尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年3月11日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催されて、参与者を引き連れて六字大明呪を唱えた。

法会が始まる前に、ある女子弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女と彼女の家族を救護した事跡を分かち合わせる機会を与えたことを恩に着た。この弟子は2006年1月15日に皈依した。

2002年から2003年までの期間は、彼女は人生が最も苦痛だと感じた段階である。彼女はもともと姑との感情が悪くないが、様々な生活の些細な原因で双方が互いに不平不満が出てきて、彼女はいかなる事に対して受け取ることができないようになって、常にどうして夫の受けた待遇がいつも彼女より良いと思って、一人で自ら抜け出すことができない哀愁、恐れに陥って、いつも一人で子供を抱いて涙を流した。

彼女は毎月全て朝山に行っているが、いつも自分がよくない考えがあるべきでないと思っているが、しかしまた抑えることができなくて、その時にある同僚は彼女に一人の偉大な修行者が彼の妻を助けたことを言って、彼女は2003年6、7月ごろ、とても運が良くて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会った。

その時彼女はとても緊迫していて、ひざまずいて心が混乱していてどのように口を開くべきかと思索した。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲な語調で彼女に「何かご用があるか。」と聞いて、彼女は自分がとても苦痛だ感じると言い出した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、「そなたが苦痛だと感じるのは、そなたが彼女をそなたの母にしていないから、そなたがそなたの母に対してこのようにしていなくて、もしそなたの母はそなたに何かを言っても、そなたも気にしない。そなたは結婚する前に既にそなたの夫の家の状況を知っているが、しかしそなたはやはり彼に嫁いで、既に結婚したからしっかり直面して、もし自分をよく変えることができないならば、同じ問題は来世に依然として再び発生を繰り返する。」と開示した。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を耳にした同時、涙が流れて止まらなくて、内心には更に強大な震撼を受けて、というのは彼女がただとても苦痛だだけと言ったのに、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に彼女の発生したいかなる事を知っていて、彼女がすでに結婚した事、彼女の苦痛の源が何だかを含んだ。ただリンチェンドルジェ・リンポチェの開示は彼女に自分が間違ったことを知らせることができて、直接に非難するのではないが、しかし彼女の心の中に1つの考えが浮んで、それが彼女に自分が過ちを認めなくて改変しないと、それでは恐らく来世に再び同様な問題に会うだろうと知らせるのであり、そのため心が、帰った後にしっかりと自分の考えとやり方を変えると決定した。自分で過ちを認めた同時に、心の中も落ち着かせて、彼女はずっと涙を流しているが、ところが喜んで、なぜかというと、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に歩くべきな方向を教えた。

そして、リンチェンドルジェ・リンポチェはまた慈悲に彼女にこう開示した。「今日嫁をするそなたが来るから、私はそなたに嫁がするべきことを言って、もしそなたの姑が来たら、私も彼女に姑がするべきことを開示する。そなたは夫と法会に参加してもいい。」と言った。彼女は内心に感謝と喜びを満たして、リンチェンドルジェ・リンポチェに「朝山は修行ですか。」と伺って、ただ上師がハッハッと大笑いして、「朝山はただそなたをここまで来させて私に叱られる縁があるようにして、真な修行はまずは一人の具徳の上師に依止して、それから引き続き上師に従って次第に修行する。」と言うことを耳にした。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な開示をとても恩に着て、その後姑との関係を改善して感情もよくなった。

2004年9月に、彼女の腕部は蜂窩織炎に罹って、清潔の手術を受けたが、しかし傷口がとても深すぎて広すぎるから、さらにあまり経験を持っていない医者に会って、その傷口が裂けてまた3回も縫い合わせた。彼女は再びリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見に行って、加持を願い求めた。その時、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に手のひらで彼女の手のたなごころと約5センチメートルの所で動いてから、「そなたは頭が時に痛いか。それではそなたの腎臓があまりよくないから。」と開示した。彼女は聞くとびっくりした。リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に凄くて、彼女が頭が痛い病さえも知っている。その日から、とても奇妙なのは彼女の頭が痛い病は殆ど再び発生しないで、これはリンチェンドルジェ・リンポチェの加持力のためであり、さもなくば突然に直れるはずがないだろう。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはまた彼女に「そなた達の家族では殺業の事をした者がいる。」と開示した。あの時彼女はちょっと思ってから、すぐ「父さん、母さんは以前に一年間鶏肉を売たが、しかし今もう売っていなかった。」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に「今やっていないが、やったことがないのを代表しない。懺悔心は全くない。」と開示した。その時彼女は本当にとても恥ずかしいと感じて、そして、リンチェンドルジェ・リンポチェはまた彼女に、「そなたは菜食料理を食べて。」と言った。本当だ。自分が病気にかかったのは原因がないのではなくて、全て自分の殺業で引き起こしたのである。

