137:生死のことなど考えてもみなかった

私は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにお逢いする前、父親が癌に罹るまでは生死のことなど考えたこともありませんでした。

2006年8月、父母が台北へ遊びに来ました。その時父と片手を繋いで、明らかに体が痩せ細っていることに気づきました。父は見かけは少し太って見えましたが、鎖骨がはっきりと見えていました。父は高雄へ帰り、生まれてはじめての身体検査を受けて、結果は肝臓に12センチの腫瘍が発見されました。それから六、七ヶ月はまったく事実に直面したくない思いでした。

その時、直面する状況がはっきりしない状況下で、家族の気持ちは崩れそうでした。私と兄が唯一事を決定できる人間でしたが、これまでに生死の事に直面した経験もなくどうしていいか本当にわかりませんでした。その時初めて私たちは死や病魔の一撃に堪えることができないものだと知りました。それからは食べ物も喉を通らず、眠りにつくのも難しくて、兄は仕事を捨てて専ら父の世話をすることになりました。

蔡孟昌の父親の診断書に原発性悪性腫瘍、更に肝癌で遠隔転移を合併したと記載された。

それからすぐ父を高雄の病院へ連れて行き三ヶ月以上にわたる治療を受け、後に私は父のカルテを台中の病院へ移して再検査を受けました。医者は私が父の背中の痛むところを按摩するのと、腫瘍の位置が異なるのを見て、(当時は腫瘍が大きすぎて神経を圧迫して痛むのだと疑っていたのですが)、はっきりしないので私にもう一度MRIの結果を見てみようと言い、その結果「癌細胞が骨にまで転移している」と告げられました。

それからは、私たちは癌細胞との競争でした。台中にいた時は、医者は肝臓癌の部分を治療しながら、骨の部分を治療していました。ところが脊椎の部分の骨を治療すると、その他の部分が痛み始め、次は肩、肋骨、骨盤及び脊椎のほかの節と次々になるとは思いもしませんでした。しかも脊椎は癌細胞の侵食で神経を圧迫して、父の下半身の両腿は麻痺し歩けなくなりました(これはリンチェんドルジェ・リンポチェのおっしゃるように、自分の業報を直視せず、懺悔せず、逃避のみを考えても、永遠に逃れられないと言う通りで、その上に利子までもがついてくるのです)。

あれは10月末前後でした。父の病状を思うたびに悲しみがこみ上げてきて、涙が止め処なく流れましたが、私は本当に何の力もありませんでした。家族全員が各種の療法を探し回り、各地の廟で、神仏にすがり占いをしましたが、やはり心から安心することはできませんでした。以前学んだ仏教にすがろうとしても、自分の親が生死にかかわる時にあっては、以前学んだ諸々のことが少しも役に立たないのです。

その時は只ただとても苦しく、この世に生きていることを実に苦しく感じ、この輪廻から解脱したいと願っていました。あの時思ったのは、父が私たちから去ろうとしていることが、こんなにも耐え難いなら、これから母や、兄、妻子或いは我が子、それに自分自身がこの世を離れるときには、これら一切の痛みをどうして受け容れることが出来ようか?胸が締め付けられるような感じでした。本当にどうしていいか分かりませんでした。どうにかして自分の心を静めてくれる人を探したかったのですが、どこで誰を探せばいいのかも分かりませんでした。

その頃、会社で偶々同僚の白兄弟子とその他の同僚が、リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生をお助けくださると言うことを話しているのを聞いて、白兄弟子に、私は父のことで本当に苦しんでいて、この生死輪廻を解脱したいと簡単に話しました。すると白兄弟子は寶吉祥の住所を書いてくれ、ようやく機会があって、リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしました。リンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲により私は金曜日の施身法会に参加し、それから十数日後には、妻と子供達みんなが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。家族全員で寶吉祥へ皈依を求めるために行く時、リンチェンドルジェ・リンポチェは、娘を見ながら「あなたは気管がよくないから、飴を食べないようにしなさい」といい、息子には「あなたはいつも妹をいじめているね、いけないよ」とおっしゃいました。寶吉祥を出るときに、息子も娘も目を真ん丸くして「パパ、リンチェンドルジェ・リンポチェはどうして全部知っているの?」と聞きました。「それはね、リンチェンドルジェ・リンポチェは普通のお人ではないからだよ」と私は答えました。

後に分ったのですが、リンチェンドルジェ・リンポチェは普通のお人でないだけではなく、為される事のすべてが真に仏陀の御教えに照らして弟子を教え導いてくださり、常に弟子達が福報を積める様に、しかも厳しく弟子を導いてくださることでした。リンチェンドルジェ・リンポチェが教えてくださる仏法は、本当に人の心に分け入って、弟子の心の中の病、問題、ひいては弟子やが解決できない事柄までも、後遺症の残らない方法で弟子と信者にお助けくださいます。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェの願いはただ私達が仏の道を学ぶことに精進して、自分を改めることに努力し、生死の問題を解決できるように、再び六道輪廻に陥らないようにということのみです。これらはすべて仏菩薩の願いではないでしょうか?リンチェンドルジェ・リンポチェこそ仏菩薩なのです!

