232:上師の恩は報いがたし
私は美容師で、台湾中部の北港から台北へ生計を立てるためにやってきた。子供のころから「先天性双髖骨脫臼」を患っていが、これは足の障害で、両足で平衡の取れた歩行ができず、脊椎が内側に凹み、しかもひびが入っていた。一つの機縁で、私のお客様が私を尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに引き合わせてくれた。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェと向かい合った時、私は言うべきことを知らなかった。不思議だ!医学の専門用語-「先天性双髖骨脫臼」がリンチェンドルジェ・リンポチェの口から出た。この專門的な病名は医療に携わる者ですらよく知らない。大病院の先生でさえ詳しい病因を知らず、私を歩かせてみたり、レントゲンを撮って見たりして、始めて「先天性の双寛骨脱臼」と診断できるのだ。私は心の中で驚いた:なぜ目の前の此の方リンチェンドルジェ・リンポチェは私の歩く様子すら見ないで、ただ遠慮しがちに私に「あなたの手をどうぞ」と言い、そしてお手を私の手の上にかざしただけで、私の病気を言い当てることができるのだろう。私は目の前のこの方が大菩薩である事を信じざるを得なく、大きな敬い奉る心が湧いてきた。
リンチェンドルジェ・リンポチェは私に、常に施身法法會に参加すれば、私の助けに成るだろうと教えてくれた。私は二回続けて参加したが、その後会社の都合で4日間南部で訓練を受けることになった。台北に帰った後、私は脊椎骨と寛骨が痛くて、床を降りて歩くことができなくなった。私の夫はびっくりして、私を背負って病院に直行してくれた。医者は私にリハビリを勧めるとともに、今後車椅子の生活になるだろうと語った。私はベッドの上でまる1ヶ月じっとしていて、歩くことができなかった。この期間、すべてを夫に任せ、夜は脊椎と寛骨に熱シップをして、ようやく眠りに就くことができた。夫の苦労と愛の介護に対し、私は心から感動していた。だが、なぜこのような体になったのかが分からず、家族を苦しませ、心配させるばかりだった。その後、夫が私を背負ってリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する運びとなった。
リンチェンドルジェ・リンポチェは煩わしい顔一つ見せず、私に諭した。「あなたの病は因果の病だ。あなたはなぜこのような病を得たのか?あなたはなぜ歩くことが出来なくなったのか?今リンチェンドルジェ・リンポチェに出逢ったので、業障が早めに現れたのだろう」リンチェンドルジェ・リンポチェは細かく指示をした。それによると、私は或る過去世で衆生を傷つけ、棍棒で四足の動物を打ち、その脊椎を折ってしまった。 今世になって脊椎が凹むと言う形でその報いが私に帰ってきたのだ。しかも、脊椎に罅が入った。リンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞きながら、私は涙がとめどなく流れ落ちた。私はそんなに残酷だったのか、衆生に対してそんなに凶暴残虐だったのか。その報いとして苦しみを身をもって経験せねばならなくなった。これは完全に自業自得で、他人を責めることは出来ず、他人のせいにする事も出来ないのだ。
医者が私にこれから生涯車椅子に頼るかもしれないと言うたことを告げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは「あなたが心から懺悔し、仏と菩薩を信じれば、絶対に車椅子に頼らなくてもよい」おっしゃった。リンチェンドルジェ・リンポチェは私に、ぜひつづけて施身法法會に参加するよう諭しましたが、二回参加した後、脊椎からゆっくりと痛みが消え、夫に負ぶってもらって階段を上り下りせずにすむようになり、夜も温湿布が不必要になった。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に美容の仕事を辞める様に教えてくれたので、リンチェンドルジェ・リンポチェの茶芸館を手伝うようになった。最初のうち、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に仕事をさせず、ただ坐って店の面倒見るようにさせた。そこで私は信眾から求められないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは小さい部屋の中で仏経を読むのだ。あるとき、リンチェンドルジェ・リンポチェは丁度「双寛骨脱臼」についての因果を解いた経文を読んでいたので、私を呼び寄せ経文の内容を解き明かしてくれた。前世のあるとき、私は罠を作って穴を掘り、罪無き衆生を陥れて足を折らせ、さらに彼等の金銭を奪った。だから、私はこの世で「双寛骨脱臼」の報を得たというのだ。
私の夫はレストランでコックを務めていた。彼は無神論者で、因果などまるで信じなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて私にこう言った事があった。「衆生の肉を使って自己の利益を図ると、その報は地獄に落ちる事だ。それは家族と自身の体に良くは無い。あなたの夫が儲けたお金をあなたも使っている、それではあなたの病気は良くならない」。しかし彼のために、喧嘩をしても言わなければいけないと思い、遂にリンチェンドルジェ・リンポチェの話しを伝えた。彼の言葉は意外だった。「君の病状がこんなによくなるのだ、一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに行いこう」
私は喜んで夫を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに行った。リンチェンドルジェ・リンポチェは夫に会うなり、厳しい態度で彼を叱責した:「あんなに優しい母親に電話一本しない。嫁を貰ったら、もう母を忘れたのか?この親不孝者めが!背中を刃物でぶすっと刺されたのに、まだ怖く無いのか?もう若くはないのだ。このまま仕事を変えずにいると、来年は血を見る大きな災いにみまわれるぞ。」
