067:恐ろしい因果
2002年結婚六年後、私たち夫婦は二回目の妊娠を喜んでいた。一回目の妊娠は1998年だった。妊娠八週間で検査をした時、胎児の成長が止まった事を見つけたので、妊娠中絶をして再度診察を受けた。胎児の第21番目の染色体に異常が見つかった。わけを良くしらない私たちは「胎児の成長が自然に止まって良かった。もし10ヵ月後に染色体異常の子供が出来たらどうしよう」と思った。その時私たち夫婦も血液検査を受けて、染色体の異常を調べたが、結果は正常だった。それで次の妊娠は大丈夫だと思っていたが、運命の悪戯は 次の妊娠の4ヶ月目に行なった羊水検査で、私たちに大ショックを与えた。今回は第13番目の染色体に異常が見つかったのだ。何人かの婦人科医師に尋ねたが、医師達は皆妊娠中絶をしなければいけないとの返事だった。この時心の悩み、痛みは遣り所が無かった。
尊き金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェに会う因縁を得たのは謝主任のお陰だ。私と謝主任は国軍松山病院の同僚だ。私達夫婦は妊婦の健康診断結果を見て、どうすればいいか迷っていた。医師のアドバイスに従って中絶するのか?他に方法がないのか?中絶をすれば、胎児はどうする?数多の疑問や疑惑が私たちに襲い掛かった。悩み!突然、上師に助言を求めても好いかと謝主任と相談しようと思った。謝主任は私たちの状況を聞いてから勿論好いだろうと言って、私達に「宝吉祥」の住所を教えてくれた。
2002年4月9日 (土曜日)、初めて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。上師にお会いして、先ず私達が拝謁に及んだ目的を奉告した。リンポチェは「一人の修行者が、あなたの人工中絶に同意するのは殺生と同じだ。それは不可能な事だ。人間は貪欲だ、良いものは欲しがるが、悪いものは嫌う。もし、各人が良いものだけを取れば、悪いものは誰にあげるのだ?あなたは何か良い事をしたので子供が授かったのか?子供がこの世に生れるのは、恩返し、復讐、債務の請求、債務の返済等四つの原因しかない。普通、子供は復讐と債務の請求のためにこの世に来る事が多い。恨みに対して恨みで報いる事は何時まで続くやら。だから彼とよい解決法を見出したほうがいい。今日あなたはこの子を中絶して、次に正常な子を得るかもしれない。或いは再び子供を生む事を諦め、此れで大丈夫だと思うかもしれない。しかし、彼は手を変え品を変えてあなたを苦しませるだろう。例えばあなたの体調が崩れるとか、突然事業が失敗するとか、舅姑との仲が悪くなるとか等、兎に角絶対あなたに復讐をする。帰って良く考え、もし仏菩薩におすがりするのであれば、後日また私に会いに来なさい。もし中絶するならば、私に会う必要はない」と開示された。上師はまた私の妻に「泣かないで、問題はあなたではなく旦那さんだ」とおっしゃった。上師の貴重な開示を聞いて一喝されたように思った。上師の話は確かだった。自分が本当に間違っていたと深く感じた。また自分が悪かったとも思った。その日子供を生む事に決めた。
二日後再度宝吉祥に赴きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、尊き上師の助けを願った。リンポチェは妻に「前回は旦那さんが信じていなかったから、言わなかったが、今日仏菩薩に救いを求めることにを決めたので、リンポチェの話を聞きなさい。これは絶対に因果と関係がある。あなた達はこの子を生むことに決めたが、良きも悪きもあなたの縁である。彼を受け入れて、仏菩薩の助けを信じなさい。以前の祖先が代々農業に従事し、家畜を飼育したのは生活のためで仕方がなかった。殺業が有っても祖先を非難してはいけない。