尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年3月25日

法会が始まる前に、6人の弟子達及び1人の皈依していない家族は、一緒に壇城の前で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの家族を助けたことに恩に着た。まずは皈依する男性弟子は皆に報告して、彼らの6人はすべて2009年3月22日に皈依して、彼の3番目の姉は病気にかかってから、今は既にだんだん四大分解に直面して、往生する前に上師を感謝したり褒め称えたりすることにて、因縁を十分に備えて、極楽浄土に往生することができるよう望む。しかし彼女の口腔は癌細胞に侵食されたため、話をはっきりと話すことができないから、その故彼は彼女のかわり報告した。

彼らが皈依するのは有名な漫画家である一番目の姉に起因して、その時彼らの全家族はまだ皈依していないが、一番目の姉が依然として尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲にポワ法を修めて済度されてもらったのである。その後彼らの6人はすべて期せずして一致してリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して仏を学ぶことを求め得て、彼らはとても上師に恩に着た。彼の一番目の姉は一族の核心であり、発病して1年も経たなくて他界してしまい、彼はまた一番目の姉が往生してポワ法を求めた後、彼らは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しに来た時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは取り乱した心がやっと落ち着いた彼らの一族に対して「一族が散ばるようにならないとと思ったら、よく仏を学ばなければならない。」と雷のような開示があることを覚えていて、今まで彼らは依然としてその言葉がまだ耳に残っているが、しかし惜しいのはその時ちゃんと聞き入れなかった。

翌年、皈依していない二番目の姉も病気にかかって、彼らの全家族がまたひっきりなしに泣いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに加持してくれることを求めに行って、リンチェンドルジェ・リンポチェは、「そなた達は三宝に信心を備えていないで、恭敬しない。」と開示して、しかも彼らが供養することを禁止した。共修法会の中に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自分の一族の因果応報及びどのように仏を学んで業を転ずるかを例にして、殺業がとても重い彼らの一族に開示した。その後、彼らは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔しに行って且つ供養する事を祈り求めて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座が降りた後に、母親を懐中で囲んで、慈悲に非常に長く加持した。一番目のが往生して、そして二番目のは引き続いて病気にかかって、母とする苦しみは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼らより更に理解できる。彼の母親は今まで常に「あなた全然知っていない。ただ上師だけ私の苦しみがわかる。」と言って、母親は国語があまり分からないで、最近帯状疱疹にかかって、癌の末期と同じように痛くて、常に泣いて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに彼女を救うと祈ったのである。

その翌年、すでに皈依した三番目の姉も病気にかかって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは三番目の姉の病気が皈依する前にもう存在していると開示したことがあるが、しかし皈依する時に心が正しくないから転ずることができない。彼の三番目の姉はもともと看護婦であり、一番目の姉が病気にかかった後に、三番目の姉は長年勤務している病院を離れて、一番目の姉を配慮することを専任した。三番目の姉が皈依する前の日々には気落ち、憂鬱が満ちて、人生は灰色のようである。皈依した後に、上師の説法、開示を聞いて、だんだん自分を変えることを学ぶことができて、もともと人とインタラクティブなことをあまりしたくないが、仕事の場に帰った後にも他の人に関心を持つことが好きで、人生が明るく美しくなってくるのである。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の開示が甘露のように三番目の姉の生活を潤して、日曜日の共修法会が彼女の生活の唯一の期待であり、だんだん彼女の生命が転換し始まった。しかし彼女が夫との関係は依然としてこわばって、2人の縁はすでに果てに歩いてつくようである。それから確かに仏法を実行修行していないため、いつの間の中に、仏を学ぶのはただ加護だけを求めるようになって、無常はひっそりと訪れたのである。

約二年前、彼の三番目の姉は風邪が中々治っていなく、喉で異物があるようだと感じて、何の治療を受けても治れなかった。数ヶ月後、切片検査を受けて、リンパ癌と証明された。彼達は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに病状を報告して、リンチェンドルジェ・リンポチェは「そなたの病は仏を学ぶ前にあった。皈依後、仏を学ぶ心は間違った。」と開示された。また続いて開示されたが、「手術を受けるかどうか自分が決める事だ。家へ帰って家族と一緒に検討して、少数は多数に従い、決めた後私に知らせる。」彼達は皈依以来、今まで殊勝な供養を行わず、上師に喜ばせなく、病気に罹ると、問題を上師に投げた。

彼の三番目の姉は帰って反省した後、非常に懺悔した。唯加護を求めて、上師の教えに確実に行わなくて、親族や友達に自分が仏を学んだ変化を見せなくて、めったに家族に話し合わなかった。上師を賛美する事を言うまでも無い。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは急所をずばりと言い当て、問題を指摘されて、彼女の子供が仏を学ぶ因縁を開いた。検討した後、子供は全部母の決定を賛成した。当日喉が飲み込みにくい状況は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持のお陰ですぐ改善された。

