711:尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、癌末で死ぬほど痛む夫に輪廻苦海を解脱させて、浄土へ往生させた。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、祖師ジッテン‧サムゴン、尊勝なる直貢チェツァン法王、アキ護法、直貢噶舉歴代伝承上師、諸仏菩薩に頂礼します。皆様こんにちは私は第四組洪雅玲です。法名は慧聯卓瑪です。夫は第七組弟子魏澎生ですが、大腸癌でこの世を去りました。

先週日曜日(6月7日)尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主法くださった殊勝で有り難い長寿仏及ぶ灌頂法会に参加した時、夫は意識が特にはっきりしており、法会の終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りられ、夫の近くを通られた時、側でつきっきりで世話してくださっていた兄弟子は、夫が両眼から淚を流しているのを見たといいます。普通の人は往生時に最後の一呼吸ができないために口を大きく開けますが、夫の様子はそれとは全く違いました。それまでガンに苛まれ、呻吟していた様子に比べると、夫が世を去る過程には少しの苦痛もなく、眠っているかのようでした。

これら一切は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と殊勝なる修法超度のおかげで、夫が浄土へ行けたためで、それに感謝すべきものだと私は分かっています。夫の梵穴に触ると暖かく、しかも唇はピンク色に変わっており、目も口もゆっくりと閉じられ、手も足も柔らかかったです。これらすべては上師が修法くださった後の殊勝なる瑞相です。私は心中とてつもない感激を覚え、上師に感謝申し上げました。夫はついに輪廻苦海を解脱し浄土へ行けたのです。

魏澎生が火葬の後、其の頭蓋骨の梵穴に縁が整然として貫通された丸い穴(赤色の矢印が指すところ)が顕われた。此れはリンチェンドルジェ・リンポチェが死者の為に修めた「ポワ法」が円満に成功した瑞相である。

夫は肛門に長く疼痛を抱えていたため、昨年(2014年)7月末、大病院で大腸直腸鏡検查を受けました。すると異常が発見され、すぐに生検を行いました。一昨年(2013年)10月に行った健康診断の結果は正常だったのです。医者が二週間出国したので、私たちは不安な心を抱えて帰宅しレポートを待ちました。

切片を行ったため、夫は肛門の痛みが強くなり、大便の回数もどんどん多くなっていました。8月12日検査結果を聞きに行くと、大腸直腸癌のゼロ期でしたが、医者は私たちを見ると厳しい顔つきで、はっきりと『ゼロ期ではありますが、癌細胞は非常に強力でしかも悪質です。分化が非常に速く、しかも成長の速度もとても速いので、すぐに腫瘍を切除し、肛門全体を摘出する必要があります。すでに病室も抑えました』と言い、さらに『人工肛門をつけている人は今ではたくさんいます』と言いました。

2014年8月MRI検査により、直腸は既に癌細胞がある。(赤色の矢印が指すところ)

医者が厳しい口調なので、夫はとっさにどうやって拒んでいいのか分からなくなっていました。夫の弟が、手術後にはどのような治療を行うのかと尋ねました。医者は『手術してみなければ、分かりません』と言いましたので、夫はぼそぼそと、少し考えさせて欲しいと言い、診断書を書いてもらい、そそくさと病院を出ました。この後は每週謝医師に診てもらい、漢方クリニックで黄医師の診察を受け薬をもらっていました。

生検を行った後、夫の肛門の傷は癒えず、毎日24時間朝から晚まで痛みに苦しみ、正常な勤めが難しいため、長期休暇を取り自宅療養することとなりました。けれども、状況は日々悪化し、一晩中眠れないこともしばしばで、布団と枕を抱いてトイレで眠ることさえ何度もありました。トイレから出てきても、ベッドに歩き着かない内に、またトイレへ急いで戻り下痢をする、という有様だったからです。内部の腫瘍がどんどん大きくなったばかりか、肛門の周囲にも小さない腫瘍ができ、排便がますます困難になり、トイレに一時間こもるようなことも日常茶飯事となりました。夫は感慨深げに『病苦に耐え切れず自殺する人がたくさんいる訳がようやく分かりました。今生で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従っていなかったなら、自分も自殺したいと思っただろう』と言いました。

