829:慈悲で罪深い弟子を救った尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感恩

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、尊勝なる直貢チェツァン法王、歴代伝承祖師及び諸仏菩薩、アキ護法に頂礼します。皆様こんにちは、私の家族を救って下さった事を皆様にお話できる機会を与えて下さり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げます。

私は第7組の林恆正と申します。今年の2月6日に皈依し、家内は第8組の吳燕琳、息子二人が第7組の林冠宏と林奕儒です。我々は肉を供え父を祭り、更に10月1日、リンチェンドルジェ・リンポチェにお父さんを済度するように求めた一家です。そのことについては、皆様もまだ印象に残っているでしょう。

長男の林冠宏は、高校一年生の頃、入学して三日経った時、目がかすんで見え難くなったので、病院で検査を受けました。その結果、脳に直径8センチの腫瘍にあったと判明されました。最初の手術では、脳腫瘍の三分の一しか摘出されず、その後苦難が相次ぎました。眼科医によると、息子の視神経は腫瘍による圧迫の為、萎縮が進行し、もう手遅れの状態になっているとの事。先生の話を聞いた息子は、診療室で号泣しました。
その時診療室にいた看護師の王兄弟子から、ある大慈悲の大修行者が助けて下さる事、そして自分の息子さんが救われた経過を聞き、即時菜食を取り、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求める決心をしました。

脳腫瘍の摘出手術を受けている長男。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに長男の状況を報告後、リンチェンドルジェ・リンポチェは「リンチェンドルジェ・リンポチェの弟も一度脳腫瘍を患ったことがある。」と親切に開示しました。「でどうするのだ?」と聞かれた私達は、一瞬頭が真っ白になり、「仏法を学びます。」と返事しました。実は、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に、私達はただお守り頂きたいだけの思いでそう答えたのを知っていました。だからリンチェンドルジェ・リンポチェは「あなた達みたいな人は、もう散々見てきた。」と開示しました。ですが、それでも大慈大悲の リンチェンドルジェ・リンポチェは息子を加持して下さり、法会の参列も許して下さり、また「これでお子さんは次第に気分が良くなる。」と開示して下さいました。感動した私達は、未来に対しても信心が湧いてきました。

28回の放射線治療を受け、何度も病院から外出許可を得て、法会に参列しました。結果、腫瘤が明らかに小さくなったのです。本来の五分の一しか残っていません。このような卓著した効果には我々も驚きを隠せず、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持力への讃嘆が止まりませんでした。日本食品をお土産に、私達に元気を与えに来られた、許兄弟子一家にもとても感謝しています。二回目の手術前には、初対面である任兄弟子と王兄弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェが加持なさった最も貴重な甘露丸及び甘露水を持ってきて頂きました。そのお陰で子供が迅速に回復し、手術後の回復した姿と、手術後ではまさに雲泥の差でした。手術から8日経った後、病院側に外出許可を得て、再びリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めに行きました。順番が我々の番になった時、リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ何も話していないのに、先に我が子に加持してくださいました。またもや我々は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲を感じ、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェに法照を賜予して頂きたく、求めました。本来息子は病院で入院していた為、感染によって熱を出していました。10日間経っても原因不明で、私達は、また他の病ではないかと心配していましたが、不思議な事に法照を持ち帰ると、息子が元気になったのです。医者からも、退院手続きをしても良いと言われ、四ヶ月余りの入院生活の日々が終わりました。