彼の三番目の姉は病気に罹った約二ヶ月、2010年年末に上師に拝謁した時、上師は「ポワ法を求める」と開示された。此れは上師が処方された薬である。しかし、彼達は手に握って両手は振りながら、飲み込む勇気がない。彼達は問題を上師に投げて、その代わり、上師も一つの質問を返事した。この良薬は三番目の姉に投与するより、彼達が全家族に投与したほうが適当だった。彼達は始めて真剣に生死に向き合って、皆は「何故早めに死亡の準備をしなければならない。」と考えた。彼達は何回目に家族会議を開いて、三番目の姉も「何故そのように早い。」と言った。三番目の姉はリンパ癌に罹ったけど、当時の症状は唯喉が悪くて、外見から見ると、一般人と同じで、仕事もできた。彼女はまだ人生を計画して、元々半年に仕事した後引退するつもり。

暫くして、三番目の姉は大礼拝を求めて、誠に懺悔して仏を拝んだ。恭敬心で自分が最も好きなアクセサリーと財で供養した。三番目の姉の業は転じ始めた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て次の通りに三番目の姉に開示された。「貴方の癌細胞は既に一センチくらいに縮んだ。この病気はそなたに警告して、今から仏を学ぶと、僅かに信じなくて、敬わないなら、この病気はすぐ変わった。」更に三番目の姉の子供に開示された。「貴方達信じるかどうかを構わず、医学は処置できない事、仏法は処置できる。」

彼達は有る一回に三番目の姉と一緒に寶吉祥漢方薬診療所に行った。あの時漢方医は彼女の体に対して、「体調は好くなって、長く生けるそうです。」と判断した。彼女は看護婦に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を話した。「上師の加持は貴方に人生を計画するや一家団欒の楽しみをするわけではなく、貴方にもっと時間を与えて、仏を学んで生死を解脱させる。」その時彼達は始めて警告を受けた。何回も論議した後、彼達家の中に皈依弟子達は三番目の姉に仕事を止めて真剣に仏を学んで病気を療養する事を勧めた。更に病院の交替の仕事は彼女の体も耐えない。彼の三番目の姉は当時、唯自分の経済状況は仕事を止めた後、トラブルを発生するかもしれないと心配して、家族も繰り返して仕事を止めると勧めた。しかし、彼女は相変わらず決められなかった。確実に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示「仏を学ぶのを集中して、衆生を考える。」を生活の中に活かせなかった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て申された:「出世法が良く勉強すれば、世間法が自然によくなった。そなた達はお体がよくなり、問題がなくて丈夫で、財産が増え、寿命が長くなるとの考えで仏を勉強すれば、仏が学び得ない。」2011年農暦正月に、三番目の姉さんが決心して職場を離れた時、お体がかえってくずれはじめて、急に悪くなって行き、彼女はお体が気分悪いを除き、四肢関節が全部硬くて痛くなった。熱があって、歩き難くて、大礼拝が出来なくなって、ひいては病院に戻って交接をする事さえもなかった。無常があの頃現れるとすでに赤人になった主人が更に彼女に離婚することを催した。三番目の姉さんは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのご開示を耳に入って:「縁によって過ごして、何があっても平気だ!」主人の因縁によって離婚する事を納得した。離婚をサインする時、三番目の姉さんは一枚のノットを書いて彼を祈った。

彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着て、仏を勉強する障碍を早く出てまた終わらせた。実は、現在がまだ離婚しなければ、眷属の障碍が是非現れ、謗仏することを犯したかもしれないと信じた。ポワ法を求める時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て仰った:「そなた達の家族には一番大きい問題は即ち信じないだ。今から、呪文を唱えるか、何をするかを問わず、一心浄土へ往生するように発願をして、リンチェンドルジェ・リンポチェのお勧めを聞くべき。」尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を感恩し、三番目の姉は深く反省した:「自分は子供の事をまだ下ろすことが出来ない、人生にあるすべての問題は全部自分の問題で、自分の心が正しければ、外の事は全部問題にならない、自分信心を固めるべきだ。」何回の深く反省、懺悔した後、三番目の姉は杖をついて、支配できない病体で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼して、もう一度ポワ法を願った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲で承諾した。

そのままやってきて、上師が全て申された「ポワ法を求める」との処方は彼らがなかなか利用しなかった。上師も嘗て開示された:「そなたが死亡に対して受け取る事が出来れば、人生にの外の事はそなたを障碍する事が出来ない。ことがあった時、既に発生し、これは過程を知って、きっと過ぎて、そなた達が言う解消ではなく、こうして、そなたには執着して痛む事がない。」尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの教法は凡夫がどう悟るか?彼らは従順して、しっかりと従うことしか出来ない。

病気がかかってから、彼の三番目の姉はしっかり尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って海外の法会に参加して、昨年(2011年)5月彼ら家族全員で4名は、日本道場での不動明王火供法会を申し込んだ。出発する2週間前に、三番目の姉は高熱を退かないため入院した。病院に滞在する期間に、既に床を離れる事が良く出来なかった。彼女は絶えずに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ及び護法に彼女が日本の法会に順調で参加することをさせるように祈った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ及び護法の加持に恩に着て、三番目の姉は意外に出発する2日間前に退院する事が出来て、彼女は願い通りで日本の法会に参加した。彼の母親も同じのグループになり、彼ら家族4人で2枚の車イスを推し、一枚は母親、もう一枚は三番目の姉のである。火供法会のあの日、三番目の姉は杖を利用せずに普通の人のように両手で供品を受け取り、階段を上り下りして如何なる障害がない、会場を回して走る事が出来た。彼らは全部祥楽旅行社及び同行相弟子に感謝し、これは全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持である。

