2011年1月3日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、殊勝な三十五仏懺及びプルパ金剛法会を主催して、参列者が日本の信者15人、インドの信者1人、ニュージーランドの信者1人、日本の弟子1人、台湾の弟子146人及び信者20人を含んで、合計で184人が法会に参加した。
午前中10時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはリードしている弟子が衆生を代表して祈請して、薫香炉と楽器の先導で、また宝傘の導かれたともに、法座に昇って、日本、インド、ニュージーランドと台湾からの信者と出家の弟子は衆生を代表して、恭しく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに曼達を献上して法を祈請した。リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら三十五仏懺を主法して、そして参列者に貴重な仏法の開示を与えた。
今日は直貢噶舉教派が2011年の日本での第一回法会なので、世界中のどの国、どの民族に関わらず、すべては新しい1年に運が好くなり、事は順調になり、よくないのは発生しないことを望んでいるから、その故に多くの人は新年の元日に寺院と神社に願立てし、いくつか事を祈求しに行く。仏教では、通常は毎年の元日に法会を主催して、法会を主催する意味は仏菩薩が私達に何をくれるかを聞くのではなくて、法会に再び仏の教えを通して、新しい1年の中にどのように事をしたらいいということを知っているためである。
仏法が世の中の他の宗教と最も違う所は、その他の宗教は彼らの神に過ちを認めたらどんな事でもよくなると思っているが。仏法は過ちを認めることを教えるのではなくて、懺悔を教えるのである。懺悔とは二つの事であり、「懺」は自分がなした事のすべての結果を承認し、責任を負い、受け取るのであり、「悔」はその後に再犯しないのである。お経にはこう言及されるが、人は3種類に分けられて、第一種類は生まれてから一回も誤った事をしていない人であり、このような人の代表は釈迦牟尼仏である;第二種類の人は嘗て誤った事を犯したことがあるが、しかし懺悔を知っていて、もう間違いをしないのである;第三種類の人は間違いをしても懺悔しなくて、過ちを認めない人であり、人類は99パーセントが第三種類の人であり、間違いの事をしても過ちを認めないのである。
以前、リンチェンドルジェ・リンポチェはテレビである科学的な記録映画を見たことがあるが、記録映画の中で数人の四歳ぐらいの子供を探して、子供を一人で1つの部屋の内に置いて、そして先生はこれらの子供に玩具を遊ぶように教えるふりをしに出てきて、この先生は何分間を過ぎて部屋を離れて、離れる前に子供にその玩具に触ることができないように教えて、それから先生は部屋を離れた。すべての子供は先生が離れた2、3分間の後であの遊ふことを許さない玩具を遊び始めた。先生が帰った後に、子供にその玩具を遊んだかどうかと聞いて、すべての子供は殆ど先生に彼が遊ぶことがないと答えた。これは私達であり、私達はすべて間違いの事をして自分が間違いないと答えるのである。
仏は人の福報がどのように増加するのか減らすのかということを知っている。私達の福報を減らすのは間違いの事をしたからであるが、しかし私達はどんな基準に基づいて間違いの事を判断するのか、仏はお経には諭されたことがあって、どんな民族でも、そなたは人さえすれば、過去世にそなたが嘗てある一世に十善法まで修め得たことがあるから、その故にそなたはようやくこの世に人の体を得ることができる。しかし、我々がこの世に生まれてから、過去世になした事を忘れて、人として十善法を修めるべきなことを忘れてしまい、そのためこの一生に人としてすべては十悪法を修めている。
十善法は何なんであるか。第一は、不殺生。当然、もし肉、海鮮を食べる人であれば、殺生する機会はきっとある。第二は、不偸盗。簡単に言えば、自分所有ではないものが持つことができない。もし商売をする人は不正直であれば、それも偸盗と言える。第三は、酒に酔うことをしない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、日本では酒に酔うことをしないと言ったが、台湾では酒を飲まないと言う。なぜかというと、日本で酒を飲む人が多すぎるため、そなた達は完全に酒を飲まない可能性が少ないから、そなた達が酒に酔わないでくださいと要求する。何が原因なのであるか、以後に機会があれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは再び釈明する。酒に酔う事をしない項目はタバコを吸わないことを含んで、今医学界は既にタバコを吸うのが自分の体によくないことを証明して、そなたの側に座る人をも傷つける。
