106:上師への感謝
2003年の11月23日私が尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。その当時、私はある建築設計の案件を手掛けておりましたが、その案件はかれこれ12年もの間進展することなく滞っていました。その案件は、会議で設計案に対する顧客の同意が出た後、建築許可申請を行い許可がおりようかという段になって、顧客側が「待て」を発するという代物でした。このようなことはとても悩ましい事態なのですが、この案件では同じようなことが4回も起こったのでした。
聞くところによると、その案件の建設予定地は、かつての国民党戒厳令下の4,50年前の白色テロ時代には「政治犯」の監獄だった場所だそうで、少なからぬ人々がそこで命を落としたとのことでした。上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した私は、獄死した「政治犯」とその土地に取り憑く霊魂を済度して下さるように上師にお願いしました。すると、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、私の福徳が十分でないこと、その為にこの案件を処理したとしても私自身の体に不具合が生じるであろうこと、従って、まず私自身に福徳を積ませるための修法が必要であること、を開示してくださいました。2004年8月に、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、私と(同じく皈依弟子の)妻の楊胥琪に加持して下さいました。
その後、懸案の設計業務は滞りなく進み、建設会社の入札が行われるに到り、入札には8社もの企業が参加したのでした。建設材料費の高騰から建設関連の各社が軒並み受注を手控えており、公共事業の案件への入札が減っていた当時の世情を鑑みるとそれはとても珍しいことでした。当時には珍しくも8社が参加したこの案件の落札価格は、施主側・受注側の両者にとって必ずしも心から満足のいくものでは無かったにも関わらず、無事に契約が成立することになったのでした。このようにして、12年もの間滞っていた案件は、我らが尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご加護によって日の目をみることになったのでした。尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝致します。
私は1985年から今に至るまで23年間、腎臓の透析を受けてきたのですが、2006年の検査で副甲状腺の指数が3500という高い値を示していたことがわかったのでした。医師によると、検査機器のメーターの上限が3500なのであって、それ以上の高い値は検出できないとのことでした。通常は200以下が許容範囲であるのに、私の値は機器のメーターを振り切ってしまったのでした。医学の常識からすると、このような場合副甲状腺は当然切除する必要があるため、私は除去手術を受ける準備をしました。
首先作超音波掃描確定位置,掃描後發現4顆副甲狀腺脹大到拇指大小(正常為米粒大小),其中一顆還跑到氣管與食道間。原本我以為副甲狀腺切割很容易,大概就像切盲腸一樣,哪知問了一位醫生學長才知道風險不小,不小心還會致命,而且後遺症很大。這才想起上師 仁欽多吉仁波切曾開示我們:做大禮拜是消業最快的法門。當下就決定不開刀了,我要好好再做大禮拜。記得皈依後做滿上師 仁欽多吉仁波切傳我們四加行的「大禮拜」後就沒再繼續做,想到此真該好好懺悔。
その後、私は6か月に渡って大礼拝を繰り返しました。そして、病院で再び検査をすると、奇跡的にも検査の値は200に下がっていたのでした。当時この結果を目にした私はすぐに信じることができませんでした。病院側も同様で、再度検査を行って確かめた後「間違いない」と私に報告したのでした。看護士長が確かな口調で報告するのを聞いて、私は涙でいっぱいになりました。私は本当に感激していました。尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝して、私の仏を学ぶ慧命を延長させて、長年に腎臓の透析を受けている間に一般患者が現れる様々な後遺症も出てこなかったです。数々の病苦を私から遠ざけ、安心して仏法を学ばせて、とてもよい生活品質を維持できる尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して本当に感謝の念が絶えません。
(後書き)吳丙男は2015年12月31日リンチェンドルジェ・リンポチェの貴重なポワ法を得て、済度されました。彼は長年に多発性嚢胞腎(腎臓の表面に嚢胞がたくさん出来て、腎臓が順調に働く事が出来ない)骨質の劣化が酷いです。火葬後の頭蓋骨に縁が整然として、貫通された丸い穴がはっきりに見られて、遺骨も緑色、赤色、白色など色が現れました。此れは全てリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法を得て、済度された円満の瑞相です。
皈依弟子 吳丙南 謹んで書き上げます
2008年12月19日
修正 2017年1月27日
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2017 年 01 月 27 日 更新