713:2015年チベット聖地巡礼の分かち合い

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、尊勝なる直貢チェツァン法王、歴代伝承祖師、アキ仏母及び諸仏菩薩に頂礼します。兄弟子及び大徳各位はこんにちは私は第三組の柯易先です。今回私と一緒にチベットに行った母は第一組の柯淑惠です。私は母の付き添いでチベット聖地巡礼の体験を語る機会が与えられたことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しました。

「まずは縁起を簡単に話したいと思います。私は2014年9月7日に、母と一緒に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した因縁と経過を話しました。子供の頃は病弱の関係で母と一緒に、リンチェンドルジェ・リンポチェから本当の仏法で済度と助けを受ける機会が得られました。

入院で腎臓移植を行っている時期の模様

私は糖尿病、両眼網膜剥離の手術、透析と腎臓移植を経験してきたので、チベットは遥かでとても行けない所だと私は思っていました。しかし、初めて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会った後、体に大きな変化が起こりました。血色素の数値が大幅に増加したのは最大な変化の一つです。過去病気の時は最低の7くらいに下がったこともありましたが、ちょうど血色素が最高基準、つまり17から18くらいに達した頃、今年の9月に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに追随してチベットに行くことができました。

網膜剥離を起こしたから、片目しか見えなかったです。

今回の旅において私は風邪で一回の注射を受け、そしてちょっと酸素を吸入したほか、高山病の症状はほとんどなかったです。ほかは全部無事だったので、大変驚きました。私は今回チベットの旅に出かけた弟子たちの中で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに加持してもらった一例だけです。弟子たちを助け、チベット聖地巡礼の因縁を賜ったことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を申したいです。

旅行路線は台湾から西安へ、そして航空便でラサに向かいました。西安に到着した時、何れのレストランやホテルも入り口で『歓迎直貢噶舉派寶吉祥仏法センターリンチェンドルジェ・リンポチェ御一行様』の看板を用意して皆の到着を迎えてくれました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの名前がレストランやホテルの入り口に現れたのを見た時、上師はいつでも弟子たちを加持していると、皆は実感し、心が感謝と賛嘆で一杯でした。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子になれて私は大変幸せ、幸運だと思います。また、『弟子がいる至る所に、リンチェンドルジェ・リンポチェもそこにいる』と深く感じました。

ラサ到着後、空港を出て皆は続々とそれぞれの車に乗りましたが、リンポチェが見えたと、チベット人ガイドさんが言った時、弟子たちは期待の気持ちでそれぞれのワゴン車から降りて恭しく出迎えました。そして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが空港から出てきたのを見た途端、心は大変感激でした。間もなく、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら300人の弟子を連れてラサを出発して直貢梯(ティ)寺に向かうのを皆は知っていたからです。

ラサ市内に向かう途中、上師の車が先導して30台近くの車に分乗した弟子たちをリードし、その車列は大変壮観でした。ラサのホテルに着いて部屋に入ると、『本当にチベットにいるのか。』と思ったくらい豪華の部屋が目に映りました。ホテルの環境と施設は快適なので、弟子たちはそこで高原の環境にゆっくりと適応でき、十分に休みを取ることができました。また、同行のチベット人医者が5人もいて24時間待機し、皆の健康状況に対応していました。これらのことから、上師は弟子たちのことを極めて気遣い、お年寄りから幼い子供まで沿道で面倒を見ていたことが分かります。祖寺に行く前日、上師は弟子たちと一緒に食事することが分かったので、弟子たちはその日のお昼にホテルの入り口からレストランまで2列の行列を作り、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを敬って迎えました。上師はあらゆる方法を通して祖寺に行く弟子たち全員を加持し続けていると、その時私は感じました。上師に感謝します。

祖寺に向かう日に、母はラサ到着の時に少し高山病の症状があり、数回吐き出し、点滴を打ってもらったので、その日の朝、私たちは後ろの車に乗るように手配されました。具合の悪い弟子たちが乗った車でしたが、お医者さんも同乗してくれました。祖寺への道は途中から道路状況が悪くなり、揺れが激しかったので、同車の弟子たちは嘔吐するだろうと、私は心配しましたが、大変奇妙なことに、車の揺れは激しかったが、母を含めて車内にいた不具合の弟子たちは皆無事でした。チベット人ガイドさんも沿道で携帯電話を使ってよく知られる英語の古い歌を聞かせてくれたので、皆はリラックスしていました。まして、帰り道でガイドさんとずっと話していた弟子もいました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに随行して皆の調子は妙によくなりました。本当に上師に感謝したいです。

車列が祖寺のふもとに到着したら、暫く停車しました。山腹に祖寺と金頂が明らかに見えてきました。その時私はただ『本当に直貢梯(ティ)寺に来た』という思いしかなかったです。そして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの乗車が先に祖寺に入り、ほかの車も後について行きました。祖寺にいた時、上師はいつも一番前でリードしていました。行動の速度からはとてもお年寄りのように見えなかったです。私の乗った車は最後に祖寺に到着した一台でした。ほかの弟子の話によれば、弟子たち全員は大殿に入って一回りをしましたが、上師は上のほうに着いた時からずっと修法し続け、その後は大殿で全部の弟子の到着を待っていたそうです。

大殿に入ると、全員は一回りした後に上師の前に行って頂礼しましたが、その時私の心は再び大変感激しました。その気持ちは、仏の宮殿を一回りした後に中央の菩薩に頂礼したような感じでした。その後、上師は主殿での修法を終え、晴れていた天気は太陽が出ていたのに細かい甘露雨が降りました。本当に奇妙でした。それから、上師は休憩室に入りました。当日、現場の寶吉祥弟子全員は祖寺のラマたちから手厚い接待をもらいました。それは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお蔭でそんな待遇が受けられたと、私たちは分かっていました。もう一度上師に感謝を申したいです。