第四、不悪口。即ち、人を罵倒せず、人に悪口しない。第五、不離間語。第六、不綺語。即ち、他人を誘惑して悪い事をさせる話を話さない。厳しく言うと、男の子は女性に求愛する時、目的を達成するため、何も約束したのに、結局その後何も行わない。此れも綺語の範囲である。女の子は男を得るため、相手に離婚させるや色々な事を行わせるなども綺語と言える。第七、不妄語。此れは主に修行者に対して、若しある果位を修めないが、他人に修めたと伝える。一般人として、若し言語で人を騙して、自分の利益を達成すれば、此れも妄語と認められる。
第八、貪らない。若し自分の能力範囲を超えて他の物を貪れれば、貪慾と認められる。第九、不瞋恚。即ち残酷な心を持たなく、蛇のような残酷な心を持たない。第十、不痴。此れは仏が説かれた事を信じて、因果を信じる事である。
故に今日三十五仏懺を修めるのはそなた達のように十善法をうまく修めない人を助けて懺悔する。この儀軌は釈迦牟尼仏が仏経の中に説かれた事に従い書かれた法本である。日本人がお寺に行く感じと違うかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェは日本の多くのお寺に参観した事があって、日本のお寺は多くの古い仏像、古い歴史文物を紹介、人に仏経を引き写す事、経典を唱える事を教えると発見した。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェのような方式で仏法を教えるのは少ない。それは日本は商業社会に関わるかもしれないが、仏経には日本が今使われている方式は唯衆生に仏菩薩と縁を結ばせるように助けるだけである。
各地域により風俗習慣が異なる。例えば日本人は神社へ行くとき、祈る前に手で拍手を三回して、神にそなたの祈りを聞かせる。だが、若しそなたはチベットで拍手すれば、その意味は悪魔を追い払う。歴史上にある笑い話があって、昔イギリス軍隊は嘗てインドからチベットに侵入した。チベット人はイギリス軍隊が入った事を見て、昔チベットは武器が弱いから、イギリス軍隊を抵抗できなくチベット人は道に立て皆拍手した。イギリス人は自分が歓迎されるのだと思った。実は本当の意味はチベット人はこの悪魔を追い払うつもりである。故に地域によって風俗が違う。皆は風俗を忘れてこの法会に参加して欲しい。なぜかというと、この法会は完全に釈迦牟尼仏が説かれ、教えられたから。
若し今日誠に懺悔すれば、過去世に悪を作った力は今日そなたに影響が少なくなる。仏は懺悔の人は三つのレベルに分けられる。この三つのレベルでそなたが懺悔するかどうかを判断できる。第一は泣く。第二は号泣して、うぶ毛が立つ。第三は最もいいのは目から血が流れる。仏経に唯根器がいい人はこのような現象が現れる。その後はそなた達はわざと泣き、リンチェンドルジェ・リンポチェに見せないで。特に女の子はわざと泣かなく、男の子を思い出してから泣かないで。
また、今日の法会に特別なのは、そなた達は出家衆に従って仏を礼拝する。故にそなた達に機会を与えて、運動しながらダイエットできる。そなた達が数日間に忘年会に参加して、食べられたカロリーをも消耗できる。
リンチェンドルジェ・リンポチェは信衆を指示して、法本を置く机を前に移させた。また、丁寧に出家弟子を指示して、通訳者は通訳して、日本信衆は従って唱える後に皆を連れて仏を礼拝する。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を率いて、「一切有情恒常に上師に皈依する」と唱えた。また、密宗の中に上師に皈依する事はとても重要だと開示され、上師とは法席に座る上師である。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは三十五仏懺を修めて、出家弟子は現場にいる皆を連れて、恭しく上師及び諸仏菩薩に頂礼した。礼拝が終わり次第、皆は長く跪いて恭しく合掌して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは皆を率いて法本の中の懺悔文を唱えて、諸仏菩薩及び上師の前で、今世、前世、無始世以来、輪廻の中に自分が行い、教唆し、随喜した様々な罪業及び障害は全て、これから止めて二度と犯さないと誓った。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に開示して、この段落は仏及び上師は皆の懺悔を受けると表した。仏法の懺悔とは自分が直接に間違ったと言うわけではなく、必ず仏像及び上師の前で懺悔しなければならない。「発露」とは話し出して隠れられないという事である。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは現場にいる皆に現場で発露懺悔する珍しい機会を賜って、皆に此の世に行った間違った事、若しはっきりに覚えないなら、2010年に間違った事を自分の言葉で話せる。大きい声でも小さい声でも或いは側にいる人に聞かない声でも全然構わない。
