尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年5月13日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催されて、法会に参加した大衆に貴重な仏法の開示を与えて、しかも一人の往生したばかりの弟子に殊勝で得難いポワ法を修めてあげた。

法会が開始する前、弟子の母と娘は皆に、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女達を助けた事績を分かち合った。まずは娘はこう分かち合った。

この若い女子弟子は2006年11月12日にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに来たのは、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の弟を救ったことを感謝するためである。彼女の母は彼女にリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の弟を救った過程を言った時、彼女は半信半疑に母があまりに迷信過ぎだと思っているが、初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見してから、彼女の心の中の疑惑はすべて消えてなくなった。リンチェンドルジェ・リンポチェに会うと、彼女がずっと涙を流していて、リンチェンドルジェ・リンポチェがとても慈悲だと感じて、彼女をとても感動させた。皈依していない前に、彼女はたいへんよく肉を食べて、特によくチキンナゲットを食べて、最初に信者をしている時に、ただ鍋の辺の菜食だけを食べているが。それから全家族はいっしょにリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することをお願いする時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に、「菜食料理を食べて」と言った時、彼女は強くうなずいて、それからとても自然に全然肉を食べたくない。

2007年、彼女と母はネパールへ上師閉関が完成することを迎えに行く前の2週間に、彼女は学校でクラスメートと健康を保つ器材を使用しながら遊んでいて、操作不当で転んで4粒の前歯が折りて、しかも大理石の床板の上で2つの歯印を残して、当時の衝突力の強さが明らかに理解できるであろう。急診に運ばれる時、医者は彼女のこのような転んだ状況から見ると、あごの骨が全てぶつけて砕くはずであるが、しかし、 リンチェンドルジェ・リンポチェの加持のため、彼女はただ前歯だけが折りた。X線検査を受け、医者は4粒の歯が折りたと言って、すべて歯を抜いて入れ歯を詰めなければならなくて、1、2ヶ月の治療のコースが必要である。しかし二週間の後彼女が母親とネパールへ上師閉関が完成することを迎えに行くから、その故彼女は毎日アキ護法に、私の歯を抜かないで私は母親とネパールへ行きたいよう祈った。1週間以降、彼女は再び普通な診療所へX線検査を受けに行って、歯は意外にもただ半分だけ折りて、別の半分は砕くことがなくて、4粒の前歯を抜く必要がなくて、ただ補うのでさえすればいい。だから彼女はとても順調に母親と一緒にネパールへ行ったのである。

今年(2012年)2月13日、彼女は始めてバイクの免許を取った数日後、車を避けるため、転がった。交通事故に遭った時、彼女は意識を失ってしまって、意識を戻る時、すぐ母に電話をかけた。彼女の母は彼女に止らなくてリンチェンドルジェ・リンポチェを観想させた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持があるのを分かったから、恐がらなかった。また、今回の交通事故は自分にとても大きい業を消させた。彼女の母は病院に見舞った時、彼女は本当に鼻があざだらけとなり、顔がはれあがって、悲惨な状況だった。病院で八時間に観察する時、彼女の母は不断に彼女に寶円膏を塗っていた。翌日顔は半分くらい腫れが引いた。その後寶吉祥漢方薬診療所に行って、漢方薬を飲んで保養して、尚更に毎日寶円膏を塗っていた。二週間の後、彼女の傷は完全に治った。左の顔に元々ある長い傷あとも無くなった。彼女のクラスメートも不思議だと思った。此れは全てリンチェンドルジェ・リンポチェの加持があるから、彼女は誠にリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝した。

この若い女弟子は話したが、昔常に金持ちの人が羨ましくて、欲しい物があれば、すぐ手に入れてとても幸せだと見えた。しかし、今彼女は自分が他人より極めて好運であり、此の世に僅かな福報があって、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できた。更に全家族も皈依できて、本当に極めて好運だった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝した。

若い女弟子の母は続いて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩が自分の家族を助けた経過を報告した。

この女弟子は補充したが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは先程娘が言った通りに危険な時に二回を救われた以外、2006年9月3日に彼女がICUで危篤な息子を救われた。同年12月始め、彼女はアメリカで脳動脈瘤が破って命を危くする妹を助けた。短い三ヶ月間にリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の家族の二つの命を救った。五年間以来、彼女の息子及び妹は二人が法会に参加していた以外、寶吉祥漢方診療所が漢方薬で体を保養するお陰で、二度と病院に入らない。

今日は母の日なので、彼女は非常に感謝したが、機会が有って、リンチェンドルジェ・リンポチェが如何なる自分の母を助けたことを報告できた。彼女の父は虚血性心疾患のせいで急に亡くなった。悲しい母は一人で12人の兄弟を育てる重任を背負った。長期疲労及び老化なので、心臓の機能は衰弱で無力になった。皈依前数年、占いが好きな妹は香港の易経大師を依頼して占った。結果は自分の母は必ず65歳まで生きられないと言った。彼女の母は特に魚が好きで一生も沢山な牡蠣、蛤を狩った。だから皮膚はとても悪くて頭の上にある治られない瘡があって、顔に皮膚癌が初期潰爛した現象が現れた。

2008年から2009年まで彼女の母親は信者として法会に3回参加した。同時彼女と妹と火供法会に参加に日本へ行き、彼女の母親も随行して旅行した。戻って来た後彼女の母親の顔にの病変が無くなったのを発見した。頭のてっぺんに20年の傷跡は「祥髪髪芸」店のシャンプーを使ったので良くなり、髪の毛も出て来た。今年(2012年)はじめ、彼女の母親は祥楽旅行社のツアーに参加して、摂氏零下20度の北海道へ旅に行った。また「これは私この一生にとって一番楽しい旅行」と言った。同行の相弟子と今度また一緒に遊ぼうと約束した。

現在彼女の母親は70才の高齢で、5年余りで偶に小さい風邪を引いた外に、お体が丈夫で、自らで二人の孫のお世話をすることが出来、字が知らない、妹が寶吉祥宝石店で買った翡翠ネックレスと腕輪をつけて、顔色がまろやかで潤いがあり、しみが少なくなり、心も柔らかになり、何時も屈託も無い笑い声をあげた。彼女が知っているこの一切は全部リンチェンドルジェ・リンポチェの加持であり、2006年にリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を入れてから、リンチェンドルジェ・リンポチェが母親の代わりに肩の上の重荷を負って、あの頃自分が世界中に一番悲しくて助けがない母親を救済した。彼女の心の中に、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの世の中に一番慈悲な母親で、リンチェンドルジェ・リンポチェがいなければ、彼女はどうなるだろう?本当に考えさえも敢えない。