ちょうど皈依したばかりの時、彼女はいつも自分が上師の教導をやり遂げることができないのを悩み煩っていて、時に悪念を起こして、寶吉祥仏法センター皈依弟子の赤い法衣べストを返したいと思って、あまりに苦労しすぎていると感じるから。しかしこれらの考えは彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェに追随してインドへ尊勝なる直貢チェツァン法王のご誕生の祝いをしに行った後に、消えて無くなった。あの時やっと、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示した「上師の加持力が無ければ、たとえ家でずっと読経してもて真言を唱えても、ただ縁を結ぶことができて、とても大きな効果を発揮することができない。」というのを深く体得した。彼女は尊勝なる直貢チェツァン法王のご誕生の祝いをすることに参加し終わった後に、意外にもすぐ考え直してしまって、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持力がないと、そんなにとても不思議ではないだろうか。

2007年8月に、彼女はまたリンチェンドルジェ・リンポチェの出関を恭しく迎えるためのツアー、及び祥楽旅行社の青蔵鉄道ツアーに参加した。彼女はすべて帰国して翌日すぐ働くので、同僚は皆どうして彼女の精神がそんなに旺盛だと感じて、普通な人は旅行して帰って翌日にすべて休むのである。彼女は以前に国内か外国旅行に、たとえ2、3日間の行程としても、きっと旅行の最後の日に体の調子が悪くなって、あるいは頭が痛くて、風邪に引いたのであるが、しかしリンチェンドルジェ・リンポチェに従って外国に行ったり、祥楽のツアーに参加したりして、帰って来た後に気持ちがとても楽しくて、顔色がつやつやとして元気一杯で、いっぱいのエネルギーを注ぎ込むと同じように、このすべてはリンチェンドルジェ・リンポチェが与えたのである。

彼女の兄は小学校二年生か三年生頃から、近視に罹った。専門学校の時既に千度を超えた。彼が専門学校二年生の時、始めて網膜剥離になった。当時彼女達はこの病の症状がよく分からないから、治療の時間が遅れた。医師は手術を受けても治られないと言った。それから、右目の視力は唯0.1だけなった。このままで約20年に経って、この間にほぼ左目の視力を頼ったが、左目の視力も益々悪くなった。2008年末、彼女の兄は左目が突然にいつもフラッシュを見て、数日後に経った後、視力は模糊を感じた。検査を受けた結果、網膜は既に穴が開いて、水に入ったから始めて剥離して緊急に病院に眼科手術を受けた。事故に遭ってから、手術を受けるまで唯数日間だけ、彼女は兄に上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を求める事を勧めたけど、あの時全家族はパニックに陥るから、唯間に合わない、必ず手術を受けなければならないと言った。

2009年お正月前に、彼女は母、妹と一緒に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。母は引き続きにリンチェンドルジェ・リンポチェに求めて、兄を助けるようにお願いした。リンチェンドルジェ・リンポチェは「何故自分が自ら求めに来なかったか。もし病気に罹って医師に診察されても本人が自ら来ないと診察を受けられない。仏法にちっとも恭敬心がないから、助けない。いくら求めても役に立たない。」と開示された。確かにそうだった。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは常に開示されたが、恭敬心があれば、福報がある。上師、仏菩薩に恭敬心を起せば、福報がある。そうしないといくら求めても役に立たない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の兄が実は来る意向が無いと分かったから、彼女達はいくら彼を勧めても、彼は行きたくなかった。

兄は手術を受けた後、網膜を既に元に貼り付けたが、水はいつも自動に排出できなかった。だから、彼女と母と妹は兄に付き添って、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁に行った。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、「この状況は既に前世殺業の果報のせいで、これから菜食すれば、仏法の助けを得られる。」彼女の兄は菜食を決めた後、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な加持を得て、毎月の施身法法会に参加した。同年4月に第二回手術を受けて、今回手術の過程はとても順調で左目の視力も順調に0.5まで回復した。