法会に参加者皆は発露懺悔し始め、自分の過ちを思い出して正直に自認し、多勢者は思わずに涙が頬にあふれた。続いて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは皆を引き連れて三十五仏懺の法本の迴向祈願文と懺悔文を唱えて、今回拝懺した功徳を仏菩薩の広大の功徳の大海へ迴向して、それに、一々全て作った十不善業を懺悔した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、先ほど発露懺悔していた時、ある者は自分がどこが間違ったか知らないので彼らが自分の過ちを言い出さなかったことに気がついた。リンチェンドルジェ・リンポチェは先、既に皆に十善道、十善業により懺悔すると開示された。そなた達はこの一生の中に誰かの人を叱った事があるか?まだ懺悔しないか?まだ間違ったと思わないか?また誰かけしかけたことがないか?そなた達はまだ自分が懺悔する必要がないと思っているのか。これは何故リンチェンドルジェ・リンポチェが先程子供の事を皆に申されたゆえで、そなた達は全部し間違ったのに承認しないのである。
続けて、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を引率して、法本の中の懺文を唱えて、皆にもう一度自分と有情衆が全てした悪業を懺悔させて、今後もう犯さないように祈請し、それに、業障が常に消えて尽くすように願った。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された。この段落は仏がとても慈悲で、衆生が懺悔することがとても難しいと知っていて、それで、この段落の経文はまた皆を率いて懺悔する。リンチェンドルジェ・リンポチェはもう一度法会の参加者皆に発露懺悔するチャンスを与えて、言い出させた。小さい事が重要ではないと思わないで、そなた達は一匹の魚を食べたら、一本の命を返さなければならなくて、一枚の牛肉を切ったら、一枚の肉を返さなければならなくて、他人を騙したことがあれば、他人もきっとそなたを騙し、若い頃不孝行するならば、年を取ったらそなたのお世話をする者がいない、人に承諾したのに行わなく、これらは全部懺悔する必要である。
今日道場に来た者はすべて殺人のようなひどいことをしたことがなく、すごく重大な法律犯罪を犯したこともない。そなた達はこんな重大な過ちをしたことがないが、毎日あれらの良くない事及び小悪をやっている。どんなに大きいことも全部小さいよりだんだん蓄積してきたのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは過去世に殺生したことがあり、この一生嘗て多くの海鮮を食べた。それでこの一生、リンチェンドルジェ・リンポチェの腰がとても良くなく、大変痛く、その外に、何回事故があって、もう少しで死ぬ。過去で人を騙したことがあり、それで、今世若い頃商売をした時も人に騙されたことがあった;過去世にはよく佈施、供養をしなかった故に、この一生に嘗て貧乏で食事をするお金さえもなかった。過去世の殺生と今世の殺業によって、皮膚癌にかかって、過去世の殺業によって、この一生に全て眷属が不円満である。
リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学んで懺悔をするため、これら良くないことが引起したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは正直に懺悔した次第に一つ新しい生命の始めを得て、仏法の中にとても豊富な人生経験をもらった。仏法は誰に対しても役に立つ。そなたはどんな者を問わず、仏は日本人、中国人、西洋人と分けなく、仏も仏法が日本仏法、中国仏法或いは西洋仏法に分けると申されない。リンチェンドルジェ・リンポチェが全て経験したのはそなた達にとって一番悪いことが、今全部過ぎた、懺悔の力は大変大きくて、そなたが懺悔すれば、ある日に必ず良く変わった。
此処まで、三十五仏懺の法本によると、仏がまた皆に発露懺悔のチャンスを与えて、皆に自分の身、口、意が全て作った悪を言い出させた。皆はもう一度発露懺悔して、リンチェンドルジェ・リンポチェは同時に百字明呪で皆を加持した。呪文を唱える大変慈悲な声の中で、参加者皆は一層涙が雨のように流れて、声が出ないほど泣いた。