自分が仏を学ぶ材料ではないのを知っていて、リンチェンドルジェ・リンポチェが法会の中に開示された言葉のいくらしか良く覚えない:「上師と仏菩薩は我らに良くしてくれるのを信じであれば結構だ。従順で、攀緣をせず、忮求をせず、傷つくに恐れない、いつか花が咲き、果実がでるかを聞かず、自分のベストでして、随縁によって過ごし、どんな境遇にも安んじる。」このいくらの珍貴な仏法の開示は彼女をこの一生に役に立つ。リンチェンドルジェ・リンポチェのご加持のもとに、楽しく返済して、一切に向かって、重報が非常に軽く受けた。リンチェンドルジェ・リンポチェが全てしたことは全部衆生を利益するため、彼女はしっかりと心に刻んだ。5数年を経て上師がいつも弟子に布施し、全ての有情衆生に与え、今まで何時も同じで、更に、全ての衆生が早めに生死より離脱して、輪廻苦海を離れるように望んだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着て、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体健康で、法輪何時も回って、長く世にいて、仏法事業は一切功徳円満になるように祈る。

それから、ある女弟子は彼女が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが助けをもらえる経過を分かち合った。

去年(2011年)3月に、彼女は家族から「父が交通時事故が起こった」の電話をもらった。彼女は急いで病院に駆け付け見舞いって、ただ父の苦しみ表情と茫然な様子を見た。彼女は父に何処に交通事故が起きるか?どのような車にぶつかれるかと尋ねた。父は完全に記憶がない、ただぶつかった後道の側に他人に見付かって電話で救急車を呼ぶことを覚えた。医者の検査を通して、父の肩甲骨は引き裂いていく傷といくつかの軽微な外傷があって、残りのが大きな問題がないで、ただ帰ってよく休んだら問題ないです。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深く加持がないなら、父が既にさって、或いは、恐らく重傷をもらってICUに入った。

10月初めの明け方、彼女の一番目の弟は家の入り口に落葉とごみを掃く時、ある貨車が2つ3つの鶏かごが道の真ん中に落ちて、安全の為に、一番目の弟はそれを道の側に引っ張ると思って、だから、道の真ん中に歩いて、この時、ほかの貨車にぶつかられた。病院に向いて応急手当をした後、一番目の弟の頭のてっぺんの上にある直径の20~30センチメートルのがあって、ホッチキスでうまくして、その上、全身に多くの重さと軽さの傷口があって、殆ど一つがいいところがなかった。MRIの検査を経て、1番目の弟の情況はすべて悪くなかった。宝円膏を使って傷口を使って、1番目の弟の傷口がとても速くて回復し、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持にとても感謝した。

彼女は母が生前、病気でベッドで横になった時に、母に対していらいらして、母に代わって懺悔していない、母に親孝行していない、上師に尊敬していない、上師の体力と福報を消耗させた。彼女は下記の事を懺悔した。子供の頃に、参考書を買うお金がないですので、クラスメートのを持って連れた。従兄弟に従って小さい昆虫をつかんで、また焼いて食べた。耕地の時、衆生を傷つけて、怖がった。蚊、ハエ、アリ、ゴキブリとネズミなどを殺害した。ニワトリ、アヒル、ブタと魚、エビのなど海鮮を料理した。結婚する時に、肉食にて招待させて、産後1か月間の養生をする時、また多くの衆生の肉を食べて、彼女が深くて懺悔した。

感情の方面で、彼女は自分の欲求、欲張りな愛を放任して、他人の感情をもてあそんで、婚約をしたがすぐに後悔し、逆に他人に付き合った。彼女は主人と付き合う時に2回目の子供を落ちさせたことを懺悔した。子供、妻、姑、母、義姉妹として、自分のつとめをうまくすることがない。彼女はこの世に身口意が他人に傷害し、他人に煩悩を起させることを懺悔した。彼女は十善法を努めて修めることがないのを懺悔した。2012年尊勝なる直貢チェツァン法王は台湾にいらっしゃって、彼女は番組の点燈がわざと作る直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェの専門訪問をみないて、事後、誠実的な承認していないを懺悔した。彼女は一切な行為が『仏子行三十七頌』を従うことがなかった。彼女が懺悔した。彼女は自分の過去世と今世にする悪行と悪い道徳を深くて懺悔した。

最後、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持にとても感謝し、その上、リンチェンドルジェ・リンポチェのお体を健康し、法輪を常に転じて、仏法を永遠に世に残っていることを望んでいる。

法会が始まって、リンチェンドルジェ・リンポチェは1人の出家の弟子に、ある在家の弟子が土曜日にリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する時に何の誤りを犯したかと説明させるよう指示した。出家の弟子は、あの弟子が皈依戒、三昧耶戒を破って、上師に信心と恭敬心がない、《地蔵経》が記載されるように地蔵菩薩は自分の母親が往生してどの道に生まれたかと知りたいため、ずっと仏像に礼拝して四肢が血を流したまで礼拝してしまい、しかもすべての身代を換金して大供養をした後、ようやく母親がどこに行ったことが分かることができると言った。そして、リンチェンドルジェ
・リンポチェは引き続きこう開示した。この在家の弟子は以前に父親が往生したからリンチェンドルジェ・リンポチェに祈り求めて、そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に施身法法会で彼女の父親を済度することを承諾された。

その時、リンチェンドルジェ・リンポチェは真言を唱えて亡者を加持した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て、彼女の父親の状況と弟の性格を正しく言い出したが。しかし彼女は依然として信心を十分に備えていなくて、施身法法会が終わってリンチェンドルジェ・リンポチェにお伺いを立てて、どうして彼女が自分の父親を夢見たことがないかと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したが、しかし彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに自信を全然持っていなくて、更にリンチェンドルジェ・リンポチェはすでに彼女に父の状況と弟の性格を教えたのに、彼女はまだ夢を見ないと役立つと言えないと思っている。これは民間の信仰であり、仏教の中には書いていないで、彼女はこのような心構えがあって、もう弟子とする必要がない。リンチェンドルジェ・リンポチェは現場で、彼女が皈依弟子をする時の身につけているベストと法本を取り返して、これから彼女がただ信者とすると指示した。

リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示した。どうしてそなた達に《地蔵経》を唱えさせたのか。読経した後に仏に会える福報があるのではなくて、そなた達に起心動念(心の起こり・念の動き)が全て業で、罪であるということを知らせる。お経の諭されたのはすべて真実の言葉であり、すべての字は衆生を利益しているのである。もしそなた達は誤り、業が無ければ、ここに座ることがありえない。そなた達はちょっと礼拝したらもういいと思って、地蔵菩薩が大福報があっても、いくら礼拝したことが分からなくて、大布施をして大供養をしてから、はじめて母親がどの道にあるのが分かった。どうして仏を礼拝するのか、とういのは福報を累積するためであるから。この弟子がこんなに長く皈依して、リンチェンドルジェ・リンポチェも彼女に父親の状況と弟の個性を教えたから、それはリンチェンドルジェ・リンポチェがすべての事を知っていることを表す。まだ来て聞きたい。済度された亡者は帰って夢見させるのではなくて、そなたに亡者を夢見させるのは2つの原因がある。1つはまだ済度されていないため助けてほしい。もう1つの原因は往生した眷属がそなたが凄く間違ってしまったことを見て、そなたがずっと間違っていくことを心配して、帰って来てそなたに気づかせるのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ開示している所、マイクを伝える仕事を担当するある弟子は急に立ち上がって、いまさっき発言した出家の弟子にマイクを取り戻してきて、リンチェンドルジェ・リンポチェは直ちにこの弟子を叱り付けて、「リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたがマイクを持ち帰ることを指示したか。そなたは出家の弟子がもう言い終ったと思うか。」と言った。そして彼を厳しく責めて、この出家の弟子の話がずいぶん多いと感じるかどうかを聞いて、或いは出家の弟子が言う内容が彼を言及しなかったと思って、だから重要ではなくて、仏法と関係がないと思うのか。彼はせっかちにマイクを持って帰って、もしかすると自分が言いたい話があるのか。その故、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子に自分でマイクを持って5分間話させた。上師の指示に従って、この弟子はたいへん悔しいと感じて、リンチェンドルジェ・リンポチェにひっきりなしに懺悔して過ちを認めて、最後に声も立てずに泣いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に何が間違ったかと聞いた。彼は自分のさっきの挙動が独りよがりなので、上師に恭敬しなくて、上師が仏法を開示されることを妨害し、仏法を聞いている皆さんに申し訳ない、と懺悔した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて開示した。理屈から言えば、この弟子は皈依してこんなに長くたって、ずっと法会に参加していて、体がますます良くなるはずであるが、しかし彼の話の声を聞いて、彼の血気が不足であることが分かる。リンチェンドルジェ・リンポチェは現場に居合わせる1人の漢方医の弟子が漢方医の観点で説明させて、この弟子が確実に血気が不足する状況があると言われた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、同様に菜食料理を食べていて、この弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェより若いが、どうして顔色がリンチェンドルジェ・リンポチェに及ばないか。2人ともマイクを使って話したが、皆はとてもはっきり耳にすることができて、リンチェンドルジェ・リンポチェの血気はとても十分である。比較すると、この弟子の血気は明らかに不足する。当然、リンチェンドルジェ・リンポチェが密法を修めているのは原因のひとつで、最も重要なのはこの弟子の心が直していなくて、皈依してこのように久しくたって、それとも我が道を行く、息をずっと浪費して、福報を消耗してしまって、その故息が不足する。彼が密法を修める資格がなくて、そなた達もすべて同じであり、自分の考えにて仏を学びにくるため、どのように修行してもすべて役に立たない。ただいくつか人天福報を累積して来世に使うしかできない。リンチェンドルジェ・リンポチェのある親友は以前リンチェンドルジェ・リンポチェに、良い弟子を教えたことがあるかどうかとよく聞いて、リンチェンドルジェ・リンポチェはないと答えた。何故かと言うと、そなた達はすべて上師と仏法に1百パーセントの信心までやる事ができないから。

そなた達は自分の心を放縦することに慣れて、自分の利益のため、絶えずに他の人を傷つけて、すべての行為、言葉、思想は先ずは自分を配慮するのである。仏法の中で広く善縁を結ばなければならないと諭して、善縁はただちょっとした善念さえあれば、縁を始めるが、相手は善の念が無いと縁が無い。しかし皆は自分だけを考えていて、これまで周囲の人の言語と反応を体得しなくて注意しなくて、ただ自分の考えを配慮するだけ。さっきあのマイクを持ち帰った弟子は自分がマイクの担当だと思って、だから早く持ち帰って、このような考えは自分だけを配慮していて、だから上師がまだ開示していたことを全然注意しなかった。彼はなぜ泣いたのか。別にリンチェンドルジェ・リンポチェに処罰されることを恐れるのではなくて、道場を離れると加護がなくなる事を恐れる。彼はそなた達と同じ、リンチェンドルジェ・リンポチェが凄いということを知っているが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェがどのくらい凄さを信じない。すべては表面のことをして、日頃には表面上でとても恭しいが、今日正体を現してしまった。仏を学ぶのはもし意図がなければ、ただ表面的に仏を学んだら、どっちみち問題が出る。

そなた達は他の人の事を見てすべてが自分と関係がないと感じて、自分の名前を言っていないで、他の人が間違いをしたと感じて、そなたを言っていないから大丈夫だと思って、物語を聞くことだけとして、自分を検討し反省していないで、実はそなた達はすべて同じであり、同様な貪、嗔、痴、慢、疑がある。この父を夢見られない弟子を例にして、彼女の父はもともとリンチェンドルジェ・リンポチェが施身法を修めて済度されて、すでに欲界天の最高レベルに生まれ変わることができるが、しかしこの弟子が上師に信心と恭敬心が十分にないから、彼女の父を欲界天の最高のレベルから急に最低のレベルまで降りた。これまであなた達が日頃に他の人に教えないで、他の人に仏法の殊勝さを知らせないで、このようになった。そなた達は今までなんと殊勝であることを他の人に知らせることを思ったことがない。すべては自分が皈依して、法会に参加してもう加護があると思っていて、事実上あなた達は念仏を唱えて、懺悔することなどはすべてただ縁だけを結び、もし耳にした仏法を生活上に実行して自分の行為を改正しないと、どんなに多くの仏法を聞いてもそなた達に本当に助けることができない。

《阿弥陀経》は諭されたことがあって、福徳因縁が不可欠な善男子、善女子はようやく浄土に往生することができる。十善法をやり遂げていないで、皈依していないのは、どのように浄土まで行く縁があるのか。皈依して仏像に礼拝しているのは仏弟子ではなくて、因果を深く信じて、努力して仏法を修行して、生活の中に実行しなければならない。そなた達は皆因果を信じないで、ただ信者だけである。現在の社会はすべてとても発達していて、ついでにテレビを開けてある人が仏法を言うことを見える。そんなに容易に聞こえたら、かえって仏法によくなくて、皆に仏法に対して大切にさせない。

そなた達はすべて自分が因果を信じると思ったが、実はそなた達は信じないで、よくない事に遭ったら、すべては先ずは他の人を責める。そなた達が言われた因果を信じることは通常に大事を起こした時に、ようやくそなた達が因果を信じると言って、例えば重病に罹って、家で状況が出て、このような時はそなたは因果だと思って、しかしそなた達は小さな事に遭ったら、それは因果だと思わない。実はこれは因果を信じないと同じ、すべての事ごとに因果があって、大きさを区別しないで。そなたが今日病気にかかること、他の人に批判されることなど、すべては果の出現である。そなた達は自分が他の人にしたのがすべて自分の身に戻すことを信じない。そなたが他の人に言ったいかなる話、やったいかなる事は、最後は全てそなたの身で現れる。その上、そなたが以前他の人を叱る口ぶり、甚だしきに至ってはそっくりな言葉遣いでそなたを叱る。末法時代の因果応報が熟するスピードはとても速くて、因果応報は来世になることを待つ必要がなくて、すべて現世の応報である。