去年、9月、彼と三番目の姉と一緒にチベットの聖地を巡礼するツアーを参加し、四川を経て、彼女は車椅子の上に座って、多くの兄弟子が車椅子をかごにして、彼女を上げたり下げって、彼女にあちこちに古跡に参加させた。チベット高原について、それらの彼女に世話する兄弟子は一部の人々が高原の病気に罹って、が、彼の三番目の姉が車椅子が要らなくて、彼方此方に歩まれた。祖寺の直貢梯寺に着いた時に、彼女は今回最初また最後で祖寺に聖地を巡礼する事を知っていて、自分は必ず全ての段階を自ら上って、駐車場から段階に上って、祖師ジッテン・サムゴンの寺について、それから、アチ護法の寺に入って、上げたり下げたりの感じが約20階である。三番目の姉は兄弟子の支えのした、感謝を持って力を尽くして全ての階段を上って、最後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが護持する金頂の蔵経閣を登って、彼女は満面に涙を流していた。もし皈依していないなら、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持がないなら、自分はいま何処にいるだろうか?怖い化学治療と恐れの待つ事で、安寧病室に挿管をして、深夜に絶えない泣き叫びで、病床の上に横たわって狼狽して助ける目つきで、また、絶望の家族である。衆生と彼女は輪廻の苦しみを再び受けない事を望んでいる。

台湾に帰ってから、上師は三番目の姉の経歴を使って他の兄弟子に加持して、上師は本来去年(2011年)の年初に三番目の姉が去るはずで、が、上師に対する信心なので、いままで生きていることと仰った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。その時、彼女の病状は急に悪くなっていた時で、彼女が自分が堪えられないと真に感じて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持がないなら、彼女が如何にいままで生きているのでしょうか。いま、彼らも上師が何故2010年の年末に彼女にポワ法を求めさせる事をついに分かった。

いま、彼女の咽喉の右の方に約10センチメートルの大きい腫瘍があって、口腔の内部の潰瘍はほとんど半分の面積を占めて、癌細胞は右側のを歯ぐきに大きい穴をさせた。医者は西洋医学に角度によりこれは不思議で、もし癌細胞が再び頸動脈へ移したら、動脈が破れて血を出て死亡させて、恐らく半身不随になるかもしれない。ある腫瘍科の医者も下記のように話して、治療しないなら、腫瘍が大きくなって、これから食べられなくて、空腹で餓死する事になる。が、腫瘍は成長していて、口腔の右片側も大きな穴に浸食されても、が左片側はまた1つの小さいルートがあって食べ物を食べられて、食事前に鎮痛剤でそれに対してちょっと噴き出して、側頭、彼女は依然として流動性の食品を飲めることが出来る。同じように痛いけれども、上師と諸仏菩薩の加持なので、この一切の癌の病状に体力が対応出来る範囲をさせて、癌細胞が無形の力に制御するようで、ただ順調な大きくて、外に拡散する事が無かった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは三番目の姉に開示した事がある。仏教徒であれば、痛みを恐れなくて、苦しみがそなたに地獄に堕ちさせないなら、そなたがそれを痛ませる。死亡はそなたに再び輪廻させないなら、そなたはそれを死亡させるはずである。

最近、彼の三番目の姉は上師に彼女に障碍がないで浄土に往生させることを祈った。彼女の本音はごろつき行為をしたくて、累世に返す業報を返さなくて、彼女は直接に求める勇気がないで、だから、朝晩課の時に、法写真の前に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに祈って、衆生と自分に速くて病気の苦しみを離れて浄土に往生する事のである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェも彼女が返したくない習慣を知っているので、「ただ上師に信心があったら、障碍がない」と開示した。

皈依をしてから、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは因縁を作って弟子に与える事を絶えずにしていて、弟子の根器が如何に悪いでも、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を見捨てないで惜しむ慈悲心が様々な方法を使って、絶えずに弟子に加持していて、皆は見本になる事を望んでいて、同じ間違いを再び犯さないで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにしっかり従って仏を学んで、生死を解脱する事を望んでいる。

その後、皈依のお母さんもこころから尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが家族の世話にゆっくりと感謝し、彼女の娘を助けてくれた。最後、リンパ癌に罹っている女の弟子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、また、「自分の仏を学ぶ心構えが正確ではなくて、造った結果が皆に警戒させることを望んでいる。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子に限りがない加持と世話に感謝し、衆生達が貴方が需要し、弟子達が貴方に更に需要した」と言った。

続いて、数人の弟子は壇城の前で、3月24日に往生した領衆出家弟子が尊き金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェが殊勝なポワ法で済度されてもらった瑞相、及び尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを受けた過程をを報告した。皆にこの事を分かち合った数人の弟子の中に、この往生した弟子と一緒に居住している数人の出家弟子を含んで、彼女たちは自分の目でリンチェンドルジェ・リンポチェの不思議な大能力を目撃証言しただけではなくて、更にリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲心、菩提心を賛嘆して、彼女たちは過去出家して仏を数十年も学んでも、会ったことがない大修理者である。