発露懺悔し終わった、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を座らせて、それに仏法を開示された。今日礼拝した三十五仏懺は大蔵経、寶積経の中に釈迦牟尼仏が説かれた拝懺の法本である。釈迦牟尼仏は寶積経の中に述べたように、どの衆生でも仏を学び、菩薩道を習いには障碍があり、この懺悔法門を拝むならば障碍を取り除くことができる。障碍とはそなたが仏を学びたいが常にわけを作って来られない。例え、自分がすごく忙しくて、或いは仏法は自分に対してあんなに大したものではなく、仕事と商売の方が重要で、また友達と一緒にお酒を飲むのが大事で、これらはすべて障碍である。
皆のご存知の通り、リンチェンドルジェ・リンポチェが多くの商売をするが、仏を学んだり、修行したり、彼方此方に法会をしたりする事をしても、商売も減る事がない。2007年直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェを連れでネパルの大雪山に向いて3ヶ月余りで閉関し、そこに閉関すると外界と何を連絡が取れられなかった。閉関する前に、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ三ヶ月の社員給料、会社と店の家賃を準備しておいだが、閉関したら商売に何か影響がある事を完全な考えた事がなかった。今回、日本に来て法会に主催し、今日の日付で台湾では既に正式な仕事をしているが、商売人に対して、お休みが終ってから仕事をしなければいけない。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に法会を主催する事を承諾したので、来なければならないのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは普通の仏法の修行者に比べて一寸違って、リンチェンドルジェ・リンポチェが自分の命と生活を以って仏法から教導する事が役に立つかどうかを認めた。リンチェンドルジェ・リンポチェの生命の変わりと生活の好転にて、仏が諭す話が正しいという事を証明できる。
リンチェンドルジェ・リンポチェは日本に来て数年、日本人が仏法に対して極めて尊敬すると発見して、これは中国の隋朝、唐朝の以前に仏法が既に日本に伝えられたが、しかし、現在の日本人が如何に仏法を尊敬する事が知らない、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本に来てこんなに長い時間がたち、正式な弟子を多く収めた事がない。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが急がなくて、ゆっくり待っている。だから、そなたは、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本に来てお金を稼ぐ事を思ってはいけない、実には、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本に来て赤字になる。日本人は必ず可笑しいと思っていて、赤字になったら何故リンチェンドルジェ・リンポチェがまた来るのでしょうか。これは仏を学んで修行する者が仏法が各々所で助けが要る人に助けれる。そなた達は、またリンチェンドルジェ・リンポチェが何故来る事を問合せた。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本と前世に縁がある事と言われて、詳細の物語が今日に暫く説かないで、皆に一寸推測しておいた。
仏は誰かが仏を学ぶ事を断った事がない、けれども、仏を学ぶかどうかがそなた達が自分で決意し、時間に至ると学びたいでも間に合わない事をしてはいけない。日本人は、墓参りの風俗があり、厳格に言えば、これも中国から伝わって来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学んでから、亡父の墓に行かなかった。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが自分の父親に天堂に向く事を助けてくれて、だから、墓にただ石と土だけで残っている。若しそなた真にそなたの両親と祖先を思うなら、仏により、両親が生きている時に彼たちによく親孝行していく。仏は真に親孝行する者が仏を学ぶ者と諭されて、若し、両親と祖先が既に死んだら、彼に良い事が彼に代って役に立つ法会を多く参加し、これは祖先にとって助けがあり、墓参りをすれば彼に良いのではない。
実は中国人は以前から墓参りをする事が祖先を思慕する事を除いて、3月の春に祖先を墓参りへ行けて、これは冬を経るので、皆に外に歩く事を望んでいて、また、中国時人も9月で墓参りをして、これは夏に暑いので、郊外により涼しい所へいける事を望んでいて、これは中国人の墓参りの文化背景のわけである。仏は祖先の祭りを反対した事がないし、皆が盲信する方式によりしてはいけない。
