772:弟子に因果と無常に向き合わせて下さる上師に感恩致します

尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、尊勝なる直貢チェツァン法王、アキ仏母、歴代伝承上師、諸仏菩薩に頂礼致します。大徳各位、師兄各位、わたくしは第四組の方儷璇で、法名を慧貝卓瑪と申します。夫は第三組の郭軍宏で、息子は第三組の郭冠廷です。尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがこの場において、私に皆様の前で上師が私たち一家を救った経過の分かち合いと過去の悪行悪業を懺悔する機会を弟子に与えてくださったことに感恩します。

尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩します。わたしは根器の低い弟子ですが、尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、衆生に慈悲をかけ、見捨てません。そして、すべての調伏しがたい衆生をすべての方法を用いても救済し、私たち一家は徳を備えた上師のもとに皈依し、仏法を学習することができます。

尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに出会った縁起は2012年9月です。当時、4歳の息子は顔色が蒼白で熱も出ていたので、病院へ行って採血しました。病院の診断は「急性リンパ性白血病」でした。当時は因果を信じていなかったので、無常を受け入れることができないわたしはずっとこのような事が私の息子の身に起こるはずがないと思っていました。このようなことはテレビの中でだけ起こることではないのか?わたしはどうしたらいいのか?その数日間、毎日このことが夢の中の出来事であることを願いました。しかし、これは夢ではありませんでした。これはわたしが向かい合わなければならない真の人生でした。

息子の病気の診断が確定すると、病院はすぐに人工血管を設置する手術を手配しました。そして三日後の月曜日から化学療法は始まります。気持ちが散り散りの一週間、親しい友人らは知らせを聞いてそれぞれに心配し、蜂のようにわっと集まってきます。皆、熱心に民間治療を教えてくれます。しかし、私の心には、二年前(2010年)の時、私が唯一参加した法会がずっと残っていました。法座のその非常に荘厳で慈悲深いリンポチェは私を助けてくれました。だから土曜日にすぐ尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しようと申込ました。でも、私たちの福報が足りなかったため、その週、リンチェンドルジェ・リンポチェは信徒に謁見せず、来週まで待たなければなりませんでした。そして二日後、息子の化学療法が始まりました。西洋医学を固く信じる私は、他の治療方法を考えることなどできず、ただ母の心だけで、きっと子供は100%良くなることを望んでいました。そして私は尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに私たちを助けてくれるようにお願いしたいと思っていました。

リンチェンドルジェ・リンポチェが主法する「阿弥陀仏無遮大超度法会」。

荘厳で殊勝な「阿弥陀仏無遮大超度法会」の現場。

翌週、私たちは尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見するための申し込みました。その時の私たちは、ただただ仏法の助けが欲しいだけで少しの恭敬心も懺悔心もなく、まったく間違っていました。道場に入ると、私はずっと涙を流し続け、息子の病気は私のせいだと思い、リンチェンドルジェ・リンポチェが私たちを助けてくれることをひたすら祈っていました。その日、すぐにリンチェンドルジェ・リンポチェに会うことができました。ひざまずくと、リンチェンドルジェ・リンポチェは夫に尋ねました。「何かありましたか?」夫は息子の病状を報告した後、名ゼリフを言うように「私に何ができるでしょうか?」と言いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは夫を大声で叱責し始め、そして彼に一日2,000回の大礼拝をするように言いつけました。隣で泣いていた私は最後に大事なことだけが耳に残りました。「また来なさい。」その場で思ったのは「また来てもいいのだわ!」でした。

その晩、私がウトウトしながら、見た夢は尊貴なる金剛上師がずっと持咒していて周りでは上師は大修行者であるとずっと賞賛している声が聞こえていました。目を覚ますと、根器の低い私でも昼間に思ったことが夜にまで夢を見たのだから、リンチェンドルジェ・リンポチェはきっと私たちを助けてくれるという思いを更に一層深めました!

