2011年4月25日から28日まで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは再び52人の寶吉祥仏法センターの弟子を連れて、ニュージーランドに行って、、わざわざと尊勝なる三恩根本上師 直貢チェツァン法王及び直貢チェツァン法王の建設中の「ミラレバ閉関センター」に訪れて、しかも直貢チェツァン法王が閉関センターの近くの観光地で休むことを招待した。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは4月26日の昼ごろ、ニュージーランドの北島のオークランド空港に到着する時に、尊勝なる直貢チェツァン法王はわざと派遣した従者ラマ僧、及び数人のニュージーランド現地の中国・外国の信者達は、空港までリンチェンドルジェ・リンポチェを迎えに来て、しかも生花とハタを捧げて、それは、直貢チェツァン法王はそのリンチェンドルジェ・リンポチェの重視を表した。リンチェンドルジェ・リンポチェは三恩根本上師を心念して、直ちに尊勝なる直貢チェツァン法王を謁見しに行って、そして、直貢チェツァン法王と昼食を共にして話し会った。
4月27日に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは52人の弟子を連れて、ニュージーランドのオークランドの近くの直貢噶舉派「ミラレバ閉関センター」に訪れて、尊勝なる三恩根本上師 直貢チェツァン法王を拝謁した。ミラレバ閉関センターはオークランド市から車で運転して約1時間半がかかる丘の地区にあり、その位置が秘密で静寂であり、大型の車は通行することができない。随行する弟子達が先に大型の観光バスに搭乗して、丘で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを恭く迎える。その時、舌を鳴らしたり言い立てたり珍しさに感心するのは、もとは丘のあちこちで数十匹草を食べている牛群が、意外にもすでに道の両側の籬の中でひっそり整然と並んでいて、静かに列に並んで、頭は道に面して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの到来を恭しく迎える。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て、動物がすべて霊性を持つと開示したことがあり、牛が大修行者に対する恭敬心を見てから、すべての弟子達は自分が牛に及ばないと嘆いた。
「ミラレバ閉関センター」は直貢チェツァン法王が長年計画され、そして2010年に建設に着手した。閉関センターの入口で、直貢噶舉派の標識が明らかにそびえ立たれて、そして1つの木彫の立て札があって、チベット語と英文でそれぞれ「ミラレバ閉関センターへようこそ 」と書かれている。閉関センターの土地の上で10数棟閉関のための部屋が建てられている。ニュージーランドでは、建物に関する環境保護の標準と規格が非常に高くて、その上建築の敷地は市街区まで遥か遠くて、部屋を建てるコストはとても高くて、1棟1棟の建築を建造するのは大量の資金を投入しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは上師の願を満たして教派を護持する誓言を守るため、閉関センターの用地を買うことから、計画、建設することまで、もう絶えずに大量の金銭と力を投じて護持しなければならなくて、しかも引き続き強力に護持する。
直貢チェツァン法王はこの所で閉関センターの建設を主持する期間に、多くのニュージーランド地区の信者達は直貢チェツァン法王に謁見したいが、しかし直貢チェツァン法王の許可を得なくて、閉関センターに訪れることができない。寶吉祥仏法センターの52人の弟子達は幸運にこの殊勝な地方に訪れることに許可を得られるだけではなくて、甚だしきに至っては直貢チェツァン法王が自ら仏法を開示して頂いた。その上、直貢チェツァン法王は特に自ら現地の信者に昼食及びニュージーランド現地の特産物の果物を用意して寶吉祥弟子達を接待することを用意するように指示して、しかも親切に生活のことにも深く気を配る。寶吉祥弟子達はすべて上師リンチェンドルジェ・リンポチェがこの殊勝な因縁を与えたことにたいへん恩に感じた。