午前の法会が円満に終了し、皆は先礼拝した事があるので、より腹を空けて、リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥仏法センターに弁当を準備しておく事を指示させた。午後の法会は2時から開始し、同様に十分な重要の法会であり、現在、このような災難が多くて変化が多い時代では、我々がこの本尊の保護が極めて要る。本来、ある者が来ないと話したが、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼を追い詰めてこなければいけない、これはこの数年間で我々が若し本尊の保護がないなら、天災が真に多くて、だから我々が仏法の保護が要るのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは2010年に多くの火山が爆発し、天気が極めて極端する事を予言した事があり、雨を降ったらすごく激しいし、天気が寒くなると必ず極めて寒くなる。現在皆は2010年が確かにこのような状態を見られたから、2011年もこの方向を続けて伸びていくのである。
ヨーロッパに仏を学ぶ者が少ない、仏法を信じている人が少ない。しかし、日本に仏を学ぶ者が多くないけれども、京都で多くの古い仏寺を保存し、以前古代の人が仏法に対して修行した事があり、これらの福報が現在一寸日本を守る事が出来る。最近、日本で激雪を降ったが、他に比べて意外がより少ない、リンチェンドルジェ・リンポチェは唯一つの心配があり、これは日本人が海鮮を食べ過ぎた。だから、我々仏法にて見ると、これは殺業が重い、殺業が重い所が意外がより多いかもしれない、だから、今日の一日の法会が皆に祈ってあげて、特に午後修める本尊が普通な人が修めれないから、皆は弁当を食べてから暫く休んで、それから午後の法会を続けて参加しなさい。
午後2時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはリードしている弟子が衆生を代表して祈請して、薫香炉と楽器の先導で、また宝傘の導かれたともに、法座に昇って、自らプルパ金剛法会を主法して、そして参列者に貴重な仏法の開示を与えた。
今日午後修める本尊はプルパ金剛であり、プルパ金剛この本尊は日本で修めている人がいなくて、金剛薩埵の憤怒尊であり、今皆さんは一般に仏寺の中で仏菩薩の様子が寂静尊と称して、つまり比較的に慈悲の様子である。現在は台湾、中国、日本など仏法がある地方では、顕教の中で憤怒尊を修めていないのである。憤怒尊は慈悲の最高な段階になってようやく修めることができるので、もしも慈悲心を修めていないならば、憤怒尊を修めるのはとても危険な事である。
密宗の中でなぜ憤怒尊があるのか、その原因が二つある。日本で皆は全て、不動明王と称す本尊を聞いたことがあって、不動明王も金剛部に属するのである。仏菩薩が衆生を度するため、必ず衆生と同類でなければいけなくて、例えば人類を助ける時に、仏と菩薩は全て人の様子が現れて、同類で人類に助けを与えにくる。お経には記録があって、釈迦牟尼仏は過去世が鹿、クジャク、類人猿、熊でああり、仏陀はこれらの身が現れて同一の種類の動物を度するためである。だから、金剛部の本尊は憤怒相が現れて、専門にあれらの心が比較的に複雑であり、悪念と業が比較的に多い衆生を度するのである。
それに、憤怒相が現れるのはなぜであるのか。ちょうど両親或いは教師が子供を教えていると同じように、子供に言うことを聞かせることを教え始める時に、両親と教師は全てにこにこと聞きやすい話を言って、あやす方法を使う。もしも子供はずっと言うことを聞かないなら、両親と教師の様子は比較的に厳しくなり、子供に恐れさせて、子供にようやく言うことを聞かせて、教えに従うことをさせる。
憤怒尊を学ぶのは普通な人ならば学ぶことができない、必ず慈悲の本尊を先によく修めなければならなくて、よく学ばなければならなくて、そうしてから、はじめて上師は彼に憤怒尊を伝えることを考慮する。プルパ金剛は金剛薩埵の憤怒尊であり、つまり金剛薩埵は非常に慈悲な様子が現れることがあり、同じくプルパ金剛のように憤怒する様子が現れることもある。お経には記録があって、古代に多くの衆生を傷つけた1人の悪魔があり、そこで金剛薩埵はこの悪魔の様子になってこの悪魔を屈服させて、その後プルパ金剛と称した。お経には、プルパ金剛は阿弥陀仏、大勢至菩薩、文特菩薩、金剛手菩薩と大威徳金剛意の代表である事を諭されることがある。
