793:リンチェンドルジェ・リンポチェがいなければ一家離散になりました!

高貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、尊きチェツァン法王、アキパルナシャバリ、歴代の伝承上師、諸仏菩薩にひれ伏して礼をします。私は六組の鍾佩玲、法名は慧靈卓瑪(ケイレイ.チョマ)です。母は五組の鍾李淑霞で、主人は三組の王文徳です。今日はこの場を借りて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私と家族を助けた話を皆様にお話できたことに非常に感謝しています。

私は1999年8月8日に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。初めて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し込んだ時、ちょうど人生でドン底の時期でした。小さいときから父と母に大事に育てられて、まったく世間知らずの私は、30歳の時に突然父は破産して借金の取り立てに追われ、母はローンクラブで大損して一千万台湾ドルほどがなくなり、兄が闇金からお金を借りて利子も返せなかったことを思い知らされました。兄の借金のせいで、一人のやくざが家に1年余りも居座って住みました。当時私にとって本当に青天の霹靂としか言いようがなく、生きる意味も分らなくなりました。いっそう車にぶつかられ死んでしまえばいいと思ったことがありました。それから兄弟子の田さんの紹介を通じて、初めリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いできた時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはお悩みは何かと聞かれ、私は体がよくないことだと答えました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは次に赤ちゃんを下したことがあるかとお聞きになり、びっくりして頭を横に振って、おろしたことがないと返事しました。すると、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなたの子宮はとても冷えているから、アイスを食べてはいけない、漢方医に見てもらって漢方薬を飲んでみて、癌ではないと優しく開示してくれました。そのお言葉はあまりにも当たりすぎました!当時家の急変に耐えられなかったため、よく刺激性の強い食物、冷たい物、揚げ物を食べて発散しました。不思議なことに、リンチェンドルジェ・リンポチェのご開示を聞いた後に、だんだん冷たい食物をあまり食べたくなくなりました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私を見て、引き続きほかには悩みがないかと私に聞きましたが、私は言おうとした時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは「これ以上聞かない方がいい。あなたに対処できないことを聞いても無駄だ。法会に参加しに来なさい!」とおっしゃいました。私はその場で号泣し、気持を抑えきれませんでした。初対面のリンチェンドルジェ・リンポチェは私の悩みを分ってくれたことに感動してやみません!心の中で、なんで初対面なのに私の悩みを全部知っているかと不思議に思いました。

それから日曜日の共修法会に足を運ぶようになりました。はじめて。リンチェンドルジェ・リンポチェが生と死のご開示を耳にした時、2時間の間、私はずっと泣いて泣き止みませんでした。なぜかというとその一字一句は珠玉のごとく麗しく、大変素晴らしいと思ったからです。リンチェンドルジェ・リンポチェの広東弁の中国語をとても親切に感じて、私の恨みの念を浄化してくれました。毎回法会は終わった度に、やっと自分が次の一週間に立ち向かう力がわいてきたと思いました。もし父がリンチェンドルジェ・リンポチェのご開示を聞くことができたら、破産と借金の問題を片づける勇気が出てきて、家の問題はすぐ解決できるだろうと思って、父にリンチェンドルジェ・リンポチェとの面会を申し入れようと何度も説得しました。