直貢チェツァン法王は寶吉祥仏法センターの弟子達に貴重な仏法の開示をこう与えた。7年前に、直貢チェツァン法王がアメリカに行って一週間ぐらい滞在して、いくつかの道場に行って、密教の道場や大乗の道場にも行ったのである。米国から帰って来る時に、ニュージーランドで少し留まった。その時、ある台湾の信者であるNinaは直貢チェツァン法王に、ニュージーランドで1つの仏法センターを設立するよう祈請して、そいて彼女が敷地を探すと言った。直貢チェツァン法王はニュージーランドの空気と土地がすべてとてもきれいだと言って、そこで承知した。このように多くの手紙をも通していないで、2年後でNinaは直貢チェツァン法王に電話をかけて、既に敷地を探し当てて、今こそ最も良い購入する時機だと言った。この前に 直貢チェツァン法王は、その場所が空港から車で1時間の所要時間の距離で比較的に静かな所を指示して、市内ではなくて、およそ百エーカーぐらいがあったらとても良いと仰った。その時、Ninaは50エーカーがあるならば閉関センターを建てるのがもう十分だと言って、そこで直貢チェツァン法王は納得して、彼女は探した。
Ninaは約50エーカーぐらいの所を4つ選んで、そこで 直貢チェツァン法王はビザを申請することを始めたが、しかし、インドではビザを申請して下りることが難しいから、数人のラマ僧はすべてビザが下りなくて、直貢チェツァン法王は下りたから、そこで リンチェンドルジェ・リンポチェを連れて、ニュージーランドに行った。飛行機の上で、リンチェンドルジェ・リンポチェは寝ていないで、かえって 直貢チェツァン法王はよく寝ていた。ニュージーランドに着いたのは3時であり、3日間しかないから、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェがよく眠っていなくて休みを必要とすることを同情するから、自分で敷地を見に行った。1つの敷地を見て好きでなくて、あまり適しないと感じて、翌日リンチェンドルジェ・リンポチェを連れて一緒に探して、次の所もあまり好きではない。その時リンチェンドルジェ・リンポチェもとても疲れて、直貢チェツァン法王は弟子に同情して、リンチェンドルジェ・リンポチェに他の車に乗って車の中で休むようにさせて、Ninaの車は後にあり、そこで直貢チェツァン法王は新聞の上で見なければならないいくつか宣伝の広告があるかどうかと聞いたが、その故運転しながら見て、結果は1百数十エーカーの地があるが、値段もその半分ぐらいである。以前は50エーカーが75万元であり、ここが1百20数エーカーが65万元である。あの時もまだ食事をしていないが、直貢チェツァン法王は、かまわないと言って、高速道路の辺で止まって敷地を売る不動産会社に電話をかけて、彼ら達に資料を用意してもらうことを指示した。そこで彼らの車で20分間ぐらい離れる海岸にある事務室に行って、それからこの敷地を見にきて、あの時たくさんの木の葉に隔離されているから入る仕方がなくて、ただ外でここの山と平地を見て、すぐこれが正しい地方であるとし、帰った。それから、リンチェンドルジェ・リンポチェとNinaは敷地を買い取ったことを助けて、1年間の時間で道路をつくって、第2、3年に準備して、今先ずは1つの小型の閉関センターを建てることを始めたのである。
15ヶ部屋がある閉関部屋が今建設中であるが、そろそろ6月に完成して、その中に4つの部屋がお手洗いがあるのであり、3年間の長期閉関のためであり、その他のは1週間、2週間或いは3週間、1ヶ月など比較的に短期のためである。お手洗いは別の所にあり、だからこのように始った。来年のミラレバ尊者が往生した日に、つまり新年以後の暫くの時間に開光式典を行う予定である。その他に、リンチェンドルジェ・リンポチェもここで1つの計画を手伝って今日午後打ち合わせする予定がある。この機会を利用して、リンチェンドルジェ・リンポチェと弟子達がここにいて、皆はすべてとても関心を持っているから、紹介する。
