762:慧命は生命より大切

今年7月26日に皈依した弟子で、北京からの一組の熊江寧です。上師の功徳を賛美し、自分の皈依経過と上師に助けてもらった経過を語る機会が与えられたことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、並びに過去において為した多くの悪業を懺悔した。

「私は健康の問題がきっかけで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会見を求め、皈依を同意してもらった。子供の頃から体が弱くて18歳の時に甲状腺機能亢進症に罹り、体重は40キロ以下に下がった。薬を飲んで症状をしばらく抑えたが、根治しなかった。それで、30歳の時に再発し、状況は大変ひどかった。2011年に、婚前の健康診断で左側の卵巣腫瘍と多発性の結節性甲状腺腫に伴うリンパ節の問題などが確診された。そのため、毎週1~2回で漢方診療所を通い始め、鍼灸、放血とパッティングの治療を受けた。『地蔵経』の内容の通りに、人の心は頑固で調伏しがたいものだ。私もこのような無明の衆生の一人だ。目の前に因果が現れたにもかかわらず、懺悔の心を持たず、世間でいわゆる成功と幸せに対してただ大きな野望と欲望を抱えていた。それまでに、仏教徒だと自認していたが、仏教に対する信仰はただの形で、口先で世間は苦しいと言いながらも、本気で苦海から脱離したい決意はなかった。

それから2012年6月のある日、着替えた時に左の乳房に小さい傷口に気付いた。その傷口から液体が滲み出した。大したことはないと思い、普通に外傷の応急処置をしたが、1年経っても傷口は治らなかった。皮膚の表面にかさぶたができ、かさぶたが取れたら、下方の肉はまた現れ、傷口はますます大きくなった。腫瘍の専門病院に行って初めて傷口の下に腫瘍があると確認された。2013年3月25日に、左乳房の非浸潤性乳管癌であることが確診された。傷口が治らなかったのは、その下方にある細胞は正常ではなく、自己修復能力がないためだった。そして、右乳房もガンになる可能性があると告げられた。本当に無常さの現れだと、私は深く感じた。

先生は、直ちに左乳房の切除手術を建議したうえで、わきのリンパの壊死組織切除が必要の可能性もあると話した。そのため、友達に頼み、私の検査報告を持って台湾の大病院で合同診察をしてもらった。どこも同じ建議を出した。私はまだ若くて新陳代謝も速いから、ガン細胞がほかのところへの拡大を避けるには、早めに手術を受けたほうがいいと言われた。しかし、手術後命の危険はないと保証できる人はどこにもいないと、私はよく知っていた。先生は入院指示書を2回も出してくれたが、手術を受けないことにして病院を離れた。自分の命に完全な責任を取りたい勇気はあったが、力は足りなかった。どうやって体をよくするかも分からなかった。

その年、私は33歳で結婚して2年も経っていなかった。まだ、博士課程の勉強をしていた。高齢の両親には私一人の子供しかいない。あらゆる方法をやってみた。漢方薬を飲んだり、多くの神医に診てもらったり、気功を練習したり、精神的な修行コースで勉強したりした。また、因果が見える人に相談し、法会をやってもらって冤親債主を済度し、自分も毎日『薬師経』を念誦して拝懺した。その頃、私はあっちこっちで結縁しようとしたが、体の様子は明らかな改善が見れなかった。左乳房の傷口からは、相変わらず毎日白くて黄色の膿が流れ、服に付けてしまうのがしょっちゅうだった。出かける時も、シャワーを浴びる時も大変不便だった。その3年間、傷口は最初の細い状態から50元の硬貨の大きさよりも大きくなった。超音波検査を受けた時、その恐ろしい傷口を見て驚いた先生もいる。病気の関係で学校の勉強を後に延ばさなければならなかった。更に、この病気に罹って1年も経たないうちに、主人から離婚を求められた。私は夫婦の感情を大変重視していたので、離婚のショックで私は崩れて情緒が大変不安定になった。この病気で、私は身も心もいろんな苦しみと悩みを経験したが、希望も解決方法も全然見つけられなかった。

今年1月、紹介者である廖兄弟子から一冊の『快楽と痛苦』をもらった。本の中にある尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの写真を見た途端、この上師の法相は荘厳で、大変慈悲、知恵のある方だと思った。しかし、すぐ本棚にしまって読まなかった。当時、私は論文で忙しく、本棚には数人のリンポチェの本を含めて仏法に関する本が何冊もあったので、無知の私はその時、この本の特別さを知らなかったし、探し続けていた命の灯が現れたことも知らなかった。

