お知らせ

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは2009年1月31日、日本京都寶吉祥仏法センターで、午前黒水財神法を修め、午後象頭財神法を修められた。日本現地の信衆、オーストラリアからの信衆、及び台湾からの弟子ら合計85人が此の法会に参加した。リンチェンドルジェ・リンポチェは次の如く開示された。密教には四大部があるが、それは仏部、蓮部、金剛部及び護法部である。行者は仏部と金剛部を修めなければ、護法部の力が備わらない。護法は仏を保護する菩薩で、菩薩は十六地に分かれ、財神は八地菩薩である。八地以上の菩薩は大菩薩と称するが、例えば観世音菩薩である。人の福報は富と寿に見られる。長寿を望む者は、不殺業(殺業とは殺生により生ずる来世の業報)の修行をしなくてはならず、それは肉食をしない事も含む。多くの日本人にとっては肉食をしない事に当惑を覚え、肉は人の食品だと思っている。ある地区や国家で戦争と死亡があるのは、肉食の故で、特に活きる物を食べる事は、戦争を引き起こす最大な原因である。長寿を望めば肉食をしてはならない。医学では肉食をすると多くの疾患を引き起こす事を証明している。例えば糖尿病、高血圧、心臓病、癌、脳卒中等である。人は一日世に在れば、一日富から離れられない。仏経ではこの世で得る富は、全て前世修行して得たもので、即ち供養布施をして得られたものである。私達が稼いだお金は一部分を布施供養するべきで、例えばお金に困って病院へ行けないものや、お金が無くて教育を受けられないもの、貧しくて食事も出来ない人達に布施をして助ける等である。両親と嘗て私たちを教育した先生方に供養し、仏法により私達の上師、仏菩薩を供養する事である。

黒水財神と象頭財神のご利益は少し異なっている。多くの人たちは銀行に預金するが、なんとなく他人に貸してしまうとか、間違えた投資をしてしまうとかで失ってしまう。此れは全て“劫財(財を奪う)”と称する。また、お金を無くしたり、真珠や宝石を無くしたりする事がある。これらは全て過去世及びこの世で善くない事をした結果である。例えば商売で分量を減らしたり、毒ミルクや毒米事件の如き仕草や、建築に当たって手を抜いたり建材を減らす等で、これらの貪欲は鬼の考えのようで、鬼の考えと同じなので、鬼は財気を吸い込んで行き、人が得るべき富の邪魔をする。また、殺生を職業とするもの、例えば、レストラン経営で魚を捕らえると、お金も貯まらないし、来るべき富も来なくなる。仏法の観念は迷信ではなくて、単純な因果法則で、何かをすれば何かを得られるのだ!仏経の記載では、貧困も人の苦しみの一種なので、今日黒水財神を修めて、皆さんのこれらの問題を解決するのを助けよう。但し、今後再び殺生する事をやめ、盗み等の悪事を働いてはならない。

今日修める黒水財神法本はチベット密教の祖師──蓮花生大士から伝わった岩傳法である。皆様がこの世でこの法を聴聞出来、此の法会に参与される事は、因果によれば、皆様は前世に於いて参加した事があり、生まれ変わった時忘れてしまったのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは今日この法を修め、貴方の縁を引き起こすのである。

黒水財神を修めると、貴方の障害を取り除く助けになり、貴方が得るべき富を稼ぐ事が出来、今後他人、国家、社会の為により多くの善事を行う事が出来る。釈迦牟尼仏は私達に、収入を五つに分け、その一つを需要がある人に布施して助け、又一つを供養するよう教えている。リンチェンドルジェ・リンポチェは大勢の人たちの為に此の法を修め、この法を通して、個人、国家、社会に対して役に立つ事を望む。2009年もあまり良い一年ではなく、恭敬な心で此の法会に参列すれば、護法は貴方を守り、無事に過ごす事が出来るだろう、但し悪事を働いてはいけない。法を修める態度はとても大切で、リンチェンドルジェ・リンポチェの動機は全て他人を助ける事で、これは仏菩薩と相呼応している。菩薩が世間に来るのも衆生に救うためなのである。修める時間は一時間だけであるが、長い時間を掛けて準備をする。ここで此の法を修めるためには、リンチェンドルジェ・リンポチェは一千回も修め、閉関中にも絶えず修めて、経典に記載されている通りの兆しが現れた後、初めて衆生を助ける事が出来る。その前に観音法門も修める必要があり、一百万回六字大明呪を唱え、三ヶ月余りも閉関した。観音法門の前に、基礎法を3年間先修し、基礎法の前に仏経を12年間修める。