直貢チェツァン法王は上師と弟子との関係を開示して、直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェは接触してもう20年余りたって、1986年から、リンチェンドルジェ・リンポチェはすべて最大のお手伝い者であり、インドだけではなくて、ニュージーランド、チベット、青海とネパールで、そして直貢噶舉の祖寺である直貢梯(ティ)寺の金頂の再建、文化大革命の時にすべて存在しなかったからである。今は第2の主要な寺院―帕摩竹寺があって、それもジッテン・サムゴンの上師の主要な寺院であり、政府の許可をいただき、八大噶舉派はすべてよく知っている寺院であり、政府が保護と補修をやっているので、この方面について、計画と資金があるが、しかし寺の中はすべて構わない。リンチェンドルジェ・リンポチェは出資して再び仏像を造りなおして鍍金して、今年もうそろそろやり終えて、来年開光式をやるつもりである。青海の方面で多くのことをして、ジッテン・サムゴンの誕生地である玉樹では一つの工事があり、いやたくさんの工事、ここではあまり多く話さない。どのみち、リンチェンドルジェ・リンポチェは伝承と上師に対して確固不動として、これは直貢チェツァン法王が非常に感謝するのである。
リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に対してとても厳格であるかもしれなくて、時には直貢チェツァン法王も厳しすぎると感じるが、この時に、リンチェンドルジェ・リンポチェの随行する弟子達は口をそろえて、あまりに厳し過ぎないと答えて、一方、直貢チェツァン法王はそれも需要である事を思い出して、普通な人は世の中での習気がすべてとても深くて、その故、厳しい上師がいなければ駄目であり、以前はのマルッパ上師もとても厳しくて、ミラレバに話をしないで、彼がたくさんの石を背負う事を要して、あちこち運んで帰って、また駄目であり、さらに再び持ったり運んだりする事を要して、背さえ怪我した。以前は直貢噶舉の第一個の閉関センターでは、竹旺リンポチェ(Drubwang Konchog Norbu Rinpoche)もとても厳しくて、多くの人はマルッパ上師が以前にもこのようなのであることを言った。もしも彼はこんなに厳格ではなければ、3年間閉関修行は完成できない。今この竹巴覺貝リンポチェ(Drupon Sonam Jorphel Rinpoche)は、この前に仁欽林寺で一部の人がネパールに開光式典を参加しに行って、あの時ある者は初めてそこで閉関して、とても厳格であるから更に殴られたこともあるから、逃げたいが、何度も逃げられない。もう一人は下痢がとても深刻であり、閉関中であるから、診察してもらわない。たとえ死んでも関房の中で死なければならない。彼が診察してほしいのは仮病を使うのではないが、同じく許せなく、とても厳格である。第1回の3年間閉関は、彼はたいへん満足すると感じて、第2次はとても満足するのではない。第一回は彼はよく満足して、直貢チェツァン法王は寶剣が空中であちこち揺れた。直貢チェツァン法王はこのように厳格にすることがとても良いと仰った。
故に上師はとても重要である。どんな教派の上師でもとても重要である。更に学校の先生も重要である。特に噶舉派に於いて加持の伝承は極めて重要である。多くの加持は上師の経脈を通して加持するから、とても重要である。加持を得るのは両面である。一切の法は縁から起こる。此れは単純に上師だけはすべてをやるわけではなく、当時の敬虔な気持ちもない。此れだけもだめだ。だから両面とは上師は慈悲な心があって、信徒の誠意誠心も必要である。接触する時はマッチは摩擦されるにより、火が現れるようだ。だから、一切法は縁により起こるとはこの道理である。そなたは誠心があって、上師の慈悲心と接触すると、加持を得られる。だから、この因縁関係はとても重要である。
ジッテン・サムゴンも説かれたが、大手印の究竟了悟は上師との上師相応法がうまく行うのを頼る。それて、上師と信徒の関係は距離は近づけず、遠くも出来ない。実は此れはこの法に用いるだけではなくて、社会に於いて、多くの関係もそうである。チベットでは諺があるが、チベットはとても寒い時、火をつけるも必要であり、ひなたぼっこも必要である。しかし、余り近づくのはだめだ。同様にそなたの親戚や友達もそうであり、必ずある距離を保って、助ける。だから、仏法もそうである。上師の関係と距離もとても重要である。成就を得て、自分を利益して、衆生を利益する。