医師は「沢山な大腸癌患者は寝たきりで診察室に来た」と言った。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持のお陰で、魏澎生はあの時も自由に歩ける。

夫に機会をくださったことを、上師に感謝申し上げたいです。每土曜日上師が信衆に接見なさる際、道場で大礼拝を行い、累世で衆生を傷害した悪業を懺悔し福報を累積することができました。夫は家では、とても大礼拝を行えるような状態ではなかったですが、每土曜日は道場で二、三百回も行うことができたのです。上師の大加持力は誠に不可思議だと賛歎せざるを得ないです!

発病以来、夫はひどい冷え性になっていました。今年一月初めには、胃腸の膨張感で痛みがあり厭世の思いに取り憑かれ、ベッドの上で両手で腹を抱えて冷や汗を流しながら呻吟していることがよくありました。旧正月後はあまりに長く続く疼痛のために意気消沈し、一ヶ月近く漢方薬も西洋薬も飲もうとしなかったです。ある日私は夫の足が浮腫んでいることに気づき、再検査することを勧めましたが、夫は拒み、治療も検查もしたくない、と言いました。私は、侵襲性の治療は行わなくとも、癌細胞がすでに拡散しているかどうかは確認しなければならない、と言ったところ、夫は病院でCT検査を受けてくれました。3月20日結果が明らかになりました。癌細胞はすでに腹腔と肺にまで拡散していました。謝医師にお尋ねしたところ、今後あり得る最悪のシナリオとしては、癌細胞が腸壁を破り腹腔に転移すれば腹膜炎を起こして死に至り、或いは肺に水が溜まり呼吸困難になって死亡し、または全身に転移し死ぬほど痛むことになるとのことでした。

夫は激しいショックを受け、退院して家に帰りたいと言いました。けれども家族は、死期が迫った際の疼痛に耐えられないのではないかと心配で、医師にお願いしホスピス病棟を申し込んでもらった。ところが思ってもみなかったことに、診察を受けたその日、主任医師は夫が自分で歩いて診察室に入って来たのを見て、『あなたはまだまだ大丈夫ですよ。歩いて入って来られたのですから。私の病人はほとんど寝たきりで診察室に来ますよ。一日中痛みで呻いている病人と同室でも我慢できるなら、入院させてあげることもできますが』と言いました。そして、主任医師は、夫が何らの治療も受けないつもりなら、入院は何の助けにもならない、と言いました。

魏澎生(右三)は癌に罹って、、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁し、上師の助けを懇願した。

4月4日夫と私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかり、自分が累世で無数の衆生を傷つけてきたことを懺悔し、同時に上師に夫の往生後には殊勝なるポワ法をお授けくださり、輪廻苦海を解脱させてくださるよう懇願しました。夫と私は、上師がお許しくださったことに心から感謝申し上げました。けれども上師は、その時にはやはり因縁次第だとも開示くださいました。上師は慈悲深くも百字明咒を持誦し夫に長い加持をくださり、寝ている時以外は、24時間いつでも六字大明咒を持誦するよう、夫に言い続けよ、と私にご注意くださいました。また上師は、毎日西方極楽世界に回向し、特定の人に回向してはならないと開示くださいました。

4月11日と18日、夫は二度上師に拝謁し供養申し上げました。けれども、供養の心が正しくないとして、上師にお受け取りいただけなかったです。夫は帰宅し懺悔した後、上師がなぜ自分の供養をお受け取りくださらなかったのが分かったといいます。『普門品』には、無盡意菩薩が観世音菩薩に供養し、観世音菩薩はそれをさらに釈迦牟尼仏に供養した、とあります。大菩薩であっても供養をなさるのです。我々のような凡夫ならなおのことです。リンチェンドルジェ・リンポチェは供養とは水を飲んだり呼吸をしたりするように絶えず行うもので、何かが発生したからと言って供養に来るようなものではない、としばしば開示くださいます。夫と私は、上師が夫に、2015年4月19日法会前に皆の前で発露懺悔する機会を賜り、懺悔終了後に供養をお受け取りくだったことに感謝申し上げたいです(詳細は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ2015年4月19日の法会開示、法会開始前の夫の懺悔文を参照されたい)。

