尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2015年8月29日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、台北寶吉祥仏法センターにて殊勝な「チベット仏教直貢噶舉派阿弥陀仏済度法会」を主法した。日本、カナダ、ドイツ、アメリカ、インド、中国、台湾の各地から、弟子と信衆を含めて合計1328人参加した。祖師ジッテン・サムゴン、歴代伝承上師、三恩根本上師直貢チェツァン法王、直貢チョンツァン法王、及びアキ護法の加持と加護の下で、法会は清浄で円満になり、功徳は無辺な衆生を広く被い、参加者たちは皆法喜に満ちた。

法会の開始前に、ある弟子はお母さん、一番目と三番目のお姉さん(何れも皈依弟子)の付き添いで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲でお母さんを加持して助けた経過について称賛する機会が与えられたことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、並びにお母さんに代わって懺悔を発露した。

「母は16歳の時に結婚した。一番目の姉が1歳になった後、二・二八事件が起き、姉の父は捕まれ、それ以来は姿を消した。母は1歳になった子供を連れて毎日怯えながら、あっちこっち逃げ回り、最後は実家に逃げ込んだ。その後、母は25歳の時、父と結婚したが、父は私が13歳の時に往生した。母は一人で4人の子供を育て、暮らしのために、鶏や家鴨を飼い、殺して私たちに食べさせてくれた。野菜を植えていた時は無数の害虫を殺した。また、飼料工場で働いていた時も、飼料を盗み食いしたネズミをたくさん殺した。子供のためとは言え、それで数えきれない殺業を作ってしまった。

私たちが大きくなってから、母は責任を果たした。64歳の時に精舎で剃髪して出家し、また同年、三壇大戒を受けた。母は埔里に数十年も住んでいた。その間も相変わらず野菜の栽培に忙しい日々を送っていた。ある日、私は母に会いに行ったが、母は寮におらず、ある年長の師父と一緒に高いすいがきに掛かってへちまを取っていた。二人は時々栽培方法と成果でもめったりもした。その頃、母の健康はよくなかった。頻繁に病院に行って点滴を受けなければならなかったし、毎日も薬を欠かさなかった。しかも、救急車で病院の緊急治療室に運ばれたことが何回かあった。その頃、母の左膝に腫瘍があって骨を圧迫していたので、夜は常に痛みで眠れなかった。手術を受けた後も、再発率は高いとお医者さんに言われたうえで、寿命の縁はそろそろ尽きると精舎の受持にも言われた。

私と姉は幸いにも2005年7月に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できた。苦しみに満ちた母の一生、精舎受持の言葉を思い浮かべたので、すぐ母を連れて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会見を求めに来た。母が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの前に跪いた時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは一言で祖母(母のほう)が未だに餓鬼道で苦しませられていることを指摘してくれた。しかもその場で、施身法法会に祖母の済度を登録してくれた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲に感謝したい。母は精舎にいた頃、寮の外で誰かが毎晩自分の俗家の名前を呼んだのを聞こえた。それは祖母が助けを求めることだった。しかし、私たちは愚鈍で全く気付かなかった。精舎にいて十数年もなり、毎年の済度法会で祖先は皆済度されたと思い込んでいた。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大雄大力と大慈悲に感謝している。今、祖母は苦しみがなくなり、母の寮の外は夜中の呼び声もなくなり、祖母は苦しみから離れられて永遠の幸せが得られた。心から尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝している。母も心に感謝の気持ちが一杯だったので、2007年、80歳の時に精舎を離れて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。皈依後、母の体はますます元気になり、顔色は以前よりもずっとよくなったと周りの人に言われている。以前、精舎にいた頃、母は頻繁に病院に出入りしていたが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依してから、そのような状況は全部なくなった。

2009年5月、母は両脚が浮腫んで靴も履けず、歩くのもできなかった。両脚の肌が荒れてかゆくなり、掻きむしった箇所からまるで閉まらなかった蛇口みたいに汁が出てきた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる加持に感謝する。そのお蔭で、一晩だけで、象の足のように浮腫んでいた足の浮腫みが消えて母は歩けるようになった。しかも、肌のかゆみも消えた。大変不思議なことだった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの具徳具証量、大慈大悲で母の冤親債主が済度されたのだと、私たちは分かっていた。本当に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝している。

母は精舎にいた頃、肝ガンに罹ったが、80歳の時に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依してから、西洋医学の診療を受けたり、薬を飲んだりすることは一度もなかった。ただ漢方診療所の薬で体を調理していた。不具合を感じた度に、『ちょっと我慢すれば大丈夫だ』という尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの言葉を思い、母はこのように不具合を我慢して過ごした。時々、母は住まいの近所の家庭医の所で点滴を受けることもあった。そこのお医者さんは母の状況を見て病院で治療を受けることを勧めてくれたが、母は応じず、そのお医者さんに『私たちにはリンポチェがいるから』と告げた。

ある日、母が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会見を求めた時に、リンポチェは慈悲を込めて『よく食べられるか、眠れるか』と聞いてくれた。弟子としてこれ以上幸せなことはないと、私は思えた。そして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはまるで自分の母親を気遣うように、母の頭を抱いて長らく加持してくれた。心から尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を申したい。

今年、母は89歳になった。ちょっと前に、ある医者をしている師兄の所に母を連れて行って検査を受けさせた。検査結果を見て私は大変びっくりした。母は腫瘍がなくなり、指数も基準値の前半に、血糖、コレステロール、腎臓、心律動などの数値も基準値の範囲内にあることが分かった。以前、母にはひどい貧血があって血色素は7以下だったが、今の血色素量は10.9に戻った。医者をしているその師兄は、以前は母の体の調子を見てきっと腎不全で後は長くないと判断したが、今は彼女自身よりも元気だと言ってくれた。慈悲の大医王、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝する。『尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがいなかったら、自分は病気の苦しみを耐えられず、とっくに六道に堕ちて業のために流転しているはずだった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがいなかったら、この浄土のような道場で金剛師兄たちと共に学ぶこともできなかったはずだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝している』と母はこう言った。

私の記憶では、ある法会の時に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが母に何の病気に罹ったかと聞いたことがある。その時、母は暫く考えて最後に忘れたと答えた。母は今年89歳にもなった。母が壇城の前で地道に念仏するのを見て私はいつも母の口下手さを感じた。しかし、上師に対する母の感謝と信念の堅さは揺るぎないものだと私は知っている。このような具徳の上師の門下に皈依できたことは、弟子たちにとって何よりもの幸せだ。自分は大変尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝している。この感謝の気持ちは世間の言葉で表せるものではない。

ここで、私たちは母に代わって母が今生に累積した悪業、傷付けた衆生のために懺悔したい。私たちを育てるために、母は数多くの衆生を殺し、野菜栽培の時に多くの害虫も殺害した。また、窓台の蜂の巣を払い落として一匹の蜂を死なせたせいで、もう一匹の蜂はそこに居残って悲しんでいた。これらのことを懺悔したい。私たちは母に代わって懺悔したい。母に傷付けられた全ての衆生のためにも、母が為した全ての不善のためにも、全部懺悔したい。また、私たちは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの無比の大威徳力、大慈悲力、大摂受力にも感謝したい。リンポチェのお蔭で、衆生は頼り、解脱、永遠の安楽が得られた。ここで、『虚空可量風可繋、大海中水可飲尽、無能説尽仏功徳。』という讃仏偈を借りて言わせてもらいたい。

最後に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が安康で、法輪が常転し、この世に常住し、一切時中に吉祥如意であることを祈る。」