何週間後、父はやっと面会のことを承諾しました。しかしまさかリンチェンドルジェ・リンポチェに面会した当日、父はちょっと話し出したら、リンチェンドルジェ・リンポチェに借金問題を先の伸ばしてはいけない、債権者から逃げず、解決の道を相談すべきだと大声で叱られました。またリンチェンドルジェ・リンポチェは父に、もし心から懺悔できたら、助けるとおっしゃってくれました。私はそれを聞いて本当にうれしかったです。しかし残念なことに、父は面目を保つことが第一の人間なので、その場で顔色が変わって、黙り込んでしまいました。私はかすかに父がリンチェンドルジェ・リンポチェのご開示を受け入れないのではないかと感じました。家に帰ってから、日曜日が来る度に、父は朝から、毎週法会に参加する必要がないとか、リンチェンドルジェ・リンポチェに対して不敬な言葉を吐いていました。私は心配しはじめました。リンチェンドルジェ・リンポチェのような慈悲深い修行者の言葉も、父は受け入れられなかったら、もう仏を学ぶことは難しいのではないかと悲しみました。しかしその時も自分の利己的な考えのため、早く家の問題を解決したくて、すべての問題をリンチェンドルジェ・リンポチェに投げ込み、自分が家の事で悩まなくても済むようにとそればかり考えました。リンチェンドルジェ・リンポチェは実証実修の大成就者であるから、仏法と因果に基づいて衆生をお助けになるので、父の欲と執着を満足させることはしないことを、父親に理解してもらう努力は私はしませんでした。振り返ってみると、この数十年、父は人生の難関にあったたびに、いわば有名な先生に指導をしてもらいましたが、結局それは風水という名目で墓地、住居を修繕するのに数えきれない時間とお金を費やしただけのことでした。

鍾佩玲さんはリンチェンドルジェ・リンポチェのご慈悲によって、一家離散から免れたことを誠心誠意に感謝しています。

それから何ヶ月を過ぎて、父から毎週のように小言を言われるのを逃れたいのと、父がリンチェンドルジェ・リンポチェを侮辱するのではないかと心配して、2000年の年初、リンチェンドルジェ・リンポチェに手紙を書いて、自分はしばらく道場から離れることを報告しました。当時はとても辛くて怖かったけど、自分の問題に立ち向かいリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔する勇気がなかったから、離れることを自ら選びました。結局オストリッチコンプレックスになって、兄弟子の田さんに代わりに手紙をリンチェンドルジェ・リンポチェに渡してくれと頼んでから、毎週の共修法会に参加しなくなりました。

法会を離れた後、トラブルは次から次へ起きました。初めは2000年2月に、私は右胸にしこりがあることに気付き、四つの大型病院で検査を受けましたが、出された報告は半分は良性、半分は悪性のことでした。その時兄弟子の田さんを尋ねた後、勇気を出して上師に面会を申し込み、上師にお会いした途端、「あんたは金の亡者か!」と叱られました。その時、あの言葉はどういう意味かまったく分かりませんが、リンチェンドルジェ・リンポチェがおっしゃったことはすべて正しいはずだと知っています。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた、死ぬのが怖かったか?癌じゃないよ!と開示しました。

しかし人間は福報がない時、本当に助かるようがないです。私は手術をしたくないが、家族に分ってもらえず、結局手術に同意し、しこりを切除してもらうことになりました。手術の前日、医師は突然、もし化学検査の結果は悪性だったら、転移にならないように、組織をすべて切除すると通告してきました。本当に怖すぎます!翌日手術が終わった後に医師は良性だと言ったので、まず一安心しました。しかし、一週間後、医師になんと化学検査の結果は悪性で、原生癌だと言われ、化学療法、放射線治療をする必要がないが、組織をすべて切除すれば良くなると告げられました。その時私は、もう手術をするのがしんどいから、もうしたくないと思いました。そのまま様子を見とこうと決めました。しかし、退院して新しい会社で勤務し出したら、わがままなお嬢様の気性をつい丸出しし、入社早々はもう社長とぎくしゃくになって、毎日嫌気が差し、私が気狂いになりそうでかなり主人に心配させました。そして右胸もだんだんおかしくなる感じでした。入社して三ヶ月しか経ってないのに、毎日人を罵倒するのが嫌になって、もう会社をやめたくなりました。それからよく具合が妙に悪くなったので、主人と話し合った結果、再び手術をすると決めました。当時、この生涯はあれだけ多くの命の肉を食べたから、返す時がきたと、ふとそう思えるようになりました。術後は大変痛くて、一日千秋の思いで我慢した感覚は手術を受けたことがある人しか分らないでしょう!静養の間、兄弟子の田さんはよく連絡してくれて、一般向けの大型法会があるたびに、私に参加しようと励ましてくれました。遠いところからでも、リンチェンドルジェ・リンポチェを見たら、なぜか心から感動して、安心しました。たぶんリンチェンドルジェ・リンポチェはずっと私を助けているのを知っているからでしょう。リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも見守ってくださっているので、私は術後の痛みから順調に回復することができました。