台中で放射線治療を終えた後、私たちは父を連れて、リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしました。リンチェンドルジェ・リンポチェが「どうして私に会いにきましたか?」とお尋ねになり、父は「身体が良くなりますようにと思っています」と答えました。するとリンチェンドルジェ・リンポチェは、「じゃあ良くなったら何をしようと思いますか」とお尋ねになると、父は「第一に、以後は菜食します。第二は、ある功徳会でボランティアをします」と答えました。リンチェンドルジェ・リンポチェは「それは条件を語っているだけで、仏菩薩は別にあなたがボランティアをしてもしなくてもかまわないし、あなたが良いことをするのは、自分が福報を享受しているわけで、仏菩薩とは何ら関係はないのです!」こうおっしゃると、父に「懺悔」の仏法テープを持ち帰って聞くようにとおっしゃいました。リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲の許可により、父は法会を参加しはじめました。でも当時父の信心が十分ではなくて、とにかく体が良くなる様に、立ち上がって歩けるようにということだけ思っていましたので、リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の開示を聞かず、結局懺悔心を起しませんでした。               

リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしたとき、父は「私には80数歳の父母が生きており、両親に親孝行したいです」と言いましたら、リンチェンドルジェ・リンポチェは「父母のいない人はなく、子供のいない人もない。ならばあなたに食べられた衆生には子も父母もいないのですか?」とおっしゃって、父に二つのことを開示してくださいました。それは「一、どの人もすべて死ぬことをご存知ですか?」。父は「知っています」と答えました。すると「二、では死後はどこへ行きますか?」。父は「阿弥陀仏さまのところです」と答えました。リンチェンドルジェ・リンポチェは「あなたのような人が行けますか?」とおっしゃいましたが、やはり慈悲深くリンチェンドルジェ・リンポチェは金剛杵で父を御加持くださいました。以前と変わったことは、父はベッドから起きて座ろうとすると、骨が痛むので、二人で支えて座らせなければならなく、しかも父は痛い痛いと叫んでいたのですが、リンチェンドルジェ・リンポチェに加持されてからは支えてもらって座るということがとても少なくなり、以前は痛くて自分で起きられなかったのに今はそれがなくなった事です。

蔡孟昌(真ん中に赤い服を着て、其の左側は父親だ)家族全員旅行の写真

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの短い開示で、自分の今までの苦しみがすべて解消してしまいました。私は心の中で、「このお方こそ私が探していた明師、私を解脱に導き光明の道へ導いてくださる師である」と思いました。リンチェンドルジェ・リンポチェの説かれる仏法は、実に多くの負担を置かせて下さり、人間はいつかは誰でも死ぬのだということをはっきり悟りました。それが逃れることのできない必然の道であるのなら、何も怖がることはないのです。もしよく修行しないでいたら、悪業を作り続け、自分の業力にしたがって、六道輪廻のどれかに行き着きます。また、この一生の目的はただ自分が生死を解脱するだけではなくて、もっともっと多くの輪廻の中にあって私達よりももっと苦しんでいる衆生の解脱にあることがはっきりしました。

父の脈拍がとても速くて、夜眠れにくいので、私達は再び父を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェにご加持をお願いしました。当時私たちは、リンチェンドルジェ・リンポチェはもうご加持してくださったから、それ以上お願いしないほうがいいと言いましたが、父の要求を断りきれず、再びお会いしたのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは「あなたは他の癌患者よりも良い状態なのにまだ満足できませんか?脈拍が速いからということでだけでもっと楽になりたいと思って来たのですか?すでに楽にしてあげて、業の一部を取り除いてあげたのに、それを自分で返そうとはしないのですか?」と開示なさいました。

その後父が寶吉祥へ行って皈依したいと願った時です。慈悲深きリンチェンドルジェ・リンポチェは父をよく見て、出来るだけ早くあなたを皈依させてあげましょうとおっしゃいました。リンチェンドルジェ・リンポチェのこのお言葉で、私達家族は皆どっしりとした拠り所を感じました。しかし次の日兄にが、長く帰っていなかった高雄へ父を連れて行ってくださり、その結果、高雄へ着いてから父は出血し始め、トイレで大量の血便を出し、それから血塊を吐き、ときに精神状態も朦朧として、支離滅裂のことを口走り、それでその週の日曜日の皈依を逃し、2006年11月の皈依法会に続く、2007年1月に再び行われた皈依法会も逃しました。有難い事にリンチェドルジェ・リンポチェのお慈悲で特別にこの度の法会を開いてくださったのに、惜しむらくは父には福報がなくて、しかも弟子の信心不足から、法会に参加するために父を高雄から連れてこられなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する機会を失いました。