寶吉祥仏法センターは益々栄えて、スタッフも益々苦労になる。リンチェンドルジェ・リンポチェはもとても苦労である。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェが必ず適切な休みの時間があるのが欲しい。現在年を取って、多くの信者を接見するのはとても多くの時間がかかる。しかし、必ず休みの時間を手配しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲であるが、信者は拝謁する事が分かって、接見しないと出来なく、心の中に見るに忍びないから接見する。しかし、体調は悪いと出来ない。此れはとても重要である。それは数ヶ月や一年にしているわけではなく、長期に衆生を利益するから。必ずリンチェンドルジェ・リンポチェの体を世話しなければならない。そなた達はスタッフとして信者を接見する時間と休みの時間をきちんと配慮して手配しなければならない。そなた達はスタッフとしてとても苦労であるが、一般の仕事としてするわけではなくて、給料と同値の仕事をする態度をしないで。というのは我々は修行しているから。此処も同じである。そなたは此処で除草や物を搬送するのはこのセンターのため、この修行するセンターのため、衆生のため、仏法のために行って、自分のために行うのではない。全ては寶吉祥仏法センターのために仕事して、衆生を利益するために行った。だから、全ての行為は自分に対して、全部業を消し、更に福徳を積める機会である。このような思いを持って行えば、意義がある。若しこの態度で行わず、自分が手配する仕事として行うと、此れは一般の仕事として見る。それはだめだ。修行者は自分の心で行う。仏法の中心も心である。この心は行って、分かるのはすべて仏法に用いるべき、福徳資糧を修めて、衆生を利益して、菩提心を習って、自分の常識、仕事を仏法と結べば、多くの利益を得られる。だから、寶吉祥仏法センター弟子は誠に心から感謝して、口をそろえて、「直貢チェツァン法王!有難うございました。リンチェンドルジェ・リンポチェ!有難うございました。」と言った。
直貢チェツァン法王は次の如く仰った。元々この一週間に天気はとても悪かった。直貢チェツァン法王は現在IPADを持って、天気は半月くらい悪かった。現在此処の温度は全てIPADで調べられる。10日前、一週間前はとても大風があって、この中も多くの葉があって、雨も降った。直貢チェツァン法王は元々風もあって、雨もあるから、歩くのは不便なので、変更しようと思うから、電話をかけた。そなた達は昨日ニュージーランドに来た前、此処は雨が降り続いた。今は少し降ったけど。そなた達を見て、天気もよくなった。そなた達は休んで歩いてもいい。リンチェンドルジェ・リンポチェは笑って「迷ったらそなたを探さない。」と言った。直貢チェツァン法王は此処から上も道があるから、歩いてもいい、空気はとてもいい、そなた達は都会出身だから、歩いてもいい、と言った。全ての寶吉祥仏法センター弟子は再び感謝した。「直貢チェツァン法王!有難うございました。リンチェンドルジェ・リンポチェ!有難うございました。」
4月28日に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を率いて、閉関センターに行って直貢チェツァン法王を迎えに近所の観光拠点で一休みされた。途中、リンチェンドルジェ・リンポチェはある同行の皈依弟子の父は当日台湾で往生した事を分かって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはすぐこの弟子の父のため修法して、その神識を守った。この弟子は今回妻と一緒にニュージーランドに来て、尊き金剛上師が慈悲に修法した事に対して、極めて感謝した。
当日直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェと寶吉祥仏法センター弟子達と、一緒に昼食を食事した。その後、近所ある巨大の森に遊覧して、十五分間、原始森の歩道で直貢チェツァン法王は一番の前に歩いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは次に従って、全て寶吉祥仏法センター弟子達は次々に上師の足跡に従って、一歩一歩に歩いて行った。直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェは皆を率いて、黒い森から離れて、光に向かった。リンチェンドルジェ・リンポチェが開示された通り、仏菩薩は遊びが好きな子供達を森から救ったような状況である。本当に感動させた。
2011 年 06 月 02 日 更新