この往生した出家弟子は約33年出家していて、2007年1月28日に尊リンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依した。彼女は皈依してから3ヶ月も経たなくて、尊き リンチェンドルジェ・リンポチェはネパールの聖地、高さが4,500のメートルのラキ雪山へ3ヶ月閉関修行しに行った。閉関修行が円満に終了して帰って来た後に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはやっと飛行機をおりて、直接空港から台北寶吉祥道場にすぐ戻って法会を主催した。法会が終わった後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはすべての出家弟子を接見して、彼女たちが修行して仏を学ぶ上に、生活上で何か問題があるかどうかに関心を持って尋ねた。そしてこの出家弟子が先にリンチェンドルジェ・リンポチェの無料で提供する弟子の居住する寮に行って見てみることを要して、そこに引っ越して居住することができて、彼女に身と心が落ち着いて仏をよく学ぶことができるようにさせた。

当時、この出家弟子は台湾中部で出家した後に、台湾北部のある仏寺に引っ越して居住していて、二番目の姉はその仏寺の住職である。家族の中では彼女を除いて、二番目の姉と長兄の妻と長兄の息子も出家した。彼女と一緒に居住している年上の母親が今高齢の90数歳であり、行動はそんなに便利ではなくて、だから、彼女は母親が1つの新しい環境を交換して適応する問題があると心配して、その他の居住する人に影響すると恐れて、再三ためらっていて、すぐ引っ越して行かなかった。

1年後に至って、彼女はやっと尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して、自分がもともと居住している仏寺を離れて台北まで引っ越すのを決定したことを報告した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に承諾して、彼女が今リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子であるから、もし居住する所がないならば、着る服がないならば、食べるご飯がないならば、リンチェンドルジェ・リンポチェは全て配慮してあげる、と開示した。彼女は高齢の母親も寮に引っ越して入って彼女と一緒に居住するように祈り求めて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に同意した。だから、彼女の母親も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにずっと配慮されている。もともと彼女の体が具合が別にとても良くなくて、母と一緒に寮に居住した後に、かえってもともと住んでいる所より安定であり、2人の体の具合はどんどんよくなった。家族が母を見回しにくる時、彼女たちがここに住んでいるのは以前に居住した所よりもっと良くて、生活上も彼らが気を遣う必要が無くなって、彼らもいつでも母を便利に見回しにくることができる、と喜んで表示した。この出家弟子も自分の以前の気がかりが本当に余分であると言った。これはすべて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な加持と配慮を感謝しなければならなくて、いつも弟子達のために最も良い仏を学ぶ環境と機会を提供して、弟子達の仏を学ぶ障害を減らして、それによって心身が安定下で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏法を学習することができるようにさせた。

去年(2011年)8、9月から、この出家弟子は連続に風邪を引いて全快することができないため、咳を続けて、あちこちに行って診察してもらって、漢方薬を飲むことも偶に飲んで、偶に飲まなくて、最後は全身性エリテマトーデス(全身性紅斑性狼瘡)という旧い病気が再発して、体の具合がますます悪くなった。彼女の病状が複雑なので、複数の専科医師が立会い診察を行ってが、どのように処理するのかを知っている医師がいなくて、彼女に大型の病院に転院して入院して治療を受けるように提案した。今年(2012年)旧暦のお正月の前、彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して、リンチェンドルジェ・リンポチェは、彼女が以前に水源を汚染して竜族を傷つけたことがあり;そして以前には人にお経を唱えてあげる時におひねりを収めたことがあるから、その故ようやく病気にかかったと開示した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の風邪が治れて良くなり、しかし全身性エリテマトーデス(全身性紅斑性狼瘡)が治れない、入院する事などがお正月の後にまだ考えると開示した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下、彼女はすぐ咳をしなかった。しかし彼女は自分が体がすぐよく治れると思っているため、2日後また病院に行って注射してもらって、結果は咳と風邪はまた再発した。翌週、彼女は再び尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを供養することを祈り求めたが、しかし尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の供養を受け入れないで、その場で、彼女が道場で大礼拝するように要して、そして徹底的に懺悔しなければならないと指示した。

今年(2012年)のお正月初一の法会に、もともとは領衆を担当する彼女が衆生を代表して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座に上ることを迎えなければならないが、しかし彼女は自分がひざまずくことができないと思っていて、迎えることができなくて自分で他の人を探して彼女に取って代わることを決定した。お正月の三日、彼女は体が調子が悪くて病院に行って急診に掛かって、2週間ぐらい入院して、彼女が道場に来てひざまずいて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を願った。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に、こんなに体を大切にしたらどのように修理するのかと叱責した。お正月一日に衆生を代表して請法する時にひざまずくことが出来ないが、今自分の事のためにひざまずくことができるのか。信心を十分に備えないならば、リンチェンドルジェ・リンポチェが加持しない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは口で加持しないと言ったが、しかし、一名の具徳の金剛上師のすべての目つき、動作は加持しているのである。リンチェンドルジェ・リンポチェのこの開示は、彼女に更に深く自分の問題を検討させた。退院した後に、その他の弟子の注意のもとで、彼女がやっと道場に行って尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を恩に着て、彼女をこのようにすぐに退院させた。彼女は2週間入院して朝晩課に参加しなかったので資格を取り消されたが、しかし彼女が道場へ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着に行った時、自分が道場に往復する時に車椅子に座らなければならなくて不便であることを心配して、再度朝晩課に参加することを祈り求めなかった。1週間の後、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して、朝晩課に参加することができるように願うことを決定した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは依然として彼女に福報を累積させる機会を与えて、慈悲に彼女が引き続き朝晩課に参加することができることを承諾した。