翌週の土曜日、私たちは再びリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しました。その時の私たちと一週間前を比較してみて、自分でも恭敬心が高くなったように思いました。ひざまずいた後、私たちは息子の状況を報告し、今週、息子は化学療法後に感染したことを説明しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちに以下のように慈悲深く開示しました。先週の叱責は私たちに仏を学ぶ障害を取り除くためであったこと、更に化学療法をしても意味が無いことを説明ました。そして以下の三点を開示されました。一、多くの癌はその疾病自身が元で死ぬのではなく、感染で死ぬこと。二、現在の西洋医学の化学療法、手術で癌を治療するのは良くないこと。西洋も徐々に自然療法で癌を治療するようになってきていること。三、たとえ病気になっても、生活の質は大切であること。

一人の大修行者の智慧は凡夫である私が体得したものとは違います。これは私が大きな代価を払って体得したものです。息子の身体を苦しめて、愚かな私でも少しずつ分かるようになりました。リンチェンドルジェ・リンポチェは簡単に開示しているように見えますが、その結果は全く言ったとおりになります。しかし、その時の私は愚かの極点にいたため、心のなかではどうしても信じられませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちが信じていないのを見て取ると、唐兄弟子夫婦に自分のことを私たちに話すように指示しました。師兄の励ましの下、私たちが後日、再びリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した時、リンチェンドルジェ・リンポチェに報告私たちは法会に参加したいと報告しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法は私たちの欲望を満足させるためにあるのではなく、私たちに《快楽と痛苦》を10回読んでから再び来るように開示しました。続いて息子の名前と干支を尋ね、息子の加持のため持咒はじめました。

加持を終えた後、リンチェンドルジェ・リンポチェは夫に、あなたの祖先は何を生業にしていたか?と尋ねました。夫は農業と答えました。リンチェンドルジェ・リンポチェは「息子の病気の原因は、一に祖先が農業に従事していたので、小さな虫を多く傷つけた。二に私たちは息子が小さい時、たくさんのちりめんじゃこを食べさせたから」と開示しました。子どもの病気が苦しいか、それとも自分が病気になるのが苦しいのか?また化学療法の薬は息子の肺を傷つけると言いました。そして私たちにその事を知っているかどうか?医師はあなた方に話したかどうか?と尋ねました。実は、私たちは知らなかったし、医師も話してくれませんでした。しかし、息子は確かに、常に咳をしていて、レントゲンでは肺に影が写り、浸潤していました。リンチェンドルジェ・リンポチェはまるで慈父のように夫に良く休むように、すでに何日もよく眠っていないから身体をいたわるように言いつけました。なぜならお金を稼がなければなりません。治療には多くのお金が必要です。夫はこの時、満面に涙を流していました。

二週間後、私たちは再び、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して法会に参加することを求めました。リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲深く私たちの参加を許しました。私たちに仏法を聞き、そして仏を学ぶ道を始める機会を与えた尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩します。法会に参加するようになってから、日曜日の法会は私と夫の心の支えになりました。。尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは法会の中でゆっくりと因果について理解させ、無常を受け入れさせます。ただ理解しただけでは執念を持ち、諦めることができず、一心に子どもの治癒を期待します。

尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示したように、入院中の息子はずっと感染していて、且つ人工血管はアレルギーを起こして皮膚は破れ中の肉が表れていました。元々可愛くて穏やかな息子は益々弱り、気持ちは荒れてゆき、入院でベッドから降りることを拒み脚が弱くなっていきました。親としての私たちは哀しむ他に、何の手立てもありませんでした。行き先を無くした私たちは仕方なく、図々しいと思われてももう一度謁見を申し込みました。2013年1月12日、私たちはリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見し、息子の状況を報告すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは「あなた方は信じないからだ!」と言い、田兄弟子夫婦に私たちと分かち合いをするように開示しました。師兄の励ましの下、私たちは尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見させるため、息子を道場へ連れて行こうと思い、病院に外出許可をとりました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く、非常に弱った息子を一目見て、たとえその両親が言うことを聞かない者でも衆生を見捨てたりすることはなく、息子を抱いて加持をされ、その場で私たちは感恩した他に、非常に恥じ入る気持ちになりました。リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩致します!息子を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した後、状況のすべては快方に向かいました。治療がスムーズになっただけでなく、仏を学ぶ道の障害も消え去りました。