多くの人は眼科手術を受けた後、視力は相変わらず回復できない。彼女の兄は非常に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な加持を感謝して、自分に順調に仕事ができて、妻と子供を世話した。昔に常に彼女から上師が如何なる苦難がある衆生を助ける事跡を聞かれたけど、唯聞くだけ、自分の生活は全て順調で過ごして苦労に仏法を聞くわけではないと思った。無常が来るまで絶望に陥って、兄は常に辛くて家族に若し早めに分かれれば、結婚や子供を生むことをしないほうがいい。施身法法会に参加して、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞くと、兄は全て発生した事を受けて、全ては自分が衆生を傷害して起したから、必ず返済しなければならない。また、若し上師リンチェンドルジェ・リンポチェが毎月苦労に施身法法会を主法しないと、彼は希望が無い人である。それは彼に傷付かれた衆生は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに救われないと、彼達の憎みを消えさせず、済度も得られない。

彼女の母は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主法する「阿弥陀仏無遮大超度法会」に七回も参加した。第1回目に大超度法会に参加した後、母に困らせて長年間に不定期に繰り返して発作している膀胱炎はやっと再発しなかった。母は此れが全て大法会に参加した福報なので、この病から解脱できるのを信じた。他には彼女の母の友達は大法会に参加した後、とても喜んで言ったが、「夫は夢の中に見たが、亡くなった母が元気に彼に会って動きもとて自由だった。だから疑って母に『お母さん、今歩けますか。』と聞いた。彼の母もとても喜んで『貴方達は大法会に参加して私を助けたでしょう。今私はとても元気だ。』と返事した。」本当に不思議だから、彼女の母の友達の姑は生前に長期病気でベッドに寝付いて歩けなくて、息子と嫁に沢山に文句が有った。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、苦労を考えずに「阿弥陀仏無遮大超度法会」を主法して、六道輪廻の衆生は苦しみを解脱できる機会を与えた。

彼女のお婆は2010年10月に往生した。彼女は通常にお婆の代わりに大供養を行わないから、彼女のお婆は亡くなった時、彼女の父及び母は自らリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して済度を求めなかった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に彼女に道場で大礼拝を行って、お婆の代わりに福報を累積させた。更に彼女に言って、彼女のお婆はまだ子供が一人を済度していない。また、彼女のお婆は非常に彼女の三番目の叔父は間もなく投資計画を心配したが、止めさせないと望んだ。同時にリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に言って、先にお婆の神識を守って、施身法法会の時に済度された。彼女は父及び叔父たちに伝えた後、皆は「あなたの上師は本当に素晴らしい。確かに有る叔母は幼いごろに亡くなった。叔父も今確かにある投資計画を進めたい。」彼女はとても喜んでお婆は済度を得られて、尚更に金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの済度がないと、この願いは永遠に叶えないと分かった。

今日彼女も此処で発露懺悔した。既に長年に皈依したけど、信者になる資格もない。他の外道の信徒は彼達の主(神様)に対して、深く信じて疑わない信心を持っていたが、彼女は最も基本の恭敬心さえ行わなかった。嘗て自分の私欲の考えがあるから、子供を一人堕胎した。貪欲、瞋恚があるから、いつまでも両舌、悪口の罪を犯していた。民衆に与える宣伝品を家に持ち帰って使った。残業しないのに残業手当てを貰った。自分の利益に相違すれば、すぐ文句して反発した。他人が自分より優れるのを見たくない。不孝で常に母に自分の悩みを話した。リンチェンドルジェ・リンポチェが伝授された課題は常に懈怠して完成しなかった。毎日散漫の心で生活を過ごして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが皆に教えたように、暇満人身を大切して、しっかりに修行して、因果業力の恐ろしさや輪廻過患など全て忘れた。

