133:仏法なしには生きていけない
小さい時から今迄、家庭の経済状況はあまり思わしくなく、家族もその事で常に揉めて手が出ることもありました。私はそのような時、心の中で、どうして自分はこの様な家庭に生まれてきたのだろうと嘆き、この世界に生まれたことを恨みに思うことは常で、自殺が念頭に浮かぶこともよくありました。そこで、グループの担当教師は私に、指導室の個別指導を受けるよう勧めてきました。個別指導を受けて一年余りが過ぎた後、自分の問題が全く解決されていないことに気付き、心の中は、相変わらず、憎悪感に満たされていました。楊兄弟子が私の状況を理解した後、気遣って下さり、寶吉祥でリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めるよう勧めて下さいました。
寶吉祥に到着すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは和やかで親しみを込めて「どんな用ですか?」とお尋ねになりましたので、「どうして私の家はこんなに悪いのでしょうか?」と聞きました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私に「あなたの言う『悪い』というのはどんな意味ですか?」と反問されました。私が「経済状況は酷く、家庭の雰囲気も悪く、家族は対立が絶えないことです」と答えるやいなや、リンチェンドルジェ・リンポチェは突然非常に厳しい表情となり、「あなたは他人の誤りしか見えていないのですよ!」と仰りました。私はそれを聞いて、羞恥心を感じ、穴があったら入りたい気持ちになりました。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの眼差しは突然和やかになり、慈悲の長者のように私に教えを説かれました。「家族が一緒にいるのは全て、過去世の因縁によるものです。両親が喧嘩をして子供に嫌な思いをさせても、それは父母と自分の因縁なのだから、子供である者は構わなくていい。」リンチェンドルジェ・リンポチェの教えを拝聴し、心に充満していた憤慨が消え、自分が大きな誤りをしていたと感じ、リンポチェの慈悲を感じました。家庭の状況も執着から離れて受け入れることができました。
この点は自分が非常に吃驚していることです。一年以上の心理指導を受け、指導室で慰めを感じたとしても、一旦、指導室を出ると元に戻り、全く助けになっていなかったからです。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの短い幾つかの言葉によって私の心の状態が180度転換したのです。このような経験によって、自分の苦しみは只リンチェンドルジェ・リンポチェによってのみ解決されることを深く感じ、リンチェンドルジェ・リンポチェのような大修行者によって自分の誤ちが矯正される必要性を知りました。その後、私は継続的に寶吉祥仏法センターの共修法会に参加し、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依致しました。
皈依して間もないある静かな早朝、私がまだ寝ている時、突然けたたましいドアベルが聞こえました。慌ててドアを開けたところ、善良とは思えない二名の男性が立っており、悪魔のような顔で、「父の借金が溜まっているが、期限通りに返済されていない」と言いました。「金を返さないのなら、私をクラブに売り飛ばし、自宅の壁にはペンキを塗るから気を付けろ」とも言われました。当時家には年を老いた祖父、妹、私の三人だけでしたので、二人の男性は返済してもらえないのを知ると、冷酷な事を言った後、また来ると言い残して去って行きました。私は心中、非常に恐ろしくなり、母の帰宅後、朝の状況を報告しました。しかし、父母は長い間緊張状態でしたので、母は私に、これは父自身の事であるから、母は父の為に返済をする必要がないと話しました。父がどこにいるのか、私達はわかりませんでした。
続く数日、債権者の弟(サラ金会社)が毎日数本電話を掛けてきて私を脅し、並びに、ちょくちょく自宅に行くと言い、プレッシャーを掛けて来ました。当時の私は、リンチェンドルジェ・リンポチェの説法された「慈悲」で説かれた、敵に対する慈悲を思い出していました。何故なら私達が相手に借りがあったからです。私は誠意をもって相手とコミュニケーションし、自分が責任を負うから、彼らに家族への嫌がらせをさせないよう頼みました。奇妙なことに、債権者の弟の態度はとても和やかで善良的になり、彼の仕事は毎日私に返金するように脅すことでしたが、私を友人のように扱い、私に社会を渡り歩いた経験を話したりもしました。しかし当時、学生の私は、自分でアルバイトして得た収入は毎月3、4千元程で、基本的な支出を取り除き、千元だけしか債権者に返済できない状況でした。父は20数万も人から借りていたので、全部返すには17年の歳月を必要としていました。債権者は私の返済方式を知ると非常に怒り認めず、毎日の電話と自宅訪問は継続的に演じられ、私もまた、びくびくしながら毎日を過ごしていました。
