2008年11月9日、尊き リンポチェは招聘されて、インドの北部のパンジャブ省のシーク教区にある有名なジャランダー(Jalandhar)にて殊勝な施身法法会を催した。その後、200位弟子を連れて、デラドンのヂャンチュウブリン寺に赴き、直貢噶舉 貴き 直貢噶舉 チェツァン法王が主催した11月11日の世界平和祈福法会及び11月12日から15日までの「恆河大手印」の口訣法会に参加した。たいへんな苦労を伴う旅であったが、法会と信衆に接見する日程を忙しくこなした。そして、リンポチェは衆生を利益する大願力で以って、一切衆生の願を慈悲円満させた。
11月7日、リンポチェは200名の寶吉祥弟子を連れて、インドの首都ニューデリーに向かった。翌日、10時間の苦労の旅の末、リンポチェはニューデリーの360キロメートル北にあるパンジャブ省のジャランダーに到着した。夕方に最も有名な学校M.G.N. Public School, Kapurthalaに到着し、再び2008年度祝賀大会(2008 Annual Function)を授賞する貴賓の要請を受けて、スピーチをした。リンポチェは2006年を継いだ後、再度年度祝賀大会の年度を授賞する貴賓を担当した。リンポチェがこの学校に入ると、伝統の鼓楽チームからの盛大な歓迎を受けて、数千人が熱烈に歓迎するもとに、祝賀大会の会場に入った。リンポチェは授賞する時に、苦労を厭わなくて受賞者と一緒に写真を撮った。また、リンポチェはとても流暢で完璧なイギリスなまりの英語で挨拶して開示した。その時に、会場全体の来賓は皆厳かで一心不乱に聞いた。その後で、リンポチェは特別に4位のラマ、2位の出家衆及び50位の寶吉祥弟子を連れて、「極楽浄土に生まれしことを求める祈祷文」を唱えて、すべでの人々のために祈福し、場面はとても感動的だった。MGN教育信託基金会の主席は、特にリンポチェに一個シーク教の金廟の縮小模型を贈った。金廟はシーク教の聖地で、この贈り物は独特な意義があった。
リンポチェは2007年に次いで当地に法会を催した後、再度直貢噶舉教派の殊勝な教法により数え切れない衆生を利益させたものである。11月9日夕方、リンポチェはジャランダーで殊勝な施身法法会を催し、インド人200人あまり及び台湾寶吉祥仏法センターの弟子200人近くが法会に参加した。リンポチェの根本上師 チェツァン法王は、特別に4位のラマを命じて、法王自らが使用する寶傘、法座、法机のテーブル掛け、法座背板布、楽器、ラダックからの小さい法卓等を携帯して、法会の催しに協力した。その中、リンポチェが使用する法座背板布と法卓のテーブル掛けは法王が使用するのと同じいである。法会の中に、リンポチェは特別に開示し、皆が宗教、人種を区別しないで、心を一つにして一切の衆生のために祈り、そして、仏菩薩のみならず、異なる神が参列者の要請を受けて、施身法会の会場で参列者を助けた。リンポチェが法を修め始めた時、あたりは薄暗くなっており、しばしば雷がなり、強い風が吹き、灯火も朧にけぶったが、法会が円満に終了すると、空は晴れ渡り、月も星も輝きを増していた。これは施身法が円満に終わり、無数の有情が済度を得た瑞相である。法会が終わりに近づくと、会場のすべてのインドの信衆が一人一人壇城に向かい、リンポチェは特に殊勝なマジラ尊者の仏像を用いて、参列衆の一人一人を加持された。そして法会で仏への供え物を加持して、すべての参列したインドの信衆一人一人に贈呈した。インドの信衆たちは恭しくこれを受けた。MGN教育信託基金会の栄誉事務総長は施身法会に完全に参与したのみならず、その上特に基金会を代表してリンポチェを供養した。法会が終了した後、基金会は盛大な晩餐会を手配し、学生の歌と舞で、リンポチェを歓迎し、その上、リンポチェに大型の絵を1枚贈った。ヂャンチュウブリン(Jang Chub Ling)からのラマも感嘆した。インドのチベット仏教の仏寺に法会を催しても、インド人が参加したことがないからだ。今回の法会はこんなに多くのインド人が参加しており、特にシーク教の教徒が多数を占めた。これは史上初めて仏教(顕教と密教を含めて)がシーク教の重鎮で催した法会である。特筆するべきは此れほど多くのインド人が参加し、しかもシーク教徒が参列して、始終席を離れず、恭しく開示を聞き、法会をまっとうした事だった。リンポチェのこの創挙は、その慈悲無私及び仏法の不思議な力により、種族、地域、言語文化の垣根を越して、遠くの衆生に利益を行き渡らせることを象徴している。基金会の主席は再びリンポチェに来年もまたこの法会を催してくださいと要請した。その時には千人もの参列者があるだろうと肯定的だった。
今回、インドの賓客はリンポチェに従った。リンポチェに最高の敬意を表し、彼たちはリンポチェの靴を触ってから、自分の額と胸を触った。
11月10日、リンポチェは一刻も休まず2百数キロメートル外のデラドンヂャンチュウブリン寺に駆けつけ、2百人近くの弟子を連れて、5日間のヂャンチュウブリン寺の法会に参加した。10日の夜、デラドンにあるソンツェン圖書館の空には月暈の瑞象が現われた。