確診された時は、友達に頼んで2人の上師に手術を受けるべきかどうかを聞いてもらった。一人はリンポチェ、一人は先輩が20年近くついていた上師だ。何れの返事も早めに手術を受けることだったが、私はそれらの意見を受け入れなかった。3年経って私は生きて健康な人のように生活するように頑張ったが、ガン細胞の拡散可能性は消えず、死ぬ可能性もあると知ったから、毎日は時限爆弾を抱えているような気持だった。今年初めの頃、先輩の上師は、その住所の地域の病院で完全検査を受け、手術の必要があったら、受けなさいと忠告してくれた。しかし、私は避けられない手術から逃げたくてあっちこっち占いを受け、北京にいるすごい仙人、修道の偉い人と易経の達人などに会った。当時は本当に絶望で大変苦しかった。しかし、何れも手術を受けたほうがいいとの答えが出された。その状態の中、運命を見極められない私は仕方なく、先輩の上師のいる所の病院で検査を受けることに決めた。

出発前、私は大変落ち込んで誰にも会いたくなかったが、ちょうど廖兄弟子が北京に戻ったので、会うことを約束した。病院に行くことを誰にも話す気はなかったが、廖兄弟子に会って話し合ったうちに、もう耐えられないから手術を受けるかもしれないと遂に話した。それで、廖兄弟子はすぐ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが病気で苦しまれた衆生を済度した事績を話してくれた。しかも、自分の上師はきっと私を助けてくれると固く言ってくれた。廖兄弟子は更に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは皮膚ガンに罹ったが、因果を深く信じているので、学仏と修行で皮膚ガンを治したことも教えてくれた。

寮に帰ったら、私は初めて『快楽と痛苦』を読み始めた。本の中にある尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真の前に跪き、敬虔な気持ちで祈った。涙を流し、心の中で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、『リンチェンドルジェ・リンポチェに助けてもらいたい。どうしても手術を受けたくない。どうしたらよいのか、教えてもらいたい。』と何度も話した。廖兄弟子も台北の兄弟子の力を通して私の状況を尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに報告した。リンチェンドルジェ・リンポチェは私の会見に同意した上で、貴重な開示をくれた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示によると、鍼灸、手術、マッサージの外面治療などは私に不向きの可能性があり、私の調子により、これらの方法は副作用が起きやすい可能性があるそうだ。以前、鍼灸の治療を受けたた後、いつも体の具合が悪くなって熱も出したことを思い出した。リンチェンドルジェ・リンポチェは立派だと、私は賛嘆した。私に会わなかったのに、体の調子を知っていた。私は長い間探し続け、達人たちにも会ったが、3年以来、初めてこんなに明確に言ってくれる人が現れた。その時、私は外地で入院して検査を受けた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにまだ会わなかったが、上師に対して無比の信念が生じた。自分の上師を見つけたんだと、自分に言い聞かせた。

長年仏法を学び、密宗の修行をしていると自称する女性の居士に追随したこともあるが、その人の問題に気付いたので、遠ざかることにした。また、博士号の勉強をした期間もたくさんの高僧とリンポチェと知り合った。しかし、皈依したい思いと縁は何故かなかった。いつになれば、自分の根本上師に出会えるかをずっと思っていた。10年近くの時間もかけた。入院期間、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの著作『快楽と痛苦』をじっくりと拝読したし、廖兄弟子の薦めで寶吉祥仏法センターのウエブサイト上の度衆事績を読んでいた。読んでいるうちに涙が流れて止まらなかった。皈依したい上師、具徳如法、戒律厳密で、仏法のために己を構わず、大慈悲、大知恵と大神通力を有するリンポチェが現れたと分かった。そのため、廖師兄に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェこそ、体、慧命を含めて私を助けてくれる人だと、メールをした。私にとって、慧命は命よりも大事だ。命を失っても仏法の慧命を続けたい。それで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会見する前に、私は皈依を求めることに決めた。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会見するため、私は準備を始めた。廖兄弟子は、皈依弟子は菜食をしなければならないと言ってくれた。私は2008年に菜食を始めたが、意志が強くなかったので、何回か中断したが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会う前に、再び菜食を始め、今後は一切肉食をしないことを固く決めた。また、占いを受けることもせず、正真正銘の仏弟子になろうと決めた。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と旅行会社のお蔭で、早くも入台証(台湾の入国ビザ)を取得し、その翌日に台北行きの航空便に乗った。その間、いろんな状況があったが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持があったので、とうとう今年6月26日午後、願った通りに寶吉祥仏法センターに来られた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がった後、信衆を接見し始めた。私は下で待っていた時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の顔を遠く見たら、すぐ泣き始めた。泣き続けて止まらなかった。私の番になり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの前に跪くと、私は思わずふるい上がった。心の中に大変感動と感激が湧いた。万里を超え、長い時間もかけ、やっと、内心で本当に皈依したい上師に出会えた。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に慈悲の方だ。私に長く開示してくれた。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた、今生に肉を食べたら、悪業があると教えてくれた。上師は更に『今までたくさんのお経を念誦してきたが、如法に実践していない。病気は必ず悪いこととは限らない。病気がなかったら、放下できないだろう。』と話してくれた。また、乳房のガン細胞は水滴状に散らかって分布しているから、手術では難しいと教えてくれた。私の病気に関する上師の判断は、病院で精密機器で検査された結果と同じだった。その後、上師は私の頭頂部に長らく加持してくれた。その時、涼しさを感じたが、間もなく汗まみれになった。加持し終えたら、上師は、その翌日に施身法法会に参加しなさいと言ってくれた。来る前に『快楽と痛苦』の中で施身法のことを読んだので、台北に来たら参加できるかなと思っていた。台北に来た週はちょうど施身法法会が開催されたので、上師は慈悲の心で衆生の願いを満たしてくれることに、私は思わず賛嘆した。