続きに、ある弟子は息子(皈依弟子)の同行でお父さんの皈依と往生の経過、及び尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがお父さんと家族を助けたことを語った。

「父は2014年7月20日に皈依し、2015年5月16日の未明に家で安らかに往生した。その後はすぐ尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェから殊勝なポワ法による済度を受けた。5月30日に骨を焼却して海葬が行われ、全てが円満に完了となった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝している。

父は今年89歳になった。パーキンソン病に罹って約30年にもなり、最近の5年は認知症も現れた。私は皈依してから、常に貪って父を加持することを尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに願った。上師の体力と福報を消耗していたにもかかわらず、これが親孝行だと勘違いしていた。大変恥ずかしくて懺悔しなければならない。2013年ネパールに行って法会に参加した時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが母親に対する加持と世話というある師兄の話を聞き、自分の不孝を深く感じた。それでも、自分は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対しては恭敬していなかった。上師に求めればいいと思っていたので、ネパールから帰国後、父を連れて来て尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにポワ法をお願いした。

会見の意図を知って尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私を叱った。『リンポチェが法座で開示したことを何も聞き入れなかったのではないか。リンポチェは何度も開示しただろう。英語が分からなければ、アメリカに行ってもしょうがないのではないか。』そして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲の口調で父は皈依したかと、私に聞いた。私は恥ずかしくてびくびくして首を振った。どうしてよいかも分からず、日曜日の法会の時に父の代わりに大礼拝をすることを、私は泣きながらもう一度尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお願いした。しかし、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはその要求を断った。また、『あなたは何の用意もできていないのに、求めに来た。あなたの大礼拝は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持ほどの効果がないのだ。』と言ってくれたうえで、長らく父を加持した。その頃、父は毎月施身法法会に参加していた。法会の加持力は大変不思議だった。父の意識がはっきりしなかった時でも、道場の階下に来た度に、意識が戻ったし、兄弟子たちにも挨拶できた。父のために皈依を求めたらと勧めてくれた師兄もいたが、父はこれほど具徳の大修行者の尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できることについて、私はとても考えられなかった。

私は深く懺悔しなければならない。私は大変不孝な娘だ。親孝行はしなかったし、仏法学習の慧命を賜った上師にも孝行しなかった。上師を完全に信じなかったし、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を見捨てられない大慈大悲をも理解しなかった。私はいろんな都合で父の皈依を求めることを遅らせていた。本当は、自分は上師を恭敬せず、面倒くさくて苦しませられるのを恐れていたのだ。衆生を済度する尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの苦心を無視していた。私は本当にできの悪い弟子だ。

その次の週、私は父を連れて皈依を求めるために尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお願いした。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが『何のために会見来たか。』と聞いたら、私は『父の皈依ためにリンポチェにお願いしたい。』とすぐに答えたが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『皈依の理由は。』と聞いた。その時私は躊躇って心にあった答えを言い出せなかったから、『父にも仏法を学んでもらいたい。』と答えた。そうしたら、『お父さんは念誦できるか。礼拝できるか。』と尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはまた聞いた。私は首を振った。その時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『だったら、仏法を学ぶ意味はあるか。』を言い、今度は息子を見て『お母さんはお爺さんのために皈依を求めたいと言っているが、何故皈依するのか。あなたが言いなさい。』息子は『仏法の学習のためだ』と答えたら、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはそれが答えではないと言い、息子にもう一度機会を与えて答えさせた。結局、息子の答えは相変わらず『仏法の学習』だった。その場で、『普段は家で口がうまくていつもお母さんに口答えしている。お母さんに言われたことに対して口先だけで応じたが、何もやらない。』と、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは息子を叱った。『皈依して長い時間を経て仏法をもたくさん聞いたにもかかわらず、不孝のままにいる。あなたを追い出さないでも思っているのか。』と、上師は言い続けた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは息子に、供養してはならず、行為を改めてからでないと供養してはならないことを罰として与えた。そして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私を見て口うるさい母親だと叱ってくれた。私は大変恥ずかしくて感謝の気持ちで一杯だった。私は無能で無責任な母親で、息子の教育まで上師に面倒をかけた。穴があれば入りたいくらい恥ずかしかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私たち三代を見て『登録しなさい。』と開示してくれた。その後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは長らく父を加持し、暫く父を見た後私に『お父さんは皈依の理由が分かった。』と言ってくれた。仏と同じような尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲は海のようだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝する。

2014年7月20日、父は皈依して尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子になった。父の皈依後、あまり不思議にも、母の同意が得られ、年末に介護施設から父を連れて帰って家で世話することになった。これで、父は晩年を安らかに過ごすことができた。両親は仲が悪かった。結婚して50年、お互いに憎み合う時間も50年だった。父の帰宅に対して母はずっと同意しない態度だったが、父が皈依した後、母は反対しなくなった。これは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが加持してくれたお蔭だと私は分かっていた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を申したい。

今年5月3日の阿弥陀仏無遮大済度法会の後、父の様子は変わった。車いすに座った父はいつものように体が真っ直ぐに伸ばせず、曲がって痩せこけるようになった。父は最期を迎えているのではないかと、ふっとそう意識した。普段はいつも尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示、またたくさんの兄弟子の話をも聞いてきたが。いざとなると、私は謹慎と恐怖の気持ちで一杯だった。5月8日午前、私は道場に来た。ちょうど組長がレセプションで当番をしていたので、『父は調子が良くないが、もし往生にでもなれば、その時はどう処理してよいだろうか。』と尋ねた。師兄は考えずに、速くポワ法を求めたらと言ってくれた。それを聞いて私はびっくりした。この殊勝で有り難い法を、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお願いする資格が私にはあるはずがないと思った。しかし、師兄は励ましてくれた。『リンチェンドルジェ・リンポチェは大慈大悲の方だ。お父さんは皈依弟子なので、恭敬心、懺悔心で求めれば、リンチェンドルジェ・リンポチェがどんな形で助けてくれようか、何れも私たちにとって最適なものだ。』そして更に、『忘れてはいけない。必ず最も恭敬の心でお父さんのために大供養をすること。』と言ってくれた。

5月9日、土曜日の午後、私は父を連れて道場に来た。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにポワ法を求めて大供養をした。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの前で、私は父のためにポワ法をお願いしたいと報告した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ慈悲を込めて応じてくれたし、長らく父を加持した。そして『この後のことはあなた一人で決めていいのか。』と聞いてくれた。父を病院に入れず、家で最期を迎えること、海葬等のことは既に前もって家族と話し合ったので、私はその場でうなずいた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて『家には誰がいるのか。』と聞いた。『母、妹と兄がいる』と私は答えた。『海葬等のことは家族とよく話し合いなさい。ちゃんと説明しなさい。喧嘩してはならない。そうすれば、円満になる。』と、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲の開示をくれた。私はうなずいてその言葉をしっかりと覚え、感謝の気持ちを一杯抱えて下げた。家に帰る途中で、私は父の耳に近づけておめでとうを言った。同時に注意した。『私たちは常に感謝、懺悔をしなければならない。常に上師のことを思わなければならない。今生に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに出会えなかったら、考えられないほど惨めになっただろう。』私たちはポワ法を求められたとはいえ、これは全ての始まりに過ぎない。更に恭敬、謹慎に振る舞い、教えに従って修行しなければならない。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは何度も開示したが、重要な時になると、必ずしも尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを見つけられる因縁福報があるとは限らないのだ。