2003年SARSが流行って、多くの宗教団体が活動停止した時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生に非常に助けが必要なことをご理解くださって、相変わらず毎週法会を主催して衆生を救い、そして甘露水を加持し、親族友達と分かち合うことを許しました。兄弟子の田さんは私にも一瓶の甘露水を分かち合ってくれたと同時に、もう結婚して親と一緒に住んでいないから、主人の反対がなければ、もう一度リンチェンドルジェ・リンポチェにお願いして、上師について仏を学ばないかと勧めてきました。彼女はまた次のように言いました。3年前に私の代わりにリンチェンドルジェ・リンポチェに手紙を渡した時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは「彼女は僕と縁があるから、また帰って来るよ」と静かにおっしゃったそうです。私はここまで聞いて、もう涙が雨のよう落ちって、長く自分の気持を抑えられませんでした。主人も私と一緒に面会を申し込むと言ってくれました。

面会の日に、ドアを開けたら、ちょうどリンチェンドルジェ・リンポチェと目線があいましたので、あの慈悲に満ちたお目つきを言葉で表現できず、忘れ難いです。私の番になると、もう言葉にならず、泣きじゃくりました。私の隣に居た兄弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェに、鍾佩玲は数年前にリンチェンドルジェ・リンポチェに手紙を書いた人だと報告しました。リンチェンドルジェ・リンポチェはそれを聞いて、僕を罵倒した手紙かなと笑って言いました。私はびっくりしてすぐ、いいえ、あなた様をののしっていませんと思わず声を出しました。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に、では、今の考えはどうなのと尋ねてきました。私はリンチェンドルジェ・リンポチェに、外で4年間彷徨ったけど、やはり自分を助けることができず、親にもよくなってもらえないから、リンチェンドルジェ・リンポチェのところに戻って仏を学ぶことをさせてほしいのと、親にも機会があったら一緒に仏を学ばせたいと報告しました。リンチェンドルジェ・リンポチェはそれを聞いて優しくうなずきました。そして主人の体の状況を尋ねて、長く彼を加持してくれました。また主人に、ある弟子は医者さんに一生鉄のよろい、鉄の靴を装着しつづけ、再び歩くことができないと宣告させられましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェのところでずっと仏を学び、よく叱られたけど、今は自力で歩けるようになったと教えてくれました。更に主人に法会に参加するようとお許しが出ました。なので幸いなことに、主人も法会に参加できるようになりました。

2004年、母はよく心拍数150ほど高くなったことで救急救命室を頻繁に出入りすることになりました。しかし病院に着いたたびに、いつも正常な心拍数まで回復したので原因は分りません。私はこれを機会に、父と母にリンチェンドルジェ・リンポチェとの面会を申し込んで、助けを求めようと説得しました。母はリンチェンドルジェ・リンポチェと面会したときに、腰痛、不整脈などの問題を報告しました。そうすると、リンチェンドルジェ・リンポチェは優しく母に、不整脈の問題だけではなく、全身の血管はすべて詰まったと教えてくれました。その時私達がまだ全身の血管が詰まった意味は分かりませんでした。突然リンチェンドルジェ・リンポチェは母に子供が何人いるかと聞いてきました。母は3人と答えましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に3人かともう一回聞きました。母はうなずきました。そうすると、リンチェンドルジェ・リンポチェは水子も数えるのよと開示しました。母は、「うん、水子は一人いたかもしれない。だけど2ヶ月の子にすぎなかったのよ!」と出任せの返答しました。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ「2ヶ月でも一つの命だ!お孫さんも幼稚園児だから、法会に参加しに来たら、流されたお子さんの済度を手伝う。済度したら腰痛も良くなるはず」と叱責しました。そして母に菜食を食べるよう指示しました。母はうなずいて承諾し、それから毎週法会に参加するようになって、半年後、父の了承を得て、母は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、皈依弟子になりました。振り返ってみると、私が皈依する前に初めてリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いした時、リンチェンドルジェ・リンポチェはすでに子供をおろしたことがあったかと聞きました。本当にリンチェンドルジェ・リンポチェのご開示の通り、本当に苦しんでいる衆生は力になってくれる人を知っているということです。