嘗てこのような記載がある、蓮花生大士はネパールにある1つの洞穴が閉関する時に、プルパ金剛を護法にしたので、その故に蓮花生大士はこう仰った:プルパ金剛を修める行者がすべて吉祥になり、一切の功徳、長寿、富、眷属円満-即ち多くの出来が持つこと、政教発達-つまり仏法の事業がとても発達していること、威力は無窮であること、最後まで円満になること、などことを備えることができる。最後まで円満になることの意味は行者がこの本尊を成仏まで修めることができるので、ずっとこの本尊の助けを得られる。だから、そなた達は今、どうしてリンチェンドルジェ・リンポチェがこれらの条件があり、さっき言ったすべてを持っていることを知っているのだろう。というのは、リンチェンドルジェ・リンポチェはプルパ金剛を専修するので、威力は無窮である。
プルパ金剛について多くの法門があって修行できる。今日修めるのは伏蔵法である。伏蔵とはチベット仏教の中に特有な法門である。それは昔蓮師は多くの法本を洞穴、水の中に隠し、一部分の法本を空行母に渡せ、即ち天神は保護される。この法本の加持力及び威力は極めて大きく殊勝である。今日修める法本も昔の上師ニナリンパが見つかって、直貢噶舉二十九世法王はまとめた。プルパ金剛は全て金剛乗を修めたい修行者を助けて一切障碍を取り除ける。此れもプルパ金剛の願力である。プルパ金剛は一切金剛乗を修める修行者を守って助けるから。プルパ金剛は一切魔王、鬼を降伏でき、特別な法力があるから。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て日本でプルパ金剛にて、ある神社の鬼魅を降伏した事がある。
今日法会に参加した利益は精神、情緒及び脳方面等の疾患を駆除する事が出来る。また、一切亡霊、竜や神が引き起こすすべての無名病と癌を駆除する事が出来る。現在世間に多くの治れない疾病があって、全ては亡霊、竜或いはそなたが拝む神に気に障ると関係がある。今日の法会も年、月、日、時の動きと違えて起こる意外事故を避ける事が出来る。総括すると、各人は機会があって、ある年、ある月、ある日、ある時に事故に遭うかもしれない。軽いのは怪我になって、ひどいのは死亡になる。仏経には、非時死亡(時に在らずして死ぬ)こととある。即ち今日、今年に死亡しないはずなのに、事故に遭って死亡させた。
また、今日の法会も星宿の変化を避ける。つまり、惑星は生じ、滅び或いは軌道にずれるによって起こる水害、火災と地震などの天災である。例えば、地球は2010年に多く水害、火災、地震が起こったが、若し天文学を注意する人も分かるが、2010年に太陽系の中に遊星が多く変化し、銀河系の中にも多くの星が変化した。
今日の法会に参加すると、他者が毒を盛ったり、詛咒をしたりして引き起こす傷害を防止できる。そなた達を助けて、累世に行った業障を取り除く。業障とは仏法の解釈はそなたに仏を習う事を障碍して妨げる力である。例えば大金持ちの人は仏を習いたくない。此れも業障の一つである。ビジネスを忙しくする人もしっかりに仏を習いたくない。他の宗教を執着に信じる人も仏を習いたくない。男女の間に恩愛の情が深すぎると、付き合い、結婚しか考えない人も仏を習いたくない。子供をうまく世話する人も仏を習いたくない。ペットをうまく世話する人も仏を習いたくない。だから犬や猫をとても愛する事も一つの障碍である。
皆は今日修める法に対して絶対の信心を持って、疑わないで。金剛部の本尊及び慈悲部と違って、そなた達は今日の法が自分に役に立つかどうかを考える必要がない。この事を考えなくてもいい。そなた達に役に立つかどうか、そなた達はすぐ分かるわけではない。よって、皆は仏は我々を騙さないと信じればいい。皆は恭敬の心が必要である。
続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは始めてプルパ金剛を修めた。修法して真言を唱える過程において、リンチェンドルジェ・リンポチェは数回に極めて低く沈み雷鳴のような叫び声を発し、獅子はほえるような呼吸の音を発した。眉を逆立て、目を突き出し、口を歪めて、極めて獰猛な表情を表した。それは、プルパ金剛の忿怒相と全く同じで、声と表情は人が為せるものではない。現場にいる皆は自らプルパ金剛本尊が降臨するような無比震撼、勇猛の力を感じた。
修法している間にリンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を指示して、自分の名前を三回話した。法会の間に参列者は皆リンチェンドルジェ・リンポチェが加持された供え物を得て、法会の中に仏菩薩と一緒に食べ物を食べる得難い殊勝な因縁を得た。リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲に指示して、参列者に壇城に上させて、自らプルパ杵で全ての参列者を加持して、貴重な寿球及び寿酒を賜った。