家に帰って私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を繰り返して考えた。父の臨終の世話について家族は意見が一致した。それなのに、何故尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは家族とよく話し合うように言ってくれただろうか。まさかあまり顔を出していない兄から別の意見が出てくることだろうかと私は思った。その通り、兄は父の弱い状況を見て入院、治療を受けさせることを主張した。家族の決定に従おうとしなかった。その時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示してくれた『喧嘩してはならない。そうすれば、円満になる。』という言葉が浮かべた。私は、無駄の医療で父が苦しませられない家族の希望、そして尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがずっと父の面倒を見ていたうえで、殊勝なポワ法を賜ることをも応じてくれたから、心配はないと、兄に説明した後、兄は同意してくれた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に大変感謝している。

その頃、父は普通に飲食できなくなり、意識がはっきりする時間もだんだん少なくなった。5月11日、月曜日の夜、ある師兄の所に父を連れて行って外来診療を受けさせた。その医者である師兄は詳しく父のために検査し、飲食と薬の飲み方を教えてくれたうえで、『お父さんは年なので、栄養の吸収は大変難しい。入院させても効果は限られる。しかし、いろんな治療でお父さんは苦しませられるだろう。』と説明してくれた。まして、もし兄からまたほかの意見が言われたら、代わりに兄に説明してくれるとも話してくれた。その話で私は大変感動した。私には最大な頼りがある。その頼りは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、家族同様の師兄をたくさん私にくれた。本当に上師感謝している。

診療から帰って来たら、父は少し息が苦しくなり始めた。その後、父は毎日少しずつ体が衰えるようになった。水曜日になると、物を飲み込めなくなり、殆ど寝込んでいた。私は綿棒で甘露水をつけて父の唇を濡らし、静かに寝かせ、なるべく動かさないようにしていた。また、父の耳に近づけて小さい声で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法号、様子と声を覚え、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェだけについて行くように言ってあげた。母は父の様子がどんどん衰えていったのを見て、父の代わりに尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養するためのお金を私に渡し、父のために福報を累積して順調に往生できるようにしてあげたいと思った。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大摂受力は本当に不思議だ。母は父の帰宅に同意しただけでなく、父のために尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養するためのお金まで出してくれた。だから、私は、自分で道場に行って尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養するように母を励ました。

その時になって父の息苦しい状況はますますひどくなったので、兄は酸素吸入器の使用を建議した。酸素吸入器は酸素を一定のペースで父の鼻に送り込んだが、大した改善は見られなかった。そのため、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示した四大分解の『風大分解』の段階に父は来たと、私は思った。私は毎日父の様子を入念に見ていたし、組長も毎日気配りしてくれていた。生死に係わることなので、家族の死亡に対しては、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに頼るだけで、私たちは落ち着いて直面できた。

5月15日、金曜日の夜10時30分に、私は父の呼吸に変化があったことに気付いた。父は、息を2回吸うと、暫く息が止まった。しかも、止まった状況はますます明らかになった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、往生寸前の人の指先は冷たくなると開示したことがあるが、その時、私は父の指先がだんだん冷たくなったことを感じたので、家族と六字大明咒を唱え始め、私は父の頭頂に置かれた尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法照を見つめた。そんな時、何事にも恐れないようにしてくれたのは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェだけだった。人が死ぬ時、急に一息ができず、死んでしまうことを尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて開示した。とうとう、父は最後の息をして呼吸しなくなった。5月16日の零時4分だった。私は注意深く甘露丸を父の口に入れ、持咒し続けるように家族に頼んだ。そして、父の往生を直ちに電話で組長に報告した。組長は兄弟子の頼さんに連絡してくれた間もなく、私に頼さんに電話するように言ってくれた。電話が繋がって頼さんは私に要件を尋ねた。私は心に懺悔と感謝が一杯で『リンポチェにポワ法をお願いしたい。』と答えた。そしたら、あまりにも時間が遅かったので、電話の返事ができるかどうかは保証できないと、頼さんに言われた。電話を切って私はすぐ壇城の前で頂礼して懺悔と感謝をした。頂礼が終わらないうちに、頼さんから『リンポチェは修法し始めた。』との電話連絡があった。深夜の12時30分の遅い時間に、私たちは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに迷惑をかけた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を見捨てず、一刻も早く父のためにポワ法を修めてくれた。この大恩大徳に私は報うこともできないだろう。その後、暫くしてまた頼さんから、リンポチェの修法は終了したので、すぐ家族と一緒に瑞相を見るように電話連絡があった。

私は直ちに家族と一緒に父の様子を見た。ポワ法が成功に修められたら、梵穴は温かいとよく聞くが、私は父の梵穴を触って大変驚いた。温かいところか、非常に熱かったのだ。家族の皆にも触ってもらった。父の頭のほかの箇所は冷たかったのに、梵穴だけがとても熱かった。父は生前にパーキンソン病で体が硬直だったが、その時の父の手はおもちのように柔らかった。母も側で見て不思議に感じた。家族の皆が瑞相を見た後、私は電話の向こうで待ってくれていた兄弟子に報告し、並びに尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。父の遺体を見て私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。父は既に浄土に行った。

父は一生において楽しい時間よりも苦しい時間が長かったが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したお蔭で最適な最期が迎えられた。全部尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが賜った恩情だ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子たちに、常に無常を考えることを教えてくれたし、上師も無常なものだと、自身の病気で示してくれた。阿弥陀仏無遮大済度法会の時から父の往生まで、僅か2週間だった。父が苦しませられた時間を短縮してくれたことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を申したい。私たちがポワ法を求めた土曜日は、父が会見を求めた最後の機会だった。このことで、私は、起心動念が起きると、すぐ行動に移らなければならないとつくづく感じた。躊躇うのも、考えすぎるのも、取越苦労だ。

夜明けの後、父の遺体は斎場に運ばれた。私たちは霊璽を設置せず、礼拝にご飯を使わず、全て簡単な形を取った。午後に、私は家族と一緒に道場に行き、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を申し、並びにお葬式の日程を尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお願いした。母は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの前に跪いて『リンポチェ、主人は往生した。このお金でリンポチェに供養したい。主人のために福徳を累積したい。』と報告した。そして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を込める笑顔で『昨日の方なのか。』と聞いた。母は『ハイ。』と返事した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて瑞相はどうだったかと母に聞き、母は身振り手振りをしながら、『梵穴は大変熱かった。手は大変柔らかった。』と答えた。

私は大変感謝している。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは母の供養を受け取ってくれたうえで、こう開示してくれた。『リンポチェが修法した時、お父さんの神識はリンポチェの前に来た。お父さんには罣礙が殆どなかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはたくさんの修法をしてきたが、お父さんみたいに殆ど罣礙のない人は稀だった。お父さんにはちょっとした念頭があったが、お母さんとの間のことだ。お父さんは上師に信念を持っていた。毎週法会に出ていたし、上師が開示した仏法をもちゃんと聞き入れた。』

上師に感謝する。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大摂受力のお蔭で、母は自ら道場に来て上師に供養した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる開示で、長年以来母が持っていた怨みは完全に消えた。そして、妹も父の往生に対する悲しさと心配を止め、懐かしさだけを残すことができた。これも全部尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持のお蔭で父にこのような因縁ができた。以前、父は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して恭敬せず、法会の時は常にぼーっとしていたと、私はいつも思っていた。本当は、私は平凡な人間の目で見たことを判断していただけだ。しかし、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を摂受する方法は、私ほどの愚かな人間で理解できるものではなかった。私は車いすに座っていた父を連れて行き来していたが、実は親孝行ではなく、ただの手伝いだったのだ。父は最後の数ヶ月に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依でき、法会に参加でき、自ら上師の教えを聞いて自分の因縁福報を累積することができて大変良かったと思う。