上師が夫の執著を破ってくださったことに感謝申し上げたいです。夫はいつでも面子にこだわる人で、道場で公開懺悔したり上師の功徳を賛揚したりしたことはこれまで一度もなかったです。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェだけが各種様々な殊勝法門を用いて弟子と衆生をお救いくださるのです。5月2日私たちが拝謁申し上げた時、夫の供養を上師がついにお受け取りくださったことを私は感謝申し上げたいです。上師は健康を回復されたばかりのご自身の身体を顧みず、慈悲深くも夫に長く持咒加持をくださり、貴重な甘露丸を賜り、直ちに夫に飲ませるよう私に指示くださいました。家族全員、涙を流して上師に感謝申し上げました。

ベットに横たわる魏澎生は癌末期になって、妻洪雅玲(前右三)、娘(右二)、家族と一緒に写真を撮った。

発病以来、夫は味覚が変わってしまい、食物を噛んだ後には苦く酸っぱくなってしまうと言い、食欲不振が続いていました。そのため、体重が急激に減り体力が衰え、筋肉の萎縮も見られたため、軽く触っただけ、または少し移動させただけで耐え難い苦痛を感じるようになりました。しかも、呼吸もスムーズにできなくなり始め、家では電気式の酸素吸入器を使っていました。5月以降、夫は法会で車椅子に座っていられなくなり、横たわった状態で参加するようになりました。私は兄弟子達の協力に感謝申し上げたいです。義理の弟の車が道場の階下に到着する度に、兄弟子達は素早く車のドア口に車椅子を運び、傘を差し掛け、夫を支えて車から降ろしてくださいましたが、夫がどこかをぶつけて不快に感じてはと、丁寧に扱ってくださいました。17階に着くと、兄弟子達は力を合わせて夫を道場に運び入れ、しかも注意深く夫を寝袋の上に横たわらせてくださいました。法会が終われば、非常に多くの兄弟子達が再び夫を階下まで運び、車に乗せてくださいました。義理の弟、娘、夫、私はこれらに深く感動しました。兄弟子達のサポートに深く感謝申し上げたいです。

後に夫は全身に力が入らなくなり、トイレへ歩いて行けなくなってしまったため、紙おむつを身につけベットに横たわることしかできなくなりました。最初の頃は、ベッドの上で寝返りを打つこともできましたが、5月の中旬頃には、寝返りを打つ力さえないことに、夫は自分で気づいたといいます。日中は義理の弟と娘が紙おむつを換えていましたが、一日に二度しか換えることができなかったです。おむつ換えのために、身体を動かす度に、夫がひどい苦痛を訴えたからです。5月23日土曜日の晚、夫は突然とても元気になり、姉、弟、妹と子供の頃の事を話し、笑ったり泣いたりし、その後は娘、私と夜中の一時までおしゃべりすることができたのです。

5月24日日曜日の法会が終了し、帰宅してベッドに横たわらせると、夫はとても疲れたと言い、娘をベッド脇に呼び出し、自分が他界したら甘露丸を口に入れることを忘れないように母に言いなさい、と言いつけた後、意識を失いました。娘が言う夫の様子は、5年前に舅が他界した時の様子とそっくりでしたので、私は急いで甘露丸を夫の舌下に入れ、義理の弟、娘、私の3人で交代に夫の枕元に付き添っていました。5月25日午後4時頃になり夫はようやく目覚め、娘に『そんなに早くは行かないよ!』と言ったといいます。5月31日施身法法会が終了して帰宅すると、夫は意気消沈して義理の弟に『なぜまだ行けないのか?お前たちにこんなにも長く面倒をかけているのに』と言ったといいます。私は夫に『我々はリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子なのだから、そんなふうに考えてはいけないのよ。縁がなく福報がないなら、死にたくとも死ねないと、上師はしばしば開示くださるじゃないですか』と告げました。

