050:私の外祖父
私の外祖父は今年(2008年)96の高齢です。いたって健康で、三番目の叔父と台中に住んでいます。旧正月の前、家族は泣き声を耳にしたことで、外祖父が浴室で転んだ事に気が付きました。外祖父は過去何年かに何度か転んだ事がありましたが、いずれも無事でした。今回は病院で検査を受けました。取り立てて注意するほどの病状も見つかりませんでしたが、外祖父は寝たきりになってしまいました。
旧正月外祖父を見舞った際、彼がかなり弱っている事に気がつきました。体を動かせば痛むと言います。三番目の叔父は何時も忙しく、ほとんど外祖母が外祖父の世話をしていました。でも、老年で体が衰えた外祖母は、とても外祖父の世話をしきれませんでした。このため、外祖父は二番目の叔父の家に移りました。ある日、叔父は母に外祖父の背中に傷口が二つあり、薬を塗布するものの効かない、と言いました。母はおかしいと思い外祖父を病院に送ったところ、2つの大きな褥瘡があるのがわかりました。手のひらほどの大きさで、深さは約5センチで、傷口が骨にまで達していました。
4月4日、私達は台中の病院へ外祖父を見舞いに行ましたが、外祖父はほっとかれた様子でベッドに縮こまっていました。痛み止めのモルヒネを打ちましたが、ほとんど昏迷の状態で、痛みのため引き攣ったり唸ったりしていて、見る人の胸を痛ませました。母が悲しむのを目の当たりにして、私は再び母にリンチェンドルジェ.リンポチェが衆生を助ける功徳を説きました。リンチェンドルジェ.リンポチェだけが外祖父を助けることができるのです。もともと母はあまり信じてはいませんでしたが、翌日が丁度土曜日なので、外祖父の受ける苦しみを軽くする事が出来るのならばと、私達と台北に赴き、寶吉祥でリンチェンドルジェ.リンポチェに謁見を求めました。
母はリンチェンドルジェ.リンポチェの前に跪き、外祖父の状況を報告して、外祖父の苦しみを軽減させてほしいとお願いしました。リンチェンドルジェ.リンポチェは優しく「あなたが彼(外祖父)に代わって、法会に参加しなさい。それで彼が早く解脱できるでしょう。」そんな簡単な話が、母の心のなかの大きな石を取り除きました。母が心のなかでは「早く解脱させたい」と言う風に考えていた事でしたが、娘として、父を苦しみから逃れさせたいものの、この様な話は言い出せずにいました。リンチェンドルジェ.リンポチェがはっきりと口にしたことで、母は安心したのです。彼女の顔に、安堵の表情が広がりました。
それから、母は「施身法」と殊勝な「金剛薩埵灌頂法会」を含む法会に何度か参加しました。その後、母は台中と台北の往復は苦労するとの理由から、法会に来なくなりました。しかし、外祖父はすでにリンチェンドルジェ.リンポチェの加持を得ました。外祖父の傷口が回復を見せたのです。これは不思議なことでした。謝医師が褥瘡の大きさと骨に達する深さに驚き、この様な血液循環が遮断された状況では、回復は見込みが無いのだが、傷口が癒えたとは奇跡にも等しいと言っていました。
年老いた外祖父は、何週間かの後4月末に亡くなりました。その日の朝、様々な徴候から母は、外祖父の臨終を感じ取り、先ず携帯していた“甘露丸”を外祖父に与え、耳もとで「心配しないで、思いを残さず、菩薩がお連れに来られたら、安心して付いていって」とささやきました。翌日、母は私に外祖父が亡くなったことを知らせて来ました。私は母に外祖父のために台北に来てリンチェンドルジェ.リンポチェと会って、外祖父を済度するよう求めました。母に、是非リンチェンドルジェ.リンポチェに会わなければならない、外祖父の傍にいるだけでは助けにはならない、今はリンチェンドルジェ.リンポチェだけが外祖父を手伝うことができる、と言いました。母は台北へ来てリンチェンドルジェ.リンポチェに会って、外祖父は往生したと申し上げ、済度をお願いしました。リンチェンドルジェ.リンポチェは外祖父の亡くなった時間と、氏名と生年を聞いて、呪文を唱え外祖父の加持を始めました。しばらくすると一寸止まり、母に外祖父の小さい娘(私の叔母)は体が弱いので、葬儀の事で彼女を煩わさないようにと言付け、また、叔父達の事についての話も、すべて間違いがありませんでした。リンチェンドルジェ.リンポチェは続けて呪文を唱えて加持を行い、最後に母に、外祖父には加持して霊魂を保護したことを伝え、次の施身法を修めるときに、外祖父を済度しようとお話になりました。そして母に喪中、すべて菜食を摂り、肉などの食物を使って、外祖父に供えてはいけないと言付けました。
当日の夜、私達と母は台中に帰って、外祖父の遺体を拝みました。すでに、一日冷凍室で凍らせた遺体でしたが、安らかに寝ているようで、亡くなる前、病気に苛まされていた時に比べて、より良いように見受けられました。リンチェンドルジェ.リンポチェの済度を得た外祖父は火葬式を行う1日前に、冷凍の遺体を解凍されました後、外祖父の体は柔らかく、着替えも楽でした。顔色は赤みを帯び瑞々しく、頬はふっくらとして生前より豊かで張りがありました。火葬した後、骨灰の色について、火葬場で長年働く人は、こんなにきれいな色をし骨灰はこれまで見たことがないと言っていました。
尊きリンチェンドルジェ.リンポチェはその大福報と大慈悲力で、外祖父が良い地方に行くように済度してくだされました。それゆえ、家族のあいだに悲痛な表情は見られなく、ただ外祖父を懐かしむばかりでした。尊き金剛上師リンチェンドルジェ.リンポチェの慈悲願力、大恩と大德には、なんとお応えしてよいか分かりません。リンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝を捧げます。
皈依弟子 王文德 謹んで書き上げます。
2008年6月
修正 2016年10月21日
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2016 年 10 月 21 日 更新