715:上師が弘法、衆生済度のはどんな遠くても届くもの
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、尊勝なる直貢チェツァン法王、歴代祖師、アキ護法、諸仏菩薩に頂礼します。皆様私は第五組李順敏です。上師が自分と家族を助けたこと、及び皈依の理由、そして過去の悪行悪業に対する懺悔を語る機会が与えられたことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しました。
私は1972年に家族と一緒にアメリカに移住しましたた。当時、私は大学1年生でした。そして、アメリカで教育を受け、働き、家庭を作りました。40数年もアメリカに住んでいました。2010年10月、私は胆嚢の大手術を受けた後の術後休養をしていました。ある日突然、私はあることを思い付きました。その時、私の教派の上師も白教の直貢噶舉を受け継ぎましたが、直貢噶舉のことについて話すことは一切なかったです。しかし、その日、私は大変好奇心が湧いて直貢噶舉の伝承を知りたくなり、インターネットで「直貢噶舉」のキーワードで検索しました。その時、尊勝なる直貢チェツァン法王の公式サイトが現れました。中には直貢噶舉の伝承について詳しい記述があり、私は拝読した後ノートを取りました。

寶吉祥仏法センターの公式サイトのホームページ
そのサイトを閉じようとしたところ、どの指でどのボタン―を押したかが分からないですが、画面は瞬間にチベット仏教直貢噶舉寶吉祥仏法センターの公式サイト「衆生済度の事跡」のページに移りました。それは大変不思議なことでした。後になって、寶吉祥仏法センターの公式サイトから尊勝なる直貢チェツァン法王の公式サイトへのリンクはあるが、尊勝なる直貢チェツァン法王の公式サイトから寶吉祥仏法センターの公式サイトへのリンクはないことが、私は分かったです。今、私は当時いったい何をしたかをやってみようと思ってもできないです。私は、福報が少なくて因縁が浅い、しかも根器が悪い自分を含め、虚空にいる衆生を、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲で済度してくれたことに、誠意を込めて感謝しました。
私は衆生済度の事績を読んだ後、心は大きな衝撃を受けました。世の中に、こんなに大変不思議で強い力を持っている上師がいるなんて私は思いました。生老病死の何れの災難と困難を問わず、誰でも誠意と恭敬心を持って祈ったら、この上師は独特な方法で助けて解決してくれます。しかも、この上師はまめに弟子たちを厳しくしつけています。私はほかの道場で聞くこともなかったし、見ることもなかったです。
その後、私は寶吉祥ブループに電話し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの著作「快楽と苦痛」を注文しました。拝読した後、私は身の程を知らずに、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにメールを送りました。当時往生して49日も経たなかった母親を済度するようにお願いしました。更に母親の代わりに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養金を送りたいですが、どうしたらよいかと尋ねました。同時に、自分はサラセミア体質であるため、医者も家族も菜食に賛成してくれなかったですが、どうしたらリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できるかも尋ねました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生のため、殊勝な施身法を修める

リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に李順敏(右)の母親(左)を済度したが、供養を受け取らなかった。
大慈大悲のリンチェンドルジェ・リンポチェは、その月の施身法法会の時に私の母親のために済度すると返事し、私のサラセミアは因果であり、菜食とは関係ないと開示しました。返事の中にも、ある男性弟子はひどいサラセミアに罹っていましたが、皈依して仏法を学んだ後は大きい改善が見られたと述べました。私は大変感動、感謝しました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自分を加持してくれたから、迷うことはないと、私は思いました。その日から私は菜食を始めました。その後、私は母親の供養金を台北のリンチェンドルジェ・リンポチェに送りたかったため、何度も骨董店に手紙や電話で送金の方法を尋ねました。しかし、返事は全くなかったです。ほかの道場では済度するのに決まった費用があり、事前に納付しなければならないです。