数年前、ある夫妻の子供は珍しい病気に罹って、彼らにとても大変に苦しくならせた。皈依した後、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と助けを通して、子供の病気をしっかり安定させて、この夫婦はもう大丈夫だと思って、遊び始めることができて、真面目に仏を学んでいない。それから子供が発病して亡くなって、往生した時にリンチェンドルジェ・リンポチェが殊勝なポワ法を慈悲に修めて済度して貰った。しかしこの夫婦は子供がよく済度されて、もう大丈夫だと思って、警戒心が分からないで、享楽し始めて、力を仏を学ぶことに用いないで、かえって喫茶店を設立し、お金をまるまる損なってしまった。彼らはきっとお金を儲けなければならないことを言って、完全にこのお金を持って慈事をしに行くすることができると思い付いていないで、2人ともお金を儲けるのがとても重要だと言えて、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らを助けたのは、彼らをよく仏を学ばせるためであることを全然思い出さなかった。最近彼らは再度妊娠して1人の子を生んで、子供はまた状況があって、医者さえこれまでこんなに深刻に中毒な子供を見たことがないと言った。《地蔵経》の中で人生の子供が若死で死んで、再生して、また亡くなって・・・・ 、連続で13人の子供を生まれても、結果はすべて同じである。大布施、大供養を通して、仏法の助けのため、やっと子供と彼らとの間の怨を終わった。このような子供はそなたを苦しくさせて、借金を取立てに来るから、そなた達はどうしても信じなくて、物語を聞くことだ感じる。仏は物語を言うのではなくて、仏陀の諭したのはすべて真実な事である。

一つの命の業力でも絆を長く繋がったが、自分は累世命をいくら借りたのを考えてみよう。すぐ解決できるわけではない。祖師ジッテン・サムゴンは嘗て開示されたが、リンポチェの果位を修める上師は全て能力があって衆生に病気を治れる。しかし、衆生は病気が良くなると、若し精進で仏を学ばないなら、業障は再び戻った。精進ではないとは自分は既に十分を行ったと思ったから、用心に仏を学ばない。リンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩はそなたを助けて、そなたの業力を抑えるや暫く止る。しかし、そなたの果報を消えられないが、唯少しの時間を集めた。そなたは自分が仏を学んで修行すれば、機会があって業力を転じられる。

そなたは法会に参加したから、既に冤親債主を済度されたと言われるかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェは次の如く開示された。済度とは沢山な段階を分けるが、たとえ天界の欲界天に行っても、段階を分ける。済度は通常に人道や天道に行って彼に三悪道に堕ちさせず、亡者は人天を転生しても相変わらずそなた達と関係を持つから。天界に生まれた衆生は能力が一般人より百万倍を強めた。若しそなたは仏法の助けを受けたあと、恩義を忘れるのを分かるなら、瞋恚の心を起し、自然にそなたに悪い影響を与えた。

《阿弥陀経》に記載されたが、この五濁悪世でこの信じにくい法を説くとある。何故信じにくいだろう。それはそなた達は皆見濁、煩悩濁が特に重いから。前回出家弟子に五濁を説明したが、その中の見濁は全ての人は自分の考え、感覚で仏を学んだから、自然に仏法と背馳した。全ての人は貪、瞋、痴、慢、疑の煩悩があり、煩悩があれば、輪廻になる。仏経を唱えても自分の考え方で求め、仏菩薩が何処や自分の考え方に従って助けを与えるかどうかを見る。

昨日ある女信者はポワ法の殊勝を聞いたから、両親のためにリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法を求めた。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは約束しなかった。ポワ法は極めて殊勝なので、仏菩薩の慈悲及び修行者が能力があって修法する事以外、亡者自身も必ず大因縁と福報を具えれば、求められる。それで、リンチェンドルジェ・リンポチェはある出家弟子を指示して、昨日如何なるあの女信者に説明するのを皆に報告させた。出家弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェに報告したが、あの女信者は自分が両親の時間が足りないと心配したから、両親のためポワ法を求めたいと話した。出家弟子は彼女に言ったが、ポワ法を求めれば、必ず大因縁福報、三宝に十分な恭敬心と信心を持たなければならない。あの女信者は当時道場にある者が大礼拝をしているのを見たが、この出家弟子に聞いて、この人達と同じように此処で大礼拝をすれば、福報を累積できるだろう。この出家弟子は彼女に返事した。そうではないが、最も重要なのは必ず三宝に敬わなければならない。更に彼女に常に懺悔しているや常に布施しているか三宝に敬っただろうかと聞いた。結局あの女信者は返答に窮した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは次の通り開示された。何故信者はこのような観念を持っているだろうか。それはそなた達が弟子として、親戚や友達にポワ法の殊勝を強調しなくて、はっきりにポワ法の得難いを言えないから。言えばいいと思ったから、他人にポワ法はいい加減に得られると考えさせた。ポワ法を得て済度されるのは因縁福報を具えなければならない。

そなた達は自分が教えに従って修めるから、自分が事故に遭えないと思った。自分はその時行えて、把握できると思ったが、境界が来るまで始めてできる事はとても難しいと分かった。今朝ある乳癌に罹った弟子が亡くなったが、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子のためポワ法を修める時分かった。この弟子は亡くなった後、心に自分の息子を懸念した。リンチェンドルジェ・リンポチェは今までこの女弟子は息子が有る事を分からなくて、唯娘があることしか分からない。それは彼女の息子は今までリンチェンドルジェ・リンポチェの前に現れなかったから。この弟子は亡くなる前に嘗て公開に発露懺悔したが、表面に恭しくてとてもリンチェンドルジェ・リンポチェを信じると見えた。しかし、今朝リンチェンドルジェ・リンポチェはこの亡くなった弟子のためポワ法を修めた時、彼女の心にまだ自分の息子を考えて、執着しながら懸念しているのを分かった。当時彼女の息子は唯遺体を離れて、彼女に服を取るために帰宅したけど、彼女は心に息子を懸念した。此処から見ると、この女弟子は確実に《仏子行三十七頌》を修めていない。