また、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝したいことがある。父の骨は焼却の後、頭蓋骨が完全に残され、表面にある小さな丸い穴の断面はきれいではっきりしていた。お葬式と海葬も順調に終わった。親族の皆も父が自在に往生できたことを喜んでくれたし、簡単で荘厳な儀式、そして海葬が行われたことについても、父に大きい福報ができたと、喜びを示してくれた。何もかも尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持のお蔭だった。5月30日午後3時、船が40人近くの親族と師兄を載せ、皆で父の骨灰を海に撒いた。これこそ円満だと私は思った。

振り返ってみると、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは最初から父のために、極楽世界への広い道を用意してくれていた。心から尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに深く感謝したい。今回、日本での法会において、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『地蔵菩薩本願経』を開示した。その時は、地蔵菩薩の前世である婆羅門女が母親の往生後、覚華定自在王如来に対する供養について特に強調した。私は大変恥ずかしい。私たちは供養もしなかったのに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは大慈大悲で父に殊勝なポワ法を賜った。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに恩返しをするために、私はきちんと教えを聞き、修行する以外に何もできないだろう。最後に、もう一度尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を申したい。そして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が安康で、法輪が常転し、仏法事業がますます興隆になり、更に多くの有情を利益することを祈る。」

午前9時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは薫香炉、楽器、宝傘の先導及び護送のもと、八吉祥図模様の白い絨毯の上を歩いて壇城に上がり、諸仏菩薩に恭しく頂礼し、並びに、尊勝なる直貢チェツァン法王の如意寶法座にハタを献上し、灯をともして仏に供えた後、法座に上がった。

修法の前に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは参加者たちに貴重な仏法を開示した。

今日は阿弥陀仏済度法を修める。この法門は密法であり、一般の顕教の済度儀軌ではない。中国人、そして日本人も7月に鬼を拝むが、冥銭を焼いて鬼を喜ばせれば、鬼は来なくなると思っている。しかし、仏法には、7月に冥銭やほかのいろんなものを焼けば、鬼は去って行くという言い方はない。中国人の伝統にも、冥銭を焼く習慣はなかった。

この典故は仏経からだ。仏の身近の弟子目犍連尊者は神通の第一人者であり、神通で自分の母親が往生の後餓鬼道に堕ちたのを見た。どんな人が餓鬼道に堕ちるのか。生きる時慳貪で布施と供養を惜しんだり、布施と供養の後後悔したり、お金を使う時は算盤尽くでいたりするような人は皆死後、餓鬼道に堕ちる可能性が高い。例え修行者であっても餓鬼道に堕ちる可能性はある。仏経では、餓鬼の相は、お腹が大きくて首が短く、眼球が突出で口から噴火があり、四肢が細いと言うふうに書かれている。あなたたちはアフリカの飢えた子供たちを見たことがあるだろう。そのような相をしている。実際に、死後にならなくても餓鬼道に堕ちるかどうかはわ分かる。過去世に餓鬼道に生まれた者は、今世も貧乏な家に生まれる。

目犍連尊者は自分の母親が餓鬼道に生まれたのを見た。餓鬼道にいる苦しさは、毎日お腹が空いて食べたくなることだが、どんな食べ物や水であっても、喉に来ると火に変わって飲み込めなくなり、大変苦しい。餓鬼が一番多い所は海辺、川辺、渓辺を含める水辺だ。何故なら、水を飲めば、火は弱くなると彼らは思うからだ。しかし、水を飲むと、火は再び燃える。目犍連尊者は母親がそんなに苦しませられたのを見たので、自分の神通で食べ物を変えて母親に食べさせたが、母親がそれを食べた途端、食べ物も火に変わり、飲み込むこともできなかった。

目犍連尊者でさえ自分の亡き母に供養したいと思っても何かを焼けばあげられたのではなかった。神通を使って食べ物を変えて餓鬼に与えることも必要だった。だから、あなたたちは、何かを焼いたり、何かをあげたり、お香で拝んだりすれば、鬼に食べさせられると思う理由の根拠はどこからだろうか。

リンチェンドルジェ・リンポチェの父は道教の修行をしていた。リンチェンドルジェ・リンポチェ自身も道教を学んだことがある。子供の時からずっと父と一緒にいたが、道教の経典ではそのような方法で鬼の手に届けられることが書かれなかった。老子が書いた『道徳経』、『太上老君経』を見てもそれらの話はなかった。しかし、中国人は宗教界に発明家が多い。理由は何だろうか。金儲けをしたいからこそ、たくさんのものを発明した。

目犍連尊者のような大神通を持った者でも、餓鬼が食べられるための物を作れなかったのに、あなたたちはどんな理由で道の傍らで何かを焼けば、鬼に食べさせられると思うだろうか。仏の話だと、あなたたちはきっとそう思うだろう。しかし、仏がこの話をした時、中国人にはまだ冥銭を焼く伝統がなかった。歴史の中で何時から冥銭を焼くのを始めたのがいつだったかを見てみなさい。最後に、目犍連尊者は、母親の済度方法を賜るように仏にお願いした。仏が在世の時は1200人の弟子もいて毎日仏と一緒にいた。皆阿羅漢と大阿羅漢で証果できた修行者だった。インドの夏は大変暑いので、民家を一軒一軒回って托鉢していたら、病気になってしまう。そのため、一ヶ所に集めて閉関修行をさせた。また、夏には地面に虫がたくさん、歩き続けていたら、衆生を踏んで死なせる恐れがあったので、2ヶ月の結夏を行い、つまり閉関修行をさせた。

それらの弟子たちが結夏を終えた後、食事を与えて功徳を母親に回向すれば、母親は餓鬼道から解脱し、天道に生まれることができると、仏は目犍連尊者にこう教えた。供養斎僧(心身を浄めて菜食で僧侶に供養すること)はこの典故からだ。しかし、今時は阿羅漢が殆どいないし、例えいるとしてもあなたたちの前に現れることはない。斎僧は今では一つの儀式になっている。皆が食事しに来たり、御捻りをもらったりするようになっている。これはよいことだが、信衆に食事の布施、金銭の供養をする機会を与えることになるが、功徳が得られるかどうかは分からない。仏経によれば、必ず閉関を終えた阿羅漢に供養しなければならないが、今時、一般に毎年為される斎僧は、事前の閉関もなく、ただの集まりになってしまっている。もちろんこのような集まりはいいことだ。衆生に仏法僧に対する恭敬心を生じさせることができる。

次に注意しなければならないのは、目犍連尊者の母親は阿弥陀仏の所に生まれず、天道に生まれたことだ。顕教は皆梁皇宝懺を礼拝する。梁皇宝懺は、死んだ妃が畜生道に堕ちて大蛇の身になったことで、この懺を礼拝するように梁武帝が宝誌公に頼んだものだ。しかし、この懺を礼拝し終えてもその妃は天界に生まれた。どの懺本も念誦し終えれば、阿弥陀仏の所に行けるとは言っていないので、例え道場や仏寺でそう書かれても効果はない。理由は本尊が阿弥陀仏ではないからだ。

今日の初めに、阿弥陀仏済度法は密法であることをあなたたちに話した。阿弥陀仏は伝法したが、経典を通して伝えなかった。釈迦牟尼仏の説明を通して伝えられたのだ。浄土五経では、阿弥陀仏自身が法を伝えたことについて全く触れられなかったが、釈迦牟尼仏が阿弥陀仏を紹介したことが言及された。そして、浄土に往生するにはどう修行すればよいかを教えてくれた。リンチェンドルジェ・リンポチェは断じて冥銭を焼くことを反対する。空気を汚染して鬼衆に貪欲を生じさせるからだ。そうでもなれば、食べれるものがあると思ってここに来てしまう。しかし、鬼衆を満足させられなかったら、彼らはどうなるだろうか。冥銭を焼けば金儲けができるなら、誰も努力する必要はない。終日冥銭を焼けばいいし、こんなに大変なことをしなくてもいいのではないか。