その後、私と夫は皈依を求め、2013年6月2日に尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、その下で仏法を学んでいます。私たちは息子が菜食することの障害を克服し、息子に代わって法会に参加しており、そこで元々障害の根本は自分の心であったことを発見しました。その時、息子は治療が立て込んでいて、外来が主となる維持期に入っていました。息子は表面的には良くなっていましたが、化学療法の薬物による副作用で、肝臓を傷めており、肝指数は正常値は20なのに、300まで上がっていて、食べても飲み込むことが困難で、一回の食事に二時間以上かかっていました。医師に原因を尋ねましたが、医師もはっきりとした答えを出すことができませんでした。この時期、化学療法を止めることを考え続けていましたが、愚かな私は勇気を持って決心することができずにいました。毎回この問題について話すと、ストレスが大きく、向かい合うことができませんでした。

医師の意見:患者は2012年(民国101年)9月に入院し、上述の疾病と診断した。2013年(民国102年)7月に薬を停止し、その後外来診療で追跡検査したところ、再発の現象はなかった。拠って外来診療で引き続き追跡検査する必要がある。

尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩致します。弟子は根器が低いことをよく知っているものの、因果を受ける勇気も智慧もありません。2013年7月27日、私たち一家は助けを賜りました。私たちは信衆の息子を連れて8月の日本法会に参加したいと思い、それで息子を連れて上師に謁見しました。しかし、不恭敬な態度によって上師に叱責を受けました。心の中は息子のことだけで、仏法がなく、上師もなく、ただただ息子だけが一番に大事で、上師を大切に思いませんでした。更に私たちの供養を受けてもらえませんでした。その時、頭の中は真っ白で、ただ跪くだけでした。しかし、家に帰ってから、頭がはっきりし、夫と相談し、化学療法を止めたほうがましだと思いました!

そして、私たちは一週間の内に、各自の両親に私たちの決定を報告し、担当医師にも私たちの決定を伝え、同時に漢方医療に転向して治療することにしました。上師の加持の下、この件は私たちが想像してたよりもスムーズでした。医師は当然ながら、理解できず、せっかく良くなってきているのにどうして止めるのか?更に臨床において、治療を放棄してから3ヶ月から6ヶ月の間に再発した場合、その時には骨髄移植しか方法はなく、治癒率も低くなると言いました。私たちは入院期間、多くの子供が化学療法によって苦しみ、骨髄移植の苦しみ、子どもの苦しみ、家族の苦しみを見てきました。真にその環境に身を置いてみてこのような無力感がわかりました。私たちは当然、もうそのような苦しみを受ける気持ちはありません。

翌々週の8月3日、私たちは上師に謁見を求め、上師に懺悔し、私たちの決定を報告しました。上師は息子の状況について非常に詳しく尋ね、息子に珍貴なる甘露丸を賜り、慈悲深く何点か開示しました。

一、病気は必ず医師に見せなければならないし、治療も行わなければなりません。白血病は癌ではなく、その原因は複雑ですが、基本的には血液中に悪いものがあるということで、西洋医学の化学療法と骨髓移植は良い方法ではありません。
二、肝指数が高いと、肝臓が硬化し、その後肝癌になります。まさか私たちは子どもの青少年期をベッドの上で過ごさせるつもりですか?
三、医師が言った3ヶ月から6ヶ月の間に再発するのは、当時私たちの信心が不足していたからだとリンチェンドルジェ・リンポチェも知っています。だから、「その時にどのようにサポートするか判断する。」と開示します。
四、寿命は前世で修めたものであり、リンチェンドルジェ・リンポチェが与えるものではないし、仏菩薩が与えるものでもなく、両親は子どもに喜びを与えることができるだけです。病院で化学療法を受ける人は皆楽しく過ごすことができません。息子は病院へ行って楽しむことができますか?更に医師は100%保証することができませんが、仏法は生生世世、保証することができます。