その時、リンチェンドルジェ・リンポチェはある出家弟子に聞いて、眷属は何ですか。この出家弟子は「眷属とは冤親債主である。」リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、この部分昔に開示された。《仏子行三十七頌》に記載するように:「家族が水の如く行き来するようだ。」我々の家族や眷属は水のように行ったり来たりして、止らないが、通れれば無くなった。しかし、我々が家族と関係はとても薄いと言えないが、唯はっきりに全ては唯縁であり、通れれば無くなるのを分かった。この亡くなった弟子は若し生前に《仏子行三十七頌》に従って修めれば、亡くなる時少し離れた息子を止らなくて懸念するわけではないだろう。

そなた達は皈依しなくても構わなく、仏法を聞いた後自宅で修めればいいと思わない。この方法で修めるわけではない。それは皈依しないと、頼りが無いから。例えば先亡くなった弟子に関して、彼女は供養せず、沢山な戒を破った。しかし、彼女は如何してもこの道場を離れていない。最後彼女は懺悔心を起したから、彼女に福報があってポワ法を得させた。唯、この弟子は亡くなる時、息子を懸念したから、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得て、ポワ法を修めて浄土へ済度しても、亡くなる時の懸念と執着は彼女に浄土で果位がすぐ落ちた。そなた達はどうせ浄土へ行ったから、どんな果位を得ても全て同じで行けばいいだと思わない。浄土に最低な下品下生は12小劫まで修めれば、始めて花が咲いて仏を見える。1小劫は人類の時間から見て、10歳から始めて、100年毎1歳が増えて、8万歳になる。また8万歳じゃら始めて、100年毎1歳を減って、10歳までこのような長い時間は1劫と言える。12小劫の時間はいくら長いのはそなた達は家で帰った後計算してみる。

たとえ皈依した事があって、若し上師と仏菩薩に疑った人なら、在世の時に善を行い、仏を唱えて、ポワ法を得て済度さえれても、亡くなった後相変わらず浄土に入られない。唯浄土の外回り、疑城という所に生まれる。500劫の間に仏を見えず、浄土の門外漢になる。疑城の中に大福報があってとても長生きなのに、仏法を聞けず死んでも引き続きに輪廻している。

そなた達はこの亡くなった弟子は大金でリンチェンドルジェ・リンポチェに供養したのを思わない。彼女は金が無くて、全ての金は自分の子女に使った。それは彼女は亡くなる前に発露懺悔して、上師に信心と恭敬心を起したから、彼女に福報を累積させて因縁があってリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法を得られた。供養とは金だけ出せば、供養とは言えない。大懺悔心を発しても供養である。リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して懺悔を分かるが、皈依しない人は言うまでも無い。リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を助けて、金銭のためではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェの大能力で名誉と利益は両者とも得て、苦労に仏法を広める必要がない。しかし、仏経にそのように書かないので、リンチェンドルジェ・リンポチェもこのように行わない。寶吉祥仏法センターは商売をするではなく、仏を学んで修行しているため。リンチェンドルジェ・リンポチェも基金会或いは寺院を設立しない、直貢チェツァン法王の指示がある限り。

そなた達は毎回《仏子行三十七頌》を唱え、仏を唱える機器が唱えているようだ。そなた達は用心に唱えて、覚えてから行うだろうか。《仏子行三十七頌》とは仏弟子として必要な基準である。各条でも行わなければならない。行わないなら、自分が仏弟子と言われない。《妙法蓮華経》に説かれたが、観音菩薩は衆生が済度切れないため、涙が流れた。せっかく衆生から毒蛇、猛獣が満ちる森を救ったばかり、首を横に振ると、衆生は再び遊びに入った。仏は物語を説かず、事実しか説かない。今日大乗仏法と密法を説かなく、そなた達は顕教の経典さえ信じない。むしろリンチェンドルジェ・リンポチェは開示しても、そなた達はやはり聞きこめなく、頑石のように如何なる打っても入らない。

《観音菩薩普門品》に記載の如く:男の子を産みたいと願えば、知恵のすぐれた、福徳のすばらしい男の子が生まれ、女の子を産みたいと求めれば、容貌の美しい、みんなに大切にされる女の子が生まれる。それ以外まだ霊験な事があり、此れは全て神話ではなく、全ては真実である。毎日沢山な人は観音菩薩を求めるが、しかし、何人が求められるだろうか。一人もいない。それは全て善男子、善女人ではないから。全ての人は貪欲で仏を求めるが、此れはそなた達は求められるわけではない。必ず十善法を行う善男子、善女人である。そなた達は慈悲を修めないが、如何なる観音菩薩と相応できるわけではない。何故リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に引き続きに法会に参加させるだろうか。それはリンチェンドルジェ・リンポチェは仏の要求を行ったから、そなた達を代表して仏菩薩に祈れ、そなた達のため業の力を妨げて、そなた達に時間があって仏を学べる。しかし、若しそなた達は仏を学ばず、業は相変わらず元にそなたを見つける。多くの人は皆リンチェンドルジェ・リンポチェを見た後、自分の病気が治ると望んだが、リンチェンドルジェ・リンポチェは唯皆を助けて時間を止めて、そなた達に時間を与えて仏を学べるだけ。続いて若しそなた達は精進しないなら、病気は再発する。そうすると何もできない。

仏法から見ると、衆生は全て同じである。何故リンチェンドルジェ・リンポチェは皮膚癌に罹っても治られただろう。それはリンチェンドルジェ・リンポチェは自分が癌に罹ると分かる時、仏菩薩を求めず、直貢チェツァン法王に自分が治るため法を修めるのを求めない。唯完全に自分の果報を受けて、努力に仏法を修めていた。冤親債主は若しリンチェンドルジェ・リンポチェが成就を得て、自分たちも従って済度を得られると分かれば、自然にリンチェンドルジェ・リンポチェを妨げない。例えば、《仏子行三十七頌》に説かれたが、たとえ重病に罹っても、自分が衆生を変わりに苦しみを受けると考える。そうすれば、病気の苦痛はそなたへの影響は軽減して、尚更に全くそなたに影響しない。

そなた達の福報はとても薄いが、法会に参加して布施や供養など全てそなた達に福報を累積するため。若し福報が足りると、病気の苦痛があっても、そなたに苦しみを受けさせない。何故、そなた達は法会に参加した後、病状はよくなるだろうか。それは上師及び仏菩薩はそなた達を助けて先に冤親債主を交渉して、そなた達に時間を与えて修行させる。しかし、唯そなた達を妨げて、伸ばしただけ、そなたの業果を消えない。仏菩薩は必ず衆生を加護しなければならない。しかし仏菩薩でも衆生の因果を変えない。そなたは自分が誠に仏の教えに従って、精進して修行すれば、変える。一つの念の差はそなた達に法会に参加して累積した福報を全て消耗できるのを注意しなければならない。そなた達の福報は徐々に減っていたが、そなたが心を起して、念を動くと、全てそなたの福報とエナジーを消耗した。仏法は福報を説き、科学はエナジーを説いた。そなたは一つの念を起すとき、そなたのエナジーと福報を消耗する。一つの念は自分のために考えれば、そなたのエナジーは少し減った。しかし、若しそなたの念は衆生を利益する事であれば、そなたの福報は消耗せず、却って増える。