彼女は自分が本当に極めて悪の人だと思った。リンチェンドルジェ・リンポチェが自分及び家族への助けを感謝した。両親に再び兄の事に毎日悩んで悲しむ必要がない。リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、毎週の日曜日に苦労を考えず、心からの教戒で仏法を開示して、弟子に賜った恩は空より高い。彼女は必ず決心して自分の身、語、意一切の罪業を修正して、最も清浄な身、語、意でリンチェンドルジェ・リンポチェを供養する。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが体の健康、法輪は常に転じて、常に此の世に存在して、尚更に多くの有情衆生に六道輪廻の苦しみを解脱させられるように祈った。

続いてもう一人女弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を助ける経過を分け合った。彼女は2011年7月10日に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依してから彼女の命が変わり始めた。

皈依した後、定期的に法会に参加する外に、彼女はまた尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って、日本、チベット、インドへ海外の法会に参加しに行った。数年来、彼女を辛くさせて、悔しくて堪らない家族関係を解決しただげではなく、職場で同僚との関係さえも文句、責めるより思いやり、了解に変わった。

現在多くの者は彼女に教えた:「あなたは変わった、一体何があったか?誰があなたをこんなに大きく変わらせたか?今あなたと付き合うと本当に気分が良くなった。」彼女は独り善がりで、短気で、言葉がきつくて人の師に成りたがる性格を持って、他人と付き合うと人に頭を痛くさせた。社会福祉の仕事を20年堅持したためかも知れない、多くの者に彼女のようにいろんな欠点を持つ者を許すことが出来させた。しかしもこの原因で、人が殆ど彼女に直接で誤りを指す事をしたくなかった。それで、自大で、謙虚な処世態度を欠けて、彼女に仕事を処理する方を円融させなくて、知恵もない、人を助けながら人を傷付いた。彼女の心も段々不安になった。しかしこの一切は彼女が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した後、全て同じではなくなった。

皈依したばかり後、日本の法会に参加した。出発する前尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、農暦7月と鬼節と実は関係がない、それより目犍連尊者が母を救うの事は、実が親孝行との事を言っていると開示した。この物語りは彼女が何回も聞いて何の感覚もなかった。しかし、あの日の法会に、リンチェンドルジェ・リンポチェがゆっくり仰った:父母に対して親孝行して、従順するべきとのことを聞いて、わけもわかず、彼女の頭の中に意外に1つの強く大きな考えが現れた:彼女は上師が仰った父母に対して親孝行さえも出来なければ、自分がどうでリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子になるか、また彼女はどんな資格を持って、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って日本の法会に参加するか。

思い出は彼女の心に次から次へと溢れ出した。あれは永遠に絶えずに喧嘩で、文句を言うばかり家庭だ:母親は何時も父親に息子を産まないと責められて、また彼女と姉さんが迫られて入婿するとの方式で彼らの家庭のため子孫を残る事になった。彼女は気が強くて断った時、従順な姉は父母の手配を受け取った。これから彼女は家族より隔離されて、段々皆は全て彼女の存在を忘れてしまった。こんな婚姻は彼女と姉を酷く害をしただけではなく、彼女らの次の世代にも傷付かせた。

彼女は自分の父母を責めて、その上、問題に対して処理する能力がないとの事で自分を怒った。彼女はこんな家庭の中に生活する事が出来なくて、あれから彼女はもう家に帰らなかった。要事があって帰らなければならなくても、彼女も彼らに何か話し掛けた方が良いかもわからなくて、こうして彼らと段々遠くなった。数十年がこのように過ぎで、表を見ると皆はそれぞれの生活をして、何もなかったが、彼女の心の中にかえって終始不安で、「天下無不是的父母(世の中に正しくない父母がいない)」彼女がなぜこうしたか?彼女は家に帰るべきだ。

法会が終わったあの晩、彼女は勇気を湧いて家に帰る事を決めた。自分がまた気を変わることに恐れるため、直ぐタクシーに乗って、母親と姉との住処へ跳んで行った。家に着いた時、手を伸ばしてまた下ろして、なかなかあのベルを押したくなかった。絶えずにやってみて、上にあがっての一番目話しは一体何をした方がいいか?彼女は本当にわからなかった!時間が一分一秒を過ぎて、やっと勇気を出して、ベルを押した。姉はもう一方で聞いた:「誰か?」のを聞いた。彼女は「わたし!」突然に向こうには声がなくなった。暫く、ドアを開けて、彼女が家に入って、頭に満ちた白髪の母が行動不便でソファーで座るのを見た。彼女は意外に大変自然で1つ声をかけた:「お母さん、あなたは何故また休まないか?足がまだ痛いか?」