皈依弟子でなければ、慈悲のリンチェンドルジェ・リンポチェは供養を受け取らないことが、私は後になって分かりました。これも、この大修行者は無私無欲で衆生を利益していると私は体得しました。それから、私は何回か夢の中で母親を見ました。若い頃の微笑んだ模様でした。自分の母親は慈悲なる、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの済度をもらっていいところに行ったと分かり、私には無限の感謝に満ちる気持ちでした。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェから、「隨縁皈依」と「真の皈依」の違いについて慈悲なる開示をもらった後、私は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは法に従う具徳で有り難い上師だと深く感じ、専念に追随して仏法を学習すべきだと思いました。こうして、私はこっそりと当時修行していた道場を離れ、2011年2月中旬にアメリカから台北に戻り、寶吉祥仏法センターに来て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに会見を求め、皈依したいと申し込みました。私は、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる同意に感謝し、2月27日に正式に皈依して寶吉祥の弟子になりました。
皈依して間もなく、ある兄弟子は、かつて自分は夫婦関係で2年間も大変悩まされたことを私に話しました。ちょうどその期間に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはよく夫婦関係のことについて開示したので、その師兄はリンポチェの開示通りに従って実践しました。2年後その悩みは円満に解決され、普通の生活に戻れました。その師兄は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに大変感謝しました。その話を聞いて私は「その2年間、何回かリンチェンドルジェ・リンポチェに会見を求めたか」と聞いたら、その師兄は「1回もなかった」と答えました。私は大変驚いた。上師の加持を求めなかったし、個別的な指導をも求めなかったのに、How is it possible?大変不思議に思いました。
しかし、それから少し時間が経って同じimpossibleのことが私に顕れました。その頃、私はアメリカの家にいて常に眩暈を感じました。検査を受けてサラセミアで血色素が7.1までに下がったと医者に告げられました。更に下がり続けると、入院して輸血を受けなければ、命に危険があるため、クリニックに行って採血検査をするように何度も要求されました。数年来、私は数えきれないほど何回も輸血を受けました。でも、その時私は以前みたいな怖さはなかったです。輸血を受けないと決意しました。ただ、心の中で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを観想していました。リンチェンドルジェ・リンポチェが正知正見の仏法を教えてくれたことに、私は感謝しました。私は大変心強かったです。死亡の可能性に対面しても怖がらず、心は落ち着いていました。
数日後、家庭医療クリニックの看護婦から電話連絡がありました。血色素は正常に戻ったから、再検査に行く必要はないと告げられました。その時、私はとても信じれなかったです。そして、検査報告上の名前は間違っていないかと看護婦に確認してもらい、間違いなく私の名前でした。電話を切って私は大変嬉しかったです。いつものことだったら、血色素がそれほど低く下がった時、血色素が7.1、7.2、7.3からゆっくりと戻るために、大変長い時間をかけて体調を回復させなければならなかったです。それでも、数値はまた下がったりしたし、その場合、正常の指数に回復できるまで3~6月或は更に長い時間が必要でした。しかし、その時、僅か3~5日で私の血色素と体調は正常に回復出来ました。とても不思議なことでした。私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる加持に感謝しました。私はアメリカにいましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持力は確かにどんな遠くても届くものです。
また別のこともありました。私の息子はロースクールを卒業する6ヶ月の前に、某弁護士事務所の内定がもらいました。通常に、アメリカのロースクール卒業生の半数以上は弁護士の仕事を見つけられないですが、私の息子は同クラスで100数名の卒業生の中では成績の順位は下位のほうでしたのに、早くも卒業の6ヶ月前に理想的な仕事を見つけることができました。クラスメートは大変羨ましかったです。全ては尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる加持に感謝すべきです。