父がまた入院した後、前後して大出血してはまた止まり、また大出血しては止まるということが合計四回もありました。大出血の度に私はリンチェンドルジェ・リンポチェが父のためにご加持くださることを観想し、また兄と母に白兄弟子が贈って下さった甘露丸を飲ませるように頼みました。出血する度、次の日は次第に止まりました。今あの時お尻から血が大量に流れ出る様子を思い出すだけで言葉にはならない苦しみが湧きます。ある時父に一晩の内に十数回もおしめを取り替えましたが、母はどうしてこうなるの?と聞きました。私は母にこれは父の一生と前世に蓄積してきた衆生の業をお返ししているからで、これはお返ししなければならないのですと答えました。

2007年1月、専業技師の試験に合格したために、毎日退勤の後には台北から桃園まで行って授業を受けなければならず、帰宅すると夜の十一時になるという日々でした。金曜日ごとに夜行列車で高雄へ駆けつけ、徹夜して父の血便を拭いてあげていました。あの頃毎日父のことが心を離れずとても悲しかったのですが、一番恐れたのは電話で兄から父の身体の変化について聞いたときです。その時兄と母は長時間父の側で世話をしており、毎日父の心身の不快や突発的な状況に立ち向かっていましたので、体は疲れきっているだけでなく、心理的なプレッシャーも実に大きなものでした。しかし私達は、もし仏菩薩とリンチェンドルジェ・リンポチェがいらっしゃらなかったら、これだけではすまない苦しみがあっただろうということを知っていました。

後に、出血が止まった時に、病院側は帰宅して養生することに同意しましたが、父はもう起き上がれませんでした。というのは全身の骨が癌細胞の侵食により骨折する可能性があり、その上医者は肝機能も次第に衰えていると言いました。帰宅して二週間後、父は時には意識がはっきりしませんでしたが、後に黄疸が出て、兄と母はまた父を病院へ連れて行きました。夜中の救急室で、父の状態が突然おかしくなり、息を吸い込むよりも吐き出すほうが多くなったので、母は速く帰りなさいと電話を掛けてきました。

私は深夜2時頃のバスに乗って、高雄に着いたのはすでに朝の八時で、父に会ったときに、帰って来ましたよ、どうか安心して行ってください。母は私達がしっかりお世話します。私は台北でリンチェンドルジェ・リンポチェにお父さんを連れて行ってくださるようにお願いしますから、お父さんもリンチェンドルジェ・リンポチェに従って言ってくださいと言いましたら、それから二分後に父は亡くなりました。

私は台北へ戻って、あの日は施身法法会の日でした。私は銀行のキャッシュカードから総てのお金を出して、道場のエレベーター口でリンチェンドルジェ・リンポチェをお待ちしていました。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしたときに、自分から「ポワ法」をお願いすることができませんでした。というのは私は大供養をちゃんとしていなかったからです。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはお慈悲深く弟子に「施身法の中にはポワ法が含まれていますから、あなたのお父さんのために済度してあげましょうとおっしゃいました。このようにして、父はリンチェンドルジェ・リンポチェの施身法法会で済度していただいたのです。

法会が終わって、感謝の気持ちをこめて、リンチェンドルジェ・リンポチェが施身法法会で父を済度してくださったので、父はもう苦しまなくていいのだと家族に告げました。家族は父が往生した後は悲しまなくて、父がリンチェンドルジェ・リンポチェのお助けでより良き所へいくことが出来て、嬉しく感じていました。

蔡孟昌(中)は息子蔡季希、娘蔡季昀と既に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。

リンチェンドルジェ・リンポチェのお導きで、この世の無常と人生の苦しく短いこと、また私達一般の人間がこれに対抗できるものではなく、誰もが死に直面することをしたくないことを理解しました。以前はいつかは自分も死ぬのだと考えたことがなかったのですが、父のことがあって、死は私達にこんなにも近いところにあったことを知りました。ただ以前は逃避して、自分を欺き、それに真向かおうとはしなかったのです。

仏菩薩に感謝いたします。また父母や白兄弟子に感謝いたします。私はこの機会を得て、この人心定かならぬ世間にあって、大いなる能力、大いなる慈悲、大いなる智慧を備えられた大修行者の尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することができ、しかも毎週一回は法会で心を改められる正法を聞くことができます。私は正法を聞くことができる日々をしっかりと把握して、自分を改めることに努力し、自分を変えることで周りのより多くの人々に影響を与えて、リンチェンドルジェ・リンポチェに御仏の道を教わることができるように、また衆生が一日も早く解脱でき、仏菩薩の浄土へ行くことができますようにと願っております。

阿弥陀仏!

皈依弟子 蔡孟昌謹んで書き上げます
2008年12月23日
修正2017年2月10日

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2017 年 02 月 10 日 更新