長く試演した画面と同じではなかった。彼女の母は多く喋ったが彼女は一言も耳に入れなくて唯馬鹿みたいに彼女を見て、心の中に思った:「何時の間にか母がこんなに年寄りになったか」。母は話した後、彼女は簡単で母親と姉に自分がとても福報があって、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って、日本の法会に参加するのを教えた。法会に彼女は母親が健康と平安するように願って、彼女が戻って来たらまた彼女らへ見に行く。この僅かな数分間はあんなに自然、簡単だった。彼女は長く配置、企画して、完璧に考えてから対応する事がはじめて分かると思った。しかし案外に、わざと手配しなくても、お互いの関心が自然に現れて、彼女はやっと家に帰った。

実は、この数十年間、幾ら者か彼女に家に帰るべきのを勧めたが彼女が全て出来なかった。しかし尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に注意させた。どの子女でも父母に親孝行するべきで、7月は親孝行する月だ。こんな話は意外に彼女に勇気をわいて家に帰らせて、自然にこの30年間の不愉快を解消した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの摂受力が誠に賞賛させた。

あれから彼女はたまに家に電話をして、彼女を見に行く事もして、彼女の母が言った:「私この娘が変わった、リンチェンドルジェ・リンポチェが本当にすごい、彼女を変わらせた。」今年の正月、彼らの家族皆は珍しくて一緒に食事をする事になって、食卓の上に争いがなかった。姉は彼女に言った:「大変リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝をしに行きたくて、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に1人の妹を返してくれたから。」

彼女はまたチャンスがあって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って、インドへ法会に参加しに行き、行程の中に特に1つ風景の美しい城堡でマッサージを手配してくれた。しかし、彼女は起きた一番目の考えは彼女がどうしてこんなに享受する事が出来るか。また彼女はなぜこんな享受と関係があったか。その故、彼女は断った。

その日、法会の現場で、突然にある考えが出て、マッサージを貰えるチャンスがとても少ない事を聞いて、彼女が如何に選ばれるのでしょうか?レストランの仕事は彼女に全身だるくて痛くならせて、両手と両足を常に傷をつけて、常に明けてまで座って寝られないで、一体誰かが彼女がこのような需要がある事を知っているのでしょうか?なぜ彼女にこのような良くなるのでしょうか?子供から大人まで、関心されていない彼女は禁じられていないで涙を流していて、そのとても暖かい関心を感じていた。突然に彼女は長くてお互いに会話できない娘を思い出して、同じの部屋で住んでもお互いに連絡しないで、彼女の心の中に娘がこのような関心される感動も需要するかどうかを思っていた。彼女という誕生日でも贈り物を贈らないことを知らない母親として、この一生に最も出来ない事が他人に暖かい事を与えて、が、彼女が最も上手な事が説教で、母と娘の関係に氷水ようにならせた。

今回、帰ってから彼女は娘に謝るべきで、彼女の心の中にこのように考えていて、前回帰宅の経験があったので、彼女は今回リハーサルをする必要がなくて、アナログも要らないことを知っていた。このように、このような期待を持っていて台北に帰って、家に帰ると、彼女が娘を見て、彼女は「母は法会の現場でリンチェンドルジェ・リンポチェが母が貴方にあまりよくないと思う事を感じた」を言った。娘は回ってリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を見て、おどけた顔をして、彼女は娘に「貴方は何をしているか。如何にこのように失礼な事をしたか」と尋ねた。娘は「リンチェンドルジェ・リンポチェは私と分かっていていうことが要らない」と言った。

娘の楽しい顔を見ていて、彼女は娘がリンチェンドルジェ・リンポチェに降参された事を知っていた。それから、彼女は「母はあなた及び姉と一緒にある物を持つ事が欲しくて、また、この物が我々の中の感情を代表し、私達は一緒に宝石を選んで行きましょうか」と言った。彼女は不思議な表情を現して、これは彼女がイアリングさえつけない人で、如何に宝石を選ぶのでしょうか?そこで彼女達は寶吉祥珠宝店を向いて、ペアの指輪を選んで、娘は「一つが姉さんの、一つが私の、我々はこれを家伝の宝物にする」と言った。そのような家族の感じはとても美妙である。彼女の頭の中にリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深くの顔を思い出して、無限な感激を彼女の心を出して、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが珠宝店を開設される理由がようやくわかった。