皈依後の2、3年間、私はいつも祖師ジッテン・サムゴン記念大法会、阿弥陀仏無遮大済度法会、日本とインドの法会の前後に帰って来て参加しました。いつも大変急いだです。2、3週間の短期滞在で早くアメリカに戻って家族の世話をしなければならないと、当然なことだと思っていました。一昨年、私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会見を求めた時に、それまで20年間の信仰により、阿弥陀仏と浄土、仏と仏法を中傷した深い罪について懺悔しました。その時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、私に累世の邪見があったから、今世に邪師に出会って邪教を信仰するようになったと開示しました。同時にそれらのことを書くように私に指示しました。
アメリカに帰った後、私は報告を書き、念入りにまとめた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは貴重な教えを用いて自分の以前の信仰は大間違いだと教えてくれたことに深く感謝しました。それまで、私の信仰は五毒を増やすためのもので、生死の輪廻を解脱するのとまったく正反対のものでした。私は今になって阿弥陀仏と浄土の殊勝さと有難さがやっと分かりました。報告を完成した後、私は台北に戻り、恭しくその報告を尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに呈上しました。その時、リンポチェはその報告をある出家衆の兄弟子に渡すように指示しました。後から考えて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはその時から、今後の学仏過程を私のためにいろんな手配をし始めたと私は思えました。ただ私は愚かだったから、その時は理解していなかったです。
数日後、先の出家衆の兄弟子に、その報告を読みましたが、中にはポイントが書かれなかったと指摘されました。私は大変びっくりしました。ずいぶん時間をかけて何度も修正して数ページの内容にまとめたから、完全な報告になっていたはずなのに、何故ポイントが書かれなかったと指摘されただろうと思いました。その出家衆の兄弟子はそして、「私たちは稀で有り難い具徳の上師に出会えたのに、帰って来て上師について学仏しなかったら、もったいないのではないか」と私に言いました。
その出家衆の兄弟子と話した後、私は恥ずかしく思いました。いつもバタバタして大法会に参加するため台北に戻って来ましたが、全く深入りしていなかったです。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏法を学習していると口でしていましたが、本当は自分自身の思い込みと見せかけだけでした。本当に学べたことは何でしょうか。実践したことは何でしょうか。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの『仏子行三十七頌』に関する開示を私はじっくりと考えました。私たちの累世の眷属は海の波みたいに多くあり、漂って数えきれないほどあります。そして、私自身を輪廻の苦海から解脱させ、浄土に往生させるために、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはそれを助けてくれるたっだの一人であり、累世累劫でも出会うのが難しい具徳の上師です。今世の眷属と輪廻の家庭を世話するため、この珍しく有り難い仏法学習の機会をちゃんと把握できなかったら、あまりにも愚かです、無知です、この一生を無駄にしてしまうじゃないかと、私は思いました。
また、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェも、精進して仏法を学び、浄土に行って修行できたら、衆生を利益することもできると開示したことがあります。家族も衆生なので、利益を受けることもできます。更に、上師は何度も仏法学習を人生の最も重要なこととして扱わなければならないと訓戒してくれました。自分は教えに従ってしっかり実践せず、輪廻の家と今世の眷属を最も大切にしていたことを、私は懺悔しました。私は呈上した報告の中で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対する感謝を繰り返して述べましたが、それだけでした。行動で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに追随して本気に仏法を学びたいとの思いはなかったです。行動で示さない感謝は偽りで表面的、しかも意味のないものだと、私は分かりました。これこそ、私はポイントを書かなかったと、その兄弟子が指摘してくれた原因です。