上師が私たちにこのような珍貴な開示を与え、私たちの支えとしてくださったことに感恩します。上師の大智慧はずっと前から私たちに答えを伝えていましたが、私たちにはこれほどの時間が必要で、息子の苦しみがずっと表れたことで、私たちはやっとゆっくりと問題の所在を理解することができるようになりました。因果は虚構ではなく、無常は影のようにずっと着いて来ます。もしも上師の慈悲や衆生を見捨てない心がなかったなら、私たちはどうやって無常を受け入れることなどできず、ただひたすらに因果から逃げることだけをしたでしょう。

息子は、寶吉祥漢方医の心を尽くした治療のもと、毎回、採血では正常値であり、半年後の肝指数もゆっくりと正常値に戻り、食欲も回復し、毎日元気豆乳を二本飲むことができるようになり、以前と比べて背も高く身体も大きくなりました。身体のアトピー性皮膚炎は寶吉祥の漢方医の治療の下、比較的安定しています。また、元の活発な性格も回復してきており、学校に通うことができ、マスクをつけて友人から距離を置く必要もなくなりました。以前、化学療法の薬物の毒素がまだ残っていて、毎回、私たちが上師に感恩謁見する時,リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも息子を慈悲深く加持し、息子の身体の問題を開示します。食の安全性が揺らいだ事件が発生する前から、リンチェンドルジェ・リンポチェは、息子の肝臓、腎臓は悪いので外のパンは食べてはいけない。たくさんの添加物が入っているので体に悪いと開示していました。それで私たちはすぐにパン製造機を買って自分で作ることにしました。リンチェンドルジェ・リンポチェは更に、息子が骨が痛いと言うのは漢方医学でも西洋医学でも原因を見つけることができない。それは化学療法の毒素がまだ骨の中に残っているからで、漢方薬でゆっくりと排出していくと開示したことがあります。それを聞いた時、心の中の疑問がやっと溶けたように思いました。なぜなら、息子はいつでも骨が痛いと叫んでいて、その痛みの位置は毎回違うのです。医師に尋ねると、医師は成長痛だと言うけれどもそのようには思えませんでした。その日、原因がわかったので、漢方薬診療所に行って、黄医師にこの状況を説明したところ、黄医師は息子に排毒性の強い薬を処方してくれました。現在、息子の骨の痛みの比率はずっと減り痛みの程度も下がってきました。やはり、もしも尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの助けがなかったら、私たち家族は一般の健康な家族と同じように生活などできるはずもありませんでした。必ずマスクをし、アルコール消毒液、温度計は手放すことはできず、熱が出れば大急ぎで救急に行き、毎日が緊張の中での生活だったことでしょう。

生命の無常に感謝します。息子のこの度の病気が私たちに仏法を聞かせ、仏と違わない尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、その座下で仏法を学ぶことができ、そして私に命の意義と価値を改めて考える事ができました。過去の私は因果を信じず、ただ一生懸命努力さえすれば報われると信じ、命の中の挑戦はただ自分の意志力や根気だけを頼りにやれば絶対に克服できると信じていました。また、無常を受け入れず、世間の不幸が自分の身に降りかかるはずなく、自分には関係ないと思っていました。世の中に対して恋い慕い、まったく人生は一瞬であり、すぐに手からこぼれ落ち、そして輪迴の苦はいつも存在すると考えたこともなく、ただ世間の幸せだけを求めていました。そして、学生時代は真剣に学業に向き合い、結婚適齢期になれば全力で結婚を求め、結婚して子供が生まれれば努力して家庭を大切にしました。息子が病気になってからは生命における痛苦と無常によって突然に目覚め、しかし欲望をしっかりと掴み、その執着によって諦めることができず、すべての愛を精一杯努力して留まらせようとしました。尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲によって衆生を見捨てず、順々に私の心に変化をもたらし、因果を受け入れることを理解し、諦めることを理解できたことに感恩します。