今日、リンチェンドルジェ・リンポチェが日本に来られたのは、完全に奉献である。毎回多額の金銭を費やして此処まで来るのは、何のためだろう?其の一は、リンチェンドルジェ・リンポチェは過去世のある一世で日本と縁があり、其の二は日本が極めて正法を必要としているからである。特に日本はここ数年の不安な時期に自殺、殺人事件が多発しているが、全て心が不安の故である。このような混乱な時代には、更に仏法で衆生を助ける必要がある。仏経の記載によると、能力がある修行者は、各地と色々な縁がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは日本語が出来ないので、今日ここに来られるのは実に容易ではない。日本の皆様が此の縁を大切にする事を切に望んでいる。

午後2時、リンチェドルジェ・リンポチェは象頭財神法を修めた。若し発心して善行をするならば、此の法会はお金を稼ぐ事を助ける。若し世の中の全ての人が善行をするならば、戦争は無く、殺害も無いのである。仏経に地蔵菩薩の言葉が載っている。地球に於ける人類各々の考えは全て業であり、全て罪である。簡単に言うと、全ての人の考えは自分の利益を考えている。皆が善行をすれば、此の世界は善である。小さいこところから始めて、個人、家庭、友達、職場、所属する団体、社会、国家、人類、一切の動物畜生道に対して、更には全宇宙迄、全部の人たちがそうすれば、彼なりの良くない事は遠く離れるだろう。それなので無事平穏は自らから求め得る物ではなく、寺院へ行って無事を祈るのはただ一種の風俗習慣で、助けにはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の利益の為にではなく、京都に来てこの少ない数の人達を助け、皆様が自己から始めて、京都、社会、国家、人と人に影響して、住みやすい国家を作る事を望んでいる。此の事は一寸聞くと容易ではないが、その気になれば、やり遂げる日がある。京都は隋朝の頃から、中国と接触があって、仏教の全ての教派が日本と何らかの関わりを持った。日本の一部の高僧達もかつてチベットへいって密教を学んだが、彼らは密法を日本に伝える事が出来なかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの生涯中に、日本にディクン教法を確実に伝授する事を望む。今この二つの財神法を続けて修め、日本の信衆が仏法の慈悲を感じ取ることを望む。願わくは皆様が仕事や事業の上でより多くの富を得て、多くの善行をする力を得る事をと望む。

白マハーカーラはチベットの護法で、観音菩薩の使いの者であった。よって、修法者は観音の慈悲を備えなければ用を成さない。此の法はディクンの大成就者ヨンガ・リンポチェ自らリンチェンドルジェ・リンポチェに伝えたのだが、彼は現代人がお金を稼ぐのは容易ではない事を知り、特に此の法を伝授して、今日の商業社会に用立てようとした。象頭財神はもともと有る国の王子で、とても裕福であり、彼に助けを求める何人にも、其の用途を問わず、金を与えた。彼の無差別な善行は、悪人にもお金を与え、強盗に武器を買う資力を持たせ、かえって人を傷つける事になった。天神は大勢の人達が傷つくのを見て、彼を殺してしまった。然し、王子は善行をする心があったので、白マハーカーラは彼を引き取り、護法にした。ただ彼が殺された時、首を取られたので、白マハーカーラは彼に象の頭をつけた。古代では象は力が一番強い者の象徴だったからだ。それで象頭財神の富は多いである。

リンチェドルジェ・リンポチェは、マンダを捧げる儀軌は上師を供養しているのだと特に説明し、修法上師は仏菩薩を代表して皆の供養を受け取る。供養がなければ福報がないのである。須弥山は全体の銀河系を代表し、銀河系中央の高山は須弥山と称する。道場の裏庭の山水造景は須弥山の景色である。須弥山の周りには4つの地球と同じ天体があって、地球は南部洲と称して、ほかに東、西、北の州があり、四つの天体には人が住んでいる。釈迦牟尼仏が仰った事なので此れは必ずある。ただ現代の器械では発見できないだけである。須弥山に供養するには、全世界で最も良い物を以って供養する。五つの色は一切の元素を表し、此れを以って供養する。仏法僧の中で、仏像は一般的に長寿仏を使い、上師が永遠にこの世に駐在すると願う。仏の供養は覚悟を表すので、法会に参加して供養を捧る事は、覚悟の縁起がある。仏経は智慧を表し、法会に参加する事によって、全ての衆生に本来備わっている智慧を開く機会があり、舎利塔は舎利子を保管する。京都に見える古い仏塔には必ず舎利子がる。法会に参加する事によって、未来に仏を学ぶ機会があり、仏を学ぶ事によって、いつか生死輪廻の苦しみから解脱する日が来る。其れ故に、法会に参列する果報は、ある世に輪廻を解脱する事が出来る、此れが釈迦牟尼仏が仏法をお教えになる目的である。

2009 年 02 月 08 日 更新