加持する前、リンチェンドルジェ・リンポチェは特別に解釈した。密法によって、どの有情衆生は、即ち人類と動物のお体は全て父親の精と母親の血と結合したものである。しかし我らは生まれてからいつも精と血を消耗している。人間は精と血を使い尽くしたと亡くなる。今日リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のため精と血を補充する。精は事業の表れで、ここの事業は商売のことではなく、仏法の事業である。血なら智慧の表すである。この二つを食べるとそなた達が若く或いは綺麗になるのではなく、そなたの青春、体力を回復させて、そなたが良く遊びに出るのをさせるのでもなく、そなたの体力を増やしてそなたに良く仏を学ばせて、修行をさせるのである。耳に入れない或いは信じなければ、そなたが食べたのは只麦粉団子とジュ-スである。
リンチェンドルジェ・リンポチェは特に日本地元の男信者に1つ秘密を教えた。今年リンチェンドルジェ・リンポチェが既に63歳になったが、夜は起きて便所に行く必要がない。男が夜に二、三回が起きるのを要するなら、それは彼のお体が良くないとの表れである。精が既にほぼ使った。例え、女の子は寢付きにくければ,それは血も殆ど使ってしまったのである。だから、今日の法会の中に、皆が三宝に敬って、信じんであれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが今日すべてやったことはそなた達に助けがあろうとする。
リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の家族を例とした。曽祖父はひどく殺生したので、曽祖父からリンチェンドルジェ・リンポチェの亡父の世代まで、男は全部心臓病と高血圧病にかかって、それに55歳までしか生きられない。リンチェンドルジェ・リンポチェのこの世代は、リンチェンドルジェ・リンポチェの姉、妹、弟は全部手術を受けたことがあり、またすべて高血圧があった。高血圧との病気は血圧が高くなったせいで引起したのではなく、殺生に起こされたのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは36歳から仏を学んだので、兄弟姉妹が全てあったことはリンチェンドルジェ・リンポチェの身に発生しなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの弟は32歳から高血圧があった。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分40歳前も高血圧があったが、薬を飲まず、医者さんに見てもらわない下に自然に治った。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが仏を学ぶと懺悔することで自分の命を変わった。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェ今日は皆の為に、プルパ金剛に皆を守るように祈請する。
法会の参加者皆は1人ずつ前に来て敬って殊勝な加持を受けて、心より感激した。皆は一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着ると言った。
リンチェンドルジェ・リンポチェは申された、今日の法会は全て円満である。この法本は実は只この一冊ではなく、全部修めると3日間でないと修め終わらない。先程皆に自分の名前を言い出させたのは、プルパ金剛にそなた達を守って、そなた達がもう過ちをしないように祈求したのである。人はし間違ったら直せば全て良く変わる。一番恐ろしいのは間違っても直すことはしない。この者はもう期待が出来ない。
リンチェンドルジェ・リンポチェは、一部の日本信者は伺いたことがあるが、法会終わり後リンチェンドルジェ・リンポチェと面会を申し入れるように希望していることを知っている。。自分の病気に聞きたい者なら、今日このプルパ金剛法会に参加して、そなた達の病気に役に立った。例え、そなたの事業、仕事、婚姻、感情など、リンチェンドルジェ・リンポチェに聞く必要がない。聞きたいなら、リンチェンドルジェ・リンポチェの身分によって、値段がすごく高くて、だから、もう聞かないで。
実は、皆ご存知の通り、リンチェンドルジェ・リンポチェは「痛苦與快楽」という本を書いた事があり、この本は既に日本語に翻訳されており、アメリカではハーバードなどの7校の図書館が、イギリスではオックスフォードの図書館がこの本を収蔵している。通常、このような大学の図書館は人類に役に立たない本を収蔵しる事はしない。実は、この本には、そなた達のレベルに適し、そなた達が求める答案が全てある。その上、そなた達が外食を一回で省けば、お金があってこの本を買える。