5月30日以降、夫は突然、病気になる前に好きだったコーヒー、パパイヤミルク、ゴマペースト、トマトにプルーンを挟んだ飴、野菜スープ等などの食物を食べたいと毎日言うようになりました。けれども嚥下がすでにいくらか困難になっていたため、少し口に入れて満足することしかできなかったです。6月1日から3日間、排便が止まらなくなり、義理の弟と娘は毎回少なくとも一時間かけてきれいにしていました。夫は身体が痛むため、紙おむつを着用するしかなく、しかも腕には紫色のうっ血が現れるようになってきました。6月4日、夫は痛み止めを飲まないと言い、紙おむつを換える時には身体を左へ傾けたり右へ傾けたりするのに痛がらず、私たちは不思議に思っていました。夫は、呑み込めないので流動食だけにしてくれと言いました。私は夫の唇が動いていないのを見て、六字大明咒を念じ続ける力がないのではないかと心配になり、夫の耳元で持咒するよう囁きました。すると、思ってもみなかったことに、夫は反応し『頭の中は六字大明咒でいっぱいだ。夜寝ている時もそうだ』と言いましたのだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが大慈悲で、夫に絶えず福報を累積させてくださっているのだと感激しました。6月5日夫は義理の弟に、頭がどうしても下がってくる、といい、人の死期が近づくとこうなるのだ、とも言ったといいます。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて娘がお目にかかった時、娘に『父と母は皈依しているのに、どうしてまだ皈依しないのか?』と尋ねられました。リンチェンドルジェ・リンポチェに従い学仏して5年余りになりますが、上師の言いつけに従わず、仏法を日常生活に如実に用いておらず、娘の良い手本になっていなかったため、娘は今になっても学仏する決心がつかずにいるのだと私は懺悔したいです。その夜私は娘に『親孝行ができる時間は多くないのよ。お父さんのためにすることがあるんじゃない?』と言いました。すると娘は6月6日土曜日の午後、道場で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げました。娘は跪くと、リンチェンドルジェ・リンポチェは『どうしたのだ?』とお尋ねになりましたので、娘はリンチェンドルジェ・リンポチェに『父に加持をくださりリンポチェに感謝申し上げます。父は6月4日から今日まで鎮痛剤を飲まず、腹部の腫瘍も以前のように痛まなくなり、腹水も消えました。リンポチェ、どうか父に一日も早く輪廻を解脱させ、浄土に往生させてやってください』と申し上げたと言います。リンチェンドルジェ・リンポチェは病人の名前と干支をお尋ねになった後、娘に『あなたの父は大腸癌だ』と仰せになり、夫に長く持咒加持くださり、父に代わり福報を累積できるよう娘に礼仏させてくださいました。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがお目にかかる人はあんなにも多いのに、夫が大腸癌であるとどうしてご存知だったのでしょうか?夫は生検を行った後、痛みが止んだことはなかったのに、なぜ往生の数日前に鎮痛剤を飲まなくとも痛まなくなったのですか?何の治療も行わなかったのに、腫瘍が縮小したのですか?利尿剤を服用しなかったのに、腹水が消えたのですか?夫は4月4日から往生までの間、トイレへ行く以外は、常に六字大明咒を持誦していました。これは全て尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大撮受力と大慈悲力のおかげだと私は深く信じています。娘は帰宅後、急いで拝謁の様子を家族に報告しましたので、家族全員で上師の不可思議な功徳を賛歎し感謝申し上げました。

