お知らせ

2009年11月15日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、北インドのパンジャブ省のジャランダー(Jalandhar)にあるリージェント パーク ホテル(Regent Park Hotel)において、殊勝な長寿仏法会を主催され、当地の320名のインド人信徒(その内の20名の信徒は当日法会が開かれることをホテルで知りこの殊勝な法会に自ら参加するのを希望)及び台湾からの144名の寶吉祥仏法センターの弟子と14名の信徒を含む合計482名が法会に参加した。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェが当地のシーク教徒の願いに応えて、2007年以来三回目のシーク教の重要都市で行うチベット仏教の直貢噶舉教派の殊勝な法会であり、仏法で衆生を利益する。貴きチェツァン法王は、特別に三名のラマを派遣して、北インドのヂャンチュウブリン寺より高座、楽器、テーブル等物品を持って、壇城と高座の配置と装飾、及び法会儀軌の進行を協力しに来た。雲南のナムギャル・ガムポ(Khenpo Namgyal)もまた、わざわざ法会の手伝いに来られた。三名のラマが北インド・ヂャンチュウブリン寺から持って来られた鈴及びチベット式長いトランペッはチェツァン法王御自身が法会を行う時に使用される楽器である。今回の法会でリンチェンドルジェ・リンポチェが使用された小さな机もまた、チェツァン法王ご自身が使用された机である。以上から、リンチェンドルジェ・リンポチェがチェツァン法王の根本弟子であること、及び修行の果位と教派の地位が明らかにされた。

法会は午前9:30からスタートし、リンチェンドルジェ・リンポチェが高座に上がられた後、次のように説かれた。「法会に参加する場合には、まずは動機を理解しなければならない。最初に唱える四皈依、四無量心こそが私達の動機である。続いて唱えるのは七支の供養である。七支の供養には、懺悔、仏がこの世に住することの祈願等、七種類の供養が含まれる。また、供養の儀軌は、法会参加者が福報を累積するためのもので、これによって彼らは仏法を聴聞できるのである。」

供養は、三つに分けられる。即ち、一、仏菩薩への供養;二、天道の衆生及びその当地の宗教の神々への供養;三、餓鬼道の衆生への布施、である。仏菩薩を供養するのは、福報を累積するためであり、これによって、私達は仏法を学ぶ機会が持て、仏法の救済を得られる。天道の衆生及びその当地の宗教の神々を供養するのは、彼らが仏教の法会に妬み心を起こすのを避けるためであり、また、彼らに仏法の利益を得させるためでもある。餓鬼道の衆生への布施は、他の衆生が参加するのに自分達が参加できない事で彼らが嗔恨心を起こすのを避けるためである。このようにして、彼らによって法会の進行が妨げられるのを防ぎ、あなた方が障害なく法会に参加できるようにする。

続いて、マンダラを捧げる儀軌が行われる。入場時にくじ引きで当たった五名のインド信徒が代表して仏菩薩と主催者の上師にマンダを捧げた。マンダラを捧げる供養儀軌が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、マンダラを捧げる儀軌の内的意義を開示された。まずは「須弥山」のマンダラ盤について、仏の教えによると、私達のこの銀河系には人が居住する四つの星がある。この盤上には五つの柱状の突起があり、その周囲にある四つの突起は、即ちこの四つの星を代表する。中間の突起は、経典内に説かれる須弥山である。須弥山は全ての天道衆生が居住する処である。須弥山は多くの階層に分かれ、天道衆生はその福徳の違いによって異なる階層に住んでいる。この盤上に結んだ五色のリボンもまた、多くの異なる物質を示すという内的意味を持つが、今日は解釈を省く。

また、マンダラを捧げる儀軌では、一仏像をもって仏と見做し、一冊の経典をもって仏の教法と見做し、一舍利塔─つまり修行人の居住する所をもって僧と見做す。この三つの仏法僧三宝をもって仏を供養する。よって、このマンダラを捧げる儀軌はこの銀河系の中の最も貴重な物にて仏菩薩を供養するという意味がある。

また、マンダラを捧げる儀軌の時にリンチェンドルジェ・リンポチェの被られている法帽は、自分で勝手に作って被られるものではない。リンチェンドルジェ・リンポチェの上師であるチェツァン法王が果位を認め、且つ、法王が帽子の色、形状を決められ、特別にラマにネパールで作製させて、リンチェンドルジェ・リンポチェに賜ったものである。リンチェンドルジェ・リンポチェが法帽を被るという事はリンチェンドルジェ・リンポチェが仏と完全に同じここで修法されることを意味する。

そして伝法を祈請するのを唱えた。釈迦牟尼仏が悟りを開かれた後、一語も発しなかった。なぜなら誰も請い願わず、説法する因縁がなかったからである。初めて仏陀に説法するよう言葉に出して勧請したのが天界の帝釈天であった。であるから、必ず自ら口に出して願わなくてはならない。こうして初めて上師からの仏法伝授を獲得する因縁ができるのである。