新しい道場の開光の前に、一回私と母は道場に行って供え物を包む作業を手伝いに行った時、母は急に具合が悪いと言って椅子に座り込みました。ちょうどそのよきにリンチェンドルジェ・リンポチェが道場に居らっしゃって、私は母の上体を起こしようとしたら、母は目がじっと私を見ていて、合掌しかできませんでした。私はどんなに力を入れて母の上体を起こしても、全く起きられず話もできませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは長く母を見つめてから、母の側を歩き去りました。私はその時すごくびっくりしました。母に何があったのか、なぜリンチェンドルジェ・リンポチェが目の前にいらっしゃったのに立ち上がって礼もしなかったのかと混乱しました。その後、母はまた急に喋り出して、先ほど頭の中は空白状態で、立とうとしても立ち上がれなかったと言いました。翌日母を連れて、リンチェンドルジェ・リンポチェに謝りに行ったら、リンチェンドルジェ・リンポチェはもう大丈夫だと開示しました。そしてそこから出るように指示しました。あとで、実はそれは母が初めて道場で軽い脳卒中を起こしたことが分りました。

それから半年後、ある金曜日の夜に施身法の法会を参加しに道場へ行きました。私は始まる時間より若干遅れて道場に入ったら、多くの兄弟子が慌てて寄ってきて、お母さんは具合が悪いみたいで、そばに座ってあげなさいと言いに来ました。母は心臓の持病があるため、私は決まって母の足をマッサージしますが、母を触ったら、全身が氷のように冷たいのに気付き、びっくりしました。母は言葉が出ず、体が傾き、頭は左側にゆがんで、口もかすかに開いていました。しかし私は怖くありません。なぜかというと、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの後法座に上がって主法するから、もし母に臨終の時が来ても、リンチェンドルジェ・リンポチェはきっと母を助けるとわかっているからです。このように、母が時には目を開けたり、時には目が閉じたりしてました。法会の後半になって、リンチェンドルジェ・リンポチェは音頭を取ってみんなで六字大明呪を唱えた時、母は突然トイレに行きたいと言い出して、私は付き添って行くと言ったら、母は手を振っていらないと言いました。それからしばらく時間が経ってから、母は何事もなかったように席に戻ってきました。その後兄弟子で医師の謝さんに母の状況を尋ねました。母は間欠性出血、つまり軽微な脳卒中が起きたということで、1ヶ月以内に重度な脳卒中が起きる可能性があるから、よく注意しなければならないそうです。実は母はその夜の事について全く記憶がなく、ただ眠たく感じたと言いました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは母を助けてくれたおかげで、母の苦痛は軽くすみました。後々多くの兄弟子は母が2度も脳卒中にかかったことを知って、みんな不思議がられています。それは母は普通脳卒中がかかったあとの後遺症がなく、記憶力は衰えてはいるものの、生活していく上では特に支障がないからです。その時から母は知り合いと会うたびに、もしリンチェンドルジェ・リンポチェの助けがなかったら、とっくにあの世に行ったと話しています。父は昔占いで母の寿命は60歳までだと判断しましたが、母は今年すでに77歳です。リンチェンドルジェ・リンポチェはいなければ、すべての奇跡はあり得なかったと思います。