こうして、私は去年4月に旦那さんと相談しました。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教える仏法は大変殊勝であり、毎週の合同修行法会と日本の法会などに参加したいため、自分は6月に台湾に戻って少なくとも3ヶ月滞在して上師について仏法学習をしたいと相談しました。旦那さんはどんな反応するかは、その時私は知らなかったです。以前、顕教を信仰していた時、法師の講経を聞くために外地に1ヶ月行きたいと言ったら、旦那さんはいつも不快な顔をしていたのに、今回は意外にも、旦那さんは、自分で自分の世話をするから、大丈夫だと、何も考えずにすぐOKしてくれました。
私は大変嬉しかったですが、その場は無理して気持ちを抑えました。旦那さんを3ヶ月離れるのはそんなに嬉しいことかと、旦那さんに誤解されたくなかったからです。こうして、私は台湾に3ヶ月滞在しました。去年9月にアメリカに帰る予定の航空券を持っていましたが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生のために殊勝な「瑪尼念誦法門」を開いてくれることになっていたため、私は旦那さんに、帰国時間を更に3ヶ月延期することを相談しました。それで、私は上師に追随して道場で1億回の「瑪尼念誦法門」を円満し、日本京都道場の地藏王菩薩祈福法会にも参加しました。アメリカに帰る前に6ヶ月も台湾に滞在しました。

ひどいサラセミアに罹っている李順敏は上師に従って、順調に標高4500メートルのチベット祖寺に到着した。
私には分かっていました。それらの全てが順調になれたことは、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持と手配のお蔭でした。私は罪深い弟子、以前のような表面的な仏法学習では、世の無常と業障が顕れる時に私は決して対処できないはずだと、慈悲、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは知っていました。千万元もの負債を抱えている人だったら、毎日1、2時間のパートをして安い給料を稼ぐだけでは、その巨額の債務を返すのはとても無理だということと同じです。報告を書くように私に指示した同時に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲の心で私のために、後日の仏法学習の過程を手配し、たくさんの障害を排除してくれました。
これは私たちが上師を離れてはいけない理由、上師が私たちを必要としているのではなく、私たちには上師が必要です。今、私と旦那さんとの間に共同認識と理解ができました。私は毎年必ず台湾に6ヶ月以上滞在します。近い将来に、家族全員が台湾に定住できることを、私は期待しています。また、私も自分をよくするために努力を重ねなければならないです。眷属は自分の仏法学習を阻害しないのがいいのだが、更に大事なのは、仏法を学習するよう彼らを導くことだと、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが法座にこう開示したからです。
私は去年6月に台湾に戻る前に、体調が大変悪かったです。心臓、胃腸とほかの問題で殆ど食事ができず、睡眠もよく取れなかったです。体力は極めて弱くて体重も10キロほど急減しました。台湾に戻った後、たくさんの兄弟子が気遣ってどうしたのか、どうしてこんなに痩せたのかと聞いてくれました。私は何か不治の病にでも罹ったのではと、たくさんの兄弟子が心配してくれた。組長もよく電話で私の健康状況を聞いてくれました。その頃に台湾に戻って毎週の合同修行法会に参加し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの莫大な加持力を受けて体がだんだん元気になり、私はとても喜びました。
当時のことを振り返れば、その時仏法学習のために台湾に戻ることを決めなかったら、すぐにでも入院したかもしれないです。去年、私は台湾に滞在した期間、よく日本食品店に行って日本食品を購買しました。たくさんの食品は自分の胃腸の消化によかったと分かったので、日本食品を大量に食べるようにし始めました。ある日、日本ツアーの師兄たちは日本食品に関する経験を話し合いました。その時は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのしている全てのことは衆生に最適なことだから、日本食品店で販売されている商品は自分たちに必要な食品という結論が出されました。
