048:慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェ、林佳儀の一生を変える

2004年11月10日、私の弟は、ある選挙応援団を創立する活動現場で、意外に大量のドライ・アイスを吸い込み脳部酸欠事故を起こし、救急病院に運び込まれた。初め弟がただ熱さで倒れたと思っていた私は、駆けつけた現場で、呆然としてしまった。応急手当を受けた弟の表情は、極度に苦痛の様子で、脳部皮脂層に厳重な傷を負い、全身は絶え間なく引き攣り、呼吸さえ救急車が現場に到着した後、やっと回復したのだった。私は私より早く病院に着いた父母、及び心配している弟の同僚と上司を見て、頭の中が真っ白になり、泣くことさえ忘れ、中国に出張している夫に電話をかけながら、頭を絶えず壁にぶつけたが、心の痛みを軽くすることが出来ず、これは夢を見ているだけで、目が覚めたら何事も起こっていなかったと思いたかった。だが、急診室の担当医は、私達に無益な期待を持たせたくなく、頭を振り溜息をついて、たとえ救われても植物人間だと言った。

林佳儀の弟(左)事故に遭って、怪我した前に兄弟二人の写真

私はとてもお医者さんの告知を受け入れる事が出来ず、ただ急いで私が最も腕利きだと思う医者に来て貰い、弟を救う事しか考えなかった。しかし私達の家族と知り合って10数年の漢方医も、弟の脈を診た後、ただ頭を振って、訳の分からない言葉で、 “彼の頭はもう作動していない。鍼灸でも治療することが出来なく、これ以上弟に苦痛を与えたくない”と言った。言外の意は、私達に悲しみを抑え、彼を静かに往生させなさいと言う事だろう……当時、私達は皆この事実を受け入れたくなく、奇跡が現れて、何日かの後弟が目を覚ますだろうと無邪気に思っていた。あまつさえ、私は弟の回復を待つ仕事を彼の同僚に任し、ひたすら神頼みや占いをして、毎日異なる寺廟などに行き、祈りをしたり、おみくじを引いたり、光明灯を点灯したりして、私の能力の及ぶ範囲で、お金を撒き散らしていた。しかし、祈りをすればするほど心が乱れ、次に如何すれば好いのか分からず、あげくにはメディアで私を心配してくれる皆様に、ご自身が一番良いと思える方法で弟の為に祈ってくださいと呼びかけ、それで心の暫しの静けさを取り戻そうとした。このような経緯で、寶吉祥仏法センターの弟子の一人が、これは私に知らさなければいけないと、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェだけが弟を助ける事が出来ると私に教えてくれた。私は弟を助けるいかなる機会も逃したくないので、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を願い出た。リンチェンドルジェ・リンポチェは、この時から私達一家の運命を変えた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは信衆を接見して、衆生のために世間の悩みと苦しみを解決している。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自ら病院の集中治療室に来られて弟を加持された。加持の後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、弟はお腹がとても空いていて、甘いものを食べたがっている。また、弟は以前大きな缶コーラを毎日飲んでいたのではないかお訊ねになられたので、私ははいと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く私に、病院は弟を植物人間と考えているので、食量を抑えている。これからは医者に1日必要とする量を弟に与えるように頼みなさい、そうすれば弟もひもじい思いをしないだろうと開示した。また、リンチェンドルジェ・リンポチェは、弟は20日後に退院できるともおっしゃった。その折、私は無知にもリンチェンドルジェ・リンポチェに、弟のため私は何ができるかと伺ったが、私達が出来る事はあまりにも少なかった。お経を唱える事さえ落ち着いてやれなかった私は、実に独りよがりだった。

しかし、慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは依然として私に開示された。私に自ら助けが必要な人を助け、弟のために絶えず福報を積んでこそ、本当に彼のためになると言われたのだ。ちょうどその時、私はニュースで彰化のある警官が勤務中意外事故で亡くなったことを知った。彼の年齢は弟と同じ位で、その家族はそれから拠り所を失い、年老いた両親及び子供二人が残された。私はリンチェンドルジェ・リンポチェの指示に従って、自ら電車で彰化へ行き、彼の未亡人に慰問金を差し上げた。その後、私達は弟を他の病院は移そうと思い、あちこち転院先を探していたが、思いがけなく、私達と一面識もない彰化の病院が積極的に私達を受け入れてくれる意志を表した。この消息を知った私は激動して涙を流した。私がただリンチェンドルジェ・リンポチェの指示に従っただけで、こんなにも短時間で、すぐ報われるとは思いにもよらなかったのだ。その後、父母の仕事と看病がしやすいと言う理由で、私達は別の台北の医院に弟を移した。そして、私は福報を積む事の重要性を知った。

