700:上師に感謝し私を助け、死亡の恐怖に免じた
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、尊勝なる直貢チェツァン法王、アキ護法、直貢噶舉歴代伝承祖師、諸仏菩薩及び一切衆生に頂礼します。私は去年(2014年)7月20日に皈依した弟子、第五組の鄭佩淳です。法名慧增卓瑪ですが、仏菩薩の加持救度と一切の衆生の助けのおかげで、法会において皈依の経緯と慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる仏法の教授及び救度について語れることを尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲力と大威徳力に感謝申し上げました。
私は生まれながらの筋萎縮症です。この病気は内臓を含む全身の筋肉が徐々に萎縮して動かなくなってしまいます。そのため、口と指の他は全身のほとんどを動かすことができず、脊椎もひどく湾曲しています。また、一般人の肺活量は約90ですが、私は40ほどしかありません。妹も私と同様の病気を患っています。もともと医師は私は6歲までしか生きられないと言っていたそうですが、私は現在26歲です。
私にとって仏法は、長い暗闇の中で出会った一筋の灯のようなものです。そして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはこれに灯りを点してくださり、光明へと続く道に導いてくださった恩人です。私は大学二年の時因縁福報があり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが雪山へと閉関に向かわれる一週間前に、私の生き方を丸ごと変えてくださるこの大修行者にお目にかかる機会を得ました。
この機会に、私は深く懺悔したいです。初めて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかった時、私はとてつもなく不恭敬でした。また、思い上がり傲慢で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを世間でいういわゆる『能力を持つ』人としか考えておらず、それだけでなく心の中で『衆生は平等なのに、どうして跪かなければならないのか?』と考えていました。後に私は『尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、他人に跪かれるのを望んでおられるのではなく、仏菩薩は人々から離れた高みにおられるのでもないです。生死輪廻を解脱し離苦得楽したいという衆生の心が非常に真摯だからなのです。それが、真に衆生をお救いくださる大修行者、こんなにも貴重な仏法を伝授くださる大成就者に対してなのだから、跪きでもしなければ感謝と真摯な願いを伝えられないのは当たり前のことです』と徐々に体得することができました。
私のような我儘で勝手な者でも、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの御前に出ると、やはりリンチェンドルジェ・リンポチェの威儀と荘厳さに知らず知らずの内に撮受されてしまいます。お目にかかった瞬間リンチェンドルジェ・リンポチェの目は非常に深淵で、数珠をお持ちの手が非常に美しく、喩えようもないほどいいお声だと感じました。その時私は『これは本当に只者ではない!本当に高貴な大修行者であられる』と感じました。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかった際、私は何らかの願いを口にすることはなかったですが、ただ不恭敬にも、『私はとてもめちゃくちゃです』と申し上げました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは少しお笑いになった後、非常に慈悲深くも、私の幼い頃から今までの心の問題と苦痛のすべてについて、たくさんの開示をくださいました。私は一切何も話していないのに、リンチェンドルジェ・リンポチェは私の心に対して開示くださっているのだと深く感じました。私の考えの一つ一つ、過去のあらゆる瞬間ですが、眼前のこの大修行者にははっきり見えておられるのです。
その際尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが私にくださった慈悲なる開示におけるいくつかのお言葉は、私に深遠な影響を及ぼしました。それが基で私は学仏を始めることとなり、それは今に至るまで私を励ましてくれています。リンチェンドルジェ・リンポチェは『そなたの運命は誰かが決めたのではない。自分自身の手で決めたのだ。未来は変えることができる。どうやって変えるのか?学仏によって変えるのだ』、『仏法は鏡のようなものだ。学仏することで、自分とは何であるかを理解することができる』、『恩に報いたいなら学仏せよ』と開示くださいました。当時これらを聞いた時、雷に打たれたような衝撃を感じました。宗教における大成就者の口から『自分の運命は自分で決められ、変えられるのです。何かに配されたのでも、何かに頼らなければならないのでもない!』との言葉が発せられるとは思ってもみなかったです。