そして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが何のために来たかと聞いてくれた時、私は迷わず、皈依したいと返事した。そうしたら、上師は私を見て『いいだろう、皈依を認める。登録に行きなさい。』と応じてくれた。周りの兄弟子たちは皆喜んでくれた。皈依を求めるのが容易ではないと、私は初めて分かった。初めての会見で皈依を求められた。私は大変幸せだ。上師の大慈大悲に感謝しなければならない。皈依が認められた瞬間、私は体中楽になった気がして長年来人に言えなかった死亡と病気によるプレッシャーはそれで解消され、心は大変落ち着いた。具徳の上師について仏法を学べるようになり、死も生も帰属があると思えた。これも上師の大加持力と大摂受力のお蔭だと、私はよく分かっていた。

会見の時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、私の子宮が大変よくないと指摘し、中絶したかと質問してくれた。妊娠は一度もなかったと私は答えた。下がった後、一緒に来た廖兄弟子は、上師の言葉に間違いはないから、よく考えなさいと言ってくれた。結局、12年前に、一緒に部屋を借りた女の子が病院で中絶手術を受ける時、同行したことを思い出した。その時の先生は私が人に頼んで紹介してもらった。そうしたら、廖兄弟子はこのことを上師に報告するようにほかの兄弟子に頼んだ。これは共業だと上師は開示した。当時、その女の子がかわいそうから、手伝っていると思ったが、このような無知で悪業を犯したことに、私は全く気付かなかった。上師は大知恵で指摘してくれたので、本当に感謝している。皆さんにも私のことを戒めとして思うことができたらと思う。その翌日の施身法法会の時、私はその生まれなかった小さな命を観想した。法会終了後、上師は、その日の来た者は全部済度されたと話したので、私は大変感動した。

上師に会って加持をもらった日の夜、傷口からの膿はそれまでになかったほど少なくなった。そして、翌日施身法法会に参加した後は更に少なくなった。特殊なくっつけないコットンを紹介してくれた兄弟子がいた。漢方軟膏を塗ってからコットンを貼れば、傷口を引き裂くことも、服にくっつくこともなくなった。それまでに傷口による外出時の不便は解決された。また、私は漢方診療所で診察を受け、最上級の漢方粉薬を飲むこともできた。身も心も完全に上師に世話してもらった。台北にいた時、多くの兄弟子も、上師に助けてもらったことを語ってくれたので、私は感動で胸が一杯になった。

台北から北京に帰った後、最初にすることは入台証の申請だった。7月のブータンのツアーを申し込んだので、入台証の許可時間は7月24日だった。しかし、その週になったら、大事なことで出発できなかった。7月26日に皈依法会がある連絡があったので、皈依の心は固いかどうか試された。私にとって如法の上師に皈依することより重要なことはなかったので、いろんなことを克服してようやく7月26日の早朝に台北に到着し、午後の皈依法会に参加して正式に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子になった。