リンチェンドルジェ・リンポチェは施身法を修めて、広大無辺な六道衆生を利益した。

自ら助けが必要な人を助ける外、慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは、弟のかわりに、私達が週一回の施身法に参加しなさいと開示した。 私と母及び叔母はすぐ参加を申し込んだ。法会が始まると、リンチェンドルジェ・リンポチェは私達に助けたい人を考えるように諭した。私は、弟のかわりに法会に参加しなさいと言うリンチェンドルジェ・リンポチェの言葉を思い出し、自分は弟だと考えた。リンチェンドルジェ・リンポチェが真言を唱え始めた時、私は全身に異常な冷たさを感じ、気を失かけ、息が苦しくなって、気分が非常に悪くなった。その時、私の脳裏は、リンチェンドルジェ・リンポチェ、助けて!とだけ叫んでいた。私が気を失う寸前に、真言を唱える声が止み、すべてが正常に戻った。瞬時、私は弟に事故が起きた当時の苦痛を感じ、 更に其の時以来の、助けがどこに有るかも知れず、未来に対する恐れを思い出して、私に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することを決めさせ、リンチェンドルジェ・リンポチェの下で仏法を学んで、生死の苦海を離れることを望んだ。私の皈依の願いをリンチェンドルジェ・リンポチェは受け入れて下さった。そして幸運にもあまり長く待つ事も無く、2004年12月5日に、私は寶吉祥仏法センターで尊き リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して弟子になることが出来た。

林佳儀は弟と二人、兄弟の感情が深い

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが加持した後、弟の状況はだんだん安定してきた。しかし私達は依然として弟に更に多方面の治療を望んだ。大勢の親戚や友人の勧めで、私達は弟を転院することに決め、彼が高圧酸素の治療を受ける事を望んだ。事が急だったので集中治療室には空きベッドがなく、一般病室に入る事になり、父母はその時の弟を如何世話するかを学ばなければならなかった。ちょっとした混乱の後、彼の状況はやっとまた安定に向かい始めた。暫く息抜きの暇があったとき、私はふとリンチェンドルジェ・リンポチェが始めて弟を加持された時に、20日後に病院を離れるだろうと開示された事を思い出した。弟が転院した日はまさに11月30 日で、ちょうど事故から20日目で、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示した日にちと一日も違わなかった。

翌年、私が仕事に復帰して海外へ仕入れに行く前に、兄弟子はもう車椅子で動かせる事が出来るようになった弟を伴って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して来なさいと何度も促してくれたが、私はまだ弟を病院から連れ出した事がないので、自己の恐れしか脳裏に無く、ひたすら リンチェンドルジェ・リンポチェは、時間さえあればまた病院にいらっしゃって、弟に加持なされると約束された事を思い、兄弟子の話には気も留めなかった。数多の衆生が リンチェンドルジェ・リンポチェを必要としている等は、全然頭に無かった。なんと愚かな自己中心的な物の考え方だろう。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの様に苦労なされておりながら、尚この様に情け深いのだ。私という弟子は、ただ自分の事だけを思って、本当に仏の弟子の資格がない。

私の海外滞在はたった2週間だけだったが、その間弟はひどい肺炎に罹り、それが肺積水に進み、完全部の抗生物質治療をしても、依然として40 度の高熱を出していた。私が帰国した日までに、彼は10キロも痩せていた。医者は更に彼の肺部の脇に穴をあけ、ドレナージ処置をして、肺部の積水を排出していた。さもなくば、彼の肺は引き続き萎えて、呼吸が出来なくなるかも知れなかった。彼の虐げられた顔を見て、私は崩れ折れてしまった。私は自分の私心と貪りのせいで、彼に リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受ける機会失わせてしまったのだ。私は私が上師に対する信心が不十分なので、病院の保護を離れたがらなかったのだ。私の誤りと悲しむべき考えは、なぜ彼にこんなにも多くの苦痛を与えてしまったのか?私は悲痛で切実な懺悔心をもって、彼の耳もとで、私は間違っていた、ご免なさい。今、あなたを助け得る人はもう無いのだ。私はまた尊き リンチェンドルジェ・リンポチェにおすがりしてあなたを加持し、見守り、あなたが更に苦しみを受けない様お願いするしかない。元楨が手術室にいる半時間、私は絶えず懺悔して、尊き リンチェンドルジェ・リンポチェに元楨がこの難関を無事越すようにお助け下さいと念ずるばかりだった。そして私達の生涯で、上師がいないと駄目だと言う事を切実に感じた。上師の教え及び導きがないと、自分の悪念がこのように根強いと知る方法が無いし、本当に因果を了解し、深く信じる事が出来ないのだ。頼りとする上師がいなければ、夜の海で方向を見失った船のように、恐ろしい事だ。

私が切実に懺悔の念を起こすと、弟の手術は思いのほか順調にいった。熱はすぐに下がり、ドレナージの処置も1週間から3日に短縮し、彼の肺も開けて、前に役に立たなかった治療も、急に治療効果を発揮しだした。私はこれがリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い加持のお陰で、再び弟が難関を越すのをお助け下さったと言う事を知っている。私はこのご恩に感謝するばかりだった。

林佳儀はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女一家の加護及び助けに対して、感謝している。

弟の体調がだんだん落ち着くに連れ、私の父母も絶えず法会に参加する様になり、徐々に因果の法則を受け入れ学んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて慈悲深く、元楨の事はわが家族の果報で、いわゆる結果を得るには少し時間が掛かるのだと開示された。すでに仏菩薩の手に委ね、済度を願ったのだから、仏菩薩は弟に最も良い道を与える事を信ずるべきで、それは副作用がない道なのだ。一切を仏菩薩に任せれば、気楽で簡単ではないか?リンチェンドルジェ・リンポチェの大知恵は、私達に任せることを学ばせた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは私の弟と母の願いを次々と受け入れ、彼らを皈依させて直貢噶舉教派寶吉祥仏法センター、リンチェンドルジェ・リンポチェ門下の弟子とした。

皈依弟子第八組林佳儀 謹んで書き上げます

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2016 年 09 月 27 日 更新