今回退院した後、彼女はもうあまり歩くことができなくて、大部分の時間は臥床して、車椅子に座るのである。この期間、彼女はやはり医療で自分の体を好転させることができることを望んだが、しかし体は依然として情況がますます悪くなった。朝晩課に参加する時、すべて兄弟子達のお手伝いで車椅子を送迎して貰った。最初は寮に帰る時、彼女は自分で手すりを支えていて寮の階段に登ることができるが、それから1人から支え助けて、2人は支え助けて、最後は完全に動くことができなくて、車椅子を上げて階段に上がった。彼女の四肢の皮膚も亀裂ができて癒合することができなくて、指は黒くなって、壊死する現象が現れた。体の水腫は深刻になって、腹水は増加して、だんだん歩くことができなくなって、生活の日常生活が困難になって、食べることも寝ることもとても大変であり、呼吸はますますあえいで、しかも幅が大きな帯状疱疹が現れた。

実は彼女が皈依してから、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女達のすべてを配慮している。リンチェンドルジェ・リンポチェは宝吉祥漢方医診療所に指示して、無料で彼女たちのすべての出家衆を診察してあげて、すべての費用はリンチェンドルジェ・リンポチェが支払って、しかも彼女が持続的に宝吉祥漢方医診療所での漢方薬水薬を飲み続けている。彼女の指が黒くなって、その上体は帯状疱疹にかかっていて、この状況は西洋医学が彼女の指が壊死して炎症を起こすことを非常に心配される。彼女を配慮して手伝う兄弟子は彼女が気の向くままにやけどを治る軟膏を使って傷口を塗ることを発見して、彼女に宝吉祥漢方医診療所が彼女に漢方薬の「寶圓膏」という軟膏を無料で提供して、漢方医も彼女の体の状況によって直ちに薬を変換すると気付かせた。絶え間なくて大量に宝吉祥漢方医診療所の「寶圓膏」と緑色の軟膏を使って傷口を塗って、西洋医の心配される指の炎症を起こす状況が全然出現しなくて、帯状疱疹も控えられた。その上宝吉祥漢方医診療所の漢方医はすべてコストを考慮しないままで彼女にあらゆる必要な薬物を提供した。以前は彼女も帯状疱疹に罹ったことがあって、非常に痛いと感じて、今回は再び帯状疱疹に罹ってそして深刻でほとんどすべての体をめぐったが、少しも痛みを感じなくて、これは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持のためである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着た。

先週の土曜日(3月17日)、彼女は体調が急に悪化したから、再び尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。元々彼女は相変わらず諦めたくないが、如何なる自分の体を救うと求めたい。その後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持である兄弟子は彼女に自分の母は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに求めて、ポワ法で済度された過程とポワ法の殊勝な瑞相を話した。彼女は聞くと、すぐ涙が流れて、誠に懇切に懺悔した。また自ら車椅子を降りて、リンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼する事を決めた。唯短い一メートルや二メートルの距離だけど、彼女は他の人に左右に支えられて、大変に車椅子から立って、困難に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの前に歩いて、跪いて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは極めて慈悲に根気良く待って、目で不断に彼女を加持した。彼女は跪いた時、全身は力が抜けてまるで水のようだった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に「何の用件ですか。」と聞いた。彼女は「発露懺悔を求める」と返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは再び「何の事を懺悔する。」と聞いた。彼女は「全ての事を懺悔して、自分が犯した一切の殺業を懺悔した。また、リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て開示されたが、自分は嘗て過ちを犯したから、懺悔しなければならない。昔に人を助けて読経した時信者の金を受けた罪も含めた。」彼女はまた尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに求めて、自分の供養を受けるように願った。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の供養を受けなくて、彼女に貴重な開示を与えた。「貴方は今は何も考えないで。当年自分が出家する時の発心しか考えない。仏経には地獄の扉の前に僧道が多いとある。貴方は今日懺悔したから、地獄に堕ちない。今日体はこのようになったのは憎みを持つ必要がない。全ては自分が招いたから。今後の日々に唯体が受けた苦しみは昔に人の金を受けえて、人に仏法を教えられない債を返済するとして考えて、毎回痛む時、債務を一件返済すると考えで、母の事を懸念しない。若し母は今後他の子女の世話があればいいが、若し世話する人がいないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは手配する。リンチェンドルジェ・リンポチェは24時間に貴方を見ている。」

彼女は言わないけど、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは全て分かった。彼女の心に最も懸念するのは母だ。この事でも既に事前に彼女のために手配済みだ。このような大慈大悲大智慧は仏菩薩しかいない。涙が溢れた彼女は非常に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、自分だけではなく、家族とも一緒に助けた。彼女は他の人に助けられて困難に車椅子に座った時、おでこから大きい粒な汗を沢山に現れた。此れは今まで全身水腫の苦しみを受けて、水は順調に排出できない彼女は珍しく現れた状況だ。