仏を学ぶのはそなた達の人生に頼りを有らせるのではない。そうであれば、そなた達こんなに多くの人に対して、リンチェンドルジェ・リンポチェも引っ張ることが出来ないだろう!仏を勉強するのはただ自分の心霊を平静させて、自分の人生の方向を分からせれば、ある心霊のコース、或いは心療内科医を見に行けば結構だ。仏を学ぶのは自分の全ての債を返し、こうして生死を離脱することがはじめて出来る。そなた達にもっと多くの時間をあらせるのは享受をさせて、未完成のことを完成させると思わないで、それはそなた達に仏法を受けてはじめて浄土へ往生する福報を十分蓄積させるのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは先週1人既に往生してポワ法を得た女弟子を言い及んだ。彼女の息子は先週法会する前嘗て言った:「母親が病気にかかった期間、口が咬むことが出来ないので、料理番組を見て食べるの欲望に満足した。」彼女の息子はあれは面白いと思って楽しかったがリンチェンドルジェ・リンポチェは申され、この女弟子が口腔癌にかかったのは食べることから。既に病気にかかって食べることが出来なくなって、これによって修行して自分の欲望を減らすはずなのに。これは即ち「心経」の中に述べた「顛倒夢想」だ。そなた達は全部顛倒夢想で日を暮らし、違うことまだ正しいと思った。今日は母の日、多くのレストランがとても賑やかで、多くの者は母親を引き連れて高級料理を食べに行き、こうすると母親の福報はまた損耗するのを全然知らず、一口の肉を食べると少なくとも3-5年の寿命。

先週ある女信者が法会の中にリンチェンドルジェ・リンポチェに追い払われた。それは彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェが皆を引き連れて六字大明呪を唱えた時、自分が病気にかかった子供を連れてトイレへオムツを交換しに行った。行くと半時間もかかり、仏菩薩、仏法を信じない、子供のことをこんなに心配するなら、早く病院に戻ったら。リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ現場の医者さん弟子、もう少し遅れにオムツを交換すれば子供に対して影響があるか?と聞いた。医者弟子がどの影響もないと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェあの頃もこの女信者が来週法会に来ないはずと予言し、やはり、彼女が今日もう法会に参加しない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは申された:「彼女の心は仏菩薩、仏法を利用して、懺悔心がない、仏法を信じない。信じて敬えば、呪文を唱え終わるまで耐えるはずだ。」先週彼女はまさか道場を出ると言った:「リンチェンドルジェ・リンポチェが不慈悲だ子供の具合がわるいので、母親として彼のオムツを交換するのも叱られた?」リンチェンドルジェ・リンポチェは申された:リンチェンドルジェ・リンポチェは不慈悲ではなく、慈悲すぎた、慈悲は事なかれ主義ではない、それで彼女が正しくないやり方と敬わない心を訂正して、この信者が出である謗仏を言わせないから。リンチェンドルジェ・リンポチェは知っていて、そなた達は全部リンチェンドルジェ・リンポチェを利用し、ある時寧ろそなた達に利用され、そなた達に自由をさせ、そなた達が仏法を受ければ結構だ!仏法は慈悲で人様を助け、しかしこの衆生には縁があるかどうか、従順するかに決まる。

因果は全部小さいのを蓄積してから大きいになり、何時も小善を累積しなければ、大善にあるわけがない。そなた達は全部小悪をしたら大したもんではない、自分の身に発生することはない、いつも蓄積すれば、悪果が現れる。大悪も小悪より累積して来たのであり、出来ると変わりがし難い。因果を信じないものは仏を学ぶことが大変難しい、それはなぜ金剛乗は必ず上師を信じると要求する。みんなの善業が重くて、悪業も重いから。仏経に述べ、仏を勉強するのは自分の累世輪廻の原因を知って初めてこの世に仏法に落実して、輪廻の因を断つ。そなた達は全部因果を信じない、自分が累世に多少悪をしたのを信じない。なぜ癌症にかかたか?どうして病気にかかるか?福報が既に大部を消耗してただ少しの福が残り、あれは仏法を聞くために使い、この時一層精進して修行して、また福徳資糧を蓄積して仏を勉強し、自分の福を延続して、自分に仏を学ぶ福を有らせるこそ一番重要だ。この世に多くの時間を有らせて仏を勉強し、この世で輪廻を断つすることを決めよう。そなた達は福を惜しむとは良い日をそのまま引き続けると思わない、これは自分の福報を損なう。所謂福を惜しむとは、仏を勉強する福報を大切し、食べ物を全部食べるべきではない、或いは買い物しない、あれは全部慳貪である。

寶吉祥仏法センターはそなたに仏を学ばせる所で、そなたを楽しませるのではない、欲望を求めさせるのも無い。仏を勉強して、そなたがいい旦那、いい女房を見つけることには役に立つと思わない、これらは全部修行と関係ない。そなた達は此処に仏を学びに来て、全部めちゃくちゃ一山ような考え、悩みを持ってだらしない様子で来た。そなたは楽しいが欲しければ、外の坊間の団体に参加したら、毎週そなたに歌わせたり、踊らせたりして、そなたに楽しませる。

上師に対して恭しい心があれば、福報も生じた。心の中に疑いがあれば、上師の加持があっても役に立たない。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法をそなた達に教え、そなた達はご自身にて修めなければならない。皈依して法会に参加に来て上師に頼って結構であれば、リンチェンドルジェ・リンポチェの上師は直貢チェツァン法王で、修めなくてもいいか?なぜまたあんなに苦労して閉関したか?皆の福ほうは全部大変浅い、一ヶ月か二ヶ月の閉関修行が出来なければ、修めえることが本当に出来ない。上師の威徳力に頼らなければ、そなた達は仏を勉強するわけがない。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの能力がとても容易と思わないで、全部閉関修行より修め得たのである。閉関はそなた達が思ったようにただ一つの部屋の中に閉めるのではなく、生活は大変刻苦だった。閉関する時お風呂に入ること、指つめを切るのも禁止で、部屋の中に閉められて随意に進出することは禁止だ。、