今日修める法は長寿仏である。仏には、法身仏、報身仏、化身仏という三身がある。長寿仏は阿弥陀仏の報身仏である。阿弥陀仏の称号は無量光、無量寿である。私達の寿命の長短は過去世で為した事により決定される。もし今世で悪を為したなら寿命はやはり短くなる。逆に、今世で善を為すなら寿命も延びる。

全ての占いで、リンチェンドルジェ・リンポチェが45年の寿命しかないと言われていた。リンチェンドルジェ・リンポチェは36歲から仏を学び始め、47歲の時に皮膚癌を患った。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェが仏を学ぶ前に、肉や生きている海鮮を好んで食したことによる果報であった。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子である医者が手術と化学治療を受けるようアドバイスしたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは全く聞かず、仏法の修行によって、癌を自ら完全に癒してしまい、それから、62歲になる今まで生きておられる。

いかなる衆生であろうと、人や動物の身体は皆、六大要素により構成される。この六大要素の内の二つが仏法と関わりがある。今日は語らないが、他の四大要素は地、風、水、火の四つである。地とは、皮、肉、骨、内臓である。風とは、私達の呼吸と身体を循環する気である。水とは、体内のあらゆる液体であり、血、水分、ホルモンを含む。火とは、私達の身体上のエネルギーである。老人の中には食欲がなく御飯を食べない者がいるが、これは火が不足しているからである。充分なエネルギーがないので食物を消化できない。人は年を取ったら皮膚に皺ができるが、これは水が不足しているからである。赤ん坊は生まれた時、手足にはたくさん弾力があるが、年を取ると足は乾いて平たくなり弾力がなくなる。これは四大要素が損失したからである。人は四大要素が不均衡になり、協調できなくなると病気になる。四大要素を消耗し終わると、人は死に至る。いかなる医者であっても、宗教であっても、どんな栄養を摂取しようとも、私達の四大要素の損失を補うことはできない。

長寿仏を修めると、多くの疾病、悪魔、戦争、天災、事故、旱魃、有毒な蛇や昆虫からの危害、非時死を免れることができる。また、重要な事は、体内の四大元素を補足し維持することができ、皆を健康にしてくれる。リンチェンドルジェ・リンポチェは本日、長寿仏を修法し、皆の身体が少しでも丈夫になることを願う。健康であってこそ、もっと多くの善を行え、将来仏法を学ぶ機会が持てる。しかも、長寿仏は阿弥陀仏の報身仏であるため、本日この長寿仏の法会に参加した者は、以後、阿弥陀仏浄土に至る機会が多くなる。

法身仏は、形体、言語を持たない。報身仏は、衆生の願に応じて顕現する。化身仏は、一物品、一言葉、一事柄、或いは一個人として考えてもよく、衆生を利益できるものでありさえば、仏の化身と言える。リンチェンドルジェ・リンポチェの上師である直貢噶舉教派第三十七代法王チェツァンリンポチェは、嘗て、「いかなる事も動作も衆生を助けることができるのなら全て仏法である」と説かれたことがある。長寿仏の法もまた、チェツァン法王が御自らリンチェンドルジェ・リンポチェに伝授した法である。

リンチェンドルジェ・リンポチェは昨日、ネパールからインドに到着した。ネパールへ行ったのも法会のためである。昨日早朝七時にネパールから飛行機に乗り、ニューデリーに着いたのは既に十一時を回っていた。その後すぐに車でジャランダールへ迎い、夜遅くにやっと到着された。本日ここにおられる男性出家者達は、中国・雲南、北インド、ラダックから来られた人達である。また、リンチェンドルジェ・リンポチェは台湾から弟子達を連れてきて法会を手伝わせている。リンチェンドルジェ・リンポチェは今回の法会のために、わざわざ遠いところから来られたが、何の見返りも全く求めない。ただ、この地方とここの人々を助けることだけを願っている。仏法は衆生の外見、言語、文化、種族を分け隔てないものである。なぜなら、人は皆、四大要素の組み合わせであり、本質は同じだからだ。仏法は、助けを必要とする衆生を分け隔てない。どこかに仏法の救済を必要とする者がいるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはどこへでも行くが、何の見返りも求めない。

続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な長寿仏を修し始めた。修法の間、リンチェンドルジェ・リンポチェは、儀軌の中に含まれる供養について、長寿仏の様子、功徳、及び願力について説かれた。また、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を伴い長寿仏の真言を唱えさせ、その後、左手に長寿仏の御身体を表す宝瓶を持ち、右手に宇宙五行を表す五色の旗を持ち、自分こそが皆を救済する長寿仏であると観想する。リンチェンドルジェ・リンポチェは更に、参加者に身体をまっすぐにして座り、リンチェンドルジェ・リンポチェが五色の旗を振り、皆の四大要素を補足する仏菩薩とリンポチェ御自身のエネルギーを受け入れるよう説かれた。並びに、リンチェンドルジェ・リンポチェは、参加している信徒や弟子に一人一人壇城に上らせ、リンチェンドルジェ・リンポチェが宝瓶を頭に触れて加持を授け、甘露丸と甘露水を与えられた。壇城に上りリンチェンドルジェ・リンポチェが宝瓶を頭に触れる加持を受けたシーク教の女性達の多くは、スカーフやハンカチを頭上においてリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受けた。これは、シーク教にとり最高の敬意を示すものである。リンチェンドルジェ・リンポチェは少しも分け隔てなく、少しも余すところなく、御自身のエネルギーの損失を全く気に掛けずに全ての衆生を助け、皆は非常な感動と感謝に包まれた。