2014年8月、台湾の中南部に住んでいる父方の叔母さんは認知症で老人ホームに入っていますが、病気でよく病院を出入りしているため、父はよく田舎に帰って彼女のお見舞いをしました。叔母さんはすでに84歳になって、ほとんど回復する見込みがないとはっきりしています。しかし、父は頻繁に集中治療室を出入りしている叔母さんを見ると心苦しく、リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し込んで、叔母さんの痛みを軽くするようリンチェンドルジェ・リンポチェにお願いしたいと自ら言い出しました。面会を申し込む前に、父は叔母さんの苦痛の軽減と自分の借金問題を助けてほしいと、家で時間をかけて丁寧にその旨の下書きを書きました。ご面会の時、リンチェンドルジェ・リンポチェはまず父に座って話そうと許してくれました。実は父が面会を申し込む前に、前立腺の手術をしたばかりなので、長く立つことができません。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈しみに満ちたお顔で父が用意した下書きを全部読むあげるのを聞き終わってから、父に叔母さんを助けるから心配が要らないとおっしゃってくれました。また借金の問題に関しては、リンチェンドルジェ・リンポチェは諸仏菩薩は金儲けしてないのに、どこからお金を持ってきてあなたの借金を肩代わりするかと開示しました。そして父に誠意をもって債務者と話し合うようにと教えてくれました。債権者に父の言い分を聞き入れてもらうように、話し合いの時にリンチェンドルジェ・リンポチェは手伝うとおっしゃってくれました。また父にもう金儲けするチャンスがないので、お金への執着はやめようとお教えになりました。その後父に前に出るように指示し、お経を持って長い間父を加持してくれました。リンチェンドルジェ・リンポチェはすべての衆生の苦しみをお分かりになっていて、弟子の家族まで配慮してくれることに、私は本当に恥ずかしく思いながらとても感動しました。残念ながら、父はリンチェンドルジェ・リンポチェはのご開示に聞く耳持たず、お金は天から降ってくると信じ込んで、金儲けしてから借金を返済すると、自分はすでに返済不可能状況に向き合う勇気がありません。それから大体1ヶ月後に、叔母さんはぽっくり亡くなりました。父はとてもリンチェンドルジェ・リンポチェのお助けに感謝し、再び面会を申し込みました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を垂れて、施身法の法会で叔母さんを済度するとご承諾になりました。リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に慈悲が深いです。父が叔母さんを心配しているのを知っているから、叔母さんを済度するから心配がいらないと丁寧に父に説明してくれました。

2015年9月の中頃、ずっと中国に住んでいる長兄は急に台湾に帰ってきました。父によると、長兄の目は突然見えなくなって、おそらく脳腫瘍です。父はリンチェンドルジェ・リンポチェに長兄を助けて頂くよう、私にお願いしに行ってほしいと言ってきました。心の中では大変つらいですが、私は父に、長兄は仏を信じず、菜食も食べない人間だから、本当にリンチェンドルジェ・リンポチェにお願いする勇気がないと正直に言いました。私は病院へ長兄のお見舞いをしに行った時、彼の視力はすでに回復しました。私もこれを機に再び彼に菜食を食べるようにと勧めて、彼に母の2回の脳卒中はリンチェンドルジェ・リンポチェに助けられたことを思い出させました。何日後に父から突然電話がかかってきて、兄の脳腫瘍は大変険しい場所にできたため、医者さんは手術をせず、天命に任せようと言ったそうです。その医者さんはまた、兄のような患者は普通何週間以内に亡くなりましたが、兄のようにこんなに早く回復できて、しかも生きているなんて、本当にはじめて見たと言ったそうです。私にははっきりその理由が分っています。もしリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を垂れて加持してくれなかったら、兄はすでにあの世に行きました。

話はここまで来たら、皆さんは私にとってリンチェンドルジェ・リンポチェの御恩とお助けはどれだけ大きいか、もうお分りでしょう。しかし私は何を持ってリンチェンドルジェ・リンポチェへ恩返ししましたか?