今度は私が吃驚した、何の事だろうか。私はびくびくしながら夫と帰宅した。夫がカンカンに怒るだろと思っていたが、意外に心からリンチェンドルジェ・リンポチェの大いなる能力と大慈悲心に共鳴していた。夫は、リンチェンドルジェ・リンポチェが言う事はすべて事実で、直接的で、お世辞でもなく、的を射ていて、ひと言一言が彼の心の底を刺したと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェの大いなる慈悲の力は、意外にもこの頑固な人さえも感動させたのだから、私は内心感服せざるを得なかった。
それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは私の夫に菜食のレストランへ転職すれば、私の体は回復するだろうと語ったところ、夫は快諾した。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法で私の病気を好転させたばかりでなく、夫を菜食のレストランに紹介してくださった。以前、リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちからの供養をすべて受け取らなかったが、夫の転職後ようやく受け取ってくださるようになった。そして夫が供養した祝儀袋で彼の頭をたたいて、彼の業を消してくださった。リンチェンドルジェ・リンポチェの庇護と加持で、私は今、車椅子に座る必要がないばかりでなく、「大礼拝」――五体で地にひれ伏し仏を拝む事も出来る様になった。またリンチェンドルジェ・リンポチェとチベットに赴いて聖地の巡礼、さらには直貢ティ寺、海抜4千数メートルの關房に登って、大成就者テンジン・ニンマ・リンポチェに拝謁することさえ叶ったのだ。
北港に住んでいる父が帯状疱疹を患ったときのことだった。腰に沿って絶え間なく疱疹が拡張し膿みつづけた。私は父のこのような苦痛を知り、急いでリンチェンドルジェ・リンポチェに助けを求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは禅定の後、私に冷やしていないミネラルオーターを買いに行かせた。私が急いで買ってきたボトルに、リンチェンドルジェ・リンポチェは長年身の傍に置いていた大悲水を少し注ぎ入れ、私に急いで父の患部に塗るよう言い付けた。私は夜を徹して北港へ向かい、その水を父に渡し、リンポチェの指示に従って処置するよう伝えた。翌日、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に漢方薬を買いに行かせた。それで、父の疾患は治った。そこで、父はリンチェンドルジェ・リンポチェの助を大切に思い、リンチェンドルジェ・リンポチェの大いなる能力を深く信じるようになった。後に、妹が一般家庭常備薬の皮膚膏薬を父に与えようとしたが、父はリンチェンドルジェ・リンポチェの大悲水は何よりも効くので、是さえあればよく、外でむやみに金を使わないようと言い付けた。
もし、私たち夫婦にリンチェンドルジェ・リンポチェと会う機縁がなければ、私たちの今の生活はとても悲惨なものだったと思う。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏菩薩であるとともに、私たち夫婦の再生の親でもある。リンチェンドルジェ・リンポチェは私たち夫婦を助けるだけではなく、私の父も助けて、また、祖母にポア法を施した。私たちはリンチェンドルジェ・リンポチェから貴重な大悲水をいただいたほか、このような大いなる福をいただき、リンチェンドルジェ・リンポチェと面向かって説法をきくこともできた。私は以前、オートバイの免許を持っていたが乗る勇気がなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはこう言った。「艾芬、あなたはオートバイに乗ることができるのではないか?」その後、私はオートバイに乗る勇気が出てきた。オートバイと私の付き合いは8年を越えたが、このオートバイにはリンチェンドルジェ・リンポチェの加持が施されている。リンチェンドルジェ・リンポチェはオートバイを指して、その欠点を明かし、私の注意を呼び覚ました。2006年末にオートバイの欠点が現われた。販売店の支配人は「こんなオートバイで台北から蘆州まで乗って帰るなんて危険だ」といった。不思議なことに、リンチェンドルジェ・リンポチェの9 年前の法力が絶えることなく続いているのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの大きな恩恵は本当に一生かけても返すことができない。
私は仏菩薩を信じ、リンチェンドルジェ・リンポチェの話のとおりにし、真面目に仏を勉強することが、リンチェンドルジェ・リンポチェに対する最大の恩返しだと深く会得した。
リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に慈悲深い。恩に報いを求めることもなく、誇示することもなく、様々な法門を運用して衆生を助けている。衆生が捧げる供養も、リンチェンドルジェ・リンポチェは青海・チベットやインドの直貢噶舉派の仏寺に供養して護持している。そして、私達が仏法を学んで福を蓄積できるよう手伝ってくれる。衆生について、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の利益を考慮することはなく、甚だしき場合は自分の命を捨ててでも衆生を助けようとする。リンチェンドルジェ・リンポチェの大悲大願はすべて衆生のためにあるが、このような尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに遇う事が難しく、仏法を聞く事は難しく、人身を得ることは難しい。だから、私は必ずこの福報因縁を大切にしなければならない。
皈依弟子 第一組 吳艾芬 謹んで書き上げます
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2016 年 09 月 27 日 更新