これは3つの時期に撮影したMRIです。腫瘤が明らかに縮小しているのが分かるでしょう。

リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で私達一家を助けて下さいました、ですが私達は本当に輪廻を断つ決心をしたのでしょうか?いいえ。私達はただリンチェンドルジェ・リンポチェにしがみ付き、引き続き守りを得たいだけでした。だからこそ、今年の阿弥陀仏無遮大超度法会に一緒に参列してくれる方が一人も見つかりませんでした。この心の態度が正しく無かったのです。心が正しくなければ、誰があなたの意見を聞くというのでしょう。
父は長年中風、並びにパキンソン病を患っていました。多くをベットの上で過ごし、動く事を嫌い、食事やトイレも全て部屋で行いました。外界と完全に隔て、上師が開示された通り:「往生前の生活を見れば、往生後どの道に往くかが分かる」と。父は突然に逝きました。往生前の土曜日、弟から父の調子が前と比べて落ち着いてきていると聞いていたのに。父が往生したのは、私達がちょうど護法を修める時間でした。護法を修め終わり、掛け直しの電話で父がもう亡くなった事を知りました。私達はすぐに王兄弟子に連絡すると、王兄弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが「眷屬が亡くなった際、家族は八時間呪文を唱え、全て菜食し、祭壇も皆菜食である事」と開示された事を教えて下さりました。又、王兄弟子は台中にいる張兄弟子に連絡して、リンチェンドルジェ・リンポチェに賜予して頂いた最も貴重な甘露丸を送って頂きました。父が往生する際、何事もなくすんなりと事が済み、幸運にも甘露丸の加持を得たのは、母が思うに、やはりリンチェンドルジェ・リンポチェと関係がるとのことです。私達は母にリンチェンドルジェ・リンポチェが陳兄弟子のお爺さんを済度した不可思議な八時間の過程を話したのです。私は親孝行でない事を懺悔します、皈依した時、家族誰一人にリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲で衆生を済度した奇跡を話さなかったのです。私は母や兄弟が仏法に対して信心を湧かせさせることが出来ないまま、病気の父の看病もせず、ただ自分の生活を送っていたのです。

林恆正の父親(左1)長年パキンソン病を患っていた。

その週の土曜日、リンチェンドルジェ・リンポチェに父を超度して欲しいと求めに、家族全員で寶吉祥に行きました。リンチェンドルジェ・リンポチェは「生前、父を私の所へ連れてきた事はあるか?」と聞きました。私は「ありません。」と返事をしたら、リンチェンドルジェ・リンポチェからその場で、「親不孝者。」とお叱りを受けました。続けてリンチェンドルジェ・リンポチェは「祭壇の上は全て菜食にしましたか?」と聞き、私は「いいえ。」と答えました。リンチェンドルジェ・リンポチェはそのまま開示しました。「<地蔵経>で死者を葷食で祭ると、死者は必ず地獄へ落ちると説いている、何度も説いているのに、全く聞いていない、あなた達は争いを恐れ、因果を恐れない。」リンチェンドルジェ・リンポチェはまた「あなたの父が亡くなった後、誰が処理をしているのか?」と聞き、私は「母です。」と答えました。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた続けて開示しました。「あなた達は弟子だからと言って、何かあればすぐ上師を頼ればいいと思っている。あなた達は地獄から死者を引っ張り上げるのがどれだけ体力を使い、どれだけ難しい事か分かっていない!」と言いました。そして、出家した定律法師に、私達に仏を学ぶとはどういう事かと、その概念を教えて下さいました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私達がただ、守って欲しいだけで、一心で仏を学んでいないと分かっていらっしゃったので、その日の内に私達が持つ全ての法本が回収され、密教を学べないとされました。

こんなにも多くの間違いをしてきたのにも関わらず、リンチェンドルジェ・リンポチェは私達を見捨てませんでした。後日、同じように法会を修め、慈悲深く弟子を教えていると共に、罪深き私に家族全員が仏菩薩と善縁を結べる機会を与えて下さいました。私は仏法を軽視し、恭敬心がなく、傲慢な態度と、酷い心でリンチェンドルジェ・リンポチェに危害を及ぼした事を懺悔致します。リンチェンドルジェ・リンポチェと知って、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲で衆生利益する心を利用し、自分は何もせず、少しのお金で、リンチェンドルジェ・リンポチェに父を超度するよう求めました。

私は自らが愚かであり、わがままで傲慢、皈依後も自分を正さず、まだ信者であるような心の態度である事、ただ守って頂きたいだけで、今まで上師から教わった事を自分の生活で実践しなかった事、自分が固執であったので、全て自分の観点から物事を判断していた事を懺悔します。
私はリンチェンドルジェ・リンポチェの教えを全く聞かず、全力で家族が死者を葷食で祭る事を阻止せず、家族が悪業することを放任して、父を地獄へと招いた事を懺悔します。私は責任から逃れ、一切全ての罪を母と兄弟に押し付け、完全にリンチェンドルジェ・リンポチェの教えに背いた事、酷い間違いをし、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子に成れる資格が無い事を懺悔します。