『鬼門関が開く』は習俗だが、経典は7月に鬼門が開くことを言わなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは常にある例えを言っているが、もし7月に鬼門が開くとしたら、戻りたいものはいないだろう。一旦そこを出れば、戻りたいはずはないだろう。だから、これは迷信だ。根拠もなく、皆を怖がらせることをたくさんでっちあげた。しかし、何故皆は鬼を恐れるのか。鬼だからこそ鬼を恐れるのだ。菩薩道を修める人が鬼を恐れることはない。鬼を助けたくてしょうがないのだ。恐れることはあり得ない。

今日はこの段落の典故を開示するが、あなたたちにはっきりと教えたいのは、ある程度に修められなければ、念誦だけで済度できると自認しては正しくないことだ。あなたと目犍連尊者とはどっちのほうが偉いのか。皆に考えてほしいが、例えば、梁皇宝懺みたいに、顕教を通して済度することを考えてほしい。寶誌公は何の身分だったかを、あなたたちは知っているか。伝記によれば、寶誌公は千手観音の化身らしい。寶誌公は戒律を守った出家衆を率いて千仏を拝んでやっと功徳が得られた。

あなたたちは、一冊のお経でも唱えれば済度できる、魚鼓でも叩けば済度できるとでも思っているのか。そんな考えはあまりにも甘いのだ。拝懺の人は皆その前に閉関しなければならないし、身口意を浄めなければならない。こうしないと、拝懺してはならない。しかし、今時はどこでも、明日は拝懺するのに、今日はお肉を食べている。明日は法会に参加するのに、今日は魚を食べている。下痢しないほうがおかしい。あなたたちは今寶吉祥仏法センターの法会に来ているから、今後は何を食べても下痢するだろう。菜食は別の話だ。いくらでも食べなさい。リンチェンドルジェ・リンポチェは護法に言う。法会に参加してもお肉や魚を食べ続ける人を下痢させるのだ。

何故菜食しなければならないだろうか。法本では、今日の法会に使われるものは全て菜食でなければならない、お肉が入ってはいけないと記述されている。私たちは三悪道に堕ちるのは、殺生、貪欲が原因だ。法会の参加は、あなたたちの過去の借りを返し、この一生において更に過ちを犯さないように手伝ってあげられる。よい暮らしをさせるためではない。よい暮らしをするには、あなたたち自身が教えを聞いて過ちを改め、修行しなければならない。それでも、よい暮らしができるまでに、まずは借りを返さなければならない。債権者でもいれば、よい暮らしは無理だろう。これは仏法による定義だ。何でもかんでもリンチェンドルジェ・リンポチェに頼りっぱなしではだめだ。もし、こんなことができるとしたら、リンチェンドルジェ・リンポチェも全てのことを尊勝なる直貢チェツァン法王に頼り、自分は修行しなくてもいいのではないか。

あなたたちは、何でもリンチェンドルジェ・リンポチェに頼りたい。理由は、不精と貪欲で、しかも自分の過ちを認めないからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェを知って長く経っても皈依しない人のように、ちゃんとできなかったら、いけないという言い訳をする。まだ何もやっていないから、ちゃんとできるわけがないだろう。また、怒られるのが怖いという人もいる。地獄に堕ちることが怖くないのか。法会に参加すれば、地獄に堕ちることはないとでも思っているのか。あなたたちは信じないから、堕ちることは避けられないのだ。疑わないで、決意しなければならない。こうすれば、三悪道に堕ちないようになる。

だったら、リンチェンドルジェ・リンポチェは修法する必要でもあるかと、あなたたちは疑問が出てくるだろう。仕方がない。リンチェンドルジェ・リンポチェの修行はまだよくできていないから、更に多い衆生を利益するために、自分の資糧をたくさん貯めなければならない。末法時代に苦しんでいる衆生はあまりにも多いので、『阿弥陀経』は、必ず福徳因縁を有する(不得少福徳因縁の)善男子、善女人が発願するのでなければ、阿弥陀仏の国土に生まれることはないと言っている。善男子、善女人は十善法を修める人だ。『不得少』は必ずこの因縁を有さなければならない意味だ。もし、あなたは阿弥陀仏を知らなかったら、阿弥陀仏が助けてあげたいと思っても仕方がないのだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェは上師として、あなたたちのために因縁を続けて作ってあげたい、あなたたちの縁を見たい。しかし、発願はあなたが決めなければならない。子供はまだ小さいとか、商売があってまずは商売のことを大事にしたいから、時間があれば修行しようとか、思ってはいけない。先、法会の前に話を語った弟子は、お父さんはパーキンソン病に罹って30年になったと言った。道理から言えば、こんな人はポワ法を得る資格がないはずだった。また、因果から言えば、お父さんはそんな病気になったのは因果を信じなかったからだ。しかし、お父さんは最後にポワ法が得られた。理由は、彼自身は改め、娘さんも彼のために求めてあげたし、そして、彼は皈依した。

済度を求めれば、応じられると、あなたたちは思ってはならない。因縁がなければ、皈依弟子であっても無理だ。弟子でない人は尚更だ。教派があなたに借りがあった場合は別の話だが、そうでなければ、無理だ。しかし、あなたに借りができたのはリンチェンドルジェ・リンポチェの場合だったら、必ずしも助けてあげるとは限らない。借りがあるのは教派なら、リンチェンドルジェ・リンポチェは助けてあげる。借りとは何か。あなたは過去に教派を手伝うことがあった場合のことだ。ここまでの話を聞いてあなたたちは、だったら修行しなくていいだろうと思うかもしれないが、こんな考えは正しくない。リンチェンドルジェ・リンポチェもいつかは死ぬ。人生は無常なものだから、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつ死ぬかは分からない。明日かもしれない。だから、あなたたちは射幸心を持ってはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェはよく修行しているから、きっと長生きすると思ってはならない。

リンチェンドルジェ・リンポチェはきっと生きていくが、法身として生きていくのだ。肉体は遅かれ早かれ壊れる。だから、あなたたちはずっと射幸心でいてはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェに頼ればいいと思ってはならない。本当にこうしていいのなら、リンチェンドルジェ・リンポチェも尊勝なる直貢チェツァン法王に頼ればよかったのではないか。何故こうにはならないのか。地蔵菩薩が示してくれたように、仏は因縁を作ってくれるが、決意できるかどうかはあなたたちが決める。もし、あなたたちは何もせずに、ただ常にリンチェンドルジェ・リンポチェの修法に頼りたいと思っていれば、今日の法会に参加してもいいことはない。怒られるのが当たり前のことだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの修法があるからと思って参加に来たが、結局は騙されてここに来たことになる。

今日は阿弥陀仏済度法を修めるが、この法は経典からのものではない。そのため、法本の最初に、『在此妙法甚深要義之密意超度(済度)法中』がはっきりとされている。ここの妙は、奇妙ではなく、殊勝で一般の人が聞けて見られる法ではない意味だ。甚深とは、奥深くて奇妙の意味でなく、この法は一般の顕教の名相で解釈されるほか、その中の含意は仏の知恵と福報であるという意味だ。要義とは、一切の衆生に生死解脱を助ける本当の含意の意味だ。密意の密は秘密でなく、一つの用法だ。私たちは理論を理解した後、密法があって実際に使うことができる。