その日夫は水を飲むことさえ難しく、吸い込んでもすぐに吐き出してしまっていました。6月7日深夜3時、夫は弱々しい声で、姿勢を換えてくれなければ水が飲めないと私を呼びました。けれども、水は、吸い込んでもすぐに流れ出てきます。しかも、視線が定まらず、眼球が上転してしまっていました。また、暑いと言うので、触ってみると、衣服も枕も汗で濡れていたので、急いで枕カバーを替え、身体を拭きました。早朝義理の弟と娘がおむつを換えた時、ほとんど排便がなく、肛門脇の腫瘍が小さくなったように感じたといいます。さらに不可思議なことに、腹部には腹水がなく、完全に平らになっていたとのことでした。だが、家を出て道場へ向かうと、夫は一言も発しなくなり、誰が話しかけても反応せず、上方を直視していました。救急車の中で、医療スタッフが話しかけても反応がなく、目を大きく見開き上方を見つめていたかと思うと、突然唇を動かし歯を剥き出して微笑し、いつもの夫とは違う様子でした。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは修法を終えられた後、弟子を率いてアキ護法を修め、その後さらに『みなに言っておきたいことがある。寶吉祥仏法センターで、リンチェンドルジェ・リンポチェの修法時に死にたい、などと万が一にも発願してはならない。縁がなく、福報がないなら、死にたくとも死ねないのだ』と開示くださいました。その時私は慚愧を覚えました。法会前私は確かにこのような念頭を抱いていたのです。

夫の往生後、家人は残念に思いましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェの強大な慈悲力と加持力を感じ、たまらない感激を覚えていました。夫の病苦に、私たちはどうすることもできなかったのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは、人が死ぬ時には、仏菩薩、上師の他は、世間の誰であろうと救うことはできないと何度も開示なさっています。ほんとうにリンチェンドルジェ・リンポチェが開示くださった通りでした。夫の闘病中、私はあるニュースを見ました。ガンの痛みは骨の中まで痛むもので、末期癌の病人が痛みのため死さえ望み、しかもモルヒネで痛みを止め、往生時には普通は昏睡している、ということでした。けれども夫は生前『自分は仏弟子なので、モルヒネは使わないでほしい。モルヒネは麻薬だ。このような痛みはまだ耐えることができる』と家人に言っていました。夫の同級生は、ホスピス病棟で多くの末期ガン患者をボランティアでケアしたことがありますが、もし上師の加持がなかったなら、癌細胞が転移しながらモルヒネを打たなくて良いことなど有り得なかったと言っていました。リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたいです!夫の遺体を葬儀場に運んだ際見たが、夫の腹は完全に平らになり腹水が消えており、腫瘍が突起した現象も見られなくなっていました。

6月13日私と娘は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と修法により夫が浄土へと超度されたことに感謝し、リンチェンドルジェ・リンポチェに告別式の日取りをお選びくださるようお願い申し上げました。リンチェンドルジェ・リンポチェは夫の名前と干支をお尋ねになった後、数秒入定されて慈悲深くもすぐにお教えくださいました。続けて、娘がリンチェンドルジェ・リンポチェに『リンポチェの父に対する加持に感謝申し上げます。おかげで父は早く解脱できました。リンポチェが父の往生後に、父に修法し浄土に超度させてくださったことに感謝申し上げます。リンポチェ、どうか父に代わって行う供養をお受け取りください』と申し上げました。リンチェンドルジェ・リンポチェは娘に『この金は誰のものだ?』とお尋ねになったので、娘はなんと答えて良いか分からず、言葉を濁していましたが、やはり『父のお金です』とお答え申し上げました。リンチェンドルジェ・リンポチェは『あなたは学生か働いているのか?』とお尋ねになったので、娘は『今は働いていません』とお答え申し上げました。慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは娘の供養をお受け取りにならず、『先週あなたは父に代わり礼仏し、すでに供養している』と仰せになりました。そして私たちに立つようご指示になりました。私は賛歎申し上げたいです。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて『あなた達の起心動念はリンチェンドルジェ・リンポチェの前では透明だ。不信はならない』と開示くださいました。リンチェンドルジェ・リンポチェの仰せは真実で偽りはないのです。