このように彼女と娘の感情は普通の母と娘のように親しくすることが出来ないが、お互い関心が日々にますます増えている。一回、彼女は浴室で転んで、彼女が何も言わなかったが、夜に娘が帰宅して浴室に入って入浴するつもりで、突然に突進してきて彼女に「お母さんは転んだか?大丈夫でしょうか」と尋ねた。彼女は娘が如何に知っていた事を驚いた。娘は「「洗面器の下の柱はすべてあなたにぶつかられてゆがんで、如何に知らなかったのでしょうか?大丈夫でしょうか?」と言った。翌日、浴室の中に二つの滑らかな下敷きに多くなって、彼女が心の中から笑った。

彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する過程には、このような会話があった。リンチェンドルジェ・リンポチェは「そなたは何をするのか。」と尋ねた。彼女は「菜食の食堂を経営している」と回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「菜食食堂を経営するなら、品質を注意しなければならなくて、お客さんの意見を多く聞いて」と仰った。彼女は「リンチェンドルジェ・リンポチェに報告し、我々が社団ですので、商売をしてお金を稼いでいない」と回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に「そなたは食事をして他人に食べさせるか」を見張っていった。彼女は「はい、やります」と回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「お客さんはお金を支払った事がありますか」とまた仰った。彼女は「はい、あります」と回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「それでは、そなたはお金を貰ったか」をまた仰った。彼女は「はい、ありました」と仰った。リンチェンドルジェ・リンポチェは「これは商売ではない、これは何でしょうか?」とまた仰った。彼女は急に止まって、何も言えなかった。

彼女は1ヶ月ぐらい考えていて、社団では務めている彼女は自分の孤高さを表現するため、同時に世の中の商売人をしたくなくて、自分が商売をしている事を承認しなくて、この分別が本当にある憎らしくてまた傲慢な偏見で、が、彼女がこれが当たり前だと思ってしまった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの教法は本当に殊勝である。彼女は如何にこのような福分があって、このような素晴らしい上師に従われるだろう。何回目でリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して行って、2分を超える事が殆ど無くて、これはリンチェンドルジェ・リンポチェが直接に指摘する法語を何も討論が真に要らなくて、また、彼女が通常に「はい」だけで回答して、帰ってからしたら正しい。

かつて、彼女は友達に話した事があって、彼女のような面倒な人として、最も大きな希望が死んだ後で、皆が彼女が悪くない人と思う事を望んでいる。が、いま、彼女の最も大きな願望は上師に従って努力して学んで、おとなしくて、本分を守って、言う事を聞いて、その上、尊き金剛上師のリンチェンドルジェ・リンポチェの本当の弟子になられるのである。

大法会の時に、兄弟子は彼女にボランティアになるように励まして、彼女もボランティアの務めを申し込んで、ボランティア証を受け取ったが、当日と思いきや、どちらのチームでも、彼女の名前が無かった。何回も経てから、心の中に何か不平を持っていて、兄弟子に、彼女が「自分は孤独な鳥のように、あなた達のこの社団がこのような勤めたら問題がある」を怒って言った。この話を言ってから、心の中に他の声を出して、自分が道場に来る事は法を求めてくるので、自然に勇猛な精進するはずで、何で他人に彼女に言う事を待つのでしょうか?何で謙虚的な他人に教えてもらうことが出来ないのでしょうか?彼女は自分が如何に福報がない事を急に発見して、サービスしてボランティアの機会になる機会でもなかった。懺悔して改正する事でも分からないで、ただ他人に責めるだけで、本当に最低である。翌日、彼女は急いで連絡して謝った。

実は、彼女が言いたいのはただ道場で発生する事なら、全てはその道理があって、ただ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの教法により、自身から反省して、全ての事が自分の最も大きな学習になられる。彼女は本当に心から「尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはお疲れ様でした。不良の弟子は心から感謝した」と言った。

リンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上って、参列者を率いて六字大明咒を長くて唱えてから、全ての法会に参列する信者と皈依弟子が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに跪いて礼拝して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを恩に着て、そして、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りる事を恭しく見送った。

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2012 年 03 月 17 日 更新