508:リンチェンドルジェ・リンポチェは意識障害三レベルの私を救ってくださった

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝申し上げます。昨年(2011)10月4日私は脳卒中の発作に襲われながら幸いにも生き残り、学仏を続けることができるようになりました。

長期間高血圧だった私は、10月初、収縮期血圧が180にもなり、医者の指示に従わず降圧剤を飲んでいなかったため、睡眠時に脳卒中の発作で嘔吐しました。その時は便器の横に座り込んで吐き続けていました。

ひどく苦しく、死んでしまうのではないかという恐怖を覚えました。そのため、心の中で上師と寃親債主にほんとうに申し訳ないと思い続けていました。それは、私が従順でないため、できなかったことがあったからです。ほんとうに申し訳なく思っていました。その時は吐くだけ吐いた後ひどく弱っていたため、妻に支えてもらい、トイレの近くにあるリビングルームのソファーで横になって休んでいましたが、眠り込んでしまった後、私は昏睡状態に陥りました。

.

当時の私は、密室状の弾倉に詰められた銃弾のようで、私の神識は弾頭の位置にありました。弾頭後方の弾薬室の中で、私は、内部に充満している透明の液体が突然、黒く濁ったのを見ました。それはまさに爆発しようとしているようでした。情勢が一触即発というその瞬間、突然頭の上の方から「黄騰逸、降りて来い」とのリンチェンドルジェ・リンポチェのお言葉が聞こえました。そして、私は降りて来たのです。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げます。教えに従うことの大切さを、普段から弟子たちに常に教導くださるおかげで、死の瀬戸際で、私は上師の一言一言を深く理解することができたのです。学仏の慧命を救ってくださいました!

▲ 黄騰逸が昏睡状態にあった時のたくさんの管に繋がれた様子の写真

あまりにも事態が急速に進んだため、私には考える時間がなく、お救いくださったことを事後に絶えず上師に感謝申し上げることしかできず、またこのことの経過を整理し記録として残し、皆の参考になればと願っています。この後、私は車椅子で道場へ赴き、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝申し上げましたが、命を救って頂きながら、私は強欲なことに、リンチェンドルジェ・リンポチェに、はっきり見えない左右の目に加持くださるよう願ったのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは「黄騰逸、そなたは自分がどれほど強欲かわからないのか!」と開示くださいました。私はそれを聞くや否や懺悔の心が湧き上がり、たちまち淚が流れてきました。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェに、過ちを悟ったことをお伝え申し上げました。全くもっていけないことでした。ところが思ってもみなかったことに、淚を拭いた途端、眼が回復したのです。ほんとうに回復したのです。リンチェンドルジェ・リンポチェはほんとうに素晴らしいです!

.

上師の加持と教導に感謝申し上げます。この場をお借りして、私は発露懺悔いたします。私は10年前にも高血圧で脳卒中を起こし、半身が麻痺し救急外来に運ばれました。退院した後、初めてリンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかった時、リンチェンドルジェ・リンポチェは、私の背後に一匹の犬がいる、と開示くださいました。当時私は信用しませんでしたが、後に思い出しました。兵役時に犬肉をたべたことがあったこと、会社を代表し、震災復興のために南投へ出張した際、公務車で犬にぶつかり犬を傷つけたこと、幼い頃、新荘頭前に住んでいましたが、工場前の空地で遊んでいた時、手でコオロギの真ん中の足を引き抜き、コオロギをそのまま池に放り込んでいたことを。私たち夫婦は1999年、胎児に地中海性貧血があると診断され、利己的なことに妊娠5ヶ月時に中絶してしまったのです。それから、以前は衆生を食べたことがあります。この生で非常に重い殺業を犯しているのです。

さらに数年前、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも家族のことについて開示くださったことがありました。私の外祖父は殺業が重いので、二人の兄弟のうち私の方に悪い事態が起きるから注意するように、というものでした。その日帰宅後に年長者に尋ね、外祖父がインドネシアのジャカルタで漢方医をしていた時、とても繁盛していたので、堕胎薬を処方し「薬で命を除いていた」ということを初めて知ったのです。累世の悪のため、私たち家族には遺伝性の糖尿病と高血圧があります。ですが、私たち兄弟姉妹の間でも情況は異なっています。リンチェンドルジェ・リンポチェが法座で常に、同じ家の兄弟姉妹はバックグラウンドは同じだが、それぞれの累世の業力により異なる果報があると、開示なさっておられるとおりです。この生で負債を返す機会をくださったことを、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と教導に感謝申し上げます。

皈依前の2、3年は、ストレスが大きいため、しょっちゅう救急外来に掛かっていました。皈依後はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持のおかげで身心は落ち着きました。けれども、教えに従わず、リンチェンドルジェ・リンポチェの教導の通りにしっかり学仏せず、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示くださる経典上の教導の方式に従って定期的に供養していませんでした。ある時は、供養の金で撮影器材を買いそれを供養とごまかし、よくボランティアをしているからそれでいいだろう、などと思っていました。そのため、累世の悪業がついに私の脳血管を爆発させたのです。今回の脳卒中の発作で手術室から集中治療室に移った時の私の、意識が宿っていない大きく見開かれた目は、何かに驚愕しているようだった、と妻は言っていました。それを聞いて、私は思い出しました。十数年前、母が病院で昏睡状態に陥り後に植物状態となった際の最初の頃の状態もそうでした。念仏、拝仏する機会をお与えくださったことをリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げます。「懺悔」テープを聞き、上師の功徳を讚揚するようご指導くださることを、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにお礼申し上げます。皆が普段から教えに従う習慣を養えるよう心から願います。なぜなら、上師の教えに従えば間違いないからです。上師の加持と、兄弟子のみなさんのこのところのご支持、ご声援、お世話に感謝申し上げます。

.

弟子 黃騰逸  謹んで書き上げます
2012年2月12日

2018 年 10 月 28 日 更新