4月19日の法会において、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『法会前に語った弟子(私の夫)はすでに皈依して5年になるのに、どうしてガンになったのか?それは正法を修持していなかったからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはしばしば開示する。加護を求めてはならない。学仏は生死を解脱するためなのだ。仏陀が説かれた仏法は生死を解脱するためで、あなた達は開悟の条件さえ備えていないのに、何を以って自分が開悟した、分かったというのか?しっかり定まった出離心がないなら、この一世で開悟など不可能だ。仏はこのようには仰せでない。そのため、正法を修持していない衆生は、この一世でこの種の生活における障礙を消すことはできない。あなた達は正法を修持しようとせず、常に自分の考え方を持ち、思い上がり、加護を求めている。リンチェンドルジェ・リンポチェに100世、さらには1000万世従ったところで、障礙が消えることはないだろう』と開示くださいました。

ここで私は発露懺悔したいです。私の父は中国に23年間住んでいました。上の姉の話を信じ、父は別に家庭を持っていると思っていたため、父は年に一、二度帰国しますが、それ以外には私が中国に会いに行くことはなく、電話で様子を聞いたりすることもなかったです。父が83歲になった年、私は二番目の姉の家へ行き父を見送りました。早朝5時頃、父が一人ぼっちで荷物を車に運び上げ、(二番目の姉が車を手配してはいたが)たった一人で旅程に着くのを私は目にしました。その情景を見て、私は突然自分がとてつもなく親不孝であると感じました。それ以来、私は毎回父を南昌まで送り、飛行機で台湾に戻ることにしています。

私は懺悔したいです。20数年前私の勝手のため、二人目の子供の堕胎同意書への署名を夫に要求しました。だが、この果報はすぐに現れました。上の姉と友人がうちを買うというので、夫は借金してお金を作り、姑と義理の弟も貸しましたが、そのお金は返済されなかったです。これにより、夫は重い債務を十数年も背負うことになってしまいました。汐止で唯一浸水したことのない平地の新しいマンションに引っ越しましたが、5年間で台風のために4度も浸水しました。さらには住宅ローンの高い利息を負担しきれなくなり、買った時よりも安い金額で手放し、ほぼ家一軒分にあたるほどの金額を失ってしまいました。私は深く懺悔したいです。良い夫に嫁しましたのに、しばしば夫に対して癇癪を起こしました。舅、姑はとてもよくしてくれましたが、私は彼らが独身の伯母を大事にしすぎると思い、心中に不満を抱えていました。そして、生活習慣が異なる伯母としばしば諍いを起こし、舅と姑を困らせていました。嫁としての責任を果たさず、舅と姑に孝行を尽くさなかったです。

私は深く懺悔したいです。私は子供の頃、動物を虐待していました。しばしば繩でコガネムシの足を縛り転がし、火でアリを焼き、ミミズを掘り出して切り分け、池で魚釣りの餌にしていました。自転車に乗っていた時には無心にまたは故意にカタツムリを潰し、無数のゴキブリ、蚊、ハエを打ち殺し、全く慈悲心がなかったです。私は深く懺悔したいです。大修行者尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依しながら、教えに従ってしっかり実践せず、每日曜日に上師が開示なさる仏法を聞いた後も、仏法を生活に用いず、心中しばしば悪念を起こし、貢高我慢で、上司や同僚のやり方を見下していました。

洪雅玲及び娘は既にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはいつ何時でも弟子にお心を寄せ、弟子をお世話くださるため、夫の発病から往生までの期間、夫と家人は上師という心の拠り所のおかげで慌てず、普通のガン患者とその家族より安定し安心して過ごすことができました。リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子に対するお心遣いに感謝申し上げたいです。私は自分が過去に為した悪業を深く懺悔し、生生世世にリンチェンドルジェ・リンポチェに従い、努力して修行し、上師の恩に報いることを発願したいです。みなさんも、私と夫を戒とされたいと思います。最後に私は最も恭敬誠懇な心で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御法体が安康で、法輪が常転し、十方法界の一切の有情衆生に利益し、直貢噶舉の法脈が永遠に流伝することを祈願申し上げます。

皈依弟子 第四組 洪雅玲 謹んで書き上げます
2015年6月14日

« 前へ – 衆生済度の事跡へ戻る – 次へ »

2016 年 11 月 13 日 更新