3月23日金曜日の日課が終わった後、他の人はこの出家弟子を移動できなかった。彼女の家族と相談した後、彼女は入院する事を決めた。入院する目的は治療のためではなく、専門の介護を求める。その日午後、病院に行く途中、始めて息を切らして、体調もとても危篤だった。彼女は病院に行く前に挿管治療を受けないのを指示したから、救命救急センターに行くと、病院は検査すると、彼女の血中酸素飽和度は17まで落ちて、正常は98~100である。心拍数は140回を上回って、一般人は60や70回くらいだった。状況はとて危篤だが、彼女は挿管治療を受けたくない。その状況であれば、必ず病院は受けないとできない。しかし、この病院はICUが無く、処置できないから、転院を要求した。その時兄弟子は彼女の耳の側に提示して、リンチェンドルジェ・リンポチェを観想して、頭の上に自分を加持する。彼女ははっきりに頷いて分かると表示した。その時、生命測定器の血中酸素飽和度は始めて上回って、尚更に一度95まで戻った。

始めて病院を連絡して転院する作業は進んで、第一軒目の病院を連絡した。向こうは彼女を受けるのを同意した。しかし、必ず救命救急センターで一週間に待って、病床しか待たない。緊張して転院を待って、色々な検査及び手続きを進める間に彼女は酸素マスクを付けてはっきりに話せないけど、意識はとてもはっきりしていた。彼女は懇切に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに祈って、殊勝なポワ法で自分を阿弥陀仏浄土に済度させた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に兄弟子を指示して、彼女に伝えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女のためにポワ法を修めると約束した。転院の過程は少し不安だけど、待っている間に色々な人、事など因縁は全て具えて、彼女にその日の午後、順調に近くの病院に転院できて、直接ICUに入って、彼女に必要がない医療の苦しみを免じて、平和に人生の最後の道を歩けた。若し尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と手配がないと、順調に進めるわけではない。

その日の夜、ICUの中に彼女の血圧及び血中酸素飽和度はとても安定していないが、意識ははっきりして、頷きで自分の意思を表示できた。彼女は見舞った人に依頼して、自分の僧袋から皈依証を出して、自分に見せた。更に自分の頭の上に置いて、自分に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは頭の上で光を発して自分を加持すると観想させた。その時、彼女は目を少し開いて、ある時にベッドの脚部を見たり、ある時に上を見たりして、目の中に涙が現れた。当時見舞った時間が終わって、他の人はICUを離れる時、この出家弟子はまだ頷いて意思を表示できた。この時に彼女の手足は膨らんで、特に腹は明らかに膨らんだ。左手の皮膚は土は水を欠けて裂いた紋が現れて、豚の肝のような赤褐色が現れた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは非常に彼女の葬儀の手配及び亡くなる時如何なる亡くなった情報を貰える事など関心して、更に彼女の家族に伝えて心配させなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の全ての葬儀を手配して、また全ての費用を支払う。同時に開示されたが、23日金曜日に彼女は亡くなるわけではなく、24日の朝亡くなる。また葬儀社に指示して、この出家弟子の告別式のホールは最も大きいのを選んで、それは多くの人は参加するから。彼女の姉はこのような手配を聞いた後そう言った。彼女達の遺族は年寄りなので、自分の妹は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したから、病気に罹る時や葬儀の処理とももっとも早くていい助けを得られた。そうしないと彼女達の遺族は一切に対してとても茫然としていた。他の弟子は彼女の姉に言って、此れは全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しなければならない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大福報と加持があるから、全ての助けを得られる。

皆はこの出家弟子は若し家で亡くなるなら、同じな場所に住んでいる高齢97歳の母は自分の娘が亡くなるのを見れば、必ず耐えないと心配する時、金曜日に病院に入院して、翌日土曜日に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが予言した通り、零時57分にこの出家弟子は亡くなった。病院の通知を貰った後、一緒に住んでいるルームメートはすぐ病院に行った。ルームメートは病院に行く途中、短い20数分間くらい車の運転時間まだ病院に到着しないのに、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが既にこの亡くなった出家弟子を助けて殊勝で得難いポワ法を修めた通知を貰った。彼女達は病院に着いて、彼女の顔色は落ち着いて、まるで寝たようだった。彼女の頭の梵穴を触ると、暖かくて凹んだ。頭の皮膚はまだ弾力があって、不思議なのは手足は柔らかい。元々手足、顔、腹など体に各所の水腫は消えた。良く腹の水腫は最も明らかに見えたが、腹は全て平たい。左手は元々亀裂の紋は全て消えた。元々赤褐色が現れた皮膚は色は既に褪せてピンク色が現れた。彼女の家族はまだ病院に到着していないから、口は酸素マスクを付けたから、暫く開けたままだった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示されたが、体の水腫は嘗て傷付けた衆生は体の中にいて、殊勝なポワ法を修めた後、体に嘗て傷付けた衆生も一緒に浄土に済度されたから、水腫は自然に消えた。排出する事ではない。ある医師弟子報告したが、この現象は医学に於いて、解釈できない。若し抽出する方式を使わないと、体の腹水を抽出できない。若し抽出すれば、体も必ず抽出の針の穴がある。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが殊勝なポワ法を修めた後、遺体の腹水は自然に消えて腹も平たくなった。腹水は完全に消えて、排出するわけではない。病床は全て綺麗だった。ある者のように亡くなる時、大小便を排出するかもしれない状況を似てない。

