733:圓教――人々は大乗仏法において乃至一句一偈を恭敬信受を以て聴聞したら、仏道になることを決めます。

我々は仏や大菩薩と近いほどの、とてつもなく素晴らしい上師に巡り会えました。それは極めて貴重で有り難いことです。私がかつて聞いた経典の講釈は、すべて大修行人によるものでした。けれども彼らは自分の話を用いて講じようとはしなかったです。別の経を用いて、その字を講釈しようとするため、聞けば聞くほど文が多くなり、聞けば聞くほど複雑になりました。もともとはただ一つの文字であったのが、聞いていく内にたくさんの文となりましたが、その数文の意味も非常に深いため、聞き終わってもやはりはっきりとは理解できないでした。けれども、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は自性から出発され、一般人の生活と内心にとても近く、真の仏法に近いです。

尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェが光明雲につい説明くださった時、すべての物質は電子とプロトンの形態で存在すると仰せになりました。非常に多くの電子そのものが雲状で、電子とプロトンとは構造は同じですが、性質が違い、異なるものになります。上師と仏菩薩の加持エネルギーは雲の様子に変わり、分子の構造を変えます。みなが眼にするたくさんの聖跡と不可思議な現象は、つまりこのように出現するのです。なぜならエネルギーが放出されると、電子雲の形態に変わるからです。

尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェがこのような開示を拝聴した時、非常に生き生きと具体的で、一枚の絵が眼前に出現したかのように感じ、とてもはっきりと理解することができました。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェが自性から描写されているからで、誰もが眼前に絵が出現したかのように感じられることで、理解に近づくからです。我々の身体はすべてこのように加持を得て、異なる構造を生じ、聖跡が出現します。これは不可思議な仏法の加持力なのです。

尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェは普通の菩薩ではなく、すでに非常に高く深いところまで証量された大菩薩であられると感じます。仏法の醍醐灌頂についてしばしば耳にします。上師リンチェンドルジェ・リンポチェのすべての開示は、上師リンチェンドルジェ・リンポチェが智慧を用いて経典をすっかり消化なさった後、最も理解しやすい方法を用いて、最も良い養分をみなにくださいます。これこそ醍醐灌頂なのです。少し聞くだけで理解でき、心は加持を受け取り、光を発します。光明雲とはこれに似たものなのでしょう。みなはエネルギーを受け取ります。それは極めて喜ばしいことです。一字、一句、一偈をしっかり聞きさえすれば、成仏するまで、第八意識田に非常に深い影響を植え付けることができます。この種の加持力、開示はみなに影響を与えます。学仏の道において、成仏に至るまで、この種の加持力の大きさは想像をはるかに超えるものです。

このような上師に巡り会えたことを、私は心から感謝します。自分が上師の開示をしっかり聞き、しっかり領受できることを願います。なぜなら上師の開示はすでに一般の形式、時間、空間を超越しているからです。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて、仏菩薩は仏法を開示なさる際に、我々の面前に来られる必要はないと開示くださいました。我々の上師はすでにこの種の能力をお持ちなので、仏法の開示に際し、この種の方式を必ず用いなくとも、我々に体得させることができるのです。特に日曜日に、上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示くださる際、子供や重病で昏睡している人は理解できませんが、それでも同じように加持を受け入れることができます。これから、上師リンチェンドルジェ・リンポチェがすでに時間、空間の形式を超越し、すでに仏菩薩の程度に至っていることが分かります。この種の加持は言語や文字が不要で、その場で受け入れようとし、チャンネルが一致し、歓喜を以て受け入れることを願いさえすれば、成仏するまで、生生世世で用いることができるのです。

仏もこのように我々に授記くださいます。今日我々は少しの仏法を領受し、みなが今後必ず成仏できることが保証されました。これは上師と仏がひたすら行ってくださっている事です。けれども、我々にできるでしょうか?我々にどれだけの徳行、どれだけの福報があり、どれだけの好事を行っているでしょうか?今日このような情況に遭遇しながら、我々はなおその中の貴重性について知らないです。私はみなに呼びかけたいです。上師の開示を聞く際には、落ち着いてしっかり聞き、吸收し、しっかり行おうではありませんか。我々がしっかりと聖教を領受し、信受奉行しさえすれば、このような一字、一句、一偈が我々の身上で効果を生むのです。無量無辺の仏法が現在からひたすら広がっていき、ひたすら行っていけば不可思議な利益を得ることができるのです。みなもこの点を弁えなければならないです。そうでなければ、このような上師に巡り会えた幸運を無駄にしてしまいます。

皈依弟子 第一組 慧誠卓瑪 恭撰
2015年5月23日

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2016 年 04 月 05 日 更新