11月11日、貴き チェツァン法王は世界平和祈福法会を主催した。11月11日はまさに第1次世界大戦が終わった記念日だ。法王は両回の世界大戦が死傷と財物の損失を齎すことを話して、平和の重要さを説いた。
11月12から15日までに、チャン ジョブ リン寺で、貴き 直貢噶舉法王 チェツァンリンポチェが主催する「恆河大手印」の口訣法会に参加した。法王は自ら祖師ディロバからナロバに伝えた大手印教法の口訣の殊勝を解説して、教法伝承の歴史と上師も開示した。リンチェンドルジェリンポチェは教法伝承の尊さを重く見て、特に台湾より200名近くの弟子を連れ、みずから伝法を拝聴し、法輪が常に回ることを示した。リンポチェの心細やかな手配のもとに、弟子は幸運にも直貢噶舉教派の清浄な伝承を受領した。
12日、法会が始まると、リンポチェは 法王にマンタを差し上げた。また、法王に稀有で貴重な水晶球と貴重なタンカを供養した。その玉は直径150mmにも及び、透き通って光り輝き、丸く無傷で、大手印の意義を象徴していた。法王は、それを法卓の上に置いた。12日の午後、リンポチェは弟子を連れて リンポチェがチャン ジョ リン(Jang Chub Ling)に第一回の閉関したアニ関房に参列して、仏堂に諸仏菩薩に頂礼し、点灯した。そして、弟子に連れて勝楽金剛壇城へ行って、壇城を回った。さらに、弟子を連れて壇城を回った功徳を十方三世一切の諸仏菩薩へ供養し、直貢噶舉の歴代伝承上師へ供養し、チェツァン法王へ供養し、一切衆生へ迴向した。一切衆生は輪迴の苦しみを解脱し、我等もこの世の輪迴を解脱し、一緒に浄土を登ることを祈った。すべての弟子はとても感動して、リンポチェがいつも弟子のために仏を学ぶ糧を累積することに感恩した。
14日の午後、リンポチェは弟子を連れて、カジュ仏学院を訪問した。カジュ仏学院の院長は自ら正門にリンチェンドルジェリンポチェを迎えてから、仏殿にリンポチェの来訪を歓迎する演説をした。また、お菓子でリンポチェを懇ろにもてなした。
5日間続いたヂャンチュウブリンの法会で、毎朝リンポチェが仏寺に着くと、仏寺の総執事ラマは、自ら寺院の門前にリンポチェを迎え出た。法会の期間中、仏寺の住持ーー摂政王 ジザリンポチェとリンチェンドルジェリンポチェのみが、法王の後について休憩室に入ることが許された。また法王が升座する折は、すぐ後に随い、座席も法王のすぐ傍にあった。また、昼食もリンチェンドルジェリンポチェは休憩室で法王と共に取った。これは、ほかのリンポチェにはない待遇である。
15日に伝法が終了した後、法王は自ら特別にチベット語、中国語及び英語で、各国からの参列者の前で、公然と以下の如く褒め称えた。「簡単に話せば、寶吉祥のリンチェンドルジェリンポチェは1988年に出会って以来、ずっと私の根本弟子で、すでに20年になる。その後絶えなく伝承を助け、非常に敬虔であり、チベットのディクの主寺の金頂をつくり、インド、ヂャンチュウブリンの仏寺及びソンツェン圖書館を助成し、直貢噶舉で助けを必要とする寺院と閉関センターに多くの助けを出し、多くの供養をした。直貢噶舉で助けを必要とする所には、助けを出している。ゆえに私は此処で彼が教派の為に大きな力を出した事を表彰する。又此処で、寶吉祥の作業人員は、リンチェンドルジェリンポチェの引率の下で、非常に敬虔で苦労を惜しまず、各事々で発心をしている。この度の世界和平点燈もリンチェンドルジェリンポチェが弟子たちと共に遥遥台湾から持ってきたものである。インドで直貢噶舉が必要とするものは、事の大小に関わらず、リンチェンドルジェリンポチェが助けてくれる。私はこの機会を借りて、感謝の意を表し、リンチェンドルジェリンポチェにハタを一つ差し上げたい。阿弥陀仏!」、今回の世界平和祈福を祈る活動の1千の灯もリンポチェが台湾から持ってきた。そして、法王は自らリンポチェにハダーを贈って、感謝の意を表した。そしてラマからすべての寶吉祥の弟子一人一人にハダーを贈った。
チェツァン 法王は数多の場合でリンチェンドルジェリンポチェがディクの主寺蔵経閣の金頂護持した事をを褒めている。この金頂はジッテン・サムゴン祖師が800年前に建立し、その後何回か修繕している。嘗てチェツァン法王はこう予言したことがある、金頂が修復されれば、直貢噶舉教派は大いに栄えるであろうと。リンチェンドルジェリンポチェが法王の修復の指示を受けた時、資金調達のあては全然なかった。ただ上師に対する無限の信心と努力で以ってことに臨んだ。そして、2000年にはこの任務を果たした。この何年かで、直貢噶舉教派世界各地の仏寺やセンターは活気を帯びて発展し、教法は広く流伝している。此処に法王とリンポチェの師徒2人が心をあわせ、仏法と教派を広める殊勝な成就が見られる。其れは法王が公に話したが如く、法王とリンポチェが永久に一つに居れば、仏法の大通で更に数多の衆生を利益するだろう。
その夜、リンポチェは特にチェツァン法王及び摂政王 ジザリンポチェを招待して、寶吉祥の弟子と一緒に夕食を取った。すべての弟子はとても感動し、リンポチェが弟子のために大成就者へ供養する殊勝な機縁を造ったことに感謝した。
2008 年 12 月 17 日 更新