多くの兄弟子が経験を分かち合って下さったのと、応援してくださったお陰で、私は家族と積極的に話し合い、上師が慈悲で衆を度す事の不可思議さを身に染み、上師の加持あって、家族が菜食する事、並びに共に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見するのを同意してくれた事に感謝します。

林恆正一家は寶吉祥仏法センターにて、上師が家族を救って下さった事を公開して讃えました。

次の週の土曜日、母と兄弟を連れ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めに行きました。上師は弟子の私に、家族を紹介する機会を与えて下さいました。そして、慈悲で<地蔵経>を開示しました。:「肉食の食物で亡者を祭ってれば、亡者の業力を増加させ、地獄に堕ちる、地蔵菩薩もある一世、母親が死後どの道へ行くか分かったので、家を売り払い、供養した。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達にそうしろとは言っていない。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏経の説く通り、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子、眷屬を世話する。」私は聞いた瞬間とても感動しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子に対し、何も求めません。反対に弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェを供養する際も何も求めるべきではないのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で私に父に代わり、毎日600回大礼拝をして、父の冤親債主に回向する機会を与えて下さる。福報が十分に足りた時、私達に知らせてくださる。

二週間後、台中の道場が開設して満一年半が経ったので、リンチェンドルジェ・リンポチェの恩恵に感謝する為、台中の兄弟子方が皆供養をさせて欲しいと申し込み、それで私達も自ら供養したいと同じく申し込みました。リンチェンドルジェ・リンポチェは死者が苦むのは胸が痛む為、明日開かれる施身法にて、私達が父を超度するリストに申し込んでも良いと許可して下さいました。その時私は感激と驚きで胸がいっぱいでした。その日の晩、母は夢で父に会いました。夢の中の父は身体を縮め、母の名前を叫びました、そして、母に「解けたぞ、全て解けたんだ!」と言いました。次の日母は、目が覚めても何のことだかさっぱりでした。施身法が円満に終わった後、私は家族に報告しました。それで母ははっとして、あれは全ての枷鎖が解けたって意味だったのかと悟ったのです。私達はリンチェンドルジェ・リンポチェがとても凄い事を知っています。ですが、どれだけ凄いのか、本当のところは分かりません。

10月23日、リンチェンドルジェ・リンポチェは施身法の法会にて開示しました。「今日は多くの家禽及び鳥類が来ている。」その言葉を聴き、私は小さい頃家で飼っていた多くの家禽を思い出しました。ある家禽は自分達で食べたり、又は他の人に売ったりしていた。我が家は葡萄を栽培していたのですが、鳥に食べられぬよう、網で囲み、捕まえた鳥は焼いて食べたりしていました。しかし、網では効果があまり出なかったので、葡萄に農薬を撒くという残酷は手を使いました。私は無数の衆生を傷つけた事を懺悔します。

リンチェンドルジェ・リンポチェは今、もっと多くの衆生に利益する為に仏寺を建てています。私は自分が努力して供養する以外、自ら様々な人に声をかけ、もっと多くの人々にこの善業を知ってもらい、参加してもらえるよう、努力いたします。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェがまだ皈依していない私の家族にも仏寺を支持する機会を与えて下さった事に更に感謝申し上げます。

林恆正及び妻吳燕琳、息子林冠宏と林奕儒は皆既にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。

リンチェンドルジェ・リンポチェが父を救済することは我が一家にリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を憐れみの慈悲を体得させました。弟子として私たちはこのような具徳な上師があって、若し確信を分からないなら、無駄にこの世を過ごします。皆様は私たちの例に鑑みて、同じな過ちを犯さないのを望みます。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が安康し、世につねにとまって、法輪を常に転じて、衆生を利益し、直貢噶舉法脈は永遠に伝えていることを祈っています。

皈依弟子 第七組 林恆正 謹んで書き上げます
2016年11月6日
2017年1月20日修正

« 前へ – 衆生済度の事跡へ戻る – 次へ »

2017 年 07 月 09 日 更新