白血病を患った少年も間もなく8歳になります。リンチェンドルジェ・リンポチェの下で仏法を学んでから、生活が正常になりました。

尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは苦労を顧みず、毎週日曜日、珍貴なる仏法を開示し、懇懇と教え諭し、私たちが正法を聞くことができるようにして下さることに感恩します。毎週日曜日に法会に参加することは私たち一家が最も待ち望むことです。法会が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はまるでいつまでも耳に残る音のようで、私に自分の生命の経過を改めて考えさせ、自身の生活及び身、口、意がリンチェンドルジェ・リンポチェの教えに合っているかどうかを確認させます。仏法を学ぶようになってから、自身の心は知らず知らずにゆっくりと変化していき、過去の考え、価値観は徐々に変化し、過去に好きだったこと、注意を払ったこと今では全くどうでも良い事になりました。また以前は全く考えもつかなかった輪廻の苦を解脱することが私の今生で最も重要な目標となりました。リンチェンドルジェ・リンポチェの大摂受力と加持の他に、生来の固執と愚鈍な私をこれほどまでに転換させることは不可能でした。この他、リンチェンドルジェ・リンポチェは順を追って進める修行の法門を慈悲の力で教え導いたことで私の今の言動が今のようになりました。毎日、五戒十善、《仏子行三十七頌》によって自身の身、口、意を検視すると、毎回の検視で自身の起心動念、すべての言動にはっと気づき、貪、嗔、痴、慢、疑も同じく多くあり、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示したとおり、私たちは全く十善法を修めておらず、十悪法を修めています。これからは自身が起心動念した時、すぐに検視し、即座に改めるようにします。更に自身が自己の内心を見つめた後、自己の間違いに向かい合いながら理由を見つけられず、逃げないことには大きな勇気が必要であることに気づき、更に自身のまったく感じることができなかった間違いに気づくことなどできなかったでしょう。もしも厳師慈父のような尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えがなかったのなら、私は勇気を以って真実の醜い自身に向かい合うことができなかったことでしょう。

最後に子供時代、蟻を捕まえては潰して死なせるのを楽しみ、蚊を見たら殺さずにおられず、熱湯でゴキブリを殺し、無数の衆生の肉を食べ、無数の殺業を行ったことを懺悔します。両親に孝行せず、いつも母を怒らせたことを懺悔します。以前、学生時代、先生の資料を探す時、アルバイトの時間を利用して自分に必要な資料を探し、窃盗の罪を犯したことを懺悔します。自分だけが良ければいいと思い、周りの人のことに無関心で共感せず、慈悲心もなかったことを懺悔します。自分勝手で育てる苦労を厭い、染色体異常の胎児の堕胎を医師に同意し、許されざる殺業を犯したことを懺悔します。

仏法に触れてから、私は自身の考えや言動のすべてが三悪道に堕ちるに足り、六道輪廻の浮き沈みはこのように困難であることを深く感じ入りました。今生において幸運なことに一人の大修行者に皈依して仏法を学ぶことができたので、必ずしっかりと捕まえたいです。私は根本上師である尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェの教えの下、教えに従ってしっかり実践し、自身の心と行動を改めることを誓い、今生で輪廻解脱して浄土へ往生できることを祈願します。

最後に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの貴体が健康で、法輪が常転し、仏法事業が興盛であり、直貢噶舉の法脈が永遠に流伝することを祈願します!

皈依弟子 第四組 方儷璇 謹んで書き上げます
2016年2月28日

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2017 年 04 月 04 日 更新