彼女の二番目の義理姉と四番目の姉が病院に走って行った時、現場の弟子達が彼女らに、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェが既に彼女のために殊勝なポワ法を修め終わって、阿弥陀仏浄土へ済度して、またポワ法が殊勝で珍しく、求め難い、修め難いと色んな殊勝な瑞相と教えた。他の顕教道場で仏を勉強する二番目の義理姉が言った、いままで見たことがない、触る事もない、亡者の頭の梵穴が熱くてお体が冷たくて、手足が柔らかくて、それに水腫が全部消えて、顔色がよく寝たみたい、また若くなった。彼らは全部大変嬉しく言った。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェがとても慈悲で、行なった法がすごく殊勝で、十分尊いリンチェンドルジェ・リンポチェを感恩した。もともと家族が聞いた、開けたまま口はどう閉めるか?外の弟子が彼らに教えた。それはまだ酸素のマスクをつけたため暫くあけて、一旦尊いリンチェンドルジェ・リンポチェが修法終わったら口が自然に閉めた。大体が病院より葬儀社に運ぶ時、本来開けた口が既に自動的に閉めると家族がこの瑞相を見て一層嬉しかった。その後、1人知り合いお寺の住持がこのニュースを知って、彼女の二番目の義理姉に助念をしに来ると行った時、義理姉もとても信じんがあって断った。それは尊いリンチェンドルジェ・リンポチェが既に亡者のため修法して浄土へ済度したから。

尊いリンチェンドルジェ・リンポチェがこの出家弟子のため殊勝なポワ法を収めた後、自分が先新台湾ドル20万元を出して、葬儀社にあげて、その上、全ての葬儀費用、海葬など全部の費用を含んで、全てリンチェンドルジェ・リンポチェの支払いで、これ等のお金が足りなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェがまたお金を出すと言いつけた。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた寶吉祥仏法センターの理事長と1人弟子に指示して、葬儀社に行ってこの出家衆の家族を関心した。葬儀社にいた時家族は教えた、この女出家衆は22才から出家して、彼女の母親が心配で、心が下ろさないので、どのお寺を問わず、全部彼女と一緒に住む事を教えた。それより、この出家衆が往生した後、彼女の姉、兄、義理姉と全部大変まよって、如何すれば良いかわからなかった。彼らはリンチェンドルジェ・リンポチェが全ての喪葬費用(海葬の分を含み)を手伝い、彼女の母親がこれからの生活、住宅及び医療お世話など全てリンチェンドルジェ・リンポチェの負担になったのを知った時全部リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲を感恩した。その後、この出家弟子が前住んだお寺に行った。

この弟子すでに往生した二番目の姉は、嘗てこのお寺の住持で、彼女の二番目の姉が往生した後、彼女の二番目の兄が出家しないけと、二十数年来何時もこのお寺である行政の仕事を担当として手伝う。理事長が1つ1つの言葉を大きい声でゆっくりこの耳重くて行動不便な二番目の兄に尊いリンチェンドルジェ・リンポチェが彼の妹のために殊勝なポワ法を修めた瑞相とリンチェンドルジェ・リンポチェが彼の妹のため全ての喪葬代(海葬の部分を含み)及び彼の母親これからの生活、住宅及び医療などのお世話全てリンチェンドルジェ・リンポチェの負担になるのを教えた。彼女の二番目の兄の顔はもともと大変厳しくて哀れだが、それを聞いた後、嬉しく笑顔に変わって、目が赤くなり、リンチェンドルジェ・リンポチェが非常に慈悲だと言い、また尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに感恩して彼の妹をずっとお世話した。彼女の二番目の義理姉もとても嬉しくて誰よりも早くて夫に彼女がご自身にて見た瑞相とリンチェンドルジェ・リンポチェがどう葬儀社の手伝い及び彼の母親のお世話を手配する事を教えた。彼女の二番目の義理姉は絶えずにリンチェンドルジェ・リンポチェの修法と後事の処理と姑に対してのお世話を称賛して感恩した。

尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは家族らが年寄り母親のお世話が出来ないのを知った時、合い宿者に指示され、皆が一緒にこの老婆のお世話をして、全ての費用は全部リンチェンドルジェ・リンポチェの支払いで、それに、一緒に住む者が誰でもお金を出す事が出来ない。またリンチェンドルジェ・リンポチェはこの97才高齢の老婆が娘の往生したニュースをたえないと心配して、皆に暫く彼女に知らせさせない、土曜日になると彼女を連れて尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れる。今朝、彼女らは1本お粥を老婆に食べる時、老婆は娘がどこいるかと聞いた。相室者は彼女にあなたの娘が今尊いリンチェンドルジェ・リンポチェ、仏菩薩と医者のお世話をして、大変良く暮らしていると答えた。老婆は笑って安心で1本のお粥を全部食べてしまった。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲で及び仏菩薩の手配を恩に着た。