昼食の時に、間もなくアキ護法殿に行くと、弟子からの知らせがあったので、皆は上師が休憩室から出るのを迎えました。その後、上師は再び一番前で皆をリードして更に高い所にあるアキ護法殿に足を運びました。私は、母とほかの弟子たちと一緒に前進した時、ハゲタカがますます多くなり、アキ護法殿の法に飛んで行き、飛び回っていたことに気付きました。そこは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが到着した所でした。アキ護法殿への道は上り坂で歩きにくかったです。歩きながらも『リンポチェは速く上に着いたね』と思いました。最後に、上師が言ったように法界眷属のように、弟子たちは助け合い、共に歩いて続々とアキ護法殿に到着し、そして、指示に従ってアキ護法殿を一回りしました。

アキ護法殿に入って間もなくラマたちの荘厳な持咒声が聞こえ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは真ん中にに座り、修法したラマたちに囲まれていました。その時尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェも大殿にいた時と同じく、再び弟子たち全員の到着を待っていました。私たちはアキ護法殿から出た後、やがて空の雲は明らかに周りに拡散していきました。大変眩しくて強い太陽の光が空から射して全ての物を照らしました。

2015年リンチェンドルジェ・リンポチェに従って、チベットの海抜4千5百メートルより高い直貢梯(ティ)寺へ聖地巡礼に行きました。

同時にたくさんのハゲタカがずっと飛んできました。列の前にいた弟子は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは修法に少し時間がかかるので、皆にまず休んでもらうと言ったことを教えてくれました。修法に忙しくても、上師は相変わらず衆生、弟子たちのことを思い、自分のことを考えなかったです。上師は修法を終えた後、弟子たちの感恩と感謝を浴びながら、素早く下山して大殿の広場に戻りました。広場に戻った途中、以前梯(ティ)寺に来たことのある弟子と話しました。話によると、以前は小型バスで来ましたが、祖寺のふもとに駐車して歩いて登らなければならなかったそうです。今は道ができたから、皆は車で上までに来られたそうです。また、以前梯(ティ)寺に来た乗車時間は10時間近くもかかり、上師が初めて来た時はジープで道路状況の悪い旅をしてやっと来られたそうです。その時私は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは自身のひどい脊柱側弯症を言ったことがあると思いつきました。衆生、仏法、教派のために上師が持っている一切の力と意志は極めて不可思議です。きっと私たちの想像を超えた苦労と疲れをたくさん耐えているに違いないです。上師に感謝しました。

それから、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは大殿前の広場で弟子たちに開示しました。同時にラマたちは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上して供養しました。そして弟子たちは一斉に声をあげて感恩と感謝を言い、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ見送りました。最後にラマたちは、需要のある衆生たちと結縁できるように、弟子たち全員にハタを渡して数多くの貴重な甘露丸を与えました。受け取った時、私はその数の多さにびっくりしました。本当に上師に感謝しなければならないです。

祖寺にいた最後の時間を利用し、初めて来た多くの弟子は金頂に上りました。本当の金頂です。インターネットのイメージ図や写真ではなく、本当に私たちの目の前にありました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは一体どのようにここの全てを護持してきたかをもう一度考えてみましたが、とても想像できなかったです。

祖寺を離れた翌日はラサ空港から西安に戻りました。弟子たち全員がセキュリティ検査を通過した後、上師はもう一度空港に姿を現して皆と一緒に搭乗を待ちました。今回の旅において上師はいつでも弟子たちの側にいて守り続けてくれていたと実感しました。また、西安に戻った後でも、レストランやホテルでも同じく『歓迎直貢噶舉派寶吉祥仏法センターリンチェンドルジェ・リンポチェ御一行様』というおなじみの文字で皆を待っていました。上師に感謝します。

今回は有り難くて貴重な旅でした。最初から最後まで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはずっと弟子たち、そして需要のある衆生と一緒に同行したうえで、とことん皆のことを気遣って全員を加持していました。

柯易先は自分に腎臓を提供した母の柯淑惠との撮影

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しなければならないです。上師でなかったら、今回はこんなたくさんの弟子がチベットに行けるはずがなかったし、旅中も最高の宿泊と食事を享受できるはずがなかったです。上師がしてくれた一切のことは、仏法学習、生死解脱の道をしっかりと歩めるように、皆にさせたいためでした。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝します。上師でなかったら、私と母を含めて多くの弟子はそんな標高の高い所に行って参拝できるという自信もなかったまま、無事に伝説の直貢梯(ティ)寺に行けたはずがないです。私たちは上師の弟子だから、上師は私たちを加持する以外、何も望まないです。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝します。上師がいつも一番前で弟子たち全員、または衆生をリードし、考えられない障害を取り払ってくれなかったら、私たちは家に帰る道も分からなかったでしょう。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩し、上師に感謝します。またこの旅で同行した弟子たち、及びほかの人、こと、ものに全部感謝したいです。私たちは、精進を図り続け、最も固い決意で、珍宝のような尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従って本当の仏法を学び、全員で生死解脱、離苦得楽ができるようにしなければならないです。こうして上師、仏、親と衆生に恩返しするしかありません。最後に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が健康で、法輪が常転し、仏法事業が興盛になり、直貢噶舉の法脈が永遠に伝承されるように祈ります。

皈依弟子 第三組 柯易先は恭しく書きました。
2015年9月13日

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2016 年 05 月 15 日 更新