行き詰る中、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに会おうという考えが起きました。リンチェンドルジェ・リンポチェの御前に跪くと、リンチェンドルジェ・リンポチェは笑って「何の用ですか?」と尋ねられました。私は「父が食堂を開きまして…」と言い終わる前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは深く溜息をついて、「それから?」と聞かれました。私は「しかし、既に潰れました…」リンチェンドルジェ・リンポチェは喜んで仰いました。「そう!それじゃ、おめでとう!そうじゃないですか?」リンチェンドルジェ・リンポチェの温かい微笑みを見て、私も笑って頷きました。何故なら、リンチェンドルジェ・リンポチェは、私の家族が悪業を為し悪い結果が引き起こされるのを耐えられなく思っていたからです。続いて、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに家族の状況を報告しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、サラ金は極道であるが、私が既に相手に対して責任を取ると約束したのだし、口に出したからには、死んでもやり遂げなければならないと仰いました。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に、「債権者には二人子供がいるでしょう?」と聞きましたので、私は知らないと答えました。すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは、「債権者には二人の子供がいますよ」と確かに仰られ、私に、二人の家庭教師になって返済に当てることができるかどうかを債権者に聞くよう言いました。また、帰宅後、自分から債権者に連絡し、債権者にリンチェンドルジェ・リンポチェの話を伝えなさい、債権者から連絡が来るのを待ってはいけない、債権者に「これは私の上師リンチェンドルジェ・リンポチェがこうするよう私に教えたことです」と言いなさいと仰りました。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に加持を授け、「恐れてはいけません、リンポチェはあなたに加持を与えます。何があってもクラブ等で働いては行けません。さもなくば、仏教を学ばせませんよ!」リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と智慧に満ちた御言葉は、父の言い付けのようであり、私の恐怖に慄く心は落ち着き、二度と無気力感を感じなくなりました。
その後、私はリンチェンドルジェ・リンポチェの話された事を債権者の弟に一つ一つ語りました。彼は、リンチェンドルジェ・リンポチェが債権者に二人の子供がいることを知ると驚愕し、聞き終わると、「あなたの上師が何を言っているのかわかった、私に攻め立てるなと言っているのだろう。今後はもう邪魔しない」と言いました。電話を切った後、気持ちを回復させるのに時間が掛かりました。思いも寄らぬ事に、リンチェンドルジェ・リンポチェの教えの通りにしただけで、問題はこんなにも円満に解決してしまったのです。また、一、二日経ち、外にいた父もこの事を処理しようと戻って来ました。問題がこのように円満に解決したのは全てリンチェンドルジェ・リンポチェの加持の御蔭であることを深く知り、宝吉祥に行きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を述べると、リンチェンドルジェ・リンポチェは淡々と「今、あなたのプレッシャーはかなり減ったでしょう?言う事を聞けば、事は解決するでしょう?」と仰りました。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持によって、私は深く、リンチェンドルジェ・リンポチェの大きな能力と教法に従ってしっかり実践する行為の重要性を感じ取ったのでした。
リンチェンドルジェ・リンポチェは法会において、「ここにいる多くの者は、仏法なしでは生きていけない」と説かれたことがありました。私こそが、その最良の例です。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェがおらず、仏法がなかったら、現在の私は存在しないでしょう!尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝致します!
弟子 潘俞樺叩首
2008年12月27日
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2016 年 09 月 27 日 更新