の不動明王像は立っているが、チベット仏教の不動明王像は、左足が半分しゃがんでいて、右足がひざまずいていて、両足は4種類の魔を踏んでいて、それぞれは死魔、病魔、天魔、煩悩魔である。もし仏を学ぶ者の寿命が長くないならば、いつも病気にかかったら、悩みがたくさんあったら、同じく学び続けることができない。釈迦牟尼仏は道を証得する前に、天魔が近づいて妨害したことがある。不動明王は伏この4種類の魔をおさえて、仏を学ぶ障害を取り除くことができる。不動明王はそのほかの多くの意味があるが、今日時間が不足であるから、諭さない。

火供を修める時、多くの供え物を燃やして、仏菩薩に供養してそして衆生に布施する。1種の供え物はそれぞれ異なる意味があり、例えば、米と穀物は財産を増加することができる。もしよくない業力を取り除くならば、黒いゴマを使って、それに違う種類の油を使う。火供は災難の中の衆生、鬼神を助けることができて、甚だしきに至っては現場を通る衆生もすべて助けを得ることができる。火供に参加するのは最も速い福報に累積する方法である。

引き続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは法座を降りて、京都寶吉祥仏法センターの庭に行って、そこで火供を修め始め。その時、大雨を降っているが、しかし火勢はもっと激しく燃やして、特にリンチェンドルジェ・リンポチェは真言を唱えている時、火炎が突然約3メートル高さまで上がって、威勢は猛烈であり、とても殊勝な瑞相である。その時、ある鳥は火供の壇城の上の空に飛んで、それから、ある大きく鳥も飛んできて、また、引き続き多くの鳥は全て飛んできて、上方にぐるぐる回って、その上、心地良い叫び声が鳴いていて、これは非常に普通でない瑞相であった。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲にすべての法会参列者に、一人一人ずつ前に出てリンチェンドルジェ・リンポチェが法を修める供え物を受け取る機会があって、自ら自分の手で供え物を火の中に投げさせた。

火供を円満に修め終わった後に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは再度道場に入って法座に昇って、引き続き開示して:リンチェンドルジェ・リンポチェは日本人にもう魚、肉を食べないでください、そしてお酒も飲まないでくださいと忠告した。リンチェンドルジェ・リンポチェは36歳前に、そなた達と同じによく海鮮を食べ、よくお酒を飲んだいたが、唯一そなた達と違った所はリンチェンドルジェ・リンポチェがこれまでたばこを一回も吸わなかった。なぜかというと、リンチェンドルジェ・リンポチェはたばこが全世界最も臭いものだと思っている。36歳に仏を学んだ後に、リンチェンドルジェ・リンポチェは因果を知ってしまって、再び食べる肝玉がない。

お経に曰く、よく肉を食べる人が死んだ後に地獄に堕ちる。今欧米でたくさんの本は、人に菜食精進料理を食べるように勧めて、体が健康になることができる。肉を食べる人は比較的に多くの食糧を使って、今の地球の温暖化現象も多くの牛や羊を飼育することによって排出する温室効果ガスと関係がある。科学的にもすでに心臓病、糖尿病、高血圧、高血脂症、癌などこれらの病気がすべて肉をたくさん食べるため引き起こすと証明された。仏法で言えば、そなた達の食べた肉は実はすべてそなた達の代々の眷属であり、肉を食べる結果は地獄に堕ちる。一部の人が聞いたが信じなくて、仏菩薩はそなたに彼の話を聞き取るように強制していないが、ただそなたに事の真相を教える。お経に曰く、全宇宙の生物の中で、地球の上の人類が最も教えにくいので、とても誇らしいからである。

リンチェンドルジェ・リンポチェの台湾でのある弟子の父は生前、獣医をしていて、いつも動物を去勢して及び動物を安楽死させた。この父親は3人の子供がいて、小さな息子の身長が185センチメートルであるが、しかし幼い時から心臓に問題があり、知力は少し問題がある。彼はまだリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依していない前に、週に1~2回病院に通っているが、皈依した後に、月に一回だけになった。この父の娘は最近交通事故に遭ったが、彼女が既にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したから、生命の危険がない。彼の長男はお金が大好きで、そして親孝行をしなくて、しかしこの獣医が生前に儲けたお金が、すべて彼の長男とその嫁に使われてしまって、これはお経に諭された殺業の因果であり、すべて見られる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは36歳前に、皆と同じ、努力してお金を儲けるのが最も重要だと思って、美味しい物を食べることが大好きである。しかし仏を学んだ後に、仏を学ぶことはこの一生に最も重要な事だといことが分かった。仏を学ぶと、どんな事が全部よくなるのではなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェはその時、仏を学ぶと商売が失敗して、皮膚癌にかかって、嫁と離婚して、息子と娘が大人しくない。しかしこれらの事はリンチェンドルジェ・リンポチェが仏を学ぶことのせいで発生するのではなくて、もともと発生するから、仏を学ぶのはリンチェンドルジェ・リンポチェが過去に肉を食べて殺生したことで発生した債務をこの一生に返済し終わることができる。仏を学んでそなたに仕事を無くさせるのではなくて、そなたの家庭と商売にも影響することはできなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェも在家の者であり、リンチェンドルジェ・リンポチェの自分自身の修行した経験から言えば、仏を学ぶのは日常生活に影響することができないのである。

現場にいる日本人の男性信者は、すでに疲れて居眠りをし始めて、彼の年齢はリンチェンドルジェ・リンポチェと同様に65歳であるが、しかし、非常に明らかなのは、リンチェンドルジェ・リンポチェの体力がこの信者に比べてずっといい。リンチェンドルジェ・リンポチェは現場にいる年取りの男達に一つの秘密を教えて、リンチェンドルジェ・リンポチェはすべて夜に起きないで夜明けまで眠っているので、夜に立ち上がってトイレに行く必要がなくて、夜中に立ち上がってトイレに行く人は体が良くないのを代表する。リンチェンドルジェ・リンポチェは55歳以後、体がますます良くなり、これは密法の殊勝な所である。もし体が良いことを望むならば、リンチェンドルジェ・リンポチェをよく学んで、ちゃんと仏を学ばなければならない。若い時にやった事は、そなたが年を取っている時に影響するから、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆が年取ってももっと良くなることを望む。仏法はリンチェンドルジェ・リンポチェにすでに適中された。以前は、リンチェンドルジェ・リンポチェは手の関節が痛かったが、2007年に閉関した後にもう痛くない。

火供を修めて最後に1段の祈願文があり、火供の法会参列者が、無病、長寿、吉祥、、好運、権勢、声望を有すること、そして広大な財産を獲得することができるように願って、法本が言うのはすべて本当でありるが、しかし本当に発心して仏を学ぶ人なら、長期にわたり法会に参加する事を通してから、これらの事はだんだん発生することができる。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは火供を修めて円満完成して、大勢の参列者の体のもともとの病気も直ちに改善をも得たから、リンチェンドルジェ・リンポチェの不思議な大能力と密法の殊勝な所を深く体得することができた。

2011 年 07 月 14 日 更新