一方、密法は大変固い方法であり、世間のいろんなことで壊されることはない。つまり、利益衆生の方法は大変固くてどんな世間法でもそれを壊すことはできない。超度(済度)とは、死者だけでなく、生きる者も済度が必要だ。あなたたちの貪瞋痴慢疑を超抜して煩悩の苦海から救い出す。超度(済度)の本当の意味は、衆生を輪廻の苦海から超抜し、彼岸に渡らせることだ。修法者がこの能力がなければ、彼岸、浄土に行けるかどうかを自分でも知らないのであれば、ただ衆生のために福と縁を結ぶことになる。その福と縁は来世になれば使える。

超とは、能力があって輪廻の苦海から超抜して浄土に行かせることだ。浄土に行かせることは、口先で言い、ちょっと経典を唱えるだけのことではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を済度する時、遺体の側にいなくても、遺体の梵穴を大変熱くすることができる。これは済度の功力だ。何故瑞相を見る必要があるのか。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の修行がよくできていないから、瑞相を見ることで、リンチェンドルジェ・リンポチェは死者を確かに助けたかどうかを確認できる。助けられなかったら、更に修法しなければならない。承諾した以上、とことん修法しなければならない。ほかの所の人みたいに口先だけで、21冊のお経を唱えたから、死者のために力を尽くしたと言って去ってしまうようなことを、リンチェンドルジェ・リンポチェはしない。

瑞相のことだが、上師はあなたたちの賞賛がほしいわけではない。本当は、リンチェンドルジェ・リンポチェは、死者は確かに法の利益を得たかを確認したいからだ。実際に、リンチェンドルジェ・リンポチェには分かるが、しかし、人間は相に執着があり、自分の目で見て手で触らなければ信じないから、リンチェンドルジェ・リンポチェはやって見せるしかない。今日修める阿弥陀仏済度法はたくさんの儀軌がある。まずは、修法者は密法の事部、行部、瑜伽部を修めた者でなければならない。そして、修法者の禅定は離戲瑜伽までに至らなければならない。先週、リンチェンドルジェ・リンポチェはプルパ金剛を修めた。その時、皆はリンチェンドルジェ・リンポチェの目が十数分間もじっとしていたのを見ただろう。それこそ禅定だ。目を閉じるのではない。目を閉じるのは寝ているだけだ。

何故リンチェンドルジェ・リンポチェの目はじっとして動かなかったのか。密法に関係があるし、離戲瑜伽にも関連がある。仏の瞼は垂れていると、あなたたちは思うが、仏が示したのは寂静で顕教の部分だ。両者は何れもよいが、、ただ時間の差だけだ。顕教を修めるには大変長い時間が必要だ。それに対し、密法を修める時最適な上師に出会えたら、時間は短縮できる。閉関などの過程を経て初めて阿弥陀仏済度法を修めることができる。この法本は尊勝なる直貢チェツァン法王が伝えてくれたもので、直貢チェツァン法王がまとめた後、自身でリンチェンドルジェ・リンポチェに伝えてくれた。直貢チェツァン法王は、いつもリンチェンドルジェ・リンポチェに伝えた後、リンチェンドルジェ・リンポチェ一人で修行させた。あなたたちとは違ってリンチェンドルジェ・リンポチェが唱え続けても、あなたたちは理解できない。直貢チェツァン法王は伝法の時に、いつも唱え終えた後、始めなさいと言い、そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは修行し始めた。リンチェンドルジェ・リンポチェがその中の儀軌が理解できたのは、たぶん前世に修めることがあっただろう。

後程、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法する時、今日の法会に参加したあなたたちの動機が何かは関係なく、全部改めなければならない。私たちは今でも生死を解脱できず、五濁悪世から離れられないのが、生生世世にたくさんの悪業と善業を為したからだ。善業が深すぎてあまりにもよい享受をさせれば、あなたは修行なんて考えることもないだろう。悪業が深すぎて大変苦しませれば、あなたも修行しないだろう。私たちは今でも娑婆世界、五濁悪世にいることが、未だにたくさんの衆生に借りがあることの表しだ。今日皆は法会に参加した。借りを返す心構え、或は法会に参加したら何もかもよくなるという思いを抱えてはいけない。私たちが生生世世において自分の身口意で為した悪業で、衆生は離苦できないので、法会に来る時は憐憫、懺悔と慈悲の心で、私たちと有縁や無縁の一切の衆生が苦難から解脱できることを望まなければならない。自分自身のことを求めない。誰かの特定な対象を要求、指定しない。

仏法は虚空に満ちている。あなたたちは、衆生を助ける意念があれば、諸仏菩薩、上師の心と相応できる。とりわけ特別なことでなければ、指定する必要はない。普通に世間のことに障害があってもおかしくないのだ。自分の一生はどれくらいの魚、蝦、アワビ、オイスター、豚肉を食べてきたかを自問しなさい。それらを全部返さなければならないのだ。彼らを食べたから、彼らは必ずあなたを妨げるのだ。私たちは世間にいて障害に出会うが、それはいいことだ。自分でも気付かないところがたくさんあると注意してくれるし、衆生にはまだ借りがあることにも気付かせてくれる。放っておいても構わない、とにかくやってみよう、死ねばの話だと思ってはならない。死ぬ時になれば、あなたたちは怖くて生き延びたいと思うのだ。

人は誰も自分が死ぬことを信じないが、死ぬことは決まっている。誰も逃れない。あなたはいくら偉くても、能力があっても、最後の日になると、最後の一息を呑めば、死ぬのだ。修法も、修行も用意に過ぎないから、リンチェンドルジェ・リンポチェがいるからと思う射幸心があってはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェがいることは確かだが、虚空にいるので、あなたたちは必ずしもリンチェンドルジェ・リンポチェを見つけるとは限らない。今、リンチェンドルジェ・リンポチェは絶えずに皆のために福慧の資糧を貯め続けているが、ただ死ぬことではないかと思い、資糧を貯めることを理解しない人が多い。福と慧が絶えずに累積できれば、あなたは福ができ、知恵が開くから、世間法の障害も軽減できる。何かの状況があっても軽くて済むし、ひどくはならない。

あなたたちの毎月の給料に例えよう。給料を全部使い切って一銭も残さなければ、いざとなる時はどうするか。仏法もお金を貯めるように教えてくれたし、使い方まで教えてくれた。給料を5つに分け、5分の1は貯めて5分の1は使う。全部銀行の口座に入れるのではない。誰もお金を使わなければ、社会は崩壊してしまう。同じスーツを若い時から死ぬまでに着続けていれば、世間の経済はきっと崩壊する。だから、こうしてはだめだ。このことから、仏法も世間法に対応していることが分かる。

皆は心構えを正さなければならない。こうすれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが皆のために修法することは意義的になる。自分に妄念があることを心配しなくていい。ごく普通なことだ。あなたたちは木ではないからだ。あなたたちは下のほうに座っている時、リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏号を唱えていても念頭が湧く。しかし、それに気付いたのは、念頭を集中させようとしていることだ。仏法に無関係な念頭が現れたと気付いた時、心を改めることができたら、十分だ。飛び出したり、じっとしていたりする必要はない。念頭があるのは正しいことだ。皆は呼吸している、息を吸って吐いているうちに念頭が現れる。