外地にいるので、法会に毎週参加できない私は、台湾にいる兄弟子たちが羨ましい。過去世において仏法を大事にしなかったせいか、こんな果報ができただろうと私は思った。だから、今生に運がよくて具徳の上師に皈依できたから、倍以上に大切にしなければならない。新しく皈依弟子として、私はまだたくさん勉強しなければならない。毎週の日曜日、台北道場で法会が開催される時、私は北京で壇城前に静座して伝法のカセットテープを聞くようにしている。普段も以前の済度事績と行程日誌を読む。読む度にたくさんの収穫があると思えた。上師に大変感服した。私の博士号の研究テーマは仏学で、たくさんの有名な専門家の授業も聞いた。仏法に関するリンチェンドルジェ・リンポチェの解説は、とても分かりやすく、明白で深く入っているものだ。それまでに聞いた何れの教授の説明に比べれば、全然劣らない。というよりも、上師には実修、実証があるので、それらの授業よりも勝っている。

ンに関する上師の開示に、『特にガンの患者は、人からの批判を受けなければならない。あなたを批判する人の何れもあなたの業を消している。自身の間違いは何かをあなたに気付かせている。何故ガンに罹ったのか。瞋恚心がひどかったからだ。』という話があった。この段落を読んだら、上師は私に言っているように思えた。自分はいい人だから、人は私を傷つけてはいけないとずっと思っていた。自分の瞋恚心も認めなかったが、本当はたくさんの間違いを犯した。皈依法会に上師の開示した言葉、『皈依は借りへの返しを速めることだ。』をよく覚えている。特に私のようなガン患者は、因果が現れたので、もっと因果を深く信じ、常に注意しなければならない。

ここで、私は真心で深く懺悔したい。今生に蛇、ドジョウ、タニシ、ウナギなどの水産物、及び家畜家禽等などの動物の肉を食べたことを懺悔する。小さい時から常に嘘をつき、子供の時両親の財布内のお金を盗んだことを懺悔する。邪師の言葉を信じて両親を傷つけ、そのせいで両親は未だに仏法に対して信念を持てないことを懺悔する。以前の主人に憎しみを抱き、私を傷つけたから、学校の先生たちと友達の前で彼を批判したことを懺悔する。また、自分の親不孝、邪淫、そして、内心で他人の悪口を言う行為など、いろんな悪業を懺悔する。意固地で小賢しくふる性格、ケチ、集中力を欠ける心など、いろんな悪習を懺悔する。

道場の兄弟子たち全員は関心と助けをくれて温かく感じさせてくれた。このことにも感謝したい。また、皆さんの前で上師の功徳を賛美する機会をくれることに、もう一度上師に感謝したい。6月に上師に会った時から、僅か4ヶ月だが、上師に面倒と加持をしてもらったことは数えきれない。それらのことは、後日機会があれば、皆さんと分かち合いたいと思う。私の体のことだけでも、十数年来腫れたままの甲状腺は、腫れがだんだん消え、左乳房の傷口からの膿は少なくなり、傷口も縮小する傾向がある。私は、健康のこと、傷口はいつ完治できるかのことをもう心配しない。上師の慈悲心と大威徳力はあらゆる所に現れ、衆生を見捨てない。私は、完全に上師、仏法を信ずるだけのことをしたらいい。

続きに、皈依後、壇城の設置で上師に尋ねたことについて語りたい。北京に家の仏壇に仏像と結縁品がたくさんあり、どう整理したらよいかも分からなかったので、無謀に処理することはできなかった。上師に会った時、視線を集中せず、上師を見なかったので、敬う心がないと上師に叱れ、道場の奥で30分間反省するように言われた。道場の奥に座って自分の恭しさを欠けた態度を深く懺悔し、上師の加持が得られて死亡の危機は解消されたからと言って懈怠してはならず、真摯な初心を忘れないように自己反省した。30分後、上師は師兄を来させて私を呼び戻し、自分の間違いは何かが分かったかと私に聞いた。私はその場で、自分の貢高我慢を懺悔した。上師は、仏壇の整理と壇城の設置をゆっくりと教えてくれた。弟子として、私は上師の教法の殊勝さを深く感じた。叱責も叱りも全部弟子のためだ。弟子は専念に上師の教えを守り、生死解脱と輪廻解脱の決意を固めなければならない。上師はこの世間私たちの周りにいる仏だと私はつくづく感じた。私たちは弟子として、上師を仏のように思い、尊重しなければならない。最後に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が安康で、法輪が常転し、仏法事業が興盛になり、直貢噶舉の法脈が永遠に伝承されることを祈る。

皈依弟子 第一組 熊江寧 謹んで書き上げます
2015年10月25日

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2016 年 02 月 29 日 更新