因縁福報があり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜るまで、私は、心の底から笑うとはどういう感覚であるのかを知らなかったです。心の底にはいつも非常に深い悲しみと苦しみがありました。しかし、このような感覚は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに数回お目にかかった後、自然にゆっくりと消えて行いました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの不可思議な大加持力と仏法の偉大な示現のおかげで、私はまだ車椅子に乗っており、見たところは何も変わっていないです。けれども実は全く違うのです。以前は毎日が暗く感じたが、今では日々光に満ちているように感じます。死に対する恐怖も消えてしまい、日々を伸び伸びと生きられるようになりました。

たとえ口と指だけ動けても、リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法開示は彼女に再び微笑を浮かべる。
今私は自分の考えを振り返ってみて分かりました。実は私は死を考えることで逃げていたのです。自分の身の上に起こった因果業報を受け入れ立ち向かうことを拒み、借りの完済を望んでもいなかったです。高校生の頃、私の身体ははっきりと衰退を始めました。その頃は冬休み、夏休みの期間を利用し、毎日八時間以上のリハビリを行っていましたが、ある程度続けたことで少しは進歩したとようやく感じられるようになっていたのに、それがある日突然退化したのです。筋肉萎縮という病は、現時点では治療法がなく、発病の時期や程度を予想することは誰にもできません。医師はみな『生活の質を高め、苦痛を軽減できるよう手助けすることしかできない』と言っています。けれども、私が接触したいわゆる医療による苦痛の軽減とは一種の責苦でした。基本である胃管、尿管、気管内挿管の他、筋力の衰えによる脊椎の継続的な変形を防ぐため、脊椎にボルトを通して固定したため、身体を動かせなくなってしまいました。この病気を患う人の中には、骨格の成長に合わせるため、半年から一年に一度手術でネジを緩めなければならない人もいます。それは幼い頃から成長が止まるまで続くのです。
ほとんど何らの機能も持たない肺に呼吸を続けさせるため、機器に頼り24時間空気を注入しなければならない患者もいます。一日中痰を吸入し、一日中さまざまな機器と共に過ごさなければならず、停電すれば、命に危険が及ぶ可能性を心配しなければならないです。天候、機器の状況、各種環境、外在の要因について、常に恐れと不安を持ち続けています。身体がどんなに役立たずでも、医療はいろいろな方法で人を生かそうとします。切れなければ孔を開け、そうでなければ機械に頼ります。同じ病を患う仲間がこんな風に生きているのを、私は幼い頃からたくさん見てきました。
私が『自分は暗闇の深淵の中でこの生を終えるのだろう』と思っていたその時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは加持と教導をくださり、私に全く違った命を吹き込んでくださったのです。初めて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかってから今までおよそ7年余りになりますが、この期間中、リンチェンドルジェ・リンポチェの止まることのない慈悲なる加持と教導のおかげで、当初リンチェンドルジェ・リンポチェから賜った慈悲なる開示を常に感じ続けることができています。
今では私は、自分の人生は何だったのかがよく理解できるようになり、未来と死に対する恐怖と不安感は日に日に薄まっています。さらには、自分は自分の運命を手中にしっかり掌握していると感じ始めています。起きる一切の事から未来がどうなるかまで、すべては自分が為した事なのです。
父母は最初、私が『良くないところに来ているのではないか。騙されるのではないか』と心配し、また私が幼い頃から自分勝手だったこともあり、4年経って、ようやく法会への参加に同意してくれました。けれども、私が法会へ参加し始める前に、我が家は既にだれもが羨む幸福な家庭に変わっていました。実は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの私と家人に対する殊勝なる救度は数え切れないほどですが、具体的には、これらは家の中の変化に現れていると思います。『家庭の中で誰かが真の学仏修行を行えば、家の中の雰囲気はどんどん穏やかになる。なぜならそれはそなたと関係する衆生が離苦したからだ』、『自分が変われているかどうかは、父母を見れば分かる。なぜなら彼らは毎日そなたを見ているからだ』と尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示くださった通りなのです。