しかし、今家畜を飼うのは食欲を満足させる為でそれとは違う。まず不殺生を徹底し、家に帰って両親にこの事をはっきり伝える事。生き物を買い求めたり、市場で他人に頼んで屠殺したりするのも殺生だ。家の鶏、家鴨など家畜も殺してはいけない。ペットとして飼うのだ」と開示した。そしてリ ンポチェは明麗を加持し、私たちにリンポチェが説いた「懺悔」法門の録音を持ち帰って聞き、金曜日の施身法法会に参加し、都合さえつけば日曜日の共修法会にも参加し、心中何も求めないで常に法会に参加して福徳を積みなさいと開示した。
初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに会ってから、胎児が生れて35日後に、チベット仏教八大成就法の一つ「ポワ法」を受領して往生するまで、すべてが殊勝で順調であった。これはひとえに上師及び諸仏菩薩のお加護の賜物である。妊娠期間中、上師は常に私達夫婦に「今、妊婦の健康診断の結果はどうだ。胎児の発育状態はどうだ」などを質問された。
妊娠7ヶ月の妊婦健康診断で、胎児に口蓋裂が見られ、獅子のように鼻と口に区切りがなかった。また脳と心臓にも問題があった。当時上師にこの事を奉告すると、上師は入定した後、私たちに女児を少し癒したと仰った。出産は順調で、妻にもあまり苦痛がなかった。娘の口蓋裂は2センチ未満で、それより医者を驚かせたのは赤子の体重が2600グラムも有った事だった。(医者によると、このような赤子は医学上大きく育たず、通常1500グラムからせいぜい2000グラム位で、しかも早産するとか。また子宮に筋腫があったので月を満たして出産できず、自然分娩にもリスクがあって、筋腫が産道を阻害する恐れがあると言った。医者はこの様な胎児を出産するのを望まない。医者はこれは社会コストの浪費だと考えている。)これ皆の常識を覆すものだった。
出産の数日後、宝吉祥へリンチェンドルジェ・リンポチェの助けのお礼を言いに行った。上師は台北長庚病院小児科集中治療室の、見舞いに入れる時間をお尋ねになられた。上師に見舞い時間を奉告すると、上師はすぐ今夜10時にICUへ来られ、子供を加持すると仰った。そしてそこで手伝っている弟子に、今すぐラマに電話して、その夜の約束を延期すると伝えさした。私達は深く感動した。上師はラマとの重要な約束を延期してまで、夜の十時にICUへ苦難の衆生を助けにお向かいになるのだ。
リンチェンドルジェ・リンポチェが夜病院で、生まれた我が娘を加持するために、重要な約束を延期したことを知った時、産褥についていた妻は、感激と激動に耐えなかった。両親以外で、誰がこういう事をしてくれるだろうかと思った。ICU病室の外でこのように苦難の衆生を助ける具徳の上師に会った時、明麗はひざまずいて、リンチェンドルジェ・リンポチェに苦難の娘を助けて下さいとお願いした。リンチェンドルジェ・リンポチェは優しい母のように明麗にちゃんと産褥期を過ごして泣かないでと、また首と頭をちゃんと覆って風に当たらないで、仏菩薩を信じなさいと仰った。
上師は小児集中治療室で娘を加持した後、別の未熟児の側で立ち止まり、真言を唱えていた。その時ICUには私の娘とあの未熟児しかいなかった。その後上師に伺うと、上師は既にICU来たからには、他の患者にもついでに加持したとおっしゃった。