リンチェンドルジェ・リンポチェは2007年ネパールのラーキ雪山で3ヶ月を閉関し、出関した後、全身全部清潔だ。ある者もリンチェンドルジェ・リンポチェをまねて同じ所で閉関し、七日後出て結局全身全部皮膚病だった。リンチェンドルジェ・リンポチェはあの頃すごく考えできないなぜこうになったか?恭敬心が足りないのせいか?またあの部屋はリンチェンドルジェ・リンポチェが泊まったので彼が入ることが出来ないか?その後、ある日リンチェンドルジェ・リンポチェは一つの科学の番組を見た。これは人体の皮膚の上にはどこにも細菌があり、毎日お風呂に入れば繁殖の速度が少しを減ると紹介した。番組の中にまた一つの実験をし、彼らはその中にの1人司会者の皮膚を少しの屑をとり、1枚の人造皮の上に置いて、常温の下に7日間を置いて、7日間後この人造皮の上には黴菌がいっぱい生えていた。これも仏経に載せてあり、人のお腹の中に虫がいて、成就を修めえるとお腹にの虫全部済度を得ると印証した。古代には細菌との名詞がない、それで虫として表す。同じではない環境であれば別として、しかし同じの部屋の中に閉関し、それに、あの人はまたあらためて、1枚新しい下敷きをかけて、結局こんな違う結果になった。そなたは清浄心で閉関すれば、どんな苦しい環境でも大丈夫で、そなた達なら地元のひどい寒さを耐えることが出来ない。そなた達はミラレバ尊者が弟子達を引き連れて洞穴の中に修行し、こんな苦しい環境さえ、彼らは大丈夫だった。

仏経には載せてあり:善逝因縁。リンチェンドルジェ・リンポチェは初め出て衆生を助け、今まで往生するときは「善逝」だったのは数え、大部は多くの医療痛苦を経た。善逝とは往生する前身心ともどの苦しみを受けない。リンチェンドルジェ・リンポチェは1995年出て人を助け、死ぬ前苦しまないのを見たことはない、「純善」が出来るものが無いから。リンチェンドルジェ・リンポチェはこんな多い衆生を済度して、善逝する衆生は見たことがない。本当に落実で仏法を学ぶ者は往生する前にも四大分解を経るべき、とても早く終わるが、またどの苦しみもない。病気にかかったのは唯一つの過程で、家庭の中に障碍者がいても落胆しない、これはかえってそなたが仏を学ぶ動力になるから。病気にかからない或いは障碍がなければ、そなたが仏を学ぶことを思わない。病気にかかって、苦難があるため、そなたがはじめて仏を学びに来た。今日そなたがいい日を暮らせれば、仏を勉強したくない。仏に対して強烈な信心があれば、不治の病気にかかっても苦しみを感じない。実はリンチェンドルジェ・リンポチェの業障はそなた達のより重い、それでそなた達こんな不従順な弟子を貰い、こんなに多く教えてもやはり私利私欲であり、こうしてなぜまだ仏法を説くか?仏を勉強すればするほど皆が貢高我慢になり、そなた達は一体なにか誇りがあるか

そなたは三宝に対して敬わないがまだ丈夫で、心の中に運があると思えば、あれは御めでたいことではない。そなたが往生する時、皆が一緒に勘定しに来て、仏菩薩がそなたに決算するのではない、そなたの冤親債主だ。あることが起こせば、かえってそなたにご注意をさせる。

どうしてポワ法にて済度されるご遺体が斑がないのでしょうか?ご遺体の斑はそなたの身体にいる細菌がそなたの肉をたべている。そなたは命がまたある時に、そなたの身体がこれらの細菌に栄養を供給することができる。そなたは往生する後、そなたの身体が細菌に栄養を供給されない、だから、細菌がそなたの肉を食べてはじめる。現場にはある医者の弟子がいて、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法に済度されるご遺体が多くてみたことがある人である。これらのご遺体の上に死体の斑をみたことがないで、長くてご遺体が冷蔵で長くて保存しても、同じようにとても柔軟である。この医者はリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法に済度されるご遺体の身に確かに死体の斑がない、他のご遺体がすべてあると報告した。普通は、慢性病であれば、死者が往生する時に死体の斑を見える。もし急性病で死ぬのは死ぬ後の半時間以内に死体の斑が現れて、いままでにはご遺体に死体の斑がないことを見た事がない。医者弟子は彼があるご遺体が遺体保存用冷蔵庫に6時間で保存されて、ご遺体が既に結氷し、が、リンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法に済度された後で、てっぺんの梵穴が暖かくて、ご遺体が柔軟で死体の斑が消えてなくなった、と表示した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは腹の中の虫がすべて済度をもらえるわけと開示された。そなた達は死体の斑があることがあたりまえと思っていて、しかし、仏法がこのように思わないで、仏法がつくってそなたに見させることができる。その上、リンチェンドルジェ・リンポチェに済度されるこれらのご遺体は火葬する時すべて臭い味がない。多くの人々はこの経験があって、側にご遺体が火葬するのをまっている時に、普通な焦げるにおいを嗅ぐことがない。が、普通なご遺体が火葬する時ににおいがあって、そなた達が思っている血と肉を燃やすにおいではない、これは体には多くの穢があるわけで、きたない気の穢だ。

仏法は科学と抵触していない、科学が仏法の存在を証明することができる。『華厳経』には最初から主旨を明らかにして地球が青くて、銀河系があって、多くの形がる宇宙があることを説かれた。いま、科学者は五度の空間を既に発見し、その上、もっと多くの空間の存在を認める。ある出家衆弟子は皆に下記のように報告した。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェのようなはっきり『華厳経』の意味を開示されることを聞いたことがない、坊間の人がただ皆を率いて『華厳経』を唱えて、解釈していない。前回、リンチェンドルジェ・リンポチェが「華」と「厳」の意義を開示することを聞いてから、とても揺り動かして、同時にとても喜ばしくて、仏法が本当にとても殊勝である。

リンチェンドルジェ・リンポチェ引き続いて開示する。科学者も宇宙がお経の説くように、外へひっきりなしにこ拡大していくを発見された。『華厳経』が説くのは修行だけではなくて、全ての虚空を紹介して、大宇宙論である。三千年余り前に、宇宙観を説く人間がきわめて少ないので数えることができる。宇宙は無限な大きくて、我々が住む太陽系以外にまた銀河系があって、この銀河系の以外にまた無数な銀河系があって、仏経に記載されているのはストーリを言っているのではなくて、すべて真実だ。仏経に記載さている億万仏で、一つの仏であれば、一つの仏土で、一つの仏土であれば、一つの銀河系で、宇宙には少なくとも億万の銀河系がある。『阿弥陀仏』に説かれるの10万億仏土はそなたが如何に広いことを考えてみる。

人類はい最多で銀河系を見ることしかできなくて、その他の部分をみる能力がない。仏経に記載されている須弥山と鉄囲山が本当である。科学者はすでに銀河系の形成の方法が噴水のみたいを観察し、泉の水が噴き出す時に上へ噴き出して、1基の山のみたいで、また、他の河系は周りをめぐっている。須弥山の周りに四大部洲があって、地球が南瞻部洲を属して、また、東、西、北があって、この四部洲がすべて人間の存在がある。最近、科学も太陽系の後で他の天体の存在を発見し、ただいま我々が見えないで、自分が見えないので存在していないと思ってはいけない。我々はただ地球にいる人類だけで、自分が最高な主人と思って、が、銀河系の範囲を超えられない。