その頃、私は変われていなかったので、家族は私の法会への参加を認めてくれていなかったです。私は争いを恐れ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる事蹟と開示くださる貴重な仏法を父母に伝えることをしていなかったです。ただ、毎回お目にかかった時のリンチェンドルジェ・リンポチェが私にくださる開示を話していただけで、他はリンチェンドルジェ・リンポチェの仰せの通りに行うようにしていただけでした。
ある時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『親不孝で父母に対して笑顔を見せず、情緒も相変わらずだ』と私を叱責くださいました。その時から、私はしばしば父母に対して笑いかけ、叱られて泣いても笑っているようになったです。そして、自分のどこが親不孝であったのか考え続けていました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェも、初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた際に慈悲深くも賜った懺悔と無常法のテープを毎日聞くよう開示くださいました。よってここ数年で私は親孝行と性格改善を学び、仏法テープを聞きそれに従い行いを改めています。
私が最も不可思議で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの貴重で、しかも殊勝なる仏法教導、及び仏法の偉大さを感じるのは、母の変化です。
私は大学卒業後、妹と共に就職しました。父母は60歲に近く、二人とも以前ほど元気ではなくなっており、父には深刻な骨棘があり、母は糖尿病でした。私達が就職したことで、母は非常に忙しくなりました。朝は六時前に起床し、私と妹に身支度させ、トイレの世話を何度かします。午前と午後はそれぞれバスに約15分乗り、妹の勤務場所へ行きトイレの世話をし、夜は私と妹を風呂に入れ、家庭の雑事を処理し、買い物に行き料理を作り、私達が寝てしまう12時頃まで絶えず忙しそうでした。さらには、夜中にも起きて3〜4回私達に寝返りを打たせなければならず、ほとんど休む暇がなかったです。ところが、奇妙なことに、以前は私達の世話をするだけで疲れ果てていた母です。ある時、床拭きがそろそろ終わり、私は母が鼻歌を歌いながら床拭きしているのを聞いたのです。この時、私はたまらず部屋で慟哭しました。私は母が非常に楽しそうなのを感じました。全く休息できないほどこんなにも忙しいのに、母はあらゆることを楽しそうに行い、表情と体全体から活気と明るさが溢れ出ていました。その時私は、こんなにも貴重な仏法を伝授くださったことを、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げました。苦しみの中にあっても自在に喜びを見いだせるように、一人の人の心を真に変えられるとは、仏法は実に偉大で、あまりにも貴重だと感じました。そして、こんなにも殊勝なる仏法をお伝えくださる大修行者は、実に実に有難いのです!
家庭内の問題は幼い頃から私の最大の悩みでした。辛く重苦しい雰囲気で、家を離れるか、眠るかしなければ一息つけないと思わせるほどでした。家族の間にもあまり会話がなく、生活するだけで精一杯という感じだったです。けれども、私が初めてリンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかってから、家の中が明らかに変わり始めました。家族みながまるで人が変わったようで、家庭内の雰囲気は非常に和やかになりました。いつもはとても頑固で誰の話にも耳を貸さない乾母(義理の母)まで、『リンチェンドルジェ・リンポチェが我が家を救ってくださったのよ』という私の簡単な一言を聞いた途端、飛び上がるようにして『お目にかかりたい』と言ったのです。乾母は『あなたの両親はまるで人が変わったように実に大きく変わった。以前は自分がどんなに諌め、どんなに説得しても効果がなかったのに』と言っていました。
私が菜食し学仏を始めたばかりの頃、父母の反発は非常に大きく、親子関係を断つとまで言われました。けれども、私の決心を目にし、翌日には新しい鍋を買って来て、肉が混じった食事と菜食とは分けて調理すると言いました。蒸篭の中で混じってしまうのを恐れ、今では、野菜の中華まんさえ菜食ではない店では買わなくなっています。
最初私がまだ法会に参加できなかった時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『父母はいずれ同意するが、少しの時間が必要だ』と開示くださいました。当時私は『両親を説得するのは非常に難しいのではないか』と思っていましたが、後に『両親を説得するのが難しいのではなく、自分の心を変えるのに時間がかかるのだ』ということを徐々に理解しました。私が法会に参加できるようになる前、ある時父と接する際に、自分はどんなに悪辣であったかにハッと気がつき、たまらず隠れて慟哭しました。その時極めてはっきりと、自分がこうなので、父母は法会への参加に同意してくれないのだと気付きました。ところが数日もしない内には、父が法会に参加してもよいと自ら口を開いたのです。