リンチェンドルジェ・リンポチェが修法する時、あなたたちは退屈だと思ってはいけない。やることがたくさんがあるのだ。つまり、憐憫心、懺悔心、慈悲心、信心、恭敬心などが必要だ。やることがないとか、念誦できるものはないとかを思ってはならない。それらの心をちゃんと理解するだけで、やることがたくさんあるのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが修法する時、あなたたちは自分の心を調整しなさい。どれくらい調整できるかを問わず、役立つのだ。よくできるかどうかを心配する必要はない。仏法は良し悪しを定義しない。累積だけで増加し続ける。減り続けることはない。仏法の特別なところは、いつか成仏できるまでに増加し続けられることだ。ちゃんとやっていれば、増加できる。確かに理解できてからの時を待つと思わないでほしい。リンチェンドルジェ・リンポチェでさえ未だに完全に理解していないのだ。

多くの人は、上師の話、意味を理解できるまでに待つ必要があると思っているが、仏法は決して『意味』という文字を使わない。『意』を使う。つまり、心遣いだ。やってから初めて体得できるのだ。どんな職業であっても、大学でよい成績が取れたとしても、実際にやらなければ、本当の働く経験はないのだ。だから、あなたたちはずっと正しくない観念を抱き続けてはならない。はっきりと理解できる時まで待つと思わないでほしい。まだ成仏できていないから、リンチェンドルジェ・リンポチェも確かに理解していないのだ。自分は皆よりちょっと前に歩いているから、皆を率いて歩いて行けると、リンチェンドルジェ・リンポチェはこう考えている。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは阿弥陀仏済度法を修持し始めた。まずは、出家弟子が衆生を代表して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上して法の修持を要請した。ハタ献上儀軌の後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自ら皆を率いて『弥陀讃』を唱えた。荘厳な賛美の法音は虚空に満ち、参加者全員は歓喜心、恭敬心と供養心が湧き、リンチェンドルジェ・リンポチェの脈々たる慈悲の摂受力を受け、思わず涙があふれ落ちた。心に言葉で表せない無比の賛嘆が生じた。そして、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは皈依、発心の儀軌を執り行い、並びに開示を賜った。

「この法の皈依、発心は一般の法本と異なっている。皈依の時、まずは一つの種の字を読む必要がある。今唱えている全ての経文と真言は何れも阿弥陀仏の言葉であり、今日の法は阿弥陀仏が伝えた法を表している。今日あなたたちはこの法会に参加した。発心して修行すれば、破戒しない限り、成仏までに皈依の力は消えない。破戒は肉食をも含めている。法会に参加した人に対して今後一切肉食をしてはいけないと禁止することを、リンチェンドルジェ・リンポチェは定めたが、その理由は、一旦肉食で破戒すると、皈依はなくなるからだ。本当になくなるのだ。仏菩薩の光はあなたの所に届かないからだ。お肉を食べないことが人との付き合う際に面倒くさくなると思う人がいるが、付き合うことはそもそも面倒くさい。人を怒らせたり、間違えたことを言ったりしてはいけないと常に心配する。決意のない人はどんなことに対しても面倒くさく思うのだ。

法本の後段はこう言っている。私たちの苦しむみは一刻も止まず、鉄鎖で私たち縛っているように、全ての衆生が行き詰ったように地獄に堕ちさせる。また、苦しさから彼らを助けるよう願と行の菩提心を生じさせてくれる。しかし、願と行の菩提心が生じることはあなたたちに関係しない。菩提を願うことと菩提を実践することは別々のことだ。発願し、菩提心を発しても必ず実践できるとは限らない。菩提心を実践し始める時、初めて行者は衆生を済度する資格が持つようになる。そのため、ルールは、まず皈依し、十善法を修め、五戒を守り、慈悲心を培い、空性を会得し、菩提心を発することだ。その次は、菩提を実践する。済度は二、三の経文を唱えるくらいのことではないと、あなたたちはもう分かるだろう。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法を続け、念誦し、西方浄土の形式と宮殿の様子を観想し、阿弥陀仏の功徳を賛嘆するなどの儀軌を修持したうえで、開示を賜った。

「法本は、この一生阿弥陀仏を唱え続ける人は、破戒や悪をしない限り、決して事故死にならないと言っている。法本もまた、阿弥陀仏は心念が生じると、世間のいろんな災難を除去することができるとも言っている。そのため、リンチェンドルジェ・リンポチェが毎年阿弥陀仏済度法を修めたら、台風が来ても災難は少なかった。理由は法本内のこの話だ。法本は、皈依すれば、恒常的な安楽が得られると言っているが、今世ではなく、永遠に輪廻しない安楽のことだ。また、法本の中は、私たちは何時までも常に本尊阿弥陀仏に恭敬、讃頌していても、法会に参加した後どこかにお肉を食べに行ったら、この言葉を実践しないことになるとも言っている。今リンチェンドルジェ・リンポチェは大型法会をしなくなった。理由は、いくら言っても聞かない人がいるからだ。それらの人は次の年に大型法会があるかどうかは聞くが、今はもう行わない。皆は肉食を止めないから、続けて行っても意味がない。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法を続け、参加者たちを率いて阿弥陀仏心咒を長らく唱えた。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェ自身の灌頂儀軌を始めると開示した。

「灌頂とは、利益衆生のために本尊が行者に権限を与える意味だが、普通の人ができるわけではない。必ず、たくさんの閉関をし、たくさんの法を修め、また、たくさん持咒した人でなければ、自分のために灌頂してはならない。この儀軌の意義は何だろうか。上師と本尊とは無二無別であるように私たちは観想するが、上師には人間の体があるので、灌頂を通して肉体を法性と無二無別にさせる。こうして衆生を助けられるようになる。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法を続け、並びに進行の儀軌内容と観想について簡単に説明した。「その中に、密法の事部、行部と瑜伽部が含まれている。これらの法を修めることがなかったら、これらの内容を観想することはできない。」そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは宝瓶の儀軌を修持し、並びに以下のように開示した。「水を入れれば、宝瓶に効用があるようになるわけでない。観想と持咒を通して宝瓶の水を功徳水に変えさせなければならない。もし、修法者は息、懐、増、誅の誅法を成就しなければ、宝瓶は修められないのだ。理由は、宝瓶内には加持忿怒尊がいるわけだ。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法し続け、いろんな供養の儀軌を進めた。修法の進行中に八供女によって歌が捧げられ、そして薈供の儀軌が行われた。参加者全員は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが加持した供え物が与えられたうえで、法会で仏菩薩と共に食事できる、有り難い殊勝な因縁が得られた。済度の儀軌を進める時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を込めて参加者たちに済度したい死者の名前を言わせた。そして、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参加者たちに起立させ、参加者をリードした出家弟子に、参加者たちの祖先と傷付けられた衆生の代表として仏菩薩に頂礼させた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を込めて殊勝な法で加持、修法し、一切の有情のために切々たると祈った。参加者たちは、上師の弘法と利生の無限の恩徳を深く感じて心に無比の懺悔心と恭敬心が湧き、涙が止まらなかった。

暫く修法した後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示を賜った。

「今日修める法本は尊勝なる直貢チェツァン法王がまとめたものだ。その中の一部は伏蔵法であり、即ち本尊が自ら教えた法本で蓮師に隠され、後世になったら、伏蔵大師が探し出した法本に、更に密法の阿弥陀仏速証浄土の儀軌を加えて書かれた法本だ。この法本の伝承についてははっきりとされている。密法を学ぶには学びたければできるわけではない。きっと完全な伝承があり、誰によって伝法されるか、如何に修めるかをはっきりしなければならない。阿弥陀仏済度法については、もし、修法者はポワ法を修めて成就しておらず、心も清浄でなければ、法を修めた後でも衆生を助けられないし、修法者本人にも好ましくないことが起きる。リンチェンドルジェ・リンポチェは、阿弥陀仏済度法を長年来修めてきた。上師、アキ護法と本尊に加護された下で、全て無事で衆生を利益することができた。