地獄はこの地球の上に存在するだけではなくて、地球が消えてなくなる時に、つまり『地蔵経』で記載されているこの器世界が消えてなくなる時に、地獄道にいる衆生が他の世界の地獄に生まれて、ひっきりなしに苦しみを受けている。

だから、たとえあなたは「天」に至っても、ただ宇宙の微小な一部分だけである。なぜならば、仏は十方法界を説いて、つまり、同じところで十度の空間があって、仏経が法界という言葉を使う。現在、科学家は五度の空間を発見し、その上、もっと多くの空間の存在を認めた。あるところで同時に十度の空間の存在があるので、自分が何をしたらだれでもわからないと思ってはいけない。因果を知っている。そんたはある考えを起したら、全ての宇宙が知っている。これも仏経を説くのように、宇宙が無限な大きさができで、しかし、ある毛穴にあることもできる。大小はただ我々の分別心だけである。仏法は宇宙観を諭して、仏を学ぶ心が必ず広大で、地球の衆生の心量がすべてとても小さくて、宇宙が如何におおきいことを知らなかった。自分の執着の考え方にて仏を学んで、このようにしたら仏法と関係がない。そなたの心はまた自分の小さい自我で限るのでしょうか?仏を学ぶ事は自分の心量を拡大して、他人に利益して、自分の微小な私利を放さないのではない。

もし一部の人はリンチェンドルジェ・リンポチェは何をさとしてもこれらの内容だけで諭して、自分が既に何回目で聞いたことがあって、耳にたこができるほど聞かされたて、また同じ内容を諭された。リンチェンドルジェ・リンポチェはもちろんおなじで、仏法がただ一つだけである。

お経の中には一段の内容は説かれることが少ない。ある人は釈迦牟尼仏に、地球の上の水はこんなに多くて、河川ごとにすべて海洋に流れて、天気の変化で雨が降って、どうして海洋の水がまったくあふれて陸地ま出ていないのでしょうか?と伺いを立てた。釈迦牟尼仏はこれは海洋の中で三つのとても熱い場所が火にかけて、絶えずに噴き出す高温を海水を蒸発することができて、だから、海洋の水がまったくでできていないと答えた。最近、科学者は太平洋深い所で1基の火山爆発を絶えずにすることを発見して、噴き出す高温が海水にすっと蒸発させる。これはお経を説かれる内容を実証された。

自分の業障が重いことをいわないでください。業がないなら如何に仏を学ぶのでしょうか。そなた達は善業が重くて、悪業も重くて、しかし、善業と悪業が全て仏を学ぶ動力をあげる。一つの偏差の考えがあったら、再度六道輪廻におちる可能で、そなた達は我執と高慢で、ある者が我執がとても重いなら、慈悲がない、慈悲が仏法の根本で、慈悲がないなら仏を学ぶことがありえない。

リンチェンドルジェ・リンポチェはまた来週の土曜日に大手印五支道を二人の出家弟子に伝えると指示し、それから、アチ護法と回向を修めた。

この時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは往生したばかりの弟子に殊勝な得にくいポワ法を修めてあげた。修法の過程には、リンチェンドルジェ・リンポチェは数回で特定な声を出して、道場に数台のテレビのスクリーンの中にリンチェンドルジェ・リンポチェの背後に一つ一つの明かりをはっきり見えた。参列者の1千人は同時に揺り動かさせる画面を感じた。リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生に利益するために苦労を惜しまないで、朝にある女弟子にポワ法を修めてあげたはかり、同日の午後またもう一人の男弟子にポワ法を修めた。自分の安否を完全に気にしないで、全ての福報を死者にくれて、彼らの浄土にいくことえを助ける。多くの人々は次から次へと涙を流れて下りてきた。修法が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はこの弟子が今日去って、この世に多くの苦しみを受けた。参列者はリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生に六道の輪廻の苦しみを解脱する事を口をそろえて感謝した。リンチェンドルジェ・リンポチェは礼をいう必要がないと開示された。

リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子が10数年前に目の中に腫瘍があってリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来て、手術をするかどうかをお伺いを立てたと開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェはその時に彼に手術をしても役に立たないで、これは目の後ろにまたある小さいがあって、医者も見えないで、この前の腫瘍を切り取っても、後ろの腫瘍がまた生長すると開示された。その後、彼は依然として手術をすることを決めて、手術をした後で、医者がリンチェンドルジェ・リンポチェが開示された通りに、後ろがまた小さいがあることを発見し、その上、手術を行っても切り取られなかった。その後、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持で彼の病気に治させて、体が正常に回復させて、彼も彼女に付き合うことを始めた。在家衆は男女慾があって、彼女に付き合うことが普通で、しかし、この後、感情の問題で彼に瞋念を起させて、また、ある者がリンチェンドルジェ・リンポチェに批評する時に、彼が側に悪口をして、このようにしたら、上師の加持力が断った。

それから、彼は懺悔したが、彼の心が悪なので、彼の病気がまた再発し、ますます収拾がつかなくなって方法がなかった。なぜ彼はこんなに醜くなるのでしょうか?全ての顔は全部腫瘍でしょうか?腫瘍が彼に失明させて、上師に見えないで、仏菩薩に見えなかった。この世に盲人とする者あるいは目に関する病気がある者でれば、過去世で目が節穴で、仏をしんじていないで、或いは聖者を見ても恭敬心をおこしていない。しかし、彼は懺悔したので、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に再び10万回の大礼拝をすることを指示して、また、何回目で彼に加持して、彼は全ての顔に癌細胞をまみれけれども、全然痛まないで、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたに加持することができて、が、そなたが改正していうことを聞かなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼がリンチェンドルジェ・リンポチェに批評したので怒っていないで、もし、リンチェンドルジェ・リンポチェがこの故に怒ったら、その後、彼に助けない。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたの心が変わるかどうかをみて、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたがお金があるかどうかをみることがない、そなたの心が変わったら、この弟子がこんなにに貧しいみたいで、リンチェンドルジェ・リンポチェが同じように彼に助けた。その上、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の為に看護してもらって、お金が全部リンチェンドルジェ・リンポチェから支払った。この弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェに供養し、リンチェンドルジェ・リンポチェが受けないで、彼にお金を両親に供養させた。彼はその後多くの苦しみを受けて、短寿で死んで、死ぬ時にただ30歳あまりだけである。が、累世の全ての業はこの世にすべて完済し、輪廻の苦しみを再び受けることいらないのである。

参列者は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲開示と円満な修法と無数な衆生に輪廻の苦しみを解脱する事を口をそろえて感謝した。

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2012 年 07 月 13 日 更新