いいえ、恩返しどころか、私はしきりに悪業をして耐えられないほどの報いがくるのではないかとリンチェンドルジェ・リンポチェに心配ばかりかけています。供えもせず、ただ表向きに仏を学んで、それで本当に上師を恭しく思って、上師を100パーセント信じるとうぬぼれているだけです。リンチェンドルジェ・リンポチェは、「あんたが皈依した時のお願いは僕は全部一つずつ叶えてあげた。なのにあんたが皈依した時に衆生への約束は?ひとつも守っていない!皈依の戒めを破ったのよ!もし僕でなかったら、あんたは去年にとっくに死んでいた。その時僕はなぜあんたに事故が起きたのか疑問に思ってた。なるほど、あんたは約束をほったらかしにしてたのか!ゆっくりやっていいよね!」と怒られました。

リンチェンドルジェ・リンポチェのおっしゃる通りです。それは私最も安易な考えです。無常を信じず、また時間や機会があるから、生死から、輪廻から離脱する決心はついていません。とても恐ろしいですね。私はこのようにリンチェンドルジェ・リンポチェのご恩を裏切ったのに、自分はリンチェンドルジェ・リンポチェに100パーセント信頼していると勘違いし、実はリンチェンドルジェ・リンポチェのお助けに甘えすぎて、リンチェンドルジェ・リンポチェのご慈悲を当たり前だと思い込んでいました。今回リンチェンドルジェ・リンポチェは理事の人事を再編したことにとても自省しました。私は臆病で何の責任も背負わず、根気良く人とコミュニケーションする力もないせいで、多くの事は処理されなく停滞してしまいました。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェに、理事はやめて別の人と交替し、密教の行法を学ぶ資格がないと叱られた時、言葉が出ないほど辛かったですが、更に私に感動させたのは、こんなにどうしようもない私でも、上師は私を救っていて、自分自身の問題に向き合うように導てくれました。この人生、リンチェンドルジェ・リンポチェはいらっしゃらなければ、絶対に生死から解脱することができないと、更に確信しました。今回の事件で私に深く自分の問題がどれだけ深刻かを気づかせ、自分を改めないと本当に地獄へ落ち、しかも死ぬまでも待たずに地獄に落ちます。だから、私はもう昔のように問題から逃げるのをやめます。

再びリンチェンドルジェ・リンポチェの叱責とご加持に感謝します。絶対謹んで教戒に従い、同じ間違いを犯さないように努力します。私は努力し続けて自己輪廻の行為を改めて、生死から解脱する決心をし、まぬけに暮らさず、ちゃんと最後の機会をつかまないといけません。リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝するというのは、本当に自分を変えることで、スローガン、口だけではないです。リンチェンドルジェ・リンポチェに、仏を学ぶ心が怯まないように相変わらず私を加持し、私の過ちを是正してくださるようお願いします。この一連のことで、私達は自分で自分を裏切りますが、仏菩薩、リンチェンドルジェ・リンポチェだけは私達を裏切らないと深く会得しました。上師を疑いがなく完全に信じ切るからこそ、生死の輪廻から解脱できるでしょう。

抜け殻のように50年間この世を生きてきて、今は人生の中で一番目覚めの時だと思います。皆さま、兄弟子のみなさんは私と同じ過ちを犯し、仏菩薩、リンチェンドルジェ・リンポチェのご慈悲を当たり前のように思わないように願います。最後に、尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、この世に居続けて、常に法輪を回し、仏法事業は順調に発展し、直貢噶舉派の脈が永遠に伝わるようにお祈りいたします。

皈依弟子 六組 鍾佩玲 謹んで書き上げます
2016年3月20日

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2016 年 09 月 04 日 更新