法会の最後の儀軌は護法神を修めることであった。これについて、リンチェンドルジェ・リンポチェは次のように説かれた。「なぜ護法神を修める必要があるのか?それは、護法神の助けがあってこそ、法会が順調に円満に終了するからであり、それ故に護法神に感謝しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェの修めるのは、直貢噶舉教派のアキ・ドロルマ護法神であり、教派によってそれぞれの護法神がある。アキ護法神は、直貢噶舉教派の祖師 ジッテン・サムゴンの祖母である。アキ護法神は全ての衆生に良く、あなたが弟子でなくても、今日直貢噶舉教派の法会に参加しアキ護法神に対して充分な信心と恭敬心を持つなら、アキ護法神はあなたを守ってくれるだろう。」

回向を終えた後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、次のように説かれた。「法会が始まったばかりの時、私は、何も見返りを求めないと言ったが、今、やはり、ある見返りを求める。皆に菜食を願いたい。世間中の戦争、災難、事故は全て殺生と関係がある。もし皆が菜食できるのなら、災難も大幅に減少する。また、菜食は老化を緩慢化する。皮膚に弾性を持たせられるので皺を少なくする。医学でも、菜食が健康によいことが証明されている。リンポチェは今年で62歲になるが、実際の年齢ほど老けていない。菜食をしているからだ。もし女性が老化をゆっくりさせ、美しく、もっと魅力的になりたいのなら、菜食すべきだ。男性も同じである。

最後に、リンチェンドルジェ・リンポチェはJ.P. Singh氏に感謝を述べた。彼の組織と貢献によって今日の法会が終了できたからである。リンチェンドルジェ・リンポチェは一切衆生を代表して皆の参加に感謝を表した。皆の参加があってこそ本日のこの法会が行え、衆生が仏法の救済を受けられたからである。また、リンチェンドルジェ・リンポチェは参加者の平安と健康を祈られ、来年また皆と再会できることを願った。

リンチェンドルジェ・リンポチェは法会が円満に終了した後、参加した弟子と信徒は、歓喜と感謝の気持ちをもって、高座から下りられるリンチェンドルジェ・リンポチェを恭しく見送った。

当日の午後、リンチェンドルジェ・リンポチェは車でデリーに向った。晩、リンチェンドルジェ・リンポチェは、宿泊ホテルのレストランで食事をとっていた時、法衣を着用しておられず、普段着を着たリンチェンドルジェ・リンポチェの容貌は普通の人と同じであった。しかし、トルコから来た親子は、いとも自然に、自らリンチェンドルジェ・リンポチェの御前で自分の娘との記念写真を願い出た。リンチェンドルジェ・リンポチェは喜んで受け入れた。更に、幼い小さな女の子はリンチェンドルジェ・リンポチェの御名を尋ねられたので、リンチェンドルジェ・リンポチェは親しみを込めて告げられた。母親はリンチェンドルジェ・リンポチェの名前を見た時、自ら進んで自分達親子に加持を授けてくれるようリンチェンドルジェ・リンポチェに願った。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く加持を与えて彼女の願いを満たされた。リンチェンドルジェ・リンポチェが加持を与えている時、親子は跪いて恭しくリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持を受け取った。その過程において、リンチェンドルジェ・リンポチェは身分を明かしていなかったが、自然に発せられる厳かな雰囲気が、この異国の親子を摂受し、積極的にリンポチェに親近させ、加持を求めさせたのである。リンチェンドルジェ・リンポチェが常に弟子に説かれる言葉がある。「もし仏陀の教えに従って行為を改め、自分を薫陶するなら、自然に外見上に変化が起きる。他人が見ると、自然に歓喜心を呼び起こすだろう。」リンチェンドルジェ・リンポチェは随時随所、仏陀の言葉は全て真実で嘘はなく、仏法の力は種族、文化、言語の壁を越えることを示現する。

翌日の晩、貴きリンチェンドルジェ・リンポチェは宿泊ホテルにおいて随行の弟子達と夕食を共にした。大成就者と一緒に食事するのは非常に大きな福報である。寶吉祥仏法センターの弟子達は、自分達に再び福報を累積する機会を与えて下さった上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝した。ナムギャル・ガムポと三名の北インド・ヂャンチュウブリン寺から来られたラマも夕食の招待に応じられた。

2009 年 12 月 06 日 更新