1人出家弟子が報告し、前只ある修め得た高僧が1つ仏法で済度が出来ると聞いたが、現在自分の目で尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがこんな大能力があって衆生に利益して、衆生に離苦得楽をさせて、本当に心より感じて、絶えずに称賛した。彼女は寶吉祥仏法センターに来てリンチェンドルジェ・リンポチェにしたがって仏を勉強して、本当に生老病死の状況を見た、人生が本当に良く変わって無常で、非常に戒を守って恐れて、深く因果を信じて一生懸命具徳上師に仏法を学んで、はじめて生死輪廻より離脱事が出来る。ここで見た仏菩薩のように、慈父のような上師リンチェンドルジェ・リンポチェが飽きられないように教え、弟子達がまだ懺悔終われない事がいっぱいで、不順従で、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが相変わらず弟子と衆生を捨てられなく、お体が不順調なのに、やはり信者を面会して彼らの世間の苦しみを解決して、また仏法上の開示と助けを与えた。本当に大慈大悲な仏菩薩である。

往生したばかりこの出家弟子は、往生したまで、一切全てリンチェンドルジェ・リンポチェがお世話をして、往生した時、往生した後もまだ彼女の年寄り母親さえは今までやはりリンチェンドルジェ・リンポチェがお世話をしている。彼女が出家してから今までこんなに実証、実修また仏菩薩ような上師を見たことがない。リンチェンドルジェ・リンポチェは区別をせずに全ての弟子達を自分の家族のようにお世話をしている。こんなに仏法を日常生活の中に用い、それは弟子達が見習わなければならない具徳な上師である。弟子達が幸いにこんな具徳な上師に出会って、珍宝のように上師の全て教法を大切にして、全く順従で、良く如実で上師の教えにより修行するべきだ。これは即ち大供養で、外在の財物の供養より一層上師を嬉しくさせるのである。上師に弟子達のことを心配させないで、上師にもっと衆生に利益することが出来させて、これこそ師長に親孝行するのであり、上師は即ち慈父だから。

ある女弟子が尊いリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て申されたのを分け合い、リンチェンドルジェ・リンポチェは全て皈依した弟子達を大切な子供として見ている。これ等を経歴して彼女が深く感じた、リンチェンドルジェ・リンポチェは全ての命を尽くして弟子達の現在と未来を世話して、また弟子達のために色んな因縁を作った。この出家衆は三十数年出家して、1人実修実証、具徳な上師に依止して、広大の空性と仏と区別なしの慈悲と智恵で、絶えずに弟子達のために浄土への資糧を蓄積させて、この一生に六道輪廻の痛苦より離脱して浄土へ行く事がはじめて出来る。いままで仏菩薩の手は何時も伸ばして、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの手も何時も伸ばして衆生を助ける。ひいては最後の日に、病院の変わることもこの出家弟子のため、得難いチャンスを作って、彼女にリンチェンドルジェ・リンポチェに殊勝なポワ法を求める事が出来させた。この一切の一切は全部尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの手配で、仏菩薩、護法の手配である。往生したこの出家弟子、或いはこの過程の中でずっと彼女の伴になった者を問わず、全部深く感じた、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達、衆生に対して、報いを求めず、無限な慈悲と世話をした。これを思い出すと何時も涙が止まらないようになった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは最近、弟子が教えにより実行しないので仏法を教えなく、これは弟子が不順従なので、リンチェンドルジェ・リンポチェが不共語、不教授になり、しかしリンチェンドルジェ・リンポチェはまだ弟子達の供養を受け取り、弟子達は更に良く供養をして、身、口、意で供養して、福徳資糧を培養するべき。人身が得難い、今既に得て、仏法が聞き難くて、今既に聞いた、上師に出会い難くて、今既にであった。更に決心をして自分をやり直して、用心で仏を学ぶべきだ。これこそ上師の恩、仏の恩、衆生の恩に
報うことがはじめて出来る。

この事件により、我らに分からせた、1人具徳な上師に依止する大切さ、また尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは仏と区別なしの慈悲心と菩提心が絶えずに全ての衆生を加持して助けている。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは宇宙の中に一番珍貴な宝物で、全部の命で仏法を広げて、すべての命で衆生に利益する。もう一度尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに感恩して、我らに因縁福法を有らせて、仏法の殊勝と偉さ、絶えずに加持と教導を感じた。一切有情にも縁があって尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを貰う次第に尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏法を学んで輪廻の苦しみを離脱する事が出来るように願う。また尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは法輪が何時も回って、世に何時もとまるように祈っておる。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェが全てしたのを感恩する。理事長も皆に報告した:「この2週間リンチェンドルジェ・リンポチェは法座に昇って法を説かなかった、私を含んで我等は皆深く懺悔するべきで、すぐリンチェンドルジェ・リンポチェの教導によってしてやり直すべきだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが法座に昇って法を説かなかったこの二週、法会の供養金が明らかに減った、我等は深く懺悔するべきである。」

引き続いて、参列者皆は法会が終わりまで静座した。

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2012 年 03 月 31 日 更新