済度法会の参加はあなたたちが思うように、電話で申し込み、名前を登録し、僅かのお金、或は100万元や200万元を寄付して功徳主になるなどのことをすれば、死者を済度することができるわけではない。済度は大変複雑なことだ。たくさんの儀軌がある。死者の生生世世の貪瞋痴慢疑で犯した一切の悪業を浄め、彼らの清浄な本性を表顕させなければ、彼らは済度を受けることができない。そのため、済度者本人の功力、福報が十分でなければ、念誦、修法はただ死者と在世者に縁を植えることになる。

法本には、済度法を修める行者が死者の済度を助けられなかったら、死者は瞋恚心が生じるという話がある。こうなると、死者を三悪道に堕ちさせることになってしまう。そのため、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつもこう言っている。如法の上師がいなければ、家族の誰かが往生した時は、家族の念誦が一番だ。家族の念誦だから、心は他人よりも懇切なので、少なくとも死者を三悪道に堕ちさせない。しかし、あなたたちは済度する資格を持っていない。自分が念誦すれば、死者を阿弥陀仏の所に行かせられると思ってはならない。最低限は、あなたたちが死者への念誦の心は真剣なもので、死者に苦しんでほしくないから、死者のために善根を植えることができ、三悪道に堕ちさせることはない。

自分が仏経を唱えられるから、定の状態までに念誦できたら衆生を済度できると、多くの人は勘違いしている。こんな概念ではない。世間法で説明すれば、誰かにどこかに行けるように助けたければ、少なくとも助ける能力が必要だ。今時の言い方をすれば、行けるように、その所を理解するように助けられるお金が必要だ。ここにいるあなたたちの中で、阿弥陀仏浄土を理解している人がいるだろうか。理解もしていないのに、衆生の済度を助けられる資格はあり得ない。念誦だけでは済度できないのだ。

先からずっと修法し、そして宮殿と浄土について説明した。たくさん話したし、供養をも続けていた。別に私たちの供養が必要だと、諸仏菩薩は思わないが、何れの供養も私たちほど平凡な人間の無明と我執を破るためのものだ。私たちは仏法についてたくさんの想像と誤解がある。批判するつもりはないが、ただ、死者を助けるには、まず自分の念誦がきちんとできなければならないと言っているのだ。さもなければ人を助ける資格はあり得ない。手伝って念誦してあげれば、役立つと主張する人がいるが、本当は自己中心だけかもしれない。自分に能力がなければ、人を助けることはできない。他人を教えるのと同じだ。まずは自分自身が知識を学んでから、教えられるのだ。同じことだ。

念仏すれば、仏は来てくれると思わないでほしい。リンチェンドルジェ・リンポチェでさえ、たくさんの閉関をしたうえで、修法の時も観想、供養をする。また、謹んで本尊に願い、自分に灌頂してからでないと、修法を始められないのだ。だから、あなたたちは念誦の時誇張した考えがあってはならない。自分が念誦すれば、死者に役立つと思ってはいけない。念誦したい心、善の心があれば、きっと死者のためになるが、自分はできるだと、妄語を言ってはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは修法の前に、必ず上師と護法の加持を願う。自分は偉いとか、出てきたら修められるとか思わない。実際に事前の用意をたくさんしなければならないのだ。

顕教は仏法の理論だ。理論は直ちに使えない。あなたたちは大学でたくさんの理論を学んだが、社会に出て働かなければ、役立つかどうかは分からないだろう。だから、文字が読めて仏法を聞いたから、仏法を理解していると自認してはならない。これほど簡単なことだったら、尊勝なる直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェを教育しなくてもよかったのではないか。人を見つけて剃髪させ、毎日念誦させることもできたのではないか。私たちは仏法をはっきりと理解しなければならない。修行者は誰でも自分の生死を構わずに衆生を助けたい。仏法は何かを確かに理解し、認識することを衆生に期待している。そうしないと、仏法は消えてしまう。これは好きだ、あれは嫌いだ、或はこれを唱えるのが好きだ、あれは唱えたくないなどを思ってはならない。レストランで注文することではないのだ。何を修めるべきかは、上師が指示する。あなたたちが選ぶのではない。そんな資格はないはずだ。

あなたたちは、お金を払ってレストランで料理を注文するのと同じ、好き嫌いで選べるとでも思っているのか。これは人間のことに過ぎない。あなたたちは学生の時代に、素質があると先生に判断されたら、教えてもらえただろう。何故、仏法の話になると、自分の好き放題のもの、身勝手なものだと思うだろうか。あなたたちは法本を読んだら、怖くて何もやれないだろう。何故なら、あんたたちはいつも欲望を持っているから、怖くて何もやれないからだ。仏菩薩はしゃべれないからと言っていじめてはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは代わりに話すからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェをいじめてはならない。嫌なら、今後一切来なくてよい。

今日リンチェンドルジェ・リンポチェは法会に参加する数名の人を選んだ。はっきりと聞きなさい。あなたたちは肉食を続けたければ、二度とリンチェンドルジェ・リンポチェの壇城に入ってはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは常にたくさんの衆生を助けている。肉食しないように教えている。それなのに、あなたたちは、大丈夫だ、まだ皈依していない、まだその時間が来ていない、将来リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔すればいいと思っている。リンチェンドルジェ・リンポチェが死ぬ時にでもなれば、懺悔しようと思っても間に合わない。仏菩薩はあなたたちの言うことを聞いてあげるとでも思っているのか。

今時の末法時代のような乱世にいるあなたたちは、善の方向に進まず、自身の悪を累積し続けていけば、ちょっとの風で何もかも消えてしまう。今は運がよくて最高の時期だ、法会に参加すれば、加護がもらえるなどを思わないでほしい。リンチェンドルジェ・リンポチェは、法本の中で法会の参加で加護が得られる話を読んだことはないが、教えを聞かなければならない話を読んだことがある。もし、あなたたちは教えを聞きたくなければ、加護が得られるはずもない。ちょっと拝めば、加護が得られるなら、毎日神、仏菩薩を拝むたくさんの人は無事でいられるのではないか。好ましくない状況はないはずのではないか。泥棒も仏を拝む。悪をする人も媽祖を拝む。不公平ではないのか。

仏法の概念は自分自身を調整して改めることだ。末法時代に仏法を広めることは大変だ。何故なら、人の心は剛強で、自分の過ちを認めず、何でも他人のせいにして自分は間違っていないと思うからだ。そのため、いつになっても自分の本来の顔を見ることができない。何れの修法も方便法に過ぎず、仏法学習の障害を減らすようにしてくれる。しかし、学ぶかどうかを決めるのはあなただ。リンチェンドルジェ・リンポチェではない。仏法学習をするかどうかはあなたの決定だ。決めなくてもよい。リンチェンドルジェ・リンポチェは怒らない。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子たちを率いてアキ護法を修め、並びに回向の儀軌を修持した。阿弥陀仏済度法会は円満に終了し、弟子たちは、リンチェンドルジェ・リンポチェが苦労を惜しまず、修法と開示を賜ったことに一斉に声をあげて感謝した。そして、起立して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座から降りるのを恭しく見送った。

当日午後3時55分から4時50分まで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで、65名の信衆のために世間の一切の苦痛を解決し、並びに仏に関して開示と助けを賜った。

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2015 年 12 月 08 日 更新