ある者は本を読んでから、自分が分からないと話して、勿論が分からなくて、此れはこの本にラブストーリーではなくて、幻想的小説ではなくて、可笑しい事を話す事ではなくて、ハリー・ポッターと言う本ではない。この本は台湾、中国とアメリカで多くの人々を助けてくれて、若し我慢強く繰り返してこの本を読めれて、リンチェンドルジェ・リンポチェが此れがそなたに助けがある事を信じている。だから、その後がリンチェンドルジェ・リンポチェの体力を消耗する問題を提出してはいけない。若しそなたは質問しなければならないならば、此れがそなたが今日リンチェンドルジェ・リンポチェからそなたに修めてくれる法を信じない事を示し、この法がそなたに対して役に立たないのである。
実には、人が唯これ等の幾つの問題だけであり、お金、愛情、事業、健康と詰らないである。だから、皆はリンチェンドルジェ・リンポチェの体力を消耗してはいけない。先、リンチェンドルジェ・リンポチェが昼食をしてから休んで時に、大体午後1時半に、リンチェンドルジェ・リンポチェの部屋が急に搖いて、此れはプルパ金剛がリンチェンドルジェ・リンポチェに早目に皆の為に修法してくれる事である。
もし日本の信衆はそれから問いたい問題があれば、リンチェンドルジェ・リンポチェの寶吉祥仏法センターウェブサイトを見れて、このサイトには多くのリンチェンドルジェ・リンポチェが仏法に関する開示がある、また、多くの信衆が仏法の助けを受け入れる物語があり、リンチェンドルジェ・リンポチェがこれ等の事がそなた達に助けがあると思っている。今後、日本信衆は日本の当地で仏法を学ばれる事を求めれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本に正式な仏法を伝授し、そなた達が密宗を修める上師が占い師と思ってはいけない、それなら、そなたがこの上師の能力を浪費させる。
もしかしたら、多くの信衆は仏を学ぶ事が命では最も重要な事ではないと思っていて、然し、リンチェンドルジェ・リンポチェの私的修行経験により、また、多くの仏を学ぶ修行者の経験により、ただ仏法だけで我々の人生が変わられて、我々の未来が変わられる。上師として、ある教授のようにそなた達に課業と学問を教えて、学生として学ばなければいけない、宿題をしなければいけない、此れは教授がそなた達に代わり宿題をしてはいけない。今まで、全世界の宗教は彼らの神様が宿題をしてくれる事を望んでいて、つまり自分が何もする事が要らなくて、神様が彼らをくれる事が十分であると思っている。
リンチェンドルジェ・リンポチェの亡父は嘗て道教を修めて、非常に物凄くて、ただしどれだけ物凄いことにかかわらず因果が変わる事が出来ない、自分の命が変わらず。リンチェンドルジェ・リンポチェの亡父は短命で、50歳余りに死んでしまって、だから、父の死亡もリンチェンドルジェ・リンポチェに極めて多くの刺激をくれた。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはずっとある自分に自分の人生を制欲する事が出来て、自分の未来人生が変わられる方式が探しているわけである。リンチェンドルジェ・リンポチェが書いた本には、世間のいかなる学問、理論或は方法にも拘らず、我々の命が変わる事が出来ない、ただ仏法だけ出来る事と記載した事がある。
だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは日本の信衆が毎日に少し時間でリンチェンドルジェ・リンポチェのウェブサイトを一寸見る事が出来る事を望んでいて、此れはそなた達が居酒屋へ行ってお酒を飲む事により意義があり、その上、そなたがテレビの一部神経症ような人が芝居をする事いより意義がある。そなた達は、テレビのそれらの神経症ような人の芝居が好きで、嬉しくて笑う者であれば、そなたが彼らの同類を示す。若しそなた達がまた何か質問があれば、サイトでリンチェンドルジェ・リンポチェに問い合せる事が出来て、毎日に10分、15分ぐらいにかかってウェブサイトの内容を見たら、そなた達に対して助けがあります。若し、そなた達はまた何か質問があったら、サイトでリンチェンドルジェ・リンポチェに問い合せる事が出来て、若しリンチェンドルジェ・リンポチェが時間があれば、そなた達に回答し、然し、若しそなた達のご主人、奥さんがそなたに愛さないような事であれば、このような事を問わないでください。リンチェンドルジェ・リンポチェの今日の開示が日本語を訳してウェブサイトにおいて、そなた達は約1週間以降に見えれる。
法会は円満に終わり、リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に謙虚に皆に謝って、参列者は心から貴きリンチェンドルジェ・リンポチェが自ら殊勝な法会を主催し、無比な珍しい密法を皆に助けて、虚空に無数な衆生を利益する事を感謝致した。
2011 年 01 月 10 日 更新