2002年10月13日(日曜日)、その日は赤ん坊が生れて第35日目だった。私は普段と変わらず、朝11時に小児集中治療室へ赤ん坊を見に行った。病室に着くと、看護婦さんは赤ん坊の口から肺に届く呼吸を維持する管がずれたので、動脈血酸素が低下し続け、危篤状態だと言った。そして管を挿し直すかと聞いていた。私は呆然として、心の中でもがき、思い悩んだ。管を挿し直さなければ、娘はすぐにでも死ぬだろう。しかし、管を挿し直す事は娘に多大の苦痛を与える。娘が生れた時から、救命処置を取らない覚書に署名したし、尊き上師は常に「救命処置は病者にとって多大な苦痛だ」と開示されていた。暫く考えてから看護婦さんに管の挿し直しはしないと伝えた。すべて縁に任そう。それで赤ちゃんの傍で彼女の最後の何か問い掛けるような目つきを見ながら「萱萱ちゃん(尊き上師は赤ん坊に名前を付けて下さった。名前は劉錦萱だった。)心配しないで、上師と仏菩薩はあなたを助けて下さるから。」と話しかけた。また急いで明麗に「娘はもうすぐ事切れるので、早くICUに来て」と連絡した。明麗がICUに到着すると、親切な看護婦さんは赤ちゃんに「萱萱ちゃん、生れてから今までお母さんに抱かれた事がなかったわね。今私があなたを綺麗にしてあげるから、お母さんに抱かれてね」と言った。萱萱は明麗の胸で小さな泣き声を何回かあげた。それは母親に別れを告げるようだった。そして母の胸の中で、安らかに眠りについた。その時、赤ちゃんの動脈血酸素はまだ30を越していたので、死亡はしていなかった。私たちは涙をこらえ、声をしのんで、唯六文字真言を口中で唱えるばかりであった。尊き上師は常に「死者の傍で泣き叫んではいけない、力を入れて死者の体を揺すぶってもいけない。それは死者に対してよくない」と開示なされている。十二時半に赤ん坊は亡くなった。安らかだった。
尊き上師は娘のために殊勝なポワ法を修めて下さった。感謝します。ポワ法を修め終えて、娘の梵穴は暖かかった。往生して数時間後、看護婦さんと私は娘を風呂に入れた。赤ちゃんの体はまだ柔らかくて洗い易かった。体を洗っていると、突然ある気持ちが私の心の中に浮んだ。娘の小さい体と手足を触っていると、まるで鶏か家鴨などを触るように感じた。上師の話は正しい。私たちは何の資格があって肉を食べるのだ。娘は三十五日生きただけで他界した。私たちはそれでも悲しかった。鶏や家鴨などは、何ヶ月か飼ってはじめてこれほどの大きさになる。そして私たちは生きながらにこれを殺す。彼の親は猶悲しいだろう。ただ私たちは彼らの悲しみの言葉が分からないに過ぎない。上師の話は正しい。私たちは何の資格があって肉を食べるのだ!それで、私は家へ帰ってから、自分自身に今後肉を食べず、ベジタリアンになると言い聞かせた。
2002年10月13日上師は嘗て何故今日このような事になったかを開示したことがあった。それは私達劉家のある先祖が牛を一頭屠殺し、その頭を切り取った。この牛が受けた苦痛は、普通ではなかったので、この世に復讐に来たのだ。因果は恐ろしい。最後に尊き上師に始終見守っていただき、また私達に因果の恐ろしさを深く分からせ、私達劉家とこの牛との恩怨を断ち切った事に感謝します。
尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩の助けに感謝。また謝主任と娘劉錦萱の御蔭で私達が尊き上師に会う因縁をえられ、因果の恐ろしさを知りえた事に感謝する。私達は目の当たりに仏の如きリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の助けで、衆生が苦痛を離れ、喜びを得るのを見られた事を、尊き上師及び諸仏菩薩に感謝。私達は自らの因果の物語を戒めとし、一切の有縁衆生が様々な悪行を避け、善行を行ない、リンチェンドルジェ・リンポチェの教法に従ってしっかり実践し、また一切衆生を代表して仏法を学び、早く輪廻を逃れて苦痛を離れ、喜びを得ることを願う。阿弥陀仏。
皈依弟子 劉家盛、李明麗 謹んで書き上げます
修改:2016.08.05
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2016 年 09 月 27 日 更新