その原則を以て私は1月上旬にアメリカに帰った頃に、十数箱の日本食品を航空便でアメリカに送りました。切れそうになる食品があったら、台湾の友達に頼んで買ってアメリカに送ってもらいました。暮らしに必要な7つのものはまき、米、燃料、塩、味噌、酢、茶ですが、まきを除き、私の家で食べるものは全て日本食品でした。時々アメリカのスーパーに行きましたが、私は果物と野菜以外のものを一切買わなかったです。このように日本食品を大量に食べ続けて数ヶ月後、私の胃腸の問題は完治しましたし、心臓の問題もほとんど顕れなかったです。食べるのも寝るのも大変よくなり、体は以前よりも元気になりました。私は以前高価の米国製薬品と健康食品を買っていましたが、それらのものも全然食べなくなったです。今回、5月中旬に私は台北に戻って来ました。道場に入ると、私は前回に比べて顔色も元気も大分よくなり、去年とは全然違うと、言ってくれる兄弟子もいました。
私が食べた食品の中で一番役立つのはわかめの味噌汁でした。しばらく毎日2パック飲み続けたら、ひどかった胃内ガス貯留の問題も消化の問題も治りました。何故そんなに効き目がありましたか、私は驚いて好奇心を抱きました。そして、インターネットで検索したら、この発酵済みの味噌には特に優れたプロバイオティクスが入っており、胃腸の調理に大変効き目があると分かりました。奇妙なのは、私は以前台湾に戻った時いつも下痢、脱水の不具合がありましたが、今回は、毎日わかめの味噌汁を2回飲んでいるから、以前あった不具合は全く顕れなかったです。
ほかに、私の旦那さんは医者で、ここ数年の健康診断でいつもトリグリセリドが基準値を超えて300以上だという結果を出しました。同じ医者である同僚にトリグリセリドを下げる薬を飲むように勧められました。その薬はアメリカで医者を含めるたくさんの人が飲んでいる薬ですが、肝臓と腎臓に悪影響を及ぼすので、旦那さんは大変迷っていました。去年初、私は1000ccの保温瓶にお湯と1粒プーアル茶を入れて旦那さんの毎日出勤の時に持たせました。旦那さんは6ヶ月中断せずに飲み続けた後、再検査の報告で高かったトリグリセリドは基準値の200までに下がりました。これで薬飲むか飲まないかと旦那さんは悩まずに済みました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはコストを惜しまず、損を出しても最適な食品と食材を探して皆に与えることに感謝しなければならないと、私は分かっていました。
今年5月、私の台湾帰国前に、家庭会議で息子のために宝石店でロゴの入る指輪を購入することに決めました。このような宝をあげることは、ほかの金銭、物品よりも遥かに意義があると思ったからです。このロゴの指輪を通して息子にも、リンチェンドルジェ・リンポチェに追随して仏法を学ぶ因縁と福報ができたらと、私は望みました。
この機会で、私は懺悔を表しました。「自分は若い頃、責任を恐れて中絶を2回しました。流産も1回しました。慈悲心がなくて、ゴキブリ、アリ、蚊、ハエ、蚤など無数の衆生を殺し、鶏、家鴨、ガチョウといろんな魚介類などの衆生の肉をも食べました。貪瞋痴慢疑、両舌、邪淫、悪口、盗みなどいろいろな悪行も犯しました。私は今ここで懺悔し、今後一切犯さないことを決意します。」
私は更に深く懺悔しました。「貪瞋痴で日本の邪教を20年も長く信仰していました。仏陀を信じず、阿弥陀仏と浄土を中傷しました。自分が信じていたほか、他人にも信じるように教えました。その罪は大変重いです。今は幸いにも、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できました。さもなければ、将来の運命はとても考えられないです。更に懺悔しなければならないのは、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して本当の恭敬心、懺悔心、感謝の心を持っていなかったことです。多くのことについては、常に当たり前だと思い、教えに従ってしっかり実践しませんでした。皈依の当初も加護、加持を求めるような心構えで仏法を学んでいました。凡人の考えと観点で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを批判したこともあります。それらの悪言、悪行を思い出して自分は懺悔を繰り返さなければならないし、この一生をかけても、自分に大恩大徳のある尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して恭しく祈り、懺悔しなければならないです。」最後に、私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が健康で、法輪が常転し、この世に常住すると共に、仏法事業が興隆になり、そして直貢噶舉派の法脈が永遠に伝承されることを祈りました。
皈依弟子 第五組 李順敏 謹んで書き上げます
2015年8月2日
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2016 年 10 月 02 日 更新