後に皈依をお願い申し上げた際、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、父母が双方共に同意している必要があると開示くださいましたが、父はどうあっても同意してくれなかったです。法会に参加して満二年になっても皈依が許されず、二度と法会に参加できなくなりそうであった時、私は帰宅するや否や開口一番父に同意を求めました。その際あまりにも焦っていたため泣き出してしまいましたが、父は『お前は大きくなったのだから、勝手にすればいい』と優しく言いました。けれども、私は、父母の同意を必ず得なければならないという尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を思い出し、何としても父に同意してもらわなければと思いました。そのため、私は母に頼んで車椅子を父の部屋の横に運んでもらい、そこに三日間座り続けました。そして、父はようやく同意してくれました。
後に、私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依をお願い申し上げた時、母と妹も私に付き添っていました。普段は骨棘の痛みであまり外に出ない父も、特別にオートバイに乗ってバス停まで見送ってくれました。
最後に私は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが妹をお救いくださった事蹟について話したいと思います。ある時妹は風邪から肺炎をこじらせ、敗血症の危険があったため、集中治療室に入院しました。当時私達は既に危篤通知書に署名し、妹は一時昏睡状態に陥りました。
妹は菜食しておらず仏を信仰してもいなかったため、私はすべては妹の因果業報だと思い、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに妹を救うようお願いすることもなかったですが、ただ、妹に代わり供養申し上げました。その時私はまだ信衆だったため、リンチェンドルジェ・リンポチェは供養をお受け取りにならず、『妹がどうしたのか』とお尋ねくださり、集中治療室内の妹を持咒加持くださいました。加持が終わると、『妹は3日後に熱が退き良くなるだろう』と開示くださいましたが、3日後妹は本当に集中治療室を出ることができ、その週には退院することができました。私の体の状況はこれまでいつも妹よりは良かったですが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに幸運にも拝謁叶う前には、風邪をこじらせて肺炎になったことがありました。病状は妹ほど深刻ではなかったですが、それでも一ヶ月入院しました。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはとてつもない大慈悲力、大威徳力をお持ちの大成就者であられ、この上もない能力をお持ちでいらっしゃいます。友人はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を頂戴した後、脳腫瘍が縮小し消えてしまいました。乾母はリンチェンドルジェ・リンポチェに一瞥されただけで加持を頂戴し、腰が痛くて座れないほどだったのに、翌日には痛まなくなってしまいました。この種の殊勝な事柄はたくさんあります。けれども、振り返ってみれば、今回の病苦が解決してもすぐに新しい病苦、新しい煩悩が現れます。こうして行ったり来たりし、もし学仏できず、生死輪迴を解脱できないなら、病が癒えても、生活が楽になっても大した意味はないです。

鄭佩淳はリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、自分の家庭を助けて、苦痛から抜け出し、更に新しい人生を賜った。
こんなにも貴重で有難い大修行者、大成就者がおられるとは。こんなにも慈悲深く、また分かりやすい方法で全力で仏法を教導くださり、衆生の死への恐怖を取り払ってくださり、衆生を輪迴苦海から抜け出させてくださるとは。こんなにも貴重な仏法が伝授されて来たとは。これこそ最も不可思議なことです!私のような業が重く福が浅い者を弟子とし、大成就者に従い学仏する機会をお与えくださったことを、私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたいです。『仏法を聞くのは難く、上師に会うのは難い』といいます。しっかり決心し、こんなにも殊勝なる因縁を大切にしなければならない、と私はここにおられる兄弟子大徳に申し上げたいです。最後に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの貴体が勝妙康で、仏法事業が常に興盛であり、直貢法脈が永遠に流伝することを謹んで祈願申し上げたい」と述べました。
皈依弟子 第五組 鄭佩淳 謹んで書き上げます
2015年1月25日
2016年8月24日修正
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2016 年 11 月 13 日 更新